説明

安定同位体元素を有するポリペプチド混合物の合成方法

【課題】 改良された蛋白質のNMR測定法で利用可能な安定同位体元素でラベル化されたポリペプチド混合物の製造法を提供する。
【解決手段】下記の工程を含む、安定同位体元素でラベル化されたペプチド混合物の製造方法。1)n個のアミノ酸残基からなるペプチドのアミノ酸配列X1−・・・−Xnを決定する工程、2)アミノ酸X1、X2、・・・Xnにそれぞれ対応する合成用アミノ酸カクテルx1、x2、・・・xnを用意する工程3)2)で用意した合成用アミノ酸カクテルを用いて1)で決定したアミノ酸配列からなるペプチドを合成する工程。 従来の方法のようにアミノ酸残基の個数分のポリペプチドを、ラベル化するアミノ酸残基を変えながら用意する必要がなく、タンパク質のNMRによる測定作業を著しく簡便化する、タンパク質の新たなNMR測定法を可能にするポリペプチドを製造することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、タンパク質(ポリペプチド)の立体構造に関する情報をNMRを用いて獲得する方法に有用な、新規なポリペプチドの製造方法を提供する。
【背景技術】
【0002】
タンパク質の立体構造に関する情報、例えばタンパク質の立体構造、酵素タンパク質の反応触媒機構、あるいはタンパク質とそれに結合するリガンドとの構造活性相関などを解析する手法として広く用いられている方法に、溶液中のタンパク質を対象とするNMR法がある。
【0003】
多くの場合、タンパク質を対象にしたNMRによる解析は、タンパク質中の窒素原子や炭素原子をNMRでの観測が容易な安定同位体元素である15Nや13Cとし、H−15N HSQC(heteronuclear single quantum coherence)スペクトルやH−13CHSQCスペクトル等の観測をすることで行われる。さらに測定されたシグナルについて、タンパク質を構成するアミノ酸の構成原子に対応させるいわゆるシグナルの帰属を行い、タンパク質の立体構造情報が得られる。
【0004】
NMR法は、溶液状態のタンパク質を測定対象とするため、より自然な(あるいは天然の)状態にあるタンパク質の構造やその動きを測定することができること、また一般に難しい作業として理解されているタンパク質の結晶の調製が不要であることなどが、同じくタンパク質の立体構造に関する情報を解析する有効な手段であるX線回折法と比較したときの利点として考えられている。
【0005】
一方、NMR法には、タンパク質というヘテロな高分子を測定対象とすることに伴う幾つかの問題があることもまた事実である。例えば、測定対象とするタンパク質の高濃度溶液が必要となること、現状の解析技術並びに装置では、X線回折法による解析に比べて小さな(低分子量の)タンパク質に測定対象が限られてしまうこと、等がある。
【0006】
また、H−15N HSQC測定法は、非常に感度の高いNMR測定法ではあるが、このH−15N HSQC測定法で得られるシグナルのアミノ酸残基への帰属を行うためには、通常、H−15N HSQC測定法とは別に感度の低い複数種類の3次元NMRスペクトル等の測定を行い、さらに熟練者がこれらのスペクトルを組み合わせた複雑な解析を行わねばならない。この場合における3次元NMRスペクトルの測定は長時間を要するものであり、その間のタンパク質の失活、変性も重大な問題であった。
【0007】
係る問題に対して、H−15NHSQC測定法のみを用いてNMR測定を行い、得られるシグナルをアミノ酸残基に帰属する方法も提案されている(特許文献1、非特許文献1など)。しかしながら、この方法は、一つのアミノ酸残基のみを安定同位体元素でラベル化したタンパク質を、シグナル帰属を行おうとするアミノ酸残基の個数に相当する数だけ調製し、それぞれについてH−15N HSQC測定法等を行って測定しなければならないことから、実際的な方法であるとは言い難いものであった。
【0008】
