説明

タンパク質とリガンドとの会合体の存在種及び全安定度定数を求める方法

【課題】本発明は、タンパク質とリガンドとが会合して生成される会合体の状態(存在種及びその存在割合)を化学平衡の法則に基づき予測するために必要な、該会合体の全安定度定数を求める方法を提供することを目的とする。
【解決手段】本発明は、M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で会合体を生成する生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数(会合体組成)、並びに前記会合体の全安定度定数を、pH滴定法を用いて求める方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、血清アルブミン−薬物結合や、薬物間相互作用の解明に有用な、タンパク質とリガンドとの会合体の存在種及び全安定度定数を求める方法を提供する。
【0002】
本発明はまた、タンパク質とリガンドとが所定の条件において生成する会合体の存在種及び存在割合を予測する方法を提供する。
【背景技術】
【0003】
一般に、可逆反応が式(I)で表されるとき(a, b, ・・・、p, q, ・・・は係数、A, B,・・・P, Q,・・・は化学式)、平衡状態では、各物質の濃度の間には式(II)が成り立つ。
【0004】
【数1】

【0005】
この関係を化学平衡の法則(又は質量作用の法則)といい、1864年にノルウェーのグルベルグとボーゲにより提唱された。式(II)中のKを全安定度定数(又は総安定度定数)と呼ぶ。
【0006】
一方、アルブミン等のタンパク質と、投与した薬物との非共有結合的な会合は、該薬物の薬効を支配する第一因子である。タンパク質−薬物会合体の解明は、薬物動態を予測するうえで極めて重要である。タンパク質と薬物との非共有結合的な会合は可逆反応あり、化学平衡の法則が成り立つ。しかしながら、会合体の生成には、タンパク質と薬物だけでなく、水素イオン(H+)の出入りも伴うため、水素イオンの出入りを考慮しなければ化学平衡の法則に基づいた会合体(存在種及び存在割合)の状態の予測は不可能である。
【0007】
タンパク質−薬物会合体の状態(存在種及び存在割合)を調べる手段としては、Scatchard plotが従来から広く用いられている(非特許文献1〜4)。ところがScatchard plotを用いた従来の方法は、会合体生成の際の水素イオン(H+)の出入りを無視した見掛けの安定度定数(K)を用いる方法であり、化学平衡の法則に従わない。従って、見掛けの安定度定数が決定された条件とは異なる条件におけるタンパク質−薬物会合体の状態を予測することができないという問題があった。
【0008】
一方、pH滴定法により、金属イオンとリガンドとにより生成される錯体の存在種及びその全安定度定数を求める方法は従来から知られている(非特許文献5及び6)。しかしながら、出入りする水素イオンの数が非常に多いタンパク質−薬物会合体の解明のためにpH滴定法を応用した過去の例は皆無である。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】ヴォート生化学(下)第2版.東京化学同人,P1113(1996).
【非特許文献2】J. F. Zaroslinski, S. Keresztes-Nagyr, O. F. Mais, Y. T. Oester, Biochem. Pharmaco., 23, 1167-1776(1974).
【非特許文献3】http://ocw.dmc.keio.ac.jp/j/pharmacy/08A-001_j/lecture_contents/08A-001_080529.pdf
【非特許文献4】http://www1.jiu.ac.jp/~biopharm/pm-slide9.pdf
【非特許文献5】A. E. Martell, R. J. Motekaitis, “The determination and use of stability constants”, VCH(1988).
【非特許文献6】上野著,入門キレート化学,P67,南江堂(1978).
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、タンパク質とリガンドとが会合して生成される会合体の状態(存在種及びその存在割合)を化学平衡の法則に基づき予測(シミュレーション)するために必要な、該会合体の全安定度定数を求める方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明は上記課題を解決するための手段として以下の方法を提供する。
(1) M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で会合体を生成する生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数(1モルの会合体の生成に関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンのモル数。以下「会合体組成」と言うことがある。)、並びに前記会合体の全安定度定数を、pH滴定法を用いて求める方法。
【0012】
(2) 前記pH滴定法が、以下の工程:
前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種と、酸又はアルカリとがいずれも既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液又は酸水溶液を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う工程(ここで、xは2〜(M+N)のいずれかの整数であり、該工程はxが2から(M+N)までの各場合について行われ、前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種の組み合わせが複数存在する場合には該工程は、会合体を生成するか否かが未知の、又は会合体を生成することが既知の各組み合わせについて行われ、前記試料水溶液に酸が予め溶解されている場合にはアルカリ水溶液が滴下され、前記試料水溶液にアルカリが予め溶解されている場合には酸水溶液が滴下される)
を含むことを特徴とする、(1)の方法。
【0013】
(3) Mが1であり、前記タンパク質が血清アルブミンである、(1)又は(2)の方法。
【0014】
(4) (1)〜(3)のいずれかの方法により求められた、M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で会合体を生成する生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数(会合体組成)、並びに前記会合体の全安定度定数に基づき、前記M種のタンパク質と前記N種のリガンドとが溶解した水溶液中における前記会合体の存在種及び存在割合を予測する方法。
【発明の効果】
【0015】
本発明の方法により求められた全安定度定数は、関与する各成分の濃度に関係なく一定に保たれるため、タンパク質とリガンドとが会合して生成される会合体の状態(存在種及びその存在割合)を予測するために用いることができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1−1】ヒト血清アルブミン(HSA)-サリチル酸(SAL)二元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図1−2】ヒト血清アルブミン(HSA)-サリチル酸(SAL)二元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図2】ヒト血清アルブミン(HSA)-サリチル酸(SAL)二元系会合体の存在種及び存在割合と、サリチル酸濃度との関係のシミュレーション結果を示す。
【図3】銅イオン(Cu)-ヒト血清アルブミン(HSA)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図4】銅イオン(Cu)-ヒト血清アルブミン(HSA)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合と、サリチル酸濃度(上段)又はサリチル酸銅濃度(下段)との関係のシミュレーション結果を示す。
【図5−1】ヒト血清アルブミン(HSA)-バルプロ酸(VAL)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合(HSA基準)と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図5−2】ヒト血清アルブミン(HSA)-バルプロ酸(VAL)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合(HSA基準)と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す(図5−1の続き)。
【図6−1】ヒト血清アルブミン(HSA)-バルプロ酸(VAL)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合(SAL基準)と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図6−2】ヒト血清アルブミン(HSA)-バルプロ酸(VAL)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合(SAL基準)と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す(図6−1の続き)。
【図7】ヒト血清アルブミン(HSA)-バルプロ酸(VAL)-サリチル酸(SAL)三元系会合体の存在種及び存在割合と、サリチル酸濃度及びバルプロ酸濃度との関係のシミュレーション結果を示す。
【図8−1】ヒト血清アルブミン(HSA)-ジエチレントリアミン五酢酸(DTPA)二元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図8−2】ヒト血清アルブミン(HSA)-ジエチレントリアミン五酢酸(DTPA)二元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【図9】ガドリニウムイオン(Gd)-ヒト血清アルブミン(HSA)二元系会合体の存在種及び存在割合と、pH値との関係のシミュレーション結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0017】
1. 対象となる会合体生成系
本発明の方法は、M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で可逆的に会合体を生成するあらゆる系に適用可能である。
【0018】
「水溶液」とは、水を基調とする溶液であれば特に限定されず、血液、リンパ液、組織液などの体液をも包含する概念である。
【0019】
「タンパク質」としては、特に限定されないが、血漿タンパク質(例えば血清アルブミン、遺伝子組替アルブミン、α1酸性糖タンパク質(AGP, オロソムコイド)、トランスフェリン,グロブリン)、アルブミン(ウシアルブミン,卵白アルブミン)、ミオグロビン、インシュリン等が挙げられる。
【0020】
本発明において「リガンド」は、上記タンパク質に可逆的に会合して会合体を生成する成分を指す。リガンドとしては薬物化合物、金属イオン等が挙げられる。薬物化合物としてはサリチル酸、バルプロ酸、ワルファリン、ベンゾジアゼピン、シギトシン等が挙げられるがこれらには限定されない。金属イオンとしては、銅イオン、亜鉛イオン、ガドリニウムイオン、カルシウムイオン等が挙げられるがこれらには限定されない。
【0021】
本発明の方法では、M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とにより形成される(M+N)元系の会合体の全安定度定数を求める。
【0022】
Mは1以上の整数であれば特に限定されないが、通常は1〜10の整数であり、典型的には1〜3の整数であり、より典型的には1又は2である。
【0023】
Nは1以上の整数であれば特に限定されないが、通常は1〜10の整数であり、典型的には1〜5の整数であり、より典型的には1〜3の整数である。
【0024】
2. pH滴定法
本発明の特徴は、pH滴定法を用いて、上記の(M+N)元系の会合体の生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数(会合体組成)、並びに全安定度定数を求めることにある。
【0025】
pH滴定法は、金属錯体化学の分野では従来から行われているが、タンパク質-リガンド会合体の解析に用いられた例はない。
【0026】
はじめに、タンパク質が1種(M=1)、リガンドが1種(N=1)の二元系会合体の例に基づき説明する。二元系会合体の生成平衡は次式で表される:
【0027】
【数2】

