説明

パルプ化におけるアントラキノン化合物の添加効果の算定方法

【課題】
リグニノセルロース材料を原料とした、アントラキノン化合物を用いたアルカリ性蒸解におけるアントラキノン化合物の添加による効果を迅速かつ正確に算定する。
【解決手段】
リグノセルロース材料の蒸解工程におけるアントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値と、リグノセルロース材料の分解処理によって得られる分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)との相関を求め、当該相関に基づいて、算定対象とするリグノセルロース材料についてリグニン成分の分解生成物を分析してS/G比を求めることにより、当該リグノセルロース材料に対するアントラキノン化合物の添加効果を算定する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、アントラキノン化合物を用いたリグノセルロース材料のアルカリ性蒸解において、アントラキノン化合物の添加効果を算定するための方法に関する。
【背景技術】
【0002】
化学パルプの原料であるリグノセルロース材料として使用される木材チップは、例えば広葉樹ではユーカリ、アカシアなど多くの樹種が用いられている。現在の国内クラフトパルプ工場においては、複数の樹種を混合して蒸解に供しているのが一般的である。この原料チップ中の化学成分(セルロース・ヘミセルロース・リグニン)の比率は樹種のみならず産地、生育環境によっても異なることが知られているため、原料チップの混合比の変動が、工場におけるパルプ品質の変動の原因の一つと考えられる。
【0003】
また、このような原料チップの違いが、蒸解助剤としてのアントラキノン化合物の効果にも影響することが本発明者らによる研究で分かっている(「非特許文献1」参照)。アントラキノン化合物の添加によって、木材チップ中の多糖類の還元性末端基の酸化安定化およびリグニンのβ−O−4結合の開裂が行われる。その結果、パルプ収率や脱リグニン度の向上が効果として現れる。これらの効果を実際の操業において確認することは、パルプ工場の生産性を知る上で大変重要である。しかし、その確認には多大なデータや労力、時間を要し、短期での解析・評価が困難である。
【0004】
ある特定の樹種をリグノセルロース材料とするアルカリ性蒸解(パルプ化)する際、得られるパルプの収率・脱リグニン度を正確に知る方法として、蒸解試験が行われている。しかし、蒸解試験は精度を高めるために、チップの選別・蒸解液の調製・蒸解反応・離解・洗浄・乾燥を行う等、大変煩雑な作業である。ゆえに、簡便な蒸解結果の算定方法が求められている。
【0005】
蒸解試験以外にパルプ収率を知る分析法としては、様々な方法が報告されている。例えば、パルプ中の炭水化物組成とリグニン含有量から推定する方法(「特許文献1」参照)、黒液中の全有機分と炭水化物由来の有機分との比を用いた方法(「非特許文献2」参照)、パルプの平均繊維体積との相関を用いる方法(「特許文献2」参照)、そしてパルプ中のキシロースとグルコースの量比から推定する方法(「非特許文献3」参照)、そして蒸解黒液中の有機固形分と無機固形分の比を用いる方法(「特許文献3」参照)等が知られている。
【0006】
一方、パルプの脱リグニン度については、過マンガン酸カリウムを用いたいわゆるカッパー価の測定が実操業では多く行われている。その他に、硫酸を用いたいわゆるクラーソン・リグニンの定量、アセチルブロミド等と反応させて紫外吸収スペクトルを測定する方法、塩素を用いたいわゆるローエ価の測定等が挙げられる。
【0007】
さらに、蒸解黒液中のリグニン含有率を測定することによって、パルプの脱リグニン度を推定する方法も知られている。例えば、紫外吸収スペクトルを測定する方法、蛍光スペクトルを測定する方法、黒液中の全有機炭素量(TOC)を用いる方法、ニトロソ化によるいわゆるPearl−Benson法が挙げられる(「非特許文献4」参照)。
【0008】
しかし、これらの方法は蒸解試験ほどではないが、依然として煩雑な操作が必要である。例えば、分析の前処理として試料と化学薬品を反応させる操作、あるいはリグニン含有率によって試料濃度を調整する操作が挙げられる。さらに、これらの分析すべてにおいて、ある特定の木材チップにおけるアントラキノン化合物の添加効果を確認するためには、少なくともアントラキノン化合物を添加したパルプおよび添加しなかったパルプの2種類を調製して、そのパルプ収率や脱リグニン度を測定して対比する必要がある。
【0009】
