説明

塩化物環境における耐候性に優れた表面処理鋼材

【課題】塩分の飛来量の多い環境下で優れた耐候性を示す表面処理鋼材を、重金属を使用せずに提供する。
【解決手段】全固形分に基づいて、Al3+イオンを0.1〜5質量%、Fe3+イオンとの生成定数Kの対数が2.5<logKを満たす1種または2種以上のアニオン(但し、フッ素イオン、リン酸イオン、硫酸イオンおよび水酸イオンを除く)を1〜40質量%、有機樹脂および溶剤を含む表面処理剤を鋼材に塗布して、膜厚5〜50μmの乾燥被膜を形成する。その上に、通常の樹脂塗装を施してもよい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、大気腐食、特に塩分が飛来する海岸地帯や、岩塩などの凍結防止剤が散布される地域のような塩化物環境下における大気腐食、に対して保護作用を有する、緻密な酸化物からなる保護性さび層を鋼材の表面に早期に生成させることができる鋼材の表面処理剤と、耐塩性に優れた表面処理鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、鋼にCu、Cr、Ni、P等の合金元素を添加することにより、大気中での腐食に対する抵抗性(耐候性)を向上させることができ、これらの元素を添加した鋼は「耐候性鋼」と呼ばれて、橋梁などの構造用鋼として使用されている。
【0003】
耐候性鋼では、大気腐食の進行に伴って、その表面に、大気腐食に対して保護作用を有する、α−FeOOH(鉱物名:ゲーサイト)を主体とする緻密な鉄系酸化物からなるさび層(以下「保護性さび層」という)が形成され、その後の鋼材の腐食が著しく抑制される。そのため、塗装等の防食処理を施さずに使用することができ、構造物の維持管理(メンテナンス)コストを低減することができる。しかし、保護性さび層が形成されるまでに数年から10年以上かかり、その間に赤さび、流れさび等が発生するという景観上の問題がある。
【0004】
さらに、塩分が飛来する海浜や海岸地帯、あるいは岩塩等が融雪剤、凍結防止剤等として散布される山間部や寒冷地といった、塩化物環境においては、塩化物によって上記の保護性さび層の生成が阻害され、鋼材が著しく腐食するという、別の問題がある。即ち、塩化物環境では、塩素イオンを取り込むことで結晶構造が安定になるβ−FeOOH(鉱物名:アカガネアイト)が生成し易い。そのため、α−FeOOHを主体とする保護性さび層が生成する代わりに、層状剥離さびに代表される、β−FeOOHを多く含む保護性の乏しいさびが形成される結果、腐食が進行することになる。電気化学的に不活性なα−FeOOHとは異なり、β−FeOOHは電気化学的に活性であるため、β−FeOOHの生成は、Feの溶出反応(酸化反応)の対反応としてカソード反応(還元反応)を担う可能性があり、これが腐食を促進すると考えられている。
【0005】
安定さびを早期に生成することができる鋼材として、特許文献1には硫酸クロムまたは硫酸銅を1〜65質量%含む有機樹脂塗料を被覆した表面処理鋼材が、特許文献2には、下層に硫酸クロムを0.1〜15質量%含む乾燥膜厚5〜50μmの有機樹脂塗膜を有し、上層に硫酸クロムを含まない乾燥膜厚5〜20μmの有機樹脂塗膜を有する表面処理鋼材が開示されている。これらのいずれの手法も、保護性さび層の生成を促進し、早期に高耐食性を示すため、耐候性の著しい改善が可能であることが実証されている。
【0006】
塩化物が飛来する地域に効果を発揮する耐候性鋼材として、例えば、特許文献3に示されるように、Niを添加した鋼材が知られている。特許文献4には、鋼材の表面あるいは鋼材のさび層に、硫酸アルミニウムを乾燥質量で1〜65質量%含む有機樹脂塗料を用いて乾燥膜厚5〜150μmの被膜を形成する、耐候性に優れた鋼材の表面処理方法が開示されている。
【特許文献1】特開平6−226198号公報
【特許文献2】特開2001−81575号公報
【特許文献3】特開平11−172370号公報
【特許文献4】特開平8−13158号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上記の特許文献1〜3に記載の手法は、クロムまたはニッケルといったいわゆる重金属を使用する。また、特許文献4に記載の鋼材の表面処理は、多量の塩分が飛来する塩化物環境においては十分な耐候性を付与できるものではない。
【0008】
