説明

ノリ藻体の色落ち防止及び回復方法

【課題】ノリ藻体の色落ちを効果的に防止及び回復する方法を提供する。
【解決手段】ノリ養殖場における色落ちノリ藻体の色彩をL***表色系による色彩判定によって、色落ち現象が窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類のうちのいずれの貧栄養化に起因するかを判断し、この判断結果に基づいて貧栄養化の原因栄養塩類を含む肥料をノリ養殖場に施肥することにより、ノリ藻体の色落ちを防止し、あるいは、回復させる方法である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ノリ養殖場において、ノリ藻体の色落ちの原因となっている栄養塩(窒素、リン、鉄、又はその組み合わせ)物質を早期に特定し、原因物質に合わせた施肥を実施し、ノリ藻体の色落ちを防止及び回復する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、ノリ藻体の養殖は、ノリ網にノリの胞子を予め着生させ、このノリ網を秋口に海上に設置し、ノリの生育に適した低水温期に育苗して、12〜4月期に採取する。そして、採取されたノリ藻体の品質、価格を決定する要因の1つが「色」である。ノリ藻体の色彩は品質を最も大きく左右するため、退色したノリ藻体は、商品価値が著しく低下し、別用途として再利用、若しくは廃棄処分を余儀なくされる。近年、有明海等のノリ養殖場において、ノリ藻体の色落ち現象が継続的に生じており、大きな社会問題にもなっている。
【0003】
このノリ藻体の色落ちの有力な原因としては、ノリ養殖場の貧栄養化が強く指摘されている(非特許文献1)。貧栄養化とは、海水中にノリ藻体と共存する微細藻類(プランクトン)等が栄養塩を摂取し、異常に増殖することにより、ノリ藻体の生育に必要な海水中の窒素、リン等の栄養塩類の濃度が低下してしまう現象である。
【0004】
そこで、ノリ養殖場では、このような貧栄養化に起因するノリ藻体の色落ち防止対策として、ノリ網に色落ちの兆候が見られた場合、以下のような対策が取られている。
1)養殖現場に液体肥料や下水を散布する方法。
2)穏効性の固形肥料をノリ網付近に設置する方法(特許文献1、2)。
3)色落ちしたノリ藻体を一定期間高栄養塩溶液に浸漬する方法(特許文献3、4)。
4)ノリ藻体の色落ちを防ぐために鉄を供給する方法(特許文献5)。
5)ノリ藻体と競合するプランクトンの増殖防止(特許文献6、7)。
【0005】
しかしながら、これらいずれの方法もノリ藻体の色落ちの根本的な解決策となっていないのが現状である。
すなわち、上記1)〜3)の手法は、ノリ藻体の色落ちの有力な原因として、ノリ養殖場の貧栄養化を指摘し、その対策を講じてはいるものの、ノリ藻体の色落ちの原因物質を特定した上でその対策を講じている訳ではない。ノリ藻体の色落ちは、海水の窒素、リン、更には鉄のいずれが単独で欠乏しても生ずる。ノリ藻体の色彩を司る光合成色素は、緑色のクロロフィルa、橙色のカロテノイド、赤色フィコエリスリン、青色フィコシアニン、紫色のアロフィコシアニンで構成されている。これらのどれか一つが減少しても、ノリ藻体の色落ちは生ずる訳だが、各光合成色素が減少する原因となる栄養塩類は異なることが分かっている(非特許文献2)。すなわち、窒素欠乏の場合にはフィコエリスリン、フィコシアニン、アロフィコシアニンが他の色素よりも多く減少し、鉄欠乏のときにはクロロフィルaが減少し、そして、リン欠乏では全ての光合成色素が一様に減少する。
【0006】
そして、ノリ藻体の色落ち対策を講ずる前には、色落ちの原因物質が窒素、リン、鉄のいずれによって生じているのかを短時間で明確に判定し、原因となる栄養塩物質を特定し、この栄養塩物質を重点的に施肥する必要がある。しかし、上記従来の色落ち対策にはこのような視点が全く欠けている。不要な栄養塩の海域への供与は、処理コストの増大や余剰の栄養塩による赤潮プランクトンの増殖も懸念される。
【0007】
次に、上記4)の手法は、ノリ藻体の色落ち防止策として、鉄のみを供給し、色彩が改善することを期待している。しかしながら、ノリ藻体の色落ちの原因は、窒素及びリン起因の場合もあり、鉄のみではない。従って、ノリ藻体の色落ちの原因物質を明確にしない限り、鉄のみの供給はノリ藻体の色落ち対策としては不十分である。
【0008】
