説明

癌転移抑制剤及び医薬組成物

【課題】癌の転移を予防又は防止する手段、より具体的には、各種の癌に対して有効であり、安全性の高い、癌の転移抑制剤及びそれを含む医薬組成物を提供する。
【解決手段】以下の(A)〜(C)のいずれかを有効成分として含有することを特徴とする、癌転移抑制剤:
(A)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列を有する核酸を発現可能な形態で含む発現ベクター;
(B)前記(A)の発現ベクターを含む、細胞、組織又は細胞株;
(C)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、悪性腫瘍の転移を抑制又は防止するための薬剤等に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、癌が大きくなると悪性化して転移をすると考えられてきたが、最近の癌の研究により、原発癌の悪性度と癌の転移とは関係がないことが明らかになってきた。ごく最近、癌の幹細胞が見いだされ、癌の初期に転移性の高い細胞が血中に流出しており、そのうちのいくつかが、原発癌を除いた後に転移巣を形成し、転移癌として増殖することが明らかにされてきた(Steeg et al., Nat Clin Pract Oncol. 2008 April ; 5(4): 206-219. doi:10.1038/ncponc1066:非特許文献1)。
【0003】
また、原発癌と転移癌とでは治療剤に対する感受性も異なっている。近年多く取り入れられている腫瘍血管新生の阻害薬による癌の兵糧攻めの手法は、原発癌の縮小には効果があることがわかっている。しかし、この治療法で使用されている血管内皮細胞増殖因子シグナルの阻害剤は、むしろ癌の浸潤や、転移を促進することが明らかになってきた(Steeg et al., Clin Cancer Res 2009;15(14) July 15, 2009, 4529-4530:非特許文献2; Loges et al., Cancer Cell 15, March 3, 2009 . 2009, 167-170:非特許文献3)。
【0004】
したがって、患者の延命のためには癌の増殖を抑えるだけでなく、転移が癌の治療標的として重要であり、癌の転移を抑制する薬剤等の手段又は方法の開発が重要である。
【0005】
BRAK(breast and kidney;「CXCL14」等とも呼ばれる)は、多くの正常組織で発現しており、生体内のホメオスタシス維持に重要と考えられているケモカイン(白血球の走化性を促進する因子)である。BRAK遺伝子は、5q31遺伝子座に位置し、99残基又は111残基の前駆体タンパク質として翻訳され、最終的に77残基の成熟タンパク質となる。BRAKは、哺乳動物間で高度に保存されており、たとえばBRAKのマウスのホモログは、77アミノ酸残基のうちの2つの相同アミノ酸置換以外はすべてヒトのものと一致している。
【0006】
本発明者らは、BRAKが頭頚部癌、特に口腔領域の扁平上皮癌の増殖を抑制する作用を有しており、腫瘍増殖抑制剤として有用であることを見いだした(特開2006−321782:特許文献1;Ozawa et al., Biochemical and Biophysical Research Communications 348 (2006) 406-412:非特許文献4;Ozawa et al., Biomedical Research 30 (5) 315-318, 2009:非特許文献5;Ozawa et al., Cancer Science 100, 2202-2209 2009 Aug 9, 2009:非特許文献6)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2006−321782号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Steeg, P. S. and Theodorescu D., Metastasis: a therapeutic target for cancer. Nat Clin Pract Oncol. 2008 April ; 5(4): 206-219. doi:10.1038/ncponc1066
【非特許文献2】Steeg, P. S., et al., Preclinical Drug Development Must Consider the Impact on Metastasis. Clin Cancer Res 2009;15(14) July 15, 2009,4529-4530
