窒素吸着性能をもつルテニウム錯体、その製造方法、並びにpH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法
【課題】水中で安定であるとともに、可逆的に窒素が結合するpH依存性の水溶性のルテニウム錯体、およびpH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法を提供すること。
【解決手段】下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)による。
【化1】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【解決手段】下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)による。
【化1】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、窒素ガスを配位子として可逆的に吸脱着するルテニウム錯体、および水中においてpH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
水溶液中に溶解した窒素(N2)レベル(窒素の濃度)を検出できる窒素センサーが理工学の多くの分野で必要とされている(非特許文献1〜2)。
例えば、環境調査において、溶解した窒素レベルは、気候変動問題に直接関係するガス交換速度、或いは青粉に影響を与えるとともに生態環境に関係する窒素取り込み速度についての情報を提供することができる。また、半導体製造において、脱イオン水に溶解した窒素レベルがメガソニック洗浄工程(この工程は、ウェハー洗浄における超音波洗浄工程である。)の効率に直接的に影響することから、溶解した窒素の濃度を測定することは重要である。
【0003】
しかしながら、現在まで、窒素センサーの設計には、半透膜技術が用いられている(非特許文献1)。これらのセンサーは、通常、薄膜を通してガスチャンバーへ流入する小さい気体分子の選択拡散に頼っており、実際の溶液相の窒素濃度を直接測定するのではなく、間接的な圧力検出方法によって測定している。さらに、サンプルスペースとガスチャンバーの間を平衡化する必要があるため、タイムラグが生じてしまう問題がある。
このようなことから、溶液相である比色指示薬を用いる窒素センサーの開発は、既存技術に対して著しい改善に貢献すると考えられ、特に窒素結合遷移金属錯体は、比色指示薬として理想的な候補化合物である。
【0004】
1965年以降、多くの窒素遷移金属錯体が発表されている(非特許文献3〜9)。その最初の錯体である[Ru(NH3)5N2]2+は、Allen及びSenoffにより1965年に報告され(非特許文献4)、その後、TaubeとKane−MaguireによってOsII、bis−N2、およびμ−N2錯体が追加された(非特許文献5〜7)。しかしながら、これらの化合物はすべて水中で極めて不安定であることがわかったため、有機溶媒中において、更なる研究が進められた(非特許文献3)。
しかしながら、1993年から、安定した水溶性の窒素錯体の合成が三級ポリアミン配位子の利用により可能となった。Takahashi及び共同研究者らは、安定した水溶性の窒素錯体として、trans−[Ru(OH)(L)(N2)]+とtrans−[Ru(OH2)(L)(N2)]2+(ここで、L=2,5,9,12−テトラメチル−2,5,9,12−テトラアザトリデカンである)を公表した(非特許文献8)。Che及び共同研究者らは、1996年に、関連性のある大環状ポリアミン配位子1,5,9,13−テトラメチル−1,5,9,13−テトラアザシクロヘキサデカンを公表した(非特許文献9)。
【0005】
しかしながら、これら後者の錯体は、その構成が溶液相において本質的には不可逆であり、窒素の存在下でRuIII錯体の還元により形成されるので、それらを窒素センサーとして使用するためには重要な制限がある。非特許文献8には、可逆的窒素結合と同時に起こるRuIIIの電気化学的還元が示されているが、そのような切り替えは電極表面で活性化できるだけである。従って、現在まで、水溶液相において溶解した窒素のセンサーとして連続的に働くことのできる錯体は報告されていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】T. M. Kana, C. Darkangelo, M. D. Hunt, J. B. Oldham, G. E. Bennett and J. C. Cornwell, Anal. Chem., 1994, 66, 4166-4170
【非特許文献2】B. A. Bryant, Environ. Sci. Technol., 2004, 38, 5729-5736
【非特許文献3】B. A. MacKay and M. D. Fryzuk, Chem. Rev., 2004, 104, 385-401
【非特許文献4】A. D. Allen and C. V. Senoff, Chem. Commun., 1965, 621-622
【非特許文献5】D. F. Harrison, E. Weissberger and H. Taube, Science, 1968, 159, 320-322
【非特許文献6】H. A. Scheidegger, J. N. Armor and H. Taube, J. Am. Chem. Soc., 1968, 90, 3263-3264
【非特許文献7】L. A. P. Kane-Maguire, P. S. Sheridan, F. Basolo and R. G. Pearson, J. Am. Chem. Soc., 1968, 90, 5295-5296
【非特許文献8】T. Takahashi, K. Hiratani and E. Kimura, Chem. Lett., 1993, 22, 1329-1332
【非特許文献9】W. Chiu, C. Che and T. C. W. Mak, Polyhedron, 1996, 24, 4421-4423
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
そこで、本発明は、水中で安定であるとともに、可逆的に窒素が結合するpH依存性の水溶性のルテニウム錯体を提供することを課題の一つとし、また、pH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法を提供することを課題の一つとする。さらに窒素を吸着した状態を保持可能にし、また保持した状態を解除する方法を提供することを課題の一つとする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは前記課題を解決すべく鋭意研究を重ねた結果、本発明を完成するに至った。
すなわち本発明は、以下の(1)〜(7)によって達成されるものである。
(1)下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)。
【0009】
【化1】
【0010】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0011】
(2)下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)の製造方法であって、
【0012】
【化2】
【0013】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を、不活性ガスの雰囲気下で、溶液のpH値をpH5〜10とすることにより、脱プロトン化することを特徴とする、ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体の製造方法。
【0014】
【化3】
【0015】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0016】
(3)窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを制御することによって前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に窒素を吸脱着する方法。
【0017】
【化4】
【0018】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0019】
(4)窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを塩基性領域にすることで窒素を吸着させた後、フッ化物と反応させることで前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【0020】
【化5】
【0021】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0022】
(5)前記フッ化物が、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NFから選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする前記(4)に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【0023】
(6)前記(4)又は(5)に記載の方法によりルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持し、その後、カルシウム塩の存在下で光照射することで窒素の保持状態を解除する方法。
【0024】
(7)前記カルシウム塩が、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする前記(6)に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の保持状態を解除する方法。
【発明の効果】
【0025】
本発明のルテニウム錯体は、溶液のpHの変化によって窒素を吸着及び脱着するため、溶液のpHを制御することにより容易に窒素を可逆的に吸脱着することができる。
また、窒素を吸着した錯体の配位子を置換することで、窒素のpHによる脱着を行わないようにすることができるので、窒素を吸着した状態を酸性から塩基性の領域(pH2〜14)で保持することができる。
さらにこの保持した状態から配位子を元に戻すことで、窒素のpHによる吸脱着を再開させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】錯体1に10mMの水酸化ナトリウム水溶液を滴下したときのpHのプロットである。
【図2】25℃の水中(pH11)における錯体2(120μM)と窒素ガス(0.1MPa)との反応についてのUV−visスペクトルの変化を示す図であり、(a)は錯体2と窒素ガスとの反応前、(b)は錯体2と窒素ガスとの反応後を示す。
【図3】KBrディスクとしての[4](PF6)のIRスペクトルである。
【図4】(a)はメタノール中における[4](PF6)のESI−MSスペクトルであり、(b)は[4]+に対応するm/z 403.2におけるシグナルであり、(c)は[4]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【図5】D2O中における[4](PF6)の1H NMRスペクトルである。
