説明

イオントラップ質量アナライザを使用して高精度の質量スペクトルを得る方法及びイオントラップ質量アナライザを使用した質量分析において化学シフトを判定及び/又は低減する方法

イオントラップ質量アナライザを使用して高精度の質量スペクトルを取得する方法は、アナライザの動作パラメータを調節して質量選択共鳴排出モードにおいてリバース質量スキャンを可能にする段階と、対象イオンの質量/電荷比に近い下限を具備する質量/電荷比レンジ内のイオンをトラップするべくトラッピングフィールドを設定する段階と、を含んでいる。化学シフトを判定する方法は、アナライザの動作パラメータを調節してフォワード及びリバース質量スキャンを可能にする段階と、フォワード及びリバース質量スキャンから取得したスペクトルを較正する段階と、を含んでいる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、四重極イオントラップ質量アナライザなどの、イオントラップ質量アナライザの操作に関するものである。
【背景技術】
【0002】
数十年前に質量選択不安定モードが発明されて以来、四重極イオントラップ質量アナライザが質量分析計として開発され、使用されている(米国特許第4,540,884号)。以降、米国特許第4,736,101号、第4,749,860号、及び第4,882,484号などの一連の米国特許に、イオントラップからのイオンの共鳴排出を使用したMS及びMS/MS法の完全なセットが開示されており、これらの方法に基づいて、商用イオントラップ質量分析装置が製造され、広く使用されている。これらの装置の動作原理は、次のように要約可能である。(A)イオントラップにトラッピングRF電圧を印加することにより、事前定義されている質量レンジ内のイオンをトラップし、(B)2つのエンドキャップ電極間に補助AC電圧を印加することにより、望ましくないイオンを共鳴排出し、(C)残りの前駆イオンを活性化する補助AC電圧を印加することにより、衝突解離を誘発して生成イオンを生成し、最後に、(D)その質量/電荷比に応じてイオンを共鳴排出するべく、トラッピングRF又は補助AC電圧のパラメータをスキャンし、この結果、(E)排出されたイオンを計測することにより、質量スペクトルを取得可能である。
【0003】
その他の最近の質量アナライザを使用して得られるものと比べて、イオントラップ質量分析計の質量計測精度が劣っていることは、衆目の一致するところである。これは、(a)トラップされたイオンによって誘発される空間電荷の影響と、(b)イオンの物理的/化学的特性に起因した所謂化学シフトという2つの要因に帰することができる。
【0004】
空間電荷効果は、イオントラップが多数のイオンによって充填された場合に発生する。イオン密度が増大した結果、イオン間の反発力に起因して質量変位が生じる。この現象は、既に、C.D.Cleven、K.A.Cox、及びR.G.Cooksによって研究されており、「Rapid Communications in Mass Spectrometry」第8451巻(1994年)に発表されている。共鳴排出の際のイオン運動の変化は、空間電荷効果に起因したトラッピング電位の形状の変化を反映している。イオンの数とそれぞれのイオンの電荷が大きくなるほど、イオン信号の周波数シフトが大きくなり、この結果、共鳴排出時間に影響が及ぶ。これが、質量スペクトル内において検出される質量シフトの原因である。更には、励起状態にある2つのイオン種間の質量/電荷比の差が小さいほど、これらのイオンが相互に及ぼす影響が大きくなる。有機分子を分析する際には、これらの同位体エンベロープは、モノアイソトピックイオン(12Cを含む分子)と、これに続くその分子内の12C及び13C原子の組み合わせから生じるいくつかの更に重い同位体イオンを含んでいる。この必然性に起因し、イオン種の質量数決定は、一般に、同位体クラスタ内の標識化モノアイソトピックイオンに依存している。しかしながら、質量選択排出モードにおいてイオントラップがフォワード質量スキャンを実行する場合には、モノアイソトピックイオンの排出は、後から排出されるその他の同位体イオンの共存によって影響を受ける。排出時間における遅延が、質量分解能と質量精度の両方に影響を与える。正確な質量数決定のためには、スキャンの前に、イオンの数を慎重に制御しなければならない。
【0005】
米国特許第4,771,172号明細書は、空間電荷効果を防止するために必要なイオン化時間を事前判定するべく、プレスキャンを実行する空間電荷制御法を開示している。しかしながら、このようなプレスキャンは、後続のスキャンの正確なイオン化レートを反映することができない。特に、対象イオンの強度が、その他のトラップされている種と比べて、相対的に小さい場合には、厳格すぎるイオン空間電荷の制御により、イオン信号の強度が低下することになる。
