説明

亜硫酸高排出ビール酵母の造成

【課題】亜硫酸を高い効率で排出し、かつ、硫化水素産生の少ないセルフクローニング酵母を提供する。より具体的には、本発明は、亜硫酸高排出能が高く、かつ、硫化水素産生能の低いセルフクローニングビール酵母を提供する。
【解決手段】亜硫酸を排出するタンパク質をコードする遺伝子SSU1を高発現するセルフクローニング酵母株、特にSSU1を高発現するセルフクローニングビール酵母株。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は亜硫酸排出能が強化され、かつ、硫化水素産生が抑制された酵母およびそのような酵母の作製方法に関する。特に本発明は亜硫酸排出能が強化され、かつ、硫化水素産生が抑制されたビール酵母およびそのようなビール酵母の作製方法に関する。
【背景技術】
【0002】
果実酒その他の酒類、パン等の製造において酵母が産生し得る硫化水素は生産物に好ましくない香気を与える点で問題とされている。例えば、含硫化合物の中には醸造酒等のアルコール飲料の品質を低下させるものがある。そのような含硫化合物には、日光臭の原因物質MBT(3-メチル-2-ブテン-1-チオール)やネギ臭の原因物質2M3MB(2-メルカプト-3-メチル-1-ブタノール)が含まれる。これらの含硫化合物は醸造中に産生される硫化水素の産生と関連性があると考えられる。したがって、硫化水素低産生酵母の育種が望まれてきた。
硫化水素低産生酵母やその育種についてはいくつかの報告がなされている。例えば、硫化物代謝に関与する酵素遺伝子の発現を強化することで、硫化水素産生を抑制する酵母を造成したことが報告されている(特許文献1〜3)。一方、これらの方法は酵母菌株に依存し、酵母菌株によってはその効果が得られないことも報告されている(非特許文献1)。また含硫アミノ酸アナログ耐性株から硫化水素低産生酵母が分離されたことが報告されている(特許文献4)。さらに、特定のプライマーセットを用いることにより硫化水素産生能の低い酵母を選択する方法が報告されている(特許文献5)。
一方、亜硫酸はビール等に抗酸化作用があるので、酵母から排出させる量を増加させたり(非特許文献2、3)、硫化物代謝に関与する酵素遺伝子の発現を強化することにより亜硫酸を高排出させること(特許文献6)が行われてきた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開平5-192155号公報
【特許文献2】特開平5-244955号公報
【特許文献3】特開平7-303475号公報
【特許文献4】特開平8-214869号公報
【特許文献5】特開2007-319095
【特許文献6】WO2007/08659
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】Applied Environmental Microbiology Vol.66, p4421-4426 (2000)
【非特許文献2】Journal of Biotechnology Vol.50, p75-87 (1996)
【非特許文献3】Nature Biotechnology Vol.14, p1587-1591 (1996)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述したように亜硫酸を高排出する酵母や硫化水素産生能の低い酵母、およびそれらの酵母の育種方法について報告はあるものの、必ずしも有効とは言えない。たとえば、硫化水素産生の低い酵母の作製については、用いる酵母菌株や培地によってその効果が異なっていることも多い。具体的には、特許文献3では硫化水素を代謝するMET25(MET17)遺伝子を強発現させることで産生する硫化水素量を低減できることを報告しているが、酵母菌株によってはその効果が全く得られないことが報告されている(非特許文献1)。
また、これらの方法は異種遺伝子を用いた遺伝子組換え技術によって達成されているか、または、変異処理によって達成されている。このような異種遺伝子を用いた遺伝子組換え技術によって目的の酵母を育種する場合は、カルタヘナ法等の規制により直ちにそれらの育種方法が実施できるかどうか疑問である。また変異処理によって目的の酵母を作製する場合、実用上有用な酵母、たとえばアルコール発酵に適した酵母株が得られるとは必ずしも限らない。特に下面ビール酵母を変異処理する場合は、下面ビール酵母は高次倍数体であるので所望の酵母株を得るには大変な困難が予想される。