【図6】50%の確率において楕円を有する[4](PF6)のORTEP図である。
【図7】(a)は25℃の水中におけるN2(0.1Pa)下での錯体4(100μM)のpH依存UV−visスペクトルであり、(b)はpHに対する吸光度(235nm)のプロットである。
【図8】25℃の水中における錯体4(60mM)のpH依存React−IRスペクトルである。
【図9】25℃における、窒素雰囲気下(0.1MPa)での水中における錯体2(b)及び錯体4(a及びc)のUV−visスペクトルである。
【図10】25℃における、窒素雰囲気下(0.1MPa)での水中における錯体1、錯体4および錯体5のUV−visスペクトルである。
【図11】固体状態の錯体5、および25℃の水中における錯体5(60mM)の各pHにおけるReact−IRスペクトルである。
【図12】30%の確率において楕円を有する[5](BF4)のORTEP図である。
【図13】(a)は[5](PF6)の光照射前のESI−MSスペクトルであり、(b)は[5]+に対応するm/z 405.3におけるシグナルであり、(c)は[5]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【図14】(a)は[5](PF6)の光照射後のESI−MSスペクトルであり、(b)は[5]+に対応するm/z 403.3におけるシグナルであり、(c)は[5]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明は、[RuIIICl2(TMC)]Cl(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を出発原料として、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体:[RuII(OH)(H2O)(TMC)](X)を合成するものである。
【0028】
【化6】
【0029】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0030】
前駆体である[RuIIICl2(TMC)]Cl及び第1の反応化合物である下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体:[RuII(H2O)2(TMC)](X)2{以下、「[1](X)2」ともいう}は、既存の方法を用いて製造することができる。既存の方法としては、Inorganic Chemistry 1985, 24, P1601-1602やInorganic Chemistry 1985, 24, 1797-1800に記載の方法などがある。
【0031】
【化7】
【0032】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0033】
錯体1である[RuII(H2O)2(TMC)]2+の電気化学的合成は既に報告されているが、錯体1の詳細な特性はいまだに報告されていない。[1](X)2は、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガス雰囲気下で、[RuIIICl2(TMC)]Clの水溶液に硝酸銀を加え、ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液に削り屑状マグネシウムを加えて懸濁液を48〜120時間攪拌し、ろ過により沈殿物を取り除いたろ液のpH値をpH1〜5、好ましくはpH2〜3に調整し、その後、六フッ化リン酸カリウム、四フッ化ホウ酸ナトリウム、三フッ化メタンスルホン酸ナトリウム、六フッ化アンチモン酸ナトリウム、四フェニルホウ酸ナトリウム、硫酸ナトリウム、または硝酸ナトリウムの1種以上を加えて合成することができる。尚、前記不活性ガスは1種を単独でまたは2種以上を混合して用いてもよい。
【0034】
前記[1](X)2を溶解した溶液は、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガスのうちの1種以上のガス雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜10、好ましくはpH6〜8、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱プロトン化が行われ、第2の反応化合物であり上記式(I)で表される本発明のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体:[RuII(OH)(H2O)(TMC)](X){以下、「[2](X)」ともいう}が合成される。この工程における錯体1の反応は、具体的には下記式(A)となる。
【0035】
【化8】
【0036】
そして、前記[2](X)を溶解した溶液は、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下、溶液中のpH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱プロトン化が起こり、第3の反応化合物である下記式(III)に示したルテニウム(II)ジヒドロキソ(TMC)錯体:[RuII(OH)2(TMC)]{以下、「[3]」ともいう}を経由して、容易に水酸基と窒素との置換反応を起こし、窒素が吸着して、第4の反応化合物である下記式(IV)に示したルテニウム(II)ヒドロキソ二窒素(TMC)錯体:[RuII(OH)(TMC)(η1−N2)](X){以下、「[4](X)」ともいう}が合成される。
【0037】
【化9】
【0038】
式(IV)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す。
【0039】
この工程における錯体2の反応は、具体的には下記式(B)となる。
【0040】
【化10】
【0041】
本発明において、前記[4](X)は、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜8,好ましくはpH6〜7、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱窒素の反応が起こり、水分子が吸着して、前記[2](X)が合成される。
【0042】
つまり、前記[2](X)と[4](X)は、その錯体2および錯体4が下記式(C)に示すような平衡状態となるものであり、pHを制御することにより、溶液中で連続的に窒素を吸脱着することができる。
【0043】
【化11】
【0044】
中心に位置するルテニウム(II)(RuII)への窒素の可逆的配位は錯体2と錯体4とともにpHに依存しており、酸性−中性媒体(pH2〜7)中において、錯体2は窒素と反応することができず、塩基性媒体(pH10〜14)中において、錯体2は錯体3となり速やかに窒素と反応して窒素錯体4を形成する。この反応サイクルは、pH勾配を用いることにより繰り返すことができる。
【0045】
また、本発明において、不活性ガス雰囲気下において[4](X)の脱窒素を行うこともできる。[4](X)が溶解した溶液を、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガスのうちの1種以上のガス雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜8、好ましくはpH6〜7、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱窒素反応が起こり、[2](X)が合成される。
【0046】
また、本発明において、前記[4](X)は、フッ化物と反応させることで、その窒素の吸着状態を保持させることができる。
前記[4](X)を溶解した溶液を、pH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液の温度を0〜100℃、好ましくは25℃に調整した状態で、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下で、フッ化物と反応させる。このフッ化物としては、例えば、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NF等が挙げられ、少なくとも1種を使用すればよく、中でも、NaFを用いることが好ましい。
【0047】
前記[4](X)をフッ化物と反応させると、ルテニウム(II)に配位していた水酸基がフッ素原子(F)に置換され、第5の反応物である下記式(V)に示したルテニウム(II)フルオロ窒素(TMC)錯体:[RuII(F-)(TMC)(N2)](X){以下[5](X)とも言う}が合成される。
【0048】
【化12】
【0049】
式(V)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す。
【0050】
前記[5](X)は、酸性領域から塩基性領域の範囲(pH2〜14)において、吸着した窒素を脱着させることなく安定して保持した状態で存在することができる。従って、溶液の全pH領域で窒素の濃度をセンシングした結果を保持することができる。
【0051】
そして、錯体[4](X)の水酸基がフッ素原子に置換されたルテニウム錯体は、カルシウム塩の存在下で光照射することで、窒素を外す、すなわち窒素の保持状態を解除することができる。
ルテニウム(II)に配位していた水酸基がフッ素原子に置換された水溶性フッ素原子配位窒素錯体が溶解した溶液のpH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液温度を0〜100℃、好ましくは20〜70℃に調整した状態でカルシウム塩を加え、光を照射する。前記カルシウム塩としては、例えば、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種を溶解した水溶液を用いることができ、好ましくはCaSO4の水溶液を用いる。光照射の光源は、自然光でも人工光源でもよいが、反応させる装置にあわせて適宜選択すればよく、例えば、ハロゲンランプ、キセノンランプ等を用いることができる。溶液中のカルシウム塩の濃度が0.00001〜10質量%、好ましくは0.001〜1質量%程度となるようにカルシウム塩を添加し、光を照射すると、フッ素原子(F)がカルシウムイオン(Ca2+)と反応してフッ化カルシウム(CaF2)が生成し、一方で、錯体[4](X)が再形成される。
【0052】
例えば、前記[5](X)が溶解した溶液に、pH11でCaSO4の存在下でハロゲンランプにより光を照射すると、フッ素原子がカルシウムイオンと反応してフッ化カルシウムが生成し、[4](X)が再形成される。錯体[4](X)と錯体[5](X)の工程は、具体的には、下記式(D)に示すような反応である。また、ここで再形成した錯体[4](X)は、上記式(C)に示されたpHに依存した窒素の吸脱着反応を行うことができる。
【0053】
【化13】
【実施例】
【0054】
以下、実施例により本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれらの例によってなんら制限されるものではない。
【0055】
<材料及び方法>