更に、前述した5)の手法は、微細藻類(植物プランクトン)の増殖を阻害する薬剤を用いる方法であるが、海水中の植物プランクトンは多種多様であり、仮に、特定の種類の微細藻類の増殖を阻害することができたとしても、他の藻類が増殖する可能性を否定することはできない。全ての種類の微細藻類への影響を定量化するには膨大な時間とコストを要する。このような手法によると、栄養塩は阻害剤に抵抗のある他の微細藻類に摂取され、必ずしもノリ藻体の生育に寄与できるとは限らないと考えられる。また、余剰の阻害剤の生態系への影響も懸念される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開平11-169,001号公報
【特許文献2】特開2002-84,904号公報
【特許文献3】特開平2-111,685号公報
【特許文献4】特開2002-300,819号公報
【特許文献5】特開2010-259,450号公報
【特許文献6】特開2001-340,034号公報
【特許文献7】特開2003-265,058号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】「海の貧栄養化とノリ養殖」海洋と生物、vol.181、111-172、2009
【非特許文献2】「紅藻スサビノリの光合成色素と葉緑体微細構造における栄養欠乏応答」日本水産学会誌、vol.76、375-382、2010
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
ところで、ノリ藻体の色落ちを判定する方法としては、従来、目視による方法、稲等の農作物の葉の色を簡便な方法で測定することを目的に開発された葉緑素計(SPAD-502Plus)により測定された測定値(SPAD値)による色彩判定法、L***表色系のL*値による色彩判定法が採用されてきたが、いずれの方法においても、ノリ藻体の色落ちの原因物質を明確にすることができないため、適切な施肥をすることができないという問題があった。
【0012】
すなわち、目視によるノリ藻体の色彩判断に関しては、熟練者の目視判断に頼るところが大きく、数値上の基準は設けられていないことから、誰もが色落ちの判断を正確に行うことができるというものではなく、また、熟練者の育成も難しいという問題がある。
【0013】
また、近年になって提唱されたSPAD値は、緑色の光合成色素であるクロロフィルaの含有量を示す数値であり、葉緑素計を用いて容易に測定可能であって、色落ちノリ藻体との相関性を示す知見がある。このSPAD値は、ノリ藻体の色彩を構成する一色素、クロロフィルaのみを標識としており、クロロフィルa量が増加するとSPAD値が大きくなるというクロロフィルa量との間に強い相関関係があることが分かっている。従って、SPAD値は、クロロフィルa量の変動のみを測定することになり、クロロフィルaに起因する色落ちの有無や傾向等の大まかな判断はできるが、ノリ藻体が有するクロロフィルa以外の他の光合成色素の変化に由来する色落ちは判断できない。また、光合成色素の変化は窒素、リン、鉄の欠乏によって起こると考えられるため、このようなSPAD値は、ノリ藻体の色落ち現象が窒素、リン、鉄のいずれによる色落ちかを判断することは困難である。
【0014】
また、L***表色系のL*値はノリ藻体の「彩度」を示す評価軸であり、色落ちした、すなわち色素が減少したノリ藻体は、全般的に透明度が増すため、L*値が増す。従って、このL***表色系のL*値による色落ち判定では、原因となる貧栄養化の物質の特定は困難である。
【0015】
そこで、発明者らは、ノリ養殖場におけるノリ藻体の色落ち現象が窒素、リン、及び鉄の栄養塩類のうちのいずれの貧栄養化に起因するかを迅速に判断することができ、これによってノリ養殖上においてノリ藻体の色落ち現象が発見されたときには迅速にかつ的確に施肥をしてノリ藻体の色落ちを防止し、また、回復させることができる方法について鋭意検討した結果、意外なことには、L***表色系のa*値及びb*値による色彩判定によって、色落ち現象が窒素欠乏、リン欠乏、鉄欠乏、又はその組合せのいずれに起因するものであるかを迅速に判断することができ、また、この色落ちの原因となった栄養塩類をノリ養殖場に重点的に施肥することにより、容易にかつ確実にノリ藻体の色落ちを防止し、また、回復させることができることを見出し、本発明を確立した。
【0016】
従って、本発明は、従来技術で問題であった上記課題を解決して、ノリ藻体の色落ちを効果的に防止及び回復する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0017】