【0006】
質量/電荷比を低減するべく排出質量スキャンを実行すれば(リバーススキャン)、質量シフトを極小化可能であることが考えられる。この場合には、モノアイソトピックイオンを共鳴排出する前に、同位体クラスタ内のすべてのより重い同位体イオンを除去する。この手順を極大化するためには、イオンを排出する際に、そのイオンがその独自の空間電荷効果のみを受けるように、対象のイオンをトラッピング質量レンジの下端の近傍に配置することが好ましいであろう。この結果、最良の質量精度を実現可能である。
【0007】
質量スペクトル内における化学シフトは複雑な問題であり、この原因を識別するべく更なる研究が必要である。M.Wells及びG.Cooksによって実行され、「Analytical Chemistry」(第72巻、第13号、2667頁)に発表された研究は、この現象を解説している。彼らは、排出の手順が迅速に実行されない場合に、イオン間の断面の差が、それらの排出時間に影響を与えることになると示唆している。ある化合物のシフトが早期の排出のために生じ、この結果、フォワード質量スキャンにおける負の質量シフト、又は、リバーススキャンにおける正の質量シフトがもたらされる。
【0008】
小さな衝突断面は、通常、早期の排出に結び付き、この結果、フォワード質量スキャンにおける負の質量シフト、又は、リバーススキャンにおける正の質量シフトがもたらされる。一方、大きな衝突断面は、相対的に遅延した排出に結び付き、結果的に、フォワード質量スキャンにおける正の質量シフト、又は、リバーススキャンにおける負の質量シフトをもたらす。又、バッファガスとの衝突に起因し、排出の最中に、脆弱なイオンがフラグメント化することもあり、フラグメントイオンがa−q図の安定領域内にない場合には、これも、結果的に、先行したイオン信号をもたらす。そして、これが、スペクトルにおけるピークのシフト又はピークのスプリットを引き起こす。結論として、イオントラップが純粋な真空装置ではないために、計測された質量に、サンプルイオンの化学構造に応じた誤差が含まれることになる。
【0009】
フォワード質量スキャンとリバーススキャンにおける化合物の化学シフトは、方向が反対であるため、反対方向における2つの質量スキャンから得られた情報を組み合わせることにより、イオンの構造的特性に起因するこれらの化学シフトを識別し、且つ、質量計測におけるこれらの誤差を極小化可能である。
【0010】
Stafford及び協力者らは、別の法を使用してこの現象を極小化し、イオントラップの性能を向上させている。技術的には、これは、イオントラップのエンドキャップ電極間の距離を変更することにより(伸張型イオントラップ)、又は、双曲面形状に存在する円錐漸近線の角度を減少させることによって実現されている。アナライザの形状に対するこれらの永久的な構造的変更により、イオン運動の非線形共鳴が生じる(これらのトラップは、非線形イオントラップとも呼ばれている)。但し、高次多極成分によって引き起こされる非線形共鳴は、装置の性能を改善するが(例えば、高速のフォワード質量スキャンにおける良好な質量分解能など)、同時に、いくつかの制限が持ち込まれることになる。長期にわたって存在している問題点の1つが、このような形状によっては、リバース質量スキャンと前駆分離の良好な分解能が維持されないという点である。
【0011】
特許出願PCT/GB02/04807号明細書において、Ding及びSudakovは、永久的な高次多極フィールドを含んでいない新しいイオントラップ構造を開示している。このトラップによれば、質量/電荷比に関して、フォワード及びリバース方向において望ましくないイオンを排出することにより、高分解能の前駆分離を実現可能である。しかしながら、質量/電荷比のリバース方向におけるイオンの排出を活用して高分解能及び高精度の質量スペクトルを実現した例はない。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
イオントラップ質量分析計のその他の性能を犠牲にすることなしに、レンジが定義されたリバース質量スキャンを使用し、質量スペクトルの良好な質量分解能と良好な質量精度を得ることが本発明の目的である。
【0013】
