説明

イオントラップ質量分析装置

【課題】エンドキャップ電極に矩形波電圧を印加することによりイオンを共鳴励起排出する場合に、共鳴励起条件を理想状態に近づけることで質量分解能を改善する。
【解決手段】励起共鳴電圧直流電位算出部71は共鳴励起排出に先立って、パルス電圧発生部51で生成される矩形波電圧の周期、パルス幅、電圧値などを用いて、時間平均電位がゼロとなるような直流電位シフト量を算出する。共鳴励起排出の実施時に、可変直流電圧発生部52は直流電位シフト量に応じた直流電圧を発生し、電圧重畳部53、54において矩形波電圧はその直流電圧分だけシフトされる。それにより、各エンドキャップ電極22、24に印加される矩形波電圧の時間平均電位はともにゼロとなり、イオントラップ2空間内で中心軸に沿った方向の直流的な電位勾配がなくなる。その結果、捕捉されているイオンの軌道中心がトラップ2の幾何学中心に一致し、共鳴励起条件が理想に近くなる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高周波電場の作用によってイオンを捕捉するイオントラップを備えるイオントラップ質量分析装置に関し、さらに詳しくは、イオントラップとしてデジタル駆動方式のイオントラップを用いたイオントラップ質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置においてイオントラップは、高周波電場の作用によりイオンを捕捉して閉じ込めたり、特定の質量(厳密には質量電荷比m/z)を持つイオンを選別したり、さらにはそうして選別したイオンを開裂させたりするために用いられる。典型的なイオントラップは、図3(a)に示すように、内面が回転1葉双曲面形状である1個のリング電極21と、このリング電極21を挟んで対向して配置された内面が回転2葉双曲面形状である1対のエンドキャップ電極22、24とからなる3次元四重極型のイオントラップであるが、これ以外に、平行配置された4本のロッド電極から成るリニア型のイオントラップも知られている。本明細書では、便宜上、「3次元四重極型」を例に挙げてイオントラップの説明を行う。
【0003】
従来の一般的なイオントラップでは、通常、リング電極21に正弦波状の高周波電圧を印加することで、リング電極21及びエンドキャップ電極22、24で囲まれる空間にイオン捕捉用の高周波電場を形成し、この高周波電場によりイオンを振動させながら閉じ込めを行う。これに対し、近年、正弦波状の高周波電圧の代わりに矩形波電圧をリング電極21に印加することでイオンの閉じ込めを行うイオントラップが開発されている(特許文献1、特許文献2、非特許文献1など参照)。この種のイオントラップは、通常、ハイ、ローの二値の電圧レベルを有する矩形波電圧が使用されることから、デジタルイオントラップ(DIT=Digital Ion Trap)と呼ばれる。
【0004】
デジタルイオントラップを利用したイオントラップ質量分析装置(以下「DIT−MS」と略す)では、非特許文献1に記載のように、捕捉したいイオンの質量範囲に応じた所定の周波数を有する矩形波高電圧を捕捉用高周波電圧としてリング電極21に印加し、それによりイオントラップ2内に目的とする質量範囲のイオンを閉じ込める。こうして閉じ込めたイオンを質量に応じて順次イオン出射口25から排出させ、その外側に設けた検出器により検出する際にはイオンの共鳴励起を利用する。即ち、リング電極21に印加する矩形波高電圧(通常、振幅は数百V以上)を所定の分周比で分周した矩形波低電圧(通常、振幅は数V程度)をエンドキャップ電極22、24に印加し、その矩形波高電圧、矩形波低電圧の周波数を同時に走査する。これにより、イオントラップ2内に捕捉されているイオンを、質量の順に共鳴励起させイオン出射口25を通してイオントラップ2の外部に排出し、検出器により順次検出してマススペクトルを作成する。
【0005】
図4は、リング電極21に印加される捕捉用矩形波電圧とエンドキャップ電極22、24に印加される共鳴励起用矩形波電圧とのタイミングの一例を示す図である。捕捉用矩形波電圧は、通常、デューティ比が0.5(=50%)であって、±500[V]、±1[kV]というように絶対値が同じで極性が異なる2つの電圧(VH、VL)が交互に現れる矩形波形状である。一方、共鳴励起用矩形波電圧は、その周波数が捕捉用高周波電圧の周波数の1/n(nは2以上の整数)で、任意の時間だけ数V程度の直流低電圧が現れる矩形波形状である。
