説明

ペプチドの酵素による加水分解方法

【課題】酵素消化によるペプチドの断片化において、解析対象となるペプチドの量が少ない場合、質量分析に必要なペプチド断片量の確保が困難であり、微量なペプチドからも質量分析の感度にかかる量のペプチド断片を酵素的に得る方法の確立が望まれていた。酵素消化によりペプチドを断片化する場合において、効率的に、より多くのペプチド断片を取得できる方法を提供する。
【解決手段】ペプチドをバッファー溶液中でプロテアーゼにより加水分解する方法であって、前記バッファー溶液は、少なくとも双極性非プロトン性溶媒を含有する緩衝液からなる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ペプチドの酵素による加水分解方法に関し、特にペプチドのゲル内消化に関する。
【背景技術】
【0002】
ゲノム情報が種々の生物で充実してきた今日、ペプチドのアミノ酸配列等の情報のデータベースへの帰属は質量分析を用いて行われることが第一手段となりつつある。ペプチドのアミノ酸配列情報の取得は、例えば、基質特異的なペプチド結合加水分解酵素を用いてペプチドの断片化を行い、得られたペプチド断片の質量を質量分析により決定して、公知データベースとの照合を行うことにより行われる。または、例えば、MS/MS解析を行うことによりペプチド断片の部分配列情報を取得し、得られたMS/MSスペクトルをデータベースと照合することにより行われる。
【0003】
これらの質量分析器を利用する手法では、ペプチドを断片化する工程、すなわち基質特異的な分解酵素による断片化処理における精度や収率の良し悪しが、その後のデータベースサーチに決定的な影響を及ぼす。特に、プロテオーム解析のように微量なタンパク質を扱う場合のように、解析対象となるペプチドの絶対量が非常に少ない場合においては、断片化処理後に回収されるペプチド断片の絶対量も必然的に少なくなる。このような場合では、質量分析器に導入されるペプチド断片量の確保は非常に重要な課題となり、しばしばこのペプチド断片量の不足のためにサンプルの同定作業は困難となる場合があった(非特許文献1)。
【非特許文献1】Proteins and Proteomics, Richard J. Simpson, COLD SPRING HARBOR LABORATORY PRESS. また、近年、プロテオミクス技術の発展に伴い、バイオマーカーの探索が医療・創薬の現場で本格的になってきた。そして、サンプル調製は疾患部位そのものからではなく、サンプル採取に際して患者の苦痛を比較的伴わない血清・尿・唾液などからのバイオマーカー探索が活発に行われるようになりつつある。このようなサンプルからのバイオマーカーは微量であることが少なくなく、絶対量の少ないペプチドからの安定した質量分析用サンプル調製方法が広く求められている。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
酵素消化によるペプチドの断片化において、解析対象となるペプチドの量が少ない場合、質量分析に必要なペプチド断片量の確保が困難となる問題があった。そこで、微量なペプチドからも質量分析の感度にかかる量のペプチド断片を酵素的に得る方法の確立が望まれていた。つまり、酵素消化によりペプチドを断片化する場合において、より多くのペプチド断片を取得できる方法が望まれていた。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明はかかる課題を解決するためになされたものであって、酵素消化に用いるバッファーに、双極性非プロトン性溶媒を若干量添加することにより、取得できるペプチド断片量の改善を図ることを特徴とする。
【0006】
すなわち、本発明に係るペプチドの加水分解方法は、
ペプチドをバッファー溶液中でプロテアーゼにより加水分解する方法であって、
前記バッファー溶液は、少なくとも双極性非プロトン性溶媒を含有する緩衝液からなることを特徴とする。
【発明の効果】
【0007】
