常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラム
【課題】建物の形状に拘わらず、具体的には剛床仮定が成立しない建物であっても健全性を適確に診断することを可能にする。
【解決手段】建物の複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなるようにした。
【解決手段】建物の複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなるようにした。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムに関する。さらに詳述すると、本発明は、地震や強風等の過大な外力若しくは構造材料の経年劣化によって発生する建物の損傷を常時微動計測に基づいて判定する方法、或いは、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する方法の改良に関する。
【0002】
なお、本明細書においては、建物と建物の基礎部分とを厳密に区別することなく、両者を併せて単に建物と表記する。ただし、建物と建物の基礎部分とを含むことを特に強調したい場合には建物全体と適宜表記する。また、本発明における常時微動とは、例えば風力や交通振動などによって励起される振動である。
【0003】
本発明においては、建物の状態の基準とする時点のことを健全時と呼び、当該健全時の建物の状態と比べて損傷が発生しているか否かの評価を行う時点(複数時点もあり得る)のことを評価時と呼ぶ。
【背景技術】
【0004】
建物の常時微動を計測して建物全体の構造の健全性を評価して建物の健全性を診断する従来の方法として、ARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用い、振動センサにより計測された建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルを求め、これら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出して建物全体の振動特性を同定する方法がある(特許文献1)。
【0005】
特許文献1の方法では、入力信号と出力信号との間の相関と因果関係とを求めるための解法モデルであって従来から知られているARMAモデルに移動平均項(:Moving−Average)を更に追加した新しいモデルによる新しいスペクトル解析法を建物の振動モードの同定に適用するようにしている。
【0006】
なお、従来から知られているARMAモデル(:Autoregressive Moving−Average model)は、例えば数式1に示すように、右辺第一項であるAR(:Autoregressive)項と第二項であるMA(:Moving−Average)項との和として表現されるモデルであり、各項の係数a1(k),b1(k)に重み付けをして振動特性を表すスペクトルを得ようとするものである。
【0007】
【数1】
ここに、x1(t):時刻tにおけるシステムの出力,
e(t):時刻tにおけるシステムの入力(ホワイトノイズ) をそれぞれ表す。
【0008】
このARMAモデルによればホワイトノイズをMA項中でe(t-k)として表すことにより過去の値を参照することが可能になっている。これにより、クロススペクトルの形状を推定してこの推定結果から振動特性を同定するような診断法が行われる。
【0009】
具体的には、例えば図14に示すような建物においてARMAモデルによって振動特性を得ようとする場合には、建物の1層(即ち1階)部分の応答を数式1に示すモデルで表すと共に屋上部分の応答を数式2に示すモデルで表し、これら各モデルにホワイトノイズをインプットとして入力し、各アウトプットx1(t),xR(t)を求めることによって振動特性を同定する。この場合、数式1と数式2とにおけるインプットe(t-k)は互いに等しいと仮定されて入力されるので振動特性が抽出し易いという利点がある。
【0010】
【数2】
【0011】
ここで、振動特性を同定する場合、常時微動による影響を考慮し、建物の局所振動に関するノイズ成分を取り除くようにしないと精度が低下してしまう。したがって、例えば図14に示すように屋上の室外機101のような常時微動を生じさせる局所的な発生源がある場合には、これに起因するノイズ成分を分離し、建物を揺らしている振動成分のみを残すようにする必要がある。しかしながら、従来のARMAモデルでは局所的振動を本来の振動成分から分離することができないという問題がある。
【0012】
そこで、特許文献1の方法では、従来のARMAモデルの数式1,数式2に対応するモデルが数式3,数式4のようにそれぞれ表されるモデルであって、ARMAモデルに移動平均項を付加した新しいモデル(以下、ARMAMAモデルと呼ぶ)を用いるようにしている。
【0013】
【数3】
【数4】
【0014】
ARMAMAモデルを用いた場合には数式3,数式4に共通する信号であるホワイトノイズe(t-k)が入力されることに加え、新しく追加された移動平均項にはそれぞれ別の信号であるe1(t-k),eR(t-k)が入力されることによって局所的信号成分が加味された振動特性が得られる。
【0015】
そして、得られた振動特性からクロススペクトル(即ち、複数の計測データの相関性に関する周波数軸の関数)を得ることによって建物の局所振動に関するノイズ成分を抽出するようにしている。すなわち、ARMAモデルとは異なり、複数の時系列波形の相関成分と無相関成分とを分離し、これにより、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分を抽出するようにしている。
【0016】
特許文献1の方法においては、建物上の複数位置に振動センサを配置することによって計測された常時微動記録のうち、任意の一つの記録が基準信号とされると共に残りの記録が参照信号とされる。そして、同じ建物中の異なる箇所における時刻歴波形(横軸は時間t、縦軸は振動)を掛け合わせることによって両波形のうちの共通する成分のみが波形として示されたクロススペクトルが得られるので、基準信号と参照信号とのクロススペクトルをARMAMAモデルを用いた方法を用いて推定することにより、二つの信号に共通に含まれる振動成分の中で基準信号を原因とすると共に参照信号を結果とする因果律を満たすものが抽出される。このため、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分のみを抽出することができる。この抽出された振動成分より、建物全体の振動特性が同定される。この振動特性を同様の方法で事前に得られている建物健全時の振動特性(或いは設計図面から推定される振動特性)と比較することによって建物全体の健全性が損なわれているか否かが判定される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0017】
【特許文献1】特許第3925910号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
しかしながら、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、建物全体における損傷発生の有無を判定することはできても、損傷は建物の東端寄りの位置で発生しているなどのように損傷が発生している箇所を絞り込んだり特定したりすることはできない。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、損傷発生箇所の絞り込みや特定に対しては有用であるとは言い難い。
【0019】
また、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、振動特性から剛性分布を算定する際に、図15(A)に示すように、建物の各層の床全面が変形することなく水平方向の一定の向きに同じだけ変位する(図中破線102)と仮定して各層の質量と振動特性とを使って各層の剛性を計算するようにしている。この仮定は剛床仮定と呼ばれ、塔状の建物においては成立し得る仮定である。
【0020】
しかしながら、例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物においては剛床仮定は成立しない。具体的には、図15(B)に示すように、或る構面は大きく変形する一方で或る構面は殆ど変形しない(図中破線102’)という現象が起こって床面が変形し、各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない。そして、剛床仮定が成立しない建物に対して特許文献1の建物の健全性診断法を適用した場合には建物の健全性を適正に診断することができないという問題がある。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、どのような形状の建物であっても健全性を適確に診断するものであって信頼性が高い診断方法であるとは言い難い。
【0021】
そこで、本発明は、損傷が発生している箇所を絞り込んだり特定したりすることができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。また、本発明は、建物の形状に拘わらず、具体的には剛床仮定が成立しない建物であっても健全性を適確に診断することができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0022】
かかる目的を達成するため、請求項1記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、健全時及び評価時毎に計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算を同定する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するようにしている。
【0023】
また、請求項2記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、第一の手段による処理の結果及び第二の手段による処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを有するようにしている。
【0024】
また、請求項3記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、少なくとも、常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の処理と、該第一の処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の処理と、第一の処理の結果及び第二の処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の処理と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0025】
したがって、これらの常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによると、建物に設定された複数の構面別且つ層毎に常時微動を計測すると共に建物の剛性分布を計算する際に各層の質量を一定とするようにしているので、建物の形状に拘わらず(即ち剛床仮定が成立しない建物であっても)各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性が算出される。
【発明の効果】
【0026】
本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、剛床仮定の成立・不成立に拘わらず各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性を算出することができるので、どのような形状の建物であっても健全性を適確に診断することが可能であると共に複数時点のモード層剛性を比較することによって何れの構面のどの層において損傷が発生しているのかを判定して損傷が発生している部位を特定することが可能であり、建物の健全性診断の性能の向上を図り、信頼性・有用性の向上を図ることが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法,診断プログラムの実施形態の一例を説明するフローチャートである。
【図2】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置の実施形態の一例を説明する機能ブロック図である。
【図3】本発明が対象とし得る建物の例のモデル図である。
【図4】固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を模式的に説明する図である。
【図5】基礎部分の水平変形と回転変形とを考慮した建物の振動モデルを説明する図である。
【図6】建物の構面別の層毎のモード層剛性を評価指標として用いて建物において損傷が発生している部位の特定を行う例を模式的に説明する図である。
【図7】実施例における壁への損傷の与え方を説明する図である。
【図8】実施例の建物の各階の平面形状と共に損傷を与えた壁と振動センサと構面との位置を示す図である。
【図9】実施例の1次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図10】実施例の2次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図11】実施例の3次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図12】実施例の1次の固有値に対応する構面-3のモード層剛性の時系列の計算結果を示す図である。
【図13】実施例の1次の固有値に対応する構面-7のモード層剛性の時系列の計算結果を示す図である。
【図14】ARMAMAモデルが対象とし得る建物の例のモデル図である。
【図15】建物の床の形状の違いによる変位・変形の違いを説明する図である。(A)は塔状の建物の場合を説明する図である。(B)は細長い平面形状を有する建物の場合を説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、本発明の構成を図面に示す実施の形態の一例に基づいて詳細に説明する。