ところで、蒸解におけるリグニンの分解のしやすさは、木材チップ中のリグニンの化学構造の違いによって大きく異なることが知られている。例えば、リグニンのオゾン酸化処理で得られた分解物のうち、β−O−4構造の2つの立体異性体であるエリスロ型(E)とスレオ型(T)において、エリスロ型(E)が優先的に開裂することが知られている(「非特許文献5」参照)。さらに、リグニンのニトロベンゼン酸化処理で得られたバニリン(VA)とシリンガアルデヒド(SA)において、立体異性体比E/(E+T)と芳香核構造比SA/(SA+VA)が強い相関があることが報告されている(「非特許文献6」参照)。(各式中、エリスロ型(E)とスレオ型(T)の含有量をE、Tで表し、バニリン(VA)とシリンガアルデヒド(SA)の含有量を、それぞれVA、SAで表す。)すなわち、ニトロベンゼン酸化処理によるシリンガアルデヒド(SA)の生成量が多いほど脱リグニンされやすいことが考えられる。この芳香核構造比は、熱分解ガスクロマトグラフィー(熱分解GC)による分析で得られる熱分解物であるグアヤシル型リグニン分解物およびシリンギル型リグニン分解物からも求められること、そして、その結果はニトロベンゼン酸化処理による結果と相関があることが報告されている(「非特許文献7」参照)。
【0010】
アントラキノン化合物によるリグニンへの作用は、アントラキノンを例にすると、キノール型付加物からアントラキノンが脱離する際の二電子移動により、β−O−4構造が開裂すると考えられている(「非特許文献8」参照)。これは、クラフト法における硫化ソーダの脱リグニン機構と類似している。これらの報告のようにリグニンの化学構造とリグニンの分解のしやすさについて検討はされているものの、蒸解工程において蒸解助剤として用いられるアントラキノン化合物の添加効果との関係について研究された報告はなく、また、リグニンの化学構造の特徴から蒸解工程におけるアントラキノン化合物の添加効果を求めることについて具体的な方法も知られていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】特公昭62−29027号公報
【特許文献2】特開2001−64887号公報
【特許文献3】特開2008−57077号公報
【非特許文献】
【0012】
【非特許文献1】高橋、他,「紙パ技協誌」,2011年,第65巻,第8号,p.52−64
【非特許文献2】岩瀬、他,「第41回リグニン討論会講演集、名古屋」,1996年,p.77−80
【非特許文献3】横山、他,「紙パ技協誌」,2004年,第58巻,第6号,p.79−85
【非特許文献4】ステファン・リン(Stephen.Y.Lin)他,中野、他 訳・監修, 「リグニン化学研究法」 ユニ出版,平成6年,p.21−39
【非特許文献5】松本,「紙パ技協誌」,2007年,第61巻,第7号,p.6 9−772
【非特許文献6】アキヤマ(Akiyama)他,「ホルツホルシュンク(Holzforschung)」,2005年,第59巻,p.276−281
【非特許文献7】和泉、他,「紙パ技協誌」,1995年,第49巻,第9号,p.61−68
【非特許文献8】ギーラー(Gierer)他、「ホルツホルシュンク(Holzforschung)」,1979年,第33巻,p.213−214
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明の目的は、リグノセルロース材料である木材チップ等を試料として、当該試料を分解して得られるリグニン成分由来の分解物を分析することにより、パルプ蒸解におけるアントラキノン化合物の添加効果を算定する方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0014】
すなわち、本発明は以下に記載の骨子を特徴とするものである。
(1)アルカリ性蒸解液を用いたリグノセルロース材料の蒸解工程におけるアントラキノン化合物の添加効果の算定方法であって、予め、任意に選定された2組以上のリグノセルロース材料について蒸解試験によって求めたアントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値と、各組のリグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理によって得られる分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率との相関を求め、この相関に基づいて、アントラキノン化合物の添加効果の算定対象とするリグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理によって得られる分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率からアントラキノン化合物の添加効果を算定することを特徴とする、アントラキノン化合物の添加効果の算定方法。
(2)リグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理が、化学的分解方法又は熱的分解方法であることを特徴とする上記(1)に記載の算定方法。
