説明

トリペプチドの合成方法、ペプチド合成酵素の調製方法、およびペプチド合成酵素

【課題】 特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドを、ペプチド合成酵素を用いて合成する方法を提供すること。
【解決手段】 シジミの身肉、特に中腸腺は除去して足または貝柱を切り出して抽出対象の組織とし、これに対して、分子量100000以上の画分を残存させる分離操作または濃縮操作を含む抽出工程を経て、目的トリペプチドの合成が可能な酵素溶液を得る。得られたペプチド合成酵素を用い、化学修飾されていないβ-アラニンおよびオルニチン自体を基質として、ATPとMg2+存在下、目的トリペプチドを合成できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はトリペプチドの合成方法、ペプチド合成酵素の調製方法、およびペプチド合成酵素に係り、特に、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合した特定のアミノ酸配列を有する有用なるトリペプチドの合成方法、それに用いるペプチド合成酵素の調製方法、およびペプチド合成酵素に関する。
【背景技術】
【0002】
蛋白質は細胞の構造と機能を直接に担う物質であるが、きわめて多くの種類があり、細胞の核や細胞質のいたるところに存在して、それぞれの機能を営んでいる。各種の酵素やペプチドホルモン、抗体等は蛋白質であり、生命現象の重要な担い手である。また、蛋白質と特定の物質との間における特異的な反応を利用することで、目的物質を高精度に測定することが可能であることから、蛋白質の機能を利用した臨床診断、食品分析、環境分析等が行われている。現在、蛋白質は広範囲に利用されているが、一方において一般に蛋白質は熱に弱く、常温で保存するとしばしば凝集し、活性の減少が観察される。そこで、蛋白質を産業に利用するために、有効な蛋白質安定化剤が求められている。
【0003】
本願発明者らは、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチド(以下、「β-Ala−Orn−Orn」とも記す)が蛋白質の安定化剤として有効であることを、既に提案している(特許文献1 本願出願時未公開)。その概要は次の通りである。
〔i〕 N末端からβ-アラニン、オルニチンの順、もしくはN末端からオルニチン、オルニチンの順でペプチド結合した配列を有するペプチドまたはその塩を、蛋白質もしくは蛋白質結合担体の少なくともいずれか一方を含む試薬組成物に共存させることを特徴とする、蛋白質の安定化方法。
〔ii〕 N末端からβ-アラニン、オルニチンの順、もしくはN末端からオルニチン、オルニチンの順でペプチド結合した配列を有するペプチドまたはその塩からなる、蛋白質安定化剤。
〔iii〕 β-アラニン、オルニチンの順でペプチド結合したジペプチド、もしくはオルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したジペプチドまたはその塩からなる、蛋白質安定化剤。
〔vi〕 N末端からβ-アラニン、オルニチンの順、もしくはN末端からオルニチン、オルニチンの順でペプチド結合した配列を有するペプチドまたはその塩を、蛋白質もしくは蛋白質結合担体の少なくともいずれか一方を含む試薬組成物に共存させてなることを特徴とする、蛋白質含有溶液。
〔v〕 〔vi〕に記載の蛋白質含有溶液を用いてなる、生体成分測定用試薬。
〔vi〕 〔vi〕に記載の蛋白質含有溶液を用いてなる、生体成分測定のために用いる標準液。
【0004】
また本願発明者らはそれに先立ち、シジミエキスから該トリペプチドを製造する方法についても既に提案している(特許文献2)。つまり、シジミエキスを水で希釈し、分画する方法である。同文献ではまた、α−アミノ基とδ−アミノ基を保護したオルニチン及びβ-アミノ基を保護したβ-アラニンを用いた化学合成方法も開示している。
【0005】
【特許文献1】特願2005−239715「蛋白質の安定化方法、蛋白質安定化剤および蛋白質含有溶液」(本願出願時、未公開)
【特許文献2】特開2005−200377「新規トリペプチドおよびその製造方法」
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
さて、本願発明者らの研究では、上述のような構造のトリペプチドが含まれている天然原料は、現在のところ唯一シジミのみである。したがって、該トリペプチドを天然物から分離精製して製造する場合は、上述特許文献2に開示したように100%シジミに依存せざるを得ず、シジミの確保が不可欠となる。しかしながら、シジミは自然環境により漁獲量が変動し価格も変化することから、該トリペプチドの原料を直接的にシジミに求めるのみでは極めて不安定であり、工業製品として最も重要な安定供給が危惧される。
