説明

マトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析用マトリックス

【課題】従来のマトリックスを用いた場合に良好な検出が困難であった低分子量(特に分子量500以下)の化合物に対するMALDI質量分析を良好に行う。
【解決手段】マトリックスとして、次の構造式を有する1H−テトラゾール誘導体を使用する。
【化1】


ここで、Rは、(a)アルキル基、又は、(b)水酸基、アルキル基、ハロゲン元素を有していてもよいベンゼン系芳香族、のいずれかである。これにより、マトリックス由来の分子イオンピークが低質量領域に出現せず、測定対象物質由来の分子イオンピークを容易に同定することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、マトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析において試料のイオン化に用いられるマトリックスに関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析におけるイオン化法の1つとしてマトリックス支援レーザ脱離イオン化(MALDI=Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)法が知られている。MALDI法は、レーザ光を試料に短時間照射して瞬間的に試料を気化させることにより、試料中の測定対象物質の分子を分解することなくイオン化するものである。
【0003】
MALDI法では一般に、測定対象物質の溶液をマトリックス溶液と混合し、さらに必要であれば別のイオン化助剤を混合した上で、試料プレート上に塗布し、溶媒を除去することにより試料を調製する。こうして調製された試料は、測定対象物質が多量のマトリックスとほぼ均一に混合された状態にある。この試料にレーザ光を照射すると、マトリックスがレーザ光のエネルギーを吸収して熱エネルギーに変換する。このときにマトリックスの一部が急速に加熱され、測定対象物質とともに気化する。その過程で測定対象物質がイオン化される。
【0004】
こうしたMALDI法をイオン化に利用した質量分析装置、特に、マトリックス支援レーザ脱離イオン化飛行時間型質量分析装置(MALDI−TOFMS=Time of Flight Mass Spectrometer)は、タンパク質などの高分子化合物をあまり開裂させることなく分析することが可能であり、しかも微量分析にも好適であることから、近年、生命科学や工業材料の分野などで広範に利用されている。
【0005】
従来一般的に、MALDI法においてマトリックスとして用いられている化合物は、例えば、2,5−ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α−シアノ−4−ヒドロキシ桂皮酸(CHCA)、ジスラノール、2−(4−ヒドロキシルフェニルアゾ)安息香酸(HABA)などの、いわゆる低分子有機化合物である。また、MALDI法におけるイオン化効率やイオン化の安定性などを改善するために、従来より、マトリックスとして用いられる化合物の改良が試みられている(例えば特許文献1、2参照)。
【0006】
これまでMALDI法は、特に高分子化合物のイオン化に利用されてきたが、MALDI法が非常に簡便で且つ高感度なイオン化法であることから、近年、低分子化合物への適用の要望が非常に高まっている。上記のような従来のマトリックスを用いてMALDI−TOFMS分析を行った場合、マススペクトルにはマトリックス由来の夾雑物イオンピークが低質量(m/z)領域に顕著に観測される。測定対象物質が高分子化合物である場合には、そうした低質量領域の妨害ピークの存在は問題にならない。しかしながら、測定対象物質が低分子化合物である場合には、マススペクトル上で、目的とする低分子化合物由来の各種分子イオンピークと上記妨害ピークとが混在したり場合によっては重なったりしてしまい、目的ピークを正確に把握することができなくなる。このような理由により、従来のマトリックスを用いたMALDI−TOFMSで低分子化合物を適切に分析することは困難であった。
【0007】
一方、有機化合物であるマトリックスを用いずにMALDI−TOFMSにより低分子化合物を分析する技術として、従来、いくつかの提案がなされている。例えば非特許文献1には、多孔質シリコン(ポーラスシリコン)を基板としたDIOS(Desorption/ionization on silicon)と呼ばれるレーザ脱離イオン化法が提案されている。また、非特許文献2には、「ナノ・フラワー」と名付けられた白金ナノ粒子を無機マトリックスとして用いたレーザ脱離イオン化法が提案されている。また、特許文献3には、分子線エピタキシー法を用いてシリコン単結晶上にGeナノドットを形成したプレートを使用したレーザ脱離イオン化法が提案されている。さらにまた、マススペクトル上で低質量領域にマトリックス由来のピークを生じさせないために、従来よりも分子量がかなり大きな、いわゆる高分子マトリックスを使用したレーザ脱離イオン化法の例も報告されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2004−347595号公報
【特許文献2】特開2008−261824号公報
【特許文献3】特開2006−201042号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】ウェイ(J. Wei)ほか2名、「デソープション-イオナイゼイション・マス・スペクトロメトリー・オン・ポーラス・シリコン(Desorption-ionization mass spectrometry on porous silicon)」、ネイチャー(Nature)、1999年5月20日、第339巻、p.243−246
【非特許文献2】カワサキ(H. Kawasaki)ほか3名、「プラチニウム・ナノフラワーズ・フォー・サーフェス-アシステッド・レーザ・デソープション/イオナイゼイション・マス・スペクトロメトリー・バイオモレキュールズ(Platinum Nanoflowers for Surface-Assisted Laser Desorption/Ionization Mass Spectrometry of Biomolecules)」、ザ・ジャーナル・オブ・フィジカル・・ケミストリー・C(The Journal of physical chemistry C)、2007年、第11巻、p.16278−16283
