説明

水溶性五価アンチモン試薬とそれを用いた抗リーシュマニア症治療薬

【課題】
本発明は、アルコールや界面活性剤等の添加剤が無くとも水に溶け、またこれらの添加剤により著しく水溶性が改善される水溶性五価アンチモン試薬を提供することを目的とする。
【解決手段】
本発明の水溶性五価アンチモン試薬は、アンチモンのフタロシアニンの錯体の軸配位子に硫酸基を有していることを特徴とし、前記軸配位子が複数の水酸基からなり、その一部又は全部が硫酸基に置換されてなることを特徴とする。
水溶性五価アンチモン試薬は、フタロシアニンの周辺置換基フェノキシル基にスルホン酸基を有していることを特徴とし、前記周辺置換基のフェノキシル基の一部または全部がスルホン化されていることを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、水溶性五価アンチモン試薬と、これを主成分とする抗リーシュマニア症治療薬に関する。
【0002】
リーシュマニア症は、熱帯・亜熱帯地方を中心として88ヶ国にわたり流行しているWHO指定熱帯病の一つである。現在、世界中で約1200万人が感染し、毎年150万人が新たに感染しており、過去10年間でその数は急増している。リーシュマニア症原虫は2宿性でヒトやげっ歯類の細網内皮系細胞内、特にマクロファージ内でアマスチゴート(無鞭毛期)型として増殖し、感染を媒介する吸血性昆虫であるサンショウバエの中腸内ではプロマスチゴート(前鞭毛期)型で増殖する。原虫の種または亜種によって病巣の位置が異なり、病態によって皮膚型、粘膜型、内臓型の3つの型に分けられるが、中でも内臓型の症状は重く、肝・脾腫大、白血球減少、発熱、リンパ節腫脹などがみられ、死に至るケースが多い。また最近では、この内臓型がHIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染の経路中に頻繁に認められており、新たな問題となっている。このため、リーシュマニア症の新規化学療法剤の開発は人類にとって緊急を要する重要な課題であると考えられる。
【0003】
従来よりリーシュマニア症の治療に用いられている薬物は、(1)第一選択薬としてペントスタム(スチボグルコン酸ナトリウム)やグルカンタイム(アンチモン酸メグルミン)に代表される5価のアンチモン試薬である。しかし、近年インドで五価アンチモン試薬に対する耐性株が報告され、しかも周辺地域に急速に拡大している(非特許文献1、2)。(2)ペンタミジンを代表とするジアミジン誘導体は、前述のアンチモン剤による治療が十分でない場合に第二選択薬として用いられる。(3)その他に、イミダゾール、トリアゾール系化合物やアムホテリシンBなどの抗菌剤も用いられるが、通常は効力の点でアンチモン剤に及ばない。
【0004】
五価アンチモンがリーシュマニア症治療にどのような機構で役割を果たしているのかについては、原虫のエネルギー産生やトリパノチオン代謝を阻害し(非特許文献3)、五価アンチモンがグルタチオンやトリパノチオン等のチオール(−SH基を有するアミノ酸やペプチド)によってより活性な三価アンチモンに還元され、三価アンチモンが代謝酵素を阻害すると一般的には考えられている(非特許文献4−6)。
【0005】
一方で原虫の五価アンチモン試薬に対する耐性のメカニズムについて、最近の研究では、五価アンチモン試薬耐性株では、ホストのマクロファージにおける含チオール(SH)基ペプチド(グルタチオン)の合成酵素に関与する遺伝子の発現が抑制され、それによってチオールの濃度が低下することでマクロファージ中の還元的雰囲気が失われ、五価アンチモンの三価への還元が妨げられていることが報告されている(非特許文献11)。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、このような実情に鑑み、従来の抗リーシュマニア症薬とは異なる構造を有する新規な五価アンチモン試薬と、それを用いた抗リーシュマニア症治療薬を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
