説明

分子運動の解析方法

【課題】結晶構造解析により得られる原子座標と等方性温度因子を用いて結晶内の分子全体又その一部の分子の分子運動を解析するための手段の提供。
【課題解決手段】X線、中性子線、もしくは電子線を用いて解析された結晶構造の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出すること、異方性温度因子(Uij)を算出することに引き続いて、剛体振動(Uijrigid)及び内部運動(Uijint)を算出することにより、分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、結晶構造解析より得られる等方性温度因子を用いる分子全体又その一部の分子の分子運動の解析方法に関するものである。具体的には、結晶構造より得られる原子座標と等方性温度因子から異方性温度因子を算出し、それを用いて分子全体もしくは一部の分子についてその剛体振動と分子内運動を解析する分子運動の解析方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
タンパク質等の機能性分子は、その機能を発現するために誘起構造変化などの分子運動を伴っており、原子、分子レベルで機能を解明して役立てるためには分子の動的状態に関する知見は重要である。タンパク質分子の動的状態を調べるためには分子動力学等のコンピュータシミュレーションによる手法が用いられている(特許文献1)。
また、立体構造が既知のタンパク質に関する情報を利用し、立体構造が未知の目的タンパク質の立体構造をコンピュータを用いて予測することが積極的行なわれている(特許文献2)。
これにより得られた結果の妥当性や信頼性を評価するためには、実験により得られる測定値と比較することが必要である。実験値としては、各種分光学的手法により得られる分子運動のパラメーターである、分子内振動の周波数、緩和時間などがあるが、いずれも分子内の特定の原子や部位の運動に関するものであり、一般には、分子全体さらにはドメイン構造部分などの比較的大きな領域の運動を知ることはできない。
【0003】
他方、X線、中性子線、電子線などを用いた結晶構造解析からは、温度因子と呼ばれる原子の平均位置からの平均二乗変位に相当する量が得られ、これを分子全体について解析することによって剛体振動、分子内部運動のような分子全体にわたっての動的状態を知ることができる。
タンパク質等の機能分子の内部運動は機能発現と密接に関連しているため、これを解析することにより種々の情報をえることができる。また、内部運動に関する実験的パラメーターの解析は、分子固有の機能の解明のみならずコンピュータシミュレーション等の結果の評価のためにも重要である。
【0004】
結晶構造解析により求められた原子の温度因子を用いて分子運動を解析する方法では、剛体振動解析の手法が用いられる。この方法は、個々の原子の異方性温度因子から分子全体もしくは部分の剛体振動を解析するものである。これにより、分子の回転運動、並進運動のパラメーターを得ることができる。
ここで言う異方性温度因子とは、原子振動を座標軸であるx、y、z方向の成分を用いて表したものであり、数学的にはテンソルで表示され、楕円体として可視化することができる。これに対して、等方性温度因子は、x、y、z、方向の成分の平均である振動の大きさに相当する量であり方向性を持たない。タンパク質などの高分子は剛体振動に加えて分子内運動があり、分子内運動は機能と密接な関係にあるため、剛体振動を解析して分子全体の運動からその寄与を算出できれば、それを除くことによって分子内運動をより正確に知ることができる。
【0005】
剛体振動を解析する方法としては、異方性温度因子を用いる方法(非特許文献1)が一般的である。この方法で計算した剛体振動のパラメーターを用いて、原子振動から剛体振動の寄与を解析して控除することにより純粋な分子内運動を見積もることができる。剛体振動解析の方法は等方性温度因子に対しても拡張され、近似式を用いて等方性温度因子から剛体振動を解析する方法が提案されている(非特許文献2)。
【0006】
剛体振動を表すパラメーターとしては、並進振動、回転振動、ねじれ振動、回転振動の中心の座標がある。一般的には回転振動の中心は分子の重心とは一致しないため、解析においては、当初は座標の原点を分子の重心に置き、逐次近似法により回転振動の中心へと移動させる。ねじれ振動の9個のパラメーターは、最初は非対称テンソルであるが、回転振動の中心が座標の原点と一致した時点で対称テンソルとなる。
しかしながら、等方性温度因子を用いる近似的な方法では、ねじれ振動のテンソルが対称になると、ねじれ振動の計算項が計算式より消滅するために回転振動の中心を計算することができず、従って、剛体振動を正しく解析することができないために、現在は利用されていない。
【0007】
