説明

炭素繊維前駆体繊維束およびその製造方法、ならびに炭素繊維束

【課題】集束性が高く、焼成工程通過性が良好な炭素繊維前駆体繊維束を得る。また、樹脂含浸性および開繊性が良好で、機械的強度が高い炭素繊維束を得る。
【解決手段】単繊維の繊維断面の偏平係数を1.15〜1.30とし、かつ前記単繊維の粗面係数を1.038〜1.060とする。そして、この炭素繊維前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束において、前記炭素繊維束を構成する単繊維の繊維断面の偏平係数を1.20〜1.35とし、かつ前記炭素繊維束を構成する単繊維の粗面係数が1.030〜1.060とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、繊維強化複合材料の強化材として使用される炭素繊維束の製造に適したアクリロニトリル系重合体の単繊維からなる炭素繊維前駆体繊維束(以下、単に「前駆体繊維束」と称することがある。)に関する。
【背景技術】
【0002】
繊維強化複合材料には、強化材として、炭素繊維、ガラス繊維、アラミド繊維等が使用されている。中でも、炭素繊維は、比強度、比弾性率、耐熱性、耐薬品性に優れ、航空機用途、ゴルフシャフトや釣り竿等のスポーツ用途、一般産業用途の繊維強化複合材料の強化材として使用されている。このような繊維強化複合材料は、例えば、以下のようにして製造される。
【0003】
まず、ポリアクリロニトリル系重合体の単繊維からなる前駆体繊維束を、焼成工程(耐炎化工程)にて空気などの酸化性気体中で200〜300℃の温度で焼成して耐炎化繊維を得る。次いで、炭素化工程にて不活性雰囲気中で300〜2000℃の温度で炭素化して炭素繊維束を得る。そして、この炭素繊維束を、必要に応じて織物等に加工した後、これに樹脂を含浸させ、所定の形状に成形することにより繊維強化複合材料を得る。
【0004】
炭素繊維束の製造に用いられる前駆体繊維束には、焼成工程において繊維束がばらけて、繊維束を構成する単繊維が隣接する繊維束に絡まったり、ローラーに巻き付いたりしないように、高い集束性が要求される。しかしながら、集束性の高い前駆体繊維束から得られる炭素繊維束は、その集束性の高さのため、樹脂が含浸しにくいという問題を有していた。
【0005】
また、炭素繊維束を製織して得られる炭素繊維織物は、樹脂を含浸する際に樹脂のボイドが発生しないように、できるだけ目開きの少ない織物とする必要がある。そのために、製織中または製織後に何らかの開繊処理が施される。しかしながら、集束性の高い前駆体繊維束から得られる炭素繊維束は、その集束性の高さのため、開繊しにくいという問題を有していた。さらに、炭素繊維織物は、目空きの少ない均一な織り目が要求されるため、嵩高い炭素繊維束が必要とされていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2000−144521号公報
【特許文献2】特開平3−185121号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明者らは、上記のような技術的背景のもと、炭素繊維束と樹脂との複合材の基本特性を向上する対策について種々検討した結果、単繊維の表面形態を制御して、繊維断面の偏平係数を小さく保ちながら、表面しわを大きくすることが非常に有効であることを見出した。
【0008】
ここで、炭素繊維または炭素繊維前駆体繊維の断面形状や表面しわの制御の有効性については、特許文献1および2において開示されている。しかしながら、特許文献1および2に開示された技術では、繊維断面の長径と短径との比などで示される断面の偏平度と表面しわとが紡糸条件などによってともに変化し、例えば、樹脂含浸性や開繊性を向上するために表面しわを大きくする製造条件ととると繊維断面の偏平度も大きくなり、炭素繊維束の機械的強度を発現しにくかった。
【0009】