【0029】
図1から図6に、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムの実施形態の一例を示す。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、健全時及び評価時毎に計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するようにしている。
【0030】
また、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、第一の手段による処理の結果及び第二の手段による処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを備えている。
【0031】
上述の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法及び診断装置は、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することによっても実現される。本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行する場合を例に挙げて説明する。
【0032】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することにより、具体的には、図1に示すように、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測(S0,S0’)の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法を実行するステップ(S1,S1’)と、第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法を実行するステップ(S2,S2’)と、健全時と評価時とにおける振動特性を比較するステップ(S3)と、当該比較に基づいて建物の健全性の良否の判定を行うステップ(S4)と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法を実行するステップ(S5,S5’)と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較するステップ(S6)と、当該比較に基づいて建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するステップ(S7)とに係る処理をコンピュータが行う。
【0033】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行するための本実施形態の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の全体構成を図2に示す。この常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10は、制御部11、記憶部12、入力部13、表示部14及びメモリ15を備え相互にバス等の信号回線により接続されている。また、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10にはデータサーバ16がバス等の信号回線により接続されており、その信号回線を介して相互にデータや制御指令等の信号の送受信(即ち出入力)が行われる。
【0034】
制御部11は記憶部12に格納されている常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17によって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10全体の制御並びに建物の健全性診断に係る演算を行うものであり、例えばCPU(即ち中央演算処理装置)である。記憶部12は少なくともデータやプログラムを記憶可能な記憶手段であり、例えばハードディスクである。メモリ15は制御部11が各種の制御や演算を実行する際の作業領域であるメモリ空間となるものであり、例えばRAM(Random Access Memory の略)である。
【0035】
入力部13は少なくとも作業者の命令を制御部11に与えるためのインターフェイスであり、例えばキーボードである。
【0036】
表示部14は制御部11の制御により文字や図形等の描画・表示を行うものであり、例えばディスプレイである。
【0037】
そして、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行することによって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の制御部11には、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段としてのスペクトル解析部11aと、スペクトル解析部11aによる処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段としての振動特性同定部11bと、健全時と評価時とにおける振動特性を比較して建物の健全性の良否の判定を行う手段としての健全性判定部11cと、スペクトル解析部11aによる処理の結果及び振動特性同定部11bによる処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段としての剛性分布同定部11dと、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段としての非健全部位特定部11eとが構成される。
【0038】
本発明の実施にあたっては、まず、健全時及び評価時における建物の常時微動を計測する(S0,S0’)。なお、図1においては、健全時にまつわる処理についてはダッシュなしの符号を付し、評価時にまつわる処理についてはダッシュ付きの符号を付している。
【0039】
ここで、本発明では、図3に示すように例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物であって剛床仮定が成立しない建物1、すなわち、図中破線2で示すように或る構面(具体的には構面C,D)は大きく変形する一方で或る構面(具体的には構面A,B)は殆ど変形しないという現象が起こって床面が変形して各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない建物1であっても、健全性を適確に診断すること、並びに、建物の何れの構面のどの層(即ち階)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、一つの建物において複数の構面を設定して当該構面毎の層毎に常時微動を計測する。
【0040】
具体的には例えば、図3に示す例のように、一つの建物1に対して構面A,B,C,Dの四つの構面を設定すると共にこれら各構面A,B,C,Dの層毎に常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物上に設置された例えば振動センサなどによって計測する。
【0041】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び層並びに日時の情報と対応付けて健全時常時微動記録データベース18,評価時常時微動記録データベース19としてそれぞれデータサーバ16に蓄積する。
【0042】
そして、制御部11のスペクトル解析部11aは、健全時の常時微動記録及び評価時の常時微動記録を用いてスペクトル解析を行い、健全時と評価時とのそれぞれについてクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行う(S1,S1’)。
【0043】
スペクトル解析部11aは、具体的には、基準信号と複数個の参照信号とのクロススペクトルを算定すると共に、基準信号に関するパワースペクトルを算定する。なお、パワースペクトルとは、単点の計測データの特性を表す周波数軸の関数のことである。
【0044】
本発明においては、ARMAMAモデルによるスペクトル解析を行う。なお、本発明では、以下に説明するARMAMAモデルによるスペクトル解析法を第一の方法とも呼ぶ。
【0045】
発明者によって新たに導出されたARMAMAモデルは、建物上で計測された常時微動記録の中で二つの時系列信号をx(t),y(t)として数式5,数式6として表される。
【0046】
【数5】
【数6】
ここに、e(t),ex(t),ey(t):互いに無相関な定常ホワイトノイズ,
Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1):AR(Autoregressive)演算子,
Bx(z-1),By(z-1),Dx(z-1),Dy(z-1):MA(Moving−Average)演算子,
z-1:遅延演算子 をそれぞれ表す。
【0047】
数式5,数式6のAR演算子とMA演算子とはz-1に関する多項式であり、例えばAR演算子Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1)は数式7,数式8で表される。
【0048】
【数7】
【数8】
ここに、ax(j),ay(j),cx(j),cy(j):AR係数,
n,m:AR次数 をそれぞれ表す。
【0049】
そして、AR係数ax(j),ay(j),cx(j)は、数式9,数式10,数式11の拡張Yule−Walker方程式をそれぞれ満たす。
【0050】
【数9】
【数10】
【数11】
ここに、Rxy(τ):x(t)とy(t)との間の相互相関関数,
Rxx(τ):x(t)の自己相関関数 をそれぞれ表す。
【0051】
そして、Rxy(τ)及びRxx(τ)の推定値が与えられれば、数式9,数式10及び数式11によってax(j),ay(j)及びcx(j)が決定される。
【0052】
また、数式5と数式6とで表される時系列信号x(t)とy(t)とのクロススペクトルSxy(z-1)は数式12によって表される。
【0053】
【数12】
【0054】
また、時系列信号x(t)のみに関するパワースペクトルSxx(z-1)は数式13によって表される。
【0055】
【数13】
【0056】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項は時系列信号x(t)とy(t)とに共通する振動成分を示し、数式13の右辺第二項は時系列信号x(t)のみに含まれる局所的な振動成分を示す。したがって、数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項を用いることにより、局所的な振動成分を除去して建物全体に共通する振動成分のみを抽出することができる。
【0057】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項の分母に着目してAx(z)=0,Ay(z-1)=0を満たす解をそれぞれz=−zxj,z=zyj(j=1〜n)とすると、数式12と数式13とは数式14と数式15とのようにそれぞれ表される。
【0058】
【数14】
【数15】
【0059】
数式14,数式15におけるzxj及びzyjはSxx(z-1)の極と呼ばれる複素数であり、それらに対応するβxyj及びγxyj,βxxj及びγxxjは留数である。そして、標準z変換に基づき、数式14においてz=exp(iωΔ)(ただし、i:虚数単位,Δ:時間刻み)とすれば、円振動数ωの関数としてクロススペクトルが得られる。
【0060】
スペクトル解析部11aは、健全時常時微動記録データベース18として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、健全時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法(即ち第一の方法)によって健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0061】
ここで、本発明においては、数式14においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって複数個のクロススペクトルを推定する。
【0062】
さらに、スペクトル解析部11aは、評価時常時微動記録データベース19として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、評価時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法(即ち第一の方法)によって評価時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0063】
そして、スペクトル解析部11aは、算定した健全時・評価時別のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15に記憶させる。
【0064】
次に、制御部11の振動特性同定部11bは、健全時のスペクトル及び評価時のスペクトルの算定結果を用いて健全時と評価時とのそれぞれについて建物の振動特性の計算を行う(S2,S2’)。
【0065】
本発明においては、上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用して振動特性の同定を行う。なお、本発明では、以下に説明するARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法を第二の方法とも呼ぶ。
【0066】
建物上の複数の観測時系列からその振動モードを同定する場合には、S1,S1’の処理においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって数式14により推定した複数個のクロススペクトルを用いる。
【0067】
