説明

イオン化質量分析方法

【課題】レーザーにより特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、ターゲットのイオン化ポテンシャルを高精度で予測し、レーザーの波長を調整する。
【解決手段】レーザーを照射し、ターゲットを選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、量子化学的計算手法を用いて、(i) ターゲットの電子基底状態の最安定構造Q0、構造Q0における零点振動エネルギーzp0、イオン化状態の最安定構造Qi、構造Qiにおける零点振動エネルギーzpiを求め、(ii) 電子基底状態の構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、イオン化状態の構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、少なくとも長距離交換相互作用に補正がなされた密度汎関数法を用いて求め、(iii ) IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0により断熱的イオン化ポテンシャルIPを算出し、このIPに基づいて、ターゲットをイオン化させるレーザーの波長を調整する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオン化質量分析方法、特に、ターゲットを選択的にイオン化して分析可能なイオン化質量分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、有機化合物の検出や同定には、質量分析(MS)法が用いられている。質量分析法は、原子、分子等を何らかの方法でイオン化し、真空中で運動させ電磁気力を用いてイオンを質量電荷比(m/z)毎に分離して、マススペクトルを記録するものである。原子、分子のイオン化法には種々の方法があるが、低分子化合物を対象として最も広く採用されているものには、高真空下で気化した試料に電子線を衝突させてイオン化させる電子線衝突イオン化法がある。
【0003】
しかしながら、従来の電子衝突等によるイオン化を用いる質量分析法では、分子選択性が低く、装置内に導入した試料分子全てがイオン化されてしまう。このため、例えば、環境試料分析において、毒性の点では注目度が低く且つ大量に存在するアルカン分子等が同時に検出されてしまうので、注目すべき毒性の強いターゲット分子の検出が困難となってしまう。したがって、従来の一般的な質量分析においては、実際に質量分析を行う前に、試料に対して、化学的な抽出処理、濃縮処理、さらにクロマトグラフィ等による分離処理等の種々の前処理が必須となっており、分析には長大な時間と労力が必要となっていた。
【0004】
このような背景において、近年、有機分子を選択的に検出できる方法として、種々のレーザーイオン化質量分析法が注目されている。
【0005】
一光子イオン化質量分析法は、ターゲットのイオン化ポテンシャルよりも僅かに大きい光子エネルギーとなる波長のレーザー光を、装置内に導入した試料分子に照射してイオン化し、質量分析する分析法である。有害物質として検出する必要が多い二重結合や芳香環を有する分子と比較して、アルカン類は一般的に高いイオン化ポテンシャルを有するため、上記方法により、有害物質のみを選択的に検出することが可能である。また、この方法によれば、濃縮・分離等の前処理を必要とせず、有機分子をそのままの化学構造の状態で、高感度かつ高選択性をもって検出できる。
【0006】
JET-REMPI質量分析法は、共鳴多光子イオン化(REMPI)法と超音速分子ジェット(JET)法を組み合わせた質量分析手法である。JET-REMPI法は、有機分子の分子骨格の違いによる励起準位の違いを利用して、注目する特定分子の励起準位にレーザの波長を同調させることで、特定分子種のみを選択的に励起、イオン化し、質量分析する分析法である。この方法によれば、試料分子は絶対零度付近まで冷却されるため、その励起準位のスペクトル線幅は約0.01nm程度まで鋭くなり、このエネルギー幅の波長可変レーザーを用いれば、質量が同じ異性体であっても、選別することが可能である。また、この方法によれば、濃縮・分離等の前処理を必要とせず、有機分子をそのままの化学構造の状態で、高感度かつ高選択性をもって検出できる。
【0007】
このようなJET-REMPI法を利用して有害有機化合物のオンライン・リアルタイム分析を行う試みが近年検討され、例えば、JET-REMPI法により約10pptのジクロロダイオキシンを検出する方法が報告されている(例えば、非特許文献1、参照)。また、JET-REMPI法を用いて焼却炉から発生する高温ガス中に含有するダイオキシン及びその誘導体(これらをダイオキシン類ということがある)を測定する方法も提案されている(例えば、特許文献1、2、参照)。
