説明

ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法

【課題】ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法において、紡糸安定性が良好であるとともに、紡糸速度をより増大して生産性を向上できるようにする。
【解決手段】非ニュートン性の紡糸原液を、ノズル孔から凝固液中に吐出しつつ、該凝固液中で凝固した凝固糸を引き取り装置を用いて引き取る工程を有する製造方法において、特定の方法でべき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度A[/sec]を求め、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度が0.45A〜A[/sec]となるように、ノズル孔の半径および/またはノズル孔からの紡糸原液の吐出量を設定する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ポリアクリロニトリル系(以下、「PAN系」と略記することもある。)繊維は、衣料や寝装具に加え、炭素繊維の前駆体繊維(以下、「プレカーサー」ということもある。)としても用いられ、プレカーサーを焼成工程にて炭素化することにより、PAN系炭素繊維を得ることができる。PAN系炭素繊維は、強度、弾性率、耐熱性などに優れることから、スポーツ用途や航空・宇宙用途に加え、自動車や土木建築、圧力容器、風車ブレードなどの産業用途において急速に需要が拡大しつつある。そのため、PAN系炭素繊維の高性能化のみならず、生産性の向上に対する要求も極めて高い。
【0003】
PAN系炭素繊維の生産性向上に対する取り組みは、PAN系重合体、プレカーサーの紡糸、および焼成まで多岐にわたるが、プレカーサーであるPAN系繊維の生産性向上については、紡糸速度を高め、かつ安定的に生産することが考えられる。
PAN系繊維の紡糸工程は、紡糸原液を複数の孔を有するノズル(口金)から吐出後に凝固浴にて凝固した後、逐次延伸されるが、ノズル孔からの紡糸原液を吐出条件も、紡糸速度の向上や安定性を達成するためには極めて重要であり、これには紡糸原液の粘度が大きく関わってくる。
【0004】
そこで、紡糸原液の吐出時の粘度を200〜2500poiseに調節することにより、ノズル背面圧所定の範囲として分子の絡み合いを制御し、延伸性の向上とノズルからの吐出安定性の向上を図る方法が開示されている(特許文献1)。しかしながら、ここでの粘度は、ノズルからの吐出時の温度にてB型粘度計を用いて測定された粘度であり、分子鎖の絡み合いに影響するせん断が最も大きいノズル孔内のせん断速度が反映された粘度ではない。
【0005】
また、45℃での紡糸原液の粘度を300〜1000poiseとすることにより、紡糸の安定性が向上する製造方法が開示されている(特許文献2)が、B型粘度計を用いて測定された目安としての紡糸原液の粘度でしかなく、ノズル孔内のせん断速度での粘度ではない。
さらに、20(/sec)および2000(/sec)の2点のせん断速度にて測定された粘度比を10〜50とすることにより、ノズルからの吐出斑を低減する製造方法が開示されている(特許文献3)が、コーンプレート型の粘度計を用いて測定された目安としての紡糸原液の粘度でしかなく、ノズル孔内のせん断速度での粘度ではない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2007−182645号公報
【特許文献2】特開2008−38327号公報
【特許文献3】特開2008−248219号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上述のように、従来技術においては紡糸原液の粘度の観点からの製造方法の開示はなされているものの、これらの方法では製造条件の最適化という点では未だ不充分である。
本発明は前記事情に鑑みてなされたもので、ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法において、紡糸安定性が良好であるとともに、紡糸速度をより増大して生産性を向上できるようにすることを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
PAN系繊維の製造に用いられる紡糸原液は、通常、非ニュートン性の高分子溶液であるため、せん断速度によって粘度が変化する。このことから、本発明者等は、PAN系繊維の製造において、ノズル孔内での紡糸原液のせん断速度を紡糸原液の粘度特性に照らし合わせて適切な条件とすることに着目した。そして鋭意研究の結果、従来、測定が困難であった、非ニュートン性の紡糸原液の、第2ニュートン領域における粘度特性を適切に推算できる方法、およびべき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度Aを適切に算出できる方法を見出し、かかるせん断速度Aに基づいて、PAN系繊維を紡糸する際の、ノズル孔内での紡糸原液のせん断速度を適切に設定することにより、良好な紡糸安定性を得ながら、引き取り速度をより増大できることを見出して、本発明に至った。
【0009】
すなわち本発明のポリアクリロニトリル系繊維の製造方法は、アクリロニトリル単位を90〜99.7質量%含有するポリアクリロニトリル系重合体を溶媒に溶解した非ニュートン性の紡糸原液を、ノズル孔から凝固液中に吐出しつつ、該凝固液中で凝固した凝固糸を引き取り装置を用いて引き取る工程を有する、ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法であって、下記の工程(1)〜(4)でせん断速度A[/sec]を求め、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度が0.45A〜A[/sec]となるように、ノズル孔の半径および/またはノズル孔からの紡糸原液の吐出量を設定することを特徴とする。
