説明

レーザーイオン化質量分析方法及びレーザーイオン化質量分析装置

【課題】 レーザーをイオン化に用いる質量分析において、レーザーの照射領域や照射位置を、試料設置後の試行錯誤等によるのではなく、容易に設定すること、データの再現性を向上させること及び測定時間を短縮することを可能とする方法及びそのための装置を提供する。
【解決手段】 レーザーイオン化質量分析方法を、サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を求め、その結果からパルスレーザーの照射場所を設定するものとする。試料の厚さや厚さ分布を顕微鏡での測定により求めるのが好ましい。パルスレーザーの照射場所の設定は顕微鏡によって求められる厚さ分布データに対して閾値を設定し、当該閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定することにより行うか、或いは試料の厚さとレーザー照射で生じるイオンの質量スペクトルとの関係を示す検量線と照合することにより行うのが好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、試料の厚さや厚さ分布の測定結果からレーザーの照射場所を設定するレーザーイオン化質量分析方法及びそれに用いられるレーザーイオン化質量分析装置に関するものである。
【背景技術】
【0002】
レーザーをイオン化に用いる質量分析は、例えばサンプルの分子量や原子量等の測定や分子構造解析や成分分析等、化学、臨床、バイオ技術などの分野で利用されているが、その手段系として、MALDI−TOFMS(Matrix Assisted Laser Desorption Ionization − Time of Flight Mass Spectrometry)を含むLDI−TOFMS(レーザーイオン化飛行時間型質量分析装置)等がある。LDI−TOFMSでは、サンプルプレート上のサンプル、例えば該プレートにサンプル溶液を滴下し、溶媒を飛ばして乾燥させたサンプル等にレーザーを照射してイオン化させて発生させたイオンが電場内で飛行する時間等を計測するものである。
【0003】
レーザー質量分析法特にMALDI質量分析法は高感度な分析法として優れているが、レーザーパルスごとに、またレーザーを照射する位置によっても、発生するイオンの量が大きく変動するためにデータの再現性に乏しいことが多くその有用性に限界があると思われてきた。
【0004】
その一つの原因は測定に供される試料の表面または内部が均質性に乏しいことである。そのため、均質性を向上させる方法としてラピッドドロップレット法、エレクトロスプレー法、液体マトリックス法等の種々の方法が提案されてきた。
しかし、原理的に均質性が高いと考えられる液体マトリックス法を用いても実際にはレーザーを照射する場所によってスペクトルに大きい変動が起きる。したがって、レーザー照射を行う場所を試料設置後の試行錯誤ではなく、予め知ることは重要である。
また、液体マトリックスは真空中での蒸発により質量分析装置の真空槽を汚染する程度が高いと考えられているため、測定時間の短縮が望まれているが、前もってレーザー照射場所が分かれば測定時間を短縮することができる。
【0005】
また、このようなレーザー質量分析においては、サンプルの形状等により計測結果が変動し、データの再現性が乏しくなり、データをとるのに何度も計測したりするため、測定時間が長くかかるなどの問題がある。
そこで、このような問題を改善すべく、サンプル形状の改良方等の手法、例えばサンプル溶液を基板上で乾燥させる際に局所的に気流を吹き付けて結晶成長の速度を制御することにより乾燥試料中に濃度勾配を生じさせ、その情報によりイオン化のためのレーザー照射位置の特定を容易にする手法(特許文献1参照)、サンプル溶液を滴下する基板に局所的に親和性の表面処理を施して乾燥試料を局在化させかつ表面の凹凸の生成を避けて分解能の向上等を図る手法(特許文献2参照)、サンプルの表面の高さを均一にして質量分析のデータの質を向上させるために、金属基板の表面をプラズマ処理することにより親水性をもたせてサンプル溶液が平らに広がるようにする手法(特許文献3参照)などが提案されている。
これらの従来手法のうち、前者はレーザー照射位置の特定を容易にすべく試料の結晶性と濃度勾配を制御するものであるし、また、後二者はイオン化のために設定する電場が試料表面の凹凸により乱されることを避けることを目的とするものである。
【0006】
【特許文献1】特開2003−98154(特許請求の範囲その他)
【特許文献2】特表2002−543440(特許請求の範囲その他)
