説明

直鎖型温度応答性高分子が固定化された温度応答性細胞培養基材、及びその製造方法

【課題】細胞が効率良く、かつ配向させて接着させ、その培養細胞を損傷なく剥離させる細胞培養基材の確立。
【解決手段】
基材表面に分子量が10000〜150000の非架橋の温度応答性高分子を0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化させ、その一部の高分子からさらに細胞非付着性高分子が延長して固定化させた、基材表面の一部に細胞非付着性領域を有した温度応答性細胞培養基材を作製すること。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、創薬、薬学、医学、生物等の分野において有用な細胞培養用基材及びその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
今日、動物細胞培養技術が著しく進歩し、動物細胞を対象とした研究開発もさまざまな分野に広がって実施されるようになってきた。対象となる動物細胞の使われ方も、開発当初の細胞そのものを製品化したり、その産生物を製品化したりするだけでなく、今や細胞やその細胞表層蛋白質を分析することで有効な医薬品を設計したり、患者本人の細胞を生体外で再生したり、或いはその機能を高めたりしてから生体内へ戻し治療する等ということも実施されつつある。現在、動物細胞を培養する技術、並びにその技術の評価、解析、及び利用する技術は、研究者が注目している一分野である。
【0003】
ところで、ヒト細胞を含め動物細胞の多くは付着依存性のものである。すなわち、動物細胞を生体外で培養しようとするときは、それらを一度、どこかに付着させる必要性がある。そのため、多くの研究者により生体外へ取り出された細胞をできるだけ生体内と同じような環境で培養しようと、例えば細胞接着性タンパク質であるコラーゲン、フィブロネクチン、ラミニン等を表面に被覆した基材が設計され、そのような基材に関する発明がなされてきた。しかしながら、これらの技術はいずれも細胞培養時に係わるものであった。付着依存性の培養細胞は何かに付着する際、自ら接着性蛋白質を産生する。従ってその細胞を剥離させるときには、従来技術ではその接着性蛋白質を破壊しなければならず、通常酵素処理が行われる。その際、細胞が培養中に産生した各種細胞固有の細胞表層蛋白も同時に破壊されてしまうという重大な課題があったにもかかわらず、現実にはその課題を解決する手段が全くなく、特に検討されていなかった。この細胞回収時の課題の解決こそが、今後動物細胞を対象とした研究開発を飛躍的に発展させる上で強く求められるものと考えられる。
【0004】
このような背景のもと、特許文献1には、水に対する上限若しくは下限臨界溶解温度が0〜80℃である高分子で基材表面を被覆した細胞培養支持体上にて、細胞を上限臨界溶解温度以下または下限臨界溶解温度以上で培養し、その後上限臨界溶解温度以上または下限臨界溶解温度以下にすることにより酵素処理なくして培養細胞を剥離させる新規な細胞培養法が記載されている。また、特許文献2には、この温度応答性細胞培養基材を利用して皮膚細胞を上限臨界溶解温度以下或いは下限臨界溶解温度以上で培養し、その後上限臨界溶解温度以上或いは下限臨界溶解温度以下にすることにより培養皮膚細胞を低損傷で剥離させることが記載されている。さらに、特許文献3には、この温度応答性細胞培養基材を用いて培養細胞の表層蛋白質を修復する方法が記載されている。温度応答性細胞培養基材を利用することにより、従来の培養技術に対しさまざまな新規な展開をはかれるようになってきた。
【0005】
その温度応答性細胞培養基材表面はさらに発展し、例えば、非特許文献1ではキトサンゲル膜上に温度応答性高分子をラジカル重合法でグラフトすることで、細胞の接着性並びに剥離性を温度変化でより効率良く制御できたキトサン膜が示されている。また、特許文献4では、温度応答性高分子が被覆された領域と細胞付着性領域が共存する細胞培養基材表面が提案されている。しかしながら、これらの技術とは細胞を付着しやすい基材と温度応答性高分子を併用したに過ぎず、細胞の付着、増殖性、並びに温度変化時の剥離性を厳密に設計した基材表面とは言い難いものであった。
【0006】
一方、基材表面を厳密に設計しようとした技術例として、温度応答性高分子の分子量鎖長が制御された成分を含むスチレン系マクロモノマーを基材表面にスピンコートされた細胞培養基材表面が挙げられるが、ここでの技術とは温度応答性高分子の固定化量を最適化することにとどまっており、必ずしも温度変化による細胞接着、剥離性を厳密に設計した表面とは言い難かった(非特許文献2)。さらに、特許文献5では、温度応答性高分子中に細胞接着性因子を固定化して細胞の付着性を改善させた基材表面が提案されているものの、ここでの技術も細胞を付着しやすい因子と温度応答性高分子を併用したに過ぎず、細胞の付着、増殖性、並びに温度変化時の剥離性を厳密に設計した基材表面とは言い難いものであった。
【0007】
以上のように、温度応答性細胞培養基材を利用することにより、従来の培養技術に対しさまざまな新規な展開をはかれるようになった。しかしながら、従来の温度応答性細胞培養基材は多くの細胞に共通した性質に対して設計されたものであり、培養した細胞をより効率良く付着させ、増殖させ、さらに温度を変えるだけで効率良く剥離させるような表面ではなかった。また、従来の温度応答性細胞培養基材は、異なる組織から採取した細胞個々の性質に応じて特別に設計されたものではなかった。
【0008】
そのような状況下で、基材表面への高分子鎖の精密な構築法として、最近、リビングラジカル重合法が注目を浴びている。この方法によれば、通常のラジカル重合法と比較して生成した高分子の分子量分布が非常に狭いことが特長である。その中の一手法である可逆的付加−開裂連鎖移動型ラジカル重合法(RAFT重合法)は、重合開始剤から発生したラジカル種が連鎖移動剤であるRAFT剤を介してモノマーの重合を引き起こす技術である(非特許文献3)。従って、開始剤、RAFT剤及びモノマーの濃度比を調整することにより、生成する高分子の分子量を精密に制御することができるようになる。本発明のように、表面開始型のRAFT重合反応により温度応答性高分子を表面に固定化すれば、精密に制御された分子量の揃った温度応答性高分子鎖がブラシ状に固定化された表面を得ることができると期待される。PIPAAm(ポリ−N−イソプロピルアクリルアミド)修飾表面の物性(温度応答性)はPIPAAm鎖長および密度に依存するため、本手法は基材表面の温度応答性を精密に制御することに繋がる。また、RAFT剤を介してモノマーが重合した結果、高分子鎖末端にはRAFT剤に由来する官能基が存在することになる。これまでの研究から、この末端官能基をさまざまな官能基に置換した末端修飾高分子が報告されているおり、RAFT重合法を利用する利点のひとつとなっている(非特許文献4)。