発明1の水溶性五価アンチモン試薬は、そのフタロシアニンの錯体の軸配位子に硫酸基を有していることを特徴とする。
発明2は、発明1の水溶性五価アンチモン試薬において、前記軸配位子の水酸基の一部又は全部が硫酸基に置換されてなることを特徴とする水溶性五価アンチモン試薬。
【0008】
発明3の抗リーシュマニア症治療薬は、発明1または2の水溶性五価アンチモン試薬を主成分として用いたことを特徴とする。
発明4は、発明3の抗リーシュマニア症治療薬において、その水溶性五価アンチモン試薬は、フタロシアニンの周辺置換基フェノキシル基にスルホン酸基を有していることを特徴とする。
発明5は、発明4の抗リーシュマニア症治療薬において、前記周辺置換基のフェノキシル基の一部または全部がスルホン化されていることを特徴とする。
【発明の効果】
【0009】
アンチモンのフタロシアニンの錯体の軸配位子が、水溶性を左右するとともに、その本来の属性を維持するのに大きく関係するとの知見を得て、これに基づき、本願発明を完成したものである。
その結果、発明では、アルコールや界面活性剤等の添加剤が無くとも水に溶け、またこれらの添加剤により著しく水溶性が改善された。
さらに、従来の五価アンチモン試薬よりも著しく強い酸化力を有し、乏しい還元的雰囲気においても容易に還元されるものである。
【0010】
従来の五価アンチモン試薬とはまったく異なる構造の五価アンチモン−フタロシアニン錯体を合成する試みも行われてきた(特許文献1および非特許文献7−10)。これらの錯体は非常に強い酸化力を有することが確認されており(特許文献2、3および非特許文献9、12−14)、中心原子の五価アンチモンが穏和な条件で三価に還元されることが確認されている(非特許文献9)。化合物3および4は非特許文献9に記載された錯体と周辺置換基が異なるが、錯体の還元電位に及ぼす周辺置換基の効果は非特許文献15から無視できるほど小さいことが予想される。また化合物1−3のアンチモン試薬は非特許文献9に記載された錯体と軸配位子だけが異なるが、錯体の還元電位は軸配位子の影響をほとんど受けない(非特許文献9)ため、同じ程度の酸化力を有すると考えられる。従って従来の五価アンチモン試薬と同様の効能があると考えられるのみならず、耐性株が寄生する還元性雰囲気に乏しいマクロファージ中でも還元され三価アンチモン種を生じることとなる。しかしながらフタロシアニンは大きなπ電子共役系を有する芳香族性有機化合物であり、疎水性が著しく高いがために、水溶性試薬は得られず、非特許文献10で親水性コロイドを形成する程度に親水性を高めることには成功しているものの、水に溶けるまでには至っていない。
【0011】
同様に従来の五価アンチモン試薬とはまったく異なる構造の水溶性五価アンチモン−ポルフィリン錯体が報告されている(非特許文献16)。ポルフィリンはフタロシアニンに良く似た分子構造をもっているが、フタロシアニンに比して極めて化学的に安定であるため、薬剤として投与後も長く体内にとどまりポルフィリン症等の深刻な副作用を誘発する危険を伴う。
このような従来技術に対して、本願発明では、前記従来の自ら還元されて三価アンチモンを発生することによる原虫の代謝系を阻害する機能を保有しながら、その酸化力が、前述のとおり以前のものに比べ飛躍的に向上したものであるから、本発明の水溶性五価アンチモン試薬の特性によって、従来の抗リーシュマニア症治療薬と同様な性能を発揮しながら、さらに、その耐性株にも対抗し得る抗リーシュマニア症治療薬を提供し得るに至ったものである。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】フタロシアニンの金属錯体を示す化学構造式。
【図2】本発明の水溶性五価アンチモン試薬の合成フロー。
【図3】実施例で原料として使用した五価アンチモンのフタロシアニン錯体を示す化学構造式。
【図4】実施例で得られた水溶性五価アンチモン試薬の化学構造式。
【図5】表1の化合物2のマススペクトル(アセトン溶液)と同位体分布に基づく理論的スペクトルを示すグラフ。