又、フォワード及びリバース質量スキャンのアプリケーションを使用して化学シフトを識別することも本発明の目的である。これは、質量精度の向上のためにも活用可能であろう。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明の一態様によれば、イオントラップ質量アナライザを使用して高精度の質量スペクトルを取得する方法が提供され、この方法は、イオントラップ質量アナライザの動作パラメータを調節し、イオンの質量選択共鳴排出が質量/電荷比の降順であるリバース質量スキャンを可能にする段階と;高精度の計測を必要とする対象のイオンの質量/電荷比に近い下限を具備した質量/電荷比のレンジ内のイオンをトラップするべく、トラッピングフィールドを設定する段階と;リバース質量スキャンの際にトラッピング及び励起フィールドを変化させて、イオンを排出する段階と;排出されたイオンを検出し、リバース質量スキャンスペクトルを取得する段階と;を含んでいる。
【0015】
本発明の別の態様によれば、質量選択不安定モードで動作するイオントラップ質量アナライザを使用して質量分析に伴う化学シフトを判定及び/又は低減する方法が提供され、この方法は、イオントラップ質量アナライザの動作パラメータを調節し、類似した品質の質量スペクトルを取得するフォワード質量スキャン及びリバース質量スキャンを可能にする段階と;既知の較正エージェントを使用し、フォワード及びリバース質量スキャンの両方について、イオントラップ質量アナライザを較正する段階と;スキャンの際のバッファガス圧を一定に維持しつつ、フォワード及びリバース質量スキャンを使用し、サンプルについて取得した質量スペクトルを交互に記録する段階と;反対のスキャン方向において取得されたスキャンにおける質量ピーク位置の差及び/又は平均値を算出し、化学シフトをそれぞれ判定及び/又は低減する段階と;を含んでいる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
以下、一例として、添付の図面を参照し、本発明の実施例について説明する。
図1の安定度図を参照すれば、参照符号1が付加された制限された質量レンジ内のイオンをイオントラップ質量アナライザ内にトラップし、保存可能である。この質量レンジは、共鳴点2と安定度境界3の間の領域内に配置可能である。当初、qz軸の原点と点2の間の動作点によってトラップされたいくつかの高質量イオンも存在し得るであろう。その密度が無視できない場合には、リバース質量スキャンを実行する前に、これらを除去する必要がある。これは、例えば、広帯域の双極励起を使用したり、或いは、四重極フィールドにDC成分を追加して質量レンジを狭めることによるものなど、従来技術に開示されているいくつかの手段によって実行可能である。共鳴排出を実行するためには、双極励起信号をエンドキャップ電極間に印加する必要がある。この信号は、国際特許公開WO0129875号明細書に開示されているように、アナログの補助AC信号又はデジタル信号であってよい。共鳴排出の際に、特定の質量/電荷比(m/z)値に対応したイオンの永年周波数が励起の周波数に接近する。図1においては、この共鳴点は、βz=0.5の場合である。リバース質量スキャンの場合には、イオンのqzパラメータは、右側から、共鳴点2に接近し、それぞれのイオンの永年周波数が、共鳴と一致するべく減少する。
【0017】
伸張型イオントラップや軸方向に正の高次多極フィールドを含むイオントラップによれば、リバース質量スキャンは、排出において遅延を経験することになり、質量分解能の劣化が予想される。これは、正の高次フィールドが存在する場合には、永年周波数がスキャンとは反対の方向にシフトすることによって説明可能である。
【0018】
伸張型やその他の永久的に変更された形状は、元来、フォワード質量スキャンの性能を改善するべく導入されたものであるが、この結果、エンドキャップホールによって引き起こされる負の高次フィールドに起因して、排出の遅延を経験することになっている。ホール効果を克服するためのより柔軟性な代替方法が、特許出願PCT/GB02/04807号明細書に開示されており、この場合には、トラッピング領域外に配置されたフィールド調節電極を使用し、入口ホールによって生じた歪を補正している。本発明の実装には、このタイプのイオントラップ質量アナライザが有用である。
【0019】
図2に示されているように、イオントラップ質量アナライザは、リング電極1と、エンドキャップ電球2、3を具備しており、これらのエンドキャップ電極の1つは、イオンの出口用であり、微細なメッシュ5によって覆われたホールを具備している。エンドキャップ電極2の入口アパーチャの背後のフィールド調節電極4を使用し、入口アパーチャの周りのフィールドの歪を修正する。