【非特許文献3】Loges, S. et al., Silencing or Fueling Metastasis with VEGF Inhibitors:Antiangiogenesis Revisited. Cancer Cell 15, March 3, 2009, 167-170
【非特許文献4】Ozawa, S. et al., BRAK/CXCL14 expression suppresses tumor growth in vivo in human oral carcinoma cells. Biochemical and Biophysical Research Communications 348 (2006) 406-412
【非特許文献5】Ozawa, S. et al., BRAK/CXCL14 expression in oral carcinoma cells completely suppresses tumor cell xenografts in SCID mouse. Biomedical Research 30 (5) 315-318, 2009
【非特許文献6】Ozawa, S. et al., Restoration of BRAK / CXCL14 gene expression by gefitinib is associated with antitumor efficacy of the drug in head and neck squamous cell carcinoma. Cancer Science 100, 2202-2209 2009 Aug 9, 2009 [Epub ahead of print]
【非特許文献7】Schllenberger, TD., et al., Cancer Res. (2004) 64(22):8262-70
【非特許文献8】Schwarze, SR. et al., Prostate (2005) Jan 13 (Online)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、癌の転移を予防又は防止する手段、より具体的には、各種の癌に対して有効であり、安全性の高い、癌の転移抑制剤及びそれを含む医薬組成物を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、BRAK/CXCL14タンパク質を過剰に発現するトランスジェニック(Tg)マウスを作製したところ、このマウスは2年間飼育しても異常を示さず、メラノーマ(黒色腫)及びルイス肺癌の増殖を抑制することを見出した。
【0011】
さらに、本発明者らは、このBRAK/CXCL14タンパク質を過剰に発現するトランスジェニック(Tg)マウスを用いて鋭意研究した結果、このマウスにおいては黒色腫及びルイス肺癌の増殖が抑制されるばかりでなく、これらの癌の転移もまた顕著に抑制されること、この抑制がBRAKに起因することを見いだし、本発明を完成した。
【0012】
本発明は、
〔1〕以下の(A)〜(C)のいずれかを有効成分として含有することを特徴とする、癌転移抑制剤;
(A)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列を有する核酸を発現可能な形態で含む発現ベクター;
(B)前記(A)の発現ベクターを含む、細胞、組織又は細胞株;
(C)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物;
〔2〕前記BRAKポリペプチドが、配列表の配列番号4〜6のいずれかによって表される配列を有する、前記〔1〕記載の癌転移抑制剤;
〔3〕前記核酸が、配列表の配列番号1〜3のいずれかによって表される配列を有する、前記〔1〕記載の癌転移抑制剤;
〔4〕前記〔1〕〜〔3〕のいずれか1項記載の癌転移抑制剤及び医薬的に許容されうる担体を含有する、医薬組成物、
を提供する。
【発明の効果】
【0013】
本発明により、安全に癌の転移の抑制を可能にする薬剤が提供される。本発明の癌転移抑制剤は、種々の癌に有効である。
BRAKは正常細胞で合成されているタンパク質であり、また、これを高レベルで発現するTgマウスは2年間飼育しても異常を示さなかったことから、本発明の癌転移抑制剤は、副作用がなく非常に安全性が高いものである。癌転移抑制剤の場合、癌増殖抑制剤(いわゆる抗癌剤)と違って、投与される時点では担癌状態ではない又は見かけ上健康である対象に対して長期にわたって投与される必要があるので、副作用がないことは極めて重要な利点である。
【0014】
さらに、本発明の癌転移抑制剤は、頭頚部癌をはじめとする癌に対して増殖抑制作用をも有することがわかっている。したがって、癌増殖抑制及び癌転移抑制を同時に行うことができるので、非常に有用性が高い。
【0015】
また、BRAKトランスジェニックマウスは、腫瘍抑制に関するBRAKの機能の分子メカニズム及びBRAKの生体内での機能を解明するための優れた実験ツールとしても有用である。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】図1は、トランスジェニックマウスの作製に用いた発現ベクターの構造を示す図である。
【図2】図2は、トランスジェニックマウス(「Tg」)及び野生型コントロールマウス(「Wt」)(各々5匹ずつ)の腎臓におけるトランスジーン(ヒトBRAK)のmRNAの存在及び発現を表す図である。ゲノムDNA(パネルA)及びcDNA(パネルB)をPCRによって増幅し、3%アガロースゲルで分離した後、0.01%エチジウムブロマイド染色によって可視化した。
【図3】図3は、マウス血漿中のBRAKタンパク濃度を示す図である。腫瘍を移植したマウス(「Xenografted」)及び移植していないマウス(「Control」)の各々について、トランスジェニック(「Tg」)及び野生型(「Wt」)の両方からEDTA含有溶液を含むチューブ内に血漿を採取した。50μlの血漿アリコートを用いてELISAによりBRAKタンパクの血漿濃度を測定した。
【図4】図4は、トランスジェニックマウスにおけるルイス肺癌(「LLC」)細胞及び黒色腫細胞(「B16 melanoma」)の移植腫瘍の生育抑制を示す図である。200μlのリン酸緩衝生理食塩水(PBS)中の種々の濃度の腫瘍細胞を、10匹ずつのトランスジェニック(「Tg」)及び野生型(「Wt」)マウスの両側に注入し、腫瘍サイズを測定した。パネルA〜Eは、パネルA、B及びC:20系統マウスにおけるLLC細胞;パネルD:52系統マウスにおけるLLC細胞;パネルE:20系統マウスにおける黒色腫細胞の結果である。「**」はP<0.01、「***」はP<0.001を表す。
【図5】図5は、トランスジェニック(「Tg」)及び野生型(「Wt」)マウスから採取したLLC腫瘍の免疫組織化学染色像の定量値の比較を示す図である。抗CD31抗体(「CD」)又は抗α‐平滑筋アクチン抗体(αSMA)で陽性に染色された領域を、200倍に拡大した5ヵ所のランダムに選択した視野上で測定した。「*」はP<0.05を表す。
【図6】図6は、トランスジェニックマウスにおけるBRAKのルイス肺癌細胞に対する転移抑制効果を表す図(転移巣の数の比較を表すグラフ)である。
【図7】図7は、トランスジェニックマウスにおけるBRAKのB16黒色腫細胞に対する転移抑制効果を表す図である。パネルAは、典型的な肺の転移巣の写真を、スケール(上側の1目盛り=1mm)とともに表す図であり、パネルBは、転移巣の数の比較を表すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0017】
上述のとおり、本発明の癌転移抑制剤は、(A)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列を有する核酸を発現可能な形態で含む発現ベクター;(B)前記(A)の発現ベクターを含む、細胞、組織又は細胞株;(C)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物、のいずれかを有効成分として含有する。
【0018】
前記(A)及び(C)における「BRAKポリペプチド又はその機能的等価物」は、ヒト、マウスその他の任意の生物に由来する天然型のアミノ酸配列を有するBRAKポリペプチドに加え、後述するような癌の転移を抑制する活性を維持している限りにおいて、天然型のアミノ酸配列と比較して1〜数個のアミノ酸残基の欠失、付加、挿入、置換等によって改変されたアミノ酸配列を有するポリペプチドを含む。このようなアミノ酸配列の改変は、それをコードする核酸配列に起因するものであってもよく、あるいはポリペプチドの修飾等によって生じるものであってもよく、また、改変が人為的であっても自然発生的であってもよい。
【0019】
たとえば、配列表の配列番号4〜6に記載されたアミノ酸配列を有するポリペプチド及びこれらに前記のような改変を加えたアミノ酸配列を有するポリペプチドが挙げられる。配列番号4は、ヒトBRAKの前駆体ポリペプチドのアミノ酸配列、配列番号5は同様に前駆体ポリペプチドのアミノ酸配列、配列番号6は成熟型ポリペプチドのアミノ酸配列である。好ましくは、BRAKポリペプチド又はその機能的等価物は、BRAKのN末端側から約70残基又はそれに相当する配列を含む。なお、本発明に関して、「ポリペプチド」及び「タンパク質」という用語は、厳密に区別されず、互換的に使用される。
【0020】
前記(A)における「BRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列」は、このようないずれかのポリペプチドをコードする任意の配列を意味する。たとえば、配列表の配列番号1〜3に記載されたヌクレオチド配列及びこれらに前記のような改変されたポリペプチドが生じるような改変を有するヌクレオチド配列が挙げられる。配列番号1は、ヒトBRAKのゲノム配列、配列番号2及び3は、ヒトBRAKのmRNAのcDNA配列である(配列番号2のヌクレオチド番号1は、配列番号1の502番目のヌクレオチドに対応する)。このような配列を有する核酸は、一本鎖又は二本鎖のいずれであってもよく、また、DNA又はこの配列に対応するRNAのいずれであってもよい。
【0021】
前記(A)における発現ベクターの作製に使用されうるベクターとしては、前記BRAKポリペプチドをコードする配列を細胞内において発現することができるものであれば、特に制限されない。例えば、選択マーカーを含むベクターなどの市販のものを有利に使用することができ、プラスミド、ウイルス(ワクシニアウイルス、アデノウイルス、レトロウイルス、レンチウイルスなど)などの任意の形態のベクターであることができる。当該技術分野で公知の任意の方法にしたがって、このようなベクターに前記のBRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列を有する核酸を挿入することにより、発現ベクターを作製することができる。
【0022】
前記(B)の細胞、組織又は細胞株は、前記の発現ベクターを、公知の方法にしたがって細胞、組織又は細胞株に導入することにより作製することができる。これらの細胞、組織又は細胞株は、動物、特に哺乳類動物に由来するものであることが好ましく、皮膚線維芽細胞、骨髄幹細胞、胚性幹細胞、iPS細胞などの細胞、又はそれらに由来する組織又は細胞株などを使用することができる。
【0023】
本発明の癌転移抑制剤は、このような(A)〜(C)のいずれか1以上を有効成分として含有する。転移抑制対象の癌としては、特に限定されないが、肺癌、黒色腫などが挙げられる。
【0024】
癌の転移を抑制する活性の有無は、公知の任意の試験方法によって、抑制剤の候補を適用した場合と適用しない場合(対照)とを腫瘍の転移巣の形成などについて比較することによって調べることができる。このような比較試験において、抑制剤の候補を適用した場合について統計的に有意な腫瘍の転移に関する不利な影響(たとえば形成された転移巣数の低減・形成の遅延、転移巣の縮小など)が認められた場合に、その候補物質は転移抑制活性を有すると判定される。
【0025】
本発明の癌転移抑制剤の有効投与量は、転移抑制すべき癌の性質、大きさ、種類、部位など;投与対象個体の状態など;併用する治療の有無又は種類など、種々の要因によって変動するが、目安として、有効成分が(A)の発現ベクターである場合、1回あたり1フェムト(10−15)グラム〜1マイクログラム/kg体重程度、有効成分が(C)のポリペプチドである場合、1ピコ(10−12)グラム〜1ミリグラム/kg体重程度である。また、有効成分が(B)の細胞等である場合、細胞数として、投与対象個体の体重1kgあたり10〜1010個程度の範囲内が目安である。
【0026】
いずれを用いた場合であっても、血漿中のBRAK濃度を約2〜約30ng/ml程度、好ましくは約3〜約15ng/ml程度に上昇させることが望ましい。正常人の血漿中のBRAK濃度は、平均約0.9〜1.1ng/ml程度であり、ほとんどが約0.7〜1.6ng/ml程度の範囲内であるが、非常に濃度が高く、この10倍程度を示す個体も稀に観察される。したがって、BRAK濃度をこの程度に上昇させることは何ら悪影響を及ぼすことはないと考えられる。
【0027】
本発明の癌転移抑制剤は、そのまま単独で投与することが可能であるが、医薬組成物として投与することもできる。
【0028】
