説明

ミシン部品

【課題】潤滑油の給油が制限された条件下においても耐摩耗性、耐焼付性及び摺動性に優れたミシンを提供する。
【解決手段】ミシン1において、硬化処理を行っていない低炭素鋼及び低炭素合金鋼からなる母材の表面にポーラス層と緻密層からなる窒化化合物層を生成し、その上にスパッタリングコーティング方式によりCr又はW等の金属層からなる中間層を介在させ、さらにその上にDLC層を形成した。母材とDLC層との間に中間層を設けたことで、母材とDLC層との密着性が向上する。また、最表面にDLC層を形成することで、表面の硬度を向上することができると共に、表面の摩擦抵抗が減少するため潤滑性を向上することができる。これにより、強制的に給油を行わないドライ環境下においても、強制的に給油を行っていた従来のミシンと同等の耐久性を達成することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、部品同士の摺動部に耐磨耗処理を施したミシン部品に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、ミシンには、部品同士が高速で摺動する摺動部が数多く備えられている。例えば、二本針で縫製を行うミシンには、二本の針の何れか一方或いは両方を選択して上下に駆動可能な周知の針棒駆動機構が設けられている。このような針棒駆動機構では、ミシンモータに連結された主軸に偏心錘を介して針棒駆動リンクが回動自在に連結されており、針棒駆動リンクにはピンを介して針棒抱きが回動自在に連結されている。そして、針棒抱きには先端に縫い針を保持する二本の針棒が保持されており、当該二本の針棒のうち何れか一方のみを用いて縫製を行う場合には、他方の針棒と針棒抱きとが摺動することとなる。
ところで、針棒駆動機構に備わるこれらの部品は、加工費等が比較的安価な低炭素鋼や低炭素合金鋼で形成されている。一般に、摺動部に低炭素鋼や低炭素合金鋼を用いる場合には、摺接面の摩耗や焼き付きを防止するため、その表面に浸炭焼き入れ焼き戻し等の熱処理が施されるが、上記二本の針を選択的に保持する針棒抱きは構造が複雑なため部材の肉厚が薄く、800℃以上の高温下で行われる浸炭焼き入れ焼き戻し処理を施した場合には、部材が変形して寸法精度を維持することができない。このため、処理温度の低いタフトライド処理を施すと共に摺接面には給油機構により強制的に給油することで磨耗を防止する構成が採られていた。
しかし、給油機構を設けると油の飛散により縫製物を汚してしまうという問題があることから、近年では潤滑にグリースを用いる無給油化が望まれている。ここで、ミシンの分野ではないが、半導体基盤の摺接面に適用される技術として、無給油化を実現しつつ薄肉部材の潤滑性を向上するために、処理温度が低く表面硬度及び摺動性にも優れるダイアモンドライクカーボン(以下、DLCという)コーティングを施す従来技術が存在している(例えば、特許文献1,2参照。)。
【特許文献1】特開2002−321026号公報
【特許文献2】特開2002−210525号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
しかしながら、上記特許文献1及び特許文献2に開示される技術では、半導体基盤等の摺接面に作用する小さな荷重には対応可能であるが、ミシンの摺接面に作用する程度の荷重に対しては硬化層が薄く、十分な効果を得ることができないという問題があった。
また、硬化処理を行っていない低炭素鋼の母材(以下、単に生材という)の表面にDLCコーティングを施す場合、硬度差が大きいため密着性が低く、摺動に耐え得る十分な厚さのDLC皮膜を形成することが困難であった。
【0004】
本発明は、上記課題を解決するためになされたものであり、潤滑油の給油が制限された条件下においても耐摩耗性、耐焼付性及び摺動性に優れたミシン部品を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
以上の課題を解決するため、請求項1記載の発明は、加熱による硬化処理を行っていない鋼材からなる母材の表面に耐摩耗処理を施したミシン部品において、前記母材の表面に、当該母材と結合する緻密層と、該緻密層の上に結合するポーラス層とを有する窒化膜を形成し、さらにその上に中間層を介在させてDLC(ダイアモンドライクカーボン)被膜を形成し、前記中間層は、硬度領域が当該窒化膜とDLC被膜との中間に位置することを特徴とするミシン部品である。