【0008】
以上のように、高い物質選択性が、一光子イオン化質量分析法や共鳴多光子イオン化質量分析法の最大の利点であるが、これらの分析法を効率的に使用するためには、ターゲットのイオン化ポテンシャルを予め正確に知る必要がある。一光子イオン化質量分析法の場合は、ターゲットのイオン化ポテンシャルを基に、ターゲットをイオン化させるレーザー波長を調整するからである。また、共鳴多光子イオン化質量分析法においては、ターゲットを共鳴励起状態からイオン化させるためのレーザー波長を調整する際に、ターゲットのイオン化ポテンシャルが必要となる。
【0009】
しかし、一般に知られている分子のイオン化ポテンシャルは、レーザーよりも低分解能な光電子スペクトルのイオン化信号極大値を元に測定してデータベース化されているため、測定した装置の分解能の関係では不正確である可能性がある。また、化合物によっては、そのようなデータすら存在しないこともある。
【0010】
一方、量子化学計算を用いて、有機分子のイオン化ポテンシャルを予測する方法が従来から知られており、特に、コストパフォーマンスに優れる密度汎関数法によるイオン化ポテンシャルの予測は、多くの機能性有機材料の開発等で、日常的に活用されている。しかしながら、従来の量子化学的計算方法によるイオン化ポテンシャルの計算誤差は、例えば、一連の縮合多環芳香族化合物について0.3eV程度である。それに対し、上記イオン化質量分析法においてレーザー波長を調整する用途では、少なくとも0.1eVの精度が要求されるため、現状の計算技術では精度不足である。
【0011】
以上より、一光子イオン化質量分析法やJET-REMPI質量分析法等の特定分子をレーザーにより選択的にイオン化する質量分析において、ターゲットのイオン化ポテンシャルを高精度で予測できる方法の開発が望まれている。
【0012】
【非特許文献1】H. Oser, R. Thanner, H. H. Grotheer, B. K. Gillett, N. B. French, and D. Natscke, Proc. 16th Int. Conf. on Incineration and Thermal Treatment Technologies(1997)
【特許文献1】特開平11-218520号公報
【特許文献2】特開2001-124739号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明は、上記従来技術の現状に鑑みて、一光子イオン化質量分析法やJET-REMPI質量分析法等のレーザーにより特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、ターゲットのイオン化ポテンシャルを量子化学的計算手法を用いて高精度で予測し、レーザーの波長を効率的に調整可能な質量分析方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明は、上記課題を解決するものであり、その要旨とするところは、以下の通りである。
(1) レーザーを照射し、特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、量子化学的計算手法を用いて、
(i) 前記特定分子の電子基底状態の最安定構造Q0、イオン化状態の最安定構造Qi、該電子基底状態の最安定構造Q0における零点振動エネルギーzp0、および、該イオン化状態の最安定構造Qiにおける零点振動エネルギーzpiをそれぞれ求め、
(ii) 該電子基底状態の前記構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、及び、該イオン化状態の前記構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、長距離交換相互作用に補正がなされた密度汎関数法を用いてそれぞれ求め、
(iii ) 前記zp0、zpi、E0(Q0)、Ei(Qi)のそれぞれの計算値から、下記(I)式で示される断熱的イオン化ポテンシャルIPを算出し、該IPに基づいて、前記特定分子をイオン化させるレーザーの波長を調整することを特徴とするイオン化質量分析方法。
IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0 ・・・ (I)
(2) (1)に記載の質量分析方法が、レーザーを照射し、特定分子を一光子イオン化過程で選択的にイオン化し、質量分析するイオン化質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。
(3) (1)に記載の質量分析方法が、レーザーを照射し、特定分子を共鳴多光子過程で選択的に励起、イオン化し、質量分析する質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。
