説明

導電性材料表面化学状態の定量的評価方法

【課題】XPS法を用いた化学状態分析において、内殻スペクトルのピーク形状が非対称であっても、表面の化学状態を定量的に評価できる導電性材料表面化学状態の定量的評価方法を提供する。
【解決手段】表面に官能基修飾処理が施されていない導電性材料について、XPS法によって構造の異なる2種類以上の内殻スペクトルそれぞれをXY座標に表示する第一工程と、第一工程においてXY座標に表示された内殻スペクトル全ての内殻スペクトルに当て嵌まるように、それら内殻スペクトルをXY座標の2以上の対称な関数に分解し、それら2以上の対称な関数の和によってXY座標に表示された非対称なピーク関数を定義する第二工程と、測定対象の導電性材料について、非対称なピークを第二工程において定義された非対称なピーク関数を用いて分解し、そのピーク関数のXY座標の面積の和を非対称なピーク面積として算出する第三工程とを含む導電性材料表面の定量的評価方法である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、XPS法を用いて導電性材料表面の各化学状態に対応する構成成分を定量的に評価する導電性材料表面化学状態の定量的評価方法に関する。
【背景技術】
【0002】
金属元素やグラファイトなどから構成される導電性材料は、その酸化状態等により化学的な性質が変化するため、その化学状態の評価は、様々な応用に供する上で必須の技術である。特に、材料の外部環境との相互作用は、表面の状態によって大きく左右されるため、材料表面の化学状態の評価は、応用上非常に重要である。
【0003】
XPS法は、X線の照射により固体表面を励起し、表面から放出される光電子のエネルギーを分析する手法であり、そのエネルギー値から、含有される元素の種類や化学結合状態を評価することができる。また、これにより検出される光電子は、固体の表面約3nm以下の領域からに限定されているため、固体の極表面の領域のみの情報が得られ、非常に表面敏感な分析手法である。通常は、注目する元素の内殻軌道からの光電子の検出強度をY軸に、また結合エネルギーをX軸とするXY座標に表示することにより内殻スペクトルを得る。このXY座標におけるピーク面積から表面元素組成の評価を行うことが可能であり、さらに、内殻スペクトル中では、化学状態の異なる成分は異なる結合エネルギーを持つ成分として得られるため、各元素の内殻スペクトルを各化学状態成分に分離してピーク面積を評価することにより、各元素に対し化学状態別の構成割合を算出することも可能である。このため、材料表面の組成や化学状態の分析に必須の評価方法として広く用いられている。
【0004】
XPS法においては、通常、各成分にピークを分離するために対称な関数(擬フォークト関数)が用いられるが、金属元素やグラファイトなどは、ピーク形状が非対称になるので、対称な関数を用いたピーク分離により定量的な評価を行うことはできない。
【0005】
そのため、ピーク形状の非対称性に対応するための関数がいくつか提案されている。また、対称関数に非対称性を加算することにより定義された非対称関数も提案されている。例えば、特許文献1では、グラファイトの標準ピークを用いてフィッティングを行うことによりsp2及びsp3結合成分のピーク分離が行われている。また、例えば、非特許文献1では、Feの酸化状態について評価するために、非対称関数を定義しピーク分離を試みている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2004−138508号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】J.Electron Spectrosc.Relat.Phenom.152(2006)6
【非特許文献2】Carbon 44(2006)1919
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかしながら、特許文献1は、表面構造の変化に伴い一般的に生じるピーク幅の変化には対応できないため、表面官能基の修飾等による表面構造の乱れを考慮したピークフィッティングを行うことができず、表面官能基成分を定量的に評価する方法として採用することはできないという問題がある。
【0009】
また、非特許文献1においても、ピーク形状を良好に再現できるには至っていない。このため、触媒として重要な材料であるPtの評価においても、例えば非特許文献2にあるように対称関数が用いられ、金属成分が非対称なピーク形状になることが明らかになっているにもかかわらず、通常は対称関数を用いたピーク分離を行い、得られた各ピークの強度を用いて相対的に比較するにとどまっている。
【0010】
本発明は、上記問題点に鑑みてなされたものであり、XPS法を用いた化学状態分析において、金属元素やグラファイトなどのように、XY座標に表示された内殻スペクトルのピーク形状が非対称な場合であっても、表面の各構成元素に対する化学状態を定量的に評価することが可能な導電性材料表面化学状態の定量的評価方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
以上の目的を達成するため、本発明は、XPS法によって検出された光電子の結合エネルギーをX軸に、強度をY軸に表示することによって元素の内殻スペクトルを得て、異なる化学状態に対応したピーク毎に内殻スペクトルを分離し、各ピークの面積比を算出することによって、導電性材料表面の各化学状態に対応する構成成分を定量的に評価する導電性材料表面化学状態の定量的評価方法であって、表面に官能基修飾処理が施されていない前記導電性材料について、XPS法によって構造の異なる2種類以上の内殻スペクトルそれぞれを前記XY座標に表示する第一工程と、第一工程において前記XY座標に表示された内殻スペクトル全ての内殻スペクトルに当て嵌まるように、それら内殻スペクトルを前記XY座標の2以上の対称な関数に分解し、それら2以上の対称な関数の和によってXY座標に表示された非対称なピーク関数を定義する第二工程と、測定対象の導電性材料について、XPS法によって内殻スペクトルを前記XY座標に表示し、表示された各内殻スペクトルを異なる化学状態に対応したピーク毎に分離し、分離された内殻スペクトルのピークのうち、非対称なピークを第二工程において定義された非対称なピーク関数を用いて分解し、そのピーク関数のXY座標の面積の和を前記非対称なピーク面積として算出する第三工程とを含むことを特徴とする。