一般に、異方性温度因子を用いて結晶構造解析を行うためには、1.2オングストロームより高い分解能の解析データを必要とする。タンパク質などの生体高分子の結晶構造解析では、通常、2オングストローム程度、もしくはそれより低い分解能で行われる。このため、タンパク質などの生体高分子の結晶構造解析における熱振動パラメーターには等方性温度因子が用いられる。
結晶構造解析の温度因子を用いてタンパク質等の生体高分子の分子運動を解析する方法は、従来は、実験的に得られた異方性温度因子を使用する方法のみであったため、実質的な利用価値はほとんど無かった。
等方性温度因子を用いても同等の解析が行えるようになれば、タンパク質データバンク等の立体構造データベースに登録されている結晶構造データの大部分が利用できるため、分子運動の解析により得られる情報の酵素等の機能改善、医薬品の開発等への利用が可能となり、バイオテクノロジー産業に画期的に貢献することとなる。
従って、結晶構造解析に等方性温度因子を用いて分子の剛体振動を解析する方法の開発が渇望されていた。
【特許文献1】特開2002−243722
【特許文献2】再公表特許WO2002/044954
【非特許文献1】V.Schomaker and K.N.Trueblood,Acta Crystallogr.Sect.B,24,63,1968
【非特許文献2】M.J.E.Sternberg,D.E.P.Grace,and D.C.Phillips,J.Mol.Biol.,130,231,1979
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明の課題は、等方性温度因子(Uiso)を用いて、分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する新規な方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、前記課題について研究し、以下の事柄を見出して本発明を完成するに至った。
(1)結晶構造の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より分子全体又その一部の分子の分子運動を解析することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(2)前記(1)の結晶構造の原子座標と等方性温度因子(Uiso)には、X線、中性子線、もしくは電子線を用いて解析された結晶構造の原子座標と等方性温度因子を用いることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(3)前記(1)又は(2)の分子全体又その一部の分子は、タンパク質もしくはその集合体とすることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(4)前記(1)から(3)のいずれか記載の分子全体又その一部の分子は、タンパク質に結合した異種分子とすることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(5)前記(1)から(4)の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(6)前記(5)記載の異方性温度因子(Uij)を算出することに引き続いて、剛体振動(Uijrigid)及び内部運動(Uijint)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(7)前記(6)記載の剛体振動(Uijrigid)より、回転運動のパラメーター(Lkl)、ねじれ運動のパラメーター(Skl)及び並進運動のパラメーター(Tij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(8)前記(5)の(1)の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、互いに結合している2個の原子の結合方向の振動の成分が同じであること、互いに結合している原子の振動の形態は類似していること、さらには熱振動パラメーターを表すテンソルの3個の固有値はいずれも正の値であることを前提にして算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(9)前記(5)の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、互いに結合している2個の原子の結合方向の振動の成分が同じであること、互いに結合している原子の振動の形態は類似していること、さらには熱振動パラメーターを表すテンソルの3個の固有値はいずれも正の値であることを前提にして算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(10)前記(5)から(9)のいずれか記載の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、異方性温度因子(Uij)の算出方法は、原子振動の主軸に対して原子間結合方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸成分の平均値が等方性温度因子と一致するように異方性温度因子(Uij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(11)前記(10)の原子振動の主軸に対して原子間結合方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸成分の平均値が等方性温度因子と一致するように異方性温度因子(Uij)を算出することが、主軸の方向が三次元空間で均等に分布するように、オイラー角を用いて3つの角度を一定の間隔で変化させて主軸の向きを計算し、それぞれの主軸について異方性温度因子(Uij)の計算を行い、得られた異方性温度因子(Uij)の値を平均して得ることができることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
(12)前記(8)から(11)のいずいれかにより算出された異方性温度因子(Uij)から剛体振動の寄与を計算し、異方性温度因子(Uij)から差し引くことによって異方性温度因子の分子固有の原子振動を算出し、これに対して再び前記方法で異方性温度因子(Uij)を計算し、剛体振動の成分を加算することによって得られた異方性温度因子(Uij)のテンソルの固有値が正となることを確認し、平均値が等方性温度因子に一致するようにスケールを合わせる一連の作業を繰り返すことによって異方性温度因子(Uij)を一定値に収斂させ、原子座標の異方性温度因子(Uij)と共に剛体振動と分子内振動を同時に算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【発明の効果】
【0010】
(1)結晶構造解析の温度因子を用いてタンパク質等の生体高分子の分子運動を解析する方法は、従来は、実験的に得られた異方性温度因子を使用する方法のみであったため、実質的な利用価値はほとんど無かった。本発明により、等方性温度因子を用いても同等の解析が行えるようになり、タンパク質データバンク等の立体構造データベースに登録されている結晶構造データの大部分が利用できるため、酵素等の機能改善、医薬品の開発等への利用が可能となった。
(2)分子運動の解析によってタンパク質の機能部位の運動状態を知ることにより、機能改善を目指した部位特異的なアミノ酸置換において、アミノ酸置換の位置や置換により導入するアミノ酸の種類をより的確に決めることができる。タンパク質に結合した基質類似物、阻害剤、リガンドの分子運動を解析することによって、それらの分子の動的挙動、分子間相互作用の動的状態を知ることができるため、タンパク質の立体構造データを利用しての阻害剤や薬物の設計をより的確に行うことができる。本解析方法は既にフォートラン言語によるコンピュータープログラムが作成されており、パソコン、ワークステーション等の各種コンピューターで使用できるため、既存の分子設計ソフトウエアと併用、もしくは組み込んで使用する等により容易に利用できる。
(3)本発明の等方性温度因子を用いて結晶構造から分子の剛体振動と内部運動を計算する方法は、分解能が1.2オングストローム以下の回折データしか得られない結晶であっても、個々の原子について温度因子が決定されていればよく、従って、例えば、タンパク質データバンクに登録されている2万以上のタンパク質の結晶構造解析データの多くに対して適用することができる。
(4)当該方法を用いて剛体振動と分子運動の解析を行うことにより、タンパク質などの生体高分子の機能を分子運動と関連づけて解析することが可能となる。その結果を用いることにより、タンパク質等の構造と機能の関係を原子レベルでより深く理解することができ、例えば、タンパク質のアミノ酸置換によって機能改変を行う場合、単に立体構造情報だけでなく分子内部の運動を考慮することができるため、アミノ酸置換の位置や置換により導入するアミノ酸の種類をより的確に決めることができる。
(5)また、当該方法を用いて分子振動を解析するためには、原子座標と等方性温度因子以外を必要としないため、例えば、分子動力学計算のプログラムに組み込むことによって、当該方法で計算された分子運動のパラメーターを分子動力学計算結果の解析や評価に用いることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0011】
本発明を詳細に説明する。
結晶内の分子運動の算出について
結晶内の分子運動は、分子全体の運動である剛体振動と分子内の個々の原子振動の和として表すことができる。
ここで、剛体振動については、SchomakerとTruebloodの方法(V.Schomaker and K.N.Trueblood,Acta Crystallogr.Sect.B,24,63,1968)により求めることができる。
また、個々の原子振動の算出は、Hirshfeldの原理(F.L.Hirshfeld,Acta Crystalogr. Sect.A,32,239,1976)に基づいて、原子間の結合方向の振動成分が同じになることを唯一の条件とする方法により求めることができる。
