説明

光応答性のパターニングに用いるための基板およびその利用

【課題】操作が煩雑でありかつ高価な機器を用いることなく、細胞や薬物のパターニングを、迅速かつ簡便に行う。
【解決手段】二層構造の酸化チタンによって被覆された基板を用いて、基板上に保持された物質の該基板からの放出を光応答性に制御する。上記二層構造の酸化チタンによって被覆された基板は、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層が固体基材上に形成されている。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、光応答性のパターニングに用いるための基板に関する。
【背景技術】
【0002】
培養細胞は、細胞の生化学的性質の研究、有用物質の生産などに利用されている。さらに、培養細胞は、人工的な合成物質の生理活性および毒性を調べる際に用いられている。
【0003】
多くの動物細胞は接着依存性に増殖するので、このような細胞の培養には、細胞が接着するための基材が必要である。近年、培養細胞を人工臓器やバイオセンサ、バイオリアクターなどに応用することが試みられている。このような技術に応用するために、培養細胞を基板上の微小な部分にのみ接着させかつ配列させることが必要となる。そのために、細胞を所望の位置に所望の形状にて基板上に配列させる技術である「細胞パターニング」の研究が進められている。細胞パターニングを用いれば、従来の細胞培養法よりも均一な細胞分布が得られ、細胞の機能発現や分化状態を均質化させることができる。これにより、細胞パターニングは、創薬のスクリーニング、再生医療などへの応用が期待されている。
【0004】
また、細胞だけでなく、薬物を基材に保持させて、パターニング技術を用いてその放出を制御することによって徐放性製剤を製造することも試みられている。
【0005】
細胞または薬物のパターニングを形成するためには、表面を特殊な高分子で被覆した基板や、スポッター等の機器が使用されており(それぞれ、非特許文献1および2参照)、特に、フォトリソグラフィー法、マイクロステンシル法などの手法が用いられている。
【0006】
酸化チタンは白色顔料として古くから利用されてきたが、近年ではその高い屈折率に基づく光の反射/屈折を利用して、化粧料、干渉顔料などにも広く使用されており、さらに、フォトニック結晶の構成材料として大いに期待されている。また、光触媒または色素増感電荷分離機能の面で、酸化チタンは群を抜いた材料であり、物質の光分解、水素製造触媒、酸化反応を利用した浄化、殺菌、抗菌、防臭システム等への応用から、エネルギー変換用の太陽電池、燃料電池への応用まで、幅広い分野と関連する。このように、酸化チタンは日常生活から産業活動の全般にまで応用され得る材料である。本発明者らは、これまでに、任意形状の固体基材表面にナノメートルの厚みであるアナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする土台層に、ナノファイバー状のルチル型酸化チタンが緻密に並ぶことを特徴とするナノ構造体被覆型構造物、および該構造物の製造方法を開発している(特許文献1参照)。
【0007】
近年、細胞培養用の基材に酸化チタンを用いる技術が開発されている(特許文献2〜4参照)。特許文献2には、酸化チタン被膜を有する細胞接着性基材が開示されている。特許文献2記載の酸化チタン被膜は、カバーガラスにチタン被膜をスパッタリングによってコーティングした後に焼成することによって形成されている。また、特許文献3には、細胞培養容器の細胞培養面に酸化チタン系光触媒を含む樹脂層を有する細胞培養容器が開示されている。さらに、特許文献4には、ウイルスの固定化及び細胞接着に適したバイオアッセイ用の支持体が開示されている。特許文献4記載の支持体は、ナノ構造二酸化チタン膜でコーティングされており、遺伝子分析及び表現型分析用のマイクロアレイの作成に利用されることが記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2010−163314号(平成22年7月29日公開)
【特許文献2】特開2002−253204号(平成14年9月10日公開)
【特許文献3】特開2004−51号(平成16年1月8日公開)
【特許文献4】特表2009−501539号(平成21年1月22日公表)
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】Hideyuki Hatakeyama et al., Biomaterials 28: 3632-3643 (2007)
【非特許文献2】Tiago G. Fernandes et al., Biotechnol Bioeng, 106: 106-118 (2010)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
