説明

イオンフィルタ、質量分析システムおよびイオン移動度分光計

【課題】大気圧またはそれに近い圧力の気相中において、検出対象のイオンを簡素な構成で分離して効率よく後段の質量分析計またはイオン検出器に導入する技術を提供し、後段の装置における検出精度を高める。
【解決手段】イオンを含む気体の流れ方向に沿って断面積が漸次減少した後に漸次増加する砂時計型の流路を構成し、砂時計の上部に配置した電極と砂時計流路の内壁および砂時計流路の内壁と砂時計の下部に配置した電極との間にそれぞれ電位差を設ける。これにより、所定の範囲のイオン移動度を有するイオンを流路中心部に収束して透過させ、所定の範囲外のイオン移動度を有するイオンを流路内壁方向へ進行させ、系外へ排除する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、気相において所定範囲のイオン移動度を有するイオンを分離して透過させる技術に関する。特に、質量分析またはイオン移動度分析のための分離透過技術に関する。
【背景技術】
【0002】
大気圧下でイオンを生成し、質量分析を行う大気圧化学イオン化質量分析法は、気相中の微量の成分物質をリアルタイムまたは即時に検出することができるため、爆薬や有毒ガス、環境汚染物質等の探知に用いられる。この大気圧化学イオン化質量分析法を用いて化学兵器剤を検出するリアルタイムモニタリング装置がある(例えば、特許文献1参照。)。このリアルタイムモニタリング装置では、コロナ放電部(イオン化部)に導入した大気の成分物質を、化学イオン化によりイオン化し、質量分析計内部に取り込み、検出器で検出することにより質量分析を行う。
【0003】
大気圧化学イオン化質量分析法は、イオン化効率が高く多量のイオンを生成できる利点がある。しかし、生成したイオンを導入する質量分析計のイオン導入口は、質量分析計内部を高真空に維持するために内径0.1mm程度の細孔が用いられる。このため、イオン間のクーロン反発により細孔に導入できるイオン量が制約される。従って、種々雑多のあるいは多量の夾雑物イオンが生成されると、検出対象の化学兵器剤のイオンの、細孔に導入される割合が低下し、結果的に化学兵器剤を検知できないという擬陰性が生じる場合がある。このような問題を解決するには、イオン化部と質量分析計のイオン導入口との間にイオンフィルタを配置して、検出対象外の不要イオンを排除する方法が有効である。
【0004】
大気圧下で動作するイオンフィルタとして、気相中でのイオン移動度の相違に基づいてイオンを空間的に分離するイオンフィルタがある(例えば、非特許文献1、特許文献2参照。)。非特許文献1に開示のイオンフィルタは、field asymmetry ion mobility spectrometryの原理に基づくものであり、イオンを含むガスを一対の電極間に流通させ、気流に直交する方向に周波数1MHz程度で数kV/mm程度の電場を印加することにより、気流中のイオンのうち所定のイオン移動度を有するイオンを選択的に通過させる。また、特許文献2に開示のイオンフィルタは、differential ion mobilityの原理に基づくイオンの分級装置である。この装置では、1対の電極間にキャリヤガスを流し、一方の電極近傍にイオンを含んだガスを導入する。1対の電極間には静電場が形成されており、イオンはキャリヤガスの流れ方向に進行しながら対向する電極に向かって移動し、そのイオン移動度に応じた位置で電極に到達する。電極の一部に開口部を設けることにより、所定のイオン移動度を有するイオンを分離して取り出す。
【0005】
【特許文献1】特開2004−286648号公報
【特許文献2】特開2004−301565号公報
【非特許文献1】R.A. Miller,et al.A MEMS radio−frequency ion mobility spectrometer for chemical vapor detection / Sensors and Actuators A 91(2001)301−312
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
非特許文献1に開示されている装置は、電極間隔が0.5〜1mm程度であるため多量のイオンを通すことができない。電極間隔を拡げると電極間隔に比例して電圧を増加する必要があるため、装置が大型かつ高価となる。特許文献2に開示の装置は比較的低電圧の直流電源で動作するという点において非特許文献1のイオンフィルタに比べて簡素である。しかしながら、その構造上、装置内部を移動する間にイオンが次第に拡散するため、選択性が制限される。選択性を上げるためにイオン導入部の幅を狭くすると、多量のイオンを流せなくなり、一方、イオン導入部の幅を狭める代わりに電極間隔を拡げると、装置を大型化しなければならない。このように、イオン移動度の相違に基づいてイオンを空間的に分離するイオンフィルタでは、供給イオン量、分離精度、小型化の全てを満足させることは難しい。
