説明

ポルフィリン金属錯体を用いた情報記憶方法

【課題】DNAとは異なる生化学物質を用いて計算を行なう際の情報の保存を行なうことが可能な情報記憶方法を提供する。
【解決手段】情報記憶方法は、ポルフィリン金属錯体を用いた情報記憶方法であって、有限種類のポルフィリン金属錯体を準備するステップと、記憶すべき情報にしたがった順序で所定の金属面320上にポルフィリン金属錯体の超分子構造を配置する位置340,342を決定するステップと、所定の金属面320上の、記憶すべき情報の各部分にしたがった位置340,342に、当該部分にしたがった構造を有する、ポルフィリン金属錯体からなる超分子構造を形成するステップとを含む。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明はポルフィリン金属錯体を用いた情報記憶方法に関し、特に、有機分子プログラミング用言語のための形式言語を生成するために使用される情報記憶方法に関する。
【背景技術】
【0002】
コンピュータは現代社会に不可欠な要素となっている。このようにコンピュータが普及したのは、半導体関連の技術の進歩とソフトウェアの進歩とによるところが大きい。またデータ通信のための社会基盤の整備も大きな役割を果たしている。
【0003】
しかし、コンピュータの能力が高くなるにつれ、暗号化通信、遺伝子解析、地球規模での気象解析等、さらに高速の計算資源を必要とする技術が現れてきている。計算の対象には事実上限りがなく、したがって、コンピュータの能力をさらに高める要求はさらに強くなっている。
【0004】
現在のコンピュータの大部分はいわゆるノイマン型コンピュータであり、本質的には直列的に命令を実行するものである。そうしたノイマン型コンピュータを高速化するためにはいくつかの方策がある。
【0005】
第1の方策は、動作速度を規定するクロック信号の周波数を高くすることである。過去のコンピュータの高速化は、主としてこの方策によって実現されてきた。
【0006】
しかし、クロック周波数が高くなると消費電力も高まり、また信号のスキューなどを回避するために回路をさらに高集積化する必要がある。したがって製造技術をさらに高度化するための技術の確立が必要である。しかしそれは容易なことではない。また現状で半導体を用いた回路の大きさはそろそろ限界に近づいているといわれており、例えば配線間でのマイグレーション、メモリにおけるソフトエラー、動作による発熱、高密度化ゆえに起こる問題点に対処する必要がある。実際上、そうした問題を解決することは極めて困難である。
【0007】
第2の方策は、処理の並列化を高めることである。並列化には少なくとも2種類ある。第1の種類の並列化は、コンピュータプログラムで実現される処理に内在する、並列化可能な部分を抽出し、異なるCPU(中央演算処理装置)コアで実行することである。1台のコンピュータに複数のCPUコアを搭載してもよいし、いわゆるグリッドコンピューティングのように、物理的に種々の場所に存在する多数のコンピュータを互いに通信網で接続することで並列処理を実現化してもよい。
【0008】
しかしこの第1の種類の並列化では、単一の場所で実現するときには必然的にハードウェアが高価となる。また、単一のCPUコアで処理を実行する場合と比較して、複数のCPUコアで処理を行なうためのオーバヘッドが大きくなるという問題もある。特に、グリッドコンピューティングの場合には、物理的に隔たったコンピュータの間での通信量が増大するため、ネットワークに影響を及ぼす可能性もある。
【0009】
第2の種類の並列化は、コンピュータのアーキテクチャそのものを見直し、本質的に並列処理が可能なアーキテクチャを採用することである。例えばデータ駆動型コンピュータ等はその典型である。この他にも有力な候補としてDNA(デオキシリボ核酸)コンピュータと呼ばれるものがある。
【0010】
DNAコンピュータは、RSA公開暗号化方式の提案者の一人でもあるコンピュータ科学者Leonard Adleman(レナード エイデルマン)により発案され、1994年にその実験結果が公表されてコンピュータ技術者及び生物化学者の間に大きな波紋を広げた(非特許文献1を参照されたい。)。エイデルマンは、DNAを計算資源として用いていわゆるNP完全問題のひとつであるハミルトン経路問題(Hamilton Path Problem:以下「HPP」と呼ぶ。)を解く実験を行ない、実際にその解を得て、生物分野及びコンピュータ科学分野の研究者を驚かせた。