しかし、フォトリソグラフィー法、マイクロステンシル法などの手法を用いた場合、パターニングの形状、大きさなどの条件を首尾よく制御することが困難であり、これにより、細胞機能に不測の影響を及ぼす。また、これらの手法の多くは、生理活性物質を基材表面に導入することによって実現されるものである。
【0011】
さらに、従来の技術に用いられる機器は高価な上に操作が煩雑であり、コストパフォーマンスが悪い。そのため、細胞や薬物のパターニングを、迅速かつ簡便な方法によって形成し得る基板の開発が望まれていた。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者は、鋭意検討を重ねた結果、特定構造の酸化チタン膜でコートした基材が、基材単体(コートなし)または酸化チタン単層コートの基材と比較して、細胞接着の速度および接着細胞の形態に差異がないこと、光応答性の細胞脱離が顕著に観察されること、光応答性の薬物放出および薬物分解が顕著に観察されることを見出した。また、薬物保持と薬物放出性に優れることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0013】
すなわち、本発明の基板は、光応答性のパターニングを形成させるための基板であり、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層、が固体基材上に形成されていることを特徴としている。
【0014】
本発明の基板は、従来の単層の酸化チタン被膜において観察されない光応答性を示す。これにより、被膜上に保持させた物質の被膜からの脱離を任意に制御することができ、所望のパターニングを得ることができる。
【0015】
なお、特許文献3には、蛍光灯を用いて培養面に光照射して、培養細胞を培養面から剥離することが記載されているが、後述する実施例にて示すように、酸化チタン基板上では、紫外線照射による細胞の剥離が観察されなかった。これは、用いた照射光の波長範囲の差異に起因するだけでなく、細胞接着が、酸化チタンを主構成成分とする層の上にて行われているか、特許文献3のような、酸化チタンを含むフッ素系樹脂層の上にて行われているかの違いに起因していると考えられる。
【0016】
本発明の基板において、パターニングに用いられる照射光は紫外光であることが好ましく、照射光の波長は375nm以下であることが好ましく、200〜375nmの範囲内であることがより好ましく、紫外線による細胞傷害性を回避するために300〜375nmの範囲内であることがより好ましく、300〜350nmの範囲内であることが最も好ましい。また、パターニングに用いられる照射光の強度が0.04W以上であることが好ましい。0.04Wを下回るエネルギーを用いると細胞剥離に時間を要する。
【0017】
本発明の基板において、第一層の厚みは10〜100nmの範囲内であることが好ましく、第二層を構成する針状結晶構造物の太さが2〜120nmの範囲内であり、長さが50〜600nmの範囲内であることが好ましい。
【0018】
本発明の細胞培養用器具は、上記基板を備えていることを特徴としている。本発明の細胞培養用器具が備えている基板は、上述した構造の酸化チタン被膜でコートされている。形成された特定構造の酸化チタン被膜は、従来の単層の酸化チタン被膜と明らかに構造が異なるにもかかわらず、細胞の接着性とおよび伸展性を損なうことなく細胞培養を行い得るので、本発明の細胞培養用器具は、従来の製品に遜色なく細胞培養に用いることができ、さらに、従来の製品よりも容易にパターニングを実現し得る。
【0019】
本発明の薬物放出用器具は、上記基板を備えていることを特徴としている。本発明の薬物放出用器具が備えている基板は、上述した構造の酸化チタン被膜でコートされている。形成された酸化チタン被膜は、光応答性の薬物放出能および薬物分解能が、従来の単層の酸化チタン被膜よりも顕著に優れているので、パターンに沿った徐放性製剤の製造に大いに役立つ。
【0020】
本発明のシステムは、光応答性のパターニングを形成させるためのシステムであり、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層が固体基材上に形成されている基板と、紫外領域の発光が可能な光源とを備えていることを特徴としている。本発明のシステムは、可視光〜赤外光を遮断するフィルターをさらに備えていてもよく、光源からの照射パターンを制御する制御部(例えば、コンピュータ)をさらに備えていてもよい。
【0021】
本発明の方法は、基板上に保持された物質の該基板からの放出を光応答性に制御する方法であり、二層構造の酸化チタンによって被覆された基板に光を照射する工程を包含し、該基板は、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層、が固体基材上に形成されていることを特徴としている。本発明の方法において、照射光は紫外光であることが好ましく、照射光の波長は375nm以下であることが好ましく、200〜375nmの範囲内であることがより好ましく、紫外線による細胞傷害性を回避するために300〜375nmの範囲内であることがより好ましく、300〜350nmの範囲内であることが最も好ましい。照射光の強度は0.04W以上であることが好ましい。