【特許文献3】特開2004−347524(特許請求の範囲その他)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の課題は、このような事情のもとで、レーザーをイオン化に用いる質量分析において、レーザーの照射領域や照射位置を、試料設置後の試行錯誤等によるのではなく、容易に設定すること、データの再現性を向上させること及び測定時間を短縮することを可能とする方法及びそのための装置を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、前記した課題下の質量分析について鋭意研究を重ねた結果、試料の厚さを測定して再現性の良いデータが取れる試料上のレーザーの照射場所を設定することが課題達成に資することを見出し、この知見に基づいて本発明をなすに至った。
【0009】
すなわち、本発明によれば、以下の発明が提供される。
(1)サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を求め、その結果からパルスレーザーの照射場所を設定することを特徴とするレーザーイオン化質量分析方法。
(2)試料の厚さ又は厚さ分布を求めるのを、顕微鏡での測定により行う前記(1)記載の方法。
(3)パルスレーザーの照射場所を設定するのを、顕微鏡によって求められる厚さ分布データに対して閾値を設定し、当該閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定することにより行う前記(1)又は(2)記載の方法。
(4)パルスレーザーの照射場所を設定するのを、試料の厚さとレーザー照射で生じるイオンの質量スペクトルとの関係を示す検量線と照合することにより行う前記(1)ないし(3)のいずれかに記載の方法。
(5)レーザーのパルスごとの再現性の良いデータを得る前記(1)ないし(4)のいずれかに記載の方法。
(6)試料測定時間を短縮し、試料のレーザーイオン化に由来する汚染の程度を抑制する前記(1)ないし(5)のいずれかに記載の方法。
(7)サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を測定する顕微鏡、及び該顕微鏡での測定により求められた厚さや厚さ分布の測定結果から設定された照射場所へパルスレーザーが照射されるように制御されたレーザー照射装置を備えることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置。
(8)サンプル台上の試料の厚さ分布を測定する顕微鏡、及び該顕微鏡での測定により求められた厚さ分布データに対して設定した閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定し、該領域へパルスレーザーが照射されるように制御されたレーザー照射装置を備えることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置。
本発明において、試料には、所定の質量分析に付される対象物としての試料はもちろん、該対象物としての試料とマトリックスとの併用物も包含される。
【0010】
本発明方法には、先ず、サンプル台或いは基板上の試料の厚さや厚さ分布をレーザーの照射前に測定し、レーザーの予定照射位置や予定照射領域を設定する方法が包含される。
この位置決め方法或いは領域決め方法は、例えば、試料を溶媒にとった試料液を作製し、この試料液から溶媒を大気中で揮発或いは蒸発させた後に、図1に示すような質量分析装置に設置する場合と同じように、試料の支持された基板やサンプル台を、基板の場合は観察台に設置し、またサンプル台の場合はそのままにし、図2のようにして、顕微鏡を用い横方向から観察して試料の厚さや厚さの分布を計測し、その結果と予め求めた厚さとレーザー照射で生じるイオンの質量スペクトルとの関係を示す検量線と照合することによってレーザー照射位置を設定し、また、顕微鏡によって求められる厚さ分布データに対して閾値を設定し、当該閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定することによってパルスレーザーの照射領域を設定するものである。
【0011】
また、本発明方法には、上記試料の厚さや厚さ分布の測定を、レーザーの照射中に行い、レーザーの照射位置や照射領域を設定する方法も包含される。例えば、図3に示されるように、顕微鏡を備えた質量分析装置を用いて試料が該装置に設置された状態で上記方法と同様にしてレーザー照射位置を設定する方法等が挙げられ、これは測定中にレーザー照射や蒸発、例えば緩慢だが無視できない蒸発等により厚さが変化する試料に有効である。
【0012】