【0011】
エイデルマンの提案したDNAコンピュータは、DNAの持つ符号としての特性を利用して、HPPにおいて出現する「都市」とそれらを結ぶ「道」とを符号化する。さらにDNAの相補性を利用して、それら都市と道とを表すDNA断片を生化学反応で結合させることにより、問題に対する解の候補(都市を表すDNAと道を表すDNAとが様々な組合せで連結したもの)を得る。得られた候補の中から所定の条件を充足するDNA配列を選択して解とする。
【0012】
このDNAコンピュータがノイマン型コンピュータと異なるのは、処理が、多数のDNA断片を用いて本質的に高度に並列的に行なわれるという点である(「超並列性」)。しかもDNAの相補性を利用しているため、解の候補は自律的に得られ、反応の過程で特に操作を必要としない。このDNAコンピューティングの技術を用いたものも既に製品化されている(特許文献1)。
【特許文献1】特開2002−318992号公報
【非特許文献1】レナード M. エイデルマン、「組合せ問題に対する解の分子計算」、サイエンス、第266巻、第11号、1021頁〜1024頁、1994年(Leonard M.Adleman,“Molecular Computation of Solutions to Combinatorial Problems”,SCIENCE,Vol.266,No.11,pp.1021−1024,1994)
【非特許文献2】タカシ ヨコヤマ他、「面上における、超分子集合体の制御されたサイズ及び形状での選択的作製」、ネイチャー、第41号、pp.619−621、2001年10月11日(Takashi Yokoyama et al., Selective assembly on a surface of supramolecular aggregates with controlled size and shape, Nature 413, 619-621, 2001 October 11)
【非特許文献3】K.M.カディッシュ他編、「ポルフィリンハンドブック」、アカデミックプレス、第8巻、第4頁(Karl M. Kadish et al.,”The Porphyrin Handbook”,Volume 8/Electron Transfer,p.4,Academic Press,2000)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
DNAコンピュータのように、分子生物学の所見をコンピュータ科学に適用すると、ナノレベルでの計算機構を実現することができる。多くの場合には、そのような応用で利用される分子は自己集合性(Self Assembly)により、条件さえ整えれば、所定の機能が実現できるような配置をとる。そのため、半導体を用いてナノレベルの回路を作製する場合と比較して、必要な技術ははるかに簡単である。動作時に大きな熱を発生することもない。したがって、DNAコンピュータのように分子生物学の所見を用いてコンピュータを実現できれば、現在のコンピュータよりも優れたものが実現できる可能性がある。
【0014】
こうした目的のもと、エイデルマンの論文発表後、種々のDNA計算手法が発表されている。しかしそれらはいずれもエイデルマンの基本的な考え方にしたがいDNAを計算資源として用いるものである。DNA等以外の生化学分子を用いてコンピュータの基礎となるものを実現しようとする試みはほとんど見られない。したがって、DNA以外の生化学分子として利用できるものを見出し、それを用いたコンピューティング技術を確立することが望ましい。
【0015】
ところで、このように分子生物学の所見を用いたコンピューティング技術の場合、情報をどのようにして記録するかが問題となる。DNAを用いる場合には、DNAそのものが情報の蓄積装置としての役割を果たすため、そうした問題は特に生じない。しかし、他の生化学物質を用いてコンピューティング技術を確立しようとする場合、情報の保存方法をどのように実現するかが問題となる。
【0016】
それゆえに本発明の目的は、DNAとは異なる生化学物質を用いて計算を行なう際に、情報の保存を行なうことが可能な情報記憶方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明に係る情報記憶方法は、ポルフィリン金属錯体を用いた情報記憶方法であって、有限種類のポルフィリン金属錯体を準備するステップと、記憶すべき情報にしたがった順序で所定の金属面上にポルフィリン金属錯体の超分子構造を配置する位置を決定するステップと、所定の金属面上の、記憶すべき情報の各部分にしたがった位置に、当該各部分にしたがった構造を有する、ポルフィリン金属錯体からなる超分子構造を形成するステップとを含む。