【0022】
本方法に用いられる物質は細胞であっても薬物であってもよく、さらに、本発明の方法は、放出させるべき物質を前記第二層上に保持させる工程をさらに包含してもよい。
【発明の効果】
【0023】
本発明は、光照射によって細胞の接着能を制御し、これにより、基板上での細胞のパターニングを可能にする。本発明はまた、光照射によって、基板に保持させた薬物のパターニングを可能にする。このように、本発明は、細胞培養用器具または薬物放出用器具に好適に利用することができる基板を提供する。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板およびガラス基板への細胞接着に費やす時間を比較した結果を示す図である。
【図2】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板およびガラス基板へ接着した細胞における、アクチンフィラメント形態および細胞形態を比較した結果を示す図である。
【図3】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板に紫外線を照射する際に、フォトマスクの有無によって活性酸素種の発生部位を制御し得ることを示す図である。
【図4】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板の光吸収曲線を示す図である。
【図5】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板およびガラス基板へ接着した細胞の、紫外線照射による細胞剥離を、経時的に観察した結果を示す図である。
【図6】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板へ接着したGFPを恒常的に発現している細胞の、紫外線照射による細胞剥離を示す図である。
【図7】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板および酸化チタン基板へ接着した細胞の、紫外線照射による細胞剥離を、経時的に観察した結果を示す図である。
【図8】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板、酸化チタン基板およびガラス基板へ塗布した薬物の、紫外線照射による放出量を、経時的に観察した結果を示す図である。
【図9】本発明の針状結晶構造酸化チタン基板へ塗布した薬物の、紫外線照射による分解量を、経時的に観察した結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
〔1.針状結晶構造酸化チタン基板〕
本発明は、光応答性のパターニングに用いるための基板を提供する。本発明の基板は、光によって接着性を制御し得る細胞培養用器具、または薬物放出用器具として好適に利用され得る。
【0026】
本発明の基板は、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から結晶成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層が、固体基材上に形成されている。第一層から結晶成長した針状結晶構造物は、固体基材に対して起立し、その結果、第二層全体が芝状の層構造を形成している。本発明の基板は、針状結晶構造物を表面上に担持しているので、本明細書中において、針状結晶構造酸化チタン基板ともいう。
【0027】
本発明の基板は、硫酸チタニルと水と過酸化水素と強酸とを混合して、pHを1.3以下の水溶液を得、該水溶液に塩基性化合物を加えてpHを1.64〜1.69に調整し、得られた水溶液に固体基材を浸漬し、少なくとも60℃以上、より好ましくは70〜95℃に加温して該固体基材表面を酸化チタンで被覆し、固体基材を浸漬したまま水溶液を20〜30℃に冷却し、酸化チタンで被覆された固体基材を取り出し、該表面を乾燥することによって製造される。
【0028】
上記強酸としては、特に限定されないが、工業的入手容易性、pH調整の容易性の観点から、塩酸、硝酸、硫酸を用いることが好ましい。また、上記塩基性化合物としては、特に限定されないが、工業的入手容易性と、pH調整の容易性の観点から、アルカリ金属もしくはアルカリ土類金属の水酸化物、アルカリ金属もしくはアルカリ土類金属の炭酸塩、アンモニア水、有機アミン化合物等が挙げられ、具体的には、水酸化ナトリウム、水酸化カリウム、炭酸ナトリウム、炭酸カリウム、炭酸バリウム、炭酸アンモニウム、炭酸水素ナトリウム、炭酸水素カリウム、アンモニア水溶液、エチルアミン、ジエチルアミン、トリエチルアミン、エチレンジアミン、ジメチルアミノエチルアミン、アミノエタノール、ジメチルアミノエタノール、ピリジン、L−リシンなどが好適に利用される。
