説明

イオントラップ質量分析装置

【課題】リング電極、エンドキャップ電極に矩形波電圧を印加してイオンの捕捉や共鳴励起によるイオン排出を行う構成において、矩形波電圧を作成するための直流電圧に重畳される商用交流電圧由来のリップルの影響を除去して高い質量精度を達成する。
【解決手段】質量走査の開始タイミングを商用交流電圧の特定位相に同期可能とし、この位相を0、(2/3)π、-(2/3)πに設定して同一較正試料に対する測定を実行する(S1〜S9)。複数の較正試料に対するm/zの測定値と真値とから、イオントラップの機械的な誤差等に由来する誤差を補正する関数と交流成分の誤差を補正する関数とを求め、これを補正情報として記憶しておく(S10〜S12)。目的試料の測定時には質量走査の開始タイミングの位相を0に固定し、その状態で得られた質量データに対し上記補正情報を用いた誤差補正処理を実行する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高周波電場の作用によってイオンを閉じ込めたりイオンを選別したりするイオントラップを備える質量分析装置に関し、さらに詳しくは、イオントラップを構成する電極に印加する高周波電圧として矩形波電圧を用いるイオントラップ質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置においてイオントラップは、高周波電場の作用によりイオンを捕捉して閉じ込めたり、特定の質量電荷比m/zを持つイオンを選別したり、さらにはそうして選別したイオンを開裂させたりするために用いられる。典型的なイオントラップは、後述するように、内面が回転1葉双曲面形状である1個のリング電極と、このリング電極を挟んで対向して配置された内面が回転2葉双曲面形状である1対のエンドキャップ電極とからなる3次元四重極型のイオントラップであるが、これ以外に、平行配置された4本のロッド電極から成るリニア型のイオントラップも知られている。本明細書では、便宜上、「3次元四重極型」を例に挙げてイオントラップの説明を行う。
【0003】
従来の一般的なイオントラップでは、通常、正弦波状の高周波高電圧をリング電極に印加することで、リング電極及びエンドキャップ電極で囲まれる空間にイオン捕捉用の高周波電場を形成し、この高周波電場によりイオンを振動させつつ閉じ込める。これに対し、近年、正弦波状の高周波高電圧の代わりに矩形波高電圧をリング電極に印加することでイオンの閉じ込めを行うイオントラップが開発されている(特許文献1、特許文献2、非特許文献1など参照)。この種のイオントラップは、通常、ハイ、ローの二値の電圧レベルを有する矩形波電圧が使用されることから、デジタルイオントラップと呼ばれる。
【0004】
従来の正弦波高電圧により駆動される方式のイオントラップ(以下「アナログイオントラップ」と呼ぶ)では、正弦波状の高周波高電圧を発生するためにLC共振器を用いており、正弦波電圧の振幅を変化させることにより捕捉可能なイオンの質量範囲を制御している。一方、デジタルイオントラップでは、電圧レベルの相違する2つの直流電圧を高速にスイッチングすることで矩形波状の高周波電圧を発生しており、通常、矩形波電圧の振幅を一定に維持したまま周波数を変化させることにより捕捉可能なイオンの質量範囲を制御する。したがって、アナログイオントラップに比べてリング電極に印加する高電圧の振幅が小さくて済むため、高周波電圧発生回路を低コストで構成することができる。また、電極間での不所望な放電の発生を回避できるという利点もある。
【0005】
上記デジタルイオントラップでは、リング電極に印加される矩形波電圧の電圧レベルは±数百V〜±数kV程度と高く、またその周波数は数十kHz〜数MHzと幅広い。このような矩形波電圧を発生するために、高周波電圧発生回路は、電力用MOSFETなどの高速の半導体スイッチング素子により正の高電圧と負の高電圧とを切り替える構成が採用されている(特許文献2、非特許文献1参照)。また、正及び負の高電圧はその電圧レベルの安定性が重要であることから、外部から供給される商用交流電圧を昇圧し、さらにその出力電圧を交流/直流変換して電圧レベルを安定化させるような構成の直流安定化電源装置が用いられる。しかしながら、高精度な電源装置を用いたとしても、商用交流電圧に由来するリップル(交流成分)が出力電圧に或る程度重畳することは避けられない。
【0006】
