説明

ガラス成形用金型及びその製造方法

【課題】 表面被覆層にクラックが発生しにくいガラス成形用金型の製造方法を提供する。
【解決手段】 マルテンサイト組織の鋼または低炭素マルテンサイト中にε−炭化物が分散された鋼からなる基材の表面に、非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層を形成する。次いで、これに加熱処理を施すことによって、前記基材をトルースタイト組織またはソルバイト組織に変えるとともに、前記表面被覆層をNiとNiPの共晶組織に変える。好ましくは、前記基材は、炭素を0.3wt%以上、2.7wt%以下、クロムを13wt%以下含み、前記加熱処理は、270℃以上で行われる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、精密な加工を必要とするガラス成形用の金型及びその製造方法に係る。
【背景技術】
【0002】
プラスチック成形の分野では、成形金型の精密加工技術が確立されており、回折格子など、微細形状を有する光学素子の量産が実現している。この場合、金型の製作は、ステンレス鋼からなる基材の表面に無電解Ni−Pめっきを施し、次いで、このめっき層をダイヤモンドバイトで精密加工することにより行われている。
【0003】
しかし、これと同様の金型をガラス成形に適用すると、無電解Ni−Pめっき層にクラックが発生する問題が生ずる。この現象は、成形温度に起因している。即ち、Ni−Pめっき層は、めっき状態ではアモルファス(非晶質)構造をとっているが、約270℃以上に加熱すると結晶化が始まり、そのとき、めっき層に体積収縮が起こり、引張応力が作用してめっき層にクラックが発生する。
【0004】
この問題の対策として、特開平11−157852号公報では、熱膨張係数が10×10−6〜16×10−6(K−1)の基材を選定し、めっき後、400〜500℃で熱処理を行っている。しかし、基材の熱膨張係数をNi−Pめっき層に合わせても、熱処理の際、結晶化に伴う体積収縮がめっき層だけに生ずるので、めっき層に大きな引張応力が作用して、クラックが発生する場合があった。
【特許文献1】特開平11−157852号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、以上のような従来のガラス成形用金型の表面被覆層の問題点に鑑み成されたもので、本発明の目的は、ガラスの成形温度で、表面被覆層にクラックが発生しにくい金型の製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明のガラス成形用金型の製造方法は、鋼製の素材に焼入れ焼戻しを施して、マルテンサイト中にε−炭化物が分散された組織からなる基材を製作し、
この基材の表面に、非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層を形成し、
次いで、これに加熱処理を施すことによって、前記基材をトルースタイト組織またはソルバイト組織に変えるとともに、前記表面被覆層をNiとNiPの共晶組織に変えること、を特徴とする。
【0007】
本発明の製造方法によれば、基材の表面に表面被覆層を形成した後、これに加熱処理を施して表面被覆層を結晶化する過程において、基材の収縮と表面被覆層の収縮が、ほぼ同じタイミングで起こるので、表面被覆層に大きな引張応力が作用することがない。このため、表面被覆層にクラックが発生しにくい。
【0008】
好ましくは、前記基材中に含まれる炭素を0.3wt%以上、2.7wt%以下、クロムを13wt%以下とする。
【0009】
前記基材の焼戻し温度は、例えば、350℃以下である。
【0010】
好ましくは、前記非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層は、NiとPまたはNiとPとBを含む無電解めっきにより形成され、前記加熱処理は、前記基材の焼戻し温度より高い温度、且つ、当該金型の使用温度より高い温度で行われる。
【0011】
その場合、好ましくは、前記加熱処理の温度は270℃以上である。
【0012】
なお、上記方法において、鋼製の素材に焼入れのみを行い、焼戻し省略することもできる。その場合、前記基材はマルテンサイト組織となる。
【0013】
本発明の製造方法によれば、前記表面被覆層の残留応力を、+150MPaから−760MPaまでの範囲内(但し、+は引張り応力、−は圧縮応力を表す)に収めることができる。
【発明の効果】
【0014】
本発明のガラス成形用金型の製造方法によれば、金型の表面被覆層にクラックが発生しにくいので、金型の形状を高い精度で維持するとともに、その寿命を増大させることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
図1に、本発明に基づくガラス成形用金型の製造工程の概要を示す。
【0016】
炭素鋼または低合金鋼製の基材に粗加工を行った後、焼入れ・焼戻しを行う。次いで、めっき前加工を行った後、無電解めっきによりNi−P合金からなる表面被覆層を形成する。次いで、基材及び表面被覆層に加熱処理を行い、表面被覆層を結晶化するとともに、基材を焼き戻し組織に変える。次いで、基材に仕上げ加工及び表面被覆層の仕上げ加工を行った後、表面被覆層に、離型膜をコーティングする。
【0017】
なお、上記工程の変形形態として、基材及び表面被覆層の加熱処理を、表面被覆層の仕上げ加工の後に行うことも可能である。
【0018】
本発明の製造方法では、表面被覆層を結晶化するための加熱処理の過程において、金型の基材の寸法変化を、表面被覆層の寸法変化に近付けることによって、表面被覆層に作用する引張り応力を小さく抑えている。無電解めっきにより金型の表面に形成される非晶質のNi−P合金層は、金型をガラスの成形温度まで加熱する際に、NiとNiPの共晶組織に変わり、その際に体積が収縮する。このような収縮は、約270℃から始まる。一方、マルテンサイト組織の炭素鋼も、焼き戻しの過程において、組織の変化に伴い体積が収縮する。表1に、マルテンサイト組織の炭素鋼の焼き戻しの過程における、組織変化及び寸法変化の状況を示す。表1の中に示されているように、炭素鋼を約270℃から約430℃まで加熱する間に、低炭素マルテンサイトからセメンタイトが析出して、母材の組織がフェライトに代わり、それに伴い体積が収縮する。
【表1】

【0019】
本発明の製造方法では、このように、炭素鋼の焼戻しの過程における体積収縮を利用しているので、めっき前の金型の基材の焼戻し温度を、めっき後の金型の加熱処理の温度よりもかなり低めに設定する必要がある。ここで、めっき後の加熱処理の温度は、非晶質のNi−P合金層の共晶組織への変化が始まる270℃以上とする必要がある。更に、加熱処理の温度は、金型の使用温度(即ち、ガラスの成形温度)以上にする必要がある。金型の使用温度よりも低い温度にすると、使用中に寸法変化が起こり、成形品の寸法精度が低下するからである。加熱処理温度の上限は、使用温度+30℃程度が望ましい。必要以上に加熱処理温度を高くすると、基材の軟化などの悪影響が出るからである。
【0020】
一方、めっき前の金型の基材の焼戻し温度は350℃以下とする必要がある。これにより、めっき後の加熱処理の際に、金型の基材に第3過程(表1)の組織変化が起こり、Ni−P合金層とほぼ同じタイミングで体積収縮が起こるようになる。これに対して、基材の焼戻し温度が350℃より高い場合には、めっき後の加熱処理の際に、270℃〜430℃の間(表1中の第3段階)での基材の体積収縮が十分ではなく、Ni−P合金層にクラックが生ずるおそれがある。
【0021】
なお、めっき前の金型に、焼入れのみを施して、焼戻しを省くこともできる。
【0022】
基材の組成としては、C含有量は、0.3wt%以上、2.7wt%以下とすることが望ましい。C含有量が0.3wt%より低くなると、焼戻しの第3過程(表1)における基材の体積収縮量が小さくなり過ぎてしまう。一方、C含有量が3wt%を超えると、基材の体積収縮量は十分ではあるが、靭性低下などの弊害が出てくる。
【0023】
また、Cr含有量は、13wt%以下とすることが望ましい。Cr含有量が13wt%を超えると、焼戻し第2過程の残留オーステナイトの分解が500℃以上で起こるようになり、Ni−Pめっき層の体積収縮履歴と合わなくなる。なお、Cr含有量の下限値については、特に制約はない。
【0024】
加熱処理前の基材の組織は、マルテンサイト組織(または、低炭素マルテンサイト+ε−炭化物)である必要がある。このマルテンサイトがフェライトとセメンタイトに分解するときに、大きな体積収縮が起こる。加熱処理後の基材の組織は、トルースタイト組織(フェライトとセメンタイトが極めて微細に混合した組織)やソルバイト組織(セメンタイトが粒状析出成長したフェライトとセメンタイトの混合組織)となる。Ni−PまたはNi−P−Bめっき層の組織は、めっき状態では非晶質もしくは部分的に非晶質であり、約270℃以上の加熱で、完全に結晶化したNiとNiPの混合組織に変態する。表2に、以上の金属組織学的な特徴がまとめられている。
【表2】