(4) 上記(3)に記載の質量分析方法が、被測定ガスの超音速分子ジェット流域に対してレーザーを照射し、被測定ガス中の特定分子を共鳴多光子イオン化過程で選択的に励起、イオン化し、質量分析するJET-REMPI質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、被測定試料にレーザーを照射し、一光子イオン化や共鳴多光子イオン化等の過程で特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、ターゲットのイオン化ポテンシャルを量子化学的計算手法を用いて高精度で予測し、その予測値を基にレーザーの波長を効率的に調整可能な質量分析方法を提供することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
本発明の最良の実施の形態として、以下に被測定試料にレーザーを照射し、一光子イオン化過程又は一光子共鳴二光子イオン化過程で特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法における特定分子のイオン化ポテンシャルの計算及びこれを用いたレーザーの波長の調整について説明する。なお、本発明は、それらのイオン化過程を利用する質量分析方法のみに限定されるものではなく、一般にレーザーを照射し、特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法に適用した場合でも、本願の目的は十分に達成でき、同様な効果が得られるものである。
【0017】
まず、図1を用いて、本発明の量子化学的計算法の特徴とする断熱的イオン化ポテンシャルIPの算出方法について説明する。
【0018】
図1は、特定分子の電子基底状態S0とイオン化状態Diにおける原子核が電子から受けるポテンシャルエネルギー(即ち、電子の全エネルギーに原子核間のクーロン反発エネルギーを加えたもの)をそれぞれ示す。図中、E0(Q)及びEi(Q)は、それぞれ分子構造Qの関数で示される電子基底状態S0及びイオン化状態Diのポテンシャルエネルギーである。また、Q0及びQiは、それぞれ電子基底状態S0及びイオン化状態Diにおける最安定構造を示し、それぞれ電子状態のポテンシャルエネルギーが極小点となる分子構造を意味する。本発明で求める断熱的イオン化ポテンシャルIPは、(I)式で定義される。
IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0 ・・・ (I)
(I)式に従い、特定分子の断熱的イオン化ポテンシャルは、以下の手順で計算できる。
(i) 構造最適化計算により、特定分子の電子基底状態S0及びイオン化状態Diのそれぞれのポテンシャルエネルギーが極小となる分子構造を求め、電子基底状態S0における最安定構造Q0、及び、イオン化状態Diにおける最安定構造Qiとすると共に、基準振動解析により、上記電子基底状態S0における零点振動エネルギーzp0、及び、イオン化状態Diにおける零点振動エネルギーzpiをそれぞれ算出する。
(ii) 前記電子基底状態S0の最安定構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、及び、前記イオン化状態Diの最安定構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、長距離交換相互作用に補正がなされた密度汎関数法を用いてそれぞれ算出する。
(iii ) 前記zp0、zpi、E0(Q0)、Ei(Qi)のそれぞれの計算値から、上記(I)式で示される断熱的イオン化ポテンシャルIPを求める。
【0019】
従来の方法では、以上の一連の計算は1種類の量子化学的計算法を用いて行われ、主にB3LYP等のハイブリッド型密度汎関数法が使用される。しかし、有害物質として検出する必要が多い縮合多環芳香族化合物を例に挙げると、表1に示すとおり、実験値に対するB3LYP法の計算誤差は約0.3eVと非常に大きいため、B3LYP法による計算値をレーザー波長の調整に用いることは困難である。
【0020】
断熱的イオン化ポテンシャルの計算精度に最も強く影響するのは、上記(ii)におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、Ei(Qi)の計算である。このため、本発明では、上記(i)と(ii)の計算方法を同一の方法には限定せず、(i)、(ii)それぞれに適応した計算方法を使用することにより、断熱的イオン化ポテンシャルを高精度で算出することを特徴とする。
【0021】
