説明

コムギのアブシジン酸分解酵素遺伝子変異の検出方法

【課題】コムギの発芽抑制をもたらす遺伝子変異を有するヘテロ接合体を判別できる変異検出方法の提供。
【解決手段】被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として、
(i)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第3イントロン内に位置する所定の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、
(ii)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第4エクソン又は第4イントロン内に位置する所定の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含むプライマーセットを用いた核酸増幅を行い、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子における挿入欠失変異を検出することを含む、被験コムギのAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異を検出する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、コムギの種子休眠性を強化する遺伝子変異の検出に関する。
【背景技術】
【0002】
通常、種子は休眠性を有しており、収穫前及び収穫直後の発芽が抑制されている。種子休眠が弱いコムギの種子は、収穫期の降雨や高湿度により、しばしば穂発芽(収穫前に親植物の上で種子が発芽する現象)を起こす。日本国内で最大の麦作地域である北海道でも、コムギの収穫時期には霧が多く、穂発芽が起きる。世界的にみると、登熟期が低温・曇天になりやすいスウェーデンやイギリスなどで、穂発芽被害がしばしば起きる。また、近年の世界的な異常気象により、カナダやアメリカ、オーストラリアなどのこれまで穂発芽が問題とならなかった地域でも、穂発芽被害が報告されるようになってきている。
【0003】
穂発芽した種子では、でんぷん分解酵素であるアミラーゼや、タンパク質分解酵素であるプロテアーゼの酵素活性が高くなり、その結果、でんぷんやタンパク質が分解される。そのため、穂発芽した種子が混入した原料から作製したうどん(日本めん)やパンなどの小麦粉製品においては品質低下が起きる。そこで、穂発芽しない種子休眠性の強いコムギ品種の作出が強く求められている。
【0004】
アブシジン酸(ABA)は、種子休眠に関与する植物ホルモンであり、種子が休眠から覚め、発芽する際にABA量は減少する。このABA量の減少には、ABAの主要な不活化酵素であるABA8'位水酸化酵素(ABA8'ox;アブシジン酸分解酵素の1つ)によるABAの代謝(分解)が関与している(非特許文献1)。これまでに、シロイヌナズナの突然変異体やオオムギの形質転換体を用いた解析では、種子が発芽する際に機能するABA8'oxの遺伝子発現量を抑制すると、発芽が著しく遅延することが示されている(非特許文献1〜3)。
【0005】
コムギでも、シロイヌナズナやオオムギと同様に、種子が発芽する際に機能しているABA8'oxの活性を植物全体で大幅に低下させることができれば、発芽が抑制される可能性がある。しかし、コムギ(Triticum aestivum)はA、B、Dの3種のゲノムからなる異質6倍体であり、発芽時に発現しているコムギABA8'ox遺伝子(TaABA8'ox1)には3つの同祖遺伝子(TaABA8'ox1A、TaABA8'ox1B、TaABA8'ox1D)がゲノムA、B、D上に1つずつ存在する。異質6倍体であるコムギでは、優性の遺伝子変異を除き、遺伝子変異を表現型の変化につなげるには、同祖遺伝子群全てに変異を導入する必要がある。代替法として遺伝子発現を抑制する技術であるRNAi法やアンチセンスRNA法などを利用して、TaABA8'ox1の発現を抑制した組換えコムギを作出する方法もある。しかし、組換え作物の利用についての社会的受容状況はまだ厳しく、組換えコムギの実用化は困難な状況にある。
【0006】
これまでに本発明者は、コムギ遺伝資源からTaABA8'ox1Dに挿入変異を有する系統を見いだしている(特許文献1)。このTaABA8'ox1D挿入変異系統では、挿入部位以降にフレームシフトが起こり、タンパク質のアミノ酸配列が変化してTaABA8'ox1Dが活性を失った結果、植物全体としてのABA分解活性も低下していると考えられる。さらに、TaABA8'ox1D挿入変異を有する品種にγ線照射処理を行うことによりTaABA8'ox1D挿入変異とともにTaABA8'ox1A欠失変異を併せ持つ変異体を作出し、その種子発芽が、TaABA8'ox1D挿入変異を有する親品種「タマイズミ」の種子発芽よりも抑制されていることを示している(特許文献1)。このことから、TaABA8'ox1A欠失変異の導入は、発芽が抑制されたコムギを育種する上で有用と思われる。
【0007】
しかしながら、特許文献1で見出されたTaABA8'ox1A欠失変異を検出するためのDNAマーカーは優性マーカーであり、TaABA8'ox1A欠失変異の有無を判別することはできるが、TaABA8'ox1A欠失変異型遺伝子と野生型遺伝子を1つずつ有するヘテロ接合体の個体判定には利用できない。品種育成の主要な方法である連続戻し交配では、ヘテロ接合体に反復親を交配することから、育種に用いるDNAマーカーはヘテロ接合体を判別できることが重要である。共優性マーカーを用いれば、ヘテロ接合体を陽性検出できるため、後代検定の結果を待たずにヘテロ接合の判定ができ、交配を進めることができるため、育種年限の短縮につながる。しかし、既知のゲノム情報が限られているコムギでは、突然変異により作出される目的遺伝子の機能が完全に失われるような欠失変異について、共優性マーカーを作製することは非常に難しい。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】国際出願第PCT/JP2010/053565号明細書
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】Kushiro, T. et. al., (2004) EMBO J., 23, p.1647-1656
【非特許文献2】Okamoto, M. et al., (2006) Plant Physiol., 141, p.97-107
【非特許文献3】Gubler et al., (2008) Plant Physiol., 147, p.886-896
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、コムギの種子休眠性の強化に寄与する遺伝子変異を見出し、その変異のヘテロ接合体を判別できる変異検出方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、上記課題を解決するため鋭意検討を重ねた結果、コムギ種子の発芽時に発現しているABA8'ox遺伝子(TaABA8'ox1同祖遺伝子群)のうち、発明者が欠失変異による種子休眠性の強化を見出しているTaABA8'ox1A遺伝子について、ABA8'ox活性の低下を引き起こす遺伝子変異を有する系統を、TILLING法によりコムギ遺伝資源から新たに見いだした。本発明者は、このTaABA8'ox1A遺伝子変異を簡便に検出することができ、かつ植物試料中のTaABA8'ox1A遺伝子変異の有無、特に、ヘテロ接合でこの遺伝子変異を有する個体を確実に判定(判別)することができれば、上記判定方法を利用して交配、特に、連続戻し交配を効率的に行うことにより、発芽時のABA8'ox活性が低下した種子休眠性が強化された植物を確実に短期間で作出できるであろうと考えた。本発明は、このような着想に基づいて完成されたものである。
【0012】
すなわち、本発明は以下を包含する。
[1] 被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として、
(i)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第3イントロン内に位置する配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、
(ii)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第4エクソン又は第4イントロン内に位置する配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含むプライマーセットを用いた核酸増幅を行い、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子における挿入欠失変異を検出することを含む、被験コムギのAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異を検出する方法。
【0013】
この方法の好適な一実施形態においては、前記フォワードプライマーは、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含み、前記リバースプライマーが配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含みうる。
【0014】
そのような前記フォワードプライマーとしては、例えば、配列番号8で示される塩基配列を含むものが挙げられ、前記リバースプライマーとしては、例えば、配列番号9で示される塩基配列を含むものが挙げられる。
【0015】
この方法では、前記核酸増幅によって得られる増幅断片を制限酵素で処理し、その切断パターンに基づいて、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子における挿入欠失変異を検出することも好ましい。
【0016】
その場合、5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素により増幅断片を処理することが特に好ましい。
そのような制限酵素の例はHaeIIIである。
【0017】
