説明

化学形態別砒素分析のための試料前処理方法

【課題】 含有砒素の毒性を正確に評価するべく化学形態別砒素分析を行えるように、砒素の化学形態を変化させず且つ各形態の回収率が揃うように固体試料を溶液化した試料溶液を調製する。
【解決手段】 秤量した試料にまず硝酸を添加して約150℃で加熱処理し(S1〜S3)、窒化物による褐色煙の色が薄くなったならば(S4、S5)、溶液に過塩素酸と硝酸とを添加して(S6)、従来の酸加熱分解法による加熱温度(300℃以上)よりも低い約240℃で加熱処理する(S7)。この加熱処理によって硝酸は迅速に揮発するが、有機態砒素化合物の分解はあまり進まないので化学形態は維持される。そして、過塩素酸による白煙が出て残液量が添加した過塩素酸の約半分まで減ったならば(S8〜S10)、加熱を終了し(S11)、適宜蒸留水でメスアップして試料溶液を調製する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、水素化物発生原子吸光分析装置等の各種分析装置により化学形態別の砒素を分析するために、該分析装置に導入可能であるように試料を調製する試料前処理方法に関する。
【背景技術】
【0002】
砒素は強い毒性を有する物質として一般によく知られているが、その毒性はその砒素の化学的な形態に大きく依存している。即ち、例えば亜砒酸(3価)や砒酸(5価)等の無機砒素は、メチルアルソン酸、アルセノベタイン、トリメチルアルシンオキシド等のメチル化砒素化合物に比較して毒性が強い。人間がこうした無機砒素を食物や水と共に摂取すると、肝臓において、無機砒素→メチル化砒素→ジメチル化砒素、と毒性の低い化合物への代謝が行われ、こうした物質が尿中に排出される。したがって、砒素中毒や職業性の砒素暴露に対する診断や評価を行う際に、尿中の砒素を上記のような化学形態別に分析することが有用である。
【0003】
また、環境水中の砒素の多くは無機砒素として存在しているが、食品や生体中の砒素は無機砒素としてのみならず、上記メチル化砒素化合物のような有機態砒素化合物としても存在している。特に海洋性動植物に由来する海産物では、一般に、含有砒素濃度は高いものの有機態砒素化合物の比率が高いことが知られている。従来より、食品や家畜用の飼料などにおいては、安全性の確保の観点から総砒素量の基準値が定められている。しかしながら、上述したような海産物等では、総砒素量は多くても比較的毒性が弱いとされる有機態砒素の含有比率が高いため、砒素総量でのみその食品や飼料の毒性を評価するのは必ずしも適当ではない。したがって、こうした食品や飼料などに含まれる砒素の毒性を適切に評価する上でも、含有砒素を化学形態別に分析することが必要である。
【0004】
砒素の化学形態別分析を行う手法として、従来より、高速液体クロマトグラフとICP質量分析装置とを組み合わせたHPLC−ICPMS法や水素化物発生原子吸光分析法などが知られている。例えば特許文献1には化学形態別砒素分析を行うための水素化物発生原子吸光分析装置が開示されている。図4はこうした水素化物発生原子吸光分析装置の概略構成図である。この装置は、大別して、反応部1、除湿部2、捕集部3、及び分析部4から成る。分析部4は原子吸光光度計である。
【0005】
反応部1において、塩酸等の緩衝液を満たした反応槽10にシリンジ12により一定量の試料溶液を注入し、これに水素化ホウ素ナトリウム等の還元剤を添加する。すると、発生した水素により砒素が還元気化されてアルシンガスが発生する。反応槽10にはキャリアガス供給管11により略一定流量でキャリアガスとしてヘリウム(He)が送給され、このキャリアガスに乗ってアルシンガスが反応槽10から除湿部2を経て捕集部3へと運ばれる。除湿部2では、冷却された不凍液等によって管路が冷却されており、流通するガス中に含まれる水分はここで結露して除去される。捕集部3においては、石英ウール等の吸着材32が充填されたU字管31が液体窒素槽30に浸漬されることで極めて低い温度(アルシンの沸点以下)に冷却されており、U字管31にアルシンガスが到達すると、そのガス中のアルシンは凝固して吸着材32に捕集される。
【0006】
充分にアルシンが捕集された後に、U字管31は液体窒素槽30から大気雰囲気中に引上げられる。すると、U字管31の温度は徐々に上昇してゆき、吸着材32に捕集されていた各種のアルシンは沸点が低い順に気化し、キャリアガスに乗って分析部4の原子化部41に設けられた加熱石英管42の内部に導入される。導入されたアルシンは加熱石英管42の内部で原子化され、光源40から発して加熱石英管42の内部を通過する光のうち特定の波長(197.3nm)の光を吸収する。したがって、分光器43によりこの波長の光を取り出して検出器44で検出し、データ処理部45においてその検出信号をデータ処理することにより、水素化物を検出することができる。