【図6】表1の化合物2のIRスペクトルを示すグラフ。
【図7】表1の化合物2の光吸収スペクトル(水―エタノール混合溶媒)を示すグラフ。
【図8】表1の化合物2の光吸収スペクトル(水溶液)を示すグラフ。
【図9】表1の化合物2の光吸収スペクトルの濃度依存性(水溶液)を示すグラフ。
【図10】a) 表1の化合物4の水溶液の光吸収スペクトルの測定を示すグラフおよびb) 730 nmにおける吸光度の濃度依存性を示すグラフ。
【図11】本発明で得られた水溶性五価アンチモン試薬(化合物4)の酸解離平衡。
【図12】化合物4のマススペクトル(a:SIMS、b;ESI−MS)と同位体分布に基づく理論的スペクトル
【発明を実施するための形態】
【0013】
1.軸配位子である硫酸基の数;1〜2個
実施例では水酸基の数が2個のものしか示していないが、1個しかない場合でも同様の効果があるものと考えられる。本実施例における製造法の条件を変更することで硫酸基が1個、水酸基が1個という色素も得られ、下記実施例と同様な機能を有するものと考えられる。また質量分析においてもイオン化の条件によってはそのような化学種が検出される。
2.硫酸基の解離状態:
本実施例においては固体として単離される色素は図4aの構造をもつ中性化学種(ツヴィッターイオン)と考えられるが、図4の説明にも述べた通り、硫酸基の酸解離平衡に伴い陽イオン種と陰イオン種が生じるために、硫酸基の酸解離に伴って派生する化学種(図4a−c)を区別することは意味の無いことである。
【0014】
3.周辺置換基(図2におけるR)の種類
本実施例では周辺置換基が存在しない例ならびに炭化水素基の例としてtert−butyl基、含ヘテロ原子炭化水素の例としてn−butoxyおよび2,6−dimethylphenoxy基を示しているが、後三者は主に五価アンチモン試薬の溶媒への溶解度の向上を目的として導入されているため、特に水への溶解性には寄与していない。従ってアミノ基等のように硫酸と反応する官能基を除けば、他の置換基でもその置換基による機能を発現させながら実施例と同様の効果が得られると考えられる。
さらに、ハロゲンやニトロ基、シアノ基のような電子吸引性の置換基だけを持つフタロシアニンの錯体は溶媒への溶解度が著しく低いが、同様に溶解度の低い無置換体(R1,3,5,7=R2,4,6,8=H)においても水溶液への溶解が本実施例によって確認されていることから、ここで除外する理由は無い。従って五価アンチモンと軸配位子としての硫酸基が存在すれば、基本的に従来知られているどのような周辺置換基(硫酸と反応しない限り)をもつフタロシアニン錯体でも実施例と同様の効果が得られるものと考えられる。実施例で用いた五価アンチモン試薬(図3)は特許文献1(発明者; 砂金宏明、加賀屋豊)に開示された方法で合成し、特に周辺置換基としてtert−butyl基を有する色素については非特許文献10に詳細に記述されている。
周辺置換基を有しない五価アンチモン試薬、n−butoxyおよび2,6−dimethyphenoxy基を周辺置換基とする五価アンチモン試薬(図3)については、非特許文献10に記された方法と同様に、それぞれ対応する置換基を有するフタロニトリルとヨウ化アンチモンの混合物を加熱して合成した三価アンチモンのフタロシアニン化合物を過安息香酸t−butylで酸化して合成した。
(化合物4に関して)スルホン酸の数および解離状態についての記述ならびに他の周辺置換基に関しては、以下のとおりとするのが望ましい。
1)スルホン酸基の数;2〜8個
実施例では4個のフェノキシル基をもつフタロシアニン色素を原料としているため、スルホン酸基が4のものしか示していないが、フタロシアニンには最大8個までのフェノキシル基を導入できるため、スルホン酸基も最大8個まで導入することが可能である。
またスルホン酸基が水溶性を担っているため、5個以上存在する場合も同様に或いは実施例よりも高い水溶性を示すことが予想される。
スルホン酸基が3個以下の場合は、当該実施例より水溶性が低いことは予想できる。