【0006】
図4に示した例では、共鳴励起用矩形波電圧は捕捉用矩形波電圧を1/4分周したもの(つまり周波数が1/4)であり、この場合には、マシュー方程式の安定解の条件に基づく捕捉パラメータβ=0.5において共鳴励起によるイオン排出を行うことができる。また、入口側エンドキャップ電極22と出口側エンドキャップ電極24とでは印加される共鳴励起用矩形波電圧の極性は逆になっており、例えば、正イオンの共鳴励起排出の場合には、入口側エンドキャップ電極22にイオンと同極性の正の数V程度の電圧、出口側エンドキャップ電極24にイオンと逆極性の負の数V程度の電圧、の矩形波パルスを同じタイミングで印加するようにしている。
【0007】
いま、イオン共鳴励起排出時に入口側エンドキャップ電極22に印加される矩形波電圧が、図4(b−1)に示すように、周期T秒(但し、Tは1秒よりも十分に小さい)、ベースラインが0[V]、電圧値が+VE、パルス幅がd秒であるパルス電圧であるものとする。この場合に、この矩形波電圧の時間平均電位は+(dVE)/Tである。図4(b−2)に示したように、出口側エンドキャップ電極24には逆極性のパルス電圧が印加されるので、その矩形波電圧の時間平均電位は−(dVE)/Tとなる。そのため、図3(b)に示すように、イオントラップ2内空間において両エンドキャップ電極22、24の中心軸Cの軸方向には、両エンドキャップ電極22、24の時間平均電位の差2(dVE)/Tにより、常に電位勾配が生じている状態となる。
【0008】
それにより、イオントラップ2内に捕捉されているイオンの軌道の中心Qは、イオントラップ空間の幾何学的中心Pよりも出口側エンドキャップ電極24側にシフトする。このようなイオン軌道の中心Qのシフトが起こると理想的な共鳴励起条件からのずれが生じるため、イオントラップ2から排出されるイオンの空間的な拡がりは理想的な共鳴励起条件である場合に比べて大きくなり、質量分解能を低下させる一因となる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特表2007−527002号公報
【特許文献2】特開2008−282594号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】古橋、竹下、小河、岩本、ディン、ギルズ、スミルノフ、「デジタルイオントラップ質量分析装置の開発」、島津評論、島津評論編集部、2006年3月31日、第62巻、第3・4号、pp.141−151
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、イオントラップから共鳴励起によりイオンを排出する際の共鳴励起条件を理想状態に近づけることによって質量分解能を改善することができるイオントラップ質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために成された本発明は、3以上の電極で囲まれる空間にイオンを捕捉するイオントラップを有し、少なくとも1つの電極にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加しつつ、該電極とは異なる対向配置された一対の電極にそれぞれ共鳴励起用の矩形波電圧を印加することにより、特定の質量電荷比を有するイオンを選択的にイオントラップ内から排出するイオントラップ質量分析装置において、
a)イオン排出時に前記一対の電極にそれぞれ印加される共鳴励起用矩形波電圧の時間平均電位が同一になるように、少なくとも一方の共鳴励起用矩形波電圧の調整量を算出する調整量算出手段と、
b)前記調整量算出手段により算出された調整量を受けて前記一対の電極にそれぞれ印加される、少なくとも一方の直流電位が調整された共鳴励起用矩形波電圧を発生する電圧発生手段と、
を備えることを特徴としている。