工程(1):紡糸温度の紡糸原液について、第1ニュートン領域内のせん断速度から、せん断速度を増大させながら、各せん断速度でのせん断粘度、および各せん断速度でのせん断応力を実測し、せん断速度が増加してもせん断応力が増加しなくなるせん断速度γを求める工程。
工程(2):工程(1)で求めたせん断速度γよりも低せん断速度側の測定データであって、せん断速度が前記γに最も近い2点の測定データのせん断速度γi−1およびγi−2と、これらに対応するせん断粘度ηi−1およびηi−2とを下式(I)に代入して、式(I)中の係数aと指数nとを求めることによって、前記紡糸原液の、べき乗則領域におけるせん断速度とせん断粘度との関係式(I’)を求める工程。
【0010】
【数1】

【0011】
(式(I)において、ηはせん断粘度[Pa・s]、γはせん断速度[/sec]を表わす。)
【0012】
工程(3):前記紡糸原液のポリアクリロニトリル系重合体濃度を低濃度側に変更して、互いにポリアクリロニトリル系重合体濃度が異なる複数の低濃度紡糸原液を調製し、各低濃度紡糸原液について、せん断速度を増大させながら、紡糸温度でのせん断粘度を実測して、せん断速度依存性がない領域におけるせん断粘度をそれぞれ求め、その結果に基づいてポリアクリロニトリル系重合体濃度とせん断粘度との関係を示す線形近似式を求め、該線形近似式に前記紡糸溶液のポリアクリロニトリル系重合体濃度を代入する方法により、該紡糸原液の第2ニュートン領域におけるせん断粘度を求める工程。
工程(4):工程(3)で求めた紡糸原液の第2ニュートン領域のせん断粘度を、工程(2)で求めた紡糸原液のべき乗則領域におけるせん断速度とせん断粘度の関係式(I’)に代入して、せん断速度Aを算出する工程。
【0013】
前記凝固糸の引き取り速度が11〜23m/分であることが好ましい。
【発明の効果】
【0014】
本発明のポリアクリロニトリル系繊維の製造方法によれば、ノズル孔から吐出された紡糸原液が凝固した凝固糸が全て破断する引き取り速度(凝固糸全破断速度)をより高くすることができ、良好な紡糸安定性を得ながら、PAN系繊維の生産性を向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】工程(1)において実測された、せん断粘度およびせん断応力を模式的に示すグラフである。
【図2】工程(3)において実測された、5種の低濃度紡糸原液についてのせん断粘度を模式的に示すグラフである。
【図3】工程(3)で作成された低濃度紡糸原液の濃度とせん断粘度との関係を模式的に示すグラフである。
【図4】工程(1)、工程(2)、工程(3)で求められたせん断速度とせん断粘度との関係を合成した流動曲線を模式的に示すグラフである。
【図5】凝固糸全破断速度の測定に用いた装置の模式図である。
【図6】実施例において、工程(1)で実測された、せん断粘度およびせん断応力を示すグラフである。
【図7】図6のせん断粘度のうち、高せん断速度側のデータを削除したグラフである。
【図8】実施例において、工程(3)で実測された、7種の低濃度紡糸原液についてのせん断粘度を示すグラフである。
【図9】実施例において、工程(3)で作成された低濃度紡糸原液の濃度とせん断粘度との関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下に、本発明のPAN系繊維の製造方法について詳細に説明する。
(せん断速度Aの決定)
本発明におけるせん断速度Aは、ノズル孔内における紡糸原液の、べき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度を意味する。実際には、ノズル内のせん断速度は高い領域にあり、一般に通常の方法での粘度測定は極めて困難であるため、かかる境界のせん断速度を実測するのは困難である。本発明では、以下の第1ニュートン領域粘度の実測工程〔工程(1)〕、べき乗則領域粘度算出工程〔工程(2)〕、第2ニュートン領域粘度算出工程〔工程(3)〕、及びこれらを合成することによって得られる紡糸原液の流動曲線(合成法)に基づく、べき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度をせん断速度Aとする。合成法による紡糸原液の流動曲線の詳細な取得方法を以下に説明する。
【0017】
〔工程(1)〕
工程(1)は、第1ニュートン領域の粘度の実測する工程である。この工程では、紡糸原液に与えるせん断速度を変化させ、その際のせん断粘度を実測する方法により、紡糸原液の第1ニュートン領域(低せん断速度領域)におけるせん断速度とせん断粘度との関係を求める。
具体的には、細管粘度計、回転粘度計のように、せん断速度に対するせん断粘度の測定が可能な粘度計を用いて、紡糸原液にせん断速度を与え、その際のせん断粘度を実測する。このときの紡糸原液の温度は、該紡糸原液を用いてPAN系繊維を紡糸するときのノズル設定温度(紡糸温度)とする。
ついで、紡糸原液に与えるせん断速度を他の値に変化させ、その際のせん断粘度を実測する。この際、せん断速度を低せん断速度側から高せん断速度側に増大させていく。このような手順を繰り返すことにより、多数の(せん断速度,せん断粘度)のデータを採取し、その結果、第1ニュートン領域におけるせん断速度とせん断粘度との関係を求めることができる。そして、これらデータについて、通常、横軸をせん断速度、縦軸をせん断粘度としてグラフ化すれば、第1ニュートン領域における目的の流動曲線を得ることができる。