【0028】
そして会合体存在種 (タンパク質)p(リガンド)q(H)rの全安定度定数βpqrは次式で表される:
【0029】
【数3】

【0030】
pH滴定法では、タンパク質と、リガンドと、酸(又はアルカリ)とが、それぞれ既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液(前記試料水溶液が予めアルカリを含む場合は既知濃度の酸水溶液)を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う。滴定開始前の試料水溶液の容量は予め測定しておく。別途、滴定を実施したのと同じ条件におけるタンパク質及びリガンドの水素イオンとの会合体の全安定度定数(β)(logβは、pKa(=-log Ka, Kaは酸解離定数)の和である)と、水のイオン積Kwと、水素イオンの活量係数fを求める。こうして収集されたpH値、各pH値計測時の容量(=滴定開始前の試料水溶液の容量+滴定量)、各pH値計測時に系中に存在するタンパク質、リガンド、酸、及びアルカリの総量 (既知)、タンパク質と水素イオンとの会合の全安定度定数、リガンドと水素イオンとの会合の全安定度定数、水のイオン積Kw、並びに活量係数fを入力値として用い、各成分のマスバランスの式、電荷中性の式、及び化学平衡の法則の式から、未知数であるp、q及びr(すなわち、会合体の生成平衡に関与するタンパク質とリガンドと水素イオンの数)並びにβpqrを非線形最小二乗法により算出する。最小二乗法の演算は非線形最小二乗法コンピュータプログラムにより実行することができる。非線形最小二乗法コンピュータプログラムとしては、SUPERQUAD (参考文献: P. Gans, A. Sabatini and A. Vacca, Inorganica Chim. Acta, 79, 219-220 (1983)、及び、P. Gans et al., J. Chem. Soc., Dalton Trans. (1985))、hyperquad (http://www.hyperquad.co.uk/hq2000.htm、参考文献: P. Gans, A. Sabatini and A. Vacca, Talanta, (1996), 43, 1739-1753)、SCOGS (参考文献: I.G. Sayce, Talanta, 15, 1397-1411 (1968))、MINIQUAD (参考文献: A. Savatini, A. Vacca, P. Gans, Talanta, 21, 53-77 (1974))、DALSFEC (参考文献: F. R. Hartley, C. Burgess, R. Alcock, “Solution Equilibria”, Ellis Horwood, 1980)、PSEQUAD他 (D. J. Leggett ed., “Computational Methods for the Determination of Formation Constants”, Plenum, 1985)等が挙げられる。
【0031】
pH滴定法では、試料水溶液に予め既知濃度の酸を加えて酸性とし、アルカリ水溶液の滴下を繰り返すことにより徐々にアルカリ性にすることが通常である。空気中の炭酸ガスがKOH、NaOH等のアルカリと反応してアルカリを壊すことがあるからである。特に、滴定開始時の試料水溶液のpH値は2〜4、特に3程度であることが好ましく、滴定終了時の試料水溶液のpH値は10〜12、特に11程度であることが好ましい。
【0032】
酸としては塩酸、硝酸,過塩素酸等の強酸を用いることができる。
【0033】
アルカリとしては水酸化カリウム、水酸化ナトリウム等の強塩基を用いることができる。
【0034】
また、試料水溶液には、イオン強度を一定に保つために塩化カリウム、硝酸カリウム、塩化ナトリウム等の支持塩を0.1〜1 Mの濃度で添加することが好ましい。
【0035】
タンパク質及びリガンドと、水素イオンとの会合の全安定度定数(pKaの和)の測定は同様のpH滴定法により行う。具体的には、上記式2においてq=0であるβp0rを求めればよい。
【0036】
【数4】

