マススペクトロメータ内イオン量増強方法
マススペクトロメータ検知限界改善方法を提供する。本方法は、イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、指定されたm/z比のイオンを選別してイオン選別装置から出射させるステップと、イオン選別装置から出射されるイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、上掲の諸ステップを繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内に上記m/z比のイオンを蓄積させるステップと、蓄積させたイオンを第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、を有する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、マススペクトロメータ(質量分析計)及びマススペクトロメトリ(MS:質量分析)方法に関し、特にMSn分析の実施に適したマススペクトロメータ及びMS方法に関する。
【背景技術】
【0002】
タンデムマススペクトロメトリ(tandem mass spectrometry:多段MS)は試料の構造解明やトレース分析を行える手法として周知である。この手法では、まず親イオンをマスアナライザ(質量分析器)やマスフィルタ(質量選別器)に通すことによって所望のm/z比(mass to charge ratio:質量対電荷比)を有するイオンを選別し、次いでそれらのイオンを例えばアルゴン等の気体に衝突させてフラグメント化し、そして得られたフラグメントイオンの質量分析、例えばそのマススペクトラムの分析を行う。
【0003】
多段MS即ちMSn分析を行える装置は既に幾つか提案及び市販されている。例えば三連四重極型マススペクトロメータや四重極/TOF(time-of-flight:飛行時間効果)ハイブリッド型マススペクトロメータである。そのうち三連四重極型マススペクトロメータでは、第1四重極Q1を前段マスアナライザとして稼働させ、イオンをこの四重極Q1でフィルタリング(質量選別)して指定m/z比域外のものを除去する。第2四重極Q2は通常は四重極型イオンガイドとしてしてコリジョンセル内に配置し、その中でイオンを気体と衝突させてフラグメント化(細断)する。第2四重極Q2の下流にある第3四重極Q3は、そうして発生させたフラグメントイオンを質量分析する。四重極/TOFハイブリッド型マススペクトロメータでは、第3四重極Q3ではなくTOF型マススペクトロメータを後段マスアナライザとして使用する。
【0004】
これらはコリジョンセルの前後にそれぞれマスアナライザを設けた装置であるが、特許文献1に何例か記載されている装置では、マスフィルタとマスアナライザを一体化した装置で双方向に質量選別及び質量分析が行われる。例えば、上流側からマスフィルタ兼マスアナライザにイオンを通し、そのイオンを下流のイオントラップで捕獲させ、そのイオントラップから遡行出射されるイオンを再びマスフィルタ兼マスアナライザに通して、その上流のイオン検知器で検知させる。また、この文献には、このマスフィルタ兼マスアナライザを用いフラグメント化手順を何回か実行してMS/MS(二段MS)分析を行う手法も記載されている。
【0005】
特許文献2(発明者:Verentchikov et al.)に記載の装置も同様の構成である。即ち、イオン源で発生させたイオンをTOF型マスアナライザに通し、そのマスアナライザで選別されたイオンをフラグメント化セルに送り、そのセルで生じたフラグメントイオンをマスアナライザに戻して検知させる構成である。この装置では、フラグメントイオンをマスアナライザに再帰入射することで、MSn分析を実施することができる。また、特許文献3(発明者:Reinhold)に記載の装置でも同様の手順でMSn分析を実施できるが、イオンの選別にはTOF型マスアナライザではなく高感度リニアトラップが使用される。特許文献4は、イオンを質量別分離用循環軌道に乗せて出射し検知器に送るイオントラップ(イオン捕獲器)に関する文献である。
【0006】
【特許文献1】英国特許出願公開第2400724号明細書
【特許文献2】国際公開第2004/001878号パンフレット
【特許文献3】米国特許出願公開第2004/0245455号明細書
【特許文献4】特開2001−143654号公報
【特許文献5】米国特許第3226543号明細書
【特許文献6】独国特許出願公開第04408489号明細書
【特許文献7】米国特許第5886346号明細書
【特許文献8】英国特許出願公開第2080021号明細書
【特許文献9】ソビエト連邦特許第1716922号明細書
【特許文献10】ソビエト連邦特許第1725289号明細書
【特許文献11】国際公開第2005/001878号パンフレット
【特許文献12】米国特許出願公開第2005/0103992号明細書
【特許文献13】米国特許第6300625号明細書
【特許文献14】米国特許第6872938号明細書
【特許文献15】米国特許第6013913号明細書
【特許文献16】国際公開第02/078046号パンフレット
【特許文献17】国際公開第2005/124821号パンフレット
【特許文献18】英国特許出願公開第2415541号明細書
【特許文献19】米国特許第5572022号明細書
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、こうした従来技術よりも優れたMSn分析装置及び方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
このような問題を解決するため、本発明の一実施形態に係るマススペクトロメータ検知限界改善方法は、(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、(d)指定されたm/z比のイオンを選別してイオン選別装置から出射させるステップと、(e)イオン選別装置から出射されるイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(f)ステップ(a)〜(e)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内に上記m/z比のイオンを蓄積させるステップと、(g)蓄積させたイオンを第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、を有する。
【0009】
このサイクルを所要回数繰り返すことで、いわゆるMSn分析(n段MS)を実施することができる。
【0010】
本方法では、イオン捕獲装置内に貯め(更に除熱させ)たイオンをその出射開口から別の場所に移送し、一部のイオンをそのイオン捕獲装置に送り返す、という動作を、繰り返し実行することができる。本方法は、このようなサイクル動作を実行するので、同一開口を介しイオン捕獲装置にイオンを出し入れする前掲の従来技術に比べ、幾つかの点で優れている。第1に、イオンを貯めてイオン選別装置に入射する動作を、本方法では1個(或いは少数)の装置で実行できる。イオン入射やイオン貯留に使用できる装置はこのところ質量分解能やダイナミックレンジが充実してきているが、反面で製造コストの上昇や制御の複雑化が進んでいるので、本手順を採ることによって製造コストや制御難度を従来技術に比しかなり抑えることができる。第2に、本方法では、例えば外付けのイオン選別装置にイオンを入射させる装置と当該装置から戻ってくるイオンを受け入れる装置が同一の装置即ち(第1)イオン捕獲装置であるので、マススペクトロメータの個数(MS段数)を抑えることができひいてはそれに依存するイオン移送効率が向上する。特に、外付けのイオン選別装置から出射されるイオンはイオン捕獲装置から出射したイオンとかなり異なる特性になることが多い。従って、外付けのフラグメント化装置から戻ってくるイオンをイオン捕獲装置で受け取るとき等に、それ専用のイオン入射開口(第1イオン移送開口)を介してイオンをイオン捕獲装置内に受け入れるようにすれば、イオン選別やフラグメント化を従来より好適に実施することが可能になる。それによって、イオン損失が減りひいては装置内イオン移送効率が高まる。
【0011】
本方法によれば、指定されたm/z比のイオンが試料中に少量しかない場合でも、当該少量のプレカーサ(precursor:前駆体)イオンを第2イオン捕獲装置内に貯め、十分な量になったら(イオン選別装置を介さず)第1イオン捕獲装置に返して捕獲させ、しかる後にMSn分析等に供することができる。即ち、マススペクトロメータの検知限界を改善する(より僅かな量のイオンでも検知可能にする)ことができる。なお、第1イオン捕獲装置から出ていくときにイオンが通る第1イオン移送開口と返ってくるときに通る第2イオン移送開口は別々の開口にするのが望ましいが、それは本方法の実施に際し必須の事柄ではなく、出射と入射を同一の開口で行うこともできる。また、少量のプレカーサイオンを第2イオン捕獲装置に送って量的に蓄積させている間に、イオン選別装置では他種プレカーサイオンの保持及び選別を継続させることができる。十分細かく選別が進行したら、そのプレカーサイオンをイオン選別装置から出射させてフラグメント化装置内でフラグメント化し、それによって発生するフラグメントイオンを第1イオン捕獲装置に送り込む。こうすることで、そのフラグメントイオンをMSn分析することができる。或いは、先のプレカーサイオンと同じく、第2イオン捕獲装置内に貯め込む動作で量的に蓄積し、そのフラグメントイオンについての装置の検知限界を乗り越えるようにしてもよい。
【0012】
本発明の他の実施形態に係るマススペクトロメータ検知限界改善方法は、(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、(d)イオン選別装置で分析対象イオンを選別して出射するステップと、(e)イオン選別装置から出射されるイオンをフラグメント化装置内でフラグメント化するステップと、(f)生じたフラグメントイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(g)ステップ(a)〜(f)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内にフラグメントイオンを蓄積させるステップと、(h)フラグメントイオンをその蓄積後に第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、を有する。先の方法と同じくこの方法でも、第1イオン捕獲装置からのイオンの出射と第1イオン捕獲装置へのイオンの入射は、別々のイオン移送開口経由でも或いは同一のイオン移送開口経由でも行うことができる。また、第1イオン捕獲装置内のイオンをそれとは別体のマスアナライザ、例えば前掲の特許文献7に記載のOrbitrap(商標)等で質量分析してもよいし、そのイオン選別装置に返してそこで質量分析を行ってもよい。
【0013】
また、イオン源はイオン捕獲装置に試料イオン流を連続又は断続(pulse)供給する。フラグメント化装置をこのイオン源とイオン捕獲装置の間に設けることもできる。いずれの場合も、イオン源から出射されて間もない一群のイオンと、それまでに実行したMSサイクルで生成された一群のイオンとを分離(及び個別分析)して同時処理できるため、複雑なMSn分析を実施することができる。これは、装置稼働効率の向上や検知限界の改善につながる。
【0014】
イオン選別装置としては、どのようなものでも好適に使用できるが静電トラップにするのが有利且つ有益である。近年静電トラップ付きマススペクトロメータが市販されるようになっているが、それは、四重極マスアナライザ/フィルタに比べて質量分析精度がかなり高くppmレベルで質量分析できる、四重極直交加速型TOF型マススペクトロメータに比べて装置稼働効率が高く且つダイナミックレンジが広い、というように、静電トラップに長所があるためである。また、本願でいうところの静電トラップとは、実質的に静電場といいうる電場中で動いているイオンの移動方向を少なくとも一次元的に且つ複数回に亘り変化させるイオン光学系全般のことであり、閉鎖型と開放型とに分類される。閉鎖型静電トラップは、イオン移動方向を多重反射により反転させ有限体積空間内を往復させるタイプであり、このタイプではイオンの往路と帰路が互いに重なり合う。これを使用するマススペクトロメータとしては特許文献5〜7に記載のものが知られている。これに対し、開放型静電トラップは、ある軸に沿ってイオン移動方向を反転させつつ他の軸に沿ってイオン移動方向をずらしていくタイプであり、このタイプではイオンの往路と帰路にずれが発生する。このタイプの静電トラップとしては、例えば特許文献8〜11及び特許文献12の図2に記載のものが知られている。
【0015】
更に、静電トラップのうち特許文献11〜13に記載のもの等は、外部のイオン源からイオンの供給を受けてより下流にある外部の検知器に出射する仕組みを採っており、特許文献7に記載のOrbitrap(商標)等は、映像電流検知等の手法を用いその内部で即ちイオン出射なしでイオンを検知する仕組みを採っている。また、特許文献14及び15に記載の静電トラップ等なら、外部から入射してくるイオンを細かく質量選別することができる。その仕組みは、例えば静電トラップ内イオン振動に同調させて交流電圧を印加することによってプレカーサイオンを選別し、次いでイオンを衝突させる気体やパルス状レーザ光の導入によってその静電トラップ内でイオンのフラグメント化を引き起こし、そしてそれにより発生したフラグメントを検知するのに必要な励起動作を実行するというものである。特許文献14及び15に記載の構成では、励起動作として映像電流検知を実行する。
【0016】
ただ、静電トラップに難点が全くないわけではなく、イオン入射条件が厳しい等の難点があるのが普通である。第1に、特許文献16及び17(出願人は本願出願人)に記載の装置では、厳しい条件を満たすリニアトラップを用いて静電トラップへの入射を行うことによって、高度にコヒーレントなイオンパケットが静電トラップに入射するようにしている。それぞれ多数のイオンを含むのにその時間長が非常に短いイオンパケットを静電トラップのように高性能且つ高分解能な装置に入射するには、入射元装置からイオンをうまく引き出せる方向に沿ってイオンを引き込む必要があるが、その方向は、通常、入射先の装置でイオンを効率的に捕獲できる方向とは異なっている。第2に、高性能な静電トラップではイオン損失回避のため厳しい真空条件が求められる傾向があるのに対し、それにつながる他の装置(イオン捕獲装置やフラグメント化装置)は気体で満たされているのが普通である。即ち、取込中のイオンのフラグメント化を防ぐには、静電トラップ内気体厚(内圧とイオン飛行経路長の積)を例えば10-3〜10-2mm・torr未満の小さな値に保つ必要があるのに対して、静電トラップにつながる装置でイオンを効率よく捕獲するには、その装置内の気体厚を例えば0.2〜0.5mm・torr超の高い値にする必要があるからである。この例では、両者の間に最低でも5桁の内圧差が生じる。
【0017】
本方法で使用するイオン選別装置例えば静電トラップで入射開口と出射開口を別にするのが望ましいのは、静電トラップ内へのイオンの返戻入射を好適に行えるようにするのと同時に、静電トラップから例えばフラグメント化装置を経てイオン捕獲装置へと連続又は長期断続イオン流を戻す際、そのイオン捕獲装置の第2、第3等々のイオン移送開口を使用することでうまく戻せるようにするためである。また、イオン選別装置として機能する限りどのような形態の静電トラップでも使用できるが、その電極によって合焦(フォーカス)されるためイオンビーム断面積が絞られるタイプの静電トラップ、即ちビームが狭窄する分イオンの出射効率が高いものの方が望ましい。開放型でも閉鎖型でもよい。そのm/z比が異なるイオン間の距離は静電トラップ内での反射の繰り返しにつれて徐々に拡がっていくので、入射イオンにおけるm/z比のばらつきよりも出射イオンにおけるそれの方が小さくなるようにすること、例えばある特定のm/z比を有する注目イオンだけを出射させることができる。また、イオン選別は、例えば、イオンミラーの飛行時間合焦面内等に配置された専用電極に電気的パルスを印加し不要イオンを反らす(偏向させる)ことで、行うことができる。閉鎖型静電トラップの場合は、イオン選別の進行につれm/z比のばらつきが減っていくよう偏向パルスの頻度を設定するとよい。
【0018】