本発明の医薬組成物は、少なくとも1つの本発明の癌転移抑制剤と、少なくとも1つの医薬的に許容されうる担体とを含有する。医薬的に許容されうる担体としては、特に制限はなく、たとえばリポソーム又はその脂質成分、緩衝剤、崩壊剤、結合剤、保存剤など、製剤分野において公知の任意のものの中から、所望の剤型及び/又は投与経路に応じて適宜選択し、単独で又は組み合わせて使用することができる。
【0029】
具体的には、たとえばBRAKタンパク(等電点が塩基性である)をアニオニックゼラチン(たとえば「メドジェルP15」(商品名)など)と結合させて徐放性製剤とすることや、BRAK発現ベクターをカチオニックゼラチン(たとえば「メドジェルE50」(商品名)など)と結合させて細胞への導入効率を上昇させることなどが挙げられる。
【0030】
剤型としては、粉末、顆粒、錠剤、カプセル、溶液、懸濁液、ペースト、軟膏、貼付剤などが挙げられる。
【0031】
投与経路としては、経口、経皮、皮下、皮内、経粘膜、筋内、経膣、頬内、舌下、経直腸、鞘内、硬膜外などが挙げられる。また、全身投与でも局所投与でもよい。好ましくは局所投与である。
【実施例】
【0032】
1. BRAKを発現するベクターの構築
ヒトBRAK前駆体のメッセンジャーRNAに相補的な配列(NM 004887; 配列番号2)を有するDNAを、市販の哺乳類細胞用の発現ベクター「pTargeT(商標)Mammalian Expression Vector(プロメガ社)」のクローニング部位に挿入し、発現ベクター(「pCL−BRAK」と呼ぶ)を作製した(Ozawa et al., Biochem Biophys Res Commun 348:406-412 (2006))。
【0033】
このpCL−BRAKベクターを制限酵素EcoRIで消化し、全長BRAK cDNAを含む断片を単離して、予め同じ酵素で処理した公知の真核生物発現ベクターである「pCAGGSベクター」(Niwa et al., Gene 108:193-199 (1991)参照)のクローニング部位に連結し、BRAK発現ベクター(「pCAGGS−BRAK」)を作製した。pCAGGS−BRAKベクターの配列及びBRAK挿入断片のセンス配列は、DNAシークエンシングにより確認した。pCAGGSベクターは、サイトメガロウイルスのエンハンサー(「C」)、ニワトリβ‐アクチンのプロモーター(「A」)、β‐グロビンのスプライシング部位(「G」)、ウサギβ‐グロビンのポリAシグナル(「G」)及びSV40ウイルスの複製開始点(「S」)を含む。
pCAGGS−BRAKベクターの構造を図1に示す。
【0034】
2. BRAKを発現するトランスジェニックマウスの作製
上記のようにして作製したpCAGGS−BRAKベクターを、329個のC57BL/6J系統のマウス(Charles River Japan,. Inc., Tokyo, Japan)の受精卵に、マイクロインジェクションにより導入した。これらの胚を、Gordonら(Proc Natl Acad Sci USA 77:7380-7384 (1980))に記載された方法にしたがって、偽妊娠したCr1j:CD−1(ICR)系統の雌マウス(同上)11匹の輸卵管に移植した。
【0035】
これらのマウスから生まれた57匹の仔について、尾からゲノムDNAを採取し、hBRAK−S3(フォワード: 5’−ATGAGGCTCCTGGCGGCC−3’;配列番号7)及びhBRAK−A8(リバース: 5’−CCTTCTGAGGTTTTTCACCC−3’;配列番号8)プライマーを用いてPCR解析によりトランスジーンの発現を確認した。
【0036】
PCR条件は以下のとおりであった: まず、94℃、2分間での変性後、30サイクルの94℃、30秒;55℃、30秒;及び72℃、40秒を行い、次いで、72℃で10分間インキュベーションした後、4℃で保存した。
【0037】
その結果、57匹のうち、10系統がトランスジェニックマウスであることが確認された。ホモ接合のトランスジェニックマウスを、同じ系統の雄及び雌マウスを交配することによって作製した。ホモ接合性は、野生型マウスと交配した場合に10匹以上の仔がトランスジェニックであったことにより認定した。
【0038】
以下の実験においては、そのうち、産仔の多い20系統及び52系統等を7〜9週齢で使用した。マウスは、12時間明条件、12時間暗条件で、餌及び水を自由に摂取させて維持した。
【0039】
3. BRAKトランスジェニックマウスの腎臓におけるトランスジーン及びそのmRNAの検出
上記で作製したBRAKトランスジェニックマウス及び野生型C57BL/6Jマウスの腎臓を動物から取り出し、液体窒素中で急速冷凍し、−80℃で保存した。凍結組織を「TRIZOL(登録商標)試薬」(Invitrogen Japan, Tokyo)で処理し、試薬添付の指示書の記載にしたがってDNA及びRNAを単離した。
