説明

干支表および年干支の計算方法

【課題】十干および十二支の区分を明確にできる記号を採用することにより、本来の六十干支ができあがる陰陽五行説の意味を明確にすることができ、易学を万国共通化でき、東洋以外の国々でも共通して使用できるようにした干支表と、昭和を基本(中心)とした年干支の計算方法を提供する。
を提供する。
【解決手段】本発明に係る干支表は、十干の「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字に、「A,a,B,b,C,c,D,d,E,e」の10個のアルファベットをそれぞれ対応させ、十二支の「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字に、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12」の12個の数字をそれぞれ対応させる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、十干および十二支の組み合わせによる、六十干支の干支配列を備えた干支表および年干支の計算方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
易学は、東洋の文明文化の基であり、数千年の歴史と共に研究開発が行われ続け、現在にも受け継がれている。その易学の根本となるのは、十干および十二支であり、それらが組み合わされてできる六十干支である。
【0003】
東洋では、特に、中国・韓国・日本の「時」を表す歴は、十干および十二支による六十干支であり、それらは全て漢字の記号である。最も代表的なものは万年歴であり、その殆どが漢字の記号が用いられている。また、西洋式のカレンダーにおいても日付のみのもの以外に、六十干支が記載されたものもある。
【0004】
先ず、十干および十二支を組み合わせてできる六十干支について説明すると、易学は陰陽五行説を物事全ての基本として十干および十二支が考え出されている。十干の10個の文字、そして十二支の12個の文字は、それぞれに深い意味があるのは勿論であるが、それらの文字の意味だけが十干および十二支の使用目的ではなく、十進法・十二進法の統計に用いられていたものでもある。
【0005】
六十干支は、全て漢字で表されている。すなわち、「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の十干と、「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の十二支と、をこの順に組み合わせてなり、年に対応した甲子、乙丑、寅丙、・・・、癸亥の順の配列で表示される。
【0006】
十干は陰陽の陽(+)とし、五行説の五行が陰陽に分かれて10個の型が形成された「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字である。これらは、物を10に分割する十進法の統計に用いられるものでもある。
【0007】
十二支は陰陽の陰(−)とされ、十二進法の統計に用いられる「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字である。そして、これら十干および十二支が組み合わされていくことで、60個の組み合わせができ、それを六十干支と称するものである。
【0008】
それらは、物を数えることや区分する為の使用目的が多く、それと同時に「時」の記号として使用され続け、年・月・日・時の全ての暦として用いられ続けている。
【0009】
従来において、このような干支表としては、例えば、特許文献1に開示されているように、六十干支の干支表示を一列に配置した干支配列を備え、干支配列は、干支表示を支毎に纏めた十二の支区分を有することにより、六十干支と月との対応をより容易に把握することができる干支表なるものが存在する。
【0010】
また、特許文献2に開示されているように、六十干支を十干の最初の[甲]と、十二支の最初の[子]の組合せである[甲子]を番号1として、最後の組合せである[癸亥]を番号60とする、番号付きの『六十干支表』を設けたものが存在する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【特許文献1】特開2002−182761号公報
【特許文献2】特開2007−241689号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