また、フラグメント化装置は二種類のモードで稼働させることができる。第1のモードはプレカーサイオンをそのフラグメント化装置内で通常通りにフラグメント化するモードであり、第2のモードはそのフラグメント化装置内をプレカーサイオンに素通りさせるモードである。第2のモードは、プレカーサイオンがフラグメント化しないようイオンエネルギを制御することで実行でき、またそれを利用することによってMSn分析及びイオン量調整を同時に又は個別に実行することができる。例えば、イオン捕獲装置からイオン選別装置に入射したイオンから少量しかない特定のプレカーサイオンを選別し、そのイオンをフラグメント化装置を介しイオン選別装置からイオン捕獲装置へと戻すときでも、フラグメント化装置内に通すプレカーサイオンのエネルギをフラグメント化に必要なエネルギ未満に抑えれば、フラグメント化装置内でのフラグメント化は発生しない。そのためには、イオン選別装置からイオン捕獲装置にイオンを戻すときに、例えば2個の平坦電極で発生させたパルス状減速場(電場)中に、その電極上の開口を介し、狙いとするm/z比のイオンを通せばよい。通されたイオンは、そのエネルギが高いものほどその減速場中に奥深くまで入り込むので、狙いとするm/z比のイオンが全て減速場中に入った後にその減速場を停止させると、減速場への入射時に高エネルギであったイオンがそれより低エネルギであったイオンよりも大きな対地ポテンシャル低下を受ける。即ち、狙いとするm/z比を有するイオンのエネルギばらつきが抑えられ、各イオンのエネルギが互いにほぼ等しくなる。従って、発生するポテンシャル低下の幅(減速幅)をイオン選別装置から出射されるイオンのエネルギばらつきに合わせることで、イオンのエネルギばらつきを顕著に抑えることができるので、その後段のフラグメント化装置でイオンがフラグメント化されないようにすることや、フラグメント化の制御をより好適に行うことが可能になる。
【0019】
本発明の他の実施形態に係るマススペクトロメータは、その内部にイオンを貯めうる第1イオン捕獲装置と、第1イオン捕獲装置から出射されたイオンを受け入れて選別するイオン選別装置と、イオン選別装置により選別されたイオン又はその一部を受け入れる(第2)フラグメント化兼捕獲装置と、を備える。本マススペクトロメータでは、イオン選別装置から受け入れたイオン又はその派生物を、フラグメント化兼捕獲装置が、イオン選別装置を介さず第1イオン捕獲装置に送り返す。
【0020】
本発明の更に他の実施形態に係るMS方法は、第1サイクルで実行するステップとして、イオン出射開口とイオン移送開口が別の部位にある第1イオン捕獲装置内に試料イオンを貯めるステップと、貯まっているイオンをイオン出射開口を介し出射させ第1イオン捕獲装置とは別の場所にあるイオン選別装置に送るステップと、第1イオン捕獲装置から出射されたイオンのうち選別を経たもの又はそれからの派生物をイオン移送開口を介し第1イオン捕獲装置内に受け入れるステップと、受け入れたイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、を有する。
【0021】
本発明の更なる実施形態に係るMS方法は、第1イオン捕獲装置内にイオンを貯めるステップと、第1イオン捕獲装置からイオン選別装置へとイオンを出射させるステップと、イオン選別装置内でイオンの一部を選別するステップと、イオン選別装置からそのイオンを出射させるステップと、そのイオンのうち少なくとも一部をフラグメント化装置又は第2イオン捕獲装置内に捕獲するステップと、捕獲されたイオンの一部若しくは全部又はそれからの派生物をイオン選別装置を迂回する経路に沿って第1イオン捕獲装置に返戻するステップと、を有する。
【0022】
本発明の他の実施形態に係るMS方法は、イオントラップ内にイオンを蓄積させるステップと、蓄積させたイオンをイオン選別装置に入射させるステップと、イオン選別装置内でイオンの一部を選別しそのイオン選別装置から出射させるステップと、出射されたイオンをイオントラップに直接即ち中間的なイオン貯め込みを経ずに返して貯めるステップと、を有する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0023】
以下、本発明の好適な実施形態及びその利点に関し、別紙図面を参照しつつより詳細に説明する。但し、これから説明するのはあくまで例であり、本発明は様々な形態で実施することができる。
【0024】
図1に、マススペクトロメータの一例ブロック構成10を示す。このマススペクトロメータ10は、質量分析対象イオンを発生させるイオン源20及びそのイオン源20から出射されたイオンを捕獲するイオントラップ30を備えている。イオントラップ30は例えば特許文献17に記載の湾曲型四重極乃至気体充填型RF多重極であり、イオントラップ30に捕獲されたイオンはその内部で気体と衝突して除熱される。これについては例えば英国特許出願第0506287.2号(出願人は本願出願人と同一;この参照を以てその内容を本願に繰り入れることとする)を参照されたい。
【0025】
イオントラップ30内に貯まったイオンはイオン選別装置、この例では静電トラップ40に向け断続的に(パルス的に)出射させる。出射を断続的に行うのはその時間長が短いイオンパケットを生成するためである。出射されたイオンパケットは静電トラップ40によって捕獲される。静電トラップ40内では、後に図3を参照して説明する通りそれらのイオンを多重反射させる。静電トラップ40は、反射させるたびに或いは何回かの反射を経た後に不要なイオンを偏向させることで、不要なイオンを断続的に出射させる。出射先は、例えばイオン検知器75であり、或いはフラグメント化セル50である。イオン検知器75は例えばイオンミラーの飛行時間合焦面、即ち飛行時間効果で合焦してイオンパケットの時間長が短くなる面の付近に配置する。いずれにせよ、不要イオンを出射させると静電トラップ40内には分析対象イオンだけが残る。その後も反射を継続させれば、似通ったm/z比を有するイオン同士を分離させることができ、従ってm/z比に関する選別窓をより狭めることができる。更にいえば、そのm/z比がある特定の値と異なるイオンをもれなく除去することもできる。
【0026】
この選別処理を経たイオンは静電トラップ40から送り出され、その外部にあるフラグメント化セル50に入射される。選別処理の最後まで静電トラップ40内に残ったイオン即ち分析対象イオンは、静電トラップ40から送り出される際に十分なエネルギを有しているのでフラグメント化セル50内でフラグメント化され、それによってフラグメントイオンが発生する。発生したフラグメントイオンはイオントラップ30によって捕獲及び貯留され、次のサイクルで次のMS段に係る処理に供される。以上の要領での処理を繰り返すことにより、MS/MS分析(二段MS)は勿論MSn分析も実行できる。
【0027】
図1に示したマススペクトロメータ10では、上述の動作と並行に又は上述の動作を行わないで、選別窓から外れて静電トラップ40から出射されたイオンを、そのフラグメント化が生じないようフラグメント化セル50例えばコリジョンセルに通すことができる。フラグメント化されないようにするには、イオンを減速させてそのエネルギを下げ、フラグメント化セル50内でのフラグメント化に足らないエネルギにすればよい。こうしてフラグメント化されずにフラグメント化セル50を通り抜けたイオンは後段にある補助イオン捕獲装置60に送り込まれ、例えばそのサイクルにおけるフラグメントイオンのMS分析が上述の如く完遂された後に開始される爾後のサイクルで、補助イオン捕獲装置60からイオントラップ30へと送り返される。即ち、先のサイクルにおける選別窓から外れたため静電トラップ40から排除・出射されフラグメント化されずに補助イオン捕獲装置60に送り込まれたイオンを、後のサイクルに舞台を移して分析することができる。
【0028】
補助イオン捕獲装置60は、更に、ある特定のm/z比を有するイオンの個数、とりわけその分析対象試料内に比較的少量しか含まれていないイオンを量的に蓄積させる処理にも、使用することができる。その際には、特定のm/z比を有する少数の注目イオンだけを通すよう静電トラップ40を稼働させると共に、フラグメント化セル50を上述の非フラグメント化モードで稼働させることで、その少数注目イオンを装置60内に貯め込ませる。同じ条件を保ちながら複数のサイクルを実行すると、その注目イオンと同じm/z比を有するイオンが静電トラップ40によって選別及び出射されるので、そのイオンを補助イオン捕獲装置60内に貯め込み量的に蓄積することができる。なお、例えば静電トラップ40から出射されるイオンのm/z比を数通りに切り換えつつ同様の動作を実行すれば、補助イオン捕獲装置60内に、そのm/z比が互いに異なる複数種類のイオンを貯めることもできる。
【0029】
また、従前のサイクルで不要とされたプレカーサ(前駆体)イオンや、注目イオンだが少量であるためまずはその個数を増やす必要があったプレカーサイオンも、勿論、引き続いてフラグメント化ひいてはMSn分析に供することができる。その場合、補助イオン捕獲装置60からその中身をイオントラップ30に直に送り返すのではなく、まずはフラグメント化セル50内に送り込むようにするとよい。そして、イオンに対する質量分析は様々な個所でまた様々な形態で行うことができる。例えば、後に図2を参照して詳示する通りイオントラップ30内に貯まったイオンを静電トラップ40内で質量分析してもよいし、その代わりに又はそれと共に、イオントラップ30に通ずるマスアナライザ70を別に設けてもよい。
【0030】
図2にマススペクトロメータ10の構成をより詳細に示す。まず、図示例ではそのイオン源20としてMALDI(matrix-assisted laser desorption ionization:マトリクス支援レーザ脱離イオン化法)イオン源を使用している。これは、パルスレーザ光源22からの輻射を利用しイオンを発生させるレーザ利用型断続イオン源の一種であるが、これ以外のイオン源、例えば大気圧エレクトロスプレイイオン源等の連続イオン源も遜色なく使用することができる。
【0031】
そのイオン源20とイオントラップ30の間にはプリトラップ24があり、イオン源20から供給されるイオンは一旦プリトラップ24によって捕獲された後レンズ装置26を介しイオントラップ30により捕獲される。図示例におけるプリトラップ24はセグメント分割兼気体充填型RF特化多重極、またイオントラップ30は気体充填型RF特化リニア四重極である。捕獲されたイオンは、RF電圧が停止された後直流電圧がロッドに印加されるまでの間、イオントラップ30内に貯め込まれる。この手法の詳細については特許文献17及び18(出願人は本願出願人と同一;この参照を以てその内容を本願に繰り入れることとする)に説明があるので参照されたい。ロッドに直流電圧を印加するとイオン光学系32内に電位勾配が発生し、イオントラップ30内のイオンがその電気勾配によって加速されイオン光学系32を通り抜けていく。イオン光学系32には例えばグリッド状の電荷検知用電極34が組み込まれているので、その電極34による検知結果からイオン個数を推定することができる。イオン個数が過剰であるとそれによる質量シフトを補償しきれなくなるので、電極34を利用したイオン個数推定の結果が所定の限界値を上回ったときには、全てのイオンを一旦廃棄しプリトラップ24内へのイオンの貯め込みからやり直すのが望ましい。その際には、パルスレーザ光源22にて発生させるパルスの個数を相応に抑える、プリトラップ24における蓄積期間を相応に短縮する等の処置を執って、イオン個数過剰の再発を防ぐ。なお、イオン捕獲個数制御手法としては他の手法、例えば特許文献19に記載の手法を使用してもよい。
【0032】
イオン光学系32にて加速されたイオンは、そのm/z比毎に合焦してその時間長が10〜100nsと短いイオンパケットになり、質量によるイオン選別装置に入射される。ここでは静電トラップ40をイオン選別装置として使用しているが、後述の通り他種イオン選別装置も使用できる。静電トラップ40を使用するにしても、その具体的構成形態には様々な選択肢、例えば開放型と閉鎖型、イオンミラーや電気セクタの個数、軌道運動(orbiting:オービティング)の有無等といった様々な選択肢がある。図3に示したのは、目下のところイオン選別装置として好適に使用できその構成が簡素な静電トラップ40の例である。この静電トラップ40においては、各2個の静電ミラー42,44及び変調器46,48によって循環経路が形成されている。静電トラップ40に入射したイオンはこの循環経路に沿って飛行し、随時偏向されてその経路上からはじき出される。イオンを循環させる静電ミラー42,44は円環型でも平行平板型でもよいが、印加電圧一定時にできるだけ精度よく且つ安定に動作するものの方が、静電トラップ40を安定に動作させ精度よく質量選別させるのに適している。例えば、この例ではそれぞれパルス電圧又は固定電圧を印加できる小さな間隙で変調器46,48を実現し、そのフリンジ場を例えばその両側に設けたガード電極で制御している。変調器46,48として使用する際、それらの開口には一定値又はパルス状の電圧を印加する。パルス電圧を使用するなら、例えば対ピーク10%〜90%期間で表した立ち上がり時間及び立ち下がり時間が10〜100ns未満で、その振幅が最高数百Vの電圧がよい。プレカーサイオンを高分解能で選別するためである。また、各変調器46,48は対応する静電ミラー42,44の飛行時間合焦面内に設けるので、変調器46,48の位置が静電トラップ40の中心から外れることもある。イオンの検知は例えば映像電流検知によって行う。映像電流検知は周知であるので詳細説明を省略する。
【0033】
静電トラップ40内で相応なパルス電圧を印加しながらイオンを十分な回数反射させると、ある狭い域内のm/z比を有する注目イオンだけが静電トラップ40内に残る。この段階でプレカーサイオンの選別がひとまず終了する。次いで、静電トラップ30内に残ったイオンを偏向させ、入射時の経路経路とは異なる経路を辿って図2中のフラグメント化セル50或いはイオン検知器75へと出射させる。静電トラップ40からフラグメント化セル50に至るイオン出射経路上には、後に図9〜図13を参照してより詳細に説明するように出射方向を左右するイオン減速装置(減速レンズ)80がある。最終的なフラグメント化セル50内衝突エネルギは、フラグメント化セル50のバイアスに使用する直流電圧(オフセット電圧)を適宜調整することにより調整する。フラグメント化セル50はセグメント分割型RF特化多重極であり、個々のセグメントに沿って軸方向直流場が発生するよう構成されている。フラグメント化セル50内の気体密度が後述の好適値であり、且つそのエネルギが例えば30〜50V/kDaの範囲内であれば、フラグメント化セル50によって捕獲されたイオンはフラグメント化し、それによって生じたフラグメントイオンはフラグメント化セル50内を通りイオントラップ30に還流する。なお、フラグメント化セル50で採りうるフラグメント化の仕組みには、ここで述べたCID(collision-induced dissociation:衝突誘起解離)の他に、ETD(electron transfer dissociation:電子移動解離)、ECD(electron capture dissociation:電子捕獲解離)、SID(surface-induced dissociation:表面誘起解離)、PID(photo-induced dissociation:光解離)等がある。これらの仕組みを適宜併用してもよい。
【0034】
イオントラップ30に還流し捕獲されたイオンは、そのイオントラップ30から再び出射させることができる。MSn分析を実行したいなら静電トラップ40に送り込んで次のMS段に供すればよいし、更なる質量分析を実行したいなら静電トラップ40かマスアナライザ70に送り込めばよい。マスアナライザ70としてはTOF型マススペクトロメータ、RFイオントラップ、FT ICR等の装置も使用できるが、図2に示した例ではOrbitrap(商標)型マススペクトロメータが使用されている。このマスアナライザ70には空間電荷を制御乃至制限するためのAGC(automatic gain control:自動利得制御)機能があり、図示例の場合、この機能はその入口にあるエレクトロメータグリッド90によって実現されている。
【0035】
他方、静電トラップ40からの別のイオン出射経路上にはイオン検知器75が設けられている。このイオン検知器75は様々な用途に使用することができる。例えば、プリスキャン時におけるイオン個数検出精密制御、即ちAGCに役立てることができる。その際にはイオントラップ30から出射されたイオンを直ちにイオン検知器75に入射させる。また、注目質量窓外のイオン、即ちイオン源20からもたらされるイオンのうち少なくともその質量分析サイクルでは不要なイオンを、イオン検知器75で検知することができる。或いは、上述の静電トラップ40内多重反射で選別されたイオンの質量をイオン検知器75にて高分解能で検知することもできる。そして、タンパク質、ポリマ、DNA等のような帯電量=1の高分子を1個ずつ流して分析するとき、その高分子をイオン検知器75によって検知して加速後処理に役立てることもできる。こうしたイオン検知器75として使用できる装置としては、例えば電子増倍管やマイクロチャネル/マイクロスフィアプレートのようにイオン1個といった弱い信号を検知しうるものの他、イオンコレクタとして動作し非常に強い信号(例えばピークで104個超のイオン)を検知するものもある。更に、イオン検知器75を複数個設けてもよい。以前に実施した捕獲サイクル等でスペクトラム情報が得られている場合は、その情報に従い変調器46,48でイオンパケットを振り分け、そのスペクトラムに適したイオン検知器75に入射させることができる。
