説明

シースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置

【課題】キャピラリー及びニードルの寿命を延ばし、安定した陰イオンの測定を可能とする。
【解決手段】試料12の分離を行うキャピラリー電気泳動装置(CE)10と、分離された試料を霧化するスプレイヤー30と、霧化した試料から陰イオン性化合物を分析する質量分析計(MS)40を備え、前記スプレイヤーにシース液を供給するようにされたシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置において、前記スプレイヤーのニードル33を、イオン化傾向が水素より小さい金属(例えば白金や金)で形成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、シースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計(CE−MS)法を用いて陰イオン性化合物を測定する装置の改良に関するものである。
【背景技術】
【0002】
これまで、数十種類以上の陰イオン性化合物を測定する場合は、発明者が開発し、特許文献1や非特許文献1に記載したキャピラリー電気泳動−質量分析計(CE−MS)法の陰イオンモードを用いて行われていた。この方法は、図1に示すように、陽イオン性ポリマー22で被覆されたキャピラリー20を用いて、該キャピラリー20の出口が陽極になるように電圧を印加し、電気浸透流(EOF)と言われる液流を陽極(出口)側に反転させ、キャピラリー出口で陰イオン性化合物を質量分析計(MS)40で検出するものである。この方法によって、数百種類以上の陰イオン性化合物の一斉分析が可能になった。
【0003】
なお、キャピラリー電気泳動−飛行時間型質量分析計(CE−TOFMS)法によるメタボローム測定の方法論は、非特許文献2に記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特許第3341765号公報
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Soga, T., et al. Anal. Chem., 74, 2233-2239, 2002
【非特許文献2】Soga, T., et al. J. Biol. Chem., 281, 16768-16776, 2006
【非特許文献3】Soga, T., et al. . J. Chromatogr. A, 1159, 125-133, 2007
【非特許文献4】Smith & Moini Anal. Chem., 73, 240-246, 2001
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかし特許文献1や非特許文献1に記載した測定法は、短時間でキャピラリーが詰まる、キャピラリーに電流が流れなくなるといった問題があり、数回から20回の測定毎にキャピラリーを交換する必要があった。また図2に例示するCE−MSシステムにおいて、キャピラリー電気泳動装置(CE)10と質量分析計(MS)40のインターフェースであるエレクトロスプレイイオン化(Electrospray ionization:ESI)のスプレイヤー30のニードル32の先端(図の下端)が腐食し、頻繁に交換する必要があった。
【0007】
図において、12は試料、14はバッファ液、16は、高圧電源(図示省略)に接続される電極、34は、細かい液滴を生成してイオン化を促進するネブライザガス(例えばN2ガス)をスプレイヤー30に供給するためのネブライザガス入口、36は、シース液をポンプ38によりスプレイに適した流量でスプレイヤー30に供給するためのシース液入口、42は、MS40のサンプリングコーン、44は、MS40の真空隔壁のための毛細管(キャピラリーとも称する)、46はスキマー、48は、イオンを効率良く四重極に導くためのオクタポール、50は入口レンズ、52は四重極、54はHED検出器である。