【0009】
RAFT剤に由来する官能基を介することにより、グラフトした高分子の末端から異種の高分子をさらにグラフトすることも可能である。PIPAAm修飾表面の高分子末端から異種の高分子をさらにグラフトすることにより、培養基材の表面物性を変化させることができる。これまでのブロック共重合体修飾表面において、細胞との相互作用、特に細胞シートの作製を目的として設計されたものは報告されていない。
【0010】
この手法における第2のポリマーブロックの重合は、PIPAAm末端の官能基に由来することから、官能基のパターニング技術は温度応答性表面の高分子ブラシをパターニングする技術として応用できる。従って、この技術は細胞のパターニングを実現する機能化温度応答性基材表面の設計に利用できる。
【0011】
細胞のパターニングを実現するための細胞非接着表面領域を改良することにより、細胞の配向性を制御可能な温度応答性培養基材を作製することも可能である。生体内の組織・臓器を模倣するためには、細胞シートを形成する細胞の配向性を制御することは有効な手段である。この観点から、心筋組織などの配向性を有する組織への細胞シートの応用を目指して、配向性を有する細胞シートの作製を目的とした研究がこれまでに報告されている(非特許文献5)。しかしながら、これまでの手法では、細胞シート作製のために細胞を2段階で播種する必要があり、簡便ではない。本技術で作製されるパターン化温度応答性培養基材は細胞の配向性を制御することが可能であり、さらに配向した細胞を温度変化によってシート状に回収することができることから、機能性を付与した温度応答性培養基材として利用できる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開平02−211865号公報
【特許文献2】特開平05−192138号公報
【特許文献3】特開2008−220354号公報
【特許文献4】特開平08−103653号公報
【特許文献5】特開平07−135957号公報
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】Biotechnology and Bioengineering,101(6),1321−1331(2008)
【非特許文献2】Biomaterials 29,2073−2081(2008)
【非特許文献3】Aust.J.Chem.,58,379−410(2005)
【非特許文献4】Biomacromolecules,6,2320−2327(2005)
【非特許文献5】Advanced Materials,21,2161−2164(2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
本発明は、上記のような従来技術の問題点を解決することを意図してなされたものである。すなわち、本発明は従来技術と全く異なった発想から、医学、生物学、生化学等の分野において有用な細胞を効率良く、かつ配向性が維持された状態で接着、増殖させ、さらに温度変化だけでその培養細胞を効率良く剥離できる温度応答性細胞培養基材、およびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者らは上記課題を解決するために、種々の角度から検討を加えて、研究開発を行った。その結果、基材表面に固定された開始剤よりリビングラジカル重合を行うことで、基材表面に分子量が10000〜150000の非架橋の温度応答性高分子が0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化されている温度応答性細胞培養基材が得られることを見出した。さらに、固定化された温度応答性高分子の末端から細胞非接着性の親水性高分子を固定化できることを見出した。この共重合体高分子と温度応答性高分子をパターン化することで、従来の温度応答性培養基材にでは実現できない細胞の配向制御を可能にすることが分かった。さらに温度変化だけでその配向した培養細胞をシート状に剥離できることが分かった。本発明で示される技術は、従来技術からは全く予想し得なかったもので、従来技術には全くなかった新規な細胞培養基材の発展が期待される。本発明はかかる知見に基づいて完成されたものである。
【0016】
すなわち、本発明は、基材表面に分子量が10000〜150000の非架橋の温度応答性高分子が0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化されている温度応答性細胞培養基材を基盤に、細胞非接着性高分子がパターン状に固定化されている培養基材を提供する。また、本発明は、その温度応答性高分子および細胞非接着性高分子の基材表面へ固定化する方法としてリビングラジカル重合法を利用する温度応答性細胞培養基材の製造方法を提供する。
【発明の効果】
【0017】
本発明により得られる温度応答性細胞培養基材により、各組織から採取した細胞を効率良く任意の方向に配向した状態で培養できるようになる。また、この温度応答性細胞培養基材を用いた培養方法を利用すれば、配向した培養細胞の剥離を効率良く行うことができるようになる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【図1】図1は、実施例1の細胞播種24時間後の接着細胞のようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図2】図2は、実施例1の細胞播種後5日目にコンフルエント状態になった培養細胞を示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図3】図3は、実施例1における冷却30分後の細胞シートのようすを示す写真である。