しかしながら、従来における、例えば、特許文献1に示されるような干支表である場合のように、易学に使われる記号は全て漢字であるため、その漢字を理解できる国だけに易学の使用が限定されてしまう。
【0013】
また、漢字を使う日本であっても特殊な易学用語の十干および十二支を読み書きできる人は非常に少なくなっていて、一定の年齢の人や専門知識のある人にしか読み書きできなくなっているのが実状である。
【0014】
日本の国で古来から長く使われてきた漢字であってもそのような状況であるのだから、もし漢字を知らない他の国の人々が学ぼうとしても大変難しいことである。また、この何千年もの歴史のある学問を、今後研究開発してゆくことも不可能になってくる虞がある。すなわち、単に、60個の六十進法だけで、何百年の東洋の歴の統計学を容易に完成させることができないのである。
【0015】
また、特許文献2に示すように、単純に1から60の番号を六十干支に配当する技術でさえも、六十干支をただ単に数える為だけのものとしてしか使えないのである。
【0016】
つまり、最も簡潔のようであっても、六十干支の根本となる十干および十二支の意味が全く含まれなくなってしまう。このように、安易な番号を配当するのではなく、十干および十二支の区分を明確にできる記号でなくては、本来の六十干支ができあがる陰陽五行説が、何の意味も無くなってしまう。
【0017】
さらに、現在の人口の殆どが昭和生まれの人が大半を占めており、日本国で日本人を対象とする環境であるため、どうしても日本の年号が必要となる。万国共通である西暦をそのまま使うことも可能であるが、上述した理由から、昭和を基本(中心)とした年干支の計算方法を使わなければならない。
【0018】
そこで、本発明は如上のような従来存した諸事情に鑑み創出されたもので、十干および十二支の区分を明確にできる記号を採用することにより、本来の六十干支ができあがる陰陽五行説の意味を明確にして、易学を万国共通化させ、東洋以外の国々でも共通して使用できるようにした、干支表を提供すること、および、昭和を基本(中心)とした年干支の計算方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0019】
本発明に係る干支表は、十進法の統計に用いられる十干は陰陽の陽(+)とし、五行説の五行が陰陽に分かれて10個の型が形成された「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字で表し、十二進法の統計に用いられる十二支は陰陽の陰(−)とされる「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字であり、これら十干および十二支が組み合わされていくことで60個の組み合わせの六十干支とした干支表において、
十干の「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字に、「A,a,B,b,C,c,D,d,E,e」の10個のアルファベットをそれぞれ対応させ、
十二支の「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字に、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12」の12個の数字をそれぞれ対応させることにより、上述した課題を解決した。
【0020】
また、本発明に係る年干支の計算方法は、西暦の下2桁から25を引いて西暦を昭和に変換する(平成になってからの場合は、さらに、下2桁から63を引くと西暦が平成に変換される)方法と、陽となる十干の始まりとなる甲は9の年、0のつく年は甲の次の乙、その翌年の1のつく年は次の丙となることを基にして、昭和を基本(中心)とした年数からその年々の年号を計算する方法と、昭和元年は寅年から始まることを基本として、十二の倍数を年数から引くことで、陰となる十二支を求める方法と、から成ることにより、同じく上述した課題を解決した。
【0021】
さらに、西暦の年数から1863を引く第1工程と、この引数を4で割る第2工程と、この割数に21を掛ける第3工程と、この掛数から60の倍数を引いていく第4工程と、引いて残った数字からマイナス4またはプラス56の演算を行う第5工程と、出た答えの下1桁の数字は十干の順番であり、12の倍数を取り除いた残りが十二支の順番となるものとした第6工程と、から成ることにより、同じく上述した課題を解決した。
【発明の効果】
【0022】