せん断速度を低せん断速度側から高せん断速度側に変化させていく際、低せん断速度側のせん断速度は、第1のニュートン領域内のせん断速度、すなわちせん断速度が増大しても粘度が一定となるように設定する。実測を行う際、最も低いせん断速度は、例えば0.1〜10[/sec]程度とすることが好ましい。
【0018】
このように工程(1)においては、せん断速度を変化させてせん断粘度を測定するが、データの取得に当たってはせん断応力も確認することが好ましい。これは後述する工程(2)において、信頼性の高いべき乗則域の粘度式を算出する観点から重要である。
すなわち、せん断速度を低せん断速度側から高せん断速度側に変化させていくと、それに伴って、せん断応力は通常増加していく。しかしながら、より高せん断速度側になると、例えば粘度測定が回転式粘度計の場合には、遠心力によってサンプルが測定部から飛び出してしまう現象が生じたり、サンプル内で流れの乱れが生じることに起因して不安定な測定状態になり、定常値が得にくくなったりするなどの理由で実験精度が低下するために、図1のグラフに示すように、測定されるせん断応力がばらつくようになったり、せん断速度の増加に伴って増加するはずのせん断応力が低下したりする。このような高せん断速度側での精度の低い実測データは削除することが好ましい。
【0019】
そこで、工程(1)ではせん断速度が低せん断速度側から高せん断速度側に増加しても、せん断応力が増加しなくなる時点のせん断速度γを求める。第1ニュートン領域における流動曲線を求める場合には、このせん断速度γよりも低せん断速度側のせん断速度でのデータのみを採用し、せん断速度γ以上の高せん断速度側のデータは採用しないようにする。
このようにせん断速度を変化させた際のせん断応力をも実測し、その挙動を判断基準とすることによって、信頼性の高いデータのみを採用することができる。
【0020】
工程(1)において、実測する(せん断速度,せん断粘度)のデータ数(測定点数)としては、せん断速度一桁あたり、3以上10以下の範囲が好ましい。このような範囲であると、なめらかな流動曲線を作成できる。また、次の工程(2)(べき乗則領域粘度算出工程)では、この(せん断速度,せん断粘度)のデータを用いて、べき乗則領域のせん断粘度を算出するが、その際の算出精度を良好にすることができる。特に、データ数がせん断速度一桁あたり10を超えると、次の工程(2)(べき乗則領域粘度算出工程)において、後述するように、せん断速度γよりも低せん断速度側のデータのうち最も高せん断速度側の2点のデータを採用した場合に、ごく狭い範囲のせん断速度範囲のデータを用いてべき乗則領域のせん断粘度を算出することになる。その結果、僅かなデータの振れが、特に高せん断速度側の粘度の推算に大きな影響を及ぼす可能性がある。
なお、実測するデータ数の好適な範囲について、せん断速度一桁あたりの数で特定している理由は、一般に、せん断速度とせん断粘度との関係を示す流動曲線では、通常は横軸のせん断速度を対数スケールとすることが多いためである。
【0021】
〔工程(2)〕
工程(2)は、べき乗則領域の粘度式を算出する工程である。
すなわち、工程(1)で実測されたせん断粘度とその際のせん断速度とを式(I)に代入して、係数aと指数nとを算出する。このように、第1ニュートン領域における流動曲線を満たす、せん断粘度およびせん断速度を用いて、係数aと指数nとが決定された式(I’)は、紡糸原液のべき乗則領域におけるせん断速度とせん断粘度との関係式(粘度式)となることが知られている(例えば、非特許文献:講座・レオロジー(p63〜64)、高分子刊行会、1992年発行)。なお、式(I)、(I’)において、ηはせん断粘度[Pa・s]、γはせん断速度[/sec]である。
【0022】
具体的には、まず、工程(1)で実測された多数の(せん断速度,せん断粘度)の測定データのうち、2点を式(I)に代入して、式(I)中の係数aと指数nとを算出する。ここで、代入する2点の測定データとしては、図1に示すように、工程(1)において決定されたせん断速度γよりも低せん断速度側の測定データであって、せん断速度がγに最も近い2点の測定データ、すなわち、(せん断速度γi−1,せん断粘度ηi−1)と、(せん断速度γi−2,せん断粘度ηi−2)を採用する。このようにせん断速度γiよりも低せん断速度側のデータのうち、最も高せん断速度側の2点のデータを採用することにより、べき乗則領域の粘度式における適切な係数aと指数nとを算出することができる。
【0023】
なお、紡糸原液(すなわち高分子溶液)においては、式(I’)の指数nの値はほぼ0.8以下になることが知られている(レオロジーの世界(p57〜58)、工業調査会、2004年発行)。そのため、2点のデータを代入して上述のようにして算出された指数nが仮に0.8を超えた場合には、式(I)に代入した2点のデータが適切なデータではなかった可能性がある。その際には、再度、第1ニュートン領域の粘度測定でのデータを見直したり、せん断速度γの決定が適切であったかを見直したりし、再検討する必要がある。
こうして係数aと指数nとが決定した式(I’)が、べき乗則領域でのせん断速度とせん断粘度との関係を明らかにした粘度式となる。そして、この式(I’)を満たすせん断速度とせん断粘度のデータについて、通常、横軸をせん断速度、縦軸をせん断粘度としてグラフ化すれば、べき乗則領域における流動曲線を得ることができる。
【0024】
【数2】

【0025】
〔工程(3)〕
次に工程(3)では、第2ニュートン領域粘度を算出する。
第2ニュートン領域では、高分子溶液(紡糸原液)中の高分子鎖は、せん断によって絡み合いがほぐれた状態、あるいは絡み合いが極めて少ない状態にあると考えられる。一方、高分子溶液は、その高分子濃度が低いほど、高分子鎖の絡み合いが少ない。そこで、PAN系重合体濃度の低い紡糸原液を第2ニュートン領域における紡糸原液に見立てて、本工程(3)では以下のようにして第2ニュートン領域における紡糸原液のせん断粘度(第2ニュートン粘度)を求める。