[2] 上記[1]の方法を用いて、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異をヘテロ接合で有するコムギを判別し、それを戻し交配に用いることを含む、種子休眠性が強化されたコムギの育種方法。
【0018】
[3] (i) 配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、
(ii) 配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含む、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のオリゴヌクレオチドプライマーセット。
【0019】
このプライマーセットの好適な一実施形態では、前記フォワードプライマーは、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含み、前記リバースプライマーは配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含みうる。
【0020】
そのような前記フォワードプライマーとしては、配列番号8で示される塩基配列を含むものが挙げられ、前記リバースプライマーとしては、配列番号9で示される塩基配列の相補配列を含むものが挙げられる。
【0021】
[4] 上記[3]のプライマーセットと制限酵素とを含む、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のキット。
【0022】
このキットの好適な一実施形態では、5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素を含むことが特に好ましい。
この制限酵素が好ましくはHaeIIIである。
【発明の効果】
【0023】
本発明によれば、TaABA8'ox1A遺伝子の所定の機能抑制変異をヘテロ接合で有するコムギも明確に判別することができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】図1は、TILLINGによるTaABA8'ox1A変異の検出を示す写真である。電気泳動の両端のレーンはラダーマーカー(φX174の1,353bp〜281bp+271bpまで)である。1.5kbの断片は切断されていないこと、1.0kb及び0.5kbの断片は切断されたことを示している。
【図2】図2は、TaABA8'ox1A遺伝子の挿入欠失変異部位の塩基配列の比較を示す図である。TaABA8'ox1A Genome (N61)は、コムギ品種「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列(配列番号1;野生型)の挿入欠失変異部位周辺の配列(配列番号1の1301位〜2107位)を示す。TaABA8'ox1A Genome (mutant)は、コムギ品種「銘賢169号」、「紅芒炸」及び「通州小白玉」の挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列(配列番号6)の挿入欠失変異部位周辺の配列(配列番号6の1301位〜2090位)を示す。TaABA8'ox1A cDNA (N61)は、「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のcDNA配列(配列番号2;野生型)の挿入欠失変異部位周辺の配列(配列番号2の1089位〜1601位)を示す。S1、a_S1、a_A1、及びA2_GGCAは、それぞれ、プライマーTaABAox1.S1、TaABAox1a_S1、TaABAox1a_A1、及びTaABAox1.A2_GGCAを示す。点線で囲んだ領域が挿入欠失変異部位である。図中にはHaeIII認識配列も示した。
【図3】図3は、コムギ遺伝資源に認められたTaABA8'ox1A遺伝子内の挿入欠失変異部位の位置と、本願実施例で使用したプライマーの設計位置を示す概略図である。
【図4】図4は、TaABA8'ox1A挿入欠失変異品種・系統(紅芒炸)においてTaABA8'ox1A遺伝子のイントロン切り出しが欠損したことを示す写真である。N61:農林61号、HWZ:紅芒炸、CS:Chinese Spring。左端レーンはラダーマーカー(1kb plus DNAラダー)である。
【図5】図5は、挿入欠失変異型TaABA8'ox1Aタンパク質と他のABA8'oxタンパク質のアミノ酸配列の比較を示す図である。配列の下のアスタリスクは、ヘム結合領域の保存されたアミノ酸を示す。ヘム結合領域のコンセンサス配列は以下の通り:Phe-X-X-Gly-X-Arg/His-X-Cys-X-Gly(配列中、Xは任意のアミノ酸)。
【図6】図6は、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を特異的に検出した結果を示す電気泳動写真である。中央のラダーマーカーより左側のレーンにはDNAマーカーa_S1a_A1に対応するTaABAox1a_S1及びTaABAox1a_A1のプライマーペアによる増幅断片のバンドを示す。中央のラダーマーカーより右側のレーンには、DNAマーカーa_S1a_A1/HaeIIIに対応するTaABAox1a_S1及びTaABAox1a_A1のプライマーペアによる増幅断片のHaeIII切断産物のバンドを示す。N61:農林61号、Tu:通州小白玉、Me:銘賢169号、HWZ:紅芒炸、CS:Chinese Spring。両端レーン及び中央レーンはラダーマーカー(1kb plus DNAラダー)である。
【図7】図7は、DNAマーカーa_S1a_A1/HaeIIIを用いた、ヘテロ接合体におけるTaABA8'ox1A挿入欠失変異の検出結果を示す写真である。Ta:タマイズミ、F1:タマイズミ×銘賢169号、Me:銘賢169号。両端レーンはラダーマーカー(1kb plus DNAラダー)である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
以下、本発明を詳細に説明する。
(1) TaABA8'ox1A遺伝子における挿入欠失変異とその検出方法
本発明において、一部のコムギ品種・系統が、TaABA8'ox1A遺伝子の第3イントロンと第4エクソンにまたがる領域に、挿入欠失変異を有することが見出された(図2)。この挿入欠失変異は、野生型品種「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム上の配列(ゲノム配列)、特に配列番号1を基準とする場合に配列番号1の1612位〜1642位の配列内に、塩基の挿入及び欠失が認められる変異である。TaABA8'ox1A遺伝子のこの挿入欠失変異の典型例は、具体的には、配列番号1の1612位〜1642位の塩基配列(5'-CTCTCCTCTGTGCGTGCAGGGTACCTGATTC-3'; 配列番号29)が、塩基の挿入及び欠失によって5'-GCTTGGGAATCAGG-3'(配列番号30)の塩基配列に変化するものである。しかし同様の挿入欠失変異が存在する限り、検出対象のTaABA8'ox1A遺伝子の当該変異部位にわずかな変異(例えば、1〜3塩基の欠失、挿入、及び/又は置換など)がさらに生じていても本発明に係る方法による検出は可能である。
【0026】
本発明のTaABA8'ox1A遺伝子の挿入欠失変異は、フレームシフトを引き起こすだけでなく、TaABA8'ox1A遺伝子の転写産物からイントロンが切り出されないようにすることで正常な成熟mRNAの生成を妨げることが好ましい。TaABA8'ox1A遺伝子のこの挿入欠失変異は、その結果、TaABA8'ox1A遺伝子から発現されるTaABA8'ox酵素活性を大きく低下又は喪失させることから、TaABA8'ox1A遺伝子における機能抑制変異の1つである。TaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異は、種子の発芽を抑制し、種子休眠性を強化する上で有用である。本発明では、コムギにおけるTaABA8'ox1A遺伝子のこの挿入欠失変異(以下、TaABA8'ox1A挿入欠失変異とも呼ぶ)を検出する方法に関する。本発明は、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を任意の方法で検出することによる、コムギのTaABA8'ox1A遺伝子の機能抑制変異を検出する方法にも関する。本発明において、「遺伝子の機能抑制変異」とは、TaABA8'ox1A遺伝子等の目的の遺伝子によってコードされる遺伝子産物(タンパク質等)の活性を大きく低下させる(限定するものではないが、例えば野生型遺伝子産物の活性の50%未満、好ましくは10%未満、より好ましくは5%未満に低下させる)か、又はその活性を喪失させるような、目的の遺伝子内の塩基配列変異を意味する。
【0027】
本発明に係る検出方法の適用対象となるコムギは、普通コムギ(Triticum aestivum)に属する任意のコムギ植物であり得るが、栽培種の普通コムギの品種・系統がより好ましい。本発明において「品種・系統」とは、品種(品種として確立された系統)又は系統の両方を包含することを意味し、これは品種と系統を明確に区別することを意図しない。検出対象のコムギは、TaABA8'ox1遺伝子(典型的には、TaABA8'ox1A遺伝子)の機能抑制変異(好ましくは、TaABA8'ox1A挿入欠失変異)を有することが期待されているか、又は予測されるコムギであってよい。TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有するコムギ品種としては、例えば、銘賢169号、通州小白玉、及び紅芒炸が挙げられる。また、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有するコムギ品種・系統(例えば、銘賢169号、通州小白玉、及び紅芒炸)をTaABA8'ox1A遺伝子に関して野生型のコムギ品種・系統や他の任意のコムギ品種・系統と交配して得られる子孫コムギ(例えば、F1〜F5コムギ等)について、本発明に係る検出方法を実施してもよい。
【0028】