【0007】
また、該トリペプチドは化学的に合成することも可能であるが(特許文献2)、これには高額な試薬や高い技術が要求される。一例として該トリペプチドをペプチド合成の専門業者に依頼合成したところ、費用は25mgで135,000円であった。つまり、該トリペプチドを工業製品として商品化するに当たっては、100%シジミに依存することは避けるべきであり、しかし化学合成では高価となることから、化学合成よりも安価に、かつ安定的に該トリペプチドを製造する方法の開発が求められていた。
【0008】
本発明が解決しようとする課題は、上記従来技術の問題点を除き、特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドを、化学合成よりも安価にかつ安定的に製造するための、ペプチド合成酵素とその製造方法を提供すること、併せてそれによるトリペプチドの合成方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本願発明者は上記課題について検討した結果、該トリペプチドの構成アミノ酸であるβ-アラニンとオルニチンを基質とし、ATPとMg2+存在下、シジミの組織から調製したトリペプチド合成酵素を添加して該トリペプチドを合成する方法を見出し、これに基づいて本発明に至った。すなわち、上記課題を解決するための手段として本願で特許請求される発明、もしくは少なくとも開示される発明は、以下の通りである。
【0010】
(1) ともに化学修飾されていないβ-アラニンおよびオルニチン自体を基質として、ATPとMg2+存在下、ペプチド合成酵素を用いて、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドを合成する方法。
(2) ペプチド合成酵素が、シジミ身肉を構成する一または複数の組織から抽出されるシジミ由来の酵素であることを特徴とする、(1)に記載のN末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドを合成する方法。
(3) シジミの身肉から、プロテアーゼによる自己消化を防止もしくは軽減可能なように少なくとも中腸腺を除去して抽出対象の組織とし、抽出工程を経て、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドの合成を行うシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
(4) 前記抽出対象の組織はシジミの足もしくは貝柱またはその双方であることを特徴とする、(3)に記載のシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
(5) 前記抽出工程には分子量100000以上の画分を残存させる分離操作または濃縮操作が含まれることを特徴とする、(3)または(4)に記載のシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
(6) β-アラニンとオルニチンを基質とし、ATPとMg2+存在下、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドの合成を行う、(3)ないし(5)のいずれかに記載の方法により調製されたシジミ由来のペプチド合成酵素。
【0011】
本発明に係るトリペプチド合成酵素はこれまで報告のない新規な酵素であるだけではなく、工業上利用性の高いものである。従来のペプチド合成酵素としては、カルノシン(N末端からβ-アラニン、ヒスチジンの順でペプチド結合したジペプチド)の合成酵素であるカルノシンシンターゼ(EC6.3.2.11)が知られているが、これが工業的に利用された報告はない。カルノシンには抗酸化効果等の機能性が知られており、チキンエキス等から調製されたカルノシン強化エキスが市販されてもいる。カルノシンシンターゼは極めて不安定で失活しやすいと記述されているが(参考文献1)、カルノシンは哺乳類や魚類等の筋肉に普遍的に存在するものであり、抽出が容易であることが、カルノシンシンターゼによる合成の実態がない理由であると推察される。
【0012】