【0026】
まず、せん断粘度を算出したい目的の紡糸原液のPAN系重合体濃度を低濃度側に変更して、互いにPAN系重合体濃度が異なる複数の低濃度紡糸原液を調製する。例えば、図2に示すように、PAN系重合体濃度が異なる5種類の低濃度紡糸原液A、B、C、D、Eを調製し、これらについて、例えば工程(1)での実測方法と同様にして、せん断速度を増大させながらせん断粘度を実測する。
すると、図2に示す溶液Dおよび溶液Eに認められるように、せん断速度が大きくなると、せん断粘度が低下し始める。そこで、各低濃度紡糸原液A〜Eについて、このような低下が認められるせん断速度よりも低せん断速度側のせん断粘度、すなわち、せん断速度依存性がない領域におけるせん断粘度の値(図2のa値、b値、c値、d値、e値)を求める。
なお、ここで用いる低濃度紡糸原液とは、溶媒の種類、PAN系重合体の種類が目的の紡糸原液と同じであり、PAN系重合体濃度のみが目的の紡糸原液とは異なる溶液である。また、例えば、PAN系重合体が複数種のPAN系重合体の混合物である場合には、該複数種のPAN系重合体の比率は目的の紡糸原液と同じにする。また、溶媒についても、複数の溶媒の混合物である場合には、その比率は目的の紡糸原液と同じにする。紡糸原液がPAN系重合体および溶媒以外に他の成分を含む場合、該他の成分の含有量も目的の紡糸原液と同じにする。
【0027】
ついで、これら低濃度紡糸原液A、B、C、D、Eの各濃度と、これらについて、せん断速度依存性がない領域のせん断粘度(a値、b値、c値、d値、e値)とをプロットして、図3に示すように、低濃度紡糸原液のPAN系重合体濃度とせん断粘度との関係を示すグラフを作成する。すると、低濃度側では、PAN系重合体濃度の増加に対して直線的にせん断粘度が増加するが、ある濃度以上に高くなると急激な粘度増加が見られる。この急激な粘度増加は、濃度が高くなるにつれて現れた高分子鎖の絡み合いの寄与と考えられる。
従って、このような絡み合いの寄与がない部分、すなわち、直線的にせん断粘度が増加する部分のデータのみを用いて、紡糸原液のPAN系重合体濃度とせん断粘度との関係を示す線形近似式を求める。そして、得られた線形近似式に、目的の紡糸原液のPAN系重合体濃度を代入することにより、紡糸原液の第2ニュートン領域におけるせん断粘度を求める。第2ニュートン領域におけるせん断粘度、すなわち第2ニュートン粘度は、せん断速度に依存しない一定値である。
【0028】
ここで線形近似式を求める際には、汎用的な表計算ソフトウェア(例えばマイクロソフト社の表計算ソフトウェア「エクセル(登録商標)」など)を使用してもよい。例えば、エクセル(登録商標)を利用した場合、線形近似式の信頼性の参考値となるR2乗値が0.8以上になるように近似式を求めることが好ましい。R2乗値が0.8未満の場合は、経験的に、線形近似が不適切となり、第2ニュートン粘度の値を大きめに見積もる可能性があることがわかっている。また、得られた近似式によっては、切片がマイナスの値になる場合がある。紡糸原液の濃度が0%の際のせん断粘度は、溶媒のせん断粘度に相当するが、溶媒のせん断粘度がマイナス値になることはないので、この場合は原点を通る近似式としてもよい。紡糸原液の濃度が0%のせん断粘度は溶媒の粘度を測定した値とするのが好ましいものの、溶媒の粘度は非常に小さく、測定が困難な場合もある。原点を通るということは、溶媒の粘度が0になるが、高分子の存在に起因する粘度に比べ、溶媒自身の粘度は非常に小さいので、一次関数で近似する場合は原点を通る近似式としても、その影響は小さい。従って、本発明においては、原点を通る近似式を用いてもよいものとする。
なお、原点を通る近似式とした場合のR2乗値の検証(0.8未満か否かの判断)は、原点を通る近似式のR2乗値で行う。
【0029】
以上のようにして、工程(1)〜工程(3)を行うことによって、第1ニュートン領域、べき乗則領域、第2ニュートン領域のそれぞれの領域でのせん断速度−せん断粘度の関係を明らかにすることができる。
各工程で得られた各領域でのせん断速度−せん断粘度の関係を合成してつなげ、1つのグラフとして表すと、図4に模式的に示すように、第1ニュートン領域から第2ニュートン領域にせん断速度の範囲に対して、せん断粘度が示された流動曲線が得られる。
【0030】
〔工程(4)〕
工程(4)は、工程(2)で決定された式(I’)に、工程(3)で算出された第2ニュートン粘度を代入することによって、べき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度、すなわちせん断速度Aを決定することができる。
【0031】
以上説明したように、工程(3)において、第2ニュートン領域における紡糸原液を濃度の低い紡糸原液に見立てることにより、従来、実測も推算も困難であった紡糸原液の第2ニュートン粘度を適切に算出することができる。そして、工程(1)での実測データ、そのデータに基づいて工程(2)で算出されたべき乗則領域の粘度式、そして工程(3)で算出された第2ニュートン粘度を用いることにより、本発明で用いられるせん断速度Aを求めることができる。
【0032】
〔せん断粘度の測定〕
本発明において、せん断粘度の測定には、細管粘度計を使用しても回転粘度計を使用しても構わないが、せん断応力が小さい低せん断速度域での測定精度の観点からは、回転粘度計を用いることが好ましい。さらに、測定温度が室温より高い場合や、溶媒が有機溶媒の場合のデータ精度が向上の観点からは、溶剤蒸発防止のための機構(例えば、溶媒の蒸発をできるだけ抑制するため、回転粘度計の測定部を覆う冶具など)を設けることが好ましい。
また、回転粘度計の中でも、せん断速度の均一性や、サンプル使用量の少なさなどの点から、コーンプレート型の回転粘度計が好ましい。できるだけ高せん断速度側までデータを取得するためには、用いるコーンのコーン角は2度以下が好ましく、1度以下がより好ましい。低コーン角側の限度は測定の容易さの点から、一般に0.2度以上である。コーンの直径は、測定する紡糸原液の粘度にもよるが、一般に10mm〜60mm程度である。