本発明に係る干支表は、十進法の統計に用いられる十干は陰陽の陽(+)とし、五行説の五行が陰陽に分かれて10個の型が形成された「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字で表し、十二進法の統計に用いられる十二支は陰陽の陰(−)とされる「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字であり、これら十干および十二支が組み合わされていくことで60個の組み合わせの六十干支とした干支表において、
十干の「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字に、「A,a,B,b,C,c,D,d,E,e」の10個のアルファベットをそれぞれ対応させ、
十二支の「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字に、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12」の12個の数字をそれぞれ対応させることから、十干および十二支の区分を明確にできる記号を採用している。
【0023】
その為、本来の六十干支ができあがる陰陽五行説の意味を明確にして、易学を万国共通化させ、東洋以外の国々でも共通して使用できるようにした干支表を提供することができる。
【0024】
また、本発明に係る年干支の計算方法は、西暦の下2桁から25を引いて西暦を昭和に変換する(平成になってからの場合は、さらに、下2桁から63を引くと西暦が平成に変換される)方法と、陽となる十干の始まりとなる甲は9の年、0のつく年は甲の次の乙、その翌年の1のつく年は次の丙となることを基にして、昭和を基本(中心)とした年数からその年々の年号を計算する方法と、昭和元年は寅年から始まることを基本として、十二の倍数を年数から引くことで、陰となる十二支を求める方法と、から成ることから、昭和を基本(中心)とした年干支の計算方法を容易に提供することができる。
【0025】
さらに、本発明に係る年干支の計算方法は、西暦の年数から1863を引く第1工程と、この引数を4で割る第2工程と、この割数に21を掛ける第3工程と、この掛数から60の倍数を引いていく第4工程と、引いて残った数字からマイナス4またはプラス56の演算を行う第5工程と、出た答えの下1桁の数字は十干の順番であり、12の倍数を取り除いた残りが十二支の順番となるものとした第6工程とから成るので、最も説明が困難な日の年干支による計算方法(特に、その年のスタートの日の計算)を容易に確立することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】漢字を使用した六十干支表を示す説明図である。
【図2】記号を使用した六十干支表の説明図である。
【図3】平成20年の干支時計萬年暦の一例を表で示す説明図である。
【図4】各年の毎月の干支の計算方法を説明するための干支表である。
【図5】各年の毎月の干支の計算方法を説明するための年干による月の干支表である。
【図6】各年の毎月の干支の計算方法を説明するための日干による時間の干支表である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下に、本発明を実施するための形態を、図面を参照して説明する。
【0028】
陰陽の陽(+)である十干は十進法、陰(−)である十二支は十二進法であることが、易学の、または、東洋の統計学の基本である。
【0029】
この統計学理論は素晴らしいものであり、その考えを覆すことはどんな理屈をもってしても不可能である。そのことを充分に理解した上で、新しい万国共通の記号を作るとしても、やはり元々のこの根本的理論を用いなくてはならない。
【0030】
そして、陽(+)の十干と、陰(−)の十二支の文字・記号が明確に区別できるもので、そのどちらもが万国共通の文字である必要がある。
【0031】
そこで、本実施の形態では、アジア諸国や西洋諸国においても、また、南米であっても、何人でも読める万国共通の記号とした、最もオーソドックスなアルファベットと数字を、陽(+)の十干と、陰(−)の十二支の漢字に代わる文字・記号として用いる。
【0032】
すなわち、図1に示すように、従来使用されている六十干支表に記載された十干の「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字に、「A,a,B,b,C,c,D,d,E,e」の10個の大文字と小文字によるアルファベットをそれぞれ対応させる。例えば、「甲」は[A]であり、「乙」は「a」に対応する等々である。
【0033】
