説明

生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法

【課題】 生鮮海産頭足類の発色機構とその制御に関し、表皮の色素胞活動と高エネルギー化合物であるATPを利用して行われている可能性を究明すること、すなわち死後の嫌気的な条件下で起こるエネルギーレベルの低下を抑制することによって、個体の死後も長期間細胞活性を持続させ、発色を制御できる可能性を究明することによって、そのための最適条件を見出すことを課題とする。
【解決手段】 塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に、酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給した後、液体中に生鮮海産頭足類を浸漬又は浮遊状態にして保管又は輸送することを特徴とする生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、個体の死後も細胞活性を持続させることによって、生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能を維持させる方法に関する。
【背景技術】
【0002】
イカ・タコ等の海産頭足類には、活魚として流通されるもの、鮮魚として流通されるもの、冷凍されて流通されるものがあり、商品上この順に価格が高く設定されている。
最も鮮度が良いとされ、高い価格で取引されている活魚については、関連分野で活かしたまま保管又は輸送する、つまり活魚流通するための多くの技術開発がなされている。しかし、個体の死後に保管又は輸送される鮮魚の品質(鮮度)保持技術については、産業上有益と思われる先行技術は乏しい。特に、ここでいう品質保持の主眼を表皮の色素胞活動能に向けた知見はほとんどない。
最近、生鮮品の品質保持技術として、いくつかの研究報告がなされている。その概要を以下に示す。
【0003】
(ホタテガイ貝柱)
空気中で貯蔵するよりも酸素ガスで貯蔵する方が、ATP(アデノシン三リン酸と呼ばれ、生体におけるエネルギー伝達体としてエネルギーの獲得及び利用に重要な役割を果すものである。細胞の死と共に消失する)の低下と硬直が遅くなることを報告している。その中で、ATP低下とK値(生鮮水産物の鮮度指標として利用されているもので、ATPの代謝産物総量(ATP+ADP+AMP+IMP+HxR+Hx)に対する最終産物(HxR+Hx)の割合で示される)の上昇が、-3°Cよりも5°Cで遅いことが報告されている。更に、溶存酸素濃度の高い人工海水で保存することにより、ATPの低下を抑制できるとしている(非特許文献1参照)。
【0004】
(ウニ)
本願発明者でもある木下康宣らは、ミョウバン処理を施していない剥き身のウニを人工海水とともに包装し、酸素ガスを充填することによって、ATPと官能的な品質の低下を遅延できるということを報告している(非特許文献2参照)。
(ワカメ)
本願発明者でもある木下康宣らは、未加熱のワカメは加熱することによって緑色に変化するが、鮮度低下に伴い緑色化しなくなり、酸素ガスとともに包装することにより緑色化を起こさなくなるまでの期間を延長できるということを報告している(非特許文献3参照)。
【0005】
(イカ)
イカ表皮の色調劣化(赤から白くなっていくこと)や身で起こる白濁・食感低下・ATPの低下が、0°Cや10°Cよりも5°Cの方が遅いという報告がある。同時に、イカの身については、酸素濃度が高いほどそれらの劣化を抑制しやすいと報告している(非特許文献4参照)。
これらの多くは、生鮮水産物において、個体の死後でも細胞の活性は一定期間持続しており、(おそらく細胞単位の呼吸の必要上)酸素を提供することで、その活性低下を抑制できることを示唆するものである。これらの知見は、特にホタテガイ貝柱で多く見られるが、イカに関して実証されたものはない。特に、イカの場合、表皮の発色具合が現場的な鮮度判断の一つの指標とされているが、より高い鮮度を意味する表皮の色素胞活動能の持続性に主眼を置いたアプローチは全く無い。
【0006】
その他、屠殺直後の魚体を酸素飽和無機塩水に2〜12時間浸漬し、12時間経過後空気中に出して冷蔵し鮮度を保つという技術が開示されている(特許文献1参照)。この場合、12時間を越える浸漬は鮮度が低下するというものである。
また、屠殺直後の魚体を吸収シートで包み、これを酸素ガス中で保持し鮮度を維持するという技術が開示されている(特許文献2参照)。また、食塩水にカリウムイオンと糖類を混ぜてイカの変色を防止する技術が開示されている(特許文献3参照)。また、鮮魚を樹脂袋等に空気を遮断して密封包装し、冷却した塩水に浮遊させておくという技術が開示されている(特許文献4参照)。