本発明に係る方法では、被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として使用する。ゲノムDNAは、被験コムギ個体より採取した任意の組織(例えば、葉、茎、根、カルス、種子など)から、植物分子生物学の分野で慣用されている手法に従って抽出し、必要に応じて精製することにより、調製することができる。コムギからのゲノムDNAの抽出は、例えば、市販の植物ゲノムDNA抽出キット(例えば、DNeasy Plant Mini Kit(QIAGEN))やPlant Genomic DNA Extraction Mini(VIOGENE)等)を用いて行うこともできる。このようにして調製される被験コムギ由来のゲノムDNAについては、核酸増幅反応の鋳型として用いる前にRNase処理等によりRNAを除去することも好ましい。
【0029】
本検出法では、このようにして調製される被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を検出する。好適な実施形態では、被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として、(i)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第3イントロン内であって、TaABA8'ox1A挿入欠失変異部位の上流に位置する、配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むように設計したオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、(ii)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第4エクソン又は第4イントロン内(好ましくは第4イントロン内)であって、TaABA8'ox1A挿入欠失変異部位の下流に位置する、配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むように設計したオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含むプライマーセットを用いた核酸増幅を行うことにより、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を検出する。
【0030】
ここで配列番号1の塩基配列は、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を含まない野生型品種「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列を示しており、本発明ではこの配列を領域指定の基準として用いる。
【0031】
本発明において、特定の塩基配列の「相補配列」とは、その特定の塩基配列からなるポリヌクレオチドに対する相補鎖(アンチセンス鎖)全長の塩基配列(5'から3'方向に記載した配列)を意味する。
【0032】
上記のオリゴヌクレオチドフォワードプライマーは、好適には、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含む1種以上のオリゴヌクレオチドプライマーである。このようなフォワードプライマーの特に好ましい例としては、配列番号8で示される塩基配列(配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列に相当)を含むオリゴヌクレオチドプライマー、例えば実施例に記載のプライマーTaABAox1a_S1が挙げられる。また上記のオリゴヌクレオチドリバースプライマーは、好適には、配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含む1種以上のオリゴヌクレオチドプライマーである。このようなリバースプライマーの特に好ましい例としては、配列番号9で示される塩基配列(配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列の相補配列に相当)を含むオリゴヌクレオチドプライマー、例えば実施例に記載のプライマーTaABAox1a_A1が挙げられる。これらの好適なオリゴヌクレオチドフォワードプライマー及びオリゴヌクレオチドリバースプライマーを設計する配列番号1の1567位〜1591位及び1740位〜1764位の領域は、TaABA8'ox1A遺伝子と他の同祖遺伝子群TaABA8'ox1B及びTaABA8'ox1Dとの間の配列相同性がかなり低いことから、それらのプライマーを用いた核酸増幅は、TaABA8'ox1A遺伝子を特異的に増幅することができて有利である。
【0033】
本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、少なくとも15塩基長であるが、15〜50塩基長が好ましく、15〜30塩基長がさらに好ましい。このオリゴヌクレオチドプライマーは、特異性をより高める上では、18塩基長以上、好ましくは20塩基長以上、さらに好ましくは24塩基長以上であってよい。
【0034】
核酸増幅は、被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型とし、上記オリゴヌクレオチドフォワードプライマー及びオリゴヌクレオチドリバースプライマーとを含むプライマーセットを用いて、公知の任意の核酸増幅法に従って行えばよい。例えばPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法、LAMP(Loop-Mediated Isothermal Amplification)法、ICAN(Isothermal and Chimeric primer-initiated Amplification of Nucleic acids)法、SDA(Strand Displacement Amplification)法などを利用することができる。本発明に係る方法における核酸増幅は、1つの反応液中に1組のプライマーセット又は2組以上のプライマーセット(マルチプレックスPCR)を含めて行ってもよい。核酸増幅を行う際の反応液組成や温度サイクル条件の各温度及び反応時間等は、当業者であれば、使用する核酸増幅法、プライマーのTm値、サーマルサイクラーの仕様などに合わせて適宜定めることができる。限定するものではないが、一例としては、98℃で10秒(変性)、及び72℃で1分〜1分30秒(アニーリング及び伸長反応)を1サイクルとして20〜40サイクル行う温度サイクル条件で核酸増幅を実施してもよい。
【0035】
上記のオリゴヌクレオチドフォワードプライマー及びオリゴヌクレオチドリバースプライマーを用いた核酸増幅により、上記TaABA8'ox1A挿入欠失変異が含まれる領域が、被験ゲノムDNAから増幅される。そのような核酸増幅の結果として得られる増幅断片(増幅産物)は、任意の核酸分析手段によって確認することができる。例えば、そのような増幅断片を含む核酸増幅反応終了後の反応液を、ゲル電気泳動と染色(例えば、0.5〜4%アガロースゲルでの電気泳動及び臭化エチジウム染色)、蛍光又は放射同位元素等で標識したプライマーを使用した場合のゲル電気泳動と標識検出、キャピラリー電気泳動、自動シークエンサー等を用いた塩基配列決定、MALDI-TOF/MS分析等に供し、その核酸分析結果から、目的の増幅産物が得られたかどうかを確認することができる。目的の増幅断片が得られたかどうかは、例えば挿入欠失変異を有しない野生型TaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列(配列番号1、図2)や挿入欠失変異を有するTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列(配列番号6、図2)に基づいて予測される増幅断片の塩基配列やそのサイズ等と一致するかどうかにより判定することができる。
【0036】
被験ゲノムDNAが上記TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有していれば、核酸増幅により、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を含む増幅断片が生成される。そのようなTaABA8'ox1A挿入欠失変異を含む増幅断片は、野生型のTaABA8'ox1A遺伝子由来の増幅断片よりも明らかに小さい。例えば、配列番号6の配列内に示される17bpが欠失したTaABA8'ox1A挿入欠失変異(図2)が存在する場合、配列番号8で示される塩基配列からなるフォワードプライマーと、配列番号9で示される塩基配列からなるリバースプライマーによって得られる増幅断片は、典型的には、181bp長である。これに対して、TaABA8'ox1A挿入欠失変異が存在しない野生型の場合には、配列番号8で示される塩基配列からなるフォワードプライマーと、配列番号9で示される塩基配列からなる塩基配列からなるリバースプライマーによって得られる増幅断片は、典型的には198bpである。これらの増幅断片は、例えば比較的高濃度のアガロースゲルを用いた電気泳動により、そのサイズの違いから容易に判別することができる。
【0037】
本発明の方法ではさらに、核酸増幅によって得られる増幅断片を、適当な制限酵素で処理した後に電気泳動し、予測断片長のバンドにより構成される切断パターンが得られたかどうかに基づいて、TaABA8'ox1A挿入欠失変異の有無をより簡便に判定してもよい。予め制限酵素で処理することにより、野生型TaABA8'ox1A遺伝子とTaABA8'ox1A挿入欠失変異を有するTaABA8'ox1A遺伝子(挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子)との間で、より容易に識別可能な電気泳動結果が得られるようにすることができ、それにより判別をより確実かつ容易にすることができる。
【0038】