(3)リグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理が熱的分解方法であって、分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率を測定するために、熱分解ガスクロマトグラフィーを用いることを特徴とする上記(1)に記載の算定方法。
(4)熱分解ガスクロマトグラフィーの熱分解装置としてキュリーポイント誘導加熱型熱分解装置を用いることを特徴とする上記(3)に記載の算定方法。
(5)アントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値が、蒸解によって得られるパルプの収率の差異または脱リグニン度の差異である上記(1)〜(4)のいずれかに記載の算定方法。
【発明の効果】
【0015】
本発明を行うことにより、従来の分析方法に比べて、迅速かつ正確にアントラキノン化合物の添加効果を算定することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】リグノセルロース材料である原料チップの熱分解ガスクロマトグラフィー分析によって得たリグニン分解物の分析結果(シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率:S/G比)と、蒸解によって得たアントラキノン化合物の添加の有無による脱リグニン度の差異(脱リグニン度の向上効果)との相関を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明は、アルカリ性蒸解液を用いたリグノセルロース材料の蒸解工程における、蒸解助剤としてのアントラキノン化合物の添加効果の算定方法に関するものである。
【0018】
本発明に使用する化学パルプの原料となるリグノセルロース材料は一般的に樹幹をチップ状にしたものを木材チップとして用いるが、その他葉や根等、植物体の一部であれば部位を限定しない。また、リグノセルロース材料の品種や産地等も限定しない。ただし、本発明ではリグニンの分解によって得られるシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率を測定するため、双方のリグニンが共に多く含まれているという観点からブナ、ナラ、ユーカリ、アスぺン、アカシア等の広葉樹材や、バガスやワラ等の非木材を用いるのが好ましい。なお、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率としては、グアヤシル型リグニン分解物に対するシリンギル型リグニン分解物の比率(「S/G比」と略す。)を用いる他、シリンギル型リグニン分解物に対するグアヤシル型リグニン分解物の比率(「G/S比」と略す。)を用いることができるが、以下、前者の「S/G比」を用いて説明する。
【0019】
本発明において用いるリグノセルロース材料である木材チップとしては、単一の樹種であっても、2種以上の混合された樹種であっても良いが、相関を求める際の木材チップとしては、分析誤差を小さくするために、単一の樹種から調製することが好ましい。複数の樹種を混合させたチップに対するアントラキノン化合物の添加効果を算定する場合は、混合チップの状態でリグニン分解物の分析を行って添加効果を求める方法の他、混合チップ中の各樹種においてリグニン分解物の分析を行ってそれぞれの添加効果を算定した後、樹種の混合比を基にして全体としての添加効果を計算しても良い。
【0020】
また、単一の樹種においても、辺材と心材とではリグニンの含有率も構造も大きく異なるため、心材・節部を除いて辺材部分のみから調製することが好ましい。実操業では、心材や節を取り除かれることなく蒸解に供されるが、その割合は辺材に対して非常に小さいため、辺材を用いた分析結果をもって実操業での添加効果の算定に役立てることができる。心材等の割合が比較的多い場合は、心材等についてもリグニンの分析を行うことによって、その結果からアントラキノン化合物の添加効果を算定できる。
【0021】
本発明を適用できる化学パルプの製造法、すなわち蒸解法としては、ソーダ蒸解やクラフト蒸解、サルファイト蒸解等のアルカリ性蒸解液を用いる蒸解法が挙げられる。また、アルカリ性蒸解液であるクラフト蒸解液中の一部を酸化して得られるポリサルファイド蒸解にも用いることができる。これらの蒸解法としては、いわゆるバッチ式や連続式の操作方法が採用でき、バッチ式の蒸解方法においては、1回の蒸解工程に供されるリグノセルロース材料を1組のリグノセルロース材料として扱い、連続式の蒸解方法においては、ある一定時間に供されるリグノセルロース材料を1組のリグノセルロース材料として扱い、アントラキノン化合物の添加効果の算定対象とする。一方、分解生成物の分析は、これらの1組のリグノセルロース材料毎にその樹種や部位等の組成を反映するよう採取した代表サンプルを例えば10〜100メッシュ程度に粉砕して分解処理の試料とすることで本方法の精度を高めることができる。
