説明

ケミカル汚染物質の汚染評価方法

【課題】ケミカル汚染物質の定量的な評価を可能にするケミカル汚染物質の汚染評価方法を提供すること。
【解決手段】クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、クリーンルームにおいてケミカル汚染物質が基板に吸着される確率を示す吸着係数とを用いたケミカル汚染物質の汚染評価方法であって、分子動力学計算により各種データを算出する分子動力学計算工程(ステップS1)と、分子動力学計算工程において算出された各種データを用いて吸着係数実験補正値を算出する吸着係数実験補正値算出工程(ステップS2)と、吸着係数実験補正値算出工程において算出された吸着係数実験補正値から吸着係数を算出する吸着係数算出工程(ステップS3)とを有しているので、実験を行うことなく、吸着係数を求めることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の汚染評価方法に関するものであって、半導体・液晶等の電子デバイスを生産するクリーンルームにおいて対策が必要となるケミカル汚染物質の汚染評価方法に関する。
【背景技術】
【0002】
半導体・液晶等を生産または開発する電子デバイス生産開発用クリーンルームおよび関連製品生産用クリーンルームでは、ケミカル汚染対策が重要な課題である。ケミカル汚染対策クリーンルームの清浄度評価のためには、クリーンルーム空気中に存在する各種の分子状・ガス状汚染物質の種類と濃度を正確に測定分析することが必要である。このため、室内空気を固体吸着剤や溶液、キャニスターなどに捕集し、種々の装置を使用して分析することが行われている。
【0003】
一方、空気中に存在する汚染物質の全てが半導体用シリコンウエハや液晶パネル用ガラス基板に吸着されるわけではなく、吸着された後の製造プロセスに悪影響を与える特性が物質によって大きく異なることが明らかにされつつある。したがって、シリコンウエハやガラス基板に特異的に吸着される分子状・ガス状汚染物質のみを特定化でき、吸着量や室内濃度を評価できる方法があれば有効である。そこで、本願出願人は、シリコンウエハやガラス基板を吸着剤とした汚染物質の検出方法を開発し実用化している(たとえば、特許文献1参照)。
【0004】
他方、最近の計算機科学の進展に伴い、分子シミュレーションが注目され、様々な分野で利用が進められている。分子シミュレーションは、シリコンやガラス基板への分子の吸着現象を分子軌道法、分子力場法や分子動力学法を用いて、吸着する際の分子間に働くエネルギーと変化量を計算し、その大きさで吸着の程度を推定することができる。そして、分子とシリコンやガラス基板との吸着エネルギーが大きいほど、その分子は吸着しやすく半導体や液晶デバイス生産の際に悪影響の大きな物質であると評価することができる。
【0005】
そして、クリーンルーム中で吸着エネルギーが大きな物質が検出された場合は、ケミカルフィルタ等を利用することによりクリーンルームから除去することが必要となる。また、クリーンルーム建設やメンテナンス時には吸着エネルギーが大きな物質を含まない材料を使用することが重要となる。
【0006】
本願発明者らは、分子シミュレーション(分子動力学計算の結果)を用いたクリーンルームの清浄度評価方法を提案している(たとえば、特許文献2参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2000−304734号公報
【特許文献2】特開2007−275803号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上述したクリーンルームの清浄度評価方法は、汚染物質の吸着のしやすさを定性的に順位付けするものであるが、各物質の吸着のしやすさを定量的に評価することはできなかった。しかしながら、定量的な評価が可能になれば、悪影響の程度をより正確に評価することが可能になる。
【0009】
本発明は、上記に鑑みてなされたものであって、ケミカル汚染物質の定量的な評価を可能にするケミカル汚染物質の汚染評価方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上述した課題を解決し、目的を達成するために、本発明は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、クリーンルームにおいてケミカル汚染物質が基板に吸着される確率を示す吸着係数とを用いたケミカル汚染物質の汚染評価方法であって、前記吸着係数は、ケミカル汚染物質についての分子動力学計算の結果により得られたデータと、ケミカル汚染物質が基板に吸着される吸着実験から求められた吸着係数実験補正値との相関関係から求めることを特徴とする。
【0011】
また、本発明は、上記ケミカル汚染物質の汚染評価方法において、前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、吸着エネルギーであることを特徴する。
【0012】
また、本発明は、上記ケミカル汚染物質の汚染評価方法において、前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、エネルギー収束係数であることを特徴とする。
【0013】
また、本発明は、上記ケミカル汚染物質の汚染評価方法において、前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、自己拡散係数であることを特徴とする。
【0014】
また、本発明は、上記ケミカル汚染物質の汚染評価方法において、前記相関関係は、数式1によって示されることを特徴とする。
【数1】