クロム、ニッケル等の重金属の使用は、生態系への影響を懸念する近年の環境保護の観点から、可能な限り排除されるようになってきた。従って、鋼材やその表面処理についても、重金属を使用しないものが求められている。
【0009】
本発明は、重金属を使用せずに、塩化物環境でも使用可能で、早期に、かつ外観を損なうことなく、鋼材表面に保護性さび層を形成することができる表面処理剤および耐塩性と景観性に優れた表面処理鋼材を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上述したように、塩化物環境では、塩素イオンを取り込むことで結晶構造が安定になるβ−FeOOHが生成し易いが、β−FeOOHは、さびの保護性を著しく低下させる上、電気化学的に活性で腐食反応を促進する。従って、塩分飛来量の多い塩化物環境下における鋼材の耐候性を改善するには、そのような塩化物環境下においてもβ−FeOOHが生成しないようにして、保護性の高いα−FeOOHを主体とする保護性さび層を早期に生成させることが有効である。
【0011】
本発明者らは、この観点からさびの生成挙動について検討した結果、特定のカチオンと特定のアニオンを含有する有機樹脂被膜を鋼材表面に形成することにより、上記課題を解決できることを見出した。
【0012】
本発明は、全固形分に基づいて、Al3+イオンを0.1〜5質量%、Fe3+イオンとの生成定数Kが下記(1)式を満たす1種または2種以上のアニオン(但し、フッ素イオン、リン酸イオン、硫酸イオンおよび水酸イオンを除く)を1〜40質量%、有機樹脂および溶剤を含む、鋼材の表面処理剤である。
【0013】
2.5<logK (1)
ここで、「生成定数」とは、生成という観点から見た平衡定数のことであり、特に錯体化学の分野でよく用いられる用語である。錯体形成反応の場合、金属イオンをM、配位子をLとした時、下記(2)式で示される錯体形成反応の平衡定数が生成定数となる。
【0014】
M+nL⇔ML (2)
この生成定数が大きいほど、(2)式の平衡反応は右方向(錯体形成方向)に進行する。従って、生成定数は、形成された錯体の安定度を表すことから、安定度定数と呼ばれることもある。
【0015】
上記の錯体形成反応は、次の(a)〜(n)式に示すように、配位子Lが1つずつ配位しながら逐次的に進行する(配位数が1つずつ増えた錯体が順に生成する)。
M+L=ML (a)
ML+L=ML (b)
・・・・・・・・・
MLn−1+L=ML (n)
これら(a)〜(n)式の各反応の平衡定数(即ち、生成定数)は、
=[ML]/[M][L] (a)
=[ML]/[ML][L] (b)
・・・・・・・・・
=[ML]/[MLn−1][L] (n)
となる。[ ]はそれぞれの成分のモル濃度(mol dm−3)である。
【0016】
本発明においてアニオンに関して規定した「Fe3+イオンとの生成定数K」とは、そのアニオンをL、Fe3+をMとした時の上記(a)式で示される反応(即ち、中心金属イオンのFe3+にアニオンLが配位子として1つだけ配位した錯体MLを生成する反応)の平衡定数を意味する。具体的には、この錯体形成反応は下記(3)式で示され(式中、Fe3+を便宜上「Fe」で表す)、生成定数Kは下記(4)式にて求められる値となる。
【0017】
Fe+L=FeL (3)
=[FeL]/[Fe][L] (4)
本発明では、上記(1)式に示したように、(4)式で求められるFe3+との生成定数Kの対数(logK)が2.5より大きいアニオンLの化合物を使用する。
【0018】
生成定数は多くの化学文献に記載されているが、文献により値が異なることがある。本発明では、生成定数の権威ある文献として知られる、John A. Dean編 「LANGE’S HANDBOOK OF CHEMISTRY」、McGraw−Hill Book Co. (1973)に掲載されている生成定数の値を採用する。
【0019】
本発明の好適態様において、
・前記アニオンは有機酸イオンであり、
・前記有機樹脂は、表面処理剤の全固形分に基づいて10〜50質量%の量で含有される。
【0020】
本発明の表面処理剤は、所望により1種または2種以上の顔料をさらに含有していてもよい。
本発明によれば、鋼材の表面に上記表面処理剤から形成された乾燥膜厚5〜50μmの被膜を有する表面処理鋼材も提供される。この表面処理鋼材は、前記被膜が、その上層に形成された乾燥膜厚20〜1000μmの有機樹脂塗膜で被覆されていてもよい。
【0021】