【0018】
有限種類のポルフィリン金属錯体から、記憶すべき情報の種類にしたがった構造を有する超分子構造を生成し、それらを、記憶すべき情報の各部分にしたがった位置に配置させることができる。ポルフィリン金属錯体からの超分子構造の生成にはポルフィリン金属錯体の自己集合性を利用することができる。これら超分子構造の構造及びその中のポルフィリン金属錯体の種類を知ることにより、もとの情報を復元することができる。その結果、DNAとは異なるポルフィリン金属錯体という生化学物質を用いて計算を行なう際に、情報の保存を行なうことが可能な情報記憶方法を提供することができる。
【0019】
好ましくは、超分子構造を形成するステップは、記憶すべき情報の各部分にしたがって、当該各部分に対応する超分子構造の構造を決定するステップと、有限種類のポルフィリン金属錯体、及び当該有限種類のポルフィリン金属錯体から得られた超分子構造を用い、構造を決定するステップで決定された構造の超分子構造を生成するステップとを含み、超分子構造の構造は、ポルフィリン金属錯体の一次元配列と、ポルフィリン金属錯体を頂点とするグラフ構造とのいずれかから選ばれる。
【0020】
ポルフィリン金属錯体の一次元配列だけでなく、グラフ構造をも用いて超分子構造を構成することで、多くの情報をポルフィリン金属錯体の超分子構造で記憶させることができる。また、このためには、ポルフィリン金属錯体及びその超分子構造の自己集合性を利用することができる。その結果、超分子構造の生成を容易に行うことができる。
【0021】
さらに好ましくは、有限種類のポルフィリン金属錯体をアルファベット、当該有限種類のポルフィリン金属錯体から生成される超分子構造を語、超分子構造からなる語と語との間の変換規則群を語の書換規則群Rとして、当該語の集合中の任意の語wに対し、超分子構造twtからポルフィリン金属錯体Yが書換規則群Rに含まれる規則によって導出可能となるように、書換規則群R、語t及びt、並びにポルフィリン金属錯体Yを決定するステップをさらに含み、超分子構造を生成するステップは、構造を決定するステップで決定された構造の超分子構造を生成するための基本となる初期超分子構造と、当該初期超分子構造から決定された構造の超分子構造を生成するように、一連の規則を書換規則群Rから選ぶステップと、初期超分子構造に対し、一連の規則を適用することによって、決定された構造の超分子構造を生成するステップとを含む。
【0022】
このように書換規則群R、語t及びt、並びにポルフィリン金属錯体Yを選択することにより、MNFL(マクノートンファミリー言語:McNaugton families of languages。以下「MNFL」と呼ぶ。)を生成することができる。MNFLはチューリングマシンと同等の計算能力を備えた数学的モデルとして知られており、その結果、ポルフィリン金属錯体を用い、チューリングマシンと同等の計算能力を備えたMNFLを実現するための情報記憶方法を提供できる。
【0023】
超分子構造は、ポルフィリン金属錯体のテトラマーを含み、配置するステップは、複数のテトラマーを、当該テトラマーを構成するポルフィリン金属錯体の自己集合性によって組合わせるステップを含んでもよい。
【発明を実施するための最良の形態】
【0024】
上記した情報記憶方法を実現するために、本願ではポルフィリン金属錯体を用いることを提案する。
【0025】
ポルフィリン及びポルフィリン金属錯体は、近年、ナノテクノロジー分野で重要な物質として注目されている。なぜなら、ポルフィリン金属錯体は人工光合成、ナノワイアの作製、細胞シグナリングの検出及び規制機序において大きな可能性を秘めているものと考えられるためである。ポルフィリン及びポルフィリン金属錯体は、生体の細胞の生化学状態と密接な関係を持っているため、生体情報を得るためのプローブのような役割を果たし得るものと考えられている。
【0026】
ポルフィリア症と呼ばれる代謝障害は、細胞内におけるヘム合成と関連しており、特に信号伝達プロセスにおけるポルフィリンの機能が問題と考えられているが、そうした病気の治療のためのナノメディシンを実現する上で、ポルフィリンが大きな意味を持ち得ると考えられる。特にポルフィリン金属錯体の自己集合性を利用すると、安価にナノレベルの構造を作製することが可能であり、分子計算の並列性を活かした分子コンピュータを作製する技術に利用できる。