【発明の効果】
【0015】
本発明にかかるケミカル汚染物質の汚染評価方法は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、クリーンルームにおいてケミカル汚染物質が基板に吸着される確率を示す吸着係数とを用いた汚染評価方法であって、吸着係数は、ケミカル汚染物質についての分子動力学計算の結果により得られたデータと、ケミカル汚染物質が基板に吸着される吸着実験から求めた吸着係数実験補正値との相関関係から求められるので、相関関係を求めた後は、実験を行うことなく、吸着係数を求めることができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】図1は、吸着係数を算出する工程を示す工程図である。
【図2】図2は、分子動力計算の結果求められた時間と系全体の内部エネルギーとの関係を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下に、本発明にかかるケミカル汚染物質の汚染評価方法の実施の形態を詳細に説明する。なお、この実施の形態によりこの発明が限定されるものではない。
【0018】
半導体・液晶等の電子デバイスを生産等するクリーンルームにおけるケミカル汚染物質の汚染評価は、基板に吸着されるケミカル汚染物質の量(吸着量)で評価されるべきである。基板に吸着されるケミカル汚染物質の量は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、クリーンルームにおいてケミカル汚染物質が基板に吸着する確率を示す吸着係数とに比例する。したがって、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の汚染評価は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、ケミカル汚染物質の吸着係数とによって評価される。吸着係数は、物質が基板に吸着される確率を示す数値であって、吸着される物質ごとに異なる数値(定数)を示すようになっている。ここで、吸着係数(吸着確率λ)は、下記数式2で定義される。
【0019】
【数2】

【0020】
たとえば、室内濃度が10μg/m、吸着係数が1.00×10−1のDOP(可塑剤)と、室内濃度が1000μg/m、吸着係数が7.00×10−6のD5(シーリング剤・分解物)とを汚染評価する。
【0021】
上述したように、基板に吸着されるケミカル汚染物質の量は、クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、ケミカル汚染物質の吸着係数とに比例するから、室内濃度はD5がDOPの100倍であっても、基板に吸着されるケミカル汚染物質の量は、DOPのほうが多く、D5の略142倍(((1.00×10−1)×10)/((7.00×10−6)×1000))となる。
【0022】
したがって、DOPの室内濃度がD5の室内濃度の100分の1以下でも、D5よりも高度なケミカル汚染物質の除去対策をとる必要がある。
【0023】
このように、物質ごとに吸着のしやすさを示す指標が数値化されると、適切な汚染物質の除去対策を実施でき、また、吸着係数の大きな物質を含む材料の使用を避ける設計が可能となる。
【0024】
しかしながら、従来は、吸着係数の算定は実験によるものが多かった。具体的には、小型容器内にシリコンウエハ等の基板を設置し、一定量の汚染物質を強制的に暴露させた後に、実際に吸着した量を測定する方法であるが、条件設定や微量成分の分析等で長時間を要し、さらにデータを不正確にする要因も多いという問題があった。したがって、正確かつ短時間で吸着係数を求める方法が必要と考えられていた。
【0025】
図1に示すように、本発明は、ケミカル汚染物質についての分子動力学計算の結果により得られたデータと、ケミカル汚染物質が基板に吸着される吸着実験から求められた吸着係数実験補正値との相関関係から吸着係数を求めることを特徴とするケミカル汚染物質の評価方法であって、分子動力学計算により各種データを算出する分子動力学計算工程(ステップS1)と、分子動力学計算工程において算出された各種データを用いて吸着係数実験補正値を算出する吸着係数実験補正値算出工程(ステップS2)と、吸着係数実験補正値算出工程において算出された吸着係数実験補正値から吸着係数を算出する吸着係数算出工程(ステップS3)とを有している。
【0026】
分子動力学計算工程(ステップS1)は、分子動力学計算ソフトウェアを用いて動力学計算を実施する工程で、吸着エネルギー、エネルギー収束係数、自己拡散係数に関するデータが取得される。
【0027】
本実施の形態で用いる分子動力学計算ソフトウェアは、富士通製Materials Explorer 5.0であるが、この分子動力学計算ソフトウェアに限られるものではなく、吸着エネルギー、拡散係数、エネルギー収束係数が算出できる分子動力学計算ソフトウェアであればよい。
【0028】
また、分子動力学計算ソフトウェアにおいて、ケミカル汚染物質が吸着される基板は、シリコンウエハ基板とし、さらに、クリーンルームの通常環境を想定して、単分子層が三層重なった水分子層を基板の表面に配置した。
【0029】
また、分子動力学計算ソフトウェアにおいて、基板に吸着されるケミカル汚染物質は、DOP(可塑剤),DBP(可塑剤),BHT(樹脂用添加剤),TBP(難燃剤),D5(シーリング剤原料・分解物),n−メチルピロリドン(溶剤)を対象とし、比較対照物質としてほとんど基板に吸着されない水とトルエンを対象とした。
【0030】
そして、分子動力学計算ソフトウェアにおいて、基板上空にケミカル汚染物質の分子をそれぞれ設置し、内部エネルギーが平衡状態となるまで分子動力学計算を行った。
【0031】
分子動力学計算により得られた結果について、特に吸着現象と関連性が強いと思われる結果をさらに解析し、各分子の基板表面に対する吸着エネルギー、拡散係数、エネルギー収束係数が算出された。
【0032】
吸着エネルギーは、数式3に示すように、系全体が平衡時の内部エネルギーから基板のみが平衡時のエネルギーと分子のみが平衡時のエネルギーとを減算することにより算出される。
【0033】
【数3】