ここで、鋼材の表面は、表面処理の直後は一般に鋼材の鋼そのものであるが、経時後は表面処理被膜の直下にさび層、特に保護性さび層が形成される。鋼材の表面とは、そのようなさび層、好ましくは保護性さび層を表面に有する場合も包含する。
【0022】
本発明は、下記の知見に基づいて完成したものである。
(1)β−FeOOHの生成反応時に、ある特定のアニオンが共存すると、対イオンであるカチオン種によらず、β−FeOOHが微細化するばかりか、β−FeOOHの生成量が低下する。この共存アニオンの量が増えると、β−FeOOHの生成が実質的に防止され、α−FeOOHが優先的に生成するようになる。
【0023】
(2)共存アニオンによる上記効果は、そのアニオンのFe3+との生成定数Kによって判定できる。
(3)アルミニウムイオン(Al3+)が共存すると、鋼材のさびは、Fe3−δ(マグネタイト)からα−FeOOH主体のさびとなる。
【0024】
以上より、生成定数Kで特定したアニオンとAl3+カチオンとを有機樹脂塗膜中に含有させると、塩化物の飛来量の大きい塩化物環境下での耐候性が向上することが判明した。この効果は上述した従来技術からは予測することができない現象である。
【0025】
但し、アルミニウムイオンの供給源として、特許文献4に提案されているように硫酸アルミニウムを使用すると、雨水と硫酸アルミニウムが容易に反応し、処理された鋼材表面に結合水を持つ硫酸アルミニウム(白色)が析出し、外観を大きく損ねる。さらに、フッ素イオン、リン酸イオンおよび水酸イオンも、後述するように、アニオンとして好ましくない。
【0026】
従来技術では、上記特許文献1、2に提案されているように、鉄イオンと競合するCrやCuといった重金属のイオンを鋼材表面に供給することにより、α−FeOOHを主体とする安定さびの耐食性を高めている。本発明では、従来技術のようにカチオンではなく、上記(1)、(2)に記載したように、特定のアニオンを鋼材表面に供給することによってβ−FeOOHを微細化し、さらにはその生成を抑制して、α−FeOOHを主体とする耐食性の高い保護性さび層を形成することができる。
【0027】
このアニオンによるβ−FeOOHの微細化と生成抑制のメカニズムは次のように推測される。β−FeOOHが塩素イオンを取り込んで生成することから、Fe3+がまず塩化物錯体を形成し、この錯体が加水分解してβ−FeOOHが生成する。このFe3+の塩化物錯体の生成定数(即ち、Fe3+の塩素アニオンとの生成定数)Kの対数値(logK)は1.48である。本発明に従ってlogKが2.5を超える値を持つアニオンLを共存させると、ClイオンよりlogKがずっと大きなアニオンLがFe3+に優先的に配位する。そのため、Fe3+の周囲にClイオンが欠乏し、Clイオンを含んで安定化するβ−FeOOHの結晶性がゆがめられて、結晶子サイズが低下し、さらにはβ−FeOOH構造を維持することができなくなって、β−FeOOHの生成それ自体が抑制される。その結果、生成したさびは、電気化学的に不活性なα−FeOOHが主体となり、耐食性の高い緻密な保護性さび層が生成する。
【0028】
一方、上記(3)に述べたアルミニウムイオンの効果について詳しく説明すると、次の通りである。沖縄県宮古島における鋼材の暴露試験の結果、Alを含有する鋼材の耐塩化物性が著しく高いことがわかった。一方、塩化物環境では鉄が溶出する部位(アノード部)において局部的にpHが下がると考えられるため、低pH(実験でのpHは1〜4)の溶液に鋼材を浸漬したところ、暴露試験の結果とは反対に、鋼中のAlの含有量が増大すると耐食性が劣化することが判明した。これから、暴露試験で示された塩化物環境におけるAl添加の効果は、鋼材上に生成したさびの効果であることがわかった。Alを添加した鋼材では、生成したさびが、Fe3−δ(マグネタイト)から、α−FeOOH主体のさびになっていた。
【0029】
ところで、Alは溶接性、機械的特性を著しく劣化させるため、鋼材にAlを添加すると、構造用鋼としての特性を満足させることができない。さびは鋼材の表面現象であるので、表面処理によってAlを鋼材の表面のみに存在させることにより、さび中にAlが濃化し、Al添加鋼の場合と同様にα−FeOOH主体の安定なさびを生成させることが可能となる。このように表面処理によってAlを鋼材表面に存在させれば、鋼母材にAlを添加する必要はないため、構造用鋼として使用できる特性を得ることができ、同時に表面に存在するAlにより多量の飛来塩分を含んだ塩化物環境下で高い耐食性を確保することが可能となる。
【0030】
Al3+イオンが関与するメカニズムについては、次のように推測される。Al化合物を含有する樹脂被膜中に水分が浸透すると、アルミニウム化合物は、Al3+イオンと対アニオンとにイオン化し、その状態で被膜と鋼との界面に到達する。Al3+イオンは、水中に溶出した鉄イオンを、マグネタイト(Fe3−δ)ではなく、安定さびの主成分であるα−FeOOHに加速的に変換させるための触媒的な役割を果たすか、或いは、結晶学的にFe3−δを不安定化させてα−FeOOHを優先的に生成させる。さらに、Al3+イオンの一部は、α−FeOOHの結晶粒に取り込まれ、その結晶を微細かつ緻密な構造にすることによって、さび層の防食性能を向上させる。
【0031】
Al3+イオンと上記生成定数をもつアニオンが共存すると、塩化物環境下での耐食性に関して、単に各々の効果だけでなく、それらによる相乗的な効果が得られ、耐食性が著しく改善される。その理由は明らかでないが、以下のことが考えられる。
【0032】
塗膜を通じて水が鋼材界面に到達すると、母材のFeが溶出して、Fe2+が生成し、一部はFe3+に酸化されることになる。本発明では、これらFe2+、Fe3+に加えて、Al3+、添加アニオンが共存することになる。カチオンであるFe2+、Fe3+、Al3+と対アニオンとなる添加アニオンやOHイオンとの生成定数が各々異なるため、これらカチオン・アニオンが共存した条件下では複雑な錯体が生成し、β−FeOOHへの加水分解反応、さらにはFe3−δの生成が抑制されるものと考えられる。ベーマイト(γ−AlOOH)のFe置換物(γ−Al1−yFeOOH)の生成が促進することで保護性が高まっている可能性もある。その結果、添加アニオンの長期暴露後の枯渇を抑制するため、Al3+とある特定の生成定数をもつアニオンとが共存すると、組み合わせ以上の予想を超える耐塩化物性が発揮されるものと考えられる。つまり、添加アニオン種だけでは、長期的に耐候性を確保できないが、Al3+イオンが共存することで、Al3+イオンがその効果を発揮するのみならず、アニオン種の消費による枯渇が抑制され、塩化物環境下での鋼材の耐候性が著しく高まるのである。
【発明の効果】
【0033】
本発明によれば、塩化物が多量に飛来する腐食性の塩化物環境中でも、赤さびや流れさびを生じることなく、また景観低下を招くことなく、鋼材表面に保護性さび層を早期に形成することができる。
【0034】
土木または建築構造物用の鋼材に本発明を適用した場合、赤さびや黄さび等の浮きさびや流れさびを生じることなく、保護性さび層を構造物表面に生成させることができるため、鋼材の防食に関するメンテナンスコストが著しく低減されるので、本発明の経済効果は高いと期待される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0035】
塩化物環境における鋼材の腐食では、鉄の溶出反応によってまずFe2+が生成し、これが大気中の酸素によりFe3+に酸化された後、主に、保護性に乏しいβ−FeOOHとして沈殿して、鋼材の腐食が促進されると考えられる。同時に、Fe3−δも多量に生成する。このFe3−δは電子伝導性が高く、腐食反応におけるカソード反応(酸素還元反応)のサイトして働くため、腐食を加速する。また、前述した通り、β−FeOOHは、塩素イオン(Cl)を取り込むことで結晶構造が安定化する。
【0036】
本発明では、Al3+イオンと特定のアニオンを含有する樹脂被膜を鋼材の表面に形成するように表面処理を行うことによって、鉄がイオン化した際に生ずるβ−FeOOHが微細化され、さらにその生成も抑制され、かつFe3−δへの転換が抑制されることにより、優先的にα−FeOOHが生成して、α−FeOOHを主体とする保護性さび層の早期形成が可能となり、塩化物環境下での鋼材の耐候性を著しくすることができる。従って、表面処理に用いる表面処理剤が、有機樹脂と溶剤に加えて、Al3+イオンの供給源と上記(1)式を満たす特定のアニオンの供給源とを含有する。
【0037】
Al3+イオンの供給源はアルミニウム塩の形態でよい。アルミニウム塩としては、例えば、硫酸アルミニウム、硝酸アルミニウム、硫酸アンモニウムアルミニウム、硫酸カリウムアルミニウム、硫酸ナトリウムアルミニウム、リン酸アルミニウム等の無機塩、酢酸アルミニウム、安息香酸アルミニウム、乳酸アルミニウム、ラウリン酸アルミニウム、メタリン酸アルミニウム、オレイン酸アルミニウム、シュウ酸アルミニウム、ステアリン酸アルミニウム等の有機酸との塩を用いることができる。アルミニウム塩は、1種または2種以上を使用することができる。
【0038】
本発明で用いるAl3+は、その対アニオンが本発明で規定するアニオンとの塩であってもよい。その場合には、1種類の化合物によって、Al3+イオンと本発明で規定するアニオンの両方を表面処理剤に供給することができる。
【0039】
表面処理剤へのAl3+イオンの添加量は、表面処理剤中の全固形分に基づいて0.1〜5質量%である。この添加量は、対アニオンを含む化合物(塩)全体の質量ではなく、Alとしての質量%である。表面処理剤の全固形分に基づく質量%とは、溶剤等の揮発成分を除外した全成分(不揮発分)の合計量に基づく質量%のことであり、その表面処理剤から形成された樹脂被膜中における質量%と実質的に等しい。
【0040】
前述したAl3+イオンの効果を得るには、樹脂被膜中のAl3+イオンの量が0.1質量%以上は必要である。この量が5質量%を超えると、被膜のバインダーとなる有機樹脂が不足して被膜が脆くなるとともに、被膜表面から鋼界面に到達する貫通孔が形成されて、流れさびが発生しやすくなる。また、表面に白色の析出物が生成し、景観性を劣化させる。
【0041】
表面処理剤中に含有させるアニオンは、Fe3+イオンに対する生成定数(以下、単に生成定数という)Kの対数が、上記(1)式、即ち、2.5<logKを満たす、生成定数の大きな(即ち、Fe3+との錯体の安定度が高い)アニオンである。かかるアニオンが鋼材の表面に存在すると、前述したように、塩化物環境で生成するβ−FeOOHが微細化され、さらにはその生成を抑制することができる。
【0042】
生成定数Kの対数(logK)が2.5より高いアニオンは、ハロゲンイオン以外であれば、無機、有機を問わずに上記効果を発揮する。logKが2.5以下のアニオンは、β−FeOOHの生成抑制効果が低い。
【0043】
ハロゲンのうち、F(フッ素)イオンはlogK=5.28で、上記(1)式を満たすが、ハロゲンイオンは一般に、塩素について述べたのと同様に、β−FeOOH結晶構造の安定化作用を示し、α−FeOOHの生成を阻害するので、本発明の目的にとって適切ではない。フッ素以外のハロゲンのイオンはlogKの値が2.5より小さい。
【0044】
また、logKが2.5より高い非ハロゲンアニオンのうち、リン酸、水酸(OH)および硫酸の各イオンは、下記の理由で、本発明において使用するのに好ましくない。リン酸イオンは、K値が高くβ−FeOOHの生成抑制効果をもつが、土壌中に固定化される懸念があるので、好ましくない。水酸イオンは、実際にはアルカリ金属化合物(水酸化ナトリウム等)として添加されることになるが、強アルカリ性のため、取扱いに危険性があるので、好ましくない。
【0045】
硫酸イオンは、前述したように、水との反応により水和すと、鋼材表面に白色沈殿として析出し、外観を損ねる場合があるので、本発明で用いる2.5<logKを満たすアニオンとしては使用しない。しかし、硫酸イオンは、2.5<logKの要件を満たす他のアニオンが示す上述した効果を妨害することはないので、Al3+の対アニオン(すなわち、硫酸アルミニウム)として表面処理剤に導入することは可能である。その場合でも、表面処理剤は、硫酸イオンとは別に、2.5<logKを満たす別のアニオンを所定の量で含有している必要がある。その場合、該別のアニオンは、logKの値が硫酸イオンより大きいものであることが好ましい。
【0046】
本発明で使用できるアニオンとしては、下記有機酸のイオン(カッコ内は上記文献記載のlogKの値)を例示することができる:蟻酸(3.1)、シュウ酸(9.1)、酢酸(3.2)、グリコール酸(4.7)、プロピオン酸(3.45)、乳酸(6.4)、酒石酸(7.49)、クエン酸(25)。アニオンは有機酸イオンに限定されるものではないが、樹脂との相溶性を考えると、有機酸イオンが好ましい。
【0047】
一般に、β−FeOOHの生成抑制効果は、アニオンのlogKの値が大きいほど高くなる。従って、好ましいアニオンは、logKの値が3以上、さらに好ましくは5以上、非常に好ましくは10以上のものである。その意味で、logKの値が5以上である、シュウ酸、乳酸、酒石酸、クエン酸の各イオンの使用が好ましい。中でも樹脂との相溶性を考慮すると酒石酸イオンまたはクエン酸イオンの使用が特に好ましい。
【0048】
上記アニオンは、雨水等と接触して容易にイオン化するように、水溶性化合物の形態で使用する。化合物は、そのアニオンの遊離酸でもよく、適当なカチオンとの塩でもよい。塩としては、重金属以外のカチオンとの塩が好ましく、中でも、一般に安価で取り扱いが容易で、水溶性も高いNa塩やK塩といったアルカリ金属塩が適当である。
【0049】
上記アニオンの水溶性化合物は1種または2種以上を使用することができる。化合物が2種以上である場合、同じアニオンの2種以上の異なる化合物でもよく、異なる2種以上のアニオンの化合物でもよい。アニオン種が異なる2種以上の化合物を使用する場合には、logKの大きなアニオン種の化合物が性能を支配することとなる。従って、少なくとも1種の上記アニオンが表面処理剤中に含まれている限り、例えば、アルミニウム化合物の対イオン等として、logKが2.5以下のアニオンが表面処理剤中に共存していてもかまわない。
【0050】
表面処理剤への上記アニオンの適正な添加量は、そのアニオンの生成定数にも依存する。当然ながら、logKが2.5より大きければ大きいほど、Fe3+とClとの錯体形成を阻害する効果が高いため、添加量が少なくてすむ。一般に、上記アニオンのアニオンとしての含有量(2種以上使用する場合は合計量)は、表面処理剤の全固形分に基づいて1〜40質量%とする。
【0051】
塩分が飛来する厳しい大気腐食環境中でもβ−FeOOHの生成抑制、Fe3−δの変態抑制効果を得るには、有機樹脂被膜が1質量%以上の上記アニオンを含有する必要がある。上記アニオンの量が40質量%を超えると、表面処理剤中の可溶分が多くなりすぎて、被膜の崩壊が早まり、十分な保護性さび層が形成される前に、腐食因子に曝されることになって、厳しい腐食環境における耐候性を保証することができない。上記アニオンの含有量の好ましい範囲は3〜35質量%である。
【0052】
表面処理剤は、上記のAl3+イオンおよびアニオンに加えて、バインダーの有機樹脂と溶剤を含有する。溶剤は、水と有機溶剤のいずれも可能である。有機樹脂は、溶剤に溶解していてもよく、あるいはエマルジョン状態であってもよい。
【0053】
バインダーの有機樹脂は特に制限されない。エポキシ樹脂、ウレタン樹脂、ビニル樹脂、ポリエステル樹脂、アクリル樹脂、アルキド樹脂、フタル酸樹脂、ブチラール樹脂、メラミン樹脂、フェノール樹脂等が使用できる。特に、ブチラール樹脂単独、またはブチラール樹脂とそれに相溶性のある他の樹脂(例えば、メラミン樹脂やフェノール樹脂等)との混合物が、適度の被膜の透湿性がある(それにより保護性さび層がより早期に形成される)点で好ましい。エチルシリケート樹脂のような無機樹脂も採用することができる。
【0054】
表面処理剤中の有機樹脂の量は、表面処理剤の全固形分に基づいて10〜50質量%の範囲とすることが好ましい。10質量%未満では、表面処理剤として鋼材表面に塗装したときに、均一な被膜が得られず、強度および付着力が小さくなることがある。一方、50質量%を超えると、被膜を通して浸透する水分量が少なくなり、保護性さび層の生成が遅延する。樹脂量のより好ましい範囲は20〜40質量%である。
【0055】
表面処理剤には、上記成分以外に、ベンガラ、二酸化チタン、カーボンブラック、フタロシアニンブルー、α−FeOOH、酸化鉄等の着色顔料;ならびにタルク、シリカ、マイカ、硫酸バリウム、炭酸カルシウム等の体質顔料をそれぞれ1種または2種以上添加することができる。
【0056】
本発明の目的は重金属を含有しなくても長期の耐久性に優れる鋼材を提供することである。しかし、酸化クロム、クロム酸亜鉛、クロム酸鉛、塩基性硫酸鉛等の公知の防さび顔料、さらには、硫酸クロムなどのクロム化合物、硫酸ニッケル等のニッケル化合物を含有させることを排除するものではない。ただし、環境の負荷を考えれば、これら重金属化合物の添加量(2種以上の場合は合計量)は、表面処理剤の全固形分に基づいて20質量%以下とすることが望ましい。
【0057】
その他、チキソ剤、分散剤、酸化防止剤等、慣用されている添加剤を加えてもよい。また、リン酸を含有させることも可能であり、初期の流れさび流出防止には有効である。但し、前述したように、リン酸イオンは本発明の上記アニオンには含まれないので、その場合でも、上記(1)式を満たす他のアニオンを表面処理剤に存在させる必要がある。
【0058】
表面処理剤は、使用時に塗装作業に適した粘度になるよう有機溶剤で希釈して濃度を調整してもよい。鋼材表面への塗装方法は、常法に従って、エアスプレー、エアレススプレー、刷毛塗り等の方法で行うことができるため、場所を選ばずに施工することができ、既存の構造物にも適用可能である。工場で塗装する場合には、ロールコート、浸漬等の他の塗装方法も採用できる。処理する鋼材は、適当な方法でさびを除去しておくことが好ましい。
【0059】
溶剤は塗装後に自然乾燥により蒸散させることが好ましいので、そのような溶剤を選択することが好ましい。但し、加熱乾燥することも可能である。塗装は、乾燥後に5〜50μmの厚みの被覆(Al3+イオンと特定のアニオンとを含有する有機樹脂被膜)が形成されるように行うことが好ましい。被覆の厚みが5〜50μmの範囲であると、塩化物環境でも適切な保護性さび層が早期に生成する。より好ましい被膜厚みは20〜50μmの範囲内である。
【0060】
こうして形成された上記カチオンとアニオンとを含有する有機樹脂被膜の上に、上層として、通常の塗装を乾燥膜厚で20〜1000μmになるように行うことも可能であり、特に飛来塩分量が高い場合には好適である。すなわち、従来の重防食塗装の下地処理として本発明の表面処理剤を用いると、塗装寿命の延長が可能である。
【0061】
本発明による表面処理剤が適用される鋼材は、特に鋼種を限定されるものではない。普通鋼であってもよいが、耐候性鋼やNi、Al、Sn等を含有する低合金鋼であると、長期の耐久性の観点からは有利である。鋼材の形態も特に制限されず、板、棒、形鋼、管、鋳造品等を含む任意の形態でよい。前述したように、鋼材は既存の鋼構造物であってもよい。上記の有機樹脂被膜は、鋼材の表面に直接接触させて形成することが好ましい。
【実施例】
【0062】
表1に示す5種類の化学組成の試験鋼材(いずれも100×60×3mm厚の板材)をショットブラストにより除錆して、表面処理および塗装に供した。表1の鋼材(1)はいわゆる耐候性鋼(JIS3114、SMA)、(2)は普通鋼、(3)は高Ni耐候性鋼、(4)はSn添加耐食鋼、(5)はAl添加耐食鋼である。
【0063】
【表1】

【0064】
表2に示す組成の表面処理剤(有機樹脂、Al3+イオン供給源、アニオン種の化合物、顔料[硫酸バリウム/タルク(質量比で4/1)混合物と酸化鉄(ベンガラ)]、その他添加剤(チキソ剤、沈降防止剤)に適量の溶剤(芳香族炭化水素溶剤およびアルコール系溶剤)を加えて、粘度(B型粘度計測定)が200〜1000cpsの表面処理剤を作製した。表中の各成分の含有量(mass%)は、いずれも溶剤を除外した表面処理剤の全固形分に基づく質量%である。
【0065】
上記試験鋼材の全面にこの表面処理剤をエアスプレーにより塗装し、溶媒を蒸散させて被膜を乾燥させ、表2に示した膜厚の乾燥被膜を形成した。その後、試験鋼材の一つには、その表面を市販のエポキシ塗料により塗装して、膜厚50μmの有機樹脂塗膜を形成した(試験番号8)。
【0066】
こうして作製した塗装供試材を、兵庫県尼崎市の工場屋上にて軒下水平位置(雨がかりがなく、塩分が蓄積する環境)に18カ月間暴露した。その間、一週間に一度、6倍希釈した人工海水を表面に注射器を用いて滞水させた。本環境の塩分蓄積量は5mdd(mgNaCl/dm/day)に相当する。
【0067】
塗装前の鋼材重量を測定した。一方、3、6、12カ月暴露した後の鋼材重量は、それから被膜とさびをクエン酸アンモニウム溶液にて除去した後に測定した。塗装前後の重量差により求めた腐食減量から、各暴露期間での平均板厚腐食減量厚みを求めた。
【0068】
また、18カ月間暴露した供試材について、生成したさびをX線回折法により定量分析した。まず、各供試材に生成したさび層をカッターナイフにより採取した。その際、腐食減量を測定する時とは異なり、母材近傍のさび構成成分も分析するため、一部母材鋼材も含むように、さび層を採取した。採取したさび試料をデシケーター内で1週間以上乾燥した後、ZnO粉末(和光純薬製、粒径約5μm)を内部標準物質として、粉末X線回折法により、さび構成化合物の定量分析を行った。粉末X線回折用試料は予め採取したさび重量に対して一定重量比(本発明中では30%)のZnOを混ぜ、めのう乳鉢によりさびとZnOが均一に分散するように混合した。
【0069】
X線回折測定は理学電気(株)製RU200型を用い、Coターゲット、電圧−電流は30kV−100mAとして、走査速度2°/minで測定を行った。予め標準試薬であるα−FeOOH、γ−FeOOH(レアメタリック社製)、Fe3−δ(高純度化学製)、およびFeCl水溶液を100℃で加水分解して合成したβ−FeOOHを用いて作製した検量線を用い、得られたX線回折パターンの強度より、定量分析を行った。なお、さび採取時に混入する母材鋼材も、予め腐食していない鋼材を、さび採取時と同様にカッターナイフで鋼材を削りだし、鋼材粉末を用いた検量線を用いて定量を行った。
【0070】
用いた各成分の回折面は、α−FeOOH[(011)反射]、γ−FeOOH[(020)反射]、β−FeOOH[(110)反射]、Fe[(220)反射]、Fe[(110)反射]である。こうして定量されたさび中のβ−FeOOHの量(質量%)により、下記のように評価した。評点が大きいほど、β−FeOOHの生成率が低く、αまたはFeOOHを主体とする保護性さび層の生成率が高いことを意味する。その結果を、腐食減量厚みと共に、表2に示す。
【0071】
5: 0%<β−FeOOH量+Fe3−δ量≦10%、
4:10%<β−FeOOH量+Fe3−δ量≦20%、
3:20%<β−FeOOH量+Fe3−δ量≦30%、
2:30%<β−FeOOH量+Fe3−δ量≦40%、
1:40%<β−FeOOH量+Fe3−δ量≦50%
0:50%<β−FeOOH量
【0072】
【表2】

【0073】
本発明に従った試験番号1〜8では、塩化物が多量に存在する環境においてもβ−FeOOH量およびFe3−δの生成が抑制され、腐食減量が12か月後でも10μm以下であって、高耐食性であるといえる。
【0074】
試験番号9は、膜厚が3μmと薄すぎると効果が小さい。一方、試験番号10にみられるように、裸の鋼材のままでは耐候性鋼であっても腐食が著しく、生成したさびには50質量%を超える多量のβ−FeOOH量およびFe3−δが観察され、層状剥離さびとなっていた。試験番号11、12に示すように、Al3+イオン添加量がないか、または少ない場合、本発明に規定するアニオンが存在しても、初期ではその効果により耐食性を維持できるが、アニオンの枯渇により12ヶ月後には耐食性が劣化した。
【0075】
試験番号13のように、アニオンの添加量が少ない場合には、Al3+イオンが存在しても、本環境のような厳しい塩化物環境では高耐食性を示さず、またβ−FeOOH量およびFe3−δが多量に生成し、保護性さび層を形成することはできなかった。また、試験番号14のようにK値が2.5以下のアニオンである硝酸イオンを添加した場合には、β−FeOOHの生成は抑制されず、暴露初期には被膜としての性能によりある程度の期間腐食は抑えられるが、被膜としての機能を失った場合に、生成したさびにはβ−FeOOHおよびFe3−δが多量に生成し急激な腐食が観察された。
【0076】
試験番号15のように、被膜中のアニオンの含有量が40質量%を超えると、塗装直後から樹脂被膜の密着力がほとんどなく、暴露初期に被膜がはがれ落ちたため、暴露試験を中止した。試験番号16の場合、Al3+イオンが多量であり、暴露初期に白色物質が表面に析出したため暴露を中止した。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
全固形分に基づいて、Al3+イオンを0.1〜5質量%、Fe3+イオンとの生成定数Kが下記(1)式を満たす1種または2種以上のアニオン(但し、フッ素イオン、リン酸イオン、硫酸イオンおよび水酸イオンを除く)を1〜40質量%、有機樹脂および溶剤を含む、鋼材の表面処理剤。
2.5<logK (1)
【請求項2】
前記アニオンが有機酸イオンである、請求項1に記載の表面処理剤。
【請求項3】
前記有機樹脂が全固形分に基づいて10〜50質量%の量である、請求項1または2に記載の表面処理剤。
【請求項4】
さらに1種または2種以上の顔料を含有する、請求項1〜3のいずれかに記載の表面処理剤。
【請求項5】
鋼材の表面に請求項1〜4のいずれかに記載の表面処理剤から形成された乾燥膜厚5〜50μmの被膜を有する表面処理鋼材。
【請求項6】
前記被膜が乾燥膜厚20〜1000μmの有機樹脂塗膜で被覆されている、請求項5記載の表面処理鋼材。

【公開番号】特開2006−283171(P2006−283171A)
【公開日】平成18年10月19日(2006.10.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−107633(P2005−107633)
【出願日】平成17年4月4日(2005.4.4)
【出願人】(000002118)住友金属工業株式会社 (2,544)
【Fターム(参考)】