【0027】
ポルフィリン金属錯体の基本的構造を図1に示す。図1を参照して、ポルフィリン金属錯体20は、一般的に、ポルフィリンの中央の窒素が他の金属元素30と結びつき、安定な錯体を形成して得られるものである。ポルフィリンと錯体を形成する金属は多数あり、非特許文献3によると、70種以上の元素がポルフィリンと錯体を形成することが知られている。
【0028】
また、ポルフィリン及びポルフィリン金属錯体は、他の分子と結合して超分子構造を形成することでも知られている。特に、ポルフィリン金属錯体のモノマー同士を結合してダイマー、トリマー、テトラマーまで人工的に形成できることが報告されている(非特許文献2)。この技術を利用することにより、ナノテクノロジーにポルフィリン金属錯体を基本的要素として利用できることが一般的に認められている。
【0029】
図2に、モノマー、ダイマー、トリマー、及びテトラマーの構造について示す。図2(A)は2種類のポルフィリン金属錯体モノマー40及び42を示す。図2(B)はポルフィリン金属錯体のダイマー44について示す。ダイマー44は、ポルフィリン金属錯体46及び48を含む。図2(C)はポルフィリン金属錯体のトリマー50を示す。トリマー50は、ポルフィリン金属錯体52,54及び56を含む。図2(D)はポルフィリン金属錯体のテトラマー60を示す。テトラマー60は、ポルフィリン金属錯体62,64,66及び68を含む。
【0030】
図2(B)、(C)及び(D)に示すような構造をポルフィリン金属錯体のダイマー、トリマー、及びテトラマーが有することは、実際にSEM(走査型電子顕微鏡:Scanning Electron Microscope)により確認されている。なお、図2(A)〜(D)に示すような構造に加え、図2(B)の構造と同様に、複数のポルフィリン金属錯体のモノマーが一次元的に連なった構造も存在する。実は、図2(A)及び(B)に示すモノマー及びダイマーはこの一次元的配列の特別の例(要素の数=1及び2)である。したがって、ポルフィリン金属錯体による超分子構造としては、モノマーの一次元構造と、2次元的な構造(グラフ)との2種類があると考えることができる。
【0031】
これらモノマーの一次元配列、トリマー、及びテトラマーの間では、互いに構造を変換することができる。その様子を図3に示す。これらの構造の変換は、自己集合性によって実現される。
【0032】
図3(A)は、4つのポルフィリン金属錯体モノマー70,72,74及び76から一つのテトラマー80が形成されることを示す。図3(B)は、2つのダイマー90及び92から一つのテトラマー120が形成されることを示す。この例では、ダイマー90はポルフィリン金属錯体100及び102を含み、ダイマー92はポルフィリン金属錯体104及び106を含む。テトラマー120では、ダイマー90及び92内のポルフィリン金属錯体同士はそれぞれその結合を保ちながら、相手のダイマーと結合することで超分子構造のテトラマー120を形成している。
【0033】
図3(C)は、一つのトリマー130とポルフィリン金属錯体のモノマー132とから一つのテトラマー150が形成されることを示す。この例では、トリマー130は3つのポルフィリン金属錯体134,136及び138を含む。トリマー130は、モノマー132と結合してテトラマー150を形成する際に、ポルフィリン金属錯体136と138との間の結合を一旦解き、それぞれモノマー132と結合することにより超分子構造のテトラマー150を形成している。
【0034】
図3(D)は、以上とは逆に、一つのテトラマー160が、一つのトリマー180とポルフィリン金属錯体モノマー166とに分離することを示している。この例では、テトラマー160は4つのポルフィリン金属錯体162,164,166及び168を有しており、それらのうちモノマー166が結合から離脱している。
【0035】
すなわち、ポルフィリン金属錯体の変換は、「attach」及び「detach」という2種類の変換のみで表すことができる。このようなポルフィリン金属錯体の超分子構造の構造の変化は、それぞれ所望のポルフィリン金属錯体を準備し、所定の条件の中にそれらを投入することにより生ずる反応で得られる。この様子を図4に示す。図4を参照して、このような反応前の第1の状態200と、反応後の第2の状態206とを示す。この状態変化は、上記したような所定の条件に入力204を投入する処理で得られるが、これは、第1の状態200に対して入力202を与えることにより第2の状態206が得られる、と考えることができる。