【0012】
以上のように、本発明に係る導電性材料表面化学状態の定量的評価方法は、XY座標に表示された内殻スペクトルが非対称な場合であっても、第二工程において2以上の対称な関数で定義された非対称な関数を用いて分解され、それら2以上の対称な関数の面積の和に基づいて、非対称な内殻スペクトルの面積を算出することができるので、XY座標に表示された内殻スペクトルが非対称なピークを含む場合であっても、表面の各構成元素に対する化学状態を定量的に評価することができる。
【発明の効果】
【0013】
以上のように、本発明によれば、XPS法を用いた化学状態分析において、金属元素やグラファイトなどのように、XY座標に表示された内殻スペクトルのピーク形状が非対称な場合であっても、表面の各化学状態に対応する構成成分を定量的に評価することが可能な導電性材料表面化学状態の定量的評価方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】高配向熱分解黒鉛(HOPG)の劈開面におけるC1sのXPS内殻スペクトルを示すグラフである。
【図2】高配向熱分解黒鉛(HOPG)のArイオンエッチング後の表面におけるC1sのXPS内殻スペクトルを示すグラフである。
【図3】数2に示す定義式に基づいて、図1のピークのフィッティングを行った結果を示すグラフである。
【図4】数2に示す定義式に基づいて、図2のピークのフィッティングを行った結果を示すグラフである。
【図5】カルボン酸修飾済みSWNTのC1sのXPS内殻スペクトルを示すグラフである。
【図6】アミド修飾済みSWNTのC1sのXPS内殻スペクトルを示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本発明は、XPS法によって検出された光電子の結合エネルギーをX軸に、強度をY軸に表示することによって元素の内殻スペクトルを得て、異なる化学状態に対応したピーク毎に内殻スペクトルを分離し、各ピークの面積比を算出することによって、導電性材料表面の各化学状態に対応する構成成分を定量的に評価する導電性材料表面化学状態の定量的評価方法であり、測定対象となる導電性材料とは、金属元素やグラファイトなどから構成される導電性を有する物質を含む材料であり、材料中に非導電性物質が含まれても良い。なお、各スペクトルのバックグラウンド除去については、線形法、Shirley法、Tougaard法等の一般に用いられている手法を用いることができる。
【0016】
本発明に係る導電性材料表面化学状態の定量的評価方法の第一工程は、表面に官能基修飾処理が施されていない前記導電性材料について、XPS法によって構造の異なる2種類以上の内殻スペクトルそれぞれを前記XY座標に表示する。官能基修飾処理とは、酸化処理などのように積極的に官能基を表面に施す処理だけでなく、自然な酸化などにより表面が劣化した場合も含み、官能基修飾処理が施されていない表面とは、そのような状態に至っていない表面、すなわちその導電性材料を構成する元素のみから表面が構成されている場合をいう。このように、本発明に係る導電性材料表面化学状態の定量的評価方法は、先ず、非対称なピークを有する導電性材料の構造の異なる2以上の内殻スペクトルを表示する。構造が異なるとは、例えば、清浄面と破壊された表面などのように、構成する元素は同じであるが、その物理的な構造が異なる場合をいう。清浄面は、対象材料の劈開面や、対象材料を還元処理により表面を作製した面であっても良い。また、破壊された表面としては、イオン銃を用いたスパッタにより得られる面や、研磨等の機械的操作により作製した面でも良い。また、粒子表面は一般に構造が乱れていると考えることができるため、構造の異なる結晶内部と表面側の存在比に注目することもできる。このことから、構造の異なる標準試料としては、例えば、粒子サイズの異なる試料を用意することによっても実現することができる。
【0017】
高配向熱分解黒鉛(HOPG)の劈開面及びArイオンエッチング後の表面におけるC1sのXPS内殻スペクトルを図1及び2に示す。Arイオンによるスパッタリングは、物質表面のエッチング法として広く利用されているが、物質表面の構造を破壊してしまうことが知られている。このため、劈開面に比べエッチング後の表面のピーク幅が非常に広くなっていることが分かる。これは、構造の破壊により異なるC−Cの結合状態が混在しているため、C−Cの結合状態ではあるが、僅かに異なる結合エネルギーを有する光電子が分布していることに対応してピーク幅が広くなっているものと理解できる。
【0018】
本発明に係る導電性材料表面化学状態の定量的評価方法の第二工程は、第一工程において前記XY座標に表示された全ての内殻スペクトルに当て嵌まるように、それら内殻スペクトルを前記XY座標の2以上の対称なピーク関数に分解し、それら2以上の対称な関数の和によってXY座標に表示された非対称なピーク関数を定義する。第二工程においては、XY座標に表示された非対称な内殻スペクトルは、複数の対称な関数の重ね合わせによって定義されるが、パラメータが多くなると自由度が高すぎてフィッティングには適さないため、互いに独立なパラメータは5個以下程度が良い。定義に用いる対称関数として、例えば、数1に示す擬フォークト関数(ガウス関数とローレンツ関数の線形和)などが挙げられる。ここで、パラメータとしては、半値幅、ピークの中心値、ピーク形状(ローレンツ関数とガウス関数の比率(Lorenzian/Gaussian))に対応した3つのパラメータ(w、c、m)を規定した。
【0019】
【数1】