本発明は、集束性が高く、焼成工程通過性が良好な炭素繊維前駆体繊維束を得ることを目的とする。また、本発明は、樹脂含浸性および開繊性が良好で、機械的強度が高い炭素繊維束を得ることを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明の第一の要旨は、単繊維の繊維断面の偏平係数が1.15〜1.30であり、かつ前記単繊維の粗面係数が1.038〜1.060である炭素繊維前駆体繊維束にある。
【0011】
本発明の第二の要旨は、前記の炭素繊維前駆体繊維束の製造方法であって、
95質量%以上のアクリロニトリル単位を含有するアクリロニトリル系重合体の有機溶剤溶液からなる紡糸溶液を、有機溶剤濃度55〜68質量%、温度33〜40℃の有機溶剤水溶液が投入された第1凝固浴中に吐出して凝固糸とするとともに、前記紡糸原液の吐出線速度の0.8倍以下の速度で、前記第1凝固浴中から前記凝固糸を引き取る工程と、
前記引き取られた凝固糸に対して、前記第1凝固浴と同じ条件の有機溶剤水溶液が投入された第2凝固浴中にて1.5〜2.0倍の延伸を施す工程と、
前記第2凝固浴中で延伸された繊維束に対して、3.0倍以上の湿熱延伸を施す工程と、
前記湿熱延伸された繊維束に対して、シリコーン系油剤の添油処理を行う工程と、
前記添油処理された繊維束を乾燥した後、その繊維束に対して、1.5〜2.5倍のスチーム延伸を施す工程と
を有する炭素繊維前駆体繊維束の製造方法にある。
【0012】
本発明の第三の要旨は、前記の炭素繊維前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束であって、前記炭素繊維束を構成する単繊維の繊維断面の偏平係数が1.20〜1.35であり、かつ前記炭素繊維束を構成する単繊維の粗面係数が1.030〜1.060である炭素繊維束にある。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、集束性が高く、焼成工程通過性が良好な炭素繊維前駆体繊維束を得ることができ、また、樹脂含浸性および開繊性が良好で、機械的強度が高い炭素繊維束を得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明を詳細に説明する。
【0015】
<炭素繊維前駆体繊維束>
まず、本発明の炭素繊維前駆体繊維束について説明する。本発明の炭素繊維前駆体繊維束は、例えば、複数のアクリロニトリル系重合体の単繊維を束ねたトウである。
【0016】
(アクリロニトリル系重合体)
アクリロニトリル系重合体としては、アクリロニトリル単位を95質量%以上含有する重合体が、その炭素繊維前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束の強度発現性の点で好ましい。アクリロニトリル系重合体は、アクリロニトリルと、必要に応じてこれと共重合しうる単量体とを、水溶液中におけるレドックス重合、不均一系における懸濁重合、分散剤を使用した乳化重合などによって得ることができる。
【0017】
アクリロニトリルと共重合しうる単量体としては、例えば、メチル(メタ)アクリレート、エチル(メタ)アクリレート、プロピル(メタ)アクリレート、ブチル(メタ)アクリレート、ヘキシル(メタ)アクリレート等の(メタ)アクリル酸エステル類;塩化ビニル、臭化ビニル、塩化ビニリデン等のハロゲン化ビニル類;(メタ)アクリル酸、イタコン酸、クロトン酸等の不飽和カルボン酸類およびそれらの塩類;マレイン酸イミド、フェニルマレイミド、(メタ)アクリルアミド、スチレン、α−メチルスチレン、酢酸ビニル;スチレンスルホン酸ナトリウム、アリルスルホン酸ナトリウム、β−スチレンスルホン酸ナトリウム、メタアリルスルホン酸ナトリウム等のスルホン基を含む重合性不飽和単量体;2−ビニルピリジン、2−メチル−5−ビニルピリジン等のピリジン基を含む重合性不飽和単量体等が挙げられる。
【0018】