すなわち、本発明者らは、上記の課題を解決するため、ノリ藻体の色落ち原因が窒素、リン、鉄のいずれかによるかを迅速、かつ明確に判定し、適切な施肥方法を確立したものである。具体的には、目視により、あるいは、稲等の農産物の葉の測定に用いられているSPAD値でノリ藻体の色落ちの有無を判定した後、工業製品の色彩判定に一般的に用いられているL***表色系のa*値及びb*値を用いてノリ藻体の色落ちが窒素欠乏、リン欠乏、鉄欠乏、又はその組み合わせによるかを迅速に判断し、色落ち原因となる窒素、リン又は鉄から選ばれる1種又は2種以上を含む肥料をノリ養殖場に施肥し、ノリ藻体の色彩を回復することを特徴とするノリ藻体の色落ち防止及び回復方法を確立したものである。
【0018】
本発明の要旨とするところは、次の(1)〜(13)である。
(1)ノリ養殖場において色落ちノリ藻体であると判定されたノリ藻体について、この色落ちノリ藻体の色彩をL***表色系による色彩判定法によって測定し、得られたa*値及びb*値の測定結果から色落ち現象の原因が窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類のうちのいずれの貧栄養化に起因するかを判断し、この判断結果に基づいて貧栄養化の原因栄養塩類を含む肥料をノリ養殖場に施肥することを特徴とするノリ藻体の色落ちの防止及び回復方法。
【0019】
(2)ノリ藻体が色落ちノリ藻体であるか否かの判定をSPAD値による色彩判定法によって行うことを特徴とする前記(1)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0020】
(3)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が3〜5であってb*値が10〜13であるときを鉄の単独欠乏と判断し、鉄分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0021】
(4)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が7〜20であるときを窒素の単独欠乏と判断し、窒素分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0022】
(5)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が3〜5であってb*値が7〜9であるときをリンの単独欠乏と判断し、リン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0023】
(6)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が1〜4であってb*値が4〜7であるときを鉄及びリンの複合欠乏と判断し、鉄分及びリン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0024】
(7)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が3〜−1であるときを鉄及び窒素の複合欠乏と判断し、鉄分及び窒素分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0025】
(8)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が3〜7であるときを窒素及びリンの複合欠乏と判断し、窒素分及びリン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0026】
(9)L***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が−1以上であるときを窒素、リン、及び鉄の複合的欠乏と判断し、各成分を複合してノリ養殖場に施肥することを特徴とする前記(1)又は(2)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0027】
(10)前記窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類の単独欠乏又は複合欠乏に起因するノリ藻体の色落ちに対して、ノリ養殖場に穏効性の固形肥料を適用することを特徴とする前記(1)〜(9)のいずれか1項に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0028】
