説明

伸線性および耐食性に優れた被覆線材、この被覆線材を伸線して得られる耐食性に優れたゴム補強用線条体、並びに該ゴム補強用線条体とゴムとの複合体

【課題】本発明の目的は、ゴム補強用線条体に伸線する前の原線であって、伸線性に優れた被覆線材を提供することにある。また本発明の他の目的は、この被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体を提供することにある。更に本発明の他の目的は、該ゴム補強用線条体とゴムとの複合体を提供することにある。
【解決手段】鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有する被覆線材であって、前記被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%であり、且つ、前記被覆層の結晶構造を、CuのKα線を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定したときに、CuZn化合物の存在を示す回折ピーク群が認められると共に、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅が0.05〜0.22°の被覆線材である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼素線の表面に被覆層を有する被覆線材、およびこの被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体、並びに該ゴム補強用線条体とゴムとの複合体に関するものである。上記ゴム補強用線条体は、例えば、タイヤやホース、工業用ベルトなどのゴム製品を補強するための素材として好適に用いることができる。
【背景技術】
【0002】
タイヤやホースや工業用ベルトなどのゴム製品を補強するための素材として、従来からゴム補強用スチールコードが用いられている。ゴム補強用スチールコードは、ゴムと複合することによりゴムと密着し、ゴム製品の強度を高める。そのためスチールコードとゴムとの間には、良好な接着性が要求される。
【0003】
ゴム補強用ワイヤとゴムとの間の密着性を高める技術として、例えば特許文献1には、初期ゴム密着性の良いゴム補強用ワイヤを製造する方法が提案されている。この技術では、高炭素鋼ワイヤの表面に黄銅(ブラス)めっき層を形成した後、該黄銅めっき層の上に銅めっき層を形成し、次いで得られたワイヤを伸線加工することにより黄銅めっきと銅めっきとを機械的に合金化している。被覆層の最表面に存在するCuがゴムとの間に適度な硫化物(Cu−S系化合物)を生成することで両者の密着性が高まる。
【0004】
ところがこうしたゴム補強用ワイヤを用いて補強されたゴム製品のゴムに亀裂等が入り、該亀裂から水が侵入してスチールコード表面まで到達するとスチールコードの腐食が促進されることが分かった。これはスチールコードを構成している鋼はCuよりも卑な金属であるため、鋼の腐食速度が高まるからと考えられる。こうした腐食は、例えばトラックやバスのタイヤのように、特に繰り返し応力が加わるカーカス部で腐食疲労を誘発する原因となる。こうしたことからゴム補強用ワイヤは耐食性にも優れていることが求められるが、上記特許文献1ではゴム補強用ワイヤの耐食性について考慮されていなかった。
【0005】
ところでゴム補強用ワイヤの耐食性を高めるには、スチールコードの表面を、該スチールコードを構成している鋼よりも卑な金属で被覆することが有効である。卑な金属で被覆することにより、水と接触しても卑な金属の方が優先的に腐食されるからである(犠牲防食作用)。こうした卑な金属としてはZnを好適に用いることができる。
【0006】
こうしたスチールコードにZnめっきを施した場合に、ゴムとの密着性を高める技術として特許文献2が提案されている。この技術では、スチールコードとゴムの密着性を高めるために、ゴムに対してロジンや有機コバルト塩等を添加している。しかしゴムを変性してスチールコードとの密着性を高めたとしても、上記特許文献1のように、スチールコードの表面に銅めっき層を設けた場合と比べるとゴムとの密着性は悪い。また添加した有機コバルト塩等がゴム組成物中に含まれる加硫促進剤や老化防止剤等と反応すると、ゴムの特性を低下することがあるし、実操業を考えるとタイヤメーカーで扱っているゴムは多種多様であるためゴムに種々の元素を添加するのは煩雑であり汎用性に欠ける。
【0007】