であるから、logβp0rはタンパク質のpKaの和に他ならない。βp0rの測定のためには、タンパク質と、酸(又はアルカリ)とが、それぞれ既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液(前記試料水溶液が予めアルカリを含む場合は既知濃度の酸水溶液)を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う。滴定開始前の試料水溶液の容量は予め測定しておく。こうして収集されたpH値、各pH値計測時の容量(=滴定開始前の試料水溶液の容量+滴定量)、各pH値計測時に系中に存在するタンパク質、酸、及びアルカリの総量 (既知)、水のイオン積Kw、並びに活量係数fを用い、各成分のマスバランスの式、電荷中性の式、及び化学平衡の法則の式から、未知数であるp及びr(すなわち、会合体の生成平衡に関与するタンパク質と水素イオンの数)並びにβp0rを非線形最小二乗法により算出することができる。同様に、リガンドと、水素イオンとの会合の全安定度定数β0qrを求めることができる。
【0037】
なお、水素イオンの係数(式1,2におけるr)は見かけ上は負の値となる場合もある(実施例参照)。式1においてrが負の値である場合、平衡が右辺に偏るほど水素イオンが離脱することを意味する。これは試薬として購入した状態のタンパク質及びリガンドを遊離体(式1左辺の(タンパク質)及び(リガンド))として定義しているためである。試薬として購入した状態のタンパク質は、通常、多数の水素イオンと会合している。リガンドもまた、購入時に水素イオンと会合していることがある。どの状態を遊離体と定義して全安定度定数を求めるかは任意であり、水素イオンの係数が負の値であっても何ら問題はない。
【0038】
従来からpH滴定法を用いて存在種及び全安定度定数が求められていた金属錯体と比較し、本発明の対象であるタンパク質-リガンド会合体には水素イオンの会合数が異なる存在種が多数存在する。このため、タンパク質-リガンド会合体の存在種及び全安定度定数をpH滴定法により求めるには、より精密な測定が必要となる。そこで本願明細書に記載の実験では、4桁の有効数字が保たれるように各成分を秤量し、pH滴定法に用いた。また、タンパク質と、リガンドと、酸(又はアルカリ)とが、それぞれ既知濃度で予め溶解された試料水溶液については、各成分の濃度比が異なる複数の試料水溶液を調製し、それぞれについてpH滴定を行い、得られた滴定データを全てまとめてβpqrの計算に用いることが好ましい。
【0039】
以上の手順は、タンパク質が1種(M=1)、リガンドが1種(N=1)の二元系会合体の例であるが、M及びNの少なくとも一方が2以上の整数である三元系以上の会合体についても同様の手順で存在種及び全安定度定数が求められる。すなわち、本発明のpH滴定法は、一般的には、以下の工程(a)〜(c):
(a) 前記M種のタンパク質のうち1種と、酸又はアルカリとがいずれも既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液又は酸水溶液を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う工程(ここで、該工程(a)はM種のタンパク質のそれぞれについて行われ、前記試料水溶液に酸が予め溶解されている場合にはアルカリ水溶液が滴下され、前記試料水溶液にアルカリが予め溶解されている場合には酸水溶液が滴下される)、
(b) 前記N種のリガンドのうち1種と、酸又はアルカリとがいずれも既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液又は酸水溶液を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う工程(ここで、該工程(b)はN種のリガンドのうち、該工程の開始時のpH値から終了時のpH値までの範囲内に酸解離定数による平衡を伴うか否かが未知の、又は該範囲内に酸解離定数による平衡を伴うことが既知のリガンドのそれぞれについて行われ、前記試料水溶液に酸が予め溶解されている場合にはアルカリ水溶液が滴下され、前記試料水溶液にアルカリが予め溶解されている場合には酸水溶液が滴下される)、並びに
(c) 前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種と、酸又はアルカリとがいずれも既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液又は酸水溶液を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う工程(ここで、xは2〜(M+N)のいずれかの整数であり、該工程(c)はxが2から(M+N)までの各場合について行われ、前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種の組み合わせが複数存在する場合には該工程(c)は、会合体を生成するか否かが未知の、又は会合体を生成することが既知の各組み合わせについて行われ、前記試料水溶液に酸が予め溶解されている場合にはアルカリ水溶液が滴下され、前記試料水溶液にアルカリが予め溶解されている場合には酸水溶液が滴下される)
を含む。
【0040】
なお、工程(a)〜(c)において、試料水溶液中に予め溶解されるタンパク質又はリガンド自体が酸又はアルカリである場合には、追加の酸又はアルカリを試料水溶液中に予め溶解させておくことを必要としない場合がある。この場合は、タンパク質又はリガンドが、酸又はアルカリを兼ねることとなる。本発明の工程(a)〜(c)は、このような場合をも包含する。
【0041】
工程(a)は、M種のタンパク質のそれぞれについて、水素イオンとの会合の全安定度定数の算出に必要なデータを取得する工程である。工程(b)は、N種のリガンドのそれぞれについて、水素イオンとの会合の全安定度定数の算出に必要なデータを取得する工程である。データの取得法及び全安定度定数の算出法については既に述べたとおりである。
【0042】
工程(c)は、タンパク質−リガンド会合体の生成平衡に関与する各タンパク質、各リガンド、水素イオンの数、並びに前記会合体の全安定度定数βの算出に必要なデータを取得する工程である。M+Nが3以上である高次の会合体の全安定度定数を求めるには、はじめに前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択される2種による会合体の全安定度定数を計算し、それを用いて順次、一段階高次の会合体の全安定度定数を求める。
【0043】
例えば、M=2, N=2の4元系会合体の全安定度定数は以下のように求める。
【0044】
【数5】