【0006】
請求項2記載の発明は、請求項1記載のミシン部品であって、前記DLC被膜は、金属を含有する1種類のDLC被膜よりなることを特徴とする。
【0007】
請求項3記載の発明は、請求項2記載のミシン部品において、前記DLC被膜に含有される金属はCr又はWであることを特徴とする。
【0008】
請求項4記載の発明は、加熱による硬化処理を行っていない鋼材からなる母材の表面に耐摩耗処理を施したミシン部品において、前記母材の表面に、当該母材と結合する緻密層と、該緻密層の上に結合するポーラス層とを有する窒化膜を形成し、さらにその上に中間層を介在させてWC/C(タングステンカーバイド・カーボン)被膜を形成し、前記中間層は、硬度領域が当該窒化膜とWC/C被膜との中間に位置することを特徴とするミシン部品である。
【0009】
請求項5記載の発明は、請求項1から請求項4の何れか一項記載のミシン部品において、前記中間層は、Cr又はWからなることを特徴とする。
【0010】
請求項6記載の発明は、請求項1から請求項5の何れか一項記載のミシン部品において、前記加熱による硬化処理を行っていない鋼材は、浸炭焼き入れ焼き戻し又は焼き入れ焼き戻し処理のいずれも行っていない低炭素鋼、低炭素合金鋼又は合金鋼であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0011】
請求項1記載の発明によれば、窒化膜とDLC被膜との間に、硬度領域が両者の硬度領域の中間に位置する中間層を設けることで、窒化膜とDLC被膜との間に生じる残留応力が緩和され、両者の密着性が向上する。また、DLC被膜は、アモルファス構造であることから、高硬度且つ滑らかな表面形状を得ることができる。従って、母材の表面の摩擦抵抗を大幅に減少させることができる。これにより、円滑な摺動動作を実現することができると共に当該摺動部での発熱が防止される。さらに、潤滑油の供給が制限される環境下においても耐摩耗性、耐焼付性に優れたミシン部品を構成することができる。また、焼き入れ等により熱変形を生じうる薄肉部を有する部材に対して、その表面を硬く、且つ、滑りを良好にすることができ、ドライ環境下での使用を可能とすることができる。
【0012】
請求項2記載の発明によれば、請求項1記載の発明と同様の作用効果を得ることができる他、さらに、DLC被膜に金属を含有させることで、中間層が金属の場合に密着性を高めることができ、DLC被膜を厳しい摺動環境下でも強固に維持することが可能となる。
【0013】
請求項3記載の発明によれば、請求項2記載の発明と同様の効果を得ることができる他、さらに、DLC被膜にはCr又はWを含有させることで、中間層がCr又はWの場合に密着性を高めることができ、DLC被膜を厳しい摺動環境下でも強固に維持することが可能となる。
【0014】
請求項4記載の発明によれば、窒化膜とWC/C被膜との間に、硬度領域が両者の硬度領域の中間に位置する中間層を設けることで、窒化膜とWC/C被膜との間に生じる残留応力が緩和され、両者の密着性が向上する。また、高硬度な表面を得ることができる。従って、母材の表面の摩擦抵抗を大幅に減少させることができる。これにより、円滑な摺動動作を実現することができると共に当該摺動部での発熱が防止される。さらに、潤滑油の供給が制限される環境下においても耐摩耗性、耐焼付性に優れたミシン部品を構成することができる。また、焼き入れ等により熱変形を生じうる薄肉部を有する部材に対して、その表面を硬く、且つ、滑りを良好にすることができ、ドライ環境下での使用を可能とすることができる。
【0015】
請求項5記載の発明によれば、請求項1から請求項4の何れか一項記載の発明と同様の効果を得ることができる他、特に、中間層はCr又はWから形成され、母材と被膜との密着性がさらに向上される。すなわち、Cr又はWは、DLC又はWC/Cとの密着性が良好であり、DLC又はWC/Cの被膜を厳しい摺動環境下でも強固に維持することが可能となる。
【0016】
請求項6記載の発明によれば、請求項1から請求項5の何れか一項記載のミシン部品と同様の効果を得ることができる他、特に、焼き入れ等により熱変形を生じうる薄肉部を有する部材に対して、その表面を硬く、且つ、滑りを良好にすることができ、ドライ環境下での使用を可能とすることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