【0036】
図4に、図2に示した構成によく似ているが幾つかの点で相違する別の構成を示す。図中、図2に示した構成と共通する構成部材には同様の参照符号を付してある。イオン源20から供給されるイオンは図示例でもやはりプリトラップによって捕捉されるが、その役割を担っているのは補助イオン捕獲装置60である。そのプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流には湾曲型イオントラップ30更にはフラグメント化セル50があるが、フラグメント化セル50の位置は図2と違っている。即ち、図示例ではイオントラップ30・補助イオン捕獲装置60間、イオントラップ30から見てイオン源20側にフラグメント化セル50がある。図2と違いイオントラップ30・静電トラップ40間にフラグメント化セル50があるのではない。
【0037】
稼働時には、イオントラップ30内に貯め込まれたイオンをそこから直交方向に出射させ、イオン光学系32を介しその下流の変調偏向器100に送り込んで偏向させることによって、静電トラップ40内に送り込む。次いで、静電トラップ40内でそのイオンを軸沿いに往復反射させ、然るべく選別した上で出射し、イオン案内部材を介してイオントラップ30に送り込む。イオン案内部材としては例えばトロイダルキャパシタ、円筒キャパシタ等の電気セクタ110を使用し、またその電気セクタ110とイオントラップ30に至る還流路との間に配置されたレンズ式のイオン減速装置80を使用する。イオン減速装置80では前述の通り断続的に(パルス的に)減速場を発生させる。イオントラップ30内は低圧であるので、還流してきたイオンはイオントラップ30を通り抜けてフラグメント化セル50に飛び込みフラグメント化される。フラグメント化セル50はイオントラップ30と補助イオン捕獲装置60の間、即ちイオントラップ30から見てイオン源20側にある。生じたフラグメントイオンはイオントラップ30によって捕獲される。また、図2に示した構成と同様に、Orbitrap(商標)型のマスアナライザ70を使用することで、MSn分析の任意の段にてイオントラップ30から出射されるイオンを精密に質量分析することができる。また、そのマスアナライザ70はイオントラップ30の下流にあり、イオントラップ30から見て静電トラップ40と並列になっている。従って、静電トラップ40から出射されるイオンを偏向器120により相応に偏向させることで、イオンを“ゲーティング”して変調偏向器100かマスアナライザ70に選択的に入射させることができる。
【0038】
同図に現れている部材としては、他に、装置を構成する部材間をつなぐRF特化多重極移送路があるが、詳述するまでもなく本件技術分野にて習熟を積まれた方々(いわゆる当業者)にはご理解頂けよう。更に、イオントラップ30とフラグメント化セル50の間にもイオン減速装置80を配置できる(後掲の図9〜図13を参照)。
【0039】
図5に更に別の構成を示す。図中、図2又は図4に示した構成部材と同様の構成部材には同様の参照符号を付してある。この図の構成では、図2に示した構成と同じく、イオン源20にて発生させたイオンを、プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60によって捕獲させ(或いはその装置60を迂回させ)た後イオントラップ30により捕獲、貯留させている。また、図4に示した構成と同じく、イオントラップ30内のイオンをそこから直交方向に出射させ、イオン光学系32を介し変調偏向器100に送って偏向させ、静電トラップ40内に送ってその軸沿いに飛行させている。ただ、図4の構成ではイオントラップ30から見てイオン源20側にフラグメント化セル50があったが、この図の構成ではそれとは異なる場所にフラグメント化セル50が設けられている。即ち、図示例では、変調偏向器100に入射したイオンや静電トラップ40内で選別されたイオンを変調偏向器100によって偏向させ、電気セクタ110及びイオン減速装置80を介してフラグメント化セル50に送り込むことができる。フラグメント化セル50から出射されたイオンは湾曲型の多重極移送路130及びその後段にあるリニア型のRF特化多重極移送路140を通りイオントラップ30内に還流する。また、Orbitrap(商標)型マスアナライザ70が設けられているので、MSn分析のどの段でも、そのマスアナライザ70を使用して精密に質量を分析することができる。
【0040】
図6に更に他の構成を示す。この図の構成は図2に示した構成と基本的に同一の着想によるものであるが、図3に示した閉鎖型静電トラップではなく前掲の各種文献に記載の開放型静電トラップを静電トラップ40’として使用する点で異なっている。図示例のマススペクトロメータでは、具体的には、イオン源20で発生させたイオンを、プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60(及び符号を省略したイオン光学系)を介しその下流にある別のイオン捕獲装置、即ち湾曲型のイオントラップ30に送り込んでいる。イオンはこのイオントラップ30から直交方向に出射され、イオン光学系32を介し静電トラップ40’に送られ、静電トラップ40’内で多重反射される。そのイオンは、更に、静電トラップ40’の出口方向に向けられた変調偏向器100’によって偏向され、検知器150又はフラグメント化セル50に送られる。フラグメント化セル50に向かうイオンはその途中で電気セクタ110及びイオン減速装置80を通過する。フラグメント化セル50に達したイオンはもう一度イオントラップ30に入射されるが、その際に通る入射開口は、静電トラップ40’に向かうイオンが通る出射開口とは別のものである。なお、同図の構成に付随するその他のイオン光学系については図の簡明化のため図示を省略してある。また、図中の静電トラップ40’は、特許文献11等に倣い平行ミラーにしてもよいし、特許文献12等に倣い長尺電気セクタにしてもよい。静電トラップ内のイオン光学系やイオン飛行経路形状をより複雑なものにしてもよい。
【0041】
図7に、本発明の更に他の実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す。図4に示した構成と同じくこのマススペクトロメータでも、イオン源20から供給されるイオンがプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60によって捕獲され、更にその下流にある(例えば湾曲型の)イオントラップ30によって捕獲される。プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流には更にフラグメント化セル50もある。フラグメント化セル50の位置はイオントラップ30から見てどちら側でもよいが、図示例ではイオントラップ30から見てイオン源20側に配置されている。前掲の実施形態と同様、イオントラップ30とフラグメント化セル50の間にはイオン減速装置80を設けるのが望ましい。
【0042】
稼働時には、イオンは入射開口28を介しイオントラップ30に入射され、その内部で蓄積された後に入射開口28とは別の出射開口29を介し直交方向に出射され、静電トラップ40に送り込まれる。図示例における出射開口29はスロット状、即ち出射方向に対しほぼ直交する方向に沿い細長く延びる形状である。イオントラップ30からイオンを出射させる際には、こうした細長い開口29の一部分(図示例では左端寄り部分)からイオンが出ていくよう、イオントラップ30内でのイオンの位置を制御する。イオントラップ30内イオン位置の制御は様々な手法で実行することができる。例えばイオントラップ30の端部にある図示しない電極群への印加電圧を制御すればよい。イオンの出射元は例えばイオントラップ30の中央近辺とする。出射していくイオンは例えばコンパクトな円筒状分布を呈するが、系内で拡散や収差が生じるので、イオントラップ30に戻ってくるイオンの分布は(円筒状を保ちつつも)より長く且つより広角に亘る分布になる。その出射開口29の下流にはやや変形されたイオン光学系32’が配されており、イオンはその下流にある変調偏向器100”’によって静電トラップ40に送り込まれる。イオンは変調偏向器100”の動作で静電トラップ40の軸に沿って反復運動する。また、イオントラップ30から静電トラップ40へとイオンを送り込むのでなく、イオン光学系32’の下流に位置する偏向器100”’によってイオンを偏向させ、Orbitrap(商標)型マスアナライザ70にイオンを送り込むこともできる。
【0043】
なお、図示例のイオントラップ30は、イオン減速装置としてもまたイオン選別装置としても機能させることができる。静電トラップ40から戻ってきた注目イオンをイオントラップ30内に捕獲するときには、イオンが入ってきたら間髪おかずに、イオントラップ30内直流場(イオン取出用の電場)をオフ、RF場(イオン捕獲・貯留用の電場)をオンさせればよい。静電トラップ40からイオンを出射させる際及び静電トラップ40内にイオンを受け入れるには、静電トラップ40内のミラーのうちレンズ寄りのもの(図3参照)への印加電圧を断続的に(パルス的に)オフさせればよい。捕獲した注目イオンを加速しイオントラップ30のいずれかの側にあるフラグメント化セル50に送ると、そのフラグメント化セル50内でフラグメントイオンが発生しそのフラグメント化セル50内に捕獲されるが、そのフラグメントイオンは再びイオントラップ30に戻すことができる。
【0044】
また、細長いスロット状の開口29の一端寄りからイオンを出射しているので、戻ってくるイオンは開口29の他端寄りにて捕獲される。そのため、図示例では、イオントラップ30から出射されたイオンが辿る経路と、イオントラップ30によって再捕獲されるイオンが辿る経路とが、互いに平行になっていない。即ち、図4或いは図5に示した構成と同じく静電トラップ40の長軸に対し傾いた方向から、静電トラップ40内にイオンが入射されている。こうした入射は、図示例の構成、即ちスロット状の出射開口29を1個設けその一端寄り部分を静電トラップ40へのイオン出射にまた他端寄り部分を静電トラップ40からのイオン返戻受入にそれぞれ使用する構成でなくても行える。例えば、開口29を複数個のイオン移送開口に分けて設け、並んでいる開口のうち1個をイオントラップ30からのイオン出射に、他の1個をイオントラップ30へのイオン入射に、それぞれ用いるようにしてもよい。この場合、各開口をイオン入出射方向直交方向沿いに長い形状にする必要もない。更に、開口29を分割しイオン入出射方向に略直交する方向に沿い複数個の移送開口を間隔配設する代わりに、図8に示すように湾曲型イオントラップ30自体を複数セグメントに分割してもよい。
【0045】
図8に示すマススペクトロメータは図7に示したものとよく似た構成であり、イオン源20にて発生したイオンがプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60に入射されている。そのプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流にはイオントラップ30’(後述)及びフラグメント化セル50がある。図7の構成と同様、フラグメント化セル50はイオントラップ30’から見ていずれの側にも設けうるが、ここではイオントラップ30’から見てイオン源20側に設けてある。そのイオントラップ30’とフラグメント化セル50の間には(オプションの)イオン減速装置80がある。また、イオントラップ30の下流には変調偏向器100”’があり、イオンはこの変調偏向器100”’により静電トラップ40内に送り込まれる。送り込む方向は静電トラップ40の軸に対し傾いている。静電トラップ40内のイオンはその静電トラップ40の軸に沿って反復運動する。静電トラップ40内の変調偏向器100”によってイオンを偏向させれば、イオンを静電トラップ40からイオントラップ30’へと送り戻すことができる。イオントラップ30から静電トラップ40へとイオンを戻さずOrbitrap(商標)等のマスアナライザ70に送り込むことも、変調偏向器100”’があるので可能である。
【0046】
図示例におけるイオントラップ30’は3個のセグメント36〜38を連ねた湾曲型のイオントラップである。そのうち第1,第3のセグメント36,38はそれぞれイオン移送開口を有している。セグメント36上にある第1のイオン送出開口は静電トラップ40への出射用、セグメント38上にある第2のイオン送出開口は静電トラップ40からの入射用であって、空間的には互いに離れた位置にある。入出射の際には、複数個のセグメント36〜38に分かれていても単一のイオン捕獲装置として機能するよう、イオントラップ30’を構成する各セグメント36〜38に互いに同一のRF電圧を印加する。同時に、イオンの分布がイオントラップ30’の曲がった軸に沿って非対称になるよう、それらのセグメント36〜38に互いに異なる直流電圧(オフセット電圧)を印加する。稼働時には、まずイオントラップ30’内にイオンを貯めた上で、各セグメント36〜38に相応の直流電圧を印加することによってセグメント36経由でイオンをイオントラップ30’から出射させ、静電トラップ40内にその軸に対して傾いた方向から入射させる。戻ってくるイオンはセグメント38上の開口を介してイオントラップ30’内に受け入れる。
【0047】
静電トラップ40から射出されたイオンを再捕獲したとき、第1,第2のセグメント36,37の方が第3のセグメント38より低い直流電位(オフセット電圧)に保たれていれば、そのイオンはイオントラップ30の曲がった軸に沿って(例えば30〜50eV/kDaのエネルギで)加速されてフラグメント化する。即ち、イオントラップ30’はイオントラップとしてもフラグメント化装置としても機能する。フラグメント化後、第2,第3のセグメント37,38に対し第1のセグメント36へのそれより高い直流電圧を印加すると、それらフラグメントイオンはセグメント36内に集まり除熱される。
【0048】
こうしたフラグメント化を好適に実行するには、フラグメント化装置に入射させるイオンのエネルギばらつきが十分小さいこと、例えばイオン同士のエネルギ差が約10〜20eVの範囲以内に収まっていることが必要である。これは、入射してくるイオンのエネルギが高すぎると低質量のフラグメントイオンしか発生せず、逆に低すぎるとフラグメント化自体が生じにくくなるためである。しかるに、従来のマススペクトロメータでは、また図1〜図7に示した実施形態でも、(次に述べるエネルギ補償なしでは)フラグメント化セルに入射するイオンのエネルギが上述の狭い許容域を超えてばらついてしまう。図1〜図7に示した実施形態でいえば、イオントラップ30内又は30’でのイオンの空間的拡がり、静電トラップ40内空間電荷効果(多重反射中のクーロン展開等)、系内収差の累積作用等の原因により、イオントラップ30又は30’内で大きなイオンエネルギばらつきが発生する可能性がある。本発明の各実施形態でエネルギ補償(エネルギばらつき抑圧処理)を行っているのはそのためである。図9〜図11に、エネルギ補償に使用するイオン減速装置80の構成例を模式的に但し具体的に示す。また、図12及び図13は、イオン減速装置80の動作パラメタを様々に変えて、イオン減速装置80によるエネルギばらつきの低減度合いと、イオンの空間的拡がり度合いとを調べた結果である。
【0049】
これらの実施形態に係るイオン減速装置80では、エネルギ補償を十分に行えるよう、イオンのエネルギ別分散度(energy dispersion)を高めている。即ち、イオンエネルギ別の仮想的なイオンビーム(仮想単エネルギイオンビーム)の差し渡しに比べ、単エネルギイオンビーム間の距離の方が前掲の所望エネルギ差(10〜20eV)以上大きくなるよう、イオンをエネルギ別に分離させている。イオンのエネルギ別分散度をある程度高めるだけなら、フラグメント化セル50とその上流に位置する部材(イオントラップ30や静電トラップ40)の物理的な間隔を十分大きくとり、イオンを飛行時間でエネルギ分散させればよい。ただ、そうした構成では、マススペクトロメータ全体が大型化し、ポンピング能力の増強も必須になる等の不都合が発生する。これを避けるには、エネルギ分散度調整部材をマススペクトロメータ内に付加すればよい。即ち、フラグメント化セル50・上流部材間距離を抑えつつイオンのエネルギ別分散度を高める部材を組み込めばよい。図9に大胆に模式化して示したのは、図2〜図7中のイオン減速装置80に組み込みうるエネルギ分散度調整部材の一例であるところのイオンミラーアセンブリ200の構成である。このイオンミラーアセンブリ200は一群の電極210及びそれを終端する平坦なミラー電極220から構成されており、静電トラップ40等から出射されこのイオンミラーアセンブリ200に入ってきたイオンは電極220によって反射されフラグメント化セル50等に送られる。従って、このイオンミラーアセンブリ200への入射によってイオンのエネルギ別分散度を高めることができる。なお、イオンのエネルギ別分散度の高め方には後述の通り図11に示すものもある。