(11)鉄分を供給する肥料として、炭酸化製鋼スラグを用いることを特徴とする前記(1)〜(10)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0029】
(12)鉄を含む複数の栄養塩類の複合的欠乏による色落ちに対して、腐植物質に炭酸化製鋼スラグを混合した穏効性の固形肥料を施肥することを特徴とする前記(1)〜(11)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【0030】
(13)穏効性の固形肥料は、ナイロン製メッシュ袋内に収容してノリ網の下部に設置することを特徴とする前記(1)〜(12)に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【発明の効果】
【0031】
本発明により、ノリ藻体の色落ちの原因物質となっている栄養塩を迅速に判断し、ノリ藻体の色落ちを防止し、更に早期に回復させることが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0032】
【図1】図1は、本発明におけるノリ藻体の色落ち判定方法を説明するためのフローチャートである。
【0033】
【図2】図2は、コントロール、窒素欠、リン欠、鉄欠、窒素及びリン欠、窒素及び鉄欠、リン及び鉄欠で培養した場合のL***表色系のa*値、b*値の違いを示すグラフ図である。
【0034】
【図3】図3は、コントロール、窒素欠、リン欠、鉄欠、窒素及びリン欠、窒素及び鉄欠、リン及び鉄欠で培養した場合のL***表色系のL*値の違いを示すグラフ図である。
【0035】
【図4】図4は、水中の溶存態鉄濃度の経日変化を示すグラフ図である。
【0036】
【図5】図5は、水中の無機態窒素濃度の経日変化を示すグラフ図である。
【0037】
【図6】図6は、水中のリン酸態リン濃度の経日変化を示すグラフ図である。
【発明を実施するための形態】
【0038】
以下に、図1に示したノリ藻体の色落ち判定方法のフローに基づいて、本発明方法の好適な実施の形態を詳細に説明する。
先ず、ノリ養殖場において、ノリ藻体が色落ちであるか否かの判定を行うが、目視で明らかに色落ちであると判断される場合には、特にSPAD値による色彩判定法で判定する必要はなく、ノリ藻体の色落ちが目視で明確に判断できない場合は、SPAD値によりノリの色落ちを判定する。
【0039】
ノリの葉緑体の中には、緑色の光合成色素であるクロロフィルaも含まれており、その含有量を示すのがSPAD値であり、色落ちノリ藻体との相関性を示す知見がある。具体的には、ノリ養殖場において採取されたノリ藻体のSPAD値を測定し、例えば、その平均値(n=5〜20)が3以下であるものを色落ちと判定する。
【0040】
次に、目視で明らかに色落ちであると判断される場合や、SPAD値が3以下の場合には、色落ちであると判断し、次のステップであるL***表色系の色彩判定法による測色を行い、ノリ養殖場に不足している栄養塩類を特定し、最適な配合割合によって施肥を行う。
【0041】
次に、ノリ養殖場における色落ちノリ藻体の色彩から、いずれの栄養塩によるものであるかを判定する方法について説明する。
ノリ藻体の赤黒い色彩はフィコエリスリン(赤)やフィコシアニン(青)によるところが大きい。本発明は、色彩をL***表色系で評価するため、赤や青の色彩の変化を捉えることができ、ノリ藻体の色落ちを細分化して評価することができる。
【0042】
ここで、L***表色系とは、人間の色覚に対応した表色系の一つであり、工業製品や食品に至るまで幅広い分野で採用されている。L*値が「彩度」であり白〜黒の度合いを示す。a*値は、「色相」の中の赤っぽさから緑っぽさを示す。b*値は、「色相」の中の黄色っぽさから青っぽさを示す。各評価軸を3次元で表すことにより、対象物の色を色空間の中の位置として捉えることができ、複数の色の比較も容易に行うことができる。欠乏した栄養塩類による色落ちの特徴をL***表色系で表現し、定量化することにより、ノリ藻体の色彩、即ちL***表色系の数値から色落ちの原因となる栄養塩類を特定することが可能となる。
【0043】
この結果、L***表色系の各数値の内、a*値3〜5及びb*値10〜13の場合を鉄の単独欠乏と判断し、鉄分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。また、L***表色系の各数値の内、a*値0以下及びb*値7〜20の場合を窒素の単独欠乏と判断し、窒素分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。更に、L***表色系の各数値の内、a*値3〜5及びb*値7〜9の場合をリンの単独欠乏と判断し、リン分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。