以下、図面を参照して、本発明に係るミシンの最良の形態について詳細に説明する。
本実施形態では、ミシンとして、二本針で縫製を行う二本針ミシンを例に説明する。なお、以下の説明において、垂直上下方向をZ軸方向、水平面に設置した状態における二本針ミシンのアーム部の長手方向をY軸方向、図示しない針板の板面に平行であってY軸方向直交する方向をX軸方向とする。また、X軸方向とY軸方向とZ軸方向とは互いに直交するものとする。
【0018】
(実施形態の全体構成)
図1に示すように、本発明の実施形態たるミシン(二本針ミシン)1は、図示しないミシンモータにより回転される主軸52の回転運動をZ軸方向に沿う往復上下動に変換する図示しない針上下動機構を備えている。
なお、ミシン1は、後述する針棒支持枠55を揺動させて縫針の先端を送り方向に移動させる針振り機構や、被縫製物を布送り方向に沿って送る送り機構等、二本針による縫製を行うための種々の機構を備えているが、これらは従来周知のものと同様であるため、本実施形態では詳述しない。
【0019】
針上下動機構は、ミシンアーム部の先端内部に設けられている。かかる針上下動機構は、主軸52の先端に設けられた偏心錘53の偏心部に一端が回動自在に連結された針棒クランク54と、針棒クランク54の他端に回動自在に連結されたミシン部品としての針棒抱き30と、該針棒抱き30に保持され、先端にそれぞれ縫針を保持するミシン部品としての二本の針棒10と、これら二本の針棒10を個別に上下で摺動自在に支持することで当該二本の針棒10の移動方向を規制する針棒支持枠55と、を備えている。
そして、ミシンモータの駆動により主軸52が回転すると、偏心錘53及び針棒クランク54を介して針棒抱き30が上下に駆動する。これにより、当該針棒抱き30に保持された二本の針棒10が上下に往復移動を行うようになっている。
【0020】
針棒抱き30は、それぞれの針棒10の保持を選択的に保持状態と解除状態とに切り替え可能なクラッチ機構と、該クラッチ機構により保持状態を解除された針棒10を針棒支持枠55に保持させるストッパ機構と、人為的な入力操作によりいずれかの針棒10を選択してクラッチ機構における保持状態と解除状態とを切り替える切り替え機構80と、を備えている(図3参照)。
クラッチ機構60は、図1及び図5に示すように、針棒抱き51の正面から各挿通穴まで貫通した円形の支持穴57に挿入される二つのミシン部品としてのクラッチ部材61と、各クラッチ部材61をそれぞれ個別に進退移動させる二つのミシン部品としての従動リンク62と、各従動リンク62を介して各クラッチ部材61に対して前進方向の移動力を個別に付与する二つの押圧バネ63と、各クラッチ部材61を後退した状態(退避位置)でそれぞれ係止する二つのミシン部品としての係止爪64と、各係止爪64が係止を行う方向にそれぞれ押圧する二つの押圧バネ65と、各係止爪64による係止を解除する操作を外部から入力可能なミシン部品としての解除ピン66とを備えている。
そして、切り替え機構80を人為的に操作することで、各針棒10のうち、何れか一方のみを用いて縫製を行う場合、他方の針棒10は上死点位置で針棒支持枠55に保持される。すなわち、針棒抱き30には一方の針棒10のみが保持されるため、当該針棒抱き30と他方の針棒10との間に摺接面が生ずることとなる。また、クラッチ機構の各部材も、薄肉であり且つその作動において他の部材との摺動を生じる。
【0021】
(窒化膜及びDLC被膜の積層構造)
ここで、本実施形態における針棒抱き30は、図4及び図5に示すように、低炭素鋼、低炭素合金鋼又は合金鋼を母材31として形成されており、その表面には、窒化物からなる窒化化合物層32が形成されている。さらに、本実施形態たるミシン1では、上記窒化化合物層32の上に、クロム(Cr)からなる中間層33を介してDLC(ダイアモンドライクカーボン:diamond like carbon)層35が形成されている。
【0022】
母材31は、図6に示すように、フェライト部及びパーライト部の混合組織により形成されている。すなわち、本実施形態における針棒抱き30の母材31は、低炭素鋼、低炭素合金鋼又は合金鋼の生材、すなわち、浸炭焼き入れ焼き戻し等の加熱による硬化処理を行っていない鋼材が用いられている。
本実施形態における針棒抱き30は、上述した種々の機構を内蔵しているため、その肉厚が1.0〜1.5mmと、一般の針棒抱き30に比べて肉薄になっている。このため、800℃以上の温度領域で行われる浸炭焼き入れ焼き戻し又は焼き入れ焼き戻し等の硬化処理による寸法精度の悪化を防止するため、かかる処理を行わない生材が用いられている。この母材31の硬度は、200HV〜300HVとなっている。