また、枯草菌からジペプチド合成活性を持つ酵素が発見されている(協和発酵工業(株))。この酵素はアミノ酸を直接結合することができ、アラニルグルタミンをはじめとするさまざまなジペプチドの合成に成功している。しかしながら、この酵素によるトリペプチドの合成は報告されていない。また、アミノ酸の一種類をエステル化し、このエステルを酵素によりもう一方のアミノ酸で置換してペプチドを合成する酵素が微生物から発見されている(味の素(株))。この酵素は、ジペプチドだけでなくトリペプチド等さらなるオリゴペプチドも合成可能とされている。
【0013】
しかし、この酵素を用いた合成では、N末端に結合させるアミノ酸をエステル化しておく必要がある。これに対して本発明のトリペプチド合成酵素においては、かかるアミノ酸のエステル化等の化学修飾は全く不要であり、トリペプチドの構成アミノ酸であるβ-アラニンとオルニチンそのものを基質として用い、より簡易に、かつ低コストで所望のトリペプチドを製造することが可能である。
(参考文献1:丸尾、田宮監修;酵素ハンドブック、p.780(1982)、朝倉書店)
【発明の効果】
【0014】
本発明のトリペプチドの合成方法、それに用いるペプチド合成酵素の調製方法、およびペプチド合成酵素は上述のように構成されるため、これによれば、蛋白質安定化効果を備えた有用成分である特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドを、化学合成にも天然物からの直接的な抽出にもよらずに、より安価に、かつ安定的に製造することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
以下、本発明をより詳細に説明する。
特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドを合成可能な本発明のペプチド合成酵素は、シジミ身肉を構成する一または複数の組織から抽出することができる。シジミ身肉は後述するように、外套膜、エラ、足、貝柱、中腸腺、生殖腺等の各組織から構成されるが、これら全部を含むシジミ身肉全体から抽出されたものではなく、その一部のみを原料としてそこから抽出された酵素が、本願に係るものである。そして本ペプチド合成酵素によれば、上述の従来技術に示したエステル化のような化学修飾を何ら施さないβ-アラニンおよびオルニチン自体を基質として、特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドの合成が可能である。
【0016】
ペプチド合成酵素の原料とする組織としては特に、シジミの足、もしくは貝柱、またはその双方を用いるものとすることができる。各組織中、特に足や貝柱には上記特定構造のトリペプチドが多く存在しており、したがって該トリペプチド合成酵素も多く含まれているものと考えられる。一方、原料から特に除外すべき組織は、中腸腺である。中腸腺に含まれるプロテアーゼの活性は高いものと考えられ、プロテアーゼによる自己消化を防止もしくは軽減可能とするために、少なくとも中腸腺を除去した身肉部位を抽出対象の組織とする。
【0017】
実施例に詳述するように、シジミ身肉組織からの酵素抽出工程には、分子量100000以上の画分を残存させる分離操作または濃縮操作を含むものとする。目的とする酵素の分子量は100000以上であると推定されるからである。
【0018】
本発明のトリペプチド合成法に用いるβ-アラニン、オルニチン、ATP、Mg2+は、一般に試薬として市販されているものを利用することができる。オルニチンはL-オルニチンの塩酸塩、ATPはアデノシン5’−三リン酸二ナトリウム三水和物の結晶品、Mg2+には塩化マグネシウム六水和物を好適に用いることができ、後述する実施例でもこれらを用いた。
【0019】
本発明のトリペプチド合成酵素の調製においては、シジミの組織を原料とするが、身肉全体をホモジナイズしてそこから酵素を抽出するのではなく、上述したように、特に足あるいは貝柱を切り取って原料として好適に用いることができる。本願発明者らは、シジミの身肉を外套膜、エラ、足、貝柱、中腸腺、生殖腺の組織ごとに分別し、各組織におけるトリペプチド含量を比較した。その結果、トリペプチドは足と貝柱に多く含まれていることが分かった。トリペプチド含量の高い足と貝柱にはトリペプチド合成酵素も多く含まれていると考えられるため、これらを特に好適な原料として用いることとしたものである。
【0020】
また、シジミの組織を特に分別せずに全体としてホモジナイズすると、組織中に存在するプロテアーゼの作用によりトリペプチド合成酵素が消化されてしまう危険性がある。とりわけ、中腸腺に含まれるプロテアーゼの活性は高いと考えられ、したがって、足と貝柱を分別して用いることによりプロテアーゼによる消化を軽減することができる。なお足と貝柱では、足の方がより分別しやすい。
【実施例】
【0021】