【0044】
そして、L***表色系の各数値の内、a*値1〜4及びb*値4〜7の場合を鉄及びリンの複合欠乏と判断し、鉄分及びリン分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。L***表色系の各数値の内、a*値0以下及びb*値3〜−1の場合を鉄及び窒素の複合欠乏と判断し、鉄分及び窒素分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。L***表色系の各数値の内、a*値0以下及びb*値3〜7の場合を窒素及びリンの複合欠乏と判断し、窒素分及びリン分をノリ養殖場に重点的に施肥すればよい。
【0045】
更に、L***表色系の各数値の内、上記以外のa*値0以下及びb*値−1以上の場合を窒素、リン、鉄の複合欠乏と判断し、これら各成分を複合してノリ養殖場に施肥すればよい。
【0046】
次に、具体的な施肥方法について説明する。
窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類のうちのいずれかの欠乏(貧栄養化)に起因する色落ちに対して、施肥する肥料としては、特に限定されるものではないが、液体肥料ではなく、好ましくは穏効性(遅効性)の固形肥料を適用することが望ましい。液肥の場合、天気や海況によっては施肥直後に海域に拡散してしまい、ノリ藻体が摂取できない可能性が生じるからである。一方、穏効性の固形肥料であれば、時間をかけて窒素、リン、鉄分が溶出するため、目的とするノリ養殖場の栄養塩類の濃度を比較的長期に亘って一定に保つことが可能となる。
【0047】
表1を用いて、欠乏する栄養塩類に対する固形肥料の施肥方法について説明する。
鉄を供給する穏効性の固形肥料としては、それが穏効性であれば特に制限されるものではないが、炭酸化処置をした製鋼スラグを用いることが特に望ましい。製鉄所から発生する製鋼スラグは、鉄分を20質量%前後も含有しており、安価な鉄の供給材として用いることができる。しかし、製鋼スラグは、f−CaO(可溶性石灰)も1〜2質量%前後含んでいるため、水中のpHを一時的に上昇させ易いという性質がある。このため、「炭酸化処理」を施し、f−CaOをCaCO3とした「炭酸化製鋼スラグ」とし、溶出水のpH上昇の程度を抑制することが望ましい。製鋼スラグの炭酸化処理は、製鋼スラグを二酸化炭素又は炭酸含有水と接触させることにより実施することができる。この操作により、CaOはCaCO3となり、また、CaCO3は製鋼スラグの表面上に形成されるため、残存するCaOの急激な溶出を抑制することができる。このような炭酸化処理を製鋼スラグに施すことにより、水域での一時的なpHの上昇を防ぐことができる。
【0048】
更に、鉄を含む複数の栄養塩類の複合欠乏による色落ちに対しては、窒素、リン、鉄の複合供給材として、腐植物質に炭酸化スラグを混合した穏効性の固形肥料を製作し、施肥することが望ましい。ここで使用する腐植物質としては、間伐材を腐葉土化したもの等が好ましいが、この他にも、有機物、食品残渣等を発酵させて得られ、無機態の窒素やリンを豊富に含む魚かす等でもよい。その発酵の過程では、有機物はバクテリアによって分解され、無機物となり、得られた腐植物質中にはノリ藻体が栄養塩として容易に摂取し得る無機態窒素(硝酸態窒素、アンモニア態窒素)やリン酸態リンが多量に含まれている。これらの栄養塩類がノリ養殖場の海水中に溶出し、窒素、リンの供給源となる。また、分解過程に生成される有機酸の一種である腐植酸は金属イオンとの錯体形成能を有しており、炭酸化製鋼スラグから溶出する鉄イオンと錯体を形成し、長時間海水中に溶存態として存在できるため、ノリ藻体が鉄分として摂取することができる。
【0049】
炭酸化製鋼スラグと腐植物質との配合比率を変えて溶出実験を行った場合、炭酸化製鋼スラグと腐植物質との質量比が2:1である場合に最も効率良く鉄が溶出し、それ以上炭酸化製鋼スラグの配合比率を多くしても鉄の溶出量に変化が見られない。このことから、鉄を主に供給したい場合には、炭酸化製鋼スラグと腐植物質及び/又は魚かすとをその配合比率(質量比)が炭酸化製鋼スラグ:腐植物質(魚かす)=2:1となるように混合すればよい。勿論、腐植物質(魚かす)と炭酸化製鋼スラグとは、貧栄養化の栄養塩類が何であるかによって、その配合比率を自在に変えることができる。鉄だけでなく窒素、リンが欠乏している場合には、基本的な配合(製鋼スラグ:腐植物質=2:1)に加えて、施肥先のノリ養殖場における貧栄養化の事情に応じて、窒素、リン濃度がノリの生育に十分な程度(窒素;0.1mg/L、リン;0.01mg/L)となるように腐植物質若しくは魚かすを加えればよい。また、窒素、リンの単独欠乏の場合には、腐植物質若しくは魚かすを単独で施肥すればよい。