なお、上述の工程(1)でのせん断粘度の測定と、工程(3)でのせん断粘度の測定では、必ずしも同じコーンを用いる必要はない。例えば、工程(1)での測定よりも工程(3)での測定の方が粘度の低い低濃度の紡糸原液を測定するので、より大きな直径のコーンを使用して測定することにより、検出されるトルク値が大きくなり、データの精度を高めることができる。同様な理由で、工程(1)での測定よりも工程(3)での測定のコーン角を小さくすることも可能である。
【0033】
〔紡糸原液のノズル孔内のせん断速度〕
本発明では、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度を所定の範囲とする。
紡糸原液(高分子溶液)は、図4に例示された流動曲線を示すが、べき乗則領域において、せん断速度の増加に伴ってせん断粘度が低下するのは、せん断速度が増加すると次第に高分子鎖の絡み合いが解けていき、そのためにせん断粘度が低下し、さらにせん断速度が増加して十分に絡み合いが解けると、せん断粘度が一定になる第2ニュートン領域になると考えられる。高分子鎖の絡み合いは、紡糸性に大きく影響すると考えられ、例えば、PAN系繊維の湿式紡糸においては紡糸原液が凝固浴で凝固されて凝固糸になってから延伸されてPAN系繊維を得ているが、凝固糸における高分子鎖の絡み合いの度合いが高い場合には、延伸の際に高分子鎖の絡み合いが解けにくくなるためスムーズな延伸が困難となるおそれや、無理な延伸を行うと紡糸工程での張力が高くなりすぎて糸切れが生じるおそれがある。また凝固糸の引き取り速度を速くしたときに凝固糸が切れ易くなる、すなわち、凝固糸全破断速度が低くなりやすい。
逆に高分子鎖の絡み合いの度合いが低い、すなわち絡み合いが解けすぎている場合には、延伸しても十分な繊維の配向が得られず、繊維物性の低下や、紡糸工程で張力を維持できず、糸切れが生じるおそれがある。
従って、これらの問題を防止するためには、吐出される紡糸原液のノズル孔内のせん断速度を、べき乗則領域内とすることが好ましく、その中でも第2ニュートン領域に近い高せん速度領域とすることにより、高分子鎖が適度に絡み合った状態の凝固糸を得ることができ、紡糸性をより向上することができる。
【0034】
本発明では、上記の方法で求められる、べき乗則領域と第2ニュートン領域の境界のせん断速度Aに基づいて、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度[/sec]を0.45A以上A以下に設定することにより、良好な紡糸安定性を得ながら、凝固糸の引き取り速度をより高くして、PAN系繊維の生産性を向上させることができる。ノズル孔内の紡糸原液のせん断速度の上限はAでもよいが、吐出圧力の点からは0.95[/sec]以下がより好ましい。より好ましい範囲は0.45A以上0.95A以下である。
具体的には、紡糸原液のノズル孔内のせん断速度を0.45A以上A以下に設定することにより、凝固糸を凝固浴外の引き取り速度を11〜23m/minの範囲で引き取ることができ、かつ、全ての凝固糸がノズル面で破断する凝固糸全破断速度を20[m/min]以上にすることができ、生産性と紡糸安定性を両立しながらPAN系繊維を製造することができる。
【0035】
ノズル内における紡糸原液のせん断速度は、式(II)から求めることができることが知られている(例えば、レオロジーの世界(p182〜183)、工業調査会、2004年発行)。なお、式(II)において、γはせん断速度[/sec]、Qは紡糸原液の流量[m/sec]、rはノズル孔の半径[m]、πは円周率である。すなわち、せん断速度の制御は、紡糸原液の吐出量とノズル孔の半径によって制御することができる。
なお、実際の紡糸においては、紡糸原液の粘度により所定のせん断速度に設定することが困難な場合がある。例えば、紡糸原液の粘度が高い場合、所定のせん断速度に設定しようとしても、ノズルから押し出すための圧力が高くなりすぎて吐出できなかったり、あるいはノズルを破損する場合もある。そのような場合は、紡糸温度、すなわちノズルの設定温度(紡糸原液の温度)や紡糸原液のPAN系重合体濃度などを調節したり、あるいは溶媒を変更したり、さらにはPAN系重合体の分子量や分子量分布を調節することによって、ノズルから吐出される際の紡糸原液の粘度を調節し、ノズル孔内の紡糸原液のせん断速度を所定の範囲とすることもできる。もちろん、このような紡糸条件の変更を行った場合には、せん断速度Aの値も、変更後の紡糸条件下で求めたせん断速度Aの値に変更する必要がある。
【0036】
【数3】

【0037】
〔ポリアクリロニトリル系重合体〕
本発明のPAN系繊維の製造に用いられるPAN系重合体は、アクリロニトリルと、アクリロニトリル以外の他の単量体を共重合させた共重合体である。
アクリロニトリル以外の他の単量体(以下、「他の単量体」という。)としては、アクリロニトリルと共重合可能な単量体であれば特に制限はなく、例えば、アクリル酸メチル、アクリル酸エチル、アクリル酸イソプロピル、アクリル酸n−ブチル、アクリル酸2−エチルヘキシル、アクリル酸2−ヒドロキシエチル、アクリル酸ヒドロキシプロピルなどのアクリル酸エステル類;メタクリル酸メチル、メタクリル酸エチル、メタクリル酸イソプロピル、メタクリル酸イソプロピル、メタクリル酸n−ブチル、メタクリル酸n−ヘキシル、メタクリル酸シクロヘキシル、メタクリル酸ラウリル、メタクリル酸2−ヒドロキシエチル、メタクリル酸ヒドロキシプロピル、メタクリル酸ジエチルアミノエチルなどのメタクリル酸エステル類;アクリル酸、メタクリル酸、イタコン酸、メタクリロニトリル、酢酸ビニル、アクリルアミド、メタクリルアミド、スチレン、塩化ビニル、塩化ビニリデン、臭化ビニル、臭化ビニリデン、スチレンスルホン酸、アリルスルホン酸、メタリルスルホン酸およびこれらの塩;4−ビニルピリジン、2−メチル−5−ビニルピリジン、2−エチル−5−ビニルピリジンなどのビニルピリジン、ビニルベンゼンスルホン酸ナトリウム、無水マレイン酸、N−置換マレイミド、ブタジエン、イソプレンなどが挙げられる。これら他の単量体は、単独で用いてもよく、2以上を組み合わせて用いてもよい。