(ii)に適応した計算方法としては、ab initio分子軌道法の範疇では、MP4等の高次Moeller-Plesset摂動法やCCSD(T)等のCoupled-Cluster法が好ましい。但し、これらの計算方法は、原子数の約7乗に比例して計算負荷が増大するため、現実的に適用できるのはベンゼン程度の大きさの分子に限られてしまう。一方、長距離交換相互作用に補正を加えた密度汎関数法(LC-DFT法)が近年開発されており(例えば、H. Iikura, T. Tsuneda, T. Yanai, K. Hirao, J. Chem. Phys. Vol.115, p.3540 (2001)参照)、本発明者らはその一つであるLC-BOP法を上記(ii)の計算に用いて、表1に示すとおり、断熱的イオン化エネルギーの計算精度が大きく改善されることを確認した。また、LC-DFT法の計算負荷は、原子数の3乗に比例する程度なので、上記MP4やCCSD(T)法を適用できない大規模化合物にも適用可能である。また、同じ化合物の計算をした場合は、はるかに短時間で計算結果を得ることが可能である。したがって、本発明で用いる上記(ii)に適応した計算方法としては、LC-BOP法等のLC-DFT法やその類似手法であるCAM-B3LYP法(例えば、T. Yanai, D. P. Tew, N. C. Handy, Chem. Phys. Lett. Vol.393, p.51 (2004)参照)が最も好ましい。
【0022】
【表1】

【0023】
上記(i)の計算には、従来どおり上記B3LYP等のハイブリッド型密度汎関数法を用いることも可能であるが、LC-DFT法やCAM-B3LYP法による分子構造の最適化及び基準振動解析を備えた計算プログラムがあれば、それらの方法を上記(i)の計算にも使用することが一層好ましい。
【0024】
また、以上の計算に使用する基底関数としては、基底状態とイオン化状態をバランス良く計算するために、6-311++G**やaug-cc-pVDZクラス以上のdiffuseな関数を含むものが好ましい。
【0025】
以上の本発明における各種量子化学的計算に用いることができる具体的計算プログラムとしては、例えば、Gaussian03、GAMESS等が挙げられる。
【0026】
さて、被測定試料にレーザーを照射し、一光子イオン化過程で特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、該レーザーの波長λは以下のとおり設定される。本発明の量子化学的計算法で予測された該特定分子の断熱的イオン化ポテンシャルをIPとすると、波長λは以下の(II)式を満たすように設定される。
IP < hc/λ ・・・ (II)
但し、hはプランク定数、cは光速である。
【0027】
この条件を満たすとき、目的とする特定分子のみをイオン化することが可能となる。但し、光子エネルギー(hc/λ)がターゲットの断熱的イオン化ポテンシャルよりも大き過ぎる場合には、その断熱的イオン化ポテンシャルでイオン化してしまう他の分子の影響を受けるため、光子エネルギー(hc/λ)はターゲットの断熱的イオン化ポテンシャルよりも僅かだけ大きく設定することが好ましい。例えば、有害物質として検出する必要が多い二重結合や芳香環を有する分子を選択的にイオン化する場合、これらに比べてアルカン類の方がイオン化ポテンシャルが高いため、二重結合や芳香環を有する分子がイオン化するのに必要なエネルギーを僅かに超える光子エネルギーを与えてやれば、これらターゲットとなる分子のみがイオン化され、アルカン分子はイオン化されない。これにより、化学的な前処理を行うことなく、有害物質のみを選択的にイオン化することが可能となる。
【0028】
一方、被測定試料にレーザーを照射し、一光子共鳴二光子イオン化過程で特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、該特定分子を共鳴励起状態からイオン化させるためのレーザー波長λは以下のとおり設定される。本発明の量子化学的計算法で予測された該特定分子の断熱的イオン化ポテンシャルをIPとすると、波長λは以下の(III )式を満たすように設定される。
IP - hc/λe < hc/λ ・・・ (III )
但し、λeは上記特定分子を共鳴励起させるために照射するレーザーの波長であり、光子エネルギーhc/λeが被測定試料中の上記特定分子のみに共鳴するよう設定されてあるとする。
【0029】
λがこの条件を満たすとき、目的とする特定分子のみをイオン化することが可能となる。但し、イオン化後に生成したイオンの過剰エネルギーが大きいと、イオンが分解してしまい、マススペクトルの解析において雑音となり得るフラグメントを生じることがあるため、それを抑制するために、光子エネルギー(hc/λ)は、IP - hc/λeよりも僅かだけ大きく設定することが好ましい。
【0030】