しかし、これらの特許文献1、2、4に記載されている技術は、生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持に関する技術ではなく、その効果も充分でないと考えられる。なお、特許文献3のみが、イカの変色に関心があるようであるが、糖類を混ぜることによる十分なデータが示されておらず、その効果は確認できない。
【非特許文献1】埜澤尚範外2名著「10.ホタテガイ貝柱の生存保蔵技術」技術雑誌“水産物の品質・ 鮮度とその高度保持技術”113〜119頁、恒星社厚生閣発行(平成16年)
【非特許文献2】木下康宣外2名著「塩水パックウニの品質に及ぼす酸素充填の影響」“平成14年度日本水産学会、北海道支部・東北支部合同支部大会、講演要旨集”218頁、日本水産学会発行(会期:2002年11月29日〜30日)
【非特許文献3】木下康宣外4名著「生鮮ワカメの保存性に及ぼす酸素パックの影響」“平成16年度日本水産学会、北海道支部、講演要旨集”103頁、日本水産学会発行(会期:2004年11月26日、27日)
【非特許文献4】「スルメイカの品質保持に関する研究開発」財団法人函館地域産業振興財団発行(平成15年3月)38〜70頁
【特許文献1】特開昭61−185152号公報
【特許文献2】特開昭61−56038号公報
【特許文献3】特開平4−360643号公報
【特許文献4】特開2004−113149号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、海産頭足類における表皮の発色機構とその制御に関するものであり、表皮の色素胞活動が高エネルギー化合物であるATPを利用して行われている可能性を究明すること、すなわち死後の嫌気的な条件下で起こるエネルギーレベルの低下を抑制することによって、個体の死後も長期間細胞活性を持続させ、発色を制御できる可能性を究明することにより、長期間に亘り表皮色素胞活動能を維持させる最適条件を見出すことにある。
本発明は、個体の死後も細胞活動が継続している間はエネルギーレベルの維持にとって細胞レベルの呼吸が必要と考え、安定的な呼吸環境を維持するための技術的要素を検討した結果、主として一定濃度の酸素を含有させた塩水中で保存することによって、表皮の色素胞活動能を長期間に渡って維持できる最適な技術を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、下記1)〜11)を提供するものである。
1)塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に、酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給した後、前記液体中に生鮮海産頭足類を浸漬又は浮遊状態にして保管又は輸送することを特徴とする生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
2)液体中の溶存酸素量を7mg/L以上とすることを特徴とする請求項1記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
3)液体中の溶存酸素量を8mg/L以上とすることを特徴とする請求項1記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
4)海産頭足類が、苦悶死したもの又は即殺により活き絞めした生鮮品であることを特徴とする請求項1〜3記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
5)包装資材に生鮮海産頭足類と溶存酸素量を増加させた塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を封入したものを保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
6)包装資材に生鮮海産頭足類と塩水、天然海水又は人工海水からなる液体と空気又は酸素を封入して保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
7)容器内に生鮮海産頭足類と塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を入れ、連続的又は間歇的に空気又は酸素を曝気して溶存酸素量を増加させて保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
8)包装生鮮海産頭足類を、直接氷蔵を行わずに間接氷蔵を行い、氷と生鮮頭足類の直接接触を防止して、保管又は輸送することを特徴とする請求項5〜7のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
9)塩濃度が17〜68‰である塩水、天然海水又は人工海水を用いることを特徴とする請求項1〜8のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