【0045】
【数6】

【0046】
この系では、タンパク質及びリガンドの合計4種から選択される2種、3種及び4種の成分からなる会合体の全安定度定数を順に求める。また、2種の成分からなる会合体、3種の成分からなる会合体には、構成成分の組合せが異なる複数の会合体が存在するため、それぞれについて会合体の全安定度定数を求める。
【0047】
具体的には、2元系会合体の全安定度定数:βp1p2r,βp1q1r, βp1q2r, βp2q1r, βp2q2r, βq1q2rを、2成分の各組合せを含む試料水溶液を用いたpH滴定法により求め、
3元系会合体の全安定度定数:βp1p2q1r, βp1p2q2r, βp1q1q2r, βp2q1q2rを、3成分の各組合せを含む試料水溶液を用いたpH滴定法のデータと、2元系会合体の全安定度定数とから求め、4元系会合体の全安定度定数:βp1p2q1q2rを、4成分を含む試料水溶液を用いたpH滴定法のデータと、2元系会合体の全安定度定数と、3元系会合体の全安定度定数とから求める。
【0048】
各段階のpH滴定法の手順(全安定度定数の計算方法を含む)は既に述べたとおりである。
【0049】
3. 全安定度定数を用いた予測
上記の手順で得られたM種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で生成する会合体の全安定度定数は、化学平衡の法則を満たす。このため、この全安定度定数を用いることにより、前記M種のタンパク質と前記N種のリガンドとが溶解した水溶液中における前記会合体の存在種及び存在割合を予測(すなわちシミュレーション)することが可能となる。例えば、ヒト血清アルブミン、サリチル酸、及びバルプロ酸が水溶液中で生成する会合体の存在種(p, q1, q2, rの値)並びに該存在種の全安定度定数を用いることにより、ヒト血清アルブミンとサリチル酸とが所定の濃度で含まれる、所定のpH値の系中にバルプロ酸を添加した場合の、バルプロ酸添加量と、ヒト血清アルブミンの存在種及び存在割合との関係を予測することが可能となる。
【実施例】
【0050】
1. 概要
1.1. pH滴定
水中にヒト血清アルブミン(HSA)、リガンドA及びリガンドBが存在する三元系における、存在種の生成平衡は次式により表される。
【0051】
【数7】

【0052】
各存在種のpqrs値(会合体組成)およびその全安定度定数βpqrs 値は以下の手順で求めることができる。同様の手順により、リガンド数が1種である二元系、及び、リガンド数が3種以上である四元系以上の会合体の生成平衡における各存在種およびその全安定度定数を求めることができる。
【0053】
50mL 測定容器に測定試料を測り、HCl、 HSA及びリガンドの各溶液、水、1M KClを加え、全量10 mL の試料溶液(I = 0.1 (KCl))を作成する。メトローム社808Titrando(ビュレット1 mL、極細チューブ先付)自動滴定装置のpH電極(ベックマン39314 ガラス電極とベックマン511105 ダブルジャンクション比較電極の組合せ)をpH 4、 pH 7、 pH 9 の各標準溶液(NIST)で校正した後、試料溶液にpH電極を漬け、0.1M KOH 滴定溶液を加えて、pH値が一定になったらpH値を記録することを繰り返す(pH滴定)。この間、空気中の炭酸ガスの影響を避けるため、試料溶液の上に水を含ませた99.9999%アルゴンを流し、試料溶液の温度をハーケ社K15により恒温にされた水を試料溶液の外側に循環させることで一定に保った。
【0054】
サンプル溶液(イオン強度I=0.1 M KCl)は、アルブミン:リガンドA:リガンドBを1:0:0、0:1:0、0:0:1、1:n:0、1:0:m、1:n:m、0:n:m (n, m : 1-4)のモル比に混合した水溶液(アルブミン濃度30-100μM,10 mL)についてpH 3-11の範囲で滴定し、少なくとも一つの混合比について2回滴定を行い、再現性を確認した。
【0055】
得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を非線形最小二乗法コンピュータプログラムsuperquad (P. Gans, A. Sabatini and A. Vacca, J. Chem. Soc., Dalton. Trans., 1195(1985)) を用いて解析し、pqrs値およびその安定度定数βpqrs 値を求めた:
【0056】
【数8】

【0057】
計算はwin PC またはMac PC により行い、一つの系中、異なる混合比のデータをすべてまとめてβを計算した。
【0058】
8 mM HClを0.1M KOHで滴定することにより、活量係数f = {H+}/[H+] を求め、滴定データ中のp{H+}(pH値)をp[H+]に変換した。また、H2O(I = 0.1 M(KCl))を0.1M KOHで滴定することにより、水のイオン積Kw = [H+][OH-] を算出し、βpqrsの計算に用いた。[KOH]はフタル酸水素カリウムを中和滴定することにより決定した。
【0059】
1.2. 試薬
ヒトアルブミン(シグマ社A8763)、リガンドとして、サリチル酸(キシダ化学)、バルプロ酸ナトリウム(和光)、硝酸銅(II)(キシダ化学)を用いた。0.1M KOH はメルク社Titrizolを用いた。
【0060】
本実施例に用いたヒトアルブミン(ヒト血清アルブミン、HSA)は、試薬購入時の状態では、16個のヒスチジンのうち14個にH+が結合し、2個にH+が結合していない。本実施例ではこの状態のHSAを遊離体(以下、pqrs = 0100又は1000と表する)と定義した。
【0061】
2. サリチル酸−ヒト血清アルブミンからなる二元系
2.1. 実験及び結果
リガンドとしてサリチル酸(SAL)を含むヒト血清アルブミン(HSA)との二元系において、存在種およびその全安定度定数を上記1.に示す手順により求めた。
【0062】
この系の各存在種の生成平衡は次式により示される。
【0063】
【数9】

【0064】
存在種HSAqSALrHsの全安定度定数は次式により示される(化学平衡の法則)。
【0065】
【数10】

【0066】
本実験に用いたSAL-HSA混合溶液の、HSA量、SAL 量、HSA:SALの混合比、HCl量、容量(いずれも滴定開始時)を次表に示す。
【0067】
【表1】

【0068】
はじめに、SALを含まず、HSAを含む系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を解析して、存在種(HSAqSAL0Hs)のqs値およびその全安定度定数β0q0s 値を求めた。結果を表2に示す。表2では、試薬として購入された状態のHSAをpqrs = 0100として表す。
【0069】
【表2】