【0013】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置においてイオントラップは、3次元四重極型イオントラップ又はリニア型イオントラップである。3次元四重極型イオントラップの場合、通常、イオントラップは、環状のリング電極と、該リング電極を挟んで対向配置された一対のエンドキャップ電極とからなり、その一対のエンドキャップ電極に前記共鳴励起用矩形波電圧が印加される。一方、リニア型イオントラップの場合、通常、イオントラップは、中心軸を取り囲むように互いに平行に配置された4本のロッド電極からなり、中心軸を挟んで対向する2本のロッド電極が上記リング電極に代わるものであり、別の2本のロッド電極がそれぞれ上記一対のエンドキャップ電極に代わるものである。
【0014】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置において、調整量算出手段は、共鳴励起用矩形波電圧のパルス波形を決めるパラメータ、即ち、周期又は周波数、パルス幅、及びパルス高さ(電圧)、に基づいて時間平均電位を算出し、該時間平均電位が目標値になるように調整量を求める構成とすることができる。より具体的には、矩形波電圧のパルス波形のローレベルとハイレベルとの間の或る電位に境界線を描き、1周期のパルス波形の中で、境界線よりも正極性側のパルス波形と該境界線で囲まれる面積と、境界線よりも負極性側のパルス波形と該境界線で囲まれる面積とが等しくなるような境界線の電位を、時間平均電位とすればよい。
【0015】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置によれば、例えば3次元四重極型イオントラップ内空間に閉じ込めたイオンの中の特定の質量を有するイオンを共鳴励起排出させるべく両エンドキャップ電極にそれぞれ共鳴励起用矩形波電圧を印加する際に、各エンドキャップ電極における時間平均電位は等しいので、それら電極の中心を結ぶ軸の方向に直流電位の勾配が生じない。そのため、振動状態で捕捉されているイオンの軌道の中心とイオントラップの幾何学的中心とがほぼ一致し、共鳴励起条件による共鳴励起が理論に則った理想に近い状態で行われる。その結果、共鳴励起用矩形波電圧の周波数に応じた質量を持つイオンが高い分解能で選択されて排出される。
【0016】
また、本発明に係るイオントラップ質量分析装置の好ましい態様として、前記調整量算出手段は、前記一対の電極のそれぞれに印加される共鳴励起用矩形波電圧の時間平均電位がそれぞれゼロになるように各矩形波電圧の調整量を算出し、前記電圧発生手段は、前記調整量算出手段により算出された各調整量だけ直流電位が調整された共鳴励起用矩形波電圧を発生する構成とするとよい。
【0017】
即ち、この構成によれば、例えば3次元四重極型イオントラップにおいて、両エンドキャップ電極の中心を結ぶ軸の方向に直流電位の勾配が生じないのみならず、その直流電位はゼロになる。それにより、イオンが正極性、負極性のいずれの場合でも、振動状態で捕捉されているイオンに直流的な電場が殆ど作用せず、振動条件や共鳴励起条件がより一層理想状態に近くなる。
【発明の効果】
【0018】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置によれば、イオントラップ内空間に捕捉しているイオンを共鳴励起により外部に排出する際に、その共鳴励起条件が理想状態に近くなる。そのため、目的とする質量電荷比を持つイオンを高い分解能でイオントラップから排出し、例えばその外側に配設した検出器で検出することができる。例えば、上記のような共鳴励起排出を矩形波電圧の周波数走査を行いつつ実施することにより、高い質量分解能で且つ高い質量精度のマススペクトルを取得することができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【図1】本発明の一実施例であるDIT−MSの要部の概略構成図。
【図2】本実施例のDIT−MSにおける特徴的な共鳴励起電圧制御の説明図。
【図3】本実施例と従来のDIT−MSにおけるイオントラップ内空間の電位状態を示す模式図。
【図4】DIT−MSにおける共鳴励起排出時の矩形波電圧波形の一例を示すタイミング図。
【発明を実施するための形態】
【0020】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置の一実施例であるDIT−MSについて、添付図面を参照して説明する。図1は本実施例のDIT−MSイオントラップの要部の概略構成図である。