10)生鮮海産頭足類を-2°C〜15°Cに維持した塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に浸漬することを特徴とする請求項1〜9のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
11)塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中のpHを7.0〜8.5に維持することを特徴とする請求項1〜10のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法は、上記の通り、生鮮海産頭足類を、酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給した塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に浸漬させることによって、活き絞めした頭足類の周囲に十分な酸素を供給するものである。これによって、死後の細胞に対して安定的な呼吸環境を提供することが可能となり、魚体の死後の嫌気的な条件下で起こるエネルギーレベルの低下を抑制し、個体の死後も長期間細胞活性を持続させ、表皮の発色を任意に制御することが可能となり、生鮮頭足類の色素胞活動能を長期間に亘って維持できるという優れた効果が得られた。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
本発明の内容を、研究の内容と具体例を紹介しながら下記に説明する。しかし、下記の説明は本発明の理解を容易にするためのものであり、これらの例あるいは説明に制限されるものではない。すなわち、本発明の技術思想に基づく、他の態様若しくは変形又は実施条件若しくは例は全て本発明に含まれるものである。
また、以下の説明は主としてイカについて説明するが、タコを含む頭足類全般に共通して言えることであり、本願発明は生鮮海産頭足類を包含するものである。
【0011】
一般に、漁場、販売者、流通者等の現場、さらには消費者における生鮮海産頭足類の鮮度評価は経験的に、表皮の色合いや、身の透明感で判断されている。スルメイカの場合では、表皮は活き絞めした直後、透明感があり高い色素胞活動能を有しているが、通常採られる空気中保存の場合、24時間かけて赤黒みが増すとともに徐々に色素胞活動能が弱くなり、その後鮮度低下に伴って色素胞が動かなくなり白色化していく。
図1に保存期間(日)と発色率の関係を示す。ここでいう発色率は、観察視野の中でどの程度の色素胞が拡張しているかを示すもので、イカ表皮の色彩情報をデジタルカメラあるいは実体顕微鏡を通してデジタルビデオカメラに記録し、これを画像処理することによって二階調化し、観察視野面積に対する色素胞の拡張面積を百分率で表したものである。
この図1では、死後1日(24時間)で発色率はピークに達し、その後2日(48時間まで)を経て急激に減少しているのが分かる。一般に消費者は、赤黒いものが高鮮度と考えていることが多いが、実際は絞めた直後は赤黒くないので、ある意味では誤解があるかも知れない。しかし、その後は赤黒く変色していき、この赤黒くなっていく段階でも鮮度は十分に維持され、食感を損なうことはない。
【0012】
実際に赤黒いことが高鮮度という消費者の感覚を考えると、生鮮頭足類の物流上、一般消費者に渡る数十時間から数日後に最も赤黒い状態に仕上げることができれば、産業上の利点が大きいと言えるかも知れない。このことは活き絞め後の初期段階で、鮮度低下したものを高鮮度に見せかけるということではなく、いかに高鮮度のものを高鮮度として理解してもらうように提供するかという点にあるということである。誤解を受けないために付言する。
また、生鮮頭足類の高鮮度の本質は、色素胞活動が見られないが赤黒く体色が変化しているというものではなく、色素胞活動が維持しているということに視線がそそがれるべきだと考える。
【0013】
イカの場合、表皮の発色は色素胞に付属している放射筋の収縮によるものであると言われており、放射筋が弛緩状態にあると色素胞は収縮して赤黒化は見られないが、放射筋が収縮すると色素胞が伸長し赤黒化が起こると考えられている。
おそらく、色素胞放射筋の収縮にはATPの消失が関与していると思われるが、現在では不明な点が多い。外套膜のATP消失と表皮の発色率の最大になる時間が、一致しているという現象がある。この点も、興味の尽きないところである。
生鮮イカの通常の保管状態では、24時間を経ると発色率が低下し、色素胞活動が認められなくなり白色化していく。この白色化は表皮細胞が破壊されるためと考えられているが、これも不明な点が多い。いずれにしても、イカの死後でも細胞自体は活きている状況にあることが明らかであり、イカ表皮の赤黒化の維持は、鮮度維持の重要な指標となる。
【0014】
生鮮イカの多くは、発砲プラスチック製の容器に下氷を敷き、その上に整然と並べられて流通に供されている。この場合、イカの表皮は氷や隣り合うイカと直接触れる状態にあり、比較的短い時間で色素胞活動が停止し白濁してしまう。