【0022】
本発明に用いるアントラキノン化合物としては、アントラキノン化合物のみならず、アントラヒドロキノン化合物やこれらの前駆体から選ばれる化合物も含み、蒸解助剤として公知の化合物を使用することができる。例えば、アントラキノン、ジヒドロアントラキノン(例えば、1,4−ジヒドロアントラキノン)、テトラヒドロアントラキノン(例えば、1,4,4a,9a−テトラヒドロアントラキノン、1,2,3,4−テトラヒドロアントラキノン)、メチルアントラキノン(例えば、1−メチルアントラキノン、2−メチルアントラキノン)、メチルジヒドロアントラキノン(例えば、2−メチル−1,4−ジヒドロアントラキノン)、メチルテトラヒドロアントラキノン(例えば、1−メチル−1,4,4a,9a−テトラヒドロアントラキノン、2−メチル−1,4,4a,9a−テトラヒドロアントラキノン)等のキノン化合物、アントラヒドロキノン(一般に、9,10−ジヒドロキシアントラセン)、メチルアントラヒドロキノン(例えば、2−メチルアントラヒドロキノン)、ジヒドロアントラヒドロアントラキノン(例えば、1,4−ジヒドロ−9,10−ジヒドロキシアントラセン)等のヒドロキノン化合物及びこれらのアルカリ金属塩等(例えば、アントラヒドロキノンのジナトリウム塩、1,4−ジヒドロ−9,10−ジヒドロキシアントラセンのジナトリウム塩)の他、前駆体としてはアントロン、アントラノール、メチルアントロン、メチルアントラノール等が挙げられる。
【0023】
本発明で規定するグアヤシル型リグニン分解物およびシリンギル型リグニン分解物とは、分析試料中に含まれるリグニンの化学的または熱的な分解処理によって得られる分子量300以下の分解物のうち、それぞれグアヤシル骨格(o−メトキシフェノール骨格)およびシリンギル骨格(1,5−ジメトキシフェノール骨格)を有するものを指す。試料の分解方法としては、化学的分解方法又は熱的分解方法が挙げられる。化学的分解方法としてはニトロベンゼン酸化法やオゾン酸化法の他、酸化第二銅酸化法、アシドリシス法、過マンガン酸塩酸化法が挙げられる。熱的分解方法としては誘導加熱型熱分解法、抵抗加熱型熱分解法、レーザー型熱分解法が挙げられる。化学的分解方法の条件としては、例えば、ニトロベンゼン酸化法では、木材チップを40〜60メッシュ程度に粉砕した木粉200mgに対してニトロベンゼン10mlを用い、耐圧容器中170℃で2.5時間加熱するといった条件が挙げられる。(非特許文献4、第6章参照)
【0024】
本発明で規定する、リグニンから得られるグアヤシル型リグニン分解物およびシリンギル型リグニン分解物は、それぞれグアヤシル骨格およびシリンギル骨格を有しているものを対象とするため、様々な側鎖を持った化合物が得られるケースが多い。さらに、試料の分解方法によって、得られる分解物の種類や量が異なるため、比較的収率の高い化合物を選択し、その総計を用いて算定することもできる。
【0025】
例えば、ニトロベンゼン酸化による処理では、ほとんどのグアヤシル型リグニン分解物はバニリン、シリンギル型リグニン分解物はシリンガアルデヒドとして検出される。また、熱的分解方法によると、グアヤシル型リグニン分解物はグアヤコールをはじめとして数十種類の化合物が検出され、シリンギル型リグニン分解物はシリンゴールをはじめとして数十種類の化合物が検出される。特に収率の高いグアヤシル型リグニン分解物として、グアヤコール、4−メチルグアヤコール、4−エチルグアヤコール、4−ビニルグアヤコール、オイゲノール、バニリン、trans−イソオイゲノール、コニフェリルアルデヒド、trans−コニフェリルアルデヒドが挙げられる。一方、シリンギル型リグニン分解物として、シリンゴール、4−メチルシリンゴール、4−エチルシリンゴール、4−ビニルシリンゴール、4−アリルシリンゴール、シリンガアルデヒドン、trans−プロペニルシリンゴール、シナピルアルデヒド、trans−シナピルアルデヒドが挙げられる。これらの化合物を定量し、添加効果の算定に用いるのが好ましい。
【0026】
これらのリグニンの分解生成物は、ガスクロマトグラフィーを用いて分離・定量することができる。従って、本発明において算定するS/G比においては、上記で示した分解物を定量してモル比で表すことが好ましいが、比較的低分子量の分解物であれば、ガスクロマトグラフィーによる分離・検出で得られたピーク面積を用いて算出してもよい。
本発明において、リグニンの分解方法として、上述の熱的分解方法が操作性や短時間に操作できることから好ましく、ガスクロマトグラフィーと組み合わせた熱分解ガスクロマトグラフィー(「熱分解GC」と略す。)を用いるのが、他の方法に比べて試料がごく少量で済むことの他に、試料の化学的な前処理が不要なこと、短時間で分析できること、等の利点があるので好ましい。
【0027】