また、十二支の「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字に、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12」の12個の数字をそれぞれ対応させる。例えば、「子」は[1]であり、「丑」は「2」に対応する等々である。
【0034】
このように、十干にアルファベットの大文字と小文字、十二支に数字を用いて、六十干支の代わりとなるように、60個の組み合わせを作る。これにより、図2に示すように、万国共通化させ、東洋以外の国々でも共通して使用することができる六十干支表が作成される。
【0035】
このような配当の仕方とは逆に、十干に数字、十二支にアルファベットの大文字と小文字を配当させることも考えられるが、それでは、特に十二支の過去からの使われ方に逆らってしまう。
【0036】
これに対し、上記したような時の記号としての使われ方が、十干は陽の天干として年を10年ずつ区切り、そして十二支は陰の地干という役割で1年を12等分する1月から12月までを表す文字として使われる方が、陰陽五行説の形を或る程度維持できるのである。
【0037】
既に、十干も十二支もそれぞれの漢字による文字の深い意味は忘れられつつあり、その文字の意味を研究したり学習したりする為には、本来の文字のままでないと不可能である。しかし、そこまでの深い意義までたどりつかなくても、陰陽五行説の根本である、十干・十二支の統計法は同じ成り立ちで構成した記号で同一の働きをすることが可能である。
【0038】
次に、以上のように構成された実施の形態について、記号を採用した場合の干支表(干支時計萬年暦P)の一例について説明する。
【0039】
干支時計萬年暦Pは、冊子となっており、大正元年から各年度毎に表されている。紙枚の都合上、平成20年の干支時計萬年暦についてだけ説明するが、その他の各年度においても、記号の配当による使われ方は全て同じである。
【0040】
すなわち、図3に示すように、表外の上段には、年号に対応する六十干支である「戌子」を記号化した「C1」を印してある。また、表の上から2段目の横列に、右から左へ各「月」を表している。四柱推命では一年の始まりは、2月の「節入り」の日(立春)からであって、立春より前は前年度となる(図3の「月」の行の最後に1月が表されている)。
【0041】
尚、四柱推命では、月の始まりの日も一日からではなく、夫々の月の「節入り」の日から始まる。例えば、3月の始まりの日は「節入り」の日(5日頃(閏年があるのでずれが生じる))の「啓蟄」であり、「節入り」の日の前は、前の月となる。
【0042】
干支時計萬年暦Pの上から3段目の横行には、上段の各「月」に対する六十干支が示されている。最右縦列の1乃至31の数字は、「日」を表している。各「月」の縦列と、各「日」の横列の交わる位置に、当該日に対する六十干支を示している。例えば、2月の上段には、2月に対する六十干支である「甲寅」の「A3」なる記号が印され、2月の縦列と、1日の横列の交わる位置に、当該日に対する六十干支である「辛未」の「d8」なる記号が印されている。
【0043】
こうして、記号を使った干支時計萬年暦Pが、万国共通のものとして各国で採用されることで、今後、東洋以外の人々が易学を学ぶことが可能となる。
【0044】
次に、年干支を求める計算方法について詳細に説明する。
【0045】
先ず、西暦を昭和に変換することから始める。すなわち、西暦の下2桁から25を引くと、残りの数が昭和の年数となる。例えば、1980年の場合、下2桁の80から25を引くと55、つまり昭和55年という答えになる。平成になってからの場合は、同じように下2桁から25を引き、さらに63を引く(すなわち、合計88を引く)。この63を引く理由は、昭和は64年目で平成に代わり、その為、63年間分を引くことで平成の年号を知ることができるのである。例えば、1998年は下2桁から25を引くと73となり、そこから、さらに63を引くと10、すなわち平成10年という答えになる。
【0046】
次に、昭和を基本(中心)とした年数から、その年々の年号を計算する。陽となる十干は十進法である。その始まりとなる甲は9の年に必ず配当され、0のつく年は当然、甲の次の乙、そして、その翌年、1のつく年は、そのまた次の丙となる。このことから十干は十進法であり、十年ごとに同じことが繰り返されて行き、昭和の1のつく年は丙と覚えておくと計算が容易になる。先の例に挙げた1980年の場合、昭和の年数を求める計算をすると、昭和55年となる。丙から数えて5番目、つまり、庚の年である。平成の場合も、先の例の1998年は下2桁から25を引いて73であるが、丙から数えて3番目の戊であると計算が可能となる。
【0047】