【0012】
原子振動の異方性パラメーターである異方性温度因子ij成分( Uij)の算出について
原子振動の異方性パラメーターである異方性温度因子ij成分( Uij)は、分子全体の運動である剛体振動と内部運動の和として算出することができる。
又、これは、それぞれの成分の比率からも計算することができる。
具体的には、以下のように表すことができる。
原子振動における異方性温度因子ij成分( Uij)は、剛体振動(Uijrigid)と内部運動(Uijint)の和として表される。
Uij = Uijrigid+ Uijint (1)
また、これは、それぞれの成分の比率からは以下のようにして表すことができる。
内部運動の割合をkintとすると、原子振動における異方性温度因子ij成分( Uij)は、剛体振動((1-kint)Uij)と内部運動(kintUij)の和として表される。
Uij = (1-kint)Uij+ kintUij (2)
また、剛体振動(Uijrigid)については、回転運動のパラメーター(Lkl)、ねじれ運動のパラメーター(Skl)及び並進運動のパラメーター(Tij)を用いて次の式で表すことができる。
Uijrigid= ΣGijLkl + ΣHijSkl + Tij (3)
ここで、GijとHijは原子座標の関数である。原子座標は、三次元空間上で立体構造を記述しようとするものである。これは、たんぱく質中に存在する水素原子を除く原子一つ当たりに3個の数字からなるベクトル量である。
【0013】
実験値から得られたUijを用いることにより、前記の関係から、原田らの方法(K.Harata,Y.Abe,and M.Muraki,J.Mol.Biol.,287,347,1999)により、前記kint、Lkl、Skl、Tijを決定することができる。
【0014】
以下に、等方性温度因子であるUisoを用いて異方性温度因子であるUijを求めることを説明する。
最初は剛体振動の寄与の割合が分からないため、Uisoを分子内運動のみに由来するものとして、まず、Uisoから近似的にUijを計算する。すなわち、目的とする原子と結合している原子に対して、それぞれの結合軸方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸方向の成分の平均がUisoとなるようなUijを計算する。
この場合、剛体振動は結合している原子に対しては近似的に同等に作用するためその寄与を0としてもUisoからUijの算出に対する影響は小さい。
【0015】
このようなUijを計算するためには互いに直交する3本の主軸を決めなければならない。計算においては一般に主軸を座標軸上にとるが、Uisoは同径関数であり楕円体の主軸の向きを決められないため、任意に設定した主軸の向きを三次元空間上で連続的に変えてUijを計算し、その平均をとる。
すなわち、オイラー角を用い、その(j, c, k) の3つの角度を、それぞれ一定の割合で変化させて主軸の向きを変えてUijを計算する。
それぞれの角度は0〜180°の範囲で均一に分布するように設定するが、変化の角度幅が小さい値をとると組み合わせの数が増えて計算量が多くなるため、30〜45°の範囲が好ましく用いられる。その場合、組み合わせの数は100〜200程度である。このようにして得られたUijの平均値に対して標準偏差を計算することができ、以後の計算で誤差として用いられる。
【0016】
異方性温度因子であるUijを用いて公知の方法で剛体振動の解析を行うことを説明する。
実験値のUijを用いて剛体振動パラメーターを解析する場合には、最小二乗法を用いることができる。
全原子に対して、剛体振動の二乗の値が最小となるLkl、Skl、およびTijを決定する。
すなわち、具体的には、(3)式を変形した式の二乗の値の和が最小となる場合である。
Σ(ΣGijLkl+ ΣHijSkl + Tij - Uij)2 (4)
(4)式の値が最小となるように、Lkl、Skl、およびTijを決定する。
【0017】
intを求めるためには、前記(1)及び(2)の関係を以下のように変形する。
Uijint = Uij − Uijrigid (5)
Uijrigid = kLΣGijLkl+ kTTij (6)
LとkTの値を0〜1の範囲で連続的に変化させてUijintを計算し、その3個の固有値がいずれも正の値になるような最大のkLとkTを求める。
Uijintの3つの固有値を平均することにより、Uisoの内部運動の成分であるUisointが得られ、kintが計算できる。
【0018】
このようにして計算した内部運動の等方性原子振動成分であるUisointを用いて、原子間の結合軸方向成分が同じになるようなUijintを前述の方法で再計算し、剛体振動解析から算出したUijrigidに加えることにより改良されたUijを得る。
さらに、このUijの値が一定値に収斂するまで剛体振動解析とUijintの計算を繰り返し行うことにより、Uijのみならず、剛体振動パラメーターおよびkLとkTを同時に計算することができる。