本発明は、亜硫酸を高い効率で排出し、かつ、硫化水素産生の少ないセルフクローニング酵母、すなわち亜硫酸排出能が高く、かつ、硫化水素産生能の低いセルフクローニング酵母株を提供する。より具体的には、本発明は、亜硫酸高排出能が高く、かつ、硫化水素産生能の低いセルフクローニングビール酵母、特に、そのような性質を有するセルフクローニング下面ビール酵母を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明は、亜硫酸を排出するタンパク質をコードする遺伝子SSU1を高発現するセルフクローニング酵母株、特にSSU1を高発現するセルフクローニングビール酵母株、とりわけSSU1を高発現するセルフクローニング下面ビール酵母株を提供する。
【図面の簡単な説明】
【0007】
【図1】図1は、プラスミドpST106を鋳型DNAとして増幅したPCR産物を用いてビール酵母胞子分離体を形質転換して、SSU1を高発現するビール酵母胞子分離体を作製する手順を模式的に示した図である。SC-URA3はSC型URA3マーカーを表し、PTDH3はTDH3プロモーターを表わす。
【図2】図2は、SSU1を高発現するビール酵母胞子分離体のゲノムを鋳型として増幅したPCR産物を用いてビール酵母を形質転換して、SSU1を高発現するビール酵母形質転換体を作製する手順を模式的に示した図である。SC-URA3はSC型URA3マーカーを表し、PTDH3はTDH3プロモーターを表わす。
【図3】図3は、ホモ組換え体ビール酵母を用いた5Lスケールの発酵試験における硫化水素発生の時間的変化を示した図である。◆は非形質転換体であるFY-2の硫化水素産生、■は高発現SC-SSU1遺伝子についてホモであるセルフクローニング組換え体ビール酵母、▲は高発現SB-SSU1遺伝子についてホモであるセルフクローニング組換え体ビール酵母の硫化水素産生を表す。
【発明を実施するための形態】
【0008】
本発明は、亜硫酸を排出するタンパク質をコードする遺伝子であるSSU1を高発現するセルフクローニング酵母株、特にSSU1を高発現するセルフクローニングビール酵母株である。本明細書において「セルフクローニング」とは同種の核酸のみを用いて遺伝的操作を行うことをいい、たとえばセルフクローニングビール酵母とはビール酵母由来の核酸のみを用いて遺伝的操作を行うことをいう。本発明において「同種」とは遺伝的操作を行う標的生物種と前記遺伝的操作に使用する全ての核酸の供給源の生物種が生物学的分類において同じであることを意味する。ビール酵母は大きく分けて上面ビール酵母と下面ビール酵母に分類され、上面ビール酵母は主としてサッカロミセス・セレビシアエ(S. cerevisiae)に分類され、下面ビール酵母とはサッカロミセス・セレビシアエとサッカロミセス・バヤナス(S. bayanus)との交雑体であってサッカロミセス・パストリアヌス(S. pastorianus)に分類される。したがって、例えば、S.pastorianus由来の核酸のみを用いて遺伝的に改変されてSSU1遺伝子を高発現するようになったS.pastorianusは「セルフクローニング下面ビール酵母」である。より具体的には、下面酵母(S.pastorianus)はS.cerevisiaeとS.bayanusの交雑体であり双方のゲノムを保持するから、S.cerevisiaeまたはS.bayanus由来の核酸または両者の雑種核酸のみを用いて遺伝的に改変された下面酵母も「セルフクローニング下面酵母」である。たとえば、S.cerevisiaeまたはS.bayanus由来の核酸配列または両者の雑種核酸配列のみを含む核酸分子がゲノム中に導入された下面ビール酵母は「セルフクローニング下面酵母」である。
SSU1遺伝子の高発現は翻訳レベルでも転写レベルでも達成することができるが、典型的には転写レベルで達成するのが簡便であろう。例えば、SSU1遺伝子の上流に同種高発現プロモーターを接続したDNA断片を含む遺伝子構築物を同種の酵母に導入することによってSSU1遺伝子を高発現するセルフクローニング酵母株を作製することができる。必要に応じてこの遺伝子構築物には同種エンハンサー等の転写を増強する同種制御配列を更に接続することもできる。下面ビール酵母のS.cerevisiae型のSSU1構造遺伝子のヌクレオチド配列を配列番号1に、SSU1タンパク質のアミノ酸配列を配列番号2に示す。また、下面ビール酵母のS.bayanus型のSSU1構造遺伝子のヌクレオチド配列を配列番号25に、SSU1タンパク質のアミノ酸配列を配列番号26に示す。
【0009】