【0036】
ポルフィリン金属錯体の間に、「attach」及び「detach」で表される演算(操作)を考えることによって、形式言語と呼ばれるものが得られ、この形式言語に基づき、ポルフィリンを使用した分子情報処理システムを作製することができる。本実施の形態では、以下、形式言語の中でもMNFLをポルフィリン金属錯体を用いて生成する。
【0037】
<MNFLの定義のための準備>
Σを、有限のアルファベットの集合とする。ここで、アルファベットとは、記号又は文字のことをいう。ここでは、記号又は文字を総称して単に文字と呼ぶ。文字としてどのようなものをとるかは自由である。
【0038】
アルファベットΣからその元を重複を許容して有限個取出し、一列に並べたもの(有限列)を、Σ上の語又は記号列と呼ぶ。ここでは、語又は記号列を単に語と呼ぶ。語wを構成する文字の数を|w|と書き、語wの長さと呼ぶ。長さが0の語を空語と呼ぶ。空語はしばしばλで表される。ここでも空語はλで表す。
【0039】
アルファベットΣ上の語全体からなる集合をΣで表す。Σから空語λを除いた集合をΣで表す。
【0040】
全てのw∈Σ及びn∈Nに対し、Nw=λ、wn+1=wwと書くことにすると、通常の文字列を簡略化して表現することができる。ただしNは自然数の集合である。
【0041】
本実施の形態では、アルファベットとしてポルフィリン金属錯体を用いる。前述したとおり、ポルフィリン金属錯体は少なくとも70種類以上存在しており、十分に多数の語を表すことができる。
【0042】
さらに、本実施の形態では、語として、図2(A)〜(D)に示したようなポルフィリン金属錯体の超分子構造を対応させる。こうした構造を英語のアルファベットに対応させて表すことができる。仮に、図2(A)〜(D)に示されるモノマー、ダイマー、トリマー、及びテトラマーをa、b、c及びdと表せば(ここでは、説明を簡単にするために、超分子構造を構成するポルフィリン金属錯体の種類を無視するものとする。)、図3(A)に示される状態変化はaaaa=a=dと表すことができる。同様に、図3(B)、(C)及び(D)の状態変化はそれぞれ、b=d、ca=ac=d、d=ca=acと書くことができる。これらは、文字列の書換規則と見なすことができる。
【0043】
ここで、アルファベットΣ上の文字列書換群Rを考える。Rは、Σから採った2つの元(文字列)の組(l、r)の集合である。通常、対(l、r)∈Rを(l→r)と書き、書換規則と呼ぶ。dom(R)により、集合Rの全ての規則の左側の集合dom(R):={l|∃r∈Σ:(l→r)∈R}を表し、range(R)により集合Rの全ての規則の右側の集合range(R):={r|∃l∈Σ:(l→r)∈R}のことを表すものとする。
【0044】
システムRにより導出されるΣ上の還元関係→は、次の単一ステップの還元関係
【0045】
【数1】

の、反射律及び推移律にしたがう閉包のことをいう。
【0046】
ここで、文字列u∈Σに対し、u→vが成立するような文字列vが存在すれば、uはRを法として還元可能と呼ばれ、vはuの直接の子孫であり、uはvの直接の先祖である。もしそのようなvが存在しなければ、uはRを法として還元不能といわれる。Δ(u)により、uの全ての子孫の集合を表す。すなわち、Δ:={v|u→v}である。∇はvの全ての先祖の集合を表す。すなわち、∇:={u|u→v}である。また、IRR(R)は、Rを法として還元不能な全ての文字列の集合を表す。IRR(R)は、有限文字列書換群Rの各々に対する正規言語を表す。
【0047】
「⇔」により、Rにより誘導される、Σ上のシューの合同(Thue congruence)を表す。w∈Σに対し、[w]によって、⇔を法とするwの合同クラスを表す。すなわち、[w]={u∈Σ|u⇔v}である。
【0048】
ここで、Sを文字列書換群の一クラスとする。このSにより、言語ファミリL(S)が導出される。ここではこのファミリをSにより特定されるMNFLと呼び、以下のように定義する。
【0049】
言語L⊆Σは、Σを厳密な意味で包含する有限なアルファベットΓと、Γ上の有限な文字列書換群R∈Sと、文字列t、t∈(Γ\Σ)∩IRR(R)と、文字Y∈(Γ\Σ)∩IRR(R)とが存在し、全てのw∈Σに対し、次の立言が同値であるとき、Sにより特定される言語ファミリL(S)に属するといわれる。(なお、Γ\ΣはΓとΣの差集合を表す。)
