説明

悪臭抑制剤の探索方法

【課題】嗅覚受容体の活動を指標として悪臭抑制剤を探索する方法の提供。
【解決手段】以下の工程を含む悪臭抑制剤の探索方法:OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択される嗅覚受容体のいずれか1種に試験物質及び悪臭の原因物質を添加する工程;当該悪臭の原因物質に対する当該嗅覚受容体の活動を測定する工程;測定された活動に基づいて当該嗅覚受容体の活動を抑制する試験物質を同定する工程;当該同定された試験物質を、悪臭抑制剤として選択する工程。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、悪臭抑制剤を探索する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
我々の生活環境には、極性や分子量が異なる多数の悪臭分子が存在する。多様な悪臭分子を消臭するために、これまで様々な消臭方法が開発されてきた。一般的に消臭方法は、生物的方法、化学的方法、物理的方法、感覚的方法に大別される。悪臭分子の中で、極性の高い短鎖脂肪酸やアミン類については、化学的方法、すなわち中和反応による消臭が可能である。またチオールなどの硫黄化合物に関しては、物理的方法、すなわち吸着処理による消臭が可能である。しかし、中鎖・長鎖脂肪酸やスカトールなど、従来の消臭法では対応できない悪臭分子が数多く残されている。
【0003】
ヒト等の哺乳動物においては、匂いは、鼻腔上部の嗅上皮に存在する嗅神経細胞上の嗅覚受容体に匂い分子が結合し、それに対する受容体の応答が中枢神経系へと伝達されることにより認識されている。ヒトの場合、嗅覚受容体は387個存在することが報告されており、これらをコードする遺伝子はヒトの全遺伝子の約3%にあたる。
一般的に、嗅覚受容体と匂い分子は複数対複数の組み合わせで対応付けられている。すなわち、個々の嗅覚受容体は構造の類似した複数の匂い分子を異なる親和性で受容し、一方で、個々の匂い分子は複数の嗅覚受容体によって受容される。さらに、ある嗅覚受容体を活性化する匂い分子が、別の嗅覚受容体の活性化を阻害するアンタゴニストとして働くことも報告されている。これら複数の嗅覚受容体の応答の組み合わせが、個々の匂いの認識をもたらしている。
【0004】
従って、同じ匂い分子が存在する場合でも、同時に他の匂い分子が存在すると、当該他の匂い分子によって受容体応答が阻害され、最終的に認識される匂いが全く異なることがある。このような仕組みを嗅覚受容体のアンタゴニズムと呼ぶ。この受容体アンタゴニズムによる匂いの変調は、香水や芳香剤等の別の匂いを付加することによる消臭方法と異なり、悪臭の認識を特異的に失くしてしまうことができる。また芳香剤の匂いによる不快感が生じることもない。
【0005】
体臭の代表的な原因物質であるノナン酸やヘキサン酸、イソ吉草酸等については、従来、その匂いは、防臭又は消臭剤の使用や香料や芳香剤の使用(特許文献1〜2及び非特許文献1)などの手段により防臭・消臭されていた。しかし、これらの手段は、そもそもの匂い物質の発生を減少させるか又は別の匂いをより強く認識させる方法であって、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくマスキングによる消臭とは異なる。また従来の方法では、消臭剤を使用する場合は、匂い物質減少までに時間を要するため即効性に欠ける。芳香剤を使用する場合、芳香剤自体の匂いに対する不快感が生じることがある。あるいは従来の方法では、目的とする悪臭以外の匂いも消されてしまう場合がある。嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくマスキングによる消臭であれば、上記の点を解消できる可能性がある。
【0006】
嗅覚受容体アンタゴニズムのためには、個々の悪臭分子に対して有効な嗅覚受容体アンタゴニスト作用を示す物質を探索、同定しなければならないが、そのような探索は容易ではない。従来、匂いの評価は、専門家による官能試験によって行われてきた。しかし、官能試験には、匂いを評価できる専門家の育成が必要なことや、スループット性が低いなどの問題がある。
【0007】
嗅覚受容体アンタゴニズムによる匂い制御のためには、匂いと嗅覚受容体とを関連付けることは重要であろう。ノナン酸やヘキサン酸を受容する嗅覚受容体に関しては、これまでに、OR2W1がヘキサン酸およびノナン酸に対して応答すること、OR51E1がノナン酸に対して応答すること、及びOR51L1がヘキサン酸に応答することが報告されている(非特許文献2)。またOR51E1がイソ吉草酸に対して応答するという報告もある(非特許文献3)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2003-190264号公報