これは、後述するように、触れている部分が雰囲気から遮断されるために、酸欠によるところが大きいと考えられ、その酸素が遮断された部分の細胞が早期に死に至り、その機能が停止すると考えられる。
このように氷に接触した部分とそうでない部分があると、イカ表皮は赤黒い部分と白い部分が混在することになり、外観上まばらな色調を呈し、やや汚らしく感じるので、商品価値が著しく低下してしまう。
これらのことから、イカの表皮の発色(鮮度)を制御できれば、産業上の利点は大きいと考えられる。しかし、その発色機構については、学術的に解明されておらず、それに関連する知見もほとんどないというのが現状である。
【0015】
そこで、まず初めに、通常イカが接触する可能性が最も高いと思われる海水の影響を調べた。具体的には、海水の塩濃度、海水のイオン組成が色素胞活動に与える影響を検討した。
通常、天然海水の塩濃度は34‰程度であるが、塩が少なくなるにつれ、色素胞の活動が活発化し見かけ上赤黒くなり易く、特に塩濃度17‰未満では発色率が高くなる。図2に、人工海水の塩濃度と発色率の関係を示す。塩濃度が低い場合には、急速に赤黒くなるが、その後は色素胞の活動が衰えていく可能性がある。逆に、塩濃度17‰以上では色素胞活動を安静化できることが分かる。これは、色素胞の活動を持続させる意味で重要である。また、図2から明らかなように、68‰を超えても発色率は高くなる傾向にある。
【0016】
このように、塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中の塩濃度を17〜68‰の範囲に調整すれば、色素胞の活動を安静化でき、色素胞活動に要するエネルギーの浪費を抑制できるため、長期間色素胞活動能を維持することが可能となる。また、このことから天然海水は、死後でも細胞の死を抑制していることが分かる。これは本発明の大きな特徴の一つである。
但し、上記塩濃度の数値範囲は、好ましい範囲を示すものであって、この範囲外の塩濃度でも発色率の変化が極端に大きくなることはないので、範囲外の条件を否定するものではないことを知るべきである。
【0017】
通常、天然海水のpHは8.0〜8.5程度だが、塩水のpHが7.0〜8.0の間では、低い方が安静化に寄与する。図3に示すpHと発色率の関係から明らかなように、すなわち中性域に維持することが望ましいことが分かる。これによって、色素胞の活動を安静化でき、色素胞活動に要するエネルギーの浪費を抑制できるため、長期間色素胞活動能を維持することが可能となる。
【0018】
(保存環境が発色率に与える影響)
生鮮イカは、通常空気中で保存される。しかし、イカの色素胞活動能を長期間保持するために、上記の試験結果から絞めた後のイカを塩水中で保存した方が好ましいことが予想される。そこで、次に即殺後のイカ外套膜を用いて、空気中と塩水中で保存した場合の発色率の変化を観察した。その結果、空気中保存では1日にかけて発色が起こり、その後発色率が低下する様子が認められた。これに対して、塩水中保存では保存7日目まで発色の程度に大きな変化がなかった。保存期間と発色率との関係を図4に示す。
この時、空気中保存では、保存2日目以降表皮に指で触れても色素胞の活動が認められなかったが、塩水中で保存したものでは、保存期間を通して指で触れることによって色素胞が動くことを確認した。
このことから、塩水に浸漬することによって、細胞自体が呼吸しやすい環境を提供することができ、同時に空気中の保存では起きてしまう発色によるエネルギーの浪費を抑制できる可能性があると考えられた。これは後述する試験でさらに確認することができ、本発明における重要な用件の一つである。
【0019】
(保存温度が発色率に与える影響:海水浸漬での試験)
生鮮イカは、通常氷上に静置して流通される。この場合、氷に接触している部分は0°Cに近いと想像される。従来、微生物の増殖を抑えて衛生的な保存流通環境を整えるために、生鮮水産物は漁獲後速やかに冷却することが必要とされてきた。
そこで、保存温度が発色率にどのような影響を与えるか検討を加えた。その結果同様に保存には-2〜15°Cの温度帯が望ましいことが良いことが分かった。しかし、低温保冷の場合において、イカの外套膜がまだらになる現象は、保存温度よりも、むしろ氷と接触することにより、酸素と遮断されることによる細胞活性の低下が原因である可能性が高いと考えられた。
【0020】
(絞め方が発色率に与える影響:海水浸漬での試験)
通常生鮮で流通されるイカは、漁獲後空気中にさらされて苦悶死する状態にある。絞める時にも、安静な環境が好ましいとすると、神経切断による活き絞め状態の方が発色環境は良いという可能性がある。