【0019】
前記の説明をもとに、本発明の計算過程を説明する。
(1)本発明の分子運動を解析する方法においては、X線、中性子線、もしくは電子線を用いて解析された結晶構造の原子座標と等方性温度因子より異方性温度因子の一般的特性を算出する。
(1−1)用いる結晶構造の等方性温度因子については、タンパク質データバンクにある結晶構造解析データを適用することができる。
(1−2)等方性温度因子Uisoから異方性温度因子Uijを算出する。
(イ)目的とする原子と結合している原子に対して、それぞれの結合軸方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸方向の成分の平均がUisoとなるようなUijを計算する。
具体的には、以下のようにする。
互いに直交する3本の主軸を決める。計算においては一般に主軸を座標軸上にとるが、Uisoは同径関数であり楕円体の主軸の向きを決められないため、任意に設定した主軸の向きを三次元空間上で連続的に変えてUijを計算し、その平均をとる。オイラー角を用い、その(j, c, k) の3つの角度を、それぞれ一定の割合で変化させて主軸の向きを変えてUijを計算する。
それぞれの角度は0〜180°の範囲で均一に分布するように設定するが、変化の角度幅が小さい値をとると組み合わせの数が増えて計算量が多くなるため、30〜45°の範囲が好ましく用いられる。その場合、組み合わせの数は100〜200程度である。
(ロ)それぞれの座標系について、原点に目的とするA原子を置き、Uiso(A)とそれに結合しているB原子のUiso(B)を比較して、Uiso(A)とUiso(B)の平均値を結合軸方向の成分とする。この値を3本の主軸方向の成分に分け、その平均値がUiso(A)に一致するようにそれぞれの主軸の値を決定する。原子Aに2個以上の原子が結合している場合は、それぞれについて各主軸の値を計算し、主軸毎に平均した後、3本の主軸成分の平均値がUiso(A)に一致するようにスケールを合わせる。
【0020】
(2)算出されたUijを用いて公知の方法で剛体振動の解析を行う。
(2−1)Uijから剛体振動(Uijrigid)と内部運動(Uijint)を算出する。
内部運動の割合をkintとし、原子振動における異方性温度因子ij成分( Uij)は、剛体振動((1-kint)Uij)と内部運動(kintUij)の和として表されること
( Uij = (1-kint)Uij+ kintUij (2))を利用して算出する。
intを求めるためには、前記(1)及び(2)の関係を以下のように変形する。
Uijint = Uij − Uijrigid (5)
Uijrigid = kLΣGijLkl+ kTTij (6)
LとkTの値を0〜1の範囲で連続的に変化させてUijintを計算し、その3個の固有値がいずれも正の値になるような最大のkLとkTを求める。
Uijintの3つの固有値を平均することにより、Uisoの内部運動の成分であるUisointが得られ、kintが計算できる。
このようにして計算した内部運動の等方性原子振動成分であるUisointを用いて、原子間の結合軸方向成分が同じになるようなUijintを前述の方法で再計算し、剛体振動解析から算出したUijrigidに加えることにより改良されたUijを得る。
さらに、このUijの値が一定値に収斂するまで剛体振動解析とUijintの計算を繰り返し行うことにより、Uijのみならず、剛体振動Uijrigid)およびkLとkTを同時に計算することができる。
(2−2)得られた剛体振動(Uijrigid)のパラメータから、回転運動のパラメーター(Lkl)、ねじれ運動のパラメーター(Skl)及び並進運動のパラメーター(Tij)を算出する。
実験値のUijを用いて剛体振動パラメーターを解析する場合には、最小二乗法を用いることができる。
(イ)全原子に対して、剛体振動の二乗の値が最小となるLkl、Skl、およびTijを決定する
(3)式を変形した式の二乗の値の和が最小となる場合(Σ(ΣGijLkl
+ ΣHijSkl + Tij - Uij)2 (4))の、Lkl、Skl、およびTijを求める。
【0021】
このようにして得られた、剛体振動(Uijrigid)のパラメーターは結晶内での分子全体の運動を定量的に示すものであり、タンパク質が幾つかのサブユニットから構成されるような場合には、それぞれのサブユニットの運動を知ることができる。
算出されたUijは原子分解能のX線解析によって実験的に求められた異方性温度因子と同等に扱うことができるため、分子全体の運動の解析のみならず、ドメイン構造の動きや部分的な構造の揺らぎの解析に用いることができる。また、分子動力学などの理論的シミュレーションを利用した原子振動、分子運動の解析を検証するためのデータとして利用できる。更に、この方法はタンパク質以外の分子に対しても同様に適用することができる。タンパク質に結合した基質アナログやリガンドの分子運動のUijの解析を行うことによって、それらの分子の動的挙動、分子間相互作用の動的状態を知ることができるため(K.Harata and R.Kanai, Proteins:Struct.Funct.Genet.,48,53,2002)、分子運動を考慮した阻害剤の設計、アミノ酸置換によるタンパク質機能の改変の設計を行うことができる。