デジタルイオントラップでは、リング電極に印加している矩形波電圧の分周信号をエンドキャップ電極に印加し、そのときの矩形波電圧の周波数に応じた特定の質量電荷比を有するイオンのみを共鳴励起させてイオントラップから排出させることができる。質量スペクトルを取得する際には、上記の共鳴励起排出を利用し、矩形波電圧の周波数を走査することにより、イオントラップから排出するイオンの質量電荷比を走査して排出されたイオンを検出器で検出する。共鳴励起により排出されるイオンの質量電荷比は矩形波電圧の周波数の2乗に反比例する一方、矩形波電圧の振幅に比例する。そのため、質量走査の際に矩形波電圧の振幅が変動すると、排出されるイオンの質量電荷比にずれが生じることになる。上述したように矩形波電圧に重畳するリップルは振幅の変動要因の1つであるから、質量電荷比のずれをもたらす。
【0007】
従来のイオントラップ質量分析装置では、質量電荷比の真値が既知である較正試料(キャリブラント)を予め測定することにより、装置の誤差特性を補正できるような近似的な補正式を作成しておき、目的試料の測定時にはその補正式を用いて質量誤差の補正を行うような処理が行われている。しかしながら、前述したように商用交流電圧に由来して矩形波電圧に重畳するリップルの影響は、上記のような補正式では補正することができない。そのため、リップルの影響が大きくなると、質量スペクトルの質量精度や質量分解能が低下するという問題が生じる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】国際公開第01/029871号パンフレット
【特許文献2】国際公開第2005/083743号パンフレット
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】古橋、竹下、小河、岩本、「デジタルイオントラップ質量分析装置の開発」、島津評論、島津評論編集部、2006年3月31日、第62巻、第3・4号、pp.141−151
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、上記のようなデジタルイオントラップを利用して質量分析を行うイオントラップ質量分析装置において、リング電極へ印加される矩形波電圧に重畳する商用交流電圧由来のリップルの影響を排除し、取得される質量スペクトルの質量精度や質量分解能を高めることを主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明は、複数の電極からなるイオントラップの内部に各種イオンを一旦捕捉し、該イオントラップから排出されるイオンの質量電荷比を走査して、その排出されたイオンを検出することにより質量走査を実行するイオントラップ質量分析装置において、
a)イオントラップ内にイオンを保持しつつ一部のイオンを排出するために少なくとも電極の1つに矩形波電圧を印加するべく、商用交流電圧から直流電圧を発生する直流電圧源と、該直流電圧源による直流電圧をスイッチングして矩形波とするスイッチング手段と、を含む矩形波電圧発生手段と、
b)前記商用交流電圧の位相を検出する位相検出手段と、
c)前記位相検出手段により検出される交流電圧の位相が特定位相であるときに質量走査を開始するべく前記矩形波電圧発生手段を制御する質量走査制御手段と、
d)質量電荷比が既知である較正試料に対し、前記質量走査制御手段による前記特定位相を複数設定してそれぞれ質量走査を実行しその結果からそれぞれ質量誤差を求め、該質量誤差を利用して質量電荷比を変数とする誤差補正情報を作成して記憶しておく補正情報取得手段と、
e)目的試料の測定時に、前記質量走査制御手段により前記特定位相を1つ設定して質量走査を実行し、その結果に対し前記補正情報取得手段に記憶しておいた誤差補正情報を用いた補正を実行して質量スペクトルを求める補正処理手段と、
を備えることを特徴としている。
【0012】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置では、イオントラップは3次元四重極型イオントラップ、リニア型イオントラップのいずれでもよい。3次元四重極型イオントラップの場合には、イオンを捕捉するためにリング電極に矩形波高電圧が印加され、質量走査において特定の質量電荷比を有するイオンが排出される場合には、さらにエンドキャップ電極に上記矩形波電圧を分周した周波数を有し振幅が適宜に設定された矩形波低電圧が印加される。
