説明

クラスタイオン衝撃によるイオン化方法および装置

タンパク質分子のような生体分子を損傷することなくイオン化する。帯電液滴生成室31内において,コールドエレクトロスプレー32によりミクロンオーダの水/メタノール混合巨大クラスター(酢酸またはアンモニアなどを添加)イオン(ドライアイス−アセトン温度付近)等を生成し,これを真空加速室41内において10KV程度の高電圧電場により加速して,冷却された試料基坂上に塗布した生体試料薄膜を衝撃し,生体高分子のイオン化を達成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
この発明は,クラスタイオン衝撃によるイオン化方法および装置に関し,特にタンパク質分子やDNA分子などの生体高分子の質量分析のために好適なイオン化方法および装置に関する。
【背景技術】
質量分析のためには,質量分析装置にイオン化された気体を供給しなければならない。イオン化された分子または原子はきわめて短時間のうちに反対極性のイオンまたは電子と再結合するから,これを抑制することも必要である。
マトリクスに混ぜた生体試料を質量分析のためにイオン化する方法の一つにイオン衝撃法がある。一次イオンとして,ArやXeを使用する二次イオン質量分析法では,マトリクス分子が激しく損傷を受けるので,生体高分子の分析には適せず,またケミカルノイズが現われ,S/N比が悪い。
この欠点を取り除く新しいイオン化方法として,マッシブクラスタ衝撃法(Massive Cluster Impact法)(以下,MCI法という)が開発された。(J.F.Mahoney,D.S.Cornett and T.D.Lee“Formation of Multiply Charged Ions from Large Molecules Using Massive−cluster Impact”RAPID COMMUNICATIONS IN MASS SPECTROMETRY,VOL.8,403−406(1994)を参照。)この方法は,グリセリンの静電場噴霧であり,+100価から+1000価に帯電した10から10uの質量をもつイオンクラスタによりマトリクス試料を衝撃するものである。この方法によると,生体高分子が分解されることなく,しかもケミカルノイズの少ないマススペクトルが得られる。
しかしながら,上記の方法は,グリセリンを用いているので,イオン源が汚染されて帯電し,イオンクラスタビーム強度が不安定になるという問題があり,実用化に到らなかった。
【発明の開示】
この発明は,上記のMCI法の欠点を解消し,しかも数万を超えるタンパク質分子の脱離も可能であるとともに,正,負イオン分子同士の再結合を抑制し,高感度の質量分析が可能となるイオン化方法および装置を提供することを目的とする。
この発明によるイオン化方法は,揮発性の液体の帯電液滴を,その気化を抑制するように冷却した状態で生成し,生成した帯電液滴を真空室内に導き,真空室内に電場を形成し,電場によって帯電液滴を加速して,試料に衝突させ,これによって試料を脱離,イオン化するものである。イオン化された分子は質量分析装置に導かれる。
この発明によるイオン化装置は,質量分析装置のイオン導入口の外側に設けられ,上記イオン導入口を通して質量分析装置の内部と連通し,内部に加速電極と試料台が配置された真空加速室を有する加速装置,および上記真空加速室の液滴導入口を通して上記真空加速室と連通する帯電液滴生成室を備え,この液滴生成室内において,揮発性の液体の帯電液滴を,その気化を抑制するように冷却した状態で生成する帯電液滴生成装置を備え,上記帯電液滴生成装置によって生成された帯電液滴が上記帯電液滴生成室から上記液滴導入口を通して上記真空加速室に導かれ,高電圧が印加された上記加速電極によって加速されて上記試料台上の試料に衝突し,これによって脱離,イオン化された試料のイオンが上記イオン導入口を通して質量分析装置に導入されるようになされているものである。
このイオン化装置を用いて,この発明によるイオン化方法を実現することができる。
揮発性の液体(溶媒)としては,水/メタノール混合液(酢酸またはアンモニアなどを添加),水などがある。生成する帯電液滴からの溶媒分子の気化(蒸発,揮発)または乾燥を抑制するために,帯電液滴の生成において(真空室または真空加速室への導入まで),揮発性の液体または生成する帯電液滴を,好ましくは帯電液滴が固化する直前の温度まで,冷却する。生成された帯電液滴は冷却された状態で真空室(または真空加速室)まで導かれる。