ここで用いる制限酵素は、増幅断片中に認識部位があるものから当業者が容易に選択することができるが、TaABA8'ox1A挿入欠失変異部位付近に認識部位を有するものがより好ましい。限定するものではないが、制限酵素は、より好ましくは、TaABA8'ox1A挿入欠失変異部位付近に認識部位を有し、かつ挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子は切断することができるが、野生型TaABA8'ox1A遺伝子は切断しないものがより好ましい。そのような制限酵素としては、限定するものではないが、例えば、5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素が挙げられる。
【0039】
5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素としては、例えば、HaeIII、AcaIV、AspTIII、Asp742I、AvrBI、Bal475I、Bal3006I、Bce71I、Bco33I、Bfi458I、Bim19II、BliI、BluII、BsaRI、BseI、BseQI、BshI、BshAI、BshBI、BshCI、BshDI、BshEI、BshFI、BsiAI、BsiDI、BsiHI、BspANI、BspBRI、BspKI、BspRI、Bsp71I、Bsp137I、Bsp211I、Bsp226I、Bsp1261I、BssCI、BstCI、BstJI、BsuRI、Bsu1076I、Bsu1114I、BteI、ClmI、CltI、Csp2I、DsaII、FinSI、FnuDI、HhgI、MfoAI、MniI、NgoAII、NgoPII、NgoSII、NlaI、OchI、PaiI、PalI、Pde133I、PflKI、PhoI、PlaI、Ple214I、PpuI、Psp29I、SbvI、SfaI、SplIII、SuaI、SulI、TspZNI、TteAI、TtnI、Uba9I、Uba54I、Uba61I、Uba1097I、Uba1140I、Uba1146I、Uba1147I、Uba1150I、Uba1152I、Uba1153I、Uba1155I、Uba1169I、Uba1174I、Uba1175I、Uba1176I、Uba1178I、Uba1179I、Uba1207I、Uba1208I、Uba1209I、Uba1210I、Uba1214I、Uba1223I、Uba1228I、Uba1230I、Uba1231I、Uba1235I、Uba1288I、Uba1292I、Uba1293I、Uba1319I、Uba1322I、Uba1336I、Uba1377I、Uba1388I、Uba1392I、Uba1395I、Uba1408I、Uba1418I、Uba1422I、Uba1429I、Uba1449I、Uba1450I、Van91III、VhaI、Vha1168I、及びVniI等が挙げられる。
【0040】
好ましい一実施形態では、例えば、配列番号8で示される塩基配列からなるフォワードプライマーと、配列番号9で示される塩基配列からなる塩基配列からなるリバースプライマーによって得られる増幅断片(典型的には181bp)を、5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素(例えばHae III)で処理した場合、TaABA8'ox1A挿入欠失変異(図2)が存在すれば、典型的には、122bpと59bpの切断断片が生成される。一方、TaABA8'ox1A挿入欠失変異(図2)が存在しない野生型であれば、典型的には、198bpの増幅断片が切断されずに残る。このような切断パターンに基づいて、挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子を有するか、野生型TaABA8'ox1A遺伝子を有するかを判定することにより、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を検出することができる。
【0041】
本発明に係る検出方法では、以上のようにして、被験コムギのゲノムにおける、TaABA8'ox1A挿入欠失変異(又は挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子)を検出することができる。本発明に係る検出方法によれば、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合で有する被験コムギだけでなく、当該挿入欠失変異をヘテロ接合で有する被験コムギについても、その変異を陽性検出することができる。例えば、TaABA8'ox1A挿入欠失変異の存在を示す増幅断片又はその切断断片のパターンのみが示された場合には、その被験コムギはTaABA8'ox1A挿入欠失変異についてホモ接合であると判定できる。TaABA8'ox1A挿入欠失変異の存在を示す増幅断片又はその切断断片のパターンと、野生型TaABA8'ox1A遺伝子の存在を示す増幅断片又はその切断断片のパターンとが両方示された場合には、その被験コムギはTaABA8'ox1A挿入欠失変異についてヘテロ接合であると判定できる。野生型TaABA8'ox1A遺伝子の存在を示す増幅断片又はその切断断片のパターンのみが示された場合には、その被験コムギはTaABA8'ox1A挿入欠失変異を有さない野生型であると判定できる。
【0042】
このようにして検出されるTaABA8'ox1A挿入欠失変異は、フレームシフトを生じ、好ましくは併せてイントロンの切り出しも妨げることにより、野生型TaABA8'ox1A遺伝子によりコードされるアブシジン酸8'位水酸化酵素のC末端アミノ酸配列を大幅に変更してしまう(図5)。アブシジン酸8'位水酸化酵素はシトクロムP450スーパーファミリーに分類されるが、シトクロムP450ファミリーのヘム結合領域のCys残基よりC末端側には、6番目の基質の認識に関わる部位がある(今井嘉郎、化学と生物、Vo. 36, No.8(1998)、Gotoh, J. Biol. Chem., 267,83 (1992))。植物のアブシジン酸8'位水酸化酵素のアミノ酸配列を比較すると、ヘム結合領域のCys残基よりC末端側に高度に保存されたアミノ酸配列(PFxxPxxGL)があるが、シロイヌナズナのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子CYP707A2の変異体cyp707a2-2では、7番目のイントロンにT-DNAが挿入されることによりPFxxPxxGL配列を含むC末端領域が翻訳されなくなる(Kushiro et al., EMBO, 2004)。このcyp707a2-2変異体の種子発芽は、野生型に比較して顕著に遅延することから、アブシジン酸の代謝活性を失っていると考えられる(Kushiro et al., EMBO, 2004)。このようにC末端アミノ酸を欠失したアブシジン酸8'位水酸化酵素は活性を喪失する可能性が高い。本発明のTaABA8'ox1A挿入欠失変異を有するTaABA8'ox1A遺伝子は、活性が大きく低下したか又は活性を喪失しているアブシジン酸8'位水酸化酵素しか発現できず、その機能が抑制されている。従って本発明に係る検出方法では、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を検出することにより、被験コムギの有するAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子(TaABA8'ox1A遺伝子)の機能抑制変異を検出することができる。
【0043】
本発明では、このようにしてTaABA8'ox1A遺伝子における挿入欠失変異(TaABA8'ox1A挿入欠失変異)を検出することにより、TaABA8'ox1A遺伝子の機能抑制変異を有するコムギを選抜(判別)することができる。選抜されるコムギは、典型的には、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合若しくはヘテロ接合で有するコムギ品種・系統(以下に限定するものではないが、例えば、銘賢169号、通州小白玉、及び紅芒炸など)又はそれを少なくとも一方の育種親とする交配により得られる子孫コムギ(例えば、F1〜F5コムギ等)であり得る。本発明はこのようなTaABA8'ox1A遺伝子(コムギAゲノムのABA8'ox遺伝子)の機能抑制変異を有するコムギの選抜(判別)方法も提供する。
【0044】
本発明に係る検出方法によりAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異としてTaABA8'ox1A挿入欠失変異の存在が検出された被験コムギは、機能抑制変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の供給源として育種において有利に利用できる。
【0045】
(2)種子休眠性を強化したコムギの育種方法
本発明に係る検出方法によれば、上記のTaABA8'ox1A挿入欠失変異を有するAゲノムの挿入欠失変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子を保持する被験コムギを効率良く選抜することができる。本発明に係る検出方法では、そのようなAゲノムの挿入欠失変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子又はその野生型遺伝子をホモ接合で有する個体だけでなく、ヘテロ接合で有する個体も、それぞれ判別し、選抜することができる。
【0046】
このようにして選抜されたAゲノムの挿入欠失変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子を有するコムギは、TaABA8'ox1同祖遺伝子群(TaABA8'ox1A、TaABA8'ox1B、TaABA8'ox1D)の2つ以上を機能抑制させた変異体を作出する上で、育種親として有利に使用できる。本発明では、このように選抜されたAゲノムの挿入欠失変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子を有するコムギを、育種親として、コムギの育種に用いることができる。
【0047】