【0013】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置では、好ましくは、較正試料を測定する際の特定位相を3以上とし、特に、0、+(2/3)π、−(2/3)πの3つ設定してそれぞれ質量走査を実行するとよい。
【0014】
例えば3次元四重極型イオントラップを用いた構成では、上述したように、リング電極に印加される矩形波電圧に商用交流電圧に由来するリップルが重畳していると、その商用交流電圧の周波数(通常50Hz又は60Hz)及び位相に同期した質量誤差が生じる。所定の質量範囲に亘る質量走査を開始する際の商用交流電圧の位相が常に同一であり、質量走査が一定速度であれば(時間軸に対し質量電荷比の変化がリニアであれば)、上記のようなリップルに由来する質量誤差の正弦波成分はW・sin(m/z・L)と書くことができる(但し、m/zは質量電荷比、Lは定数、Wは振幅である)。そして、この振幅Wは質量電荷比を変数とする関数で表すことができる。
【0015】
質量誤差には、装置の機械的な寸法誤差などに由来する誤差と、上記のようにリップルに由来する交流成分の誤差とがあり、両者の和が質量誤差であるとみなすことができる。また、いずれの誤差も質量電荷比を変数とする関数で表すことができ、質量電荷比が既知である複数の較正試料(又は質量電荷比が既知である複数の成分を含む較正試料)の測定結果、つまり真の質量電荷比と測定値との差、に基づいて関数を近似的に求めることができる。そこで本発明に係るイオントラップ質量分析装置では、補正情報取得手段は、1乃至複数の較正試料に対し、質量走査の開始点の交流電圧位相を決めた質量走査を実行し、その結果からそれぞれ質量誤差を求め、該質量誤差を利用して質量電荷比を変数とする上記関数などを含む誤差補正情報を作成して記憶しておく。この誤差補正情報は、従来のように、装置の機械的な寸法誤差などに由来する質量誤差を反映したものではなく、リップルに由来する交流成分の質量誤差も反映したものである。
【0016】
目的試料に対する質量走査を行う際には、常に、商用交流電圧の特定の位相(例えば0)に同期して質量走査を開始させるようにする。これにより、リップルに由来する質量誤差も再現性がある状態、つまり誤差補正情報を取得した際と同様の状態となるから、補正処理手段は、目的試料の質量走査を行って得られた結果に対し、補正情報取得手段に記憶しておいた誤差補正情報を用いた補正を実行し、上記のような質量誤差が除去された質量スペクトルを求める。
【発明の効果】
【0017】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置によれば、イオントラップの寸法誤差などに起因する質量誤差を補正するとともに、従来は考慮されていなかった商用交流電圧に由来する交流成分の影響による質量ずれも補正することができる。それにより、質量精度、質量分解能の高い質量スペクトルを得ることができる。また、上記のように電気的な制御や信号処理により、商用交流電圧に由来する質量誤差を除去できるので、イオントラップを駆動するための矩形波電圧を発生するための回路(矩形波電圧発生手段)において、直流電圧を平滑化する(リップルを除去する)ための回路を或る程度簡略化することができ、そうした回路のコスト削減が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【図1】本発明の一実施例であるイオントラップ質量分析装置の要部の構成図。
【図2】本実施例のイオントラップ質量分析装置において較正試料を用いた補正情報作成時の制御・処理フローチャート。
【図3】本実施例のイオントラップ質量分析装置において補正情報を用いた質量誤差補正処理時のフローチャート。
【図4】本実施例のイオントラップ質量分析装置における質量誤差補正の原理を説明する図。
【図5】本実施例のイオントラップ質量分析装置における質量誤差補正の原理を説明する図。
【図6】本実施例のイオントラップ質量分析装置における質量誤差補正の原理を説明する図。
【発明を実施するための形態】
【0019】
以下、本発明の一実施例であるイオントラップ質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図1は本実施例のイオントラップ質量分析装置の要部の概略構成図である。
【0020】