次に、陰となる十二支の求め方について、昭和の計算方法に合わせて説明する。昭和元年は寅年から始まっており、それを基本として計算を行う。先の例の昭和55年の場合、十二進法の計算として十二の倍数を年数から引く。55は48を引くことができ、残りは7となる。この7を寅から数えていくと、「寅、卯、辰、巳、午、未、申、…」というように7番目は申であると計算することができる。先の十干の答えと合わせて、1980年は昭和55年であり、そして、庚申であると判明する。
【0048】
次に、昭和とは関係のない、万国共通の場合の計算方法について説明する。
【0049】
先ず、西暦の十干十二支の見つけ方について説明する。西暦から1863を引き、残った数の下1桁から甲を1番目としてカウントする。これが十干の記号である。十二支の見つけ方は、同じく1863を引いた残りの数から12の倍数を引いていく。その残りの十二支の一番初めの子からカウントする。例えば、1955年は1863を引くと残りは92、下1桁の2は甲から数えて2番目の乙となる。次に、同じく残りの92から12の倍数を引くとすると、84を引くことができ、残りは8である。子から数えて8番目、つまり、未となり、1955年は乙未であると計算される。
【0050】
このような計算方法の具体的な説明として、西暦から1863の数を引く理由は、明治は1868年の戊辰から始まるからである。すなわち、辰は十二支の5番目にあたり、その5を1868から引くことによって、カウントが子から数えられるように考え出された方法である。たまたま、運良くその5つ手前の年が、十干十二支がすべて最初の甲子の年にあたり、子から数えることが可能となると同時に、十干の一番最初の記号である甲からカウントすることが可能となる。
【0051】
次に、各年の毎月の干支の計算方法について説明する。先ず、十干の特殊な性質について理解する必要がある。十進法の始まりとなる甲は、6番目の己と合体して「甲己」となるような特徴がある。また、2番目の乙は7番目の庚と合体して「乙庚」となる特徴がある。同じように、3番目の丙は、8番目の辛と合体して「丙辛」となる特徴がある。さらに、4番目の丁は、9番目の壬と合体して「丁壬」となる特徴がある。そして、5番目の戊は、10番目の癸と合体して「戊癸」となる特徴がある。これは、十干の工程が5つ並ぶと、残り後半はその5つの並びに添えられていくものと考えても良い。単純に説明するとそのような表現となるが、専門的には、易学の全ての根本理論が陰陽五行説から作り上げられている基本原理を表す最も代表的なものである。
【0052】
上記したように、十干の10個の記号は5つのグループに分かれる。そして、それぞれのグループ、つまり、甲と己はその中に含まれる記号の動きが同質のものとなり、それは他の4組の組み合わせも同じである。先ず、1のグループである甲と己は、必ずその十二支のスタートは甲から十二支の子と共に発進していく。当然、甲から始まると12番目の亥は乙である。2番目のグループとなる乙と庚は、陰の十二支の動きは丙から発進される。終わりの12番目は、丁である。3番目のグループの「丙辛」は、戊から始まり己で終わる。4番目のグループの「丁壬」は、庚から始まり、辛で終わる。そして、5番目のグループとなる「戊癸」は、壬から発進され、癸で終わる。図4には、これが明瞭に判るように図表として示してある。
【0053】
図4に示すように、ここで5つのグループのそれぞれの始まりの十干を見ると、1番目は甲、2番目は丙、3番目は戊、4番目は庚、5番目は壬である。つまり、陰陽五行説の五行、「木火土金水」の陽の十干がそれぞれ一番初めに順番に配当されている。この配当通り順に月の十干が決められており、これらの理論を熟知しておけば、各年の毎月の十干は直ぐに判明する。但し、子は12月と考える。各グループの一番スタートとなる一番目、つまり子でありながら、しかし、その年の12月ではなく、前年の12月と考えなくてはいけない。なぜ、前年の12月が翌年に配当されるのかの説明については、単純に考えると、昔の12月は1月であったと考える。子が始まりのカウントでありながら、その年の始まりとしないというその間違えさえなければ、甲と己のつく年の1月は「乙丑」であり、翌年の2月は「丙寅」であると計算が明解に行える。例えば、4列目の「丁壬」の年の1月は、4列目なので「木火土金」の4番目の金から始まり、それは庚からスタートするのであるが、先の説明により1月の丑月は辛と考える。
【0054】
ここで、もう一度、各年各月の計算例を、図5で示した年干による月の干支表に基づいて試しておく。西暦1956年の場合、先ず、下2桁から25を引くと31となり、昭和31年であることが判る。1につく年は丙であると説明したように、やはり、この年は丙の年となる。
