説明

ダウン症候群治療剤

ダウン症候群は、根本的な治療がなく、最終目標である社会へ参画するために、先天的な精神運動発達遅滞を改善し、日常生活の行動や社会性の改善を促す治療薬や治療方法を提供する。本発明は、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群治療剤、またはダウン症候群における精神発達遅滞改善剤、または日常生活改善剤である。具体的には、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、塩酸ドネペジルである。より具体的には、ダウン症候群を患っている患者の知能指数が48以下、及び/または患者の年齢が36歳以下であるダウン症候群治療剤、あるいはダウン症候群における精神発達遅滞改善剤、または日常生活改善剤である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ダウン症候群における、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤であるドネペジル又はその薬理学的に許容な塩の新たな医薬用途に関する。より詳細には、本発明は、塩酸ドネペジルによるダウン症候群の治療方法、ダウン症候群治療のための塩酸ドネペジルを含有する医薬組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
ダウン症候群は、染色体異常のなかで最も多い疾患であり、主に21番染色体過剰の21トリソミー(標準型トリソミー90%以上)によって生じる。ダウン症候群患者の出生頻度は、1000人にほぼ1人の割合であり、生後から精神運動発達遅滞が見られるのが特徴である。さらに、ダウン症候群においては、種々の合併症を伴いやすく、新生児を含む乳児期では、先天性心疾患、消化管奇形、点頭てんかん、肺炎その他の感染症、幼児期から学童期では、肥満、急性対麻痺、円形脱毛症、甲状腺疾患、急性白血病眼の屈折異常、浸出性中耳炎などの疾患を併発しやすい(たとえば、非特許文献1参照)。成人では、アルツハイマー病に見られる神経病理学的症状が年齢とともに増加することが知られている。例えば、30代からアミロイド沈着老人斑の増加や40代から神経原繊維の変化等が確認されている。さらに、30代後半または40代以降は、神経病理学的症状が進行するとともに、アルツハイマー型痴呆症の発症または痴呆症による行動学的変化が認められるようになる。60歳以上では、ダウン症候群患者の75%がアルツハイマー病の症状を示すとされている(たとえば、非特許文献1及び非特許文献2参照)。
【0003】
ダウン症候群は、他の先天性異常の疾患と同様に、根本的な治療方法はなく、早期発見及び早期診断による医学的管理および保育、教育、訓練などの総合的な療育が行われている。医学的管理では、感染症、先天性心疾患や消化管奇形など合併症に対する治療技術が発達している。その結果、ダウン症候群患者の生存率及び平均死亡年齢は著しく上昇している。療育では、年齢相応の適切行動や生活技能の向上など、社会との良好な関係をもたらすことを目的とした種々の療育プログラムが開発されている(たとえば、非特許文献3参照)。しかし、療育における効果に関して、例えば、小児期の言語機能に対する学習においては、知能指数(IQ)が大きな役割を演じており、IQ50以下の患者では、十分な学習効果が認められないと報告されている(たとえば、非特許文献4参照)。
【0004】
このような治療環境のなか、対症療法または療育との併用効果を期待して、薬物療法が検討されてきた。例えば、ビタミン類や5−ヒドロキシトリプトファンによる薬物療法が検討されたが、運動、言語、知能、社会性の発達に関して効果は認められなかった(たとえば、非特許文献1参照)。また、最近では、皮質性ミオクローヌス(突然起こる筋肉の不随意運動)に対する抗てんかん剤などとの併用療法剤として使用されているピラセタムのダウン症候群への効果が検討されている。ピラセタムをダウン症候群モデルマウスに投与したところ、認識機能を改善する効果が認められた(たとえば、非特許文献5参照)。しかしながら、ダウン症候群のヒト小児25名を対象にした二重盲検試験では、攻撃性、興奮、性的覚醒、浅い眠り、食欲減退など中枢神経系への刺激性に影響が認められたものの、認識機能に対する改善効果は得られなかった(たとえば、非特許文献3参照)。
【0005】
一方、塩酸ドネペジルは、アセチルコリンエステラーゼ阻害作用を有する薬剤である(たとえば、特許文献1参照)。そのため、現在、塩酸ドネペジルは、軽度、中等度のアルツハイマー型痴呆における痴呆症状の進行を抑制する薬剤として使用され、成人において、消化器系副作用の発現を抑える目的で1日1回3mg投与を開始し、1〜2週間後に1日1回5mg(有用量)が投与されている。
【0006】
