説明

レーザ脱離イオン化方法、レーザ脱離イオン化装置、及び質量分析装置

【課題】レーザ光のビーム集束径を回折限界近くまで絞った場合でも、高いイオン生成効率を達成して十分な検出感度を確保する。
【解決手段】レーザ光源1からの出射したレーザ光のビーム径をビームエキスパンダ2で広げ、その直後に円周状偏光子3に通す。すると、光軸C近傍では干渉により光エネルギーが打ち消し合い、エネルギー分布がドーナツ状であるビームに整形される。これをレンズ4で集光して試料5に照射する。試料5上での光スポットのエネルギー分布がドーナツ状であり、回折限界近くまで集光してもこのエネルギー分布の形状が変わらない。したがって、エネルギー分布が有限な範囲に収まること、及びエネルギー分布の中で空間的に密度の低い領域が存在する、という2つの条件を満たし、微小範囲の質量分析においても高いイオン生成効率が達成でき、十分な検出感度を確保できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、試料をイオン化するためのレーザ脱離イオン化方法、この方法を実施するためのレーザ脱離イオン化装置、及び、このレーザ脱離イオン化装置を用いた質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
レーザ脱離イオン化法(Laser Desorption /Ionization)は、試料にレーザ光を照射し、レーザ光を吸収した物質の内部で電荷の移動を促進させてイオン化を行うものである。また、マトリクス支援レーザ脱離イオン化法(MALDI=Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)は、レーザ光を吸収しにくい試料やタンパク質などレーザ光で損傷を受けやすい試料を分析するために、レーザ光を吸収し易く且つイオン化し易い物質をマトリクスとして試料に予め混合しておき、これにレーザ光を照射することで試料をイオン化するものである。特にMALDIを用いた質量分析装置、例えばMALDIと飛行時間型質量分析装置(TOFMS=Time of Flight Mass Spectrometer)とを組み合わせたMALDI−TOFMSは、分子量の大きな高分子化合物をあまり開裂させることなく分析することが可能であり、しかも微量分析にも好適であることから、近年、生命科学などの分野で広範に利用されている。なお、本明細書では、MALDIを含め、レーザ光を直接的又は間接的に試料に照射して試料成分のイオン化を行うイオン化法全般をレーザ脱離イオン化方法(LDIと略す)と呼ぶこととする。
【0003】
上述のLDIを用いた質量分析装置では、照射レーザ光のスポット径を小さく絞り、その照射位置を試料上で2次元的に移動させながら各位置でそれぞれ質量分析を行うことにより、試料上で或る質量(厳密には質量電荷比m/z)を持つイオンの強度分布(2次元物質分布)を表す画像を得ることができる。こうした装置は、質量分析顕微鏡、顕微質量分析装置、或いはイメージング質量分析装置などとして知られており、特に、生化学分野、医療分野等において、生体内細胞に含まれるタンパク質の分布情報を得るといった応用が期待されている(例えば非特許文献1、特許文献1など参照)。
【0004】
上記のような2次元物質分布画像を得る場合、様々な利用分野において試料についての有用な知見を得るには空間分解能が高いことが望ましい。そのためにはレーザ光の集束径を例えば数μm程度又はそれ以下まで絞る必要がある。従来の一般的なLDIでは、レーザ光源から放出されたガウシアンビームがレンズ光学系で集光されて試料に照射される。この場合、試料上でのレーザ光のエネルギー(光強度)分布は、光軸付近で最もエネルギーが大きなガウシアン分布を有しており、LDIに有効なエネルギー密度となる領域の面積が小さいことから、イオン発生量が少なく低い検出感度しか得られない。
【0005】
一方、主としてイオンの生成効率を上げるために、非特許文献2では、レーザ光源から放出されたレーザ光を整形することで、試料上で適宜離間した複数の光スポットを形成する試みが行われている。こうした目的のために、マルチモードファイバや、マイクロレンズアレイ、光拡散箔、有孔マスクなどの光学素子が利用できる。しかしながら、こうした光学素子を用いたとしても、元のレーザ光の光軸の周りの電磁界には大きな変化が生じないことから、スポット全体のエネルギー分布は単純なガウシアン分布を有する。そのため、回折限界近いサイズまでレーザ光を絞ると、イオン生成効率が悪く、満足し得る検出感度を得るのは難しい。
【0006】
【特許文献1】米国特許第5808300号明細書
【非特許文献1】内藤康秀、「生体試料を対象にした質量顕微鏡」、J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., Vol. 53, No. 3, 2005, pp. 125-132.