数式14において、Σ〔 〕内の第一項は参照信号y(t)を原因とすると共に基準信号x(t)を結果とする因果律を満たすものであり、第二項は基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律を満たすものである。したがって、S1,S1’の処理において基準信号x(t)を固定して複数のクロススペクトルを算定するようにしているので、数式14のΣ〔 〕内の第二項を用いて建物全体の振動特性を計算することができる。すなわち、建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjと固有モードφjとは数式16と数式17とによりそれぞれ計算される。
【0068】
【数16】
【数17】
ここに、π:円周率,
γxkj:参照信号を計測点kとしたときのクロススペクトルによるγxyjの値,
T:転置記号 をそれぞれ表す。
【0069】
本発明におけるj次の固有モードφjは、j次固有ベクトルとして表されるものであり、具体的には、各構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである。
【0070】
j次の固有値λj及び固有振動数fjとj次の固有モードφjとを示す数式16と数式17とは、基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律から導かれているため、建物に作用する外力とは無関係に成り立つ。よって、建物の常時微動記録のように複数の外力により建物の振動が励起されている場合であっても、固有振動数や固有モード等の振動特性を精度良く計算することができる。
【0071】
振動特性同定部11bは、健全時常時微動記録データベース18に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1の処理においてメモリ15に記憶された健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、健全時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法(即ち第二の方法)によって健全時の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fj並びに各構面別の層毎のj次の固有モードφjを計算する。
【0072】
さらに、振動特性同定部11bは、評価時常時微動記録データベース19に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1’の処理においてメモリ15に記憶された評価時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、評価時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法(即ち第二の方法)によって評価時の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fj並びに各構面別の層毎のj次の固有モードφjを計算する。
【0073】
そして、振動特性同定部11bは、計算した健全時・評価時別の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjをメモリ15に記憶させると共に、健全時・評価時別のj次の固有モードφjの値を構面及び層の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0074】
次に、制御部11の健全性判定部11cは、健全時の振動特性の計算結果と評価時の振動特性の計算結果とを比較し(S3)、建物全体の健全性の良否の判定を行う(S4)。
【0075】
具体的には、本発明では、S1,S1’の処理におけるARMAMAモデルによるスペクトル解析(即ち第一の方法による解析)並びにこれを利用したS2,S2’の処理における振動特性の同定(即ち第二の方法による解析)によって得られる健全時の建物の振動特性と評価時の建物の振動特性とを比較することによって建物全体の健全性の良否の判定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には設計図面に基づいて計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いる。
【0076】
ここで、建物に損傷が発生して健全性が失われると建物の固有振動数は一般に低下する性質があり、本発明ではこの性質を利用することによって建物の健全性の良否の判定を行う。
【0077】
固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を図4に模式的に示す。まず、評価時のものとして建物の竣工直後の常時微動記録から第一の方法と第二の方法とを用いて計算される固有振動数と、健全時のものとして設計図面に基づいて計算される値とを比較することにより、新設建物の健全性を評価することができる。
【0078】
また、評価時のものとして地震等のイベントによって過大な外力を受けた直後の常時微動記録から第一の方法と第二の方法とを用いて固有振動数を計算すると共に健全時として竣工直後の固有振動数(若しくは設計図面に基づく固有振動数)と比較して固有振動数が大きく低下している場合には建物の健全性が失われていると診断する。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の値の変化の程度(即ち変化の幅;図4における「設計値若しくは建物竣工時の固有振動数」と「健全と見なされる固有振動数のレベル」との差分)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0079】
その後、健全性が失われている部分を補強し、本発明の診断法を再び実施した結果、その固有振動数が建物が健全と見なされる固有振動数のレベルに達していない場合には建物の健全性は未だ不足していると判定され、補強が更に必要であると判断することができる。
【0080】
また、本発明の診断法を定期的に実施して建物の固有振動数を継続的に監視し、固有振動数の計算値が徐々に低下して建物が健全と見なされる固有振動数のレベルを下回った場合には経年劣化によって建物の健全性が失われたと判定することができる。
【0081】
健全性判定部11cは、S2,S2’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別のj次の固有振動数fjの値をメモリ15から読み込み、健全時の値と評価時の値とを比較し、建物の健全性が失われているか否かを判定する。その際、建物の健全性が失われていると判断される程度の変化が何次の固有値に対応する固有振動数において生じているのかを区別しておく。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の値の変化の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0082】
そして、健全性判定部11cは、S3,S4の処理における判定結果として、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の変化が生じている固有値の次数をメモリ15に記憶させる。また、健全性判定部11cは、制御部11に対し、処理中の健全時と評価時との組み合わせでのS5,S5’以降の処理を行うように指令を出す。
【0083】
次に、制御部11の剛性分布同定部11dは、S2及びS2’の処理において計算された振動特性に基づいて健全時と評価時とのそれぞれについて建物全体の剛性分布の計算を行う(S5,S5’)。
【0084】
本発明においては、上述の第一の方法及び第二の方法によって計算された振動特性に基づいて建物の部位毎のモード層剛性(言い換えれば建物の剛性分布)の計算を行う。なお、本発明では、以下に説明する剛性分布の計算方法を第三の方法とも呼ぶ。
【0085】
本発明に特有の考え方であるモード層剛性の計算について説明するため、まず、図5に示すように、基礎部分の水平変形と回転変形とを考慮した建物全体の振動モデルの剛性分布の計算について説明する。
【0086】
図5において、符号w1,w2,w3が示す矢印は各質量系m1,m2,m3に対する風を表し、符号gmが示す矢印は地面の動きを表している。この振動モデルの質量行列をM,減衰行列をC,剛性行列をKとすると、j次の固有方程式は数式18で表される。
【0087】
【数18】
ここに、λj:j次の固有値,
φj:j次の固有モード(即ちj次固有ベクトル) をそれぞれ表す。
【0088】
数式18の減衰行列Cと剛性行列Kとについて、j次の複素柔性行列Sjを数式19によって定義する。
【0089】
【数19】
【0090】
建物l層の水平ばね(添字l)と基礎部分の水平ばね(添字H)及び回転ばね(添字R)とのそれぞれについて、モード層剛性をkl,kH,kR、減衰の係数をcl,cH,cR、j次の複素柔性要素をsl,j,sH,j,sR,jとすると、数式19より数式20〜数式22が得られる。
【0091】
【数20】
【数21】
【数22】
【0092】
また、数式19を用いて数式18のj次の固有方程式は数式23のように表される。
【0093】
【数23】
【0094】
図5に示す振動モデルに関しては、数式23のベクトル表示式を要素毎に展開して整理することによって数式24〜数式26に示す関係式が得られる。
【0095】
【数24】
【数25】
【数26】
ここに、IR:建物の基礎部分の回転慣性質量,
mH:建物の基礎部分の質量,
mk:建物k層の質量,
Hk:建物k層の高さ(即ち基礎の回転中心からk層までの高さ),
N:建物の層の数,
λj:j次の固有値,
φk,j:j次の固有モードφjにおける建物k層の水平成分,
φR,j:j次の固有モードφjにおける基礎部分の回転成分,
φH,j:j次の固有モードφjにおける基礎部分の水平成分 をそれぞれ表す。
【0096】
ここで、本発明では、図3に示すように例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物であって剛床仮定が成立しない建物1、すなわち、図中破線2で示すように或る構面(具体的には構面C,D)は大きく変形する一方で或る構面(具体的には構面A,B)は殆ど変形しないという現象が起こって床面が変形して各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない建物1であっても、健全性を適確に診断すること、並びに、建物の何れの構面のどの層(即ち階)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、従来の方法とは異なる方法で建物の部位毎の剛性(即ち建物の剛性分布)の計算を行うようにしている。
【0097】
具体的には、常時微動の計測を行う際に設定されて常時微動が計測されている複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する。本実施例では、図3に示す例のように、構面A,B,C,D別の層毎にモード層剛性を計算する。
【0098】
ここで、図3に示すように細長い平面形状を有して剛床仮定が成立しない建物1では、各構面別の層lの質量mlを定めることは困難である。具体的には例えば、或る構面(着目構面と呼ぶ)と当該着目構面の両側の構面との三つの構面の変形の大きさが異なる場合即ち隣り合う構面で変形の大きさが異なる場合に、着目構面と変形が小さい構面との間で働く着目構面の動きを抑えようとする作用力と、着目構面と変形が大きい構面との間で働く着目構面を動かそうとする作用力と、着目構面付近の質量による慣性力とを足し合わせたものと、細長い建物1をバネ−マスモデルで置き換えたときの等価質量による慣性力とが釣り合うように着目構面付近の質量を定めることは困難である。また、建物の基礎部分についての力の釣り合いを解くためには基礎部分の周囲の地盤(土壌)の質量を考慮しなければならないところ、力の釣り合いにおいて考慮すべき土壌の影響範囲を建物周囲の何処までにするのかを決定することも困難である。
【0099】
このため、本発明では、建物の各構面別の層lの質量ml並びに建物の基礎部分の回転慣性質量IR及び質量mHを全て一定(言い換えると、健全時と評価時とにおいて全ての質量を単一量として扱う;具体的には例えば、全ての質量を1.0にしたり10.0にしたりする)であると仮定するようにしている。そして、これらの質量ml,IR,mHを全て一定であると仮定するようにしているために本発明においてはモード層剛性の絶対値に物理的な意味はない。その一方で、モード層剛性の評価を時系列で行い、モード層剛性の変化を捉えることによって何れの構面のどの層に剛性変化があって損傷が発生しているのかを検知することが可能である。
【0100】
上述の考え方を踏まえ、本発明においては、質量ml,IR,mHを一定にし、建物の固有値と構面別の層毎の数値を成分とする固有モードとを用いて構面別の層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを数式27によって計算する。なお、数式27は全ての質量を1.0とした場合の式である。
【0101】
【数27】
【0102】
具体的には例えば図3に示す例では、建物1の構面A,B,C,D別の層l毎に常時微動を計測し(S0,S0’)、建物のj次の固有値λjと構面A,B,C,D別のj次の固有モードにおける層l毎の水平成分φl,j及び基礎部分の回転成分φR,jとを計算し(S1,S2,S1’,S2’)、建物の固有値λjと構面Aの層l毎の固有モード水平成分φl,j及び基礎部分の固有モード回転成分φR,jとを使って構面Aの層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを計算し、他の構面B,C,Dのそれぞれについても同様にして層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを計算する。
【0103】
また、上述の考え方を踏まえ、本発明においては、数式24及び数式25についても建物の各構面別の層lの質量ml並びに建物の基礎部分の回転慣性質量IR及び質量mHを全て一定にすると共に建物の固有値と構面別の層毎の数値を成分とする固有モードとを用いて構面別の建物の基礎部分のj次の複素柔性要素sR,j,sH,jを計算する。
【0104】