帯電液滴の生成には,好ましくはエレクトロスプレー法を用いる。温度制御された冷たい窒素(N)ガスを併用すると,冷却と帯電液滴の生成(噴霧)と真空室(真空加速室)への移送とを効率的に行うことができる。帯電液滴の生成は大気圧下(減圧された状態を含む)で行うことができる。
この発明によると,上記のMCI法のようにグリセリンを用いず,揮発性液体を用いているので,イオン源が汚染されるという問題が生じない。
この発明によると(特に上記エレクトロスプレー法によると),ミクロンオーダの帯電液滴を生成することが可能である。帯電液滴は冷却された状態で帯電液滴生成室から真空室(真空加速室)内に導かれるので,帯電液滴の気化(乾燥)が極めて小さく抑えられミクロンオーダの液滴サイズを保ったまま,真空室(真空加速室)内にサンプリングされる。
このような巨大なクラスタイオンが真空室(真空加速室)内で電場により加速され,これによって運動エネルギーが付与され,試料(たとえば生体試料薄膜)を衝撃する。衝突界面において衝撃波が発生し,試料がピコ秒オーダーで気化,イオン化される。
巨大なサイズのクラスタイオンで試料を衝撃しているので,衝突時にターゲット分子の電子,振動励起が起こらず,試料薄膜中の分子の運動エネルギーのみが選択的に励起される。このようにして,試料は巨大クラスタイオンによってソフトに衝撃を受けるので,数万を超える分子量の分子であっても損傷を受けずにイオン化される。
また,正,負イオン同士の再結合寿命よりも短いピコ秒という短時間内に試料が気化され,イオン化されるので,再結合が抑制され,発生したイオンを効率よく質量分析装置に導くことができる。
用いる生体試料としては,その乾燥を防ぐために凍結したものを用いるとよい。
【図面の簡単な説明】
第1図はイオン化装置の構成図である。
【発明を実施するための最良の形態】
第1図において,質量分析装置10のイオン導入口を含む部分にイオン化装置20が装備されている。
質量分析装置(たとえば飛行時間型質量分析装置)10のイオン導入口の部分には,孔11aがあけられたスキマー11が取付けられている。孔11a(イオン導入口)により方向の揃ったイオンを質量分析装置へと導く。質量分析装置10の内部は,排気装置(図示略)により高真空に保たれている。
イオン化装置20は,帯電液滴生成室(イオン源室。コールドエレクトロスプレーチャンバー)31を備えた帯電液滴生成装置30と,帯電液滴生成室31と一直線状に連なる真空加速室41を備えた加速装置40とから構成されている。
帯電液滴生成装置30はコールドエレクトロスプレー装置32を備え,このエレクトロスプレー装置32は,高電圧が印加される金属(導電性)細管33と,この周囲を間隔をあけて覆う囲繞管34とを備えている。これらの金属細管33と囲繞管34の先端部は帯電液滴生成室31内に突出している。金属細管33には帯電液滴となる揮発性の液体(溶媒)が供給される。金属細管33と囲繞管34との間の空間には冷却媒体,たとえば冷い窒素(N)ガスがネブライザーガスとして供給される。窒素ガスは液体窒素から生成され,温度制御されて囲繞管34に導入される。
高電圧が印加された金属細管33の先端からは高度に帯電した微細な液滴(直径数ミクロン程度)Dが帯電液滴生成室31内に噴霧される。また,窒素ガスが金属細管33の先端の周囲において囲繞管34の先端から帯電液滴生成室31内に噴射される。窒素ガスは帯電液滴の噴霧を助けるとともに帯電液滴を冷却し,さらに,冷却した状態で帯電液滴Dを真空加速室41の方向に移送する。窒素ガスは排気口を通して帯電液滴生成室31から外部に排出される。
帯電液滴は揮発性の液体である。帯電液滴が気化(乾燥)すると液滴サイズが小さくなる。帯電液滴の気化を抑制するために,帯電液滴の生成において,そして帯電液滴が真空加速室41に到達するまで,帯電液滴を冷却するのが窒素ガスである。冷却の温度は帯電液滴が固化する直前程度が好ましい。
帯電液滴となる揮発性の液体としては,たとえば,水/メタノール混合液(酢酸またはアンモニアなどを添加),水(酢酸またはアンモニアなどを添加してもよい)等を挙げることができる。帯電液滴の気化を防ぐために冷却する温度は,上記水/エタノール混合液(酢酸またはアンモニアなどを添加)の場合にはドライアイス−アセトン温度付近である。
この実施例では温度制御された窒素ガスにより帯電液滴を冷却しているが,帯電液滴生成装置30の全体,または帯電液滴生成室31を冷却装置により所定の温度に冷却するようにしてもよい。帯電液滴生成装置の他の例としては,超音波振動装置がある。帯電液滴生成室31内は大気圧程度であるが,減圧状態に保ってもよい。