本発明の方法によれば、ペプチドの酵素消化断片を得る際に、ペプチド断片を効率的に取得することができる。したがって、ペプチドの絶対量が少ない場合でも、ペプチドのデータベースサーチの精度を格段に向上することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0008】
本発明に係るペプチドの加水分解方法では、プロテアーゼ及びペプチドを溶解する液媒体として、加水分解反応のための緩衝液と、双極性非プロトン性溶媒とを含有するバッファー溶液を用いる。
【0009】
本発明に係るペプチドの加水分解方法によれば、取得されるペプチド断片の量がより多くなる。したがって、引き続き行われる分析に充分量のペプチド断片を供することができ、例えば、質量分析におけるS/Nの値を著しく改善することができる。
【0010】
本発明に係るペプチドの加水分解方法では、少なくとも双極性非プロトン性溶媒を添加して調製した緩衝液をバッファー溶液として用いる。このバッファー溶液にプロテアーゼを溶解させ、ペプチドの加水分解反応に供する。
【0011】
本発明にかかるペプチドの加水分解方法を説明するために、まず、従来行われているin−gel digestionの一例について、図1を参照しながら説明する。まず、解析対象となるペプチドを含むゲル片(例えば、1mm3のサイコロ状)をチューブにいれて、適当な溶媒(例えば、アセトニトリル)で脱水処理を行う(図1(a))。この脱水処理でゲルは縮む。次に、プロテアーゼを溶解した酵素溶液を添加する(図1(b))。酵素溶液がゲルに浸潤し、ゲルが膨潤する。次に、数時間インキュベートし、加水分解反応を行う(図1(c))。次に、アセトニトリルや蟻酸水溶液などでペプチド断片をゲルから抽出する(図1(d))。ペプチド断片の抽出液を、真空ポンプでペプチド断片の濃縮・乾固を行う(図1(e))。この濃縮・乾固されたペプチド断片について例えば質量分析を行う。
【0012】
以下、本発明の実施に実施形態の一つであるin−gel digestionについて詳細に説明する。また、in−gel digestionにより調製されたペプチド断片の質量分析についても説明する。
【0013】
(解析対象となるペプチド)
本発明に用いるペプチドは、特に限定されることなく、天然に存在する任意のペプチドでもよいし、人工的に合成されたペプチドでもよい。天然に存在するペプチドとしてはその生物種を問わず、如何なる生物種に由来するものであってもよい。ペプチドを構成するアミノ酸も天然に存在する20種類のアミノ酸の他、これらの光学異性体やその他の非天然型アミノ酸も含んでいてもよい。
【0014】
(ゲル電気泳動用のサンプル調製)
例えば、解析対象となるペプチドを含むサンプルは、以下のように調製することができる。
【0015】
サンプルを破砕し、タンパク質を抽出後、分画することができる。破砕および抽出する方法は、例えば、ホモジナイザー、細胞溶解液を用いる方法又は凍結融解法等があげられる。分画する方法は、分画遠心法やショ糖密度勾配遠心法などがあげられる。
【0016】
次に、必要に応じて、分画したサンプルを精製することができる。精製する方法は、アフィニティーカラム精製、カチオン交換クロマトグラフィー、アニオン交換クロマトグラフィー若しくは逆相クロマトグラフィー等を利用する方法が挙げられる。また他にも、免疫沈降法、硫安沈殿法、有機溶媒による沈殿法、限外ろ過法、ゲルろ過法又は透析法などがあげられる。
【0017】
破砕・抽出、分画、精製の各操作は、これらに限定されるものではなく、当業者における技術常識により、適当なものを選択し、また、組み合わせればよい。
【0018】
(ゲル電気泳動)
ゲル電気泳動としては、電気泳動によりペプチドが分子量や等電点の違いにより分離できる限り、特に限定されない。例えば、ドデシル硫酸ナトリウムポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS−PAGE)、等電点電気泳動又は2次元電気泳動などを挙げることができる。この中でも、SDS−PAGEが好ましい。
【0019】
(分離されたペプチドの切り出し)
電気泳動後、解析対象となるペプチドを含むゲルを切り出す。解析対象となるペプチドの位置の検出は、例えば、亜鉛−イミダゾール法によるネガティブ染色、クマシーブリリアントブルー染色又は銀染色等により行うことができる。
