説明

精神神経疾患診断マーカ、診断方法、および治療薬評価方法

【課題】生物学的な特徴に立脚した新たな精神疾患の判定方法、精神疾患を予防又は治療し得る新たな物質を探索する方法を提供すること。
【解決手段】階層的クラスタリングにより、統合失調症のモデル動物であるCaMKIIαへテロ欠損と近似する遺伝子発現パターンを有する精神疾患の患者が集積するクラスターを同定し、このクラスターに含まれる精神疾患患者の遺伝子発現プロファイルを、精神疾患非罹患者と比較することにより、精神疾患において発現レベルが変動する遺伝子を新たに見出した。本発明は該遺伝子を利用した精神疾患の判定方法、及び精神疾患を予防又は治療し得る物質の探索方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、統合失調症等の精神疾患の患者において特異的に発現レベルが変動する遺伝子を利用した該疾患の判定方法及び診断剤に関する。また、本発明は、該遺伝子を利用した統合失調症等の精神疾患の予防・治療薬の探索方法に関する。更に、本発明は精神疾患の治療標的候補遺伝子の探索方法に関する。
【背景技術】
【0002】
統合失調症は思春期から20代前半にかけて顕著に発症する精神疾患である。統合失調症の罹患率は人口あたり約1%であり、遺伝要因の影響は50%程度と見積もられている。日本では全科入院患者の約6割を占める。
統合失調症の主な症状は、思考、感情及び行動を1つの目的にまとめられないというものである。統合失調症患者は、対人関係構築不全から幻覚や妄想の出現という症状を起こす(陽性症状)。この症状に対して沈静措置を講ずると、過度の眠気、倦怠感、無気力感、引きこもり等の陰性症状を呈するようになる。その後、回復期を経てこれらの症状は回復するが、約8割の患者は心理的、社会的ストレスにより症状を再発し、このサイクルを繰り返すうちに、該疾患は難治化してしまう。既存の精神疾患の治療薬は、一過性に症状を抑制することは可能であるが、病態の本質を改善し得る治療薬はほとんどない。従って、的確に統合失調症等の精神疾患を判定し得る方法を開発し、該疾患を予防又は治療し得る医薬を開発することが急務である。
【0003】
統合失調症等の精神疾患の発症メカニズムの概略は、以下のように考えられている:(1)遺伝情報の特異的変異又は発現制御システムの修飾;(2)細胞生物学的機能連鎖の変化;(3)脳情報処理システムの機能変化;(4)生理学的な特徴の変化(脳波、眼球探索運動、驚愕反応のフィルタリング、認知機能試験結果に反映される)、そして(5)精神症状の表出。しかし、現行の診断基準には(1)〜(4)の事項が含まれていないため、生物学的要因の多様性が治療戦略に考慮されていないという問題がある。即ち、現行の診断では、医師の問診による(5)の有無のみが考慮されるため、精神疾患に罹患していると診断された患者の中には、生物学的要因の異なる多様な患者が含まれてしまうことになり、このことが精神疾患の客観的で再現性の高い判定方法や本質的治療薬の開発を阻害している。
【0004】
注目する疾患を発症している患者と、該疾患を発症していない患者との間で発現レベルが異なる遺伝子を探索して、得られた遺伝子を該疾患の診断や治療薬の探索の標的として用いる、示差的遺伝子解析が広く行われている。しかし、上述のように、診断名のみに基づいて精神疾患患者と精神疾患非罹患者との間で発現レベルに差のある遺伝子を解析したとしても、生物学的要因の多様性からくるノイズにより、真に精神疾患の発症に直結する遺伝子を得ることが困難である。そこで、生物学的な特徴に立脚した新たな精神疾患の診断方法、示差的遺伝子解析法の開発が望まれている。
【0005】
一方、CaMKIIαへテロ欠損動物は、週齢や学習経験の有無に関わらず、強固な作業記憶障害を示すことから、好適な統合失調症のモデル動物となり得ることが知られている(特許文献1)。
【特許文献1】特開2006-327951号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の目的は、生物学的な特徴に立脚した新たな精神疾患の判定方法及び治療標的候補遺伝子の探索方法を提供し、更に該探索方法を利用して得られた遺伝子を用いて、精神疾患を予防又は治療し得る新たな物質を探索する方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、まず統合失調症のモデル動物であるCaMKIIαへテロ欠損動物を特徴付ける遺伝子を同定した。そして、医師の問診により統合失調症等の精神疾患と診断された患者について該遺伝子の発現レベルを測定し、該発現レベルについて階層的クラスタリングを実施したところ、CaMKIIαへテロ欠損動物と近似する遺伝子発現パターンを有する精神疾患の患者が集積するクラスターを同定することができた。更にこのクラスターに含まれる精神疾患患者の遺伝子発現プロファイルを、クラスター外の精神疾患非罹患者のそれと比較することにより、精神疾患において発現レベルが変動する遺伝子を新たに見出し、本発明を完成するに至った。
以上の知見に基づき、本発明が完成された。
【0008】
即ち、本発明は以下に関する。
[1]判定の対象者における、
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNTからなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の発現レベルを指標として該対象者が精神疾患に罹患しているか否か判定することを含む、精神疾患の判定方法。
[2]CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の発現レベルが指標として用いられる、[1]記載の方法。
[3]指標とする遺伝子について、以下の発現レベルの変動が確認された場合、判定の対象者が精神疾患に罹患している可能性が高いと判定する、[1]記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;及び
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
[4]精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、[1]記載の方法。
[5]精神疾患が統合失調症である、[4]記載の方法。
[6]以下の(i)〜(iii)から選択されるいずれかの物質を用いて遺伝子の発現レベルが測定される、請求項1記載の方法:
(i)指標とする遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマー;
(ii)指標とする遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体;及び
(iii)指標とする遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド又は受容体。
[7]海馬における発現レベルが指標として用いられる、[1]記載の方法。
[8]以下の(i)〜(iii)から選択されるいずれかの物質を含む、精神疾患の診断剤:
(i)ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNTからなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマー;
(ii)上記群から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体;及び
(iii)上記群から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド若しくは受容体。
[9]以下の(ia)及び(iia)から選択されるいずれかの群を含む、[8]記載の剤。
(ia) CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマーの群;及び
(iia) CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体の群。
[10]以下の工程を含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法:
(I)被検物質と、
ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、及びNPNT
からなる群から選択されるいずれかの遺伝子の発現レベルを測定可能な細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた細胞における上記(I)で選択された遺伝子の発現レベルを測定し、該発現レベルを被検物質を接触させない対照細胞における該遺伝子の発現レベルと比較すること;並びに
(III)上記(II)の比較結果に基づき、該遺伝子について以下の発現レベルの変動を引き起こした被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること:
発現レベルの亢進:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの低下:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
[11]細胞が海馬の細胞である、[10]記載の方法。
[12]被検物質を接触させる細胞における測定対象遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある、[10]記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
[13]被検物質と細胞との接触が非ヒト哺乳動物の生体内で行われる、[10]記載の方法。
[14]被検物質が投与される非ヒト哺乳動物の海馬における測定対象遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある、[13]記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
[15]非ヒト哺乳動物がCaMKIIαヘテロ欠損動物である、[13]記載の方法。
[16]測定対象遺伝子がTDO2であり、且つTDO2の発現レベルが放射性同位体標識トリプトファンを用いて測定される、[10]載の方法。