より簡便なNMR法による蛋白質の測定方法として、15N/13C標識アミノ酸と15N標識アミノ酸等を組み合わせて合成した蛋白質を用いてNMR測定を行なう方法が報告されている(特許文献2)。しかし、かかる方法もラベル化されたポリペプチドを何種類も調製する必要がある他、測定しようとするアミノ酸残基を含んだ前後のアミノ酸配列の種類によっても制限を受けているのが現状である。
【非特許文献1】Yabuki, T. et al., J. Biomol. NMR,、1998年、第11巻、第295−306頁
【特許文献1】WO2002/033406
【特許文献2】WO2005/073747
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、NMR法によるタンパク質の解析において、上記のような煩わしさを解消することの出来る新しい測定方法と、その方法を可能にするNMR測定に好適なポリペプチドの合成法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、測定対象となるポリペプチドを構成するアミノ酸残基への安定同位体元素による従来のラベリング方法を改め、ポリペプチドを構成するアミノ酸残基のラベル化比率(ラベリング比率とする)を互いに異なる比率となるように安定同位体元素でラベル化することによって、もしくはシグナル帰属を行おうとするアミノ酸残基を他のアミノ酸残基とは異なるラベル化比率となるように安定同位体元素でラベル化することによって、原理的にわずか2種類のポリペプチド混合物を合成し、測定対象とするだけで、NMRシグナルのアミノ酸残基への帰属を可能にする方法を確立した。下記の(1)〜(5)の各発明は、この新しいシグナル帰属方法で必要となる、安定同位体元素でラベルされたポリペプチドの合成法に関する。
【0011】
(1)下記の工程を含む、安定同位体元素でラベル化されたポリペプチド混合物の製造方法。
【0012】
1)n個のアミノ酸残基からなるペプチドのアミノ酸配列X1−・・・−Xnを決定する工程、ここでXは任意のアミノ酸を、nは2以上の任意の整数を示す、
2)アミノ酸X1、X2、・・・Xnにそれぞれ対応する合成用アミノ酸カクテルx1、x2、・・・xnを用意する工程、ここで該カクテルは安定同位体元素でラベル化されたアミノ酸と当該安定同位体元素でラベルされていないアミノ酸との混合物であり、かつ前記ペプチドを対象としたNMR測定で得られるシグナルの帰属を行おうとするアミノ酸残基に対応するアミノ酸カクテルにおけるラベル化されたアミノ酸の含有比率が、他の全てのアミノ酸残基に対応するアミノ酸カクテルにおけるラベル化されたアミノ酸の含有比率とは異なり、及び
3)2)で用意した合成用アミノ酸カクテルを用いて1)で決定したアミノ酸配列からなるペプチドを合成する工程。
【0013】
(2)安定同位体元素が15N、13C及びHよりなる群から選ばれる一以上の安定同位体元素である、(1)に記載の製造方法。
【0014】
(3)アミノ酸を構成する全ての窒素原子、炭素原子もしくは非交換性の水素原子が、それぞれ15N、13CもしくはHによってラベル化されたアミノ酸を使用する、(2)に記載の製造方法。
【0015】
(4)ペプチド結合を形成する窒素原子、炭素原子もしくは水素原子が選択的にそれぞれ15N、13CもしくはHによってラベル化されたアミノ酸を使用する、(2)に記載の製造方法。
【0016】
(5)アミノ酸カクテルが化学合成用の保護基によって修飾されたアミノ酸のカクテルである、(1)に記載の製造方法。
【発明の効果】
【0017】
本発明の方法により製造されるポリペプチド混合物は、次に概略を述べる本発明者らによって同時に考案されたNMR測定法において利用されることで、極めて高い有用性を有している。
【0018】