【0020】
また、ゲルは、必要に応じて、脱染色することができる。このとき、適当な溶液、例えば、水/メタノール/酢酸溶液(水:メタノール:酢酸を4:5:1の比率で混合した溶液)を加えて振とうすることにより洗浄することができる。
【0021】
さらに、脱染色後は、ただちに脱色液を捨て、還元液を加えて15分間程度振とうし、その後、還元液を捨てて0.7Mアクリルアミド−100mM炭酸水素アンモニウム溶液(アンモニア水でpHを8.3−8.9に調整)を加えて15分間程度振とうすることが好ましい。還元液としては、例えば、10−15mM DTT−100mM炭酸水素アンモニウム溶液(アンモニア水でpHを8.3−8.9に調整)を挙げることができる。
【0022】
(ゲルの脱水処理工程)
ペプチドを含むゲルの脱水処理を行う。この脱水処理はゲル中に含まれる界面活性剤を洗い流すためにも行われる。脱水処理には、ゲル中に含浸している水溶媒を、該ゲルを構成するゲル状物質の溶解を引き起こさず、かつ、水に対して親和性を有する極性非プロトン性溶媒を用いて、希釈除去することにより行うことが好ましい。例えば、ポリアクリルアミド・ゲルを用いる際に好適な脱水処理に用いる溶媒としては、水に対して親和性に富む、アセトニトリル(CH3CN)などの炭素数4以下のニトリル類、アセトンなどの炭素数4以下のケトン類などを挙げることができる。また、これら脱水処理に利用する極性非プロトン性溶媒は、水よりも蒸散し易く、蒸散・乾固すると、嵩体積が減少し、収縮したゲルとなる。
【0023】
また、脱水処理は、スピードバックなどで乾固することにより行うこともできる。
【0024】
(ペプチドの加水分解)
本発明に用いるプロテアーゼは、ペプチド結合を加水分解する酵素であれば特に限定されないが、ペプチドをアミノ酸残基に特異的に加水分解するものが好ましく、所定のアミノ酸残基のカルボキシル基側で切断する酵素がより好ましい。例えば、ペプチド中のリジン若しくはアルギニンのカルボキシル基側で切断するトリプシン又はフェニルアラニン、チロシン若しくはトリプトファンといった大きな疎水性側鎖に特異的なキモトリプシン等の動物由来の消化酵素の他、種々の微生物由来のプロテアーゼを使用することができる。また、微生物由来のプロテアーゼとしては、例えば、黄色ブドウ球菌(Staphylocossus aureus)V8株から調製され、アスパラギン酸又はグルタミン酸のカルボキシル基側でペプチド結合を特異的に切断する、プロテアーゼV8を使用することができる。プロテアーゼV8は、反応条件を選択することによってグルタミン酸のカルボキシル基側のみを切断することも可能である。
【0025】
加水分解反応に用いるバッファー溶液は、双極性非プロトン性溶媒が添加された緩衝液を用いる。前記双極性非プロトン性溶媒としては、例えば、フォルムアミドを挙げることができる。また、前記緩衝液の種類はプロテアーゼの特性に合わせて適宜選択することができ、例えば、酢酸緩衝液(酢酸+酢酸ナトリウム)、リン酸緩衝液(リン酸+リン酸ナトリウム)、クエン酸緩衝液(クエン酸+クエン酸ナトリウム)、ホウ酸緩衝液、酒石酸緩衝液、トリス緩衝液又はリン酸緩衝生理食塩水等を挙げることができる。また、これら以外にも、揮発性の塩によりpHを調整した緩衝液を用いることができる。揮発性の塩により緩衝液を調製することにより、後工程の脱塩処理を行う必要がなくなり、操作を簡便にすることができるため好ましい。揮発性の酸、塩基及び塩の少なくとも1種を用いて調製した緩衝液としては、例えば、重炭酸アンモニウム緩衝液(炭酸水素アンモニウム緩衝液)、ピリジン・酢酸緩衝液又はピリジン・コリジン・酢酸緩衝液などを挙げることができる。また、揮発性塩としては、炭酸アンモニウム、炭酸水素アンモニウム、蟻酸アンモニウム、酢酸アンモニウム、プロピオン酸アンモニウム、亜硫酸アンモニウム又は亜硝酸アンモニウム等を挙げることができる。重炭酸アンモニウム緩衝液は、主に炭酸アンモニウム及び炭酸水素アンモニウムでpHを調整される。
【0026】