以下、実施例を挙げて本発明を具体的に説明するが、本発明はこれらにより何ら限定されるものではない。
<実施1 トリペプチド(N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したペプチド、β-Ala−Orn−Orn)のペプチド合成酵素を用いた合成法>
β-アラニン水溶液(20μmol/ml)10μl、オルニチン水溶液(20μmol/ml)10μl、MgCl水溶液(20μmol/ml)10μl、ATP水溶液(20μmol/ml)10μlおよび0.1Mリン酸カリウム緩衝液(pH7.2)50μlを混合し、後述する<実施例4>の足から調製した酵素溶液を10μl 加え、25℃で反応させた。
【0022】
トリペプチド合成法に用いるβ-アラニン、オルニチン、ATP、Mg2+は、一般に試薬として市販されているものを利用した。オルニチンはL-オルニチンの塩酸塩、ATPはアデノシン5’−三リン酸二ナトリウム三水和物の結晶品、Mg2+には塩化マグネシウム六水和物を好適に用いることができる。合成反応時におけるこれらの濃度は、最終の反応液において、いずれも2μmol/mlになるように設定した。緩衝液として用いたリン酸カリウム緩衝液(pH7.2)は常法に従って調製し、最終の反応液において50mMになるように設定した。トリペプチドの合成にはATPが不可欠であるが、トリペプチドの生成とともにATPが減少し、逆にAMP(アデノシン5’−一リン酸)が生成することを確認した。なお、これらの試薬および反応時における濃度は推奨されるものではあるが、本発明がこれらの条件に限定されるものではない。
【0023】
反応開始後1時間、2時間および4時間後に反応系から液をサンプリングし、トリペプチド合成状況をトリペプチドの測定により調べた。トリペプチドの測定は、高速液体クロマトグラフィを用い、長澤らの方法(参考文献2)を参考にして行った。すなわち、オルトフタルアルデヒドと2-メルカプトエタノールを用いてトリペプチドを蛍光標識し、カラムにはマイティシルRP−18 GP(関東化学)、移動相には50mM酢酸ナトリウム水溶液(pH5.0):メタノール:テトラヒドロフラン=35:58:7、流速1ml/minの条件で、検出は蛍光検出器(F−1050、日立製作所、Ex 340nm、Em 455nm)を用いて行った。
(参考文献2:Nagasawa et al. Molecular and Cellular Biochemistry 225: 29−34, 2001.)
【0024】
図1は、本発明方法によるトリペプチド合成の経時変化を示す高速液体クロマトグラフィの結果である。図示するように本発明方法により目的のトリペプチドが生成されたことが確認され、またトリペプチドは継時的に増加することが分かった。
【0025】
上述の混合液によるトリペプチドの合成の際、MgClを添加しない場合にはトリペプチドの合成は認められなかった。また同様に、ATPを添加しない場合にもトリペプチドの合成は認められなかった。さらに、沸騰水中で10分間加熱処理した酵素溶液を用いた場合にもトリペプチドの合成は認められなかった。このことから、加熱処理によりトリペプチド合成酵素の活性は失われることが分かった。
【0026】
<実施例2 トリペプチド合成酵素の調製法(1)>
新鮮なシジミ貝70個(平均重量1.7g/個)を流水中室温で3時間砂抜きした。その後、70個全部を水から揚げ貝を開き、中腸腺を含む身肉全体を取り出した(収量36.7g)。集めた組織を、ハサミを用いて細片化し、20mMリン酸カリウム緩衝液(pH7.2)を450ml加え、ホモジナイザを用いて破砕し、遠心分離機を用いて遠心分離(10,000Xg,30分)した。上清画分を分画分子量10,000の透析膜を用いて脱塩し、さらに分画分子量10,000の限外ろ過膜を用いて15mlまで濃縮した。砂抜き後の操作は、氷冷中もしくは4℃に設定された低温室中で行った。得られた溶液を酵素溶液として<実施例1>のトリペプチドの合成に用い、25℃で4時間反応させた溶液を高速液体クロマトグラフィに供したところ、合成されたトリペプチドの蛍光強度は207975であった。
【0027】
<実施例3 トリペプチド合成酵素の調製法(2)>
新鮮なシジミ貝70個(平均重量1.7g/個)を流水中室温で3時間砂抜きした。その後、70個全部を水から揚げ貝を開き、身肉全体から中腸腺を除いた組織を切り出した(収量14.2g)。集めた組織を、ハサミを用いて細片化し、20mMリン酸カリウム緩衝液(pH7.2)を200ml加え、ホモジナイザを用いて破砕し、遠心分離機を用いて遠心分離(10,000Xg,30分)した。上清画分を分画分子量10,000の透析膜を用いて脱塩し、さらに分画分子量10,000の限外ろ過膜を用いて15mlまで濃縮した。砂抜き後の操作は、氷冷中もしくは4℃に設定された低温室中で行った。得られた溶液を酵素溶液として<実施例1>のトリペプチドの合成に用い、25℃で4時間反応させた溶液を高速液体クロマトグラフィに供したところ、合成されたトリペプチドの蛍光強度は455513であり、<実施例2>よりも多くのトリペプチドが合成されることが分かった。