本明細書において「遺伝子構築物」とは、何らかの形態で子孫へ遺伝し得る核酸分子をいい、典型的にはポリペプチドまたはRNAをコードする核酸分子を含む。本発明において高発現される遺伝子は配列番号2または配列番号26に記載のアミノ酸配列をコードする遺伝子と同一またはこれと「相同な」遺伝子である。これらの遺伝子を総称してSSU1遺伝子と呼ぶ。配列番号2に記載のアミノ酸配列をコードする遺伝子と「相同な」遺伝子とは、配列番号2に記載のアミノ酸配列をコードする遺伝子のヌクレオチド配列と配列相同性の高い遺伝子、例えば70%以上、好ましくは80%以上、特に好ましくは90%以上の配列相同性を有する遺伝子である。配列番号26に記載のアミノ酸配列をコードする遺伝子と「相同な」遺伝子についても同様である。配列番号2に記載のアミノ酸配列を有するポリペプチドは配列番号1に記載の核酸配列のヌクレオチド番号1016-2389よってコードされる。
相同性は、例えばFASTA等の当業者によく知られたプログラムを標準的なパラメーターと共に用いて計算することができる。配列相同性を計算するためのプログラムは国立遺伝学研究所 生命情報・DDBJ研究センター(DDBJ/CIB)(http://www.ddbj.nig.ac.jp/Welcome-j.html)等の世界各国の公共的機関からFASTA Ver.2.0, 3.0, 3.2, 3.3等が標準的パラメーターと共に提供されている。また、そのような相同性の高い核酸分子には、ストリンジェントな条件下で配列番号2または配列番号26に記載のアミノ酸配列をコードする核酸分子とハイブリダイズし得る核酸分子が含まれる。
【0010】
ここで、「ストリンジェントな条件」とは、いわゆる特異的なハイブリッドが形成され、非特異的なハイブリッドが形成されない条件を言う。例えば、サザンハイブリダイゼーションにおける洗浄条件が50℃、2xSSC、0.1% SDS、好ましくは1xSSC、0.1% SDS、より好ましくは0.1xSSC、0.1% SDSに相当する条件が挙げられる。このような条件は当業者によく知られたものであり、Sambrook et al., 1989, Molecular Cloning: A Laboratory Manual, Second Edition (1989) Cold Spring Harbor Laboratory Press, Cold Spring Harbor, New York等にも記載されている。
本発明において高発現されるSSU1遺伝子および高発現プロモーターはそれぞれ導入すべき酵母と同じ種由来であるが、それぞれ独立に同じ菌株に由来しても異なる菌株に由来しても良い。
【0011】
本発明において使用するSSU1遺伝子を高発現させるための遺伝子構築物は当業者によく知られた方法を用いて作製することができる。例えば、SSU1遺伝子を発現させ得る遺伝子構築物において使用するプロモーターは酵母細胞内で機能し得るプロモーターであればよく、例えば、ADH1、GAL1、GAL10等のプロモーターを使用することができる。プロモーターは高発現プロモーターが好ましく、そのようなプロモーターには、ADH1プロモーター、ホスホグリセレートキナーゼ(PGK)、エノラーゼ、グリセロアルデヒド-3'-リン酸デヒドロゲナーゼ(TDH3)等のプロモーターが含まれる。上述のような遺伝子構築物を設計、作製、単離する方法を含む分子生物学的手段については、例えば、前述のSambrook ら、Molecular Cloning: A Laboratory Manual, 第2版 (1989年) およびF.M. Ausubel ら, Current Protocols in Molecular Biology, John Wiley & Sons, Inc. (1994年)等の文献を参照することができる。また酵母および酵母胞子分離体の形質転換は当業者によく知られたいずれの方法で行ってもよく、それらには酢酸リチウム法、プロトプラスト法、エレクトロポレーション法、パーティクルガン法などが含まれる。
【0012】
本発明の硫化水素産生量が低下した酵母は典型的には以下のように作製することができる(図1参照)。まず、TDH3のような高発現プロモーターと適切な選抜マーカーを含むDNA断片の3'端および5'端にSSU1遺伝子配列を有するDNA断片を作製する。SC型SSU1(SC-SSU1)およびSB型SSU1(SB-SSU1)のいずれについてもこのようなDNA断片を作製することができる。このような断片は当業者によく知られた方法で作製することができる。選抜用のマーカーは特に限定されないが、たとえば栄養要求性マーカーを使用することができる。そのようなマーカーにはウラシル要求性(URA3)、ロイシン要求性(LEU2)、トリプトファン要求性 (TRP1)、ヒスチジン要求性 (HIS3)マーカーが含まれる。この断片を用いてビール酵母胞子分離体を形質転換することができる。得られた形質転換体のゲノム挿入状態は適切なプライマーを用いたPCRを行い、予想される長さのDNA断片が増幅されることによって確認することができる。得られた胞子分離体形質転換体においてはゲノム上のSSU1遺伝子上流のプロモーターが高発現プロモーターに置換されている(図1)。したがって、得られた形質転換胞子分離体はSSU1遺伝子を高発現する。