ダウン症候群患者では、健常人よりも痴呆症が高い率で早期に発症しやすいとされている。例えば、痴呆症と診断できる行動症状は示さない場合でも、アルツハイマー症と類似の神経病理学的症状(たとえば、老人斑)を示す患者の割合が、年齢とともに増加することが知られている(たとえば、非特許文献6参照)。そのため、薬物療法として、ダウン症候群の成人患者に塩酸ドネペジルの投与が試みられている。例えば、成人のダウン症候群患者4名(64歳、IQ<20、痴呆症あり;38歳、IQ53、痴呆症状あり;24歳、IQ57、痴呆症状なし;27歳、IQ58、痴呆症状なし)に対して、オープントライアル試験が行われ、塩酸ドネペジルの投与開始6週間は1日1回5mg、以後、試験終了までは10mgが投与された。この試験では、痴呆症状を示さないIQ57以上の被験者において、塩酸ドネペジル6ヶ月の投与前後で、社会性や適応行動に有意な改善効果を認めたが、日常生活技能に変化を認めなかった(たとえば、非特許文献7参照)。また、成人のダウン症候群患者6名に対し、言語機能障害改善を目的に塩酸ドネペジルを投与した24週間オープントライアル試験が実施された。この試験では、複数の言語機能の中で、言語表出機能に関してのみ、特定の言語機能評価試験において、初期と比較して12週間後で改善効果が示された(たとえば、非特許文献4参照)。また、効果に対するIQの影響について、IQ50以下の患者では効果を示さない傾向があることが示唆された。
【0007】
【特許文献1】特許第2578475号公報
【非特許文献1】Valentine Dmitriev編著、他1名、竹井和子訳、「ダウン症候群と療育の発展−理解の向上のために−」、第1版、協同医書出版、1992年6月20日、p.1−12、p.49−53、p.62−69
【非特許文献2】池田修一、他5名、「ダウン症候群におけるアルツハイマー型痴呆発症とアポリポ蛋白Eの表現型との関連について」、アミロイドーシス調査研究班1995年度研究報告書、1996、p.86−89
【非特許文献3】Nancy J Roizen、他1名、「Down’s syndrome」、The Lancet、2003、第361巻、p.1281−1289
【非特許文献4】James H.Heller、他5名、「Donepezil for the treatment of language deficits in adults with down syndrome:A preliminary 24−week open trial」、American Journal of Medical Genetics、2003、第116巻、第2号、p.111−116
【非特許文献5】Timothy H.Moran、他5名、「The effect of piracetam on cognitive performance in a mouse model of down’s syndrome」、Physiology & Behavior、2002、第77巻、p.403−409
【非特許文献6】James B.Leverenz、他1名、「Early amyloid deposition in the medical temporal lobe of young down syndrome patients:A regional quantitative analysis」、Experimental Neurology 第150巻 p.296−304
【非特許文献7】Priya S Kishnani、他5名、「Cholinergic the therapy for Down’s syndrome」、The Lancet、1999、第353巻、p.1064
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
先天性の遺伝子疾患であるダウン症候群には、根本的な治療方法がないため、例えば、日常生活動作の改善、自発的または自立的行動の改善や周囲とのコミュニケーションの改善など、患者とその家族のQuality of Life(生活の質;以下、QOLとする)を改善することが最も重要視されている。そのため、種々の療育プログラムの開発や、医療的アプローチとしての薬物療法が試みられてきた。しかし、十分な効果を示す療育プログラムや薬物は認められていない。また、ダウン症候群患者で、かつアルツハイマー型痴呆症を示している患者、または神経病理学的にアルツハイマー症状の割合が多い成人患者群に、アルツハイマー型痴呆症の進行抑制剤である塩酸ドネペジルが用いられた例はあるが、ダウン症候群の先天的な精神運動発達遅滞を改善する目的で投与された例はない。つまり、アルツハイマー型痴呆の行動的症状をほとんど示さない30代前半までの患者に、特に、神経病理学的または神経化学的にもアルツハイマー症状を示さない割合が多い20才未満の患者において、精神発達遅滞を改善し、さらには精神発達を促進し、日常生活行動を改善する治療薬剤または治療方法の確立が望まれていた。また、IQ50以下のダウン症候群患者では、療育効果が期待されにくく、先天的な精神発達遅滞を改善または促進する治療剤が切望されている。
【0009】