このイオントラップ質量分析装置は、試料をイオン化するイオン化部1と、3次元四重極型のイオントラップ2と、イオンを検出する検出部3と、を含む。ここでは、イオン化部1はマトリクス支援レーザ脱離イオン源(MALDI)であり、サンプルプレート12上に載置された試料Sに対し、レーザ照射部11から出射したレーザ光が照射される。このレーザ光照射により試料S中の試料成分がイオン化され、発生したイオンは引き出し電極13により引き出され、イオン輸送光学系14を通して輸送される。
【0021】
イオントラップ2は、1個のリング電極21と対向配置された1対のエンドキャップ電極22、24とからなり、これら電極21、22、24で囲まれた空間がイオン捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の中央にはイオン入射口23が穿設され、上述したようにイオン化部1から出射したイオンはイオン入射口23を経てイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24にあってイオン入射口23とほぼ一直線上にはイオン出射口25が穿設されている。イオン出射口25を通ってイオントラップ2内から排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。検出部3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と二次電子増倍管32とから成り、入射したイオンの量に応じた検出信号をデータ処理部8に送る。
【0022】
リング電極21には主電源部4が接続され、エンドキャップ電極22、24には補助電源部5が接続されている。主電源部4は、第1電圧源41により生成される正電圧VHと第2電圧源42により生成される負電圧VLとを第1スイッチ43及び第2スイッチ44により切り替えることで矩形波電圧VOUTを生成する。第1スイッチ43及び第2スイッチ44はパワーMOSFET等の半導体スイッチング素子である。第1及び第2電圧源41、42は外部の商用交流電源100から供給される商用交流電圧から直流電圧を生成する直流電圧源装置である。正電圧VH及び負電圧VL、つまり矩形波電圧のハイレベルとローレベルは、例えば±250V、±500V、±750V、±1000V、などとすることができる。但し、矩形波電圧VOUTの振幅はこれに限らない。また、矩形波電圧の周波数は一般的には数十kHz〜数MHz程度の範囲である。
【0023】
制御部6はCPUやデジタル回路などにより構成され、上記スイッチ43、44をオン・オフするパルス信号を主電源部4に供給するとともに、補助電源部5を制御する。これにより、イオントラップ2内に所定の質量範囲のイオンを捕捉するとともに、蓄積したイオンの中で特定の質量電荷比を有するイオンをイオン出射口25を通して選択的にイオントラップ2から排出させ、当該イオンに対する検出信号を取得する。交流電圧位相検出部7は正弦波状の商用交流電圧の位相が0となる(負の方向にゼロクロスする)タイミングを検出し、それに対応した検出信号を制御部6へ送る。また、補正情報作成部9は制御部6の制御の下にデータ処理部8からデータを受け取って、後述するような質量誤差を補正するための補正情報を作成して記憶するとともに、必要に応じてその補正情報を読み出してデータ処理部8に与える。
【0024】
本実施例のイオントラップ質量分析装置では、主電源部4からリング電極21に所定の矩形波高電圧を印加している状態で、その矩形波電圧の分周信号をエンドキャップ電極22、24に印加することにより、イオントラップ2内に保持しているイオンの中で特定の質量電荷比を有するイオンを選択的に共鳴励起し、イオン出射口25を通してイオンを排出する。このとき、リング電極21に印加される矩形波電圧の周波数Ω及び振幅Eと、イオントラップ2から排出されるイオンの質量電荷比Mとには、
M∝E/Ω2
の関係がある。制御部6はこの関係に基づいて、矩形波電圧の周波数Ωを所定の範囲で変化させることにより、イオントラップ2から排出されるイオンの質量電荷比を走査する。データ処理部8はこうした質量走査に伴って検出部3から得られる検出信号に基づいて、所定の質量範囲に亘る質量スペクトルを作成する。
【0025】
イオントラップ2の各電極21、22、24の機械的な寸法誤差、相対配置のずれなどのために、実際に測定される質量スペクトルには質量誤差が生じる。こうした誤差には測定再現性があるため、質量電荷比Mを変数とした誤差関数Fdを予め求めておき、これを用いて誤差を補正することが可能である。図4は、質量走査の際の質量電荷比Mと質量誤差Dとの関係の一例を示す図である。この図に示すように、質量電荷比Mに対する誤差Dは、