【0013】
次に、得られた胞子分離体形質転換体のゲノム配列を鋳型として適切なプライマーを用いてPCRを行い、SSU1遺伝子の上流に高発現プロモーターが接続されたDNA断片を得ることができる。使用するプライマーは、高発現プロモーターをSSU1遺伝子およびその上流の配列がフランキングするDNA断片が増幅されるように選ばれる(図2)。得られたDNA断片を用いてビール酵母を形質転換することができる。形質転換体はたとえば亜硫酸耐性を指標として選抜することができる。具体的には、例えば、最終濃度75mMの酒石酸でpH3.5に調整したYPD寒天培地(1% Yeast extract, 2% Peptone, 2% Glucose, 2% 寒天)に、亜硫酸ナトリウムを最終濃度は、5mMから8mMで塗布し、25℃に培養して形成されるコロニーを選択することによって形質転換酵母を選抜することができる。更に、適切なプライマーを用いたPCRを行い、予想される大きさのDNA断片が増幅されることを確認して期待したゲノム上のSSU1遺伝子上流のプロモーターが高発現プロモーターに置換される相同組換えが生じていることを確認することができる。形質転換されたビール酵母においてゲノム上のSC-SSU1遺伝子および/またはSB-SSU1遺伝子上流のプロモーターが高発現プロモーターに置換されている(図2)。
【0014】
得られたビール酵母は、SSU1遺伝子産物(タンパク質)の量、SSU1 mRNAの量、亜硫酸排出能の指標としての亜硫酸耐性、および硫化水素産生能等について評価することができる。SSU1タンパク質の量は例えば、ウェスタンブロット等により、mRNA量は例えばノーザンブロット、定量的RT-PCR等によって評価することができる。亜硫酸耐性は、例えば、Uzukaらの方法(J. Ferment. Technol. Vol.63, p107-114, 1985)によって行うことができる。簡単に言えば、2%グルコース、0.67% Yeast nitrogenbase w/o amino acids (Difco)、0.15%酒石酸、pH3〜3.5の培地に、該当する酵母を培養当初2×106 細胞/ml程度になるようにして培養を開始し、培養当初から亜硫酸水素ナトリウムを添加し、約25℃にて1日〜7日間培養し、亜硫酸の存在下でも明瞭な酵母の生育が見られた場合(例えば、107細胞/ml以上の酵母菌数まで生育した場合)にその酵母が亜硫酸耐性を有すると考えることができる。
また、培養液中の遊離の亜硫酸濃度は、Hennigの方法(JAKOB Untersuchungsmethoden fuer Wein und aehnliche Getraenke p87-89 (1973))等を用いて測定することができる。より簡便には(株)JKインターナショナル製のF−キット 亜硫酸を用いることができる。この方法は、溶存している亜硫酸を亜硫酸オキシダーゼと反応させ、産生された過酸化水素をNADHペルオキシダーゼとで反応させ、減少するNADHを340nmの吸光度変化により求めることで、亜硫酸を定量する方法である。本発明によってビール酵母の亜硫酸排出能が増強され、一般には0より高く50ppmまでの亜硫酸、好ましくは10〜50ppm、特に好ましくは20〜50ppmの亜硫酸に耐性となり、培地中の亜硫酸濃度は非形質転換体に比較して少なくとも1.5倍以上に増加する。
【0015】
酵母の硫化水素産生能は、例えば、酵母をSD培地(2%グルコース、0.67%Yeast nitrogenbase w/o amino acids (Difco))中、約25℃にて1日間静置培養し、培養上清中に溶解している硫化水素量を測定することによって評価できる。硫化水素の測定は、一般にしられたどのような方法によってもよい。たとえば培養液を一定量採取し、3000rpm 10分間の遠心分離によって酵母を分離した培養液をスターラーバーの入ったバイアル瓶に入れ、塩化ナトリウム所定量を加え、3N塩酸、内部標準液(硫化エチルメチル10 mg/mL)を所定量加え、アルミキャップで密栓し、室温10分間でスターラーバーを回転させて、塩化ナトリウムを溶解させ、ヘッドスペースGC-FPDによって、内部標準比から培養液中の溶存硫化水素濃度を定量することによって行うことができる。
【0016】