【特許文献2】特開2003-113392号公報
【非特許文献】
【0009】
【非特許文献1】嗅覚とにおい物質 川崎通昭、堀内哲嗣郎(におい・香り環境協会)
【非特許文献2】Saito H., Chi Q., Zhuang H., Matsunami H., Mainland J.D. Sci Signal., 2009, 2:ra9
【非特許文献3】Philippeau et al., ACHEMS 2009 Annual Meeting Abstract, 31st Annual Meeting of The Association for Chemoreception Sciences, #P121
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、嗅覚受容体の活動を指標として悪臭抑制剤を探索する方法を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、ノナン酸、ヘキサン酸、イソ吉草酸臭等の悪臭原因物質に応答する嗅覚受容体を新たに同定することに成功した。さらに本発明者は、当該嗅覚受容体の活動を抑制する物質を、嗅覚受容体アンタゴニズムによるマスキングにより悪臭を抑制する悪臭抑制剤として用いることができることを見出し、本発明を完成した。
【0012】
すなわち、本発明は、以下を提供する。
(1)以下の工程を含む悪臭抑制剤の探索方法:
OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択される嗅覚受容体のいずれか1種に試験物質及び悪臭の原因物質を添加する工程;
当該悪臭の原因物質に対する当該嗅覚受容体の活動を測定する工程;
測定された活動に基づいて当該嗅覚受容体の活動を抑制する試験物質を同定する工程;
当該同定された試験物質を、悪臭抑制剤として選択する工程。
(2)前記悪臭がヘキサン酸の匂いである(1)記載の方法。
(3)前記悪臭がノナン酸の匂いである(1)記載の方法。
(4)前記悪臭がイソ吉草酸の匂いである(1)記載の方法。
(5)前記嗅覚受容体がOR10A6、OR51E1及びOR51I2から選択される(2)記載の方法。
(6)前記嗅覚受容体がOR10A6である(3)記載の方法。
(7)前記嗅覚受容体がOR51I2である(4)記載の方法。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、従来の消臭剤や芳香剤を用いる消臭方法において生じていた即効性の低さや芳香剤の匂いに基づく不快感等の問題を生じることがなく、悪臭を特異的に消臭することができる悪臭抑制剤を、効率よく探索することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】嗅覚受容体のヘキサン酸及びノナン酸に対する応答。横軸は個々の嗅覚受容体、縦軸は応答強度を示す。
【図2】種々の濃度のイソ吉草酸に対する嗅覚受容体の応答。
【図3】受容体のヘキサン酸応答における試験物質の濃度依存的阻害を示す。
【図4】ブルゲオナール及びフロルヒドラールによるヘキサン酸臭抑制能の官能評価。
【図5】試験物質によるノナン酸臭抑制能の官能評価。
【図6】試験物質によるイソ吉草酸臭抑制能の官能評価。
【図7】試験物質によるクレゾール臭抑制能の官能評価。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本明細書において、匂いに関する用語「マスキング」とは、目的の匂いを認識させなくするか又は認識を弱めるための手段全般を指す。「マスキング」は、化学的手段、物理的手段、生物的手段、及び感覚的手段を含み得る。例えば、マスキングとしては、目的の匂いの原因となる匂い分子を環境から除去するための任意の手段(例えば、匂い分子の吸着及び化学的分解)、目的の匂いが環境に放出されないようにするための手段(例えば、封じ込め)、香料や芳香剤などの別の匂いを添加して目的の匂いを認識しにくくする方法、等が挙げられる。
【0016】
