情報取得方法
【課題】生体組織切片のタンパク質を消化分解した後にTOF−SIMS法で質量分析して、理論消化断片の信号を用いてタンパク質の二次元分布画像を構成する方法では、コントラストの高い画像が得られに難いという課題があった。
【解決手段】試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を取得する情報取得方法であって、限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0・5乃至1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて分布状態に関する質量情報を得る工程と、を有することを特徴とする情報取得方法に関する。
【解決手段】試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を取得する情報取得方法であって、限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0・5乃至1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて分布状態に関する質量情報を得る工程と、を有することを特徴とする情報取得方法に関する。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、生体組織中のタンパク質を質量分析して、質量分析で得られた質量情報に基づいてタンパク質の分布状態に関する情報を得る情報取得方法に関する。
【背景技術】
【0002】
病理検査の分野において、免疫染色法を用いて特異抗原タンパク質の発現の有無を調べ、その結果を考慮して確定診断することが普及しつつある。乳がんの判定では、ホルモン療法の判断基準となるER(ホルモン依存性腫瘍に発現するエストロゲンレセプター)や、ハーセプチン投与の判断基準となるHER2(進行の速い悪性がんに見られる膜タンパク質)の検出で免疫染色法が用いられている。
【0003】
近年、細胞レベルでタンパク質を可視化する分析手法として、質量分析法を応用した質量イメージング法の開発が進んでいる。質量イメージング法とは、対象とする検体の任意領域について、細分化した各領域を質量分析して、得られた質量スペクトルに含まれるイオンピークを用いて画像を構成して、検体中の特定物質の二次元分布状態を可視化する手法である。本発明者らは、飛行時間型二次イオン質量分析法で、生体組織切片の表面を消化酵素で限定分解(以下、「消化分解」とも言う)し、生成したペプチド断片(以下、「消化断片」とも言う)の二次元分布を計測する方法を提案した(特許文献1)。ここで、「限定分解」とは、タンパク質について、該タンパク質中の特定のアミノ酸残基と、それに隣接するアミノ酸残基との間のペプチド結合を選択的に切断し、該タンパク質よりも小さな消化断片を生成させることを意味する。
【0004】
また、発現しているタンパク質を可視化する質量イメージング法として、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI法)の応用も開発が進んでいる。MALDI法とは、試料をマトリックス中に混ぜて結晶を作り、これにレーザーを照射することで試料をイオン化する方法である。MALDI法を用いた質量イメージング法として、HER2の発現した病変組織切片について、HER2の免疫染色画像を基準にイオンピークを選び画像を得ることにより、HER2の発現状態を可視化することが開示されている(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2006−010658号公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】S.Rauser et al.,Journal of Proteome Research 2010,9,1854−1863.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかし、生体組織切片のタンパク質を消化分解した後にTOF−SIMS法で質量分析して、理論消化断片の信号を用いてタンパク質の二次元分布画像を構成する方法では、コントラストの高い画像が得られに難いという課題があった。
【0008】
一方、非特許文献1に記載の、MALDI法および免染を用いた方法では、生体組織切片上のHER2に対応する画像が得られる。しかしながら、この手法では、免疫染色画像を用いるため、可視化までに時間がかかるという課題があった。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
前記タンパク質又はペプチドを限定分解した後、前記試料の一定領域を質量分析する工程と、
限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて、前記分布状態に関する情報を得る工程と、
を有することを特徴とする情報取得方法に関する。
【発明の効果】
【0010】
本発明は、質量イメージング法により生体組織中のタンパク質を可視化する際に、得られる画像のコントラストが向上する。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】本発明の質量情報の可視化方法の概要である。
【図2】比較例1のm/z 1438.3の消化断片の親イオンピークを用いて可視化した画像である。
【図3】実施例1のm/zが719.7のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図4】実施例1のm/zが1267.7のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図5】実施例1のm/zが1298.0のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図6】隣接切片の免疫染色画像を示す図である。
【図7】発現レベルと、m/z 719.7のTOF−SIMS平均信号強度(規格値)との相関を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明の情報取得方法は、図1に示す工程により、タンパク質の分布状態の情報を取得することができる。
【0013】
第一の工程では、試料のタンパク質を限定分解した後、試料の一定領域を質量分析する(質量分析をする工程)。第二の工程では、質量分析で得られた質量スペクトルの質量情報とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対比して、ピーク群のアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う(質量分析で得られたピークを帰属する工程)。第三の工程では、同定ならびに帰属されたピーク群より、タンパク質の消化断片の親イオンとして帰属されたピークを検出する(消化断片の親イオンピークを検出する工程)。第四の工程では、検出した消化断片の親イオンピークと、強度分布が相関するイオンピークを検出する(強度分布が相関するイオンピークを検出する工程)。第五の工程では、第四の工程で得られたm/z 500以上で、強度分布がタンパク質の消化断片の親イオンと相関するイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得する(タンパク質の分布状態の情報を取得する工程)。
【0014】
複数の試料についてタンパク質の分布状態の情報を取得する場合には、2回目以降は第二から第四の工程を行わず、1回目の第四の工程で得られたイオンピークの情報を用いて第五の工程を行ってタンパク質の分布状態を可視化することができる。
【0015】
以下、各工程について詳細に説明する。
【0016】
(質量分析をする工程)
本発明の方法では、生体組織等の試料中のタンパク質を限定分解した後、試料の一定領域を質量分析する。
タンパク質の限定分解(消化分解)に用いる物質(以下、「消化物質」と言う)は、特に限定されるものではない。消化物質は、(I)消化酵素(II)消化酵素以外の化学物質に大別される。(I)消化酵素の代表例としては、トリプシン、キモトリプシン、Lys−C、Asp−Nなどが挙げられる。また、(II)消化酵素以外の化学物質の代表例としては、ブロモシアン(CNBr)、3−メチル−3−ブロモ−2−[(2−ニトロフェニル)チオ]−3H−インドール(BNPS−skatole)、2−ニトロ−5−チオシアノベンゾエート(NTCB)、ヒドロキシアラニン、ギ酸、ジメチルスルホキシド−塩酸−臭化水素(DMSO−HCl−HBr)、N−ブロモスクシンイミド(NBS)などが挙げられる。
【0017】
本発明では、消化物質を一種類以上用いる。用いる消化物質の種類によって、ペプチド結合の切断部位が異なる。例えば、トリプシンを用いる場合、KおよびRのカルボキシル基側でペプチド結合が切断され、またNTCBを用いた場合には、Cのアミノ基側でペプチド結合が切断される。
【0018】
消化物質を用いてタンパク質を消化分解する際には、pHなどの条件が消化反応に適した溶液を用いる。消化物質を含有する溶液付与には、マイクロピペッター、インクジェット、スプレイヤーなどを用いた液滴付与法を用いる。もしくは、消化物質を含有する溶液の蒸気が満たされた環境下にタンパク質を放置することで、タンパク質に消化物質を付与することもできる。いずれの付与法を用いた場合も、消化物質を付与したタンパク質を特定の温度もしくは湿度環境下に数時間から数10時間程度保管することで、消化反応を進行させる。例えば消化物質としてトリプシンを用いる場合には、37〜38℃で反応が良好に進むため、37〜38℃環境下での保管が好ましい。
【0019】