【0038】
本発明におけるPAN系重合体中のアクリロニトリル単位の含有量は90〜99.7質量%であり、95〜98質量%が好ましい。90質量%以上であると、プレカーサーとして好適なPAN系繊維が得られる。また、99.7質量%以下であると、PAN系重合体の溶媒への溶解が容易になる。
PAN系重合体中の、アクリロニトリル以外の他の単量体単位の含有量は、合計で2〜10質量%であり、2〜5質量%が好ましい。他の単量体単位を2質量%以上含むと溶媒への溶解が容易になる。
【0039】
得られるPAN系繊維をプレカーサーとして用いる場合、炭素化工程における環化反応の促進の観点からは、他の単量体としてカルボキシル基を有する単量体単位を含むことが好ましい。カルボキシル基を有する他の単量体としては、メタクリル酸、イタコン酸が好ましい。PAN系重合体に含まれるカルボキシル基を有する他の単量体単位の割合は、PAN系繊維の耐炎化反応時間短縮の観点から、0.3〜4質量%が好ましい。
また、PAN系重合体には、アクリルアミド単位が含まれていることが好ましい。アクリルアミド単位は、得られたPAN系重合体粉体を溶剤に溶解して紡糸原液とし、この紡糸原液を紡糸した際の凝固過程において、凝固を緩慢にする効果がある。そのため、アクリルアミド単位を含有するPAN系重合体の粉体を用いると、緻密な繊維構造を有するPAN系繊維が形成されやすい。従って、例えば、得られるPAN系繊維をプレカーサーとして用いる場合などには、単量体中にアクリルアミド単位が含まれることが好ましい。また、凝固を緩慢にする効果を充分に得るためには、PAN系重合体中にアクリルアミド単位が0.5質量%以上含まれていることが好ましい。
【0040】
本発明におけるPAN系重合体の質量平均分子量(以下、「Mw」という。)は、30万〜100万であり、35万〜80万であることが好ましく、40万〜70万であることがより好ましい。Mwが30万以上であれば、十分な紡糸性と得られたプレカーサーを焼成した時に良好な特性を有する炭素繊維を得ることができる。また、Mwが100万以下であれば、紡糸原液のせん断粘度が高くなりすぎるのを防ぐことができる。
また本発明では、Mwが異なるPAN系重合体を混合することにより、Mwを30万〜100万に調整することも可能であり、混合するPAN系重合体は分子量のみが異なる同種のPAN系重合体であってもよいし、分子量や組成が異なるPAN系重合体を混合してMwを調整することも可能である。
PAN系重合体を得る際の重合方法としては、溶液重合、懸濁重合等の公知の重合方法を使用することができる。
PAN系重合体のMwは、公知の技術により調節することができる。例えば、重合開始剤や連鎖移動剤の添加量を調製することにより、Mwを調整することができる。具体的には、重合開始剤や連鎖移動剤の添加量を少なくすればMwが高くなり、重合開始剤や連鎖移動剤の添加量を多くすればMwは低くなる。
【0041】
〔ポリアクリロニトリル系重合体を用いた紡糸原液〕
本発明における紡糸原液は、PAN系重合体を溶媒に溶解したものである。PAN系重合体を溶解する溶媒としては、ジメチルスルホキシド、N,N−ジメチルアセトアミド、N,N−ジメチルホルムアミドなどの有機溶剤や、塩化亜鉛、チオシアン酸ナトリウムなどの無機化合物の水溶液が使用できるが、製造されるPAN系繊維中に金属を含有せず、また、工程簡略化の観点から、有機溶剤が好ましい。有機溶剤を用いる場合には、1種のみを用いてもよく、2種以上を組み合わせて用いてもよい。
紡糸原液は、PAN系重合体以外に、例えば、耐炎化するような酸、アミン類、過酸化物などを含有していてもよい。
紡糸原液は、例えば水系懸濁重合(水系析出重合)にて得られたPAN系重合体を溶媒に溶解することによって得られる。
PAN系重合体を溶解する工程としては、PAN系重合体の溶解性を高めるため、冷却した有機溶剤とPAN系重合体を混合してスラリー化した後、加熱溶解することが好ましい。
有機溶剤の冷却は、25℃以下が好ましく、10℃以下がより好ましく、0℃以下がさらに好ましい。冷却の下限値は、有機溶剤の凝固点よりも高い温度とする。また、加熱溶解の温度は、60〜150℃であることが好ましい。
紡糸溶液のPAN系重合体濃度は、紡糸原液が非ニュートン性の液体となればよく、特に限定されない。例えば15〜25質量%程度が好ましい。
【0042】
〔PAN系繊維の製造方法〕
本発明のPAN系繊維の製造方法は、紡糸原液をノズル孔から凝固液中に吐出しつつ、該凝固液中で凝固した凝固糸を引き取り装置を用いて引き取る工程を有する。公知の湿式紡糸法を用いて行うことができる。ノズルの孔数については特に制限はないが、一般的に2,000〜50,000個の孔を有するノズルが用いられる。
紡糸する際に使用するノズルについては、ノズル孔の孔径(単に「ノズル孔径」ともいう)Dは0.03〜0.10mmが好ましい。ここで、ノズル孔径Dと式(II)のrとの関係は、D=2rである。生産性を高めるために高速紡糸を行うためには高い引き取り速度で紡糸する必要があるが、そのためには分子鎖の絡み合いを制御するために、高吐出、高せん断での紡糸が必要であり、ノズル孔径Dは30〜60μmであることがより好ましい。
また、紡糸する際に使用されるノズルの形状は、ノズル孔径Dと、口金の吐出面に対して垂直に設けられた流路Lの比(L/D)が1.0〜3.0であることが好ましく、高生産性に有利な高吐出条件での製造が可能になる。
