説明

中性粒子質量分析装置及び分析方法

【課題】本発明の課題は、感度の向上に加えてフラグメンテーションが起こらない中性粒子質量分析装置及び分析方法を提供することである。
【解決手段】分析試料に粒子ビームを照射する手段と、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をポストイオン化するエレクトロスプレー手段と、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くイオン輸送手段とを備えた中性粒子質量分析装置及び分析試料に粒子ビームを照射し、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をエレクトロスプレーによりポストイオン化し、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くことを特徴とする中性粒子の質量分析方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、中性粒子質量分析装置及び中性粒子の質量分析方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
二次イオン質量分析(SIMS:Secondary Ion Mass Spectrometry)は、真空中において、一次イオンビームを分析試料(半導体材料、有機物、バイオメディカル試料等)に照射し、分析試料表面から放出される二次イオンを質量分析することによって、分析試料中の濃度や分子構造等に関する情報を得ることを目的する分析手法である。
SIMSは、鉄鋼や半導体産業では、従来から不可欠な分析手法であるが、近年、クラスターイオンビームを用いたSIMS分析(いわゆる、“クラスターSIMS”)がバイオメディカル試料のイメージング質量分析等にも非常に有効であることが知られるようになり、その応用分野は急速に拡大している。
クラスターイオンビーム源としては、Au3+ (分子量 590.9 u) やC60+ (分子量 720 u) を用いたイオン源が市販され、これらのクラスターイオンビームを用いたSIMS分析が注目を集めている。(非特許文献1参照)
【0003】
しかし、SIMS分析では、試料表面近傍における定量的な情報を得ることは困難であり、定量性の向上が大きな課題となっている。定量化が難しい原因は、試料表面からスパッタリングによって放出される二次イオン収量(あるいは二次イオン化率)が、試料表面における“濃度”だけではなく、試料表面の母材組成や化学状態によって大きく変化するためである(いわゆる、“マトリクス効果”)。(特許文献1参照)
一般的に、スパッタリングによって試料表面から放出される全粒子に対する二次イオンの量は、高々1%程度に過ぎず、スパッタリングされた粒子のほとんどは電気的に中性な粒子である。また、二次イオンとは異なり、中性粒子の場合には、定量化を困難にしているマトリクス効果がないことも知られている。(非特許文献2参照)
従って、試料表面から放出された中性粒子を、何らかの方法を用いてポストイオン化し、その後で質量分析することによって定量性ならびに感度の向上が可能となる。(特許文献2参照)
【0004】
以上のような背景から、SIMS分析の課題を解決し、定量性と感度に優れた手法として、スパッタ中性粒子質量分析法(SNMS:Sputtered Neutral Mass Spectrometry)が提案されている。(特許文献3参照)
なおスパッタ中性粒子質量分析法は、二次中性粒子質量分析法(SNMS:Secondary Neutral Mass Spectrometry)と表記されることも多いが、どちらも英文の短縮表記はSNMSであるため、以下では、“SNMS”と表記することにする。
SNMSにおけるポストイオン化手法としては、電子線、プラズマ、レーザー等を用いる方式が報告されている。(特許文献2参照)
【0005】
また、SIMS分析に類似した手法として、高速原子衝撃法(Fast Atom Bombardment: FAB)がある。このFAB法では、一次ビームはイオンビームではなく、電気的に中性な原子ビームを用いる点が特徴であり、SIMSとの違いである。SIMS分析ではイオンを照射するため、分析試料表面の帯電(チャージアップ)が問題となる場合があるが、FAB法では、電気的に中性な粒子を照射するため、分析試料のチャージアップの影響を抑制しながら、二次イオンを分析することが可能となる。
【0006】
試料表面から放出された中性粒子のポストイオン化手法として、レーザー光等を用いた光イオン化手法が用いられることが多いが、以下のような問題がある。
光イオン化を効率良く達成するためには、レーザー光を集光して光子密度を上げる必要があるが、放出される中性粒子は、ほぼ等方的に放出されるため、実際にレーザー光に捉えられる中性粒子は、スパッタされた全量の極僅かとなってしまうため、結果として感度が低くなってしまう。
同様に、電子照射やプラズマ等を用いる手法においても、感度等の問題があり、実用には至っていない。(特許文献2参照)
【0007】
また有機材料や生体試料等のSIMS分析においては、質量の大きな高分子領域(m/zが大きい)の二次粒子の測定が重要となる。しかし、従来のようなレーザー光等を用いたポストイオン化法では、質量の大きい中性粒子がイオン化の際に分解し、ばらばらに壊れてしまう(フラグメンテーション)という深刻な問題が生じてしまう問題がある。
【特許文献1】特開平7−294459号公報
【特許文献2】特開平4−248241号公報
【特許文献3】特開昭61−116742号公報
【特許文献4】特開2002−15697号公報
【非特許文献1】N. Winograd, “The Magic of Cluster SIMS”, Analytical Chemistry, April 1 (2005) p 143 A.