【0028】
<実施例4 トリペプチド合成酵素の調製法(3)>
新鮮なシジミ貝70個(平均重量1.7g/個)を流水中室温で3時間砂抜きした。その後、70個全部を水から揚げ貝を開き、身肉から足あるいは貝柱の部分だけをそれぞれ切り取った(収量:足1.75g、貝柱1.72g)。集めた足あるいは貝柱それぞれを、ハサミを用いて細片化し、20mMリン酸カリウム緩衝液(pH7.2)を25ml加え、ホモジナイザを用いて破砕し、遠心分離機を用いて遠心分離(10,000Xg,30分)した。上清画分を分画分子量10,000の透析膜を用いて脱塩し、さらに分画分子量10,000の限外ろ過膜を用いて15mlまで濃縮した。砂抜き後の操作は、氷冷中もしくは4℃に設定された低温室中で行った。得られたそれぞれの溶液を酵素溶液として<実施例1>のトリペプチドの合成に用い、25℃で4時間反応させた溶液を高速液体クロマトグラフィに供したところ、合成されたトリペプチドの蛍光強度は足が961296、貝柱が916211であり、足と貝柱のいずれを用いても<実施例3>よりもさらに多くのトリペプチドが合成されることが分かった。
【0029】
なお、本例においては氷冷下で操作することにより、プロテアーゼ阻害剤を用いなくても、分別された足からトリペプチド合成酵素を活性が保持された状態で抽出することが可能であったが、PMSF(フェニルメタンスルフォニルフルオライド)等のプロテアーゼ阻害剤の使用は任意であり、これを妨げるものではない。
【0030】
<実施例5 トリペプチド合成酵素の調製法(4)>
実施例4により足から調製した酵素溶液を分画分子量30,000、50,000、100,000の各限外ろ過膜を用いて分画し、各画分を酵素溶液として<実施例1>に示した反応条件においてトリペプチドの合成を試み、高速液体クロマトグラフィにより分析した。その結果、分画分子量30,000、50,000および100,000の限外ろ過膜における透過液を用いた場合、すなわち分子量30,000以下、50,000以下および100,000以下の画分を酵素液として用いた場合は、トリペプチドの生成は認められなかった。分画分子量100,000の限外ろ過膜における残存液、すなわち分子量が100,000以上の画分を酵素液として用いたところ、トリペプチドの生成が認められた。このことから、抽出工程に分画分子量100,000以上の画分を残存させる分離操作または濃縮操作を加えることにより、ペプチド合成酵素を精製することができることが分かった。
【0031】
<実施例6 トリペプチド合成酵素の性状>
a.分子量
<実施例4>により足から調製した酵素溶液をSephacryl S−300ゲルろ過カラム(アマシャム バイオサイエンス、2.3X118cm)に供した。溶出液は0.1M NaCl、流速0.5ml/min、4℃の条件で行った。5mlずつ分取し、各画分を酵素溶液として、<実施例1>の方法と同様にトリペプチドの合成を試み、合成されたトリペプチドを高速液体クロマトグラフィにより定量した。
【0032】
図2は、本発明トリペプチド合成酵素の分子量を算出するために行ったゲルろ過クロマトグラフィの結果を示すクロマトグラムである。図示するように Fraction No.45−53に左右対称なピークとしてトリペプチド合成酵素の活性が認められた。分子量既知の標品の溶出位置との比較から、酵素活性のピークであるFraction No.49は、分子量約190,000の溶出位置であることが分かった。すなわち、トリペプチド合成酵素の分子量は約190,000と推定された。
【0033】
b.イオン交換カラムクロマトグラフィによる分離精製
<実施例4>により足から調製した酵素溶液を、DEAE−Sephacel イオン交換カラム(アマシャム バイオサイエンス、2X25cm)に供した。溶出は、20mMリン酸緩衝液(pH7.2)を用いて0−0.5MのNaClによる直線濃度勾配により行い、流速0.5ml/min、4℃の条件で行った。5mlずつ分取し、各画分を酵素溶液として、<実施例1>の方法と同様にトリペプチドの合成を試み、合成されたトリペプチドを高速液体クロマトグラフィにより定量した。
【0034】