これに対し特許文献3には、Cu:60〜66%で、Zn:34〜40%の真ちゅう被覆層を有するタイヤ用スチールコードが提案されている。しかし本発明者らが検討したところ、このスチールコードの耐食性は満足できるものではなく、耐食性を高めるにはZn含有量を増加させる必要があった。ところがZn含有量を増加させると、伸線性が顕著に悪くなることが判明し、新たな問題が生じた。
【特許文献1】特開平11−179419号公報([特許請求の範囲]参照)
【特許文献2】特開平11−21389号公報([特許請求の範囲]、[0026]参照)
【特許文献3】特開平11−93086号公報([特許請求の範囲]参照)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、この様な状況に鑑みてなされたものであり、その目的は、ゴム補強用線条体に伸線する前の原線であって、伸線性に優れた被覆線材を提供することにある。また本発明の他の目的は、この被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体を提供することにある。更に本発明の他の目的は、該ゴム補強用線条体とゴムとの複合体を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、まず初めに、ゴムを補強する際に用いるゴム補強用線条体に要求される特性として、ゴムとの密着性(特に、ゴム補強用線条体とゴム組成物を加硫接合した直後の密着性)と耐食性を高めることを目指して検討を重ねた。その結果、ゴム補強用線条体を、鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有する構成とし、この被覆層に含まれるCuとZn含有量のバランスを適切に調整することが重要であることが分かった。しかしその一方で、こうしたゴム補強用線材を製造することは困難になることが判明した。即ち、ゴム補強用線条体は、原線(本明細書では被覆線材と称することがある)を伸線することにより得られるが、密着性と耐食性を高めるためにCuとZn含有量のバランスを調整すると、伸線性が劣化するのである。そこで本発明者らは、原線をゴム補強用線条体に伸線するときの伸線性を高めることを目指して鋭意検討を重ねた。その結果、上記被覆層の結晶構造を適切に制御すれば、伸線性が飛躍的に向上することが判明し、本発明を完成した。
【0010】
即ち、本発明に係る伸線性に優れた被覆線材とは、鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有する被覆線材であって、前記被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%であり、且つ、前記被覆層の結晶構造を、CuのKα線を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定したときに、CuZn化合物の存在を示す回折ピーク群が認められると共に、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅が0.05〜0.22°である点に要旨を有する。
【0011】
本発明には、こうした被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体、および該ゴム補強用線条体とゴムとが複合しているゴム複合体も包含される。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、被覆層の結晶構造を適切に制御することにより、ゴム補強用線条体に伸線する前の原線であって、伸線性に優れた被覆線材を提供できる。本発明の被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体は、ゴムとの密着性および耐食性にも優れている。なお、本発明にはゴム補強用線条体、および該ゴム補強用線条体とゴムとが複合しているゴム複合体も含まれる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
本発明の被覆線材は、鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有するものであり、前記被覆層の平均Cu含有量は5〜45質量%で、且つ、前記被覆層の結晶構造を、CuのKα線を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定したときに、CuZn化合物の存在を示す回折ピーク群が認められると共に、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅が0.05〜0.22°を満足するものである。そしてこの被覆線材を伸線することによりゴム補強用線条体が得られる。