また、小児ダウン症候群の患者の中には、急激退行症状を発症する患者が認められる。ここで、急激退行症状とは、生活能力や適応行動の急激な退行をいい、その多くが、思春期から成人期にかけて、たとえば、20才前後、早い患者では10才前半までに発症する。具体的な症状としては、動作や行動面では、日常生活動作の急激な緩慢、表情が乏しい、会話の減少、前屈みの姿勢、小刻みな歩行等が認められ、一方、情緒や性格面では、興味喪失、固執傾向等、対人面では過緊張、対人関係不能が認められ、身体面では、睡眠障害、食欲不振、体重減少、失禁等が挙げられる。そして、小児ダウン症候群に対する急激退行性症状を改善する治療剤も切望されている。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者は、上記の課題について鋭意検討を行った結果、アルツハイマー病型痴呆症の治療薬である塩酸ドネペジルが、先天的な疾患であるダウン症候群の治療剤として有効であることを見出した。つまり、ダウン症候群の患者において、精神発達遅滞を改善、または精神発達を促進することができ、また、日常生活動作、自立行動、社会性、コミュニケーションなど、日常生活のQOLを改善することを見出した。特に、36歳以下のダウン症候群の患者において、精神発達遅滞を改善または精神発達を促進させ、また、精神発達遅滞に対する療育効果が期待されないとされていたIQ50以下のダウン症候群患者にも効果を見出すことができた。
【0011】
すなわち、本発明は、
[1]アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群治療剤、
[2]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である前記[1]に記載のダウン症候群治療剤、
[3]前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、前記[1]または[2]に記載のダウン症候群治療剤、
[4]前記ダウン症候群を患っている患者の年齢は、36歳以下である前記[1]ないし前記[3]のいずれかに記載のダウン症候群治療剤、
[5]アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における日常生活改善剤、
[6]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤がドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項5に記載の日常生活改善剤、
[7]前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である前記[5]または[6]に記載の日常生活改善剤、
[8]前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、前記[5]ないし[7]のいずれかに記載の日常生活改善剤、
[9]アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における精神発達遅滞改善剤、
[10]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤が、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、前記[9]に記載の精神発達遅滞改善剤、
[11]前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、前記[9]または[10]に記載の精神発達遅滞改善剤、
[12]前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、前記[9]ないし[11]のいずれかに記載の精神発達遅滞改善剤、
[13]アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善剤、
[14]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジル又はその薬理学的に許容な塩である、前記[13]に記載の緩和又は改善剤、
[15]前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、前記[13]または[14]に記載の緩和又は改善剤、
[16]前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、前記[13]ないし[15]のいずれかに記載の緩和又は改善剤、
[17]ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群の治療方法、
[18]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、前記[17]に記載の治療方法、
[19]ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群における精神発達遅滞、または日常生活の改善方法、
[20]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、前記[18]に記載の方法、
[21]ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善方法、