【0029】
浸漬した固体基材を加温する時間は3〜30時間の範囲であることが好ましく、より好ましくは13〜24時間である。また、温度は75〜85℃であることがより好ましく、この場合の最も好ましい加温時間は14〜20時間である。また、冷却後の固体基材を乾燥する前に蒸留水、酸性水溶液または塩基性水溶液を用いて洗浄してもよい。
【0030】
このような手順を採用することによって、表面全体が緻密な芝状の被膜で覆われた構造物である基板が得られる。この基板は、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層が土台となり、この土台の上に、ルチル型酸化チタンを主構成成分とするナノファイバーがファイバー構造を維持したまま立ち並んで第二層が形成されており、芝状の針状結晶構造によって、固体基材の表面が被覆されている。
【0031】
第一層は、アナターゼ型結晶相の酸化チタンを主構成成分とし、一次構造がナノ粒子状の結晶が堆積してなる膜である。第一層の厚みは10〜100nmの範囲内に適宜調整し得るが、製造上の制御の容易さから、10〜80nmの範囲内であることが好ましい。なお、「主構成成分とする」は、その他の結晶相が多少混在していてもよいが、XRDの回折パターンで明確に観測できる結晶相が特定の結晶相であることを示すものであり、また、意図的に第三成分を併用しない限り、原料由来の不純物以外にはその他の成分が当該構造体に含まれないことを示す。
【0032】
第一層の上には、ルチル型酸化チタンがナノファイバー状に結晶生長し、それが第二層を構成している。このナノファイバーは、直径2〜5nmの単結晶ルチルナノワイヤーが集合した、直径20〜120nmの太さを有しており、長さは50〜600nmである。この第二層は、ナノファイバーがその形状を保ったまま立ち並ぶことによって形成されるものであり、その平均厚みはナノファイバーの長さに比例して厚くなる。ナノファイバーは垂直よりもやや斜めに生長するため、概ね300nm以下に制御可能である。なお、1段目の第二層を形成させた後、更に結晶成長させることも可能であり、第二層を複数回重ねることによって、複雑な階層構造を有するナノ構造体を得ることができる。この場合は、第二層の平均厚みを600nm〜1.5μmの範囲内とすることができる。
【0033】
本発明の基板に用いられる固体基材としては特に限定されず、例えば、ガラス、シリコン、金属、金属酸化物などの無機材料系基材、樹脂(プラスチック)、セルロースなどの有機材料系基材等、更にはガラス、金属、金属酸化物表面をエッチング処理した基材、樹脂基材の表面をプラズマ処理、オゾン処理した基材などを使用できる。
【0034】
無機材料系ガラス基材としては、特に限定するものではないが、例えば、耐熱ガラス(ホウケイ酸ガラス)、ソーダライムガラス、クリスタルガラス、鉛や砒素を含まない光学ガラスなどのガラスを好適に用いることができる。ガラス基材の使用においては、必要に応じ、表面を水酸化ナトリウムなどのアルカリ溶液でエッチングして用いることができる。
【0035】
無機材料系金属基材としては、酸溶液によって溶解しない金属であれば特に限定されないが、例えば、銅、ステンレス、銀、金、白金、またはこれらの合金などからなる基材を好適に用いることができる。
【0036】
無機材料系金属酸化物基材としては、特に限定するものではないが、例えば、酸化インジウム、酸化スズ、アルミナ、またはこれら金属酸化物に別の元素をドープさせたものなどを好適に用いることができる。
【0037】
樹脂基材としては、例えば、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリカーボナート、ポリエステル、ポリスチレン、ポリメタクリレート、ポリ塩化ビニル、ポリエチレンアルコール、ポリイミド、ポリアミド、ポリウレタン、エポキシ樹脂、セルロースなどの各種ポリマーの加工品を用いることができる。各種ポリマーの使用においては、必要に応じ、表面をプラズマ、UV照射処理したものであっても、硫酸またはアルカリ等で処理したものであってもよい。
【0038】
上記固体基材の形状についてもまた、特に限定されず、平面状もしくは曲面状の板、またはフィルム形状であってもよく、複雑形状加工品の管状チューブ、管状チューブのらせん体、マイクロチューブ、任意の形状(例えば、球形、四角形、三角形、円柱形等)の容器または棒、繊維状態の固体基材であってもよい。
【0039】