より好ましいアクリロニトリル系重合体は、95質量%以上のアクリロニトリル単位と、0.5〜4.0質量%のアクリルアミド単位とを含有するアクリロニトリル系重合体である。アクリルアミド単位を4.0質量%以下とすることで、炭素繊維前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束の機械的強度が高くなる。また、アクリルアミド単位を0.5質量%以上とすることで、アクリロニトリル系重合体の紡糸原液への溶解性が高まり、紡糸口金を通して凝固浴中に吐出させた際の凝固速度が速くなり、紡糸安定性も向上する。アクリロニトリル単位は、95質量%以上、98質量%以下が好ましい。アクリルアミド単位は、1.0質量%以上、4.0質量%以下が好ましい。
【0019】
(偏平係数と粗面係数)
本発明では、単繊維の繊維断面の偏平係数を1.15〜1.30とする。偏平係数が1.30を超えると、前駆体繊維束の集束性が低下し、焼成工程通過性が悪化する。また、偏平係数が大きいことは、紡糸工程で繊維表層の凝固が速いために緻密なスキン層が形成されて繊維内部の凝固が遅延し、細孔の多い繊維となることに起因する。したがって、その前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束のストランド強度が著しく低下する。一方、偏平係数が1.15未満の場合には、前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束の機械的強度は高くなるが、単繊維間の空隙が減少するために、炭素繊維束の樹脂含浸性および開繊性が悪くなる。単繊維の繊維断面の偏平係数は、1.20〜1.30が好ましい。
【0020】
また、本発明では、単繊維表面のしわの大きさの指標となる粗面係数を1.038〜1.060とする。粗面係数が1.038未満の場合には、単繊維間の空隙が減少するために、焼成して得られる炭素繊維束の樹脂含浸性および開繊性が悪くなる。一方、粗面係数が1.060を超えると、前駆体繊維束の集束性が低下し、焼成工程通過性が悪化する。また、焼成して得られる炭素繊維束のストランド強度が著しく低下する。単繊維の粗面係数は、1.040〜1.055が好ましい。
【0021】
炭素繊維前駆体繊維束の単繊維の偏平係数は、例えば、凝固浴の有機溶剤濃度や浴温度を変えることによって、1.15〜1.30の範囲に調整することができる。しかし、従来の方法では、得られる繊維束の単繊維の粗面係数は、偏平係数の変化に伴って単調に変化して1.038未満となり、粗面係数と偏平係数のいずれもが好適な範囲にある繊維束を得ることができなかった。ところが、後述する本発明の方法により、単繊維の繊維断面の偏平係数が1.15〜1.30であり、かつ前記単繊維の粗面係数が1.038〜1.060である炭素繊維前駆体繊維束を製造することができるようになった。
【0022】
そして、本発明者らは、単繊維の繊維断面の偏平係数が1.15〜1.30であり、かつ単繊維の粗面係数が1.038〜1.060である前駆体繊維束であれば、焼成工程通過性を損なうことなく、樹脂含浸性および開繊性が良好で、機械的強度が高い炭素繊維束が得られることを見出した。この前駆体繊維束は、一般的な紡糸法で得られる前駆体繊維束と同等の偏平係数をもちながら、粗面係数が大きいことを特徴とする。
【0023】
(偏平係数および粗面係数の計測方法)
単繊維の断面形状パラメーターである偏平係数および粗面係数は、以下の方法で計測される。
【0024】
前駆体繊維束または炭素繊維束をエポキシ樹脂などで包埋したのち、研磨機により繊維軸に対して直角に断面加工する。研磨機は特に制限はなく、(株)マルトー製ML−110N(商品名)などを用いることができる。研磨の手順としては、#800および#1500の研磨紙で粗研磨した後、ポリッシングクロスなどで仕上げ研磨する。次いで、プラズマエッチング処理を施した後、さらにAuを約10nmの厚さにスパッタリングして、走査型電子顕微鏡によって1000倍で観察して画像を得る。プラズマエッチング装置は特に制限はないが、例えば、日本電子データム(株)製JP−170(商品名)などの電子顕微鏡用エッチング装置が好ましい。得られた画像の計測は画像計測ソフトウェアを用いて行い、単繊維の断面の外形をトレースしたときの周長Lおよびその面積A、さらに、断面の長径D1および短径D2を計測した。これらの値を用いて、次式により偏平係数および粗面係数を算出する。用いる画像計測ソフトウェアは特に制限はなく、例えば、日本ローパー(株)Image−Pro PLUS(商品名)などを用いることができる。