【0007】
本発明は、上記事情に鑑みてなされたもので、大気圧またはそれに近い圧力の気相中において、検出対象のイオンを簡素な構成で分離して効率よく後段の装置に導入する技術を提供し、後段の装置における検出精度を高めることを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、フィルタの形状による気流と電極間の電位との相互作用によって、所定のイオン移動度のイオンを流路中心部に集めて透過させる。気流の向きと電場の向きとを対向させ、気流の流速と電場の大きさとのバランスを制御することによってイオンの移動方向を制御し、所望のイオン移動度を有するイオンのみ透過させる。
【0009】
例えば、イオン源で生成されたイオンを含有する気体が流れる流路を備えるイオンフィルタであって、前記流路の気体の流入部近傍の入口電位は、前記流路の気体の流出部近傍の出口電位より高電位に設定され、前記流路は、前記流路内の気流が前記入口電位と前記出口電位とにより形成される電場の向きと対向する方向に向くよう、流路断面積が当該流路の他の部分より狭い領域である狭領域を備え、所望のイオン移動度の範囲のイオンが前記流路を透過するよう前記気流の流速と前記入口電位と前記出口電位とが調整されていることを特徴とするイオンフィルタを提供する。
【発明の効果】
【0010】
大気圧またはそれに近い圧力の気相中において、検出対象のイオンを簡素な構成で分離し、効率よく後段の装置に導入することができるため、検出器における検出精度が高まる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
<<第一の実施形態>>
以下、本発明を適用する第一の実施形態を図面を用いて説明する。各実施形態において、同一機能のものには同一の符号を付す。
【0012】
図1は、本実施形態のイオンフィルタ120を備える質量分析装置100の概略構成図である。質量分析装置100は、イオンフィルタ120の他に、コロナ放電部110と、質量分析部130と、流路内のガスの流れを生成する送風機9および排気管8と、各部の電極に電位を印加する電源10とを備える。これらの構成により、本実施形態の質量分析装置100は、大気などの試料ガスを吸引し、コロナ放電部110において試料ガス中の成分を化学イオン化の原理に基づいてイオン化し、イオンフィルタ120を通して所定の範囲のイオン移動度を有するイオンを選択的に質量分析部130に導入し、質量分析部130において質量分析を行う。
【0013】
コロナ放電部110は、上述のように試料ガス中の成分をイオン化し、イオンフィルタ120を介して質量分析部130に供給するもので、試料導入配管13と、放電針1と、対向電極2とを備える。試料ガスは、試料導入配管13からコロナ放電部110に導入され、放電針1と対向電極2とを通過する。試料ガス中の成分は、コロナ放電部110およびその近傍においてイオン化される。
【0014】
質量分析部130は、イオンフィルタ120を介して導入されるイオンの質量を分析するもので、イオン導入口である細孔6と、フランジ7と、イオンを検出して質量分析を行う質量分析計(不図示)と、を備える。
【0015】
イオンフィルタ120は、コロナ放電部110の下流側かつ質量分析部130の上流側に配置され、コロナ放電部110から供給されたイオンの中から、気流と電場とにより所定範囲のイオン移動度を有するイオンを選択的に通過させ、質量分析部130に供給する。本実施形態のイオンフィルタ120では、気流の向きと電場の向きとを対向させ、気流の流速と電場の大きさのバランスによりイオンの移動方向を制御し、所望のイオン移動度を有するイオンのみ透過させる。これを実現するため、イオンフィルタ120は、流路断面積が下流側に向かって漸次減少する前段領域41と、その下流側に流路断面積が下流側に向かって漸次増加する後段領域42とを有する砂時計型流路4と、前段領域41の入口付近に配置した入口電極3と、後段領域42の出口付近に配置した出口電極5とを備える。また、砂時計型流路4の内壁は電極(以下、中間電極40と呼ぶ。)である。なお、本明細書において、気流の向きとは気流の上流側から下流側に向かう方向であり、電場の向きとは高電位から低電位に向かう方向を指す。
【0016】
本実施形態のイオンフィルタ120の砂時計型流路4は、上述の形状を有し、前段領域41では、砂時計型流路4の流路断面積が流れ方向に漸次減少するため、砂時計型流路4の内壁(流路内壁)から砂時計型流路4の中心部(流路中心部)に向かう気流が発生する。また、後段領域42では、流路断面積が流れ方向に漸次増加するので、流路中心部から流路内壁に向かう気流が発生する。
