説明

液体中固体表面の元素分析方法

【課題】 液体中の固体表面をその場分析する方法を提供する。
【解決手段】 液体中の固体表面に、パルス幅が30ns以上のパルスレーザを照射してレーザアブレーションさせ、該レーザアブレーションにより生成するプルームからの発光を分光分析する。一般に用いられるパルスレーザのパルス幅は20ns以下であるが、パルス幅を30ns以上に大きくすることにより、安定性、強度、持続性に優れた発光スペクトルを得ることができ、液体中の固体表面をその場分析することが可能となる。また、パルスエネルギーは数mJでも明確な線スペクトルを得ることができるため、固体表面に与えるダメージも少ない。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、液体中の固体表面をその場元素分析する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
電解析出の析出被膜をはじめとする、各種液体中の固体表面被膜をその場分析したいという要求がある。しかし、分析対象の固体が液体中に存在している場合には一般に、真空下や気体中で可能な分析手法を使用することができないという問題があった。
【0003】
液相中の表面被膜に対して表面化学種の同定を行う方法としてラマン分光法や赤外分光法があるが、これらの方法では光の増強効果が生じなければ分析を行うことができないため、適用可能な系が限られてしまう。また、そもそもこれらの方法では元素分析を行うことができない。
【0004】
液体中の固体表面を元素分析する他の方法として、レーザ誘起ブレークダウン分光法を改良した方法が提案されている(非特許文献1)。レーザ誘起ブレークダウン分光法は、固体表面に存在する元素を分析する方法の一つである。分析対象試料にパルスレーザを照射すると、固体からの放出種がプラズマ化して(レーザアブレーション)発光する。このプラズマの光を分光分析することによって行う元素分析法がレーザ誘起ブレークダウン分光法である。
【0005】
レーザ誘起ブレークダウン分光法における発光は主にプルームから生じる。プルームとは、レーザアブレーションによる固体からの放出種が放出後に拡散してしまう前の密度の大きな状態のことである。
しかし、分析の対象となる固体が液体中に存在している場合には、気体中で生成するプルームとは異なり、生成するプルームが周囲の液体によって冷却効果を受け、拡散が抑制されて高温・高密度化するという特徴がある。このため自己吸収現象が生じ、分光分析を行って得られるスペクトルは連続スペクトルが優勢となって線スペクトルが得にくくなり、元素を同定することが困難となる。
【0006】
非特許文献1に記載されている技術では、液体中の固体表面にパルスレーザを所定の時間間隔をおいて二度照射する。一度目のレーザ照射により気泡が生成され、二度目のレーザ照射によりその気泡中で固体元素のプラズマ化が生じる。このことにより、固体が液体中に浸されていたとしても、周囲が気相の場合と類似した発光スペクトルを得ることが可能となる。
【0007】
【非特許文献1】A. De Giacomo, 他4名, "Double-pulse LIBS in bulk water and on submerged bronze samples", Applied Surface Science 247 (2005) 157-162
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
上記非特許文献1に記載の技術では、照射するパルスレーザとして100mJ程度の強度のものが使用される。しかし、これでは照射するレーザの強度が高すぎ、固体表面に損傷を与えてしまうという問題があった。
【0009】
そこで、本発明が解決しようとする課題は、液体中の固体表面に存在するする物質の元素分析を比較的簡便な方法で高精度に行うことができ、しかも固体表面へのダメージが少ない分析方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
このようにして成された本発明に係る液体中の固体表面の元素分析方法は、
該固体表面にパルス幅が30ns以上のパルスレーザを照射してレーザアブレーションさせ、該レーザアブレーションにより生成するプルームからの発光を分光分析する
ことを特徴とする。
【発明の効果】
【0011】
本発明に係る液体中の固体表面の元素分析方法は、固体表面に対してパルスレーザを一度照射するのみでよいため、至極簡便にその場元素分析を行うことができる。しかも、パルスエネルギーが1〜数mJと小さくても線スペクトルが明確に現れるため、元素の同定を行ううえで分析対象の固体表面に与える損傷量が少なくてすむ。
また、本発明の元素分析方法は、従来のレーザ誘起ブレークダウン分光法による分析方法とほぼ同一であり、その分析機器構成を利用することができるため、コスト的にも優れているという長所がある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明に係る元素分析方法は、液体中の固体表面に存在する物質を対象とする。なお、液体中の固体とは、分析を行いたい固体表面が何らかの液体に接しているということである。
【0013】
本発明に係る元素分析を行う場合には、まず、液体を通して固体表面にパルスレーザを照射する。このパルスレーザのパルス幅は30ns以上とする。パルスレーザが照射された固体表面では、レーザアブレーションによりプルームが生成する。このプルームからの発光を分光分析することにより元素分析を行う。