D=Fd(M) …(1)
となる。通常、誤差関数Fdは、質量電荷比Mの真値が既知である複数の較正試料(キャリブラント)を用いて近似的に求める。較正試料の数(較正を行う質量電荷比の点数)が多いほど、誤差関数Fdの近似の精度は高くなる。
【0026】
第1電圧源41及び第2電圧源42の出力である直流電圧VH、VLに商用交流電圧Vacに起因したリップル(交流成分)が重畳していると、図5に示すように、上記の誤差関数Fdには商用交流電圧に同期した交流成分誤差が重畳する。一般に、質量走査時に質量電荷比の変化は測定の時間軸に対して線形である。そのため、質量誤差の交流(正弦波)成分はW・sin(M・L)と記述することができる。ここで、Lは定数、Wは振幅である。交流成分の周波数は決まっているから、交流成分の位相が質量走査に同期していれば、振幅Wは質量電荷比Mを変数とした関数Fa(M)で表すことができる。即ち、質量誤差の交流成分Dacは図6に示すように次の(2)式で表される。
Dac=Fa(M)・sin(M・L) …(2)
したがって、この交流成分Dacを考慮した場合、(1)式で示した質量誤差Dは、
D=Fd(M)+Fa(M)・sin(M・L) …(3)
となる。(3)式右辺の第2項が、従来考慮されていない商用交流電圧に起因するリップルによるものである。
【0027】
本実施例のイオントラップ質量分析装置では、質量誤差の交流成分の位相と質量走査とを同期させるために、交流電圧位相検出部7により商用交流電圧の位相が0になるタイミングを検出し、この検出結果で決まる特定の位相に質量走査の開始点を同期させるようにしている。このような同期的な制御により、質量誤差の交流成分も測定再現性を有することになり、(3)式に基づいた補正式により質量誤差を補正することが可能となる。
【0028】
具体例を挙げて、質量誤差を補正するための補正情報の作成処理とこの補正情報に基づく質量データの補正処理とを説明する。図2は質量誤差を補正するための補正情報の作成処理を示すフローチャート、図3はこの補正情報を利用した質量データの補正処理を示すフローチャートである。
【0029】
例えば較正動作の実行の指示に応じて補正情報作成処理が開始されると、まず複数(特に数は限定されないが多いほうが好ましい)の較正試料の中で1つ目の較正試料が測定位置に設置される(ステップS1)。制御部6は質量走査の開始タイミングを商用交流電圧の位相0に設定し(ステップS2)、その条件の下で所定の質量範囲の質量走査を複数回実行する。即ち、交流電圧位相検出部7から与えられる検出信号に基づいて、商用交流電圧Vacの位相が0のタイミングで質量走査が開始されるように測定シーケンスを決めて各部の動作を制御する。
【0030】
データ処理部8はその複数回の質量走査により得られるスペクトルデータを積算し、それにより得られる質量スペクトル上でピーク検出を行ってピークトップに対応した質量電荷比m/zの測定値を取得する。これにより、質量走査開始点が交流電圧位相0であるときの測定値が得られる(ステップS3)。このときの質量電荷比の測定値をMc1とする。
【0031】
次に同じ較正試料に対し、質量走査の開始タイミングを商用交流電圧位相(2/3)πに設定し(ステップS4)、上記ステップS3と同様に、その条件の下で複数回の質量走査を繰り返し実行し、その結果から、対応する質量電荷比の測定値を取得する(ステップS5)。このときの質量電荷比の測定値をMc2とする。
【0032】
さらにまた同じ較正試料に対し、質量走査の開始タイミングを商用交流電圧位相−(2/3)πに設定し(ステップS6)、上記ステップS3と同様に、その条件の下で複数回の質量分析を繰り返し実行し、その結果から、対応する質量電荷比の測定値を取得する(ステップS7)。このときの質量電荷比の測定値をMc3とする。
【0033】
質量走査開始時の商用交流電圧の位相が0、(2/3)π、−(2/3)πである3つの質量電荷比の測定値Mc1、Mc2、Mc3が得られると、これをデータ処理部8から受けた補正情報作成部9がその3つの測定値から平均値を計算する(ステップS8)。その較正試料の質量電荷比の真値がMc0であるとすると、測定値Mc1、Mc2、Mc3は次のように記述することができる。
Mc1=Mc0+Fd(Mc0)+Fa(Mc0)・sin(Mc0・L) …(4)