【非特許文献2】アルミン・ホール(Armin Holle)、ほか3名、「オプティマイジング・ユーブイ・レーザ・フォーカス・プロファイルズ・フォー・インプルーブド・マルディ・パフォーマンス(Optimizing UV laser focus profiles for improved MALDI performance)」、ジャーナル・オブ・マス・スペクトロメトリ(Journal of Mass Spectrometry)、2006, 41, p.705-716
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その主な目的は、高い空間分解能を達成するためにレーザ光の集光径を絞った場合でも高い検出感度を達成することができるレーザ脱離イオン化方法、レーザ脱離イオン化装置、及び質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上述の非特許文献2によれば、LDIで効率よくイオン化を行う、つまり検出感度を上げるには、次の2つの条件が必要とされることが示されている。
(1)試料の近傍で光エネルギーが有限の範囲の中に収まっていること。
(2)光エネルギー密度の小さな領域が空間的に存在していること。
非特許文献2では、上記条件を満たすためにレーザ光のスポット点を格子状に複数に分散させるような光学系が利用されている。しかしながら、各点のエネルギー分布はガウシアン分布であるため、回折限界に近い程度まで集光したときにLDIに対して最適なエネルギー分布にすることは難しい。そこで、本願発明者は、上記の条件を満たしつつ、且つ単純なガウシアン分布でないエネルギー分布を有するレーザ光として、ラゲール−ガウシアンビームのようなドーナツ状のエネルギー分布を持つレーザ光に着目した。
【0009】
即ち、上記課題を解決するために成された第1発明は、試料にレーザ光を照射することにより該試料に含まれる成分をイオン化するレーザ脱離イオン化方法であって、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状であるレーザ光を集光して試料に照射することを特徴としている。
【0010】
また上記課題を解決するために成された第2発明は、第1発明に係るレーザ脱離イオン化方法を実施するための装置であり、試料にレーザ光を照射することにより該試料に含まれる成分をイオン化するレーザ脱離イオン化装置であって、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状であるレーザ光を放出するレーザ照射手段と、そのレーザ光を集光して試料に照射する集光手段と、を備えることを特徴としている。
【0011】
第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置により実施される第1発明に係るレーザ脱離イオン方法では、光軸に垂直な面でエネルギー分布をみたときに、光軸及びその近傍で略円形状にエネルギーがゼロであり、その周囲に円環状(ドーナツ状)にエネルギーが存在するようなレーザ光を試料に照射する。この断面形状は集光手段からの距離に依らず、光軸に沿った任意の位置で同じ断面形状(但し大きさは相違する)を保つ。即ち、ラゲール−ガウシアンビームと呼ばれるレーザ光である。
【0012】
このとき、集光手段によりレーザ光の集束径を回折限界近くに絞っても、その外径は極度に大きく広がることはない。このようなレーザ光が試料に照射されると、レーザ光の中心(光軸)付近はエネルギー密度の低い空洞になり、この空洞は試料に直交する高さ方向に拡がりを持つ。また、ドーナツ状のスポットでは光エネルギーが極大となる部分が円周状になることから、多数のスポットが連続しているのと同等の条件が満たされる。即ち、上記で挙げた2つの条件、つまり、光スポットの近傍で光エネルギーが有限の範囲の中に入っていること、及び、光スポットの中にエネルギー密度の小さい領域が存在していること、をビーム断面形状が円環状となるビームで以て実現することができる。したがって、イオンを効率良く生成することができ、高い検出感度を達成することができる。
【0013】