【0020】
正の電圧をフィールド調節電極4に印加すれば、トラッピング電圧の負の位相の際のフィールドの歪(qZパラメータの相対的に大きな値を有するイオンが、負の位相においてエンドキャップホールの近傍に移動する)を低減又は補償可能である。例えば、イオントラップが+/−500Vの方形波電圧によって駆動されている場合には、フィールド調節電極4上の正の520Vにより、共鳴排出の際に、永年周波数の変動を最小値に維持可能である。このようなイオントラップ構造及びフリンジフィールド制御によれば、メイントラッピングフィールドは、事実上、純粋な四重極フィールドであり、ホールの存在によって生じる歪が補償され、この結果、フォワード又はリバース質量スキャンを使用してスペクトルの良好な分解能を取得可能である。高電圧をフィールド調節電極4に印加した場合には、共鳴排出の際に、永年周波数のアップシフトが誘発されることになろう。これは、高速のフォワード質量スキャンには好適であろう。一方、フィールド調節電極上の正の電圧が低い場合には、高速のリバーススキャンに好適であろう。
【0021】
図3(a)及び図3(b)は、前述のイオントラップ質量アナライザを使用して取得したスペクトルの例を示している。イオントラップ質量アナライザは、デジタル的に駆動されており、この場合に、トラッピング電圧は、+/−500Vの矩形波電圧であり、双極励起は、メインの矩形波の1/4サイクルごとに反復する1Vのパルスである。2価のブラジキニンイオンを電子スプレーイオン源によって生成し、搬送オプティクスを通じてイオントラップ内に導入した。図3(a)は、フォワード質量スキャンを使用して取得したスペクトルであり、図3(b)は、リバース質量スキャンを使用して取得したものである。両方のスペクトルは、同一のイオン蓄積条件、同一のスキャン速度(800Th/s)、及び同一のフィールド調節電圧の下に取得した。図3(a)及び図3(b)のスペクトルは、いずれも、良好な質量分解能(R>3000)を示している。
【0022】
イオン蓄積時間が増大すると、空間電荷効果が発生する。空間電荷の増大に起因する2つの主要な影響を理論的に予測可能である。
【0023】
(1)トラッピング電位のプロファイルが浅くなり、擬ポテンシャル井戸の変化より、イオンの永年運動の周波数が減少し、この結果、質量変位が一般に高質量側に向かう。
【0024】
(2)隣接する質量/電荷比のイオン間のクーロン力が振動と同期する傾向を有する。この結果、最終的に1つにマージするまで、小さな質量のピークがアップシフトし、大きな質量のピークがダウンシフトする。
【0025】
フォワード質量スキャンによって取得したモノアイソトピックイオンの場合には、前述の影響(2)は、同一方向において作用し、この結果、大きな質量シフトが観察される。図4には、これが明瞭に示されており、この場合には、スペクトル1は、25msのイオン蓄積時間を使用し、スペクトル2は、0.8msのイオン蓄積時間を使用している。0.13Thの質量シフトが記録されている。
【0026】
リバーススキャンにおいては、隣接する同位体イオン(13C、13C2...)が、既に排出済みであるため、もはや、モノアイソトピックイオン(12Cのみ)は、共鳴排出の際に、それらの存在から影響を受けることはない。前述の影響(1)のみが残ることになるが、モノアイソトピックイオンが、トラップから排出される最後のイオン種である場合には、これは、極小化される。重い同位体ピーク(例えば、13Cなど)の場合にも、2つの影響が反対方向に作用するため、空間電荷に起因する質量シフトは減少する。第1の影響が常にピークを正にシフトさせるのに対して、13Cの場合の第2の影響は、12Cに向かってシフトし、負のシフトを生成する。図5に、これが明瞭に示されており、この図は、2つのリバーススキャンスペクトル(それぞれ、参照符号1は、イオン蓄積時間が25msの場合であり、参照符号2は、0.6msの場合である)を示している。このモノアイソトピックピークの質量シフトは、わずかに0.02Thである。
【0027】
図6は、ブラジキニンの2価イオンの(ppmの観点における)質量シフトと、ボルトで表示されたそのアバンダンスの間に存在している関係を示すプロットである。このプロットに示されているように、質量変位の差は、イオン強度(空間電荷効果)のみならず、質量分析において使用されるスキャン方向にも帰すことができる。両方の方向において取得したスペクトルを低イオン密度の点1において較正した。フォワードスキャンスペクトルの場合の丸いドット2は、イオンアバンダンスが増大した場合に質量シフトに予想される増分を示している。リバース質量スキャンスペクトルの場合の菱形ドット3は、質量変位に対するイオンアバンダンスの増大の制限された影響を示している。この結果は、リバース質量スキャンが相対的に高い質量精度を提供することを示している。