【0025】
偏平係数=D1/D2
粗面係数=(L/π)/(4×A/π)1/2
偏平係数は、単繊維の繊維断面の長径と短径の比であり、繊維断面の偏平度の指標となる値である。また、粗面係数は、単繊維の繊維断面の周囲長から円換算した直径と実測面積から円換算した直径との比であり、繊維表面の凹凸(しわ)の指標となる値である。50本以上の単繊維についてこれらの値を計測し、平均値を求める。
【0026】
<炭素繊維前駆体繊維束の製造方法>
次に、本発明の炭素繊維前駆体繊維束の製造方法について説明する。本発明の炭素繊維前駆体繊維束は、例えば、以下のようにして製造することができる。
【0027】
まず、アクリロニトリル系重合体の有機溶剤溶液からなる紡糸原液を、紡糸口金を通して、有機溶剤濃度55〜68質量%、温度33〜40℃の有機溶剤水溶液が投入された第1凝固浴中に吐出して凝固糸にするとともに、紡糸原液の吐出線速度の0.8倍以下の速度で、第1凝固浴中から凝固糸を引き取る。
【0028】
紡糸原液の溶媒として用いる有機溶剤としては、例えば、ジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミド等が挙げられる。中でも、ジメチルアセトアミドは、溶剤の加水分解による性状の悪化が少なく、良好な紡糸性を与えるので、好適に用いられる。紡糸原液におけるアクリロニトリル系重合体の濃度は、紡糸安定性および得られる前駆体繊維の緻密性の観点から、18〜24質量%が好ましい。
【0029】
第一凝固浴中の有機溶剤水溶液に含まれる有機溶剤としては、例えば、例えば、ジメチルアセトアミド、ジメチルスルホキシド、ジメチルホルムアミド等が挙げられる。第一凝固浴中の有機溶剤水溶液に含まれる有機溶剤は、紡糸原液の溶媒として用いる有機溶剤と同じであることが好ましい。
【0030】
紡糸原液を押し出すための紡糸口金としては、アクリロニトリル系重合体の単繊維の一般的な太さである1.08デニール(1.2dtex)程度のアクリロニトリル系重合体の単繊維を製造する際の孔径、すなわち15〜100μmの孔径のノズル孔を有する紡糸口金を使用することができる。紡糸口金の孔数は、紡糸安定性および工程での乾燥負荷の観点から、1,000〜12,000が好ましく、より好ましくは1,000〜6,000、さらに好ましくは1,000〜3,000である。
【0031】
第1凝固浴中から凝固糸を引き取る速度を、紡糸原液の吐出線速度の0.8倍以下とすることで、良好な紡糸性を維持することができる。第1凝固浴中から凝固糸を引き取る速度は、紡糸原液の吐出線速度の0.4倍以上0.8倍以下とすることが好ましい。
【0032】
第1凝固浴から引き上げられた凝固糸は、凝固糸が含有する液体中の有機溶剤の濃度が、第1凝固浴中の有機溶剤の濃度を超えているので、凝固糸の表面だけが凝固した半凝固状態にある凝固糸になり、次工程の第2凝固浴中での延伸性が良好な凝固糸になる。
【0033】
次いで、第1凝固浴から引き取られた凝固糸を、第1凝固浴と同じ条件の有機溶剤水溶液が投入された第2凝固浴中にて1.5〜2.0倍に延伸する。第1凝固浴から引き取られた凝固糸は、凝固液を含んだまま膨潤状態にあり、空気中で延伸することも可能であるが、この凝固糸を第2凝固浴中で延伸する手段をとることにより、凝固糸の凝固を促進させることができ、また延伸工程での温度制御も容易になる。
【0034】
また、第1凝固浴と第2凝固浴の有機溶剤の濃度を同じにし、第1凝固浴と第2凝固浴の温度を同じにし、さらには紡糸原液の有機溶剤と第1凝固浴に用いる有機溶剤と第2凝固浴に用いる有機溶剤とを同じにすることにより、第1凝固浴および第2凝固浴の調製が容易となり、しかも有機溶剤回収上でのメリットも生ずる。特に、アクリロニトリル系重合体のジメチルアセトアミド溶液からなる紡糸原液を用い、第1凝固浴および第2凝固浴に同じ温度および濃度のジメチルアセトアミド水溶液を用いることで、繊維断面の偏平係数が1.15〜1.35の単繊維の製造を容易に行えるようになる。
【0035】
なお、第1凝固浴と第2凝固浴の有機溶剤の濃度を低くすることによって、繊維断面の偏平係数が大きい単繊維が得られる。一方、第1凝固浴と第2凝固浴の有機溶剤の濃度を高くすることによって、繊維断面の偏平係数が1.0に近い単繊維が得られる。
【0036】
第2凝固浴中での延伸倍率は、1.5〜2.0倍とする。第2凝固浴中での延伸倍率を1.5倍以上とすることで、均一に配向した繊維が得られるようになる。また、第2凝固浴中での延伸倍率を2.0倍以下とすることで、単繊維切れが発生し難くなり、紡糸安定性が向上し、その後の湿熱延伸工程での延伸性が良好になる。第2凝固浴中での延伸倍率は、1.6〜2.0倍とすることが好ましい。
【0037】
次いで、第2凝固浴中での延伸をされた繊維束に対して3.0倍以上の湿熱延伸を行う。この湿熱延伸は、第2凝固浴中での延伸を終えた膨潤状態にある繊維束における繊維の配向性を高めるためのものであり、繊維束を水洗に付しながらの延伸または熱水中での延伸によって行われる。湿熱延伸の倍率は、高生産性および繊維の配向向上の観点から、3倍以上とするが、3.0倍以上4.0倍以下が好ましい。
【0038】
次いで、この繊維束に対してシリコーン系油剤の添油処理を行う。シリコーン系油剤としては、例えば、アミノ変性シリコーン、エポキシ変性シリコーン、ポリエーテル変性シリコーン等の一般的なシリコーン系油剤や低シリコーン系油剤を用いることができる。シリコーン系油剤の濃度は、0.4〜1.5質量%に調整されることが好ましく、0.8〜1.2質量%に調製されることがより好ましい。
【0039】
次いで、添油処理された繊維束を乾燥し、さらにスチーム延伸機で1.5〜2.5倍(好ましくは1.8〜2.5倍)のスチーム延伸を行う。そして、この繊維束に対してタッチロールで水分率の調整を行い、続いてエアーを吹き付けて交絡を施すことで、炭素繊維前駆体繊維束を得ることができる。
【0040】
(湿熱延伸糸の膨潤度)
本発明では、湿熱延伸を施した後の乾燥前の繊維束における膨潤度は、90質量%以下であることが好ましい。湿熱延伸糸の膨潤度が90質量%以下にある繊維束は、表層部と繊維内部とが均一に配向していることを意味する。例えば、第1凝固浴中での凝固糸の製造の際の「凝固糸の引取り速度/ノズルからの紡糸原液の吐出線速度」を下げることによって、第1凝固浴中での凝固糸の凝固を均一なものにした後、これを第2凝固浴中にて延伸することにより、内部まで均一に配向することができる。これによって、湿熱延伸糸の膨潤度を90質量%以下とすることができる。湿熱延伸糸の膨潤度は、75質量%以上90質量%以下であることがより好ましい。
【0041】
一方、第1凝固浴中での凝固糸の製造の際の「凝固糸の引取り速度/ノズルからの紡糸原液の吐出線速度」を高くすると、第1凝固浴中での凝固糸の凝固と延伸とが同時に起こるため、第1凝固浴中での凝固糸の凝固が不均一になりやすい。したがって、これを第2凝固浴中で延伸する工程をとっても、湿熱延伸を施した後の乾燥前の膨潤繊維束は膨潤度の高いものになってしまい、繊維内部まで均一に配向した繊維にはならない場合がある。そのため、前駆体繊維を焼成して得られる炭素繊維束の機械的強度発現性が低下する場合がある。
【0042】
湿熱延伸糸の膨潤度は、膨潤状態にある繊維束の付着液を遠心分離機(3000rpm、15分)によって除去した後の質量wと、これを105℃×2時間の熱風乾燥機で乾燥した後の質量w0とにより、膨潤度(質量%)=(w−w0)×100/w0によって求めた数値である。