【0040】
ゲノムDNAは、上記の条件を用いて増幅した。RNAは、逆転写した後、上記のとおりにPCR増幅した。ただし、ヒトBRAKについては、HR BRAK S1(フォワード: 5’−ACGGGTCCAAATGCAAGTGC−3’;配列番号9)及びHR BRAK A2(リバース: 5’−TGATGAAGCGCTTGGTGCTC-3’;配列番号10)プライマーを用いて30サイクルで行い、マウスβ−アクチンについては、MR bactin S1(フォワード: 5’−CAGCTGAGAGGGAAATCGTG−3’;配列番号11)及びMR bactin A2(リバース: 5’−GCTCGTTGCCAATAGTGATG−3’;配列番号12)プライマーを用いて20サイクルで行った。増幅したcDNAを、3%アガロースゲルを用いて分離した。
【0041】
その結果、図2に示すように、肝臓、皮膚、腎臓、肺及び脳のような調べた全ての組織及び器官において、トランスジーン(ヒトBRAK)のmRNAの発現が確認された。
【0042】
4. マウス血漿中のBRAKタンパク量の測定
BRAKトランスジェニック(Tg)及び野生型マウス(Wt)から、25μlの200mM EDTA(Wako Pure Chemical Co. Osaka)溶液を入れた試験管中に採血した。50μlの血漿を、96ウェルマイクロプレートの各ウェルに入れ(1試料あたり4ウェル)、固相サンドウィッチ酵素結合免疫吸着アッセイ(ELISA; Catalog Number: DY866「DuoSet(登録商標) ELISA Development System, human CXCL14/BRAK」, R&D Systems, Inc. USA)を用いて、キット添付の指示書に基本的にしたがって、BRAKタンパクの血漿濃度を決定した。
【0043】
この方法で測定した場合、マウスBRAK及びヒトBRAKが同じ感度で検出される。野生型マウスの血漿BRAKレベルは約0.9ng/ml血漿であり、ヒトにおける血漿BRAKレベルと同等であった。一方、トランスジェニックマウスでは約10倍程度高く、血漿BRAKレベルは11〜14ng/mlであった(図3)。
【0044】
5. 腫瘍移植及びインビボでの腫瘍の生育と血漿BRAK濃度との関係
C57BL/6マウス由来のルイス肺癌細胞(LLC, RCB0558)及びB16黒色腫細胞(RCB1283)は、Riken Cell Bank から入手し、硫酸ゲンタマイシン(50 mg/l, Wako Pure Chemical Industries, Osaka, Japan)及びファンギゾン(250 μg/l, Invitrogen Japan, Tokyo)を含有し、10%ウシ胎児血清(FBS, Thermo Electron Melbourne, Australia)を添加したダルベッコ改変イーグル培地(Sigma, Tokyo)中で培養した。細胞は、95%大気及び5%CO中で37℃で培養し、0.1%トリプシン(Trypsin 250, Wako /1 mM EDTA in Dulbecco's Mg2+-Ca2+-free phosphate-buffered saline (「DPBS(−)」, TAKARA BIO, Otsu, Japan)を用いて定期的に継代した。
対数増殖期の細胞(1.0×10〜3.0×10個)をトリプシン処理し、200μlのDPBS(−)中に懸濁して、1群7〜10匹の野生型及びトランスジェニックマウスの背部両側の皮下に注入した。
【0045】
腫瘍の体積(mm)は、Nishimura ら(Jpn J Cancer Res 91:1199-1203 (2000))及びOzawaら(Cancer Sci 100:2202-2209 (2009))に記載されたとおりに、以下の式にしたがって算出した:(a×b)/2
式中、aは長寸、bは短寸(いずれもmm)である。
【0046】
これらの野生型及びトランスジェニック両マウスについて、上記4.に記載のとおりにして血漿中のBRAK濃度を調べたところ、いずれも、移植のない動物と同程度であり、腫瘍の有無によって有意な変化は観察されなかった(図3)。
【0047】