【0007】
上述のように吸着材32を液体窒素温度から略室温へと昇温する過程で、吸着材32からの気化の順番は、無機砒素(iAs)→モノメチル化砒素(MMA)→ジメチル化砒素(DMA)→トリメチル化砒素(TMA)のアルシンガスとなる。したがって、データ処理部45では、例えば図5に示すような横軸を時間経過とし縦軸を吸光度としたピークプロファイルグラフを得ることができる。このように、砒素の各化学形態は時間的に分離して現れるので、これに基づいて各形態毎の定性分析、定量分析を行うことが可能である。
【0008】
こうした分析装置で分析を行う際に、分析対象物が液体状のものである場合には前処理を行うことなくそのまま試料溶液とすることができる場合があるが、固体状、粉体状、或いは流動性の低いゲル状などの食品、飼料、土壌などや血液、頭髪、組織等の生体試料が分析対象である場合には、適当な前処理を行って試料溶液を調製する必要がある。
【0009】
従来、試料に含まれる総砒素量を測定する場合の前処理方法として、試料に硝酸と硫酸(又は過塩素酸と硫酸との混酸)を添加して300℃以上の高温に加熱する酸加熱分解法が知られている。しかしながら、こうした酸加熱分解法は試料に含まれる各種の化学形態の砒素の全てを無機砒素に変えて砒素総量を測定することを目的としているため、有機態砒素の殆ど全ては分解されてしまって無機化される。そのため、そもそも上記のような化学形態別砒素分析には適さない。
【0010】
一方、化学形態の異なる砒素のメチル基の数を変化させない前処理方法として、従来、抽出法(溶媒抽出法)が知られている。しかしながら、抽出法では化学形態は維持されるものの、各化学形態の砒素の回収率が全般的に良好でないため、砒素の総量を高い精度で測定することは困難である。さらにまた、砒素の化学形態によって回収率が異なる可能性があるため、各化学形態の砒素の含有比率を正確に把握することが困難になるという問題がある。
【0011】
化学形態を維持する別の試料前処理法としては、非特許文献2に開示されているようなアルカリ加熱分解法もある。アルカリ加熱分解法では、試料に水酸化ナトリウム等のアルカリ溶液を加え、ブロックヒータ等の加熱装置で100℃程度の温度で2〜3時間程度加熱を行い、加熱終了後に蒸留水で適宜希釈して試料溶液とする。この方法は試料中に妨害成分を殆ど含まない溶液状サンプルには有用であるが、その他の多くの試料の場合、妨害成分となる成分を多量に含んでいるため、化学形態別分析の妨害となり正確な分析ができないという問題がある。
【0012】
【特許文献1】特開2004−233941号公報
【非特許文献1】「超低温捕集-還元気化-を自動化した形態別ヒ素分析システム」、[Online]、株式会社島津製作所、[平成16年12月10日検索]、インターネット〈URL: http://www.an.shimadzu.co.jp/products/aa/asa2sp.htm〉
【非特許文献2】「超低温捕集-還元気化-原子吸光法による血中ヒ素の形態別分析」、島津アプリケーションニュース、No.A342、[Online]、株式会社島津製作所、[平成16年12月10日検索]、インターネット〈http://www.an.shimadzu.co.jp/support/lib/an/200304/a342a.pdf〉
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、化学形態別砒素分析を行うために、試料に含まれる砒素の化学形態を変化させることなく(少なくとも有機態砒素化合物のメチル価を変化させることなく)、且つ各砒素の化学形態による回収率の相違ができるだけ小さな状態で以て砒素を高い回収率で溶液化することができる、化学形態別砒素分析のための試料前処理方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
従来知られている酸加熱分解法はアルカリ加熱分解法で分解できないような成分まで分解し得る有用な前処理方法であるが、上述したようにもともと有機態砒素化合物の無砒素化を意図しているためそのままでは化学形態別砒素分析に適用できない。酸加熱分解法では、強酸の存在下で加熱が成されることにより有機化合物の分解が促進されるため、有機態砒素化合物の分解(無機化)の速度や程度も酸の種類や加熱温度に依存するものと考えられる。そこで、本願発明者はこうした推測の下に実験を繰り返し、試料を分解する途中で添加する酸の種類を特定のものに限定するとともに加熱温度を適切に制御することにより、有機態砒素化合物の分解を抑制し、且つ各種化学形態の砒素を高い効率で回収できることを見い出し本発明に想到した。