【0043】
<炭素繊維束>
次に、本発明の炭素繊維束について説明する。本発明の炭素繊維束は、炭素繊維束を構成する単繊維の繊維断面の偏平係数が1.20〜1.35であり、かつ炭素繊維束を構成する単繊維の粗面係数が1.030〜1.060である。このような炭素繊維束は、樹脂含浸性および開繊性が良好で、機械的強度が高いので、繊維強化複合材料の強化材として好適に用いられる。炭素繊維束を構成する単繊維の繊維断面の偏平係数は、1.25〜1.35が好ましい。炭素繊維束を構成する単繊維の粗面係数は、1.030〜1.055が好ましい。
【0044】
本発明の炭素繊維束は、ポリアクリロニトリル系炭素繊維における通常の焼成工程により、上述の前駆体繊維束を焼成することで製造することができる。すなわち、前駆体繊維束を、空気中230〜260℃の熱風循環式耐炎化炉にて30〜60分間処理して耐炎化繊維束とし、次いで、耐炎繊維束を、窒素雰囲気下最高温度800℃程度で1〜2分間処理し、さらに同雰囲気下で最高温度が1000〜2000℃の高温熱処理炉にて約1〜2分処理する。その後、繊維強化複合材料の強度発現のために、炭素繊維束の表面に電解処理を施し、炭素繊維用サイズ剤を付与してもよい。
【実施例】
【0045】
以下、実施例により本発明を詳しく説明する。なお、前駆体繊維束または炭素繊維束の断面形状パラメーターの測定は、以下の方法によって行った。
【0046】
(集束性)
集束性は前駆体繊維束の紡糸工程の最終ロール、すなわち前駆体繊維束をボビンに巻き取る直前のロール上での前駆体繊維束の状態を観察し、下記の基準で評価した。
○:集束しており、トウ幅が一定で、隣接する繊維束と接触しない。
△:ほぼ集束しているが、トウ幅が一定ではない、あるいはトウ幅が広い。
×:繊維束中に空間があり、集束していない。
【0047】
(断面形状パラメーター)
前駆体繊維束または炭素繊維束を室温硬化型エポキシ樹脂で包埋した後、研磨機((株)マルトー製、商品名:ML−110N)により繊維軸に対して直角に断面加工した。次いで、プラズマエッチング装置(日本電子データム(株)製、商品名:JP−170)により出力50Wの条件で5分間プラズマエッチング処理を施した後、さらに、イオンコーター(日本電子データム(株)製、商品名:JFC−1100)によりAuを約10nmの厚さにスパッタリングした。得られた試験片を走査型電子顕微鏡(日本電子(株)製、商品名:JSM−6060A)によって1000倍で観察した画像を得た。得られた画像について、画像計測ソフトウェア(日本ローパー(株)製、商品名:Image−Pro PLUS)により、単繊維の断面の外形をトレースして、周長Lおよびその面積A、さらに断面の長径(最大フェレ径)D1および短径(最小フェレ径)D2を計測した。これらの値を用いて、次式により偏平係数および粗面係数を算出した。50本以上の単繊維についてこれらの値を計測し、それぞれ平均値を求めた。
【0048】
偏平係数=D1/D2
粗面係数=(L/π)/(4×A/π)1/2
また、得られた炭素繊維束の評価方法は、以下の通りである。
【0049】
(樹脂含浸性)
約20cmに切り取った炭素繊維束をグリシジルエーテル中に約3cm浸し、15分間放置した。グリシジルエーテル中から炭素繊維束を取り出した後3分間放置し、下から3.5cmのところで切り落とし、残った炭素繊維束の長さ、質量を測定した。炭素繊維束の目付けから吸い上げたグリシジルエーテルの質量割合を算出し、樹脂含浸性の指標とした。吸い上げたグリシジルエーテルの質量割合が3%以上を「○」、3%未満を「×」とした。
【0050】
(開繊性)
炭素繊維束を0.06g/単繊維の張力下、走行速度1m/分で金属ロール上を走行させた際のトウ幅を測定し、開繊性の指標とした。トウ幅が2mm以上を「○」、2mm未満を「×」とした。
【0051】
[実施例1]