[22]前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、前記[21]に緩和又は改善方法、
[23]ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群患治療用組成物、
[24]ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における日常生活改善剤用組成物、
[25]ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における精神発達遅滞改善剤用組成物、
[26]ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善用組成物、
を提供する。
【発明の効果】
【0012】
本発明により、先天性の遺伝子疾患であり根本的治療法がないダウン症候群の患者に治療剤および治療方法を提供できる。ダウン症候群患者とその家族にとって最も重要な日常生活におけるQOLの向上、例えば、患者の精神的安定性が維持または向上した日常生活や、日常生活動作、コミュニケーション、社会性などの日常生活の改善や向上を実現できる。さらに、本発明は、ダウン症候群の特徴の1つである精神発達遅滞を改善または精神発達を促進することができる。したがって、本発明は、ダウン症候群の患者自身の精神発達や日常生活に効果をもたらすだけでなく、成人に至るまでの養育期間の家族の負担を軽減することができる。また、療育期間中に治療を受けることにより、患者は、青年期から成人期に安定した社会生活を送ることができる。特に、従来、療育効果が期待されにくいとされていたIQ50以下の患者にも効果があり、患者の日常生活を向上させ、社会生活への参画を容易とする。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
以下の実施形態は、本発明を説明するための例示であり、本発明をこの実施形態にのみ限定する趣旨ではない。本発明は、その要旨を逸脱しない限り、さまざまな形態で実施することができる。
【0014】
本発明は、ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害作用を有するドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩、またはドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含む医薬組成物を投与することにより本発明の目的を達することができる。ここで、ダウン症候群患者は、染色体検査および専門医師により、客観的に診断された患者であり、出生直後より、先天的に精神運動発達遅滞が認められる患者である。これらの精神運動発達遅滞は、個人差はあるが、運動、コミュニケーション、認知、社会的・対人的技能、身辺自立や自己管理、自律性、学習能力など、日常生活のあらゆる領域にわたって影響を与えるものであり、患者の社会生活や集団生活への参加が課題となる。
【0015】
本発明において、ダウン症候群に対するドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩の投与対象は、以下に限定されるわけではないが、アルツハイマー症型痴呆の行動的症状を示さない30代前半までの患者、例えば36歳以下の患者が望ましい。さらには、アルツハイマー症等による精神機能の低下が認められない20歳未満の患者への投与が望ましい。
【0016】
ダウン症候群においては、乳幼児期から各種療育プログラムが、医師や作業療法士の管理のもとに行われる。たとえば、巧緻性運動系や微細運動系の運動発達、言語理解や言語表出などの言語発達、日常生活動作、身辺自立行為や集団生活、社会性などに関する指導が行われる。これらの療育とあわせて、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩による薬物療法を併用することも可能である。また、本発明では、従来、これらの療育では十分な効果が得られにくいとされていたIQ50以下の患者においても、より優れた効果を得ることができる。
【0017】
本発明においては、ダウン症候群患者の精神発達遅滞を改善したり、精神発達を促進し、日常生活を改善できる。精神発達遅滞の改善、または精神発達の促進は、日常生活おける患者の行動変化やIQ変化を総合的に評価することにより可能である。日常生活における患者の行動変化は、患者と生活をともにする家族、患者を担当する医師や療育者、学校教育者あるいは職場関係者などによる客観的な観察または観察記録により評価することができる。また、患者本人の日記や絵画などにより、文章構成能力や表現力などの言語機能、他者への関心度や認知度、心情的変化、あるいは、それらの文章や絵の構図や色彩などから精神状態を質的、数値的に評価することもできる。IQは、医療または教育現場などで、標準的に行われている測定法により評価することができる。しかしながら、ダウン症候群における精神発達遅滞の改善や、日常生活の改善の評価は、これらの評価方法に限定されるものではない。