【0070】
次に、HSAを含まず、SALを含む系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を解析して、存在種(HSA0SALrHs)のrs値およびその全安定度定数β00rs 値を求めた。結果を表3に示す。表3では、試薬として購入された状態のSALをpqrs = 0011として表す。
【0071】
【表3】

【0072】
最後に、HSAとSALとを含む表1に示す混合系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)と、表2及び3に示す解析結果とを用いて解析を行い、存在種(HSAqSALrHs)のqrs値およびその全安定度定数β0qrs 値を求めた。結果を表4〜6に示す。表4〜6では、試薬として購入された状態のHSAをpqrs = 0100として表す。
【0073】
【表4】

【0074】
【表5】

【0075】
【表6】

【0076】
2.2. シミュレーション(1)
表2、3、4、5及び6に示す、HSA及びSALを含有する各存在種の全安定度定数を用いて、pH値と、HSAの各存在種の存在割合との関係を求めた。
【0077】
HSAを含有する各存在種HSAqSALrHsについて化学平衡の法則の関係式(上記2.1.参照)を作成し、pH値ごとに濃度[HSAqSALrHs]を計算した。系中のHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
【0078】
結果を図1に示す。図1-1 (a)〜(c)には、SALのフリー体(p=0、q=0、r=1、s= -1〜1)(図中では 「001s」と示す)、HSAと1分子のSALの会合体 (p=0、q=1、r=1、s= -36〜80)(図中では 「011s」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体 (p=0、q=1、r=2、s= -24〜62)(図中では 「012s」と示す)、HSAと3分子のSALの会合体 (p=0、q=1、r=3、s= -32〜-17)(図中では 「013s」と示す)のSALを基準とした存在割合を示す。図1-1 (a)ではHSA及びSAL濃度を共に600μMと仮定し、図1-1 (b)ではHSA濃度を600μM、SAL濃度を1200μMと仮定し、図1-1 (c)ではHSA濃度を600μM、SAL濃度を1800μMと仮定した。図1-2 (d)〜(f)には、HSAのフリー体(p=0、q=1、r=0、s= -36〜80)(図中では 「010s」と示す)、HSAと1分子のSALの会合体 (p=0、q=1、r=1、s= -36〜80)(図中では 「011s」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体 (p=0、q=1、r=2、s= -24〜62)(図中では 「012s」と示す)の、HSAを基準とした存在割合を示す。図1-2 (d)ではHSA及びSAL濃度を共に600μMと仮定し、図1-2 (e)ではHSA濃度を600μM、SAL濃度を1200μMと仮定し、図1-2 (f)ではHSA濃度を600μM、SAL濃度を1800μMと仮定した。図1-2 (g)には、図1-2(d)と同じシミュレーション結果から導かれる、HSAのフリー体の合計(図中では「free」と示す)、HSAと1分子のSALの会合体の合計(図中では「1:1」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体の合計(図中では「1:2」と示す)の、HSAを基準とした存在割合を示す。
【0079】
このように本発明によれば、HSAとSALとの共存系において、pH値ごとのHSAの存在種の存在割合がシミュレーション可能である。
【0080】
2.3. シミュレーション(2)
上記2.2.と同様に、表2、3、4、5及び6に示す、HSA及びSALを含有する各存在種の全安定度定数を用いて、化学平衡の法則の関係式(上記2.1.参照)から、SALの系中の全濃度と、HSAの各存在種の存在割合との関係を求めた。pH値は7.4と仮定し、HSAの系中の全濃度を600μMと仮定した。
【0081】
結果を図2に示す。図2上段には、HSAと1分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-1SAL」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-2SAL」と示す)の、SALを基準とした存在割合を示す。図2下段には、HSAのフリー体の合計(図中では「HSA」と示す)、HSAと1分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-1SAL」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-2SAL」と示す)の、HSAを基準とした存在割合を示す。
【0082】
このように本発明によれば、HSAとSALとの共存系において、SAL濃度と、HSAの存在種の存在割合との関係がシミュレーション可能である。このシミュレーション結果は、薬物の投薬量と、該薬物の血中での存在状態との関係を解明するために有用である。
【0083】
3. 銅イオン−サリチル酸−ヒト血清アルブミンからなる三元系
3.1. 実験及び結果
銅イオン(Cu)と、サリチル酸(SAL)と、ヒト血清アルブミン(HSA)との三元系において、存在種およびその全安定度定数を上記1.に示す手順により求めた。
【0084】
この系の各存在種の生成平衡は次式により示される。
【0085】
【数11】

【0086】
存在種CupHSAqSALrHsの全安定度定数は次式により示される(化学平衡の法則)。
【0087】
【数12】

【0088】
はじめに、2.1と同様に,表7の条件にて取得された二元Cu-HSA系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)を、HSA-H系のβqsを使って解析して、存在種(CupHSAqSAL0Hs)のpq0s値およびその全安定度定数βpq0s 値を求めた。
【0089】
【表7】

【0090】
結果を表8〜10に示す。表8〜10では、Cuをpqrs = 1000として表す。Cu量はEDTAキレート滴定により決定した。
【0091】
【表8】

【0092】
【表9】

【0093】
【表10】

【0094】
次に、HSAを含まず、CuとSALを含む表11に示す混合系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を、SAL-H系のβrsを使って、解析して、存在種(CupSALrHs)のprs値およびその全安定度定数βp0rs 値を求めた。
【0095】
【表11】

【0096】
結果を表12に示す。表12では、試薬として購入された状態のSALをpqrs = 0011として表す。
【0097】
【表12】

【0098】
最後に、Cu,HSA,SALを含む表13に示す三元混合系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)と、表2、3、4〜6、8〜10及び12に示す、HSA,SALと水素イオンとの会合の全安定度定数βpqrsおよびHSA,SAL,Cuから選択される2種による二元系βpqrsとを用いて解析を行い、存在種(CupHSAqSALrHs)のpqrs値およびその全安定度定数βpqrs 値を求めた。
【0099】
【表13】