【0021】
本実施例によるDIT−MSは、目的試料をイオン化するイオン化部1と、イオンを質量(厳密には質量電荷比m/z)に応じて分離する3次元四重極型のイオントラップ2と、イオンを検出する検出部3と、を備える。
【0022】
イオン化部1はマトリクス支援レーザ脱離イオン化法(MALDI)を用いたものであり、パルス状のレーザ光を出射するレーザ照射部11、目的試料成分を含むサンプルSが付着されたサンプルプレート12、レーザ光の照射によってサンプルSから放出されたイオンを引き出すとともにその引き出し方向を限定するアパーチャ13、引き出されたイオンを案内するイオンレンズ14、などを含む。もちろん、MALDI以外の他のレーザイオン化法やレーザ光を用いないイオン化法を用いても構わない。
【0023】
イオントラップ2は、円環状の1個のリング電極21と、これを挟むように対向して配置された、入口側エンドキャップ電極22及び出口側エンドキャップ電極24と、からなり、これら3個の電極21、22、24で囲まれた空間がイオン捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の略中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン化部1から出射したイオンはイオン入射口23を通過してイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24の略中央にはイオン出射口25が穿設され、イオン出射口25を通ってイオントラップ2内から排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。
【0024】
検出部3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と、コンバージョンダイノード31から到来する電子を増倍して検出する二次電子増倍管32とからなり、入射したイオンの量に応じた検出信号をデータ処理部8に送る。データ処理部8は、イオントラップ2において質量分離されつつ順次排出されるイオンに対して検出部3で得られる検出信号に基づいて、マススペクトルを作成する機能を有する。
【0025】
主電源部4はイオントラップ2のリング電極21に矩形波高電圧を印加するものであって、第1電圧VHを発生する第1電圧源41と、第2電圧VL(VL<VH)を発生する第2電圧源42と、第1電圧源41の出力端と第2電圧源42の出力端との間に直列に接続された第1スイッチング素子43及び第2スイッチング素子44と、を含む。本発明における電圧発生手段に相当する補助電源部5はイオントラップ2のエンドキャップ電極22、24にそれぞれ相違する矩形波低電圧を印加するものであって、パルス電圧発生部51、可変直流電圧発生部52、電圧重畳部53、54を含む。
【0026】
タイミング信号発生部6はハードウエアによるロジック回路であり、制御部7による制御の下に、第1スイッチング素子43及び第2スイッチング素子44が交互にオンするように(但し、少なくとも同時にオンすることがないように)、所定周波数の駆動パルスを生成して各スイッチング素子43、44に供給する。第1スイッチング素子43がオンするとき第1電圧VHが出力され、第2スイッチング素子44がオンするときに第2電圧VLが出力されるから、出力電圧VOUTは理想的には、ハイレベルがVH、ローレベルがVLである所定周波数f(周期t)の矩形波電圧となる(図4(a)参照)。通常、VHとVLとは絶対値が同じで極性が逆の高電圧であり、例えば、その絶対値は数百V〜1kV程度である。また、周波数fは通常数十kHz〜数MHz程度の範囲である。
【0027】