【0023】
窒化化合物層32(以下、窒化物層32という)は、600℃以下の低温度領域における塩浴軟窒化処理(タフトライド処理)によって母材31の表面に形成されており、緻密な窒化化合物層32a(以下、緻密層32aという)と、その外側となるポーラス状の窒化化合物層32b(以下、ポーラス層32bという)とから形成されている。
塩浴軟窒化法による処理は、次の(1)及び(2)に示す化学反応により行われる。
【0024】
2NaCN+O=2NaCNO ・・・(1)
【0025】
4NaCNO=2NaCN+NaCO+CO+2N ・・・(2)
【0026】
ここで、(1)式において形成されたNaCNOの熱分解により、低炭素合金鋼の表面に窒化化合物層と少量の炭化物層が形成される。かかる塩浴軟窒化処理により、母材31に接する部分には緻密の浸炭窒化化合物層32aが形成される。その硬度は900HV〜1000HVである。また、表面側には低密度で内部に多数の空孔を有するポーラス状の窒化化合物層32bが形成される。その硬度は500HV〜700HVとなっている。
これら緻密層32a及びポーラス層32bは、本実施形態における窒化膜を構成する。
【0027】
中間層33は、クロムからなる金属層であり、スパッタリングコーティング方式により上記ポーラス層32bの表面に形成されている。
この中間層33は、硬度が700HV〜800HVであって、上記窒化物層32のポーラス層32b(500HV〜700HV)よりも硬く、且つ、後述するDLC層35(1500HV〜3000HV)よりも軟らかい層を形成している。すなわち、中間層33は、窒化物層32及びDLC層35の何れの層とも相性がよく、ポーラス層32bとDLC層35との密着性を高める機能を備えている。つまり、この中間層33は、母材31及びその表面に形成された窒化膜層32と、後述するDLC層35との硬度勾配をつなぐ傾斜層をなしており、硬度差が大きい上下の層を直接的に積層することによる内部の残留応力を緩和するために設けられている。また、その結果として、下層(本実施形態では母材31)に対する上層(本実施形態ではDLC層35)の密着性を向上させるためのものである。
【0028】
DLC層35は、中間層33の上すなわち針棒抱き30の最表面に形成されている。
本実施形態におけるDLC層35は、イオン化蒸着法により形成されている。すなわち、真空中で、熱フィラメントによる高温アーク放電を用いてプラズマを発生させ、母材31側を電極として負(−)のバイアスをかける方式である。この方法は、ナノオーダーでの膜厚制御が可能であり、比較的高硬度の膜が得られることが特徴である。また、イオン化蒸着法でDLC層35を形成する場合、高周波プラズマCVD法に比べて被膜中に残留する水素(H)がなく、脆性を生じにくいため好適である。また、本実施形態では、上述したように、窒化物層32の上にクロムからなる中間層33を介在させ、さらにその上に当該DLC層35を積層する構成を採っている。従って、母材31或いは窒化物層32の上に直接DLC層35を形成する場合に比べ、当該DLC層35と接触する部材との硬度差が小さいため、各層間における残留応力が大幅に緩和されている。つまり、高い密着性により安定して成長した当該DLC層35は、十分に厚く形成されている。
このDLC層35は、アモルファス構造のため結晶粒界を持たず、例えば、窒化チタンなどの多結晶構造の硬質薄膜と比べて非常に平滑な表面を有している。
また、DLC層35は、共有結晶体であるダイヤモンドと積層構造を有するグラファイトの両方の特性を有している。すなわち、DLC層35は、ダイヤモンドと同等の硬度(1500HV〜3000HV)を有すると共に、グラファイトと同様の表面の剥がれ易さ、すなわち、滑りやすさ、滑らかさを備えているものである。
なお、DLC層には金属、特に、Cr又はWを含ませても良い。これにより、中間層との相性をより良好とし、その相互の密着性を高めることができる。
また、クラッチ機構60の各ミシン部品も同様の母材、窒化層、中間層、DLC層を備えている。
なお、本実施形態では、潤滑油等の液体潤滑剤は使用しないが、上述した摺動部における摺動性をより円滑とするために針棒10と針棒抱き30との摺接面にグリースを塗布して使用される。
【0029】