【0025】
種々の組成の基材に、無電解Ni−Pめっきを100μm被覆した金型を製作して、加熱熱処理中及び成形中に発生したクラックの数を調べた。表3に、基材の組成、焼戻し温度及び加熱処理温度と、クラック発生率との関係を示す。ガラスの成形温度は、全て430℃とした。なお、この表の中で、供試体13〜15は、比較のために用いたプラスチック成形用の金型である。表3から分かるように、本発明の製造方法に基づいて製作された金型では、クラックの発生が認められなかった。
【表3】

【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】本発明に基づくガラス成形用金型の製造工程の概要を示す図。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼製の素材に焼入れ焼戻しを施して、マルテンサイト中にε−炭化物が分散された組織からなる基材を製作し、
この基材の表面に、非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層を形成し、
次いで、これに加熱処理を施すことによって、前記基材をトルースタイト組織またはソルバイト組織に変えるとともに、前記表面被覆層をNiとNiPの共晶組織に変えること、を特徴とするガラス成形用金型の製造方法。
【請求項2】
前記基材中に含まれる炭素が0.3wt%以上、2.7wt%以下であり、クロムが13wt%以下であることを特徴とする請求項1に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項3】
前記基材の焼戻し温度が350℃以下であることを特徴とする請求項2に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項4】
前記非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層は、NiとPまたはNiとPとBを含む無電解めっきにより形成され、
前記加熱処理は、前記基材の焼戻し温度より高い温度、且つ、当該金型の使用温度より高い温度で行われること、
を特徴とする請求項2に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項5】
前記加熱処理は、270℃以上で行われることを特徴とする請求項4に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項6】
鋼製の素材に焼入れを施してマルテンサイト組織からなる基材を製作し、
この基材の表面に、非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層を形成し、
次いで、これに加熱処理を施すことによって、前記基材をトルースタイト組織またはソルバイト組織に変えるとともに、前記表面被覆層をNiとNiPの共晶組織に変えること、を特徴とするガラス成形用金型の製造方法。
【請求項7】
前記基材中に含まれる炭素が0.3wt%以上、2.7wt%以下であり、クロムが13wt%以下であることを特徴とする請求項6に記載のガラス成形用金型の製造方法。はが
【請求項8】
前記非晶質のNi−P合金からなる表面被覆層は、NiとPまたはNiとPとBを含む無電解めっきにより形成され、
前記加熱処理は、前記基材の焼戻し温度より高い温度、且つ、当該金型の使用温度より高い温度で行われること、
を特徴とする請求項7に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項9】
前記加熱処理は、270℃以上で行われることを特徴とする請求項8に記載のガラス成形用金型の製造方法。
【請求項10】
トルースタイト組織またはソルバイト組織を有する鋼からなる基材の表面に、NiとNiPの共晶組織からなる表面被覆層が被覆されたガラス成形用金型。
【請求項11】
前記基材中に含まれる炭素が0.3wt%以上、2.7wt%以下であり、クロムが13wt%以下であることを特徴とする請求項10に記載のガラス成形用金型。
【請求項12】
前記表面被覆層は、クラックなどがなく、残留応力が、+150MPaから−760MPaまでの範囲内(但し、+は引張り応力、−は圧縮応力を表す)にあることを特徴とする請求項11に記載のガラス成形用金型。

【図1】
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