【0050】
図9に示したイオンミラーアセンブリ200等でイオンのエネルギ別分散度を高めたら、次いでイオンを減速させる。イオンを減速させるには、あらまし、図10に示した減速電極アセンブリ250に直流電圧(オフセット電圧)を断続的に印加すればよい。図示の通り、減速電極アセンブリ250は入口電極260、出口電極270、それらの間に位置する接地電極280等、複数個の電極から構成されており、また差圧ポンピング部材につながっている。減速電極アセンブリ250の上流側につながるのはその内圧が低いイオンミラーアセンブリ200、下流側につながるのはその内圧が高いフラグメント化セル50等であるが、こうした電極配置を利用しまた減速電極アセンブリ250内がその中間の圧力になるよう差圧ポンピングすることによって、イオンミラーアセンブリ200・フラグメント化セル50間の圧力差を緩衝することができる。例えば、イオンミラーアセンブリ200の内圧が約10-8mbar、フラグメント化セル50の内圧が例えば10-3〜10-2mbarの範囲内なら、下限値たる約10-5mbarから約10-4mbarへと上昇する勾配がその内圧に生じるよう減速電極アセンブリ250内を差圧ポンピングすればよい。ポンピングは、減速電極アセンブリ250の出口とフラグメント化セル50の間に別途設けるRF特化多重極例えばRF八重極によっても行えるが、これについては後に図11を参照して説明する。
【0051】
イオンを減速させる際には、レンズたる電極260、270又はその双方への印加直流電圧をスイッチングさせればよい。そのタイミングは注目イオンがどのようなm/z比のイオンかによって変わる。即ち、減速用電場(減速場)中に進入してきたイオンのうち比較的高エネルギのものは奥深くまで進み、それに追い越される比較的低エネルギのものは割合に浅くしか進まないので、注目しているm/z比のイオンが全て減速場中に入った後にその減速場を停止させることで、初期的に比較的高エネルギであったイオンからは比較的大きくまた比較的低エネルギであったイオンからは比較的小さく対地ポテンシャルを奪い、両者のエネルギをほぼ等しくすることができる。従って、イオン選別装置から出射されるときのエネルギばらつきにそのポテンシャル低下(減速幅)を合わせることで、エネルギばらつきを大きく抑えることができる。
【0052】
ご理解頂けるように、この手法で一度に且つ最善にエネルギ補償できるイオンのm/z比域は限られており、広大なm/z比域のイオンを同時にエネルギ補償することはできない。これは、減速幅にぴったり合ったエネルギばらつきを呈するのが、有限個数のレンズからなる減速装置の許では、その減速幅を決める元になったエネルギばらつきを有するm/z比域のイオンに限られるからである。勿論、注目m/z比と大きく異なるm/z比を有するイオンに対しても、スイッチングで減速レンズ外に出されるのでなければ、減速作用が働きそのエネルギばらつきが抑圧されるが、その減速幅がそのイオンの入射当初のエネルギばらつきからずれているので効果は理想的でない。即ち、高エネルギイオンと低エネルギイオンとで、減速幅及び進入距離が厳密には揃わない。とはいえ、いわゆる当業者には直ちにご理解頂けるように、そのm/z比が大きく異なる複数通りのイオンをイオン減速装置80に同時に入れられないわけではない。入れてもよいが、そのm/z比が注目m/z比域からずれているイオンは最善のエネルギばらつき抑圧作用を受けられず、フラグメント化セル50において最適に処理できる状態から若干ずれるだけのことである。従って、イオン減速装置80の上流でイオンをフィルタリングし、現MS段の現サイクルで処理すべきある特定のm/z比のイオンだけを通すようにしてもよいし、或いは、イオン減速装置80を通したイオンをイオン減速装置80の下流でマスフィルタに通すようにしてもよい。更には、そのm/z比が注目m/z比から外れていて十分にエネルギばらつきが抑圧されていないイオンを廃棄するように、フラグメント化セル50を構成することもできる。
【0053】
図11にイオン減速装置80の別例構成を示す。図示の構成では、静電トラップ40(図中一部分のみ)内の静電ミラー42,44(図3)のうち一方への印加直流電圧を断続させることによって、イオンをデフォーカス(離焦)させることができる。そのタイミングは、静電ミラー42,44のうち一方の近傍に注目m/z比のイオンがいるときとする。静電トラップ40の動作原理上、注目m/z比のイオンが静電ミラー42,44に到達するタイミングがわかるので、印加直流電圧及びその断続タイミングを適宜定めて、そのミラー(42,44のうち一方)でイオンを(フォーカスではなく)デフォーカスさせることができる。デフォーカスさせたイオンは、変調偏向器100、100’又は100”にて適当な偏向場を印加することで、静電トラップ40から減速電極アセンブリ300へと出射させる。また、図10を参照して上述した減速電極アセンブリ250と同じく、減速電極アセンブリ300でも、その内部で発生させる電場によるポテンシャル低下幅を、減速電極アセンブリ300への入射当初のイオンエネルギばらつきに合わせることで、そのイオンを好適に減速させる。減速させたイオンは、終端電極310及び出射開口320を介して減速電極アセンブリ300の外に送り出し、RF特化八重極330に入射させる。RF特化八重極330は前述したポンピングのための装置である。
【0054】
図12及び図13に、あるm/z比を有するイオンのエネルギばらつき及び空間的拡がり(同順)と、イオン減速電極に印加される直流電圧(オフセット電圧)のスイッチング時間との関係を示す。図12から読み取れるように、エネルギばらつき抑圧度は実施形態次第で20倍にも高めることができ、そうした実施形態ではイオンビームのエネルギばらつきを例えば±50eVから±2.4eVに狭めることができる。また、ここで想定しているイオン減速装置80では、スイッチング時間を長くするとイオンビームの差し渡し(空間スポットサイズ)が小さくなりエネルギばらつきが大きくなる。これは、エネルギばらつき以外のビーム特性も考慮すべきであることを示している。エネルギばらつきが最適になるよう減速幅を設定すると出射ビームの空間的拡がりが常に増すわけではない。
【0055】
更に、減速レンズの構成やビームエネルギ別イオン分散手法に多少違いがあってもエネルギばらつき抑圧の効果は発生するので、いわゆる当業者にはご理解頂ける通り本発明の手法には様々な潜在的利点があるといえる。なかでも重要なのはフラグメントイオン産生量の増大及びフラグメント化可能イオン種の多様化である。例えば、あるビームにおけるイオンのエネルギばらつきが±50eVに及んでいるとする。このエネルギばらつきは親イオンを効率的にフラグメント化できるエネルギ差、即ち前述の10〜20eVのエネルギ差を大きく逸脱している。この範囲から高エネルギ側に逸脱している親イオンはフラグメント化で低質量のフラグメントイオンになるのでその親イオンの種別識別が難しく、低エネルギ側に逸脱している親イオンはほとんどフラグメント化しない。従って、±50eVに及ぶエネルギばらつきを有する親イオンをエネルギ補償せずにフラグメント化セルに送り込んだとしても、大量の低質量フラグメントイオンが発生するか(ビーム全体がそのセル内に入れた場合)、或いは(例えばポテンシャル障壁を越えた)20eV未満のエネルギのイオンしか入ることができず大半のイオンが損失されることとなり、処理効率がかなり低くなってしまう。どの程度低くなるかはビーム内イオンのエネルギ分布にもよるが、イオンエネルギ不適合でビームの90%程も損失又はフラグメント化不能になる可能性がある。イオン減速装置80を使用することによりこうした不効率さを回避できる。
【0056】
また、上述した構成では、現MS段で処理しないイオンにフラグメント化セル50内を素通りさせたい(或いは貯め込みたい)場合、そのイオンがフラグメント化セル50内でフラグメント化されないようにすることができる。また、フラグメント化を好適に制御できるので、MS/MS分析やMSn分析をより好適に実行することができる。
【0057】
更に、上述したイオン減速装置80は他のイオン処理装置との関連でも有用である。即ち、このイオン減速装置80を用い入射イオンのエネルギばらつきを抑えることで、ある限られたエネルギ範囲内のイオンしかうまく処理できない種々のイオン光学系を有効活用することが可能になる。これに該当するのは、エネルギばらつきが大きいと色収差でデフォーカスが生じる静電レンズ、イオンのエネルギによってRF場周期数(装置内の有限長経路に沿って飛行する間にイオンがRF場に曝される周期数)が変化するRF多重極例えば四重極マスフィルタ、質量及びエネルギを共に散乱させる磁気光学系等がある。リフレクタによってエネルギ合焦させればある範囲内でビーム内イオンビームをエネルギ補償することができるが、その際には往々にして高次エネルギ収差が発生する。これに対し、イオン減速装置80によってイオンのエネルギばらつきを抑圧した場合は、そうした収差によるデフォーカス効果を抑えることができる。なお、いわゆる当業者ならばやはりご理解頂ける通り、これらの用法は上記手法の用法の例に過ぎない。
【0058】
また、図2及び図4〜図8に示した構成では、総じて、図中の気体入りユニットを効率的に稼働させるのにそのユニットにおける衝突条件をそれ相応に設定する必要がある。各ユニットにおける衝突条件は、そのユニット内の衝突気体による内圧Pと、その衝突気体中でイオンが辿る経路の長さD(通常はそのユニットの長さ)との積、即ち衝突気体厚P・Dによって表現することができる。衝突気体としては窒素、ヘリウム、アルゴン等を使用する。本発明を実施する際には、例えば次の条件が概ね成り立つようにする:
・プリトラップ24における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.05mm・torr<P・D<0.2mm・torrの範囲内;英国特許出願第0506287.2号(出願人は本願出願人)に記載の通りプリトラップ24内にイオンを複数回通してもよい;
・イオントラップ30における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.02〜0.1mm・torrの範囲内;同じく複数回通過型も可;
・(CIDによる)フラグメント化セル50における衝突気体厚P・D … 好ましくはP・D>0.5mm・torr、より好ましくはP・D>1mm・torr;
・各種補助イオン捕獲装置60における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.02〜0.2mm・torrの範囲内;対するに静電トラップ40は例えば10-8torr未満の高真空に保つのがよい。
【0059】
更に、図2に示した構成での典型的な分析時間は次の通りである:
・プリトラップ24内への貯め込み … 通常は1〜100ms;
・湾曲型イオントラップ30への移送 … 通常は3〜10ms;
・静電トラップ40内での分析 … 通常は1〜10ms(質量選別分解能を10000超にする場合);
・フラグメント化セル50におけるフラグメント化(湾曲型イオントラップ30へのイオン返戻後) … 通常は5〜20ms;
・フラグメント化セル50を介した補助イオン捕獲装置60へ移送(フラグメント化なしの場合) … 通常は5〜10ms;
・Orbitrap(商標)型マスアナライザ70における分析 … 通常は50〜2000ms。
【0060】
そして、イオン流を断続制御するためのパルスの時間長は、例えばそのイオンのm/z比が均一の場合、1msを大きく下回る時間長にすることができる。例えばそのイオンのm/z比が約400〜2000なら、パルス長を10μs未満にすること、更には0.5μs未満にすることもできる。また、条件やm/z比は違うが、各パルスに対応するイオンパルスの空間的拡がりは、10mを大きく下回る長さにすることができる。例えば50mm未満にすること、更には、5〜10mm未満にすることができる。Orbitrap(商標)型アナライザや多重反射飛行時間アナライザを使用する場合は、特に、これを5〜10mm未満にするのが望ましい。
【0061】
以上、本発明の具体的な実施形態について説明したが、いわゆる当業者であれば、上記以外にも様々な実施形態があり得、それらも本発明に包含されることを、疑いなくご理解頂けよう。
【図面の簡単な説明】
【0062】
【図1】本発明を適用可能なマススペクトロメータのあらましを示すブロック図である。
【図2】本発明の第1実施形態に係り互いに別体の静電トラップ及びフラグメント化セルを有するマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図3】図2に示したマススペクトロメータで好適に使用可能な静電トラップの一例構成を模式的に示す図である。
【図4】本発明の第2実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図5】本発明の第3実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図6】本発明の第4実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図7】本発明の第5実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図8】本発明の第6実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図9】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギ分散度を高めるイオンミラーアセンブリを示す図である。
【図10】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギばらつきを抑えるイオン減速装置の一例構成を示す図である。
【図11】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギばらつきを抑えるイオン減速装置の別例構成を示す図である。
【図12】図10及び図11に示したイオン減速装置におけるイオンのエネルギばらつきと、そのイオン減速装置に対する印加電圧のスイッチング時間との関係を、プロットした図である。
【図13】図10及び図11に示したイオン減速装置におけるイオンの空間的拡がりと、そのイオン減速装置に対する印加電圧のスイッチング時間との関係を、プロットした図である。
【技術分野】
【0001】
本発明は、マススペクトロメータ(質量分析計)及びマススペクトロメトリ(MS:質量分析)方法に関し、特にMSn分析の実施に適したマススペクトロメータ及びMS方法に関する。
【背景技術】
【0002】
タンデムマススペクトロメトリ(tandem mass spectrometry:多段MS)は試料の構造解明やトレース分析を行える手法として周知である。この手法では、まず親イオンをマスアナライザ(質量分析器)やマスフィルタ(質量選別器)に通すことによって所望のm/z比(mass to charge ratio:質量対電荷比)を有するイオンを選別し、次いでそれらのイオンを例えばアルゴン等の気体に衝突させてフラグメント化し、そして得られたフラグメントイオンの質量分析、例えばそのマススペクトラムの分析を行う。
【0003】
多段MS即ちMSn分析を行える装置は既に幾つか提案及び市販されている。例えば三連四重極型マススペクトロメータや四重極/TOF(time-of-flight:飛行時間効果)ハイブリッド型マススペクトロメータである。そのうち三連四重極型マススペクトロメータでは、第1四重極Q1を前段マスアナライザとして稼働させ、イオンをこの四重極Q1でフィルタリング(質量選別)して指定m/z比域外のものを除去する。第2四重極Q2は通常は四重極型イオンガイドとしてしてコリジョンセル内に配置し、その中でイオンを気体と衝突させてフラグメント化(細断)する。第2四重極Q2の下流にある第3四重極Q3は、そうして発生させたフラグメントイオンを質量分析する。四重極/TOFハイブリッド型マススペクトロメータでは、第3四重極Q3ではなくTOF型マススペクトロメータを後段マスアナライザとして使用する。
【0004】