当該実施例における製造法では、すべてのフェノキシル基がスルホン化された化学種しか得られなかったが、条件によっては4個のフェノキシル基のうち1〜3だけがスルホン化される可能性は否定できない(1個もスルホン化されないものは水に不溶なので除外される)。
また質量分析においてもイオン化の条件によってはそのような化学種が検出される。
2)スルホン酸基の解離状態:
当該実施例においては固体として単離されるアンチモン錯体の場合は図11bの構造をもつ中性化学種(ツヴィッターイオン)と考えられるが、スルホン酸基の酸解離平衡に伴い最大5種類の化学種が生じるために、スルホン酸基の酸解離に伴って派生する化学種(図a−e)によっても、本発明の目的とするリーシュマニア症治療に大きな変化は生じない。
これに伴い、陰イオン種(図11c)の電荷を中和するための対陰イオンの違いによっても、同様であるといえる。

3)周辺置換基(図3,4におけるR1−8)の種類
本発明はフェノキシル基のオルト位(4位)およびパラ位(2または6位)が濃硫酸処理によって容易にスルホン化されることを利用しているため、この3箇所のうち少なくとも1箇所が置換されていないフェノキシル基を有するフタロシアニンは、基本的に本発明と同様の水溶性フタロシアニンへと変換されると考えられる。
当該実施例で周辺置換基として2,6−dimethylphenoxyl基を用いたのは、オルト位をメチル基で予めブロックすることによりスルホン化されることを防ぎ、スルホン化で生じる化学種が複数の生成物(注;フェノキシル基の位置に基づく4種類の位置異性体の混合物に由来するものを除く)の混合物となることを避け、同定・解析を容易にするために過ぎないものであり、本発明の本質では、このような操作は不要である。
また当該実施例ではR1−8のうち4個のスルホン化に関与しない(すなわちフェノキシル基ではない)置換基はすべて水素原子(すなわち無置換)を示したが、この位置は濃硫酸と反応する官能基(例えばアミノ基等)で置換されていない限り、どのような置換基でも本発明と同様の効果が予想されると考えられる。
この位置を炭化水素、含ヘテロ原子炭化水素、さらにハロゲンやニトロ基、シアノ基等で置換されたフタロシアニンも同様の効果が予想される。
なお、下記実施例以外にも三価のアンチモン錯体を、例えば過硫酸で酸化することにより硫酸基をもった五価アンチモンの錯体が得られる可能性を否定できない。
【実施例】
【0015】
本発明に用いる水溶性五価アンチモン試薬の製造方法の実施例を以下に示す。
図2において原料となる五価アンチモン試薬は[SbPc(OH)という記号で記されており、図3に示すような構造を持つ(図3については後で詳細に説明する)。この原料を溶解するのに必要最小量の濃硫酸に溶解し、その溶液をろ過した後、ろ液を氷水に滴下する。ここで色素が固体として遊離してくるので、これをろ過して集め、冷水で(洗浄液が中性になるまで)洗浄した後に乾燥する。必要であれば、適当な有機溶媒から再結晶を行う。以下に周辺置換基がtert−butyl基である場合(表1における化合物2)の実施例を紹介する。
【0016】
100mgの[Sb(tbpc)(OH)(tbpc=テトラ−t−ブチル置換フタロシアニン;0.077mmol)を3mlの氷冷した濃硫酸に溶解し、ろ過して微量の不溶物を取り除いた後、ろ液を約100gの氷に滴下する。得られた青緑色の固体を洗浄液がほとんど中性(pH5〜6)になるまで水洗し、60℃で一昼夜乾燥する。
この固体を3mlのエタノールに溶解し、ろ過して微量の不溶物を取り除いた後、30mlのヘキサンを加えて固体を再び析出させる。さらに、この固体を1mlのジクロロメタンに溶かし8mlのヘキサンを加えて固体を析出させ、この固体を遠心分離で集め、80℃で12時間真空で乾燥させ、47mg(0.041mmol)の目的の固体を得る(収率53%)。
得られた個体を元素分析した結果、炭素50.54%(w/w;以下同);水素4.93%;窒素9.99%で、[Sb(tbpc)(SO)(HSO)]・4HO(C485712Sb)]の理論値(炭素50.49%;水素5.21%;窒素9.81%)と近似していた。