全ての実験は、標準的なシュレンク(Schlenk)技術及びグローブボックスを用いることにより窒素(N2)又はアルゴン(Ar)雰囲気下で実施した。[RuIIICl2(TMC)]Cl(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)及び[RuII(H2O)2(TMC)]2+{[1]}を、それぞれInorganic Chemistry 1985, 24, P1601-1602及びInorganic Chemistry 1985, 24, 1797-1800に開示された方法により製造した。
【0056】
<質量分析>
エレクトロスプレイイオン化質量分析(ESI−MS)のデータは、JMS−T100LC Accu TOF(商品名) 質量分析装置(日本電子株式会社製)により得た。KBrディスク中の固体化合物のIRスペクトルは、2cm−1の標準解像度を用いて、Nicolet 6700(商品名) FT−IR装置(サーモサイエンティフィック社製)により650〜4000cm−1を記録し、水溶液のIRスペクトルを、ATR TerminatIR(商品名)(スミスディテクション社製)により得た。UV−可視スペクトルは、V−670(型番) UV Visible−NIR分光光度計(日本分光株式会社製)により記録した。JEOL JNM−AL300分光計(日本電子株式会社製)を用い、20℃における1H NMRスペクトルを測定した。D2O中の1H NMR測定は、D2Oに溶解した3−(トリメチルシリル)プロピオン−2,2,3,3,−d4酸ナトリウム(TSP、0.00ppmで設定したプロトン共鳴による参照として)(10mM)を含む密閉型キャピラリーチューブ(1.5mm)を備えたNMRチューブ(直径=5.0mm)にサンプルを溶解することによって行った。GC−MS(ガスクロマトグラフ質量分析)は、SHIMADSU GCMS−QP 5050(株式会社島津製作所製)を用いて測定した。
【0057】
<pH測定>
pH2〜14において、溶液のpH値を、pH結合電極(東亜ディーケーケ株式会社製GC−5015C(商品名))を備えたpHメーター(東亜ディーケーケ株式会社製HM−18E(商品名))により測定した。溶液のpHは、2M H2SO4/H2O(pH2〜4)、0.01M H2SO4/H2O又は0.01M NaOH/H2O(pH4〜10)、及び4M NaOH/H2O(pH 10〜13)の溶液を用いて調整した。
【0058】
<X線結晶学的解析>
[RuII(OH)(η1−N2)(TMC)](PF6){[4](PF6)}についての結晶学的データを測定した。測定は、グラファイト単色Mo Kα照射(λ=0.7107Å)を用いたRigaku/MSC水銀CCD回折計により実施した。データを収集し、Molecular Structure CorporationのteXsan結晶学的ソフトウェアパッケージを用いて処理した。
【0059】
<[RuII(H2O)2(TMC)](PF6)2{[1](PF6)2}の合成>
(1−1)
アルゴン雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.120g,0.259mmol)の水溶液(5mL)に硝酸銀(0.223g,1.31mmol)を加え、懸濁液を30分間撹拌した。ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液に削り屑状マグネシウム(0.125g,5.13mmol)を加え、懸濁液を48時間攪拌した。ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液のpHを2M H2SO4/H2Oを用いてpH2に調整し、六フッ化リン酸カリウム(0.202g,1.10mmol)の飽和水溶液(2.6mL)を、得られた溶液に加えた。アルゴン雰囲気下でろ過により沈殿物を回収し、[1](PF6)2の粗生成物を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として11%)。
FT−IR(cm−1、KBrディスクとして):3415,1640,1472,1300,1140,838,760。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH2における水中):λmax/nm:226(sh、ε=4200cm−1M−1)。
【0060】
<[RuII(OH)(H2O)(TMC)](PF6){[2](PF6)}の合成>
(2−1)
錯体[1](PF6)2(2.4mg,3.5μmol)を水に溶解し、得られた溶液のpHを、アルゴン雰囲気下で、1mM NaOH/H2Oを用いてpH7に調整した。水溶媒を除去し、[2](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した(収率:[1](PF6)2を基準として98%)。ESI−MS(メタノール中):m/z 375.1([2−H2O]2+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3700,3448,1637,1135,836。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH6.8における水中):λmax/nm:220(sh、ε=4000cm−1M−1)。
【0061】
<[RuII(OH)(η1−N2)(TMC)](PF6){[4](PF6)}の合成>
(3−1)
錯体[2](PF6)(48mg,89.3μmol)を、アルゴン雰囲気下で、0.1M NaOH/H2Oを用いてpH11に調整した。25℃で10分間、窒素を溶液に吹き込んだ。溶媒を除去し、[4](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した{収率:[2](PF6)を基準にして98%}。
(3−2)
窒素雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.722g,1.56mmol)の水溶液(5mL)に、削り屑状マグネシウム(0.300g,12.3mmol)を加え、懸濁液を18時間撹拌した。ろ過した後、1M NaOH/H2Oをろ液に50μL加え、混合物を18時間撹拌した。ろ過により沈殿物を除去した後、六フッ化リン酸カリウム(0.497g,1.09mmol)の飽和水溶液(2.7mL)をろ液に加えた。水溶液を濃縮した。残渣をジクロロメタン(3mL)に溶解し、不溶解物をろ別した後,ジエチルエーテル(3mL)で再結晶させ、[4](PF6)の黄色の固体を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として61%)。ジエチルエーテルにより拡散された水およびメタノールの溶液からの[4](PF6)の再結晶により、淡黄色の針状結晶を得た。これはX線解析に適していた。
ESI−MS(メタノール中):m/z 403.2([4]+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)、375.2([4−N2]2+;I=m/z 100−2000の範囲で66%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3640,2900,2050(N≡N),1467,993,840。UV−vis(pH10における水中):λmax/nm:235(ε=12500cm−1M−1)。1H NMR(窒素雰囲気下のpD11におけるNaOD/D2O中):δ2.76(s,12H,N−CH3),δ1.68−4.14(m,20H,−CH2−)。
【0062】
<[RuII(F−)(η1−N2)(TMC)](PF6){[5](PF6)}の合成>
窒素雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.563g,1.21mmol)の水溶液(5mL)に、亜鉛粉末(1.08g,16.6mmol)を加え、懸濁液を18時間撹拌した。ろ過した後、1M NaOH/H2Oをろ液に500μL加え、混合物を18時間撹拌した。ろ過により沈殿物を除去した後、フッ化ナトリウム(0.165g,3.92mmol)を加え18時間撹拌した。得られた反応液に六フッ化ナトリウム(250mg,1.49mmol)水溶液(0.50mL)を加えた。ろ過により沈殿物を回収し[5](PF6)の黄色の固体を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として53%)。X線結晶構造解析に適した単結晶を得るために、NaBF4を含む水溶液から[5](BF4)を再結晶させて単結晶を得た。
ESI−MS(メタノール中):m/z 405.2([5]+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):2926,2062(N≡N),1617,1466,1062,967,836。UV−vis(pH7における水中):λmax/nm:228(ε=9300cm−1 M−1)。1H NMR(窒素雰囲気下のpD11におけるNaOD/D2O中):δ2.75(s,12H,N−CH3),δ1.68−3.84(m,20H,−CH2−)。
【0063】
<[5](PF6)の脱フッ素>
錯体[5](PF6)(0.168mg、0.300μmol)を窒素雰囲気下で0.1mM NaOH/H2Oを用いてpH11に調整した後、水3.00mgに溶解し、0.1mMの水溶液とした。これにCaSO4を0.123mg加え、ハロゲンライト(株式会社山善製)を25℃、窒素雰囲気下で6時間照射するとCaF2と錯体[4](PF6)が生成した。錯体[4](PF6)の生成はESI−MSとUV−visで確認した。結果を図10および図14に示す。
【0064】
<[4](PF6)の脱窒素>
(4−1)
錯体[4](PF6)(11mg,20μm)を水(1mL)に溶解し、得られた溶液のpHを、アルゴン雰囲気下で、2M H2SO4/H2Oを用いてpH3に調整した。アルゴンを溶液に1時間通気した後、溶液のpHを、4M NaOH/H2Oを用いてpH6.5に調整した。溶液を濃縮し、[2](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した(収率:[4](PF6)を基準として95%)。ESI−MS(メタノール中):m/z 375.1([2−H2O]2+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3700,3450,2930,1637,1473,1135,1117,836。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH6.8における水中):λmax/nm(ε/M−1cm−1):220(sh,4000),309(sh,720)。
【0065】
以下、水中での[1](PF6)2の錯体1、[2](PF6)の錯体2、および[4](PF6)の錯体4の反応を測定した。
【0066】
<水中での[1](PF6)2の脱プロトン化>
[1](PF6)2は、アルゴン雰囲気下、水中で可逆的に脱プロトン化され、[2](PF6)を形成した。この工程の錯体1の反応を下記式(A)に示す。滴定実験により錯体1のpKa値が5.3であることがわかった(図1)。
【0067】
【化14】
【0068】
<pH10〜14での塩基性媒体中における[4](PF6)の合成及び特性>