【0020】
そして、例えば、数2に示すように、数1に示す強度の異なる8つの対称な関数の和を用いて、XY座標に表示された非対称な内殻スペクトルのピークを定義することができる。ここで、バックグラウンドのフィッティングにはShirley法等の方法を適用する。数2において、1つの関数に4つのパラメータ(I、c、w、m)があり、数2は、その8つのピーク関数の和なので、4×8=32個のパラメータになってしまう。これらパラメータに規則性を持たせないと、第三工程において分離したい官能基成分も含んで対象のスペクトル全体をフィッティングできてしまうので、32個のパラメータに関連付けを行ない、自由度を減らす必要がある。
【0021】
【数2】

【0022】
32個のパラメータの関連付けの方法として、例えば4×8=32のパラメータ(I、c、w、m)を数3のように関連付ける方法が考えられる。数3中、Iは、i=0の場合のピークの高さ、cは、i=0の場合のピークの中心値、wは、i=0の場合のピークの半値幅、mは、i=0の場合のピーク形状(ローレンツ関数とガウス関数の比率(Lorenzian/Gaussian))の値である。
【0023】
【数3】

【0024】
このように、数3に示す関連付けは、非対称の内殻スペクトルのピークが高エネルギー側(XY座標の左側)にテールを引いた形状となるので、iが大きくなるに従って、ピークの中心値を高エネルギー側の適当な位置に固定し、その際に、各ピークの中心値の間隔が高エネルギー側にいくにつれて広くなるように定義することが好ましい。そのため、ピークの中心値cを数3に示すように規定した。次に、ピークの半値幅wについては、非対称な内殻スペクトルでは高エネルギー側の傾斜の方が緩やかであるので、高エネルギー側の成分の半値幅wが大きくなるように数3のようにwを定義した。そして、このようにピークの中心値c及び半値幅wを規定した後に、実際に形状の異なる2つの内殻スペクトルをフィッティングする。この際、先ず、各ピークの強度のIに対する比(I/I)を半値幅wと線形の関係にあると仮定し、フィッティング結果からI/I=A×w+Bを満たすパラメータA、Bを決める。ここで,実際にはi=0〜7までを一度に決めてしまうのではなく、まずi=0のピークから決定し,i=1以降のパラメータを自由にしてフィッティングし、つぎにi=1のピークを決定し,i=2以降のパラメータを自由にしてフィッティング、....と繰り返してi=7まで決定する。i=0から順番に決めていくのは、内殻スペクトルのピーク形状から高エネルギー側の方が明らかに強度(I)が小さくなるので、ピーク形状への影響の大きい低エネルギー側から順番に(i=0から1、2と)決定する。このようにして求めた数3におけるA、B、C、Dそれぞれは、表1に示すようになる。
【0025】
【表1】

【0026】
このように、4×8=32のパラメータ(I、c、w、m)について、関連付けを行うことによって導いた数2に示す定義式に基づいて、図1及び2のピークのフィッティングを行った結果を図3及び4に示す。これにより、4つのパラメータ(I、c、w、m)のみを用いて、両スペクトルを再現できる関数を定義することができることが分かる。
【0027】
本発明に係る導電性材料表面化学状態の定量分析方法の第三工程は、測定対象の導電性材料について、XPS法によって内殻スペクトルを前記XY座標に表示し、表示された各内殻スペクトルを異なる化学状態に対応したピーク毎に分離し、分離された内殻スペクトルのピークのうち、非対称なピークを第二工程において定義された非対称なピーク関数を用いて分解し、そのピーク関数のXY座標の面積の和を前記非対称なピーク面積として算出する。すなわち、第三工程は、化学状態を定量評価したい実サンプルのXPSスペクトル測定を行う。このとき、測定対象の元素については第二工程における関数定義に用いたXPSスペクトルと測定条件を揃え、バックグラウンドの除去に関しても第二工程と同じ手法を採用する。また、後の化学状態解析結果の検証のために、実サンプルの表面に検出された元素は全て測定を行う。さらに第三工程において、測定対象の元素については、第二工程において定義された関数を用い、その他の成分は、対称関数を用いて注目元素のピーク分離を行うとともに、他の元素についても必要であればピーク分離を行い、各元素の組成と、各成分の構成割合を算出する。
【0028】
図5及び6は、カルボン酸及びアミド修飾済みSWNTのC1sのXPSスペクトルに対し、上記で定義した非対称関数及び対称関数を用いてピークフィッティングを行った結果である。これより、両ピークとも良好にピーク形状を再現できていることが分かる。得られた各成分の結合エネルギーは290.8、288.6、287.6、286及び284.2eVであったことから、各々、π→πシェークアップサテライトピーク及びO=C−O、O=C−N、C−O、C−C成分に対応したピークであると同定した。ここで、各ピークの化学状態の帰属はハンドブックや論文を参考にして行った。
【0029】
最後に、検証のため、各元素の化学状態から、結合相手の構成割合が相互に対応していることを確認する。
【0030】
各試料で表面に検出された全ての元素についてピークフィッティングを行い、得られたピーク面積強度から組成を算出し、複数の化学状態が認められた元素については構成要素ごとに構成割合を算出した結果を表2に示す。これより、Cの状態別の割合から、両試料には各々約4%のO=C−O結合成分と約5%のO=C−N結合成分が検出され、さらに、両試料に約3%のC−O結合成分が検出されていることが分かる。このことは、各試料のN及びOの検出量とも非常に良く対応しており、本手法により表面官能基の定量的な評価が可能であることが示された。
【0031】
【表2】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
XPS法によって検出された光電子の結合エネルギーをX軸に、強度をY軸に表示することによって元素の内殻スペクトルを得て、異なる化学状態に対応したピーク毎に内殻スペクトルを分離し、各ピークの面積比を算出することによって、導電性材料表面の各化学状態に対応する構成成分を定量的に評価する導電性材料表面化学状態の定量的評価方法であって、
表面に官能基修飾処理が施されていない前記導電性材料について、XPS法によって構造の異なる2種類以上の内殻スペクトルそれぞれを前記XY座標に表示する第一工程と、
第一工程において前記XY座標に表示された内殻スペクトル全ての内殻スペクトルに当て嵌まるように、それら内殻スペクトルを前記XY座標の2以上の対称な関数に分解し、それら2以上の対称な関数の和によってXY座標に表示された非対称なピーク関数を定義する第二工程と、
測定対象の導電性材料について、XPS法によって内殻スペクトルを前記XY座標に表示し、表示された各内殻スペクトルを異なる化学状態に対応したピーク毎に分離し、分離された内殻スペクトルのピークのうち、非対称なピークを第二工程において定義された非対称なピーク関数を用いて分解し、そのピーク関数のXY座標の面積の和を前記非対称なピーク面積として算出する第三工程と
を含むことを特徴とする導電性材料表面化学状態の定量的評価方法。
【請求項2】
前記第一工程は、少なくとも前記導電性材料の清浄表面の内殻スペクトルと、その表面構造を破壊した表面の内殻スペクトルについて、前記XY座標表示を行うことを特徴とする請求項1記載の導電性材料表面化学状態の定量的評価方法。



【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2013−108763(P2013−108763A)
【公開日】平成25年6月6日(2013.6.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−251798(P2011−251798)
【出願日】平成23年11月17日(2011.11.17)
【出願人】(594161998)株式会社UBE科学分析センター (4)
【Fターム(参考)】