【0018】
本発明において、日常生活の改善は、患者の精神的または情緒的安定性、身辺準備や職業技能などの日常生活動作、学習や職業における学習意欲または学習能力、生活リズムの規則性、他者への興味や関心を示すなどのコミュニケーション力、言語の意味理解や言語表出などの言語機能、集団生活への適応性および集団生活における自律性、積極性などの社会性が改善したり、または向上したり、または促進したりすることを示す。また、日常生活の改善とは、患者の精神的または情緒的安定性に関して、精神的に不安定な状態(脱力感、無気力、不規則な生活、不適切な行動、不安全行動)が日常的にほとんど出現しなくなり、安定な状態が継続することを含む。さらに、日常生活の改善とは、精神的な影響を受ける可能性がある身体的な状態、たとえば睡眠、生理や便通、あるいは適正体重への体重変化(つまり、ダイエットなど)、あるいは感染症への抵抗力などの体調の改善も含む。したがって、本発明における塩酸ドネペジルを含有する日常生活改善剤とは、上記の具体的な行動などの改善剤でもある。
【0019】
本発明において使用されるドネペジル又はその薬理学的に許容される塩、たとえば、塩酸ドネペジルは、特許文献1などに記載の方法など、公知の方法により製造することができるが、特にこれに限定されるものではなく、また、商業的に市販品を容易に入手できる。本発明における薬理学的に許容できる塩としては、たとえば、無機酸との塩、有機酸との塩などが挙げられる。無機酸との塩の好ましい例としては、たとえば、塩酸、臭化水素酸、硫酸、硝酸、リン酸などとの塩が挙げられ、有機酸との塩の好ましい例としては、たとえば、酢酸、コハク酸、フマル酸、マレイン酸、酒石酸、クエン酸、乳酸、ステアリン酸、安息香酸、メタンスルホン酸、p−トルエンスルホン酸などとの塩が挙げられる。なお、塩酸ドネペジルを下式に示す。
【0020】
【化1】

【0021】
本発明において、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含む医薬組成物は、製剤の技術分野における通常の方法で製剤化することができる。例えば、液状、半固形状または固体状の製剤とすることができ、その剤型、製造法は、特に限定されない。たとえば、塩酸ドネペジルを含む薬剤は、細粒剤、錠剤、カプセル剤、湿製錠、速崩錠、液剤、懸濁剤、シロップ剤などの経口剤を製剤化して用いることができる。また、非経口投与剤として、注射剤、凍結乾燥剤、坐薬、貼付剤などの剤型を用いることも可能であるが、好ましくは、経口投与剤である。たとえば、すでに医療現場で使用されている軽度および中等度のアルツハイマー型痴呆治療剤である錠剤または細粒剤(商品名アリセプト:エーザイ株式会社)を用いることができる。
【0022】
本発明における組成物の添加物として、賦形剤、結合剤、崩壊剤、滑沢剤、矯味剤、甘味剤、懸濁剤、乳化剤、着香剤、着色剤、抗酸化剤、ゲル化剤、安定化剤、pH調整剤、防腐剤、保存剤などが挙げられるが、これに限定されるものではない。賦型剤としては、乳糖、D−マンニトール、トウモロコシデンプン、結晶セルロース、軽質無水ケイ酸、無水リン酸カルシウム、沈降炭酸カルシウム、ケイ酸カルシウム、カカオ脂、流動パラフィン、大豆油、オリブ油、中鎖脂肪酸トリグリセライド、グリセリン、プロピレングリコールなど、結合剤として、ポリビニルピロリドン、デキストリン、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、メチルセルロース、ポリビニルアルコール、カルボキシメチルセルロースナトリウム、部分α化デンプン、アルギン酸ナトリウム、プルラン、アラビアゴム末など、崩壊剤として、低置換度ヒドロキシプロピルセルロース、カルボキシメチルスターチナトリウム、クロスポビドンなど、滑沢剤として、ショ糖脂肪酸エステル、ステアリン酸マグネシウム、フマル酸ステアリルナトリウム、ステアリン酸、タルク、マクロゴールなど、矯味剤として、クエン酸、リンゴ酸、グルタミン酸ナトリウム、5’−イノシン酸ナトリウム、甘味剤としては、ぶどう糖、果糖、蔗糖、エリスリトール、マルチトール、トレハロース、ソルビトール、キシリトール、アスパルテーム、アセスルファムカリウム、サッカリンナトリウム、グリチルリチン二カリウムなど、懸濁剤または乳化剤として、レシチン、ショ糖脂肪酸エステル、ポリグリセリン脂肪酸エステル、ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油、ポリソルベート、ポリオキシエチレン・ポリオキシプロピレン共重合物など、香料として、メントール、はっか油、レモン油、オレンジ油など、着色剤として、酸化チタン、三二酸化鉄、黄色三二酸化鉄、銅クロロフィリンナトリウムなど、抗酸化剤として、アスコルビン酸ナトリウム、L−システイン、亜硫酸ナトリウム、天然ビタミンEなど、ゲル化剤として、カラギーナン、ペクチン、アルギン酸ナトリウム、グァーガム、ローカストビーンガム、キサンタンガム、カルボキシビニルポリマー、カルボキシメチルセルロース、ゼラチンなど、安定化剤として、ポリリン酸ナトリウム、メタリン酸ナトリウムなど、pH調整剤として、クエン酸、クエン酸ナトリウム、塩酸、水酸化ナトリウム、リン酸水素二ナトリウムなど、防腐剤または保存剤として、ソルビン酸、安息香酸塩、パラベンなどを用いることができるが、これらに限定されるものではない。