【0017】
なお、本実施形態では、イオンフィルタ120内の気流を一様で理想形に近いものとするため、本実施形態の質量分析計100は、以下のように構成される。
(a)砂時計型流路4は、流路の中心軸12に関して回転対象形とする。
(b)後段領域42は、前段領域41と中心軸12に垂直な面について面対称の形状とする。
(c)砂時計型流路4を流れる試料ガスの速度分布が中心軸12に関して回転対称となるよう試料を導入する。
(d)試料導入配管13の断面形状は、試料ガスのスムーズな流れを妨げないよう、少なくとも砂時計型流路4の入口付近では砂時計型流路4の入口の形状に一致する。
(e)放電針1は、試料ガスの流れを大きく乱すことのないよう、配管の側壁から配管内部に挿入し、先端を折り曲げて対向電極2に対置させる。
(f)対向電極2、入口電極3および出口電極5は、流れの均質化を妨げないよう、均等に配置される同一形状の穴を全面に有するメッシュ電極とする。
(g)砂時計型流路4の下流部では、均質な流れを乱さないよう、排気管8の内径と同程度になるまで配管の断面形状を漸次減少させる。
(h)細孔6は外径1mm程度のキャピラリ形状とする。
【0018】
一方、上記気流の向きと対向する向きに電場を形成するため、各電位は以下のように設定される。まず、イオンをコロナ放電部110からイオンフィルタ120を経て質量分析部130に供給するため、イオンフィルタ120内の電位は、コロナ放電部110より低電位に、また、質量分析部130のイオン導入口より高電位に設定される。さらに、イオンフィルタ120内では、中間電極40は入口電極3より低電位に、出口電極5より高電位に設定される。すなわち、放電針1、対向電極2、入口電極3、中間電極40、出口電極5および細孔6の電位を、それぞれ、V1、V2、Va、Vb、Vc、V3とすると、これらは、V1>V2>Va>Vb>Vc>V3の関係に設定される。なお、電位Vは、単位電荷あたりの静電エネルギー(仕事)である。
【0019】
さらに、入口電極3および出口電極5の形状は、図1には平坦な形状で示されているが、円錐形とする。これは、入口電極3と中間電極40(砂時計型流路4の内壁)との間、および、中間電極40と出口電極5との間に比較的均一な電位分布を形成するためである。これらを円錐形とした場合の、砂時計型流路4内部の電位分布(等電位線)を図2に示す。本図に示すように、入口電極3および出口電極5は、流路内壁の形状に沿って、頂点を流路中心に向けて配置される。このため、本図に示すように、前段領域41では砂時計型流路4の中心部(流路中心部)から砂時計型流路4の内壁(流路内壁)に向かう電場成分が形成され、後段領域42では流路内壁から流路中心部へ向かう電場成分が形成される。
【0020】
また、本実施形態のイオンフィルタ120では、入口電極3と中間電極40との電位差ΔV1と、中間電極40と出口電極5との電位差ΔV2とを、ΔV1<ΔV2と設定する。なお、前段領域41の内壁電位と後段領域42の内壁電位は一致している必要はなく、中間電極40を前段領域部と後段領域部に分割し、前段領域から後段領域へ所定のイオンが透過できるよう電位設定する構成としてもよい。
【0021】
以下、上述のように構成した本実施形態のイオンフィルタ120が所定のイオン移動度の範囲のイオンのみ透過させる原理を説明する。
【0022】
イオン移動度は、電場によりイオンが移動する時の移動のし易さを示す指標である。電場の大きさをE(V/m)、イオン移動度をK(m/(V・s))、イオンの速度をv(m/s)とすると、v=KEの関係がある。すなわち、イオン移動度が大きいイオンほど、速い速度で、電場の向きに移動する。一方、気流による流速をvとすると、気流内のイオンは、他の力が働かなければ、この速度で、気流の流れ方向に移動する。すなわち、気流の流速が一定ならば、気流によるイオンの移動速度はイオンの種類に拠らず一定である。
【0023】
このため、本実施形態の砂時計型流路4内のように、気流の向きと、電場の向きとが対向する場合、特定のイオン移動度(カットオフ値と呼ぶ。)Kより大きいイオンは、電場の影響を気流より大きく受け、電場の方向に移動する。一方、イオン移動度がカットオフ値K以下のイオンは、気流の影響を電場の影響より大きく受け、気流の向きに移動する。なお、カットオフ値Kは、電場Eの大きさと、気流の流量(流速)vCとに依存する。流速vが一定の環境で電場Eが大きくなれば、カットオフ値Kは小さくなる。一方、電場Eが一定の環境で流速vが大きくなれば、カットオフ値Kは大きくなる。
【0024】