Aゲノムの挿入欠失変異型アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子(TaABA8'ox1A挿入欠失変異)をコムギに導入することに基づく育種では、発芽抑制(種子休眠性の強化)という目的の形質だけを導入するために、当該変異をヘテロ接合で有するコムギ個体を野生型個体に戻し交配することを繰り返す連続戻し交配を行うことが好ましい。本発明に係る方法によれば、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をヘテロ接合で有するコムギ個体(ヘテロ接合体)を、ホモ接合体や野生型と区別して検出(判別)することができるため、育種過程において後代検定を行う必要が無く、有利である。
【0048】
すなわち本発明は、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をコムギに導入することにより種子休眠性が強化されたコムギを育種する方法において、本発明に係る検出方法を用いてAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異をヘテロ接合で有するコムギ(個体)を判別し、判別したヘテロ接合のコムギ(個体)を少なくとも一方の育種親として戻し交配に用いることを含む方法も提供する。判別対象のコムギは、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合又はヘテロ接合で有するか又は有する可能性があるコムギであってよく、既存の品種又は系統のコムギであっても突然変異誘発等により新たに得た品種又は系統であってもよい。判別対象のコムギはまた、そのようなTaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合又はヘテロ接合で有しうるコムギを、野生型又は他のコムギ品種・系統と交配するか又は自家交配して得られる子孫コムギであってもよい。子孫コムギは、F1個体であってもよいし、F2〜F5個体であってもよいし、そのさらに後代の個体であってもよい。戻し交配は、特定の交配相手のコムギ植物との戻し交配を繰り返し行う連続戻し交配であることが好ましい。この場合、交配相手は反復親と呼ばれることがある。
【0049】
育種における交配相手のコムギは、特に限定されないが、野生型の他、機能抑制(機能欠損又は機能低下)した他のTaABA8'ox1同祖遺伝子(TaABA8'ox1B、TaABA8'ox1D)を有するコムギであってもよい。機能抑制(機能欠損又は機能低下)したTaABA8'ox1B、D遺伝子を有するコムギと交配し、双方の機能抑制変異をコムギに導入することにより、コムギ個体全体としてのABA8'ox活性を低下させ、それにより、発芽を効果的に抑制し、種子休眠性を強化することができる。このような育種において、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有する(特にヘテロ接合で有する)子孫コムギを、本発明に係る検出方法を用いて確実に判別し、育種親として用いることは非常に有利である。
【0050】
TaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異が2種以上集積した子孫コムギでは、アブシジン酸8'位水酸化酵素の植物全体としての活性レベルが顕著に低下する。その結果、TaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異が集積した子孫コムギでは、種子休眠性が強化される。
【0051】
本発明における「種子休眠性」のレベルは、種子休眠性の指標となる、吸水処理後の種子の発芽率で表すことができる。まず、発芽試験として、No.2濾紙を2枚入れた直径9cmのシャーレに蒸留水を6mL添加し、その濾紙の上に被験コムギ(育種親コムギ、子孫コムギ等が含まれる)から採種した種子を並べることにより吸水を開始させ、その後、24時間毎に発芽粒数を調べ、累積発芽粒数を吸水刺激処理の7日後まで計数する。この発芽試験は、20℃暗所にて行う。吸水処理した種子の総数に対する発芽した種子の累積数の割合を、発芽率(%)として算出する。種子休眠性を調べるコムギ種子は、限定するものではないが、例えば、開花後49日目の種子、又は開花後70日目の種子であってよい。吸水処理の7日後の発芽率(%)(累積発芽率)が、子孫コムギの育種親のコムギ品種若しくは系統と比較して有意に低減しているか又は発芽率0%であることが示される場合には、当該子孫コムギの種子休眠性が育種親よりも強化されていることが実証される。
【0052】
TaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異が集積した子孫コムギでは、吸水処理後も種子の発芽を抑制することができることから、本育種方法によれば、TaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異をコムギ個体に集積することにより、コムギ種子の発芽を抑制することができる。このようなコムギ種子発芽抑制方法も本発明の範囲に含まれる。
【0053】
(3)プライマー及びキット
本発明は、本発明に係る検出方法に好適に用いることができるプライマーセットも提供する。プライマーセットとは、所定の領域を増幅することができる2つ以上のプライマーを組み合わせたものをいい、2つのプライマーからなるプライマーセットはプライマーペアと呼ぶことがある。
【0054】
本発明に係るそのようなプライマーセットの一実施形態は、(i) 配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、(ii) 配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、を含む、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のオリゴヌクレオチドプライマーセットである。
【0055】
このプライマーセットは、一実施形態では、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーとを含むことが好ましい。
【0056】
このプライマーセットのさらに好ましい一実施形態では、配列番号8で示される塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマー、配列番号9で示される塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーとを含む。
【0057】
本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、少なくとも15塩基(bp)、好ましくは15〜50塩基(bp)、より好ましくは15〜30塩基(bp)、さらに好ましくは18〜30塩基(bp)(例えば20〜30塩基(bp)又は24〜30塩基(bp))の塩基長を有する。本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、当業者に周知の任意の化学合成法により作製することができ、例えば市販の自動DNA合成装置を使用して慣用手順により合成することができる。本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、オリゴヌクレオチドにさらに任意の修飾が施されたものでもよい。例えば本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、その5'末端又は3'末端に当該プライマーの検出や増幅を容易にするための標識物質(例えば、蛍光分子、色素分子、放射性同位元素、ジゴキシゲニンやビオチン等の有機化合物など)及び/又は付加配列(LAMP法で用いるループプライマー部分等)を含んでいてもよい。本発明に係るプライマーは、5'末端でリン酸化又はアミン化されていてもよい。本発明に係るプライマーはまた、天然塩基のみを含んでもよいし、修飾塩基を含んでもよい。修飾塩基としては、デオキシイノシン、デオキシウラシル、S化塩基などが挙げられるが、これらに限定されるものではない。本発明に係るプライマーは、ホスホロチオエート結合やホスホロアミデート結合などを含む任意の誘導体オリゴヌクレオチドを含むものであってもよいし、ペプチド核酸結合を含むペプチド-核酸(PNA)を含んでいてもよい。本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーは、DNAであってもRNAであってもよく、RNAである場合には、その塩基配列はDNA配列における「T(チミン)」を「U(ウラシル)」に読み替えるものとする。
【0058】
本発明はまた、本発明に係るオリゴヌクレオチドプライマーセットと制限酵素を含むキットも提供する。好適な実施形態では、該キットは、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のものである。制限酵素は、限定するものではないが、例えば、5'-GGCC-3'を認識配列とするものである。5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素の例は、本発明に係る検出方法において用いる制限酵素について上述した通りである。5'-GGCC-3'を認識配列とする制限酵素の特に好適な例は、HaeIIIである。このコムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のキットは、コムギの種子休眠性を強化する育種用にも非常に便利に使用できる。
【実施例】
【0059】
以下、実施例を用いて本発明をさらに具体的に説明する。但し、本発明の技術的範囲はこれら実施例に限定されるものではない。
【0060】
下記で使用したコムギ品種又は系統は、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 作物研究所(日本)で保存されているもの又は農業生物資源ジーンバンクから分与されたものを用いた。
【0061】
[参考例1] コムギ品種「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列の解析