【非特許文献2】日本表面科学会 編、“二次イオン質量分析法”(丸善株式会社、1999年)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
したがって本発明の課題は上記の問題点を解決し、感度が向上した中性粒子質量分析装置及び分析方法を提供することである。
また本発明の課題は、質量の大きな高分子領域( m/z が大きい)の二次粒子の測定に当たって、上記フラグメンテーションを発生させない中性粒子質量分析装置及び分析方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題は次のような手段により解決される。
(1)分析試料に粒子ビームを照射する手段と、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をポストイオン化するエレクトロスプレー手段と、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くイオン輸送手段とを備えた中性粒子質量分析装置。
(2)上記エレクトロスプレー手段は、電界レンズを用いてエレクトロスプレーに起因するイオンを供給することを特徴とする(1)に記載の中性粒子質量分析装置。
(3)上記エレクトロスプレー手段は、磁界レンズを用いてエレクトロスプレーに起因するイオンを供給することを特徴とする(1)に記載の中性粒子質量分析装置。
(4)上記エレクトロスプレー手段は、絶縁性かつ、入口部と出口部にエレクトロスプレーに起因するイオンを輸送するための電界を形成できる構造を有する細管を用いてイオンを供給することを特徴とする(1)に記載の中性粒子質量分析装置。
(5)分析試料に粒子ビームを照射し、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をエレクトロスプレーによりポストイオン化し、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くことを特徴とする中性粒子の質量分析方法。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、次のような効果が得られる。
(1)エレクトロスプレーによって放出されたイオンは、分析試料の周囲に満遍なくシャワー状に輸送することが可能であるため、中性粒子のポストイオン化が可能となる空間を非常に大きくすることができ、結果として高感度な分析が可能となる。
(2)中性粒子のポストイオン化により、分析試料中の母材の影響(マトリクス効果)等の問題が解決されるため、定量的な分析が可能となる。
(3)従来のように、レーザーや電子衝撃等を用いるポストイオン化法では、イオン化の際に中性粒子は過剰なエネルギーを受け取らざるを得ず、結果として分解、つまりフラグメントイオンの生成が避けられないという深刻な問題があるが、本発明では、プトロン(H+)やハイドライド(H-)の移動反応等のソフトなイオン化過程を用いてポストイオン化を行うため、過剰なエネルギーが中性粒子に内在することが避けられ、結果としてフラグメンテーションを抑制しながらポストイオン化が可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
エレクトロスプレー(Electrospray)とは、イオンを含有する溶液を導電性の細管(キャピラリー)に供給し、数kVの高電圧を印加した細管(キャピラリー)の先端から溶液を霧状に噴霧させる技術である。細管(キャピラリー)に印加する電圧を正極性とした場合には正イオンが生成され、負極正を印加した場合には負イオンが気相中に放出される。(特許文献4参照)
なお、エレクトロスプレーは、ライフサイエンスなどの質量分析分野においては、エレクトロスプレーイオン化(ESI:Electrospray Ionizaiton)として広く応用されている。ESIは、高電圧をかけた細管に溶液試料を供給し、先端から大気圧下に帯電液滴を噴霧する方法である。大気中に放出された帯電液滴は溶媒の蒸発に伴い電荷密度が増大し、ついにクーロン斥力がレイリーリミットを越えるとクーロン崩壊し、気相イオンとなる。生成された気相中のイオンは、その後、高真空領域へ輸送される。
【0012】
本発明では、エレクトロスプレーによって気相中に放出されたイオンを、分析試料付近に輸送し、一次イオンビーム等の衝撃によって分析試料表面から放出された中性粒子と相互作用させることで、ポストイオン化を可能とする。
例えば、エレクトロスプレーによって気相中に生成されたイオン(例えば、プロトンH+など)は、中性粒子から電子(e-)を引き抜いたり、プロトン(H+)を付与する等の反応を起こし、結果として中性粒子をソフトにイオン化できる。
【0013】
図1は、本発明に係る、中性粒子質量分析装置の実施例の概略図である。基本的に、一般的な二次イオン質量分析装置(SIMS)であるが、エレクトロスプレー部ならびにエレクトロスプレーによって生成されたイオンの輸送機構を有する構造であることが特徴である。
エレクトロスプレー部では、キャピラリー先端から気相中にイオンが放出される。その後、放出されたイオンは、分析試料付近へ輸送される。
分析試料に対する一次イオンビームの照射によって、分析試料表面から放出された中性粒子は、エレクトロスプレーにより供給されたイオンとの相互作用(プロトン授受反応等のイオン化反応)により、ソフトにポストイオン化がなされる。ポストイオン化された粒子は、その後、質量分析部へ輸送され、質量分析が行われる。
【0014】
SIMS分析法と類似の手法として、段落0005で述べたように高速原子衝撃法(Fast Atom Bombardment: FAB)があるが、FAB法に対しても、本発明は有効である。