【0008】
さらに、前述の方法では、クエン酸、イソクエン酸、2,3−ジホスホグリセレート(2,3−DPG)、ATP、GTP、CoA、NADHなどの幾つかの陰イオンが数μM以下では検出できない、あるいは感度が極めて低いなどの問題があり、これらの陰イオン(ヌクレオチドなど)に対して、発明者は、もう一つのCE−MSによる測定(PACE−MS)法を開発した(非特許文献3)。しかし、網羅的に陰イオン性化合物を測定するためには、二つの条件で測定しなければならず、時間、労力を要するという問題点があった。
【0009】
本発明は、前記従来の問題点を解決するべくなされたもので、一つの測定条件でほとんど全ての陰イオン性化合物を一斉分析可能とすることを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
前記問題の原因を突き止めるため、発明者は、従来のCE−MS法の陰イオンモードによる測定法で陰イオン標準液を何回か測定し、詰まったキャピラリーおよびESIスプレイヤーのニードルをマイクロスコープで観察した。
【0011】
図3に測定前と電流が流れなくなった167回測定後のキャピラリーの出口(MS側)とESIスプレイヤーのステンレスニードルの外観を示す。詳細に調べたところ、すでに5回の測定後には、キャピラリーの出口に茶色の物質が析出しており、またステンレスニードルが腐食していた。そこで、キャピラリー出口の析出物を特定するため、クロロホルム、イソプロパノール、アセトン、アセトニトリルなどの有機溶媒や、塩酸、硝酸、硫酸などの酸で溶解試験を行った。析出物は塩酸にしか溶解せず、この析出物は鉄などの金属であると推定された。
【0012】
用いたESIスプレイヤー30の材質はほとんどが白金であるが、接液部の一部であるニードル32の材質がステンレス(Fe68%,Cr18%,Ni11%,Mo2%,Ti1%)であった。したがって、キャピラリー内の金属の析出およびスプレーニードルの腐食は、陽極(キャピラリー出口)でステンレスの主成分である鉄、クロム、ニッケルなどが電気分解によって酸化されて金属イオンとなり、これらが陰極方向に泳動するため、キャピラリーに入り、キャピラリー内の塩基性の泳動バッファ(pH8.5)に接触して、図4に示す如く、析出したと考えられた。
【0013】
次に、この析出物を特定するため、キャピラリーを入口から出口まで20cm毎に切断後、複数元素の超高感度分析が可能な高周波誘導結合プラズマ質量分析計(ICP−MS)を用いて、キャピラリーの各部分の含有物を測定した。キャピラリー出口に最も近い部分から鉄(10.4ppb)が検出され、析出物は鉄酸化物(さび)であると特定された。また驚いたことにキャピラリー入口の泳動バッファからニッケル(3.1ppb)が検出された。
【0014】
以上の結果から、図4に示したように、ESIスプレイヤー30のステンレスニードル32から電気分解によって、Fe2+、Fe3+、Ni2+が生成され、これらの金属イオンが、陰極(キャピラリー出口から入口)方向に電気泳動し、Fe2+、Fe3+は、塩基性の泳動バッファ(pH8.5)に接触し、キャピラリー出口に析出し、一方、Ni2+は析出せず、陰極方向に泳動し、キャピラリー入口にある泳動バッファ溶液に流入したと考えられる。
【0015】
この現象によって、キャピラリーの入口に注入された試料の中で、鉄やニッケルなどの金属と錯体形成能の高いクエン酸、イソクエン酸、2,3−ジホスホグリセレート(2,3−DPG)、ATP、GTP、CoA、NADHなどの陰イオンは、電気泳動で陽極に向かう途中に、ニッケルや鉄に出会って錯体を形成するため、質量分析計で検出されない、あるいは感度が低下するという仮説を導いた(有機酸と金属と錯体形成能は表1に示す有機酸の錯安定度定数参照)。
【0016】
【表1】