【図4】図4は、実施例2の細胞播種24時間後の接着細胞のようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図5】図5は、実施例2の細胞播種後5日目にコンフルエント状態になった培養細胞を示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図6】図6は、実施例2における冷却3時間後の細胞剥離のようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図7】図7は、比較例1の細胞播種24時間後の接着細胞のようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図8】図8は、比較例2の細胞播種24時間後の接着細胞のようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【図9】図9は、比較例2における冷却1時間後の細胞シートのようすを示す顕微鏡写真である(Scale bar:100μm)。
【発明を実施するための形態】
【0019】
本発明は、非架橋の温度応答性高分子が精密に固定化された温度応答性表面を持つ細胞培養基材に関するものである。具体的には、本発明は、基材表面に分子量が10000〜150000の非架橋の温度応答性高分子が0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化されている温度応答性細胞培養基材に関するものである。本発明では、その細胞培養基材表面へは直鎖状の高分子鎖が固定化される。その際、その高分子鎖の分子量は10000〜150000が良く、好ましくは80000〜130000、さらに好ましくは100000〜120000が良い。分子量が10000以下であると温度を変えても細胞を剥離させるだけに十分な親水性の表面とならず本発明の基材表面として好ましいものではなく、逆に分子量が150000以上の高分子鎖が基材表面に固定化されているとどの温度域においても細胞は付着することができず、本発明の温度応答性培養基材として好ましくない。さらに、本発明は、このような高分子鎖が0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化されているものであり、好ましくは0.03〜0.2分子鎖/nm、さらに好ましくは0.04〜0.1分子鎖/nmが良い。その際、固定化の割合が0.02分子鎖/nm以下であると温度を変えても細胞を剥離させるだけに十分な親水性の表面とならず本発明の基材表面として好ましくなく、逆に高分子鎖が0.3分子鎖/nm以上の過度な密度で基材表面に固定化させた場合、重合過程で高分子鎖に立体障害が生じ重合反応が妨げられるため、温度変化時に親水性表面を示すだけの十分な高分子鎖が固定化できず、結果的に温度を変えても培養細胞を剥離させられず、本発明の温度応答性培養基材として好ましくない。こうして基材表面に固定化された温度応答性高分子は分子量分布が狭く、すなわち、基材表面に分子量の揃った温度応答性高分子が固定化される。その分子量分布は、分散比(Mw/Mn)として1.1〜1.5の範囲のものであり、通常は1.2〜1.3となる。
【0020】
以上のように、細胞培養基材表面に固定化された温度応答性高分子の分子量とその高分子鎖の固定化密度は、その表面で培養される細胞の接着性、増殖性、剥離性に大きく影響する。一方で、基材表面に固定化された温度応答性高分子の分子量とその高分子鎖の固定化密度から決定される、基材表面への温度応答性高分子の被覆量について言えば、0.03〜2.4μg/cmの範囲が良く、好ましくは0.05〜1.8μg/cmであり、さらに好ましくは0.1〜1.5μg/cmである。0.03μg/cmより少ない被覆量のとき、温度を変えても当該高分子上の培養細胞は剥離し難く、作業効率が著しく悪くなり好ましくない。逆に2.4μg/cm以上であると、その領域に細胞が付着し難く、細胞を十分に付着させることが困難となり、本発明の細胞培養基材として好ましくない。被覆量の測定は常法に従えば良く、例えばFT‐IR‐ATR法、元素分析法、ESCA等を利用すれば良く、いずれの方法を用いても良い。以上を具体的にまとめると、本発明の温度応答性培養基材表面上で血管内皮細胞を培養する場合、例えば、固定される温度応答性高分子の分子量が110000、固定化密度が0.036分子鎖/nm、さらに被覆景として0.65μg/cmで温度応答性高分子が固定化された基材表面が挙げられる。同様に、線維芽細胞を培養する場合は、固定される温度応答性高分子の分子量が90000、固定化密度が0.05分子鎖/nm、さらに被覆量として0.74μg/cmで温度応答性高分子が固定化された基材表面が挙げられる。さらに、上皮細胞を培養する場合は、固定される温度応答性高分子の分子量が125000.固定化密度が0.07分子鎖/nm、さらに被覆量として1.45μg/cmで温度応答性高分子が固定化された基材表面が挙げられる。
【0021】
本発明では、基材表面に0〜80℃の温度範囲内で水和力が変化する温度応答性高分子が固定化される。その固定化方法は、基材表面に固定化された開始剤よりリビングラジカル重合法で温度応答性高分子を固定化するものであれば特に限定されるものでない。一例として、基材表面に重合開始剤を固定化し、その開始剤から触媒の存在下で原子移動ラジカル法(ATRP重合法)により温度応答性高分子を成長反応させる方法が挙げられる。その際に使用する開始剤は特に限定されるものではないが、本発明のように基材がシリカやガラスの場合、例えば、1−トリクロロシリル−2−(m,p−クロロメチルフェニル)エタン(弊所注:この「m,p」は「メタ−体」と「p−体」が混在しているという意味でしょうか。それとも「メタ−体」または「p−体」という意味でしょうか。)、2−(4−クロロスルホニルフェニル)エチルトリメトキシシラン、(3−(2−ブロモイソブチリル)プロピル)ジメチルエトキシシランなどがあげられる。本発明では、この開始剤より高分子鎖を成長させる。その際の触媒としては特に限定されるものでないが、水和力が変わる高分子としてN−アルキル置換(メタ)アクリルアミド誘導体を選んだ場合、ハロゲン化銅(CuX)としてCuCl、CuBr等があげられる。また、そのハロゲン化銅に対するリガンド錯体も特に限定されるものではないが、トリス(2−(ジメチルアミノ)エチル)アミン(MeTREN)、N,N,N’’,N’’−ペンタメチルジエチレントリアミン(PMDETA)、1,1,4,7,10,10−ヘキサメチルトリエチレンテトラアミン(HMTETA)、1,4,8,11−テトラメチル 1,4,8,11−アザシクロテトラデカン(MeCyclam)、ビピリジン等があげられる。さらに、別の方法として、上述した基材表面に固定化された開始剤から、可逆的付加−開裂連鎖移動型ラジカル重合法(RAFT重合法)でRAFT剤共存下で表面開始型ラジカル重合法により温度応答性高分子を成長反応させる方法が挙げられる。その際に使用する開始剤は特に限定されるものではないが、本発明のように基材がシリカやガラスの場合、シランカップリング剤を介して、例えば、2,2’−アゾビス(イソブチロニトリル)、2,2’−アゾビス(4−メトキシ‐2,4−ジメチルバレロニトリル)(V−70)、2,2’−アゾビス[(2−カルボキシエチル)−2−(メチルプロピオンアミジン)(V−057)などがあげられる。本発明では、この開始剤より高分子鎖を成長させる。その際に使用されるRAFT剤としては特に限定されるものでないが、ベンジルジチオベンゾエート、ジチオ安息香酸クミル、2−シアノプロピルジチオベンゾエート、1−フェニルエチルフェニルジチオアセテート、クミルフェニルジチオアセテート、ベンジル1−ピロールカルボジチオエート、クミル1−ピロールカルボジチオエート等があげられる。
【0022】
本発明で重合時に使用する溶媒については特に限定されないが、ATRP重合法の場合、イソプロピルアルコール(IPA)が好適である。発明者らは種々の検討を行ったところ、まず、温度応答性高分子の原料としてN−イソプロピルアクリルアミドを選択し、原子移動ラジカル重合反応を室温で溶液中で行った場合では、反応溶媒としてジメチルホルムアルデヒド(DMF)、水、IPAのいずれを選択しても同程度に反応速度が大きいことが分かった。しかしながら、本発明のような固体の基材表面に対しN−イソプロピルアクリルアミドを固定化重合しようとする固相反応の場合では、反応溶媒をIPAとすると、他の2者を選んだときに比べ顕著に反応速度が遅くなることを見出した。また、上述のMacromolecules 38,5937−5943(2005)に示されるt−ブチルアルコールでは、室温で固化する場合があり、従って反応温度を室温以上にしなければならず、その結果、反応速度が上昇してしまうことが分かり、本発明には不適当であることが分かった。ここでの知見は、従来技術では全く知られていなかったことであり、本発明によれば、担体への固定化重合は、反応溶媒としてIPAを選択すると高分子鎖の分子量は徐々に増加し、担体表面への高分子鎖の固定化量も徐々に増加することとなる。従って、本発明の方法に従えば、担体表面への高分子鎖を均一に固定化させることができるようになる。さらに、所定の時間で反応を中止することで、反応を中止した時点の固定化状態を有する担体を再現性良く製造できるようになる。また、RAFT重合時に使用する溶媒としては、1,4−ジオキサン、ジメチルホルムアルデヒド(DMF)等が好適である。この溶媒についても何ら限定されるものではないが、重合反応に使用するモノマー、RAFT剤および重合開始剤の種類によって、適宜、選択できる。
【0023】
本発明は、担体表面に固定化した開始剤より温度応答性高分子をリビングラジカル重合法で被覆固定化するものである。原子移動ラジカル重合法(ATRP法)の場合、ATRP重合開始剤を固定化し、上述の通り、例えばイソプロピルアルコールを溶媒として、その開始剤から重合触媒下で原子移動ラジカル法により、荷電を有し、0〜80℃の温度範囲内で水和力が変化する高分子を成長反応させる方法であるが、その他の重合時の開始剤濃度、ハロゲン化銅濃度、リガンド錯体濃度、反応温度、反応時間等は特に限定されるものではなく、目的に応じて変更して良い。さらに反応液の状態は静置させても攪拌しても良いが、担体表面に均一に固定化することを考えると後者の方が好ましい。また、可逆的付加−開裂連鎖移動型ラジカル重合法の場合は、RAFT重合開始剤を固定化し、1,4−ジオキサンなどの溶媒を使用して、その開始剤からRAFT剤共存下で表面開始型ラジカル重合法により、0〜80℃の温度範囲内で水和力が変化する高分子を成長反応させる方法であるが、その他の重合時の開始剤濃度、RAFT剤濃度、反応温度、反応時間等は特に限定されるものではなく、目的に応じて変更して良い。さらに反応液の状態は静置させても攪拌しても良いが、担体表面に均一に固定化することを考えると後者の方が好ましい。また、RAFT法により温度応答性高分子を固定化した場合、ATRP法のように金属イオンを使用する必要がなく、温度応答性高分子を固定化した後の基材洗浄の手間がなく好都合である。また、重合条件そのものについてもRAFT法の方が簡便であり好都合である。
【0024】
被覆を施される細胞培養基材の材質は、通常細胞培養に用いられるガラス、改質ガラス、ポリスチレン、ポリメチルメタクリレート等の物質のみならず、一般に形態付与が可能である物質、例えば、上記以外の高分子化合物、セラミックス、金属類など全て用いることができる。その形状は、ペトリ皿等の細胞培養皿に限定されることはなく、プレート、ファイバー、(多孔質)粒子であってもよい。また、一般に細胞培養等に用いられる容器の形状(フラスコ等)を有したものであっても差し支えない。
【0025】
本発明で使われる温度応答性高分子は、水溶液中で上限臨界溶解温度または下限臨界溶解温度0℃〜80℃、より好ましくは20℃〜50℃を有する。上限臨界溶解温度または下限臨界溶解温度が80℃を越えると細胞が死滅する可能性があるので好ましくない。また、上限臨界溶解温度または下限臨界溶解温度が0℃より低いと一般に細胞増殖速度が極度に低下するか、または細胞が死滅してしまうため、やはり好ましくない。本発明に用いる温度応答性高分子は単独重合体、あるいは共重合体のいずれであってもよい。このような高分子としては、例えば、特開平2−211865号公報に記載されている高分子が挙げられる。具体的には、例えば、以下のモノマーの単独重合または共重合によって得られる。使用し得るモノマーとしては、例えば、(メタ)アクリルアミド化合物、N−(若しくはN,N−ジ)アルキル置換(メタ)アクリルアミド誘導体、またはビニルエーテル誘導体が挙げられ、コ高分子の場合は、これらの中で任意の2種以上を使用することができる。更には、上記モノマー以外のモノマー類との共重合、高分子同士のグラフトまたは共重合、あるいは単独重合体と共重合体の混合物を用いてもよい。また、高分子本来の性質を損なわない範囲で架橋することも可能である。その際、培養、剥離されるものが細胞であることから、分離が5℃〜50℃の範囲で行われるため、温度応答性高分子としては、ポリ−N−n−プロピルアクリルアミド(単独重合体の下限臨界溶解温度21℃)、ポリ−N−n−プロピルメタクリルアミド(同27℃)、ポリ−N−イソプロピルアクリルアミド(同32℃)、ポリ−N−イソプロピルメタクリルアミド(同43℃)、ポリ−N−シクロプロピルアクリルアミド(同45℃)、ポリ−N−エトキシエチルアクリルアミド(同約35℃)、ポリ−N−エトキシエチルメタクリルアミド(同約45℃)、ポリ−N−テトラヒドロフルフリルアクリルアミド(同約28℃)、ポリ−N−テトラヒドロフルフリルメタクリルアミド(同約35℃)、ポリ−N,N−エチルメチルアクリルアミド(同56℃)、ポリ−N,N−ジエチルアクリルアミド(同32℃)などが挙げられる。本発明に用いられる共重合のための高分子としては、ポリアクリルアミド、ポリ−N、N−ジエチルアクリルアミド、ポリ−N、N−ジメチルアクリルアミド、ポリエチレンオキシド、ポリアクリル酸及びその塩、ポリヒドロキシエチルメタクリレート、ポリヒドロキシエチルアクリレート、ポリビニルアルコール、ポリビニルピロリドン、セルロース、カルボキシメチルセルロースなどの含水高分子などが挙げられるが、特に制約されるものではない。
【0026】
本発明においてRAFT剤を使用した表面開始型ラジカル重合法を利用した場合、RAFT剤の構造の一部であるジチオエステル系官能基が生成した高分子の末端に残存することになる。これはRAFT重合法に特徴的な現象であり、重合反応が終了した後、さらにその末端から重合反応を開始させることが可能となる。この特徴を利用することにより、既存の共重合体とは異なりブロック共重合体の表面を作製することも可能となる。その際、温度応答性高分子の末端に存在するジチオエステル系官能基は2−エタノールアミンなどを添加することにより、容易にチオール基に置換される。この反応は特別な条件下で行われる必要はなく、簡便でありまた短時間で進行する。その結果、反応性の高いチオール基を有する高分子鎖を得ることができるため、マレイミド基、チオール基などの官能基を有する機能性分子を選択的、効率的に高分子鎖末端に修飾できる。従って、温度応答性培養基材表面に新たな機能性を付与することが可能となる。その際、官能基の種類については特に限定されるものではないが、例えば、水酸基、カルボキシル基、アミノ基、カルボニル基、アルデヒド基、スルホン酸基等が挙げられる。また、その高分子鎖末端には細胞接着を促進させるようなペプチドや蛋白質が固定化されていても良い。そして、ポリ−N−イソプロピルアクリルアミドの下限臨界溶解温度(LCST)が末端官能基の親水性・疎水性に依存して変化することから、本発明のような高分子鎖末端への官能基導入は、基材表面の温度応答性を別の観点から制御する新たな手法としても期待される。
【0027】
本発明の基材とはこうして得られた温度応答性表面の一部のRAFT剤由来の官能基を介して、温度応答性高分子末端から細胞非付着性高分子をさらに固定化したものである。その製造法としては、最終的に上記の構造を有するものであれば何ら制約されるものではないが、例えば、▲1▼基材表面上全体にまず温度応答性領域を作成し、その後、最終的に細胞非付着性領域となる部分をマスクして温度応答性領域を上乗せする方法、或いはその温度応答性領域,細胞非付着性領域を逆にした方法、▲2▼あらかじめ温度応答性領域,細胞非付着性領域の2層を被覆しておき、超音波或は走査型機器によりどちらかの層を削り取る方法、▲3▼細胞非付着性領域をオフセット印刷する方法、等を単独または併用する方法が挙げられる。その中で効率良い方法として、RAFT剤由来の官能基をフォトリソグラフィーの技術によってパターンニングすることにより、ホモポリマーとブロックコポリマーからなるパターン化培養基材を得る方法が挙げられる。ストライプ状にパターン化した高分子ブラシ表面を設計することにより、培養細胞の配向性を制御することが可能となる。
【0028】
温度応答性領域,細胞非付着性領域の2層の形態は、上部から観察して、例えば、▲1▼ラインとスペースからなるパターン、▲2▼水玉模様のパターン、▲3▼格子状のパターン、その他特殊な形のパターン、或いはこれらが混ざっている状態のパターンが挙げられ何ら限定されるものではないが、心筋組織、神経等の細胞が配向した各組織の状態を考え、▲1▼ラインとスペースからなるものが好ましい。温度応答性領域,細胞非付着性領域の2層のそれぞれの大きさは何ら限定されるものではないが、得られた細胞シートを剥離した際、収縮することを考え、ライン状のパターンの基材を使用する場合、細胞が付着する温度応答性領域は500nm以下、好ましくは300nm以下、さらに200nm以下、最も好ましくは100nm以下が良い。細胞が付着する温度応答性領域の幅が500nmより大きいとそのライン上で培養した細胞が配向せず好ましくない。
【0029】
本発明における細胞と親和性の低い細胞非付着性高分子とは、細胞が付着しないものならば何ら制約されるものではないが、例えば、ポリ−N−アクリロイルモルホリン、ポリアクリルアミド、ポリジメチルアクリルアミド、ポリエチレングリコール、セルロース等の親水性高分子、或いはシリコーン高分子、フッ素高分子等の強疎水性高分子等が挙げられる。
【0030】
本発明で得られる温度応答性細胞培養基材表面に対して、使用される細胞は動物細胞であれば良く、その入手先、作製方法は特に限定されるものではない。本発明において使用される細胞は、例えば、動物、昆虫、植物等の細胞、あるいは細菌類の細胞が挙げられる。特に、動物細胞の由来として、ヒト、サル、イヌ、ネコ、ウサギ、ラット、ヌードマウス、マウス、モルモット、ブタ、ヒツジ、チャイニーズハムスター、ウシ、マーモセット、アフリカミドリザル等が挙げられるが特に限定されるものではない。また、本発明で用いる培地は、動物細胞を培養する培地であれば特に限定されないが、例えば、無血清培地、血清含有培地等が挙げられる。そのような培地は、さらにレチノイン酸、アスコルビン酸等の分化誘導物質を添加しても良い。基材表面への播種密度は常法に従えば良く特に限定されるものではない。
【0031】
また、本発明の温度応答性細胞培養基材であれば、培養基材の温度を培養基材上の被覆高分子の上限臨界溶解温度以上若しくは下限臨界溶解温度以下にすることによって培養細胞を酵素処理なく剥離させることができる。その際、培養液中において行うことも、その他の等張液中において行うことも可能であり、目的に合わせて選択することができる。細胞をより早く、より高効率に剥離、回収する目的で、基材を軽くたたいたり、ゆらしたりする方法、更にはピペットを用いて培地を撹拌する方法等を単独で、あるいは併用して用いても良い。
【0032】
本発明に記載される温度応答性細胞培養基材を利用することで、各組織から得られた細胞を効率良く培養できるようになる。この培養方法を利用すれば、温度を変えるだけで損傷なく、効率良く剥離することができるようになる。また、本発明に記載されるパターン化温度応答性細胞培養基材を利用することで、細胞を効率良く任意の方向に配向させることができるようになるため、配向性を有する細胞を剥離することが可能となる。従来、こうした作業には手間と作業者の技術を必要としていたが、本発明であればその必要がなくなり、細胞の大量処理ができるようになる。本発明では、このような培養基材表面をリビングラジカル重合法を利用することで作製されることを示す。特に可逆的付加−開裂連鎖移動型ラジカル重合法に従えば、培養基材表面を簡便に精密に設計でき、続けて分子鎖末端に対して反応を続けることが簡便に行えるため、本発明に記載されるパターン化温度応答性培養基材の作製に極めて有利である。
【実施例】
【0033】
以下に、本発明を実施例に基づいて更に詳しく説明するが、これらは本発明を何ら限定するものではない。
【実施例1】
【0034】
ガラス基板を設置したセパラブルフラスコ内にAPTES2.5μLを含む500μLトルエン溶液を添加し、窒素雰囲気下で150℃、20時間反応させ、アミノ基を導入したガラス基板(APTES基板)を得た。作製したAPTES基板上に重合開始剤V−501を固定化させ、開始剤固定化基板(V−501基板)を作製した。重合開始剤V−501(5.25g)と縮合剤EEDQ(9.25g)の混合溶液中にAPTES基板を浸漬させ、縮合反応(25℃、20時間)によりV−501を基板に固定化した。RAFT剤(0.5mM)、NIPAAm(1M)を含む1,4−ジオキサン中にV−501基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0035】
ジエチルエーテル中に沈殿させ精製したフリーのPIPAAmの分子量(Mw)はGPCにより59000であった。また、FT−IR測定から算出されたPIPAAmのグラフト量は0.41μg/cmであった。グラフト密度に関しては、上述の方法により得られたフリーPIPAAmの分子量およびPIPAAmのグラフト量から算出した。下記の式から算出された結果、グラフト密度は0.04分子鎖/nmであった。
[グラフト密度(分子鎖/nm)=PIPAAmグラフト量(g/nm)/PIPAAm分子量×アボガドロ数]
【0036】
PIPAAmグラフト基板にフォトレジストをスピンコートし、ストライプ状(50μm)に光を露光して、フォトレジストの一部を除去した。マレイミド(30mM)、亜ジチオン酸ナトリウム(1mM)およびエタノールアミン(10mM)を含むリン酸バッファー中にこの基板を浸漬し(窒素雰囲気下)、露出したRAFT剤由来のジチオベンゾエート基をマレイミド基で置換した。
【0037】
基板をアセトン中に浸漬し、超音波洗浄することによってすべてのフォトレジストを基板から除去した。重合開始剤(1mM)、N−アクリロイルモルホリン(AcMo)(1M)を含む1,4−ジオキサン中に末端を一部置換したPIPAAmグラフト基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0038】
作製したパターン化PIPAAmグラフト基板上に正常ヒト皮膚線維芽細胞(NHDF)を播種(2x10cells/cm)した結果、細胞の接着が顕微鏡観察により確認された(図1)。接着細胞は同一の方向に配向性を示しており、通常の培養条件下(37℃、5%CO)で5日後に配向性を維持した状態でコンフルエントになった(図2)。この細胞に対して低温処理(20℃、5%CO)を行い、細胞シートの回収を試みた。その結果、低温処理30分後に細胞シートを回収することに成功した(図3)。細胞シートは細胞の配向性に依存して異なる収縮率を示したことから、細胞が配向した状態で細胞シートが回収されたことが分かった。
【実施例2】
【0039】
ガラス基板を設置したセパラブルフラスコ内にAPTES2.5μLを含む500μLトルエン溶液を添加し、窒素雰囲気下で150℃、20時間反応させ、アミノ基を導入したガラス基板(APTES基板)を得た。作製したAPTES基板上に重合開始剤V−501を固定化させ、開始剤固定化基板(V−501基板)を作製した。重合開始剤V−501(5.25g)と縮合剤EEDQ(9.25g)の混合溶液中にAPTES基板を浸漬させ、縮合反応(25℃、20時間)によりV−501を基板に固定化した。RAFT剤(0.5mM)、NIPAAm(1M)を含む1,4−ジオキサン中にV−501基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0040】
ジエチルエーテル中に沈殿させ精製したフリーのPIPAAmの分子量(Mw)はGPCにより59000であった。また、FT−IR測定から算出されたPIPAAmのグラフト量は0.41μg/cmであった。グラフト密度に関しては、上述の方法により得られたフリーPIPAAmの分子量およびPIPAAmのグラフト量から算出した。下記の式から算出された結果、グラフト密度は0.04分子鎖/nmであった。
[グラフト密度(分子鎖/nm)=PIPAAmグラフト量(g/nm)/PIPAAm分子量×アボガドロ数]
【0041】
PIPAAmグラフト基板にフォトレジストをスピンコートし、ストライプ状(100μm)に光を露光して、フォトレジストの一部を除去した。マレイミド(30mM)、亜ジチオン酸ナトリウム(1mM)およびエタノールアミン(10mM)を含むリン酸バッファー中にこの基板を浸漬し(窒素雰囲気化)、露出したRAFT剤由来のジチオベンゾエート基をマレイミド基で置換した。
【0042】
基板をアセトン中に浸漬し、超音波洗浄することによってすべてのフォトレジストを基板から除去した。重合開始剤(1mM)、N−アクリロイルモルホリン(AcMo)(1M)を含む1,4−ジオキサン中に末端を一部置換したPIPAAmグラフト基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0043】
作製したパターン化PIPAAmグラフト基板上に正常ヒト皮膚線維芽細胞(NHDF)を播種(2x10cells/cm)した結果、接着細胞はPIPAAmブラシ領域のみに接着し、ストライプ状のパターンを形成した(図4)。細胞の多くはパターン内で配向性を示した。さらに、通常の培養条件下(37℃、5%CO)で2〜3日後にはPIPAAm−b−PAcMoブラシ領域への遊走が確認された。培養5日後にコンフルエント状態まで増殖した細胞は配向性を維持している(図5)。この細胞に対して低温処理(20℃、5%CO)を行い、細胞シートの回収を試みた。その結果、低温処理数時間後に細胞シートはある程度剥離し(図6)、ピペッティングにより細胞シートを回収することに成功した。細胞シートは細胞の配向性に依存して異なる収縮率を示したことから、細胞シートは配向性を維持した状態で剥離したことが分かった。
【比較例1】
【0044】
ガラス基板を設置したセパラブルフラスコ内にAPTES2.5μLを含む500μLトルエン溶液を添加し、窒素雰囲気下で150℃、20時間反応させ、アミノ基を導入したガラス基板(APTES基板)を得た。作製したAPTES基板上に重合開始剤V−501を固定化させ、開始剤固定化基板(V−501基板)を作製した。重合開始剤V−501(5.25g)と縮合剤EEDQ(9.25g)の混合溶液中にAPTES基板を浸漬させ、縮合反応(25℃、20時間)によりV−501を基板に固定化した。RAFT剤(0.5mM)、NIPAAm(1M)を含む1,4−ジオキサン中にV−501基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0045】
ジエチルエーテル中に沈殿させ精製したフリーのPIPAAmの分子量(M)はGPCにより59000であった。また、FT−IR測定から算出されたPIPAAmのグラフト量は0.41μg/cmであった。グラフト密度に関しては、上述の方法により得られたフリーPIPAAmの分子量およびPIPAAmのグラフト量から算出した。下記の式から算出された結果、グラフト密度は0.04分子鎖/nmであった。
[グラフト密度(分子鎖/nm)=PIPAAmグラフト量(g/nm)/PIPAAm分子量×アボガドロ数]
【0046】
PIPAAmグラフト基板にフォトレジストをスピンコートし、ストライプ状(25μm)に光を露光して、フォトレジストの一部を除去した。マレイミド(30mM)、亜ジチオン酸ナトリウム(1mM)およびエタノールアミン(10mM)を含むリン酸バッファー中にこの基板を浸漬し(窒素雰囲気化)、露出したRAFT剤由来のジチオベンゾエート基をマレイミド基で置換した。
【0047】
基板をアセトン中に浸漬し、超音波洗浄することによってすべてのフォトレジストを基板から除去した。重合開始剤(1mM)、N−アクリロイルモルホリン(AcMo)(1M)を含む1,4−ジオキサン中に末端を一部置換したPIPAAmグラフト基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0048】
作製したパターン化PIPAAmグラフト基板上に正常ヒト皮膚線維芽細胞(NHDF)を播種(2x10cells/cm)した結果、接着細胞はパターン化表面全体にランダムに接着した(図7)。通常の培養条件下(37℃、5%CO)で細胞は増殖し、数日後にはランダムな方向に伸展した状態でコンフルエント状態になった。
【比較例2】
【0049】
ガラス基板を設置したセパラブルフラスコ内にAPTES2.5μLを含む500μLトルエン溶液を添加し、窒素雰囲気下で150℃、20時間反応させ、アミノ基を導入したガラス基板(APTES基板)を得た。作製したAPTES基板上に重合開始剤V−501を固定化させ、開始剤固定化基板(V−501基板)を作製した。重合開始剤V−501(5.25g)と縮合剤EEDQ(9.25g)の混合溶液中にAPTES基板を浸漬させ、縮合反応(25℃、20時間)によりV−501を基板に固定化した。RAFT剤(0.5mM)、NIPAAm(1M)を含む1,4−ジオキサン中にV−501基板を浸漬させ、重合反応操作(70度、20時間)を行った。
【0050】
ジエチルエーテル中に沈殿させ精製したフリーのPIPAAmの分子量(Mw)はGPCにより59000であった。また、FT−IR測定から算出されたPIPAAmのグラフト量は0.41μg/cmであった。グラフト密度に関しては、上述の方法により得られたフリーPIPAAmの分子量およびPIPAAmのグラフト量から算出した。下記の式から算出された結果、グラフト密度は0.04分子鎖/nmであった。
[グラフト密度(分子鎖/nm)=PIPAAmグラフト量(g/nm)/PIPAAm分子量×アボガドロ数]
【0051】
作製したPIPAAmグラフト基板上にNHDFを播種(1x10cells/cm)した結果、顕微鏡観察により細胞の接着が確認された(図8)。細胞は特定の配向性を示さず、ランダムに接着、増殖した。通常の培養条件下(37℃、5%CO)で2日後にコンフルエント状態の細胞に対して低温処理(20℃、5%CO)を行い、細胞シートの回収を試みた。その結果、低温処理1時間後に細胞シートを回収することに成功した(図9)。