数式24,25及び27について、建物k層の高さHk及び建物の層の数Nの値は設計図面等から見積もることができる。また、建物のj次の固有値λj、並びに、各構面についてのj次の固有モードφjにおける建物k層の水平成分φk,j,基礎部分の回転成分φR,j及び水平成分φH,jの値は第一の方法及び第二の方法(数式16,数式17など)によって計算される。したがって、数式24,25及び27を用いることによって、図3に示す振動モデルの各部位、即ち建物1の構面A,B,C,D別の基礎部分及び層l毎のj次の複素柔性要素sR,j,sH,j,sl,jの値が計算される。
【0105】
一方、数式20〜数式22より、構面別の基礎部分及び層l毎のj次の減衰の係数cl,jとモード層剛性kl,jとはそれぞれ数式28と数式29とによって計算される。なお、数式28及び数式29においては複素柔性要素として層lの複素柔性要素sl,jを用いて表記しているが、基礎部分の複素柔性要素sR,j,sH,jについても数式28及び数式29が同じように成り立つ。
【0106】
【数28】
【数29】
ここに、sl,j:構面別の層lのj次の複素柔性要素,
λj:建物のj次の固有値,
Re[ ]:複素数の実数部分のみを取り出す操作,
Im[ ]:複素数の虚数部分のみを取り出す操作 をそれぞれ表す。
【0107】
以上より、数式16によって算出される建物のj次の固有値λjの値と数式24,25及び27によって算出される構面別の建物の基礎部分或いは層lのj次の複素柔性要素sR,j,sH,j,sl,jの値とを数式29に代入することによって図5に示す振動モデルの考え方に基づく建物の部位毎のモード層剛性kl,jが計算される。
【0108】
なお、数式18と数式19とに含まれている減衰行列Cの値が小さい場合には、数式19からj次複素柔性行列Sjと剛性行列Kとの間の関係がSj=K-1となるので、数式29の代わりに数式30を用いるようにしても良い。
【0109】
【数30】
【0110】
剛性分布同定部11dは、S2,S2’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別の建物のj次の固有値λj及び各構面別の建物の基礎部分或いは層l毎のj次の固有モードφH,j,φR,j,φl,jの値をメモリ15から読み込み、健全時・評価時別にj次の構面別の建物の基礎部分及び層l毎(即ち建物の部位別)のモード層剛性kl,jの値を計算する。なお、建物k層の高さHk及び建物の層の数Nの値は、例えば建物諸元データファイルとして記憶部12に予め保存しておき、剛性分布同定部11dが当該ファイルから適宜読み込む。なお、剛性分布同定部11dは、S3,S4の処理においてメモリ15に記憶された建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の変化が生じている固有値の次数のみについてのモード層剛性kl,jの値を計算するようにしても良い。
【0111】
そして、剛性分布同定部11dは、計算した健全時・評価時別の建物の部位毎のモード層剛性kl,jの値を固有値の次数並びに構面及び層の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0112】
次に、制御部11の非健全部位特定部11eは、健全時の建物の部位毎のモード層剛性(即ち建物の剛性分布)の計算結果と評価時の建物の部位毎のモード層剛性の計算結果とを比較し(S6)、評価対象の建物における健全性に劣る箇所即ち損傷が発生している部位の特定を行う(S7)。
【0113】
具体的には、本発明では、S5及びS5’の処理によって得られるj次の建物の構面別の層毎の、健全時のモード層剛性と評価時のモード層剛性とを比較することによって評価対象の建物において損傷が発生している部位の特定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には設計図面に基づいて計算されたものを健全時の建物のモード層剛性として用いる。
【0114】
ここで、建物に損傷が発生すると損傷部分のモード層剛性が低下するので、本発明ではこの現象を利用して建物において損傷が発生している部位の特定を行う。
【0115】
建物の部位毎のモード層剛性(即ち建物の剛性分布)を評価指標として用いて建物において損傷が発生している部位の特定を行う例を図6に模式的に示す。なお、図6に示す例においては、健全時として建物の竣工直後を想定すると共に評価時として被災後を想定する。また、以下の説明においては建物の基礎部分も一つの層として扱う。
【0116】
具体的には、まず、健全時におけるj次の構面別の層l毎のモード層剛性kl,jを計算すると共に被災後評価時におけるj次の構面別の層l毎のモード層剛性kl,jを計算する。そして、固有値の次数並びに構面及び層が同一である健全時と評価時とのモード層剛性kl,j同士を比較する。比較の結果、図6に示す例では、1階のモード層剛性のみが大きく低下しているので1階部分で損傷が発生し、他の部分では健全性が保たれていると判定する。すなわち、損傷が発生している箇所は当該構面の1階であると特定する。なお、損傷が発生していると判定するためのモード層剛性の値の変化の程度(即ち変化の幅)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0117】
非健全部位特定部11eは、S5,S5’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別の建物の部位毎のモード層剛性kl,jの値をメモリ15から読み込み、健全時の値と評価時の値とを固有値の次数と構面と層とが同一であるもの同士で比較し、健全時の値と比べて評価時の値が小さくなっている構面・層を特定する。なお、損傷が発生していると判定するためのモード層剛性の値の変化の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0118】
そして、非健全部位特定部11eは、建物の構面別・層毎の損傷の有無、さらに、例えばモード層剛性の減少率を表示部14に表示したり、例えば記憶部12やデータサーバ16内に当該評価時点の評価結果データファイルとして保存したりする。
【0119】
制御部11は、他の評価時の常時微動記録を用いた評価が更に必要である場合など必要に応じてS1’の処理に戻ってS7までの処理を繰り返す。そして、建物の健全性の評価を行うべき対象がなくなったときは処理を終了する(END)。
【0120】
以上のように構成された本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物の複数の構面別且つ層毎に常時微動を計測すると共に建物の剛性分布を計算する際に各層の質量を一定とするようにしているので、建物の形状に拘わらず、そして剛床仮定が成立しない建物であっても各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性を算出することができる。
【0121】
なお、上述の形態は本発明の好適な形態の一例ではあるがこれに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々変形実施可能である。
【実施例1】
【0122】
実際の建物の常時微動記録に対して本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを適用して建物の健全性の診断を行った実施例を図7から図13を用いて説明する。
【0123】
本実施例では、地上4階地下1階の建物を対象とし、壁面に人為的に損傷を与えながら(破壊しながら)常時微動を計測した(S0,S0’)。壁面への損傷は、合計30枚の壁に対して10段階に分けて順番に与えた。また、壁面への損傷は、図7に示すように、建物の柱と梁との縁を切断することにより行った。
【0124】
本実施例では、図8に示すように、東西方向に細長い平面形状を有する建物の東部と中央部と西側との壁に損傷を与えた。図8に示す建物の各層(図中では階又はFと表記)の図において、上側に表記されている丸数字2,3,4の位置の壁を東部壁Weと呼び、丸数字7,8,10の位置の壁を中央壁Wcと呼び、丸数字15の位置の壁を西壁Wwと呼ぶ。
【0125】
図8中には、また、どのような順番でいつ何れの層のどの壁に損傷を与えたかを表している。すなわち、図8中の[STEP1]から[STEP10]までの順番に表記されている日・時間帯に各位置の壁に対して損傷を与えた。
【0126】
本実施例では、対象とした建物に、図8中上側の丸数字3,7,10,15の位置の四つの構面を設定し、常時微動の計測を当該四つの構面で行った(図中記号★の位置)。なお、以下においては、図8中上側の丸数字が例えば3の位置の構面を構面-3のように表記する。
【0127】
計測によって得られた常時微動記録を用いてスペクトル解析を行ってクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行うと共に(S1,S1’)、当該スペクトルの算定結果を用いて建物の振動特性の計算を行った(S2,S2’)。
【0128】
評価対象の建物の振動特性の計算を行って図9〜図11に示す結果が得られた。本実施例では、固有値と固有モードとは3次まで得られた。
【0129】
図9,図10,図11に示す経時的な固有振動数の計算結果から、損傷を与えた壁の枚数が増えるに従って固有振動数が低下する傾向があることが確認された。このことから、本発明の方式によって得られる建物の固有振動数を継続的に監視することによって(S3)、建物における損傷発生の有無を判定することが可能である(S4)ことが確認された。
【0130】
続いて、計算された建物の振動特性を用いてモード層剛性を計算し(S5,S5’)、図12,図13に示す結果が得られた。なお、図12,図13に示す結果は、1次の固有値と固有モードとから計算した。また、本実施例では、数式30に示す計算式を用いてモード層剛性を計算した。
【0131】
図12に示す結果から、構面-3のモード層剛性は、図中太矢印で示すように、1階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP1:1月29日午前)で1階の値が急激に低下し、2階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP3:1月30日午前)で2階の値が急激に低下し、3階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP5:1月31日午前)で3階の値が急激に低下していることが確認された。
【0132】
また、図13に示す結果から、構面-7のモード層剛性は、図中太矢印で示すように、1階の中央壁Wcに損傷を与えたタイミング(STEP2:1月29日午後)で1階の値が急激に低下し、2階の中央壁Wcに損傷を与えたタイミング(STEP4:1月30日午後)で2階の値が急激に低下していることが確認された。
【0133】
図12,図13に示す結果から、本発明の方式によって得られる建物の部位毎のモード層剛性を継続的に監視することによって(S6)、建物において発生した損傷の位置(具体的には構面と層)を特定することが可能である(S7)ことが確認された。このように、本発明において新たに導入したモード層剛性は、絶対値に物理的な意味はないものの相対的な評価において非常に重要な役割を果たすものであり、損傷部位を明瞭に特定することが可能になる指標である。
【0134】
以上の結果から、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物において発生した損傷の部位を特定することが可能であることが確認された。
【符号の説明】
【0135】
10 建物の健全性診断装置
11 制御部
12 記憶部
13 入力部
14 表示部
15 メモリ
16 データサーバ
17 建物の健全性診断プログラム
【技術分野】
【0001】
本発明は、常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムに関する。さらに詳述すると、本発明は、地震や強風等の過大な外力若しくは構造材料の経年劣化によって発生する建物の損傷を常時微動計測に基づいて判定する方法、或いは、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する方法の改良に関する。
【0002】
なお、本明細書においては、建物と建物の基礎部分とを厳密に区別することなく、両者を併せて単に建物と表記する。ただし、建物と建物の基礎部分とを含むことを特に強調したい場合には建物全体と適宜表記する。また、本発明における常時微動とは、例えば風力や交通振動などによって励起される振動である。
【0003】
本発明においては、建物の状態の基準とする時点のことを健全時と呼び、当該健全時の建物の状態と比べて損傷が発生しているか否かの評価を行う時点(複数時点もあり得る)のことを評価時と呼ぶ。
【背景技術】
【0004】
建物の常時微動を計測して建物全体の構造の健全性を評価して建物の健全性を診断する従来の方法として、ARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用い、振動センサにより計測された建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルを求め、これら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出して建物全体の振動特性を同定する方法がある(特許文献1)。
【0005】
特許文献1の方法では、入力信号と出力信号との間の相関と因果関係とを求めるための解法モデルであって従来から知られているARMAモデルに移動平均項(:Moving−Average)を更に追加した新しいモデルによる新しいスペクトル解析法を建物の振動モードの同定に適用するようにしている。
【0006】
なお、従来から知られているARMAモデル(:Autoregressive Moving−Average model)は、例えば数式1に示すように、右辺第一項であるAR(:Autoregressive)項と第二項であるMA(:Moving−Average)項との和として表現されるモデルであり、各項の係数a1(k),b1(k)に重み付けをして振動特性を表すスペクトルを得ようとするものである。
【0007】
【数1】
ここに、x1(t):時刻tにおけるシステムの出力,