ここでは一光子共鳴二光子イオン化過程を例に挙げて説明したが、本発明における断熱的イオン化ポテンシャルIPの予測は、一般に”n光子共鳴n+m光子イオン化”(n,m≧1)と表現される共鳴多光子イオン化過程を利用するイオン化質量分析方法において、特定分子を共鳴励起状態からイオン化させるために用いるm個の光子エネルギーの調整に適用できる。即ち、n個の光子エネルギーの総和である共鳴励起エネルギーをEとしたとき、m個の光子エネルギーの総和がIP-Eよりも僅かだけ大きくなるようにm個の光子エネルギーを調整すればよい。
【0031】
また、本発明における共鳴多光子イオン化質量分析法は、JET法との併用であるJET-REMPI法に限定されるものではなく、被測定試料を、いわゆる漏れビーム状に噴射し、それにレーザーを照射する方法や、固体表面に付着した被測定試料をイオンビーム又はレーザービームにより脱離し、それにレーザーを照射する方法も含まれる。
【実施例】
【0032】
以下に、本発明の実施例について説明する。
【0033】
(実施例1)
p-ジクロロベンゼンについて、電子基底状態S0の最安定構造Q0及び零点振動エネルギーzp0、第一イオン化状態Diの最安定構造Qi及び零点振動エネルギーzpiをB3LYP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。次に、電子基底状態の最安定構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)と、第一イオン化状態の最安定構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、長距離交換相互作用が補正された密度汎関数法であるLC-BOP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。以上の計算値を基に、該化合物の断熱的イオン化ポテンシャルIPを、IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0により算出し、IP = 9.00eVと言う値を得た。この値より0.1eV大きい光子エネルギーを与える波長136nmにレーザー光の波長を調整して、p-ジクロロベンゼンをイオン化し、質量分析方法で測定した結果、図2に示すとおり、p-ジクロロベンゼンの質量ピークが検出された。
【0034】
(比較例1)
p-ジクロロベンゼンについて、電子基底状態S0の最安定構造Q0及び零点振動エネルギーzp0、第一イオン化状態Diの最安定構造Qi及び零点振動エネルギーzpi、電子基底状態の最安定構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、第一イオン化状態の最安定構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、B3LYP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。以上の計算値を基に、該化合物の断熱的イオン化ポテンシャルIPを、IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0により算出し、IP = 8.73eVと言う値を得た。この値より0.1eV大きい光子エネルギーを与える波長140nmにレーザー光の波長を調整して、p-ジクロロベンゼンをイオン化し、質量分析方法で測定した結果、図2に示すとおり、p-ジクロロベンゼンの質量ピークは検出されなかった。
【0035】
(実施例2)
o-ジクロロベンゼンについて、電子基底状態S0の最安定構造Q0及び零点振動エネルギーzp0、第一イオン化状態Diの最安定構造Qi及び零点振動エネルギーzpiをB3LYP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。次に、電子基底状態の最安定構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)と、第一イオン化状態の最安定構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、長距離交換相互作用が補正された密度汎関数法であるLC-BOP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。以上の計算値を基に、該化合物の断熱的イオン化ポテンシャルIPを、IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0により算出し、IP = 9.1325eVと言う値を得た。
【0036】
o-ジクロロベンゼンの電子基底状態S0から第一電子励起状態S1への共鳴励起波長λeは275.94nm(光子エネルギーhc/λeは4.4932eV)であるため、o-ジクロロベンゼンをS1状態からイオン化させるためにはIP−hc/λe=4.6393eVより大きな光子エネルギーが必要と予測された。そこで、o-ジクロロベンゼンをS1状態からイオン化させるためのレーザー波長を、4.6393eVより0.1eV大きな光子エネルギーを与える261.61nmに調整した。JET-REMPI分析装置を用いて、o-ジクロロベンゼンに波長λe及びλのレーザー光を照射し、質量分析方法で測定した結果、図3に示すとおり、o-ジクロロベンゼンの質量ピークが検出された。