この別発明に係るNMR測定法は、ポリペプチドを構成する全てのアミノ酸残基を互いに異なる比率で安定同位体元素を含む様にラベル化するか、またはシグナル帰属を行おうとするアミノ酸残基を他のアミノ酸残基とは異なる比率で安定同位体元素を含む様にラベル化すること、前記ポリペプチドと同一のアミノ酸配列からなり、かつ全てのアミノ酸残基もしくはシグナル帰属を行おうとするアミノ酸残基が同一の比率で前記安定同位体元素と同種の安定同位体元素によりラベル化されたポリペプチド混合物を別途製造すること、前記2種類のポリペプチド混合物についてNMR測定を行ってそれぞれのシグナルを測定すること、および得られたシグナル強度の比から各シグナルをアミノ酸残基に帰属させること、を含む方法である。
【0019】
この別発明に掛かるNMR測定法では、NMR測定に必要なポリペプチド混合物は2種類で足り、HSQC測定法のみでシグナル帰属を行うことを目的とする従来の方法のように、アミノ酸残基の個数分のポリペプチドを、ラベル化するアミノ酸残基を変えながら用意する必要がない点で、タンパク質のNMRによる測定作業を著しく簡便化する方法である。本発明の製造方法は、この新規なNMR測定法を可能とするポリペプチド混合物を供給するという点において、極めて重要な意義を有する発明である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0020】
(1)本発明のポリペプチドの製造法
以下、X1−X2−・・・・−X9−X10(X1〜X10はそれぞれ任意のアミノ酸を示す)というアミノ酸配列からなる10残基のポリペプチドP10の混合物を例にし、A)10アミノ酸残基の全てについてシグナル帰属を行う場合に必要となるポリペプチド混合物の製造方法と、B)幾つかの、ここでは例として4つのアミノ酸残基、X2、X4、X6、X8についてのシグナル帰属を行う場合に必要となるポリペプチド混合物の製造方法とに分けて、本発明の製造法の詳細を説明する。
【0021】
A)10アミノ酸残基の全てについてシグナル帰属を行う場合
1)アミノ酸配列の決定
まず、ポリペプチドP10のアミノ酸配列を、X1−X2−・・・・−X9−X10の様に決定する。アミノ酸配列は、NMRによって測定しようとするポリペプチドを構成するアミノ酸配列をそのまま再現すればよい。
【0022】
なお、X1〜X10は互いに同じアミノ酸であってもよい。この場合のポリペプチドは、一種類のアミノ酸からなる10残基のポリペプチドとなる。またX1〜X10が全て互いに異なるアミノ酸であってもよい。この場合のポリペプチドは10種類のアミノ酸からなる10残基のポリペプチドである。また、同じアミノ酸が2残基以上存在し、かつその様なアミノ酸が1種以上存在するポリペプチドであっても良い。この場合のポリペプチドは、2〜9種類のアミノ酸からなる10残基のポリペプチドである。
【0023】
この様に、本発明においてポリペプチドを構成するアミノ酸残基の種類には制限がなく、またアミノ酸配列にも制限がない。従って、どの様なアミノ酸配列からなるポリペプチドであっても、本発明の方法により製造することができる。このことは、NMRによって測定しようとするポリペプチドのアミノ酸配列にも一切の制限はなく、いかなるアミノ酸配列からなるポリペプチドでも、本発明に関連する別発明である新たなNMRシグナル帰属法の測定対象物となり得ることを意味する。
【0024】
2)ラベリング比率の決定
次に、このアミノ酸配列X1−X2−・・・・−X9−X10の各アミノ酸残基について、安定同位体元素によるラベリング比率を、例えば10%、20%、・・・90%及び100%と、互いに異なるように設定する。
【0025】
本発明にいうアミノ酸残基についての安定同位体元素によるラベリング比率とは、本発明の方法によって製造されるポリペプチド混合物中の、安定同位体元素でラベリングされている特定のアミノ酸残基を有するポリペプチドの存在比率(%)を意味する。なお、本発明にいうポリペプチド混合物とは、アミノ酸配列が異なるポリペプチドの混合物ではなく、同一のアミノ酸配列からなるがアミノ酸残基間の安定同位体元素の含有量が異なるポリペプチドの混合物、換言すればアミノ酸残基間の安定同位体元素によるラベル化の程度という点で異なるポリペプチドの混合物を意味する。
【0026】
例えば、アミノ酸残基X1のラベリング比率を10%に設定することは、ポリペプチドP10の混合物中に、安定性同位体元素でラベリングされたアミノ酸残基X1を有しているポリペプチドを10%存在させることを意味する。同様にアミノ酸残基X10のラベリング比率を100%に設定することは、安定性同位体元素でラベリングされたアミノ酸残基X10を有しているポリペプチドを100%存在させること、換言すればポリペプチドP10の混合物中のポリペプチドは全て安定性同位体元素でラベリングされたアミノ酸残基X10を有しているポリペプチドとすることを意味する。
【0027】
本発明では、ポリペプチドを構成するアミノ酸残基が互いに異なるラベリング比率(%)を有するように、すなわち同一のラベリング比率を有するアミノ酸残基が2以上存在しないように設定する必要がある。
【0028】
ただし、この条件を維持する他には格別の制限はない。例えば、上記の例では残基間のラベリング比率の差を10%づつ異なる値に設定したが、その差を10%と一定にすることも、アミノ酸配列に沿って漸次的に増加あるいは減少させることも必ずしも必要ではなく、ラベリング比率はその値ならびに変動パターンにおいて全く任意に設定することができる。
【0029】
また、ポリペプチド中の1アミノ酸残基だけ安定同位体元素を含まないように、すなわちラベリング比率を0%と設定してもよい。ただし、正確に言えば、ラベリング比率0%とは、用いる安定同位体元素の天然存在比(例えば15Nでは0.4%)と同じ値のラベリング比率であるが、本発明では、便宜上、用いる安定同位体元素の各天然存在比をラベリング比率0%として表すことにする。
【0030】
またポリペプチド中の1アミノ酸残基だけラベリング比率100%と設定してもよい(1アミノ酸残基だけをラベル化するという意味ではない)。すなわち、NMRによって全てのアミノ酸残基のシグナル帰属を行おうとするときのポリペプチドの製造におけるラベリング比率は、用いる安定同位体元素の天然比率〜100%の範囲内の、任意の値として設定することができる。
【0031】
3)アミノ酸カクテルの調製とポリペプチド混合物の製造
次に、X1〜X10それぞれについて、安定同位体元素を有するアミノ酸X’と当該安定同位体元素を有しない同じアミノ酸Xとを混合して、2)で設定したラベリング比率と同じ重量%の安定同位体元素を有するアミノ酸X’を含むアミノ酸混合物x1〜x10(以下、アミノ酸カクテルx1〜x10と表す)を調製する。ただし、本発明においては、「安定同位体元素を有しない」とは「当該安定同位体元素を天然存在比で有する」ことを意味するものとする。
【0032】
ポリペプチドP10の混合物に即して具体的に言えば、ラベリング比率が10%であるX1に対するアミノ酸カクテルx1としては、安定同位体元素を有するX1’の1重量部と当該安定同位体元素を含まないX1の9重量部とを混合して、安定同位体元素を有するX1’の含有率が10%であるアミノ酸カクテルx1を調製することである。X2〜X10についても同様に、それぞれのラベリング比率と同じ値の含有率でそれぞれ安定同位体元素を有するアミノ酸を含むアミノ酸カクテルx2〜x10を用意する。
【0033】
このアミノ酸カクテルx1〜x10を原料として用いて、既に決定したアミノ酸配列X1−X2−・・・・−X9−X10からなるポリペプチドP10の混合物を、当業者に公知の方法を用いて合成する。
【0034】
以上の操作によって、先に決定されたアミノ酸配列ならびに設定されたラベリング比率を各アミノ酸残基について有するポリペプチドP10の混合物を製造することができる。このポリペプチドP10の混合物を一本のポリペプチドP10として眺めれば、そのポリペプチドは、X1−X2−・・・−X9−X10というアミノ酸配列からなり、アミノ酸残基X1、X2・・・X9、X10はそれぞれ10%、20%・・・90%、100%というラベリング比率に比例した強度のNMRシグナルを与えるポリペプチドということができる。
【0035】
B)4アミノ酸残基、X2、X4、X6、X8についてのシグナル帰属を行う場合
1)アミノ酸配列の決定
上記Aと同じである。なお、シグナル帰属を行おうとするアミノ酸残基の種類、配列上の位置には特に制限はない。
【0036】
2)ラベリング比率の決定
ポリペプチドを構成する全てのアミノ酸残基ではなく、幾つかの特定のアミノ酸残基に関してのみNMRによる測定対象とするときは、その特定対象とするアミノ酸残基のラベル化比率が他の全てのアミノ酸残基のラベル化比率と異なるように設定する必要がある。例えば、シグナル帰属を行おうとする4つのアミノ酸残基、X2、X4、X6、X8について、安定同位体元素によるラベリング比率を、例えばX2:20%、X4:40%、X6:60%、X8:80%等のように設定する。ラベリング比率は前記A)の3)と同義である。
【0037】
この様に、ポリペプチドを構成するアミノ酸残基の幾つかのみを対象とする場合、安定同位体元素によるラベル化は、対象とするアミノ酸残基だけについて行えばよく、対象ではないアミノ酸残基をラベル化する必要はない。また、上記の例では残基間のラベリング比率の差を20%づつ異なる様に設定したが、その様に設定することも、アミノ酸配列に沿って漸次的に増加あるいは減少させることも必ずしも必要ではなく、ラベリング比率はその値ならびに変動パターンにおいて全く任意に設定することができる。
【0038】
なお、対象とするアミノ酸残基に対して設定したラベリング比率とは異なるラベリング比率であれば、対象外のアミノ酸残基をラベル化するのは差し支えない。例えば、X1、X3、X5、X7、X9全部についてラベリング比率10%としてもよく、20%、40%、60%、80%以外のラベリング比率をそれぞれ違えて設定してもよい。
【0039】
3)アミノ酸カクテルの調製とポリペプチド混合物の製造
次に、X2、X4、X6、X8それぞれについて、安定同位体元素を有するアミノ酸X’と当該安定同位体元素を有しない同じアミノ酸Xとを混合して、2)で設定したラベリング比率と同じ重量%の安定同位体元素を有するアミノ酸X’を含むアミノ酸混合物x2、x4、x6、x8を調製する。この調製は上記A)の3)と同様に行えばよい。
【0040】
X1、X3、X5、X7、X9ならびにX10についてラベリング比率0%(用いる安定同位体元素の天然存在比)と設定したときは、当該安定同位体元素を有しないアミノ酸のみからなるアミノ酸カクテルを調製する。なお、X1、X3、X5、X7、X9ならびにX10についてもラベリング比率を設定したときに、その設定に基づいて上記と同様にアミノ酸カクテルx1、x3、x5、x7、x9、x10を用意すればよい。なお、「当該安定同位体元素を有しない」の意味は、前記A)の3)と同じである。
【0041】
このアミノ酸カクテルx1〜x10を原料として用いて、既に決定したアミノ酸配列X1−X2−・・・・−X9−X10からなるポリペプチドP10を、当業者に公知の方法を用いて合成する。
【0042】
以上の操作によって、先に決定されたアミノ酸配列ならびに設定されたラベリング比率を各アミノ酸残基について有するポリペプチドP10の混合物を製造することができる。このポリペプチドP10の混合物を一本のポリペプチドとして眺めれば、そのポリペプチドは、X1−X2−・・・−X9−X10というアミノ酸配列からなり、アミノ酸残基X2、X4、X6、X8はそれぞれ20%、40%、60%、80%というラベリング比率に比例した強度のNMRシグナルを与えるポリペプチドということができる。
【0043】
上記A)B)に説明した本発明の製造方法において利用可能な安定同位体元素としては、15N、13C、Hなどを挙げることができる。タンパク質等の立体構造解析の基本として多用されることや、スペクトル上でのシグナルの単純さ、さらには安価であること等を勘案すれば、安定同位体元素としては15Nの利用が好ましい。
【0044】
また一アミノ酸(アミノ酸残基)における安定同位体元素によるラベル化のの位置にも特別の制限はなく、一つのアミノ酸を構成する全ての窒素原子、炭素原子もしくは非交換性の水素原子を、それぞれ15N、13CもしくはHによってラベル化してもよいし、特定の位置にある窒素原子等だけをラベル化してもよい。例えば、ペプチド結合を構成する窒素原子、炭素原子あるいは水素原子を選択的にラベル化してもよい。
【0045】
本発明では、NMR測定によって得られるシグナルの帰属を行おうとするアミノ酸残基は、少なくとも全て同じ安定同位体元素を用いてラベル化する必要がある。上記A)で言えば、X1、X2・・・X9、X10は全て、例えば各残基中の窒素原子(窒素原子を側鎖に持たないアミノ酸ではペプチド結合を構成する窒素原子)を15Nでラベル化する必要があり、また上記B)ではX2、X4、X6、X8は全て、例えば各残基中の炭素原子を13Cでラベル化する必要がある。言い換えれば、測定対象とするアミノ酸残基は必ず共通する少なくとも一種の安定同位体元素でラベル化されている必要がある。ただし、同時に別種の安定同位体元素が一つのアミノ酸残基中にあるいはポリペプチド中に共存(二重標識化)していてもよい。例えば、一部あるいは全てのアミノ酸が、15Nによるラベル化に加えて、13CやHでラベル化されていてもよい。
【0046】
15Nや13Cでラベル化されたアミノ酸は既に市販されており、本発明はかかる市販のラベル化されたアミノ酸を利用することができる。また安定同位体元素を有する適当な化合物から、当業者に公知の方法に従って新たに所望のラベリングされたアミノ酸を合成し、これを用いても良い。また、15Nや13Cを唯一の窒素源あるいは炭素源とする培地で適当な微生物を培養して、ラベル化されたアミノ酸を製造させてもよい。
【0047】
アミノ酸カクテルを用いたポリペプチド混合物の製造自体は、無細胞蛋白合成系や有機化学的手法などの当業者に公知の方法のいずれも利用することができるが、本発明では有機化学合成的手法、特にペプチドシンセサイザーを用いた合成が好ましい。
【0048】
ペプチドシンセサイザーを用いたポリペプチドの合成では、原料となるアミノ酸はFmocやtBocなどの保護基によって修飾されたアミノ酸を用いることとなるが、かかる保護基を有する修飾アミノ酸においても、安定同位体元素でラベル化された修飾アミノ酸などは既に市販されており、当業者が容易に入手可能である。
【0049】
(2)本発明により製造されるポリペプチド混合物の利用
本発明の方法により製造されるポリペプチド混合物は、別発明に係るタンパク質の新たなNMR測定法において利用される。ここでは、前記(1)のA)で例示したポリペプチドP10の混合物の、別方法に係るタンパク質の新たなNMR測定法における使用例を説明する。
【0050】
本発明の方法により製造されるポリペプチドP10の混合物について、ある所定の条件下でNMR測定、典型的にはH−15N HSQCスペクトルを測定し、シグナルを得る。
【0051】
このポリペプチドP10の混合物の他に、同じアミノ酸配列X1−X2−・・・−X9−X10からなり、かつX1〜X10のラベリング比率が全て同じ、例えば10%であるポリペプチドP10’の混合物を用意し、ポリペプチドP10の混合物と同じNMR測定条件下でこのポリペプチドP10’の混合物についてのH−15N HSQCスペクトルを測定し、シグナルを得る。
【0052】
ここで、上記の2種類の混合物についてのNMRスペクトルの測定を、各ポリペプチド量を等量となるように調節してそれぞれについて行うと、2種類の混合物から得られる各NMRシグナルは、いずれも同一アミノ酸配列からなるポリペプチドであるために、合計10個のHSQCスペクトルのパターンは両者で同一となる。一方、2つのスペクトルパターンでそれぞれ対応するシグナル間のシグナル強度は、ポリペプチドP10におけるラベリング比率に比例して異なっているはずである。具体的には、ポリペプチドP10とポリペプチドP10’との間の10個の各対応スペクトル間のシグナル強度の比は、1:1〜10:1になる。
【0053】
このシグナル強度の比率は、ポリペプチドP10とポリペプチドP10’における各対応アミノ酸残基のラベリング比率の相違と同一となる。従って、シグナル強度の比が1:1であるシグナルはアミノ酸残基X1由来のシグナルであり、シグナル強度の比が2:1であるシグナルはアミノ酸残基X2由来のシグナルであり、同様の計算を繰り返せば、NMRスペクトルのX1〜X10のアミノ酸残基への帰属を、シグナル強度の比をもって一義的に帰属させることができる。この方法において、ポリペプチドP10’の混合物について得られるNMRシグナルは、アミノ酸配列X1−X2−・・・−X9−X10からなるタンパク質の、ポリペプチドP10の混合物と同じNMR測定条件下で得られるシグナル強度に関するコントロール値の役割を果たすものとなる。
【0054】
上記の通り、別発明に係るNMR測定法では、本発明の方法により製造されるポリペプチド混合物を含むわずか2種類のポリペプチド混合物を用意するだけで、そのポリペプチドを構成する全てのアミノ酸残基のNMRシグナルを一度に帰属させることができる。本発明の製造法は、この新たなNMR測定法において利用されるポリペプチド混合物を製造することのできる、有用な発明である。
【0055】
以下に実施例を挙げて本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【実施例1】
【0056】
アワヨトウ由来の成長因子機能を有するポリペプチド(Growth-Blocking Peptide、GBP、Tada M. et al., J. Biol.Chem., 2003年、第278巻、第10778−10783頁)を合成する目的で、そのアミノ酸配列を次の様に決定した。
【0057】
ENFSGGCVAGYMRTPDGRCKPTFYQ(配列番号1)
次に、上記アミノ酸配列において4つのグリシン(G5、G6、G10、G17)の各アミノ酸残基のシグナル帰属を目的として、ラベリング比率をG5:20%、G6:40%、G10:60%、G17:80%とそれぞれ設定した。
【0058】
グリシンのアミノ基のNが15Nでラベル化された化学合成用Fmoc修飾グリシン(Canbridge Isotope Laboratories社製)と、15Nでラベル化されていない化学合成用Fmoc修飾グリシン(島津製作所製)を用意し、両者を混合して、ラベル化されたグリシンの含有量が20%、40%、60%、80%である4つのアミノ酸カクテルをそれぞれ調製した。また、上記アミノ酸配列における4つのグリシン残基以外のアミノ酸残基それぞれに対するアミノ酸カクテルは、いずれも15Nでラベル化されていないFmoc修飾各アミノ酸を用意した。
【0059】
これらのアミノ酸カクテルをセットしたペプチドシンセサイザー(島津製作所製)を用いて、上記アミノ酸配列からなるポリペプチド混合物を調製し、定法に従って精製し、保護基を外して、4つのグリシン残基のみがそれぞれ異なるラベリング比率で15Nでラベル化されたGBP混合物を得た。
【0060】
<試験例>
配列番号1に示されたアミノ酸配列からなるタンパク質GBPをコードする遺伝子をプラスミドベクターpET32のBglII/HindIIIサイトに組み込んだ発現ベクターを用いて、大腸菌BL21(DE3)を形質転換した。この発現ベクターは、BglII/HindIIIサイトに組み込まれたGBPをコードする遺伝子をT7プロモーターの機能下において発現し、それにより組換え宿主にGBPを生産させることができる。
【0061】