(1)w∈L
(2)twtY,すなわち、twt∈∇(Y)
このとき、言語Lは四つ組み(R,t,t,Y)により規定される、という。これはL:=L(R,t,t,Y)とも書かれる。
【0050】
<ポルフィリン金属錯体によるMNFLの実現>
図5に、ポルフィリン金属錯体を用いたMNFLの実現方法について示す。既に述べたように、ポルフィリン金属錯体の超分子構造の間には、attach及びdetachという操作が定義されている。これらの操作はポルフィリン金属錯体の自己集合性により実現できる。
【0051】
図5を参照して、最初に超分子構造220、260、及び240が準備されているものとする。超分子構造220は、3つのポルフィリン金属錯体230,232及び234を含む。これらをアルファベットで仮にa、t、及びbとして表す。超分子構造(ポルフィリン金属錯体)260はwで表す。超分子構造240は、3つのポルフィリン金属錯体250,252及び254を含む。これらはアルファベットで仮にc、t、及びdで表すものとする。他の超分子構造の結合では得られないポルフィリン金属錯体としてポルフィリン金属錯体232(t)及び252(t)を予め選択しておく。すなわち、t及びtは、Rを法として還元不能な文字列である。
【0052】
超分子構造220からはポルフィリン金属錯体232(t)を、超分子構造240からは超分子構造252(t)を、それぞれ分離するものとする。そして、これらと超分子構造260(w)とを自己集合性により結合させることで、超分子構造270(twt)が生成する。
【0053】
さらに、これらを超分子構造270(twt)の両端に自己集合性を利用したattach操作によって、ポルフィリン金属錯体280(u)及び282(v)を付加することで、新たな超分子構造290(utwtv)が生成する。
【0054】
さて、超分子構造290からdetach操作により、ポルフィリン金属錯体280(u)及び282(v)を分離させる。これらを、予め準備したポルフィリン金属錯体300(Y)にattach操作で結合させることにより、新たな超分子構造302(uYv)を形成することができる。
【0055】
本実施の形態では、全てのwに対し以上のような超分子構造による新たな超分子構造の生成と分離が可能となるように、wと、t及びtと、Yというポルフィリン金属錯体を選択する。また、上の過程における超分子構造の生成及び分離は、超分子構造に対応する記号列の書換に相当する。そのような規則の集合を予め定めておけば、書換規則群Rが定義できる。したがって、twtという超分子構造270から、書換規則群RによってYが導出されたことになる。すなわち、twtYが成立する。その結果、以上のような超分子構造の生成と分離とが可能な超分子構造260(w)については、ここで利用された書換規則群R,ポルフィリン金属錯体の文字列t及びt、並びにポルフィリン金属錯体Yによって定義される言語L(R,t,t,Y)に属する語である、ということができる。したがって、R,t,t及びYによってMNFLを定義することができる。
【0056】
<情報の記憶方法>
ポルフィリン金属錯体の超分子構造については、例えば金からなる平面上にその集合体を生成できることが非特許文献2に示されている。そこで、本実施の形態では、図6に示すように、金の薄板320の表面に、複数の領域340,342等を配置し、これらの各々にポルフィリン金属錯体の超分子構造を配置することにする。各領域には、ポルフィリン金属錯体の超分子構造が自己集合性により形成される。
【0057】
既に述べたように、個々のポルフィリン金属錯体の集合がアルファベットを構成する。そして、超分子構造に含まれるポルフィリン金属錯体の種類、超分子構造の構造(一次元配列、トリマー、テトラマー)、及びポルフィリン金属錯体の配列によって、語が定義できる。それら語に対し、所定の符号を割当てることで、ポルフィリン金属錯体の超分子構造を一つの記憶セルとして取り扱うことができる。
【0058】
領域340、342などにおいて、所定の順番でそのようなポルフィリン金属錯体の超分子構造を生成することで、金の薄板320上に情報を格納することができる。読出時には、それら領域を書込時と同じ順番で読み、その中に配置されている超分子構造を構成するポルフィリン金属錯体の種類、超分子構造の構造、及びその超分子構造中におけるポルフィリン金属錯体の配置によって、情報を復元することができる。