図2は、FAB法に対する、本発明に係る、中性粒子質量分析装置の他の実施例の概略図である。基本的に、図1と同じであるが、一次ビームがイオンビームではなく、電気的に中性な粒子ビームである点で相違している。
【0015】
図3は、電界レンズを用いた実施例の概略図である。電界レンズを用いることで、エレクトロプレーに起因するイオンを効率良く、分析試料表面に輸送することができる構造である。電界レンズとしては、アインツェル・レンズ(Einzel lens)等が使用できる。
【0016】
図4は、磁界レンズを用いた実施例の概略図である。磁界レンズを用いることで、エレクトロプレーに起因するイオンを効率良く、分析試料表面に輸送することができる構造である。磁界レンズとしては、永久磁石又はソレノイドで作られた磁界レンズが使用できる。
【0017】
図5は、絶縁性細管を用いた実施例の概略図である。絶縁性細管の入口部と出口部に電圧を印加し、これにより細管の入口部から出口部にかけてイオン輸送に適した電界を形成し、エレクトロプレーに起因するイオンを効率良く、分析試料表面に輸送できる構造である。絶縁性の細管としては、ガラス製の細管が使用できる。
【0018】
なお、図1〜図5において、エレクトロプレー法によって生成されるイオンは、プラスの電荷を有するイオンとして描かれているが、エレクトロスプレー法では、マイナスの電荷を有するイオンの生成も容易である。つまり、図1〜図5のいずれにおいても、分析試料の特性に応じて、エレクトロスプレー法によって生成されるイオンの極性を最適化することができる。
【0019】
また、エレクトロスプレー法によりイオンは気相中に放出されるわけであるが、エレクトロスプレーが実施される気相のガス圧力は必ずしも真空である必要はなく、大気圧程度の気相中でエレクトロスプレーによりイオンを生成し、その後、生成されたイオンを真空中に導くことにより、ポストイオン化に利用することも可能である。
【0020】
本発明では、ポストイオン化手法として、エレクトロスプレーによって放出されたイオンを用いて中性粒子をイオン化する構造とする。これにより、試料表面から放出された中性粒子が非常に大きな質量を持つ場合であっても、高効率かつソフトな、すなわちフラグメンテーションが起こらないイオン化が可能となり、定量性や感度の向上が実現される。
【0021】
また本発明においては、一般的なSIMSモードでの測定も可能であり、(エレクトロスプレーを用いたポストイオン化による)SNMSモードにおける分析結果とSIMSモードの結果を比較することで、複雑な分子構造を有するタンパク質等の分析においても、より高度かつ詳細な解析が可能となる。
さらに一般的に、分析試料が電気的に絶縁性の場合には、イオンビーム照射に起因する分析試料のチャージアップが問題になるが、エレクトロスプレーにより生成されたイオンが分析試料表面に供給されるため、分析試料のチャージアップを抑制する効果も期待できる。
【産業上の利用可能性】
【0022】
本発明によれば、半導体材料や有機材料ならびにバイオメディカル試料等の中性粒子質量分析(SNMS)が高精度かつ高感度で実施可能となる。
なお、本発明は、既存の二次イオン質量分析(SIMS)装置に容易に応用することが可能である。SIMSは、鉄鋼や半導体などのナノテクノロジー計測技術分野において、欠くことのできない重要な技術であり、最近ではライフサイエンス分野におけるイメージング質量分析技術等としても、その重要性が広く認識されるようになってきている。本発明を、既存のSIMS装置に応用し、中性粒子の質量分析を行うように改造することは比較的容易であり、SIMS分析の課題であった定量性の向上と高感度化が実現される。
【図面の簡単な説明】
【0023】
【図1】本発明に係る、一次ビームがイオンビームの場合の中性粒子質量分析装置の概略図
【図2】本発明に係る、一次ビームが電気的に中性な粒子の場合の中性粒子質量分析装置の概略図
【図3】本発明に係る、電界レンズを用いた中性粒子質量分析装置の概略図
【図4】本発明に係る、磁界レンズを用いた中性粒子質量分析装置の概略図
【図5】本発明に係る、絶縁性細管を用いた中性粒子質量分析装置の概略図

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分析試料に粒子ビームを照射する手段と、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をポストイオン化するエレクトロスプレー手段と、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くイオン輸送手段とを備えた中性粒子質量分析装置。
【請求項2】
上記エレクトロスプレー手段は、電界レンズを用いてエレクトロスプレーに起因するイオンを供給することを特徴とする請求項1に記載の中性粒子質量分析装置。
【請求項3】
上記エレクトロスプレー手段は、磁界レンズを用いてエレクトロスプレーに起因するイオンを供給することを特徴とする請求項1に記載の中性粒子質量分析装置。
【請求項4】
上記エレクトロスプレー手段は、絶縁性かつ、入口部と出口部にエレクトロスプレーに起因するイオンを輸送するための電界を形成できる構造を有する細管を用いてイオンを供給することを特徴とする請求項1に記載の中性粒子質量分析装置。
【請求項5】
分析試料に粒子ビームを照射し、分析試料表面近傍から放出される電気的に中性な粒子をエレクトロスプレーによりポストイオン化し、ポストイオン化された該中性な粒子を質量分析手段へ導くことを特徴とする中性粒子の質量分析方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate