説明

核磁気共鳴により目的物質を検出するための方法

目的物質中に含まれる予め選択した核種の核磁気共鳴(NMR)によって、試料中の既知の目的物質を検出するための方法が記載される。この方法は、a)目的物質を含有することが分かっているかまたは疑われる出発試料を準備するステップ、b)複合試料を得るために、出発試料に一定量の同位体標識した目的物質を加えるステップであって、該同位体標識した目的物質が、目的物質の少なくとも1つの核を別の同位体に置換することにより目的物質から得ることができ、前記置換により、目的物質の少なくとも1つのNMRシグナルの位置または多重度の変化が引き起こされるステップ、c)複合試料から予め選択した核種のNMRシグナルを取得するステップ、d)同位体標識した目的物質のNMRシグナルの補助セットの実際の位置を決定するステップ、e)シグナルの補助セットの実際の位置、および、同位体標識した目的物質のシグナルの相対位置と目的物質のシグナルの相対位置との間の予め定められた関係から、目的物質のNMRシグナルの主要セットの実際の位置を算出するステップ、f)ステップe)により算出された実際の位置にある目的物質の少なくとも1つのシグナルを検出するステップを含む。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、核磁気共鳴により試料中の目的物質を検出するための方法に関する。
【背景技術】
【0002】
核磁気共鳴分光法は、多種多様な試料の定性的分析および定量的分析に広く用いられている周知の技法である。この技法は一般に、非ゼロスピン角運動量をもつ予め選択された核同位体、例えばH、13Cまたは他の多くの同位体に選択的な条件下で、核磁気共鳴スペクトル(以降、NMRスペクトルと呼ぶ)を記録することを伴う。一般に、分子種を含有する試料から得られるNMRスペクトルは、予め選択した同位体の核からもたらされる複数のシグナルピークを含む。各々のシグナルピークは、特定の分子環境の結果として特定の局所磁場を経験する1または数個の核に起因する特定の共鳴周波数に相当する。したがって、参照シグナルに対して百万分の1(ppm)で与えられるいわゆる化学シフトに関して通常表される、NMRシグナルピークが観察される共鳴周波数は、シグナルピークを生じさせる1または複数個の核の分子位置を第一に表すが、pH値、塩類含有量などのような試料条件にも依存する。
【0003】
多くのその他の分析技法と比較するとNMR分光法の重要な利点は、特定の周知条件下で、シグナルピークの積分値は共鳴する核の数に正比例するという事実にある(例えば、R.R.Ernst,G.Bodenhausen and A.Wokaun,Principles of Nuclear Magnetic Resonance in One and Two Dimensions,Oxford Science Publication,1988,91 − 157を参照)。そのために、NMRスペクトルの様々なシグナルピークの積分値は、各々のシグナルピークに寄与する核の数を反映する。
【0004】
上記のようにシグナルピークの積分値と共鳴する核の数との間が比例するため、NMRシグナルピークの絶対積分は、NMR分光計の検出容量中に存在する、共鳴する核を含有する分子の数に直接関連する。しかし、所与試料中の全てのNMRシグナルピークの絶対積分は、一般に多くの実験条件において同様に反応することになる。それにもかかわらず、NMR分光法を用いる定量的分析は、関心対象の物質のシグナルの積分値を既知濃度で存在する対照物質のシグナルの積分値と比較することができるならば、やや簡単な方法で行うことができる。
【0005】
NMR分光法の多くの分析応用における問題は、関心対象の物質のNMRシグナルが他の物質のシグナルに重なる可能性があるという事実によりもたらされ、従って定量化は不可能ではないとしても困難となる。特に、この問題は、密集したNMRスペクトルに起因して望ましくないシグナルの重なりの可能性がやや大きい、生物学的(biological)試料に多く起こる。しかし、多くの状況において、関心対象のシグナルの位置を密集したスペクトル領域から本質的に空のスペクトル領域へシフトさせることは可能である。例えば、溶液中の物質のNMRシグナルの位置は、様々な要素、例えば溶液のpH、イオン強度、塩組成および塩濃度に依存し得る。したがって、これらのパラメータのいずれかを変化させることによるか、またはシグナル位置をシフトさせると分かっている物質を加えることにより、シグナル位置の望ましいシフトを実現することができる。
【0006】
上記のシグナルシフト手順の困難さは、多くの状況において、シグナルのシフト量は数種類のパラメータに依存する可能性があり、従って正確に予測できないので、シフトしたシグナルを明白に識別することが不可能であるという事実に起因する。さらに、シグナル位置の同時シフトが、多くの場合その試料中に存在するその他の種のシグナルにおいて引き起こされることになる。そのために、既知のシグナルシフト法は、シフトした関心対象のシグナルは、それとは区別されるべきである少なくとも1つのその他のシグナルに非常に近い可能性があるという欠点がある。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の主な目的は、特に生物学的試料における、物質の定性的および定量的検出のための現在公知のNMR法の制限および欠点を克服することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前述の目的およびさらなる目的は、本発明の方法により達成される。
【0009】
請求項1によれば、試料中の既知の目的物質中に含まれる予め選択した核種の核磁気共鳴(NMR)によって前記目的物質を検出するための方法であって、
a)前記目的物質を含有することが分かっているかまたは疑われる出発試料を準備するステップ、
b)複合試料を得るために前記出発試料に一定量の同位体標識した目的物質を加えるステップであって、該同位体標識した目的物質が、前記目的物質の少なくとも1つの核を別の同位体に置換することにより前記目的物質から得ることができ、該置換により、前記目的物質の少なくとも1つのNMRシグナルの位置または多重度の変化が引き起こされる、ステップ、
c)前記複合試料から予め選択した核種のNMRシグナルを取得するステップ、
d)前記同位体標識した目的物質のNMRシグナルの補助セット(auxiliary set)の実際の位置を決定するステップ、
e)前記シグナルの補助セットの実際の位置から、および、前記同位体標識した目的物質のシグナルの相対位置と前記目的物質のシグナルの相対位置との予め定められた関係から、前記目的物質のNMRシグナルの主要セット(principal set)の実際の位置を算出するステップ、
f)ステップe)により算出された実際の位置にある前記目的物質の少なくとも1つのシグナルを検出するステップ
を含む方法が提供される。
【0010】
用語「NMR」または「核磁気共鳴」としては、本明細書において、限定されるものではないが、一次元NMR(例えば、H NMR)、二次元NMR(例えば、HSQCまたはHMQC、NOESY、TOCSY、COSY)、三次元NMR(例えば、NOESY−TOCSY、HMQC−TOCSY)および磁気共鳴画像法(MRI)が挙げられる。この技法は、一般に、磁場において予め選択した核種についての共鳴の条件を確立することを伴う。当技術分野で公知のように、NMRには、予め選択した核種が、非ゼロ核スピン角運動量をもつ同位体、例えばH、13Cおよびその他多くの同位体であることが必要である。
【0011】
用語「同位体」は、同じ数のプロトンを有するが、異なる数の中性子を有する核を区別するために一般に用いられる。しかし、化学および生物学の情況(context)において、用語「同位体」は多くの場合、拡大適用されて特定の同位体核を有する原子を含む。
【0012】
用語「目的物質」は、本明細書において、NMRにより検出することができ、かつ、以下にさらに説明されるような同位体で標識することのできる任意の物質をさす。目的物質の分子量は、その目的物質がNMRで検出される限り限定されない。好ましくは、目的物質の分子量は40kDa未満であるが、より好ましくは、それは5kDa未満であり、さらにより好ましくは、それは500Da未満である。目的物質には、限定されるものではないが、タンパク質、ポリペプチド、ペプチド、アミノ酸、炭水化物、有機酸、遺伝子、核酸、化合物およびポリマーが含まれる。好ましくは、目的物質はアミノ酸であり、より好ましくは、目的物質はグリシンである。一実施形態では、目的物質は、マーカー、例えば、診断用のマーカー、薬物のふるまい(disposition)(例えば、吸収、分布、代謝、排出)を研究するためのマーカー、治療または薬物の有効性または副作用を研究するためのマーカーであってよい。
【0013】
用語「試料」は、本明細書において、目的物質を含むか、または目的物質が含まれている可能性のある任意の試料をさす。通常、試料は混合物であり、目的物質だけでなくその他の物質も含む。試料としては、限定されるものではないが、哺乳類から単離された生物学的試料、細胞培養上清、発酵細菌産物、植物抽出物、原核(prokariotic)細胞抽出物、真核生物単細胞抽出物および動物細胞抽出物が挙げられる。好ましい実施形態では、本発明の方法で用いられる試料は、哺乳類から単離された生物学的試料である。この哺乳類としては、限定されるものではないが、ヒト、げっ歯類(例えば、マウス、ラット、ハムスター)、サル、イヌおよびネコが挙げられる。好ましくは、生物学的試料はヒトから単離される。生物学的試料としては、限定されるものではないが、血液、間質液、血漿、尿、血管外液、脳脊髄液(CSF)、滑液、関節液、胸腔内液、血清、リンパ液、精液および唾液が挙げられる。一実施形態では、試料は、薬物治療または治療を受けた、または受ける予定の哺乳類から単離された試料であってよい。
【0014】
本発明の方法は、目的物質を含有することが分かっているかまたは疑われる試料から出発する。明確にするために、これを「出発試料」と呼ぶことにする。その後に、既知量の同位体標識目的物質が加えられ、それによりいわゆる「複合試料」と呼ばれることになるものが得られる。重要視されるべきことは、これが、同位体標識目的物質を混合することを必ずしも必要としないことである。言い換えれば、複合試料は、2つの別個の相または容器に存在する出発試料および標識目的物質から形成することができ得る。しかし、好ましくは、添加するステップは混合するステップを実際には含む。
【0015】
本発明によれば、出発試料に加えられる同位体標識目的物質は、目的物質の少なくとも1つの核をその別の同位体に置換することにより目的物質から得ることができるはずであり、該置換により、目的物質の少なくとも1つのNMRシグナルの位置または多重度の変化が引き起こされる。下に説明されるように、そのような同位体置換は、一般にNMRシグナルの変化を引き起こす、すなわち、目的物質と比較すると同位体標識した目的物質において少なくとも1つのNMRシグナルが異なるライン位置および/または多重度を有する。特定の状況において最も適切な同位体置換の種類は、検出されたNMRシグナルにおいて、十分に強力な同位体効果を有するように選択されるべきであることは、当然理解される。
【0016】
好ましくは、同位体置換は、少なくとも1つの12Cを13Cで置換すること、または少なくとも1つのHをHで置換することを含む。しかし、その他の置換が可能である。原則として、元のまたは置換された同位体のいずれか、あるいは両方が放射性であることが可能である。しかし、大抵の場合、もっぱら安定な同位体だけを使用することが好ましい。例えば、同位体置換は、13C、H、15N、17O、33S、Li、11B、29Siまたは31Pを導入することを含み得る。好ましくは、同位体置換は、13C、Hまたは15Nを導入することを含む。さらに、同位体置換に関与する核の少なくとも1つが非ゼロ核スピンを有するならば、それにより位置または多重度の必要な変化はJ−カップリングにより引き起こされることになるので、好ましい。それにもかかわらず、たとえゼロの核スピンをもつ核を、これもゼロスピンを有するその同位体で置換することであっても、本発明の意味において使用され得る化学シフトの僅かな変化を誘導することができる。
【0017】
本発明による方法は、複合試料から予め選択した核種のNMRシグナルを取得すること、および、同位体標識目的物質のNMRシグナルの補助セットの実際の位置を決定することをさらに含む。その後、目的物質のNMRシグナルの主要セットの実際の位置を、同位体標識目的物質のシグナルの相対位置または多重度と、目的物質のシグナルの相対位置および多重度との間の予め定められた関係を活用することにより、シグナルの補助セットの実際の位置から算出する。そのような関係の例は、目的物質のNMRスペクトル中のシングルラインであり、このシングルラインは同位体標識目的物質のNMRスペクトル中ではダブレットに分かれる。この際、ダブレットの中心のスペクトル位置は、シングルラインの中央の位置と実質的に同一である。この単純な例では、同位体標識した目的物質の添加により、新しいシグナル対の出現がもたらされることになる。対応する非標識目的物質のシングルラインは、次に、複数の狭い間隔で配置されたシグナルの中で、新しいシグナル対の間の中心線の位置にある1つを選択することにより、容易に識別されることになる。したがって、これにより、上記の関係を用いて算出された実際の位置にある目的物質の少なくとも1つのシグナルを検出し、その後に定性的または定量的分析を可能にすることができる。
【0018】
そのために、本発明の方法は、特に、過密なスペクトルをもつ生物学的試料またはその他の試料において、先行技術のNMR検出方法の欠点を克服する。
【0019】
有利な実施形態を従属クレームにおいて明示する。
【0020】
一実施形態によれば、本方法は、a1)予め選択した核種について出発試料のNMRシグナルを取得するステップをさらに含み、このステップは、ステップa)とb)の間に実行され、ステップd)は、ステップa1)で取得したNMRシグナルを、ステップc)で取得したNMRシグナルから減算することにより実行される。この減算ステップにより、その後の方法ステップに必要な同位体標識目的物質の実際のNMRスペクトルを素早く得る。これは、非標識目的物質のシグナル(1つまたは複数)を比較的密集していないスペクトル領域にシフトさせるために、序文において言及されるようなある種類のシフト技法が適用される状況において特に有用である。結果として生じるシフトは同位体標識目的物質のNMRラインにも生じることになるため、この減算ステップは、シフトしたラインを見出す際の実質的な補助である。
【0021】
もう一つの実施形態によれば、ステップd)は、非標識目的物質のNMRシグナルを選択的に抑制する同位体編集技法により実行される。
【0022】
特に好ましい実施形態によれば、本方法は、NMRシグナルの主要および補助セットの相対シグナル強度に基づき、添加された同位体標識目的物質の量に関して目的物質を定量するステップをさらに含む。この実施形態は、シグナルピークの積分値が共鳴する核の数に正比例する領域(regime)でNMR測定を実行することを必要とする。明らかに、添加した同位体標識目的物質の量が完全に分かっているならば、本方法は目的物質の完全な定量化を可能にする。
【0023】
本発明による方法は、限定されるものではないが、一次元NMR、二次元NMRおよび核磁気共鳴画像法(MRI)を含む、様々な種類のNMRに適用できる。
【0024】
試料に添加された同位体標識目的物質の量は、広範囲に選択されてよく、一般に、試料の量、試料中の目的物質の量、同位体の種類、目的物質の分子量、NMR法または装置の種類などの様々な要素に依存する。同位体標識目的物質の濃度は可能な限り低いことが好ましいが、同位体標識目的物質をNMR測定で容易に検出できるように十分に高くなくてはならない。好ましくは、試料に添加される同位体標識目的物質の量は、0.01mM〜100mMの間、より好ましくは0.1mM〜10mMの間である。
【0025】
本発明の方法では、単一の目的物質を検出することができるが、2以上の異なる目的物質を同時に検出することも可能である。試料に添加される同位体標識目的物質の数は、少なくとも1種類の同位体標識目的物質が試料に添加されさえすれば制限されない。2以上の異なる目的物質が同時に検出される場合、2以上の異なる同位体標識目的物質を試料に添加してよい。
【0026】
同位体標識目的物質中の同位体を置換する原子の数は、原則として、少なくとも1つの原子が、その原子の同位体を置換する限り限定されない。目的物質が2以上の同位体置換原子を含むならば、それらの同位体は同じ同位体であっても異なる同位体であってもよい。例えば、13Cを目的物質の標識に使用し、目的物質が数個の炭素原子を含むならば、1個の炭素原子のみを13Cで置換してよいし、または1より多くの炭素原子を、(全ての炭素原子であっても)13Cで置換してよい。さらに、目的物質は、13Cでの置換に加えて、15Nなどの別の種類の同位体で置換されてもよい。上に述べたように、同位体置換の目的は、非標識目的物質の少なくとも1つのシグナルの識別を可能にするように、NMRスペクトル中に新しいシグナルパターンの出現を引き起こすことである。
【0027】
同位体標識した目的物質は、当業者に公知の従来法により調製することができる。例えば、同位体標識した目的物質は、同位体を含む培養培地で目的物質を産生する細胞または微生物を培養することにより調製してよい。同位体標識した目的物質はまた、同位体または同位体標識した化合物を原材料として使用する化学合成により調製されてもよい。多数の同位体標識した目的物質が市販され、従って本発明の方法に使用されてよい。
【0028】
本発明の方法は様々な目的に使用することができる。例えば、本方法は、診断マーカーを目的物質として検出することにより、疾患の診断に用いることができる。多くの診断マーカーが当技術分野で周知であり、当業者は容易に診断マーカーを目的物質として使用することができる。
【0029】
さらに、本発明の方法は、薬物またはその代謝産物を検出することにより、薬物のふるまい、例えば吸収、分布、代謝または排出などの研究に用いることができる。本方法で用いられる試料は、薬物の投与後に哺乳類から単離することができる。薬物の投与前に哺乳類から単離された試料はまた、対照試料として使用してもよい。
【0030】
さらに、本発明の方法は、治療または薬物の有効性または副作用を研究するために用いることができる。この場合、治療または薬物の投与前に哺乳類から単離した試料と、治療または薬物の投与後に哺乳類から単離した試料を試料として使用してよい。特に、本発明の方法により検出される目的物質は、薬物が作用するかまたは副作用が生じる場合に、試料中のその濃度または量が変わる物質であってよい。
【0031】
上記およびその他の本発明の特徴および目的ならびにそれらを達成する方法は、これからより一層明らかとなり、本発明自体は、添付される図面と併せて、以下の本発明の様々な実施形態の説明を参照することにより、より良く理解される。
【図面の簡単な説明】
【0032】
【図1】同位体標識として導入されたスピン1/2を有する、少なくとも1つのその他の核と相互作用する、整数もしくは半整数スピンを有する核の一次元NMRスペクトルの模式図を示す図である。
【図2】同位体標識として導入されたスピン1を有する別の核と相互作用する、整数もしくは半整数スピンを有する核の一次元NMRスペクトルの模式図を示す図である。
【図3】13Cグリシンを含むCSF試料のH NMRスペクトル(メインパネル)、および12Cのシグナルの周囲のスペクトル領域中のその拡大図(インサートパネル、上部トレース)、ガウス関数をピークに適合させることによるデコンボリューションの結果(インサートパネル、中央トレース)、および13CフィルターNMRスペクトルの結果(インサートパネル、下部トレース)を示す図である。
【図4】二次元NMR分光法に適用される定量化法の模式図を示す図である。
【図5】磁気共鳴画像法に適用される定量化法の模式図を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0033】
[実施例1]
密集したNMRスペクトルにおいて既知の目的物質を識別および定量化するために用いることのできる様々なスピン系の位相幾何学(topologies)の概要を図1および2に示す。これらの例において、下の構造式中に太字で示される、検出したスピン(整数または半整数、例えばスピン1/2をもつHまたはスピン1をもつH)は、目的物質の場合ではNMRシングルラインを導く。試料条件(pH、塩、T)を変更することにより、この関心対象のシグナルは重なりのないスペクトル領域にシフトすることができる。しかし、シフトしたラインを識別することは必ずしも簡単とは限らない。同位体標識目的物質では、同じスピンがその中で置換された同位体核と相互作用する。この相互作用を用いて、関心対象のシグナルを識別し、同じ種類の標識されていない対応分子の量を定量化することができる。
【0034】
特に、図1は、同位体標識がスピン1/2核である状況を示す。非標識の目的物質(1)
【化1】

から出発し、特定の化学シフトにより特徴づけられる当該核スピン(すなわち、構造中に太字で示されるHまたはH)がNMRにより観察される。このスピンは、他のいかなるスピンともJ−カップリングを介して相互作用しない。残基R〜Rはスピンを全く有さない。NMRスペクトルは、図1(a)に示されるようにシングレットである。
【0035】
ここで、スピン1/2核(すなわち、13C)が分子中に導入されている同位体標識物質(2)
【化2】

についてみると、観察されるスピンは、NMRにおいてダブレットとして現れる、単一の異核J−カップリングを経験する。図1(b)に示されるように、総シグナル振幅は、今度は2つのシグナルに分配されている。
【0036】
非標識物質(1)と標識物質(2)の1:1混合物中においては、図1(c)に示されるようなスペクトルが見出され、この場合、非標識物質(シングレット)の化学シフトは、2つのダブレットシグナルの中央にある(矢印)。従って、非標識化合物のシングレットシグナルを識別することができ、さらに、標識した化合物の量が分かっているならば、物質の量を定量化することができる。ちなみに、図1(c)のスペクトルは、スペクトル編集技法を用いて図1(b)に示されるダブレットに簡略化することができた(G.Otting,H.Senn,G.Wagner,K.Wuthrich,(1986)J.Magn.Reson.70,500、およびG.Otting,K.Wuthrich,(1989)J.Magn.Reson.85,586を参照のこと)。
【0037】
しかし、現実の混合物では、図1(d)に示されるような同位体シフトのために、シングレットシグナルは正確にダブレットの中央(矢印)にはない。それにもかかわらず、この同位体シフトは小さく、先験的に知られている。したがって、シグナル識別および物質定量化はまだ可能である。
【0038】
1を超えるスピン1/2カップリングパートナーが標識物質に導入されるならば、より複雑な多重線が見られる。図1(e)は、非標識物質および二重に13C標識された物質(3)の現実の混合物の場合を示し、ダブレットのダブレットという結果となる。同位体シフトについての上記の所見がさらに当てはまる。シグナル識別および物質定量化はまだ可能である。
【化3】

【0039】
式(4)
【化4】

などの物質の場合で起こり得るように、残基R〜Rが、検出されたスピンとJ−カップリングを介して相互作用するその他のスピンを含むならば、図1(f)に示されるように、非標識物質および標識物質の両方の全てのシグナルのさらなる分裂が見られる。同位体シフトについての上記の所見がさらに当てはまる。シグナル識別および物質定量化はまだ可能である。
【0040】
対照的に、図2は同位体標識がスピン1の核である状況を示す。非標識目的物質(5)
【化5】

から出発すると、図2(a)に示されるように、13C−NMRスペクトルは単一スピン−1/2J−カップリングからのダブレットを示すことになる。
【0041】
検出したスピンが、重水素標識された物質(6)
【化6】

などのスピン1の核(例えばH)と相互作用するならば、図2(b)に示されるように、スペクトル中にトリプレットが見られることになる。
【0042】
非標識目的物質(5)と標識目的物質(6)の1:1混合物では、非標識物質に属するダブレットの化学シフトは、標識された物質に属するトリプレットの位置を用いることにより識別することができる。さらに、標識された目的物質の量が分かっているならば、非標識目的物質の量を定量化することができる。
【0043】
現実の混合物では、同位体シフトを考慮に入れる必要があるが(図2(c)参照)、このシフトは分かっているので、標識された物質に属するトリプレットの位置を識別することはなお可能である。さらに、標識された目的物質の量が分かっているならば、非標識目的物質の量を定量化することができる。
【0044】
指摘すべきは、上に示した実施例において、同位体標識物質は対応する非標識目的物質よりも一層複雑なNMRシグナル(すなわち、高度に多重度のシグナル)を有するが、これは必須要件ではないことである。少なくとも原則として、スピンを有する核を、それよりも小さいかまたはさらにはゼロのスピンをもつ同位体で置換し、従ってライン数の少ないNMRスペクトルをもたらす置換スキームを用いてよい。スペクトルパターンの変化は、それでも非標識目的物質のシグナルを識別する際に有用であり得る。
【0045】
[実施例2]
上記の検出方法を応用して、成体雄ウィスターラット(3〜5%のイソフルランガス麻酔下)の大槽から採取した脳脊髄液(CSF)中のグリシンを検出した。採取後、CSFをすぐに−80℃にて保存した。CSFの適当なアリコートを、6μL 8.5N NaOD、10μLの1mM 13C−グリシン(両方のC原子を13C標識した)および80% HO中20%DOの溶液と混合し、総容積200μLとした。30秒間ボルテックスした後、溶液を13,000rpmにて1分間遠心分離し、上清を3mmのNMR管の中に移した。試料は、測定の直前に新しく調製した。
【0046】
CSFのHNMRスペクトルを、5mm CryoProbeを装備したBruker Avance−II 600MHz機器で測定し、XWINNMR3.5(Bruker BioSpin,Fallanden,Switzerland)で制御した。各々の試料を手動でチューニングおよびマッチングし、ベンダーのグラジエント・シミング・ルーチンを用いて磁場の調整をした。幅8012.82Hzのスペクトル窓の中で32kデータポイントを取得し、その結果300Kの温度で2.045秒の取得時間となった。水共鳴は緩和遅延の間の1.9秒間の照射により抑制された。各々の試料に関して、十分高いシグナル対ノイズ比をもつスペクトルを得るために必要なだけ多くの過渡信号(transients)(一般に約1,024スキャン)が加えられた。フーリエ変換の前に、lb=−1.95Hz、およびgb=0.16のガウス窓関数を適用した。この後に手作業のフェージングおよびベースライン補正を行った。参照は、1.31ppmと規定された乳酸塩ダブレットの中央に関して行われた。
【0047】
グリシン濃度を決定するため、結果として得られるNMRスペクトルを、ガウス関数をピークにフィッティングさせることにより逆重畳(deconvolute)した。この手順は一般に各々の個別のピークの比を決定するために、ガウス型線形を有する重なりあっているピークに適用された(図3、拡大図の中央トレース)。全てのスペクトルに関して同じ処理パラメータを適用して、この方法により得た比を確実に比較できるようにした。逆重畳ステップの結果、すなわち、非標識12Cグリシンに関するピーク面積および添加された13Cグリシンに関するピーク面積を用いてCSF試料のグリシン濃度を算出した。これに関して、シグナル下のプロトンの数、添加された13Cグリシンの濃度および測定に用いたCSFの初期容積を考慮に入れた。
【0048】
具体的に、この定量化は、標準的なNMR処理ソフトウェア(例えば、XWIN−NMR、Topspin、Amix、Bruker Biospin AG,Fallanden,Switzerland)を用いて、非標識目的物質のシグナルを積分し、Iを得ること、および、標識目的物質のシグナルを積分し、Iを得ることにより実行した。目的物の濃度は、非標識目的物質の測定積分値(I)および同位体標識した物質の測定積分値(I)から、次式
=(n/n(I/I
(式中、Cは非標識目的物質の濃度であり、Cは同位体標識目的物質の濃度であり、nは非標識目的物質の積分したNMRシグナル下のプロトンの数であり、nは同位体標識目的物質の積分したNMRシグナル下のプロトンの数である。)
を用いて算出することができる。
【0049】
この手順を用いて、生物流体(biofluid)のその他の成分に結合していない遊離グリシンだけが定量化されることは注目する必要がある。
【0050】
[実施例3]
図4には、二次元NMR分光法に適用される定量化方法の概略図が示される。定量化する予定の目的化合物は、試料条件にもよるが3.7〜3.8ppmの範囲の化学シフトをもつシグナルを有する。生物学的マトリックスで取得した一次元H−NMRスペクトル(図4、左パネル)は、シグナルの著しい重なりを示す。二次元TOCSY分光法(A.BaxおよびD.G.Davis(1985),J.Magn.Reson.65,355を参照のこと)を適用すると、既知のスピン系位相幾何学の非対角のシグナルを単離することにより、この状況は改善されるが、小さな四角形で印を付けた2つのトリプレットシグナルの曖昧さは残っている(図4、中央パネル)。13C標識された物質をスパイクした後初めて(図4、右パネル)、関心対象のトリプレットは、現在トリプレットのダブレットとして明白な、下方のトリプレットであることが明解に識別される。従って目的物質の定量化は、図4、右パネルの四角形の中に示される、抽出されたトレース中のNMRトリプレットシグナルを積分することにより、サテライトトリプレットシグナルと中心トリプレットシグナルの比を得ることにより、可能となる。必要であれば、標識化合物のシグナルだけを含む簡略化された13Cを編集した参照スペクトルを取得することができ得る(G.Otting(1986)、前掲、およびG.Otting(1989)、前掲を参照のこと)。
【0051】
[実施例4]
図5には、磁気共鳴画像法(MRI)に適用される定量化方法の概略図が示される(P.G.Morris(1986)Imaging Nuclear Magnetic Resonance in Medicine and Biology,Clarendon Press,Oxford、およびP.T.Callaghan(1991)Micro−Imaging Principles of Nuclear Magnetic Resonance Microscopy,Clarendon Press,Oxford、およびP.Mansfield,P.G.Morris(1982)NMR Imaging in Biomedicine,Adv.Magn.Reson.(Suppl.2)Academic Press,New York、およびD.M.Kramer(1981),in: Nuclear Magnetic Resonance Imaging in Medicine: L.Kaufman,L.E.Crooks,A.R.Margulis(eds.)、 Iguku−Shoin,N.Y.,184を参照のこと)。化学シフトイメージング(CSI)(T.R.Brown,B.MKincaidおよびK.Ugurbil(1982)Proc. Nat. Acad. Sci. USA 79,3523、およびW.T.Dixon(1984)Simple proton spectroscopic imaging. Radiologie 152,189を参照のこと)を用いることにより、空間的に分解されたNMR情報を不均質な物体(例えば、生物学的試料またはNMR管の束など)(A.Ross,G.Schlotterbeck,H.SennおよびM.vonKienlin(2001),Angew.Chem.,Int.Ed.,40,3243−3245、およびA.Ross,G.SchlotterbeckおよびH.Senn(2003),米国特許第6,504,368 B2号を参照のこと)で収集することができる。結果として、化学シフトおよび化合物の検出感度は、抽出したスペクトルの空間位置に依存し得る。