本明細書における「嗅覚受容体アンタゴニズムによるマスキング」とは、上述の広義の「マスキング」の一形態であって、目的の匂いの匂い分子と他の匂い分子をともに適用することにより、当該他の匂い分子によって目的の匂い分子に対する受容体応答を阻害し結果的に個体に認識される匂いを変化させる手段である。嗅覚受容体アンタゴニズムによるマスキングは、同様に他の匂い分子を用いる手段であっても、芳香剤等の、目的の匂いを別の強い匂いによって打ち消す手段とは区別される。嗅覚受容体アンタゴニズムによるマスキングの一例は、アンタゴニスト(拮抗剤)等の嗅覚受容体の活動を阻害する物質を使用するケースである。特定の匂いをもたらす匂い分子の受容体にその活動を阻害する物質を適用すれば、当該受容体の当該匂い分子に対する応答活動が抑制されるため、最終的に個体に知覚される匂いを変化させることができる。
【0017】
従って本発明は、悪臭抑制剤の探索方法を提供する。当該方法は、OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択される嗅覚受容体のいずれか1種に試験物質及び悪臭の原因物質を添加する工程;当該嗅覚受容体の活動を測定する工程;測定された活動に基づいて当該嗅覚受容体の活動を抑制する試験物質を同定する工程;及び、当該同定された試験物質を、悪臭抑制剤として選択する工程を含む。
【0018】
本発明の方法においては、悪臭に応答する嗅覚受容体に、試験物質及び当該悪臭の原因物質が添加される。本発明の方法で使用される嗅覚受容体としては、OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択される嗅覚受容体のいずれか1が挙げられる。
OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1は、ヒト嗅細胞で発現している嗅覚受容体であり、それぞれ、GenBankに GI:169234788、52218835、205277377、284172435、及び52317143として登録されている。
OR10A6は、配列番号1で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号2で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。
OR2W1は、配列番号3で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号4で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。
OR51E1は、配列番号5で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号6で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。
OR51I2は、配列番号7で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号8で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。
OR51L1は、配列番号9で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号10で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。
また、本発明の方法に使用される嗅覚受容体としては、上記OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2又はOR51L1のアミノ酸配列に対して、80%以上、好ましくは85%以上、より好ましくは90%以上、更に好ましくは95%以上、なお好ましくは98%以上の配列同一性を有するアミノ酸配列からなり、ノナン酸、ヘキサン酸又はイソ吉草酸等の悪臭に対する応答性を有するポリペプチドが挙げられる。本発明の方法では、当該嗅覚受容体のうちのいずれかを単独で使用してもよく、又は複数を組み合わせて使用してもよい。
【0019】
上記嗅覚受容体は、図1及び2に示すとおり、ノナン酸、ヘキサン酸又はイソ吉草酸に対して応答を示すので、これらの受容体の応答活動を抑制する物質は、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくマスキングにより中枢におけるノナン酸臭、ヘキサン酸臭又はイソ吉草酸臭の認識に変化を生じさせ、結果としてノナン酸、ヘキサン酸又はイソ吉草酸による悪臭を抑制することができる。従って、本発明で使用される悪臭の原因物質としては、ノナン酸、ヘキサン酸又はイソ吉草酸が好ましく、また本発明の方法で探索された悪臭抑制剤によって抑制される悪臭としては、ヘキサン酸臭、ノナン酸臭及びイソ吉草酸臭が挙げられる。ヘキサン酸臭、ノナン酸臭及びイソ吉草酸臭は、例えば汗や皮脂を原因とする体臭の匂い(もしくは脂肪酸臭)等として一般的に知られている。