【0015】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明は、固体状、粉体状、ゲル状、液体状等である分析対象の試料に含まれる砒素を取り出して、化学形態別砒素分析を行うための分析装置に導入可能な試料溶液を調製するための試料前処理方法であって、
所定量の試料に硝酸を添加して加熱することにより試料を溶解させる試料溶液化ステップと、
その溶液化の後に、該溶液に過塩素酸を添加して200〜250℃の範囲の温度で所定時間加熱を行うことにより溶液中に残留する硝酸を揮発・除去させる硝酸除去ステップと、
を順に実行することを特徴としている。
【発明の効果】
【0016】
本発明に係る試料前処理方法は基本的には酸加熱分解法であるが、従来の酸分解加熱法では硝酸除去ステップにおいて溶液に硫酸を添加するのに対し本発明では過塩素酸を添加するようにし、また加熱処理の温度も従来は300℃以上の高温であったのに対し200〜250℃と低く抑えている。これにより、有機態砒素化合物の分解は抑えられ、試料に含まれる砒素及び砒素化合物をその化学形態を変化させることなく、高い回収率で以て含む試料溶液を調製することができる。したがって、この試料溶液を化学形態別砒素分析することにより、砒素の総量を正確に求めることができるとともに、各化学形態の砒素、具体的には、無機態砒素、モノメチル態砒素、ジメチル態砒素、トリメチル態砒素などをそれぞれ正確に定量することができる。
【0017】
また、本発明に係る試料前処理方法では、処理に要する時間が極端に長くなることもないので、測定を効率的に行うのに都合が良い。処理の所要時間の観点からは硝酸除去ステップにおける加熱温度は高いほうが好ましいが、加熱温度が高いと化学形態の維持の点では若干不利になる傾向にある。そこで、好ましくは、硝酸除去ステップにおける加熱温度を240℃近傍に設定するとよい。
【0018】
また、硝酸は有機物の分解にきわめて有効な酸であるが、試料溶液中に残留すると分析に悪影響を及ぼすため、試料溶液中に残留しないように確実に除去する必要がある。そこで、硝酸除去ステップでは、過塩素酸由来の白煙が発生し、添加した過塩素酸の量が略1/2に減少するまで加熱を継続するとよい。これにより、試料溶液から硝酸を確実に除去して、正確な化学形態別砒素分析を行うことができる。
【0019】
なお、本発明に係る試料前処理方法により調製された試料溶液は各種の化学形態別砒素分析装置に用いることができるが、妨害成分の残留が少ないことから、特に装置の維持が容易で且つルーチン分析に向いた、超低温捕集−水素化物発生原子吸光分析装置に好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0020】
以下、本発明に係る試料前処理方法の一実施形態について、図面を参照して説明する。図1は本発明に係る試料前処理方法の典型的な一実施形態の処理手順を示すフローチャートである。
【0021】
まず、作業者は分析対象である例えば固体試料を所定量秤量して、反応容器内に収容する(ステップS1)。そして、その反応容器内に試料の量に見合った所定量の硝酸(HNO3)を加え(ステップS2)、加熱用プレートの上に置いた砂浴(サンドバス)又はマントルヒータ等の加熱器により第1加熱温度T1で以て加熱処理を行う(ステップS3)。通常、入手可能な硝酸水溶液の沸点は約120℃である。第1加熱温度T1はこの硝酸の沸点である約120℃よりも高い温度であればよく、120〜240℃程度の温度範囲とすることができるが、温度が高すぎると突沸が生じ易く、突沸により飛散した溶液が反応容器の内壁面に付着して後に妨害成分となるおそれがある。そこで突沸現象が起きないように上記温度範囲内で低めに定めておくとよく、例えばT1=150℃程度としておくとよい。
【0022】
硝酸中で試料を加熱処理すると試料は硝酸中に溶解してゆくが、特に蛋白質等の有機物は硝酸により分解されて窒化物となって揮発する。その際に硝酸からは褐色の煙が立ち昇り、溶液中の残留有機物が減少してくると褐色煙の色が薄くなる。そこで、有機物の残留の程度の判定として、立ち昇る褐色煙の色が薄くなったか否かを判定する(ステップS4、S5)。褐色煙の色が濃い間は、ステップS3に戻って加熱処理を継続し、褐色煙の色が薄くなったと判断したならば、次のステップS6に移行する。ステップS1〜S5までが、主として、試料を分解して溶液化する、試料の溶液化工程である。