[17]遺伝子の発現レベルが、免疫組織染色法、放射免疫アッセイ法、競合アッセイ法、酵素結合免疫吸着アッセイ法、ウェスタンブロット法、フローサイトメトリー解析、RT-PCR法、in situハイブリダイゼーション法、ノーザンブロットハイブリダイゼーション法、ドットブロットハイブリダイゼーション法、PET法、MRI法又は近赤外線スペクトログラフィー(NIRS)により測定される、[10]記載の方法。
[18]精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、[10]記載の方法。
[19]精神疾患が統合失調症である、[18]記載の方法。
[20]以下の工程を含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法:
(I)被検物質と神経前駆細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟の程度を、被検物質を接触させない対照神経前駆細胞の該程度と比較すること;及び
(III)上記(II)の比較結果に基づき、神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟を促進した被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること。
[21]神経前駆細胞が海馬由来である、[20]記載の方法。
[22]被検物質と神経前駆細胞との接触が非ヒト哺乳動物の生体内で行われる、[20]記載の方法。
[23]非ヒト哺乳動物がCaMKIIαヘテロ欠損動物である、[22]記載の方法。
[24]精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、[20]記載の方法。
[25]精神疾患が統合失調症である、[24]記載の方法。
[26]CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ若しくはプライマーを含む、核酸プローブ又はプライマーの群。
[27]CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブを含む核酸プローブの群が固定された核酸アレイ。
[28]CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を含む、抗体の群。
[29]CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を含む抗体の群が固定された抗体アレイ。
[30]以下の工程を含む、精神疾患の治療標的候補遺伝子を探索する方法:
(I)精神疾患のモデル動物において、野生型対照動物と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を同定すること;
(II)精神症状に基づき精神疾患に罹患している又はしていないと診断されたヒトを含むヒト集団について、該患者における(I)で同定された遺伝子の発現レベルに基づき、階層的クラスタリング解析を実施し、精神疾患患者が集積したクラスターを同定すること;及び
(III)(II)で同定されたクラスターに含まれる精神疾患患者において、精神疾患非罹患者と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を精神疾患の治療標的候補遺伝子として同定すること。
[31]精神疾患が統合失調症である、[30]記載の方法。
[32]モデル動物がCaMKIIα遺伝子ヘテロ欠損動物である、[30]記載の方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、的確且つ客観的に対象者が統合失調症に罹患しているか否かを判定することが可能となる。また、本発明により、精神疾患の生物学的特徴に基づく該疾患の治療標的遺伝子が新たに提供され、該遺伝子を利用することにより、精神疾患を予防又は治療し得る医薬をこれまでにないアプローチによりスクリーニングすることが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
1.精神疾患の判定方法
本発明は、判定の対象者における、
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の発現レベルを指標として、該対象者が精神疾患に罹患しているか否か判定することを含む、精神疾患の判定方法を提供する。
【0011】
本明細書中、精神疾患とは、脳又は心の機能的・器質的障害によって引き起こされる疾患をいう。精神疾患としては、作業記憶障害を伴う特色を持つ統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害(schizoaffective disorder)、発達障害(自閉症、アスペルガー症候群、注意欠陥多動性障害など)、うつ病等を挙げることが出来る。精神疾患は、好ましくは統合失調症である。
【0012】
本発明の方法による判定の対象者は通常ヒトである。
【0013】
本明細書中、本発明において用いられる遺伝子を「精神疾患関連遺伝子」と総称する。いずれの精神疾患関連遺伝子もその存在が公知である。それぞれの精神疾患関連遺伝子のヌクレオチド配列やポリペプチド配列も公知であり、GenBank等の公共のデータベースに登録されており、当業者に利用可能である。本発明において用いられる精神疾患関連遺伝子は通常ヒト由来である。精神疾患関連遺伝子を表1に列挙する。