(針棒駆動機構の動作)
次に、本実施形態たるミシン1における針上下動機構50の動作について説明する。
まず、ミシンが停止した状態で、上記切り替え機構80を操作することにより、二本の針棒10のうち、何れか一方の針棒10の保持を解除状態とする。
次に、ミシンモータの駆動により主軸52及び偏心錘53が回転すると、偏心錘53に取り付けられた針棒クランク54の先端は上下方向に移動される。針棒クランク54の移動により、当該針棒クランク54に取り付けられた針棒抱き30及び該針棒抱き30に保持された針棒10はその軸線方向(図1における上下方向)に往復移動を行う。針棒10が駆動することにより、針棒10と針棒抱き30との間に摺動部が形成される
【0030】
ここで、針棒抱き30の表面には、DLC層35が形成されているため、針棒10の表面と針棒抱き30のDLC層35とが摺接することとなる。DLC層35は、その平滑な表面によって優れた摩擦摩耗特性(トライボロジー特性)を有するため、良好な摺動性が得られる。つまり、針棒10と針棒抱き30とは滑らかに摺動することとなる。従って、ミシンの耐摩耗特性及び耐久性が向上する。
【0031】
さらに、本願発明者の実験によれば、表面にDLC層35を形成した針棒抱き30を搭載した本実施形態たるミシン1において、3000rpm、50%の実稼動率で少なくとも1500時間以上の運転が可能であった。
市場実態として、縫製工場における使用状態を2500rpm、20%の実稼動率とすれば、1年間の実稼働時間が500時間程度となる。
これに対して、本実施形態たるミシン1では、環境温度と稼動率の加速度係数が2.4倍であるため、市場実態に換算すると、1500時間×2.4=3600時間に相当する。
つまり、本発明の実施形態たるミシン1によれば、ドライ環境下での運転であっても、市場における使用実態が上述した使用状態であるとすれば、少なくとも7年間使用可能であるということになる。
すなわち、強制的に潤滑油を供給せずに、グリースのみで運転を行うドライ化ミシンであっても、摺動部に対して強制的に潤滑油を供給していた従来のミシンと同等以上の耐摩耗特性が得られることとなる。
【0032】
(実施形態の効果)
以上のように、本実施形態たるミシン1によれば、薄肉部材である針棒抱き30に、低炭素鋼、低炭素合金鋼及び合金鋼からなる母材31を用いる場合であっても、当該母材31の表面にDLCコーティングによるDLC層を形成することができる。従って、針棒抱き30の表面の硬度を大幅に向上することができ、且つ、表面の摩擦係数を大幅に低減することが可能となる。従って、摺動面の潤滑性を大幅に向上することができる。
これにより、強制給油を行わないドライ環境下においても、強制給油を行っていた従来のミシンと同等以上すなわち、少なくとも7年間の使用を可能とする耐久性を達成(確保)することができる。
また、上述した方法でDLC被膜を形成することで、加熱による硬化処理を行っていない鋼材の寸法精度を崩すことなく、当該鋼材の表面にDLC被膜を形成することができる。
【0033】
なお、中間層33は、一層に限定されるものではなく、2層或いは3層以上であってもよい。すなわち、本実施形態ではクロムから構成される中間層33の1層のみとしているが、例えば、図7に示すように、ポーラス層32bの上にクロムからなる中間層33を形成し、その中間層33の上にさらにタングステン(W)からなる中間層34(W層:900HV〜1000HV)を形成してもよい。かかる中間層34もまた、スパッタリングコーティング方式により形成される。
この場合、中間層34は、硬度がポーラス層32bとDLC層35との中間に位置する物質からなる層であることが好ましく、且つ、上層となるにつれて硬度が高くなるように積層させることが望ましい。このように、中間層を2層とすることで、ポーラス層32bとDLC層35との間に2層の金属層からなる中間層33,34が形成され、互いの硬度が近接する金属による傾斜層を形成することができる。従って、上下の層と馴染みが良く、上下の層の密着性をより向上させることができる。すなわち、最表面に形成するDLC層35をより長時間にわたって維持することが可能となる。従って、ミシン1の耐久性を向上することができる。
【0034】
また、最表面に形成するDLC層35は、図8に示すように、WC/C(タングステンカーバイト・カーボン)層36であってもよい。かかる構成とした場合、WC/C層36の硬度は1000HV〜1500HVであるため、DLC層35よりも中間層33の硬度(700HV〜800HV)に近く、中間層33との密着性及び化学的安定性がよく、馴染みがよい。従って、密着性の高い安定な硬化膜を形成することができる。
