説明

イオン化方法

【課題】イオン付加方法として、リチウム付加は有用な方法であるが、低極性の高分子化合物をイオン化することが出来ず、これらの物質を質量分析することが望まれていた。そこで、本願発明の課題は、低極性の高分子、例えば、アルカンをイオン化し、質量分析することである。
【解決手段】本願発明は、溶媒に液体試料及び強力な付加能力を有する銀、銅、ニッケル、セシウム、金等の金属1価イオンを付加することにより、極性の化合物はもとより、低極性の高分子をも質量分析することを可能とした。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本願発明は、質量分析法の前処理である試料のイオン化に関するものである。
【背景技術】
【0002】
質量分析法は、化学、生化学、薬学、医学等における分析手法として広く用いられており、近年では、環境試料の測定、工場における品質管理、科学捜査分析等にも利用されている。質量分析法においては、測定対象試料は、質量電荷比(m/z)に応じて検出されるため、試料をイオン化する必要がある。このために、電子イオン化法(EI)、化学イオン化法(CI)、電界イオン化法(FI)、電界脱離法(FD)、高速原子衝撃法(FAB)、マトリクス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)、エレクトロスプレーイオン化法(ESI)、大気圧化学イオン化法(APCI)、大気圧光イオン化法(APPI)等の数々の数多くのイオン化法がこれまでに開発されてきた。また、より最新のイオン化法については、荒川らの進歩総説(非特許文献1参照)及びVenterらの総説(非特許文献2)に述べられている。
【0003】
イオン化に際し、大きなエネルギーを与えるEIのようなイオン化法においては、生成したイオン(通常、分子イオン)の分解が生じる。これは、構造決定の助けになることも多いが、混合試料の測定においてはピークが多くなり、帰属を困難にする。一方、MALDIやESIにおいては[M+H](測定対象試料Mにプロトンが付加し、全体で+1価のカチオンであることを表す。以下同じ)や多価イオン([M+2H]2+、[M+3H]3+)が検出されることが多い。
【0004】
このような場合には、試料分子は、分解しておらず“ソフト”なイオン化法であるとされており、大変重要な測定法である。同様に、種々のイオンを測定対象分子に付着させることによりイオン化し、測定を行う質量分析法も”ソフト”な手法であり、広く利用されるようになりつつある。
【0005】
イオンの付着を利用した質量分析法は、金属イオン等を系に添加し、試料分子に付着させることによりイオン化を行い、質量分析を行う手法である。検出されるピークは、[M+Li]及び[2M+Li]のように、一つのイオンが付着したものが多く、ESIで見られるような多価イオンが検出されることは少ない。また、それぞれのピークは、用いたイオンと測定対象分子の同位体比を反映したものとなる。
【0006】
どのように分子にイオンを付着させるか(測定系にイオンを導入するか)は、測定対象試料の状態に応じて選択するのが一般的である。例えば、ESIのように、液体の試料を用いる場合には、酢酸ナトリウム及びハロゲン化ナトリウム等の塩をごく少量添加すればよい。また、MALDI法等においては、マトリクスと共にイオン化試薬を加えたものを用いる。気相中でイオンの付着を起こす場合には、専用のイオン源が必要となることが多い。これには、イオンエミッター、フィラメント、金属のレーザーアブレーション、イオンスパッタリング、電子衝撃解離イオン化等が用いられるが、いずれの場合においても使用前にその組成や純度を確認しておくことが必要である。
【0007】
リチウムイオンは、その付着エネルギーが極めて小さく、有機化合物に対してHと同等かそれ以上の親電子的相互作用を示すため、よく用いられている。リチウムイオンの付着を利用した質量分析例として、スフィンゴ糖脂質の構造解析、ポリイソプレノイドの測定、昆虫由来の炭素数70以上の高分子量の飽和および不飽和炭化水素の測定、テトラシアノキノジメタン(TCNQ)をマトリクスとして使用した脂肪酸のMALDI法による測定、リン脂質(ビスホスファチジルグリセロールとスフィンゴミエリン、トリアシルグリセロールとスフィンゴリン脂質、グリセロリン脂質)の構造解析、脳障害等の知的障害を引き起こすジフェニルアルシン酸(DPAA)の検出等(特許文献1参照)が挙げられる。
【0008】
また、哺乳動物のカンナビノイド受容体に結合性を示す内在性リガンドである2-アラキドノイルグリセロールとアナンダミドの測定がLi、Na、Mg2+、Ca2+、Ba2+を用いて行われている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】荒川隆一他1名著、「ぶんせき」、2008、p230
【非特許文献2】A. Venter、M. Nefliu、R. G. Cooks:Trends Anal. Chem.、 27、284、(2008)
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】特開2008−145205号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
上述のように、イオン付加方法として、リチウム付加は有用な方法であるが、低極性の高分子化合物をイオン化することが出来ないため、これら低極性物質の質量分析が望まれていた。そこで、本願発明の課題は、低極性の高分子、例えば、飽和炭化水素をイオン化し、質量分析することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本願発明は、溶媒に液体試料及び強力な付加能力を有する銀、銅、ニッケル、セシウム、金等の金属1価イオンを付加することにより、極性の化合物はもとより、低極性高分子の質量分析を行う。
【0013】
試料としては、アルカン、テルペン類、アルケン、エステル又はエーテル等の非極性あるいは低極性の化合物が適している。もちろん、極性試料の分析にも適している。
【0014】
上記溶媒は、非極性の試料に対しては、ジクロロメタン、ジクロロエタン、トリクロロエチレン又はテトラクロロエチレン等の非極性の溶媒であることが好ましい。
【0015】
上記イオンの付加において、銀イオンの付加の場合は、銀付加反応用イオン対試薬として、より多くの炭化フッ素基を有する有機スルホン酸銀及びより多くのフェニル基を有する有機ホウ酸銀、特に、このフェニル基が、より多くのハロゲン基、好ましくは、フッ素で置換されている有機ホウ酸銀を使用することにより、達成することができる。
【0016】
より具体的には、上記有機スルホン酸銀として、トリフルオロメタンスルホン酸銀(以下「AgTFMS」という。)、ヘプタデカフルオロオクタンスルホン酸銀、ビス(トリフルオロメタン)スルホイミド銀塩等を使用した。
【0017】
また、上記有機ホウ酸銀としては、テトラキス[3、5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル]ホウ酸銀(以下「AgTFPB」という。)、テトラフェニルホウ酸銀、テトラキス(4−クロロフェニル)ホウ酸銀、テトラキス(4−フルオロフェニル)ホウ酸銀、テトラキス[3、5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル]ホウ酸銀等を使用した。
【0018】
以上、銀付加反応用イオン対試薬について述べたが、銅、ニッケル、セシウム金等の金属1価イオン付加についても、上記銀をそれぞれの金属に置換したイオン対試薬を用いることが出来る。
【発明の効果】
【0019】
本願発明においては、高分子化合物、特に、低極性高分子に銀、銅、ニッケル、セシウム、金等の金属1価イオンを付着させてイオン化を行うため、分子を破壊せず親分子イオンのみの高効率の測定が可能となり、微小な化学種の判別が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】スクアランの質量分析結果である。(実施例1)
【図2】図1のスクアラン近傍の拡大図である。
【図3】テトラコサンの質量分析結果である。(実施例2)
【図4】1−エイコセンの質量分析結果である。(実施例3)
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下に、本願発明を実施するための好適な形態を示す。
【実施例1】
【0022】
試料として、非極性であるスクアラン(C3062、分子量=422.81)水溶液0.5mM(ミリモル)を非極性溶媒である1、2−ジクロロエタン10mLにイオン化剤であるAgTFPB水溶液(0.1mM)とともに溶解し、試料溶液を得た。上記試料溶液をネブライザーにより噴霧し、微細化された液滴を質量分析装置に導き質量分析を行った。
【0023】
図1に、上記試料を質量分析装置により分析して得られた質量スペクトルを示す。スクアランに銀が付与された分子の信号が、イオンカウントで約4.0×10得られた。この図から明らかなように、非極性であるスクアランがバックグラウンドよりはるかに大きく、感度良く検出された。
【0024】
図2には、スクアランに銀が付与された分子の信号付近を拡大して示す。この図から、銀の同位体(質量数107(52%)および109(48%))により分離されたピークを観察することが出来る。
【実施例2】
【0025】
試料として、非極性であるテトラコサン(C2450、分子量=338.65)水溶液0.5mM(ミリモル)を非極性溶媒である1、2−ジクロロエタン10mLにイオン化剤であるAgTFPB水溶液(0.1mM)とともに溶解し、試料溶液を得た。
【0026】
図3に、上記試料溶液を質量分析装置により分析して得られた質量スペクトルを示す。テトラコサンに銀が付与された分子の信号が、イオンカウントで約1.4×10得られた。この図から明らかなように、非極性であるテトラコサンがバックグラウンドよりはるかに大きく、感度良く検出された。
【実施例3】
【0027】
試料として、非極性である1−エイコセン(C2040、分子量=280.53)水溶液0.5mM(ミリモル)を非極性溶媒である1、2−ジクロロエタン10mLにイオン化剤であるAgTFPB水溶液(0.1mM)とともに溶解し、試料溶液を得た。
【0028】
図4に、上記試料溶液を質量分析装置により分析して得られた質量スペクトルを示す。1−エイコセンに銀が付与された分子の信号[M+Ag]及び[2M+Ag]が、イオンカウントで、それぞれ、約2.5×10及び約1.0×10が得られた。この図から明らかなように、非極性である1−エイコセンがバックグラウンドよりはるかに大きく、感度良く検出された。