前段領域41では、上述のように、流路中心部から流路内壁に向かう電場が形成される。一方、流路内壁から流路中心部へ向かう気流が発生する。従って、前段領域41におけるカットオフ値(前段カットオフ値と呼ぶ。)をKとすると、Kより大きなイオン移動度を有するイオン(図1のイオンa)は、気流による影響より電場の影響を大きく受け、流路内壁から流路中心部へ向かう気流に逆らって、流路中心部から流路内壁へ向かい、流路内壁に到達して消滅する。一方、前段カットオフ値K以下のイオン移動度を有するイオン(図1のイオンbおよびイオンc)は、電場の影響より気流の影響を大きく受け、気流に押されて流路中心部に収束し、後段領域42へ導入される。すなわち、イオン移動度がK以下のイオンが、前段領域41を透過する。なお、前段カットオフ値Kは、流路を流れる気体の流量が一定の場合、前段領域の電場、すなわち、入口電極3と中間電極40との電位差ΔV1が大きくなれば、小さくなる。一方、電位差ΔV1が一定の場合、流路を流れる気体の流量が大きくなれば、大きくなる。
【0025】
後段領域42では、上述のように、流路内壁から流路中心部へ向かう電場が形成される。一方、流路中心部から流路内壁へ向かう気流が発生する。従って、後段領域42におけるカットオフ値(後段カットオフ値と呼ぶ。)をKとすると、K以下のイオン移動度を有するイオン(図1のイオンc)は、電場の影響より気流の影響を大きく受け、気流に押されて流路内壁に向かって移動する。一方、後段カットオフ値Kよりも大きなイオン移動度を有するイオン(図1のイオンb)は、気流による影響より電場の影響を大きく受け、流路中心部から流路内壁へ向かう気流に逆らって流路中心部に留まり、質量分析部130のイオン導入口である細孔6に吸い込まれる。すなわち、イオン移動度が後段カットオフ値Kより大きなイオンが、後段領域42を透過する。後段領域42においても、後段カットオフ値Kは、流路内の気体の流量が一定の場合、後段領域の電場、すなわち、中間電極40と出口電極5との電位差ΔV2が大きくなれば、小さくなる。一方、電位差ΔV2が一定の場合、流路内の気体の流量が大きくなれば、大きくなる。
【0026】
上述のように、本実施形態のイオンフィルタ120では、砂時計型流路4の前段領域41と後段領域42とは面対称な形状とし、流路内を流れる気体の流量を固定して使用する。この場合、電位差ΔV1と電位差ΔV2とは、ΔV1<ΔV2と設定される。流量固定の環境では、電場Eが大きくなれば、カットオフ値Kは小さくなるため、後段カットオフ値Kは前段カットオフ値Kより小さくなる(K>K)。よって、イオン移動度KがKより大きく、K以下の範囲(K<K≦K)のイオンのみが本実施形態のイオンフィルタ120を透過する。このときの、イオンフィルタ120を透過するイオンのイオン移動度の範囲を図3に示す。ここで、透過するイオンのイオン移動度の範囲を帯域と呼ぶ。
【0027】
なお、本実施形態のイオンフィルタ120は、帯域を任意に変更することができる。以下、帯域を変更する手法について説明する。
【0028】
上述のように、前段カットオフ値Kおよび後段カットオフ値Kは、気体の流量と電位差とに依存する。両カットオフ値は、前段領域41および後段領域42それぞれの形状にも影響を受けるが、本実施形態では、両形状は固定されているため、ここでは考慮しない。また、本実施形態の砂時計型流路4内の試料ガスの流れは送風機9により生成される。しかし、コロナ放電部110のイオン化効率や放電の安定性が試料ガスの流量に依存するため、通常は試料ガスの流量は最適値付近に固定される。従って、本実施形態のイオンフィルタ120の帯域は、入口電極3、中間電極40および出口電極5に印加する電位を変化させ、電位差ΔV1および電位差ΔV2を変化させることにより行う。このような操作を電位走査と呼ぶ。本実施形態では、帯域の幅はΔV2−ΔV1で定まるため、この帯域の幅を一定に保ちながら、電位走査を行い、帯域の変更を行う。
【0029】
帯域変更は、電位差ΔV1よび電位差ΔV2を同量(α)変化させることにより実現する。図4は、イオンフィルタ120の電位走査を説明するための図である。本図において、横軸は、イオンフィルタ120の流路方向の位置を示し、縦軸は、電位を示す。出口電極5の電位Vcは固定する。また、入口電極3および中間電極40の電位の初期値をVaおよびVbとし、初期のΔV1およびΔV2をΔV1およびΔV2とすると、Va=ΔV1+α、Vb=ΔV2+αとし、αの値を走査することにより行う。なお、ΔV1=Va−Vb、ΔV2=Vb−Vcである。
【0030】
図5に、αとイオンフィルタ120を透過するイオンのイオン移動度との関係を模式的に示す。すなわち、電位走査による帯域の変化の様子を示す。横軸にα、縦軸にαの値の変化に応じてイオンフィルタ120を通過したイオンの信号量を示す。ここでは、イオン移動度の大きな順に、イオンa、イオンb、イオンcである。本図に示すように、本実施形態のイオンフィルタ120では、αの値を増加させて前段領域41および後段領域42の電位差を増大させると、イオンフィルタ120を透過するイオンのイオン移動度は小さくなる。このように、本実施形態のイオンフィルタ120では、αの値を変化させることにより、所望のイオン移動度の範囲のイオンを透過させることができる。
【0031】
帯域の変更ための電位走査は、例えば、本実施形態の質量分析装置100に演算装置からなる制御部を設け、制御部により行うよう構成してもよい。
【0032】
以上説明したように、本実施形態のイオンフィルタ120は、イオンを含むガスの流れ方向に沿って流路断面積が漸次減少する前段領域41と、その下流側に流路断面積が漸次増加する後段領域42とを有する砂時計型流路4を備える。前段領域41の入口付近に配置した入口電極3と砂時計流路4の内壁との間および砂時計流路4の内壁と後段領域42の出口付近に配置した出口電極5との間に電位差を設ける。この電位差は、前段領域41では流路中心部から流路内壁に向かってイオンをドリフトさせる電場成分を形成し、後段領域42では流路内壁から流路中心部へイオンをドリフトさせる電場成分を形成するよう与えられる。また、前段領域41では流路内壁から流路中心部に向かう気流が生成され、前述の電場成分との関係で、所定の値(K)以下のイオン移動度を有するイオンは、気流に押されて流路中心部に収束するが、所定の値(K)よりも大きなイオン移動度を有するイオンは流路内壁に衝突して消滅する。一方、後段領域42では、流路中心部から流路内壁に向かう気流が生成されるため、所定の値(K)よりも大きなイオン移動度を有するイオンは流路中心部に収束するが、所定の値(K)以下のイオン移動度を有するイオンは気流に押されて流路内壁に向かって進行する。
【0033】
従って、本実施形態のイオンフィルタ120によれば、所定範囲のイオン移動度(K<K≦K)を有するイオンを選択的に透過させることができる。また、透過させるイオン移動度の範囲は、入口電極3、中間電極40および出口電極5の各電位を調整することにより設定できる。
【0034】
従って、このようなイオンフィルタ120の後段領域41の出口付近の流路中心部に質量分析部130の質量分析計へのイオン導入口である細孔6を配置することにより、所望の範囲のイオン移動度を有するイオンを選択的に質量分析計に導入することができ、質量分析計における検出精度を高めることができる。また、測定対象外であるイオンの大半を系外へ排除することができるため、質量分析計のイオン導入口におけるイオン間のクーロン反発が減少し、測定対象イオンを効率よく質量分析部130へ導入することができる。その結果、検出感度および検量線の直線性が向上し、測定対象物質が存在するのに検知できないという擬陰性の発生率が減少する。
【0035】
なお、質量分析部130としては、四重極型、イオントラップ型、飛行時間型、磁場型、イオンサイクロトロン型などいずれの方式のものであっても上述の効果は発揮される。
【0036】
また、本実施形態では、コロナ放電部110において、イオン化方式としてコロナ放電を用いる大気圧化学イオン化を採用しているが、放射線源を用いる大気圧化学イオン化、光イオン化など他のイオン化方式を用いても同様の効果が得られる。例えば、図6に示すように、複数の放電針1を配置して複数のコロナ放電部を設けたマルチイオン源により、より多量のイオンを生成するよう構成してもよい。
【0037】
本実施形態のイオンフィルタ120によれば、流路中心部から離れた位置において生成されたイオンであっても、所定の値よりもイオン移動度の小さいイオン(イオンbおよびイオンc)は、流路中心部から流路内壁へ向かう電場に逆らい流路内壁から流路中心部へ向かう気流に押され、図中に実線で示すような経路をたどって流路中心部へと収束する。一方、所定の値よりもイオン移動度の大きなイオン(イオンa)は図中に破線で示したような経路をたどって流路内壁に衝突し、消滅する。例えば、試料ガスが大気である場合、酸素、水あるいは窒素酸化物などのイオンが多量に生成される。これらの低分子イオンはイオン移動度が大きいので、砂時計型流路4の前段領域41で排除される。一方、爆薬や毒ガス、環境汚染物質などの多くは分子量が比較的大きく、従ってイオン移動度が小さい。そのため、本実施形態のイオンフィルタ120により、これらは、酸素や水、窒素酸化物など大気中に存在する多量の低分子物質から効率よく分離される。すなわち、マルチイオン源により多量のイオンを生成させても検出対象物質イオンを効率よく質量分析計に導入できる。その結果、検出対象物質の検出感度が向上する。
【0038】
以上説明したように、本実施形態のイオンフィルタ120によれば、その流路の中で、不要イオン、すなわち所定の範囲外のイオン移動度を有するイオンが次第に排除され、所定の範囲のイオン移動度を有するイオンのみが流路中心部に集束される。従って、流路中心に集束されるイオンのイオン移動度を、検出対象物質のイオン移動度に設定しておけば、種々雑多の多量のイオンのうちから検出対象物質のイオンを効率よく、下流に配置される質量分析計の検出器に導入することができる。本実施形態のイオンフィルタ120は、イオンを含む試料ガスの流れ方向に断面積が漸次減少し、次に漸次増加する砂時計型の形状と、その入り口側から出口側に向かう静電場を形成するだけの簡素な構成により、所定の範囲のイオン移動度を有するイオンを分離して質量分析計内の検出器に導くことを実現できる。また、流路入口の内径が大きいために多量のイオンを導入することができる。
【0039】
なお、本実施形態のイオンフィルタ120の前段領域41は、流路断面積が漸次減少する形状を有する場合を例にあげて説明しているが、前段領域41の形状はこれに限られない。電場成分の向きと異なる方向に気流が発生するよう、例えば、途中で流路断面積が増えることがなく、かつ、出口側の流路断面積が入口側の流路断面積より小さくなるよう構成されていればよい。後段領域42の形状も同様で、途中で流路断面積が減ることがなく、かつ、下流の出口側の流路断面積が入口側の流路断面積より大きくなるよう構成されていればよい。また、前段領域41と後段領域42とが面対称でなくてもよい。ただし、この場合、気流の状態が前段領域41と後段領域42とで変わるため、K>Kとするための設定電位は、形状に応じて変更される。
【0040】
また、上記実施形態の質量分析装置100では、イオンフィルタ120の砂時計型流路4は、前段領域41のみ有する構成であってもよい。図7に、イオンフィルタ120が前段領域41のみ有する場合の質量分析装置100の概略構成図を示す。上述のように、前段領域41では、前段カットオフ値Kよりも大きなイオン移動度を有するイオン(イオンa)が排除される。例えば、試料ガスが大気である場合、酸素、水あるいは窒素酸化物などのイオンが多量に生成される。これらの低分子イオンはイオン移動度が大きいので、前段領域41で排除される。一方、爆薬や毒ガス、環境汚染物質などの検出対象物質の多くは分子量が比較的大きく、従ってイオン移動度が小さい。そのため、このような場合、前段領域41のみ有する構成であっても、前段領域41により酸素や水、窒素酸化物など大気中に存在する多量の低分子イオンから検出対象物質イオンを効率よく分離して質量分析部130に導入できる。マルチイオン源により多量のイオンを生成させても検出対象物質イオンを効率よく質量分析部130に導入できる。その結果、検出対象物質の検出感度が向上する。
【0041】
さらに、上記実施形態のイオンフィルタ120の砂時計型流路4は、後段領域42のみ有する構成であってもよい。図8に、イオンフィルタ120が後段領域42のみ有する場合の質量分析装置100の概略構成図を示す。上述のように、後段領域42では、後段カットオフ値Kよりも小さなイオン移動度を有するイオン(イオンc)が排除される。試料ガス中に油や排気ガスなど比較的分子量の大きな夾雑物が存在する場合、これらの物質が質量分析部130内に進入して内部に付着すると質量分析部130の性能が次第に低下する。従って、これらを排除できないと、質量分析部130の分解清掃が高頻度で必要となる。本構成のイオンフィルタ120では、後段領域42において比較的分子量の大きな物質のイオンが排除されるため、質量分析部130内部の汚染の進行が遅くなり、メンテナンスの頻度が低下する。
【0042】
<<第二の実施形態>>
次に、本発明を適用する第二の実施形態を図面を用いて説明する。本実施形態では、第一の実施形態のイオンフィルタ120を、イオン移動度分光計のイオン分離部に用いる。なお、以下の説明では、第一の実施形態と同じ構成については、同じ番号を付す。
【0043】
図9に本実施形態のイオン移動度分光計200の概略構成図を示す。本実施形態のイオン移動度分光計200は、コロナ放電部110と、イオンフィルタ120と、イオン検出部230と、流路内のガスの流れを生成する送風機9および排気管(不図示)と、各部の電極に電位を印加する電源10とを備え、試料ガスを吸引し、コロナ放電部110において試料ガス中の成分物質をイオン化し、イオンフィルタ120により所定の範囲のイオン移動度を有するイオンを分離し、分離したイオンをイオン検出部230の検出器に衝突させ、イオン検出部230において検出器を流れる電流を計測することによってイオンを検出する。
【0044】
本実施形態のコロナ放電部110と、イオンフィルタ120の構成およびフィルタとして動作させるための設定電位は、第一の実施形態の質量分析装置100の場合と同じであるため、説明を省略する。なお、図9では、放電針1を複数有する場合を図示する。
【0045】
イオン検出部230は、検出器22と電流計21とを備える。検出器22は直径数mm程度の円盤状の金属板であり、イオンフィルタ120の出口電極5の近傍の流路中心部に配置される。検出器22は絶縁被覆された導線23により電流計21に接続される。