【0023】
本発明において、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩の投与量は、症状の程度;患者の年令、性別、体重、感受性差;投与方法;投与の時期、間隔、医薬製剤の性質、調剤、種類;有効成分の種類などによって異なり、特に限定されない。たとえば、アルツハイマー型痴呆症に対する投与量のように、有効量よりも低用量で1〜2週間投与を継続した後、有効量を投与してもよい。投与量としては、通常成人1日あたり約0.05〜100mg、好ましくは約00.1〜10mgであり、より好ましくは約0.5〜5mgであり、これを通常1日1〜4回にわけて投与する。より詳細には、塩酸ドネペジルでは、3mg/dayを継続的に投与することにより、副作用もほとんどなく、本発明の効果を期待することができる。3mg/day投与では血中濃度が上がらず、効果が十分現れない場合には、例えば、5mg/dayに増量することにより本発明の効果を期待できる。
【0024】
試験例1
以下に、ダウン症候群患者へ投与した二重盲検試験結果を示す。
表1記載の重篤な合併症を伴わない14名のダウン症候群患者に対して、24週間二重盲検試験を行った。実薬投与群の患者5名は、投与開始1週間は塩酸ドネペジル3mgを含む錠剤を1錠、それ以後は塩酸ドネペジル5mgまたは3mgを含む錠剤を1錠、1日1回、朝食後に服用した。プラセボ投与群は、投与開始1週間は塩酸ドネペジル3mgを含む錠剤に相当する偽薬を1錠、それ以後は塩酸ドネペジル5mgを含む錠剤に相当する偽薬を1錠、1日1回、朝食後に服用した。
【0025】
【表1】

【0026】
実薬投与群において、3mg投与期間中、副作用は認められなかった。5mgへ増量することにより、5名中4名に、軽い副作用(下痢、嘔吐)が一時的に認められたが、3mgに減量することにより、それらの症状はなくなった。1名の被験者は、3mgに減量しても、胃腸症状を継続して訴えたため、往診後、試験を一時中止した。その後、6ヶ月以上経過後、2mg投与を再開し、さらに投与再開3ヵ月以降3mgに増量したが、副作用は認められなかった。
【0027】
医師による往診や、往診時の家族への患者の日常生活に関する面接質問表などにより、日常生活の改善を評価した。患者および家族は、投与期間中、1ヵ月ごとに来院し受診した。試験終了時におけるダウン症候群患者の日常生活の改善効果について、表2に結果を示す。実薬投与群では、すべての被験者に何らかの効果が認められ、特に、著効を示した被験者は、全体の57.1%であった。プラセボ投与群では、やや有効が57.1%と最も高い割合を示した。
【0028】
【表2】

【0029】
実薬投与群における著効例では、毎日、一緒に生活している家族が、明らかな改善効果を認識でき、かつ、その改善効果は投与期間とともに高くなった。さらに、職場や知人等によっても、日常生活の行動の改善効果が確認されている。たとえば、起床や食事での自発的な行動をとる、自分から絵や文字を初めて書く、新聞の社会面に対するコメントを発する、単独での交通機関を利用するなど、自立的な行動の出現、または改善が認められた。また、職場や家庭での作業に関して、患者自ら積極的な意志よる行動が認められた。あるいは、行動力または作業性の向上、他者への興味、電話での対応能力の向上などの社会性向上が認められた。また、言語表現力、語彙数、構文構成力を含む表出言語機能改善、有意味語の理解力などを含む受容的言語機能力の改善など、言語機能全般の向上が認められた。有効例は、今までに口にしなかった言葉を発するなどの言語表出機能の改善や、日常生活上対応が早くなるなど日常生活動作に改善効果を認めた。やや有効例は、投与期間中、精神的に安定な状態が維持され、また、安定的な日常生活を送ることにより、減量して適正体重に近づくなど体調改善効果が確認された。
【0030】
プラセボ投与群では、そのうち2名は、明らかに変化が無く、家族は、偽薬であると確信していた。また、やや有効の被験者4名は、一部の項目で効果が確認された場合や、また、効果が認められても、その効果は安定的ではなく、月毎の評価にばらつきがあった。たとえば、1名の被験者(15歳)では、言語機能において質と量の向上があることが確認されたが、他の適応行動や作業性には影響は認められなかった。
【0031】
プラセボ投与群の被験者7名のうち5名は、6ヶ月の二重盲検試験終了後、実薬を投与した。実薬の投与は、二重盲検試験における実薬投与群と同様の方法で行ったが、5名のうち、1名は肝機能が低下したため2ヶ月以降1.5mg/day投与し、4ヶ月で評価し投与を中止した。表3に、ダウン症候群患者の日常生活の改善効果について、プラセボ投与時と実薬投与時の比較結果を示す。その結果、プラセボ投与時は、有効以上の評価が14.3%であったのに対し、実薬投与後は、80.0%以上となった。