この第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置において、レーザ照射手段は種々の方法により光軸に垂直なビーム断面形状を円環状とすることができるが、装置の小形・軽量化、エネルギー分布の安定性(例えば時間的変動の小ささなど)などを考えると、レーザ照射手段は、レーザ光源と、該レーザ光源から出射されたレーザ光を、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状になるように整形するビーム整形手段と、を含む構成とすることが好ましい。
【0014】
より具体的な一態様として、上記ビーム整形手段は、光軸を中心とする円周方向に偏光主軸が順次回転するように複数の半波長板が設けられた偏光光学素子を用いることができる。これは、例えば、円周状偏光子、Zポラライザなどとして知られるものである。また別の態様として、上記ビーム整形手段は、光軸を中心とする円周方向に厚さが連続的又は段階的に変化する屈折板から成る偏光光学素子を用いてもよい。これは、例えばスパイラル位相板などとして知られるものである。
【0015】
いずれの態様でも、それら偏光光学素子の挿入位置から後方(ビームの出射側)に所定距離離れた位置よりもさらに後方では、光軸に沿った中央部分で干渉によりエネルギーが打ち消し合い、ドーナツ状の光強度分布を示すビームが安定的に形成される。偏光光学素子自体の製造上の機械的な精度や当該素子の挿入位置(光軸合わせ)の精度は高いものが要求されるが、基本的に構造は簡素であり、機械的に駆動される部位もないため、コストの低減が容易であり、装置の小形・軽量化にも適している。
【0016】
第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置は、一般的なMALDI−TOFMSにも利用可能であることは当然であるが、通常、こうしたMALDI−TOFMSでは試料上でのレーザ光のビーム集束径をそれほど絞る必要はなく、あまり検出感度が問題となることはない。これに対し、顕微質量分析装置では、高い空間分解能が要求される、つまり試料上でのレーザ光のビーム集束径をできるだけ小さく絞りたいという要求があるため、第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置が特に有益である。
【0017】
即ち、第3発明は、第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置を用いた質量分析装置であって、
試料上でのレーザ光の照射位置を1次元的又は2次元的に走査するための位置走査手段と、
前記レーザ光の照射により試料から発生したイオンを質量に応じて分離して検出する質量分析手段と、
前記試料上の所定範囲について前記位置走査手段により位置走査を行いつつ前記質量分析手段により微小領域の質量分析を繰り返すことにより、前記所定範囲における質量分布状況を調べる分布調査手段と、
を備えることを特徴としている。
【0018】
第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置では、例えば3〜20mm程度のビーム径のレーザ光を回折限界(凡そ波長/開口数)近くまで集光しても、試料上での光スポットのエネルギー分布がドーナツ状に維持される。それにより、例えば5μm又はそれ以下の非常に微小な領域の質量分析を十分な検出感度で行うことができ、高い空間分解能の2次元物質分布画像を作成することができる。
【0019】
また第3発明に係る質量分析装置では、試料に照射されるレーザ光の外径を変化させることにより、前記微小領域の面積を変化させる構成とすることが好ましい。この構成によれば、試料上の所定範囲の2次元物質分布画像を低い空間分解能で取得できればよい場合には、試料上でのレーザ光の集光径を大きくして分析点数を減らすことで、短時間で結果を得ることができる。一方、試料上の所定範囲の2次元物質分布画像を高い空間分解能で取得したい場合には、試料上でのレーザ光の集光径を小さくして質量分析を密に行うことで、時間は掛かるものの精緻な2次元物質分布画像を得ることができる。
【発明の効果】
【0020】