[2](PF6)水溶液に水酸化ナトリウムを加えpH11としてから、0.1MPaの窒素ガスとの、25℃における水中における10分間の反応から水溶性窒素錯体[4](PF6)を合成した。この工程の錯体2の反応を下記式(B)に示す。図2に示すように、錯体4の形成をUV−visスペクトルの変化により測定した。錯体4のUV−visスペクトルは、Ru(II)から窒素への荷電移動遷移に帰属される、235nmにおける独特のバンド(ε=12500cm−1 M−1)を示す。錯体[4](PF6)を、IR、ESI−MS、1H NMR及びX線解析により同定した。
【0069】
【化15】
【0070】
図3は、[4](PF6)のKBrディスクとしての4000〜650cm−1の範囲におけるIRスペクトルを示す。2050cm−1におけるピークは、N−N結合の減退を示すν(N≡N)に帰属される。[4](PF6)水溶液のIRスペクトルにおいて、ν(N≡N)は、固体試料に観察されるのと同様の2062cm−1に観察される。
【0071】
図4(a)は、メタノール中における[4](PF6)の陽イオンESI質量スペクトルを示す。m/z 375.2においてダガー(短剣符)で示したシグナルは、[4−N2]+に一致する。m/z 403.2における顕著なシグナル{m/z 100−2000の範囲で相対強度(I)=100%}は、錯体4についての計算された同位体分布(図4(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図4(b))。
【0072】
図5は、D2O中における錯体4の1H NMRスペクトルを示す。2.76ppmにおけるシグナルは錯体4のTMCのメチルプロトンに対応している。
【0073】
<[4](PF6)の結晶構造>
X線解析に用いた[4](PF6)の黄色の結晶は、水/メタノール/ジエチルエーテルの混合溶媒から得た。[4](PF6)の結晶データ、データ収集パラメータ及び構造精密化を表1に示す。また、[4](PF6)の結晶のX線構造解析を行い、その構造を示すORTEP(Oak Ridge Ellipsoid Plot)図を作成した。図6に作成したORTEP図を示す。図6中、TMCのカウンターアニオン(PF6)及び水素原子は、図を明瞭にするために除外した。選択された原子間距離(l/Å)及び角度(φ/度):Rul−N1=1.884(4)、N1−N2=1.128(6)、Rul−O1=2.072(3)、Rul−N3−6=平均2.145(4)、Rul−N1−N2=177.2(5)、O1−Rul−N2=176.6(1)である。
錯体4は、1個のTMC、1個の水酸基及び1個の二窒素リガンドにより囲まれている、ゆがんだ正八面体配位を呈する。二窒素リガンドは、1.884Åの結合長のRu−N(1)を用いた様式で配位される。N(1)−N(2)の距離はわずかに伸びる(N−N=1.128Å:フリーのN2中のN−N=1.098Å)。更に、N(1)−N(2)結合長(1.128Å)は、[RuII(X)(N2)Cl]PF6{1.005Å、X=1,5,9,13−テトラメチル−1,5,9,13−テトラアザシクロヘキサデカン}中のものよりも顕著に長い。
【0074】
【表1】
【0075】
<水中での[4](PF6)の挙動>
錯体4は、窒素雰囲気下でさえも、pH5〜8における酸性−中性媒体中で、窒素を放出してアクア錯体2を形成し(式(C))、これはUV−vis(図7)及びReact−IRスペクトル(図8)により測定された。窒素の発生は、GC−MS分析により確認した。
【0076】
【化16】
【0077】
図9に例示したように、水中で錯体2と錯体4との可逆的変換が観察され、窒素雰囲気下、H2SO4の添加による、錯体4(図9中のスペクトルa)の溶液のpH11から2へのpHの変化は錯体2(図9中のスペクトルb)を発生させ、窒素雰囲気下、NaOHの添加による、錯体2の溶液のpH2から11へのpHの変化は、錯体4(図9中のスペクトルc)を形成することがわかった。11及び2の間のpH勾配を用いることにより、この反応サイクルを少なくとも5回繰り返し可能であることが確認された。これは、溶液のpHに依存するM−N2(M=金属イオン)結合の可逆的な解離及び再構成の最初の例である。
【0078】
<pH10〜14での塩基性媒体中における[5](PF6)の合成および水中での挙動>
pH11に調整した[4](PF6)水溶液(0.1mM)に、窒素雰囲気下25℃でNaF(0.1mM)を加えて反応させることで、水溶性フッ素配位窒素錯体[5](PF6)を合成した。この工程の錯体4の反応を下記式(D)に示す。錯体[5](PF6)を、IR、ESI−MS、及びUV−visスペクトルにより同定した。
【0079】
【化17】
【0080】
図10に示すように、錯体5と錯体4のpHによる構造変化をUV−visスペクトルの変化により測定した。錯体5のUV−visスペクトル(図10中の5)は、Ru(II)から窒素への電荷移動遷移に帰属される、228nmにおける特徴的なバンドを示す。このスペクトルはpH2〜14の範囲で変化しない。一方、錯体4のスペクトル(図10中の4)は塩基性領域(pH10〜14)では窒素吸着状態を維持するが、中性から酸性領域(pH10〜2)では脱窒素が起こり、錯体1(図10中の1)に変化することが確認された。
【0081】
図11中の(a)は、[5](PF6)のKBrディスクとしての2200〜1800cm−1の範囲におけるIRスペクトルを示す。2064cm−1におけるピークは、N−N結合の減退を示すν(N≡N)に帰属される。この波数は錯体に結合していない自由な窒素分子のν(N≡N)(2331cm−1)より低波数であり、窒素原子間の結合が錯体に配位することで弱くなっていることを示す。
図11中の(b)にpHが塩基性領域(12.0)における[5](PF6)水溶液のIRスペクトルを示す。この領域において、ν(N≡N)は、固体試料に観察されるのと同様の2069cm−1に観察される。また、この領域での錯体[4](PF6)のν(N≡N)は、2062cm−1であり波数に差はない。このことは、塩基性領域ではF−配位子が窒素分子に与える電子的な影響は、OH−とほとんど変わらないことを示している。しかし、中性領域(pH7.0)から酸性領域(pH2.0)でのそれぞれのスペクトル(c)、(d)でも2069cm−1にピークが観測され、これはこのpH領域でも窒素が錯体に吸着していることを示している。従って、錯体[5](PF6)は酸性から塩基性の広範囲なpH領域で安定に存在できることを示している。
【0082】
<[5](BF4)の結晶構造>
X線解析に用いた[5](BF4)の単結晶は、NaBF4を含む水溶液から得た。[5](BF4)の結晶データ、データ収集パラメータ及び構造精密化を表2に示す。また、[5](BF4)の結晶のX線構造解析を行い、その構造を示すORTEP(Oak Ridge Ellipsoid Plot)図を作成した。図12に作成したORTEP図を示す。図12中、TMCのカウンターアニオン(BF4)及び水素原子は、図を明瞭にするために除外した。選択された原子間距離(l/Å)及び角度(φ/度):Rul−N3=1.847(5)、N3−N4=1.144(8)、Rul−F1=2.015(3)、Rul−N3−N4=176.3(5)である。
錯体5は、1個のTMC、1個のF−及び1個の窒素リガンドにより囲まれている、ゆがんだ正八面体配位を呈する。窒素リガンドは、1.847(5)Åの結合長のRu−N(3)を用いた様式で配位される。N(3)−N(4)の距離はわずかに伸びる(N−N=1.144(8):フリーのN2中のN−N=1.098Å)。これは、水溶性F−配位窒素錯体の最初の例である。
【0083】
【表2】
【0084】
<[5](PF6)の脱フッ素>
図13に、窒素雰囲気下、pH11に調整した塩基性媒体中でのCaSO4と錯体[5]の混合物に25℃でハロゲンライトにより6時間光照射したときのESI−MSを示す。(a)は錯体5の光照射前のスペクトルである。m/z 405.3における顕著なシグナル{m/z 100−2000の範囲で相対強度(I)=100%}は錯体5についての計算された同位体分布(図13(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図13(b))。図14(a)は錯体5の光照射後のシグナルであって、シグナルはm/z405.3から403.3に変化するのがわかる。このシグナルは錯体4についての計算された同位体分布(図14(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図13(b))。
【産業上の利用可能性】
【0085】
本発明により、水溶液相に溶解した窒素センサーとして連続的に働くことが可能なRuII錯体を合成することができるので、水溶液相に溶解した窒素濃度の検出器などに使用できる。
【技術分野】
【0001】
本発明は、窒素ガスを配位子として可逆的に吸脱着するルテニウム錯体、および水中においてpH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
水溶液中に溶解した窒素(N2)レベル(窒素の濃度)を検出できる窒素センサーが理工学の多くの分野で必要とされている(非特許文献1〜2)。
例えば、環境調査において、溶解した窒素レベルは、気候変動問題に直接関係するガス交換速度、或いは青粉に影響を与えるとともに生態環境に関係する窒素取り込み速度についての情報を提供することができる。また、半導体製造において、脱イオン水に溶解した窒素レベルがメガソニック洗浄工程(この工程は、ウェハー洗浄における超音波洗浄工程である。)の効率に直接的に影響することから、溶解した窒素の濃度を測定することは重要である。
【0003】
しかしながら、現在まで、窒素センサーの設計には、半透膜技術が用いられている(非特許文献1)。これらのセンサーは、通常、薄膜を通してガスチャンバーへ流入する小さい気体分子の選択拡散に頼っており、実際の溶液相の窒素濃度を直接測定するのではなく、間接的な圧力検出方法によって測定している。さらに、サンプルスペースとガスチャンバーの間を平衡化する必要があるため、タイムラグが生じてしまう問題がある。
このようなことから、溶液相である比色指示薬を用いる窒素センサーの開発は、既存技術に対して著しい改善に貢献すると考えられ、特に窒素結合遷移金属錯体は、比色指示薬として理想的な候補化合物である。
【0004】
1965年以降、多くの窒素遷移金属錯体が発表されている(非特許文献3〜9)。その最初の錯体である[Ru(NH3)5N2]2+は、Allen及びSenoffにより1965年に報告され(非特許文献4)、その後、TaubeとKane−MaguireによってOsII、bis−N2、およびμ−N2錯体が追加された(非特許文献5〜7)。しかしながら、これらの化合物はすべて水中で極めて不安定であることがわかったため、有機溶媒中において、更なる研究が進められた(非特許文献3)。
しかしながら、1993年から、安定した水溶性の窒素錯体の合成が三級ポリアミン配位子の利用により可能となった。Takahashi及び共同研究者らは、安定した水溶性の窒素錯体として、trans−[Ru(OH)(L)(N2)]+とtrans−[Ru(OH2)(L)(N2)]2+(ここで、L=2,5,9,12−テトラメチル−2,5,9,12−テトラアザトリデカンである)を公表した(非特許文献8)。Che及び共同研究者らは、1996年に、関連性のある大環状ポリアミン配位子1,5,9,13−テトラメチル−1,5,9,13−テトラアザシクロヘキサデカンを公表した(非特許文献9)。
【0005】