さらに、本発明方法には、質量分析装置内で送液系の微小ノズル孔から供出される試料液について、該ノズル孔付近での形状或いはそれから移動させたサンプル台或いは基板上での形状における厚さや厚さ分布を測定してレーザーの照射位置や照射のタイミングを設定する方法も包含される。例えば、図4に示されるように、測定分子を含む液体状マトリックスを送液装置によって質量分析装置のイオン化部付近に導き、その形状を厚さや厚さ分布として顕微鏡によって観察、測定して、質量分析に適当な形状に成長したところでレーザー照射によりイオンを発生させて質量スペクトルを得る方法等が挙げられる。
【0013】
このような種々の方法に用いられるレーザーイオン化質量分析装置は、サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を測定する顕微鏡とともに、レーザー照射装置として該顕微鏡での測定により求められた厚さや厚さ分布の測定結果から設定された照射場所へパルスレーザーが照射されるように制御されるものを備えたものがよく、特に該レーザーイオン化質量分析装置には、サンプル台上の試料の厚さ分布を測定する顕微鏡とともに、レーザー照射装置として該顕微鏡での測定により求められた厚さ分布データに対して設定した閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定し、該領域へパルスレーザーが照射されるように制御されるものを具備させるのが好ましい。
【発明の効果】
【0014】
従来のレーザーイオン化質量分析技術は、試料の形状を制御または考慮しないものでは殆ど定性の目的に用いられており、定量を行うときには平均化または選別によって発生するイオン量の変動を押さえるために比較的多くのスペクトルを測定する必要があり、そのため測定時間が長くかかりすぎるし、また、試料の形状を基板に対して平滑にするのを目的とするものは液体などの流動性のある試料やそのようなマトリックスを併用する試料にはそれが気相や真空中に置かれた基板の上では重力の作用により決まった形を取るため適用できないという問題があった。
本発明は、このような流動性のある試料に有効であるし、また、濃度が均一な試料であれば流動性に乏しいものにももちろん適用できる。
また、本発明は、試料作製時に組成を制御する方法よりも求めやすい厚さをパラメータに用いるのでレーザーの照射位置の設定をより容易に行え、データの再現性を向上させ、測定時間を短縮することができるという利点がある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
次に、実施例により本発明を実施するための最良の形態を説明するが、本発明はこれらの例により何ら限定されるものではない。
【実施例1】
【0016】
測定時と同様の状態におかれた試料の厚さ分布を求め、それとMALDI質量分析測定で得られるレーザーパルス毎のイオン強度の変動との関係を以下のようにして求めた。
(1)測定試料に一般式(C2n+1NBr(n=2〜8)で表わされるテトラアルキルアンモニウムブロミドを使用し、マトリックスにはN−(4−メトキシベンジリデン)−4−ブチルアニリン(以下MBBAと称す)を使用した。
すべての測定試料を同じモル数ずつ取り、マトリックスと一緒にエタノールに溶解して試料液とした。その中で各(C2n+1NBrの濃度は6.5×10−5mol/l、MBBAの濃度は2.4×10−1mol/lとなるようにした。
(2)この試料液の3.7μlをピペットを用いて銀製の基板上に図5の斜線で示す範囲で満遍なく塗布し、揮発成分が蒸発して試料の形状が安定するのを待った。
(3)形状が安定化された試料を、図2のように真横から見るように観察台に設置し、実体顕微鏡を基板の中心に焦点が合うようにセットして観察した。その際、撮影画面に同時に写るように、焦点付近に寸法の分かった物体を設置して長さの基準とした。実体顕微鏡で観察した像をカメラで撮影した。写真には基板の鉛直中心線付近の試料表面の輪郭の像がとらえられた。
(4)そのままの状態で清浄な紙で吸い取ることにより試料のみを取り除いて再び撮影した。今度は写真には基板表面の輪郭の像がとらえられた。
(5)2枚の写真の像を紙にトレースし、重ね合わせてその形状より試料の厚さ分布を求めた。それを図6に示す。試料および対象のデータの画像を比べて基板上の位置に対する試料の厚さの分布を求めた。それを図7に示す(ここで示された「レーザー照射位置」とは、質量スペクトルを計測するときの試料のレーザー照射位置に対応するものである。)
(6)MBBAはMALDI質量分析法に用いられるマトリックスであり、窒素レーザーの波長(337nm)付近で強い光吸収を示し、溶解された試料のテトラアルキルアンモニウムブロミドから解離するテトラアルキルアンモニウムイオンをMALDI質量分析で検出しそのイオン強度を次のようにして測定した。