【比較例3】
【0052】
ガラス基板を設置したセパラブルフラスコ内にAPTES2.5μLを含む500μLトルエン溶液を添加し、窒素雰囲気下で150℃、20時間反応させ、アミノ基を導入したガラス基板(APTES基板)を得た。次に、重合開始剤V−501(5.25g)と縮合剤EEDQ(9.25g)の混合溶液中にAPTES基板を浸漬させ、縮合反応(25℃、20時間)によりV−501を基板に固定化した(V−501基板)。NIPAAm(2M)を含む1,4−ジオキサン中にV−501基板を浸漬させ、重合反応操作(70℃、20時間)を行った。RAFT剤非共存下で重合反応を進行させ、RAFT重合法を用いずにPIPAAmを基板表面にグラフトさせた。
【0053】
ジエチルエーテル中に沈殿させ精製したフリーのPIPAAmの分子量(Mw)はGPCにより291000であった。また、基板上のPIPAAmグラフト量はFT−IR測定の結果より2.47μg/cmであった。グラフト密度に関しては、上述の方法により得られたフリーPIPAAmの分子量およびPIPAAmのグラフト量から算出した。下記の式から算出された結果、グラフト密度は0.05分子鎖/nmであった。
[グラフト密度(分子鎖/nm)=PIPAAmグラフト量(g/nm)/PIPAAm分子量×アボガドロ数]
【0054】
作製したPIPAAmグラフト基板上にNHDFを播種(1x10cells/cm)した結果、細胞の接着は見られなかった。RAFT剤を含まない溶液中でグラフトされたPIPAAmは鎖長が非常に長く、グラフト量も多い。その結果、PIPAAmブラシ表面は高い親水性度を示し、細胞に対して非接着表面としてふるまうと考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0055】
本発明に記載される温度応答性細胞培養基材を利用することで、各組織から得られた細胞を効率良く、かつ配向させた状態で培養できるようになる。この培養方法を利用すれば、温度を変えるだけで損傷なく、効率良く細胞シートを剥離することができるようになる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材表面に分子量が10000〜150000の非架橋の温度応答性高分子が0.02〜0.3分子鎖/nmの割合で固定化され、その一部の高分子からさらに細胞非付着性高分子が延長して固定化された、表面の一部が細胞非付着性領域を有する温度応答性細胞培養基材。
【請求項2】
基材表面の細胞非付着性領域がパターン状である、請求項1記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項3】
パターンがラインとスペースからなるものである、請求項2記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項4】
基材表面に0〜80℃の温度範囲内で水和力が変化する温度応答性高分子が固定化された、請求項1〜3のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項5】
温度応答性高分子が、ポリ‐N‐置換アクリルアミド誘導体、ポリ‐N‐置換メタアクリルアミド誘導体、ポリアクリレート誘導体、ポリメタクリレート誘導体の単独、もしくはこれらの2つ以上の共重合体からなる、請求項1〜4のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項6】
固定化した温度応答性高分子鎖の末端に官能基を有する、請求項1〜5のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項7】
官能基がジチオエステル基、水酸基、カルボキシル基、アミノ基のいずれか1種もしくは2種以上が混合されたものである、請求項6記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項8】
細胞非付着性高分子が親水性高分子である、請求項1〜7のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材。
【請求項9】
温度応答性高分子の基材表面への固定化がリビングラジカル重合法によるものである、請求項1〜8のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材の製造方法。
【請求項10】
親水性高分子の固定化がリビングラジカル重合法によるものである、請求項9記載の温度応答性細胞培養基材の製造方法。
【請求項11】
重合法が可逆的付加−開裂連鎖移動型ラジカル重合法である、請求項9、10のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材の製造方法。
【請求項12】
基材表面に固定化されたアゾ系重合開始剤を利用することを特徴とする、請求項9〜11のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材の製造方法。
【請求項13】
固定化した温度応答性高分子鎖の末端のジチオエステル基をチオール基に変換し、さらにそのチオール基を水酸基、カルボキシル基、アミノ基へ変換する、請求項9〜12のいずれか1項記載の温度応答性細胞培養基材の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2012−165730(P2012−165730A)
【公開日】平成24年9月6日(2012.9.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−44470(P2011−44470)
【出願日】平成23年2月12日(2011.2.12)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 2011年2月1日 日本再生医療学会発行の「日本再生医療学会雑誌 再生医療 第10巻/増刊号 第10回日本再生医療学会総会 プログラム・抄録」に発表
【出願人】(591173198)学校法人東京女子医科大学 (48)
【Fターム(参考)】