尚、消化反応の前に、消化反応を効率良く進行させるための前処理を施すこともできる。例えば、消化物質としてトリプシンを用いる場合には、トリプシン付与以前にジチオジレイトール(DTT)およびヨードアセトアミド付与による還元アルキル化処理を好ましく用いることができる。
【0020】
本発明は、可視化する試料中にタンパク質またはペプチドを含有している。上記の限定分解処理により、タンパク質またはペプチドが、分子量の小さな消化断片に限定分解される。
【0021】
次に、上記のようにして限定分解した試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、質量スペクトルを得る。
【0022】
本工程における質量分析法は、特に限定されるものではない。質量分析を行う質量分析装置は、試料のイオン化を行う試料導入部と、イオン化した試料を分析する分析部とを有し、この分析部の方式によって様々な質量分析法に分類できる。
【0023】
試料導入部でのイオン化の方法としては、以下の方法を用いることができる。
・一次イオンを用いる方法。
・MALDI(Matrix Assisted Laser Desorption Ionization、マトリックス支援レーザー脱離イオン化)法。
・DESI(Desorption Electrospray Ionization、脱離エレクトロスプレーイオン化)法。
・FAB(Fast Atom Bombardment、高速原子衝突)法。
【0024】
ここで、DESI法とは、帯電液滴を試料表面にスプレーし、試料表面からイオンを脱離させる方法である。
【0025】
また、FAB法とは、試料をマトリックスに混ぜ、ここに高速で中性原子を衝突させてイオン化する方法である。
【0026】
分析部の方式としては、以下の方法を用いることができる。
(a)四重極型。
(b)磁場偏向型。
(c)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型。
(d)イオントラップ型。
(e)飛行時間型(TOF)型。
(f)タンデム型。
【0027】
ここで、(a)四重極型とは、イオンを4本の電極内に通し、電極に高周波電圧を印加することで試料に摂動をかけて、目的とするイオンのみを通過させる分析法である。
(b)磁場偏向型とは、イオンを磁場中に通し、その際に受けるローレンツ力による飛行経路の変化を利用する分析法である。
(c)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型では、イオンを静電場と静磁場のかかったセルに導入し、イオン運動を励起するための高周波電圧を印加してイオンの周回周期を検出する。そして、サイクロトロン条件から質量を算出する分析法である。
(d)イオントラップ型とは、イオンを電極からなるトラップ室に保持し、この電位を変化させることで選択的にイオンを放出することで分離を行う分析法である。
また、(f)タンデム型は、上記の分析法を複数組み合わせる方法である。
【0028】
試料導入部と分析部に上記のいずれの方式を採用した質量分析法でも、試料のタンパク質又はペプチドの限定分解により、高分子のタンパク質やペプチドも低分子化され、高感度に生体組織表面の測定を行うことができる。
【0029】
ただし、質量イメージングにおいて用いる質量分析法によっては、試料のイオン化を行うために不可欠な処理が必要となる場合がある。例えば、イオン化法としてMALDI法を用いる場合には、マトリックス剤と呼ばれるレーザー光のエネルギー吸収材料を、限定分解を行った後の試料に付与する。マトリックス剤の代表例としては、ニトロアントラセン(9NA)、2,5−ジヒドロキシベンゾイックアシッド(DHB)、シナピニックアシッド(SA)、α−シアノ−ヒドロキシ−シンナミックアシッド(CHCA)等の有機酸マトリックス分子を用いることができる。また、コバルトなど微細金属粉末、グリセロールなど液体マトリックスも用いることができる。また、赤外レーザーに対しては、尿素や脂質をエネルギー吸収体として用いることができる。本発明においてMALDI法を用いる場合、マトリックス剤を一種類以上用いる。ただし、本発明ではマトリックス剤の種類は限定されない。
【0030】
また、イオン化に一次イオンを用い、分析部に(e)飛行時間型を用いる二次イオン質量分析法(TOF−SIMS法)を用いる際には、本発明者らが提案しているイオン化を促進させる物質(以下、「イオン化促進物質」と略す)の付与(米国登録特許7446309号公報、同7701138号公報)により、検出感度を向上させることができる。イオン化促進物質としては、Ag、Auなどの金属元素、並びにNa、Kなどのアルカリ金属元素の中の少なくとも一つを含む物質や、トリフルオロ酢酸などの酸を含むpH6以下の水溶液を用いることができる。
【0031】
本発明では、イオン化に一次イオンを用い、分析部に(e)飛行時間型を用いる二次イオン質量分析法(TOF−SIMS法)を用いることが好ましい。このTOF−SIMS法では、質量分析法の中でも微量な試料を高精度で測定できる。また、一次イオンをパルス状に試料表面に照射することによって、試料のイオン化を行うことにより試料へのダメージを少なくすることができ、目的の対象物質の分布情報を高精度で正確に得ることができる。
【0032】
TOF−SIMS法では、試料のイオン化は一次イオンを照射することによって行う。この一次イオン種としては、イオン化効率、質量分解能等の観点からGa+などの一般的な液体金属イオンの他、Au3+やBi3+などのクラスターイオンを用いることができる。なお、Biイオンを用いると、極めて高感度の分析が可能となるので好ましい。その際、Biイオンのみならず、ビスマスの多原子イオンであるBi2イオン、Bi3イオンを用いることができ、この順で感度が上昇する場合が多い。また、金の多原子イオンでも同様の効果が期待できる。
【0033】
このTOF−SIMS法では、一次イオンの入射により、対象物質の表面から二次イオンが発生する。TOF−SIMS法の分析中は、対象物質と飛行時間型二次イオン質量分析計との間に数kVの電界がかけられており、二次イオンはこの電界により検出器へ取り込まれて分析される。
【0034】
TOF−SIMS法を用いてイメージングを行う場合には、質量分解能、分析面積、測定条件の一次イオンパルス周波数、一次イオンビームエネルギー、一次イオンパルス幅等の条件が、イメージング能力と密接に関係している。このため、好ましい分析条件は一義的には簡単に決まらない。代表的な条件を挙げると、一次イオンパルス周波数が1kHz〜50kHzの範囲、一次イオンビームエネルギーが12keV〜25keVの範囲、一次イオンビームパルス幅が0.5〜10nsの範囲である。この一次イオンビームを10μm〜500μm角の測定領域で、64〜512ピクセル角の画素面で16〜512回繰り返し走査をおこなうことにより、測定対象の質量スペクトルが得られる。また、測定領域が広領域(500μm角以上)の場合には、ステージを動作させてスキャンするラスタースキャンモードを用いることで、広領域より質量スペクトルを得ることができる。
【0035】
(質量分析で得られたピークを帰属する工程)
本工程では、質量分析をする工程で得られた質量スペクトルのイオンピーク群の質量情報(m/zの値)とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対照して、ピークを同定する。そして、アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う。
【0036】
ここで「親イオン」とは、分子(M)が、電子の脱離によりイオン化(M+・)するか、もしくは特定のイオンが付加することでイオン化し、かつフラグメンテーションを起こしていない状態のイオンを指す。イオン付加により生成するイオンの代表例としては、水素イオン付加体([M+H]+)、ナトリウムイオン付加体([M+Na]+)、カリウムイオン付加体([M+K]+)、カルシウムイオン付加体([M+Ca]+)などを言う。親イオンには、金属イオン、溶媒由来のイオン、分子周囲のマトリックス由来のイオンなどの付加体も含まれる。
【0037】
アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属は、より詳細には以下のいずれかの手順により行う。
(I)質量イメージング法で得た質量情報を、タンパク質のアミノ酸配列データベースと照合する。
(II)質量イメージング法で得た質量情報と、別途他の質量分析法で得た質量情報とタンパク質のアミノ酸配列データベースとの照合により得られたアミノ酸配列情報とを照合する。
【0038】
(I)および(II)において、質量情報とタンパク質のデータベースとの照合を用いたアミノ酸配列の同定には、扱う質量情報が親イオンのみである場合と、親イオンを質量分析法により分解させて生成したフラグメントイオンを含む場合とに大別される。前者はペプチドマスフィンガープリンティング(PMF)法、後者はMS/MSイオンサーチ法と呼ばれている。
【0039】
いずれの同定手法を用いても、測定した生体組織中に含まれるタンパク質の種類を特定でき、かつ得られた親イオンについて、そのアミノ酸配列情報の同定と、タンパク質より生成した消化断片の親イオンとしての帰属とが同時に行える。ただし、MS/MSイオンサーチ法では、フラグメントイオンに関するデータ(以下、「MS/MSデータ」と記載)が必要であり、かつPMF法に比べ情報量が多く複雑となる。しかし、MS/MSイオンサーチ法は、連続したアミノ酸列情報を実測できるため、PMF法より精度の高いタンパク質同定が可能となる。
【0040】
本工程の手順(I)および(II)においては、いずれの同定手法を用いることができる。ただし、MS/MSデータが得られない場合に、MS/MSイオンサーチ法を用いる際には、手順(II)を行う。以下に、MS/MSイオンサーチ法を用いて手順(II)を行う場合の詳細を示す。
【0041】
まず、他の質量分析法を用いて別途MS/MSイオンサーチ法によるタンパク質同定を行い、他の質量分析で得られた親イオンについて、そのアミノ酸配列情報を取得する。次に、取得したアミノ酸配列情報と、質量分析をする工程の本質量分析法で得た親イオンとの照合により、本質量分析法で得たイオンピークについて、アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う。
【0042】
MS/MSイオンサーチ法により得たアミノ酸配列情報と、本質量分析法で得た親イオンとを照合する際には、双方のモノアイソトピックイオンピークのm/zを比較する。このとき、用いた質量イメージング法の質量精度を加味する。すなわち、本質量分析法で得たモノアイソトピックイオンピークのm/zと、MS/MSイオンサーチ法で同定されたアミノ酸配列より求められるモノアイソトピックイオンピークの理論m/zとの差が、質量精度より求められる誤差の範囲内であれば一致していると判断し、特定の消化断片の親イオンへ帰属する。そうでない場合には不一致であると判断する。
【0043】
また、照合の際には、モノアイソトピックイオンピークのm/zの比較に加え、親イオンの同位体分布形状について、実測スペクトルと理論スペクトルとの比較を判断材料に加える場合もある。
【0044】
MS/MSデータを得るための質量分析法としては、代表例としてLC−MS/MS法が挙げられる。また、上記のタンパク質のアミノ酸配列データベースとしては、National Center for Biotechnology Information提供のNCBInrや、UniProt Consortium提供のSwissProtなどが代表例として挙げられる。また、質量情報と前記タンパク質データベースとを照合するための検索エンジンとしては、Matrix Science製のMASCOTや、Thermo Fisher Scientific製のSEQUESTが代表例として挙げられる。ただし、本発明においてはこれらに限定されない。
【0045】
(消化断片の親イオンピークを検出する工程)
次に、本工程では、質量分析で得られたピークを帰属する工程でアミノ酸配列を同定し、特定の消化断片の親イオンへと帰属したイオンピークの中から、目的とするタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンとして帰属されたイオンピークを検出する。検出するイオンピークは一つであってもよく、また複数であってもよい。
【0046】
また、本工程で検出するイオンピークは、モノアイソトピックイオンピークであってもよく、その他の同位体ピークであってもよい。
【0047】
(強度分布が相関するイオンピークを検出する工程)
次に、本工程では、消化断片の親イオンピークを検出する工程で得たタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンピークと、強度分布が相関するイオンピークを検出する。具体的には、以下の方法による。
【0048】
まず、消化断片の親イオンピークを検出する工程で得た、試料中のタンパク質より生成した消化断片の親イオンピークの質量情報を可視化する。このとき、親イオンピーク一種のみを用いて質量情報を可視化してもよく、また複数の親イオンピークを用いてそれらを合算し質量情報を可視化してもよい。
【0049】
次に、試料中のタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンピーク以外のイオンピークについて質量情報を可視化する。このとき、特定のモノアイソトピックイオンピークの同位体イオンピークと判断できるピークは除外してもよく、またモノアイソトピックイオンピークと合算して質量情報を可視化してもよい。
【0050】
次に、消化断片の親イオンピークを可視化した画像と、消化断片の親イオン以外のピークを可視化した画像との強度分布の相関関係を比較する。相関関係は、画像の相関係数を用いて評価することができる。画像の相関係数は、2つの異なる画像を変数としてそれらの相関関係(類似性)を評価するための指標である。このような相関係数を相互相関係数ともいうが、本発明においては単に相関係数と呼ぶ。相関係数にもいくつか種類があり、ピアソンの積率相関係数や、フーリエ変換を用いて算出する相関係数などが例として挙げられる。いずれの方法においても、横Xピクセル、縦Yピクセルである二つの異なる画像について、一方の画素位置(x,y)(ここで、x=1〜X、y=1〜Y)における信号強度f(x,y)、およびもう一方の画素位置(x,y)(ここで、x=1〜X、y=1〜Y)における信号強度g(x,y)を変数として用いる。
【0051】
消化断片の親イオン以外の各ピークを可視化した画像について相関係数を算出した結果を、相関係数が1に近い順に整列させる。この順位が高い、一つまたは複数のイオンピークを相関するイオンピークとして検出する。
【0052】
相関するイオンピークは、イオンピークの質量情報を可視化した画像の相関係数が1に近いほど消化断片の親イオンピークと強度分布が近いことを意味する。相関するイオンピークは、前記の順位が上位であるものほど好ましい。
【0053】
相関するイオンピークは、ピアソンの積率相関係数が、好ましくは0.5以上1.0以下であり、より好ましくは0.6以上1.0以下である。このような相関係数を有するイオンピークは、親イオンのタンパク質の産出における中間生成物又は副生物のピークであると推測される。
【0054】
(タンパク質の分布状態の情報を取得する工程)
本工程では、位置および強度情報が相関するイオンピークを検出する工程で検出した、位置および強度情報が相関するイオンピークの中でm/zの値が500以上のイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得する。ここで、タンパク質の分布情報を取得することには、タンパク質の分布情報の可視化及び画像化を含む。m/zの値が500未満の場合には、位置及び強度情報が相関するイオンピークは、親イオンとは無関係のイオンの断片や脂質などに起因するピークを含んでいる。したがって、m/zの値が500未満の場合には、親イオンのタンパク質と関係のあるタンパク質の質量情報だけを取得することが困難である。
【0055】
また、本工程で用いるイオンピークは、限定分解されたタンパク質又はペプチドの親イオンの質量分析した一定領域の積算スペクトルのピーク強度に対して、ピーク強度比が1.0よりも大きいことが好ましく、2.0よりも大きいことがより好ましく、3.0よりも大きいことが更に好ましく、10.0よりも大きいことが更に好ましい。ここで、全領域の積算スペクトルとは、測定領域の各画素に格納されているスペクトルを、全画素分積算させることにより得られるスペクトルを指す。
【0056】
また、質量分析をする工程において、消化物質としてトリプシンを用い、限定分解されたタンパク質又はペプチドの親イオンがHER2の親イオンであった場合には、以下のイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得することが好ましい。用いるイオンピークは、質量電荷比(m/z)が、719.7±0.5、1267.7±0.5および1298.0±0.5の中から選ばれる一つまたは複数のイオンピークであることが好ましい。なかでも、質量電荷比が719.7±0.5のイオンピークを用いることがより好ましい。このイオンピークを用いた場合には、よりコントラストが高い質量情報の画像が得られる。
【実施例】
【0057】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明する。以下の具体例は本発明にかかる実施形態の一例ではあるが、本発明はかかる具体的形態に限定されるものではない。
【0058】
(比較例1)
比較例1では、特開2006−010658号公報を参照して、生体組織中のタンパク質を消化分解した。そして、TOF−SIMS法により限定分解されたタンパク質の消化断片の親イオンピークを検出し、この親イオンの強度分布と相関するイオンピークを用いてタンパク質を可視化した。
【0059】
尚、本比較例では、タンパク質としてHER2を対象とし、限定分解で用いる消化酵素としてトリプシンを用いた。
【0060】
本比較例の手順を以下に示す。
【0061】
本比較例では、分析用の生体組織切片として、HER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片(US Biomax社製)を用いた。分析用サンプルの詳細な調整手順を以下に示す。
【0062】
まず、生体組織切片をキシレン、エタノール、純水を用い洗浄することで、脱パラフィンを行った。次に、トリプシン消化処理を行った。トリプシン消化処理のため、まず炭酸水素アンモニウム(キシダ化学社製)水溶液に溶解させたトリプシン(SIGMA−ALDRICH社製)0.05μg/μL溶液(pH 8.5)を調整した。マイクロピペッターを用いて、組織切片上に前記トリプシン溶液を10μL滴下した後、前記組織切片を38℃環境下にて3時間放置することで消化反応を進行させた。次に、イオン増感剤物質の付与を行った。イオン増感物質としてトリフルオロ酢酸(TFA)を選択し、前記消化処理した組織切片上に、マイクロピペッターを用いて0.1%TFA水溶液を滴下し、室温環境下にて乾燥させた。
【0063】
このように準備した組織切片表面を、TOF−SIMS法により質量分析した。このTOF−SIMS法による質量分析には、ION TOF 社製 TOF−SIMS 5型装置を用いた。測定条件を以下に記載する。
一次イオン:25kV Bi+、1pA(パルス電流値)、ステージラスタースキャンモード
一次イオンのパルス周波数:5kHz(200μs/shot)
一次イオンパルス幅:約1ns
一次イオンビーム直径:約2μm
測定領域:4mm×4mm
二次イオン像の画素数:256×256
1画素当たりのショット数:256shots
検出二次イオン:正イオン
【0064】
次に、上記の質量分析で得られた質量スペクトルの質量情報(m/zの値)とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対照して、ピークを同定した。そして、ピークのアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片親イオンへの帰属を行った。同定ならびに帰属は、(1)HER2を過剰発現させた培養細胞(ATCC製N87細胞株)について、トリプシンで消化した後の液をLC−MS/MSで分析した質量データと、(2)ヒト由来タンパク質のデータベースとの自動照合検索により同定された親イオンピークのアミノ酸配列情報と、(3)前記TOF−SIMSイオンピークとの照合により行った。LC−MS/MS測定には、Michrom BioResources製 Paradigm MS4装置およびThermo Fisher Scientific製LTQ Orbitrap XL装置を用いた。タンパク質データベースはUniProt Consortium提供 SwissProtより抜粋したものを用い、検索エンジンにはThermo Fisher Scientific製 SEQUESTを用いた。
【0065】
上記のようにしてTOF−SIMS法で得られた質量スペクトルのアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片親イオンへの帰属を行った。この結果、m/zの値が1438.3のピークをHER2のトリプシン消化断片ペプチドAVTSANIQEFAGCK(アミノ酸配列)の親イオンピークとして帰属した。
【0066】
次に、HER2消化断片の親イオンの(m/z 1438.3)を用いて二次元分布状態を画像化した。この結果を図2に示す。
【0067】
(実施例1)
本実施例では、比較例1と同様に、試料としてHER2を用い、限定分解の消化酵素としてトリプシンを用い、質量分析法としてTOF−SIMS法を用いた。
【0068】
本実施例では、試料として、比較例1と同様にHER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片(US Biomax社製)を用いた。
【0069】
まず、比較例1と同様にして、パラフィン固定ヒト組織切片を調整した後、TOF−SIMS法で質量分析を行った。得られた質量スペクトルの同定ならびに帰属を行った。この結果得られたHER2消化断片の親イオンm/zが1438.3を用いて二次元分布状態を画像化した。
【0070】
次に、上記TOF−SIMS測定により得られた、HER2消化断片の親イオンとして同定されなかったピーク群について、各ピークを用いて二次元分布状態を画像化した。
【0071】
HER2より生成する消化断片の親イオンとして同定されなかったピークを用いて可視化した画像と、HER2より生成する消化断片の親イオンピーク(m/z 1438.3)を用いて得た画像との相関関係を評価した。相関関係の評価は、ピアソンの積率相関係数を用いた。
【0072】
画像の相関係数を求めた結果、HER2より生成する消化断片の親イオンピーク(m/z 1438.3)を用いた画像との相関係数が高い画像として、m/zが719.7、1267.7、1298.0を用いた画像を得た。なお、これらの画像とHER2より生成する消化断片の親イオンを用いた画像の相関係数は、それぞれ0.69、0.57、0.57であった。
【0073】
次に、HER2より生成する消化断片の親イオン(m/zが1438.4)についての全領域の積算スペクトル強度に対する、上記で得た、m/zが719.7、1267.7、1298.0それぞれについての全領域の積算スペクトル強度の比を求めた。その結果、強度比はそれぞれ12.2、3.2、2.1であった。
【0074】
以上により、HER2の強度分布に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下で、全領域の積算スペクトルの強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピーク(m/z 719.7、1267.7、1298.0)について、各画像を得た。図3にm/zが719.7、図4に1267.7、図5に1298.0のピークを用いて可視化した画像をそれぞれ示す。尚、図3が最もコントラストの良い画像であった。
【0075】
(比較例2)
実施例1において、実施例1で画像化したイオンピーク以外のイオンピークを用いて二次元分布状態を画像化した。以下の例では、いずれも実施例1の画像よりも相関係数が低かった。
【0076】
m/zが559.3、647.5のイオンピークを用いた画像の相関係数は、それぞれ0.45、0.23であった。これらのイオンピークは、HER2より生成する消化断片の親イオンに近いm/zであるものの、上記の同定ならびに帰属する工程において、消化断片の親イオンとしては帰属されなかったイオンピークである。これらのイオンピークについては、(1)HER2より生成する消化断片の親イオンではなく、m/zの近い他のイオンである。もしくは、(2)HER2より生成する消化断片の親イオンを含むが、前記m/zの近い他のイオンとの共存や、検出感度の低さにより相関係数が低下している、と推察した。
【0077】
また、m/zが413.3、643.5、699.5、1011.5、1228.8のイオンピークを用いた画像の相関係数は、それぞれ−0.15、0.37、0.42、0.25、0.27であった。これらのイオンピークは、ハウスキーピングタンパク質より生成する消化断片の親イオンに近いm/zである。こらのピークは、m/z 413.3がAlbmin関連、m/z 643.5がActin関連、m/z 699.5およびm/z 1011.5がNapsin関連、m/z 1288.8がTublin関連の各タンパク質とそれぞれ推定された。これにより、前記イオンピークは、HER2との関連のない他のタンパク質より生成した消化断片の親イオンであるため、相関係数が低いものと推察される。
【0078】
(評価)
上記実施例1で得た画像(図3乃至5)と比較例1で得た画像(図2)とを比較すると、明らかに実施例1で得た画像のほうがより明瞭であった。
【0079】
尚、実施例1および比較例1で得た画像(図2、図3乃至5)と、前記組織切片の隣接切片を免疫染色して得た光学顕微鏡画像(図6)とを比較すると良く一致した。また、HER2発現レベルの異なる複数のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片について、実施例1と同様にして画像化したところ、発現レベルと、画像の平均信号強度とが良く相関した。m/z 719.7を用いた画像について前記の相関を評価した結果を、図7に示す。図7においては、サンプル間でのイオン化率の違いを補正するために、m/z 719.7の平均信号強度を、各サンプルのいずれの領域からも強い信号が得られるイオンピークm/z 405.0の平均信号強度で除した規格値を用いた。なお、前記m/z 405.0の帰属は十分には行っていないものの、質量情報からはActin関連タンパク質より生成した消化断片の親イオンと推定される。以上から、実施例1で得られた画像は、HER2発現に関連するイオンピークを用いた画像であると考えられる。
【0080】
上記の評価により、組織切片に発現したHER2を可視化する際、比較例1に示したHER2消化断片の親イオンを用いる方法よりも、実施例1に示したHER2消化断片の親イオンと相関する他のイオンを用いて画像化する方法のほうが、より明瞭な画像が得られることを確認できた。
【0081】
以上、HER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片を対象について、これをトリプシンで消化分解し、TOF−SIMS法で計測した例を述べたが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0082】
例えば、トリプシンの替わりに別の消化物質を用いた場合、タンパク質を構成するペプチド結合の切断部位が異なることになるが、この場合にも本実施例に記載した手法を適用することができる。
【0083】
例えば、消化物質としてNTCBを用いる場合、HER2より生成する理論消化断片の親イオンの代表例として、m/z 855.4([CKGPLPTD+CN]+)、1052.5([CLHFNHSGI+CN]+)、1102.5([CAHYKDPPF+CN]+)などが挙げられる。このとき、実施例1と同様に、理論消化断片の親イオンとして帰属されるイオンピークを検出し、次に帰属されたイオンピークを基準として、イオンと強度分布が相関するイオンピークを検出し、その相関するイオンピークを用いて画像化することで、明瞭な画像を得ることができる。
【技術分野】
【0001】
本発明は、生体組織中のタンパク質を質量分析して、質量分析で得られた質量情報に基づいてタンパク質の分布状態に関する情報を得る情報取得方法に関する。
【背景技術】
【0002】
病理検査の分野において、免疫染色法を用いて特異抗原タンパク質の発現の有無を調べ、その結果を考慮して確定診断することが普及しつつある。乳がんの判定では、ホルモン療法の判断基準となるER(ホルモン依存性腫瘍に発現するエストロゲンレセプター)や、ハーセプチン投与の判断基準となるHER2(進行の速い悪性がんに見られる膜タンパク質)の検出で免疫染色法が用いられている。
【0003】
近年、細胞レベルでタンパク質を可視化する分析手法として、質量分析法を応用した質量イメージング法の開発が進んでいる。質量イメージング法とは、対象とする検体の任意領域について、細分化した各領域を質量分析して、得られた質量スペクトルに含まれるイオンピークを用いて画像を構成して、検体中の特定物質の二次元分布状態を可視化する手法である。本発明者らは、飛行時間型二次イオン質量分析法で、生体組織切片の表面を消化酵素で限定分解(以下、「消化分解」とも言う)し、生成したペプチド断片(以下、「消化断片」とも言う)の二次元分布を計測する方法を提案した(特許文献1)。ここで、「限定分解」とは、タンパク質について、該タンパク質中の特定のアミノ酸残基と、それに隣接するアミノ酸残基との間のペプチド結合を選択的に切断し、該タンパク質よりも小さな消化断片を生成させることを意味する。
【0004】
また、発現しているタンパク質を可視化する質量イメージング法として、マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI法)の応用も開発が進んでいる。MALDI法とは、試料をマトリックス中に混ぜて結晶を作り、これにレーザーを照射することで試料をイオン化する方法である。MALDI法を用いた質量イメージング法として、HER2の発現した病変組織切片について、HER2の免疫染色画像を基準にイオンピークを選び画像を得ることにより、HER2の発現状態を可視化することが開示されている(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2006−010658号公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】S.Rauser et al.,Journal of Proteome Research 2010,9,1854−1863.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかし、生体組織切片のタンパク質を消化分解した後にTOF−SIMS法で質量分析して、理論消化断片の信号を用いてタンパク質の二次元分布画像を構成する方法では、コントラストの高い画像が得られに難いという課題があった。
【0008】
一方、非特許文献1に記載の、MALDI法および免染を用いた方法では、生体組織切片上のHER2に対応する画像が得られる。しかしながら、この手法では、免疫染色画像を用いるため、可視化までに時間がかかるという課題があった。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明は、試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
前記タンパク質又はペプチドを限定分解した後、前記試料の一定領域を質量分析する工程と、
限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて、前記分布状態に関する情報を得る工程と、
を有することを特徴とする情報取得方法に関する。
【発明の効果】
【0010】
本発明は、質量イメージング法により生体組織中のタンパク質を可視化する際に、得られる画像のコントラストが向上する。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】本発明の質量情報の可視化方法の概要である。
【図2】比較例1のm/z 1438.3の消化断片の親イオンピークを用いて可視化した画像である。
【図3】実施例1のm/zが719.7のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図4】実施例1のm/zが1267.7のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図5】実施例1のm/zが1298.0のイオンピークを用いて可視化した画像である。
【図6】隣接切片の免疫染色画像を示す図である。
【図7】発現レベルと、m/z 719.7のTOF−SIMS平均信号強度(規格値)との相関を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明の情報取得方法は、図1に示す工程により、タンパク質の分布状態の情報を取得することができる。
【0013】
第一の工程では、試料のタンパク質を限定分解した後、試料の一定領域を質量分析する(質量分析をする工程)。第二の工程では、質量分析で得られた質量スペクトルの質量情報とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対比して、ピーク群のアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う(質量分析で得られたピークを帰属する工程)。第三の工程では、同定ならびに帰属されたピーク群より、タンパク質の消化断片の親イオンとして帰属されたピークを検出する(消化断片の親イオンピークを検出する工程)。第四の工程では、検出した消化断片の親イオンピークと、強度分布が相関するイオンピークを検出する(強度分布が相関するイオンピークを検出する工程)。第五の工程では、第四の工程で得られたm/z 500以上で、強度分布がタンパク質の消化断片の親イオンと相関するイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得する(タンパク質の分布状態の情報を取得する工程)。
【0014】
複数の試料についてタンパク質の分布状態の情報を取得する場合には、2回目以降は第二から第四の工程を行わず、1回目の第四の工程で得られたイオンピークの情報を用いて第五の工程を行ってタンパク質の分布状態を可視化することができる。
【0015】
以下、各工程について詳細に説明する。
【0016】
(質量分析をする工程)
本発明の方法では、生体組織等の試料中のタンパク質を限定分解した後、試料の一定領域を質量分析する。
タンパク質の限定分解(消化分解)に用いる物質(以下、「消化物質」と言う)は、特に限定されるものではない。消化物質は、(I)消化酵素(II)消化酵素以外の化学物質に大別される。(I)消化酵素の代表例としては、トリプシン、キモトリプシン、Lys−C、Asp−Nなどが挙げられる。また、(II)消化酵素以外の化学物質の代表例としては、ブロモシアン(CNBr)、3−メチル−3−ブロモ−2−[(2−ニトロフェニル)チオ]−3H−インドール(BNPS−skatole)、2−ニトロ−5−チオシアノベンゾエート(NTCB)、ヒドロキシアラニン、ギ酸、ジメチルスルホキシド−塩酸−臭化水素(DMSO−HCl−HBr)、N−ブロモスクシンイミド(NBS)などが挙げられる。
【0017】
本発明では、消化物質を一種類以上用いる。用いる消化物質の種類によって、ペプチド結合の切断部位が異なる。例えば、トリプシンを用いる場合、KおよびRのカルボキシル基側でペプチド結合が切断され、またNTCBを用いた場合には、Cのアミノ基側でペプチド結合が切断される。
【0018】
消化物質を用いてタンパク質を消化分解する際には、pHなどの条件が消化反応に適した溶液を用いる。消化物質を含有する溶液付与には、マイクロピペッター、インクジェット、スプレイヤーなどを用いた液滴付与法を用いる。もしくは、消化物質を含有する溶液の蒸気が満たされた環境下にタンパク質を放置することで、タンパク質に消化物質を付与することもできる。いずれの付与法を用いた場合も、消化物質を付与したタンパク質を特定の温度もしくは湿度環境下に数時間から数10時間程度保管することで、消化反応を進行させる。例えば消化物質としてトリプシンを用いる場合には、37〜38℃で反応が良好に進むため、37〜38℃環境下での保管が好ましい。
【0019】
尚、消化反応の前に、消化反応を効率良く進行させるための前処理を施すこともできる。例えば、消化物質としてトリプシンを用いる場合には、トリプシン付与以前にジチオジレイトール(DTT)およびヨードアセトアミド付与による還元アルキル化処理を好ましく用いることができる。
【0020】
本発明は、可視化する試料中にタンパク質またはペプチドを含有している。上記の限定分解処理により、タンパク質またはペプチドが、分子量の小さな消化断片に限定分解される。
【0021】
次に、上記のようにして限定分解した試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、質量スペクトルを得る。
【0022】
本工程における質量分析法は、特に限定されるものではない。質量分析を行う質量分析装置は、試料のイオン化を行う試料導入部と、イオン化した試料を分析する分析部とを有し、この分析部の方式によって様々な質量分析法に分類できる。
【0023】
試料導入部でのイオン化の方法としては、以下の方法を用いることができる。
・一次イオンを用いる方法。
・MALDI(Matrix Assisted Laser Desorption Ionization、マトリックス支援レーザー脱離イオン化)法。
・DESI(Desorption Electrospray Ionization、脱離エレクトロスプレーイオン化)法。
・FAB(Fast Atom Bombardment、高速原子衝突)法。
【0024】
ここで、DESI法とは、帯電液滴を試料表面にスプレーし、試料表面からイオンを脱離させる方法である。
【0025】
また、FAB法とは、試料をマトリックスに混ぜ、ここに高速で中性原子を衝突させてイオン化する方法である。
【0026】
分析部の方式としては、以下の方法を用いることができる。
(a)四重極型。
(b)磁場偏向型。
(c)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型。
(d)イオントラップ型。
(e)飛行時間型(TOF)型。
(f)タンデム型。
【0027】
ここで、(a)四重極型とは、イオンを4本の電極内に通し、電極に高周波電圧を印加することで試料に摂動をかけて、目的とするイオンのみを通過させる分析法である。
(b)磁場偏向型とは、イオンを磁場中に通し、その際に受けるローレンツ力による飛行経路の変化を利用する分析法である。
(c)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型では、イオンを静電場と静磁場のかかったセルに導入し、イオン運動を励起するための高周波電圧を印加してイオンの周回周期を検出する。そして、サイクロトロン条件から質量を算出する分析法である。
(d)イオントラップ型とは、イオンを電極からなるトラップ室に保持し、この電位を変化させることで選択的にイオンを放出することで分離を行う分析法である。
また、(f)タンデム型は、上記の分析法を複数組み合わせる方法である。
【0028】
試料導入部と分析部に上記のいずれの方式を採用した質量分析法でも、試料のタンパク質又はペプチドの限定分解により、高分子のタンパク質やペプチドも低分子化され、高感度に生体組織表面の測定を行うことができる。
【0029】
ただし、質量イメージングにおいて用いる質量分析法によっては、試料のイオン化を行うために不可欠な処理が必要となる場合がある。例えば、イオン化法としてMALDI法を用いる場合には、マトリックス剤と呼ばれるレーザー光のエネルギー吸収材料を、限定分解を行った後の試料に付与する。マトリックス剤の代表例としては、ニトロアントラセン(9NA)、2,5−ジヒドロキシベンゾイックアシッド(DHB)、シナピニックアシッド(SA)、α−シアノ−ヒドロキシ−シンナミックアシッド(CHCA)等の有機酸マトリックス分子を用いることができる。また、コバルトなど微細金属粉末、グリセロールなど液体マトリックスも用いることができる。また、赤外レーザーに対しては、尿素や脂質をエネルギー吸収体として用いることができる。本発明においてMALDI法を用いる場合、マトリックス剤を一種類以上用いる。ただし、本発明ではマトリックス剤の種類は限定されない。
【0030】
また、イオン化に一次イオンを用い、分析部に(e)飛行時間型を用いる二次イオン質量分析法(TOF−SIMS法)を用いる際には、本発明者らが提案しているイオン化を促進させる物質(以下、「イオン化促進物質」と略す)の付与(米国登録特許7446309号公報、同7701138号公報)により、検出感度を向上させることができる。イオン化促進物質としては、Ag、Auなどの金属元素、並びにNa、Kなどのアルカリ金属元素の中の少なくとも一つを含む物質や、トリフルオロ酢酸などの酸を含むpH6以下の水溶液を用いることができる。
【0031】
本発明では、イオン化に一次イオンを用い、分析部に(e)飛行時間型を用いる二次イオン質量分析法(TOF−SIMS法)を用いることが好ましい。このTOF−SIMS法では、質量分析法の中でも微量な試料を高精度で測定できる。また、一次イオンをパルス状に試料表面に照射することによって、試料のイオン化を行うことにより試料へのダメージを少なくすることができ、目的の対象物質の分布情報を高精度で正確に得ることができる。
【0032】
TOF−SIMS法では、試料のイオン化は一次イオンを照射することによって行う。この一次イオン種としては、イオン化効率、質量分解能等の観点からGa+などの一般的な液体金属イオンの他、Au3+やBi3+などのクラスターイオンを用いることができる。なお、Biイオンを用いると、極めて高感度の分析が可能となるので好ましい。その際、Biイオンのみならず、ビスマスの多原子イオンであるBi2イオン、Bi3イオンを用いることができ、この順で感度が上昇する場合が多い。また、金の多原子イオンでも同様の効果が期待できる。
【0033】
このTOF−SIMS法では、一次イオンの入射により、対象物質の表面から二次イオンが発生する。TOF−SIMS法の分析中は、対象物質と飛行時間型二次イオン質量分析計との間に数kVの電界がかけられており、二次イオンはこの電界により検出器へ取り込まれて分析される。
【0034】
TOF−SIMS法を用いてイメージングを行う場合には、質量分解能、分析面積、測定条件の一次イオンパルス周波数、一次イオンビームエネルギー、一次イオンパルス幅等の条件が、イメージング能力と密接に関係している。このため、好ましい分析条件は一義的には簡単に決まらない。代表的な条件を挙げると、一次イオンパルス周波数が1kHz〜50kHzの範囲、一次イオンビームエネルギーが12keV〜25keVの範囲、一次イオンビームパルス幅が0.5〜10nsの範囲である。この一次イオンビームを10μm〜500μm角の測定領域で、64〜512ピクセル角の画素面で16〜512回繰り返し走査をおこなうことにより、測定対象の質量スペクトルが得られる。また、測定領域が広領域(500μm角以上)の場合には、ステージを動作させてスキャンするラスタースキャンモードを用いることで、広領域より質量スペクトルを得ることができる。
【0035】
(質量分析で得られたピークを帰属する工程)
本工程では、質量分析をする工程で得られた質量スペクトルのイオンピーク群の質量情報(m/zの値)とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対照して、ピークを同定する。そして、アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う。
【0036】
ここで「親イオン」とは、分子(M)が、電子の脱離によりイオン化(M+・)するか、もしくは特定のイオンが付加することでイオン化し、かつフラグメンテーションを起こしていない状態のイオンを指す。イオン付加により生成するイオンの代表例としては、水素イオン付加体([M+H]+)、ナトリウムイオン付加体([M+Na]+)、カリウムイオン付加体([M+K]+)、カルシウムイオン付加体([M+Ca]+)などを言う。親イオンには、金属イオン、溶媒由来のイオン、分子周囲のマトリックス由来のイオンなどの付加体も含まれる。
【0037】
アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属は、より詳細には以下のいずれかの手順により行う。
(I)質量イメージング法で得た質量情報を、タンパク質のアミノ酸配列データベースと照合する。
(II)質量イメージング法で得た質量情報と、別途他の質量分析法で得た質量情報とタンパク質のアミノ酸配列データベースとの照合により得られたアミノ酸配列情報とを照合する。
【0038】
(I)および(II)において、質量情報とタンパク質のデータベースとの照合を用いたアミノ酸配列の同定には、扱う質量情報が親イオンのみである場合と、親イオンを質量分析法により分解させて生成したフラグメントイオンを含む場合とに大別される。前者はペプチドマスフィンガープリンティング(PMF)法、後者はMS/MSイオンサーチ法と呼ばれている。
【0039】
いずれの同定手法を用いても、測定した生体組織中に含まれるタンパク質の種類を特定でき、かつ得られた親イオンについて、そのアミノ酸配列情報の同定と、タンパク質より生成した消化断片の親イオンとしての帰属とが同時に行える。ただし、MS/MSイオンサーチ法では、フラグメントイオンに関するデータ(以下、「MS/MSデータ」と記載)が必要であり、かつPMF法に比べ情報量が多く複雑となる。しかし、MS/MSイオンサーチ法は、連続したアミノ酸列情報を実測できるため、PMF法より精度の高いタンパク質同定が可能となる。
【0040】
本工程の手順(I)および(II)においては、いずれの同定手法を用いることができる。ただし、MS/MSデータが得られない場合に、MS/MSイオンサーチ法を用いる際には、手順(II)を行う。以下に、MS/MSイオンサーチ法を用いて手順(II)を行う場合の詳細を示す。
【0041】
まず、他の質量分析法を用いて別途MS/MSイオンサーチ法によるタンパク質同定を行い、他の質量分析で得られた親イオンについて、そのアミノ酸配列情報を取得する。次に、取得したアミノ酸配列情報と、質量分析をする工程の本質量分析法で得た親イオンとの照合により、本質量分析法で得たイオンピークについて、アミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片の親イオンへの帰属を行う。
【0042】
MS/MSイオンサーチ法により得たアミノ酸配列情報と、本質量分析法で得た親イオンとを照合する際には、双方のモノアイソトピックイオンピークのm/zを比較する。このとき、用いた質量イメージング法の質量精度を加味する。すなわち、本質量分析法で得たモノアイソトピックイオンピークのm/zと、MS/MSイオンサーチ法で同定されたアミノ酸配列より求められるモノアイソトピックイオンピークの理論m/zとの差が、質量精度より求められる誤差の範囲内であれば一致していると判断し、特定の消化断片の親イオンへ帰属する。そうでない場合には不一致であると判断する。
【0043】
また、照合の際には、モノアイソトピックイオンピークのm/zの比較に加え、親イオンの同位体分布形状について、実測スペクトルと理論スペクトルとの比較を判断材料に加える場合もある。
【0044】
MS/MSデータを得るための質量分析法としては、代表例としてLC−MS/MS法が挙げられる。また、上記のタンパク質のアミノ酸配列データベースとしては、National Center for Biotechnology Information提供のNCBInrや、UniProt Consortium提供のSwissProtなどが代表例として挙げられる。また、質量情報と前記タンパク質データベースとを照合するための検索エンジンとしては、Matrix Science製のMASCOTや、Thermo Fisher Scientific製のSEQUESTが代表例として挙げられる。ただし、本発明においてはこれらに限定されない。
【0045】
(消化断片の親イオンピークを検出する工程)
次に、本工程では、質量分析で得られたピークを帰属する工程でアミノ酸配列を同定し、特定の消化断片の親イオンへと帰属したイオンピークの中から、目的とするタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンとして帰属されたイオンピークを検出する。検出するイオンピークは一つであってもよく、また複数であってもよい。
【0046】
また、本工程で検出するイオンピークは、モノアイソトピックイオンピークであってもよく、その他の同位体ピークであってもよい。
【0047】
(強度分布が相関するイオンピークを検出する工程)
次に、本工程では、消化断片の親イオンピークを検出する工程で得たタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンピークと、強度分布が相関するイオンピークを検出する。具体的には、以下の方法による。
【0048】
まず、消化断片の親イオンピークを検出する工程で得た、試料中のタンパク質より生成した消化断片の親イオンピークの質量情報を可視化する。このとき、親イオンピーク一種のみを用いて質量情報を可視化してもよく、また複数の親イオンピークを用いてそれらを合算し質量情報を可視化してもよい。
【0049】
次に、試料中のタンパク質又はペプチドより生成した消化断片の親イオンピーク以外のイオンピークについて質量情報を可視化する。このとき、特定のモノアイソトピックイオンピークの同位体イオンピークと判断できるピークは除外してもよく、またモノアイソトピックイオンピークと合算して質量情報を可視化してもよい。
【0050】
次に、消化断片の親イオンピークを可視化した画像と、消化断片の親イオン以外のピークを可視化した画像との強度分布の相関関係を比較する。相関関係は、画像の相関係数を用いて評価することができる。画像の相関係数は、2つの異なる画像を変数としてそれらの相関関係(類似性)を評価するための指標である。このような相関係数を相互相関係数ともいうが、本発明においては単に相関係数と呼ぶ。相関係数にもいくつか種類があり、ピアソンの積率相関係数や、フーリエ変換を用いて算出する相関係数などが例として挙げられる。いずれの方法においても、横Xピクセル、縦Yピクセルである二つの異なる画像について、一方の画素位置(x,y)(ここで、x=1〜X、y=1〜Y)における信号強度f(x,y)、およびもう一方の画素位置(x,y)(ここで、x=1〜X、y=1〜Y)における信号強度g(x,y)を変数として用いる。
【0051】
消化断片の親イオン以外の各ピークを可視化した画像について相関係数を算出した結果を、相関係数が1に近い順に整列させる。この順位が高い、一つまたは複数のイオンピークを相関するイオンピークとして検出する。
【0052】
相関するイオンピークは、イオンピークの質量情報を可視化した画像の相関係数が1に近いほど消化断片の親イオンピークと強度分布が近いことを意味する。相関するイオンピークは、前記の順位が上位であるものほど好ましい。
【0053】
相関するイオンピークは、ピアソンの積率相関係数が、好ましくは0.5以上1.0以下であり、より好ましくは0.6以上1.0以下である。このような相関係数を有するイオンピークは、親イオンのタンパク質の産出における中間生成物又は副生物のピークであると推測される。
【0054】
(タンパク質の分布状態の情報を取得する工程)
本工程では、位置および強度情報が相関するイオンピークを検出する工程で検出した、位置および強度情報が相関するイオンピークの中でm/zの値が500以上のイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得する。ここで、タンパク質の分布情報を取得することには、タンパク質の分布情報の可視化及び画像化を含む。m/zの値が500未満の場合には、位置及び強度情報が相関するイオンピークは、親イオンとは無関係のイオンの断片や脂質などに起因するピークを含んでいる。したがって、m/zの値が500未満の場合には、親イオンのタンパク質と関係のあるタンパク質の質量情報だけを取得することが困難である。
【0055】
また、本工程で用いるイオンピークは、限定分解されたタンパク質又はペプチドの親イオンの質量分析した一定領域の積算スペクトルのピーク強度に対して、ピーク強度比が1.0よりも大きいことが好ましく、2.0よりも大きいことがより好ましく、3.0よりも大きいことが更に好ましく、10.0よりも大きいことが更に好ましい。ここで、全領域の積算スペクトルとは、測定領域の各画素に格納されているスペクトルを、全画素分積算させることにより得られるスペクトルを指す。
【0056】
また、質量分析をする工程において、消化物質としてトリプシンを用い、限定分解されたタンパク質又はペプチドの親イオンがHER2の親イオンであった場合には、以下のイオンピークを用いてタンパク質の分布状態の情報を取得することが好ましい。用いるイオンピークは、質量電荷比(m/z)が、719.7±0.5、1267.7±0.5および1298.0±0.5の中から選ばれる一つまたは複数のイオンピークであることが好ましい。なかでも、質量電荷比が719.7±0.5のイオンピークを用いることがより好ましい。このイオンピークを用いた場合には、よりコントラストが高い質量情報の画像が得られる。
【実施例】
【0057】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明する。以下の具体例は本発明にかかる実施形態の一例ではあるが、本発明はかかる具体的形態に限定されるものではない。
【0058】
(比較例1)
比較例1では、特開2006−010658号公報を参照して、生体組織中のタンパク質を消化分解した。そして、TOF−SIMS法により限定分解されたタンパク質の消化断片の親イオンピークを検出し、この親イオンの強度分布と相関するイオンピークを用いてタンパク質を可視化した。
【0059】
尚、本比較例では、タンパク質としてHER2を対象とし、限定分解で用いる消化酵素としてトリプシンを用いた。
【0060】
本比較例の手順を以下に示す。
【0061】
本比較例では、分析用の生体組織切片として、HER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片(US Biomax社製)を用いた。分析用サンプルの詳細な調整手順を以下に示す。
【0062】
まず、生体組織切片をキシレン、エタノール、純水を用い洗浄することで、脱パラフィンを行った。次に、トリプシン消化処理を行った。トリプシン消化処理のため、まず炭酸水素アンモニウム(キシダ化学社製)水溶液に溶解させたトリプシン(SIGMA−ALDRICH社製)0.05μg/μL溶液(pH 8.5)を調整した。マイクロピペッターを用いて、組織切片上に前記トリプシン溶液を10μL滴下した後、前記組織切片を38℃環境下にて3時間放置することで消化反応を進行させた。次に、イオン増感剤物質の付与を行った。イオン増感物質としてトリフルオロ酢酸(TFA)を選択し、前記消化処理した組織切片上に、マイクロピペッターを用いて0.1%TFA水溶液を滴下し、室温環境下にて乾燥させた。
【0063】
このように準備した組織切片表面を、TOF−SIMS法により質量分析した。このTOF−SIMS法による質量分析には、ION TOF 社製 TOF−SIMS 5型装置を用いた。測定条件を以下に記載する。
一次イオン:25kV Bi+、1pA(パルス電流値)、ステージラスタースキャンモード
一次イオンのパルス周波数:5kHz(200μs/shot)
一次イオンパルス幅:約1ns
一次イオンビーム直径:約2μm
測定領域:4mm×4mm
二次イオン像の画素数:256×256
1画素当たりのショット数:256shots
検出二次イオン:正イオン
【0064】
次に、上記の質量分析で得られた質量スペクトルの質量情報(m/zの値)とタンパク質のアミノ酸配列データベースとを対照して、ピークを同定した。そして、ピークのアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片親イオンへの帰属を行った。同定ならびに帰属は、(1)HER2を過剰発現させた培養細胞(ATCC製N87細胞株)について、トリプシンで消化した後の液をLC−MS/MSで分析した質量データと、(2)ヒト由来タンパク質のデータベースとの自動照合検索により同定された親イオンピークのアミノ酸配列情報と、(3)前記TOF−SIMSイオンピークとの照合により行った。LC−MS/MS測定には、Michrom BioResources製 Paradigm MS4装置およびThermo Fisher Scientific製LTQ Orbitrap XL装置を用いた。タンパク質データベースはUniProt Consortium提供 SwissProtより抜粋したものを用い、検索エンジンにはThermo Fisher Scientific製 SEQUESTを用いた。
【0065】
上記のようにしてTOF−SIMS法で得られた質量スペクトルのアミノ酸配列の同定ならびに特定の消化断片親イオンへの帰属を行った。この結果、m/zの値が1438.3のピークをHER2のトリプシン消化断片ペプチドAVTSANIQEFAGCK(アミノ酸配列)の親イオンピークとして帰属した。
【0066】
次に、HER2消化断片の親イオンの(m/z 1438.3)を用いて二次元分布状態を画像化した。この結果を図2に示す。
【0067】
(実施例1)
本実施例では、比較例1と同様に、試料としてHER2を用い、限定分解の消化酵素としてトリプシンを用い、質量分析法としてTOF−SIMS法を用いた。
【0068】
本実施例では、試料として、比較例1と同様にHER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片(US Biomax社製)を用いた。
【0069】