本発明の基板は、上述したような固体基材の内面および外面のいずれかに部分的または全体的に、上述した二層構造の酸化チタン(針状結晶構造酸化チタン)が被覆されている。このような構造を有していることにより、本発明の基板は、各種マイクロ電池、触媒付与型マイクロリアクター、物質の分離精製装置、チップ、センサー、フォトニックデバイス、絶縁体または半導体、殺菌/滅菌デバイス、超親水/超疎水界面構築物等として用いることができ、また、プラスチックの耐熱性、難燃性、耐摩耗性および耐溶剤性改良技術への応用や、基材表面の屈折率調整技術などの、産業上幅広い分野での応用に展開が可能である。
【0040】
〔2.針状結晶構造酸化チタン基板の利用〕
本発明は、上述した基板を備えている器具を提供する。本発明の器具が備えている基板は、上述した構造の酸化チタン被膜でコートされている。
【0041】
1つの局面において、本発明の器具は、細胞培養用に利用され得る。形成された特定構造の酸化チタン被膜は、従来の単層の酸化チタン被膜と明らかに構造が異なるにもかかわらず、細胞の接着性とおよび伸展性を損なうことなく細胞培養を行い得る。
【0042】
本明細書中で使用される場合、用語「細胞」は、足場への接着依存的に増殖する細胞(接着細胞ともいう。)が意図され、動物細胞が好ましく、哺乳動物細胞がより好ましく、ヒト細胞であってもよい。本発明に用いられる細胞としては、上述した基板に保持され得る細胞であれば特に限定されず、正常細胞であっても、固形腫瘍細胞であってもよい。また、細胞は、市販の培養細胞であっても、生体から取り出した初代培養細胞であってもよく、これらを形質転換させた細胞であってもよい。本発明に好適に用いられる細胞としては、例えば、ヒト、マウス、ラット、モルモット、ハムスター、ニワトリ、ウサギ、ブタ、ヒツジ、ウシ、ウマ、イヌ、ネコ、サル等の哺乳動物に由来する種々の細胞が挙げられ、例えば、角化細胞、神経細胞、グリア細胞、膵臓β細胞、メサンギウム細胞、ランゲルハンス細胞、表皮細胞、上皮細胞、内皮細胞、線維芽細胞、筋細胞、脂肪細胞、滑膜細胞、軟骨細胞、骨細胞、骨芽細胞、破骨細胞、乳腺細胞、肝細胞、脾細胞もしくは間質系細胞、またはこれら細胞の前駆細胞、幹細胞(ES細胞を含む。)が挙げられる。
【0043】
利用可能な培養用器具としては、細胞培養に用いることができる器具であれば特に限定されないが、通常の細胞培養に用いられるディッシュ、マルチプレート、フラスコなどが挙げられる。また、市販されている器具に、上述した基板を配置したものであっても、市販されている器具の表面に、上述した基板の構造を形成してもよい。すなわち、上述した二層構造の酸化チタンによって被覆された部位を有する細胞培養装置もまた、本発明の範囲内である。
【0044】
他の局面において、本発明の器具は、薬物放出用器具に利用され得る。形成された酸化チタン被膜は、光応答性の薬物放出能および薬物分解能が、従来の単層の酸化チタン被膜よりも顕著に優れているので、徐放性製剤の製造に大いに役立つ。
【0045】
利用可能な薬物放出用器具としては、治療の際に所望のタイミングで薬物を放出することが意図されている器具であれば特に限定されないが、通常の移植可能な医療デバイス(例えば、人工器官、人工硝子体、血管移植片、ステントおよびカテーテルなど)や、非侵襲的に用いられる医療デバイス(例えば、創傷被覆材、人工皮膚、コンタクトレンズなど)が挙げられる。また、市販されている器具に、上述した基板を配置したものであっても、市販されている器具の表面に、上述した基板の構造を形成してもよい。すなわち、上述した二層構造の酸化チタンによって被覆された医療デバイスもまた、本発明の範囲内である。
【0046】
本発明に用いられる薬物としては、上述した基板に保持され得る薬物であれば特に限定されず、天然由来の化合物であっても合成された化合物であってもよい。また、ペプチドであっても、非ペプチド性物質であってもよく、ペプチドの場合は組換え技術等を用いて作製されたものであってもよい。
【0047】
本発明はまた、上述した基板を備えているパターニング用システムを提供する。本発明のシステムが備えている基板は、上述した構造の酸化チタン被膜でコートされている。
【0048】
本発明のシステムは、光応答性のパターニングを形成させるためのシステムであり、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層が固体基材上に形成されている基板と、紫外領域の発光が可能な光源とを備えていることを特徴としている。本発明のシステムは、可視光〜赤外光を遮断するフィルターをさらに備えていてもよく、光源からの照射パターンを制御する制御部(例えば、コンピュータ)をさらに備えていてもよい。
【0049】
本発明のシステムにおいて、光源としては、紫外領域において発光可能な光源であれば特に限定されず、例えば、重水素ランプ、タングステンランプ、紫外線LED、キセノンランプ、水銀ランプ、ブラックライト、ハロゲンランプ、短波長半導体レーザなどが挙げられる。本発明に用いられる光源としては、紫外光のみを照射する光源が好ましいが、上述した種々の光源とともに可視光〜赤外光を遮断するフィルターを備えていることにより、本発明のシステムは紫外光のみを首尾よく供給することができる。