【0055】
次に、十二支を求める場合には、31から12の倍数を引く。この場合は24を引くことが可能で、残りが7となる。これにより、寅から数えて7番目の申年であることが判明する。先の計算で得た丙と合わせて1956年は、「丙申」である。この年の各月の干支については、丙の年は3番目のグループとなり、つまり、「木火土金水」の3番目、土から発進される年となる。その1月は己丑となり、2月は「庚寅」、3月は「辛卯」、と順に配当されている。
【0056】
図6には、図5で示す月の干支表の時刻表(日干による時間の干支表)が示されている。このとき、十干の法則は、全ての時の記号に適用される。
【0057】
次に、最も説明が困難な日の計算方法について説明する。この方法は、暗に日の計算と言うよりは、各年の1月1日、つまり、その年のスタートの日を計算する方法である。すなわち、第1工程では、西暦の年数から1863を引く。第2工程では、この引数を4で割る。第3工程では、この割数に21を掛ける。第4工程では、この掛数から60の倍数を引いていく。第5工程では、引いて残った数字からマイナス4またはプラス56を演算する。第6工程では、出た答えの下1桁の数字は十干の順番であり、12の倍数を取り除くことで、残りが十二支の順番となる。
【0058】
例えば、1955年の場合では、第1工程:1955−1863=92、第2工程:92÷4=23、第3工程:23×21=483、第4工程:483−480=3、第5工程:3+56=59となり、ここで、この下1桁の9は、十干の9番目を指し、すなわち壬となる。さらに、第6工程:59−48=11から、これは、子から数えて11番目を指し、すなわち、戌となる。第5工程と第6工程とで得られた答えにより、1955年1月1日の干支記号は、「壬戌」であると計算される。
【産業上の利用可能性】
【0059】
本発明に係る干支表は、六十干支未来予知カードや年数早見盤、あるいはカレンダー置物等の様々な干支表として、幅広く応用することができる。
【符号の説明】
【0060】
P…干支時計萬年暦

【特許請求の範囲】
【請求項1】
十進法の統計に用いられる十干は陰陽の陽(+)とし、五行説の五行が陰陽に分かれて10個の型が形成された「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字で表し、十二進法の統計に用いられる十二支は陰陽の陰(−)とされる「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字であり、これら十干および十二支が組み合わされていくことで60個の組み合わせの六十干支とした干支表において、
十干の「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬および癸」の10個の文字に、「A,a,B,b,C,c,D,d,E,e」の10個のアルファベットをそれぞれ対応させ、
十二支の「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌および亥」の12個の文字に、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12」の12個の数字をそれぞれ対応させることを特徴とした干支表。
【請求項2】
西暦の下2桁から25を引いて西暦を昭和に変換する(平成になってからの場合は、さらに、下2桁から63を引くと西暦が平成に変換される)方法と、陽となる十干の始まりとなる甲は9の年、0のつく年は甲の次の乙、その翌年の1のつく年は次の丙となることを基にして、昭和を基本(中心)とした年数からその年々の年号を計算する方法と、昭和元年は寅年から始まることを基本として、十二の倍数を年数から引くことで、陰となる十二支を求める方法と、から成ることを特徴とした年干支の計算方法。
【請求項3】
西暦の年数から1863を引く第1工程と、この引数を4で割る第2工程と、この割数に21を掛ける第3工程と、この掛数から60の倍数を引いていく第4工程と、引いて残った数字からマイナス4またはプラス56の演算を行う第5工程と、出た答えの下1桁の数字は十干の順番であり、12の倍数を取り除いた残りが十二支の順番となるものとした第6工程と、から成ることを特徴とした年干支の計算方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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