【0017】
前述の仮説を検証するため、電気分解によって金属イオンが生成しない方法を考案した。ステンレスの材質である、鉄、ニッケルは水素よりイオン化傾向が大きいため、電圧が印加されると酸化され金属イオンとなって溶出する(表2に示すイオン化傾向と標準電位参照)。
【0018】
【表2】

【0019】
しかし、水素よりイオン化傾向が小さい白金、金などの金属を用いた場合は、図5に示したように金属の代わりに水が電気分解され、水素イオン、酸素、電子が生成される(非特許文献4)。
【0020】
そこで、白金ニードルを試作し、白金のESIスプレイヤーに装着(接液部の全ての材質が白金)して陰イオンの測定を行った。その結果、ステンレスニードルで起きた、キャピラリーの詰まり、電流が流れなくなる問題は解決した。さらにクエン酸、イソクエン酸、2,3−ジホスホグリセレート(2,3−DPG)、ATP、GTP、CoA、NADHなどの陰イオン類が1μMでも検出できるようになり、大幅な感度の改善が達成された。これは、図5に示したように、白金ニードル33を使用した場合は、金属イオンが生成されないため、キャピラリー入口から注入された全ての陰イオンが、金属錯体を作ることなく、検出器に到達するからである。
【0021】
なお、非特許文献4は、白金ニードルの使用は、電気分解で生じた水素イオンによるpH変化および酸素ガスの気泡の大量発生によって、CE−MS測定の選択性、分離、再現性に深刻な問題を与えると述べている。しかし、今回の発明で採用したシースフロー方式のCE−MS法では、図5に示すように大過剰の緩衝液をシース液としてESIスプレイヤー30に供給しているため、シース液が気泡を吸収し、水素イオンによるpH変化と酸素ガスの影響はなく、安定した陰イオンの測定が可能となる。
【0022】
本発明は、上記知見に基いてなされたもので、試料の分離を行うキャピラリー電気泳動装置と、分離された試料を霧化するスプレイヤーと、霧化した試料から陰イオン性化合物を分析する質量分析計を備え、前記スプレイヤーにシース液を供給するようにされたシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置において、前記スプレイヤーのニードルを、イオン化傾向が水素より小さい金属で形成することにより、前記課題を解決したものである。
【0023】
ここで、前記イオン化傾向が水素より小さい金属を、白金又は金とすることができる。なお、ニードルの材質としては、白金や金の他、条件によって、例えばシース液のpHが低くない場合には銅を用いることができ、塩素イオンが含まれない場合には銀を用いることができる。
【発明の効果】
【0024】
本発明にかかるニードルを持つスプレイヤーを用いることによって、金属の電気分解を抑制した結果、ニードルおよびキャピラリーの耐久性が大幅に向上した。また金属と錯形成能を持つほとんどの陰イオンの感度が数倍以上向上した。
【0025】
さらに、これまで陰イオンの測定には、陰イオン用とヌクレオチド用の二つの分析条件を用いていたが、今回発明した装置により、一つの分析条件で全ての陰イオン測定が可能になり、分析に要する労力や測定時間を半分以下に低減することができた。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】CE−MSによる陰イオン性化合物の一斉分析の原理を示す図
【図2】CE−MSシステムの構成例を示す図
【図3】従来のステンレスニードル使用時の測定前後のキャピラリー出口及びニードルの外観を示す図
【図4】従来のステンレスニードル使用時の金属の電気分解と金属イオンの動向を示す図
【図5】本発明による白金ニードル使用時の金属の電気分解を示す図
【図6】同じく白金ニードル使用時の測定前後のキャピラリー出口及びニードルの外観を示す図
【図7】ステンレス及び白金ニードル使用時の金属と錯体形成能を持つ陰イオン類の感度を比較して示す図
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下図面を参照して、本発明の実施形態を詳細に説明する。
【0028】
本実施形態は、図2に示したようなシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計において、前記スプレイヤー30のニードルとして白金ニードル33を用いたものである。
【実施例】
【0029】
白金ニードルを装着したESIスプレイヤーを用いたCE−MS法の陰イオンモードによる陰イオンの測定
【0030】
1.CE−MS陰イオンモード測定条件
(1)キャピラリー電気泳動(CE)の分析条件
キャピラリーには、電気浸透流を陽極方向に反転する陽イオンポリマーを化学結合させたナカライテスク製COSMO(+)キャピラリー(内径50μm、外径350μm、全長110cm)を用いた。泳動バッファには、50mM酢酸アンモニウム(pH8.5)を用いた。新品のキャピラリーは、50mM酢酸アンモニウム(pH8.5)、50mM酢酸アンモニウム(pH3.4)、50mM酢酸アンモニウム(pH8.5)でそれぞれ20分洗浄した。測定時は、試料注入前に毎回50mM酢酸アンモニウム(pH3.4)で2分、その後50mM酢酸アンモニウム(pH8.5)で5分、キャピラリーをコンディショニングした。印加電圧は、−30kV、キャピラリー温度は20℃で測定した。試料は、加圧法を用いて50mbarで30秒間(約30nl)注入した。
【0031】
(2)飛行時間型質量分析計(TOFMS)の分析条件
試作の白金ニードルを装着し、全て白金の材質でつくられたESIスプレイヤーを用いた。陰イオンモードを用い、イオン化電圧は3.5kV、フラグメンター電圧は100V、スキマー電圧は50V、オクトポールRFV電圧は200Vに設定した。乾燥ガスには窒素を使用し、温度300℃、7L/分に設定した。シース液は50%メタノール溶液を用い、5mMの酢酸アンモニウム(pH6.9)と質量較正用にHexakis-(2,2-difluorothoxy)-phosphazeneを0.1μMとなるよう混入し10μ/分で送液した。([13C isotopic ion of (2CH3COOH-H)]-, m/z 120.03841)と([Hexakis + CH3COOH-H]-, m/z 680.03554)の質量数を用いて得られた全てのデータを自動較正した。
【0032】
2.耐久性結果
図6に白金ニードル使用時の測定前後のキャピラリーと白金ニードルの外観を示す。前述したように、従来のステンレスニードルでは、出口に鉄さびが析出し、測定167回後には、それ以上電流が流れなくなり測定できなくなった。しかし、白金ニードルでは、541回連続測定しても、キャピラリーへの金属の析出およびニードルの腐食は全く観察されず、初期状態と同じであった。白金ニードルの使用により、キャピラリーおよびニードルの寿命が大幅に延び、安定した陰イオンの測定が可能になった。
【0033】
3.白金ニードルによる金属と錯体形成能を持つ陰イオンの感度の大幅な改善
表3にステンレスニードルおよび白金ニードル使用時の陰イオン類の感度の比較して示す。
【0034】
【表3】