【0037】
(比較例2)
o-ジクロロベンゼンについて、電子基底状態S0の最安定構造Q0及び零点振動エネルギーzp0、第一イオン化状態Diの最安定構造Qi及び零点振動エネルギーzpi、電子基底状態の最安定構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、第一イオン化状態の最安定構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、B3LYP法と6-311++G**基底関数を用いて計算した。以上の計算値を基に、該化合物の断熱的イオン化ポテンシャルIPを、IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0により算出し、IP = 8.8615eVと言う値を得た。
【0038】
o-ジクロロベンゼンの電子基底状態S0から第一電子励起状態S1への共鳴励起波長λeは275.94nm(光子エネルギーhc/λeは4.4932eV)であるため、o-ジクロロベンゼンをS1状態からイオン化させるためにはIP−hc/λe=4.3683eVより大きな光子エネルギーが必要と予測された。さらに、共鳴励起の光子エネルギーhc/λeは、この光子エネルギーより0.1eV以上大きいことから、共鳴励起に用いる波長λeのレーザー光は、S1状態からのイオン化にも適用可能と予測された。そこで、波長λeのレーザー光のみでJET-REMPI分析装置によりo-ジクロロベンゼンを測定した結果、図3に示すとおり、o-ジクロロベンゼンの質量ピークは検出されなかった。
【図面の簡単な説明】
【0039】
【図1】断熱的イオン化ポテンシャルIPの算出方法を説明する模式図。
【図2】p-ジクロロベンゼンの飛行時間質量スペクトル。
【図3】o-ジクロロベンゼンの飛行時間質量スペクトル。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
レーザーを照射し、特定分子を選択的にイオン化し、質量分析する質量分析方法において、量子化学的計算手法を用いて、
(i) 前記特定分子の電子基底状態の最安定構造Q0、イオン化状態の最安定構造Qi、該電子基底状態の最安定構造Q0における零点振動エネルギーzp0、及び、該イオン化状態の最安定構造Qiにおける零点振動エネルギーzpiをそれぞれ求め、
(ii) 該電子基底状態の前記構造Q0におけるポテンシャルエネルギーE0(Q0)、及び、該イオン化状態の前記構造QiにおけるポテンシャルエネルギーEi(Qi)を、少なくとも長距離交換相互作用に補正がなされた密度汎関数法を用いてそれぞれ求め、
(iii ) 前記zp0、zpi、E0(Q0)、Ei(Qi)のそれぞれの計算値から、下記(I)式で示される断熱的イオン化ポテンシャルIPを算出し、該IPに基づいて、前記特定分子をイオン化させるレーザーの波長を調整することを特徴とするイオン化質量分析方法。
IP = Ei(Qi) - E0(Q0) + zpi - zp0 ・・・ (I)
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析方法が、レーザーを照射し、特定分子を一光子イオン化過程で選択的にイオン化し、質量分析するイオン化質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。
【請求項3】
請求項1に記載の質量分析方法が、レーザーを照射し、特定分子を共鳴多光子イオン化過程で選択的に励起、イオン化し、質量分析する質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。
【請求項4】
請求項3に記載の質量分析方法が、被測定ガスの超音速分子ジェット流域に対してレーザーを照射し、被測定ガス中の特定分子を共鳴多光子イオン化過程で選択的に励起、イオン化し、質量分析するJET-REMPI質量分析方法であることを特徴とするイオン化質量分析方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2009−103618(P2009−103618A)
【公開日】平成21年5月14日(2009.5.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−276761(P2007−276761)
【出願日】平成19年10月24日(2007.10.24)
【出願人】(000006655)新日本製鐵株式会社 (6,474)
【Fターム(参考)】