【0059】
なお、書込時のポルフィリン金属錯体の超分子構造の生成にあたっては、記憶すべき情報にしたがって生成すべき超分子構造を定め、情報の書込及び読出の順序にしたがって、それら超分子構造を生成すべき領域(空間)を定める。そして、生成すべき超分子構造を得るための初期超分子構造を決め、上記した書換規則群にしたがってポルフィリン金属錯体又は超分子構造に対しattach及びdetach操作を繰返すことで、目的の超分子構造を生成する。このときの超分子構造の構造としては、既に述べたように一次元配列とグラフ構造との双方がある。このように超分子構造の構造が多様なので、比較的小さな空間に多くの情報を書込むことができる。
【0060】
この書込時に、上に述べたMNFLを実現するように、ポルフィリン金属錯体、その書換規則群R、ポルフィリン金属錯体又は超分子構造t及びt、並びにポルフィリン金属錯体Yを選択することができる。そうすることで、MNFLをポルフィリン金属錯体によって実現するための情報記憶方法を提供できる。
【0061】
<タイル構造による情報の記憶>
なお、ポルフィリン金属錯体のテトラマーによれば、以下に述べるようにタイル構造を作製できる。タイルとは、DNAにおいて見出されたものであって、DNAの複数の一本鎖構造を組合わせ、かつ他の一本鎖と結合可能な端部を有する部分を持つ単位構造をいう。このタイルを、端部で他のタイルと結合させることによって、DNAを組合わせた二次元的な形状を作製することができる。
【0062】
本実施の形態では、図7に示すようなテトラマーからなるタイル380及び382を組合わせることでタイル構造を実現する。図7を参照して、タイル380は、4つのポルフィリン金属錯体350,352、354及び374を含む。タイル382も、同様に4つのポルフィリン金属錯体390,392,394及び376を含む。
【0063】
ポルフィリン金属錯体374及び376は、ここでは他のポルフィリン金属錯体372と自己集合性により結合して超分子構造370を形成する性質を持つものが選ばれる。すると、タイル380とタイル382とにおいて、ポルフィリン金属錯体374及び376からなる対384も、自己集合性によりポルフィリン金属錯体372を介して互いに結合しようとする。その結果、タイル380及び382により図8に示すようなタイル構造が生成される。
【0064】
図8を参照して、この例では、「u」及び「v」というポルフィリン金属錯体が互いに近接して配置され、タイル380と382とが二次元的に結合している。このような結合を利用すると、タイル380及び382に含まれるポルフィリン金属錯体の配列に対し、任意の順序を設定して符号化を行なうことができる。例えば、符号化を経路410で示されるように行なってもよいし、又は経路412若しくは414で示されるように行なってもよい。この場合、情報の読出も同じ経路に沿って行われる。
【0065】
以上のように本実施の形態では、ポルフィリン金属錯体の一次元配列、トリマー、及びテトラマーからなる超分子構造と、それらを構成するポルフィリン金属錯体の種類とにより、MNFLを定義することができる。MNFLを実現するために必要な情報の格納場所として、ポルフィリン金属錯体とそれらの超分子構造とを用いる。ポルフィリン金属錯体とその超分子構造とに対しては、attach及びdetachという操作を定め、それら操作を用いて情報の書込ができる。情報の読出は、例えばSEMなどを用いて超分子構造の構造とそれを構成するポルフィリン金属錯体の種類及び配置を調べればよい。
【0066】
ポルフィリン金属錯体及びその超分子構造は、自己集合性により、微細な構造を精度よく生成することができる。そのため、半導体を用いたコンピュータなどと比較して、本実施の形態に示したようなポルフィリン金属錯体の超分子構造を用いた記憶装置は、より容易に微細化することができる。また、各超分子構造に対する操作は本質的に並列化が可能であるため、計算を高速化することが可能である。
【0067】
今回開示された実施の形態は単に例示であって、本発明が上記した実施の形態のみに制限されるわけではない。本発明の範囲は、発明の詳細な説明の記載を参酌した上で、特許請求の範囲の各請求項によって示され、そこに記載された文言と均等の意味および範囲内でのすべての変更を含む。
【図面の簡単な説明】
【0068】