本発明によってSSU1遺伝子発現を増大され得る遺伝子構築物が導入された酵母は対応する同種、好ましくは同株の非形質転換体酵母に対して約80%以下、好ましくは約70%以下、特に好ましくは約60%以下まで単位時間あたりの硫化水素産生量が低下する。より具体的には、本発明の酵母、特にビール酵母は対応する同種、好ましくは同株の非形質転換体酵母に対して少なくとも約45%〜80%、好ましくは少なくとも約40%〜70%、特に好ましくは少なくとも約45%〜60%程度まで硫化水素産生量が低下する。硫化水素産生量の低下は、上述した条件で酵母を1〜7日程度培養した後に培養上清中に溶解している硫化水素量の減少を指標として評価することができる。
【0017】
本発明によって得られた亜硫酸高排出および/または硫化水素低産生酵母は、対応する同種または同株の非形質転換体酵母と同等の条件下で同等の用途に使用することができる。また亜硫酸濃度を増大させた条件下で使用することもでき、または、硫化水素除去のための措置を一部若しくは全部省略することもできる。
【実施例1】
【0018】
セルフクローニングによるSSU1高発現下面ビール酵母胞子分離体の作製
(1)SSU1高発現系構築のための遺伝子構築物の作製
下面ビール酵母のSSU1遺伝子を高発現させるための遺伝子構築物を作製した。下面ビール酵母はS.cerevisiae(SC)型とS.bayanus(SB)型のゲノムを有しているので、以下のプライマーを用いてPCR増幅断片を得て、これをSC型、SB型それぞれのSSU1遺伝子高発現のための遺伝子構築物として使用した。

SC型SSU1遺伝子高発現系構築のための遺伝子構築物作製用プライマー
SC-SSU1f-pST:5’-TACAGCTTTCCCCTAGTAACGATTGTTGATTGAGCTCAGAAGCTTTTCAATTCAATTCATC-3’配列番号3
SC-SSU1r-pST:5’-CAAGTACCCAATTGGCAACCATTTTTTTCTTGTACTTGTCTTTATTCGAAACTAAGTTCTTGG-3’配列番号4

SB型SSU1遺伝子高発現系構築のための遺伝子構築物作製用プライマー
SB-SSU1f-pST:5’-CGCTATAACAACGACTACTGATCGAATTCAGGATACAAACAGCTTTTCAATTCAATTCATC-3’ 配列番号5
SB-SSU1r-pST:5’-TGAGCATCCAACTAGCGACCATTCTCTGCTATGTTACCTGTTTATTCGAAACTAAGTTCTTGG-3’ 配列番号6
【0019】
PCRの条件は以下の通りである。
各プライマー 最終濃度0.2μM
鋳型DNA プラスミドpST106
反応液合計 50μL
98℃ 10秒、55℃ 15秒、68℃ 3分 を35サイクル
68℃ 7分間維持
酵素 PrimeStar(タカラバイオ製)
【0020】
鋳型DNAであるプラスミドpST106は、高発現プロモーターであるS.cerevisiae由来のTDH3(グリセロアルデヒド−3’-リン酸デヒドロゲナーゼ)プロモーターと選択マーカー遺伝子であるS.cerevisiaeのURA3遺伝子を含む(図1)。PCRのターゲットのヌクレオチド配列は配列番号7として示す。
PCR終了後、未反応のプライマーをQIAquick PCR Purification Kit (QIAGEN社製)にて除去し、PCR増幅産物を得た。プラスミドpST106を鋳型DNAとしてプライマー SC-SSU1f-pSTとSC-SSU1r-pSTあるいはSB-SSU1f-pSTとSB-SSU1r-pSTを用いて増幅されたPCR増幅産物は、両末端40bpにSC型あるいはSB型のSSU1遺伝子のコード配列またはその上流配列を有する(図1)。従って、宿主である下面ビール酵母に導入された場合、そのゲノムDNAと相同的な組換えを起こし、その結果URA3マーカーおよびTDH3プロモーターが酵母のゲノムDNAに挿入されることが期待される。
【0021】
(2)ビール酵母胞子分離体の形質転換
このPCR増幅産物を用いて下面ビール酵母胞子分離体を形質転換した。形質転換に用いた下面ビール酵母胞子分離体はWeihenstephan34/70の胞子分離体W-1BのURA3遺伝子変異体W-1B-ura3である。対数増殖期の酵母菌体を集菌洗浄した後、109細胞/mlになるように懸濁した酵母細胞液0.1mLに、0.2M酢酸リチウム溶液0.1mLを加え、室温で1時間反応させた後、反応液0.1mLに、70%ポリエチレングリコール4000溶液0.1mLを加え、懸濁し、PCRで増幅したDNA断片を約20μg加え、室温で1時間反応させた。その後、42℃の水槽で、5分間処理した後、集菌洗浄し、選択培地であるSD培地(2% グルコース, 0.67% Yeast nitorogenbase w/o amino acids (Difco製), 2% 寒天)に塗布し、形成されたコロニーから形質転換株を選択した。得られた形質転換体のゲノム挿入状態は下記のプライマーを用いたPCRによって調べた。PCRの条件は、上記のものと同様である。