e(t):時刻tにおけるシステムの入力(ホワイトノイズ) をそれぞれ表す。
【0008】
このARMAモデルによればホワイトノイズをMA項中でe(t-k)として表すことにより過去の値を参照することが可能になっている。これにより、クロススペクトルの形状を推定してこの推定結果から振動特性を同定するような診断法が行われる。
【0009】
具体的には、例えば図14に示すような建物においてARMAモデルによって振動特性を得ようとする場合には、建物の1層(即ち1階)部分の応答を数式1に示すモデルで表すと共に屋上部分の応答を数式2に示すモデルで表し、これら各モデルにホワイトノイズをインプットとして入力し、各アウトプットx1(t),xR(t)を求めることによって振動特性を同定する。この場合、数式1と数式2とにおけるインプットe(t-k)は互いに等しいと仮定されて入力されるので振動特性が抽出し易いという利点がある。
【0010】
【数2】
【0011】
ここで、振動特性を同定する場合、常時微動による影響を考慮し、建物の局所振動に関するノイズ成分を取り除くようにしないと精度が低下してしまう。したがって、例えば図14に示すように屋上の室外機101のような常時微動を生じさせる局所的な発生源がある場合には、これに起因するノイズ成分を分離し、建物を揺らしている振動成分のみを残すようにする必要がある。しかしながら、従来のARMAモデルでは局所的振動を本来の振動成分から分離することができないという問題がある。
【0012】
そこで、特許文献1の方法では、従来のARMAモデルの数式1,数式2に対応するモデルが数式3,数式4のようにそれぞれ表されるモデルであって、ARMAモデルに移動平均項を付加した新しいモデル(以下、ARMAMAモデルと呼ぶ)を用いるようにしている。
【0013】
【数3】
【数4】
【0014】
ARMAMAモデルを用いた場合には数式3,数式4に共通する信号であるホワイトノイズe(t-k)が入力されることに加え、新しく追加された移動平均項にはそれぞれ別の信号であるe1(t-k),eR(t-k)が入力されることによって局所的信号成分が加味された振動特性が得られる。
【0015】
そして、得られた振動特性からクロススペクトル(即ち、複数の計測データの相関性に関する周波数軸の関数)を得ることによって建物の局所振動に関するノイズ成分を抽出するようにしている。すなわち、ARMAモデルとは異なり、複数の時系列波形の相関成分と無相関成分とを分離し、これにより、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分を抽出するようにしている。
【0016】
特許文献1の方法においては、建物上の複数位置に振動センサを配置することによって計測された常時微動記録のうち、任意の一つの記録が基準信号とされると共に残りの記録が参照信号とされる。そして、同じ建物中の異なる箇所における時刻歴波形(横軸は時間t、縦軸は振動)を掛け合わせることによって両波形のうちの共通する成分のみが波形として示されたクロススペクトルが得られるので、基準信号と参照信号とのクロススペクトルをARMAMAモデルを用いた方法を用いて推定することにより、二つの信号に共通に含まれる振動成分の中で基準信号を原因とすると共に参照信号を結果とする因果律を満たすものが抽出される。このため、観測波形に特有の振動成分が含まれる場合にもこれらを除去して複数の観測波形に共通する成分のみを抽出することができる。この抽出された振動成分より、建物全体の振動特性が同定される。この振動特性を同様の方法で事前に得られている建物健全時の振動特性(或いは設計図面から推定される振動特性)と比較することによって建物全体の健全性が損なわれているか否かが判定される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0017】
【特許文献1】特許第3925910号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
しかしながら、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、建物全体における損傷発生の有無を判定することはできても、損傷は建物の東端寄りの位置で発生しているなどのように損傷が発生している箇所を絞り込んだり特定したりすることはできない。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、損傷発生箇所の絞り込みや特定に対しては有用であるとは言い難い。
【0019】
また、特許文献1の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法では、振動特性から剛性分布を算定する際に、図15(A)に示すように、建物の各層の床全面が変形することなく水平方向の一定の向きに同じだけ変位する(図中破線102)と仮定して各層の質量と振動特性とを使って各層の剛性を計算するようにしている。この仮定は剛床仮定と呼ばれ、塔状の建物においては成立し得る仮定である。
【0020】
しかしながら、例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物においては剛床仮定は成立しない。具体的には、図15(B)に示すように、或る構面は大きく変形する一方で或る構面は殆ど変形しない(図中破線102’)という現象が起こって床面が変形し、各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない。そして、剛床仮定が成立しない建物に対して特許文献1の建物の健全性診断法を適用した場合には建物の健全性を適正に診断することができないという問題がある。このため、特許文献1の建物の健全性診断法は、どのような形状の建物であっても健全性を適確に診断するものであって信頼性が高い診断方法であるとは言い難い。
【0021】
そこで、本発明は、損傷が発生している箇所を絞り込んだり特定したりすることができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。また、本発明は、建物の形状に拘わらず、具体的には剛床仮定が成立しない建物であっても健全性を適確に診断することができる常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0022】
かかる目的を達成するため、請求項1記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、健全時及び評価時毎に計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算を同定する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するようにしている。
【0023】
また、請求項2記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、第一の手段による処理の結果及び第二の手段による処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを有するようにしている。
【0024】
また、請求項3記載の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムは、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録を用いて建物の健全性診断を行う際に、少なくとも、常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の処理と、該第一の処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の処理と、第一の処理の結果及び第二の処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の処理と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する処理とをコンピュータに行わせるようにしている。
【0025】
したがって、これらの常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによると、建物に設定された複数の構面別且つ層毎に常時微動を計測すると共に建物の剛性分布を計算する際に各層の質量を一定とするようにしているので、建物の形状に拘わらず(即ち剛床仮定が成立しない建物であっても)各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性が算出される。
【発明の効果】
【0026】
本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、剛床仮定の成立・不成立に拘わらず各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性を算出することができるので、どのような形状の建物であっても健全性を適確に診断することが可能であると共に複数時点のモード層剛性を比較することによって何れの構面のどの層において損傷が発生しているのかを判定して損傷が発生している部位を特定することが可能であり、建物の健全性診断の性能の向上を図り、信頼性・有用性の向上を図ることが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法,診断プログラムの実施形態の一例を説明するフローチャートである。
【図2】本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置の実施形態の一例を説明する機能ブロック図である。
【図3】本発明が対象とし得る建物の例のモデル図である。
【図4】固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を模式的に説明する図である。
【図5】基礎部分の水平変形と回転変形とを考慮した建物の振動モデルを説明する図である。
【図6】建物の構面別の層毎のモード層剛性を評価指標として用いて建物において損傷が発生している部位の特定を行う例を模式的に説明する図である。
【図7】実施例における壁への損傷の与え方を説明する図である。
【図8】実施例の建物の各階の平面形状と共に損傷を与えた壁と振動センサと構面との位置を示す図である。
【図9】実施例の1次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図10】実施例の2次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図11】実施例の3次の固有値に対応する固有振動数の時系列の計算結果を示す図である。
【図12】実施例の1次の固有値に対応する構面-3のモード層剛性の時系列の計算結果を示す図である。
【図13】実施例の1次の固有値に対応する構面-7のモード層剛性の時系列の計算結果を示す図である。
【図14】ARMAMAモデルが対象とし得る建物の例のモデル図である。
【図15】建物の床の形状の違いによる変位・変形の違いを説明する図である。(A)は塔状の建物の場合を説明する図である。(B)は細長い平面形状を有する建物の場合を説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、本発明の構成を図面に示す実施の形態の一例に基づいて詳細に説明する。
【0029】
図1から図6に、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムの実施形態の一例を示す。本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法は、建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、健全時及び評価時毎に計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するようにしている。
【0030】
また、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置は、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、第一の手段による処理の結果及び第二の手段による処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを備えている。
【0031】
上述の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法及び診断装置は、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することによっても実現される。本実施形態では、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行する場合を例に挙げて説明する。
【0032】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラムをコンピュータ上で実行することにより、具体的には、図1に示すように、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測(S0,S0’)の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法を実行するステップ(S1,S1’)と、第一の方法による結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法を実行するステップ(S2,S2’)と、健全時と評価時とにおける振動特性を比較するステップ(S3)と、当該比較に基づいて建物の健全性の良否の判定を行うステップ(S4)と、第一の方法による結果及び第二の方法による結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法を実行するステップ(S5,S5’)と、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較するステップ(S6)と、当該比較に基づいて建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定するステップ(S7)とに係る処理をコンピュータが行う。