【0020】
従って、本発明の方法においてヘキサン酸臭の抑制剤を探索する場合には、使用される嗅覚受容体は、OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択され、好ましくは、OR10A6、OR51E1及びOR51I2から選択され、使用される悪臭の原因物質はヘキサン酸である。また、本発明の方法においてノナン酸臭の抑制剤を探索する場合には、使用される嗅覚受容体は、OR2W1、OR10A6及びOR51E1から選択され、好ましくはOR10A6であり、使用される悪臭の原因物質はノナン酸である。また、本発明の方法においてイソ吉草酸臭の抑制剤を探索する場合には、使用される嗅覚受容体は、OR51I2及びOR51E1から選択され、好ましくはOR51I2であり、使用される悪臭の原因物質はイソ吉草酸である。
【0021】
あるいは、ヘキサン酸臭及びノナン酸臭の両方に応答する嗅覚受容体を用いることによって、当該臭いの両方を抑制する悪臭抑制剤を探索することができる。この場合、使用される嗅覚受容体はOR2W1、OR10A6、及びOR51E1から選択され、好ましくは、OR10A6である。またあるいは、ヘキサン酸臭及びイソ吉草酸臭の両方に応答する嗅覚受容体を用いることによって、当該臭いの両方を抑制する悪臭抑制剤を探索することができる。この場合、使用される嗅覚受容体はOR51I2及びOR51E1から選択され、好ましくは、OR51I2である。またあるいは、ノナン酸臭及びイソ吉草酸臭の両方に応答する嗅覚受容体を用いることによって、当該臭いの両方を抑制する悪臭抑制剤を探索することができる。この場合、使用される嗅覚受容体は、好ましくはOR51E1である。またあるいは、ヘキサン酸臭、ノナン酸臭及びイソ吉草酸臭のいずれにも応答する嗅覚受容体を用いることによって、当該3種類の臭いを抑制する悪臭抑制剤を探索することができる。この場合、使用される嗅覚受容体は、好ましくはOR51E1である。
【0022】
本発明の方法に使用される試験物質は、悪臭抑制剤として使用することを所望する物質であれば、特に制限されない。試験物質は、天然に存在する物質であっても、化学的又は生物学的方法等で人工的に合成した物質であってもよく、また化合物であっても、組成物若しくは混合物であってもよい。
【0023】
本発明の方法において、嗅覚受容体は、受容体の機能を失わない限り、任意の形態で使用され得る。例えば、嗅覚受容体は、生体から単離された嗅覚受容器若しくは嗅細胞等の天然に嗅覚受容体を発現する組織や細胞、又はそれらの培養物;当該嗅覚受容体を担持した嗅細胞の膜;当該嗅覚受容体を発現するように遺伝的に操作された組換え細胞又はその培養物;当該組換え細胞の膜;及び、当該嗅覚受容体を有する人工脂質二重膜、等の形態で使用され得る。これらの形態は全て、本発明で使用される嗅覚受容体の範囲に含まれる。
【0024】
好ましい態様においては、嗅細胞等の天然に嗅覚受容体を発現する細胞、又は嗅覚受容体を発現するように遺伝的に操作された組換え細胞、あるいはそれらの培養物が使用される。当該組換え細胞は、嗅覚受容体をコードする遺伝子を組み込んだベクターを用いて細胞を形質転換することで作製することができる。このとき、好適には、嗅覚受容体の細胞膜発現を促進するために、RTP1Sを受容体と共に遺伝子導入する。
上記組換え細胞の作製に使用できるRTP1Sとしては、例えば、ヒトRTP1Sが挙げられる。ヒトRTP1Sは、GenBankにGI:50234917として登録されている。ヒトRTP1Sは、配列番号11で示される遺伝子配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号12で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である。また、ヒトRTP1Sの代わりに、ヒトRTP1Sのアミノ酸配列(配列番号12)に対して、80%以上、好ましくは85%以上、より好ましくは90%以上、更に好ましくは95%以上、なお好ましくは98%以上の配列同一性を有するアミノ酸配列からなり、ヒトRTP1Sと同様に、嗅覚受容体の膜における発現を促進するポリペプチドを使用してもよい。例えば、マウスRTP1S(上述のZhuang H and Matsunami H)は、配列番号12で示されるアミノ酸配列と89%の配列同一性を有し、且つ嗅覚受容体の膜における発現を促進する機能を有し、上記組換え細胞の作製に使用することができる蛋白質である。
【0025】
本明細書において、塩基配列及びアミノ酸配列の配列同一性は、リップマン−パーソン法(Lipman-Pearson法;Science, 227, 1435, (1985))によって計算される。具体的には、遺伝情報処理ソフトウェアGenetyx-Win(Ver.5.1.1;ソフトウェア開発)のホモロジー解析(Search homology)プログラムを用いて、Unit size to compare(ktup)を2として解析を行なうことにより算出される。
【0026】
本発明の方法によれば、試験物質及び悪臭の原因物質の添加に続いて、当該悪臭の原因物質に対する嗅覚受容体の活動が測定される。測定は嗅覚受容体の活動を測定する方法として当該分野で知られている任意の方法、例えば、カルシウムイメージング法等によって行えばよい。例えば、嗅覚受容体は、匂い分子によって活性化されると、細胞内のGαsと共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させることが知られている(Mombaerts P. Nat Neurosci. 5. 263-278)。従って、匂い分子添加後の細胞内cAMP量を指標にすることで、嗅覚受容体の活動を測定することができる。cAMP量を測定する方法としては、ELISA法やレポータージーンアッセイ法等が挙げられる。
【0027】
次いで、測定された嗅覚受容体の活動に基づいて、当該受容体の活動に対する試験物質の抑制効果を評価し、当該活動を抑制する試験物質を同定する。抑制効果の評価は、例えば、異なる濃度の試験物質を添加した場合に測定された悪臭原因物質に対する受容体の活動を比較することによって行うことができる。より具体的な例としては、より高濃度の試験物質添加群とより低濃度の試験物質添加群との間;試験物質添加群と非添加群との間;又は試験物質添加前後で、悪臭原因物質に対する受容体の活動を比較する。試験物質添加により、又はより高濃度の試験物質の添加により嗅覚受容体の活動が抑制される場合、当該試験物質を、当該嗅覚受容体の活動を抑制する物質として同定することができる。例えば、試験物質添加群における受容体活動が対照群と比較して80%以下、好ましくは50%以下に抑制されていれば、当該試験物質を、悪臭抑制剤として選択することができる。
【0028】
上記の手順で同定された試験物質は、上記手順で使用された悪臭に対する嗅覚受容体の活動を抑制することによって、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくマスキングにより中枢における当該悪臭の認識に変化を生じさせ、結果として当該悪臭を個体が認識できないようにすることができる物質である。従って、上記手順で同定された試験物質は、上記手順で使用された悪臭に対する悪臭抑制剤として選択される。
【0029】
本発明の方法によって選択された悪臭抑制剤は、悪臭に対する嗅覚受容体の活動抑制に基づく嗅覚マスキングによって、当該悪臭を抑制するために使用することができ、また、当該悪臭を抑制するための化合物又は組成物の製造のために使用することができる。当該悪臭抑制用化合物又は組成物は、当該悪臭抑制剤に加えて、他の消臭効果を有する成分、又は消臭剤や防臭剤に使用される任意の成分、例えば、香料、粉末成分、液体油脂、固体油脂、ロウ、炭化水素、植物抽出物、漢方成分、高級アルコール類、低級アルコール類、エステル類、長鎖脂肪酸、界面活性剤(非イオン界面活性剤、アニオン界面活性剤、カチオン界面活性剤、両性界面活性剤等)、ステロール類、多価アルコール類、保湿剤、水溶性高分子化合物、増粘剤、皮膜剤、殺菌剤、防腐剤、紫外線吸収剤、保留剤、冷感剤、温感剤、刺激剤、金属イオン封鎖剤、糖分、アミノ酸類、有機アミン類、合成樹脂エマルジョン、pH調製剤、酸化防止剤、酸化防止助剤、油分、粉体、カプセル類、キレート剤、無機塩、有機塩色素、増粘剤、殺菌剤、防腐剤、防カビ剤、着色剤、消泡剤、増量剤、変調剤、有機酸、ポリマー、ポリマー分散剤、酵素、酵素安定剤等を、その目的に応じて適宜含有していてもよい。
【0030】
上記悪臭抑制用化合物又は組成物に含有され得る消臭効果を有する他の成分としては、化学的又は物理的な消臭効果を有する公知の消臭剤が何れも使用できるが、例えば、植物の葉、葉柄、実、茎、根、樹皮等の各部位から抽出された消臭有効成分(例えば、緑茶抽出物);乳酸、グルコン酸、コハク酸、グルタン酸、アジピン酸、リンゴ酸、酒石酸、マレイン酸、フマル酸、イタコン酸、クエン酸、安息香酸、サリチル酸等の有機酸、各種アミノ酸およびこれらの塩、グリオキサール、酸化剤、フラボノイド類、カテキン類、ポリフェノール類;活性炭、ゼオライトなどの多孔性物質;シクロデキストリン類などの包接剤;光触媒;各種マスキング剤、等が挙げられる。