本発明において、試料中のリグニンを熱分解する場合、その温度と時間が熱分解物の種類や収率に及ぼす影響は大きい。特に熱分解時間においては、熱分解による二次反応を防ぎ、安定的に熱分解物を得るために、試料を最高速度まで急速に加熱することが好ましい。熱的分解方法における、分解温度は200〜1200℃であり、好ましくは400〜600℃である。また熱的分解方法における、設定分解温度での分解時間は30秒以内であり、好ましくは10秒以内である。この分解時間には、試料の昇温に要する時間は加味していない。この観点から、キュリーポイント誘導加熱型熱分解装置を本発明に用いることは、熱分解温度の揺らぎも少なく、設定温度までの昇温時間も非常に短いため、熱分解による二次反応もおこりにくくなるので特に好ましい。
【0028】
本発明における熱的分解温度は、200℃より低いとリグニンの分解が行われず、熱分解物の収率が著しく低くなるので好ましくない。1200℃を超えると、リグニン中の芳香核の分解反応が進行し、フェニルプロパン構造を有する化合物自体の収率が小さくなるので好ましくない。一方、本発明における熱的分解時間は、30秒間より長いとリグニンの2次分解が進行し、熱分解物の収率が著しく低くなるので好ましくない。
【0029】
本発明において、リグニンの分析に熱分解GCを用いる場合、分解生成物の分離を良くするために、非極性または中程度の極性を持ったキャピラリーカラムを使用するのが好ましい。熱分解により生成した多数のピークが検出されるが、前述したリグニン分解物を標品として分析して得た保持時間から、分解生成物の同定が可能である。ガスクロマトグラフィーと質量分析計を結合することにより、標品の分析をせずに分解生成物を精度良く同定することができるのでさらに好ましい。
【0030】
本発明において、ある特定の蒸解条件におけるアントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値を得るために予め任意に選定された2組以上のリグノセルロース材料について、各々、アントラキノン化合物の添加の有無以外は同一条件にて蒸解試験を行う。そして、この試験によって求めたアントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値と、各組のリグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理によって得られる分解生成物中のS/G比との相関を求める。傾向としては、S/G比が大きくなるほどアントラキノンの添加効果は小さくなる。ここで、アントラキノン化合物の添加効果を示す指標としては、木材チップ等のリグノセルロース材料の蒸解によってパルプを得る工程の評価指標として利用される様々な分析値であって、たとえば、パルプの収量から得られるパルプ収率や、未晒のパルプに残存するリグニンの分析によって得られる脱リグニン度の他、パルプの粘度、パルプの白色度、原料チップの使用量、黒液固形分における有機分と無機分の比率、蒸解後のチップの未蒸解部分(ノットまたはリジェクトとも言う)の生成率等が挙げられる。また、工程の操業条件の変化、例えばアルカリ添加率、硫化度、漂白薬品使用量、回収ボイラーにおける蒸気発生量等も指標評価として利用される。
【実施例】
【0031】
以下、実施例に基づき本発明を詳しく説明するが、本発明がこれらの実施例に限定されないことはもちろんである。
「実施例1」
試料は、クラフトパルプ工場から入手したユーカリ・グロブラスの辺材木粉(60−80メッシュ)を用いた。これを以下のように熱分解GCを用いて分析した。試料約0.2mGを秤量し、熱分解用パイロホイルに包んだ。その後、熱分解装置(日本分析工業製JHP−5)を用いて熱分解した。熱分解の温度は500℃、時間は4秒間とした。GCMSは日本電子製JMS−600Hを用い、カラムはDB−5ms(アジレント・ジェーアンドダブリュー社製、長さ:25m、 膜厚:0.25μm、 内径:0.25mm)を用いた。カラム温度は、50℃で1分間保持後、5℃/分で280℃まで昇温し、その後280℃で13分間保持した。キャリアーガスはヘリウムを用いた。インジェクション温度、インターフェイス温度は共に280℃とした。イオン源温度は210℃、イオン化電圧は70eVとした。
【0032】
熱分解GCによって得られたクロマトグラムにおいて、比較的ピーク面積の大きいリグニン由来の熱分解物を質量分析器で同定した。その結果、グアヤシル型リグニン分解物として、グアヤコール、4−メチルグアヤコール、4−ビニルグアヤコール、オイゲノール、バニリン、trans−イソオイゲノール、コニフェリルアルデヒド、trans−コニフェリルアルデヒドが検出された。一方、シリンギル型リグニン熱分解物として、シリンゴール、4−メチルシリンゴール、4−ビニルシリンゴール、4−アリルシリンゴール、シリンガアルデヒドン、trans−プロペニルシリンゴール、シナピルアルデヒド、trans−シナピルアルデヒドが挙げられる。これらの熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、4.5であった。