図3は、本発明トリペプチド合成酵素を分離精製するために行ったイオン交換カラムクロマトグラフィの結果を示すクロマトグラムである。図示するように、0.32M NaCl濃度の位置であるFraction No.113−119に左右対称なピークとしてトリペプチド合成酵素の活性が認められた。即ち、Fraction No.113−119にトリペプチド合成酵素が精製されることが分かった。
【0035】
c.至適温度
<実施例1>に示した反応条件におけるトリペプチド合成酵素の至適温度を調べるために、反応温度を20℃−35℃に変えてトリペプチドの合成を試みた。その結果、上記条件でのトリペプチド合成酵素の至適温度は約30℃であることが分かった。
図4は、本発明トリペプチド合成酵素の至適温度測定結果を示すグラフである。
【0036】
d.基質特異性
<実施例1>に示した反応条件におけるトリペプチド合成酵素の基質特異性を調べるために、β-アラニンに替えてL-アラニンとγ-アミノ酪酸を、またL-オルニチンに替えてD-オルニチン、L-ヒスチジン、L-リジン、L-アルギニンを基質としてペプチドの合成を試み(代替アミノ酸以外の反応条件は変えない)、高速液体クロマトグラフィにより検出を行った。その結果、代替アミノ酸のいずれにおいてもペプチドの合成は観察されなかった。このことから、本酵素は、本反応条件においてβ-アラニンとL-オルニチン以外のL-アラニン、γ-アミノ酪酸、D-オルニチン、L-ヒスチジン、L-リジン、L-アルギニンは基質とならないか、あるいはなったとしてもβ-アラニンやL-オルニチンと比べて反応速度は極めて遅いものと考えられた。
【0037】
本発明により、酵素を用いて合成されたトリペプチドには、先に示した特許文献1に記載の蛋白質安定化効果があることを確認した。即ち、50mMリン酸緩衝液(pH7.1)にニワトリリゾチーム(Sigma社)を溶解し、1mg/mlの蛋白質溶液を調製した。この溶液に、本発明により酵素合成されたトリペプチドを、濃度が20mMあるいは60mMになるように添加し、98℃で10分、20分、30分加熱処理した。次に0.5mg/mlのMicrococcus lysodeikticus(Sigma社)溶液(100mMリン酸緩衝液、pH6.5)2mlに、加熱処理後の蛋白質溶液10μlを添加し、分光光度計(U−3310:日立製作所)を用い、波長600nmの吸光度にてリゾチーム活性を測定した。その結果、トリペプチドの20mM 添加区分では30分加熱が32.5%、60mM添加区分では30分加熱でも80%近い残存活性が認められた。本発明により、酵素を用いて合成されたトリペプチドには高い蛋白質安定化効果があることが確認された。
【0038】
先に示した特許文献2により、シジミから当該トリペプチドを精製する方法が開示されている。シジミエキスには、水分を除くと、グリコーゲンを主成分とする糖質が約50%、蛋白質が約35%、灰分が約10%含まれており、トリペプチド含量は約1%である。約1%しか含まれていないトリペプチドを高純度に精製するためには、シジミからエキスを抽出後、限外ろ過、ゲルろ過、イオン交換クロマトグラフィー等の工程が必要となり、数日の作業工程が見込まれる。
【0039】
また、先に示した特許文献2により、当該トリペプチドを化学的に合成する方法が開示されている。操作のし易さから、各社から市販されているペプチドシンセサイザーを用いて固相法により合成することが好ましいが、特殊な試薬と高度な技術が求められる。即ち、使用する装置のプログラムに従ってC末端より逐次Fmoc法によりペプチド鎖を延長する。固相法ペプチド合成用支持体である担体を使用し、副反応を防止するために、あらかじめFmocおよびBocによりα−アミノ基とδ−アミノ基を保護したオルニチン[Fmoc−0rn(Boc)]とFmocによりβ−アミノ基を保護したβ−アラニン[Fmoc−β−Ala]のFmocアミノ誘導体を用いる。Fmoc−Orn(Boc)を担体に結合させ、ピペリジンなどを用いてα−アミノ基を脱保護後、Fmoc−Orn(Boc)のC末端を、カップリング剤を用いてカップリングさせ、再びピペリジンなどで二つ目のオルニチンのα−アミノ基を脱保護し、Fmoc−β−AlaのC末端を同様にカップリングさせる。最後にトリフルオロ酢酸などの酸を用いて全ての脱保護と担体除去を行い、0.1%トリフルオロ酢酸水を用いて抽出したものを凍結乾燥することでトリペプチドを合成することができる。精製するためには、逆相高速液体クロマトグラフィーなどの工程が加えられる。トリペプチドは化学的に合成することも可能であるが、本記述からも明らかなように、特殊な試薬と煩雑な操作、および高い技術が求められる。
【0040】