【0028】
リバーススキャンは、通常、フォワード質量スキャンよりも狭い質量レンジをカバーしている。従って、高精度のリバーススキャン実験は、広い質量レンジのフォワードスキャンの後に使用可能である。リバーススキャンは、高分解能と、精度に関する空間電荷効果に対する大きな許容度と、を必要とするズームスキャンとして使用可能である。
【0029】
前述のように、高分解能の質量スキャニングは、排出プロセスの際の最小周波数シフト(この場合には、永年運動の振幅が増大する)、又は、(共鳴から離れるシフトではなく)共鳴に向かう周波数シフトを必要としている。フリンジフィールド調節電極を具備したイオントラップ質量アナライザによれば、(前述の実験に示されているように)フォワード及びリバース質量スキャンの両方について電極に印加する共通のDC電圧を選択するか、又は、それぞれのスキャン方向に好都合な異なるDC電圧を選択可能である。後者のケースにおいては、リバーススキャンの前に、フィールド調節電圧を、フォワードフルスキャンに好適な値と比べて、低い正の値に設定する必要がある(陽イオンモードの場合)。
【0030】
永年周波数が共鳴のほうにシフトしない点にフィールド調節電圧を設定することにより(永年周波数は、共鳴から離れるようにシフト可能であり、或いは、まったくシフトしない)、排出手順を意図的に長引かせ、化学シフトを促進可能である。ある化合物の化学シフトは、早期の排出を特徴とし、これは、フォワード質量スキャンの場合には、負の質量シフトとなるが、リバーススキャンの場合には、正の質量シフトとなろう。別の化合物の化学シフトは、排出の遅延を特徴とし、これは、フォワード質量スキャンの場合には、正の質量シフトとなり、リバーススキャンの場合には、負の質量シフトとなろう。いずれの場合にも、2つの反対の質量スキャンにおけるピーク位置の差が、化学シフトの明瞭な標識を付与する。構造的に脆弱な種の場合には、フォワード及びリバース質量スキャンから取得した質量の平均値を使用し、その種の正確な質量の良好な予測を導出可能である。
【0031】
図7は、化学シフトを識別するべく提案する方法を示している。フォワード及びリバース質量スキャンのいずれの場合にも、安定し且つ丈夫なイオン種を生成する既知の標準的な分子を使用してスペクトルを較正する。この較正標準は、図7には、ピーク5として示されているが、較正は、必ずしも内部的である必要はない。脆弱なサンプルイオンは、衝突によって誘発されるフラグメント化に起因し、ライン4によってマーキングされている本来そうであるべきものよりも、早期に排出されることになる。参照符号1によって示されているフォワード質量スキャンを使用して得られたこのイオンのピークは、低質量にシフトしており、参照符号2によって示されているリバース質量スキャンを使用して取得した同一イオンのピークは、高質量にシフトしている。従って、差3は、データ処理を使用して算出可能である。
【0032】
図8は、異なる較正方法を使用して取得した質量予測誤差の比較を示している。この図においては、サンプルの質量は、520Daと仮定されており、キャリブラント(検量体)の質量は、500Da及び550Daであるものと仮定されている。較正標準に対するサンプルの化学シフトは、最大0.5Thである。
【0033】
フォワード及びリバース質量スキャンが、同一の動作条件(例えば、スキャン速度やバッファガス圧など)を使用する場合には、対応する化学シフトの絶対値は同一になる可能性が高い。従って、フォワード及びリバース質量スキャンによって取得したピーク位置の平均値を使用し、化学シフトの影響を伴わないイオンの真の質量/電荷比を判定可能である。
【0034】
前述の原理を理解することにより、以下、本発明者らは、化学シフトを除去すると共に高い質量精度を実現するための較正手順を更に提案する。
【0035】
2つの較正標準(既知の質量/電荷比を具備する分子)m1、m2を使用して、サンプルの未知の質量/電荷比mを判定するものと仮定する。サンプル及びキャリブラントは、それらの異なる構造に起因して異なる絶対質量シフトを具備可能である。従って、フォワードスキャンスペクトルにおいては、それぞれのピークは、それぞれ、y1、y2、及びyにおいて、その質量を表示することになり、ここで、y1、y2、及びyは、次のとおりである。
【0036】
1=m1+Δm1