これらはコリジョンセルの前後にそれぞれマスアナライザを設けた装置であるが、特許文献1に何例か記載されている装置では、マスフィルタとマスアナライザを一体化した装置で双方向に質量選別及び質量分析が行われる。例えば、上流側からマスフィルタ兼マスアナライザにイオンを通し、そのイオンを下流のイオントラップで捕獲させ、そのイオントラップから遡行出射されるイオンを再びマスフィルタ兼マスアナライザに通して、その上流のイオン検知器で検知させる。また、この文献には、このマスフィルタ兼マスアナライザを用いフラグメント化手順を何回か実行してMS/MS(二段MS)分析を行う手法も記載されている。
【0005】
特許文献2(発明者:Verentchikov et al.)に記載の装置も同様の構成である。即ち、イオン源で発生させたイオンをTOF型マスアナライザに通し、そのマスアナライザで選別されたイオンをフラグメント化セルに送り、そのセルで生じたフラグメントイオンをマスアナライザに戻して検知させる構成である。この装置では、フラグメントイオンをマスアナライザに再帰入射することで、MSn分析を実施することができる。また、特許文献3(発明者:Reinhold)に記載の装置でも同様の手順でMSn分析を実施できるが、イオンの選別にはTOF型マスアナライザではなく高感度リニアトラップが使用される。特許文献4は、イオンを質量別分離用循環軌道に乗せて出射し検知器に送るイオントラップ(イオン捕獲器)に関する文献である。
【0006】
【特許文献1】英国特許出願公開第2400724号明細書
【特許文献2】国際公開第2004/001878号パンフレット
【特許文献3】米国特許出願公開第2004/0245455号明細書
【特許文献4】特開2001−143654号公報
【特許文献5】米国特許第3226543号明細書
【特許文献6】独国特許出願公開第04408489号明細書
【特許文献7】米国特許第5886346号明細書
【特許文献8】英国特許出願公開第2080021号明細書
【特許文献9】ソビエト連邦特許第1716922号明細書
【特許文献10】ソビエト連邦特許第1725289号明細書
【特許文献11】国際公開第2005/001878号パンフレット
【特許文献12】米国特許出願公開第2005/0103992号明細書
【特許文献13】米国特許第6300625号明細書
【特許文献14】米国特許第6872938号明細書
【特許文献15】米国特許第6013913号明細書
【特許文献16】国際公開第02/078046号パンフレット
【特許文献17】国際公開第2005/124821号パンフレット
【特許文献18】英国特許出願公開第2415541号明細書
【特許文献19】米国特許第5572022号明細書
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、こうした従来技術よりも優れたMSn分析装置及び方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
このような問題を解決するため、本発明の一実施形態に係るマススペクトロメータ検知限界改善方法は、(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、(d)指定されたm/z比のイオンを選別してイオン選別装置から出射させるステップと、(e)イオン選別装置から出射されるイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(f)ステップ(a)〜(e)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内に上記m/z比のイオンを蓄積させるステップと、(g)蓄積させたイオンを第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、を有する。
【0009】
このサイクルを所要回数繰り返すことで、いわゆるMSn分析(n段MS)を実施することができる。
【0010】
本方法では、イオン捕獲装置内に貯め(更に除熱させ)たイオンをその出射開口から別の場所に移送し、一部のイオンをそのイオン捕獲装置に送り返す、という動作を、繰り返し実行することができる。本方法は、このようなサイクル動作を実行するので、同一開口を介しイオン捕獲装置にイオンを出し入れする前掲の従来技術に比べ、幾つかの点で優れている。第1に、イオンを貯めてイオン選別装置に入射する動作を、本方法では1個(或いは少数)の装置で実行できる。イオン入射やイオン貯留に使用できる装置はこのところ質量分解能やダイナミックレンジが充実してきているが、反面で製造コストの上昇や制御の複雑化が進んでいるので、本手順を採ることによって製造コストや制御難度を従来技術に比しかなり抑えることができる。第2に、本方法では、例えば外付けのイオン選別装置にイオンを入射させる装置と当該装置から戻ってくるイオンを受け入れる装置が同一の装置即ち(第1)イオン捕獲装置であるので、マススペクトロメータの個数(MS段数)を抑えることができひいてはそれに依存するイオン移送効率が向上する。特に、外付けのイオン選別装置から出射されるイオンはイオン捕獲装置から出射したイオンとかなり異なる特性になることが多い。従って、外付けのフラグメント化装置から戻ってくるイオンをイオン捕獲装置で受け取るとき等に、それ専用のイオン入射開口(第1イオン移送開口)を介してイオンをイオン捕獲装置内に受け入れるようにすれば、イオン選別やフラグメント化を従来より好適に実施することが可能になる。それによって、イオン損失が減りひいては装置内イオン移送効率が高まる。
【0011】
本方法によれば、指定されたm/z比のイオンが試料中に少量しかない場合でも、当該少量のプレカーサ(precursor:前駆体)イオンを第2イオン捕獲装置内に貯め、十分な量になったら(イオン選別装置を介さず)第1イオン捕獲装置に返して捕獲させ、しかる後にMSn分析等に供することができる。即ち、マススペクトロメータの検知限界を改善する(より僅かな量のイオンでも検知可能にする)ことができる。なお、第1イオン捕獲装置から出ていくときにイオンが通る第1イオン移送開口と返ってくるときに通る第2イオン移送開口は別々の開口にするのが望ましいが、それは本方法の実施に際し必須の事柄ではなく、出射と入射を同一の開口で行うこともできる。また、少量のプレカーサイオンを第2イオン捕獲装置に送って量的に蓄積させている間に、イオン選別装置では他種プレカーサイオンの保持及び選別を継続させることができる。十分細かく選別が進行したら、そのプレカーサイオンをイオン選別装置から出射させてフラグメント化装置内でフラグメント化し、それによって発生するフラグメントイオンを第1イオン捕獲装置に送り込む。こうすることで、そのフラグメントイオンをMSn分析することができる。或いは、先のプレカーサイオンと同じく、第2イオン捕獲装置内に貯め込む動作で量的に蓄積し、そのフラグメントイオンについての装置の検知限界を乗り越えるようにしてもよい。
【0012】
本発明の他の実施形態に係るマススペクトロメータ検知限界改善方法は、(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、(d)イオン選別装置で分析対象イオンを選別して出射するステップと、(e)イオン選別装置から出射されるイオンをフラグメント化装置内でフラグメント化するステップと、(f)生じたフラグメントイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、(g)ステップ(a)〜(f)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内にフラグメントイオンを蓄積させるステップと、(h)フラグメントイオンをその蓄積後に第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、を有する。先の方法と同じくこの方法でも、第1イオン捕獲装置からのイオンの出射と第1イオン捕獲装置へのイオンの入射は、別々のイオン移送開口経由でも或いは同一のイオン移送開口経由でも行うことができる。また、第1イオン捕獲装置内のイオンをそれとは別体のマスアナライザ、例えば前掲の特許文献7に記載のOrbitrap(商標)等で質量分析してもよいし、そのイオン選別装置に返してそこで質量分析を行ってもよい。
【0013】
また、イオン源はイオン捕獲装置に試料イオン流を連続又は断続(pulse)供給する。フラグメント化装置をこのイオン源とイオン捕獲装置の間に設けることもできる。いずれの場合も、イオン源から出射されて間もない一群のイオンと、それまでに実行したMSサイクルで生成された一群のイオンとを分離(及び個別分析)して同時処理できるため、複雑なMSn分析を実施することができる。これは、装置稼働効率の向上や検知限界の改善につながる。
【0014】
イオン選別装置としては、どのようなものでも好適に使用できるが静電トラップにするのが有利且つ有益である。近年静電トラップ付きマススペクトロメータが市販されるようになっているが、それは、四重極マスアナライザ/フィルタに比べて質量分析精度がかなり高くppmレベルで質量分析できる、四重極直交加速型TOF型マススペクトロメータに比べて装置稼働効率が高く且つダイナミックレンジが広い、というように、静電トラップに長所があるためである。また、本願でいうところの静電トラップとは、実質的に静電場といいうる電場中で動いているイオンの移動方向を少なくとも一次元的に且つ複数回に亘り変化させるイオン光学系全般のことであり、閉鎖型と開放型とに分類される。閉鎖型静電トラップは、イオン移動方向を多重反射により反転させ有限体積空間内を往復させるタイプであり、このタイプではイオンの往路と帰路が互いに重なり合う。これを使用するマススペクトロメータとしては特許文献5〜7に記載のものが知られている。これに対し、開放型静電トラップは、ある軸に沿ってイオン移動方向を反転させつつ他の軸に沿ってイオン移動方向をずらしていくタイプであり、このタイプではイオンの往路と帰路にずれが発生する。このタイプの静電トラップとしては、例えば特許文献8〜11及び特許文献12の図2に記載のものが知られている。
【0015】
更に、静電トラップのうち特許文献11〜13に記載のもの等は、外部のイオン源からイオンの供給を受けてより下流にある外部の検知器に出射する仕組みを採っており、特許文献7に記載のOrbitrap(商標)等は、映像電流検知等の手法を用いその内部で即ちイオン出射なしでイオンを検知する仕組みを採っている。また、特許文献14及び15に記載の静電トラップ等なら、外部から入射してくるイオンを細かく質量選別することができる。その仕組みは、例えば静電トラップ内イオン振動に同調させて交流電圧を印加することによってプレカーサイオンを選別し、次いでイオンを衝突させる気体やパルス状レーザ光の導入によってその静電トラップ内でイオンのフラグメント化を引き起こし、そしてそれにより発生したフラグメントを検知するのに必要な励起動作を実行するというものである。特許文献14及び15に記載の構成では、励起動作として映像電流検知を実行する。
【0016】
ただ、静電トラップに難点が全くないわけではなく、イオン入射条件が厳しい等の難点があるのが普通である。第1に、特許文献16及び17(出願人は本願出願人)に記載の装置では、厳しい条件を満たすリニアトラップを用いて静電トラップへの入射を行うことによって、高度にコヒーレントなイオンパケットが静電トラップに入射するようにしている。それぞれ多数のイオンを含むのにその時間長が非常に短いイオンパケットを静電トラップのように高性能且つ高分解能な装置に入射するには、入射元装置からイオンをうまく引き出せる方向に沿ってイオンを引き込む必要があるが、その方向は、通常、入射先の装置でイオンを効率的に捕獲できる方向とは異なっている。第2に、高性能な静電トラップではイオン損失回避のため厳しい真空条件が求められる傾向があるのに対し、それにつながる他の装置(イオン捕獲装置やフラグメント化装置)は気体で満たされているのが普通である。即ち、取込中のイオンのフラグメント化を防ぐには、静電トラップ内気体厚(内圧とイオン飛行経路長の積)を例えば10-3〜10-2mm・torr未満の小さな値に保つ必要があるのに対して、静電トラップにつながる装置でイオンを効率よく捕獲するには、その装置内の気体厚を例えば0.2〜0.5mm・torr超の高い値にする必要があるからである。この例では、両者の間に最低でも5桁の内圧差が生じる。
【0017】
本方法で使用するイオン選別装置例えば静電トラップで入射開口と出射開口を別にするのが望ましいのは、静電トラップ内へのイオンの返戻入射を好適に行えるようにするのと同時に、静電トラップから例えばフラグメント化装置を経てイオン捕獲装置へと連続又は長期断続イオン流を戻す際、そのイオン捕獲装置の第2、第3等々のイオン移送開口を使用することでうまく戻せるようにするためである。また、イオン選別装置として機能する限りどのような形態の静電トラップでも使用できるが、その電極によって合焦(フォーカス)されるためイオンビーム断面積が絞られるタイプの静電トラップ、即ちビームが狭窄する分イオンの出射効率が高いものの方が望ましい。開放型でも閉鎖型でもよい。そのm/z比が異なるイオン間の距離は静電トラップ内での反射の繰り返しにつれて徐々に拡がっていくので、入射イオンにおけるm/z比のばらつきよりも出射イオンにおけるそれの方が小さくなるようにすること、例えばある特定のm/z比を有する注目イオンだけを出射させることができる。また、イオン選別は、例えば、イオンミラーの飛行時間合焦面内等に配置された専用電極に電気的パルスを印加し不要イオンを反らす(偏向させる)ことで、行うことができる。閉鎖型静電トラップの場合は、イオン選別の進行につれm/z比のばらつきが減っていくよう偏向パルスの頻度を設定するとよい。
【0018】
また、フラグメント化装置は二種類のモードで稼働させることができる。第1のモードはプレカーサイオンをそのフラグメント化装置内で通常通りにフラグメント化するモードであり、第2のモードはそのフラグメント化装置内をプレカーサイオンに素通りさせるモードである。第2のモードは、プレカーサイオンがフラグメント化しないようイオンエネルギを制御することで実行でき、またそれを利用することによってMSn分析及びイオン量調整を同時に又は個別に実行することができる。例えば、イオン捕獲装置からイオン選別装置に入射したイオンから少量しかない特定のプレカーサイオンを選別し、そのイオンをフラグメント化装置を介しイオン選別装置からイオン捕獲装置へと戻すときでも、フラグメント化装置内に通すプレカーサイオンのエネルギをフラグメント化に必要なエネルギ未満に抑えれば、フラグメント化装置内でのフラグメント化は発生しない。そのためには、イオン選別装置からイオン捕獲装置にイオンを戻すときに、例えば2個の平坦電極で発生させたパルス状減速場(電場)中に、その電極上の開口を介し、狙いとするm/z比のイオンを通せばよい。通されたイオンは、そのエネルギが高いものほどその減速場中に奥深くまで入り込むので、狙いとするm/z比のイオンが全て減速場中に入った後にその減速場を停止させると、減速場への入射時に高エネルギであったイオンがそれより低エネルギであったイオンよりも大きな対地ポテンシャル低下を受ける。即ち、狙いとするm/z比を有するイオンのエネルギばらつきが抑えられ、各イオンのエネルギが互いにほぼ等しくなる。従って、発生するポテンシャル低下の幅(減速幅)をイオン選別装置から出射されるイオンのエネルギばらつきに合わせることで、イオンのエネルギばらつきを顕著に抑えることができるので、その後段のフラグメント化装置でイオンがフラグメント化されないようにすることや、フラグメント化の制御をより好適に行うことが可能になる。
【0019】
本発明の他の実施形態に係るマススペクトロメータは、その内部にイオンを貯めうる第1イオン捕獲装置と、第1イオン捕獲装置から出射されたイオンを受け入れて選別するイオン選別装置と、イオン選別装置により選別されたイオン又はその一部を受け入れる(第2)フラグメント化兼捕獲装置と、を備える。本マススペクトロメータでは、イオン選別装置から受け入れたイオン又はその派生物を、フラグメント化兼捕獲装置が、イオン選別装置を介さず第1イオン捕獲装置に送り返す。
【0020】
本発明の更に他の実施形態に係るMS方法は、第1サイクルで実行するステップとして、イオン出射開口とイオン移送開口が別の部位にある第1イオン捕獲装置内に試料イオンを貯めるステップと、貯まっているイオンをイオン出射開口を介し出射させ第1イオン捕獲装置とは別の場所にあるイオン選別装置に送るステップと、第1イオン捕獲装置から出射されたイオンのうち選別を経たもの又はそれからの派生物をイオン移送開口を介し第1イオン捕獲装置内に受け入れるステップと、受け入れたイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、を有する。
【0021】
本発明の更なる実施形態に係るMS方法は、第1イオン捕獲装置内にイオンを貯めるステップと、第1イオン捕獲装置からイオン選別装置へとイオンを出射させるステップと、イオン選別装置内でイオンの一部を選別するステップと、イオン選別装置からそのイオンを出射させるステップと、そのイオンのうち少なくとも一部をフラグメント化装置又は第2イオン捕獲装置内に捕獲するステップと、捕獲されたイオンの一部若しくは全部又はそれからの派生物をイオン選別装置を迂回する経路に沿って第1イオン捕獲装置に返戻するステップと、を有する。