しかしながら、これら後者の錯体は、その構成が溶液相において本質的には不可逆であり、窒素の存在下でRuIII錯体の還元により形成されるので、それらを窒素センサーとして使用するためには重要な制限がある。非特許文献8には、可逆的窒素結合と同時に起こるRuIIIの電気化学的還元が示されているが、そのような切り替えは電極表面で活性化できるだけである。従って、現在まで、水溶液相において溶解した窒素のセンサーとして連続的に働くことのできる錯体は報告されていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】T. M. Kana, C. Darkangelo, M. D. Hunt, J. B. Oldham, G. E. Bennett and J. C. Cornwell, Anal. Chem., 1994, 66, 4166-4170
【非特許文献2】B. A. Bryant, Environ. Sci. Technol., 2004, 38, 5729-5736
【非特許文献3】B. A. MacKay and M. D. Fryzuk, Chem. Rev., 2004, 104, 385-401
【非特許文献4】A. D. Allen and C. V. Senoff, Chem. Commun., 1965, 621-622
【非特許文献5】D. F. Harrison, E. Weissberger and H. Taube, Science, 1968, 159, 320-322
【非特許文献6】H. A. Scheidegger, J. N. Armor and H. Taube, J. Am. Chem. Soc., 1968, 90, 3263-3264
【非特許文献7】L. A. P. Kane-Maguire, P. S. Sheridan, F. Basolo and R. G. Pearson, J. Am. Chem. Soc., 1968, 90, 5295-5296
【非特許文献8】T. Takahashi, K. Hiratani and E. Kimura, Chem. Lett., 1993, 22, 1329-1332
【非特許文献9】W. Chiu, C. Che and T. C. W. Mak, Polyhedron, 1996, 24, 4421-4423
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
そこで、本発明は、水中で安定であるとともに、可逆的に窒素が結合するpH依存性の水溶性のルテニウム錯体を提供することを課題の一つとし、また、pH制御により窒素を可逆的に吸脱着する方法を提供することを課題の一つとする。さらに窒素を吸着した状態を保持可能にし、また保持した状態を解除する方法を提供することを課題の一つとする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは前記課題を解決すべく鋭意研究を重ねた結果、本発明を完成するに至った。
すなわち本発明は、以下の(1)〜(7)によって達成されるものである。
(1)下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)。
【0009】
【化1】
【0010】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0011】
(2)下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)の製造方法であって、
【0012】
【化2】
【0013】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を、不活性ガスの雰囲気下で、溶液のpH値をpH5〜10とすることにより、脱プロトン化することを特徴とする、ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体の製造方法。
【0014】
【化3】
【0015】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0016】
(3)窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを制御することによって前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に窒素を吸脱着する方法。
【0017】
【化4】
【0018】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0019】
(4)窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを塩基性領域にすることで窒素を吸着させた後、フッ化物と反応させることで前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【0020】
【化5】
【0021】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0022】
(5)前記フッ化物が、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NFから選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする前記(4)に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【0023】
(6)前記(4)又は(5)に記載の方法によりルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持し、その後、カルシウム塩の存在下で光照射することで窒素の保持状態を解除する方法。
【0024】
(7)前記カルシウム塩が、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする前記(6)に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の保持状態を解除する方法。
【発明の効果】
【0025】
本発明のルテニウム錯体は、溶液のpHの変化によって窒素を吸着及び脱着するため、溶液のpHを制御することにより容易に窒素を可逆的に吸脱着することができる。
また、窒素を吸着した錯体の配位子を置換することで、窒素のpHによる脱着を行わないようにすることができるので、窒素を吸着した状態を酸性から塩基性の領域(pH2〜14)で保持することができる。
さらにこの保持した状態から配位子を元に戻すことで、窒素のpHによる吸脱着を再開させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】錯体1に10mMの水酸化ナトリウム水溶液を滴下したときのpHのプロットである。
【図2】25℃の水中(pH11)における錯体2(120μM)と窒素ガス(0.1MPa)との反応についてのUV−visスペクトルの変化を示す図であり、(a)は錯体2と窒素ガスとの反応前、(b)は錯体2と窒素ガスとの反応後を示す。
【図3】KBrディスクとしての[4](PF6)のIRスペクトルである。
【図4】(a)はメタノール中における[4](PF6)のESI−MSスペクトルであり、(b)は[4]+に対応するm/z 403.2におけるシグナルであり、(c)は[4]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【図5】D2O中における[4](PF6)の1H NMRスペクトルである。
【図6】50%の確率において楕円を有する[4](PF6)のORTEP図である。
【図7】(a)は25℃の水中におけるN2(0.1Pa)下での錯体4(100μM)のpH依存UV−visスペクトルであり、(b)はpHに対する吸光度(235nm)のプロットである。
【図8】25℃の水中における錯体4(60mM)のpH依存React−IRスペクトルである。
【図9】25℃における、窒素雰囲気下(0.1MPa)での水中における錯体2(b)及び錯体4(a及びc)のUV−visスペクトルである。
【図10】25℃における、窒素雰囲気下(0.1MPa)での水中における錯体1、錯体4および錯体5のUV−visスペクトルである。
【図11】固体状態の錯体5、および25℃の水中における錯体5(60mM)の各pHにおけるReact−IRスペクトルである。
【図12】30%の確率において楕円を有する[5](BF4)のORTEP図である。
【図13】(a)は[5](PF6)の光照射前のESI−MSスペクトルであり、(b)は[5]+に対応するm/z 405.3におけるシグナルであり、(c)は[5]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【図14】(a)は[5](PF6)の光照射後のESI−MSスペクトルであり、(b)は[5]+に対応するm/z 403.3におけるシグナルであり、(c)は[5]+についての計算された同位体分布を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明は、[RuIIICl2(TMC)]Cl(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を出発原料として、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体:[RuII(OH)(H2O)(TMC)](X)を合成するものである。
【0028】
【化6】
【0029】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0030】
前駆体である[RuIIICl2(TMC)]Cl及び第1の反応化合物である下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体:[RuII(H2O)2(TMC)](X)2{以下、「[1](X)2」ともいう}は、既存の方法を用いて製造することができる。既存の方法としては、Inorganic Chemistry 1985, 24, P1601-1602やInorganic Chemistry 1985, 24, 1797-1800に記載の方法などがある。
【0031】
【化7】
【0032】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【0033】
錯体1である[RuII(H2O)2(TMC)]2+の電気化学的合成は既に報告されているが、錯体1の詳細な特性はいまだに報告されていない。[1](X)2は、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガス雰囲気下で、[RuIIICl2(TMC)]Clの水溶液に硝酸銀を加え、ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液に削り屑状マグネシウムを加えて懸濁液を48〜120時間攪拌し、ろ過により沈殿物を取り除いたろ液のpH値をpH1〜5、好ましくはpH2〜3に調整し、その後、六フッ化リン酸カリウム、四フッ化ホウ酸ナトリウム、三フッ化メタンスルホン酸ナトリウム、六フッ化アンチモン酸ナトリウム、四フェニルホウ酸ナトリウム、硫酸ナトリウム、または硝酸ナトリウムの1種以上を加えて合成することができる。尚、前記不活性ガスは1種を単独でまたは2種以上を混合して用いてもよい。