2=m2+Δm2
及び
y=m+Δm
【0037】
Δm1、Δm2、Δmを、それぞれのピークの絶対化学シフトと呼ぶことができる。質量m1及びm2は、直線外挿法によって判明しているため、フォワード質量スキャンを使用したサンプルの予測質量は、次のように表現可能である。
【0038】
fp=((y−y1)/(y2−y1))(m2−m1)+m1
=((m2−m1)/(m2−m1+Δm2−Δm1))(m−m1+Δm−Δm1)+m1
(1)
【0039】
フォワードスキャンとリバーススキャンの場合の排出の先行又は遅延を同一にすると(これらが同一になるように、スキャン速度とガス圧を制御することによる)、リバーススキャンスペクトル内の3つの種の質量シフトは、フォワードスキャンにおけるものと同一の絶対値(但し、符号は反対)を具備するはずである(即ち、−Δm1、−Δm2、−Δm)。従って、リバーススキャンスペクトルを使用した予測質量は、次のようになろう。
【0040】
rp=((y−y1)/(y2−y1))(m2−m1)+m1
=((m2−m1)/(m2−m1−Δm2+Δm1))(m−m1−Δm+Δm1)+m1
(2)
【0041】
式(1)及び(2)を使用し、mfp、mrpを使用するか又は(mft+mrp)/2の平均値を使用することにより、質量予測における質量精度を比較可能である。
【0042】
Δm1=Δm2の場合には、理論的に、平均値が絶対質量の正確な値となることがわかる(即ち、化学シフトの完全な除去)。これは、2つの選択された標準が、構造において丈夫であり、且つ、類似したバッファガスとの衝突断面を具備している場合に、可能である。但し、この条件が満足されない場合にも、平均値は、依然として、1つの方向のスキャンを使用して予測されたものよりも格段に正確である。図8には、Δm1とΔm2の差に対する3種類の予測の質量精度がプロットされている。平均値は、6ppmを下回る誤差を付与しているが、単一方向のスキャンを使用して取得した予測誤差は、約600ppmである。従って、フォワード及びリバーススキャンの両方を使用することにより、格段に正確な質量計測値を取得可能であることがわかる。同時に、mrpからmfpの値を減算することにより、化学的な構造における差も識別可能である。
【図面の簡単な説明】
【0043】
【図1】イオントラップ質量アナライザの安定度(a−q)図を示している。
【図2】本発明の実施例において使用されるイオントラップ質量アナライザを示す概略図である。
【図3(a).3(b)】それぞれ、フォワード及びリバース質量スキャン方向において、図2のイオントラップ質量アナライザを使用して得られた質量スペクトルを示している。
【図4】モノアイソトピックイオンの異なる蓄積時間を使用し、フォワード質量スキャンによって得られたピークシフトを示している。
【図5】モノアイソトピックイオンの異なる蓄積時間を使用し、リバース質量スキャンによって得られたピークシフトを示している。
【図6】ブラジキニンの2価イオンの質量シフトとアバンダンスの間の関係を示すプロットである。
【図7】化学シフトを識別する方法を示している。
【図8】異なる較正法を使用して取得された質量予測誤差の比較を示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオントラップ質量アナライザを使用して高精度の質量スペクトルを取得する方法において、
イオンの質量選択共鳴排出が質量/電荷比の降順であるリバース質量スキャンを可能にするように、前記イオントラップ質量アナライザの動作パラメータを調節する段階と、
高精度の計測を必要とする対象イオンの質量/電荷比に近い下限を具備する質量/電荷比レンジ内のイオンをトラップするべく、トラッピングフィールドを設定する段階と、
前記リバース質量スキャンの際にイオンが排出されるように、前記トラッピング又は励起フィールドを変化させる段階と、
リバース質量スキャンスペクトルを取得するために、前記排出されたイオンを検出する段階と、
を有する方法。
【請求項2】
前記イオントラップ質量アナライザは、リング電極と、2つのエンドキャップ電極を有する3D四重極イオントラップであり、前記エンドキャップ電極の1つは、入口アパーチャを具備しており、フィールド調節電極が、前記入口アパーチャに隣接するトラッピング領域外に配置されている、請求項1記載の方法。
【請求項3】
前記パラメータを調節する段階は、前記フィールド調節電極上のDC電圧を、イオンの共鳴排出の際に永年周波数シフトを極小化するための又は前記永年周波数のダウンシフトを引き起こすためのレベルに設定する段階を含んでいる、請求項2記載の方法。