またタイミング信号発生部6は、主電源部4に供給する駆動パルスを適宜の比(この例では1/4)で分周したパルス信号を補助電源部5のパルス電圧発生部51に与える。パルス電圧発生部51はタイミング信号発生部6から得られる信号に基づき、周波数がf/4であって、ローレベルが0[V]、ハイレベルが+VE、パルス幅がdである矩形波低電圧と、これとは逆極性の矩形波低電圧とが生成される。従来は、これら矩形波低電圧がそのままエンドキャップ電極22、24に印加されていたが、本実施例のDIT−MSでは、可変直流電圧発生部52で生成された直流電圧が、電圧重畳部53、54においてそれぞれ各矩形波低電圧に重畳され(つまり直流レベルがシフト又はオフセットされ)てエンドキャップ電極22、24に印加されるようになっている。通常、矩形波低電圧の電圧値VEは矩形波高電圧の電圧値VH、VLに比べて格段に低い値であり、例えば、数V程度である。
【0028】
制御部7はパーソナルコンピュータを中心に構成され、該パーソナルコンピュータに予めインストールされた制御/処理プログラムを実行することにより、その機能が達成される。制御部7は、特徴的な機能ブロックとして、本発明における調整量算出手段に相当する励起共鳴電圧直流電位算出部71、を含む。
【0029】
本実施例のDIT−MSにおける質量分析動作を説明する。
イオン化部1において、制御部7の制御の下にレーザ照射部11から短時間レーザ光を出射しサンプルSに当てる。レーザ光照射によりサンプルS中のマトリックスは急速に加熱され、目的成分を伴って気化する。この際に目的成分はイオン化される。発生したイオンはイオンレンズ14により形成される静電場によって収束され、イオン入射口23を経てイオントラップ2内に導入され、捕捉される。それから、イオン導入に先立ってイオントラップ2内に導入したクーリングガスにイオンを接触させることでクーリングを行う。
【0030】
イオントラップ2内に安定的に捕捉されるイオンの質量範囲は、リング電極21に印加される矩形波高電圧の周波数に依存する。したがって、上記のようにイオンをイオントラップ2内に閉じ込めておくに際し、タイミング信号発生部6は制御部7からの指示に従って所定周波数の駆動パルスをスイッチング素子43、44に供給し、これに応じた周波数の矩形波高電圧が主電源部4で生成されてリング電極21に印加される。このときには、エンドキャップ電極22、24への印加電圧は接地電位に維持される。
【0031】
所定時間のクーリングを実施した後、共鳴励起により特定の質量を有するイオンを選択的に振動させ、イオン出射口25を通してイオントラップ2から排出し、検出部3により検出する。このときには、主電源部4からリング電極21にイオン捕捉用の矩形波高電圧を印加する一方、補助電源部5からエンドキャップ電極22、24にそれぞれ共鳴励振用の矩形波低電圧を印加する。具体的には、次のような制御を実行して電圧を印加する。
【0032】
即ち、制御部7において励起共鳴電圧直流電位算出部71は、共鳴励起排出の実行に先立って、パルス電圧発生部51で生成される矩形波低電圧波形の時間平均電位を計算し、その時間平均電位がゼロになるような直流電位シフト量を計算する。
【0033】
具体的には、正イオンを分析対象とする場合、入口側エンドキャップ電極22には図2(a)に示すような波形形状の矩形波低電圧を印加する。このとき、周期Tはリング電極21に印加される矩形波高電圧の周波数で決まり、それは制御部7自体が指示するものであるから既知である。また、パルス幅d、電圧値VEも制御部7自体が指示するもの又は回路的に予め定められているものであるから、いずれも既知である。このときの時間平均電位Vavは、上述したように、Vav=+(dVE)/Tである。周期数を十分に大きくした時間における時間平均電位Vavは、図2(b)に示すように、矩形波電圧の1周期内での領域Aの面積と領域Bの面積とが同一になる境界線である。この時間平均電位Vavをゼロにする場合には、直流電位シフト量xは時間平均電位Vavと等しくなり、x=dVE/Tにより直流電位シフト量が求まる。また、出口側エンドキャップ電極24に印加される矩形波低電圧は、図2(c)に示すように、入口側エンドキャップ電極22に印加される矩形波低電圧の極性が反転したものであるから、その時間平均電位をゼロにするための直流電位シフト量もx(但しシフト方向は負)である。
【0034】