【0014】
本発明に係る被覆線材は、鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有するものである。鋼素線の成分組成は特に限定されず、ゴム補強用線条体を構成する素材として一般に用いられるものを使用できる。
【0015】
これに対し前記被覆層はCuとZnを必須成分として含んでいる。被覆層にCuを添加することで、ゴム組成物に含まれているSとCuが反応し、Cu−S系化合物を形成してゴムとゴム補強用線条体の密着性が向上する。また被覆層にZnを添加することで、犠牲防食作用により鋼素線の耐食性を高めることができる。
【0016】
被覆層の平均Cu含有量は5〜45質量%である。平均Cu含有量が5質量%未満では、被覆層に含まれるCu量が少ないため、ゴム補強用線条体をゴム組成物に埋設した後ゴム組成物を加硫接合した直後の密着性(以下、初期密着性と称することがある)を高めることができない。好ましくは10質量%以上、より好ましくは15質量%以上、更に好ましくは30質量%以上である。しかし被覆層に占めるCu含有量が過剰になると、逆にZn含有量が不足し、鋼素線の耐食性が劣化する。そのため被覆層の平均Cu含有量は45質量%以下とする。即ち、平均Cu含有量を45質量%以下にすれば必然的にZn含有量が多くなるため、犠牲防食作用によって鋼素線の腐食を防止できる。そのためゴム補強用線条体とゴムを複合化した複合体を長期間使用しても鋼素線の腐食が防止されるため、結果的にゴム補強用線条体の経時密着性寿命が長くなる。好ましくは40質量%以下、より好ましくは35質量%以下である。
【0017】
前記被覆層は基本的にはCuとZnから構成されている。そのため被覆層の平均Zn含有量は55〜95質量%となる。Znの含有量をこうした範囲に調整すれば、犠牲防食作用により鋼素線の腐食を防止できる。
【0018】
但し、被覆層に対して平均含有量が1質量%程度以下であれば、AlやMg,Co,Ni,O,C,Sなどの元素を含んでもよい。
【0019】
被覆層の平均Cu含有量や平均Zn含有量は、次に示す手順で測定できる。上記被覆層のうち任意の5箇所を選択し、マイクロサンプリング付き集束イオンビーム加工観察装置(FIB)で透過型電子顕微鏡断面観察用試料に加工する。次に、エネルギー分散型X線分析装置(EDX)付きの透過型電子顕微鏡(TEM)を用い、加速電圧200kVの電子線を用いて10万〜50万倍程度の明視野像を得る。次に、被覆層に電子線を照射して被覆層の成分組成を定量分析する。なお、電子線の照射箇所は3〜5箇所程度とし、測定値を平均したものを上記含有量とする。平均の含有量としたのは、鋼素線を被覆している被覆層全体の成分組成が重要だからであり、例えば被覆層のうち、最表層部や鋼素線との界面近傍等で局所的にCu含有量が45質量%を超えたとしても全体として上記範囲を満足していれば許容されることを意味している。
【0020】
上記FIBとしては例えば日立製作所製「FB−2000A」、EDX付きのTEMとしては例えば日立製作所製「HF−2000」を用いることができる。
【0021】
以上説明した通り、本発明では、鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有する被覆線材について、該被覆層の平均Cu含有量を5〜45質量%とすることにより、この被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体は、ゴムとの初期密着性や経時密着性寿命が良好となり、しかも耐食性にも優れたものとなる。
【0022】
ところが被覆層の平均Cu含有量を5〜45質量%にすると、被覆線材の伸線性が著しく低下して実操業では生産できないレベルであった。しかも伸線性は、Cu含有量が減少するのに従って劣化していた。こうした原因は、被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%で、残部が実質的にZnからなる場合には、被覆層中にβ相やγ相が生成するからと考えられる。β相やγ相は変形抵抗が大きいため被覆層の弾性力が高くなり、伸線性が悪くなるのである。これに対し、既に市販されているゴム補強用線材を見ると、鋼素線を被覆している被覆層のCu含有量はおおよそ50質量%以上であり、Cuが多くなると被覆層にα相が生成する。α相の変形抵抗は小さく、弾性力が小さいため伸線性が良好となると考えられる。