【0022】
本発明の他の実施形態に係るMS方法は、イオントラップ内にイオンを蓄積させるステップと、蓄積させたイオンをイオン選別装置に入射させるステップと、イオン選別装置内でイオンの一部を選別しそのイオン選別装置から出射させるステップと、出射されたイオンをイオントラップに直接即ち中間的なイオン貯め込みを経ずに返して貯めるステップと、を有する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0023】
以下、本発明の好適な実施形態及びその利点に関し、別紙図面を参照しつつより詳細に説明する。但し、これから説明するのはあくまで例であり、本発明は様々な形態で実施することができる。
【0024】
図1に、マススペクトロメータの一例ブロック構成10を示す。このマススペクトロメータ10は、質量分析対象イオンを発生させるイオン源20及びそのイオン源20から出射されたイオンを捕獲するイオントラップ30を備えている。イオントラップ30は例えば特許文献17に記載の湾曲型四重極乃至気体充填型RF多重極であり、イオントラップ30に捕獲されたイオンはその内部で気体と衝突して除熱される。これについては例えば英国特許出願第0506287.2号(出願人は本願出願人と同一;この参照を以てその内容を本願に繰り入れることとする)を参照されたい。
【0025】
イオントラップ30内に貯まったイオンはイオン選別装置、この例では静電トラップ40に向け断続的に(パルス的に)出射させる。出射を断続的に行うのはその時間長が短いイオンパケットを生成するためである。出射されたイオンパケットは静電トラップ40によって捕獲される。静電トラップ40内では、後に図3を参照して説明する通りそれらのイオンを多重反射させる。静電トラップ40は、反射させるたびに或いは何回かの反射を経た後に不要なイオンを偏向させることで、不要なイオンを断続的に出射させる。出射先は、例えばイオン検知器75であり、或いはフラグメント化セル50である。イオン検知器75は例えばイオンミラーの飛行時間合焦面、即ち飛行時間効果で合焦してイオンパケットの時間長が短くなる面の付近に配置する。いずれにせよ、不要イオンを出射させると静電トラップ40内には分析対象イオンだけが残る。その後も反射を継続させれば、似通ったm/z比を有するイオン同士を分離させることができ、従ってm/z比に関する選別窓をより狭めることができる。更にいえば、そのm/z比がある特定の値と異なるイオンをもれなく除去することもできる。
【0026】
この選別処理を経たイオンは静電トラップ40から送り出され、その外部にあるフラグメント化セル50に入射される。選別処理の最後まで静電トラップ40内に残ったイオン即ち分析対象イオンは、静電トラップ40から送り出される際に十分なエネルギを有しているのでフラグメント化セル50内でフラグメント化され、それによってフラグメントイオンが発生する。発生したフラグメントイオンはイオントラップ30によって捕獲及び貯留され、次のサイクルで次のMS段に係る処理に供される。以上の要領での処理を繰り返すことにより、MS/MS分析(二段MS)は勿論MSn分析も実行できる。
【0027】
図1に示したマススペクトロメータ10では、上述の動作と並行に又は上述の動作を行わないで、選別窓から外れて静電トラップ40から出射されたイオンを、そのフラグメント化が生じないようフラグメント化セル50例えばコリジョンセルに通すことができる。フラグメント化されないようにするには、イオンを減速させてそのエネルギを下げ、フラグメント化セル50内でのフラグメント化に足らないエネルギにすればよい。こうしてフラグメント化されずにフラグメント化セル50を通り抜けたイオンは後段にある補助イオン捕獲装置60に送り込まれ、例えばそのサイクルにおけるフラグメントイオンのMS分析が上述の如く完遂された後に開始される爾後のサイクルで、補助イオン捕獲装置60からイオントラップ30へと送り返される。即ち、先のサイクルにおける選別窓から外れたため静電トラップ40から排除・出射されフラグメント化されずに補助イオン捕獲装置60に送り込まれたイオンを、後のサイクルに舞台を移して分析することができる。
【0028】
補助イオン捕獲装置60は、更に、ある特定のm/z比を有するイオンの個数、とりわけその分析対象試料内に比較的少量しか含まれていないイオンを量的に蓄積させる処理にも、使用することができる。その際には、特定のm/z比を有する少数の注目イオンだけを通すよう静電トラップ40を稼働させると共に、フラグメント化セル50を上述の非フラグメント化モードで稼働させることで、その少数注目イオンを装置60内に貯め込ませる。同じ条件を保ちながら複数のサイクルを実行すると、その注目イオンと同じm/z比を有するイオンが静電トラップ40によって選別及び出射されるので、そのイオンを補助イオン捕獲装置60内に貯め込み量的に蓄積することができる。なお、例えば静電トラップ40から出射されるイオンのm/z比を数通りに切り換えつつ同様の動作を実行すれば、補助イオン捕獲装置60内に、そのm/z比が互いに異なる複数種類のイオンを貯めることもできる。
【0029】
また、従前のサイクルで不要とされたプレカーサ(前駆体)イオンや、注目イオンだが少量であるためまずはその個数を増やす必要があったプレカーサイオンも、勿論、引き続いてフラグメント化ひいてはMSn分析に供することができる。その場合、補助イオン捕獲装置60からその中身をイオントラップ30に直に送り返すのではなく、まずはフラグメント化セル50内に送り込むようにするとよい。そして、イオンに対する質量分析は様々な個所でまた様々な形態で行うことができる。例えば、後に図2を参照して詳示する通りイオントラップ30内に貯まったイオンを静電トラップ40内で質量分析してもよいし、その代わりに又はそれと共に、イオントラップ30に通ずるマスアナライザ70を別に設けてもよい。
【0030】
図2にマススペクトロメータ10の構成をより詳細に示す。まず、図示例ではそのイオン源20としてMALDI(matrix-assisted laser desorption ionization:マトリクス支援レーザ脱離イオン化法)イオン源を使用している。これは、パルスレーザ光源22からの輻射を利用しイオンを発生させるレーザ利用型断続イオン源の一種であるが、これ以外のイオン源、例えば大気圧エレクトロスプレイイオン源等の連続イオン源も遜色なく使用することができる。
【0031】
そのイオン源20とイオントラップ30の間にはプリトラップ24があり、イオン源20から供給されるイオンは一旦プリトラップ24によって捕獲された後レンズ装置26を介しイオントラップ30により捕獲される。図示例におけるプリトラップ24はセグメント分割兼気体充填型RF特化多重極、またイオントラップ30は気体充填型RF特化リニア四重極である。捕獲されたイオンは、RF電圧が停止された後直流電圧がロッドに印加されるまでの間、イオントラップ30内に貯め込まれる。この手法の詳細については特許文献17及び18(出願人は本願出願人と同一;この参照を以てその内容を本願に繰り入れることとする)に説明があるので参照されたい。ロッドに直流電圧を印加するとイオン光学系32内に電位勾配が発生し、イオントラップ30内のイオンがその電気勾配によって加速されイオン光学系32を通り抜けていく。イオン光学系32には例えばグリッド状の電荷検知用電極34が組み込まれているので、その電極34による検知結果からイオン個数を推定することができる。イオン個数が過剰であるとそれによる質量シフトを補償しきれなくなるので、電極34を利用したイオン個数推定の結果が所定の限界値を上回ったときには、全てのイオンを一旦廃棄しプリトラップ24内へのイオンの貯め込みからやり直すのが望ましい。その際には、パルスレーザ光源22にて発生させるパルスの個数を相応に抑える、プリトラップ24における蓄積期間を相応に短縮する等の処置を執って、イオン個数過剰の再発を防ぐ。なお、イオン捕獲個数制御手法としては他の手法、例えば特許文献19に記載の手法を使用してもよい。
【0032】
イオン光学系32にて加速されたイオンは、そのm/z比毎に合焦してその時間長が10〜100nsと短いイオンパケットになり、質量によるイオン選別装置に入射される。ここでは静電トラップ40をイオン選別装置として使用しているが、後述の通り他種イオン選別装置も使用できる。静電トラップ40を使用するにしても、その具体的構成形態には様々な選択肢、例えば開放型と閉鎖型、イオンミラーや電気セクタの個数、軌道運動(orbiting:オービティング)の有無等といった様々な選択肢がある。図3に示したのは、目下のところイオン選別装置として好適に使用できその構成が簡素な静電トラップ40の例である。この静電トラップ40においては、各2個の静電ミラー42,44及び変調器46,48によって循環経路が形成されている。静電トラップ40に入射したイオンはこの循環経路に沿って飛行し、随時偏向されてその経路上からはじき出される。イオンを循環させる静電ミラー42,44は円環型でも平行平板型でもよいが、印加電圧一定時にできるだけ精度よく且つ安定に動作するものの方が、静電トラップ40を安定に動作させ精度よく質量選別させるのに適している。例えば、この例ではそれぞれパルス電圧又は固定電圧を印加できる小さな間隙で変調器46,48を実現し、そのフリンジ場を例えばその両側に設けたガード電極で制御している。変調器46,48として使用する際、それらの開口には一定値又はパルス状の電圧を印加する。パルス電圧を使用するなら、例えば対ピーク10%〜90%期間で表した立ち上がり時間及び立ち下がり時間が10〜100ns未満で、その振幅が最高数百Vの電圧がよい。プレカーサイオンを高分解能で選別するためである。また、各変調器46,48は対応する静電ミラー42,44の飛行時間合焦面内に設けるので、変調器46,48の位置が静電トラップ40の中心から外れることもある。イオンの検知は例えば映像電流検知によって行う。映像電流検知は周知であるので詳細説明を省略する。
【0033】
静電トラップ40内で相応なパルス電圧を印加しながらイオンを十分な回数反射させると、ある狭い域内のm/z比を有する注目イオンだけが静電トラップ40内に残る。この段階でプレカーサイオンの選別がひとまず終了する。次いで、静電トラップ30内に残ったイオンを偏向させ、入射時の経路経路とは異なる経路を辿って図2中のフラグメント化セル50或いはイオン検知器75へと出射させる。静電トラップ40からフラグメント化セル50に至るイオン出射経路上には、後に図9〜図13を参照してより詳細に説明するように出射方向を左右するイオン減速装置(減速レンズ)80がある。最終的なフラグメント化セル50内衝突エネルギは、フラグメント化セル50のバイアスに使用する直流電圧(オフセット電圧)を適宜調整することにより調整する。フラグメント化セル50はセグメント分割型RF特化多重極であり、個々のセグメントに沿って軸方向直流場が発生するよう構成されている。フラグメント化セル50内の気体密度が後述の好適値であり、且つそのエネルギが例えば30〜50V/kDaの範囲内であれば、フラグメント化セル50によって捕獲されたイオンはフラグメント化し、それによって生じたフラグメントイオンはフラグメント化セル50内を通りイオントラップ30に還流する。なお、フラグメント化セル50で採りうるフラグメント化の仕組みには、ここで述べたCID(collision-induced dissociation:衝突誘起解離)の他に、ETD(electron transfer dissociation:電子移動解離)、ECD(electron capture dissociation:電子捕獲解離)、SID(surface-induced dissociation:表面誘起解離)、PID(photo-induced dissociation:光解離)等がある。これらの仕組みを適宜併用してもよい。
【0034】
イオントラップ30に還流し捕獲されたイオンは、そのイオントラップ30から再び出射させることができる。MSn分析を実行したいなら静電トラップ40に送り込んで次のMS段に供すればよいし、更なる質量分析を実行したいなら静電トラップ40かマスアナライザ70に送り込めばよい。マスアナライザ70としてはTOF型マススペクトロメータ、RFイオントラップ、FT ICR等の装置も使用できるが、図2に示した例ではOrbitrap(商標)型マススペクトロメータが使用されている。このマスアナライザ70には空間電荷を制御乃至制限するためのAGC(automatic gain control:自動利得制御)機能があり、図示例の場合、この機能はその入口にあるエレクトロメータグリッド90によって実現されている。
【0035】
他方、静電トラップ40からの別のイオン出射経路上にはイオン検知器75が設けられている。このイオン検知器75は様々な用途に使用することができる。例えば、プリスキャン時におけるイオン個数検出精密制御、即ちAGCに役立てることができる。その際にはイオントラップ30から出射されたイオンを直ちにイオン検知器75に入射させる。また、注目質量窓外のイオン、即ちイオン源20からもたらされるイオンのうち少なくともその質量分析サイクルでは不要なイオンを、イオン検知器75で検知することができる。或いは、上述の静電トラップ40内多重反射で選別されたイオンの質量をイオン検知器75にて高分解能で検知することもできる。そして、タンパク質、ポリマ、DNA等のような帯電量=1の高分子を1個ずつ流して分析するとき、その高分子をイオン検知器75によって検知して加速後処理に役立てることもできる。こうしたイオン検知器75として使用できる装置としては、例えば電子増倍管やマイクロチャネル/マイクロスフィアプレートのようにイオン1個といった弱い信号を検知しうるものの他、イオンコレクタとして動作し非常に強い信号(例えばピークで104個超のイオン)を検知するものもある。更に、イオン検知器75を複数個設けてもよい。以前に実施した捕獲サイクル等でスペクトラム情報が得られている場合は、その情報に従い変調器46,48でイオンパケットを振り分け、そのスペクトラムに適したイオン検知器75に入射させることができる。
【0036】
図4に、図2に示した構成によく似ているが幾つかの点で相違する別の構成を示す。図中、図2に示した構成と共通する構成部材には同様の参照符号を付してある。イオン源20から供給されるイオンは図示例でもやはりプリトラップによって捕捉されるが、その役割を担っているのは補助イオン捕獲装置60である。そのプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流には湾曲型イオントラップ30更にはフラグメント化セル50があるが、フラグメント化セル50の位置は図2と違っている。即ち、図示例ではイオントラップ30・補助イオン捕獲装置60間、イオントラップ30から見てイオン源20側にフラグメント化セル50がある。図2と違いイオントラップ30・静電トラップ40間にフラグメント化セル50があるのではない。
【0037】
稼働時には、イオントラップ30内に貯め込まれたイオンをそこから直交方向に出射させ、イオン光学系32を介しその下流の変調偏向器100に送り込んで偏向させることによって、静電トラップ40内に送り込む。次いで、静電トラップ40内でそのイオンを軸沿いに往復反射させ、然るべく選別した上で出射し、イオン案内部材を介してイオントラップ30に送り込む。イオン案内部材としては例えばトロイダルキャパシタ、円筒キャパシタ等の電気セクタ110を使用し、またその電気セクタ110とイオントラップ30に至る還流路との間に配置されたレンズ式のイオン減速装置80を使用する。イオン減速装置80では前述の通り断続的に(パルス的に)減速場を発生させる。イオントラップ30内は低圧であるので、還流してきたイオンはイオントラップ30を通り抜けてフラグメント化セル50に飛び込みフラグメント化される。フラグメント化セル50はイオントラップ30と補助イオン捕獲装置60の間、即ちイオントラップ30から見てイオン源20側にある。生じたフラグメントイオンはイオントラップ30によって捕獲される。また、図2に示した構成と同様に、Orbitrap(商標)型のマスアナライザ70を使用することで、MSn分析の任意の段にてイオントラップ30から出射されるイオンを精密に質量分析することができる。また、そのマスアナライザ70はイオントラップ30の下流にあり、イオントラップ30から見て静電トラップ40と並列になっている。従って、静電トラップ40から出射されるイオンを偏向器120により相応に偏向させることで、イオンを“ゲーティング”して変調偏向器100かマスアナライザ70に選択的に入射させることができる。
【0038】