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかしながら、上述したマトリックスを使用しない方法や無機マトリックスを使用する方法は、従来のマトリックスを用いたMALDI法に比べて分析コストがかなり高くなる。また、必ずしも様々な種類の測定対象物質に対して手法が確立しているわけではないため、使いにくいという問題もある。一方、高分子有機マトリックスを使用する方法では、マトリックスの粘性が高いために扱いにくく、試料調製が難しいために実用性に乏しいという問題がある。
【0011】
本発明はこうした点に鑑みてなされたものであり、その目的とするところは、特に分子量が500以下である低分子化合物を測定対象として実用上十分なMALDI質量分析が可能な、低分子有機化合物であるマトリックスを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
現在、マトリックスとして使用されているDHBやCHCAなどの化合物は、ベンゼン環を基本として水酸基やカルボン酸などを含んだものである。特に水酸基とカルボン酸は、イオン化時における測定対象物質のプロトン付加に寄与しているとされ、イオン化に重要な役割を担っていると考えられている。そこで、本願発明者は、カルボン酸と同様の性質を有する官能基を持つ低分子有機化合物を探索した。具体的には、カルボン酸は酸性基であるから、酸性を示し、MALDI−TOFMS分析に適するように沸点が高いこと、及び、低分子量であること、を官能基の探索条件とした。
【0013】
本願発明者は、上記条件に適合する化合物としてカルボン酸と同程度の酸性を示し、カルボン酸の等価体であるとみなされるテトラゾール環に着目し、様々なテトラゾール誘導体について実分析による実験を繰り返した。その結果、正イオン測定モードにおいてそれ自体はイオンとして検出されない低分子有機化合物として、次のような1H−テトラゾール誘導体を見い出すに至った。
【0014】
即ち、上記課題を解決するためになされた本発明は、MALDI質量分析に供する試料をイオン化するためのマトリックスであって、次の構造式を有する1H−テトラゾール誘導体であることを特徴としている。
【化1】

ここで、Rは、(a)アルキル基、又は、(b)水酸基、アルキル基、ハロゲン元素を有していてもよいベンゼン系芳香族、のいずれかである。
【0015】
上記構造の1H−テトラゾール誘導体をマトリックスとして使用した場合、MALDI−TOFMS分析の正イオン測定モードにおいて、マトリックス由来のプロトン付加イオンは実質的に検出されない(全く検出されないか又は検出されても無視できる程度である)。一方で、上記構造の1H−テトラゾール誘導体をマトリックスとして負イオン測定モードのMALDI−TOFMS分析を行った場合、マトリックス由来のプロトン脱離イオンがきわめて明瞭に検出される。これは、上記1H−テトラゾール誘導体に含まれるプロトンがテトラゾール環から容易に離れ、正イオン測定モードでは、測定対象物質に移動して該物質のプロトン付加イオンの生成に寄与していることを示している。したがって、本発明に係るマトリックスは、低分子化合物を正イオン化するのにきわめて有用なマトリックスであると言うことができる。
【0016】
特に上記Rを、メチル、フェニル、フェノール、又はメチルベンゼンのいずれかとした場合、MALDI−TOFMS分析の正イオン測定モードにおいて、マトリックス由来のプロトン付加イオンは殆ど検出されることがない。したがって、Rをこれらとした1H−テトラゾール誘導体は低分子化合物のMALDI質量分析において特に好ましいマトリックスである。
【発明の効果】
【0017】
従来のマトリックスを使用したMALDI質量分析では、マトリックス由来の分子イオンピークがマススペクトル上でm/z100〜400の低質量領域に顕著に出現する。そのため、特に分子量が500以下の低分子化合物を測定対象試料とする場合に、この試料由来の分子イオンピークとマトリックス由来の分子イオンピークとが混在し又は重なり、目的とする前者のピークを正確に把握することが困難である。これに対し、本発明に係るMALDI質量分析用マトリックスによれば、正イオン化測定モードにおいてマトリックス由来の分子イオンピークがマススペクトル上に殆ど観測されない。そのため、低分子化合物を測定対象試料とする場合でも、この試料由来の分子イオンピークを正確に把握することが容易になる。それにより、これまで困難であった低分子化合物のMALDI−TOFMS分析を容易に且つ正確に行うことができるようになる。
【0018】
また、本発明に係るMALDI質量分析用マトリックスは、一般に試薬などとして流通している化合物であり、入手が容易でしかも安価なものである。また、取扱いも容易であり、試料調製の手順も従来のマトリックスと変わりない。したがって、分析コストを抑えることができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【図1】本発明の一実施例である5−フェニル−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図2】本発明の一実施例である5−メチル−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図3】本発明の一実施例である5−(1−ナフチル)−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図4】本発明の一実施例である5−(2−ブロモフェニル)−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図5】本発明の一実施例である5−ビフェニル−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図6】本発明の一実施例である5−(4−ヒドロキシフェニル)−1H−テトラゾールをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図7】従来から用いられているCHCAをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【図8】従来から用いられているDHBをマトリックスとして使用した場合に得られる、正イオン測定モードでのマススペクトル(a)及び負イオン測定モードでのマススペクトル(b)の一例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0020】
[実施例1]
マトリックスとして、5−フェニル−1H−テトラゾール(分子量:146.15):68mM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩:0.1mM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。この両者を等量混合し、ステンレス製ターゲットプレート(島津製作所製)上に1μL載せ風乾することにより、試料を調製した。この試料をMALDI−TOFMS(島津製作所製AXIMA−CFR)で測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図1(a)及び(b)に示す。