また、双極性非プロトン性溶媒の添加量は、プロテアーゼ活性を失活させず、目的とする酵素活性が得られるように調整される。例えば、双極性非プロトン性溶媒の添加量を、バッファー溶液全体に対して1〜20%(v/v)とすることが好ましく、5〜15%(v/v)とすることがより好ましい。
【0027】
また、緩衝液のpHは、プロテアーゼの種類により適宜選択することができ、特に制限されるものではないが、例えば、pH4〜8の範囲に調整できる。
【0028】
また、バッファー溶液には、プロテアーゼの安定化や加水分解反応の調整のため、適宜他の物質を添加することができる。例えば、グリセロール、エチレングリセロール、プロピレングリコール、エチレンカーボネート、プロピレンカーボネート又はポリエチレングリコール等を加えることができる。
【0029】
加水分解反応は、使用するプロテアーゼに適切な温度、反応時間を設定して加水分解反応を行うことができる。温度条件は、例えば、15℃から90℃とすることができ、好ましくは20℃から50℃の条件である。また、反応時間は、例えば、30分以上とすることができ、好ましくは2時間以上である。
【0030】
プロテアーゼの濃度は、ペプチドを分解し得る濃度であれば、特に限定されない。
【0031】
ペプチドのプロテアーゼによる加水分解により、ペプチド断片が生成する。
【0032】
(ペプチド断片の抽出)
加水分解反応が終了すると、生成したペプチド断片は回収され、引き続き供せられる分析(質量分析など)に有利なサンプル形状とすることができる。
【0033】
ペプチド断片の抽出方法は、特に限定されるものではないが、例えば、アセトニトリル/0.1%トリフルオロ酢酸(TFA)溶液やアセトニトリル/0.1%ギ酸溶液を用いて抽出することができる。
【0034】
抽出したペプチド断片が含まれる溶液は、脱塩処理を行うことが好ましい。脱塩処理は、質量分析に通常使用されるものを適宜選択すればよい。例えば、ステージチップ(Rappsilber J.,Ishihama Y.,Mann M.,Anal.Chem,75:663−670.2003.)により行うことができる。ただし、揮発性の塩を用いてバッファー溶液を調製した場合は、この脱塩処理を省略することができる。
【0035】
(ペプチド断片の質量分析)
本発明に係るペプチドの分析方法は、得られたペプチド断片を質量分析計にて測定することにより行うことができる。
【0036】
質量分析計は、特に限定されないが、ガスクロマトグラフと結合された質量分析装置であるガスクロマトグラフィーマススペクトロメトリー(GC/MS)や液体クロマトグラフと結合された質量分析装置である液体クロマトグラフィーマススペクトロメトリー(LC/MS)等の汎用の装置等を用いて行うことができる。また、MALDI−TOF MSやLC−IT−TOF、LC−QIT−TOF等も用いることができる。
【0037】
質量分析計におけるイオン化方法は、各装置に応じて適宜選択できる。例えば、MALDI(マトリックス支援レーザー脱離イオン化法)、ESI(エレクトロスプレーイオン化法)、EI(電子イオン化法)、CI(化学イオン化法)、APCI(大気圧化学イオン化法)、FAB(高速原子衝撃法)、LD、FD、SIMS又はTSP等を挙げることができる。これらのうち、MALDI又はESI法が好ましい。
【0038】
アナライザーは、各装置に応じて適宜選択できる。例えば、TOF(飛行時間型)、イオントラップ、二重収束型、四重極型又はフーリエ変換型等の汎用の装置を用いて行うことができる。
【0039】
質量分析の装置及び方法は、ここに挙げたものに限定されるものではなく、質量分析に通常使用されるものを適宜選択すればよい。
【0040】
LC/MSのカラムは、当業者において質量分析に通常使用されるものを適宜選択すればよく、例えば、C18修飾したシリカ粒子を詰めたもの、イオン交換カラムおよびC18修飾したシリカ粒子を詰めたものを組み合わせたものを用いることができる。
【0041】
LC/MSの移動相は、当業者において質量分析に通常使用されるものを適宜選択すればよく、例えば、酢酸/アセトニトリル、ギ酸/アセトニトリルなどを用いることができる。また、トリフルオロ酢酸(TFA)を加えることができる。
【0042】