励起共鳴電圧直流電位算出部71は上記のように求めた直流電位シフト量を可変直流電圧発生部52に送り、共鳴励起排出の際に、可変直流電圧発生部52はこれに応じた直流電圧を発生する。一方、共鳴励起排出時に、パルス電圧発生部51はタイミング信号発生部6から得られる信号に基づき、周波数がf/4であって、ローレベルが0[V]、ハイレベルが+VE、パルス幅がdである矩形波低電圧と、これとは逆極性の矩形波低電圧とを生成する。その極性の相違する2つの矩形波低電圧は、電圧重畳部53、54において、それぞれ上記直流電位シフト量に応じた電圧分だけシフトされ、エンドキャップ電極22、24に印加される。
【0035】
これにより、共鳴励起排出時に、エンドキャップ電極22、24に印加される矩形波低電圧の時間平均電位はいずれもほぼゼロになるため、図3(c)に示すように、中心軸Cに沿った方向の直流的な電位勾配は生じない。したがって、イオントラップ2内空間に捕捉されているイオンの軌道の中心は、イオントラップ2の幾何学的中心に一致する。
【0036】
イオントラップ2から排出するイオンの質量を走査する際には、制御部7による制御の下に、リング電極21に印加される矩形波高電圧の周波数が走査され、それに伴いエンドキャップ電極22、24に印加される矩形波低電圧の周波数も走査される。つまり、矩形波低電圧の周期Tは変化し、またパルス幅dも同時に変化されるが、励起共鳴電圧直流電位算出部71はその変化に先立って、その変化に伴う直流電位シフト量も計算しておくことができる。したがって、可変直流電圧発生部52は矩形波低電圧の周波数及びパルス幅が順次変更されるのに従って直流電圧を変化させ、エンドキャップ電極22、24に印加される矩形波低電圧の時間平均電位をほぼゼロに維持することができる。
【0037】
本実施例のDIT−MSでは、共鳴励起排出時に、イオントラップ2内に捕捉されているイオンの軌道の中心はイオントラップ2の幾何学的中心にほぼ一致するため、共鳴励起条件がほぼ理想的な状態となり、矩形波高電圧の周波数に対応した質量を有するイオンが高い選択性をもって排出される。イオントラップ2から排出されたイオンは順次、検出部3で検出され、データ処理部8は質量走査に対応してマススペクトルを作成する。上述したようにイオントラップ2から排出されるイオンの質量の精度が高く且つその分解能も高いので、質量精度、質量分解能が高いマススペクトルを得ることができる。
【0038】
なお、上記実施例では、各エンドキャップ電極22、24に印加される矩形波低電圧の時間平均電位をゼロにするような制御を行っていたが、共鳴励起排出時に、イオントラップ2内空間における中心軸Cに沿った方向の直流的な電位勾配をなくすためには、両エンドキャップ電極22、24に印加される矩形波低電圧の時間平均電位が等しければ十分である。そのためには、励起共鳴電圧直流電位算出部71は、上述したように求める時間平均電位をゼロでなく任意の目標電位にするように直流電位シフト量を計算すればよい。
【0039】
続いて、本発明に係るイオントラップ質量分析装置の効果を検証するために行った計算機シミュレーションについて、その方法と結果とを説明する。
【0040】
シミュレーションで想定した装置の基本的な構成は図1とほぼ同様である。共鳴励起排出時にリング電極21に印加する矩形波高電圧は、VH=500[V]、VL=−500[V]、排出開始時周波数f=700[kHz](周期t=1.4286[μ秒])、とした。また、エンドキャップ電極22に印加する矩形波低電圧は、図4(b)に示すように、捕捉用矩形波高電圧の4周期毎に該電圧の立ち上がりエッジから3/4周期(3π/2)遅れで立ち上がり1周期分のパルス幅を有し、電圧値VE=2[V]、とした。イオンの質量分離排出のための周波数走査は、周期をtから2[n秒]ずつ長くしつつ、同一周期(t)の矩形波高電圧を40周期繰り返す、という条件に設定した。上記条件では、共鳴励起用の矩形波低電圧の時間平均電位をゼロにするための直流電位シフト量は0.5[V]である。
【0041】
シミュレーション方法としては、m/z=1000[Da]〜1005[Da]の範囲の1[Da]刻みの6種類のm/zを有する正イオンをそれぞれ1000個ずつ、イオントラップ2の内部空間に導入して捕捉し、このイオンをクーリングした後に、上記条件の下でイオントラップ2から共鳴励起排出させ、その排出開始からの時間経過に伴う検出イオン数を、任意のサンプル時間毎に計数した。その結果、検出イオン数の時間分布波形が得られ、そこから分解能を求めた。こうしたシミュレーション計算によれば、従来のとおり、直流電位シフト量の補正を行わない場合における平均分解能は1600[FWHM]であるのに対し、上述した直流電位シフト量の補正を実施した場合における平均分解能は2000[FWHM]であった。このようにシミュレーションにより、本発明の効果として質量分解能の向上が確認できた。