本発明者による国際出願PCT/JP2010/0535565号明細書に記載のようにして、コムギ品種「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム上の塩基配列(ゲノム配列)を決定した。簡単に説明すると、まずコムギ品種「Chinese Spring(チャイニーズ・スプリング)」の種子を発芽及び発根させ、得られた幼植物体からCTAB法で全RNAを抽出し、RNAを精製し、逆転写反応並びに5'-RACE及び3'-RACEを行い、増幅断片の塩基配列を決定した。得られた部分配列に基づいて設計した各遺伝子特異的プライマーを用いてPCR増幅及び塩基配列決定を行い、コムギのABA8'ox1をコードすると推定された3つの遺伝子の全長cDNA配列を明らかにした。配列解析の結果、「Chinese Spring」から上記の通り単離された3つの遺伝子は、TaABA8'ox1同祖遺伝子群を構成する3つのTaABA8'ox1同祖遺伝子(TaABA8'ox1A、TaABA8'ox1B、及びTaABA8'ox1D)であることが示された。
【0062】
上記で単離したTaABA8'ox1同祖遺伝子群のゲノム配列を明らかにするため、コムギ品種「農林61号(N61)」の葉より常法によりゲノムDNAを抽出・精製し、それを鋳型として、遺伝子特異的プライマーを用いて高忠実性(high fidelity)PCRを行った。得られた増幅断片について塩基配列決定を行うことにより、同祖遺伝子TaABA8'ox1A、TaABA8'ox1B、TaABA8'ox1Dのゲノム配列を決定した。「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列を配列番号1に示す。また「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子の全長cDNA配列を配列番号2に示す。さらに配列番号3に、「農林61号」のTaABA8'ox1A遺伝子の全長cDNA配列によってコードされるTaABA8'ox1Aタンパク質の全長アミノ酸配列を示す。
【0063】
[参考例2] TaABA8'ox1同祖遺伝子変異の集積
本発明者は、コムギ品種「新中長」や「タマイズミ」等がTaABA8'ox1D遺伝子中に挿入変異を有することを見出している(特許文献1)。しかし半数体倍加系統を用いた解析では、TaABA8'ox1D挿入変異のみでは、種子休眠性に対する影響は認められなかった。これは他のTaABA8'ox1同祖遺伝子群によってABA8'ox活性が補完されるためと考えられる。
【0064】
そこで、TaABA8'ox1D遺伝子中に挿入変異を有する品種「タマイズミ」に変異原処理を行い、TaABA8'ox1A又はTaABA8'ox1Bに欠失変異が起きた個体の検出を行った。具体的には、まず「タマイズミ」種子に、変異原処理としてγ線照射又はアジ化ナトリウム処理を行った後、圃場に播種して生育させた。γ線照射は、乾燥種子に対してγ線を10Gy/hで20時間照射することにより行った。アジ化ナトリウム処理は、吸水種子(20℃、48時間)を4mMアジ化ナトリウム溶液に2時間浸漬することにより行った。
【0065】
得られた植物体から自家受粉種子を採種し、その種子(M2世代)を圃場に播種した。γ線照射系統のM2世代(2074系統)、及びアジ化ナトリウム処理系統のM2世代(545系統)のそれぞれの植物体の葉からゲノムDNAを調製し、TaABA8'ox1同祖遺伝子における遺伝子欠失変異の有無を検出した。その結果、γ線照射系統から、TaABA8'ox1Aに対応するバンドが増幅されない個体(TaABA8'ox1A/TaABA8'ox1D変異体:以下、184G4とする)を1個体見いだした。また184G4が「タマイズミ」が有するTaABA8'ox1D遺伝子中の挿入変異を保持していることが確認された。
【0066】
さらに184G4について、TaABA8'ox1A中の遺伝子変異がどの領域で起きているかを調べた。その結果、複数のDNAマーカーによる解析で、TaABA8'ox1Aに由来するバンドが認められなかったことから、184G4ではTaABA8'ox1Aの座乗する領域が広く欠失していると考えられた。この個体184G4から自家受粉種子(M3世代)を採種し、その遺伝子型を各M3個体について調べたところ、同様のTaABA8'ox1A/TaABA8'ox1D遺伝子変異が確認された。
【0067】
184G4では、TaABA8'ox1Aが欠失し、またTaABA8'ox1Dが挿入変異により機能喪失していることが示された。このことから、184G4ではTaABA8'ox1同祖遺伝子のうち活性を有しているのはTaABA8'ox1Bのみであるため、発芽時のABA8'ox1活性が親品種「タマイズミ」よりも低下していると考えられた。
【0068】
そこで次に、発芽能を調べるため、TaABA8'ox1同祖遺伝子変異体184G4(M4世代)と親品種「タマイズミ」を温室で栽培し、1穂ずつ開花日を穂にラベルした。種子(M5世代)が十分に成熟した開花後49日目、及び開花後70日目に、種子を採種し、20℃暗所で発芽試験を行った。
【0069】
発芽試験は、No.2濾紙を2枚入れた直径9cmのシャーレに蒸留水を6mL添加し、種子を15粒ずつ並べて吸水させることにより行った。また、発芽試験は3連で(in triplicate)行った。吸水開始後は、24時間毎に発芽粒数を調べ、発芽した種子は取り除いた。種子総数(15粒)に対する発芽した種子の累積数の割合を、発芽率(%)として算出した。その結果、184G4の種子発芽は、開花後49日目の種子、及び開花後70日目の種子はいずれも、親品種「タマイズミ」と比較して明らかに抑制されていた。
【0070】
この結果から、TaABA8'ox1A遺伝子を始めとするTaABA8'ox1同祖遺伝子群の機能抑制変異(例えば、機能欠失変異)を集積することにより、種子休眠性を強めることができることが示された。特に、TaABA8'ox1A遺伝子の機能抑制変異は、種子休眠性を強化する上で重要と思われる。
【0071】
[実施例1] TILLING法によるTaABA8'ox1A遺伝子変異の検出
TILLING法により、各種コムギ品種・系統についてTaABA8'ox1A遺伝子内の変異を探索した。TILLING(Targeting Induced Local Lesion IN Genomes)法は、突然変異誘発した個体集団などの、ある程度のサイズの集団内の各個体から目的の核酸領域をPCR増幅し、増幅産物を集団内で混合、変性及び再会合させ、SNPなどの変異の存在によって生じるミスマッチを酵素消化により切断することにより、集団内の変異を検出するという逆遺伝学的手法である(McCallum C.M. et a., Nature Biotechnology 18: 455 (2000))。
【0072】
具体的には、まず、510の品種・系統のコムギ遺伝資源由来の葉から、DNeasy Plant Mini Kit(QIAGEN)を用いてゲノムDNAを抽出・精製した。得られたゲノムDNAを鋳型として、TaABA8'ox1同祖遺伝子群に対する遺伝子特異的プライマー(TaABAox1.S7:5'-CTCCCTCGGCTCCTGGGAAGAC-3';配列番号4)及びTaABA8'ox1A遺伝子特異的プライマー(TaABAox1.A2_GGCA:5'-CGTCGCCTCTATCGTGCCGTTGAT-3';配列番号5)の組合せを用いて、PrimeSTAR HS DNAポリメラーゼ(TaKaRa)による高忠実性(high fidelity)PCRを行った。反応液組成は、酵素に添付される説明書に従った。PCR反応の温度サイクルは、変性を98℃で10秒、アニーリング及び伸長反応を72℃で1分30秒を35サイクル行った。
【0073】
次に、異なる品種・系統のゲノムDNAを鋳型として増幅されたDNA断片をランダムに組み合わせて等量ずつ混合し、SURVEYOR Mutation Detection Kit for Standard Gel Electrophoresis(Transgenomic社)の説明書に従って、DNAをハイブリダイズさせ、SURVEYORヌクレアーゼ(セロリ由来ヌクレアーゼ)で処理して、遺伝子変異の検出を試みた。変異を有するDNA断片が混合物に含まれていた場合、ハイブリダイゼーションにより形成されるヘテロ二重鎖(約1.5kb)は、SURVEYORヌクレアーゼによりミスマッチ部位で切断される。図1には、SURVEYORヌクレアーゼで処理したヘテロ二重鎖の電気泳動写真による遺伝子変異の検出の例を示す。図1に示されるように、農業生物資源ジーンバンクに登録されている3つの品種・系統について、SURVEYORヌクレアーゼによる切断断片(約0.5kb及び約1.0kb)が示され、遺伝子変異の存在が検出された。「通州小白玉」(Tuushuu koshirodama; ジーンバンクNo. JP21749)、「銘賢169号」(Meiken 169; ジーンバンクNo. JP21513)、及び「紅芒炸」(Hong Wang Zha; ジーンバンクNo. JP21588)の3つの品種・系統について、TaABA8' ox1A遺伝子内に変異を有することが示された。
【0074】
[実施例2] TaABA8'ox1A変異部位の塩基配列の解析
TILLING法により切断断片が認められた「銘賢169号」、「紅芒炸」、「通州小白玉」について、上記プライマーTaABAox1.S7及びTaABAox1.A2_GGCAのプライマーペアでPCR増幅したDNA断片を、Zero Blunt-TOPO ベクター(Invitrogen)にクローニングし、16クローンの塩基配列を決定することにより、増幅断片の塩基配列を調べた。PCR増幅断片の塩基配列決定は、自動シークエンシングシステム(ABI3100Avant, Applied Biosystems)を用いたジデオキシヌクレオチド・チェーン・ターミネーション法により行った。配列解析は、DNASYS(Hitachi Software Engineering Co.、日本)を用いて実施した。その結果、「銘賢169号」、「紅芒炸」及び「通州小白玉」におけるTaABA8'ox1A遺伝子の塩基配列は同一であった(配列番号6)。
【0075】
さらに、他の品種・系統との配列比較により、これらの塩基配列が、「農林61号(N61)」には認められない挿入欠失変異(図2中、点線で囲まれた部分)を有していることが示された。具体的には、「銘賢169号」、「紅芒炸」及び「通州小白玉」は、「農林61号(N61)」のTaABA8'ox1A遺伝子のゲノム配列(配列番号1)の1616位〜1642位に相当する領域内で17塩基を欠失していた(図2)。この挿入欠失変異は第3イントロンとその下流の第4エクソンにまたがって存在していた。