第1発明に係るレーザ脱離イオン化方法及び第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置によれば、レーザ光のビーム集束径を小さくして微小領域の質量分析を実行したい場合でも高いイオン生成効率を達成し、それによって十分な検出感度を得ることができる。また、第2発明に係るレーザ脱離イオン化装置を用いた第3発明に係る質量分析装置によれば、試料上の所定範囲の2次元物質分布画像を高い空間分解能で以て得ることができ、例えば従来は得ることが困難であった試料に関する知見を得ることができるようになる。
【0021】
また、従来、ビームの断面形状を変化させるビーム整形としては、マスクを用いたビーム分割、減衰(ND)フィルタを用いた矯正、計算機ホログラムのような回折光学素子(DOE=Diffractive Optical Elements)による波面生成、などいくつかの方法があるが、1つの光学素子を用いた場合には、必要とする光エネルギー分布は光軸上であっても空間的に限定された位置でしか得られない。つまり、光軸上であってもその位置を外れると、光エネルギー分布は所望の形状とはならない。そのために、光軸上の任意の位置で光エネルギー分布を所望の形状にしたい場合には、特性の相違する複数の光学素子を切り換える必要があり、機構的にも大掛かりとなることが避けられない。
【0022】
これに対し、ラゲール−ガウシアンビームのようなドーナツ状のビームを用いた場合には、中空のエネルギー分布の形状が光軸に沿った広い範囲で保たれることから、ほぼ同等のイオン化条件で任意のサイズのイオン化領域を設定することが可能となる。これにより、顕微質量分析装置を実現する際に、空間分解能を変化させて得られる結果の安定性、再現性が増し、高い性能を実現することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0023】
まず、本発明に係るレーザ脱離イオン化方法を実施するためのレーザ脱離イオン化装置の一実施例について図1〜図3により説明する。図1は本実施例のレーザ脱離イオン化装置の概略構成図である。
【0024】
レーザ光源(本発明におけるレーザ光源)1は波長355nm(紫外波長域)のNd:YAG/THGレーザであり、シングルモード発振でビームウエストの強度分布はガウシアン分布とみなすことができる。このレーザ光をビームエキスパンダ2により約10mmのビーム径まで拡げる。このビームを焦点距離80mmのレンズ(本発明における集光手段)4で集光すると、試料5の表面上では、最小で回折限界3.5μmのスポットが得られる。このレーザ光の光軸Cに沿ってビームエキスパンダ2の直後に、本発明におけるビーム整形手段としての円周状偏光子(Zポラライザとも呼ばれる)3が挿入され、この円周状偏光子3の光学的干渉作用により、光軸C付近に光エネルギーが存在せず、その周囲にドーナツ状にエネルギーが存在するような断面円環状にビームを整形する。
【0025】
図2は円周状偏光子3の一例の、光軸Cに直交する面における平面図(a)及びその側面図(b)である。円周状偏光子3は、光軸Cを中心とする円周上に、その1周で偏光主軸(図中の矢印)の角度が180°回転するように、複数枚(この例では4枚)の半波長(λ/2)板3a、3b、3c、3dが並べられ、それらが接着して形成されたものである。半波長板3a〜3dは一般的には方解石のような光学異方性結晶で作られるが、そのほか、フォトニック結晶で人工的に作られたものでもよい。こうした半波長板3a〜3dに略直交する方向に直線偏光を入射させると、偏光主軸の回転角の2倍の角度で偏光の向きが変わる。入射した偏光に対し出射する光の偏光は、ラジアル方向又はアジマス方向に並び、そこから或る距離以上に離れた位置における光軸C上の光エネルギーはゼロ又は縦方向(つまり光軸C方向)の弱い電界のみになり、ドーナツ状のビームが得られる。
【0026】
なお、特にラジアル偏光にした場合、開口数(NA)の大きなレンズで以てビーム集束径を絞ると、縦方向(光軸C方向)に電界を有する光スポットが得られる。この性質を利用して、円周状偏光子は、近接場ラマン顕微分光計などに用いられている。
【0027】