【0033】
常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行するための本実施形態の常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の全体構成を図2に示す。この常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10は、制御部11、記憶部12、入力部13、表示部14及びメモリ15を備え相互にバス等の信号回線により接続されている。また、常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10にはデータサーバ16がバス等の信号回線により接続されており、その信号回線を介して相互にデータや制御指令等の信号の送受信(即ち出入力)が行われる。
【0034】
制御部11は記憶部12に格納されている常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17によって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10全体の制御並びに建物の健全性診断に係る演算を行うものであり、例えばCPU(即ち中央演算処理装置)である。記憶部12は少なくともデータやプログラムを記憶可能な記憶手段であり、例えばハードディスクである。メモリ15は制御部11が各種の制御や演算を実行する際の作業領域であるメモリ空間となるものであり、例えばRAM(Random Access Memory の略)である。
【0035】
入力部13は少なくとも作業者の命令を制御部11に与えるためのインターフェイスであり、例えばキーボードである。
【0036】
表示部14は制御部11の制御により文字や図形等の描画・表示を行うものであり、例えばディスプレイである。
【0037】
そして、常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム17を実行することによって常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置10の制御部11には、建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段としてのスペクトル解析部11aと、スペクトル解析部11aによる処理の結果に基づいて健全時及び評価時毎に建物の固有振動数及び複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段としての振動特性同定部11bと、健全時と評価時とにおける振動特性を比較して建物の健全性の良否の判定を行う手段としての健全性判定部11cと、スペクトル解析部11aによる処理の結果及び振動特性同定部11bによる処理の結果に基づくと共に建物の各層の質量を全て一定として健全時及び評価時毎に複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段としての剛性分布同定部11dと、健全時と評価時とにおける複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して建物全体における損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段としての非健全部位特定部11eとが構成される。
【0038】
本発明の実施にあたっては、まず、健全時及び評価時における建物の常時微動を計測する(S0,S0’)。なお、図1においては、健全時にまつわる処理についてはダッシュなしの符号を付し、評価時にまつわる処理についてはダッシュ付きの符号を付している。
【0039】
ここで、本発明では、図3に示すように例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物であって剛床仮定が成立しない建物1、すなわち、図中破線2で示すように或る構面(具体的には構面C,D)は大きく変形する一方で或る構面(具体的には構面A,B)は殆ど変形しないという現象が起こって床面が変形して各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない建物1であっても、健全性を適確に診断すること、並びに、建物の何れの構面のどの層(即ち階)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、一つの建物において複数の構面を設定して当該構面毎の層毎に常時微動を計測する。
【0040】
具体的には例えば、図3に示す例のように、一つの建物1に対して構面A,B,C,Dの四つの構面を設定すると共にこれら各構面A,B,C,Dの層毎に常時微動を計測する。なお、常時微動の計測は建物上に設置された例えば振動センサなどによって計測する。
【0041】
本実施形態では、計測によって得られた常時微動記録を、計測された構面及び層並びに日時の情報と対応付けて健全時常時微動記録データベース18,評価時常時微動記録データベース19としてそれぞれデータサーバ16に蓄積する。
【0042】
そして、制御部11のスペクトル解析部11aは、健全時の常時微動記録及び評価時の常時微動記録を用いてスペクトル解析を行い、健全時と評価時とのそれぞれについてクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行う(S1,S1’)。
【0043】
スペクトル解析部11aは、具体的には、基準信号と複数個の参照信号とのクロススペクトルを算定すると共に、基準信号に関するパワースペクトルを算定する。なお、パワースペクトルとは、単点の計測データの特性を表す周波数軸の関数のことである。
【0044】
本発明においては、ARMAMAモデルによるスペクトル解析を行う。なお、本発明では、以下に説明するARMAMAモデルによるスペクトル解析法を第一の方法とも呼ぶ。
【0045】
発明者によって新たに導出されたARMAMAモデルは、建物上で計測された常時微動記録の中で二つの時系列信号をx(t),y(t)として数式5,数式6として表される。
【0046】
【数5】
【数6】
ここに、e(t),ex(t),ey(t):互いに無相関な定常ホワイトノイズ,
Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1):AR(Autoregressive)演算子,
Bx(z-1),By(z-1),Dx(z-1),Dy(z-1):MA(Moving−Average)演算子,
z-1:遅延演算子 をそれぞれ表す。
【0047】
数式5,数式6のAR演算子とMA演算子とはz-1に関する多項式であり、例えばAR演算子Ax(z-1),Ay(z-1),Cx(z-1),Cy(z-1)は数式7,数式8で表される。
【0048】
【数7】
【数8】
ここに、ax(j),ay(j),cx(j),cy(j):AR係数,
n,m:AR次数 をそれぞれ表す。
【0049】
そして、AR係数ax(j),ay(j),cx(j)は、数式9,数式10,数式11の拡張Yule−Walker方程式をそれぞれ満たす。
【0050】
【数9】
【数10】
【数11】
ここに、Rxy(τ):x(t)とy(t)との間の相互相関関数,
Rxx(τ):x(t)の自己相関関数 をそれぞれ表す。
【0051】
そして、Rxy(τ)及びRxx(τ)の推定値が与えられれば、数式9,数式10及び数式11によってax(j),ay(j)及びcx(j)が決定される。
【0052】
また、数式5と数式6とで表される時系列信号x(t)とy(t)とのクロススペクトルSxy(z-1)は数式12によって表される。
【0053】
【数12】
【0054】
また、時系列信号x(t)のみに関するパワースペクトルSxx(z-1)は数式13によって表される。
【0055】
【数13】
【0056】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項は時系列信号x(t)とy(t)とに共通する振動成分を示し、数式13の右辺第二項は時系列信号x(t)のみに含まれる局所的な振動成分を示す。したがって、数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項を用いることにより、局所的な振動成分を除去して建物全体に共通する振動成分のみを抽出することができる。
【0057】
数式12の右辺並びに数式13の右辺第一項の分母に着目してAx(z)=0,Ay(z-1)=0を満たす解をそれぞれz=−zxj,z=zyj(j=1〜n)とすると、数式12と数式13とは数式14と数式15とのようにそれぞれ表される。
【0058】
【数14】
【数15】
【0059】
数式14,数式15におけるzxj及びzyjはSxx(z-1)の極と呼ばれる複素数であり、それらに対応するβxyj及びγxyj,βxxj及びγxxjは留数である。そして、標準z変換に基づき、数式14においてz=exp(iωΔ)(ただし、i:虚数単位,Δ:時間刻み)とすれば、円振動数ωの関数としてクロススペクトルが得られる。
【0060】
スペクトル解析部11aは、健全時常時微動記録データベース18として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、健全時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法(即ち第一の方法)によって健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0061】
ここで、本発明においては、数式14においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって複数個のクロススペクトルを推定する。
【0062】
さらに、スペクトル解析部11aは、評価時常時微動記録データベース19として蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込み、評価時の常時微動記録を時系列信号x(t),y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法(即ち第一の方法)によって評価時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)を算定する。
【0063】
そして、スペクトル解析部11aは、算定した健全時・評価時別のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15に記憶させる。
【0064】
次に、制御部11の振動特性同定部11bは、健全時のスペクトル及び評価時のスペクトルの算定結果を用いて健全時と評価時とのそれぞれについて建物の振動特性の計算を行う(S2,S2’)。
【0065】
本発明においては、上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用して振動特性の同定を行う。なお、本発明では、以下に説明するARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法を第二の方法とも呼ぶ。
【0066】
建物上の複数の観測時系列からその振動モードを同定する場合には、S1,S1’の処理においてx(t)を基準信号として一つの観測時系列に固定すると共にy(t)を参照信号として複数個の観測時系列を順に選択することによって数式14により推定した複数個のクロススペクトルを用いる。
【0067】
数式14において、Σ〔 〕内の第一項は参照信号y(t)を原因とすると共に基準信号x(t)を結果とする因果律を満たすものであり、第二項は基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律を満たすものである。したがって、S1,S1’の処理において基準信号x(t)を固定して複数のクロススペクトルを算定するようにしているので、数式14のΣ〔 〕内の第二項を用いて建物全体の振動特性を計算することができる。すなわち、建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjと固有モードφjとは数式16と数式17とによりそれぞれ計算される。
【0068】
【数16】
【数17】
ここに、π:円周率,
γxkj:参照信号を計測点kとしたときのクロススペクトルによるγxyjの値,
T:転置記号 をそれぞれ表す。
【0069】
本発明におけるj次の固有モードφjは、j次固有ベクトルとして表されるものであり、具体的には、各構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである。
【0070】
j次の固有値λj及び固有振動数fjとj次の固有モードφjとを示す数式16と数式17とは、基準信号x(t)を原因とすると共に参照信号y(t)を結果とする因果律から導かれているため、建物に作用する外力とは無関係に成り立つ。よって、建物の常時微動記録のように複数の外力により建物の振動が励起されている場合であっても、固有振動数や固有モード等の振動特性を精度良く計算することができる。
【0071】
振動特性同定部11bは、健全時常時微動記録データベース18に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1の処理においてメモリ15に記憶された健全時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、健全時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法(即ち第二の方法)によって健全時の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fj並びに各構面別の層毎のj次の固有モードφjを計算する。
【0072】