【0023】
そこで本発明者らは、平均Cu含有量が5〜45質量%を満足する被覆層を設けた被覆線材の伸線性を高める手段について検討を重ねた。その結果、後記の実施例で示す通り、被覆層の結晶構造を、CuのKα線を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定したときに、CuZn化合物(ε相)の存在を示す回折ピーク群が認められると共に、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅が0.05〜0.22°であれば、被覆層内のCuZn結晶粒のサイズが適切に制御され、被覆層の弾性力が小さくなることを見出した。
【0024】
CuのKα線とは、波長が0.154056nmのX線であり、θ−2θ法によるX線回折は常法の条件に基づいて行う。CuZn化合物(ε相)の存在は、被覆層を株式会社マック・サイエンス社製の「MXP3VAHF22(装置名)」でX線回折を測定し、測定したデータを、解析ソフトとして米MDI社(Material Data Inc.)の「Jade5.0(解析ソフト名)」を用いて解析することにより確認できる。
【0025】
そして本発明の被覆線材では、被覆層のX線回折を測定したときに、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅を0.05〜0.22°とすることが重要である。回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークは最低角回折ピークであり、この範囲に観察されるピークの半値幅が0.05〜0.22°であると、被覆層内のCuZn結晶粒のサイズが適切に制御されていることを示している。即ち、半値幅が0.05°未満であれば被覆層は単結晶に近くなり、結晶方位による加工異方性が強くなって伸線性が悪くなる。一方、半値幅が0.22°を超えると、被覆層内のCuZn結晶粒のサイズが小さくなりすぎるため伸線性が悪くなる。
【0026】
X線回折を測定する位置は被覆層の最表面とし、測定位置を互いに10cm以上離れた5箇所として測定する。測定結果を平均して半値幅を算出する。なお、CuZn結晶粒のサイズを直接測定できればよいが、結晶粒のサイズを直接測定することは困難であるため、本発明ではX線回折を用いて間接的に測定している。
【0027】
本発明に係る被覆線材は、上記で規定する要件を満足するものであればよく、その製法は特に限定されないが、次に示す方法を好適に採用できる。
【0028】
鋼素線の表面に、CuおよびZnを含む被覆層を形成する方法としては、スパッタリング法が好適に適用できる。スパッタリング法であれば、ターゲットの組成を変えることにより被覆層の成分組成を容易に制御できる。またスパッタリング法では、成膜時間を変化させることで被覆層の厚さを制御できる。
【0029】
そして被覆層にCuZn化合物(ε相)を積極的に生成させるには、スパッタリング条件のうち、Ar流量(sccm)と成膜パワー(W)を適切に制御することが重要となる。Ar流量はCuZn結晶粒の大きさに影響を与え、流量が多いほど結晶粒が小さくなる傾向がある。また成膜パワーもCuZn結晶粒の大きさに影響を与え、成膜パワーが大きいほど結晶粒が小さくなる傾向がある。こうした傾向は、Ar流量と成膜パワーのバランスで変動するし、成膜機器によっても変動するため一律に規定できないが、成膜機器として中外炉工業製「FQ−6568」を用いる場合には、Ar流量を5〜20sccm、成膜パワーを100〜300Wとする。そしてAr流量と成膜パワーの関係が下記(1)式を満たすように調整する。
1000≦Ar流量(sccm)×成膜パワー(W)<6000 …(1)
【0030】
次に、上記被覆層を有する鋼素線を伸線すればゴム補強用線条体が得られる。伸線条件は特に限定されないが、伸線後に得られるゴム補強用線条体の直径が、0.1〜0.5mm程度となる様に行なうことが好ましい。また、伸線して得られた補強用線条体は、複数本撚って用いてもよい。
【0031】
なお、上記ではスパッタリング法を採用した場合について重点的に説明したが本発明はこれに限定されるものではなく、被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%であり、この被覆層の結晶構造が上記で規定する要件を満足すればよい。即ち、例えば鋼素線表面に電気めっき等の湿式法でZnめっきした後、Cuめっきし、次いで熱拡散処理によりCu−Zn合金めっき層を形成し、伸線加工してもよいし、湿式法でCu−Zn合金めっきしてCu−Zn合金めっき層を形成してもよい。