図3は図2に示した構成の円周状偏光子3によるビーム整形のシミュレーション結果であり、(a)はX軸方向位置、Y軸方向位置、及びエネルギー強度の3次元表示、(b)はX軸方向位置とY軸方向位置を縦軸、横軸にとってエネルギー強度を濃淡で示した平面グラフである。なお、図4は従来の、つまり円周状偏光子を挿入しない場合に得られるガウシアンビームの集光をシミュレーションした計算結果を示す図である。
【0028】
図3で明らかなように、図2の円周状偏光子を用いて、きれいなドーナツ形状のビームが形成されていることが分かる。即ち、エネルギー分布は光軸C及びその近傍でゼロとなり、光軸Cに直交する面内でその中心から所定距離(半径)離れた位置でエネルギーが極大となり、さらに外周に向かうに従いエネルギーが減衰し、所定距離以上離れるとエネルギーはゼロとなる。したがって、試料上で光エネルギーが有限の範囲の中に収まっており、且つ、光エネルギー密度の小さな領域が光軸C近傍に存在する、という点で上述のようなイオン生成効率を高める条件を満たす。しかも、このようなエネルギー分布の形状は、レンズ4により集光されても保たれるため、回折限界近くまで集束径を絞っても、高いイオン生成効率を確保することが可能となる。
【0029】
上記実施例と同様のエネルギー分布を有するレーザ光を得るために、図1の構成において円周状偏光子3に代えてスパイラル位相板6を挿入するようにしてもよい。図5はスパイラル位相板6の一例の、光軸Cに直交する面における平面図(a)及びその側面図(b)である。スパイラル位相板6は、光軸Cを中心とする円周上に、その1周で1波長(λ)分の光路長の変化があるように、表面を切削することで厚さを変化させた屈折板から成る。その厚さの変化は周方向に連続的であるようにしてもよいが、必ずしもその必要はなく、この例では、図5(a)で時計回り方向に光路長がλ/4ずつ順に変化するように厚さが調整された4段の螺旋階段状の屈折板6a、6b、6c、6dを用いている。このように表面形状が螺旋形であることが、スパイラル位相板と呼ばれる理由である。
【0030】
なお、屈折板の材質は特殊なものである必要はなく、一般的には光学等方性のガラスが用いられる。但し、必要な表面の段差の大きさはその材質の屈折率nから1を減じた数(n−1)に反比例することから、実現可能な加工精度に応じて適宜の屈折率の材質を選択する必要がある。
【0031】
スパイラル位相板を通したレーザ光はビームの中央、つまり光軸Cの周りに生じるエネルギーがゼロである中空領域の直径が回折限界以下となるという性質を持つため、従来一般的には、2波長蛍光ディップ(Dip)分光法のためのイレース光などに用いられている。
【0032】
図6は図5に示した構成のスパイラル位相板6によるビーム整形のシミュレーション結果であり、(a)はX軸方向位置、Y軸方向位置、及びエネルギー強度の3次元表示、(b)はX軸方向位置とY軸方向位置を縦軸、横軸にとってエネルギー強度を濃淡で示した平面グラフである。このエネルギー分布は、上述した円周状偏光子3とほぼ同じであり、同様の効果を奏するものである。
【0033】
また、光軸に直交する面内で断面形状が円環状であるビームを得る方法は、上述の円周状偏光子及びスパイラル位相板の利用のほかにもある。例えばマルチモードレーザと偏光子との組み合わせが考えられる。マルチモードレーザは、シングルモードレーザから生成する場合とレーザ共振器でマルチモード発振を生じさせることで直接的に生成する場合とが考えられる。
【0034】
上述したレーザ脱離イオン化装置は、通常のMALDI−TOFMSにも利用することができるのはもちろんであるが、生体試料などの質量イメージングを行うための顕微質量分析装置に対し特に有用である。そこで、そうした顕微質量分析装置の一実施例について図7、図8を参照しつつ説明する。図8は本実施例による顕微質量分析装置の全体構成図である。
【0035】
略大気圧雰囲気に維持される気密室11内に、ステージ駆動部14により少なくともx軸、y軸の二軸方向に移動自在である試料ステージ12が配置され、試料ステージ12上に試料13が載置される。この試料ステージ12が図中に実線で示す位置にあるときに、レーザ照射部10からパルス状に出射され、レンズ4により収束されたレーザ光が試料13の上面に当たる。このレーザ光の照射を受けて、試料13においてレーザ光照射位置付近から試料由来のイオンが発生する。
【0036】