【0100】
結果を表14及び15に示す。表14及び15では、試薬として購入された状態のHSAを0100として表す。
【0101】
【表14】

【0102】
【表15】

【0103】
3.2. シミュレーション(1)
表2〜6,表8〜10,表12,表14及び15に示す、上記手順により求められたCupHSAqSALrHs存在種のすべての全安定度定数を用いて、pH値と、HSAの各存在種の存在割合との関係を求めた。HSAの系中の全濃度は600μM,SALの系中の全濃度は600μM及び1200μMと仮定した。
【0104】
存在種CupHSAqSALrHsについて化学平衡の法則の関係式(上記3.1.参照)を作成し、pH値ごとに濃度[CupHSAqSALrHs]を計算した。系中のHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
【0105】
結果を図3に示す。図3上段には、Cu、HSA及びSALの系中の全濃度が600μMのときにpH 4.5から8まで111s種Cu1HSA1SAL1Hs (s= -30〜32)が、HSAを基準とした存在割合のほぼ100%を占めていることを示す。図3下段には、Cu及びHSAの系中の全濃度が600μM,SALの系中の全濃度が1200μMのとき、pH 4.5から8まで112s種Cu1HSA1SAL2Hs(s= -34〜32)が、HSAを基準とした存在割合のほぼ100%を占める他は、012s種HSA1SAL2Hs(s= -24〜62)がわずかに存在することを示す。すなわち、三元会合体Cu1HSA1SALrHs(r=1,2)が非常にできやすい、Cu-アルブミンにSALが一緒に結合しやすいことがわかる。
【0106】
このように本発明によれば、HSAとCu,SALとの三者共存系において、pH値ごとのHSAの存在種の存在割合がシミュレーション可能である。また、本シミュレーションから抗炎症薬Cu(SAL)2が分解してCuとSALが別々にHSAに結合していることもわかる。すなわち、結合状態の解明も行える。
【0107】
3.3. シミュレーション(3)
上記3.2.と同様に、上記手順により求められた、Cu,HSA,SALを含有する各存在種の全安定度定数を用いて、化学平衡の法則の関係式(上記3.1.参照)から、SALと、各存在種の存在割合との関係を求めた。pH値は7.4と仮定し、Cu及びHSAの系中の全濃度は600μMと仮定し,SALの濃度を変化させて各存在種の濃度を計算した。系中のSALの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
【0108】
結果を図4に示す。図4上段には、Cu,HSA, 1分子のSALの会合体の合計(図中では「Cu-HSA-1SAL」と示す)、Cu,HSA,2分子のSALの会合体の合計(図中では「Cu-HSA-2SAL」と示す),SAL(図中では「SAL」と示す)の、SALを基準とした存在割合を示す。600μMまではCu-HSA-1SALが定量的に形成され、600μMを超えた濃度ではじめて2個目のSALが結合したCu-HSA-2SALが形成され始める。
同様に、HSAの系中の全濃度は600μMと仮定し、抗炎症薬Cu(SAL)2の濃度を変化させて各存在種の濃度を計算した。系中のHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
【0109】
図4下段には、Cu-HSA-1SAL,Cu-HSA-2SAL,HSAと1分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-1SAL」と示す)、HSAと2分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-2SAL」と示す)、HSA(図中では「HSA」と示す)の、HSAを基準とした存在割合を示す。薬物Cu(SAL) 2の投与量を増やすと、Cu-HSA-SALとともにHSA-1SAL ,HSA-2SAL が約1/2形成され、 遊離のHSAが消失する400μMを超えた濃度ではCu-HSA-2SALのみが増える。このように各リガンドの濃度を自由に変えてシミュレーションが可能であり、薬物間相互作用を考慮した投薬が行える。
【0110】
4. バルプロ酸−サリチル酸−ヒト血清アルブミンからなる三元系
4.1. 実験及び結果
バルプロ酸(VAL)と、サリチル酸(SAL)と、ヒト血清アルブミン(HSA)との三元系において、存在種およびその全安定度定数を上記1.に示す手順により求めた。
この系の各存在種の生成平衡は次式により示される。
【0111】
【数13】

【0112】
存在種HSApVALqSALrHsの全安定度定数は次式により示される(化学平衡の法則)。
【0113】
【数14】

【0114】
はじめに、HSA及びSALを含まず、VALを含む系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を解析して、存在種(HSA0VALqSAL0Hs)のqs値およびその全安定度定数β0q0s 値を求めた。結果を表16に示す。表16では、試薬として購入された状態のVALをpqrs = 0100として表す。
【0115】
【表16】

【0116】
次に、2.1と同様に、表17の条件にて取得された二元HSA-VAL系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)を、HSA-H系のβps及びVAL-H系のβqsを使って解析して、存在種(HSApVALqSAL0Hs)のpq0s値およびその全安定度定数βpq0s 値を求めた。
【0117】
【表17】

【0118】
結果を表18-20に示す。表18-20では、試薬として購入された状態のVALをpqrs = 0100として表す。
【0119】
【表18】

【0120】
【表19】

【0121】
【表20】

【0122】
次に、HSAを含まず、VALとSALを含む表21に示す混合系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)をVAL-H系のβqs,SAL-H系のβrsを使って、解析したが、存在種(VALqSALrHs)のqrs値およびその全安定度定数β0qrs 値は求められず、会合体が形成されていないことが示された。
【0123】
【表21】

【0124】
最後に、HSA,VAL,SALを含む表22に示す三元混合系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)と、表2〜6、16、18〜20に示すHSA,VAL,SALと水素イオンとの会合の全安定度定数βpqrsおよびHSA-VAL,HSA-SALの二元系βpqrsを用いて解析を行い、存在種(HSApVALqSALrHs)のpqrs値およびその全安定度定数βpqrs 値を求めた。
【0125】
【表22】

