説明

溶質分子輸送装置および方法

【課題】液相の溶質分子の非接触移動手段に関するもので、電気的な手法、あるいは光圧を用いずに、静止した溶液中で、溶質分子のみを、2次元あるいは3次元の任意の方向に高効率に移動させる装置及び方法を提供する。
【解決手段】液体中に2次元的あるいは3次元的に微細な温度分布を形成し、温度分布をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動することで、高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成し、高濃度領域を移動させることで、溶質分子の移動を実現する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、液相の溶質分子の非接触移動手段に関するもので、とくに、電気的な手法、あるいは光放射圧などを用いずに、静止した溶液中で、2次元的あるいは3次元的に、溶質分子のみを高効率に移動させる装置および方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、静止した溶液中の溶質分子を移動させる手段としては、電気泳動、誘電泳動、レーザートラッピングなどが知られている。また、ソーレー効果という温度勾配よって溶液中の溶質分子の移動が発生する現象を用いる方法があることを、本発明者は先に提案している(非特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【非特許文献1】山本泰之,“ソーレー効果を用いた溶質分子輸送技術”,第29回日本熱物性シンポジウム講演論文集,29,pp.369−370,2008.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
静止した溶液中で、非接触に溶質分子を操作することができれば、人為的な分子衝突による人工分子の生成や、局所的な濃縮による結晶化促進、溶液内構造の形成促進などの、さまざまな用途へ応用されることが考えられる。しかし、従来、これらの用途に適合できる技術は無い。
前記の従来技術のうち、電気泳動は、溶液中に電極を設置する必要があり、電極の配置によって移動方向は制限される。また、移動できる分子は,極性分子に限られていた。
誘電泳動も、溶液中に電極を設置する必要があり、電極の配置によって、移動方向は制限される。誘電泳動で移動できる分子は、分子内に電位勾配ができるほどの大きな分子に限られていた。
レーザートラッピングは、光圧によって、レーザーの集光部分に微粒子が集まることを利用して、非接触に分子・粒子を移動できる技術であることが知られている。しかし、移動できる分子は、光の集束半径と同程度の、数nm〜数μmの分子、粒子に限られていた。
ソーレー効果は、温度の勾配がある溶液中で、溶質分子が、よりエネルギー的に平衡な状態へ近づこうとして、温度の高いほうかあるいは低いほうへ移動する現象である。溶質分子と溶媒分子の組み合わせによって、溶質分子が温度の高い場所へ移動する場合と、低い場所へ移動する場合がある。ソーレー効果は、ほとんどの溶質と溶媒の組み合わせで発生し、分子の大きさに限界はない。しかし、通常、ソーレー効果による分子輸送の質量流束は、分子拡散による質量流束と比べて100分の1から1000分の1程度と小さく、溶質分子を操作するための原理としては効率的に利用できない。また、ソーレー効果は、溶質分子が温度の高い場所から、低い場所へ移動する場合の方が多いため、分子を集めて濃縮したりするには、温度の低い点を局所的に作らなくてはならず、温度の高い点を作るよりは技術的に難しかった。
【0005】
ソーレー効果に関する上記の問題点を解決する方法として、本発明者が先に提案した非特許文献1では、レーザー加熱によって溶液中に局所的に温度の高いスポットを形成し、これをゆっくりと移動させることによって、ソーレー効果による質量流速が高温側から低温側へと生じる場合でも、スポットの進行方向側の縁に局所的に濃度の高い領域が形成されることを利用して、分子輸送が行えることが示されている。しかし、非特許文献1の方法は、1次元的流路でのみ成り立つ方法で、2次元的、3次元的に行うと、温度が高いスポットの端から分子が脇に漏れてしまい、高濃度の流域を作ることはできない。また、分子種による2次元的あるいは3次元的な移動速度の違いを利用する技術などのような、文献1の1元的な技術では為し得ないような新しい技術へ発展させることもできない。