【0032】
本発明に係る被覆線材を伸線して得られるゴム補強用線条体は、例えば、タイヤやホース、工業用ベルトなどを補強するための素材として好適に用いることができる。即ち、本発明に係るゴム補強用線条体とゴムとが複合しているゴム複合体(例えば、タイヤやホース、工業用ベルトなど)も本発明に含まれる。
【実施例】
【0033】
以下、本発明を実験例によって更に詳細に説明するが、下記実験例は本発明を限定する性質のものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更して実施することも可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に含まれる。
【0034】
実験例1
鋼素線(直径:φ1mm)の表面に、組成の異なるCuおよび/またはZnからなる被覆層(膜厚:1μm)を湿式めっき法で形成することにより被覆線材を得た。鋼素線としてはJIS規格のG3506のSWRH82Aを用いた。被覆層の成分組成を上述した手順で測定し、測定結果を下記表1に示す。次いで、得られた被覆線材を直径:0.2mmまで伸線してゴム補強用線条体を得た。なお、平均Cu含有量が5〜45質量%の被覆層を有する被覆線材は伸線性が悪いため、一般ラインでの伸線加工が困難であり、手作業で伸線している。
【0035】
得られたゴム補強用線条体について、(1)初期密着性、(2)経時密着性寿命および(3)耐食性を評価した。
【0036】
(1)初期密着性
上記ゴム補強用線条体を3本撚りのスチールコードとし、これをゴムに埋設、加硫して接着した。このときASTM−D2229に従って加硫接着直後の引抜強度を測定した。測定した結果の相対値を下記表1に併せて示す。なお、相対値とは、被覆層の平均Cu含有量が63質量%で、平均Zn含有量が37質量%であるゴム補強用線条体(以下、STDゴム補強用線条体と称することがある)の結果を基準(1.0)としたときの値である。Cu:Zn=63:37のゴム補強用線条体を基準としたのは、現行で一般的に使用されている組成だからである。
【0037】
表1から明らかなように、被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%であれば、STDゴム補強用線条体と同程度であるか、一段と優れた初期密着性を示す。一方、被覆層の平均Zn含有量が100質量%になると、該被覆層にはCuが含まれないため初期密着性は得られない。ゴムと被覆層の密着性は、被覆層に含まれるCuとゴム組成物中に含まれるSとの間でCu−S系化合物が生成することにより高まるからである。これに対し、被覆層の平均Cu含有量が63質量%以上になると、ゴムと被覆層との界面における接着強度はゴム自体の強度を超えてしまうため、引抜時の破壊はゴムと被覆層の界面では起こらず、ゴムの中で起こる。このため引抜強度はほぼ一定となる。但し、被覆層の平均Cu含有量が100質量%になると、被覆層に過剰量のCuが存在するため、ゴムと被覆層との間で過剰反応を起こし、却って界面強度が低下する。
【0038】
(2)経時密着性寿命
上記ゴム補強用線条体を3本撚りのスチールコードとし、これをゴムに埋設、加硫接着してゴム複合体を得た。得られたゴム複合体を温度:85℃、湿度:95%の湿潤環境下に7日間暴露した後、ASTM−D2229に従って引抜強度を測定した。測定した結果の相対値を上記(1)のときと同様に算出した。算出した相対値を下記表1に併せて示す。
【0039】
表1から明らかなように、被覆層の平均Cu含有量が少ないほど経時密着性寿命は長くなることが分かる。経時密着性は、CuとSが反応することによって形成されるCu−S系化合物よりなる層(以下、Cu−S層と称することがある)の状態に影響を受けると考えられ、このCu−S層が過剰に成長して却って破壊すると経時密着性寿命が短くなると考えられる。そのため被覆層の平均Cu含有量が45質量%以下になると、STDゴム補強用線条体と比べて1.8倍以上の経時密着性寿命を確保できる。
【0040】
(3)耐食性