【0014】
【表1】

【0015】
表1には、各精神疾患関連遺伝子(ヒト由来)の代表的なポリヌクレオチド(mRNA又はcDNA)配列及びポリペプチド配列のGenBankアクセッション番号を示す。また、各配列を配列表に示す。本明細書においてヌクレオチド配列は、特にことわりのない限りDNAの配列として記載するが、ポリヌクレオチドがRNAである場合は、チミン(T)をウラシル(U)に適宜読み替えるものとする。
【0016】
上記精神疾患関連遺伝子のうち、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2の10個の遺伝子は、CaMKIIαへテロ欠損動物において、野生型と比較した該遺伝子操作動物の生物学的な特徴(海馬における遺伝子発現)を週齢や学習経験の有無に関わらず示す130個の遺伝子から選択されたものである。これらの遺伝子の発現レベルの階層的クラスタリングによって該遺伝子操作動物と野生型動物を明確に識別すると共に、精神疾患患者(特に統合失調症患者)と健常者を識別することが可能である。CaMKIIαへテロ欠損動物は、週齢や学習経験の有無に関わらず、強固な作業記憶障害を示し、この形質は統合失調症の特徴的な症状と共通する。即ち、CaMKIIαへテロ欠損動物は、統合失調症に特徴的な症状である強固な作業記憶障害と該障害の生物学的要因とを併せ持つ統合失調症モデルである。上述の10個の遺伝子を用いることにより、医療者との対話等によって精神疾患(例えば統合失調症)に特有な精神症状を表出していると診断された患者の中から、強固な作業記憶障害に関連する生物学的特徴(遺伝子発現変化)は有していない患者(アウトライナー)を排除し、生物学的に一定の共通基盤に立脚して精神症状を呈している患者を選択することが可能となり、より確定的な精神疾患の判定が可能となる。
【0017】
上記精神疾患関連遺伝子のうち、CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8は、精神疾患(例えば統合失調症)に特有な精神症状を表出しており、且つ上述のCaMKIIαへテロ欠損動物の有する強固な作業記憶障害に関連する生物学的特徴(遺伝子発現変化)を有する患者において、精神疾患非罹患者と比較して有意な発現レベルの変動を示す遺伝子として同定され、なおかつこれまでに海馬での発現レベル変動と作業記憶障害ないし精神疾患分子病態との明確な関連が報告されてこなかったものである。上述の20個の遺伝子から選択されるいずれかの遺伝子を用いることにより、精神疾患の精神症状と強固な作業記憶障害に関連する生物学的特徴(遺伝子発現変化)の両者を有する精神疾患(例えば統合失調症)の患者を、精神疾患非罹患者から明確に判別することができる。
【0018】
上記精神疾患関連遺伝子のうち、TDO2、DSP、IL-1R1、及びNPNTは、CaMKIIαへテロ欠損動物において野生型動物と比較して有意な発現レベルの変動を示し、且つ作業記憶障害責任部位である海馬歯状回特異的に発現する遺伝子であって、対応するヒトオルソログが確認されているものとして同定されたものである。上述の4個の遺伝子から選択されるいずれかの遺伝子を用いることにより、精神疾患(例えば統合失調症)の患者を明確に判別することができる。
【0019】
本発明の判定方法は、上記精神疾患関連遺伝子から選択された1又は2以上の遺伝子の発現レベルを指標として用いることを特徴とする。
【0020】
本発明の判定方法において発現レベルが指標として用いられる遺伝子の数は、特に限定されず、上記精神疾患関連遺伝子から選択された少なくとも1つの遺伝子の発現レベルを指標として用いればよい。検査の精度を向上させる目的で、上記精神疾患関連遺伝子から選択された、例えば2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、更により好ましくは20以上、一層より好ましくは30以上、最も好ましくは32の遺伝子の発現レベルを指標として用いてもよい。
【0021】
好ましい態様において、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは8以上、最も好ましくは10の遺伝子の発現レベルが指標として用いられる。特に、上述の10個の遺伝子の全ての発現レベルを指標として、精神疾患患者を含むヒト集団を階層的クラスタリング解析に付すと、精神疾患の精神症状と生物学的特徴の両者を有する患者集団が1つのクラスターに集積するので、医療者との対話等によって表面的な症状としては精神疾患(例えば統合失調症)に特有な精神症状を表出していると診断された患者の中から、強固な作業記憶障害に関連する生物学的特徴(遺伝子発現変化)は有していない患者(アウトライナー)を排除した、より確定的な精神疾患の判定が可能となる。
【0022】
別の好ましい態様において、CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、最も好ましくは20の遺伝子の発現レベルが指標として用いられる。
【0023】