移植後20日(1.0×10個のB16黒色腫)〜最長50日(1.0×10個のルイス肺癌細胞)までの間の腫瘍の体積を比較した。LLC細胞について、注入した腫瘍細胞数にかかわらず、移植したトランスジェニックマウスにおいて形成された腫瘍は、野生型マウスの場合よりも有意に少なかった。しかし、トランスジェニックマウスと野生型マウスとの間に腫瘍サイズの有意差が観察されるまでの期間は、注入された腫瘍細胞数が低い場合は長くなっていた(図4、パネルA,B,C)。別の系統のトランスジェニックマウスにLLC細胞を注入した場合も、腫瘍サイズに有意差が観察された(52系統;図4、パネルD)。さらに、B16黒色腫細胞を20系統のトランスジェニックマウスに注入した場合にも、腫瘍サイズの有意な抑制が観察された(図4、パネルE)。
【0048】
腫瘍細胞移植片の有意な増殖抑制が2つの独立のBRAKトランスジェニックマウス系統で観察されたことから、腫瘍の抑制は、野生型に存在するかもしれない推定腫瘍促進刺激因子の破壊によるものではなく、トランスジェニックマウスにおけるBRAKの高発現によるものであることが示唆された。また、別の実験(RT−PCR)において、LLC又は黒色腫細胞におけるマウスBRAK遺伝子の発現を検出できなかったので、トランスジェニックマウスにおいて産生されたBRAKはパラクリン及び/又はエンドクリン形式で機能することが示唆された。
【0049】
6. 腫瘍移植片の血管構造についての免疫組織化学実験
LLC腫瘍を注入した6日後及び10日後に腫瘍移植片をトランスジェニックマウス(20系統(ホモ)及び57系統(ヘテロ))及び野生型マウスから採取し、O.C.T化合物(Tissue-Tek, Miles Inc., Elkhart, In)中に包埋し、−80℃に維持した。凍結組織をクリオスタットで6μmの切片とし、風乾した切片を、一次抗体としてラット抗CD31抗体(ER-MP12; BMA Biomedicals, Switzerland, 1:800希釈)とともにインキュベートし、次いで、二次抗体としてビオチニル化ウサギ抗ラットIgG(Vector Laboratories, Inc., Burlingame, CA 1:250希釈)とともにインキュベートした。別の切片を、ウサギ抗α‐平滑筋アクチン抗体(E184; Epitomics, Inc., Burlingame, CA 1:100希釈)を一次抗体として用い、次いで二次抗体としてHRP結合全ロバ抗ウサギIgG(GE Healthcare, England 1:50希釈)を用いてインキュベートした。いくつかの切片については、一次抗体を省略し、ネガティブコントロールとして用いた。
【0050】
組織化学染色は、「Vectastatin DAB」(3,3-diaminobenzidine)基質キット(Vector Laboratories, Inc., Burlingame, CA)を製造業者の指示書にしたがって、Suzukiら(Immunity 13:691−702(2000))に記載されたとおりに行なった。抗CD31又は抗α‐平滑筋アクチン抗体によって陽性に染色された領域を、「Biozero」(KEYENCE, Tokyo, Japan)及びVHアナライザー(同)を用いて200倍に拡大した5ヵ所のランダムに選択した視野について測定した。
【0051】
野生型マウス由来の腫瘍は、トランスジェニックマウスにおけるものよりもはるかに大きく、その色は赤く、血液量の多いことを示唆していた。腫瘍に浸潤していた視認可能な血管の数及び直径は、トランスジェニックマウスにおけるよりも野生型マウスにおいてはるかに多く、また大きかった。
腫瘍血管内皮細胞を抗CD31抗体で免疫組織化学的に染色したところ、CD31陽性細胞の数は、トランスジェニックマウスにおけるよりも野生型マウスにおいてはるかに増大していた。染色された領域は、特に野生型の血管中に位置する陽性細胞において、有意に大きかった(図5)。切片を抗α‐平滑筋アクチン抗体で染色したところ、染色された領域はこの場合においてもトランスジェニックマウスにおけるよりも野生型マウスにおいて有意に大きかった(図5)。
【0052】
トランスジェニックマウスにおいて腫瘍への血管の侵入の抑制が観察されたことから、BRAKが血管新生を抑制したことが示唆された。これらのデータによって、トランスジェニックマウスの腫瘍へのα−平滑筋細胞アクチン陽性細胞の侵入の阻害が、腫瘍内への血管内皮細胞の阻害に加えて起こることが示唆された。したがって、BRAKは、血管周囲(perivascular)平滑筋細胞のケモタキシス及び成熟した機能的な微小血管(microvasculature)の形成を阻害することによって、腫瘍への血管の侵入を阻害する可能性がある。
【0053】