さらに、振動特性同定部11bは、評価時常時微動記録データベース19に蓄積されている常時微動記録をデータサーバ16から読み込むと共にS1’の処理においてメモリ15に記憶された評価時のクロススペクトルSxy(z-1)及びパワースペクトルSxx(z-1)をメモリ15から読み込み、評価時の常時微動記録を基準信号x(t),参照信号y(t)として用いて上述のARMAMAモデルによるスペクトル解析法を利用した振動特性の同定法(即ち第二の方法)によって評価時の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fj並びに各構面別の層毎のj次の固有モードφjを計算する。
【0073】
そして、振動特性同定部11bは、計算した健全時・評価時別の建物のj次の固有値λj及び固有振動数fjをメモリ15に記憶させると共に、健全時・評価時別のj次の固有モードφjの値を構面及び層の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0074】
次に、制御部11の健全性判定部11cは、健全時の振動特性の計算結果と評価時の振動特性の計算結果とを比較し(S3)、建物全体の健全性の良否の判定を行う(S4)。
【0075】
具体的には、本発明では、S1,S1’の処理におけるARMAMAモデルによるスペクトル解析(即ち第一の方法による解析)並びにこれを利用したS2,S2’の処理における振動特性の同定(即ち第二の方法による解析)によって得られる健全時の建物の振動特性と評価時の建物の振動特性とを比較することによって建物全体の健全性の良否の判定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には設計図面に基づいて計算されたものを健全時の建物の振動特性として用いる。
【0076】
ここで、建物に損傷が発生して健全性が失われると建物の固有振動数は一般に低下する性質があり、本発明ではこの性質を利用することによって建物の健全性の良否の判定を行う。
【0077】
固有振動数を評価指標として用いて建物の健全性の良否の判定を行う例を図4に模式的に示す。まず、評価時のものとして建物の竣工直後の常時微動記録から第一の方法と第二の方法とを用いて計算される固有振動数と、健全時のものとして設計図面に基づいて計算される値とを比較することにより、新設建物の健全性を評価することができる。
【0078】
また、評価時のものとして地震等のイベントによって過大な外力を受けた直後の常時微動記録から第一の方法と第二の方法とを用いて固有振動数を計算すると共に健全時として竣工直後の固有振動数(若しくは設計図面に基づく固有振動数)と比較して固有振動数が大きく低下している場合には建物の健全性が失われていると診断する。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の値の変化の程度(即ち変化の幅;図4における「設計値若しくは建物竣工時の固有振動数」と「健全と見なされる固有振動数のレベル」との差分)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0079】
その後、健全性が失われている部分を補強し、本発明の診断法を再び実施した結果、その固有振動数が建物が健全と見なされる固有振動数のレベルに達していない場合には建物の健全性は未だ不足していると判定され、補強が更に必要であると判断することができる。
【0080】
また、本発明の診断法を定期的に実施して建物の固有振動数を継続的に監視し、固有振動数の計算値が徐々に低下して建物が健全と見なされる固有振動数のレベルを下回った場合には経年劣化によって建物の健全性が失われたと判定することができる。
【0081】
健全性判定部11cは、S2,S2’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別のj次の固有振動数fjの値をメモリ15から読み込み、健全時の値と評価時の値とを比較し、建物の健全性が失われているか否かを判定する。その際、建物の健全性が失われていると判断される程度の変化が何次の固有値に対応する固有振動数において生じているのかを区別しておく。なお、損傷が発生して建物の健全性が失われていると判定するための固有振動数の値の変化の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0082】
そして、健全性判定部11cは、S3,S4の処理における判定結果として、建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の変化が生じている固有値の次数をメモリ15に記憶させる。また、健全性判定部11cは、制御部11に対し、処理中の健全時と評価時との組み合わせでのS5,S5’以降の処理を行うように指令を出す。
【0083】
次に、制御部11の剛性分布同定部11dは、S2及びS2’の処理において計算された振動特性に基づいて健全時と評価時とのそれぞれについて建物全体の剛性分布の計算を行う(S5,S5’)。
【0084】
本発明においては、上述の第一の方法及び第二の方法によって計算された振動特性に基づいて建物の部位毎のモード層剛性(言い換えれば建物の剛性分布)の計算を行う。なお、本発明では、以下に説明する剛性分布の計算方法を第三の方法とも呼ぶ。
【0085】
本発明に特有の考え方であるモード層剛性の計算について説明するため、まず、図5に示すように、基礎部分の水平変形と回転変形とを考慮した建物全体の振動モデルの剛性分布の計算について説明する。
【0086】
図5において、符号w1,w2,w3が示す矢印は各質量系m1,m2,m3に対する風を表し、符号gmが示す矢印は地面の動きを表している。この振動モデルの質量行列をM,減衰行列をC,剛性行列をKとすると、j次の固有方程式は数式18で表される。
【0087】
【数18】
ここに、λj:j次の固有値,
φj:j次の固有モード(即ちj次固有ベクトル) をそれぞれ表す。
【0088】
数式18の減衰行列Cと剛性行列Kとについて、j次の複素柔性行列Sjを数式19によって定義する。
【0089】
【数19】
【0090】
建物l層の水平ばね(添字l)と基礎部分の水平ばね(添字H)及び回転ばね(添字R)とのそれぞれについて、モード層剛性をkl,kH,kR、減衰の係数をcl,cH,cR、j次の複素柔性要素をsl,j,sH,j,sR,jとすると、数式19より数式20〜数式22が得られる。
【0091】
【数20】
【数21】
【数22】
【0092】
また、数式19を用いて数式18のj次の固有方程式は数式23のように表される。
【0093】
【数23】
【0094】
図5に示す振動モデルに関しては、数式23のベクトル表示式を要素毎に展開して整理することによって数式24〜数式26に示す関係式が得られる。
【0095】
【数24】
【数25】
【数26】
ここに、IR:建物の基礎部分の回転慣性質量,
mH:建物の基礎部分の質量,
mk:建物k層の質量,
Hk:建物k層の高さ(即ち基礎の回転中心からk層までの高さ),
N:建物の層の数,
λj:j次の固有値,
φk,j:j次の固有モードφjにおける建物k層の水平成分,
φR,j:j次の固有モードφjにおける基礎部分の回転成分,
φH,j:j次の固有モードφjにおける基礎部分の水平成分 をそれぞれ表す。
【0096】
ここで、本発明では、図3に示すように例えば学校の校舎のように細長い平面形状を有する建物であって剛床仮定が成立しない建物1、すなわち、図中破線2で示すように或る構面(具体的には構面C,D)は大きく変形する一方で或る構面(具体的には構面A,B)は殆ど変形しないという現象が起こって床面が変形して各層の床全面が必ずしも一定の向きに同じだけ変位するとは限らない建物1であっても、健全性を適確に診断すること、並びに、建物の何れの構面のどの層(即ち階)において損傷が発生しているのかを特定することを可能にするため、従来の方法とは異なる方法で建物の部位毎の剛性(即ち建物の剛性分布)の計算を行うようにしている。
【0097】
具体的には、常時微動の計測を行う際に設定されて常時微動が計測されている複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する。本実施例では、図3に示す例のように、構面A,B,C,D別の層毎にモード層剛性を計算する。
【0098】
ここで、図3に示すように細長い平面形状を有して剛床仮定が成立しない建物1では、各構面別の層lの質量mlを定めることは困難である。具体的には例えば、或る構面(着目構面と呼ぶ)と当該着目構面の両側の構面との三つの構面の変形の大きさが異なる場合即ち隣り合う構面で変形の大きさが異なる場合に、着目構面と変形が小さい構面との間で働く着目構面の動きを抑えようとする作用力と、着目構面と変形が大きい構面との間で働く着目構面を動かそうとする作用力と、着目構面付近の質量による慣性力とを足し合わせたものと、細長い建物1をバネ−マスモデルで置き換えたときの等価質量による慣性力とが釣り合うように着目構面付近の質量を定めることは困難である。また、建物の基礎部分についての力の釣り合いを解くためには基礎部分の周囲の地盤(土壌)の質量を考慮しなければならないところ、力の釣り合いにおいて考慮すべき土壌の影響範囲を建物周囲の何処までにするのかを決定することも困難である。
【0099】
このため、本発明では、建物の各構面別の層lの質量ml並びに建物の基礎部分の回転慣性質量IR及び質量mHを全て一定(言い換えると、健全時と評価時とにおいて全ての質量を単一量として扱う;具体的には例えば、全ての質量を1.0にしたり10.0にしたりする)であると仮定するようにしている。そして、これらの質量ml,IR,mHを全て一定であると仮定するようにしているために本発明においてはモード層剛性の絶対値に物理的な意味はない。その一方で、モード層剛性の評価を時系列で行い、モード層剛性の変化を捉えることによって何れの構面のどの層に剛性変化があって損傷が発生しているのかを検知することが可能である。
【0100】
上述の考え方を踏まえ、本発明においては、質量ml,IR,mHを一定にし、建物の固有値と構面別の層毎の数値を成分とする固有モードとを用いて構面別の層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを数式27によって計算する。なお、数式27は全ての質量を1.0とした場合の式である。
【0101】
【数27】
【0102】
具体的には例えば図3に示す例では、建物1の構面A,B,C,D別の層l毎に常時微動を計測し(S0,S0’)、建物のj次の固有値λjと構面A,B,C,D別のj次の固有モードにおける層l毎の水平成分φl,j及び基礎部分の回転成分φR,jとを計算し(S1,S2,S1’,S2’)、建物の固有値λjと構面Aの層l毎の固有モード水平成分φl,j及び基礎部分の固有モード回転成分φR,jとを使って構面Aの層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを計算し、他の構面B,C,Dのそれぞれについても同様にして層l毎のj次の複素柔性要素sl,jを計算する。
【0103】
また、上述の考え方を踏まえ、本発明においては、数式24及び数式25についても建物の各構面別の層lの質量ml並びに建物の基礎部分の回転慣性質量IR及び質量mHを全て一定にすると共に建物の固有値と構面別の層毎の数値を成分とする固有モードとを用いて構面別の建物の基礎部分のj次の複素柔性要素sR,j,sH,jを計算する。
【0104】
数式24,25及び27について、建物k層の高さHk及び建物の層の数Nの値は設計図面等から見積もることができる。また、建物のj次の固有値λj、並びに、各構面についてのj次の固有モードφjにおける建物k層の水平成分φk,j,基礎部分の回転成分φR,j及び水平成分φH,jの値は第一の方法及び第二の方法(数式16,数式17など)によって計算される。したがって、数式24,25及び27を用いることによって、図3に示す振動モデルの各部位、即ち建物1の構面A,B,C,D別の基礎部分及び層l毎のj次の複素柔性要素sR,j,sH,j,sl,jの値が計算される。
【0105】
一方、数式20〜数式22より、構面別の基礎部分及び層l毎のj次の減衰の係数cl,jとモード層剛性kl,jとはそれぞれ数式28と数式29とによって計算される。なお、数式28及び数式29においては複素柔性要素として層lの複素柔性要素sl,jを用いて表記しているが、基礎部分の複素柔性要素sR,j,sH,jについても数式28及び数式29が同じように成り立つ。
【0106】
【数28】
【数29】
ここに、sl,j:構面別の層lのj次の複素柔性要素,
λj:建物のj次の固有値,
Re[ ]:複素数の実数部分のみを取り出す操作,
Im[ ]:複素数の虚数部分のみを取り出す操作 をそれぞれ表す。
【0107】
以上より、数式16によって算出される建物のj次の固有値λjの値と数式24,25及び27によって算出される構面別の建物の基礎部分或いは層lのj次の複素柔性要素sR,j,sH,j,sl,jの値とを数式29に代入することによって図5に示す振動モデルの考え方に基づく建物の部位毎のモード層剛性kl,jが計算される。
【0108】
なお、数式18と数式19とに含まれている減衰行列Cの値が小さい場合には、数式19からj次複素柔性行列Sjと剛性行列Kとの間の関係がSj=K-1となるので、数式29の代わりに数式30を用いるようにしても良い。
【0109】
【数30】
【0110】
剛性分布同定部11dは、S2,S2’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別の建物のj次の固有値λj及び各構面別の建物の基礎部分或いは層l毎のj次の固有モードφH,j,φR,j,φl,jの値をメモリ15から読み込み、健全時・評価時別にj次の構面別の建物の基礎部分及び層l毎(即ち建物の部位別)のモード層剛性kl,jの値を計算する。なお、建物k層の高さHk及び建物の層の数Nの値は、例えば建物諸元データファイルとして記憶部12に予め保存しておき、剛性分布同定部11dが当該ファイルから適宜読み込む。なお、剛性分布同定部11dは、S3,S4の処理においてメモリ15に記憶された建物の健全性が失われていると判定される固有振動数の変化が生じている固有値の次数のみについてのモード層剛性kl,jの値を計算するようにしても良い。
【0111】
そして、剛性分布同定部11dは、計算した健全時・評価時別の建物の部位毎のモード層剛性kl,jの値を固有値の次数並びに構面及び層の情報と対応付けてメモリ15に記憶させる。