Mc2=Mc0+Fd(Mc0)+Fa(Mc0)・sin(Mc0・L+2π/3) …(5)
Mc3=Mc0+Fd(Mc0)+Fa(Mc0)・sin(Mc0・L−2π/3) …(6)
これらの質量電荷比の平均値Mcsは、
Mcs=(Mc1+Mc2+Mc3)/3=Mc0+Fd(Mc0) …(7)
となり、上記(4)〜(6)の各式で存在していたsinの項、つまり交流成分は除去されることになる。
【0034】
制御部6は全ての較正試料に対する測定が実行されたか否かを判定し(ステップS9)、ここで測定が終了したと判断されるまでステップS1へ戻る。複数の較正試料についてそれぞれ質量走査の開始の交流電圧位相が相違する3つの質量電荷比の測定値及びその平均値が得られたならば、ステップS9からS10へ進む。
【0035】
補正情報作成部9は、複数の較正試料に対する測定結果を用いて、質量誤差を補正するための関数を求める。上述したように質量電荷比の平均値Mcsは交流成分の影響を受けないから、まず、複数の較正試料について得られた互いに異なる複数の質量電荷比の真値Mc0に対応した平均値Mcsを用いて誤差関数Fdの近似式を求め、装置の機械的誤差などの要因による質量誤差を求める補正関数fdを作成する。
【0036】
質量電荷比の測定値の誤差を補正するためには、上記補正関数fdに加え、商用交流電圧由来の誤差も補正する必要がある。そこで、上述したように測定された複数の較正試料に対する質量電荷比の測定値Mc1、Mc2、Mc3から、(3)式中のFa(M)、つまり誤差の交流成分の振幅値を求めるための関数を次のように導出する。即ち、(4)〜(6)式から、
Mc1−Mcs=Fa(Mc0)・sin(Mc0・L)=a1
Mc2−Mcs=Fa(Mc0)・sin(Mc0・L+2π/3)=a2
Mc3−Mcs=Fa(Mc0)・sin(Mc0・L−2π/3)=a3
と書ける。これらの式を用いて、
12+a22+a32=(3/2)・Fa(Mc02
となるから、
Fa(Mc0)=√{(2/3)・[(Mc1−Mcs2+(Mc2−Mcs2+(Mc3−Mcs)]} …(8)
となる。(8)式より、3つの測定値Mc1、Mc2、Mc3から振幅Fa(Mc0)が得られるから、複数の較正試料について得られた互いに異なる複数の質量電荷比の真値Mc0に対応した測定値Mc1、Mc2、Mc3を用いて関数Faの近似式を求め、交流成分の振幅を求める関数fa(M)を作成する(ステップS11)。
【0037】
補正情報作成部9は、上記のように較正試料の測定結果から求めた関数fd、faを、質量誤差を補正するためのデータとして内蔵するメモリに記憶し(ステップS12)、補正情報の作成処理を終了する。
【0038】
質量電荷比の真値が未知である測定対象試料の測定時には、次のような手順で測定及びデータ処理を実行する。
例えば測定実行の指示がなされると、測定対象試料が測定位置に設置される(ステップS21)。制御部6は質量走査の開始タイミングを商用交流電圧の位相0に設定し(ステップS22)、その条件の下で所定の質量範囲の質量走査を複数回実行する。即ち、交流電圧位相検出部7から与えられる検出信号に基づいて、商用交流電圧Vacの位相が0のタイミングで質量走査が開始されるように測定シーケンスを決めて各部の動作を制御する。
【0039】
データ処理部8はその複数回(例えばn回とする)の質量走査により得られるスペクトルデータを積算し、それにより質量スペクトルを取得する(ステップS23)。この質量スペクトルには上述したような質量誤差が含まれる。そこで、次にデータ処理部8は補正情報作成部9に記憶されている関数fd、faを用いて、質量誤差の補正処理を実行する。即ち、各質量電荷比の測定値Mtは質量走査開始時を交流電圧位相0に設定した状態で測定されるから、測定値Mtと真値Mとは次の関係となる。
Mt=M+Fd(M)+Fa(M)・sin(M・L)≒M+fd(Mt)+fa(Mt)・sin(Mt・L)
したがって、或る質量電荷比の真値Mは次の(9)式から近似的に求めることができる。
M≒Mt−fd(Mt)−fa(Mt)・sin(Mt・L) …(9)
【0040】
質量スペクトル全体について質量誤差を補正する場合には、質量電荷比毎に(9)式に従った演算を行えばよい(ステップS24)。これにより、イオントラップ2等の機械的な誤差などによる質量誤差のみならず、商用交流電圧の交流成分が直流電圧VH、VLに重畳することによる質量誤差も除去されるので、従来よりも高い精度の質量スペクトルを得ることができる。