【0034】
エネルギー収束係数は、内部エネルギーの変化を時間に対してプロットしたグラフから求めた累乗近似曲線の変化率である。具体的に説明する。分子動力学計算を実施すると、図2に示すように、時間と系全体の内部エネルギーとの関係(運動エネルギーとポテンシャルエネルギーとの関係)が求められる。本願で問題とするのは、汚染分子のシリコンウエハに対する吸着現象であるが、汚染分子がシリコンウエハに吸着しやすい場合には、吸着することにより内部エネルギーが安定し、早期にエネルギーが一定の値に収束する。したがって、図2に示す時間と系全体の内部エネルギーとの関係から累乗近似曲線を求めると、その近似式(y=a×X)の定数bが収束の速さを示す指標となる。そこで、本願では、この累乗近似曲線の回帰式における定数項bを「エネルギー収束係数」と定義する。なお、図2において、DOPは、トルエンよりもシリコンウエハに吸着しやすいため、内部エネルギーが安定化しやすく、近似式の定数b(エネルギー収束係数)が約1.7倍となる(DOP:0.0018133,トルエン:0.0010957)。
【0035】
自己拡散係数は、各物質分子の基板吸着後の2次元的移動量である。
【0036】
吸着係数実験補正値算出工程(ステップS2)は、吸着実験および分子動力学計算工程(ステップS1)において算出された各種データを用いて吸着係数実験補正値を算出する工程である。
【0037】
吸着係数実験補正値は、ケミカル汚染物質が基板に吸着される吸着実験から求められる。吸着実験は、小型チャンバー(内容積6Lのガラスデシケータ)内にシリコンウエハ基板を設置し、これに上述した物質の気中濃度(室内濃度)を調整した空気を一定時間流通させ、シリコンウエハに吸着させるものである。吸着係数は、下記数式4に基づいて、算出される。
【0038】
【数4】

【0039】
この実験の結果、吸着係数の最大値はDOPの0.1であり、最小値はトルエンおよび水のほぼ0であった。ケミカル汚染物質の中でDOPは最悪の汚染物質として知られている。また、水やトルエンは現段階では、ほとんど影響が無いといわれる物質である。そこで、各物質の吸着係数を最悪のDOPと影響を無視できる水との間に分布させるようにした。すなわち、水およびトルエンの値をそれぞれ、1.00E−10、5.00E−11とし、その他の各物質の値を水の値(1.00E−10)で除し、さらに対数とすることによって吸着係数実験補正値とした。この結果を下記の表1に示す。
【0040】
【表1】

【0041】
上述した分子動力学計算により得られた各データの中で、吸着エネルギー、エネルギー収束係数、拡散係数と、吸着実験の結果により得られた吸着係数実験補正値とは相関性が高いことが確認された。
【0042】
したがって、下記の表2に示すように、分子動力学計算により、吸着エネルギー、エネルギー収束係数、拡散係数のいずれかを求めれば、吸着係数実験補正値を求めることができる。
【0043】
【表2】