【請求項4】
前記リバース質量スキャンを実行する前に、共鳴排出法を使用して望ましくないイオンを排出することにより、又は、望ましくないイオンを不安定領域内に配置することにより、トラップされたイオンの前記質量/電荷比レンジを調節する段階を含んでいる、請求項1記載の方法。
【請求項5】
正確に計測すべき種のモノアイソトピックピークの質量/電荷比が前記レンジ内において最低となるように、前記質量/電荷比レンジが調節される、請求項1又は4記載の方法。
【請求項6】
前記リバーススキャン又は前記イオンの排出は、従来のフルスキャンと比べて、質量/電荷比の小さなレンジにおいて実行されるプロセスである、請求項1〜5のいずれか一項記載の方法。
【請求項7】
前記リバーススキャンはズームスキャンである、請求項1〜6のいずれか一項記載の方法。
【請求項8】
前記調節する段階は、前記設定する段階の前に実行される、請求項1〜7のいずれか一項記載の方法。
【請求項9】
前記設定する段階は、前記調節する段階の前に実行される、請求項1〜7のいずれか一項記載の方法。
【請求項10】
質量選択不安定モードにおいて動作するイオントラップ質量アナライザを使用する質量分析に伴う化学シフトを判定及び/又は低減する方法において、
類似した品質の質量スペクトルを取得するフォワード質量スキャン及びリバース質量スキャンを可能とするように、前記イオントラップ質量アナライザの動作パラメータを調節する段階と、
既知の較正エージェントを使用し、フォワード及びリバース質量スキャンの両方について前記イオントラップ質量アナライザを較正する段階と、
スキャンの際にバッファガス圧を一定に維持しつつ、前記フォワード及びリバース質量スキャンを使用してサンプルについて取得した前記質量スペクトルを交互に記録する段階と、
反対のスキャン方向において取得したスペクトルにおける質量ピーク位置の差及び/又は平均値を算出し、前記化学シフトをそれぞれ判定及び/又は低減する段階と、
を含んでいる方法。
【請求項11】
前記イオントラップ質量アナライザは、リング電極と、2つのエンドキャップ電極を有する3D四重極イオントラップであり、前記エンドキャップ電極の1つは、入口アパーチャを具備しており、フィールド調節電極が、前記入口アパーチャに隣接するトラッピング領域外に配置されている、請求項10記載の方法。
【請求項12】
前記パラメータを調節する段階は、前記フィールド調節電極上のDC電圧を、フォワード質量スキャン用の1つのレベルと、リバース質量スキャン用の別のレベルに設定し、両方のスキャンが同一のスキャン速度において類似の質量分解能を得るようにする段階を含んでいる、請求項11記載の方法。
【請求項13】
前記パラメータの調節段階は、前記フィールド調節電極上のDC電圧を、それぞれの質量スキャンが遅延した排出を引き起こして注目に値する化学シフトを促進する1つのレベルに設定する段階を含んでいる、請求項11又は12記載の方法。
【請求項14】
前記フォワード又はリバース質量スキャンを実行する前に、共鳴排出法を使用して望ましくないイオンを排出することにより、又は、望ましくないイオンを不安定領域内に配置することにより、トラップされたイオンの質量レンジを低減する段階を含んでいる、請求項10〜13のいずれか一項記載の方法。
【請求項15】
空間電荷効果によって引き起こされる質量シフトを回避するために、トラップされたイオンの密度を制御する段階を含んでいる、請求項10〜14のいずれか一項記載の方法。
【請求項16】
前記既知の較正エージェントは、質量スキャンの条件下においてフラグメント化を経験しない少なくとも2つの較正イオンを有しており、前記少なくとも2つの較正イオンは、異なる質量及び同一の電荷状態を具備している、請求項10記載の方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate


【公表番号】特表2006−526876(P2006−526876A)
【公表日】平成18年11月24日(2006.11.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−508384(P2006−508384)
【出願日】平成16年6月2日(2004.6.2)
【国際出願番号】PCT/GB2004/002337
【国際公開番号】WO2004/109743
【国際公開日】平成16年12月16日(2004.12.16)
【出願人】(500344585)シマヅ リサーチ ラボラトリー(ヨーロッパ)リミティド (8)
【Fターム(参考)】