【0033】
「実施例2」
クラフトパルプの調製を以下のように行った。木材チップとして実施例1のユーカリ・グロブラスの辺材を繊維方向30mm、幅10mm、厚さ5mmになるように切りそろえて蒸解に供した。蒸解液(白液)の硫化度は28.5%、活性アルカリ添加率は20%、液比は3.0L/kgとし、蒸解温度は155℃、蒸解時間は104分としてHファクターが500になるように蒸解を行った。なお、アントラキノン化合物として、1,4−ジヒドロ−9,10−ジヒドロキシアントラセンのナトリウム塩水溶液(川崎化成工業製、商品名:SAQ)を蒸解助剤として用い、その添加率は絶乾チップ重量あたりアントラキノン換算で0.025%とし、蒸解液にあらかじめ溶解させて蒸解に供した。
【0034】
得られたパルプは105℃で8時間乾燥し、その一部を用いてカッパー価を測定した。カッパー価に0.15を乗じてパルプ中のリグニン含有率を求めた。同様にして、アントラキノン化合物を添加せずに蒸解を行い、得られたパルプのリグニン含有率を求めた。一方、原料チップ中のリグニン含有率は、クラーソン・リグニン法に従い酸不溶性リグニンを測定した。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は92.4%、添加したパルプの脱リグニン度は93.1%と脱リグニン度は向上し、蒸解助剤による脱リグニン度の変化(脱リグニン度の差異)は0.7%となった。
【0035】
「実施例3」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したユーカリ・ユーロフィラの辺材木粉(60−80メッシュ)を用いた他は、実施例1と同様の実験を行った。その結果、リグニン由来の熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、2.2であった。
【0036】
「実施例4」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したユーカリ・ユーロフィラの辺材を用いた他は、実施例2と同様の実験を行った。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は93.4%、添加したパルプの脱リグニン度は94.5%となり、蒸解助剤による脱リグニン度の変化は1.1%となった。ここで、実施例1および3で得たS/G比をX軸に、実施例2および4で得た脱リグニン度の変化をY軸にプロットとした結果、式(1)が得られる。
【0037】
【数1】

【0038】
「実施例5」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したアカシア・マンギウムの辺材木粉(60−80メッシュ)を用いた他は、実施例1と同様の実験を行った。その結果、リグニン由来の熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、1.6であった。
【0039】
「実施例6」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したアカシア・マンギウムの辺材を用いた他は、実施例2と同様の実験を行った。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は87.1%、添加したパルプの脱リグニン度は88.5%となり、蒸解助剤による脱リグニン度の変化は1.4%となった。ここで、実施例5で得た1.6を式(1)のXに代入すると、Y=1.2が得られる。このYは実施例6で得た値とほとんど同じであった。
【0040】
「実施例7」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したアスペンの辺材木粉(60−80メッシュ)を用いた他は、実施例1と同様の実験を行った。その結果、リグニン由来の熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、2.4であった。
【0041】
「実施例8」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したアスペンの辺材を用いた他は、実施例2と同様の実験を行った。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は90.3%、添加したパルプの脱リグニン度は91.4%となり、蒸解助剤による脱リグニン度の変化は1.1%となった。ここで、実施例7で得た2.4を式(1)のXに代入すると、Y=1.1が得られる。このYは実施例8で得た値と同じであった。
【0042】