【0126】
結果を表23及び24に示す。表23及び24では、試薬として購入された状態のHSAをpqrs = 1000として表す。
【0127】
【表23】

【0128】
【表24】

【0129】
4.2. シミュレーション(1)
表2〜6,表16,表18〜20,表23及び24に示す、上記手順により得られたHSA,VAL,SALを含有する各存在種の全安定度定数を用いて、pH値と、HSA各存在種の存在割合との関係を求めた。HSAの系中の全濃度は600μM,VAL及びSALの系中の全濃度は600μM及び1200μMと仮定した。
【0130】
HSAを含有する各存在種HSApVALqSALrHsについて化学平衡の法則の関係式(上記4.1.参照)を作成し、pH値ごとに濃度[HSApVALqSALrHs]を計算した。系中のHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
結果を図5及び6に示す。
【0131】
図5(a)には、HSA,VAL,SALの系中の全濃度が600μMのとき(HSA:VAL:SAL=1:1:1)にpH 4.5から7.5までは111s種HSA1VAL1SAL1Hs(s = -20〜56)が、HSAを基準とした存在割合のほぼ100%を占めていることを示す。図5(b)には、HSA,VALの系中の全濃度が600μM,SALの系中の全濃度が1200μMのとき(HSA:VAL:SAL=1:1:2)、pH 5.7前後を除いて4.5から7.5まで112s種HSA1VAL1SAL2Hs(s = -20〜50)が、HSA基準とした存在割合のほぼ100%を占める。pH 5.7前後は、112s種が存在せず111s種HSA1VAL1SAL1Hsがほぼ100%存在する。
【0132】
SALを基準とした存在割合図も同様に得ることができる(図6).図6(a)に示されるとおり、HSA:VAL:SAL=1:1:1では,111s種が100%であるが、図6(b)に示されるとおり、HSA:VAL:SAL=1:1:2では111s種,112s種に加えて001s種SAL1Hs,すなわち未結合のSALが見られる。
【0133】
更に図5(c)〜(e)及び図6(c)〜(e)には、HSA、VAL及びSALの全濃度が異なる系中における、存在種の存在割合のシミュレーション結果を示す。
【0134】
このように本発明によれば、HSAとVAL,SALとの三者共存系において、pH値ごとの各構成物質の存在種の存在割合がシミュレーション可能である。
【0135】
4.3. シミュレーション(2)
上記4.2.と同様に、上記手順により得られたHSA,VAL,SALを含有する各存在種の全安定度定数を用いて、化学平衡の法則の関係式(上記4.1.参照)から、SAL及びVALと、各存在種の存在割合との関係を求めた。pH値は7.4と仮定し、HSA-VALまたはHSA-SALの系中の全濃度は600μMと仮定し、VAL及びSALの濃度を変化させて各存在種の濃度を計算した。系中のSAL及びVALの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。
【0136】
結果を図7に示す。図7上段には、HSA,1分子のVAL,1分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-VAL-1SAL」と示す)、HSA,1分子のVAL,2分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-VAL-2SAL」と示す),SAL(図中では「SAL」と示す)の、SALを基準とした存在割合を示す。HSA-VALはHSAより1個目のSALを結合しやすい,一方、2個目のSALの結合は弱く、遊離のSALが見られる。600μMを超えた濃度範囲ではHSAに3個のリガンドが生理的条件下で結合していることが明確である。このように、HSA-VAL-SAL三元系では、全てのHSA-VALがSALで占められてから、2個目のSALが入ることが予測された。一方、図2上段に示す通り、HSA-SAL二元系では、HSAに対してSALの1個目と2個目が最初から同時に入る。蛍光プローブや平衡透析法では得がたいこのようなHSAでの薬物共存の様子が簡単にわかるのも本手法の特徴である。
【0137】
図7下段には、HSA,1分子のVAL,1分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-VAL-1SAL」と示す)、HSA,1分子のVAL,2分子のSALの会合体の合計(図中では「HSA-VAL-2SAL」と示す),HSA,2分子のVALの会合体の合計(図中では「HSA-2VAL」と示す)、HSA,3分子のVALの会合体の合計(図中では「HSA-3VAL」と示す)の、VALを基準とした存在割合を示す。600μMまでの濃度範囲ではHSA-VAL-SALが主要種である。このVALの濃度範囲では、SALの存在に関わらず、投与したVALのほとんど全てがHSAと結合して存在することがわかる。更に、600μMを超えた濃度範囲ではHSA-3VALが主要で,HSA-VAL-2SALは少なく、VALがSALを追い出すことがわかる。このことは、VALとSALを併用した時にSALの作用が増強されることと一致する。
【0138】
このように本発明によれば、HSA,VAL,SALとの共存系において、VAL及びSAL濃度と、HSAの存在種の存在割合との関係がシミュレーション可能である。このシミュレーション結果から,バルプロ酸があるとサリチル酸の1個目はアルブミンに結合しやすいが,2個目のサリチル酸は結合しにくい、すなわち,遊離サリチル酸になりやすいことがわかる。このようにシミュレーション結果は、薬物の投薬量と該薬物の血中での存在状態との関係の解明のみならず、薬物間相互作用を調べる、薬物間相互作用を考慮して投薬量を決定するためにも有用である。
【0139】
5.DTPA−ヒト血清アルブミンからなる二元系
5.1. 実験及び結果
ジエチレントリアミン五酢酸(DTPA)と、ヒト血清アルブミン(HSA)との二元系において、存在種およびその全安定度定数を上記1.に示す手順により求めた。
DTPAとしては和光純薬(同仁)製を用いた。
【0140】
この系の各存在種の生成平衡は次式により示される。
【0141】
【数15】

【0142】
存在種HSAqDTPArHsの全安定度定数は次式により示される(化学平衡の法則)。
【0143】
【数16】

【0144】
はじめに、HSAを含まず、DTPAを含む系から得られた滴定データ(滴定量(mL),pH値)を解析して、存在種(HSA0DTPArHs)のrs値およびその全安定度定数β00rs 値を求めた。結果を表25に示す。表25では、試薬として購入された状態のDTPAをpqrs = 0015として表す。
【0145】
【表25】

【0146】
次に、表26の条件にてHSA-DTPA二元系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)を取得した。
【0147】
【表26】

【0148】
2.1と同様に、表26の条件にて取得されたHSA-DTPA二元系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)と,表2、表25にそれぞれ示すHSA、DTPAと水素イオンとの会合の全安定度定数βとを用いて解析を行い、HSA-DTPA二元系の存在種(HSAqDTPArHs)の全安定度定数βを求めた。結果を表27〜29に示す。表27〜29では、試薬として購入された状態のHSAをpqrs = 0100として表す。
【0149】
【表27】