上記の形質転換体を、15Nを唯一の窒素源とするM9培地でOD=0.6となるまで培養した後に、1mMのIPTGを培地に添加してGBPを誘導、発現させた。Tadaら(前記)の方法に従って組み換え体GBPを宿主細胞から回収、精製した。組換え宿主を15Nを唯一の窒素源とした培地で培養したことにより、該宿主が生産する組み換え体GBPの15Nによるラベリング比率は、全てのアミノ酸残基で100%となる。
【0062】
実施例1で調製したGBP混合物と上記の組み換え体GBPを0.3mMとなるよう10%重水水溶液にそれぞれ別に溶解して、NMR測定用試料を用意し、H−15N HSQCスペクトルをBruker社製NMR測定装置(500Mz)を利用して測定した。GBP混合物のH−15N HSQCスペクトルを図1に、組み換え体GBPのH−15N HSQCスペクトルを図2にそれぞれ示す。
【0063】
図1では、15Nでラベル化した4つのグリシン残基に由来するシグナルが4種類(A〜D)観察されている。一方、図2は組み換え体GBPを構成するアミノ酸残基のうちプロリンを除く他のアミノ酸残基に由来するシグナルが観察されている。このうち、シグナルのイ〜ニが、図1のA〜Dにそれぞれ対応していることが分かる。
【0064】
図2のイ〜ニのシグナル強度を計算した結果を図3に、図1のA〜Dのシグナル強度を計算した結果を図4に、A〜Dとイ〜ニでそれぞれ対応するシグナル間の強度比を算出した結果を図5に示す。この結果から、図1のシグナル強度に対して約20%の強度を示すシグナルDがG5、約40%の強度を示すシグナルCがG6、約60%の強度を示すシグナルAがG10、約80%の強度を示すシグナルDがG17と決定された。
【図面の簡単な説明】
【0065】
【図1】GBP混合物についてのH−15N HSQCスペクトルである。
【図2】組み換え体GBPについてのH−15N HSQCスペクトルである。
【図3】図2のシグナルイ〜ニそれぞれのシグナル強度を示す。
【図4】図1のシグナルA〜Dそれぞれのシグナル強度を示す。
【図5】シグナルイ〜ニとシグナルA〜Dのそれぞれのシグナル強度比を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記の工程を含む、安定同位体元素でラベル化されたポリペプチド混合物の製造方法。
1)n個のアミノ酸残基からなるペプチドのアミノ酸配列X1−・・・−Xnを決定する工程、ここでXは任意のアミノ酸を、nは2以上の任意の整数を示す、
2)アミノ酸X1、X2、・・・Xnにそれぞれ対応する合成用アミノ酸カクテルx1、x2、・・・xnを用意する工程、ここで該カクテルは安定同位体元素でラベル化されたアミノ酸と当該安定同位体元素でラベルされていないアミノ酸との混合物であり、かつ前記ペプチドを対象としたNMR測定で得られるシグナルの帰属を行おうとするアミノ酸残基に対応するアミノ酸カクテルにおけるラベル化されたアミノ酸の含有比率が、他の全てのアミノ酸残基に対応するアミノ酸カクテルにおけるラベル化されたアミノ酸の含有比率とは異なり、及び
3)2)で用意した合成用アミノ酸カクテルを用いて1)で決定したアミノ酸配列からなるペプチドを合成する工程。
【請求項2】
安定同位体元素が15N、13C及びHよりなる群から選ばれる一以上の安定同位体元素である、請求項1に記載の製造方法。
【請求項3】
アミノ酸を構成する全ての窒素原子、炭素原子もしくは非交換性の水素原子が、それぞれ15N、13CもしくはHによってラベル化されたアミノ酸を使用する、請求項2に記載の製造方法。
【請求項4】
ペプチド結合を形成する窒素原子、炭素原子もしくは水素原子が選択的にそれぞれ15N、13CもしくはHによってラベル化されたアミノ酸を使用する、請求項2に記載の製造方法。
【請求項5】
アミノ酸カクテルが化学合成用の保護基によって修飾されたアミノ酸のカクテルである、請求項1に記載の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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