そこで、空気中に30分放置して苦悶死させたイカと、神経切断により即殺死させたイカを5°Cの人工海水中に浸漬保存し、保存中の発色率の経時的変化を観察した。なお、神経切断は、背側の外套膜と頭部の間にハサミを挿入し、頭部と内臓部の間(星神経節近傍)を切断することにより行った。これによって、外套神経と内臓神経が切断されていると考えられる。処理直後は、それまで拡張・収縮を行っていた表皮色素胞が収縮し、瞬時に外見上透明〜白色になるので、この変化によって神経が切断されていることが確認できる。
その結果、苦悶死では、保存初期に発色率が一旦低下し、その後一次回復することがわかった。しかし、即殺したものは、保存中安定して一定の発色率を維持し、保存7日目でも大きな低下が見られないことが確認できた。
この結果を図5に示す。図5は苦悶死と神経切断による即殺死の保存期間(日)と発色率との関係を示したものである。以上から、発色率では苦悶死と神経切断による即殺死のいずれでも保存は可能であるが、特に即殺死の方が長期間の保存という意味では勝っていることが分かる。
【0021】
(使用海水が発色率に与える影響:海水浸漬での試験)
これまで使用してきた塩水は、人工海水であるが、主に試験に使用してきた人工海水と天然海水との間に違いがないかを確認するための試験を行った。その結果、両者間で大きな差はないことが確認できた。この結果を図6に示す。
【0022】
(溶存酸素量が発色率に与える影響:海水パックでの試験)
上記の結果、絞めることによって個体としては死を迎えても、一定期間細胞活動が持続しているならば、酸素の存比は細胞の活動に大きな影響を与えること、すなわち酸素がなければ生化学的な死後変化に由来する品質低下も早いと考えられる。
このことを詳細に調べるために、溶存酸素量の異なる人工海水中に浸漬保存した際の発色率を調べた。使用した人工海水は、窒素ガス(N2)、空気(Air)、酸素(O2)により曝気したもので、溶存酸素量は、それぞれ約3 mg/L、7 mg/L、25mg/L、pHはそれぞれ8.5、8.3、8.5である。
【0023】
試験は、イカ外套膜と、そのおよそ10倍量の人工海水をガスバリア性の高い包装資材へ投入した後、直ちにシール加工を施して5°Cで1日間保存した後開封し、イカ外套膜のみをバット上で5°Cにて保存し、保存中の発色率を測定した。
その結果、Air曝気とO2曝気したものでは、発色率は非常に高く、また保存1日目では、両者には大きな差異は見られなかった。しかし、N2曝気したものは、パック中で1日保存した後の観察結果では著しく発色率が低下していた。この結果を図7に示す。
なお、表皮を指で突いた時の色素胞の反応性は、溶存酸素量が7mg/Lの Air曝気したもので十分な効果が得られるが、それに比べてO2曝気したものでは更に著しく反応性が良かったことより、色素胞の活動性を顕著に維持するには7mg/Lを超える溶存酸素量、特に8mg/L以上とするのが好ましいことが分った。なお、活き絞めした生鮮イカに対しては、過度な酸素供給によって特に不利益が生じる事は無い。
したがって、酸素の上限値は飽和量とすることができる。しかし、この飽和量までの酸素供給は必ずしも効率的とは言えないので、上記の下限値又は好ましい条件値を満たせば、充分であることは理解されるべきである。
また、保存は短時間、例えば12時間程度溶存酸素下の塩水に浸漬した後、一旦空気中に出し、空気中で冷蔵するような手法はとるべきではなく、運搬期間を含め可能な限り浸漬を続行すべきである。これによって、効果的に生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持が可能となる。
【0024】
パック保存後の海水の溶存酸素量を測定すると、N2およびAir曝気したものでは、2mg/L未満の残存しかなく、O2曝気したものでは、まだ7mg/L以上残っていることがわかった。この結果を図8に示す。図8はN2曝気、Air曝気、O2曝気した場合の、パック保存前と後の溶存酸素量を示す図である。
更に、人工海水のpHを測定すると、N2曝気のものは7.8程度までの低下で納まっているのに対して、Air及びO2曝気したものでは7.5まで低下していることが明らかとなった。この結果を図9に示す。図9はN2曝気、Air曝気、O2曝気した場合の、パック保存前と後のpHの推移を示す図である。
【0025】
細胞が、個体の死後も呼吸活動を継続しているならば、二酸化炭素ガスの排出が起こると予想される。一般に、二酸化炭素ガスは水溶解性が高く、純粋や海水等に溶け込むことによってpHの低下が起こることが知られている。したがって、二酸化炭素の排出がpH値と相関があると考えられる。
なお、Air及びO2曝気に比べてN2曝気で、保存後の人工海水のpH低下幅が小さいのは、もともとの溶存酸素量が少なく、呼吸に要する酸素が十分存在しなかったために、排出する二酸化炭素量自体も少なかったものと考えられる。
【0026】
この時の、保存中のイカ外套膜の表皮を指で突き、色素胞の反応性を感覚的に評価した。その結果、N2曝気した海水を用いたものでは、保存開始時から反応性が著しく劣っていることが確認された。この結果を表1に示す。