【0046】
第一の実施形態で説明したように、イオンフィルタ120の入口電極3、中間電極40、出口電極5への印加電圧を変化させることにより、イオンフィルタ120の帯域、すなわち、イオンフィルタ120を透過するイオンのイオン移動度の範囲を変化させることができる。本実施形態では、イオンフィルタ120の各電極への印加電圧を変化させながら、検出器22を流れる電流を電流計21で測定する。イオン検出部230では、イオンフィルタ120の帯域、すなわち、イオンフィルタ120を透過したイオンのイオン移動度と、検出器22で検出したイオン量とを対応づけて記録する。これにより、イオン移動度毎のイオン量、すなわち、イオン移動度スペクトルを取得することができる。なお、イオンフィルタ120の帯域を変化させるための印加電圧は、第一の実施形態で説明したように、αを変化させることにより変化させる。
【0047】
なお、電圧は、手動で変化させてもよいし、例えば、演算装置などからなる制御部を備え、制御部により制御するよう構成してもよい。イオン検出部230では、制御部による電圧の制御に応じて、イオンフィルタ120を透過したイオンのイオン移動度を判別し、検出したイオン量と対応づけて記録する。
【0048】
以上説明したように、本実施形態によれば、簡素な構成で、多量のイオンのうちから検出対象物質のイオンを効率よく分離して検出器に入射させることができるため、高感度の携帯型検知器を実現することができる。
【0049】
以上説明したように、上記各実施形態によれば、化学物質の分離分析装置として大気中の有害物質等の検知器などに利用される質量分析計またはイオン移動度分光計を、高い分析精度を保ちつつ簡易な構成で実現できる。
【図面の簡単な説明】
【0050】
【図1】本発明の実施形態のイオンフィルタを使用する質量分析装置の概略構成図である。
【図2】本発明の実施形態のイオンフィルタ内部の電位分布を説明するための図である。
【図3】本発明の実施形態のイオンフィルタの帯域を説明するための図である。
【図4】本発明の実施形態のイオンフィルタの電位走査を説明するための図である。
【図5】本発明の実施形態のイオンフィルタの電位走査による帯域変化の模式図である。
【図6】本発明の実施形態の質量分析装置の複数のコロナ放電部を有する場合の概略構成図である。
【図7】本発明の実施形態の質量分析装置の別の例を示す概略構成図である。
【図8】本発明の実施形態の質量分析装置の別の例を示す概略構成図である。
【図9】本発明の実施形態のイオンフィルタを使用するイオン移動度分光計の概略構成図である。
【符号の説明】
【0051】
1:放電針、2;対向電極、3:入口電極、4:砂時計型流路、5:出口電極、6:細孔、7:フランジ、8:排気管、9:送風機、10:電源、12:中心軸、13:試料導入配管、21:電流計、22:検出器、23:導線、40:中間電極、41:前段領域、42:後段領域、100;質量分析装置、110:コロナ放電部、120:イオンフィルタ、130:質量分析部、200:イオン移動度分光計、230:イオン検出部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン源で生成されたイオンを含有する気体が流れる流路を備えるイオンフィルタであって、
前記流路の気体の流入部近傍の入口電位は、前記流路の気体の流出部近傍の出口電位より高電位に設定され、
前記流路は、流路に概略直交する方向に気流が発生し、前記入口電位と前記出口電位とにより前記気流と対向する向きに前記イオンを駆動しようとする電場が形成されるよう、流路断面積が当該流路の他の部分より狭い領域である狭領域を備え、
所望のイオン移動度の範囲のイオンが前記流路を透過するよう前記気流の流速と前記入口電位と前記出口電位とが調整されていること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項2】
請求項1記載のイオンフィルタであって、
前記狭領域は、出口近傍に配され、
前記気流の流速と前記入口電位と前記出口電位とは、所望のイオン移動度より小さいイオン移動度を有するイオンを選択的に透過させるよう調整されていること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項3】
請求項1記載のイオンフィルタであって、
前記狭領域は、入口近傍に配され、
前記気流の流速と前記入口電位と前記出口電位とは、所望のイオン移動度より大きいイオン移動度を有するイオンを選択的に透過させるよう調整されていること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項4】
請求項1記載のイオンフィルタであって、
前記狭領域は、前記流路の中間に配され、