【0044】
また、分子動力学の計算結果により求められた各データと、吸着係数実験補正値との関係から数式5に示す推定式(重回帰式)が求められた(実施例)。
【0045】
【数5】

【0046】
したがって、吸着係数実験補正値は、推定式を求めた後は、吸着実験によらなくても、分子動力学計算工程(ステップS1)において算出された各種データを用いれば、求めることができる。
【0047】
吸着係数算出工程(ステップS3)は、吸着係数実験補正値算出工程(ステップS2)において算出された吸着実験補正値に対応する吸着係数を算出する工程である。すなわち、求められた吸着実験補正値は、各物質の吸着係数を水の吸着係数で除し、さらに対数としたものであるから、吸着係数を求めるには、吸着実験補正値から真数を求め、求めた真数に水の吸着係数を乗ずることになる。
【0048】
ここで、分子動力学計算ソフトウェアを用いて、汚染物質として代表的なD3(環状シロキサン化合物)の吸着エネルギー、エネルギー収束係数、拡散係数を算出し、これらの値を数式4にあてはめて吸着係数実験補正値を算出した後、当該吸着係数実験補正値に対応する吸着係数を算出した。算出された吸着係数は、7.31×10−6となり、同類であるD5(7.00×10−6)と近い値となったことから、数式4の精度は高いことになる。また、その他の物質についても文献値との整合性が認められた。
【0049】
なお、推定式の設定には、代表的な数種類の化学物質を対象とする吸着実験を実施する必要があるが、求めた推定式を利用することによって他の物質については実験を省略することができる。これにより、短時間で理論的な吸着係数の推定ができ、ケミカル汚染物質の定量的な評価が可能となる。
【0050】
上述した本発明の実施の形態であるケミカル汚染物質の汚染方法評価方法は、ケミカル汚染物質のシリコンウエハ等基板表面へ吸着のしやすさを定量的に評価する方法であって、実験に頼らず、分子動力学計算によって、その指標である吸着係数を求めることができる。具体的には、分子動力学計算で得られるデータの中で、実際の吸着現象と相関性の高いデータを見出し、それらを用いてさらに解析することによって吸着係数の推定式を求め、これを利用して、クリーンルームで問題となる各種のケミカル汚染物質の吸着係数を算出する。この方法によれば、算出に要する時間は実験によって求める場合の三分の一以下になる。
【0051】
これによって、クリーンルームのケミカル汚染対策において、各汚染物質の悪影響の程度を定量的に評価することができる。したがって、悪影響の程度も考慮した適切な設計・建設・運用が実施できる。すなわち、適切なケミカルフィルタ等の利用(フィルタ種類・稼働時間の最適化)やこれらの物質を含まない材料の使用等であり、低コスト・低消費エネルギーも実現可能となる。
【符号の説明】
【0052】
S1 分子動力学計算工程
S2 吸着係数実験補正値算出工程
S3 吸着係数算出工程

【特許請求の範囲】
【請求項1】
クリーンルームにおけるケミカル汚染物質の室内濃度と、クリーンルームにおいてケミカル汚染物質が基板に吸着される確率を示す吸着係数とを用いたケミカル汚染物質の汚染評価方法であって、
前記吸着係数は、ケミカル汚染物質についての分子動力学計算の結果により得られたデータと、ケミカル汚染物質が基板に吸着される吸着実験から求められた吸着係数実験補正値との相関関係から求めることを特徴とするケミカル汚染物質の汚染評価方法。
【請求項2】
前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、吸着エネルギーであることを特徴する請求項1に記載のケミカル汚染物質の汚染評価方法。
【請求項3】
前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、エネルギー収束係数であることを特徴とする請求項1に記載のケミカル汚染物質の汚染評価方法。
【請求項4】
前記分子動力学計算の結果により得られ、吸着係数実験補正値との相関関係を有するデータは、自己拡散係数であることを特徴とする請求項1に記載のケミカル汚染物質の汚染評価方法。
【請求項5】
前記相関関係は、数式1によって示されることを特徴とする請求項1に記載のケミカル汚染物質の汚染評価方法。
【数1】


【図1】
image rotate

【図2】
image rotate