【特許請求の範囲】
【請求項1】
液体試料のイオン化法において、溶媒に液体試料及び銀、銅、ニッケル、セシウム又は金イオンを有するイオン化剤を付加して、該液体試料をイオン化することを特徴とする液体試料のイオン化方法。
【請求項2】
上記液体試料は、アルカン、テルペン類、アルケン、エステル又はエーテルであることを特徴とする請求項1に記載の液体試料のイオン化方法。
【請求項3】
上記イオン化剤は、AgTFPBであることを特徴とする請求項1に記載の液体試料のイオン化方法。
【請求項4】
上記イオン化剤は、AgTFMSであることを特徴とする請求項1に記載の液体試料のイオン化方法。
【請求項5】
上記溶媒は、ジクロロメタン、ジクロロエタン、トリクロロエチレン又はテトラクロロエチレンであることを特徴とする請求項1に記載の液体試料のイオン化方法。
【請求項6】
質量分析方法であって、溶媒に液体試料及び銀、銅、ニッケル、セシウム又は金イオンを有するイオン化剤を付加し、該液体試料をイオン化することにより質量分析することを特徴とする質量分析方法。
【請求項7】
質量分析装置であって、溶媒に液体試料及び銀、銅、ニッケル、セシウム又は金イオンを有するイオン化剤を混合し、該混合された液体を噴霧することにより微細液滴とし、質量分析することを特徴とする質量分析装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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