【0050】
ノリ藻体は、ノリの胞子を着生させたノリ網をノリ養殖場に出してから30日以内に刈り取られるが、この養殖期間を通して周辺海域の鉄濃度を少なくとも15μg/Lに維持するためには、穏効性の固形肥料をナイロン製メッシュ袋内に収容し、ノリ網の下部にノリ網1m 2当り100kg以下の割合で設置すればよい。このように穏効性の固形肥料をナイロン製メッシュ袋内に収容してノリ網の下部に設置することにより、ノリ養殖が終われば、メッシュ袋を引き上げて容易に固形肥料を撤去することができ、ノリ養殖場の水質悪化を未然に防止することができる。
【0051】
【表1】

【実施例】
【0052】
〔実施例1:ノリ藻体の色落ち原因物質の特定〕
ノリ藻体の培養に使用するコントロール培地(PES)から窒素、リン、及び鉄の栄養塩類のうちのいずれか1種又は2種以上を取り除くことにより、これら窒素、リン、及び鉄の栄養塩類のうちのいずれかが欠乏した単独欠乏又は複合欠乏の培地を調製し、この調製された培地を用いて色落ちノリ藻体を養殖し、欠乏した栄養塩類による光合成色素の減少パターンをL***表色系による色彩判定法で確認できるか否かを検討した。
【0053】
ノリ藻体については、条件を揃えるために、ろ過滅菌海水に栄養強化培地を加えたPES培地(コントロール)で約1週間培養した。その後、各栄養塩類を除いた培地に移し、色落ちパターンの異なるノリ藻体を準備した。また、培地としては、コントロールとして栄養塩類が潤沢に含まれた表2に示す組成のPES培地を用い、このPES培地から窒素源である硝酸ナトリウムのみを除いた窒素の単独欠乏培地、リン源(グリセロリン酸ナトリウム)のみを除いたリンの単独欠乏培地、鉄源である硫酸第一アンモニウム鉄のみを除いた鉄の単独欠乏培地、上記の窒素源及び鉄源を除いた窒素及び鉄の複合欠乏培地、窒素源及びリン源を除いた窒素及びリンの複合欠乏培地、リン源及び鉄源を除いたリン及び鉄の複合欠乏培地をそれぞれ調製すると共に、PES培地を加えないろ過滅菌海水のみの窒素、リン、及び鉄の複合欠乏培地を用意し、合計8種の培地を準備して実験を行った。
【0054】
【表2】

【0055】
上記の各単独欠乏培地及び複合欠乏培地を用い、10日間培養された各色落ちノリ藻体について、その色彩を測色計(コニカミノルタ製測色計CM-700d)で計測した。計測の際にはノリ藻体の色が均一に、かつ明確に分かるように、スライドガラス上にノリ藻体の2枚を重ねて広げ、もう一枚のスライドガラスで挟んでずれないようにした。測定する箇所を試料面開口部(直径φ3mm)に置いて測定した。測定条件は、視野角を10°、光源D65(太陽光に準ずる)、拡散照明方式をSCE(拡散光のみを受光し、より目視に近い条件)とした。一条件につき5〜20箇所で測定し、各L*値、a*値、b*値の平均値と、標準偏差値とを求めた。
結果を表3に示す。
【0056】
【表3】

【0057】
また、コントロール、窒素欠、リン欠、鉄欠、窒素及びリン欠、窒素及び鉄欠、又は、リン及び鉄欠の培地を用いて10日間培養した場合のL***表色系におけるa*値、b*値の違いを図2に示し、同じくL***表色系におけるL*値の違いを図3に示す。
【0058】
単独欠乏培地又は複合欠乏培地を用いた培養開始から10日目における各色落ちノリ藻体のa*値及びb*値の結果から、色落ちノリ藻体のa*値及びb*値が欠乏した栄養塩類によって特徴付けされることが分かる(図2参照)。コントロールと比較して、窒素欠乏ではb*値が大きく変わらない一方で、a*値が約7減少し、赤みが減っていることが分かる。リン欠乏では、a*値、b*値共に約2又は3減少しており、緑分が増え、赤みが減少した。そして、鉄欠乏はa*値は約1減少し、b*値は殆ど変わらず、その結果、緑分が増した。リン及び鉄欠乏では、コントロールよりもa*値が約8減少し、b*値が約4減少しており、鉄、リンの単独欠乏よりも色落ちしていた。窒素及びリン欠乏でのa*値は、窒素欠乏と同様に0以下であるが、b*値は窒素欠乏よりも減少し、黄色みが減少している。そして、複合欠乏では、a*値、b*値共に約13、約8と大きく減少した。