生体の高エネルギー化合物として知られるATPは、酸素が存在する好気的環境下で効率よく生産されることが知られていることから、今回認められた色素胞の反応性の低下は、保存中に細胞が、呼吸活動ができない環境にさらされることによってATPの再生が著しく抑制され、極めて低レベルに陥ったことによる結果と考えられる。
【0027】
以上から、塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中の溶存酸素量は生鮮イカの発色率に与える影響が大であり、極めて重要である。試験の結果、液体中の溶存酸素量を7mg/L以上にすること、すなわち液体中への十分な酸素の供給が必要であることが分かった。これは、本発明において重要な構成要件の一つとなるものである。液体中の溶存酸素量が7mg/L未満では、保存時の色素胞活動の持続性が低下するので好ましくないと言える。
塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中の溶存酸素量を増加させる方法として、例えばこれらの液体を静置又は脱気した後、酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給することにより行うことができる。
【0028】
【表1】

【0029】
(保存期間が発色率に与える影響:海水パックでの試験)
これまでの研究結果に基づき、イカ表皮の色素胞活動能を維持させるよう処理・保存した場合の、保存に伴う発色面の現象を確認するため、神経切断により即殺死させたイカの外套膜を用いて、かつ30分程度O2を曝気して溶存酸素量を25mg/L程度に高めた人工海水とともに包装した場合の保存試験を行った。
試験では、パックしたものを1〜3日間5°Cで保存し、その後開封してイカ外套膜を取り出してバットにのせ、5°Cで空気中保存した。
その結果、開封後のイカの発色率は保存期間の延長とともに低下したが、その後の空気中保存によって発色が起こることが確認された。溶存酸素量を高めた海水パック保存は、数日程度の保管期間では極めて有効であり、その後の空気中への開放後も発色するエネルギーを有しており発色が可能で、イカの色素胞活動をさらに延長することができることが分かった。
【0030】
以上から、本発明の生鮮海産頭足類の色素胞活動能を維持するためには、生鮮海産頭足類を-2°C〜15°C、特に5°C±3°Cに維持した塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に浸漬すること、さらに該液体に酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給して液体中の溶存酸素量を7mg/L以上とした液体中に、生鮮海産頭足類を浮遊状態にすることが最も良いことが分かる。
これによって、生鮮海産頭足類の色素胞活動を長期に亘って維持でき、生鮮海産頭足類の鮮度を保持することが可能となる。前記液体中の溶存酸素量は7mg/L以上、さらには8mg/L以上とすることがより望ましい。
以上については、主としてイカについて説明したが、タコを含む頭足類全般について共通した結果が得られるものであり、本願発明はこれらの生鮮海産頭足類を全て包含するものである。
【0031】
また、生鮮海産頭足類は上記の通り、苦悶死したもの又は即殺による活き絞めしたものを使用できるが、特に即殺により活き絞めした生鮮海産頭足類を使用する方が望ましいと言える。
さらに、塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中の塩濃度を17〜68‰の範囲に調整し、またpHを7.0〜8.5に維持することが、色素胞の活動を安静化でき、より長期の色素胞活動能の維持に貢献することとなるので望ましいと言える。
【0032】
実用的には、空気又は酸素を連続的又は間歇的に曝気して溶存酸素量を増加させた塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を生鮮海産頭足類とともに封入するか、又は塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を生鮮海産頭足類とともに空気又は酸素を封入するか、あるいは容器に生鮮海産頭足類と塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を投入し、この容器内に連続的又は間歇的に空気又は酸素を投入あるいは交換することによって、さらには包装生鮮品を、直接氷蔵を行わずに間接氷蔵を行い、氷と生鮮品の直接接触を防止して、保管又は輸送することにより、上記の条件を効率良く維持することが可能となり、生鮮海産頭足類の色素胞活動能を長期間に亘って維持する方法として有効である。
【産業上の利用可能性】
【0033】