「実施例9」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したブナの辺材木粉(60−80メッシュ)を用いた他は、実施例1と同様の実験を行った。その結果、リグニン由来の熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、3.5であった。
【0043】
「実施例10」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したブナの辺材を用いた他は、実施例2と同様の実験を行った。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は91.6%、添加したパルプの脱リグニン度は92.5%となり、蒸解助剤による脱リグニン度の変化は0.9%となった。ここで、実施例9で得た3.5を式(1)のXに代入すると、Y=0.9が得られる。このYは実施例10で得た値と同じであった。
【0044】
「実施例11」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したタケ(60−80メッシュ)を用いた他は、実施例1と同様の実験を行った。その結果、リグニン由来の熱分解物のピーク面積から、シリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率(S/G比)を求めた結果、1.1であった。
【0045】
「実施例12」
試料として、クラフトパルプ工場から入手したタケを用いた他は、実施例2と同様の実験を行った。その結果、蒸解助剤を添加しなかったパルプの脱リグニン度は82.5%、添加したパルプの脱リグニン度は83.7%となり、蒸解助剤による脱リグニン度の変化は1.2%となった。
ここで、実施例11で得た1.1を式(1)のXに代入すると、Y=1.3が得られる。このYは実施例12で得た値とほぼ同じであった。
【0046】
以上の実施例で得た、原料チップの熱分解GC分析結果と、蒸解によって得たアントラキノン化合物の添加効果との関係を図1に示した。両者は良い相関を示しており、原料となる木材チップのS/G比を分析することによって、必要最小限の蒸解試験を行うだけで、各種樹種の蒸解に対するアントラキノン化合物の添加効果を算定できることがわかった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アルカリ性蒸解液を用いたリグノセルロース材料の蒸解工程におけるアントラキノン化合物の添加効果の算定方法であって、予め、任意に選定された2組以上のリグノセルロース材料について蒸解試験によって求めたアントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値と、各組のリグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理によって得られる分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率との相関を求め、この相関に基づいて、アントラキノン化合物の添加効果の算定対象とするリグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理によって得られる分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率からアントラキノン化合物の添加効果を算定することを特徴とする、アントラキノン化合物の添加効果の算定方法。
【請求項2】
リグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理が、化学的分解方法又は熱的分解方法であることを特徴とする請求項1に記載の算定方法。
【請求項3】
リグノセルロース材料から採取した代表サンプルの分解処理が熱的分解方法であって、分解生成物中のシリンギル型リグニン分解物とグアヤシル型リグニン分解物の比率を測定するために、熱分解ガスクロマトグラフィーを用いることを特徴とする請求項1に記載の算定方法。
【請求項4】
熱分解ガスクロマトグラフィーの熱分解装置としてキュリーポイント誘導加熱型熱分解装置を用いることを特徴とする請求項3に記載の算定方法。
【請求項5】
アントラキノン化合物の添加効果を示す指標に係る数値が、蒸解によって得られるパルプの収率の差異または脱リグニン度の差異である上記請求項1〜4のいずれかに記載の算定方法。

【図1】
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【公開番号】特開2013−67877(P2013−67877A)
【公開日】平成25年4月18日(2013.4.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−205634(P2011−205634)
【出願日】平成23年9月21日(2011.9.21)
【出願人】(000199795)川崎化成工業株式会社 (133)
【Fターム(参考)】