【0050】
本発明はさらに、上述した基板を用いる物質の放出を制御する方法を提供する。本発明の方法は、基板上に保持された物質の該基板からの放出を光応答性に制御する方法であり、二層構造の酸化チタンによって被覆された基板に光を照射する工程を包含し、該基板は、アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および、第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層、が固体基材上に形成されていることを特徴としている。本発明の方法において、照射光は紫外光であることが好ましく、照射光の波長は375nm以下であることが好ましく、200〜375nmの範囲内であることがより好ましく、紫外線による細胞傷害性を回避するために300〜375nmの範囲内であることがより好ましく、300〜350nmの範囲内であることが最も好ましい。照射光の強度は0.04W以上であることが好ましい。
【0051】
本方法に用いられる物質は細胞であっても薬物であってもよく、さらに、本発明の方法は、放出させるべき物質を前記第二層上に保持させる工程をさらに包含してもよい。
【0052】
なお、本発明の方法は、基板からの物質の放出を制御し得るので、基板上での物質の残存パターンを制御するともいえる。すなわち、本発明の方法は、基板上に保持された物質の残存パターンを光応答性に制御する方法(パターニング方法)でもあり得る。この観点から、上述した器具およびシステムは、物質の放出を制御する目的にも利用可能である。
【0053】
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。また、本明細書中に記載された学術文献および特許文献の全てが、本明細書中にて参考として援用される。
【実施例】
【0054】
以下、本発明を実施例によりさらに具体的に説明するが、本発明の範囲はこれらの実施例に限定されるものではない。
【0055】
[針状結晶構造酸化チタン基板]
下記手順に従って、ガラス基板表面全体が緻密な芝状の被膜で覆われた構造物(針状結晶構造酸化チタン基板)を得た。
【0056】
スクリューガラス管中で、0.071gのTiOSO・nHO(硫酸チタニル、ナカライテスク社製)無色粉末を19mLの蒸留水(水質;比抵抗18.2mΩ・cm)に分散させ、ここに35%の過酸化水素水60μL(東京化成社製)を加えた。この分散液に数滴の塩酸(特級、キシダ化学社製)を加え、TiOSOが完全に溶解するまで室温で30分間撹拌した。この溶液に再度塩酸を滴下し、pHを1.3に調整した後、0.042gの炭酸ナトリウム(キシダ化学社製、pH標準液用)を溶解し、pHを1.69に調整した。pHは、HORIBA社(日本)製pHメーターを用いて測定した。このようにして得られた酸化チタン前駆体の水溶液に、ガラス基板(18mm四方)を立て掛けた状態で浸漬させ、それを80℃で15時間静置した。溶液を室温で冷却後、ガラス基板を取り出し、その表面上に蒸留水を穏やかに流して洗浄し、室温で放置し乾燥した。
【0057】
[細胞接着の確認]
3.5cmの培養皿の培地中2mLに滅菌処理した1.8cm四方の針状結晶構造酸化チタン基板、および1cm×1.8cmのガラス基板を、互いの基板を0.2mmの間隔をあけてマニキュアによって培養皿に固定した。マニキュアが完全に乾固した後に、HeLa細胞を1×10個播種した。5%CO下にて37℃で培養しながら、顕微鏡を用いて経時的に観察することによって、HeLa細胞が各基板に接着する時間を評価した。その結果、細胞接着に費やす時間は、針状結晶構造酸化チタン基板とガラス基板との間で大きな違いは見られなかった(図1)。評価にはカールツァイス社のObserverZ1を用いた。
【0058】
[基板に接着した際の細胞形態]
針状結晶構造酸化チタン基板に接着したHeLa細胞を、4%パラホルムアルデヒド−リン酸緩衝液で10分間固定し、細胞骨格タンパク質であるアクチンを、Invitrogen社のAlexaFluor488−phalloidinを用いて染色した。また、走査型電子顕微鏡によって細胞形態を評価した。その結果、針状結晶構造酸化チタン基板とガラス基板の間で、アクチンフィラメント形態および細胞形態の違いは認められなかった(図2)。
【0059】
[光触媒活性の確認]
紫外線を針状結晶構造酸化チタン基板に照射した際に発生する活性酸素種を確認するために、1mM Nitroblue tetrazolium中に浸した基板に、紫外線を照射した。その結果、紫外線が照射された部位にのみ、活性酸素種の発生を示す青色沈殿の形成が確認された。また、適切なフォトマスクを用いることによって、活性酸素種の発生部位を制御し得ることが示された(図3)。なお、針状結晶構造酸化チタン基板の光吸収曲線を図4に示す。示されるように、照射光の波長は375nm以下であることが好ましく、350nm以下であることがより好ましい、ということがわかる。