【0150】
【表28】

【0151】
【表29】

【0152】
5.2. シミュレーション
上記表2、表25、表27〜29に示す、HSAq-DTPAr-Hs系における各存在種の全安定度定数を用いて、pH値と、各存在種の存在割合との関係を求めた。HSAの系中の全濃度は600μM、DTPAの系中の全濃度は600μM、1200μM又は1800μMと仮定した。化学平衡の法則に基づき、系中のDTPA又はHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。結果を図8に示す。
【0153】
図8-1 (a)〜(c)には、DTPAのフリー体(図中では 「001s」と示す)、HSAと1分子のDTPAの会合体(図中では 「011s」と示す)、HSAと2分子のDTPAの会合体(図中では 「012s」と示す)、HSAと3分子のDTPAの会合体(図中では 「013s」と示す)のDTPAを基準とした存在割合を示す。図8-1 (a)ではHSA及びDTPA濃度を共に600μMと仮定し、図8-1 (b)ではHSA濃度を600μM、DTPA濃度を1200μMと仮定し、図8-1 (c)ではHSA濃度を600μM、DTPA濃度を1800μMと仮定した。図8-2 (d)〜(f)には、HSAのフリー体(図中では 「010s」と示す)、HSAと1分子のDTPAの会合体(図中では 「011s」と示す)、HSAと2分子のDTPAの会合体(図中では 「012s」と示す)、HSAと3分子のDTPAの会合体(図中では 「013s」と示す)の、HSAを基準とした存在割合を示す。図8-2 (d)ではHSA及びDTPA濃度を共に600μMと仮定し、図8-2 (e)ではHSA濃度を600μM、DTPA濃度を1200μMと仮定し、図8-2 (f)ではHSA濃度を600μM、DTPA濃度を1800μMと仮定した。
【0154】
6. ガドリニウム−ヒト血清アルブミンからなる二元系
6.1. 実験及び結果
ガドリニウム(Gd)と、ヒト血清アルブミン(HSA)との二元系において、存在種およびその全安定度定数を上記1.に示す手順により求めた。
【0155】
Gdとしては酸化ガドリニウム(キシダ)を0.5M塩酸に溶解したものを用いた。Gd濃度は酸化ガドリニウムの重量によった。
この系の各存在種の生成平衡は次式により示される。
【0156】
【数17】

【0157】
存在種GdpHSAqHsの全安定度定数は次式により示される(化学平衡の法則)。
【0158】
【数18】

【0159】
表30の条件にてGd-HSA二元系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)を取得した。
【0160】
【表30】

【0161】
2.1と同様に、表30の条件にて取得されたGd-HSA二元系の滴定データ(滴定量(mL),pH値)と、表2に示すHSAと水素イオンとの会合の全安定度定数β0q0sとを用いて解析を行い、Gd-HSA二元系の存在種(GdpHSAqHs)の全安定度定数βを求めた。結果を表31〜35に示す。表31〜35では、試薬として購入された状態のHSAをpqrs = 0100として表す。
【0162】
【表31】

【0163】
【表32】

【0164】
【表33】

【0165】
【表34】

【0166】
【表35】

【0167】
6.2. シミュレーション
上記表2及び表31〜35に示す、Gdp-HSAq-Hs系における各存在種の全安定度定数を用いて、pH値と、HSA各存在種の存在割合との関係を求めた。HSAの系中の全濃度は600μM、Gdの系中の全濃度は600μM、1200μM又は1800μMと仮定した。化学平衡の法則に基づき、系中のHSAの全量に対する各存在種の存在割合を求めた。結果を図9に示す。
【産業上の利用可能性】
【0168】
本発明の方法により求められる全安定度定数は、薬物及びタンパク質−薬物会合体の血中濃度や、複数の薬物を摂取した場合の血中での有効薬物濃度、複数の薬物間の相互作用等を予測(シミュレーション)するために用いることができる。すなわち、薬物の有効な投与量や、副作用の原因となる薬物間相互作用を事前に推定することが可能となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で会合体を生成する生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数、並びに前記会合体の全安定度定数を、pH滴定法を用いて求める方法。
【請求項2】
前記pH滴定法が、以下の工程:
前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種と、酸又はアルカリとがいずれも既知濃度で予め溶解された試料水溶液に対して、既知濃度のアルカリ水溶液又は酸水溶液を滴下し、滴下量を測定し、滴下後の試料水溶液のpH値を測定する工程を繰り返し行う工程(ここで、xは2〜(M+N)のいずれかの整数であり、該工程はxが2から(M+N)までの各場合について行われ、前記M種のタンパク質及び前記N種のリガンドから選択されるx種の組み合わせが複数存在する場合には該工程は、会合体を生成するか否かが未知の、又は会合体を生成することが既知の各組み合わせについて行われ、前記試料水溶液に酸が予め溶解されている場合にはアルカリ水溶液が滴下され、前記試料水溶液にアルカリが予め溶解されている場合には酸水溶液が滴下される)
を含むことを特徴とする、請求項1の方法。
【請求項3】
Mが1であり、前記タンパク質が血清アルブミンである、請求項1又は2の方法。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかの方法により求められた、M種のタンパク質(Mは1以上の整数である)とN種のリガンド(Nは1以上の整数である)とが水溶液中で会合体を生成する生成平衡における、関与する各タンパク質、各リガンド、及び水素イオンの数、並びに前記会合体の全安定度定数に基づき、前記M種のタンパク質と前記N種のリガンドとが溶解した水溶液中における前記会合体の存在種及び存在割合を予測する方法。

【図1−1】
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【図1−2】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5−1】
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【図5−2】
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【図6−1】
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【図6−2】
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【図7】
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【図8−1】
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【図8−2】
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【図9】
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【公開番号】特開2011−137790(P2011−137790A)
【公開日】平成23年7月14日(2011.7.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−263(P2010−263)
【出願日】平成22年1月4日(2010.1.4)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 刊行物:日本薬学会北陸支部平成21年度第1回総会及び第120回例会プログラム・講演要旨集 発行者:社団法人日本薬学会 北陸支部 公開日:平成21年6月30日 該当頁:第7ページ
【出願人】(504160781)国立大学法人金沢大学 (282)
【Fターム(参考)】