【実施例】
【0031】
以下、実施例を示し、本発明をより具体的に説明する。
【0032】
実施例1 ヒト嗅覚受容体遺伝子のクローニング
ヒト嗅覚受容体はGenBankに登録されている配列情報を基に、human genomic DNA female (G1521:Promega)を鋳型としたPCR法によりクローニングした。PCR法により増幅した各遺伝子をpENTRベクター(Invitrogen)にマニュアルに従って組込み、pENTRベクター上に存在するNot I、Asc Iサイトを利用して、pME18Sベクター上のFlag-Rhoタグ配列の下流に作成したNot I、Asc Iサイトへと組換えた。
【0033】
実施例2 pME18S-hRTP1Sベクターの作製
ヒトRTP1Sはhuman RTP1遺伝子(MHS1010-9205862:Open Biosystems)を鋳型としたPCR法によりクローニングした。PCRに用いるプライマーには、センス側にEcoR I、アンチセンス側にXho Iサイトを付加した。PCR法により増幅したhRTP1S遺伝子をpME18SベクターのEcoR I、Xho Iサイトへ組込んだ。
【0034】
実施例3 悪臭に応答する嗅覚受容体の同定
1)嗅覚受容体発現細胞の作製
ヒト嗅覚受容体350種をそれぞれ発現させたHEK293細胞を作製した。表1に示す組成の反応液を調製しクリーンベンチ内で15分静置した後、96ウェルプレート(BD)の各ウェルに添加した。次いで、HEK293細胞(3×105細胞/cm2)を100μlずつ各ウェルに播種し、37℃、5%CO2を保持したインキュベータ内で24時間培養した。
【0035】
【表1】

【0036】
2)ルシフェラーゼアッセイ
HEK293細胞に発現させた嗅覚受容体は、細胞内在性のGαsと共役しアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させる。本研究での匂い応答測定には、細胞内cAMP量の増加をホタルルシフェラーゼ遺伝子(fluc2P-CRE-hygro)由来の発光値としてモニターするルシフェラーゼレポータージーンアッセイを用いた。また、CMVプロモータ下流にウミシイタケルシフェラーゼ遺伝子を融合させたもの(hRluc-CMV)を同時に遺伝子導入し、遺伝子導入効率や細胞数の誤差を補正する内部標準として用いた。
上記1)で作製した培養物から、培地をピペットマンで取り除き、CD293培地(Invitrogen)で調製した匂い物質(ヘキサン酸1mM又はノナン酸300μM)を含む溶液を75μl添加した。細胞をCO2インキュベータ内で4時間培養し、ルシフェラーゼ遺伝子を細胞内で十分に発現させた。ルシフェラーゼの活性測定には、Dual-GloTM luciferase assay system(promega)を用い、製品の操作マニュアルに従って測定を行った。匂い物質刺激により誘導されたホタルルシフェラーゼ由来の発光値を、匂い物質刺激を行わない細胞での発光値で割った値をfold increaseとして算出し、応答強度の指標とした。
【0037】
3)結果
OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2、OR51L1の5種類の嗅覚受容体がヘキサン酸に対して応答を示し、OR2W1、OR10A6、OR51E1の3種類の嗅覚受容体がノナン酸に対して応答を示した(図1)。
【0038】
上記と同様の手順で、嗅覚受容体OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2、OR51L1のイソ吉草酸(0、3、10、30、100、300、及び1000μM)に対する応答を調べた。嗅覚受容体OR51E1及びOR51I2が、イソ吉草酸に対して濃度依存的に応答した(図2)。
【0039】
実施例4 悪臭抑制剤の同定
実施例3で同定された嗅覚受容体を対象とし、52種類の試験物質について嗅覚受容体活動に対する阻害活性を調べた。
実施例3と同様の方法でHEK293細胞にOR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2、OR51L1をそれぞれ発現させ、ルシフェラーゼアッセイを行った。ルシフェラーゼアッセイにおいては、匂い物質としてヘキサン酸を用い、且つヘキサン酸とともに試験物質を添加した。ヘキサン酸に対する嗅覚受容体の応答を測定し、試験物質添加による受容体応答活動の低下を評価した。
試験物質による受容体活動の阻害率は、以下のとおり算出した。ヘキサン酸単独での匂い刺激により誘導されたホタルルシフェラーゼ由来の発光値(X)を、同じ受容体を導入し匂い刺激を行わなかった細胞での発光値(Y)で引き算した。同様に、ヘキサン酸と試験物質の混合物での刺激による発光値(Z)を、匂い刺激を行わない細胞での発光値(Y)で引き算した。以下の計算式により、ヘキサン酸単独刺激による発光値の増加分(X−Y)を基準に、試験物質による受容体活動阻害活性を算出した。独立した実験を二連で複数回行い、各回の実験の平均値を得た。
阻害率(%)={1−(Z−Y)/(X−Y)}×100
その結果、OR2W1に対しては7種類、OR10A6に対しては3種類、OR51E1に対しては7種類、OR51I2に対しては10種類、OR51L1に対しては6種類の試験物質が、受容体活動阻害活性を示した(表2)。
さらに、阻害活性を示した試験物質のうちのいくつかに関して、ヘキサン酸応答の濃度依存的応答阻害を調べた。試験物質の濃度は、3、10、30、100、300μMを用いた。各試験物質濃度下におけるヘキサン酸1mMに対する受容体の応答について、試験物質濃度0μM下での受容体の応答強度を100%として、相対応答強度を調べた。その結果、阻害活性を示した試験物質の中でもブルゲオナール及びフロルヒドラールが、4つの嗅覚受容体OR2W1、OR51E1、OR51I1、OR51L1のヘキサン酸応答を、いずれも濃度依存的に阻害することが示された(図3)。
【0040】
【表2】

【0041】
実施例5 試験物質の悪臭抑制能の評価
実施例4で同定した受容体活動阻害活性を有する試験物質の悪臭抑制能を、官能試験によって確認した。
ガラス瓶(柏洋硝子No.11、容量110ml)に綿球を入れ、悪臭としてプロピレングリコールで100倍に希釈したヘキサン酸、10倍に希釈したノナン酸又は1000倍に希釈したイソ吉草酸、及び試験物質を綿球に20μl滴下した。ガラス瓶を一晩室温で静置し、匂い分子をガラス瓶中に十分揮発させた。官能評価試験はパネラー3名(イソ吉草酸については5名)で行い、悪臭を単独で滴下した場合の匂いの強さを5とし、試験物質を混合した場合の悪臭の強さを0から10(0.5刻み)として20段階で評価した。
試験物質は、ヘキサン酸に対してはプロピレングリコールで100倍に希釈したフロルヒドラール(3-(3-イソプロピル-フェニル)-ブチルアルデヒド:Givaudan社)、ブルゲオナール(3-(4-tert-ブチルフェニル)プロパナール:Givaudan社)、ヒドロキシシトロネラール(3,7-ジメチル-7-ヒドロキシオクタナール:Givaudan社、International Flavors & Fragrances社などより入手可能)、4-イソプロピルシクロヘキサンカルバルデヒド、(4-(2-メトキシフェニル)-2-メチル-2-ブタノール:特開平9-111281号公報)、フロローザ(テトラヒドロ-4-メチル-2-(2-メチルプロピル)-2H-ピラン-4-オール:Givaudan社)、イソシクロシトラール(2,4,6-トリメチル-3-シクロヘキセン-1-カルボキシアルデヒド、3,5,6-トリメチル-3-シクロヘキセン-1-カルボキシアルデヒド(Givaudan社、International Flavors & Fragrances社などより入手可能)、トリプラール(2,4-ジメチル-3-シクロヘキサン-1-カルボキシアルデヒド:International Flavors & Fragrances社)、ポレナールII(2-シクロヘキシルプロパナール:花王株式会社)を、ノナン酸に対しては10倍に希釈したフロルヒドラールを、イソ吉草酸に対しては1000倍に希釈したフロルヒドラールを用いた。試験物質の対照物質として、上記嗅覚受容体に対する活動阻害効果のない物質である香料フロラロール(プロピレングリコールで100倍に希釈)を用い、ヘキサン酸に関して同様の試験を行った。
4-イソプロピルシクロヘキサンカルバルデヒドは、一例として、特開平2-188549号公報に記載の方法により、4-イソプロピルシクロヘキシルメタノール(Mayol)(マイヨール:フィルメニッヒ社) 1554.57gを出発原料として合成することができ、得られる生成物は、例えば下記の通りに同定される。