【0022】
以下、実施例により本発明を更に詳細に説明するが、本発明の技術的範囲は、かかる実施例に限定されるものではない。
【実施例1】
【0023】
UisoからUijcalcの算出
本発明の実施にあたり、フォートラン言語を用いてコンピュータープログラムを作成し、パソコン、ワークステーションでの稼働を確認した。そのプログラムを用いてタンパク質データバンク(http://www.rcsb.org/pdb/)に登録されている七面鳥リゾチーム(登録コード1LZY)、ヒトリゾチーム(登録コード1REX)、ヒトα-ラクトアルブミン(登録コード1B90)について、UisocalcからUijを計算して、実験的に求めたUijとの比較を行った。
すなわち、分子内で結合している2個の原子の結合軸方向の振動成分が同じになるように、UisoからUijcalcを計算した。Uisoが球体で表されるのに対して、Uijは楕円体であるため、まず3本の主軸の座標系を決めなければならない。分子構造から主軸をきめることはできないため、まず、3本の主軸を分子の座標系上に設定し、次いで、オイラー角(j, c, k)の角度が三次元空間に均一に分布するように角度値を一定間隔で連続的に変化させて主軸の座標系を回転させ、それぞれについて主軸の成分を計算した。そのために、まず3つのオイラー角の値をそれぞれ約30°ずつ変化させることによって、128組の異なる座標系の主軸を設定した。それぞれの座標系について、原点に目的とするA原子を置き、Uiso(A)とそれに結合しているB原子のUiso(B)を比較して、Uiso(A)とUiso(B)の平均値を結合軸方向の成分とした。この値を3本の主軸方向の成分に分け、その平均値がUiso(A)に一致するようにそれぞれの主軸の値を決定した。結合している原子が2個以上の場合はC原子、D原子等についてそれぞれ同様に計算して結果を平均することによりA原子の異方性熱振動の主軸成分を得た。最後に、オイラー角で回転した座標系の逆変換により分子の座標系と一致させることによりA原子のUijcalc(A)が得られた。同様の計算を残りの127組について行いそのUijcal(A)の平均値と平均からの標準偏差を計算した。この異方性パラメーターを用いて剛体振動の解析を行い、得られた内分運動のUisointに対してUijintを計算し、剛体振動の寄与部分であるUijrigidを加えて新たなUijcalc(A)とした。この計算を6回繰り返すことによりUijcalcの変化量の平均値が0.001となったので収斂したとみなした。このようにして得られたUijcalcを実験値Uijと比較するため、
R = Σ|Uijcalc−Uij|/Σ|Uij|
を計算したところ、七面鳥リゾチームが0.251、ヒトリゾチームが0.317、ヒトα-ラクトアルブミンが0.318であり、またUijcalc と 実験から得られたUijの相関係数はそれぞれ0.95、0.92、0.91であり定性的に良い一致を示した。
【実施例2】
【0024】
Uijcalcを用いたタンパク質分子の剛体振動解析
実施例1で七面鳥リゾチームのUisoから計算したUijcalcを用いて剛体振動解析および内部運動の係数kintの計算を公知の方法で行い有効性を確認した。まず、Uijcalcを用いて最小二乗法により、前述のLkl、Skl、Tijを計算し、並進運動および回転運動の平均の振幅と回転運動の中心座標を得た。剛体振動解析の結果を、実験値であるUijを用いて計算した場合と比較すると、並進運動と回転運動の振幅は、Uijcalcを用いた場合が、0.37オングストロームと1.3°であるのに対して、実験的に得られているUijを用いた場合は0.35オングストロームと1.2°であった。また、回転運動の中心の座標は、Uijcalcを用いた場合が(0.37,−0.66,1.96)、Uijを用いた時が(0.06,−0.64,2.14)であり、その差は0.36オングストロームで良い一致を示し、等方性温度因子から計算した異方性パラメーターを用いて、実験的に得られる異方性温度因子を用いた場合と同等の結果が得られることが示された。







【特許請求の範囲】
【請求項1】
結晶構造の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より分子全体又その一部の分子の分子運動を解析することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項2】
請求項1の結晶構造の原子座標と等方性温度因子(Uiso)には、X線、中性子線、もしくは電子線を用いて解析された結晶構造の原子座標と等方性温度因子を用いることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項3】