今回、本発明により酵素を用いてトリペプチドを合成することが可能となったが、各種成分の混合物であるシジミエキスからトリペプチドを分離精製する場合と比較し、酵素合成により得られたトリペプチド溶液は圧倒的に不純物が少なく、精製は容易できる。また、酵素による合成では、基質であるβ−アラニンとオルニチン、そしてATPとMgClを反応緩衝液に溶解させ、約30℃という温和な条件で、シジミから調製した合成酵素を作用させてトリペプチドを合成するという簡単なもので、化学的に合成する方法と比較し、ペプチドシンセサイザー等の特殊な装置や、保護基の付いたアミノ酸や特殊な試薬が不要であり、高い技術も要求されない。これらの点から、酵素を用いてトリペプチドを合成するメリットは大きいと考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0041】
本発明のトリペプチドの合成方法、それに用いるペプチド合成酵素の調製方法、およびペプチド合成酵素によれば、蛋白質安定化効果を備えた有用成分である特定構造(β-Ala−Orn−Orn)のトリペプチドを、化学合成にも天然物からの直接的な抽出にもよらずに、化学合成よりも安価にかつ安定的に製造することができる。したがって、産業上利用価値が高い発明である。
【図面の簡単な説明】
【0042】
【図1】本発明方法によるトリペプチド合成の経時変化を示す高速液体クロマトグラフィの結果である。
【図2】本発明トリペプチド合成酵素の分子量を算出するために行ったゲルろ過クロマトグラフィの結果を示すクロマトグラムである。
【図3】本発明トリペプチド合成酵素を分離精製するために行ったイオン交換カラムクロマトグラフィの結果を示すクロマトグラムである。
【図4】本発明トリペプチド合成酵素の至適温度の測定結果を示すグラフである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ともに化学修飾されていないβ-アラニンおよびオルニチン自体を基質として、ATPとMg2+存在下、ペプチド合成酵素を用いて、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドを合成する方法。
【請求項2】
ペプチド合成酵素が、シジミ身肉を構成する一または複数の組織から抽出されるシジミ由来の酵素であることを特徴とする、請求項1に記載のN末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドを合成する方法。
【請求項3】
シジミの身肉から、プロテアーゼによる自己消化を防止もしくは軽減可能なように少なくとも中腸腺を除去して抽出対象の組織とし、抽出工程を経て、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドの合成を行うシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
【請求項4】
前記抽出対象の組織はシジミの足もしくは貝柱またはその双方であることを特徴とする、請求項3に記載のシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
【請求項5】
前記抽出工程には分子量100000以上の画分を残存させる分離操作または濃縮操作が含まれることを特徴とする、請求項3または4に記載のシジミ由来のペプチド合成酵素の調製方法。
【請求項6】
β-アラニンとオルニチンを基質とし、ATPとMg2+存在下、N末端からβ-アラニン、オルニチン、オルニチンの順でペプチド結合したトリペプチドの合成を行う、請求項3ないし5のいずれかに記載の方法により調製されたシジミ由来のペプチド合成酵素。


【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2008−72965(P2008−72965A)
【公開日】平成20年4月3日(2008.4.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−256218(P2006−256218)
【出願日】平成18年9月21日(2006.9.21)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)国等の委託研究の成果に係る特許 出願(平成13年度、経済産業省、即効型地域新生コンソーシアム研究開発事業 (シジミの低温処理技術を利用した新しいエキスの開発)委託研究、産業活力再生特別措置法第30条の適用を受けるもの)
【出願人】(591005453)青森県 (52)
【出願人】(598037983)株式会社 福島商店 (3)
【Fターム(参考)】