LC/MSのモードは、当業者において質量分析に通常使用されるものを適宜選択すればよく、例えば、逆相クロマトグラフィーモード、イオン交換−逆相クロマトグラフィーモード、ゲルろ過−逆相クロマトグラフィーモードなどで行うことができる。
【0043】
質量分析計による測定の結果得られたデータを用いて、ペプチドを同定することができる。すなわち、得られたデータをソフトフェアおよびデータベースを使用することにより解析し、サンプル中のペプチドを同定することが可能である。ソフトウェアとしては、例えば、SonarMSMS(Genomic solution社製))を挙げることができる。また、データベースとしては、例えば、NCBInr(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/)、IPI、Sport等を挙げることができる。質量分析計による測定データを用いて、ペプチドを同定することは当業者にとって容易である。同定されたペプチドの情報から、アミノ酸配列情報を得ることは、当業者にとって容易である。
【0044】
本発明に係るペプチドの加水分解方法によれば、回収されるペプチド断片の量がより多くなり、引き続き供せられる分析から得られるデータのS/Nを著しく改善することができる。
【0045】
また、本発明に係るペプチドの加水分解方法は、解析対象となるペプチド量の如何にかかわりなく用いることが可能であるが、微量に存在するペプチドの酵素消化に有用である。特に、プロテオーム解析においては、サンプル(例えば、組織、生体液、細胞、細胞器官又はタンパク質複合体等)中における解析対象となるペプチドが微量である場合が多い。
【0046】
既存のリキッドハンドリング装置やin−gel digestionを想定した装置などにも本発明に係るペプチドの加水分解方法を組み込むことが可能であり、本願の利用形態のひとつとして含めることができる。
【0047】
また、双極性非プロトン性溶媒、例えばフォルムアミドを組み込んだペプチドの酵素による加水分解キットの作製も、本願の利用形態の一つとして含めることができる。
【0048】
なお、本発明にかかるペプチドの加水分解方法は、加水分解反応後に溶媒を蒸発させる際、若干揮発の速度が従来方法より遅くなる場合がある。これは双極性・非プロトン性溶媒がもたらす水素結合が大きく寄与していると考えることができる。この場合は、複数回の水の添加による共沸を利用することにより、従来方法における蒸発時間と比べてそれほど遅滞なく溶媒の蒸発を達成することが可能となる。
【実施例】
【0049】
以下に、実施例を挙げて、本発明をより詳細に説明する。なお、本発明の技術的範囲は、かかる実施例により何ら限定されるものではない。
【0050】
(実施例1)
本発明の有効性を検証する目的で、大豆由来のトリプシンインヒビターをプロテアーゼV8によるin−gel digestion法を用いて断片化し、得られたペプチド断片をMALDI−TOF MSにより解析した。より具体的には、まず、SDS−PAGE法により、前記トリプシンインヒビターをバンドとしてゲル中に分離した。その後、本発明に係るペプチドの加水分解方法を用いて、ゲル中にあるトリプシンインヒビターを断片化した。さらに、取得したペプチド断片について分子量を測定した。
【0051】
(ゲル電気泳動法による単離)
市販されている大豆由来のトリプシンインヒビター標品(商品名:Trypsin inhibitor、Sigma社製)を用いて、1μg/μLの濃度でトリプシンインヒビターを含有するペプチド溶液を調製した。
【0052】
なお、前記トリプシンインヒビター標品にはシステイン残基が存在する。したがって、該システイン残基のスルファニル基(−SH)の酸化による−S−S−結合の形成を回避するため、2−スルファニルエタノール(HS−C24−OH:2−メルカプトエタノール)、DTT(ジチオトレイトール:トレオ−1,4−ジスルファニル−2,3−ブタンジオール)などの還元性試薬を前記ペプチド溶液に添加することにより、予め酸化防止処理を施した。また、場合によっては、予め、システイン残基のスルファニル基(−SH)に対して、カルボキシメチル化などの保護を施すことが好ましい。本実施例では、10mM DTT、50mMアンモニウムバイカーボネート(重炭酸アンモニウム、以下ABCと略す)を用いて、60℃、20分の還元反応を行い、引き続き100mMヨードアセトアミド、100mM ABCによるアルキル化を室温、30分間行った。