前項の厚さ分布の測定に用いたものと全く同じ方法で作製した試料を、パルス窒素レーザーを備えたレーザー脱離イオン化質量分析装置(図1)の中に、形状観察時と同様の方向に設置して、基板の中心線に沿って下から上へ0.2mmの間隔をあけて照射位置を移動しながら各位置で5回ずつパルスレーザー光を照射し、すべての質量スペクトルをレーザーパルスのショット毎に記録した。スペクトル中のnは(C2n+1イオンを表す。
(7)試料の厚さが薄いところではテトラアルキルアンモニウムイオンの強度がレーザーパルス毎に大きく変動した。その例として、試料の厚さが約29μmの第14照射位置でのレーザーパルス毎のイオン強度の変動を図8に示す。これに対し、試料厚さが厚いところではレーザーパルス毎のイオン強度が安定していた。その例として試料の厚さが約68μmの第5照射位置でのレーザーパルス毎のイオン強度の変動を図9に示す。
これより、あらかじめ試料の厚さ分布を知ることにより、試料の厚さの厚い箇所へパルスレーザーを照射することでパルス毎のイオン強度の変動を抑制しうることが分かる。
【産業上の利用可能性】
【0017】
本発明方法は、化学物質の質量分析においてイオン量を安定させることができるため、分析法自体の信頼性が増し、更に定量分析にも用いられる可能性があるし、また、外部から液体状試料を注入してそれをオンラインでMALDI質量分析法により分析する装置に用いられる可能性があるし、さらにまた、試料の測定時間が短縮され装置内部の汚染が低減するため、分析の効率化のために用いられる可能性がある。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【図1】レーザー脱離イオン化質量分析装置の一例を示す模式図。
【図2】試料の厚さや厚さ分布を顕微鏡で測定する仕方の一例を示す模式図。
【図3】試料の厚さや厚さ分布を測定する顕微鏡を備えたレーザーイオン化質量分析装置の一例を示す模式図。
【図4】試料液供給系を備えたレーザーイオン化質量分析装置の一例を示す模式図。
【図5】基板を正面から見た図。
【図6】試料の厚さ分布の一例を示す測定図。
【図7】図6より求めた試料の厚さの分布。
【図8】図6における第14照射位置へのレーザー照射によって発生したテトラアルキルアンモニウムイオンのレーザーパルスショット毎の質量スペクトル。
【図9】図6における第5照射位置へのレーザー照射によって発生したテトラアルキルアンモニウムイオンのレーザーパルスショット毎の質量スペクトル。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を求め、その結果からパルスレーザーの照射場所を設定することを特徴とするレーザーイオン化質量分析方法。
【請求項2】
試料の厚さや厚さ分布を求めるのを、顕微鏡での測定により行う請求項1記載の方法。
【請求項3】
パルスレーザーの照射場所を設定するのを、顕微鏡によって求められる厚さ分布データに対して閾値を設定し、当該閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定することにより行う請求項1又は2記載の方法。
【請求項4】
パルスレーザーの照射場所を設定するのを、試料の厚さとレーザー照射で生じるイオンの質量スペクトルとの関係を示す検量線と照合することにより行う請求項1ないし3のいずれかに記載の方法。
【請求項5】
レーザーのパルスごとの再現性の良いデータを得る請求項1ないし4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】
試料測定時間を短縮し、試料のレーザーイオン化に由来する汚染の程度を抑制する請求項1ないし5のいずれかに記載の方法。
【請求項7】
サンプル台上の試料の厚さや厚さ分布を測定する顕微鏡、及び該顕微鏡での測定により求められた厚さや厚さ分布の測定結果から設定された照射場所へパルスレーザーが照射されるように制御されたレーザー照射装置を備えることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置。
【請求項8】
サンプル台上の試料の厚さ分布を測定する顕微鏡、及び該顕微鏡での測定により求められた厚さ分布データに対して設定した閾値以上の厚さを有するサンプル台上の試料領域をイオン化領域として設定し、該領域へパルスレーザーが照射されるように制御されたレーザー照射装置を備えることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate


【公開番号】特開2006−324212(P2006−324212A)
【公開日】平成18年11月30日(2006.11.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−148513(P2005−148513)
【出願日】平成17年5月20日(2005.5.20)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】