【0023】
ステップS6では、上記溶液にさらに所定量の過塩素酸(HClO4)と硝酸とを添加し、今度は加熱器により第2加熱温度T2で以て加熱処理を行う(ステップS7)。なお、実際には過塩素酸のみの添加で十分な場合もあるが、この時点で蛋白質等の有機物が未だ溶液中に残留していた場合に、硝酸も添加することによりこうした有機物の分解を確実且つ迅速に行うことができる。なお、通常、入手可能な過塩素酸水溶液の沸点は約200℃である。第2加熱温度T2は硝酸の沸点である約120℃よりも高い温度であればよいが、後述の理由により第2加熱温度T2の範囲は200〜250℃程度としておくことが好ましく、ここではT2=240℃としている。この温度は硝酸の沸点よりも遙かに高いので、硝酸は迅速に気化して揮散するため、分析の妨害となる硝酸を迅速に除去することができる。
【0024】
過塩素酸の沸点は硝酸の沸点よりも高いため、硝酸の揮散よりも遅れて過塩素酸の揮発による白煙が立ち昇り始める。この過塩素酸白煙の発生を確認したならば(ステップS8でYes)、反応容器内の残液量を確認し(ステップS9)、その残液量が規定量程度まで減少したか否かを判定し(ステップS10)、減少したならば加熱処理を終了する(ステップS11)。ステップS10での判定基準である規定量とは、ここでは先にステップS6で添加した過塩素酸の量の1/2程度と定め、例えば過塩素酸を2mL添加した場合には残液量が約1mLにまで減少した時点で加熱を終了させる。ステップS6〜S10まで処理は、主として溶液中に存在する硝酸を除去するための硝酸除去工程である。但し、この工程中にも、溶液中に残存している有機物は硝酸、過塩素酸により分解される。そして、加熱処理終了後、処理済みの溶液に必要に応じて蒸留水を加えることでメスアップを行って試料溶液とする(ステップS12)。
【0025】
本発明による試料前処理方法と従来の一般的な酸加熱分解法との大きな相違は、ステップS6において従来一般的に添加されていた硫酸を用いずに過塩素酸を添加するようにしたこと、及び、ステップS7での加熱処理時の第2加熱温度T2が従来は300℃以上の高温であったのに対し本発明では240℃とその温度を低く抑えたこと、との2点である。上述したように第2加熱温度T2は硝酸の沸点である120℃以上であればよいが、低いほど硝酸の揮発に時間が掛かる。一方、第2加熱温度T2が高過ぎると溶液中の砒素の化学形態が変化してしまう可能性が高くなる。
【0026】
図2は第2加熱温度T2の条件のみを変えたときの加熱処理の所要時間を実測した結果を示すグラフ、図3は第2加熱温度T2の条件のみを変えたときの定量測定値のばらつきの程度の実測結果を示すグラフである。図2に示すように、第2加熱温度T2が低いと極端に処理時間が長引き、処理は可能であるものの分析コスト等を考えた場合、実用性に乏しくなる。実際上、10時間程度以下が所要処理時間の許容範囲であると考えられるから、この観点から第2加熱温度T2は約200℃以上であることが望ましい。
【0027】
一方、図3に示すように、定量測定値のばらつきの程度を示す指標値であるSTD再現性は第2加熱温度T2が250℃以下では5%程度と安定しているのに対し、第2加熱温度T2が260℃に上昇すると急激に悪化する。実際上、260℃では試料溶液が突沸し、反応容器の内壁面に飛散した溶液が多数存在することが確認できる。このようなことから、第2加熱温度T2が250℃以下であることが望ましいと言える。したがって、第2加熱温度T2の好ましい範囲は200〜250℃程度である。
【0028】
なお、図1に示した試料前処理の手順は作業者が順次行ってもよいが、こうした一連の処理を自動的に実行する装置を構成することもできる。こうした自動前処理装置では、硝酸や過塩素酸の添加等はシリンジ等により自動的に行えることは明らかであるが、ステップS5、S8等の判定についても、例えば反応容器の状態を時々刻々と撮像した撮像画像の画像認識等の処理により作業者が目視で行うのとほぼ同様の判定が可能であることは明らかである。
【実施例】
【0029】
上述した試料前処理方法に基づいた手順で具体的に魚粉試料(ホッケ)を前処理し、調製した試料溶液を水素化物発生原子吸光分析装置で分析した結果について説明する。また、併せて従来の他の試料前処理方法で調製した試料の分析結果についても述べる。なお、化学形態別砒素分析に使用した機器はいずれも島津製作所製であり、原子吸光分光光度計:AA-6800、水素化物発生処理装置:ASA-2sp、オートサンプラ:ASC-6100、データ処理装置:C-R8Aである。