【0053】
調製したペプチド溶液を、ゲル濃度12.5質量%のポリアクリルアミド・ゲルを用いて電気泳動した。泳動処理後、クーマシー・染色により、目的とするペプチド鎖のバンドを特定した。本実施例では、かかる染色バンド部のゲルを切り出し、ゲル切片を以下の一連の操作に供した。
【0054】
(ゲルの脱水処理)
次に、ゲル切片を、気密性を有するチューブ中に入れ、アセトニトリル1mLを注入し、15分間攪拌した。このアセトニトリルによるゲルの脱水処理を合計3回行った。なお、この脱水処理によりゲルが収縮した。
【0055】
(プロテアーゼV8によるペプチドの断片化)
大豆由来トリプシンインヒビターのアミノ酸配列を図3に示した。トリプシンインヒビターがグルタミン酸のC末端側で切断された場合に生じるペプチド断片のアミノ酸番号とその分子量(MH+)もあわせて記載してある。なお、本実施例では、トリプシンインヒビターのシステイン残基を還元アルキル化処理(ヨードアセトアミド処理)により保護してあるので、その分の分子量の変化を加味して表示している。
【0056】
まず、50mM ABC900uLにフォルムアミド(FA)を100uL加えて、これを用いてプロテアーゼV8を0.02μg/μLとなるように溶かし、10%FA含有酵素溶解溶液を調製した。なお、プロテアーゼV8はStaphyrococcus aureus由来のものを用いた(商品名:Endoproteinase GluC、BioLabs社製)。
【0057】
次に、脱水処理済みのゲル切片を消化用チューブ容器内にいれ、10%FA含有酵素溶液を適量加え、ゲルに担持されている状態のままペプチドの断片化を行った。また、断片化処理は25℃で16時間行った。その際、脱水処理されていたゲル切片は、10%FA含有酵素溶液の浸潤により速やかに膨潤し、本来の体積に復した。
【0058】
なお、プロテアーゼV8による加水分解反応では、グルタミン酸残基のC末側のペプチド結合が切断される。大豆由来トリプシンインヒビターのペプチド鎖のアミノ酸配列は既に判明しており、グルタミン酸残基のC末側ペプチド結合切断に伴い、元のペプチド鎖は図3に示すペプチド断片に切断される。なお、図4には、上記ペプチド断片の分子量(MH+)も記載している。また、前述のように、システイン残基は還元アルキル化処理を施してあるので、その分の分子量の変化を加味して表示している。
【0059】
(ペプチド断片の回収)
次に、プロテアーゼV8による断片化処理の後、ゲル切片及び溶液からペプチド断片を回収した。
【0060】
まず、消化用チューブから10%FA含有酵素溶解溶液を抽出用チューブに回収した。次に、30μLのアセトニトリルをゲル切片にかけて、10分後、アセトニトリルを全量抽出用チューブに回収した。次に、10%蟻酸水溶液30μLをゲル切片にかけて、10分後、全量抽出用チューブに回収した。次に、30μLのアセトニトリルをゲル切片にかけて、15分後、全量抽出用チューブに回収した。次に、50μLのアセトニトリルをゲル切片にかけて、15分後、全量抽出用チューブに回収した。このように回収されたペプチド断片を含む溶液について真空乾燥処理を行った。
【0061】
(質量分析)
真空乾燥処理を施して得られたペプチド断片は、3μLの0.1%(v/v)TFA,50%(v/v)アセトニトリル水溶液に溶解させ、ペプチド断片溶液とした。このペプチド断片溶液1μLをMALDI−TOF MS用のプレートにのせた。自然乾燥後、α−cyano−4−hydroxycinnamic acid(α−CHCA)マトリックスの水溶液(7mg/mL)を1uLのせた。自然乾燥後、ポジティブイオンモード、リフレクトロンモードによりペプチド断片の質量分析を行った。
【0062】
(比較例1)
比較として、断片化処理時にフォルムアミドを添加していない酵素溶液、すなわち重炭酸アンモニウム緩衝液(pH8)を用いた以外は実施例1と同様にペプチドの断片化及び回収操作を行い、得られたペプチド断片について質量分析を行った。