1H-NMR(CDCl3, 400MHz, δ ppm): 0.80 (3H, d, 6.8Hz) 0.84 (3H, d, 6.8Hz), 0.97-1.03, 1.19-1.30, 1.37-1.48, 1.51-1.61, 1.81-1.86, 1.95-1.99, 2.10-2.20 (10H, all m), 2.38-2.42 (1H, m), 9.56 (0.5H, s), 9.66 (0.5H,s)
13C-NMR(CDCl3, 100MHz, δ ppm): 19.87, 19.92 (q), 24.79, 26.32, 26.57, 28.63 (t), 32.14, 32.84, 43.31, 43.60 (d), 47.18, 50.68 (d), 204.60, 205.51 (d)
【0042】
OR2W1、OR51E1、OR51I2、OR51L1のヘキサン酸応答を抑制するフロルヒドラール及びブルゲオナールは、ヘキサン酸の匂いを著しく抑制させた(図4)。このヘキサン酸臭の抑制は、対照物質(フロラロール)を混合した場合に比べ顕著であった。またノナン酸及びイソ吉草酸について調べた結果、やはりこれらの試験物質によって匂いが抑制された(図5及び6)。なお、1種類又は複数のヘキサン酸受容体の応答を抑制する他の物質(ヒドロキシシトロネラール、4-イソプロピルシクロヘキサンカルバルデヒド、4-(2-メトキシフェニル)-2-メチル-2-ブタノール、フロローザ、イソシクロシトラール、トリプラール、ポレナールII)についてもヘキサン酸臭の抑制効果を検証したところ、いずれの試験物質もヘキサン酸臭を抑制することが明らかとなった(表3)。
【0043】
【表3】

【0044】
実施例4で同定した受容体活動阻害活性を有する試験物質による悪臭抑制の特異性を調べるため、脂肪酸と構造の異なる悪臭であり、実施例3で同定した嗅覚受容体が応答しない匂い物質であるクレゾールを用いて、同様の官能試験を行った。実験では、悪臭としてプロピレングリコールで100倍に希釈したクレゾールを用い、試験物質としてプロピレングリコールで100倍に希釈したフロルヒドラールを用いた。
試験の結果、クレゾールの匂いはフロルヒドラールによって抑制されなかった(図7)。従って、抑制効果は匂い特異的であることが示された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の工程を含む悪臭抑制剤の探索方法:
OR2W1、OR10A6、OR51E1、OR51I2及びOR51L1から選択される嗅覚受容体のいずれか1種に試験物質及び悪臭の原因物質を添加する工程;
当該悪臭の原因物質に対する当該嗅覚受容体の活動を測定する工程;
測定された活動に基づいて当該嗅覚受容体の活動を抑制する試験物質を同定する工程;
当該同定された試験物質を、悪臭抑制剤として選択する工程。
【請求項2】
前記悪臭がヘキサン酸の匂いである請求項1記載の方法。
【請求項3】
前記悪臭がノナン酸の匂いである請求項1記載の方法。
【請求項4】
前記悪臭がイソ吉草酸の匂いである請求項1記載の方法。
【請求項5】
前記嗅覚受容体がOR10A6、OR51E1及びOR51I2から選択される請求項2記載の方法。
【請求項6】
前記嗅覚受容体がOR10A6である請求項3記載の方法。
【請求項7】
前記嗅覚受容体がOR51I2である請求項4記載の方法。
【請求項8】
前記嗅覚受容体が、天然に嗅覚受容体を発現する細胞上又は嗅覚受容体を発現するように遺伝的に操作された組換え細胞上に発現された嗅覚受容体である、請求項1〜7のいずれか1項記載の方法。
【請求項9】
試験物質を添加しない嗅覚受容体の応答を測定する工程をさらに含む、請求項1〜8のいずれか1項記載の方法。
【請求項10】
前記試験物質を添加しない嗅覚受容体の応答に対して、試験物質を添加された嗅覚受容体の応答が80%以下に抑制されていれば、当該試験物質を悪臭抑制剤として選択する、請求項1〜9のいずれか1項記載の方法。
【請求項11】
前記受容体の応答を測定する工程が、レポータージーンアッセイによって行われる、請求項1〜10のいずれか1項記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2012−50411(P2012−50411A)
【公開日】平成24年3月15日(2012.3.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−197825(P2010−197825)
【出願日】平成22年9月3日(2010.9.3)
【出願人】(000000918)花王株式会社 (8,290)
【Fターム(参考)】