まず、比較例1と同様にして、パラフィン固定ヒト組織切片を調整した後、TOF−SIMS法で質量分析を行った。得られた質量スペクトルの同定ならびに帰属を行った。この結果得られたHER2消化断片の親イオンm/zが1438.3を用いて二次元分布状態を画像化した。
【0070】
次に、上記TOF−SIMS測定により得られた、HER2消化断片の親イオンとして同定されなかったピーク群について、各ピークを用いて二次元分布状態を画像化した。
【0071】
HER2より生成する消化断片の親イオンとして同定されなかったピークを用いて可視化した画像と、HER2より生成する消化断片の親イオンピーク(m/z 1438.3)を用いて得た画像との相関関係を評価した。相関関係の評価は、ピアソンの積率相関係数を用いた。
【0072】
画像の相関係数を求めた結果、HER2より生成する消化断片の親イオンピーク(m/z 1438.3)を用いた画像との相関係数が高い画像として、m/zが719.7、1267.7、1298.0を用いた画像を得た。なお、これらの画像とHER2より生成する消化断片の親イオンを用いた画像の相関係数は、それぞれ0.69、0.57、0.57であった。
【0073】
次に、HER2より生成する消化断片の親イオン(m/zが1438.4)についての全領域の積算スペクトル強度に対する、上記で得た、m/zが719.7、1267.7、1298.0それぞれについての全領域の積算スペクトル強度の比を求めた。その結果、強度比はそれぞれ12.2、3.2、2.1であった。
【0074】
以上により、HER2の強度分布に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下で、全領域の積算スペクトルの強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピーク(m/z 719.7、1267.7、1298.0)について、各画像を得た。図3にm/zが719.7、図4に1267.7、図5に1298.0のピークを用いて可視化した画像をそれぞれ示す。尚、図3が最もコントラストの良い画像であった。
【0075】
(比較例2)
実施例1において、実施例1で画像化したイオンピーク以外のイオンピークを用いて二次元分布状態を画像化した。以下の例では、いずれも実施例1の画像よりも相関係数が低かった。
【0076】
m/zが559.3、647.5のイオンピークを用いた画像の相関係数は、それぞれ0.45、0.23であった。これらのイオンピークは、HER2より生成する消化断片の親イオンに近いm/zであるものの、上記の同定ならびに帰属する工程において、消化断片の親イオンとしては帰属されなかったイオンピークである。これらのイオンピークについては、(1)HER2より生成する消化断片の親イオンではなく、m/zの近い他のイオンである。もしくは、(2)HER2より生成する消化断片の親イオンを含むが、前記m/zの近い他のイオンとの共存や、検出感度の低さにより相関係数が低下している、と推察した。
【0077】
また、m/zが413.3、643.5、699.5、1011.5、1228.8のイオンピークを用いた画像の相関係数は、それぞれ−0.15、0.37、0.42、0.25、0.27であった。これらのイオンピークは、ハウスキーピングタンパク質より生成する消化断片の親イオンに近いm/zである。こらのピークは、m/z 413.3がAlbmin関連、m/z 643.5がActin関連、m/z 699.5およびm/z 1011.5がNapsin関連、m/z 1288.8がTublin関連の各タンパク質とそれぞれ推定された。これにより、前記イオンピークは、HER2との関連のない他のタンパク質より生成した消化断片の親イオンであるため、相関係数が低いものと推察される。
【0078】
(評価)
上記実施例1で得た画像(図3乃至5)と比較例1で得た画像(図2)とを比較すると、明らかに実施例1で得た画像のほうがより明瞭であった。
【0079】
尚、実施例1および比較例1で得た画像(図2、図3乃至5)と、前記組織切片の隣接切片を免疫染色して得た光学顕微鏡画像(図6)とを比較すると良く一致した。また、HER2発現レベルの異なる複数のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片について、実施例1と同様にして画像化したところ、発現レベルと、画像の平均信号強度とが良く相関した。m/z 719.7を用いた画像について前記の相関を評価した結果を、図7に示す。図7においては、サンプル間でのイオン化率の違いを補正するために、m/z 719.7の平均信号強度を、各サンプルのいずれの領域からも強い信号が得られるイオンピークm/z 405.0の平均信号強度で除した規格値を用いた。なお、前記m/z 405.0の帰属は十分には行っていないものの、質量情報からはActin関連タンパク質より生成した消化断片の親イオンと推定される。以上から、実施例1で得られた画像は、HER2発現に関連するイオンピークを用いた画像であると考えられる。
【0080】
上記の評価により、組織切片に発現したHER2を可視化する際、比較例1に示したHER2消化断片の親イオンを用いる方法よりも、実施例1に示したHER2消化断片の親イオンと相関する他のイオンを用いて画像化する方法のほうが、より明瞭な画像が得られることを確認できた。
【0081】
以上、HER2が過剰発現した市販のパラフィン固定ヒト乳がん組織切片を対象について、これをトリプシンで消化分解し、TOF−SIMS法で計測した例を述べたが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0082】
例えば、トリプシンの替わりに別の消化物質を用いた場合、タンパク質を構成するペプチド結合の切断部位が異なることになるが、この場合にも本実施例に記載した手法を適用することができる。
【0083】
例えば、消化物質としてNTCBを用いる場合、HER2より生成する理論消化断片の親イオンの代表例として、m/z 855.4([CKGPLPTD+CN]+)、1052.5([CLHFNHSGI+CN]+)、1102.5([CAHYKDPPF+CN]+)などが挙げられる。このとき、実施例1と同様に、理論消化断片の親イオンとして帰属されるイオンピークを検出し、次に帰属されたイオンピークを基準として、イオンと強度分布が相関するイオンピークを検出し、その相関するイオンピークを用いて画像化することで、明瞭な画像を得ることができる。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
前記タンパク質又はペプチドを限定分解した後、前記試料の一定領域を質量分析する工程と、
限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて、前記分布状態に関する情報を得る工程と、
を有することを特徴とする情報取得方法。
【請求項2】
前記質量分析法が、TOF−SIMS法であることを特徴とする請求項1に記載の情報取得方法。
【請求項3】
前記タンパク質がHER2であり、前記限定分解は消化酵素としてトリプシンが用いられ、前記イオンピークのm/zが719.7±0.5、1267.7±0.5、1298.0±0.5より選ばれる一つまたは複数のピークであることを特徴とする請求項1又は2に記載の情報取得方法。
【請求項4】
前記イオンピークのm/zが719.7±0.5であることを特徴とする請求項3に記載の情報取得方法。
【請求項1】
試料中のタンパク質又はペプチドを質量分析して、前記質量分析で得られた質量情報に基づいて前記試料中の前記タンパク質又は前記ペプチドの分布状態に関する情報を得る情報取得方法であって、
前記タンパク質又はペプチドを限定分解した後、前記試料の一定領域を質量分析する工程と、
限定分解された前記タンパク質又はペプチドの親イオンの前記一定領域の強度分布および積算スペクトルのピーク強度に対して、ピアソンの積率相関係数が0.5以上1.0以下の強度分布を有し、前記一定領域の積算スペクトルのピーク強度比が1.0よりも大きく、m/zが500以上のイオンピークを用いて、前記分布状態に関する情報を得る工程と、
を有することを特徴とする情報取得方法。
【請求項2】
前記質量分析法が、TOF−SIMS法であることを特徴とする請求項1に記載の情報取得方法。
【請求項3】
前記タンパク質がHER2であり、前記限定分解は消化酵素としてトリプシンが用いられ、前記イオンピークのm/zが719.7±0.5、1267.7±0.5、1298.0±0.5より選ばれる一つまたは複数のピークであることを特徴とする請求項1又は2に記載の情報取得方法。
【請求項4】
前記イオンピークのm/zが719.7±0.5であることを特徴とする請求項3に記載の情報取得方法。
【図1】
【図7】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【公開番号】特開2012−132730(P2012−132730A)
【公開日】平成24年7月12日(2012.7.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−283780(P2010−283780)
【出願日】平成22年12月20日(2010.12.20)
【出願人】(000001007)キヤノン株式会社 (59,756)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成24年7月12日(2012.7.12)
【国際特許分類】
【出願日】平成22年12月20日(2010.12.20)
【出願人】(000001007)キヤノン株式会社 (59,756)
【Fターム(参考)】
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