【0021】
図1(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]、及びカリウム付加分子イオン[M+K]のピークが、m/z260、282、及び298の位置に出現している。一方、m/z72などの同定不能のイオンを除き、m/z23及び39にナトリウムイオン、カリウムイオンのピークが観測される以外に、低質量領域に明確なピークは観測されていない。これは、マトリックスである5−フェニル−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]などが検出されないことを意味しており、これにより、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。なお、m/z72などの同定不能であるイオンは、ターゲットプレートなどに起因する不可避のイオンであると考えられる。これは以下の実施例でも同様である。
【0022】
一方、図1(b)に示すマススペクトルでは、m/z195に顕著に、5−フェニル−1H−テトラゾールのプロトン脱離イオン[m−H]のピークが観測される。これは、レーザ脱離イオン化により、5−フェニル−1H−テトラゾールから1個のプロトンが容易に脱離することを意味している。換言すれば、正イオン化の際に、このマトリックス由来のプロトンが測定対象試料に付加してプロトン付加イオンが容易に生成されることを示している。これにより、正イオン測定モードで観測されるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]のプロトンHがマトリックス由来のものであるとの高い確証が得られる。したがって、MALDI質量分析において5−フェニル−1H−テトラゾールは低分子化合物の正イオン測定に有用なマトリックスであると言うことができる。
【0023】
[実施例2]
マトリックスとして、5−メチル−1H−テトラゾール(分子量:84.08)):200mM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩(Propranolol Hydrochloride):10mM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。プロプラノール塩酸塩の分子量は295.80である。この両者を等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図2(a)及び(b)に示す。
【0024】
図2(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]、及び、カリウム付加分子イオン[M+K]のピークが観測されている。一方、マトリックスである5−メチル−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]は検出されていない。これにより、実施例1と同様に、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。一方、図2(b)に示すマススペクトルでは、マトリックスのプロトン脱離イオン[m−H]が顕著に観測されている。したがって、低分子化合物を正イオン測定する際に、このマトリックスが有用であることが確認できる。
【0025】
なお、メチル基に代えてエチル基などの他のアルキル基を用いた1H−テトラゾール誘導体でも、ほぼ同様の結果となることは容易に考えられる。
【0026】
[実施例3]
マトリックスとして、5−(1−ナフチル)−1H−テトラゾール(分子量:196.21):10mM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩:10mM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。この両者を等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図3(a)及び(b)に示す。
【0027】
図3(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]、及び、カリウム付加分子イオン[M+K]のピークが観測されている。一方、マトリックスである5−(1−ナフチル)−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]は検出されていない。これにより、実施例1と同様に、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。一方、図3(b)に示すマススペクトルでは、マトリックスのプロトン脱離イオン[m−H]が顕著に観測されている。したがって、低分子化合物を正イオン測定する際に、このマトリックスが有用であることが確認できる。
【0028】
なお、ナフチル基は2個のベンゼン環が1辺を共有した構造を有するが、3個又は4個のベンゼン環が直鎖状又は菱形状に結合したアントラセン、テトラセン、ピレンをナフチルの代わりに用いた1H−テトラゾール誘導体でも、ほぼ同様の結果となることは容易に考えられる。
【0029】
[実施例4]
マトリックスとして、5−(2−ブロモフェニル)−1H−テトラゾール(分子量:225.05):10mM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩:10mM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。この両者を等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図4(a)及び(b)に示す。
【0030】
図4(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]のピークは明確に観測されている。一方、マトリックスである5−(2−ブロモフェニル)−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]は検出されていない。これにより、実施例1と同様に、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。一方、図4(b)に示すマススペクトルでは、マトリックスのプロトン脱離イオン[m−H]が顕著に観測されている。したがって、低分子化合物を正イオン測定する際に、このマトリックスが有用であることが確認できる。