【0030】
[本発明に係る試料前処理方法による分析]
まず、粉砕した試料0.3gを正確に計量し、100mLの容器に入れて硝酸5mLを加え、時計皿で上面開口を覆って、加熱プレート上に設けた砂浴上で穏やかに約60分間加熱した。このときの第1加熱温度T1は約150℃である。褐色の硝酸由来のガスが発生しなくなった後、容器を一旦砂浴から下し、放冷後さらに硝酸2mLと過塩素酸2mLとを加えて所定の第2加熱温度T2で以て加熱し続け、残液量が1mL程度になるまで加熱を継続した。加熱終了後、容器内の溶液を室温まで放冷し、0.06Nの塩酸を1mL添加した後に蒸留水にて50mLまでメスアップして試料溶液とした。なお、最終的な塩酸の添加は必ずしも必要でない。
【0031】
第2加熱温度T2を、150℃以下、150〜200℃、200〜250℃、250℃以上となるようにそれぞれ設定した場合の、化学形態別砒素の測定値及びその相対標準偏差(RSD)の結果を表1に示す。
【表1】

【0032】
上記結果より次のことが分かる。
(1)無機砒素の測定値は第2加熱温度T2に対する大きな依存性は見られない。
(2)DMAでは第2加熱温度T2を上げるに従い測定値が上がる傾向が見られる。
(3)TMAでは温度範囲200〜250℃において測定値が極大値を示す。
(4)温度範囲200〜250℃では、無機砒素を除いて測定値のRSDが最も小さくなる。
測定値が高いことは回収率が高いことを意味し、RSDが小さいことは測定値のバラツキが小さく安定的な処理が行えることを意味する。したがって、上記分析結果からも、過塩素酸添加後の加熱処理に際して第2加熱温度T2を200〜250℃の範囲に設定することが、砒素を高い効率で以て回収し、且つ化学形態毎の回収率をできるだけ揃えるのに有効であることが分かる。
【0033】
[本発明に係る試料前処理方法と従来の酸加熱処理法との対比]
まず、分解処理後に溶液に残留する酸が測定に与える影響を確認するため、有機態砒素の標準液を使用し、酸の種類による感度に対する影響を実測した。試料溶液中には、MMA、DMA、TMAの各化学形態をそれぞれ6ng/g含み、溶液中の酸濃度は塩酸が0.12N、過塩素酸が0.12N、硫酸が0.06N、硝酸が0.06Nなるように調製した。その結果を表2に示す。
【表2】

【0034】
表2によれば、硝酸以外は有意の差は見られないが、硝酸ではDMA、TMAの感度を低下させる傾向が明瞭に見られる。このことから、前処理後の試料溶液には硝酸が残留しないようにする必要があることが分かる。そのために試料分解後に硝酸を揮発させることが必要となるが、その際に添加する酸の種類による各化学形態別砒素の分解の程度を測定した結果を表3に示す。
【表3】

【0035】
表3によれば、過塩素酸を添加した場合には、MMAの低下と無機砒素の増加の傾向が見られるがそれほど顕著ではなく、極端に分解が進んでいる様子は見られない。また、合計値をみると、砒素がほぼ完全に回収できていると考えられる。一方、硫酸を添加した場合、無機砒素の大幅な増加、MMA,DMA、TMAの大幅な低下が認められる。これは、有機態砒素が分解されてしまって無機砒素に変化したものと推定できる。また、合計値も下がっており、回収率があまり高くないことが分かる。このことから、硝酸を揮発させるために硫酸を添加する従来の酸加熱分解法は、化学形態別砒素の分析に適していないことが明らかである。
【0036】
[その他の従来の試料前処理方法]
砒素の化学形態を変化させない従来の試料前処理方法として、アルカリ加熱分解法についても本発明との比較対象のために測定を行った。アルカリ加熱分解法としては、粉末化した魚粉試料0.3gを容器に収容して4M−水酸化ナトリウム水溶液を5mL添加し、ブロックヒータにて3時間加熱分解した後、蒸留水で50mLにメスアップしたものを試料溶液とした。この試料溶液を定量するための標準液として、無機砒素用には原子吸光用砒素標準液(三酸化二砒素)、MMA用にはモノメチルアルシン酸溶液、DMA用にはジメチルアルソン酸溶液、TMA用にはトリメチルアルシンオキサイド溶液を用いた。
【0037】