【0060】
[紫外線照射による細胞の剥離1]
100mmの培養皿の培地10mL中に、滅菌処理した1.7cm四方の針状結晶構造酸化チタン基板を配置し、その上にHeLa細胞を播種した。6時間培養した後に、基板上にはHeLa細胞が飽和した。蛍光顕微鏡のU励起フィルターを通った紫外線を、対物レンズを介して0.04Wの強さで基板に照射し、紫外線照射部位における基板から剥離した細胞の数を、顕微鏡観察によって30秒間毎に合計2時間計測した。その結果、針状結晶構造酸化チタン基板上では、15分間で細胞の全てが死滅、形態変化を起こし、基板からの離脱が観察された。ガラス基板を用いて同様の操作を行った際の、基板表面から離脱した細胞数と比較した結果を、図5に示す。また、針状結晶構造酸化チタン基板上に接着したB16細胞(GFPを構成的に発現している)に、フォトマスクを用いた部分的な紫外線照射を15分間行った。その結果、フォトマスクの形状に沿ってB16細胞が剥離した(図6)。図6下は、図6上における点線で囲んだ領域を拡大したものである。
【0061】
[紫外線照射による細胞の剥離2]
100mmの培養皿の培地10mL中に、滅菌処理した1.7cm四方の針状結晶構造酸化チタン基板または酸化チタン基板を配置し、その上にHeLa細胞を播種した。6時間培養した後に、基板上にはHeLa細胞が飽和した。蛍光顕微鏡のU励起フィルターを通った紫外線を、対物レンズを介して0.04Wの強さで基板に照射し、紫外線照射部位における基板から剥離した細胞の数を、顕微鏡観察によって30秒間毎に合計30分間計測した。その結果、針状結晶構造酸化チタン基板上では、経時的な細胞剥離が観察されたが、酸化チタン基板上では、細胞の剥離が観察されなかった(図7)。図中、◆は針状結晶構造酸化チタン基板を示し、■は酸化チタン基板を示す。なお、酸化チタン基板の製造は、下記手順に従った。この酸化チタン基板の表面上には芝状の被膜が形成されていない。
【0062】
スクリューガラス管中で、0.071gのTiOSO4・nH2O(硫酸チタニル、ナカライテスク社製)無色粉末を19mLの蒸留水(水質;比抵抗18.2mΩ・cm)に分散させ、ここに35%の過酸化水素水60μL(東京化成社製)を加えた。この分散液に数滴の塩酸(特級、キシダ化学社製)を加え、TiOSO4が完全に溶解するまで室温で30分間撹拌した。この溶液に再度塩酸を滴下し、pHを1.3に調整した後、0.042gの炭酸ナトリウム(キシダ化学社製、pH標準液用)を溶解し、pHを1.69に調整した。pHは、HORIBA社(日本)製pHメーターを用いて測定した。このようにして得られた酸化チタン前駆体の水溶液に、ガラス基板(18mm四方)を立て掛けた状態で浸漬させ、それを80℃で2時間静置した。溶液を室温で冷却後、ガラス基板を取り出し、その表面に蒸留水をゆっくりと流して洗浄し、室温で放置し乾燥した。
【0063】
[基板における薬物の保持と放出]
薬物放出のモデル薬物としてドキソルビシンを用いた。ドキソルビシン250μg/mLの溶液200μLを針状結晶構造酸化チタン基板上に塗布し、乾燥させた。ドキソルビシン溶液が乾燥したことを確認した後に、針状結晶構造酸化チタン基板上を精製水1mLで3回洗浄することによって余剰のドキソルビシンを回収した。洗浄後の針状結晶構造酸化チタン基板上を37℃リン酸緩衝液中に配置し、ドキソルビシン放出量を経時的に評価した(図8)。薬物の放出は、ワラック社の96穴プレートリーダーを用いて測定した。その結果、針状結晶構造酸化チタン基板上からのドキソルビシンの6時間後の放出量はガラス基板のものと比較して11倍、酸化チタン単層コートのものと比較して7倍であった。
【0064】
[紫外線による塗布薬物のパターニング]
ドキソルビシン24μgを塗布した針状結晶構造酸化チタン基板に紫外線を照射した。結果として、紫外線を照射した部位においてのみ、ドキソルビシン由来の赤色が退色していった。このことから、紫外線照射によるドキソルビシンの分解が確認された。また、照射時間を30秒間、1分間、3分間、5分間、10分間、15分間、30分間、60分間と段階的に長くしたところ、照射時間が長いほどドキソルビシンの分解量が多いことが確認された(図9)。
【0065】
このように、本発明の状結晶構造酸化チタン基板は、光に応答する細胞接着制御および薬物パターニングを達成する。特に、以下の長所に基づいて、細胞や薬物のパターニングを、迅速かつ簡便な方法により形成可能である:(1)紫外線照射によって、細胞を迅速に剥離する;(2)紫外線照射によって表面に保持された薬物を分解する;(3)フォトマスクを用いることで、細胞剥離部位、薬物分解部位のパターニングが可能である;(4)耐久性が高く、長時間にわたり安定した細胞接着が可能である;(5)細胞毒性がきわめて少ない;(6)UV滅菌、オートグレーブ滅菌が可能である。
【0066】