【0022】
SC型SSU1遺伝子高発現酵母株の解析用プライマー
SC-SSU1-f603:5’-TTTTGTATGTCACTGGATGTATAC-3’ 配列番号9
SC-SSU1-r1001:5’-TAGTACGACAGGATTGAAACGACAG-3’ 配列番号10

SB型SSU1遺伝子高発現酵母株の解析用プライマー
SB-SSU1-f206:5’-AAAGACTCATCGTTGTATTTGGCAC-3’ 配列番号11
SB-SSU1-r248:5’-TATTCATTGAAGTAATCTCTAAAGC-3’ 配列番号12
【0023】
予想された断片長のPCR産物が確認できた形質転換体については、DNA塩基配列も確認し、形質転換に用いたPCR増幅断片がSC型SSU1遺伝子あるいはSB型SSU1遺伝子の位置に挿入されていることを確認した。SC型SSU1遺伝子に強発現のTDH3プロモーターが接続されたビール酵母胞子分離体の形質転換体をW-1B/PTDH3-SC-SSU1とし、SB型SSU1遺伝子に強発現のTDH3プロモーターが接続されたビール酵母胞子分離体の形質転換体をW-1B/PTDH3-SB-SSU1とした(図1)。
【0024】
(3)形質転換された下面ビール酵母胞子分離体の発酵試験
麦汁で馴らしの培養が終了したSC-SSU1遺伝子高発現下面ビール酵母胞子分離体W-1B/PTDH3-SC-SSU1あるいはW-1B/PTDH3-SB-SSU1を、それぞれ100mLの麦汁に移し、初期細胞濃度を2×107細胞/mLとなるようにして、15℃にて醗酵を開始し、麦汁発酵条件下で産生される硫化水素量及び排出される亜硫酸量を調べた。発酵終了後に発酵液に溶存している硫化水素及び亜硫酸を測定した。硫化水素の測定は、培養液を約7mL採取し、3000rpm 10分間の遠心分離によって酵母を分離した培養液5mLをスターラーバーの入ったバイアル瓶に入れ、塩化ナトリウム1.0gを加え、3N塩酸100μL、内部標準液(硫化エチルメチル10 mg/mL) 50μLを加え、アルミキャップで密栓し、室温10分間でスターラーバーを回転させて塩化ナトリウムを溶解させた。ヘッドスペースGC-FPDによって、内部標準比から培養液中の溶存硫化水素濃度を定量した。亜硫酸の測定は(株)JKインターナショナル製のF−キット 亜硫酸を用いた。この方法は、溶存している亜硫酸を亜硫酸オキシダーゼに反応させ、産生された過酸化水素をNADHペルオキシダーゼで反応させ、減少するNADHを340nmの吸光度で求めることで定量するものである。各酵母菌株の硫化水素産生量及び亜硫酸排出量を表1に示す。
【0025】
表1.下面ビール酵母胞子分離体の硫化水素産生量と亜硫酸排出量

SC-またはSB-SSU1遺伝子の高発現下面ビール酵母胞子分離体は、麦汁発酵条件で硫化水素産生能が低下し、亜硫酸排出能が増加することが確認された。
【実施例2】
【0026】
セルフクローニングによるSSU1遺伝子高発現下面ビール酵母の作製
(1)下面ビール酵母の形質転換
下面ビール酵母の胞子分離体のSSU1遺伝子高発現形質転換体が得られたので、このゲノムDNA配列を基に、ビール酵母のSSU1遺伝子高発現形質転換体を得ることを試みた。下面ビール酵母胞子分離体の形質転換体W-1B/PTDH3-SC-SSU1とW-1B/PTDH3-SB-SSU1のゲノムDNAをそれぞれ抽出した。ゲノムDNAの抽出は、Qiagen Genomic-Tip 20/G (Qiagen社製)によった。それぞれのゲノムDNAを鋳型として高発現TDH3プロモーターが接続されたSSU1遺伝子を含むPCR増幅断片を得た(図2)。使用したプライマーを下記に示す。PCRの条件は、実施例1(1)のものと同様である。
【0027】
SC型SSU1遺伝子高発現酵母株作製のためのDNA断片増幅用PCRプライマー
SC-SSU1-PTDH3f: 5’-ATTTAGACAACACACAAATTACAGCTTTCCCCTAGTAACGATTGTTGATTGAGCTCAGACATTATCAATACTGCCATTTC-3’ 配列番号13
SC-SSU1r557:5’-GGAATGATATCCAGTAGCAATACAC-3’配列番号14

SB型SSU1遺伝子高発現酵母株作製のためのDNA断片増幅用PCRプライマー
SB-SSU1-PTDH3f:5’-AGTATACAATCTATATTCACGCTATAACAACGACTACTGATCGAATTCAGGATACAAACCATTATCAATACTGCCATTTC-3’ 配列番号15