前記流路の内壁の電位である中間電位は、前記入口電位と前記出口電位との間に設定され、
前記気流の流速と前記入口電位と前記出口電位と前記中間電位とは、前記狭領域を、所望のイオン移動度である第一のイオン移動度より小さいイオン移動度を有するイオンを選択的に透過させ、前記気体の流出部を、前記第一のイオン移動度より小さくかつ第二のイオン移動度より大きいイオン移動度を有するイオンを選択的に透過させるよう調整されていること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項5】
請求項2または4記載のイオンフィルタであって、
前記流路は、上流から前記狭領域に向かって前記流路断面積が漸次減少すること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項6】
請求項3または4記載のイオンフィルタであって、
前記流路は、前記狭領域から下流に向かって前記流路断面積が漸次増加すること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項7】
請求項1から6いずれか1項記載のイオンフィルタであって、
前記流路は、流路の中心軸に対して回転対称の形状を有すること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項8】
請求項4記載のイオンフィルタであって、
前記入口電位を印加するメッシュ状の第一の電極と、
前記出口電位を印加するメッシュ状の第二の電極と、を備えること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項9】
請求項4記載のイオンフィルタであって、
前記入口電位と前記中間電位との第一の電位差は、前記中間電位と前記出口電位との第二の電位差より小さく設定されていること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項10】
請求項2記載のイオンフィルタであって、
前記入口電位を印加するメッシュ状の第一電極を備えること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項11】
請求項3記載のイオンフィルタであって、
前記出口電位を印加するメッシュ状の第二の電極を備えること
を特徴とするイオンフィルタ。
【請求項12】
イオンを生成するイオン源とイオンの質量分析を行う質量分析手段とを備える質量分析システムであって、
前記イオン源と前記質量分析手段との間に請求項1から11記載のイオンフィルタを備えること
を特徴とする質量分析システム。
【請求項13】
請求項12記載の質量分析システムであって、
前記イオン源は、放電針と対向電極とを有するコロナ放電手段を備え、
前記質量分析手段は、前記イオンフィルタを透過したイオンを導入するイオン導入手段を備え、
前記対向電極の電位は、前記イオンフィルタの入口電位より高電位に設定され、前記イオン導入手段の電位は、前記イオンフィルタの出口電位より低電位に設定されていること
を特徴とする質量分析システム。
【請求項14】
請求項13記載の質量分析システムであって、
前記コロナ放電手段は、前記放電針を複数備えること
を特徴とする質量分析システム。
【請求項15】
請求項12から14いずれか1項記載の質量分析システムであって、
前記イオン源は、生成したイオンを前記イオンフィルタに供給する試料導入手段を備え、
前記イオンフィルタの前記流路の気体の流入部近傍の形状は、前記試料導入手段の形状に略一致したものであること
を特徴とする質量分析システム。
【請求項16】
イオンを生成するイオン源とイオンを検出する検出手段とを備えるイオン移動度分光計であって、
前記イオン源と前記検出手段との間に請求項4、8および9のいずれか1項記載のイオンフィルタを備えること
を特徴とするイオン移動度分光計。
【請求項17】
請求項16記載のイオン移動度分光計であって、
前記イオンフィルタの前記入口電位と前記中間電位との第一の電位差および前記中間電位と前記出口電位との第二の電位差を制御する制御手段をさらに備え、
前記検出手段は、前記制御手段による制御に応じて、イオン移動度毎のイオン量を検出すること
を特徴とするイオン移動度分光計。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2009−259465(P2009−259465A)
【公開日】平成21年11月5日(2009.11.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−104489(P2008−104489)
【出願日】平成20年4月14日(2008.4.14)
【出願人】(000005108)株式会社日立製作所 (27,607)
【Fターム(参考)】