【0041】
なお、上記説明では、較正試料に対し質量走査の開始時における商用交流電圧位相を0、(2/3)π、−(2/3)πの3種類に設定した状態でそれぞれ測定を行ったが、位相は必ずしも上記の値とは限らない。但し、上記説明から明らかなように、同一較正試料に対する複数の測定値の平均をとったときに交流成分が除去されるような位相に決めておくことが望ましい。
【0042】
また、上記実施例は一例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜に、変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。例えば上記実施例は3次元四重極型のイオントラップであったが、多重極(例えば四重極)ロッドを用いたリニア型イオントラップにも本発明を適用することができる。
【符号の説明】
【0043】
1…イオン化部
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…引き出し電極
14…イオン輸送光学系
2…イオントラップ
21…リング電極
22…入口側エンドキャップ電極
23…イオン入射口
24…出口側エンドキャップ電極
25…イオン出射口
3…検出部
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
4…主電源部
41…第1電圧源
42…第2電圧源
43…第1スイッチ
44…第2スイッチ
5…補助電源部
6…制御部
7…交流電圧位相検出部
8…データ処理部
9…補正情報作成部
100…商用交流電源

【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数の電極からなるイオントラップの内部に各種イオンを一旦捕捉し、該イオントラップから排出されるイオンの質量電荷比を走査して、その排出されたイオンを検出することにより質量走査を実行するイオントラップ質量分析装置において、
a)イオントラップ内にイオンを保持しつつ一部のイオンを排出するために少なくとも電極の1つに矩形波電圧を印加するべく、商用交流電圧から直流電圧を発生する直流電圧源と、該直流電圧源による直流電圧をスイッチングして矩形波とするスイッチング手段と、を含む矩形波電圧発生手段と、
b)前記商用交流電圧の位相を検出する位相検出手段と、
c)前記位相検出手段により検出される交流電圧の位相が特定位相であるときに質量走査を開始するべく前記矩形波電圧発生手段を制御する質量走査制御手段と、
d)質量電荷比が既知である較正試料に対し、前記質量走査制御手段による前記特定位相を複数設定してそれぞれ質量走査を実行しその結果からそれぞれ質量誤差を求め、該質量誤差を利用して質量電荷比を変数とする誤差補正情報を作成して記憶しておく補正情報取得手段と、
e)目的試料の測定時に、前記質量走査制御手段により前記特定位相を1つ設定して質量走査を実行し、その結果に対し前記補正情報取得手段に記憶しておいた誤差補正情報を用いた補正を実行して質量スペクトルを求める補正処理手段と、
を備えることを特徴とするイオントラップ質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載のイオントラップ質量分析装置であって、
前記補正情報取得手段は較正試料の測定時に、前記質量走査制御手段による前記特定位相を、0、+(2/3)π、−(2/3)πの3つ設定してそれぞれ質量走査を実行することを特徴とするイオントラップ質量分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載のイオントラップ質量分析装置であって、
前記補正処理手段は、前記特定位相を0に設定して質量走査が実行された結果に対し補正処理を行うことを特徴とするイオントラップ質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2011−96542(P2011−96542A)
【公開日】平成23年5月12日(2011.5.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−250173(P2009−250173)
【出願日】平成21年10月30日(2009.10.30)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】