本発明に用いれば、細胞をパターニングするだけでなく、薬物をパターニングすることが可能であり、その薬物パターンに沿って、機能を変化させた細胞がパターニングされることになるので、再生医療のための組織構築や、組織適合性が求められるインプラント材料の表面修飾に有用であると期待される。一方、薬物によって機能の異なる細胞をパターニングすることにより、これら細胞間の情報伝達がどのように行われているかを調べるための培養基材となり、これは細胞機能を解明する研究用デバイスにもなり得る。
【産業上の利用可能性】
【0067】
本発明は、細胞パターニングだけでなく、薬物の徐放性も可能にするものであり、基礎生物学を支える培養基板としてだけでなく、再生医療に利用可能な技術を提供する。このように、本発明は、医療分野、製薬分野に大いに貢献するとともに、新たな研究ツールの開発に寄与する。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
光応答性のパターニングを形成させるための基板であって、
アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および
第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層
が固体基材上に形成されている、基板。
【請求項2】
パターニングに用いられる照射光の波長が375nm以下である、請求項1に記載の基板。
【請求項3】
パターニングに用いられる照射光の強度が0.04W以上である、請求項1または2に記載の基板。
【請求項4】
第一層の厚みが10〜100nmの範囲内である、請求項1〜3のいずれか1項に記載の基板。
【請求項5】
第二層を構成する針状結晶構造物の太さが2〜120nmの範囲内であり、長さが50〜600nmの範囲内である、請求項1〜4のいずれか1項に記載の基板。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれか1項に記載の基板を備えている、細胞培養用器具。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれか1項に記載の基板を備えている、薬物放出用器具。
【請求項8】
光応答性のパターニングを形成させるためのシステムであって、
請求項1〜5のいずれか1項に記載の基板、あるいは請求項6または7に記載の器具;
紫外領域の発光が可能な光源
を備えている、システム。
【請求項9】
可視光〜赤外光を遮断するフィルターをさらに備えている、請求項8に記載のシステム。
【請求項10】
基板上に保持された物質の該基板からの放出を光応答性に制御する方法であって、
二層構造の酸化チタンによって被覆された基板に光を照射する工程を包含し、
該基板は、
アナターゼ型酸化チタンを主構成成分とする第一層、および
第一層から成長させた、ルチル型酸化チタンを主構成成分とする複数の針状結晶構造物からなる第二層
が固体基材上に形成されている、方法。
【請求項11】
放出させるべき物質を前記第二層上に保持させる工程をさらに包含する、請求項10に記載の方法。
【請求項12】
前記物質が細胞または薬物である、請求項10に記載の方法。
【請求項13】
前記照射光の波長が375nm以下である、請求項10〜12のいずれか1項に記載の方法。

【図1】
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【図4】
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【図5】
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【図7】
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【図8】
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【図2】
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【図3】
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【図6】
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【図9】
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【公開番号】特開2012−95626(P2012−95626A)
【公開日】平成24年5月24日(2012.5.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−248617(P2010−248617)
【出願日】平成22年11月5日(2010.11.5)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【Fターム(参考)】