SB-SSU1-r525:5’-GTGGTCGGAAGCCATTCGTGAACTG-3’ 配列番号16
【0028】
PCR終了後、未反応のプライマーは、QIAquick PCR Purification Kit (QIAGEN社製)にて除去し、PCR増幅産物を得た。得られたPCR増幅産物中のTDH3プロモーター上流はSC-またはSB-SSU1遺伝子の翻訳開始点上流の60bpまたは59bpの配列である(図2)。一方、TDH3プロモーター下流には、SC-または、SB-SSU1遺伝子の翻訳領域が接続されている。従って、このPCR増幅断片は、5'末端側および3'末端側のDNA配列が下面ビール酵母のSC-またはSB-SSU1遺伝子のDNA塩基配列と相同性があるので下面ビール酵母のゲノムDNAと相同的な組換えを起こし、下面ビール酵母のゲノムDNAに相同的に組み込まれることが期待される(図2)。相同的組換えが期待されるSC-SSU1遺伝子のヌクレオチド配列を配列番号17、アミノ酸配列を配列番号18に示し、SB-SSU1遺伝子のヌクレオチド配列を配列番号19に、アミノ酸配列を配列番号20に示す。形質転換に用いた下面ビール酵母はFY-2であり、形質転換の方法は実施例1(2)に記載したものと同様であるが、選択培地に直接塗布する前に、栄養培地であるYPD培地(1% Yeast extract, 2% Peptone, 2% Glucose)に処理した酵母菌体を懸濁させ、25℃で一昼夜振とうさせた。形質転換株は亜硫酸耐性を指標として選択した。亜硫酸耐性の形質転換株の取得は、最終濃度75mM酒石酸でpH3.5に調整したYPD寒天培地(1% Yeast extract, 2% Peptone, 2% Glucose, 2% 寒天)に、亜硫酸ナトリウムを塗布し、25℃に培養することで形成されるコロニーを選択することで行なった。亜硫酸の最終濃度は、5mMから8mMとした。得られたコロニーが、期待したSC-または、SB-SSU1遺伝子の領域で相同的な組換えによって生じたものであるかを、PCRによって調べた。また、下面ビール酵母はS.cerevisiaeとS.bayanusの双方のゲノムを保持するから、SC-SSU1遺伝子及びSB-SSU1遺伝子をそれぞれ二つずつ有している。このPCRは、SC型SSU1遺伝子およびSB型SSU1遺伝子のそれぞれについて、一つの対立遺伝子について相同的組換えが生じたもの(ヘテロ組換え形質転換体)であるか、二つの対立遺伝子のいずれについても相同的組換えを生じたもの(ホモ組換え形質転換体)であるかも判定することができる。PCRのプライマーは、以下のものを使用した。
【0029】
SC型SSU1遺伝子高発現酵母株解析用プライマー
SC-SSU1-f603:5’-TTTTGTATGTCACTGGATGTATAC-3’ 配列番号21
SC-SSU1-r1001:5’-TAGTACGACAGGATTGAAACGACAG-3’ 配列番号22

SB型SSU1遺伝子高発現酵母株解析用プライマー
SB-SSU1-f206:5’-AAAGACTCATCGTTGTATTTGGCAC-3 配列番号23
SB-SSU1-r942:5’-TGCCAAAGCAAATGTCATGCCCAG-3’ 配列番号24
【0030】
PCRによって予想された断片長の増幅産物が確認できた形質転換体については、DNA塩基配列も確認し、形質転換に用いたPCR増幅断片がSC型SSU1遺伝子あるいはSB型SSU1遺伝子の位置に挿入されていることを確認した。ゲノム上のSC型SSU1遺伝子に高発現TDH3プロモーターが接続された下面ビール酵母の形質転換体のうち、ヘテロ組換え形質転換体をFY-2/PTDH3-SC-SSU1/SC-SSU1とし、ホモ形質転換体をFY-2/PTDH3-SC-SSU1/PTDH3-SC-SSU1とした。ゲノム上のSB型SSU1遺伝子に高発現TDH3プロモーターが接続されたビール酵母胞子分離体の形質転換体のうち、ヘテロ形質転換体をFY-2/PTDH3-SB-SSU1/SB-SSU1、ホモ形質転換体をFY-2/PTDH3-SB-SSU1/PTDH3-SB-SSU1とした。
【0031】
(2)形質転換された下面ビール酵母の発酵試験(ヘテロ組換え体下面ビール酵母とホモ組換え体下面ビール酵母の比較)
先述したように、下面ビール酵母にはSC-SSU1遺伝子とSB-SSU1遺伝子がそれぞれ2つずつ存在する。そこで、SC-SSU1遺伝子のヘテロ組換え体ビール酵母とホモ組換え体ビール酵母の発酵試験を行い、実施例1(3)に記載したのと同様な方法で硫化水素産生と亜硫酸排出量を測定して比較した。結果を表2に示す。
【0032】
表2.へテロ組換え体ビール酵母とホモ組換え体ビール酵母の比較