同図に現れている部材としては、他に、装置を構成する部材間をつなぐRF特化多重極移送路があるが、詳述するまでもなく本件技術分野にて習熟を積まれた方々(いわゆる当業者)にはご理解頂けよう。更に、イオントラップ30とフラグメント化セル50の間にもイオン減速装置80を配置できる(後掲の図9〜図13を参照)。
【0039】
図5に更に別の構成を示す。図中、図2又は図4に示した構成部材と同様の構成部材には同様の参照符号を付してある。この図の構成では、図2に示した構成と同じく、イオン源20にて発生させたイオンを、プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60によって捕獲させ(或いはその装置60を迂回させ)た後イオントラップ30により捕獲、貯留させている。また、図4に示した構成と同じく、イオントラップ30内のイオンをそこから直交方向に出射させ、イオン光学系32を介し変調偏向器100に送って偏向させ、静電トラップ40内に送ってその軸沿いに飛行させている。ただ、図4の構成ではイオントラップ30から見てイオン源20側にフラグメント化セル50があったが、この図の構成ではそれとは異なる場所にフラグメント化セル50が設けられている。即ち、図示例では、変調偏向器100に入射したイオンや静電トラップ40内で選別されたイオンを変調偏向器100によって偏向させ、電気セクタ110及びイオン減速装置80を介してフラグメント化セル50に送り込むことができる。フラグメント化セル50から出射されたイオンは湾曲型の多重極移送路130及びその後段にあるリニア型のRF特化多重極移送路140を通りイオントラップ30内に還流する。また、Orbitrap(商標)型マスアナライザ70が設けられているので、MSn分析のどの段でも、そのマスアナライザ70を使用して精密に質量を分析することができる。
【0040】
図6に更に他の構成を示す。この図の構成は図2に示した構成と基本的に同一の着想によるものであるが、図3に示した閉鎖型静電トラップではなく前掲の各種文献に記載の開放型静電トラップを静電トラップ40’として使用する点で異なっている。図示例のマススペクトロメータでは、具体的には、イオン源20で発生させたイオンを、プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60(及び符号を省略したイオン光学系)を介しその下流にある別のイオン捕獲装置、即ち湾曲型のイオントラップ30に送り込んでいる。イオンはこのイオントラップ30から直交方向に出射され、イオン光学系32を介し静電トラップ40’に送られ、静電トラップ40’内で多重反射される。そのイオンは、更に、静電トラップ40’の出口方向に向けられた変調偏向器100’によって偏向され、検知器150又はフラグメント化セル50に送られる。フラグメント化セル50に向かうイオンはその途中で電気セクタ110及びイオン減速装置80を通過する。フラグメント化セル50に達したイオンはもう一度イオントラップ30に入射されるが、その際に通る入射開口は、静電トラップ40’に向かうイオンが通る出射開口とは別のものである。なお、同図の構成に付随するその他のイオン光学系については図の簡明化のため図示を省略してある。また、図中の静電トラップ40’は、特許文献11等に倣い平行ミラーにしてもよいし、特許文献12等に倣い長尺電気セクタにしてもよい。静電トラップ内のイオン光学系やイオン飛行経路形状をより複雑なものにしてもよい。
【0041】
図7に、本発明の更に他の実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す。図4に示した構成と同じくこのマススペクトロメータでも、イオン源20から供給されるイオンがプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60によって捕獲され、更にその下流にある(例えば湾曲型の)イオントラップ30によって捕獲される。プリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流には更にフラグメント化セル50もある。フラグメント化セル50の位置はイオントラップ30から見てどちら側でもよいが、図示例ではイオントラップ30から見てイオン源20側に配置されている。前掲の実施形態と同様、イオントラップ30とフラグメント化セル50の間にはイオン減速装置80を設けるのが望ましい。
【0042】
稼働時には、イオンは入射開口28を介しイオントラップ30に入射され、その内部で蓄積された後に入射開口28とは別の出射開口29を介し直交方向に出射され、静電トラップ40に送り込まれる。図示例における出射開口29はスロット状、即ち出射方向に対しほぼ直交する方向に沿い細長く延びる形状である。イオントラップ30からイオンを出射させる際には、こうした細長い開口29の一部分(図示例では左端寄り部分)からイオンが出ていくよう、イオントラップ30内でのイオンの位置を制御する。イオントラップ30内イオン位置の制御は様々な手法で実行することができる。例えばイオントラップ30の端部にある図示しない電極群への印加電圧を制御すればよい。イオンの出射元は例えばイオントラップ30の中央近辺とする。出射していくイオンは例えばコンパクトな円筒状分布を呈するが、系内で拡散や収差が生じるので、イオントラップ30に戻ってくるイオンの分布は(円筒状を保ちつつも)より長く且つより広角に亘る分布になる。その出射開口29の下流にはやや変形されたイオン光学系32’が配されており、イオンはその下流にある変調偏向器100”’によって静電トラップ40に送り込まれる。イオンは変調偏向器100”の動作で静電トラップ40の軸に沿って反復運動する。また、イオントラップ30から静電トラップ40へとイオンを送り込むのでなく、イオン光学系32’の下流に位置する偏向器100”’によってイオンを偏向させ、Orbitrap(商標)型マスアナライザ70にイオンを送り込むこともできる。
【0043】
なお、図示例のイオントラップ30は、イオン減速装置としてもまたイオン選別装置としても機能させることができる。静電トラップ40から戻ってきた注目イオンをイオントラップ30内に捕獲するときには、イオンが入ってきたら間髪おかずに、イオントラップ30内直流場(イオン取出用の電場)をオフ、RF場(イオン捕獲・貯留用の電場)をオンさせればよい。静電トラップ40からイオンを出射させる際及び静電トラップ40内にイオンを受け入れるには、静電トラップ40内のミラーのうちレンズ寄りのもの(図3参照)への印加電圧を断続的に(パルス的に)オフさせればよい。捕獲した注目イオンを加速しイオントラップ30のいずれかの側にあるフラグメント化セル50に送ると、そのフラグメント化セル50内でフラグメントイオンが発生しそのフラグメント化セル50内に捕獲されるが、そのフラグメントイオンは再びイオントラップ30に戻すことができる。
【0044】
また、細長いスロット状の開口29の一端寄りからイオンを出射しているので、戻ってくるイオンは開口29の他端寄りにて捕獲される。そのため、図示例では、イオントラップ30から出射されたイオンが辿る経路と、イオントラップ30によって再捕獲されるイオンが辿る経路とが、互いに平行になっていない。即ち、図4或いは図5に示した構成と同じく静電トラップ40の長軸に対し傾いた方向から、静電トラップ40内にイオンが入射されている。こうした入射は、図示例の構成、即ちスロット状の出射開口29を1個設けその一端寄り部分を静電トラップ40へのイオン出射にまた他端寄り部分を静電トラップ40からのイオン返戻受入にそれぞれ使用する構成でなくても行える。例えば、開口29を複数個のイオン移送開口に分けて設け、並んでいる開口のうち1個をイオントラップ30からのイオン出射に、他の1個をイオントラップ30へのイオン入射に、それぞれ用いるようにしてもよい。この場合、各開口をイオン入出射方向直交方向沿いに長い形状にする必要もない。更に、開口29を分割しイオン入出射方向に略直交する方向に沿い複数個の移送開口を間隔配設する代わりに、図8に示すように湾曲型イオントラップ30自体を複数セグメントに分割してもよい。
【0045】
図8に示すマススペクトロメータは図7に示したものとよく似た構成であり、イオン源20にて発生したイオンがプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60に入射されている。そのプリトラップ兼補助イオン捕獲装置60の下流にはイオントラップ30’(後述)及びフラグメント化セル50がある。図7の構成と同様、フラグメント化セル50はイオントラップ30’から見ていずれの側にも設けうるが、ここではイオントラップ30’から見てイオン源20側に設けてある。そのイオントラップ30’とフラグメント化セル50の間には(オプションの)イオン減速装置80がある。また、イオントラップ30の下流には変調偏向器100”’があり、イオンはこの変調偏向器100”’により静電トラップ40内に送り込まれる。送り込む方向は静電トラップ40の軸に対し傾いている。静電トラップ40内のイオンはその静電トラップ40の軸に沿って反復運動する。静電トラップ40内の変調偏向器100”によってイオンを偏向させれば、イオンを静電トラップ40からイオントラップ30’へと送り戻すことができる。イオントラップ30から静電トラップ40へとイオンを戻さずOrbitrap(商標)等のマスアナライザ70に送り込むことも、変調偏向器100”’があるので可能である。
【0046】
図示例におけるイオントラップ30’は3個のセグメント36〜38を連ねた湾曲型のイオントラップである。そのうち第1,第3のセグメント36,38はそれぞれイオン移送開口を有している。セグメント36上にある第1のイオン送出開口は静電トラップ40への出射用、セグメント38上にある第2のイオン送出開口は静電トラップ40からの入射用であって、空間的には互いに離れた位置にある。入出射の際には、複数個のセグメント36〜38に分かれていても単一のイオン捕獲装置として機能するよう、イオントラップ30’を構成する各セグメント36〜38に互いに同一のRF電圧を印加する。同時に、イオンの分布がイオントラップ30’の曲がった軸に沿って非対称になるよう、それらのセグメント36〜38に互いに異なる直流電圧(オフセット電圧)を印加する。稼働時には、まずイオントラップ30’内にイオンを貯めた上で、各セグメント36〜38に相応の直流電圧を印加することによってセグメント36経由でイオンをイオントラップ30’から出射させ、静電トラップ40内にその軸に対して傾いた方向から入射させる。戻ってくるイオンはセグメント38上の開口を介してイオントラップ30’内に受け入れる。
【0047】
静電トラップ40から射出されたイオンを再捕獲したとき、第1,第2のセグメント36,37の方が第3のセグメント38より低い直流電位(オフセット電圧)に保たれていれば、そのイオンはイオントラップ30の曲がった軸に沿って(例えば30〜50eV/kDaのエネルギで)加速されてフラグメント化する。即ち、イオントラップ30’はイオントラップとしてもフラグメント化装置としても機能する。フラグメント化後、第2,第3のセグメント37,38に対し第1のセグメント36へのそれより高い直流電圧を印加すると、それらフラグメントイオンはセグメント36内に集まり除熱される。
【0048】
こうしたフラグメント化を好適に実行するには、フラグメント化装置に入射させるイオンのエネルギばらつきが十分小さいこと、例えばイオン同士のエネルギ差が約10〜20eVの範囲以内に収まっていることが必要である。これは、入射してくるイオンのエネルギが高すぎると低質量のフラグメントイオンしか発生せず、逆に低すぎるとフラグメント化自体が生じにくくなるためである。しかるに、従来のマススペクトロメータでは、また図1〜図7に示した実施形態でも、(次に述べるエネルギ補償なしでは)フラグメント化セルに入射するイオンのエネルギが上述の狭い許容域を超えてばらついてしまう。図1〜図7に示した実施形態でいえば、イオントラップ30内又は30’でのイオンの空間的拡がり、静電トラップ40内空間電荷効果(多重反射中のクーロン展開等)、系内収差の累積作用等の原因により、イオントラップ30又は30’内で大きなイオンエネルギばらつきが発生する可能性がある。本発明の各実施形態でエネルギ補償(エネルギばらつき抑圧処理)を行っているのはそのためである。図9〜図11に、エネルギ補償に使用するイオン減速装置80の構成例を模式的に但し具体的に示す。また、図12及び図13は、イオン減速装置80の動作パラメタを様々に変えて、イオン減速装置80によるエネルギばらつきの低減度合いと、イオンの空間的拡がり度合いとを調べた結果である。
【0049】
これらの実施形態に係るイオン減速装置80では、エネルギ補償を十分に行えるよう、イオンのエネルギ別分散度(energy dispersion)を高めている。即ち、イオンエネルギ別の仮想的なイオンビーム(仮想単エネルギイオンビーム)の差し渡しに比べ、単エネルギイオンビーム間の距離の方が前掲の所望エネルギ差(10〜20eV)以上大きくなるよう、イオンをエネルギ別に分離させている。イオンのエネルギ別分散度をある程度高めるだけなら、フラグメント化セル50とその上流に位置する部材(イオントラップ30や静電トラップ40)の物理的な間隔を十分大きくとり、イオンを飛行時間でエネルギ分散させればよい。ただ、そうした構成では、マススペクトロメータ全体が大型化し、ポンピング能力の増強も必須になる等の不都合が発生する。これを避けるには、エネルギ分散度調整部材をマススペクトロメータ内に付加すればよい。即ち、フラグメント化セル50・上流部材間距離を抑えつつイオンのエネルギ別分散度を高める部材を組み込めばよい。図9に大胆に模式化して示したのは、図2〜図7中のイオン減速装置80に組み込みうるエネルギ分散度調整部材の一例であるところのイオンミラーアセンブリ200の構成である。このイオンミラーアセンブリ200は一群の電極210及びそれを終端する平坦なミラー電極220から構成されており、静電トラップ40等から出射されこのイオンミラーアセンブリ200に入ってきたイオンは電極220によって反射されフラグメント化セル50等に送られる。従って、このイオンミラーアセンブリ200への入射によってイオンのエネルギ別分散度を高めることができる。なお、イオンのエネルギ別分散度の高め方には後述の通り図11に示すものもある。
【0050】
図9に示したイオンミラーアセンブリ200等でイオンのエネルギ別分散度を高めたら、次いでイオンを減速させる。イオンを減速させるには、あらまし、図10に示した減速電極アセンブリ250に直流電圧(オフセット電圧)を断続的に印加すればよい。図示の通り、減速電極アセンブリ250は入口電極260、出口電極270、それらの間に位置する接地電極280等、複数個の電極から構成されており、また差圧ポンピング部材につながっている。減速電極アセンブリ250の上流側につながるのはその内圧が低いイオンミラーアセンブリ200、下流側につながるのはその内圧が高いフラグメント化セル50等であるが、こうした電極配置を利用しまた減速電極アセンブリ250内がその中間の圧力になるよう差圧ポンピングすることによって、イオンミラーアセンブリ200・フラグメント化セル50間の圧力差を緩衝することができる。例えば、イオンミラーアセンブリ200の内圧が約10-8mbar、フラグメント化セル50の内圧が例えば10-3〜10-2mbarの範囲内なら、下限値たる約10-5mbarから約10-4mbarへと上昇する勾配がその内圧に生じるよう減速電極アセンブリ250内を差圧ポンピングすればよい。ポンピングは、減速電極アセンブリ250の出口とフラグメント化セル50の間に別途設けるRF特化多重極例えばRF八重極によっても行えるが、これについては後に図11を参照して説明する。
【0051】
イオンを減速させる際には、レンズたる電極260、270又はその双方への印加直流電圧をスイッチングさせればよい。そのタイミングは注目イオンがどのようなm/z比のイオンかによって変わる。即ち、減速用電場(減速場)中に進入してきたイオンのうち比較的高エネルギのものは奥深くまで進み、それに追い越される比較的低エネルギのものは割合に浅くしか進まないので、注目しているm/z比のイオンが全て減速場中に入った後にその減速場を停止させることで、初期的に比較的高エネルギであったイオンからは比較的大きくまた比較的低エネルギであったイオンからは比較的小さく対地ポテンシャルを奪い、両者のエネルギをほぼ等しくすることができる。従って、イオン選別装置から出射されるときのエネルギばらつきにそのポテンシャル低下(減速幅)を合わせることで、エネルギばらつきを大きく抑えることができる。
【0052】
ご理解頂けるように、この手法で一度に且つ最善にエネルギ補償できるイオンのm/z比域は限られており、広大なm/z比域のイオンを同時にエネルギ補償することはできない。これは、減速幅にぴったり合ったエネルギばらつきを呈するのが、有限個数のレンズからなる減速装置の許では、その減速幅を決める元になったエネルギばらつきを有するm/z比域のイオンに限られるからである。勿論、注目m/z比と大きく異なるm/z比を有するイオンに対しても、スイッチングで減速レンズ外に出されるのでなければ、減速作用が働きそのエネルギばらつきが抑圧されるが、その減速幅がそのイオンの入射当初のエネルギばらつきからずれているので効果は理想的でない。即ち、高エネルギイオンと低エネルギイオンとで、減速幅及び進入距離が厳密には揃わない。とはいえ、いわゆる当業者には直ちにご理解頂けるように、そのm/z比が大きく異なる複数通りのイオンをイオン減速装置80に同時に入れられないわけではない。入れてもよいが、そのm/z比が注目m/z比域からずれているイオンは最善のエネルギばらつき抑圧作用を受けられず、フラグメント化セル50において最適に処理できる状態から若干ずれるだけのことである。従って、イオン減速装置80の上流でイオンをフィルタリングし、現MS段の現サイクルで処理すべきある特定のm/z比のイオンだけを通すようにしてもよいし、或いは、イオン減速装置80を通したイオンをイオン減速装置80の下流でマスフィルタに通すようにしてもよい。更には、そのm/z比が注目m/z比から外れていて十分にエネルギばらつきが抑圧されていないイオンを廃棄するように、フラグメント化セル50を構成することもできる。
【0053】
図11にイオン減速装置80の別例構成を示す。図示の構成では、静電トラップ40(図中一部分のみ)内の静電ミラー42,44(図3)のうち一方への印加直流電圧を断続させることによって、イオンをデフォーカス(離焦)させることができる。そのタイミングは、静電ミラー42,44のうち一方の近傍に注目m/z比のイオンがいるときとする。静電トラップ40の動作原理上、注目m/z比のイオンが静電ミラー42,44に到達するタイミングがわかるので、印加直流電圧及びその断続タイミングを適宜定めて、そのミラー(42,44のうち一方)でイオンを(フォーカスではなく)デフォーカスさせることができる。デフォーカスさせたイオンは、変調偏向器100、100’又は100”にて適当な偏向場を印加することで、静電トラップ40から減速電極アセンブリ300へと出射させる。また、図10を参照して上述した減速電極アセンブリ250と同じく、減速電極アセンブリ300でも、その内部で発生させる電場によるポテンシャル低下幅を、減速電極アセンブリ300への入射当初のイオンエネルギばらつきに合わせることで、そのイオンを好適に減速させる。減速させたイオンは、終端電極310及び出射開口320を介して減速電極アセンブリ300の外に送り出し、RF特化八重極330に入射させる。RF特化八重極330は前述したポンピングのための装置である。
【0054】
図12及び図13に、あるm/z比を有するイオンのエネルギばらつき及び空間的拡がり(同順)と、イオン減速電極に印加される直流電圧(オフセット電圧)のスイッチング時間との関係を示す。図12から読み取れるように、エネルギばらつき抑圧度は実施形態次第で20倍にも高めることができ、そうした実施形態ではイオンビームのエネルギばらつきを例えば±50eVから±2.4eVに狭めることができる。また、ここで想定しているイオン減速装置80では、スイッチング時間を長くするとイオンビームの差し渡し(空間スポットサイズ)が小さくなりエネルギばらつきが大きくなる。これは、エネルギばらつき以外のビーム特性も考慮すべきであることを示している。エネルギばらつきが最適になるよう減速幅を設定すると出射ビームの空間的拡がりが常に増すわけではない。
【0055】
更に、減速レンズの構成やビームエネルギ別イオン分散手法に多少違いがあってもエネルギばらつき抑圧の効果は発生するので、いわゆる当業者にはご理解頂ける通り本発明の手法には様々な潜在的利点があるといえる。なかでも重要なのはフラグメントイオン産生量の増大及びフラグメント化可能イオン種の多様化である。例えば、あるビームにおけるイオンのエネルギばらつきが±50eVに及んでいるとする。このエネルギばらつきは親イオンを効率的にフラグメント化できるエネルギ差、即ち前述の10〜20eVのエネルギ差を大きく逸脱している。この範囲から高エネルギ側に逸脱している親イオンはフラグメント化で低質量のフラグメントイオンになるのでその親イオンの種別識別が難しく、低エネルギ側に逸脱している親イオンはほとんどフラグメント化しない。従って、±50eVに及ぶエネルギばらつきを有する親イオンをエネルギ補償せずにフラグメント化セルに送り込んだとしても、大量の低質量フラグメントイオンが発生するか(ビーム全体がそのセル内に入れた場合)、或いは(例えばポテンシャル障壁を越えた)20eV未満のエネルギのイオンしか入ることができず大半のイオンが損失されることとなり、処理効率がかなり低くなってしまう。どの程度低くなるかはビーム内イオンのエネルギ分布にもよるが、イオンエネルギ不適合でビームの90%程も損失又はフラグメント化不能になる可能性がある。イオン減速装置80を使用することによりこうした不効率さを回避できる。
【0056】
また、上述した構成では、現MS段で処理しないイオンにフラグメント化セル50内を素通りさせたい(或いは貯め込みたい)場合、そのイオンがフラグメント化セル50内でフラグメント化されないようにすることができる。また、フラグメント化を好適に制御できるので、MS/MS分析やMSn分析をより好適に実行することができる。
【0057】
更に、上述したイオン減速装置80は他のイオン処理装置との関連でも有用である。即ち、このイオン減速装置80を用い入射イオンのエネルギばらつきを抑えることで、ある限られたエネルギ範囲内のイオンしかうまく処理できない種々のイオン光学系を有効活用することが可能になる。これに該当するのは、エネルギばらつきが大きいと色収差でデフォーカスが生じる静電レンズ、イオンのエネルギによってRF場周期数(装置内の有限長経路に沿って飛行する間にイオンがRF場に曝される周期数)が変化するRF多重極例えば四重極マスフィルタ、質量及びエネルギを共に散乱させる磁気光学系等がある。リフレクタによってエネルギ合焦させればある範囲内でビーム内イオンビームをエネルギ補償することができるが、その際には往々にして高次エネルギ収差が発生する。これに対し、イオン減速装置80によってイオンのエネルギばらつきを抑圧した場合は、そうした収差によるデフォーカス効果を抑えることができる。なお、いわゆる当業者ならばやはりご理解頂ける通り、これらの用法は上記手法の用法の例に過ぎない。
【0058】
また、図2及び図4〜図8に示した構成では、総じて、図中の気体入りユニットを効率的に稼働させるのにそのユニットにおける衝突条件をそれ相応に設定する必要がある。各ユニットにおける衝突条件は、そのユニット内の衝突気体による内圧Pと、その衝突気体中でイオンが辿る経路の長さD(通常はそのユニットの長さ)との積、即ち衝突気体厚P・Dによって表現することができる。衝突気体としては窒素、ヘリウム、アルゴン等を使用する。本発明を実施する際には、例えば次の条件が概ね成り立つようにする:
・プリトラップ24における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.05mm・torr<P・D<0.2mm・torrの範囲内;英国特許出願第0506287.2号(出願人は本願出願人)に記載の通りプリトラップ24内にイオンを複数回通してもよい;
・イオントラップ30における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.02〜0.1mm・torrの範囲内;同じく複数回通過型も可;
・(CIDによる)フラグメント化セル50における衝突気体厚P・D … 好ましくはP・D>0.5mm・torr、より好ましくはP・D>1mm・torr;
・各種補助イオン捕獲装置60における衝突気体厚P・D … 好ましくは0.02〜0.2mm・torrの範囲内;対するに静電トラップ40は例えば10-8torr未満の高真空に保つのがよい。
【0059】
更に、図2に示した構成での典型的な分析時間は次の通りである:
・プリトラップ24内への貯め込み … 通常は1〜100ms;
・湾曲型イオントラップ30への移送 … 通常は3〜10ms;
・静電トラップ40内での分析 … 通常は1〜10ms(質量選別分解能を10000超にする場合);
・フラグメント化セル50におけるフラグメント化(湾曲型イオントラップ30へのイオン返戻後) … 通常は5〜20ms;
・フラグメント化セル50を介した補助イオン捕獲装置60へ移送(フラグメント化なしの場合) … 通常は5〜10ms;
・Orbitrap(商標)型マスアナライザ70における分析 … 通常は50〜2000ms。
【0060】
そして、イオン流を断続制御するためのパルスの時間長は、例えばそのイオンのm/z比が均一の場合、1msを大きく下回る時間長にすることができる。例えばそのイオンのm/z比が約400〜2000なら、パルス長を10μs未満にすること、更には0.5μs未満にすることもできる。また、条件やm/z比は違うが、各パルスに対応するイオンパルスの空間的拡がりは、10mを大きく下回る長さにすることができる。例えば50mm未満にすること、更には、5〜10mm未満にすることができる。Orbitrap(商標)型アナライザや多重反射飛行時間アナライザを使用する場合は、特に、これを5〜10mm未満にするのが望ましい。
【0061】
以上、本発明の具体的な実施形態について説明したが、いわゆる当業者であれば、上記以外にも様々な実施形態があり得、それらも本発明に包含されることを、疑いなくご理解頂けよう。
【図面の簡単な説明】
【0062】
【図1】本発明を適用可能なマススペクトロメータのあらましを示すブロック図である。
【図2】本発明の第1実施形態に係り互いに別体の静電トラップ及びフラグメント化セルを有するマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図3】図2に示したマススペクトロメータで好適に使用可能な静電トラップの一例構成を模式的に示す図である。
【図4】本発明の第2実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図5】本発明の第3実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図6】本発明の第4実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図7】本発明の第5実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図8】本発明の第6実施形態に係るマススペクトロメータの構成を示す図である。
【図9】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギ分散度を高めるイオンミラーアセンブリを示す図である。
【図10】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギばらつきを抑えるイオン減速装置の一例構成を示す図である。
【図11】図1、図2及び図4〜図8に示したフラグメント化セルへの入射に先立ちイオンのエネルギばらつきを抑えるイオン減速装置の別例構成を示す図である。
【図12】図10及び図11に示したイオン減速装置におけるイオンのエネルギばらつきと、そのイオン減速装置に対する印加電圧のスイッチング時間との関係を、プロットした図である。
【図13】図10及び図11に示したイオン減速装置におけるイオンの空間的拡がりと、そのイオン減速装置に対する印加電圧のスイッチング時間との関係を、プロットした図である。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、
(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、
(d)指定されたm/z比のイオンを選別してイオン選別装置から出射させるステップと、
(e)イオン選別装置から出射されるイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(f)ステップ(a)〜(e)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内に上記m/z比のイオンを蓄積させるステップと、
(g)蓄積させたイオンを第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、
を有するマススペクトロメータ検知限界改善方法。
【請求項2】
(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、
(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、
(d)イオン選別装置で分析対象イオンを選別して出射するステップと、
(e)イオン選別装置から出射されるイオンをフラグメント化装置内でフラグメント化するステップと、
(f)生じたフラグメントイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(g)ステップ(a)〜(f)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内にフラグメントイオンを蓄積させるステップと、
(h)フラグメントイオンをその蓄積後に第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、
を有するマススペクトロメータ検知限界改善方法。
【請求項1】
(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、
(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、
(d)指定されたm/z比のイオンを選別してイオン選別装置から出射させるステップと、
(e)イオン選別装置から出射されるイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(f)ステップ(a)〜(e)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内に上記m/z比のイオンを蓄積させるステップと、
(g)蓄積させたイオンを第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、
を有するマススペクトロメータ検知限界改善方法。
【請求項2】
(a)イオン源にて試料イオンを発生させるステップと、
(b)そのイオンを第1イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(c)貯まったイオンをイオン選別装置に入射するステップと、
(d)イオン選別装置で分析対象イオンを選別して出射するステップと、
(e)イオン選別装置から出射されるイオンをフラグメント化装置内でフラグメント化するステップと、
(f)生じたフラグメントイオンをイオン選別装置を通って遡行しないよう第2イオン捕獲装置内に貯めるステップと、
(g)ステップ(a)〜(f)を繰り返し実行することによって第2イオン捕獲装置内にフラグメントイオンを蓄積させるステップと、
(h)フラグメントイオンをその蓄積後に第1イオン捕獲装置に送り返して爾後の分析に供するステップと、
を有するマススペクトロメータ検知限界改善方法。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【公表番号】特表2009−533670(P2009−533670A)
【公表日】平成21年9月17日(2009.9.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−504823(P2009−504823)
【出願日】平成19年4月13日(2007.4.13)
【国際出願番号】PCT/GB2007/001362
【国際公開番号】WO2007/122379
【国際公開日】平成19年11月1日(2007.11.1)
【出願人】(508306565)サーモ フィッシャー サイエンティフィック (ブレーメン) ゲーエムベーハー (20)
【Fターム(参考)】
【公表日】平成21年9月17日(2009.9.17)
【国際特許分類】
【出願日】平成19年4月13日(2007.4.13)
【国際出願番号】PCT/GB2007/001362
【国際公開番号】WO2007/122379
【国際公開日】平成19年11月1日(2007.11.1)
【出願人】(508306565)サーモ フィッシャー サイエンティフィック (ブレーメン) ゲーエムベーハー (20)
【Fターム(参考)】
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