これは、スペクトル中心の微小変位および振幅の変化により上に引用される36のスペクトルに示される。異なる振幅が、化合物の濃度の実際の差に起因して見られるのか、または、検出感度の差に起因して見られるのかは、均質な分布が得られるという条件で、同位体標識した化合物でスパイクすることにより答えることができる。スペクトル変位の大きさにはまた、試料マトリックスの局部的情報(例えば局部pH値)が含まれる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料中の既知の目的物質中に含まれる予め選択した核種の核磁気共鳴(NMR)によって、前記目的物質を検出するための方法であって、
a)前記目的物質を含有することが分かっているかまたは疑われる出発試料を準備するステップと、
b)複合試料を得るために前記出発試料に一定量の同位体標識した目的物質を加えるステップであって、該同位体標識した目的物質が、前記目的物質の少なくとも1つの核を別の同位体に置換することにより前記目的物質から得ることができ、前記置換により、目的物質の少なくとも1つのNMRシグナルの位置または多重度の変化が引き起こされる、ステップと、
c)前記複合試料から予め選択した核種のNMRシグナルを取得するステップと、
d)前記同位体標識した目的物質のNMRシグナルの補助セットの実際の位置を決定するステップと、
e)前記シグナルの補助セットの実際の位置から、および、前記同位体標識した目的物質のシグナルの相対位置と前記目的物質のシグナルの相対位置との予め定められた関係から、前記目的物質のNMRシグナルの主要セットの実際の位置を算出するステップと、
f)ステップe)により算出された実際の位置にある前記目的物質の少なくとも1つのシグナルを検出するステップと
を含む方法。
【請求項2】
ステップb)の前記核およびその前記同位体の少なくとも1つの前記置換において、置換する前記核が、非ゼロ核スピンを有する請求項1に記載の方法。
【請求項3】
ステップb)が、前記同位体標識した目的物質を前記出発試料に混合することを含む請求項1に記載の方法。
【請求項4】
ステップa)とb)の間に実行される、
a1)前記予め選択した核種について前記出発試料のNMRシグナルを取得するステップ
をさらに含み、ステップd)が、ステップa1)で取得したNMRシグナルを、ステップc)で取得したNMRシグナルから減算することにより実行される請求項1〜3のいずれかに記載の方法。
【請求項5】
ステップd)が、前記目的物質のNMRシグナルを選択的に抑制する同位体編集技法により実行される請求項1〜3のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
前記NMRシグナルの主要および補助セットの相対シグナル強度に基づき、添加された同位体標識目的物質の量に関して前記目的物質を定量するステップをさらに含む請求項1〜5のいずれかに記載の方法。
【請求項7】
前記NMRシグナルの補助セットが、前記同位体標識目的物質の少なくとも2つのシグナルを含み、前記NMRシグナルの主要セットが、前記目的物質の1つのシグナルを含む請求項1〜6のいずれかに記載の方法。
【請求項8】
前記予め選択した核種が、Hまたは13Cである請求項1〜7のいずれかに記載の方法。
【請求項9】
前記出発試料が、生物学的試料である請求項1〜8のいずれかに記載の方法。
【請求項10】
前記同位体標識目的物質のその他の同位体が、13C、Hおよび15Nから選択される、請求項1〜9のいずれかに記載の方法。
【請求項11】
NMRが一次元NMRである請求項1〜10のいずれかに記載の方法。
【請求項12】
NMRが二次元NMRである請求項1〜10のいずれかに記載の方法。
【請求項13】
NMRが核磁気共鳴画像法である請求項1〜10のいずれかに記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公表番号】特表2010−534325(P2010−534325A)
【公表日】平成22年11月4日(2010.11.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−517295(P2010−517295)
【出願日】平成20年7月15日(2008.7.15)
【国際出願番号】PCT/EP2008/005754
【国際公開番号】WO2009/012911
【国際公開日】平成21年1月29日(2009.1.29)
【出願人】(504412406)エフ.ホフマン−ラ・ロッヒェ・アクチェンゲゼルシャフト (4)
【氏名又は名称原語表記】F.HOFFMANN−LA ROCHE AG