BRAKトランスジェニックマウスは、腫瘍抑制に関するBRAKの機能の分子メカニズム及びBRAKの生体内での機能を解明するための優れた実験ツールを提供する。
【0054】
7. トランスジェニックマウスにおけるルイス肺癌細胞の転移抑制実験
1群17匹の8〜9週齢のマウス(野生型C57BL/6系及びBRAKトランスジェニックマウス)の尾静脈から1×10個のルイス肺癌細胞(上記5.に記載のとおりに培養しトリプシン処理したもの)を注入し、上記の条件下で飼育した。14日後、頚椎骨折によりマウスを屠殺し、直ちに開胸して肺を摘出し、10%ホルマリン液で固定した。数時間後に、それぞれの肺の転移巣の数を肉眼で数えた。
【0055】
結果を図6に示す。野生型マウスにおいては平均75個の転移巣が確認されたのに対し、BRAKを高発現するトランスジェニックマウスにおいては平均約37個であり、有意に転移巣の形成が抑制されていた(P<0.001)。
2群間の差異が統計学的に有意であるか否かを決定するために、スチューデントt−テストを用い、P<0.05の場合に統計学的に有意であるとした。
【0056】
8. トランスジェニックマウスにおけるB16黒色腫細胞の転移抑制実験
1群6匹の7週齢のマウス(野生型C57BL/6系及びBRAKトランスジェニックマウス)の尾静脈から2×10個のB16黒色腫細胞(上記5.に記載のとおりに培養しトリプシン処理したもの)を注入し、上記の条件下で飼育した。18日後、頚椎骨折によりマウスを屠殺し、直ちに開胸して肺を摘出し、10%ホルマリン液で固定した。数時間後に、それぞれの肺の転移巣の数を肉眼で数えた。
【0057】
結果を図7に示す。野生型マウスにおいては平均108個の転移巣が確認されたのに対し、BRAKを高発現するトランスジェニックマウスにおいては平均約36個であり、非常に顕著に転移巣の形成が抑制されていた(P<0.001)。
パネルAは各群の典型的な肺の例を表す写真である。黒く見えるのが黒色腫細胞の転移巣である。
【0058】
これらのデータは、BRAKがトランスジェニックマウスにおいて腫瘍の転移を抑制したことを示している。
従来の血管新生阻害剤については、腫瘍浸潤及び転移を刺激するといった重篤な副作用を有することが報告されているが、上記のように、BRAKによる腫瘍の転移及び増殖抑制のメカニズムは他の公知の血管新生阻害剤のそれと大きく異なっていることが示唆される。BRAKトランスジェニックマウスは、2年までの観察期間にわたって何ら異常性を示さず、また、ヒト集団には、正常範囲の10倍も高い血中レベルでBRAKタンパクを発現しているが、見かけ上何ら異常の見られない個体が見出されている。したがって、血中BRAKタンパクを高レベルで維持しても、重篤な副作用は起こらないことが示された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の(A)〜(C)のいずれかを有効成分として含有することを特徴とする、癌転移抑制剤:
(A)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物をコードする配列を有する核酸を発現可能な形態で含む発現ベクター;
(B)前記(A)の発現ベクターを含む、細胞、組織又は細胞株;
(C)BRAKポリペプチド又はその機能的等価物。
【請求項2】
前記BRAKポリペプチドが、配列表の配列番号4〜6のいずれかによって表される配列を有する、請求項1記載の癌転移抑制剤。
【請求項3】
前記核酸が、配列表の配列番号1〜3のいずれかによって表される配列を有する、請求項1記載の癌転移抑制剤。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか1項記載の癌転移抑制剤及び医薬的に許容されうる担体を含有する、医薬組成物。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2012−12330(P2012−12330A)
【公開日】平成24年1月19日(2012.1.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−150125(P2010−150125)
【出願日】平成22年6月30日(2010.6.30)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り http://www.springerlink.com/content/j34v20r11jh02h53/平成22年3月24日
【出願人】(505079785)学校法人神奈川歯科大学 (6)
【Fターム(参考)】