【0076】
図3には、TaABA8' ox1A遺伝子内のこの挿入欠失変異の位置を、実施例で使用した各プライマーのTaABA8'ox1遺伝子上の設計位置とともに示している。
【0077】
[実施例3] TaABA8'ox1A挿入欠失変異品種・系統におけるイントロン切り出しの欠損
図2及び図3に示すように、上記実施例で検出されたTaABA8'ox1A遺伝子内の挿入欠失変異(TaABA8'ox1A挿入欠失変異とも呼ぶ)の部位は第3イントロンと第4エクソンにまたがっており、イントロンの下流末端に通常存在するスプライスアクセプター部位を失っていると考えられた。そこで、TaABA8'ox1A挿入欠失変異品種・系統において、スプライシングによるTaABA8'ox1A遺伝子の前駆RNAからのイントロンの切り出しが正常に行われるかどうかを調べた。
【0078】
まず、コムギ品種「Chinese Spring(チャイニーズ・スプリング)」、「農林61号」及び「紅芒炸」の種子を15℃で6時間吸水させ、胚を採取した。胚からの全RNAの抽出は、TRIsol試薬(Invitrogen)を用いて使用説明書に従って行った。次に、全RNAからDynabeads Olygo (dT)25 resin(Dynal)を用いてpoly(A)+ RNAを精製し、Marathon cDNA Amplification Kit(Clontech)の使用説明書に従い逆転写反応を行った。逆転写により得られた一本鎖DNAを鋳型として、TaABA8'ox1同祖遺伝子群に対する遺伝子特異的プライマー(TaABAox1.S1:5'-AGGCCGTGGAGGACGTGGAGTACC-3';配列番号7)及び上記遺伝子特異的プライマー(TaABAox1.A2_GGCA:5'-CGTCGCCTCTATCGTGCCGTTGAT-3';配列番号5)との組合せ(図3)を用いて、PrimeSTAR HS DNAポリメラーゼ(TaKaRa)による高忠実性PCRを行った。反応液組成は、酵素に添付される説明書通りで行った。PCR反応の温度サイクルは、変性を98℃で10秒、アニーリング及び伸長反応を72℃で1分を35サイクル行った。このPCRにより得られた増幅断片を、1.5%アガロースゲル(1xTAEバッファー)で電気泳動した。
【0079】
その結果、図4に示すように、「Chinese Spring」及び「農林61号」では、イントロンが正常に切り出された成熟mRNAが検出されたのに対し、「紅芒炸」では、イントロンが切り出されていない未成熟RNAのみが検出され、成熟mRNAは検出されなかった。TaABA8'ox1A挿入欠失変異品種「紅芒炸」では、TaABA8'ox1A RNAからのイントロンのスプライシングが正常に行われず、その結果、成熟mRNAが生成されていないと考えられる。
【0080】
そこで、増幅されたDNA断片について、実施例2と同じ手法で各断片の塩基配列を決定した。その結果、「紅芒炸」については、第3イントロンが切り出されていないRNA由来の増幅断片と、第3及び第4イントロンが切り出されていないRNA由来の増幅断片とが生成されたことが確認された。
【0081】
[実施例4] 挿入欠失変異を含むTaABA8'ox1A遺伝子の推定アミノ酸配列の解析
実施例3で示すように、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有する「紅芒炸」では、イントロンの切り出しが正常に行われていない。そのため、TaABA8'ox1A挿入欠失変異品種・系統において挿入欠失変異を有するTaABA8'ox1A遺伝子から産生されるタンパク質(挿入欠失変異型TaABA8'ox1A)には、正常なTaABA8'ox1Aタンパク質には含まれないアミノ酸配列が存在すると考えられる。
【0082】
図5に、挿入欠失変異型TaABA8'ox1Aの推定アミノ酸配列(第3イントロンが切り出されなかったもの)と、他のABA8'oxタンパク質のアミノ酸配列との比較を示す。この挿入欠失変異型TaABA8'ox1Aでは、第3イントロンが切り出されずに残存したことにより、イントロン配列にコードされるアミノ酸配列が追加され、併せてフレームシフトが生じて挿入欠失変異部位より下流領域のアミノ酸配列が変化している(図5)。これは第3イントロン及び第4イントロンが切り出されていない挿入欠失変異型TaABA8'ox1Aでも同様である。したがって挿入欠失変異型TaABA8’ox1Aは、他の植物種のABA8'ox1で保存されているABA8'oxの機能発現に必要な領域(ヘム結合領域等)を含まないため、ABA8'ox活性(アブシジン酸分解活性)は大きく低下することになる。
【0083】
[実施例5] TaABA8'ox1A挿入欠失変異を特異的に検出するDNAマーカーの開発
上記実施例で見出された「銘賢169号」、「紅芒炸」、及び「通州小白玉」のTaABA8'ox1A挿入欠失変異を特異的に検出するDNAマーカーの作製を行った。ここでは、挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子とTaABA8'ox1A正常型遺伝子とのヘテロ接合体を明確に見分けられるように、双方の遺伝子を異なる増幅断片として増幅することができるプライマーペアの作製を試みた。
【0084】
プライマーペアは、TaABA8'ox1A挿入欠失変異部位を含む領域を増幅するように、挿入欠失変異型TaABA8'ox1A遺伝子の挿入欠失変異部位の上流及び下流の塩基配列(TaABA8'ox1Aの挿入欠失変異型遺伝子と野生型遺伝子に共通の配列)に基づいて設計した。具体的には、TaABA8'ox1A遺伝子の第3イントロンの塩基配列を基に、TaABA8'ox1A遺伝子特異的プライマーTaABAox1a_S1(5'-GACGCGCTCCTAACTCAAGGGAAAC-3'; 配列番号8)を設計し、第4イントロンの塩基配列を基に、TaABA8'ox1A遺伝子特異的プライマーTaABAox1a_A1(5'-CAGAGGGCTGTGAATGATGATGCTG-3'; 配列番号9)を設計し、合成した。このプライマーペア(DNAマーカー:a_S1a_A1)とEX Taq Hot Start DNAポリメラーゼ(TaKaRa)を使用し、「銘賢169号」、「紅芒炸」、及び「通州小白玉」からそれぞれ調製したゲノムDNAを鋳型として、また、コントロールとしては「農林61号」及び「Chinese Spring」よりそれぞれ調製したゲノムDNAを鋳型として、酵素に添付される反応条件でPCRを行った。PCR反応の温度サイクルは、変性を98℃で10秒、アニーリング及び伸長反応を68℃で45秒を35サイクル行った。
【0085】
得られた増幅断片(a_S1a_A1の増幅断片)は、挿入欠失変異型(181 bp)と野生型(198 bp)の間で長さが異なっている。そこでそれらの増幅断片を1.5%アガロースゲル(1x TAEバッファー)で電気泳動したところ、挿入欠失変異型と野生型の増幅断片のバンドを判別することができた(図6の左側レーン)。
【0086】
さらに、a_S1a_A1の増幅断片を、制限酵素HaeIII(認識配列:5'-GGCC-3')で酵素に添付の説明書に従って切断し、得られた切断断片を1.5%アガロースゲル(1x TAEバッファー)で電気泳動した(図6の右側レーン)。図6に示すように、TaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合で有する挿入欠失変異品種・系統の「銘賢169号」、「紅芒炸」、及び「通州小白玉」では、a_S1a_A1の増幅断片がHaeIIIで切断され、122 bpと59 bpとの2本のバンドとして検出された。一方、野生型品種・系統の「農林61号」及び「Chinese Spring」の増幅断片にはHaeIIIの制限酵素切断部位がないため、増幅断片は切断されず、198 bpの1本のバンドとして検出された。
【0087】
さらに、これらの挿入欠失変異に対応するバンドと野生型に対応するバンドは容易に区別可能であった。従って、挿入欠失変異型と正常型のTaABA8'ox1A遺伝子を併せ持つヘテロ接合体の場合でも、a_S1a_A1の増幅断片をHaeIIIで切断するDNAマーカー(a_S1a_A1/HaeIII)を用いた判別によって、より明確な検出が可能になると思われた。
【0088】
[実施例6] a_S1a_A1/HaeIIIによるヘテロ接合体の検出
実施例5で開発したTaABA8'ox1A挿入欠失変異を特異的に検出するDNAマーカーを用いて、コムギ品種「タマイズミ」と「銘賢169号」とを交配したF1世代を材料に、各個体の遺伝子型を調べた。
【0089】
TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有しないコムギ品種「タマイズミ」とTaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合で有するコムギ品種「銘賢169号」とを交配して得られたF1世代の11個体より常法により抽出及び調製したゲノムDNAを鋳型として、実施例5と同様の手順で、TaABA8'ox1A遺伝子特異的プライマーTaABAox1a_S1及びTaABAox1a_A1のプライマーペアを用いたPCR増幅を行った。得られた増幅断片を、実施例5と同様に、HaeIIIで処理した後、電気泳動を行ってTaABA8'ox1A挿入欠失変異を示すバンドの有無を観察し、TaABA8'ox1A遺伝子内の上記挿入欠失変異の有無を調べた。
【0090】
その結果を図7に示す。全てのF1個体について、TaABA8'ox1Aの挿入欠失変異型と野生型のそれぞれを示すバンドが両方とも観察されたことから、それらがTaABA8'ox1A挿入欠失変異をヘテロ接合で有することが確認された。したがって、DNAマーカーa_S1a_A1/HaeIIIによる識別が、ヘテロ接合体の検出に有効であることが確認された。
【0091】