本発明は、液相の溶質分子を非接触に移動する技術に関する上記の問題点を解決し、特にソーレー効果による分子輸送が高温側から低温側へ生じる場合でも、数nm程度の小さな分子を、2次元的あるいは3次元的に、任意の方向に移動する方法を実現することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記課題を解決するために、本発明の提供する解決策は、液相の溶質分子を移動させる物理現象として、ソーレー効果を用いる。この時、2次元的あるいは3次元的に工夫された温度分布を与えることを特徴とする。
【0007】
すなわち、本発明は、溶液中の溶質分子を、温度分布の移動によって高効率に移動させる溶質分子輸送方法であって、
溶液中に2次元的あるいは3次元的な温度分布を形成し、
前記温度分布をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動させることにより、高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成しつつ、高濃度領域を移動させ、
高濃度領域中に濃縮された溶質分子の移動を実現することを特徴とする。
また、本発明は、溶液中の溶質分子を、温度分布の移動によって高効率に移動させる溶質分子輸送装置であって、
溶液中に2次元的あるいは3次元的な温度分布を形成する温度分布形成手段と、
前記温度分布を移動させる移動手段とを備え、
前記移動手段は、前記温度分布をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動させることにより、高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成しつつ、高濃度領域を移動させ高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成しつつ、高濃度領域を移動させて、当該高濃度領域中に濃縮された溶質分子の移動を実現することを特徴とする。
また、本発明は、上記溶質分子輸送装置において、前記温度分布形成手段は、レーザービームによるパターン加熱であり、前記移動手段は、前記レーザービームによるパターンを移動させる光学系からなることを特徴とする。
また、本発明は、上記溶質分子輸送装置において、前記温度分布の形状が、温度分布の移動方向に向かって開いており、移動方向と逆向きに閉じた形状であることを特徴とする。
また、本発明は、上記溶質分子輸送装置において、前記温度分布の形状が、温度分布の移動方向に向かって傾きの異なる複数のパターンからなることを特徴とする。
また、本発明は、上記溶質分子輸送装置備えたことを特徴とする光学顕微鏡。
また、本発明は、上記溶質分子輸送装置において、前記温度分布形成手段は、溶液の流路にパターン状に固定した加熱手段であり、前記移動手段は、溶液を流路中に所定流速で移動させる手段からなることを特徴とする。
【発明の効果】
【0008】
本発明の溶質分子輸送装置または方法は、静止した液体中で、非接触に、さまざまな溶質分子を2次元的あるいは3次元的に操作することができる。この技術によって、人為的な分子衝突による人工分子の生成や、局所的な濃縮による結晶化促進、溶液内構造の形成促進などが実現される可能性ある。特に、液体中での一分子操作が可能であるので、幅広い用途への応用が期待できる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【図1】本発明の溶質分子輸送装置又は方法の原理を説明する図で、液体に与える温度分布の代表的な例である。
【図2】本発明の溶質分子輸送装置又は方法の原理を説明する図で、液体に与える温度分布の別の例である。
【図3】本発明の溶質分子輸送装置又は方法の原理を説明する図で、液体に与える温度分布の別の例である。
【図4】本発明の溶質分子輸送装置又は方法の原理を説明する図で、液体に与える3次元的な温度分布の代表的な例である。
【図5】本発明の溶質分子輸送装置又は方法を実施するための光学系の一例である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本発明の溶質分子の輸送装置又は方法は、薄型ガラスセルに入った液体に、液体に吸収される波長のレーザービームで図1、図2のように進行方向に対して開いており進行と逆向きには閉じているような微細なパターンか、あるいは進行方向に対して垂直な方向以外の方向を向いた面あるいは線を含む図3、図4に示されているような微細なパターンを照射して加熱し、ほぼ同じ形状の温度分布を形成し、その状況でレーザービームで形成したパターンを移動させることで温度分布を移動し、その移動速度をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動することで、図1および図2の中のA点で示した温度分布パターンの進行と逆向きに閉じた部分に高濃度に溶質分子を濃縮しつつ、レーザービームによるパターンが移動する方向へ溶質分子を移動させるたり、あるいは図3の場合のように進行方向に対する傾きを変えることで、温度分布の相対的な移動速度を変化させ、意図的に分子種による移動速度の違いを利用したりできることを特徴とする。
上記の溶質分子の輸送装置又は方法において、温度分布の移動速度は、ソーレー効果による分子流速と同じ速度である場合に最も効率的に移動ができ、その移動速度vsは、STをソーレー係数、Dを物質拡散係数、Tを温度、dT/dxをx方向の温度勾配とすると、
vs=−ST×D×dT/dx (1)
である。
【0011】
また、本発明は、特に、溶質分子がソーレー効果によって温度の低い側へ移動する場合に、効果を発揮する。
また、本発明の温度分布を形成する方法に関して、前記の説明ではレーザービームによるパターン加熱で形成する方法を一例として挙げたが、そのほかにも、単数あるいは複数の2次元的あるいは3次元的に配置された固定ヒータを用いて、形成することもできる。
また、本発明は、温度分布を、マイクロメートルスケールの微細な2次元あるいは3次元分布にすることで、小さな温度変化で大きな温度の勾配を形成でき、そのためにソーレー効果が効果的に発生することを利用している。
また、本発明の温度分布を移動させる方法について、前記の説明ではレーザービームによるパターンを移動させる方法を一例として挙げたが、そのほかにも、溶液を流したり、液体の入ったセル自体を移動させたり、複数のヒータを順にオン・オフしたりすることでも、液体に対する相対的な温度分布の移動を実現できる。
また、本発明の温度分布の一例として、前記の説明では二次元的な分布を例示し、液体は薄型のセルに入れられ、分子の輸送はセルの平面方向に行われ、セルの厚み方向には、分子運動が抑制されることがないという例を示したが、図4のように、3次元温度分布を与えることで、3次元的な移動も可能である。
また、本発明は、濃度が極端に薄い溶液で、実質的に単分子にのみソーレー効果が働いているような状況でも、溶質分子を2次元的あるいは3次元的に移動することが原理的に可能で、液相の単一分子輸送技術として活用することもできる。
【実施例】
【0012】
図5は、本発明を実施するため、温度分布を与える方法としてレーザービームによるパターン加熱を用い、濃度分布検出方法として蛍光顕微鏡を用いた場合の、レーザー加熱用光学系、顕微鏡光学系、液体用セルの構成の一例である。
液体用セルは、透明で、液体の入る空間の厚みが100μm以下程度の薄型である。液体は、左右の注入口にチューブをつなぎ、シリンジなどで押し込む。レーザーで加熱するために、試料に吸収される波長のレーザーを選択するか、あるいは、レーザーの波長に合わせた吸収染料を溶液に微量添加する。濃度分布検出に蛍光顕微鏡を用いる場合は、溶質分子に蛍光プローブを結合させるか、溶質分子として蛍光を自ら発する分子を用いる。
図1のパターンを形成するため、出射後のレーザービームを、分割シリンドリカルレンズに透し、光軸上での焦点位置をずらして、対物レンズの焦点面で十字形になるようにする。分割シリンドリカルレンズを透過したビームは、ミラーで方向を調整されて、対物レンズに入射し、焦点面で結像する。焦点面でのパターンを移動するには、レーザー出射口および分割シリンドリカルレンズを一体化して光軸に対して垂直に微動する。
溶液中の濃度分布を検出するための、蛍光顕微鏡は、落射型生物顕微鏡などに用いられているシステムを流用できる。蛍光顕微鏡の場合は、蛍光の輝度分布が、濃度分布を与える。顕微鏡の画像は、ビデオカメラ等を用いて記録する。濃度分布を検出する方法としては、濃度変化を屈折率変化として検出する光学干渉計などでも実現可能である。
【0013】
上記図5に示した装置を用いて、溶質分子輸送を実施するには、次のような手順で行う。
(1)溶液をセルに入れる。
(2)濃度分布の観察を開始する。
(3)加熱用レーザーをオンにして、パターンを照射、加熱を開始する。同時に一定速度での移動も開始する。
(4)パターンの交点にソーレー効果によって分子が溜まりはじめる。
(5)分子の溜まりはやがて飽和し、一定値となる。
(6)(5)の状態を維持して、ゆっくりとパターンを移動し、分子溜まりを移動させる。この移動で、液体の分子輸送が実現される。
(7)溶液の濃度が極端に低い場合は、分子溜まりには1分子しか存在しないことがありえて、その場合は一分子輸送となる。