アクリロニトリル、アクリルアミドおよびメタクリル酸を、過硫酸アンモニウム−亜硫酸水素アンモニウムおよび硫酸鉄の存在下、水系懸濁重合により共重合し、アクリロニトリル単位/アクリルアミド単位/メタクリル酸単位=96/3/1(質量比)からなるアクリロニトリル系重合体を得た。このアクリロニトリル系重合体をジメチルアセトアミドに溶解し、濃度21質量%の紡糸原液を調製した。
【0052】
この紡糸原液を孔数3000、孔径75μmの紡糸口金を通して、濃度65質量%、温度35℃のジメチルアセトアミド水溶液からなる第1凝固浴中に吐出させて凝固糸にし、この凝固糸を、第1凝固浴中から紡糸原液の吐出線速度の0.6倍の引取り速度で引き取った。引き続き、この凝固糸を、第1凝固浴と同条件の濃度65質量%、温度35℃のジメチルアセトアミド水溶液からなる第2凝固浴に導き、第2凝固浴中にて1.80倍に延伸した。
【0053】
次いで、得られた繊維束を水洗すると同時に3.5倍の湿熱延伸を行い、これに1.1質量%に調製したアミノシリコーン系油剤を添油した。得られた繊維束を熱ロールを用いて乾燥し、スチーム延伸機にて2.1倍に延伸した。その後、タッチロールにて繊維束の水分率を調整し、この繊維束に繊維当たり8質量%の水分を含有させた。次いで、この繊維束を、圧力200kPaのエアーによって交絡処理し、ワインダーで巻き取ることにより、単繊維繊度1.2dtexのアクリロニトリル系前駆体繊維束を得た。紡糸時に毛羽が発生することなく、紡糸安定性は良好であった。得られた前駆体繊維束の集束性を確認するとともに、断面形状パラメーターを測定した。また、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0054】
さらに、前駆体繊維束を空気中230〜260℃の熱風循環式耐炎化炉にて50分間処理して耐炎化繊維束とし、次いで耐炎繊維束を窒素雰囲気中下で最高温度780℃にて1.5分間処理し、さらに同雰囲気下で最高温度が1300℃の高温熱処理炉にて約1.5分処理した。その後、重炭酸水素アンモニウム水溶液中で0.4Amin/mで電解処理を施して、炭素繊維束を得た。なお、焼成工程通過性に問題はなかった。得られた炭素繊維束の断面形状パラメーターを測定するとともに、樹脂含浸性および開繊性を評価した。
【0055】
[比較例1]
アクリロニトリル系重合体の組成を、アクリロニトリル単位/アクリル酸メチル単位/メタクリル酸単位=96/3/1(質量比)とした以外は、実施例1と同様にして単繊維繊度1.2dtexの前駆体繊維束を得た。紡糸時に毛羽が発生することなく、紡糸安定性は良好であった。得られた前駆体繊維束の集束性を確認するとともに、断面形状パラメーターを測定した。また、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0056】
さらに、この前駆体繊維束を実施例1と同様に焼成した。焼成工程において繊維束を構成する単繊維がばらけて隣接する繊維束が若干絡まるなど、焼成工程通過性に劣っていた。得られた炭素繊維束の断面形状パラメーターを測定するとともに、樹脂含浸性および開繊性を評価した。
【0057】
[比較例2]
第2凝固浴槽をバイパスして、空中延伸(冷延伸)にて1.8倍延伸を施した以外は、実施例1と同様にして単繊維繊度1.2dtexの前駆体繊維束の製造を試みた。しかし、紡糸安定性が悪く、前駆体繊維束を得ることができなかった。なお、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0058】
[比較例3]
水洗後の湿熱延伸倍率を2.3倍、スチーム延伸機倍率を3.2倍に変更した以外は、実施例1と同様にして単繊維繊度1.2dtexの前駆体繊維束を得た。紡糸時に毛羽が発生することなく、紡糸安定性は良好であった。得られた前駆体繊維束の集束性を確認するとともに、断面形状パラメーターを測定した。また、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0059】