【図1】ポルフィリン金属錯体の構造を示す図である。
【図2】ポルフィリン金属錯体の超分子構造の分子構造の例を示す図である。
【図3】ポルフィリン金属錯体及びその超分子構造間の構造の変換の例を示す図である。
【図4】ポルフィリン金属錯体の構造の変換を模式的に示す図である。
【図5】ポルフィリン金属錯体及びその超分子構造によりマクノートンファミリ言語を生成可能であることを示す図である。
【図6】ポルフィリン金属錯体及びその超分子構造を記憶媒体として使用するための構成を示す図である。
【図7】ポルフィリン金属錯体のテトラマーによるタイル構造を模式的に示す図である。
【図8】テトラマーによるタイル構造による情報の記憶及び読出の経路を模式的に示す図である。
【符号の説明】
【0069】
20,46,48,52,54,56,62,64,66,68,100,102,104,106,134,136,138,162,164,166,168,230,232,234,250,252,254,280,282,300,350,352,354,372,374,376,390,392,394 ポルフィリン金属錯体
30 金属元素
40,42,70,72,74,76,166 ポルフィリン金属錯体モノマー
44,90,92 ダイマー
50,130,180 トリマー
60,80,120,150,160 テトラマー
220,240,260,270,290,302,370 超分子構造
320 金の薄板
380,382 タイル

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ポルフィリン金属錯体を用いた情報記憶方法であって、
有限種類のポルフィリン金属錯体を準備するステップと、
記憶すべき情報にしたがった順序で所定の金属面上にポルフィリン金属錯体の超分子構造を配置する位置を決定するステップと、
前記所定の金属面上の、前記記憶すべき情報の各部分にしたがった位置に、当該各部分にしたがった構造を有する、ポルフィリン金属錯体からなる超分子構造を形成するステップとを含む、情報記憶方法。
【請求項2】
前記超分子構造を形成するステップは、
前記記憶すべき情報の各部分にしたがって、当該各部分に対応する超分子構造の構造を決定するステップと、
前記有限種類のポルフィリン金属錯体、及び当該有限種類のポルフィリン金属錯体から得られた超分子構造を用い、前記構造を決定するステップで決定された構造の超分子構造を生成するステップとを含み、
前記超分子構造の構造は、ポルフィリン金属錯体の一次元配列と、ポルフィリン金属錯体を頂点とするグラフ構造とのいずれかから選ばれる、請求項1に記載の情報記憶方法。
【請求項3】
前記有限種類のポルフィリン金属錯体をアルファベット、前記有限種類のポルフィリン金属錯体から生成される超分子構造を語、前記超分子構造からなる語と語との間の変換規則群を語の書換規則群Rとして、当該語の集合中の任意の語wに対し、超分子構造twtからポルフィリン金属錯体Yが前記書換規則群Rに含まれる規則によって導出可能となるように、前記書換規則群R、前記語t及びt、並びに前記ポルフィリン金属錯体Yを決定するステップをさらに含み、
前記超分子構造を生成するステップは、前記構造を決定するステップで決定された構造の超分子構造を生成するための基本となる初期超分子構造と、当該初期超分子構造から前記決定された構造の超分子構造を生成するように、一連の規則を前記書換規則群Rから選ぶステップと、
前記初期超分子構造に対し、前記一連の規則を適用することによって、前記決定された構造の超分子構造を生成するステップを含む、請求項2に記載の情報記憶方法。
【請求項4】
前記超分子構造は、ポルフィリン金属錯体のテトラマーを含み、
前記方法はさらに、前記所定の金属面上に形成された複数のテトラマーを、当該テトラマーを構成するポルフィリン金属錯体の自己集合性によって組合わせるステップを含む、請求項1に記載の情報記憶方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2009−37331(P2009−37331A)
【公開日】平成21年2月19日(2009.2.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−199590(P2007−199590)
【出願日】平成19年7月31日(2007.7.31)
【出願人】(301022471)独立行政法人情報通信研究機構 (1,071)