各形態別に添加回収試験を行ったところ、無機砒素の回収率は47.1〜56.5%、MMA、DMA、TMAでは81.2〜107.7%となり、無機砒素の回収率が悪いことが確認できた。また、試料溶液を2倍、5倍に希釈したものについて同様の試験を行ったところ、無機砒素の回収率は2倍希釈液では58.3%、5倍希釈液では75.7%となった。毒性が高い無機砒素の回収率が悪く定量が難しくなることや、砒素総量と各形態別の存在比率の同時測定ができなくなることから、アルカリ加熱分解法はこの種の試料(魚粉)の化学形態別砒素分析に適切でないと言える。
【0038】
以上の結果より、本発明に係る試料前処理方法は、従来の各種の前処理方法と比べても、化学形態別砒素分析を行う際に非常に有用であり、正確な定性、定量分析に寄与することが分かる。
【0039】
なお、上記記載の実施形態及び実施例はいずれも本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変更や修正を行えることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0040】
【図1】本発明に係る化学形態別砒素分析を行うための試料前処理方法の典型的な一実施形態の処理手順を示すフローチャート。
【図2】本発明に係る試料前処理方法において第2加熱温度T2の条件のみを変えたときの加熱処理の所要時間を実測した結果を示すグラフ。
【図3】本発明に係る試料前処理方法において第2加熱温度T2の条件のみを変えたときの定量測定値のばらつきの程度の実測結果を示すグラフ。
【図4】本発明に係る試料前処理方法で調製した試料溶液を分析する水素化物発生原子吸光分析装置の概略構成図。
【図5】図4の水素化物発生原子吸光分析装置による分析結果の一例を示す図。
【符号の説明】
【0041】
1…反応部
10…反応槽
11…キャリアガス供給管
12…シリンジ
2…除湿部
3…捕集部
30…液体窒素槽
31…U字管
32…吸着材
4…分析部
40…光源
41…原子化部
42…加熱石英管
43…分光器
44…検出器
45…データ処理部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
固体状、粉体状、ゲル状、液体状等である分析対象の試料に含まれる砒素を取り出して、化学形態別砒素分析を行うための分析装置に導入可能な試料溶液を調製するための試料前処理方法であって、
所定量の試料に硝酸を添加して加熱することにより試料を溶解させる試料溶液化ステップと、
その溶液化の後に、該溶液に過塩素酸を添加して200〜250℃の範囲の温度で所定時間加熱を行うことにより溶液中に残留する硝酸を揮発・除去させる硝酸除去ステップと、
を順に実行することを特徴とする、化学形態別砒素分析のための試料前処理方法。
【請求項2】
請求項1に記載の試料前処理方法であって、前記硝酸除去ステップにおける加熱温度を240℃近傍に設定することを特徴とする化学形態別砒素分析のための試料前処理方法。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の試料前処理方法であって、前記硝酸除去ステップでは、過塩素酸由来の白煙が発生し、添加した過塩素酸の量が略1/2に減少するまで加熱を継続することを特徴とする化学形態別砒素分析のための試料前処理方法。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載の試料前処理方法であって、超低温捕集−水素化物発生原子吸光分析装置により化学形態別砒素分析を行うための試料溶液を調製するものであることを特徴とする化学形態別砒素分析のための試料前処理方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−177874(P2006−177874A)
【公開日】平成18年7月6日(2006.7.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−373341(P2004−373341)
【出願日】平成16年12月24日(2004.12.24)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 研究集会名 ’04筑波セミナー、共催者名 独立行政法人産業総合研究所、開催日 平成16年7月1日 発行者名 株式会社島津製作所、刊行物名 ヒ素の毒性を調べる!形態別分析による毒性の異なるヒ素の測定、印刷・製本業者から発行者への発送日 平成16年8月30日
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【出願人】(501463719)独立行政法人肥飼料検査所 (2)
【Fターム(参考)】