【0043】
プレカーサーとして用いるPAN系繊維を製造する場合、引き取られた凝固糸は、糸切れを良好に防止して優れた生産性を実現する観点と、繊維の配向に優れ、優れた性能の炭素繊維を得るという観点から、その後の工程で延伸される。延伸工程におけるトータルの延伸倍率は8.5〜14倍の範囲が好ましく、10〜14倍の範囲がより好ましい。その後の工程で行う延伸としては、冷延伸、熱水中延伸、スチーム延伸等を適宜行うことができる。
【実施例】
【0044】
以下に、実施例により本発明をより具体的に説明する。なお、以下に述べる実施例は本発明における最良の実施形態の一例ではあるものの、本発明は、これら実施例に限定されるものではない。
<調製例1:PAN系重合体および紡糸原液>
アクリロニトリル約96質量%、メタクリル酸1質量%、アクリルアミド3質量%で、重量平均分子量(Mw)が約400,000のポリアクリロニトリル系重合体を用いた。紡糸原液は、PAN系重合体をジメチルアセトアミドに濃度が21質量%になるように溶解して作製した。
【0045】
<測定方法(1):工程(1)でのせん断粘度の測定>
紡糸原液のせん断粘度測定には、ティー・エイ・インスツルメント・ジャパン(株)製のレオメーター(AR550)を用い、コーン角:0.5°、直径40mmのコーンにて測定を行った。なお、測定の際には、蒸発防止用の機構(市販されている測定部を覆うことのできる専用の冶具)も使用し、紡糸の際のノズル設定温度(紡糸温度)にて測定を行った。
【0046】
<測定方法(3):工程(3)でのせん断粘度の測定>
コーン角:2°、直径60mmのコーンを使用した以外は、工程(1)でのせん断粘度の測定と同様にして、第2ニュートン領域におけるせん断粘度を求めるためのせん断粘度の測定を行った。せん断速度依存性がない領域の粘度の線形近似式は、付属の解析ソフトを用いて、Newtonianでフィッティングすることにより求めた。なお、測定の際には、蒸発防止用の機構(市販されている測定部を覆うことのできる専用の冶具)も使用し、紡糸の際のノズル設定温度(紡糸温度)にて測定を行った。
【0047】
<凝固糸全破断速度の測定>
凝固糸全破断速度の測定は、図5に示す装置を用いて行った。紡糸原液をノズル1より所定の吐出量で吐出し、凝固液4で凝固して凝固糸5とし、これをフリーロール2a、2bで方向転換しながら、引き取りロール(引き取り装置)3で凝固糸を引き取る。引き取りロール3の周速度を低速から徐々に速くしていき、ノズル1の吐出面で凝固糸5全てが破断したときの引き取りロールの周速度を凝固糸全破断速度とした。
ノズル1は12000個の孔が設けられたものを用いた。ノズル1の設定温度(紡糸温度)は80℃とした。凝固液4は、温度38℃、濃度67質量%のジメチルアセトアミド水溶液を用いた。
【0048】
<せん断速度Aの算出例1>
〔工程(1)〕
調製例1で得られた紡糸原液の80℃でのせん断粘度を、上記測定方法(1)により測定した。その結果を図6に示す。この測定結果では、せん断速度が527.3[/sec]と575.4[/sec]の時のせん断応力が、いずれも3285[Pa]であった。よって、せん断速度575.4[/sec]をせん断速度γと判定し、このせん断速度γ以上のデータを削除して、図7に示す曲線を得た。なお第1のニュートン領域(せん断速度依存性がない領域)におけるせん断粘度(、第1ニュートン粘度)は17.5[Pa・s]であった。
【0049】
〔工程(2)〕
次に、工程(1)で実測され、図7に示す曲線に採用されたデータのうち、表1に示す高せん断速度側の2点のデータを上式(I)に代入したところ、a=579.2、n=0.7231となり、下記に示すべき乗則域の粘度式(I’−1)を得た。このように算出されたnの値は0.8以下であったので、式(I)に代入したデータおよびべき乗則域の粘度式(I’−1)は、ともに問題ないと判断できた。
【0050】
【表1】

【0051】
【数4】

【0052】
〔工程(3)〕
続いて、調製例1においてPAN系重合体の濃度を1質量%、2.5質量%、5質量%、7.5質量%、10質量%、12.5質量%、15質量%にそれぞれ変更して、ジメチルアセトアミドに溶解した低濃度紡糸原液を調製した(7種類)。そして、これらについて、上記測定方法(3)により、80℃でのせん断粘度の測定を行った。測定結果を図8、9に示す。
図8に示すように、PAN系重合体濃度が10質量%以上のものについては、高せん断速度側で、粘度が低下する様子が観測された。そのため、濃度10質量%以上のデータは除外して、すなわち、せん断速度依存性がない領域のせん断粘度を用いて、図9のようにPAN系重合体濃度とせん断速度との関係を示すグラフを作成し、Newtonianにてフィッティングを行い、線形近似式を得た。
なお、表2に、フィッティングの際に採用したデータの高せん断速度側の上限と、フィッティングにより得られたせん断粘度を示す。
【0053】
【表2】

【0054】
ここで、紡糸原液の濃度1質量%、2.5質量%、5質量%に対して、線形近似を行ったところ、y=0.0056x−0.0051であった。切片が負となったので、切片を0として改めて線形近似を行い、y=0.0043xを得た。この時のR2乗値は0.8873であった。なお、xは紡糸原液のPAN系重合体濃度(質量%)、yはせん断粘度[Pa・s]である。
また、紡糸原液の濃度1質量%、2.5質量%、5質量%、7.5質量%に対して、線形近似を行ったところ、y=0.0132x−0.0222となった。切片が負となったので、切片を0として改めて線形近似を行い、y=0.0092xを得た。しかし、この時のR2乗値は0.7473であった。
先にも述べたように、R2乗値は0.8以上であることが経験的に好ましい。よって、低濃度紡糸原液の濃度として1質量%、2.5質量%、5質量%を採用して線形近似した、近似式y=0.0043xを採用した。