【0059】
同様に、単独欠乏培地又は複合欠乏培地を用いた培養開始から10日目における各色落ちノリ藻体のL*値からは、コントロールよりも全ての実験区で彩度が増すことが分かったが、欠乏した栄養塩類による違いは殆ど見られなかった(図3参照)。
【0060】
以上のことより、L***表色系のうちのa*値及びb*値から、ノリ藻体の色落ちの原因となる欠乏栄養塩類の判定が可能であることが判明した。また、表3及び図2に示す結果から、L***表色系において、a*値3〜5及びb*値10〜13の場合に鉄の単独欠乏と判断され、a*値0以下及びb*値7〜20の場合に窒素の単独欠乏と判断され、a*値3〜5及びb*値7〜9の場合にリンの単独欠乏と判断され、また、a*値1〜4及びb*値4〜7の場合に鉄及びリンの複合欠乏と判断され、a*値0以下及びb*値3〜−1の場合に鉄及び窒素の複合欠乏と判断され、a*値0以下及びb*値3〜7の場合に窒素及びリンの複合欠乏と判断され、更に、上記以外のa*値0以下及びb*値−1以上の場合に窒素、リン、鉄の複合欠乏と判断されることが判明した。
【0061】
〔実施例2:固形肥料設置によるノリ藻体の色落ち防止及び回復〕
下記表4に示すパイロットプラント実験水槽2系列に東京湾海水を10,000L引き入れ、実験水槽と貯水槽との閉鎖循環を1ヶ月間行い、初期の海水に含まれた植物プランクトンによって栄養塩類(窒素、リン、鉄)を摂取させ、貧栄養海水を準備した。その後、一方に炭酸化製鋼スラグと腐植物質の混合材(以下、「施肥材」という。)を60kg設置した。施肥材は、炭酸化スラグと腐植物質を質量比で2:1に混合し、12kgずつナイロン製メッシュ袋に入れた。水槽2系列に設置したノリ網は、0.7m×2mの網に殻胞子を着生させ、冷凍保存したものを用いた。ノリ網は一日約2時間干出するように干潮水位より約20cm高いところに設置した。干出は、実際のノリ養殖場と同様に、網に付着した植物プランクトンや雑藻を除去するために行った。それ以外は、ノリ網の四方を塩ビパイプで固定し、浮きを装着して、水面で漂わせた。各水槽の水温、pHを連続測定した。実験期間中、海水温はノリ養殖場のある東京湾富津沖と同様に推移した。pHは、実海水と同様に8.0〜8.3で、ほぼ一定であった。また、週3回、各系列の海水を採取し、水質(窒素、リン、鉄)を分析した。
【0062】
【表4】

【0063】
施肥材の有無による海水中の鉄濃度を経時的に比較した結果を図4に示す。設置直後から10日間で9μg/Lの濃度上昇が確認された。その後、施肥材からの溶出が続き、35日目には、15μg/Lに達した。
【0064】
施肥材の有無による海水中の無機態窒素濃度を経時的に比較した結果を図5に示す。設置から10日目まで約0.18mg/Lの濃度上昇が見られた。その後、ノリ藻体の生育、水槽中の植物プランクトンの増殖に伴い、水槽中の濃度は減少した。
【0065】
施肥材の有無による海水中のリン酸態リン濃度を経時的に比較した結果を図6に示す。リンは、20日目までに0.06mg/Lの濃度上昇が確認された。その後、殆ど減少することなく、高濃度を維持した。リンはノリ藻体、植物プランクトン共に摂取量が窒素の1/10以下となるため、濃度の変化が窒素に比べて小さい結果となった。
【0066】
ノリ胞子の発芽は実験開始から16日目で2系列において確認できた。しかし、34日目には施肥材無しの水槽では、ノリ藻体は殆ど確認できなかった。一方で、施肥材有では順調に成長を続け、48日目には葉長約1cmにまでなった。
【0067】
50日目に施肥材有の水槽中の鉄濃度が15μg/Lを下回り、鉄分を供給するために、製鋼スラグと腐植物質の基本配合(2:1)を10kg追肥した。58日目に鉄濃度が20μg/Lとなり、鉄欠乏が解消された。
【0068】
その後、64日目には施肥材有の水層中のノリ藻体の退色を目視で判断し、L***表色系にて測定したところ、a*値が−0.71及びb*値が7.28となり、窒素欠乏による色落ちであると判断した。この結果を踏まえて、無機態窒素、特にアンモニア態窒素を含む魚かす肥料を2kg追加したところ、色彩は直ちに回復し、70日目にはa*値が5以上及びb*値が13以上と望ましい基準にまで回復した。
【0069】