周辺置換基を持たない水溶性色素(表1における化合物1)ならびにn−butoxy基(同3)有する五価アンチモン試薬は、化合物2と同様に対応する周辺置換基を有する原料アンチモン錯体(図3)を氷冷濃硫酸に溶解した溶液を氷上に滴下し、以下同様に処理することにより合成した。
また、200mgの[Sb(tppc)(OH)((tppc=テトラ−2,6−ジメチルフェノキシ置換フタロシアニン0.13 mmol)を16 mlの氷冷した濃硫酸に溶解してろ過した後、ろ液を約80gの氷に滴下する。
得られた黄緑色の固体をろ過して集め、冷水60mlに溶かしてもう一度ろ過する。ろ液に少量(6ml)のメタノールを加え、ロータリーエバポレーターでタール状になるまで濃縮する(約45℃)。このタール状の生成物を約8mlのメタノールに溶解し、約40mlのエーテルを加えて黄緑色の細かい固体を析出させる。この固体を遠心分離によって母液から分離する。はじめのうちはタール状の物質が得られるが、この操作を繰り返すと(当該実施例では3回)黄緑色の固体が得られ、この固体を40℃で一夜真空乾燥させる。さらにこの固体を8mlのエタノールに溶かし、42 mlのヘキサンを加えて固体を析出させ、遠心分離で集め、母液から分離する(100 mg)。母液が濁らなくなるまでこの操作を繰り返した後(当該実施例では3回)、固体を40℃で12時間真空で乾燥させ、79mgの(0.048mmol)の目的の固体を得る(収率37%)。
m/z (SIMS) = 1467([121Sb(tsppc)(OH)) & 1469([123Sb(tsppc)(OH))。
元素分析結果
炭素46.30 %;水素4.06 %;窒素6.85%(理論値;炭素46.58 %;水素4.34 %;窒素6.79 %、[Sb(tsppc−H)(OH))]・12HO(C6471Sb)として)。
【0017】
図3は本実施例で原料として用いた5価アンチモンのフタロシアニン錯体の構造であり、軸配位子を水酸基(OH基)としている。化合物1−3の場合、この水酸基を水に可溶化させるための親水性官能基の導入口としている。図中のR〜Rは周辺置換基と呼ばれる側鎖基であり、一般的に溶剤に溶け難いフタロシアニン化合物の溶解度を高くするための役割を担っている。化合物4の場合、周辺置換基であるフェノキシル基を親水性官能基の導入口としている。従って本実施例(表1)に示した通り、炭化水素や含ヘテロ原子(酸素、硫黄等)炭化水素を採用している。R〜Rはすべて同じでも良く、また逆に全て異なっていても良い。また一部の周辺置換基が単に水素原子であってもよく、実際に実施例にもあるように、溶解性は低いが、すべて水素原子でもかまわない。図中右側のZは対陰イオンを表しており、5価アンチモンを含む当該五価アンチモン試薬が分子全体で+1に帯電しているために、その電荷を中和するために存在している。実施例では、ZとしてIの場合を示しているが、それは当該原料がIとして得られ易いというだけの理由であり、必要であれば、イオン交換によって容易に他の塩(例えばBF,PF,ClO等)に変換することができる。
しかしながら、この原料を濃硫酸に溶解し、その後冷水で処理する過程において、その対陰イオンは失われ、他の陰イオンの塩に変換される可能性が非常に高い。実際に実施例ではいずれも原料中の陰イオンであるIは失われていることが光吸収スペクトルによって確認されている。従って敢えて他の塩に変換する必要性がないものであるから、本実施例では他の対陰イオンに変換しなかった。
【0018】
図4aは図2の製法によって得られた水溶性五価アンチモン試薬の構造である。図3同様にフタロシアニン錯体の中心元素は5価のアンチモンであり、R〜Rは図3と同じ周辺置換基である。化合物1−3の場合、軸配位子だけが水酸基(−OH基)から硫酸基(−OSOHおよび−OSO)に変化している。図4aの構造は電気的に中性な化学種を表しているが、硫酸基の酸解離平衡に伴い2個とも解離しなければ陽イオン種(図4b)が、逆に2個とも解離すれば陰イオン種が生じ(図4c)、溶液中ではこの三種の化学種の平衡混合物であると考えられる。固体として単離される場合、電気的に中性でなければならないが、原料の対イオンIの存在は光吸収スペクトルから否定され、また以下にも述べる通り質量分析の結果陰イオンが検出されなかったことから、質量分析(図5)で検出された陽イオン種に対陰イオンを伴ったものではなく、軸配位子の硫酸基の1つが酸解離し(すなわち−OSOとなり)、分子内で電荷を中和している(いわゆるツヴィッターイオンの状態)と考えられる。
化合物4の場合、軸配位子は水酸基のままで、周辺置換基のフェノキシル基がスルホン化されてスルホフェノキシル基に変化している(図4d)。図4dの構造は電気的に中性になっていないが、後にも述べる通り(図11)固体では4個のスルホン酸のうち1個が酸解離することにより(すなわち−SOとなり)、化合物1−3と同様に分子内で電荷を中和している(いわゆるツヴィッターイオンの状態)と考えられる。
【0019】
図5はアセトン溶液中で測定した図4に示す水溶性五価アンチモン試薬のマススペクトル(ESI−MS)の一例であり、周辺置換基がR1,3,5,7=H,R2,4,6,8=tert−butyl基(−C(CH;化合物2)のスペクトルを示している。また自然の同位体分布に基づき、図4の分子構造で硫酸基が二個とも解離していない陽イオン種(図4b)を仮定して計算された理論スペクトルも示しているが、両者は大変良く一致している。図4の説明で述べた通り、溶液中ではこの陽イオン種を含む三種の化学種の平衡混合物であり、さらにこの測定は陽イオンを検出する条件で測定しているため、実験結果と図4aと矛盾するものではない。分子量約1051及び1053に強いピークが観測されるのは、アンチモンには2種類の安定同位体(121Sbと123Sb)がほぼ同じ比率で存在しているためである。測定条件によっては軸配位子が非解離型の硫酸基(−OSOH)ではなく、ナトリウム塩(すなわち−OSONa)、カリウム塩(−OSOK)、またはその混合物として検出される場合がある。またネガティヴスキャン(陰イオンを検出するモード)による測定では陰イオン(例えば原料に含まれていたIやSO2−)は検出されなかった。
図12aは固体で測定した化合物4のマススペクトル(SIMS)である。
分子量約1467及び1469に強いピークが観測されるのは、アンチモンには2種類の安定同位体(121Sbと123Sb)がほぼ同じ比率で存在しているためである。
また自然の同位体分布に基づき、図11の分子構造でスルホン酸が4個とも解離していない陽イオン種(図11b)を仮定して計算された理論スペクトルも示しているが、両者は大変良く一致している。
さらに図12bには水溶液中における化合物4のマススペクトル(ESI)を示す。
m/z = 1467 & 1469 に加えて1489 & 1491、1511 & 1513、1533 & 1535、1555 & 1557の計5対のピークが検出されるが、硫酸ナトリウム水溶液(0.1 M)を加えると前4者は消失し、1555 & 1557のピークに収斂する。
このことから純水中における後4者のピークは、4個のスルホニル基(−SOH)のうちそれぞれ、1個、2個、3個、および4個が解離してナトリウム塩(−SONa)になっている化学種であると帰属でき、図11の説明で述べた通り、溶液中ではこの陽イオン種を含む5種の化学種の平衡混合物であることを示している。
さらに、この測定は陽イオンを検出する条件で測定しているため、実験結果と図11bとは矛盾するものではない。
また、ネガティヴスキャン(陰イオンを検出するモード)による測定では陰イオン(例えば原料に含まれていたIやSO2−)は検出されなかった。
【0020】
図6は図4に示す水溶性五価アンチモン試薬のIRスペクトル(KBr拡散反射法)の一例であり、周辺置換基がR1,3,5,7=H,R2,4,6,8=tert−butyl基(−C(CH;化合物2)のスペクトル(実線)を示している。
原料のアンチモン錯体のスペクトル(破線)には観測されない590および607cm−1の一対のシャープな吸収帯、800〜900cm−1にかけての幅広い吸収帯、ならびに1044cm−1の強い吸収体に幾つかの吸収ピークが観測される。前二者はそれぞれ(金属イオンに配位した)硫酸基の変角振動、後二者はS−O伸縮振動と帰属され、Sb−OSOという結合が存在していることを支持している。
【0021】
図10aは本実施例における化合物4(表1参照;R1,3,5,7=H,R2,4,6,8=2,6−dimethylphenoxy基)の水溶液の光吸収スペクトルの測定例であり、実線(濃度約10−6 M)のスペクトルには730 nm付近に線幅の狭い吸収帯が観測され、会合していない場合に見られる典型的な形状となっている。
この化合物は少なくとも10−4Mまでは会合せずに単量体として存在することが吸光光度法から確認されている。730 nm付近の主吸収帯における吸収強度が化合物2の濃度にどのように影響を受けるのかを調べたのが図10bである。縦軸には730 nm付近の最も強度の高い吸収帯における吸光度を示している。
会合現象が起こらない場合、色素は単量体として存在し、吸光度は色素の濃度に比例して増加する(Lambert−Beerの法則)。
化合物2の場合、非常に強く会合しているものの、純水に微量(〜10−6M程度)ながら溶解する。しかし界面活性剤の存在下では溶解度も増し、界面活性剤濃度がある程度高い場合はほとんど非会合型として溶存している(図8)。また界面活性剤存濃度を一定(2%(w/v))にし、730 nm付近の主吸収帯における吸収強度が化合物2の濃度にどのように影響を受けるのかを調べたのが図9である。縦軸には730 nm付近の最も強度の高い吸収帯における吸光度を示している。
図9の例は、2%という低濃度の界面活性剤の存在下でも、比較的高濃度(2x10−5M)までアンチモン試薬が会合せずに溶解し、それ以上の濃度では会合こそ起こるものの溶解することを示している。
化合物1の場合、化合物2と同様に非常に強く会合しているものの、純水に微量(〜10−6M程度)ながら溶解する。Triton−X100の添加は溶解度を著しく(>50倍)向上させ、ほとんど会合したままであるものの、Ttiton−X100の20%(w/v)水溶液中に解ける。
化合物3の場合、純水および高濃度のTtiton−X100の水溶液(30%(w/v))にはまったく溶けない。
【0022】
化合物1〜3の水溶性はアルコールの添加によって大きく向上する。
図7は水溶液中における化合物2の光吸収スペクトルにおけるエタノール添加の影響を調べた例であり、各溶液中の色素の濃度は一定になるように調整してある。上にも述べたように純水への溶解度は低いが、10%(v/v;以下同じ)のエタノールが存在すると、ほとんどが会合した状態ではあるものの溶解度は大きく改善される(>100倍)。しかしエタノール濃度を増やすとともに、非会合種の比率が増え、30%の濃度では非会合種のピークがはっきりと観測される。50%のエタノール存在下では会合はほとんど無く、純エタノールとほとんど同じスペクトルが観測される(吸収ピークの位置が溶媒の組成によって異なるのは、溶媒効果であると考えられる)。
化合物1および3についても同様の傾向を示す。
【0023】
【表1】

【0024】
前記実施例に示す本発明の水溶性の五価アンチモン試薬は熱帯・亜熱帯で蔓延するリーシュマニア症への治療薬、特に既存のアンチモン試薬への耐性を示す抗リーシュマニア症治療薬として調合する場合は、従来の水溶性五価アンチモン試薬を主成分とする抗リーシュマニア症治療薬の調合と同様にすれば良い。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0025】
【特許文献1】特許第4038572号 (砂金、加賀屋)
【特許文献2】特許第2949230号 (砂金、加賀屋、Md.Hasan Zahir)
【特許文献3】特許第2958461号 (砂金、加賀屋、Md.Hasan Zahir)
【非特許文献】
【0026】
【非特許文献1】F.Faraut−Gambbarelli, et al., Antimicrob.Agents Chemother., 41(1997)441.
【非特許文献2】R.Lira et al., J.Infect Dis., 180(1999)564.
【非特許文献3】Ashutosh, et al., J.Med.Microbiol., 56(2007)143.
【非特許文献4】S.Wyllie and A.H.Fairlamb, Biochem. Pharmacol., 71(2006)257.
【非特許文献5】M.L.Cunningham, et al., Eur.J.Biochem., 221(1994)285.
【非特許文献6】M.L.Cunningham and A.H.Fairlamb, Eur.J.Biochem., 230(1995)460.
【非特許文献7】Y.Kagaya and H.Isago, Chem.Lett., (1994)1957.
【非特許文献8】H.Isago, et al., Chem.Lett., 32(2003)112.
【非特許文献9】H.Isago and Y.Kagaya, Chem.Lett., 35(2006)8.
【非特許文献10】H.Isago,et al., J. Inorg. Biochem., 102 (2008) 380.
【非特許文献11】K.C.Carter et al., Antimicrob. Agents Chemother., 50(2006)88.
【非特許文献12】Md.H. Zahir, et al., Inorg.Chim.Acta, 357(2004)2755.
【非特許文献13】H.Isago and Y.Kagaya, Bull.Chem.Soc.Jpn., 69(1996)1281.
【非特許文献14】Y.Kagaya and H.Isago, Bull.Chem.Soc.Jpn., 70(1997)2179.
【非特許文献15】A.B.P. Lever, Inorg. Chim. Acta, 203 (1993) 171.
【非特許文献16】J.Matsumoto, et al., Chem.Lett., 37(2008)886.

【特許請求の範囲】
【請求項1】
水溶性五価アンチモン試薬であって、そのフタロシアニンの錯体の軸配位子に硫酸基又を有していることを特徴とする水溶性五価アンチモン試薬。
【請求項2】
請求項1に記載の水溶性五価アンチモン試薬において、前記軸配位子の水酸基の一部又は全部が硫酸基に置換されてなることを特徴とする水溶性五価アンチモン試薬。
【請求項3】
水溶性五価アンチモン試薬を主成分とする抗リーシュマニア症治療薬であって、前記水溶性五価アンチモン試薬として請求項1または2に記載の水溶性五価アンチモン試薬を用いたことを特徴とする抗リーシュマニア症治療薬。
【請求項4】
請求項3に記載の抗リーシュマニア症治療薬において、その水溶性五価アンチモン試薬は、フタロシアニンの周辺置換基フェノキシル基に酸基を有していることを特徴とする抗リーシュマニア症治療薬。
【請求項5】
請求項4に記載の抗リーシュマニア症治療薬において、前記周辺置換基のフェノキシル基の一部または全部が化されていることを特徴とする抗リーシュマニア症治療薬。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【公開番号】特開2010−254668(P2010−254668A)
【公開日】平成22年11月11日(2010.11.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−34421(P2010−34421)
【出願日】平成22年2月19日(2010.2.19)
【出願人】(301023238)独立行政法人物質・材料研究機構 (1,333)
【Fターム(参考)】