この近似式のxに目的とする紡糸原液のPAN系重合体濃度である21質量%を代入した結果、この紡糸原液の80℃での第2ニュートン領域におけるせん断粘度(第2ニュートン粘度)は、0.09[Pa・s]と算出された。
以上工程(1)〜(3)により、各領域でのせん断速度とせん断粘度との関係を求めることができた。
【0055】
〔工程(4)〕
これらの関係から、工程(3)で得られた第2ニュートン粘度を、上式(I’−1)に代入した結果、べき乗則領域と第2ニュートン領域との境界のせん断速度、すなわちせん断速度Aは184,938(/sec)と決定された。従って調製例1の紡糸原液の0.45A〜Aの範囲は、83,222〜184,938(/sec)であることがわかった。
【0056】
<例1〜8>
調製例1の紡糸原液を用い、ノズルの孔径(直径)、ノズルのL/D、およびノズル孔からの紡糸原液の吐出量を表3に示す通りに設定した。上式(II)より求められる、ノズル内の紡糸原液のせん断速度の値(/sec)と、その値を184,938(/sec)で序した値(A基準の割合)を表3に示す。凝固糸全破断速度の測定を行った結果を表3に示す。
また、引き取りロール3で引き取られた凝固糸を、延伸倍率12.5倍で延伸したPAN系繊維の太さ(繊度)が1dtexとなるように、凝固糸引き取り速度(引き取りロールの周速度)を設定してPAN系繊維を製造した。各例における凝固糸引き取り速度を表3に示す。
【0057】
【表3】

【0058】
表3の結果より、例1,3,6と例8、例4と例7をそれぞれ比べると、ノズルの孔径およびL/Dは同じであるが、紡糸原液の吐出量を変えて、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度を0.45A〜Aの範囲内としたことにより、紡糸安定性が向上して凝固糸全破断速度が向上し、引き取り速度の高速化が可能となった。
例6と例7とを比べると、紡糸原液の吐出量は同じであるが、ノズルの孔径を変えて、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度を0.45A〜Aの範囲内としたことにより、凝固糸全破断速度が向上し、引き取り速度の高速化が可能となった。
【0059】
また例1〜4および例6〜8は、凝固糸引き取り速度が凝固糸全破断速度に比べて充分に小さく、良好な紡糸安定性が得られた。
一方、例5は例1と比べて、紡糸原液の吐出量は同じであるが、例5の方が吐出量が大きい。このため、例5はノズル内でのせん断速度が低く、凝固糸全破断速度が低い。したがって、所定の繊度のPAN系繊維を紡糸するための引取り速度が、凝固糸全破断速度に近い値となってしまい、紡糸安定性が十分ではなかった。
なお例6は例1と比べて、ノズル径は同じであるが、紡糸原液の吐出量が低い。このため所定の繊度のPAN系繊維を紡糸するための引取り速度は例1よりも低い。
【符号の説明】
【0060】
1 ノズル、
2a、2b フリーロール、
3 凝固糸引き取りロール(引き取り装置)、
4 凝固液、
5 凝固糸。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アクリロニトリル単位を90〜99.7質量%含有するポリアクリロニトリル系重合体を溶媒に溶解した非ニュートン性の紡糸原液を、ノズル孔から凝固液中に吐出しつつ、該凝固液中で凝固した凝固糸を引き取り装置を用いて引き取る工程を有する、ポリアクリロニトリル系繊維の製造方法であって、
下記の工程(1)〜(4)でせん断速度A[/sec]を求め、ノズル孔内における紡糸原液のせん断速度が0.45A〜A[/sec]となるように、ノズル孔の半径および/またはノズル孔からの紡糸原液の吐出量を設定することを特徴とするポリアクリロニトリル系繊維の製造方法。
工程(1):紡糸温度の紡糸原液について、第1ニュートン領域内のせん断速度から、せん断速度を増大させながら、各せん断速度でのせん断粘度、および各せん断速度でのせん断応力を実測し、せん断速度が増加してもせん断応力が増加しなくなるせん断速度γを求める工程。
工程(2):工程(1)で求めたせん断速度γよりも低せん断速度側の測定データであって、せん断速度が前記γに最も近い2点の測定データのせん断速度γi−1およびγi−2と、これらに対応するせん断粘度ηi−1およびηi−2とを下式(I)に代入して、式(I)中の係数aと指数nとを求めることによって、前記紡糸原液の、べき乗則領域におけるせん断速度とせん断粘度との関係式(I’)を求める工程。
【数1】

(式(I)において、ηはせん断粘度[Pa・s]、γはせん断速度[/sec]を表わす。)
工程(3):前記紡糸原液のポリアクリロニトリル系重合体濃度を低濃度側に変更して、互いにポリアクリロニトリル系重合体濃度が異なる複数の低濃度紡糸原液を調製し、各低濃度紡糸原液について、せん断速度を増大させながら、紡糸温度でのせん断粘度を実測して、せん断速度依存性がない領域におけるせん断粘度をそれぞれ求め、その結果に基づいてポリアクリロニトリル系重合体濃度とせん断粘度との関係を示す線形近似式を求め、該線形近似式に前記紡糸溶液のポリアクリロニトリル系重合体濃度を代入する方法により、該紡糸原液の第2ニュートン領域におけるせん断粘度を求める工程。
工程(4):工程(3)で求めた紡糸原液の第2ニュートン領域のせん断粘度を、工程(2)で求めた関係式(I’)に代入して、せん断速度Aを算出する工程。
【請求項2】
前記凝固糸の引き取り速度が11〜23m/分である、請求項1記載のポリアクリロニトリル系繊維の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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