説明

有機強誘電体材料

【課題】室温付近で高い誘電率と、強誘電相における大きな分極、優れた絶縁性を有し、大気中でかつ熱的に安定な有機強誘電体材料について、室温よりずっと低い相転移温度の向上を図り、室温の特性の改善を行うことを目的とする。すなわち、前記の優れた特性を保持しつつ、相転移温度を室温付近あるいはそれ以上までに効率よく高めることにより、常温常圧下における誘電応答あるいは強誘電特性が著しく向上した有機強誘電体材料を提供することを課題とする。
【解決手段】二種類以上の有機分子が水素結合を形成し、かつ水素結合に関与している水素原子が重水素置換されている有機強誘電体材料を提供することによって解決される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、有機物を用いた強誘電体材料に関する。
【背景技術】
【0002】
強誘電体結晶のうち、有機低分子が含まれる材料例は、無機物に比べると非常に少なく、限定的である(非特許文献1、2参照)。そのうちの多くは、硫酸グリシン、硫酸グアニジン・アルミニウム、プロピオン酸2カルシウムストロンチウム、塩化カルシウムサルコシン、1,4-ジアザビシクロ-[2.2.2]-オクタン(dabco)の塩類といった無機イオンと塩を形成したイオン結晶が大多数を占める。
【0003】
低分子の純有機材料では、強誘電性を示す材料はごく僅かであり、それらは単一成分の有機物と、二成分以上の分子から成る分子化合物との、大きく二つのタイプに分類できる。前者のうち、非水素結合型材料として、2,2,6,6-テトラメチルピペリジン-1-オキシル(慣用名:タナヌ)、1,6-ビス(2,4-ジニトロフェノキシ)-2,4-ヘキサジイン、ベンジルがあり、水素結合型材料としてはトリクロロ酢酸イミド、チオ尿素が知られている。しかしながら、これらの室温での誘電率はチオ尿素で約40、その他は15以下と小さい。
【0004】
また、二成分以上の分子から成る分子化合物の例としては、メタノールを包接したβ−キノールや電荷移動錯体であるテトラチアフルバレン(TTF)-p-クロラニルの及びその誘導体が知られている(非特許文献3参照)。これは二成分以上のπ電子分子で構成される材料群であり、分子間の電荷移動と結合した格子歪を用いて強誘電体になったものである。
【0005】
電荷移動錯体では分子間の電子移動による分極により、数百から最大約2000強にも及ぶ巨大な誘電率を持つ強誘電体が実現されている(非特許文献4参照)。但し、常圧における強誘電相転移の転移温度はいずれも150K以下と極めて低く、室温での相転移には圧力の印加が必要である。
【0006】
さらに、これら電荷移動錯体結晶は、凝集力が主に弱いファン・デル・ワールス相互作用と電荷移動相互作用に頼るため、揮発性が極めて高く一般に熱的安定性に乏しい。また空気酸化による劣化も見られる。その上、極低温領域を除いて伝導度つまり誘電損失が大きく、室温での絶縁性材料としての実用化には、現状では不十分である。
【0007】
そこで、発明者らは、上記強誘電体材料に代わる新たな低分子系の有機強誘電体として、二種類以上の有機分子が水素結合を形成した固体、とりわけフェナジンとジヒドロキシ-p-ベンゾキノン誘導体分子との分子化合物では、自発分極が有機物の強誘電体材料としては比較的大きく、室温では大きな誘電率を持ちかつ、絶縁性も優れた強誘電体材料を与えることを見出し、特許出願済みである(特許文献1参照)。同時に、この強誘電体材料は、強誘電特性として、分極反転に要する電場(抗電場)が強誘電ポリマーに比べ約2〜3桁低いことから、メモリー素子等への応用の際には、駆動電力を著しく低減できる利点も有している。
【0008】
ところが、これら新たな強誘電体材料では、相転移温度が最も高いフェナジン・クロラニル酸においても相転移温度は253Kと依然低く、強誘電特性の発現には相転移温度以下という低温環境が必要であった。一方、メモリーなどへの応用・実用化の展開を図る上で、常温常圧で強誘電性を発現させることが望まれている。したがって、相転移温度が室温より低い強誘電体材料を得た場合には、何らかの手法で、こうした優れた特性を失うことなく相転移温度を室温と同程度もしくは室温以上まで高め改良することが求められていた。
【特許文献1】特願2003−320695号
【非特許文献1】J.Fousek,Ferroelectrics, Vol.113 (1991) 3-20
【非特許文献2】J.Sworakowski, Ferroelectrics, Vol.128 (1992) 295-306
【非特許文献3】H.Okamoto etal., Phys.Rev. B 43 (1991) 8224
【非特許文献4】S.Horiuchiet al., Phys.Rev.Lett. 85 (2000) 5210-5213
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、室温付近で高い誘電率と、強誘電相における大きな分極、優れた絶縁性を有し、大気中でかつ熱的に安定な有機強誘電体材料について、室温よりずっと低い相転移温度の向上を図り、室温の特性の改善を行うことを目的とする。すなわち、前記の優れた特性を保持しつつ、相転移温度を室温付近あるいはそれ以上までに効率よく高めることにより、常温常圧下における誘電応答あるいは強誘電特性が著しく向上した有機強誘電体材料を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するために、本発明は、二種類以上の有機分子が水素結合を形成し、かつ水素結合に関与している水素原子が重水素置換されている有機強誘電体材料を提供する。
【0011】
また本発明は、上記有機分子が、低分子である有機強誘電体材料を提供する。
【0012】
また本発明は、上記有機分子が、π電子系の分子である有機強誘電体材料を提供する。
【0013】
また本発明は、上記有機強誘電体材料が、分子化合物あるいはプロトン・ジュウテロン(重陽子)の授受により生じる塩である有機強誘電体材料を提供する。
【0014】
また本発明は、上記有機分子が、プロトン・ジュウテロン供与体材料及びプロトン・ジュウテロン受容体材料である有機強誘電体材料を提供する。
【0015】
また本発明は、プロトン・ジュウテロン供与体材料が、2,5-ジヒドロキシ-p-ベンゾキノン誘導体である有機強誘電体材料を提供する。
【0016】
さらに本発明は、プロトン・ジュウテロン受容体材料が、ピリジン誘導体、フェナジン誘導体、キノキサリン誘導体、ビピリジン誘導体、ナフチリジン誘導体もしくはトリアジン誘導体等の芳香族複素環式化合物である有機強誘電体材料を提供する。
【発明の効果】
【0017】
本発明では、強い水素結合を介して二種類以上の異なる分子を交互に配列させ、酸−塩基分子間での相対的な変位もしくは秩序−無秩序による強誘電相転移を実現させることにより、大きな自発分極や誘電応答をもつ有機強誘電体材料が得られることに加えて、重水素置換を施すことにより、優れた特性を維持したまま相転移温度を効率よく上昇させることができる。このため、強誘電相転移温度が室温を超えて高温になることから、室温で高誘電率が必要とされる記憶素子、非線形光学材料等への応用が期待される。
【発明を実施するための最良の形態】
【0018】
一般に、水素結合型有機分子結晶では、ファン・デル・ワールス力よりも強い相互作用である水素結合力が優先され、最密充填ではないルーズな構造が構築されやすい。したがって、水素結合結晶では、構造相転移が誘起されやすい。また、単一成分結晶と比べると、二成分以上から成る材料では、異種分子間の相対的な変位に伴い、より大きな分極を発生させることができると考えられる。
【0019】
本発明は、電荷移動錯体とは異なり、分子間の電子移動を伴わないため、絶縁性の維持の上でも優れている。また、二成分以上の分子を用いることで、強誘電性の効果的な制御と特性向上に向けた材料設計においてもより高い自由度を獲得できる。
本発明では、酸−塩基のπ電子系有機分子を反応させることで、成分分子自身が低融点もしくは顕著な揮発性を持つとしても、強い水素結合によって熱的に安定な格子をもつ結晶を形成し得るという利点を有している。
また、水素結合に関与する水素原子を同位体である重水素で置換する際、その前後で結晶構造、分子配列は一般にほぼ維持されるため、元の優れた絶縁性、誘電率や分極特性を失うことなく相転移温度を制御できる。
【0020】
本発明を実施する具体的手法は、水素結合が可能な原子(官能基)を含むもしくは結合しているπ電子骨格を有する分子であり、水素原子ドナー部位を重水素で置換した分子(酸)(A)とアクセプターとなる分子(塩基)(B)二種類以上の分子の各溶液を混合する、あるいは気相反応(減圧真空下、各々を昇華させ反応させる共昇華)等により、結晶、粉末、または膜の形態で、重水素を介して分子間で水素結合をした分子化合物もしくはプロトン・ジュウテロンを授受した塩を固体状で得ることである。そして次に、重水素化しようとする有機強誘電体材料の中で一番相転移温度が高い材料を出発点に選ぶことにより、重水素化後の相転移温度をより効率よく高めた強誘電体材料が得られる。
【実施例】
【0021】
以下本発明の実施例について説明する。
下記化1は、本発明に関わる化合物のAとBの具体例として、それぞれフェナジン分子と重水素化された2,5-ジヒドロキシ-p-ベンゾキノン誘導体分子の化学構造式を示す。同化学構造式において、Xは水素原子あるいはハロゲン原子、ニトロ基、シアノ基などの置換基を示す。X=Clの場合、クロラニル酸であり、X=Brの場合は、ブロマニル酸である。
【0022】
【化1】

【0023】
高い酸性度をもつプロトン供与性の水酸基を有したクロラニル酸を酸として、プロトン受容部位として窒素原子を芳香環に有するフェナジン分子を塩基とする水素結合型の分子化合物は、一連の誘導体の中で最も高い相転移温度253Kを持つため、これを出発材料に選定した。重水素化クロラニル酸は、クロラニル酸を市販の重水素化メタノール(CH3OD)より再結晶させることで合成した。最終的な精製は昇華により行った。99%のCH3ODより、重水素化率約40〜60%の重水素化クロラニル酸を得た。
【0024】
次に、より高い重水素化率をもつフェナジン・クロラニル酸結晶の作成は、重水素を系に供給できるジュウテロン性の媒体、例えば重水素化メタノールや重水素化エタノール等の重水素化アルコールの存在下で行う。すなわち、市販の重水素化メタノール(CH3OD) (重水素化率99%ないし99.5%)を溶媒として用い、フェナジンと重水素化クロラニル酸を静置したガラス管中2〜3週間拡散させて分子化合物結晶を作成した。
【0025】
重水素化率99%、99.5%のCH3ODからは、それぞれ水酸基の重水素化率76±2%、89±2%の結晶を得ることが出来た。なお結晶の重水素化率は、赤外スペクトルにおける同位体効果の顕著な分子内振動スペクトルの強度比を用いて決定した。
【0026】
X線結晶構造解析により、結晶中でのフェナジンと2,5-ジヒドロキシ-p-ベンゾキノン類の組成比は1:1と決定され、重水素置換体も、同型構造を維持していることが確かめられた。得られた分子化合物は、水素体と同様、室温大気中で結晶は安定である。
こうして試作した単結晶試料の誘電率の温度特性を、LCRメーターにより調べた。
【0027】
図1にフェナジン・クロラニル酸の重水素化した強誘電体材料(重水素化率89%)と重水素化していないものとの各々の誘電率を比較している。いずれも強誘電相転移に特徴的な誘電率のピーク異常が現れる。元のフェナジン・クロラニル酸結晶の場合、相転移温度は253Kと室温よりずっと低温であるが、その重水素置換体結晶では、304Kと、室温よりも少し高い値まで上昇し、約50K向上している。また、それに伴い、b軸方向の誘電率は、重水素置換前では室温付近で約140程度が、重水素置換後は室温付近に約2000〜3000という極めて大きなピークを有する。ここで、図1において、電場(周波数1MHz)の印加方向は、b軸方向である。
【0028】
なお、重水素置換による効果を得るためには、高い重水素化率をもつことが望ましい。例えば水酸基の重水素化率12%の場合、相転移温度は5Kだけしか上昇しなかった。相転移温度が水酸基の重水素化率におおよそ比例しているものと考えると、フェナジン・クロラニル酸の場合、室温付近での相転移を実現するにはおおむね70%以上の重水素化率が必要となる。
【0029】
フェナジン・重水素化クロラニル酸結晶(重水素化率89%)では、水素体と同様、分極はb軸方向に沿って現れる。分極反転による履歴特性を調べるために、電荷―電圧変換器と三角波形発生器及び電圧増幅器を組み合わせた強誘電体特性評価装置を用いて、b軸方向に電場Eを印加掃引した時のP(分極)の変化を測定した。
図2に、288K、294K及び300Kにおけるフェナジン・重水素化クロラニル酸結晶の分極−電場履歴曲線を示す。室温付近では、分極反転に基づく明瞭なループ状の履歴曲線を描く。これは室温で強誘電体である証拠を示すものである。
【0030】
最後に、上記の実施例は、あくまで本発明の理解を容易にするためのものであり、この実施例に限定されるものではない。すなわち、本発明の技術思想に基づく変形、他の態様は、当然本発明に包含されるものである。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】フェナジン・クロラニル酸結晶(点線)及びフェナジン・重水素化クロラニル酸結晶(重水素化率89%)(実線)の誘電率の温度変化を示す図である。
【図2】フェナジン・重水素化クロラニル酸結晶(重水素化率89%)の室温付近における分極−電場履歴曲線を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
二種類以上の有機分子が水素結合を形成し、かつ水素結合に関与している水素原子が重水素置換されていることを特徴とする有機強誘電体材料。
【請求項2】
有機分子が、低分子であることを特徴とする請求項1記載の有機強誘電体材料。
【請求項3】
有機分子が、π電子系の分子であることを特徴とする請求項1又は2記載の有機強誘電体材料。
【請求項4】
有機強誘電体材料が、分子化合物あるいはプロトン・ジュウテロンの授受により生じる塩であることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の有機強誘電体材料。
【請求項5】
有機分子が、プロトン・ジュウテロン供与体材料及びプロトン・ジュウテロン受容体材料であることを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の有機強誘電体材料。
【請求項6】
プロトン・ジュウテロン供与体材料が、2,5-ジヒドロキシ-p-ベンゾキノン誘導体であることを特徴とする請求項5記載の有機強誘電体材料。
【請求項7】
プロトン・ジュウテロン受容体材料が、ピリジン誘導体、フェナジン誘導体、キノキサリン誘導体、ビピリジン誘導体、ナフチリジン誘導体もしくはトリアジン誘導体等の芳香族複素環式化合物であることを特徴とする請求項5又は6に記載の有機強誘電体材料。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2006−155944(P2006−155944A)
【公開日】平成18年6月15日(2006.6.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−341035(P2004−341035)
【出願日】平成16年11月25日(2004.11.25)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】