(8)上記の様子を蛍光顕微鏡で観察する。
【0014】
上記図5に示した装置を用いて、溶質分子輸送を実施する際に、溶質分子の輸送量を最適化するには、次のような手順で行う。
(1)レーザー強度を一定にして、一定速度で加熱パターンを移動する実験を、さまざまな速度で行う。
(2)さまざまな速度での、分子溜まり濃度ピークの大きさを測定する。
(3)パターンの速度によって濃度ピークの値が異なるが、最も濃度ピークが高くなる速度が、最適な速度である。
(4)上記の方法によらずとも、溶液のソーレー係数、拡散係数、温度パターンの温度勾配の最大値がわかっていれば、上記(1)式から、最適な移動速度を計算できる。
【0015】
上記図5に示した実施例では、レーザーによるパターン加熱とその移動、および蛍光顕微鏡による濃度分布検出を説明したが、マイクロ流路に固定された微細なヒータで温度分布を形成し、液体を流すことで、液体に対して相対的に温度分布を移動させることで、ソーレー効果によって分子溜まりを形成する方法もある。この時の分子溜まりは、マイクロ流路内で一定位置にとどまるので、液相分子トラッピング技術と考えることができる。このトラッピング技術は、分子溜まり内での結晶核の連続生成や、分子溜まりで高濃度化することを利用した光分析などの高感度化、分子の大きさによって分子溜まりにトラップされる濃度が異なることを利用した分離・分析技術などへ発展できる。マイクロ流路に固定された微細なヒータと液体を流すことにより、液体に対して相対的に温度分布を移動させれば、レーザー加熱用の光学系や、移動機構を含まないので、小型化でき、微細加工技術で流路等を形成すれば、手のひらサイズの分析チップにすることもできる。
【産業上の利用可能性】
【0016】
本発明の溶質分子輸送技術は、光学顕微鏡の付属機構として、販売することができる。それによって、溶液中の分子の位置を人為的に操作できることを利用した、さまざまな研究開発に利用されることが期待できる。また、本発明を応用したトラッピング技術は、流体チップなどに組み込まれ、分離・分析などのさまざまな用途に応用される基礎技術となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
溶液中の溶質分子を、温度分布の移動によって高効率に移動させる溶質分子輸送方法であって、
溶液中に2次元的あるいは3次元的な温度分布を形成し、
前記温度分布をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動させることにより、高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成しつつ、高濃度領域を移動させ、
高濃度領域中に濃縮された溶質分子の移動を実現することを特徴とする溶質分子輸送方法。
【請求項2】
溶液中の溶質分子を、温度分布の移動によって高効率に移動させる溶質分子輸送装置であって、
溶液中に2次元的あるいは3次元的な温度分布を形成する温度分布形成手段と、
前記温度分布を移動させる移動手段とを備え、
前記移動手段は、前記温度分布をソーレー効果による分子流速とほぼ同じ速度で移動させることにより、高効率にソーレー効果による高濃度領域を形成しつつ、高濃度領域を移動させて、当該高濃度領域中に濃縮された溶質分子の移動を実現することを特徴とする溶質分子輸送装置。
【請求項3】
前記温度分布形成手段は、レーザービームによるパターン加熱であり、
前記移動手段は、前記レーザービームによるパターンを移動させる光学系からなることを特徴とする請求項2記載の溶質分子輸送装置。
【請求項4】
前記温度分布の形状が、温度分布の移動方向に向かって開いており、移動方向と逆向きに閉じた形状であることを特徴とする請求項2または3記載の溶質分子輸送装置。
【請求項5】
前記温度分布の形状が、温度分布の移動方向に向かって傾きの異なる複数のパターンからなることを特徴とする請求項2または3記載の溶質分子輸送装置。
【請求項6】
請求項2ないし5のいずれか1項記載の溶質分子輸送装置を備えたことを特徴とする光学顕微鏡。
【請求項7】
前記温度分布形成手段は、溶液の流路にパターン状に固定した加熱手段であり、
前記移動手段は、溶液を流路中に所定流速で移動させる手段からなることを特徴とする請求項2記載の溶質分子輸送装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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