【0034】
前記[1](X)2を溶解した溶液は、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガスのうちの1種以上のガス雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜10、好ましくはpH6〜8、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱プロトン化が行われ、第2の反応化合物であり上記式(I)で表される本発明のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体:[RuII(OH)(H2O)(TMC)](X){以下、「[2](X)」ともいう}が合成される。この工程における錯体1の反応は、具体的には下記式(A)となる。
【0035】
【化8】
【0036】
そして、前記[2](X)を溶解した溶液は、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下、溶液中のpH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱プロトン化が起こり、第3の反応化合物である下記式(III)に示したルテニウム(II)ジヒドロキソ(TMC)錯体:[RuII(OH)2(TMC)]{以下、「[3]」ともいう}を経由して、容易に水酸基と窒素との置換反応を起こし、窒素が吸着して、第4の反応化合物である下記式(IV)に示したルテニウム(II)ヒドロキソ二窒素(TMC)錯体:[RuII(OH)(TMC)(η1−N2)](X){以下、「[4](X)」ともいう}が合成される。
【0037】
【化9】
【0038】
式(IV)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す。
【0039】
この工程における錯体2の反応は、具体的には下記式(B)となる。
【0040】
【化10】
【0041】
本発明において、前記[4](X)は、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜8,好ましくはpH6〜7、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱窒素の反応が起こり、水分子が吸着して、前記[2](X)が合成される。
【0042】
つまり、前記[2](X)と[4](X)は、その錯体2および錯体4が下記式(C)に示すような平衡状態となるものであり、pHを制御することにより、溶液中で連続的に窒素を吸脱着することができる。
【0043】
【化11】
【0044】
中心に位置するルテニウム(II)(RuII)への窒素の可逆的配位は錯体2と錯体4とともにpHに依存しており、酸性−中性媒体(pH2〜7)中において、錯体2は窒素と反応することができず、塩基性媒体(pH10〜14)中において、錯体2は錯体3となり速やかに窒素と反応して窒素錯体4を形成する。この反応サイクルは、pH勾配を用いることにより繰り返すことができる。
【0045】
また、本発明において、不活性ガス雰囲気下において[4](X)の脱窒素を行うこともできる。[4](X)が溶解した溶液を、アルゴン、ヘリウム、キセノンなどの不活性ガスのうちの1種以上のガス雰囲気下で、溶液中のpH値をpH5〜8、好ましくはpH6〜7、溶液の温度を4〜50℃、好ましくは20℃に調整することにより、脱窒素反応が起こり、[2](X)が合成される。
【0046】
また、本発明において、前記[4](X)は、フッ化物と反応させることで、その窒素の吸着状態を保持させることができる。
前記[4](X)を溶解した溶液を、pH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液の温度を0〜100℃、好ましくは25℃に調整した状態で、窒素、または窒素を含む混合ガスの雰囲気下で、フッ化物と反応させる。このフッ化物としては、例えば、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NF等が挙げられ、少なくとも1種を使用すればよく、中でも、NaFを用いることが好ましい。
【0047】
前記[4](X)をフッ化物と反応させると、ルテニウム(II)に配位していた水酸基がフッ素原子(F)に置換され、第5の反応物である下記式(V)に示したルテニウム(II)フルオロ窒素(TMC)錯体:[RuII(F-)(TMC)(N2)](X){以下[5](X)とも言う}が合成される。
【0048】
【化12】
【0049】
式(V)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す。
【0050】
前記[5](X)は、酸性領域から塩基性領域の範囲(pH2〜14)において、吸着した窒素を脱着させることなく安定して保持した状態で存在することができる。従って、溶液の全pH領域で窒素の濃度をセンシングした結果を保持することができる。
【0051】
そして、錯体[4](X)の水酸基がフッ素原子に置換されたルテニウム錯体は、カルシウム塩の存在下で光照射することで、窒素を外す、すなわち窒素の保持状態を解除することができる。
ルテニウム(II)に配位していた水酸基がフッ素原子に置換された水溶性フッ素原子配位窒素錯体が溶解した溶液のpH値をpH10〜14、好ましくはpH11〜13、溶液温度を0〜100℃、好ましくは20〜70℃に調整した状態でカルシウム塩を加え、光を照射する。前記カルシウム塩としては、例えば、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種を溶解した水溶液を用いることができ、好ましくはCaSO4の水溶液を用いる。光照射の光源は、自然光でも人工光源でもよいが、反応させる装置にあわせて適宜選択すればよく、例えば、ハロゲンランプ、キセノンランプ等を用いることができる。溶液中のカルシウム塩の濃度が0.00001〜10質量%、好ましくは0.001〜1質量%程度となるようにカルシウム塩を添加し、光を照射すると、フッ素原子(F)がカルシウムイオン(Ca2+)と反応してフッ化カルシウム(CaF2)が生成し、一方で、錯体[4](X)が再形成される。
【0052】
例えば、前記[5](X)が溶解した溶液に、pH11でCaSO4の存在下でハロゲンランプにより光を照射すると、フッ素原子がカルシウムイオンと反応してフッ化カルシウムが生成し、[4](X)が再形成される。錯体[4](X)と錯体[5](X)の工程は、具体的には、下記式(D)に示すような反応である。また、ここで再形成した錯体[4](X)は、上記式(C)に示されたpHに依存した窒素の吸脱着反応を行うことができる。
【0053】
【化13】
【実施例】
【0054】
以下、実施例により本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれらの例によってなんら制限されるものではない。
【0055】
<材料及び方法>
全ての実験は、標準的なシュレンク(Schlenk)技術及びグローブボックスを用いることにより窒素(N2)又はアルゴン(Ar)雰囲気下で実施した。[RuIIICl2(TMC)]Cl(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)及び[RuII(H2O)2(TMC)]2+{[1]}を、それぞれInorganic Chemistry 1985, 24, P1601-1602及びInorganic Chemistry 1985, 24, 1797-1800に開示された方法により製造した。
【0056】
<質量分析>
エレクトロスプレイイオン化質量分析(ESI−MS)のデータは、JMS−T100LC Accu TOF(商品名) 質量分析装置(日本電子株式会社製)により得た。KBrディスク中の固体化合物のIRスペクトルは、2cm−1の標準解像度を用いて、Nicolet 6700(商品名) FT−IR装置(サーモサイエンティフィック社製)により650〜4000cm−1を記録し、水溶液のIRスペクトルを、ATR TerminatIR(商品名)(スミスディテクション社製)により得た。UV−可視スペクトルは、V−670(型番) UV Visible−NIR分光光度計(日本分光株式会社製)により記録した。JEOL JNM−AL300分光計(日本電子株式会社製)を用い、20℃における1H NMRスペクトルを測定した。D2O中の1H NMR測定は、D2Oに溶解した3−(トリメチルシリル)プロピオン−2,2,3,3,−d4酸ナトリウム(TSP、0.00ppmで設定したプロトン共鳴による参照として)(10mM)を含む密閉型キャピラリーチューブ(1.5mm)を備えたNMRチューブ(直径=5.0mm)にサンプルを溶解することによって行った。GC−MS(ガスクロマトグラフ質量分析)は、SHIMADSU GCMS−QP 5050(株式会社島津製作所製)を用いて測定した。
【0057】
<pH測定>
pH2〜14において、溶液のpH値を、pH結合電極(東亜ディーケーケ株式会社製GC−5015C(商品名))を備えたpHメーター(東亜ディーケーケ株式会社製HM−18E(商品名))により測定した。溶液のpHは、2M H2SO4/H2O(pH2〜4)、0.01M H2SO4/H2O又は0.01M NaOH/H2O(pH4〜10)、及び4M NaOH/H2O(pH 10〜13)の溶液を用いて調整した。
【0058】
<X線結晶学的解析>
[RuII(OH)(η1−N2)(TMC)](PF6){[4](PF6)}についての結晶学的データを測定した。測定は、グラファイト単色Mo Kα照射(λ=0.7107Å)を用いたRigaku/MSC水銀CCD回折計により実施した。データを収集し、Molecular Structure CorporationのteXsan結晶学的ソフトウェアパッケージを用いて処理した。
【0059】
<[RuII(H2O)2(TMC)](PF6)2{[1](PF6)2}の合成>
(1−1)
アルゴン雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.120g,0.259mmol)の水溶液(5mL)に硝酸銀(0.223g,1.31mmol)を加え、懸濁液を30分間撹拌した。ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液に削り屑状マグネシウム(0.125g,5.13mmol)を加え、懸濁液を48時間攪拌した。ろ過により沈殿物を取り除いた後、ろ液のpHを2M H2SO4/H2Oを用いてpH2に調整し、六フッ化リン酸カリウム(0.202g,1.10mmol)の飽和水溶液(2.6mL)を、得られた溶液に加えた。アルゴン雰囲気下でろ過により沈殿物を回収し、[1](PF6)2の粗生成物を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として11%)。
FT−IR(cm−1、KBrディスクとして):3415,1640,1472,1300,1140,838,760。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH2における水中):λmax/nm:226(sh、ε=4200cm−1M−1)。
【0060】