【0014】
一般にレーザアブレーションさせることを目的として使用されるパルスレーザのパルス幅は20ns以下であるのに対し、本発明ではパルス幅が30ns以上であるという点が大きな特徴である。パルスレーザのパルス幅を30ns以上とすることにより、明確な線スペクトルを得ることができるようになる。この理由は、比較的長時間に亘ってレーザが照射されることで液体相によるプルームの冷却効果が減少するためと考えられる。
【0015】
また、パルスレーザのパルスエネルギーは、10mJ以下、好ましくは1〜数mJとすることができる。本発明に係る液体中の固体表面の元素分析方法においては、その程度のパルスエネルギーで、明確な線スペクトルを得ることが可能である。
ただし、レーザ装置によってはパルス幅を大きくするためにレーザのポンピングを弱くすると小さなパルスエネルギーしか得られず、アブレーションが生じなくなってしまうことがある。このような場合には、必要に応じて光増幅器を用いることにより、アブレーションが生じる程度迄パルスエネルギーを上昇させればよい。
【0016】
また、パルスレーザの液体中の光路長は特に限定されないが、長すぎるとレーザの透過率が低下してしまい、アブレーションが生じにくくなることがあるため、レーザの液体中の光路長が短くなるように適宜構成を調節する必要がある。
【0017】
図1に、本発明に係る液体中固体表面の元素分析方法を実現するための機器の概略構成の一例を示す。
【0018】
図1に示す機器による分析の流れについて説明する。まず、ユーザが所定の指示を入力することにより、パルス発生器3からレーザ発振器4に対してパルス信号が出力される。レーザ発振器4は、そのパルス信号を受けてレーザを発振し、ターゲット固体1に対してパルスレーザを照射する。
【0019】
本発明において使用することができるレーザの種類は、パルス幅が30ns以上であって、且つ望ましくはパルスエネルギーが10mJ以下のパルスレーザを発振することができる限り特に限定されない。例えば、YAGレーザ、ルビーレーザをはじめとする各種固体レーザ、色素レーザ等の各種液体レーザ、エキシマレーザ等の各種ガスレーザ、また、各種半導体レーザを使用することが可能である。
【0020】
ターゲット固体1のパルスレーザ照射位置には、上述のようにレーザアブレーションし、プルームが生成する。このプルームの発光を集光して分光器5において分光し、ICCD(Image intensifier Charge Coupled Devices)等から成る検出器6によって発光のスペクトルを測定する。
【0021】
検出器6において検出されたスペクトルのデータは処理部7に出力され、処理部7では元素分析処理を含む種々の処理が行われる。この処理部7は一般に、CPU(Central Processing Unit;中央処理装置)から成る演算処理部、ハードディスクやRAM(Random Access Memory)から成る記憶部、各種の情報を表示するための表示部、ユーザが指示を入力するためのキーボードやマウス等から成る入力部、等から構成されるコンピュータである。
【0022】
以下、実施例において、本発明に係る液体中固体表面の元素分析方法による分析例について説明する。
【実施例】
【0023】
図1に概略構成を示す装置により液体中固体表面にレーザを照射してレーザアブレーションさせ、プルームの発光スペクトルを取得した。
【0024】
<実験例1:水相中の銅板表面の分析>
本実験の実験条件は以下の通りであった。
・ターゲット固体:銅板
・液体:純水
・液体中の光路長(液体表面からターゲット固体の表面の距離):5mm
・レーザ発振器:ネオジムYAGレーザ発振器
・波長:1064nm
・パルスエネルギー:1.7mJ
【0025】
[パルス幅とスペクトル形状]
図2にパルス幅が19ns、30ns、41ns、100ns、150nsの場合の発光スペクトルを示す。なお、遅延時間(パルス照射から発光測定までの時間)はいずれも1000nsとした。
パルス幅が大きくなるにつれて銅のスペクトルがより明確になる傾向があるが、パルス幅が30ns、41ns、100ns、150nsの発光スペクトルではいずれも銅のスペクトル(324.7nm及び327.4nm)が明確に観察された。パルス幅が30ns以上の場合に優れた線スペクトルを得ることができることが明らかとなった。一方、パルス幅が19nsの発光スペクトルでは連続スペクトルが優勢で明確な銅のスペクトルを観察することができなかった。また、パルス幅が大きくなるにつれて強度が上昇することも観察された。
【0026】
[パルス幅と安定性]
信頼性の高い元素分析を行うためには、発光スペクトルの形状やその強度がパルス毎に変化しないこと、すなわち安定性が高いことが重要である。そこで、この安定性を確認するために、パルス幅がそれぞれ20ns、90ns、150ns(いずれも遅延時間:500ns)の場合におけるフレーム数と強度との関係を求めた。1フレームは5発のパルスの積算である。結果を図3に示す。
【0027】
図3に示す通り、パルス幅が大きくなるにつれて、プルームの発光強度が高くなるとともにフレーム数が増加しても発光強度が持続することが観察された。これは、パルス幅が大きい方が安定性の高い元素分析を行うことができることを意味する。また、パルス幅が20nsのレーザでは、常に強度が非常に小さいままであった。
観測を重ねるごとに発光強度が減少していく理由は、アブレーションに伴って生成された放出種によって水相の純度が低下するため、また、アブレーションによって表面が損傷するため(穴が開く)と考えられる。