さらに、この前駆体繊維束を実施例1と同様に焼成した。焼成工程において繊維束を構成する単繊維がばらけて隣接する繊維束が若干絡まるなど、焼成工程通過性に劣っていた。得られた炭素繊維束の断面形状パラメーターを測定するとともに、樹脂含浸性および開繊性を評価した。
【0060】
[比較例4]
第2凝固浴中での浴中延伸倍率が2.2倍に変更した以外は、実施例1と同様にして単繊維繊度1.2dtexの前駆体繊維束を得た。紡糸時に若干の毛羽が発生し、紡糸安定性に劣っていた。得られた前駆体繊維束の集束性を確認するとともに、断面形状パラメーターを測定した。また、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0061】
さらに、この前駆体繊維束を実施例1と同様に焼成した。焼成工程において毛羽が隣接する繊維に絡まるなど、焼成工程通過性に劣っていた。得られた炭素繊維束の断面形状パラメーターを測定するとともに、樹脂含浸性および開繊性を評価した。
【0062】
[比較例5]
第1凝固浴および第2凝固浴におけるジメチルアセトアミド水溶液の濃度を50質量%、温度を30℃に変更した以外は、実施例1と同様にして前駆体繊維束を得た。紡糸時に毛羽が発生し、紡糸安定性に劣っていた。得られた前駆体繊維束の集束性を確認するとともに、断面形状パラメーターを測定した。また、湿熱延伸後の繊維束を採取して、その膨潤度を測定した。
【0063】
さらに、この前駆体繊維束を実施例1と同様に焼成した。焼成工程において毛羽が隣接する繊維に絡まるなど、焼成工程通過性に劣っていた。得られた炭素繊維束の断面形状パラメーターを測定するとともに、樹脂含浸性および開繊性を評価した。
【0064】
以上の結果を、表1にまとめて示す。
【0065】
【表1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
単繊維の繊維断面の偏平係数が1.15〜1.30であり、かつ前記単繊維の粗面係数が1.038〜1.060である炭素繊維前駆体繊維束。
【請求項2】
請求項1に記載の炭素繊維前駆体繊維束の製造方法であって、
95質量%以上のアクリロニトリル単位を含有するアクリロニトリル系重合体の有機溶剤溶液からなる紡糸溶液を、有機溶剤濃度55〜68質量%、温度33〜40℃の有機溶剤水溶液が投入された第1凝固浴中に吐出して凝固糸とするとともに、前記紡糸原液の吐出線速度の0.8倍以下の速度で、前記第1凝固浴中から前記凝固糸を引き取る工程と、
前記引き取られた凝固糸に対して、前記第1凝固浴と同じ条件の有機溶剤水溶液が投入された第2凝固浴中にて1.5〜2.0倍の延伸を施す工程と、
前記第2凝固浴中で延伸された繊維束に対して、3.0倍以上の湿熱延伸を施す工程と、
前記湿熱延伸された繊維束に対して、シリコーン系油剤の添油処理を行う工程と、
前記添油処理された繊維束を乾燥した後、その繊維束に対して、1.5〜2.5倍のスチーム延伸を施す工程と
を有する炭素繊維前駆体繊維束の製造方法。
【請求項3】
前記アクリロニトリル系重合体が、95質量%以上のアクリロニトリル単位と、0.5〜4.0質量%のアクリルアミド単位とを含有する請求項2の炭素繊維前駆体繊維束の製造方法。
【請求項4】
前記湿熱延伸された繊維束の膨潤度が、90質量%以下である請求項2または3に記載の炭素繊維前駆体繊維束の製造方法。
【請求項5】
請求項1に記載の炭素繊維前駆体繊維束を焼成して得られる炭素繊維束であって、前記炭素繊維束を構成する単繊維の繊維断面の偏平係数が1.20〜1.35であり、かつ前記炭素繊維束を構成する単繊維の粗面係数が1.030〜1.060である炭素繊維束。

【公開番号】特開2011−38202(P2011−38202A)
【公開日】平成23年2月24日(2011.2.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−185679(P2009−185679)
【出願日】平成21年8月10日(2009.8.10)
【出願人】(000006035)三菱レイヨン株式会社 (2,875)
【Fターム(参考)】