帯電液滴生成室31と真空加速室41との境界にはオリフィス34が設けられ,このオリフィス34に微細な孔34aが形成されている。この微細な孔34aが帯電液滴導入口である。帯電液滴導入口34aを通して帯電液滴生成室31と真空加速室41とが連通している。
金属細管33の先端から噴霧された帯電液滴Dは,冷却された窒素ガスとともに帯電液滴生成室31内を真空加速室41の方向に移動し,オリフィス34の微細な孔34aを通って真空加速室41内に導入される。
真空加速室41内には,加速電極42と試料台43とが設けられている。加速電極42には正または負の(帯電液滴の極性とは反対の)高電圧(たとえば10KV)が印加される。真空加速室41内に導入された帯電液滴Dは加速電極42によって加速かつ収束(フォーカス)され,試料台43上に設けられた試料Sに斜めに衝突し,試料からイオン化された分子が脱離する。スキマー11にあけられたイオン導入口11aを通して質量分析装置10の内部と真空加速室41とは連通しており,帯電液滴の衝突により発生し,試料S(試料台43)の面から垂直に飛び出たイオン分子(または原子)はこのイオン導入口11aを通して質量分析装置10内に導入される。
上述のように帯電液滴生成装置30によって生成される帯電液滴はミクロンオーダのものである。これを巨大クラスタ−イオンという。この巨大クラスタ−イオンがミクロンオーダの液滴サイズを保ったまま帯電液滴生成室31から真空加速室41に導入され,加速電極42の電場によって加速される。たとえば巨大クラスタ−イオンには10KeV程度の運動エネルギーが付与される。
試料台43には,たとえば乾燥を防ぐために凍結した生体試料薄膜Sが保持される。加速された巨大クラスタ−イオンがこの生体試料薄膜S(たとえばポーラスシリコン上に塗布した生体試料)を衝撃する。これによってピコ秒という短時間内に薄膜試料が気化される。試料中には正イオンと負イオンが等量存在するが,これらの再結合寿命よりも短い時間帯でイオンが発生するので,発生したイオンの再結合(中性化反応)が防止され,多くのイオンが真空加速室41からイオン導入口11aを通って質量分析装置10内に供給される。これによって高感度の質量分析が可能となる。
また,巨大サイズのクラスタイオンによって試料を衝撃しているので,衝突時にターゲット分子の電子,振動励起が起こらず,運動エネルギーのみが選択的に励起される。これによってタンパク質のような数万を超える分子量の分子であっても損傷を受けることなくイオン化される。すなわち,タンパク質を含む生体分子の質量分析(たとえば,オーソゴナル飛行時間型質量分析)が可能となる。
【図1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
揮発性の液体の帯電液滴を,その気化を抑制するように冷却した状態で生成し,
生成した帯電液滴を真空室内に導き,
真空室内に電場を形成し,電場によって帯電液滴を加速して,試料に衝突させ,
これによって試料を脱離,イオン化する,
クラスタイオン衝撃によるイオン化方法。
【請求項2】
質量分析装置のイオン導入口の外側に設けられ,上記イオン導入口を通して質量分析装置の内部と連通し,内部に加速電極と試料台が配置された真空加速室を有する加速装置,および
上記真空加速室の液滴導入口を通して上記真空加速室と連通する帯電液滴生成室を備え,この液滴生成室内において,揮発性の液体の帯電液滴を,その気化を抑制するように冷却した状態で生成する帯電液滴生成装置を備え,
上記帯電液滴生成装置によって生成された帯電液滴が上記帯電液滴生成室から上記液滴導入口を通して上記真空加速室に導かれ,高電圧が印加された上記加速電極によって加速されて上記試料台上の試料に衝突し,これによって脱離,イオン化された試料のイオンが上記イオン導入口を通して質量分析装置に導入されるようになされている,
クラスタイオン衝撃によるイオン化装置。

【国際公開番号】WO2005/083415
【国際公開日】平成17年9月9日(2005.9.9)
【発行日】平成19年11月22日(2007.11.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−510358(P2006−510358)
【国際出願番号】PCT/JP2004/002344
【国際出願日】平成16年2月27日(2004.2.27)
【出願人】(304023994)国立大学法人山梨大学 (223)
【Fターム(参考)】