【0031】
なお、ブロモフェニルはハロゲン元素が臭素であるハロゲン化フェニルであるが、ハロゲン元素が塩素やフッ素であるハロゲン化フェニルを用いた1H−テトラゾール誘導体でも、ほぼ同様の結果となることは容易に考えられる。
【0032】
[実施例5]
マトリックスとして、5−ビフェニル−1H−テトラゾール(分子量:222.25):10μM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩:10μM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。この両者を等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図5(a)及び(b)に示す。
【0033】
図5(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]のピークは明確に観測されている。一方、マトリックスである5−ビフェニル−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]は検出されていない。これにより、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。一方、図5(b)に示すマススペクトルでは、マトリックスのプロトン脱離イオン[m−H]が顕著に観測されている。したがって、低分子化合物を正イオン測定する際に、このマトリックスが有用であることが確認できる。
【0034】
[実施例6]
マトリックスとして、5−(4−ヒドロキシフェニル)−1H−テトラゾール(分子量:162.15):10μM/メタノール溶液を用い、プロプラノロール塩酸塩:10μM/50%アセトニトリル水溶液を測定対象試料とした。この両者を等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図6(a)及び(b)に示す。
【0035】
図6(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]、及び、カリウム付加分子イオン[M+K]のピークが観測されている。一方、マトリックスである5−(4−ヒドロキシフェニル)−1H−テトラゾール由来のプロトン付加イオン[m+H]は検出されていない。これにより、マトリックスが測定対象試料由来のイオンの検出を妨げないことが分かる。一方、図6(b)に示すマススペクトルでは、マトリックスのプロトン脱離イオン[m−H]が顕著に観測されている。したがって、低分子化合物を正イオン測定する際に、このマトリックスが有用であることが確認できる。
【0036】
[比較例1]
上記各実施例との比較対象として、従来からマトリックスとして用いられているCHCA(分子量:188.16)についても同様の測定を行った。即ち、マトリックスとしてのCHCA10mMと測定対象試料としてのプロプラノロール100μMとを等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図7(a)及び(b)に示す。
【0037】
図7(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来のプロトン付加分子イオン[M+H]が検出されるとともに、マトリックスであるCHCA由来の、プロトン付加イオン[m+H]、[2m+H]、ナトリウム付加イオン[m+Na]、カリウム付加イオン[m+K]、及び、H2O脱離イオン[m+H−H2O]、が検出されている。これらピークは低質量領域に出現するため、目的とする測定対象試料由来の分子イオンピークの同定は難しい。
【0038】
[比較例2]
別の比較対象として、マトリックスとしてのDHB10mMと測定対象試料としてのプロプラノロール100μMとを等量混合し、実施例1と同様に、ステンレス製ターゲットプレート上に1μL載せ風乾することにより試料を調製し、この試料をMALDI−TOFMSで測定した。正イオン測定モードで得られたマススペクトル及び負イオン測定モードで得られたマススペクトルの一例を図8(a)及び(b)に示す。
【0039】
図8(a)で明らかなように、測定対象試料であるプロプラノロール由来の、プロトン付加分子イオン[M+H]、ナトリウム付加イオン[M+Na]、カリウム付加イオン[M+K]、及び、H2O脱離イオン[m+H−H2O]、が検出されるとともに、マトリックスであるDHB由来の、プロトン付加イオン[m+H]、ナトリウム付加イオン[m+Na]、及び、カリウム付加イオン[m+K]、も検出されている。これらピークは低質量領域に出現するため、目的とする測定対象試料由来の分子イオンピークの同定は難しい。
【0040】
以上の結果から、本発明に係るMALDI質量分析用マトリックスを用いることにより、従来のマトリックスでは良好に検出することが困難であった低分子化合物試料由来の分子イオンを、良好に検出できることが確認できる。
【0041】
なお、上記実施例は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
マトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析に供する試料をイオン化するためのマトリックスであって、次の構造式を有する1H−テトラゾール誘導体であることを特徴とするマトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析用マトリックス。
【化1】

ここで、Rは、(a)アルキル基、又は、(b)水酸基、アルキル基、ハロゲン元素を有していてもよいベンゼン系芳香族、のいずれかである。
【請求項2】
請求項1に記載のマトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析用マトリックスであって、前記Rが、メチル、フェニル、フェノール、又はメチルベンゼンであることを特徴とするマトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析用マトリックス。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−204050(P2010−204050A)
【公開日】平成22年9月16日(2010.9.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−52620(P2009−52620)
【出願日】平成21年3月5日(2009.3.5)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【出願人】(504182255)国立大学法人横浜国立大学 (429)
【Fターム(参考)】