ホモ組換え体下面ビール酵母の方がヘテロ組換え体下面ビール酵母に比べて硫化水素産生量がより低下し、亜硫酸排出量がより増加した。
【0033】
(3)ホモ形質転換下面ビール酵母の発酵試験(ホモ組換え体下面ビール酵母を用いた5L発酵試験)
麦汁で馴らしの培養が終了した、SC-SSU1遺伝子高発現下面ビール酵母、ホモ組換え体W/PTDH3-SC-SSU1/PTDH3-SC-SSU1と、SB-SSU1遺伝子高発現下面ビール酵母、ホモ組換え体W/PTDH3-SB-SSU1/PTDH3-SB-SSU1をそれぞれ5Lの麦汁に移し、初期細胞濃度を1.5×107細胞/mLとなるようにして、12℃にて醗酵を開始し、ビール発酵条件下での硫化水素産生を調べた。一定時間毎に醗酵液を採取し、醗酵液中に溶存している硫化水素及び亜硫酸を測定した。硫化水素の測定方法は実施例1(3)に記載した方法と同じである。測定結果を図3に示す。SSU1遺伝子高発現ビール酵母の産生硫化水素量は顕著に抑制された。また、発酵7日目における産生された亜硫酸の量を表3に示す。亜硫酸量の測定方法は実施例1(3)に示した方法と同じである。
【0034】
表3.下面ビール酵母形質転換体が排出する亜硫酸量

【0035】
さらに、日光臭の原因物質MBT(3-メチル-2-ブテン-1-チオール)やネギ臭の原因物質2M3MB(2-メルカプト-3-メチル-1-ブタノール)も測定した。試料500mLに、0.1M Trisに溶解させた2mM p-HMB(p-ヒドロキシ水銀安息香酸)25mLと20mM tert-ブチル-4-メトキシフェノール(BHA)エタノール溶液 500μL、内部標準液である500ng/mL 4-メトキシ-2-メチル-2-メルカプトブタン(4M2M2MB)エタノール溶液100mLを添加し、密栓して、スターラーバーで室温10分間、強く攪拌した。含硫化合物は水銀化合物であるp-HMBに吸着する。この反応物をDowex-1(強陰イオン交換樹脂)カラムに吸着させた後、0.2mM tert-ブチル-4-メトキシフェノールを含んだ0.1M酢酸ナトリウム緩衝液(pH6)100mLでカラムを洗浄した後、10mg/ml L-システイン塩酸塩一水和物を含んだ0.1M 酢酸ナトリム緩衝液(pH6) 100mLで含硫化合物をカラムから溶出させる。溶出液を酢酸エチル0.5mL、ジクロロメタン5mLで2回抽出し、有機溶媒層を無水硫酸ナトリウムで脱水した後、窒素ガスにて100μLまで濃縮し、質量分析計を搭載したGC分析に供した。日光臭の原因物質MBTやネギ臭の原因物質2M3MBの量を内部標準比から定量した。その結果を表4に示す。
【0036】
表4.下面ビール酵母形質転換体を用いた麦汁発酵条件下におけるS系臭物質の含量

SC-SSU1またはSB-SSU1遺伝子が高発現されている下面ビール酵母は、MBT及び2M3MBの産生量も少なかった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
配列番号2または配列番号26に記載のアミノ酸配列を有するポリペプチドをコードする遺伝子または前記ポリペプチドをコードする核酸分子とストリンジェントな条件でハイブリダイズし得る配列を有する遺伝子を発現させ得る遺伝子構築物が導入されたセルフクローニングビール酵母。
【請求項2】
配列番号2または配列番号26に記載のアミノ酸配列を有するポリペプチドをコードする遺伝子を発現させ得る遺伝子構築物が導入されたセルフクローニングビール酵母。
【請求項3】
遺伝子構築物が導入されていない対応する同種の非形質転換体酵母に対して硫化水素産生量が60%以下に低下した請求項1または2記載のセルフクローニングビール酵母。
【請求項4】
遺伝子構築物が導入されていない対応する同種の非形質転換体酵母に対して亜硫酸排出量が60%以上増加した請求項1〜3のいずれか1項記載のセルフクローニングビール酵母。
【請求項5】
酵母が下面ビール酵母である、請求項1〜4のいずれか1項記載のセルフクローニングビール酵母。

【図3】
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【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−223951(P2011−223951A)
【公開日】平成23年11月10日(2011.11.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−98456(P2010−98456)
【出願日】平成22年4月22日(2010.4.22)
【出願人】(311007202)アサヒビール株式会社 (36)
【Fターム(参考)】