【0042】
なお、上記実施例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、追加、修正を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0043】
1…イオン化部
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…アパーチャ
14…イオンレンズ
2…イオントラップ
21…リング電極
22…入口側エンドキャップ電極
23…イオン入射口
24…出口側エンドキャップ電極
25…イオン出射口
3…検出部
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
4…主電源部
41…第1電圧源
42…第2電圧源
43、44…スイッチング素子
5…補助電源部
51…パルス電圧発生部
52…可変直流電圧発生部
53、54…電圧重畳部
6…タイミング信号発生部
7…制御部
71…励起共鳴電圧直流電位算出部
8…データ処理部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
3以上の電極で囲まれる空間にイオンを捕捉するイオントラップを有し、少なくとも1つの電極にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加しつつ、該電極とは異なる対向配置された一対の電極にそれぞれ共鳴励起用の矩形波電圧を印加することにより、特定のm/zを有するイオンを選択的にイオントラップ内から排出するイオントラップ質量分析装置において、
a)イオン排出時に前記一対の電極にそれぞれ印加される共鳴励起用矩形波電圧の時間平均電位が同一になるように、少なくとも一方の共鳴励起用矩形波電圧の調整量を算出する調整量算出手段と、
b)前記調整量算出手段により算出された調整量を受けて前記一対の電極にそれぞれ印加される、少なくとも一方の直流電位が調整された共鳴励起用矩形波電圧を発生する電圧発生手段と、
を備えることを特徴とするイオントラップ質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載のイオントラップ質量分析装置であって、
前記調整量算出手段は、前記一対の電極のそれぞれに印加される共鳴励起用矩形波電圧の時間平均電位がそれぞれゼロになるように各矩形波電圧の調整量を算出し、前記電圧発生手段は、前記調整量算出手段により算出された各調整量だけ直流電位が調整された共鳴励起用矩形波電圧を発生することを特徴とするイオントラップ質量分析装置。
【請求項3】
請求項1又は2に記載のイオントラップ質量分析装置であって、
前記調整量算出手段は、前記共鳴励起用矩形波電圧の周期又は周波数、パルス幅、及びパルス高さ、に基づいて時間平均電位を算出し、該時間平均電位が目標値になるように調整量を求めることを特徴とするイオントラップ質量分析装置。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載のイオントラップ質量分析装置であって、
前記イオントラップは、リング電極と、該リング電極を挟んで対向配置された一対のエンドキャップ電極とからなり、その一対のエンドキャップ電極に前記共鳴励起用矩形波電圧を印加することを特徴とするイオントラップ質量分析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2011−3481(P2011−3481A)
【公開日】平成23年1月6日(2011.1.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−147198(P2009−147198)
【出願日】平成21年6月22日(2009.6.22)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】