<[RuII(OH)(H2O)(TMC)](PF6){[2](PF6)}の合成>
(2−1)
錯体[1](PF6)2(2.4mg,3.5μmol)を水に溶解し、得られた溶液のpHを、アルゴン雰囲気下で、1mM NaOH/H2Oを用いてpH7に調整した。水溶媒を除去し、[2](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した(収率:[1](PF6)2を基準として98%)。ESI−MS(メタノール中):m/z 375.1([2−H2O]2+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3700,3448,1637,1135,836。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH6.8における水中):λmax/nm:220(sh、ε=4000cm−1M−1)。
【0061】
<[RuII(OH)(η1−N2)(TMC)](PF6){[4](PF6)}の合成>
(3−1)
錯体[2](PF6)(48mg,89.3μmol)を、アルゴン雰囲気下で、0.1M NaOH/H2Oを用いてpH11に調整した。25℃で10分間、窒素を溶液に吹き込んだ。溶媒を除去し、[4](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した{収率:[2](PF6)を基準にして98%}。
(3−2)
窒素雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.722g,1.56mmol)の水溶液(5mL)に、削り屑状マグネシウム(0.300g,12.3mmol)を加え、懸濁液を18時間撹拌した。ろ過した後、1M NaOH/H2Oをろ液に50μL加え、混合物を18時間撹拌した。ろ過により沈殿物を除去した後、六フッ化リン酸カリウム(0.497g,1.09mmol)の飽和水溶液(2.7mL)をろ液に加えた。水溶液を濃縮した。残渣をジクロロメタン(3mL)に溶解し、不溶解物をろ別した後,ジエチルエーテル(3mL)で再結晶させ、[4](PF6)の黄色の固体を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として61%)。ジエチルエーテルにより拡散された水およびメタノールの溶液からの[4](PF6)の再結晶により、淡黄色の針状結晶を得た。これはX線解析に適していた。
ESI−MS(メタノール中):m/z 403.2([4]+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)、375.2([4−N2]2+;I=m/z 100−2000の範囲で66%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3640,2900,2050(N≡N),1467,993,840。UV−vis(pH10における水中):λmax/nm:235(ε=12500cm−1M−1)。1H NMR(窒素雰囲気下のpD11におけるNaOD/D2O中):δ2.76(s,12H,N−CH3),δ1.68−4.14(m,20H,−CH2−)。
【0062】
<[RuII(F−)(η1−N2)(TMC)](PF6){[5](PF6)}の合成>
窒素雰囲気下、[RuIIICl2(TMC)]Cl(0.563g,1.21mmol)の水溶液(5mL)に、亜鉛粉末(1.08g,16.6mmol)を加え、懸濁液を18時間撹拌した。ろ過した後、1M NaOH/H2Oをろ液に500μL加え、混合物を18時間撹拌した。ろ過により沈殿物を除去した後、フッ化ナトリウム(0.165g,3.92mmol)を加え18時間撹拌した。得られた反応液に六フッ化ナトリウム(250mg,1.49mmol)水溶液(0.50mL)を加えた。ろ過により沈殿物を回収し[5](PF6)の黄色の固体を得た(収率:[RuIIICl2(TMC)]Clを基準として53%)。X線結晶構造解析に適した単結晶を得るために、NaBF4を含む水溶液から[5](BF4)を再結晶させて単結晶を得た。
ESI−MS(メタノール中):m/z 405.2([5]+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):2926,2062(N≡N),1617,1466,1062,967,836。UV−vis(pH7における水中):λmax/nm:228(ε=9300cm−1 M−1)。1H NMR(窒素雰囲気下のpD11におけるNaOD/D2O中):δ2.75(s,12H,N−CH3),δ1.68−3.84(m,20H,−CH2−)。
【0063】
<[5](PF6)の脱フッ素>
錯体[5](PF6)(0.168mg、0.300μmol)を窒素雰囲気下で0.1mM NaOH/H2Oを用いてpH11に調整した後、水3.00mgに溶解し、0.1mMの水溶液とした。これにCaSO4を0.123mg加え、ハロゲンライト(株式会社山善製)を25℃、窒素雰囲気下で6時間照射するとCaF2と錯体[4](PF6)が生成した。錯体[4](PF6)の生成はESI−MSとUV−visで確認した。結果を図10および図14に示す。
【0064】
<[4](PF6)の脱窒素>
(4−1)
錯体[4](PF6)(11mg,20μm)を水(1mL)に溶解し、得られた溶液のpHを、アルゴン雰囲気下で、2M H2SO4/H2Oを用いてpH3に調整した。アルゴンを溶液に1時間通気した後、溶液のpHを、4M NaOH/H2Oを用いてpH6.5に調整した。溶液を濃縮し、[2](PF6)の黄色の粉末を得た。粉末を集め、減圧下で乾燥した(収率:[4](PF6)を基準として95%)。ESI−MS(メタノール中):m/z 375.1([2−H2O]2+;相対強度(I)=m/z 100−2000の範囲で100%)。FT−IR(cm−1,KBrディスクとして):3700,3450,2930,1637,1473,1135,1117,836。UV−vis(アルゴン雰囲気下のpH6.8における水中):λmax/nm(ε/M−1cm−1):220(sh,4000),309(sh,720)。
【0065】
以下、水中での[1](PF6)2の錯体1、[2](PF6)の錯体2、および[4](PF6)の錯体4の反応を測定した。
【0066】
<水中での[1](PF6)2の脱プロトン化>
[1](PF6)2は、アルゴン雰囲気下、水中で可逆的に脱プロトン化され、[2](PF6)を形成した。この工程の錯体1の反応を下記式(A)に示す。滴定実験により錯体1のpKa値が5.3であることがわかった(図1)。
【0067】
【化14】
【0068】
<pH10〜14での塩基性媒体中における[4](PF6)の合成及び特性>
[2](PF6)水溶液に水酸化ナトリウムを加えpH11としてから、0.1MPaの窒素ガスとの、25℃における水中における10分間の反応から水溶性窒素錯体[4](PF6)を合成した。この工程の錯体2の反応を下記式(B)に示す。図2に示すように、錯体4の形成をUV−visスペクトルの変化により測定した。錯体4のUV−visスペクトルは、Ru(II)から窒素への荷電移動遷移に帰属される、235nmにおける独特のバンド(ε=12500cm−1 M−1)を示す。錯体[4](PF6)を、IR、ESI−MS、1H NMR及びX線解析により同定した。
【0069】
【化15】
【0070】
図3は、[4](PF6)のKBrディスクとしての4000〜650cm−1の範囲におけるIRスペクトルを示す。2050cm−1におけるピークは、N−N結合の減退を示すν(N≡N)に帰属される。[4](PF6)水溶液のIRスペクトルにおいて、ν(N≡N)は、固体試料に観察されるのと同様の2062cm−1に観察される。
【0071】
図4(a)は、メタノール中における[4](PF6)の陽イオンESI質量スペクトルを示す。m/z 375.2においてダガー(短剣符)で示したシグナルは、[4−N2]+に一致する。m/z 403.2における顕著なシグナル{m/z 100−2000の範囲で相対強度(I)=100%}は、錯体4についての計算された同位体分布(図4(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図4(b))。
【0072】
図5は、D2O中における錯体4の1H NMRスペクトルを示す。2.76ppmにおけるシグナルは錯体4のTMCのメチルプロトンに対応している。
【0073】
<[4](PF6)の結晶構造>
X線解析に用いた[4](PF6)の黄色の結晶は、水/メタノール/ジエチルエーテルの混合溶媒から得た。[4](PF6)の結晶データ、データ収集パラメータ及び構造精密化を表1に示す。また、[4](PF6)の結晶のX線構造解析を行い、その構造を示すORTEP(Oak Ridge Ellipsoid Plot)図を作成した。図6に作成したORTEP図を示す。図6中、TMCのカウンターアニオン(PF6)及び水素原子は、図を明瞭にするために除外した。選択された原子間距離(l/Å)及び角度(φ/度):Rul−N1=1.884(4)、N1−N2=1.128(6)、Rul−O1=2.072(3)、Rul−N3−6=平均2.145(4)、Rul−N1−N2=177.2(5)、O1−Rul−N2=176.6(1)である。
錯体4は、1個のTMC、1個の水酸基及び1個の二窒素リガンドにより囲まれている、ゆがんだ正八面体配位を呈する。二窒素リガンドは、1.884Åの結合長のRu−N(1)を用いた様式で配位される。N(1)−N(2)の距離はわずかに伸びる(N−N=1.128Å:フリーのN2中のN−N=1.098Å)。更に、N(1)−N(2)結合長(1.128Å)は、[RuII(X)(N2)Cl]PF6{1.005Å、X=1,5,9,13−テトラメチル−1,5,9,13−テトラアザシクロヘキサデカン}中のものよりも顕著に長い。
【0074】
【表1】
【0075】
<水中での[4](PF6)の挙動>
錯体4は、窒素雰囲気下でさえも、pH5〜8における酸性−中性媒体中で、窒素を放出してアクア錯体2を形成し(式(C))、これはUV−vis(図7)及びReact−IRスペクトル(図8)により測定された。窒素の発生は、GC−MS分析により確認した。
【0076】
【化16】
【0077】
図9に例示したように、水中で錯体2と錯体4との可逆的変換が観察され、窒素雰囲気下、H2SO4の添加による、錯体4(図9中のスペクトルa)の溶液のpH11から2へのpHの変化は錯体2(図9中のスペクトルb)を発生させ、窒素雰囲気下、NaOHの添加による、錯体2の溶液のpH2から11へのpHの変化は、錯体4(図9中のスペクトルc)を形成することがわかった。11及び2の間のpH勾配を用いることにより、この反応サイクルを少なくとも5回繰り返し可能であることが確認された。これは、溶液のpHに依存するM−N2(M=金属イオン)結合の可逆的な解離及び再構成の最初の例である。
【0078】
<pH10〜14での塩基性媒体中における[5](PF6)の合成および水中での挙動>
pH11に調整した[4](PF6)水溶液(0.1mM)に、窒素雰囲気下25℃でNaF(0.1mM)を加えて反応させることで、水溶性フッ素配位窒素錯体[5](PF6)を合成した。この工程の錯体4の反応を下記式(D)に示す。錯体[5](PF6)を、IR、ESI−MS、及びUV−visスペクトルにより同定した。
【0079】
【化17】