【0032】
【表3】

【0033】
実薬投与時の評価結果は、いずれの被験者でも、プラセボ投与時の評価結果と比較して、より高い改善効果を示した。例えば、プラセボ投与で無効例の2例は、実薬を投与することによって、著効またはやや有効の評価を得た。これらのうち、著効例を示した被験者は、自分の意見を述べるなどの積極性、コミュニケーション能力などの社会性の向上が認められたり、語彙数、意味理解力、文章力などの言語機能の改善効果も認められた。プラセボ投与時、やや有効の2例は、ともに有効となった。そのうちの1例では、職場の給与支給明細書における作業評価で、初めて、積極性および集団性の評点が向上した。プラセボ投与時でも実薬投与時でも著効と判断された被験者の場合、実薬投与時の改善効果は、プラセボ投与時の改善効果とは、質的に明らかに異なっていた。つまり、プラセボ投与時には言語能力の向上のみ確認されていたが、実薬の投与により、会話力の向上、交通機関の単独利用、計算力の向上など、複数の事象で実薬投与による改善効果が確認された。
【0034】
前記二重盲検試験期間中または二重盲検試験終了後の実薬投与期間中に、実薬投与開始4週間後に、各被験者の血中濃度を測定した。塩酸ドネペジル3mgを投与時の被験者8名(体重42kg〜70kg;平均体重55.6kg)の血中濃度は、12.1〜23.0ng/mLを示し、平均16.9ng/mLであった。また、塩酸ドネペジル5mg投与時の被験者3名(体重54kg〜75kg;平均体重66.3kg)の血中濃度は、26.3〜26.6ng/mLであり、平均26.4ng/mLであった。さらに、投与量を変化させた被験者のうち、3名に関して、異なる投与量で血中濃度を測定したところ、両者に相関関係を見出した(図1)。また、塩酸ドネペジルの血中濃度は、23ng/mL以下、投与量としては、塩酸ドネペジル3mg/day投与の場合、ほとんどの被験者において、副作用は認められなかった。
【0035】
試験例2:急激退行を示す患者への投与
(投与方法)
下記の患者について、医師による診察、日常生活に関する面接質問の結果、「急激退行症状」であることを確認した。その後、塩酸ドネペジル2mg/dayの経口投与を開始し、1月毎に往診し、症状の変化について確認した。
対象患者:年齢12歳5ヶ月。IQ47。語彙年齢4歳2ヶ月(絵画語彙発達検査による)。社会生活年齢4歳6ヶ月(社会生活能力検査による)。痴呆症状なし(ダウン症者用痴呆スケールによる評価)。退行あり(退行に関するアンケート調査による)。
【0036】
(試験結果)
1ヵ月後往診
投与開始から1ヶ月間の患者の様子について確認した。日常生活では、着脱衣に投与前は30分以上必要としていたが、投与後は2〜3分程度でできるようになった。また、移動のための動作も、投与前は緩慢であり、同伴者が声掛けをしないと行動できなかったが、投与後は自ら移動できるようになった。身体のゆすりもみとめられていたが、投与後は、日常生活では音楽を聴いている時以外は示さなくなった。コミュニケーション面でも、投与後は許可を求める等、自発的な会話が見られるようになった。投与開始2週間経過後には、食事量が増える、朝自ら起床するなど規則正しい生活ができるようになった。特に重大な副作用は認められなかった。
【0037】
2ヵ月後往診
被検者自身で朝の起床を非常に規則正しく行っていることが確認された。また、日常生活では、洗濯物の整理を行っているが、投与前は、30分でも1枚たたむことができなかったが、投与後は10分で10〜20枚処理できるようになり、急激退行症状を示す前の状態に近づいている。また、投薬も親の指導がなくても自ら服用できる状態となった。なお、投与期間中、消化器症状、パニック、筋緊張低下などの副作用は全く認めなかった。血中濃度は13.7ng/mLであった。
【0038】
3ヶ月後往診
1ヵ月または2ヶ月往診での改善効果が引き続き維持されていることが確認された。本試験では、3ヶ月間という短期間の間で、急激退行症状のうち行動面での改善が認められた。日常生活動作や問題行動の改善に効果が認められた。
【産業上の利用可能性】
【0039】
本発明によれば、塩酸ドネペジルを投与することにより、ダウン症候群の治療剤および治療方法が提供され、ダウン症候群を患っている患者において日常生活改善が改善される。
【図面の簡単な説明】
【0040】
【図1】図1は、塩酸ドネペジルの投与量に対する血中濃度の変化を示ある。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群治療剤。
【請求項2】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である請求項1記載のダウン症候群治療剤。
【請求項3】
前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、請求項1または2記載のダウン症候群治療剤。
【請求項4】
前記ダウン症候群を患っている患者の年齢は、36歳以下である請求項1ないし3のいずれか1項記載のダウン症候群治療剤。
【請求項5】
アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における日常生活改善剤。
【請求項6】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤がドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項5記載の日常生活改善剤。
【請求項7】
前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である請求項5または6記載の日常生活改善剤。
【請求項8】
前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、請求項5ないし7のいずれか1項記載の日常生活改善剤。
【請求項9】
アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における精神発達遅滞改善剤。
【請求項10】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤が、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項9記載の精神発達遅滞改善剤。
【請求項11】
前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、請求項9または10記載の精神発達遅滞改善剤。
【請求項12】
前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、請求項9ないし11のいずれか1項記載の精神発達遅滞改善剤。
【請求項13】
アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を含有するダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善剤。
【請求項14】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジル又はその薬理学的に許容な塩である、請求項13に記載の緩和又は改善剤。
【請求項15】
前記ダウン症候群を患っている患者の知能指数が、48以下である、請求項13または14記載の緩和又は改善剤。
【請求項16】
前記ダウン症候群を患っている患者の年齢が、36歳以下である、請求項13ないし15のいずれか1項記載の緩和又は改善剤。
【請求項17】
ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群の治療方法。
【請求項18】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項17に記載の治療方法。
【請求項19】
ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群における精神発達遅滞、または日常生活の改善方法。
【請求項20】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項19に記載の方法。
【請求項21】
ダウン症候群患者に、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤を投与する工程を含む、ダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善方法。
【請求項22】
前記アセチルコリンエステラーゼ阻害剤は、ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩である、請求項21に緩和又は改善方法。
【請求項23】
ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群患治療用組成物。
【請求項24】
ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における日常生活改善剤用組成物。
【請求項25】
ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における精神発達遅滞改善剤用組成物。
【請求項26】
ドネペジルまたはその薬理学的に許容な塩を含有するダウン症候群における急激退行症状の緩和又は改善用組成物。

【図1】
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【国際公開番号】WO2005/027968
【国際公開日】平成17年3月31日(2005.3.31)
【発行日】平成19年11月15日(2007.11.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−514057(P2005−514057)
【国際出願番号】PCT/JP2004/013636
【国際出願日】平成16年9月17日(2004.9.17)
【出願人】(506137147)エーザイ・アール・アンド・ディー・マネジメント株式会社 (215)
【Fターム(参考)】