本発明は、活き絞めした生鮮海産頭足類を塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に浸漬し、かつこの塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に空気又は酸素を連続的又は間歇的に供給することによって、生鮮品の死後の嫌気的な条件下で起こるエネルギーレベルの低下を抑制することができ、個体の死後も長期間細胞活性を持続させ、生鮮海産頭足類の表皮の発色を任意に制御でき、生鮮品の鮮度を高く保持できるという優れた効果が得られる。したがって、本発明は、長期に亘る生鮮海産頭足類の色素胞活動能の維持に極めて有効である。
【図面の簡単な説明】
【0034】
【図1】保存期間(日数)と発色率の関係を示す図である。
【図2】人工海水の塩濃度と発色率の関係を示す図である。
【図3】pHと発色率の関係を示す図である。
【図4】空気と海水を用いた保存環境に差異がある場合の、保存期間と発色率との関係を示す図である。
【図5】苦悶死と神経切断による即殺死の保存期間(日)と発色率との関係を示す図である。
【図6】人工海水と天然海水との間の発色率の差異を調べた図である。
【図7】N2曝気、Air曝気、O2曝気した場合の、海水パックの発色率の差異を示す図である。
【図8】N2曝気、Air曝気、O2曝気した場合の、海水パック保存前と後の溶存酸素量を示す図である。
【図9】N2曝気、Air曝気、O2曝気した場合の、海水パック保存前と後のpHの推移を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に、酸素又は空気を連続的又は間歇的に供給した後、前記液体中に生鮮海産頭足類を浸漬又は浮遊状態にして保管又は輸送することを特徴とする生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項2】
液体中の溶存酸素量を7mg/L以上とすることを特徴とする請求項1記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項3】
液体中の溶存酸素量を8mg/L以上とすることを特徴とする請求項1記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項4】
海産頭足類が、苦悶死したもの又は即殺により活き絞めした生鮮品であることを特徴とする請求項1〜3記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項5】
包装資材に生鮮海産頭足類と溶存酸素量を増加させた塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を封入したものを保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項6】
包装資材に生鮮海産頭足類と塩水、天然海水又は人工海水からなる液体と空気又は酸素を封入して保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項7】
容器内に生鮮海産頭足類と塩水、天然海水又は人工海水からなる液体を入れ、連続的又は間歇的に空気又は酸素を曝気して溶存酸素量を増加させて保管又は輸送することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項8】
包装生鮮海産頭足類を、直接氷蔵を行わずに間接氷蔵を行い、氷と生鮮頭足類の直接接触を防止して、保管又は輸送することを特徴とする請求項5〜7のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項9】
塩濃度が17〜68‰である塩水、天然海水又は人工海水を用いることを特徴とする請求項1〜8のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項10】
生鮮海産頭足類を-2°C〜15°Cに維持した塩水、天然海水又は人工海水からなる液体に浸漬することを特徴とする請求項1〜9のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。
【請求項11】
塩水、天然海水又は人工海水からなる液体中のpHを7.0〜8.5に維持することを特徴とする請求項1〜10のいずれかに記載の生鮮海産頭足類の表皮色素胞活動能の維持方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2006−254792(P2006−254792A)
【公開日】平成18年9月28日(2006.9.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−77035(P2005−77035)
【出願日】平成17年3月17日(2005.3.17)
【出願人】(000173511)財団法人函館地域産業振興財団 (32)
【出願人】(505100252)株式会社古清商店 (4)
【Fターム(参考)】