【0028】
[遅延時間と安定性]
パルス幅が150nsのパルスレーザを照射し、遅延時間がそれぞれ300ns、500ns、1000nsの場合の発光スペクトルを求めた。図4に結果を示す。300ns後では自己吸収が生じていることにより明確な銅の線スペクトルは観察されないが、500ns後では明確な線スペクトルが観察された。1000ns後でも、強度は低下するものの、はっきりとした線スペクトルが観察された。
【0029】
[比較例:パルス幅20nsのパルスレーザ]
従来一般に使用されているパルスレーザのパルス幅は20ns以下である。図5に、パルス幅20nsのパルスレーザを純水中の銅板に対して照射した場合の、遅延時間が43ns、500ns、200nsにおけるそれぞれの発光スペクトルを示す。
図5に示すように、いずれの遅延時間においても明確な銅の線スペクトルは観察されない。遅延時間が43ns及び200nsの場合には、破線丸印によって示すように、自己吸収が強く生じることによる自己反転プロフィールが観察された。
なお、パルス幅が20nsのレーザのパルスエネルギーを増加させたとしても、元素の同定が可能な程度に明確な線スペクトルを得ることはできなかった。
【0030】
<実験例2:電解析出による析出層の分析>
電解析出(電析と略称する)によって銅を白金板上に析出させた。電析の条件は以下の通りであった。
・作用極及び対極:白金板
・参照極:銅
・作用極の表面積:2.44cm2
・作用極と対極との距離:30mm
・電解質溶液:CuSO4溶液、0.01M(容量モル濃度)
・電析条件:-0.3V、10分間
【0031】
上記の条件で電析を行った結果、白金板上に1cm2あたり2.021mgの銅が析出した。電析後、この銅の析出層に対してパルスレーザを照射した。パルスエネルギーは2.57mJ、遅延時間は1000nsとした。また、電析時よりも電解質溶液の量を減らすことにより、電解質溶液表面及び析出層の距離を調節し、液体中の光路長を5mmとした。
【0032】
図6にパルスレーザの照射回数が1、4、5、6回目の各場合における発光スペクトルを示す。1〜5回目までは銅に起因する線スペクトルが明確に観察された。6回目はアブレーションが発生しなかったため、銅の線スペクトルを確認することは困難であった。
【0033】
上記実験例2より、本発明の元素分析方法により液体中の析出被膜の元素分析が高い精度で可能であることが確認された。実験例2では、電析が終了した後の析出被膜の分析を行ったが、電析の析出被膜をその場分析するためには、電析に用いるセルの設計を適宜に変更すればよい。例えば図7に示すように、ガラスの周囲にコイルを巻回することにより対極を形成し、そのガラスを通してレーザを照射すればよい。作用極とガラスとの距離を適宜に調節することにより、液体(電解質溶液)の量に依存せず液体中の光路長を調節することが可能となる。
【0034】
以上、本発明に係る液体中固体表面の元素分析方法について説明したが、上記説明は例に過ぎず、本発明の精神内で自由に改良・変更が可能であることは言うまでもない。
例えば、分析装置においてレーザ照射部及び受光部を備えたプローブを用いることもできる。このプローブの配置箇所をユーザが操作することにより、分析箇所を自由に決定することができるため、分析対象が格段に拡がる。
【0035】
本発明は、液体中のあらゆる固体表面をその場元素分析の対象とすることができるため、電解析出被膜のその場測定に限られず、幅広い分野への応用が可能である。
例えば電気化学反応に伴う試料表面の元素組成の変化のその場測定や、化学的析出反応膜などのあらゆる液相合成に伴う被膜析出のその場モニタリング、腐食等、表面劣化のモニタリング、塗膜やめっき被膜などの被膜剥離のモニタリング、生体試料の液体中でのその場測定といった応用が考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】本発明に係る液体中固体表面の元素分析方法を実施するための機器の概略構成例。
【図2】種々のパルス幅のパルスレーザによる発光スペクトル。
【図3】異なるパルス幅のパルスレーザを用いた場合の照射回数と発光強度との関係を示すグラフ。
【図4】パルス幅150nmのパルスレーザを照射した場合の異なる遅延時間における発光スペクトル。
【図5】パルス幅20nmのパルスレーザを照射した場合の異なる遅延時間における発光スペクトル。
【図6】白金板上に析出した銅に対してパルスレーザを照射した場合の、照射パルス数による発光スペクトルの変化。
【図7】電析の析出被膜をその場分析するためのセルの構成の一例。
【符号の説明】
【0037】
1…ターゲット固体
2…液体
3…パルス発生器
4…レーザ発振器
5…分光器
6…検出器
7…処理部



【特許請求の範囲】
【請求項1】
液体中の固体表面の元素分析を行う方法であって、
該固体表面にパルス幅が30ns以上のパルスレーザを照射してレーザアブレーションさせ、該レーザアブレーションにより生成するプルームからの発光を分光分析する
ことを特徴とする液体中固体表面の元素分析方法。
【請求項2】
前記パルスレーザのパルスエネルギーが10mJ以下であることを特徴とする請求項1に記載の液体中固体表面の元素分析方法。




【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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