気密室11内でレーザ光の照射により試料13から発生したイオンは、イオン輸送管15を通して、図示しない真空ポンプにより真空排気される真空チャンバ20内に輸送される。真空チャンバ20内において、イオンはイオンレンズ21により収束されてその後段のイオントラップ22に送り込まれる。イオントラップ22はリング電極と一対のエンドキャップ電極とから成る3次元四重極型の構成であり、それら電極に印加される高周波電圧により形成される電場によりイオンを一時的に蓄積・保持し、所定のタイミングでほぼ一斉にそれらイオンを吐き出して飛行時間型質量分析器(TOF)23に導入する。飛行時間型質量分析器23は反射電極24を備えたリフレクトロン型であり、反射電極24により形成される直流電場によりイオンを折返し飛行させる。ほぼ一斉に導入された各種イオンはその質量に応じて異なる飛行時間で以て飛行してイオン検出器25に到達し、イオン検出器25は入射したイオンの量に応じた検出信号を出力する。
【0037】
なお、イオントラップ22において、各種イオンの中で特定の質量を有するイオンをプリカーサイオンとして選別した上でCID(衝突誘起解離)により開裂を生じさせ、それによって生成されたプロダクトイオンを飛行時間型質量分析器23に導入して質量分析する、つまりMS/MS分析又はそれ以上の多段階の開裂を伴う質量分析を実施してもよい。
【0038】
気密室11内で試料ステージ12はガイド16に沿って図中に点線で示す位置(観察位置)12Bに移動可能となっており、観察位置12Bの上方で気密室11の外側にはCCDカメラ17が配置され、観察位置12Bの下方には透過照明部18が設置されている。試料ステージ12が観察位置12Bに来るように移動された状態では、透過照明部18から出射した光が試料ステージ12に形成されている開口を通して試料13の下面に当たり、その透過光による試料像をレンズ19を通してCCDカメラ17で撮影できるようになっている。CCDカメラ17で撮影された顕微画像は制御部32を介して表示部34の画面上に表示可能である。もちろん、このような透過観察のほかに反射観察や蛍光観察のための照明系を別途設けてもよい。また、CCDカメラ17で撮像する代わりに、光学顕微鏡を設け、オペレータが直接的に顕微観察画像を観察できるようにしてもよい。
【0039】
質量分析によりイオン検出器25で得られた検出信号は、A/D変換器30によりデジタル値に変換されてデータ処理部31に入力され、データ処理部31で質量と信号強度との関係を表す質量スペクトルデータが求められる。さらにデータ処理部31は、質量スペクトルデータを用いた各種のデータ処理を実行し、例えば所定の分子の分布を表す2次元物質分布画像を作成する。制御部32は試料に対する質量分析動作を実行するためにステージ駆動部14を始めとする各部を制御するとともに、顕微観察画像や分析結果(例えば上記2次元物質分布画像)などを表示部34に表示する。また、操作部33はキーボードやポインティングデバイスなどであり、分析のための各種のパラメータの入力設定や各種の指示に利用される。
【0040】
制御部32やデータ処理部31は例えば汎用のパーソナルコンピュータにより構成することができ、該コンピュータにインストールされた専用の制御/処理ソフトウエアを実行することにより、各種の制御やデータ処理の機能を達成することができる。
【0041】
上記質量分析装置を用いた目的物質の2次元物質分布画像の取得のための基本的な動作は次の通りである。
まずオペレータは試料13上のどの個所を分析するのかを決める。そのために、試料ステージ12を12Bの位置に移動させ、その状態でCCDカメラ17が試料13の顕微観察画像を取得し、表示部34の画面上に表示させる。オペレータはその中で質量分析を行う範囲を決めて操作部33により範囲の設定を行い、例えば目的物質の質量を1乃至複数設定した上で分析開始を指示する。
【0042】
分析が開始されると、レーザ照射部10から出射した、上述したドーナツ状のビームであるレーザ光がレンズ4で集光され試料13上に照射される。レンズ4はレンズ駆動部40により試料13に近づく又は遠ざかるように移動可能となっている。図7に示すように、レンズ駆動部40によりレンズ4の位置が変化すると、試料13上でのビームの集束径が変化する。これにより、一回のレーザ照射でレーザ光が照射される面積が変わり、質量分析の空間分解能も変化する。したがって、分析実行前に例えばオペレータにより空間分解能が指定されると、それに応じたビーム集光径となるようにレンズ4の位置は自動的に設定される。
【0043】
レーザ光が照射されると、試料13上でその照射範囲付近に存在する各種物質がイオン化されて、主として試料13表面に略直交する方向つまり真上にイオンが放出される。イオン輸送管15の両端の差圧により気密室11内の空気はイオン輸送管15に吸い込まれるため、主としてこの空気流によってイオンはイオン輸送管15に吸い込まれ、真空チャンバ20内へ輸送される。そして、例えば試料13上の同一位置への複数回のレーザ光照射によってそれぞれ生成されたイオンが一旦イオントラップ22に収集され、その後、一斉に飛行時間型質量分析器(TOF)23に導入されて質量分析される。
【0044】
制御部32は試料13上に設定された分析範囲の中で、レーザ光の照射位置が順次移動するようにステージ駆動部14を制御し、試料ステージ12をステップ状に移動させる。このときの移動のステップ幅は、空間分解能に対応して決まる。つまり、空間分解能に応じて、試料13上でのレーザ光のビーム集光径と試料13のx−y面内での移動のステップ幅とが決まる。そして、試料ステージ12が微小距離移動して停止する毎に、上述したようにレーザ光を試料13に照射して質量分析が実行される。設定された分析範囲の全体に亘って質量分析が実行された後に、例えば特定の質量についての2次元的な分布を示す2次元物質分布画像が作成される。
【0045】
設定された空間分解能が大きい、つまり粗いときには、試料13上でのレーザ光のビーム集束径を相対的に大きくし、試料移動のステップ幅も大きくする。そのため、同じ面積の分析範囲であれば分析点数は少なくなり、分析に要する時間は短くて済む。逆に、空間分解能が小さい場合には、試料13上でのレーザ光のビーム集束径を相対的に小さくし、試料移動のステップ幅も小さくする。そのため、同じ面積の分析範囲であれば分析点数は多くなり、分析点数は多くて分析に時間を要するが、得られる2次元物質分布画像は精緻になる。このように試料13上でのレーザ光のビーム集束径を変化させるようにレンズ4の位置を変化させた場合でも、試料13上の光スポットのエネルギー分布はドーナツ状となる。したがって、空間分解能に拘わらず、ほぼ同等の条件で、且つ高いイオン生成効率でイオン化を行うことができ、高い検出感度で正確な2次元物質分布画像を作成することができる。
【0046】
なお、上記実施例は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜に変更、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。例えば、上記実施例では、試料にレーザ光を照射して試料成分をイオン化する場合について説明したが、この場合の試料とは、マトリックスと目的サンプルとが混合したものでもよい。或る程度の広い面積を有する試料をMALDIでイオン化する際には、試料上にマトリックスを塗布したり吹き付けたりする等、種々の方法で試料を調製することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0047】
【図1】本発明の一実施例であるレーザ脱離イオン化装置の概略構成図。
【図2】円周状偏光子の一例の、光軸に直交する面における平面図(a)及びその側面図(b)。
【図3】図2に示した構成の円周状偏光子によるビーム整形のシミュレーション結果を示す図。
【図4】従来(ガウシアンビーム)の集光のシシミュレーション結果を示す図。
【図5】スパイラル位相板の一例の、光軸に直交する面における平面図(a)及びその側面図(b)。
【図6】図5に示した構成のスパイラル位相板によるビーム整形のシミュレーション結果を示す図。
【図7】図8の顕微質量分析装置におけるレンズ位置の変化と試料上でのビーム集束径との関係の説明図。
【図8】本実施例による顕微質量分析装置の全体構成図。
【符号の説明】
【0048】
1…レーザ光源
2…ビームエキスパンダ
3…円周状偏光子
3a、3b、3c、3d…半波長板
4…レンズ
5、13…試料