【0112】
次に、制御部11の非健全部位特定部11eは、健全時の建物の部位毎のモード層剛性(即ち建物の剛性分布)の計算結果と評価時の建物の部位毎のモード層剛性の計算結果とを比較し(S6)、評価対象の建物における健全性に劣る箇所即ち損傷が発生している部位の特定を行う(S7)。
【0113】
具体的には、本発明では、S5及びS5’の処理によって得られるj次の建物の構面別の層毎の、健全時のモード層剛性と評価時のモード層剛性とを比較することによって評価対象の建物において損傷が発生している部位の特定を行う。なお、新設若しくは構造補強された建物の健全性を判定する場合には設計図面に基づいて計算されたものを健全時の建物のモード層剛性として用いる。
【0114】
ここで、建物に損傷が発生すると損傷部分のモード層剛性が低下するので、本発明ではこの現象を利用して建物において損傷が発生している部位の特定を行う。
【0115】
建物の部位毎のモード層剛性(即ち建物の剛性分布)を評価指標として用いて建物において損傷が発生している部位の特定を行う例を図6に模式的に示す。なお、図6に示す例においては、健全時として建物の竣工直後を想定すると共に評価時として被災後を想定する。また、以下の説明においては建物の基礎部分も一つの層として扱う。
【0116】
具体的には、まず、健全時におけるj次の構面別の層l毎のモード層剛性kl,jを計算すると共に被災後評価時におけるj次の構面別の層l毎のモード層剛性kl,jを計算する。そして、固有値の次数並びに構面及び層が同一である健全時と評価時とのモード層剛性kl,j同士を比較する。比較の結果、図6に示す例では、1階のモード層剛性のみが大きく低下しているので1階部分で損傷が発生し、他の部分では健全性が保たれていると判定する。すなわち、損傷が発生している箇所は当該構面の1階であると特定する。なお、損傷が発生していると判定するためのモード層剛性の値の変化の程度(即ち変化の幅)は、特定の値に限られるものではなく、作業者が適宜設定すれば良い。
【0117】
非健全部位特定部11eは、S5,S5’の処理においてメモリ15に記憶された健全時・評価時別の建物の部位毎のモード層剛性kl,jの値をメモリ15から読み込み、健全時の値と評価時の値とを固有値の次数と構面と層とが同一であるもの同士で比較し、健全時の値と比べて評価時の値が小さくなっている構面・層を特定する。なお、損傷が発生していると判定するためのモード層剛性の値の変化の幅や閾値は、例えば建物の健全性診断プログラム17の中に予め規定しておく。
【0118】
そして、非健全部位特定部11eは、建物の構面別・層毎の損傷の有無、さらに、例えばモード層剛性の減少率を表示部14に表示したり、例えば記憶部12やデータサーバ16内に当該評価時点の評価結果データファイルとして保存したりする。
【0119】
制御部11は、他の評価時の常時微動記録を用いた評価が更に必要である場合など必要に応じてS1’の処理に戻ってS7までの処理を繰り返す。そして、建物の健全性の評価を行うべき対象がなくなったときは処理を終了する(END)。
【0120】
以上のように構成された本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物の複数の構面別且つ層毎に常時微動を計測すると共に建物の剛性分布を計算する際に各層の質量を一定とするようにしているので、建物の形状に拘わらず、そして剛床仮定が成立しない建物であっても各構面別の層毎の剛性分布としてのモード層剛性を算出することができる。
【0121】
なお、上述の形態は本発明の好適な形態の一例ではあるがこれに限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲において種々変形実施可能である。
【実施例1】
【0122】
実際の建物の常時微動記録に対して本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムを適用して建物の健全性の診断を行った実施例を図7から図13を用いて説明する。
【0123】
本実施例では、地上4階地下1階の建物を対象とし、壁面に人為的に損傷を与えながら(破壊しながら)常時微動を計測した(S0,S0’)。壁面への損傷は、合計30枚の壁に対して10段階に分けて順番に与えた。また、壁面への損傷は、図7に示すように、建物の柱と梁との縁を切断することにより行った。
【0124】
本実施例では、図8に示すように、東西方向に細長い平面形状を有する建物の東部と中央部と西側との壁に損傷を与えた。図8に示す建物の各層(図中では階又はFと表記)の図において、上側に表記されている丸数字2,3,4の位置の壁を東部壁Weと呼び、丸数字7,8,10の位置の壁を中央壁Wcと呼び、丸数字15の位置の壁を西壁Wwと呼ぶ。
【0125】
図8中には、また、どのような順番でいつ何れの層のどの壁に損傷を与えたかを表している。すなわち、図8中の[STEP1]から[STEP10]までの順番に表記されている日・時間帯に各位置の壁に対して損傷を与えた。
【0126】
本実施例では、対象とした建物に、図8中上側の丸数字3,7,10,15の位置の四つの構面を設定し、常時微動の計測を当該四つの構面で行った(図中記号★の位置)。なお、以下においては、図8中上側の丸数字が例えば3の位置の構面を構面-3のように表記する。
【0127】
計測によって得られた常時微動記録を用いてスペクトル解析を行ってクロススペクトル及びパワースペクトルの算定を行うと共に(S1,S1’)、当該スペクトルの算定結果を用いて建物の振動特性の計算を行った(S2,S2’)。
【0128】
評価対象の建物の振動特性の計算を行って図9〜図11に示す結果が得られた。本実施例では、固有値と固有モードとは3次まで得られた。
【0129】
図9,図10,図11に示す経時的な固有振動数の計算結果から、損傷を与えた壁の枚数が増えるに従って固有振動数が低下する傾向があることが確認された。このことから、本発明の方式によって得られる建物の固有振動数を継続的に監視することによって(S3)、建物における損傷発生の有無を判定することが可能である(S4)ことが確認された。
【0130】
続いて、計算された建物の振動特性を用いてモード層剛性を計算し(S5,S5’)、図12,図13に示す結果が得られた。なお、図12,図13に示す結果は、1次の固有値と固有モードとから計算した。また、本実施例では、数式30に示す計算式を用いてモード層剛性を計算した。
【0131】
図12に示す結果から、構面-3のモード層剛性は、図中太矢印で示すように、1階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP1:1月29日午前)で1階の値が急激に低下し、2階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP3:1月30日午前)で2階の値が急激に低下し、3階の東部壁Weに損傷を与えたタイミング(STEP5:1月31日午前)で3階の値が急激に低下していることが確認された。
【0132】
また、図13に示す結果から、構面-7のモード層剛性は、図中太矢印で示すように、1階の中央壁Wcに損傷を与えたタイミング(STEP2:1月29日午後)で1階の値が急激に低下し、2階の中央壁Wcに損傷を与えたタイミング(STEP4:1月30日午後)で2階の値が急激に低下していることが確認された。
【0133】
図12,図13に示す結果から、本発明の方式によって得られる建物の部位毎のモード層剛性を継続的に監視することによって(S6)、建物において発生した損傷の位置(具体的には構面と層)を特定することが可能である(S7)ことが確認された。このように、本発明において新たに導入したモード層剛性は、絶対値に物理的な意味はないものの相対的な評価において非常に重要な役割を果たすものであり、損傷部位を明瞭に特定することが可能になる指標である。
【0134】
以上の結果から、本発明の常時微動計測に基づく建物の健全性診断法、診断装置及び診断プログラムによれば、建物において発生した損傷の部位を特定することが可能であることが確認された。
【符号の説明】
【0135】
10 建物の健全性診断装置
11 制御部
12 記憶部
13 入力部
14 表示部
15 メモリ
16 データサーバ
17 建物の健全性診断プログラム
【特許請求の範囲】
【請求項1】
建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、前記健全時及び評価時毎に前記計測の結果得られた前記建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、前記第一の方法による結果及び前記第二の方法による結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断法。
【請求項2】
建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた前記建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、前記第一の手段による処理の結果及び前記第二の手段による処理の結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置。
【請求項3】
建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記建物の健全性診断を行う際に、少なくとも、前記常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の処理と、該第一の処理の結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の処理と、前記第一の処理の結果及び前記第二の処理の結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の処理と、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する処理とをコンピュータに行わせることを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム。
【請求項1】
建物に複数の構面を設定すると共に該複数の構面の層毎に健全時及び評価時で常時微動を計測し、前記健全時及び評価時毎に前記計測の結果得られた前記建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の方法と、該第一の方法による結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の方法と、前記第一の方法による結果及び前記第二の方法による結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の方法とからなり、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断法。
【請求項2】
建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた前記建物の常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の手段と、該第一の手段による処理の結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の手段と、前記第一の手段による処理の結果及び前記第二の手段による処理の結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の手段と、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する手段とを有することを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断装置。
【請求項3】
建物に設定された複数の構面の層毎に健全時及び評価時での計測の結果得られた前記建物の常時微動記録を用いて前記建物の健全性診断を行う際に、少なくとも、前記常時微動記録の中の任意の一つの基準信号と残りの参照信号とのクロススペクトルをARMAモデルに移動平均項を付加したモデルを用いて求めると共にこれら基準信号及び参照信号の相関成分と無相関部分とを分離して前記建物全体の振動成分のみを抽出する第一の処理と、該第一の処理の結果に基づいて前記健全時及び評価時毎に前記建物の固有振動数及び前記複数の構面別の層毎の数値を成分とするベクトルである固有モードを計算する第二の処理と、前記第一の処理の結果及び前記第二の処理の結果に基づくと共に前記建物の各層の質量を全て一定として前記健全時及び評価時毎に前記複数の構面別の層毎にモード層剛性を計算する第三の処理と、前記健全時と評価時とにおける前記複数の構面別の層毎のモード層剛性を比較して前記建物内と前記建物の基礎部分とにおける損傷の発生の有無を判定すると共に損傷が発生している場合に当該損傷の発生部位を特定する処理とをコンピュータに行わせることを特徴とする常時微動計測に基づく建物の健全性診断プログラム。
【図1】
【図2】
【図4】
【図6】
【図9】
【図10】
【図11】
【図14】
【図15】
【図3】
【図5】
【図7】
【図8】
【図12】
【図13】
【図2】
【図4】
【図6】
【図9】
【図10】
【図11】
【図14】
【図15】
【図3】
【図5】
【図7】
【図8】
【図12】
【図13】
【公開番号】特開2010−261754(P2010−261754A)
【公開日】平成22年11月18日(2010.11.18)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−111338(P2009−111338)
【出願日】平成21年4月30日(2009.4.30)
【出願人】(000173809)財団法人電力中央研究所 (1,040)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成22年11月18日(2010.11.18)
【国際特許分類】
【出願日】平成21年4月30日(2009.4.30)
【出願人】(000173809)財団法人電力中央研究所 (1,040)
【Fターム(参考)】
[ Back to top ]