【0035】
また、本実施形態では、摺動部として針棒10と針棒抱き30との摺動部分を例に上げ、針棒抱き30の表面に窒化物層32、中間層33及びDLC層35を形成する場合について説明したが、本発明が適用される部分は針棒抱き30に限定されない。すなわち、針棒10の表面にかかる硬化処理を施してもよいし、また、軸と軸受けとの摺接面や、内釜と外釜等、二つの部材が相対的に摺接する部分であれば適用可能である。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】本実施形態における針棒駆動機構を示す正面図である。
【図2】本実施形態における針棒駆動機構を示す側面図である。
【図3】本実施形態における針棒抱きを示す斜視図である。
【図4】本実施形態における表面処理によって形成された針棒抱きの表面付近の積層構造を示す概念図である。
【図5】本実施形態における表面処理によって形成された針棒抱きの表面付近の積層構造を示す拡大写真である。
【図6】本実施形態における針棒抱きの母材の表面近傍組織を示す拡大写真である。
【図7】本実施形態における針棒抱きの窒化物層の表面に、Cr層及びW層の2層からなる中間層を介してDLC層を形成した状態を示す概念図である。
【図8】本実施形態における針棒抱きの窒化物層の表面に、Crからなる中間層を介して最表面にWC/C層を形成した状態を示す概念図である。
【符号の説明】
【0037】
1 ミシン
10 針棒
30 針棒抱き
31 母材
32 窒化物層(窒化化合物層)
32a 緻密層
32b ポーラス層
33 中間層(Cr)
34 中間層(W)
35 DLC層
36 WC/C層
50 針上下動機構
52 主軸
53 偏心錘
54 針棒クランク
55 針棒支持枠
60 クラッチ機構
61 クラッチ部材
62 従動リンク
63 押圧バネ
64 掛止爪
65 押圧バネ
80 切り替え機構

【特許請求の範囲】
【請求項1】
加熱による硬化処理を行っていない鋼材からなる母材の表面に耐摩耗処理を施したミシン部品において、前記母材の表面に、当該母材と結合する緻密層と、該緻密層の上に結合するポーラス層とを有する窒化膜を形成し、さらにその上に中間層を介在させてDLC被膜を形成し、
前記中間層は、硬度領域が当該窒化膜とDLC被膜との中間に位置することを特徴とするミシン部品。
【請求項2】
前記DLC被膜は、金属を含有する1種類のDLC被膜よりなることを特徴とする請求項1記載のミシン部品。
【請求項3】
前記DLC被膜に含有される金属はCr又はWであることを特徴とする請求項2記載のミシン部品。
【請求項4】
加熱による硬化処理を行っていない鋼材からなる母材の表面に耐摩耗処理を施したミシン部品において、前記母材の表面に、当該母材と結合する緻密層と、該緻密層の上に結合するポーラス層とを有する窒化膜を形成し、さらにその上に中間層を介在させてWC/C被膜を形成し、
前記中間層は、硬度領域が当該窒化膜とWC/C被膜との中間に位置することを特徴とするミシン部品。
【請求項5】
前記中間層は、Cr又はWからなることを特徴とする請求項1から請求項4の何れか一項記載のミシン部品。
【請求項6】
前記加熱による硬化処理を行っていない鋼材は、浸炭焼き入れ焼き戻し又は焼き入れ焼き戻し処理のいずれも行っていない低炭素鋼、低炭素合金鋼又は合金鋼であることを特徴とする請求項1から請求項5の何れか一項記載のミシン部品。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図7】
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【図8】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2007−167317(P2007−167317A)
【公開日】平成19年7月5日(2007.7.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−368530(P2005−368530)
【出願日】平成17年12月21日(2005.12.21)
【出願人】(000003399)JUKI株式会社 (1,557)
【Fターム(参考)】