上記ゴム補強用線条体を線長175mm、線径1.68mmとし、両端に15°のたわみ角をつけて回転させながら該線条体の中央部を15質量%NaCl水溶液に浸漬しつつ、該線条体の中央部に20MPaの繰り返し応力を与えた。このとき腐食疲労により鋼素線が破断するまでの寿命(以下、鋼素線腐食疲労破断寿命と称することがある)を測定した。測定した結果の相対値を上記(1)のときと同様に算出した。算出した相対値を下記表1に併せて示す。
【0041】
表1から明らかなように、被覆層の平均Cu含有量が少ないほど鋼素線腐食疲労破断寿命は長くなり、耐食性に優れることが分かる。被覆層にZnを含有させることによって犠牲防食作用が得られ、鋼素線の腐食が防止されるからである。
【0042】
【表1】

【0043】
実験例2
上記実験例1の結果から明らかなように、被覆層の平均Cu含有量を5〜45質量%とすることにより、初期密着性、経時密着性寿命および耐食性の全てを改善できることが分かる。しかし被覆層の平均Cu含有量がこうした範囲では、Zn含有量が多いために伸線性が悪く、一般ラインでは被覆線材からゴム補強用線条体へ伸線できない。現に、上記実験例1においても手作業で伸線している。そこで上記実験例1で得られた被覆線材の伸線性と被覆層の弾性力との関係について調べた。
【0044】
被覆層の弾性力はナノインデンター(例えば、エリオニクス社製の「ENT−1100a(装置名)」)を用いて測定できる。即ち、本明細書ではナノインデンターに備えられている圧子が降りて荷重が負荷されているときの凹み深さと、荷重を除いて圧子を上げた後に刻印される圧痕の凹み深さに基づいて弾性力を算出する。これを図面を用いて説明する。
【0045】
図1中、1は被覆層であり、(a)は被覆層に上記圧子が降りて荷重が負荷されている状態を示し(圧子は図示せず)、(b)は荷重を除いて圧子を上げた後に刻印される圧痕の凹み深さを示している。
【0046】
(a)に示すように、圧子が降りて荷重が負荷されている状態では、被覆層の変形量は、弾性変形量と塑性変形量の総和となるため、凹み深さxは比較的大きくなる。一方、荷重を除いて圧子を上げると、(b)に示すように、被覆層の変形量は塑性変形量のみとなるため、凹み深さyは前記xよりも減少する。即ち、被覆層から圧子を除くと、被覆層の変形は塑性変形によるものだけとなるため、このときの凹み深さyは弾性変形量分だけ回復すると考えられる。
【0047】
そこで本明細書では、弾性力をナノインデンターに備えられている圧子が降りて荷重が負荷されているときの凹み深さxと、荷重を除いて圧子を上げた後に刻印される圧痕の凹み深さyとの差(x−y)の大小で評価する。ナノインデンターを用いれば、500mgレベルの極小荷重で硬度を測定することができ、しかも測定表面の凹み深さが極めて小さいため、ゴム補強用線条体に被覆している被覆層のように膜厚が薄いものであっても精度良く測定できる。
【0048】
本明細書では、凹み深さから算出される被覆層の硬度を用いて弾性力値を算出する。即ち、上記圧子が降りて最大荷重が負荷されている状態の凹み深さから算出される弾塑性硬度と、荷重を除いて圧子を上げた後に刻印される圧痕の凹み深さから算出される塑性硬度の差を用いる。弾塑性硬度とは、被覆層に圧子を振り下ろした最下点で測定される値であり、塑性硬度とは圧子を上げるときに圧子が表面から離れる寸前で測定される値である。弾性力値は下記(2)式に基づいて算出する。
弾性力値=塑性硬度−弾塑性硬度 …(2)
【0049】
なお、弾塑性硬度や塑性硬度の測定結果は、例えばビッカース硬度の場合はHv=600として示されるが、この値は一般的に非SI単位である600kgf/mmと近似される。そこで下記表3には、非Si単位により算出された値を参考値として示すと共に、この値をSI単位に換算して示した。
【0050】
上記表1に示した成分組成の被覆層の弾塑性硬度と塑性硬度を、エリオニクス社製のナノインデンター「ENT−1100a(装置名)」を用いて測定し、測定された硬度から弾性力値を算出した。算出結果を下記表2に示す。なお、硬度の測定には図2に示すベルコビッチ型圧子を用い、測定時の荷重は500mgとした。図2中、Apは投影面積、hmaxは弾塑性硬度に相当する凹み深さ、hpは塑性硬度に相当する凹み深さである。
【0051】
表2から明らかなように、被覆線材の伸線性と弾性力値との間には良好な相関関係がある。即ち、被覆層の平均Cu含有量が50〜100質量%の被覆線材は、伸線性が良好であり、一般のラインで伸線できたが、こうした被覆線材の弾性力値は小さい。これに対し、被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%の被覆線材は、伸線性が悪いが、こうした被覆線材の弾性力値は大きい。