実験後期にノリ網の一部からノリ藻体を採取した結果、施肥材有の水槽では、0.7m×2mの網全体から湿質量で936g(乾質量93.6g)、乾海苔にして約30枚分に相当する量にまで栽培できたことが分かった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ノリ養殖場において色落ちノリ藻体であると判定されたノリ藻体について、この色落ちノリ藻体の色彩をL***表色系による色彩判定法によって測定し、得られたa*値及びb*値の測定結果から色落ち現象の原因が窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類のうちのいずれの貧栄養化に起因するかを判断し、この判断結果に基づいて貧栄養化の原因栄養塩類を含む肥料をノリ養殖場に施肥することを特徴とするノリ藻体の色落ちの防止及び回復方法。
【請求項2】
ノリ藻体が色落ちノリ藻体であるか否かの判定をSPAD値による色彩判定法によって行うことを特徴とする請求項1に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項3】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が3〜5であってb*値が10〜13であるときを鉄の単独欠乏と判断し、鉄分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項4】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が7〜20であるときを窒素の単独欠乏と判断し、窒素分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項5】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が3〜5であってb*値が7〜9であるときをリンの単独欠乏と判断し、リン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項6】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が1〜4であってb*値が4〜7であるときを鉄及びリンの複合欠乏と判断し、鉄分及びリン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止および回復方法。
【請求項7】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が3〜−1であるときを鉄及び窒素の複合欠乏と判断し、鉄分及び窒素分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項8】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が3〜7であるときを窒素及びリンの複合欠乏と判断し、窒素分及びリン分をノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項9】
***表色系色彩判定法により測定されたa*値及びb*値について、a*値が0以下であってb*値が−1以上であるときを窒素、リン、及び鉄の複合的欠乏と判断し、各成分を複合してノリ養殖場に施肥することを特徴とする請求項1又は2に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項10】
前記窒素、リン、及び鉄からなる栄養塩類の単独欠乏又は複合欠乏に起因するノリ藻体の色落ちに対して、ノリ養殖場に穏効性の固形肥料を適用することを特徴とする請求項1〜9のいずれか1項に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項11】
を供給する肥料として、炭酸化製鋼スラグを用いることを特徴とする請求項1〜10のいずれか1項に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項12】
鉄を含む複数の栄養塩類の複合欠乏による色落ちに対して、腐植物質に炭酸化製鋼スラグを混合した穏効性の固形肥料を施肥することを特徴とする請求項1〜11いずれか1項に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。
【請求項13】
穏効性の固形肥料は、ナイロン製メッシュ袋内に収容してノリ網の下部に設置することを特徴とする請求項1〜12のいずれか1項に記載のノリ藻体の色落ち防止及び回復方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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