さらに、TaABA8'ox1A挿入欠失変異を有しない野生型のコムギ品種(タマイズミ)についてはTaABA8'ox1Aの野生型のバンドのみが明瞭に観察され、またTaABA8'ox1A挿入欠失変異をホモ接合で有するコムギ品種(銘賢169号)についてはTaABA8'ox1Aの挿入欠失変異型のバンドのみが明瞭に観察された。そしてTaABA8'ox1Aの挿入欠失変異型と野生型のバンドは、互いに明瞭に区別することができた。すなわちDNAマーカーa_S1a_A1/HaeIIIは共優性マーカーである。本発明の方法により、TaABA8'ox1A挿入欠失変異についてのホモ接合体(変異型ホモ接合体)及びヘテロ接合体(変異型ヘテロ接合体)、並びにTaABA8'ox1A挿入欠失変異を有しない野生型ホモ接合体の個体を、各々区別して検出することができることが示された。
【0092】
なおプライマーTaABAox1a_S1及びTaABAox1a_A1は、TaABA8'ox1A遺伝子、TaABA8'ox1B遺伝子、TaABA8'ox1D遺伝子の間で配列の相同性が比較的低い領域内に、TaABA8'ox1A遺伝子配列特異的に設計している。したがってこれらのプライマーを核酸増幅に用いることにより、TaABA8'ox1B遺伝子及びTaABA8'ox1D遺伝子からの増幅を効果的に抑制し、バックグラウンドを低減することで、TaABA8'ox1A挿入欠失変異の検出をより特異的なものにすることができた。
【産業上の利用可能性】
【0093】
本発明の方法によれば、幼植物体等を含む任意のコムギ由来植物試料について、所定のTaABA8'ox1A遺伝子の機能抑制変異を含有するか否かを明確に判定することができる。本発明では特に、そのようなTaABA8'ox1A遺伝子変異をヘテロ接合で有する変異型ヘテロ接合体も、変異型ホモ接合体及び野生型ホモ接合体と区別して検出(判別)することができる。連続戻し交配を行う際に本手法を用いて検出すれば、後代の遺伝子型を調べずに目的の形質を持つ系統を選抜できるため、育種年限が大幅に短縮される。他のTaABA8'ox1遺伝子の機能抑制変異(機能欠損変異や機能低下変異など)を有する他の品種・系統を、本発明に係るTaABA8'ox1A挿入抑制変異を有する品種・系統と既知の交配育種方法により交配し、TaABA8'ox1遺伝子変異を2つ以上集積すれば、コムギ全体としてのABA8'ox活性を効率よく低下させ、発芽を抑制することにより、種子休眠性が強化されたコムギを効率的に作出することができる。すなわち本発明の方法は、育種現場におけるTaABA8'ox1A遺伝子変異の導入に伴う従来の労力を大幅に軽減できる点で特に有用である。
【配列表フリーテキスト】
【0094】
配列番号1:TaABA8'ox1Aゲノム配列 (N61)
配列番号2:TaABA8'ox1A 完全長cDNA配列(N61)
配列番号3:完全長TaABA8'ox1Aタンパク質 (N61)
配列番号4:プライマーTaABAox1.S7
配列番号5:プライマーTaABAox1.A2_GGCA
配列番号6:TaABA8'ox1A ゲノム配列(変異体; 紅芒炸)
配列番号7:プライマーTaABAox1.S1
配列番号8:プライマーTaABAox1a_S1
配列番号9:プライマーTaABAox1a_A1
配列番号10:TaABA8' ox1A (N61) 部分タンパク質配列
配列番号11:TaABA8' ox1A (変異体; 紅芒炸) 部分タンパク質配列
配列番号12:TaABA8' ox1B 部分タンパク質配列
配列番号13:TaABA8' ox1D 部分タンパク質配列
配列番号14:Triticum aestivum ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号15:Hordeum vulgare ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号16:Oryza sativa ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号17:Zea mays ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号18:Sorghum bicolor ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号19:Ricinus communis ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号20:Solanum tuberosum ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号21:Populus trichocarpa ABA8' ox 部分タンパク質配列
配列番号22:Arabidopsis thaliana ABA8' ox (CYP707A1) 部分タンパク質配列
配列番号23:Arabidopsis thaliana ABA8' ox (CYP707A2) 部分タンパク質配列
配列番号24:Arabidopsis thaliana ABA8' ox (CYP707A3) 部分タンパク質配列
配列番号25:Arabidopsis thaliana ABA8' ox (CYP707A4) 部分タンパク質配列
配列番号26:TaABA8' ox2 部分タンパク質配列
配列番号27:OsABA8' ox2 部分タンパク質配列
配列番号28:OsABA8' ox3 部分タンパク質配列
配列番号29:TaABA8' ox1A (N61) 配列
配列番号30:TaABA8' ox1A (mutant) 挿入欠失変異部位

【特許請求の範囲】
【請求項1】
被験コムギ由来のゲノムDNAを鋳型として、
(i)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第3イントロン内に位置する配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、
(ii)アブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の第4エクソン又は第4イントロン内に位置する配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含むプライマーセットを用いた核酸増幅を行い、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子における挿入欠失変異を検出することを含む、被験コムギのAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異を検出する方法。
【請求項2】
前記フォワードプライマーが、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含み、前記リバースプライマーが配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記フォワードプライマーが、配列番号8で示される塩基配列を含み、前記リバースプライマーが配列番号9で示される塩基配列を含む、請求項2に記載の方法。
【請求項4】
前記核酸増幅によって得られる増幅断片を制限酵素で処理し、その切断パターンに基づいて、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子における挿入欠失変異を検出する、請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
制限酵素が5'-GGCC-3'を認識配列とするものである、請求項4に記載の方法。
【請求項6】
制限酵素がHaeIIIである、請求項5に記載の方法。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか1項に記載の方法を用いて、Aゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異をヘテロ接合で有するコムギを判別し、それを戻し交配に用いることを含む、種子休眠性が強化されたコムギの育種方法。
【請求項8】
(i) 配列番号1の1436位〜1611位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含むオリゴヌクレオチドフォワードプライマーと、
(ii) 配列番号1の1643位〜1837位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含むオリゴヌクレオチドリバースプライマーと、
を含む、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のオリゴヌクレオチドプライマーセット。
【請求項9】
前記フォワードプライマーが、配列番号1の1567位〜1591位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列を含み、前記リバースプライマーが配列番号1の1740位〜1764位の塩基配列上の連続した少なくとも15塩基の塩基配列の相補配列を含む、請求項8に記載のプライマーセット。
【請求項10】
前記フォワードプライマーが、配列番号8で示される塩基配列を含み、前記リバースプライマーが配列番号9で示される塩基配列の相補配列を含む、請求項9に記載のプライマーセット。
【請求項11】
請求項8〜10のいずれか1項に記載のプライマーセットと制限酵素とを含む、コムギAゲノムのアブシジン酸8'位水酸化酵素遺伝子の機能抑制変異検出用のキット。
【請求項12】
制限酵素が5'-GGCC-3'を認識配列とするものである、請求項11に記載のキット。
【請求項13】
制限酵素がHaeIIIである、請求項12に記載のキット。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2012−235742(P2012−235742A)
【公開日】平成24年12月6日(2012.12.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−107156(P2011−107156)
【出願日】平成23年5月12日(2011.5.12)
【出願人】(501203344)独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 (827)
【Fターム(参考)】