【0063】
(効果)
図2a及び図2bにそれぞれ実施例1及び比較例1で得られた結果を示す。図2a及び図2bに示すとおり、実施例1で得られたペプチド断片のシグナルの方が、比較例1で得られたペプチド断片のシグナルよりも、プロテアーゼV8の自己消化産物ピークやバックグラウンドが低く、サンプル由来ピーク群が有意に高く観測された。したがって、本発明によりペプチドの酵素消化断片を得る際に、目的とするペプチド断片を効率的に取得することができる。
【図面の簡単な説明】
【0064】
【図1】従来の一般的なin−gel digestionについての説明図である。
【図2a】本発明に係るペプチドの加水分解法により取得したペプチド断片の質量分析の結果を示す図である。
【図2b】従来法により得られたペプチド断片の質量分析の結果を示す図である。
【図3】大豆由来トリプシンインヒビター・ペプチドのシークエンスおよびV8で消化を行った際に得られるペプチド断片のアミノ酸番号とその分子量(MH+)示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ペプチドをバッファー溶液中でプロテアーゼにより加水分解する方法であって、
前記バッファー溶液は、少なくとも双極性非プロトン性溶媒を含有する緩衝液からなることを特徴とするペプチドの加水分解方法。
【請求項2】
前記加水分解はゲル中で行われることを特徴とする請求項1に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項3】
前記双極性非プロトン性溶媒がフォルムアミドであることを特徴とする請求項1又は2に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項4】
前記緩衝液は、揮発性の塩によりpHが調整された緩衝液であることを特徴とする請求項1乃至3のいずれかの請求項に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項5】
前記揮発性の塩が、炭酸アンモニウム又は炭酸水素アンモニウムであることを特徴とする請求項4に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項6】
前記フォルムアミドを添加する量が1〜20%(v/v)であることを特徴する請求項3乃至5のいずれかの請求項に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項7】
前記プロテアーゼがStaphyrococcus aureus由来のプロテアーゼV8であることを特徴とする請求項1乃至6のいずれかの請求項に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項8】
前記ゲルがポリアクリルアミドゲルであることを特徴とする請求項2乃至7のいずれかの請求項に記載のペプチドの加水分解方法。
【請求項9】
請求項1乃至8のいずれかの請求項に記載のペプチドの加水分解方法で得られたペプチド断片について質量分析を行うことにより前記ペプチドを同定することを特徴とするペプチドの分析方法。

【図2a】
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【図2b】
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【図3】
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【図1】
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【公開番号】特開2009−139107(P2009−139107A)
【公開日】平成21年6月25日(2009.6.25)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−312693(P2007−312693)
【出願日】平成19年12月3日(2007.12.3)
【出願人】(000004237)日本電気株式会社 (19,353)
【Fターム(参考)】