【0035】
図7にステンレスニードルおよび白金ニードル使用時の金属と錯体形成能を持つ陰イオン類の感度の比較を示す。
【0036】
表3、図7に示したようにステンレスニードルを白金ニードルに交換することで数μM以下でもクエン酸(citrate)、イソクエン酸(isocitrate)、2,3−ジホスホグリセレート(2,3−DPG)、ATP、GTP、CoA、NADHなどの陰イオンの検出が可能になり、金属と錯体形成能の高いクエン酸が63倍、2,3−DPGが35倍、GTPが15倍、NADHが11倍、succinyl CoAが10倍、その他りんご酸(malate)、2-oxoglutarate、cisaconitate、isocitrate、ADP、ATP、GDP、UTPなど多くの陰イオンで数倍の高感度化が達成された。一方、金属と錯体形成能の低い(表1)ピルビン酸(pyruvate)、乳酸(lactate)などにニードル間での感度の差はほとんどなかった。
【産業上の利用可能性】
【0037】
本発明にかかるシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置により、一つの測定条件でほとんど全ての陰イオン性化合物を一斉分析することが可能となる。
【符号の説明】
【0038】
10…キャピラリー電気泳動(CE)装置
12…試料
14…バッファ液
16…電極
20…キャピラリー
30…スプレイヤー
33…白金ニードル
38…シース液入口
40…質量分析計(MS)

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料の分離を行うキャピラリー電気泳動装置と、
分離された試料を霧化するスプレイヤーと、
霧化した試料から陰イオン性化合物を分析する質量分析計を備え、
前記スプレイヤーにシース液を供給するようにされたシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置において、
前記スプレイヤーのニードルを、イオン化傾向が水素より小さい金属で形成したことを特徴とするシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置。
【請求項2】
前記イオン化傾向が水素より小さい金属が、白金又は金であることを特徴とする請求項1に記載のシースフロー方式のキャピラリー電気泳動−質量分析計法による陰イオン性化合物の測定装置。

【図1】
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【図7】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2010−210381(P2010−210381A)
【公開日】平成22年9月24日(2010.9.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−56132(P2009−56132)
【出願日】平成21年3月10日(2009.3.10)
【特許番号】特許第4385171号(P4385171)
【特許公報発行日】平成21年12月16日(2009.12.16)
【出願人】(899000079)学校法人慶應義塾 (742)
【Fターム(参考)】