【0052】
【表2】

【0053】
実験例3
上記実験例2の結果をふまえて、被覆層の平均Cu含有量が20質量%、平均Zn含有量が80質量%の被覆線材を取り上げ、この被覆線材の伸線性について検討した。
【0054】
鋼素線(直径:φ1mm)の表面に、平均Cu含有量が20質量%で、平均Zn含有量が80質量%の被覆層(膜厚:1μm)をスパッタリング法で形成し、被覆線材を得た。鋼素線としてはJIS規格のG3506のSWRH82Aを用いた。スパッタリングには成膜機器として中外炉工業製「FQ−6568」を用いた。なお、この機器には、線材へ被覆ができるような冶具を備えている。
【0055】
スパッタリングターゲットとしては、Cu含有量が20質量%、Zn含有量が80質量%のCu−Zn合金を用いた。このときスパッタリング条件を、Ar流量:5〜20sccm、成膜パワー:100〜300Wとした。各条件を下記表3に示す。なお、スパッタリングの前には前処理としてArボンバードした。このときのAr流量は5sccm、成膜パワーは500Wである。
【0056】
但し、下記表3のサンプルNo.7は、上記表2に示したSTDゴム補強用線条体である。
【0057】
次に、得られた被覆線材を直径:0.2mmまで伸線してゴム補強用線条体を得た。このとき伸線性を目視と光学顕微鏡(観察倍率:300倍)で観察して評価した。評価結果を下記表3に示す。表3から明らかなように、被覆層の成分組成が同じ場合でも、サンプルNo.2〜4の伸線性は良好であるのに対し、サンプルNo.1,5〜6の伸線性は悪かった。
【0058】
そこで得られたゴム補強用線条体の弾性力値を上記実験例2に示した手順で算出した。算出結果を下記表3に示す。表3から明らかなように、伸線性が良好なサンプルの弾性力値は小さく、伸線性の悪いサンプルほど弾性力値は大きくなる。
【0059】
次に、伸線性の違いが生じる原因をつきとめるべく、被覆層の結晶構造を、CuのKα線(波長:0.154056nm)を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定した。その結果、サンプルNo.1〜6については、CuZn化合物の存在を示す回折ピーク群が認められ、ε相が生成していることが分かった。
【0060】
次にこの回折ピーク群のうち、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅を算出した。結果を下記表3に示す。表3から明らかなように、半値幅が0.05〜0.22°であれば伸線性は良好となり、STDゴム補強用線条体と同程度の伸線性を達成できている。被覆層の平均Cu含有量を5〜45質量%とした場合でも伸線性が良好となるのは、被覆層中に存在するCuZn結晶粒のサイズが適切に制御されているからと考えられる。
【0061】
【表3】

【図面の簡単な説明】
【0062】
【図1】被覆層の弾性力を算出するための説明図である。
【図2】被覆層の弾性力を算出するために用いたベルコビッチ型圧子を示す概略図である。
【符号の説明】
【0063】
1 被覆層

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼素線の表面にCuおよびZnを含む被覆層を有する被覆線材であって、
前記被覆層の平均Cu含有量が5〜45質量%であり、且つ、
前記被覆層の結晶構造を、CuのKα線を用いたθ−2θ法によるX線回折で測定したときに、CuZn化合物の存在を示す回折ピーク群が認められると共に、回折角2θ=37.7〜37.8°の間にあるピークの半値幅が0.05〜0.22°であることを特微とする伸線性に優れた被覆線材。
【請求項2】
請求項1に記載の被覆線材を伸線して得られることを特徴とするゴム補強用線条体。
【請求項3】
請求項2に記載のゴム補強用線条体とゴムとが複合していることを特徴とするゴム複合体。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2007−100119(P2007−100119A)
【公開日】平成19年4月19日(2007.4.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−287679(P2005−287679)
【出願日】平成17年9月30日(2005.9.30)
【出願人】(000110147)トクセン工業株式会社 (44)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】