【0080】
図10に示すように、錯体5と錯体4のpHによる構造変化をUV−visスペクトルの変化により測定した。錯体5のUV−visスペクトル(図10中の5)は、Ru(II)から窒素への電荷移動遷移に帰属される、228nmにおける特徴的なバンドを示す。このスペクトルはpH2〜14の範囲で変化しない。一方、錯体4のスペクトル(図10中の4)は塩基性領域(pH10〜14)では窒素吸着状態を維持するが、中性から酸性領域(pH10〜2)では脱窒素が起こり、錯体1(図10中の1)に変化することが確認された。
【0081】
図11中の(a)は、[5](PF6)のKBrディスクとしての2200〜1800cm−1の範囲におけるIRスペクトルを示す。2064cm−1におけるピークは、N−N結合の減退を示すν(N≡N)に帰属される。この波数は錯体に結合していない自由な窒素分子のν(N≡N)(2331cm−1)より低波数であり、窒素原子間の結合が錯体に配位することで弱くなっていることを示す。
図11中の(b)にpHが塩基性領域(12.0)における[5](PF6)水溶液のIRスペクトルを示す。この領域において、ν(N≡N)は、固体試料に観察されるのと同様の2069cm−1に観察される。また、この領域での錯体[4](PF6)のν(N≡N)は、2062cm−1であり波数に差はない。このことは、塩基性領域ではF−配位子が窒素分子に与える電子的な影響は、OH−とほとんど変わらないことを示している。しかし、中性領域(pH7.0)から酸性領域(pH2.0)でのそれぞれのスペクトル(c)、(d)でも2069cm−1にピークが観測され、これはこのpH領域でも窒素が錯体に吸着していることを示している。従って、錯体[5](PF6)は酸性から塩基性の広範囲なpH領域で安定に存在できることを示している。
【0082】
<[5](BF4)の結晶構造>
X線解析に用いた[5](BF4)の単結晶は、NaBF4を含む水溶液から得た。[5](BF4)の結晶データ、データ収集パラメータ及び構造精密化を表2に示す。また、[5](BF4)の結晶のX線構造解析を行い、その構造を示すORTEP(Oak Ridge Ellipsoid Plot)図を作成した。図12に作成したORTEP図を示す。図12中、TMCのカウンターアニオン(BF4)及び水素原子は、図を明瞭にするために除外した。選択された原子間距離(l/Å)及び角度(φ/度):Rul−N3=1.847(5)、N3−N4=1.144(8)、Rul−F1=2.015(3)、Rul−N3−N4=176.3(5)である。
錯体5は、1個のTMC、1個のF−及び1個の窒素リガンドにより囲まれている、ゆがんだ正八面体配位を呈する。窒素リガンドは、1.847(5)Åの結合長のRu−N(3)を用いた様式で配位される。N(3)−N(4)の距離はわずかに伸びる(N−N=1.144(8):フリーのN2中のN−N=1.098Å)。これは、水溶性F−配位窒素錯体の最初の例である。
【0083】
【表2】
【0084】
<[5](PF6)の脱フッ素>
図13に、窒素雰囲気下、pH11に調整した塩基性媒体中でのCaSO4と錯体[5]の混合物に25℃でハロゲンライトにより6時間光照射したときのESI−MSを示す。(a)は錯体5の光照射前のスペクトルである。m/z 405.3における顕著なシグナル{m/z 100−2000の範囲で相対強度(I)=100%}は錯体5についての計算された同位体分布(図13(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図13(b))。図14(a)は錯体5の光照射後のシグナルであって、シグナルはm/z405.3から403.3に変化するのがわかる。このシグナルは錯体4についての計算された同位体分布(図14(c))と十分に適合するアイソトポマーの特徴的な分布を有する(図13(b))。
【産業上の利用可能性】
【0085】
本発明により、水溶液相に溶解した窒素センサーとして連続的に働くことが可能なRuII錯体を合成することができるので、水溶液相に溶解した窒素濃度の検出器などに使用できる。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)。
【化1】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項2】
下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)の製造方法であって、
【化2】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を、不活性ガスの雰囲気下で、溶液のpH値をpH5〜10とすることにより、脱プロトン化することを特徴とする、ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体の製造方法。
【化3】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項3】
窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを制御することによって前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に窒素を吸脱着する方法。
【化4】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項4】
窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを塩基性領域にすることで窒素を吸着させた後、フッ化物と反応させることで前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【化5】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項5】
前記フッ化物が、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NFから選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする請求項4に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【請求項6】
請求項4又は請求項5に記載の方法によりルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持し、その後、カルシウム塩の存在下で光照射することで窒素の保持状態を解除する方法。
【請求項7】
前記カルシウム塩が、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする請求項6に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の保持状態を解除する方法。
【請求項1】
下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)。
【化1】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項2】
下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)の製造方法であって、
【化2】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
下記式(II)で表されるルテニウム(II)ジアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を、不活性ガスの雰囲気下で、溶液のpH値をpH5〜10とすることにより、脱プロトン化することを特徴とする、ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体の製造方法。
【化3】
(式(II)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項3】
窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを制御することによって前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に窒素を吸脱着する方法。
【化4】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項4】
窒素雰囲気下で、下記式(I)で表されるルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体(TMC=1,4,8,11−テトラメチル−1,4,8,11−テトラアザシクロテトラデカン)を溶解した溶液のpHを塩基性領域にすることで窒素を吸着させた後、フッ化物と反応させることで前記ルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【化5】
(式(I)中、X−は六フッ化リン酸、四フッ化ホウ酸、三フッ化メタンスルホン酸、六フッ化アンチモン酸、四フェニルホウ酸、硫酸、または硝酸のアニオンを表す)
【請求項5】
前記フッ化物が、NaF、LiF、KF、RbF、CsF、AgF、BeF2、MgF2、SrF2、BaF2、SnF2、(CH3)4NF、(C4H9)4NFから選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする請求項4に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持させる方法。
【請求項6】
請求項4又は請求項5に記載の方法によりルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の吸着状態を保持し、その後、カルシウム塩の存在下で光照射することで窒素の保持状態を解除する方法。
【請求項7】
前記カルシウム塩が、Ca(OH)2、CaSO4、CaCl2、CaCO3、Ca(NO3)2、Ca3(PO4)2、Ca(CH3COO)2から選ばれる少なくとも1種であることを特徴とする請求項6に記載のルテニウム(II)ヒドロキソアクア(TMC)錯体に吸着した窒素の保持状態を解除する方法。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【公開番号】特開2011−93874(P2011−93874A)
【公開日】平成23年5月12日(2011.5.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−264401(P2009−264401)
【出願日】平成21年11月19日(2009.11.19)
【出願人】(504145342)国立大学法人九州大学 (960)
【出願人】(000002071)チッソ株式会社 (658)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成23年5月12日(2011.5.12)
【国際特許分類】
【出願日】平成21年11月19日(2009.11.19)
【出願人】(504145342)国立大学法人九州大学 (960)
【出願人】(000002071)チッソ株式会社 (658)
【Fターム(参考)】
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