6…スパイラル位相板
C…光軸
10…レーザ照射部
11…気密室
12…試料ステージ
14…ステージ駆動部
15…イオン輸送管
20…真空チャンバ
21…イオンレンズ
22…イオントラップ
23…飛行時間型質量分析器
24…反射電極
25…イオン検出器
30…A/D変換器
31…データ処理部
32…制御部
40…レンズ駆動部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料にレーザ光を照射することにより該試料に含まれる成分をイオン化するレーザ脱離イオン化方法であって、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状であるレーザ光を集光して試料に照射することを特徴とするレーザ脱離イオン化方法。
【請求項2】
試料にレーザ光を照射することにより該試料に含まれる成分をイオン化するレーザ脱離イオン化装置であって、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状であるレーザ光を放出するレーザ照射手段と、そのレーザ光を集光して試料に照射する集光手段と、を備えることを特徴とするレーザ脱離イオン化装置。
【請求項3】
請求項2に記載のレーザ脱離イオン化装置であって、前記レーザ照射手段は、レーザ光源と、該レーザ光源から出射されたレーザ光を、光軸に垂直なビーム断面形状が円環状になるように整形するビーム整形手段と、を含むことを特徴とするレーザ脱離イオン化装置。
【請求項4】
請求項3に記載のレーザ脱離イオン化装置であって、前記ビーム整形手段は、光軸を中心とする円周方向に偏光主軸が順次回転するように複数の半波長板が設けられた偏光光学素子であることを特徴とするレーザ脱離イオン化装置。
【請求項5】
請求項3に記載のレーザ脱離イオン化装置であって、前記ビーム整形手段は、光軸を中心とする円周方向に厚さが連続的又は段階的に変化する屈折板から成る偏光光学素子であることを特徴とするレーザ脱離イオン化装置。
【請求項6】
請求項2〜5のいずれかに記載のレーザ脱離イオン化装置を用いた質量分析装置であって、
試料上でのレーザ光の照射位置を1次元的又は2次元的に走査するための位置走査手段と、
前記レーザ光の照射により試料から発生したイオンを質量に応じて分離して検出する質量分析手段と、
前記試料上の所定範囲について前記位置走査手段により位置走査を行いつつ前記質量分析手段により微小領域の質量分析を繰り返すことにより、前記所定範囲における質量分布状況を調べる分布調査手段と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項7】
請求項6に記載の質量分析装置であって、試料に照射されるレーザ光の外径を変化させることにより、前記微小領域の面積を変化させることを特徴とする質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図5】
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【図7】
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【図8】
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【図3】
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【図4】
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【図6】
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【公開番号】特開2009−164034(P2009−164034A)
【公開日】平成21年7月23日(2009.7.23)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−2094(P2008−2094)
【出願日】平成20年1月9日(2008.1.9)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】