請求項1又は2の分子全体又その一部の分子は、タンパク質もしくはその集合体とすることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項4】
請求項1から3のいずれか記載の分子全体又その一部の分子は、タンパク質に結合した異種分子とすることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項5】
請求項1から4の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項6】
請求項5記載の異方性温度因子(Uij)を算出することに引き続いて、剛体振動(Uijrigid)及び内部運動(Uijint)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項7】
請求項6記載の剛体振動(Uijrigid)より、回転運動のパラメーター(Lkl)、ねじれ運動のパラメーター(Skl)及び並進運動のパラメーター(Tij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項8】
請求項5の(1)の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、互いに結合している2個の原子の結合方向の振動の成分が同じであること、互いに結合している原子の振動の形態は類似していること、さらには熱振動パラメーターを表すテンソルの3個の固有値はいずれも正の値であることを前提にして算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項9】
請求項5の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、互いに結合している2個の原子の結合方向の振動の成分が同じであること、互いに結合している原子の振動の形態は類似していること、さらには熱振動パラメーターを表すテンソルの3個の固有値はいずれも正の値であることを前提にして算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項10】
請求項5から9のいずれか記載の原子座標と等方性温度因子(Uiso)より、一般的特性を保持する異方性温度因子(Uij)を算出する際に、異方性温度因子(Uij)の算出方法は、原子振動の主軸に対して原子間結合方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸成分の平均値が等方性温度因子と一致するように異方性温度因子(Uij)を算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項11】
請求項10の原子振動の主軸に対して原子間結合方向の振動成分が同じになり、かつ3つの主軸成分の平均値が等方性温度因子と一致するように異方性温度因子(Uij)を算出することが、主軸の方向が三次元空間で均等に分布するように、オイラー角を用いて3つの角度を一定の間隔で変化させて主軸の向きを計算し、それぞれの主軸について異方性温度因子(Uij)の計算を行い、得られた異方性温度因子(Uij)の値を平均して得ることができることを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。
【請求項12】
請求項8から11のいずいれかにより算出された異方性温度因子(Uij)から剛体振動の寄与を計算し、異方性温度因子(Uij)から差し引くことによって異方性温度因子の分子固有の原子振動を算出し、これに対して再び前記方法で異方性温度因子(Uij)を計算し、剛体振動の成分を加算することによって得られた異方性温度因子(Uij)のテンソルの固有値が正となることを確認し、平均値が等方性温度因子に一致するようにスケールを合わせる一連の作業を繰り返すことによって異方性温度因子(Uij)を一定値に収斂させ、原子座標の異方性温度因子(Uij)と共に剛体振動と分子内振動を同時に算出することを特徴とする分子全体又その一部の分子の分子運動を解析する方法。









【公開番号】特開2006−133144(P2006−133144A)
【公開日】平成18年5月25日(2006.5.25)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−324395(P2004−324395)
【出願日】平成16年11月8日(2004.11.8)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成16年度、新エネルギー・産業技術総合開発機構委託研究「生体高分子立体構造情報解析」、産業再生法第30条の適用を受ける特許出願
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】