具体的には本発明の判定方法は、i)判定の対象者の組織中の上記精神疾患関連遺伝子から選択される少なくとも1つの遺伝子の発現レベルを測定し、ii)測定された発現レベルに基づき、対象者が精神疾患に罹患しているか否かを判定することを含む。
【0024】
工程i)の発現レベルの測定は、遺伝子の発現レベルの測定は、各遺伝子の遺伝子産物の発現レベルを測定することにより行われる。遺伝子産物とは、転写産物及び翻訳産物を包括的に意味するものである。転写産物とは、精神疾患関連遺伝子から、転写の過程を経て生じるRNAをいうが、好ましくはmRNA(未成熟mRNA、成熟mRNA等)をいい、より好ましくは、未成熟mRNAより転写・プロセシングの過程を経て生じる成熟mRNAをいう。翻訳産物とは、精神疾患関連遺伝子から転写・翻訳の過程を経て生じるタンパク質(ポリペプチド)をいう。翻訳産物は、未修飾であっても翻訳後修飾されていてもよい。翻訳後修飾としては、例えば、リン酸、糖または糖鎖、リン脂質、脂質、ヌクレオチド等による修飾などが挙げられる。
【0025】
工程i)の発現レベルの測定は、判定の対象者から採取した生体試料における上記精神疾患関連遺伝子の発現レベルを測定するインビトロ法、又は判定の対象者の生体内の上記精神疾患関連遺伝子の発現レベルを直接測定するインビボ法により行うことができる。
【0026】
インビトロ法により、遺伝子の転写産物の発現量を測定する場合、まず生体試料より遺伝子の転写産物を調製する。転写産物の調製は、当該分野で周知の方法によって行うことができ、また、市販のキットを用いて行ってもよい。
【0027】
対象者に由来する生体試料としては、例えば、組織、細胞、液体成分等が挙げられ、特に限定されない。生体試料は、倫理的な問題が生じないように、バイオプシー等により対象者から分離される。
【0028】
組織としては、遺伝子を発現し得る組織であれば特に限定されず、例えば、脳(例、大脳、小脳)、脊髄、下垂体、胃、膵臓、腎臓、肝臓、生殖腺、甲状腺、胆のう、骨髄、副腎、皮膚、筋肉、肺、消化管(例、大腸、小腸)、血管、心臓、胸腺、脾臓、顎下腺、末梢血、前立腺、睾丸、卵巣、胎盤、子宮、骨、関節、骨格筋、リンパ節などが挙げられる。組織は、好ましくは、脳(例、大脳、小脳)、末梢血等であり、より好ましくは、大脳中の海馬(例、海馬歯状回)である。
【0029】
細胞としては、遺伝子を発現し得る細胞であれば特に限定されず、肝細胞、脾細胞、神経細胞、グリア細胞、膵臓β細胞、骨髄細胞、メサンギウム細胞、ランゲルハンス細胞、表皮細胞、上皮細胞、杯細胞、内皮細胞、平滑筋細胞、繊維芽細胞、繊維細胞、筋細胞、脂肪細胞、血液細胞、滑膜細胞、軟骨細胞、骨細胞、骨芽細胞、破骨細胞、乳腺細胞、肝細胞もしくは間質細胞、またはこれら細胞の前駆細胞、幹細胞もしくはガン細胞などが挙げられる。好ましくは、細胞は、神経細胞、グリア細胞、血液細胞、またはそれらの前駆細胞もしくは幹細胞であり、より好ましくは、神経細胞、グリア細胞、またはそれらの前駆細胞もしくは幹細胞である。
【0030】
本発明の方法においては、上述した細胞のなかでも、海馬(例、海馬歯状回)内に存在する細胞が好ましく用いられる。また、海馬内に存在する細胞のなかでも、核DNAを保有し、且つ内因性因子等の刺激に応じてmRNAの発現量が変動する細胞(本明細書中、「mRNA発現細胞」と呼ぶ場合がある)が好ましく用いられる。
【0031】
液体成分としては、遺伝子の発現を確認し得る液体成分であれば特に限定されず、例えば、脳脊髄液、血液、血清、血漿、精液、唾液、尿、汗等が挙げられる。特に、精神疾患関連遺伝子の翻訳産物がサイトカイン等の液性成分である場合(例、CXCL12)には、判定の対象者から分離された液体成分中の翻訳産物の量が指標として用いられる。
【0032】
特定の態様において、判定の対象者から分離された血液中のCXCL12タンパク質量が指標として用いられる。
【0033】
転写産物の発現量の測定は当該分野で周知の方法により測定することができ、例えば、ノーザンブロットハイブリダイゼーション法、ドットブロットハイブリダイゼーション法、RT-PCR法、核酸アレイ等によって測定することができる。ノーザンブロットハイブリダイゼーション法やドットブロットハイブリダイゼーション法においては、後述の「2.精神疾患の診断剤」の項において記載した指標とする精神疾患関連遺伝子の転写産物を特異的に検出し得るプローブを、RT-PCR法においては、後述の「2.精神疾患の診断剤」の項において記載した指標とする精神疾患関連遺伝子の転写産物を特異的に検出し得るプライマーを、核酸アレイとしては後述の「2.精神疾患の診断剤」の項において記載した核酸アレイをそれぞれ用いることが出来る。
【0034】
転写産物の発現レベルを測定する場合には、測定値を公知の方法によって補正することが出来る。補正により、独立した複数の生体試料における転写産物の発現レベルをより正確に比較することが可能となる。測定値の補正は、上記生体試料において、発現レベルが大きく変動しない遺伝子(例えば、ハウスキーピング遺伝子)の発現レベルの測定値に基づいて、上記遺伝子の発現レベルの測定値を補正することにより行われる。発現レベルが大きく変動しない遺伝子の例としては、GAPDH、β-アクチン等を挙げることが出来る。
【0035】
インビトロ法により、遺伝子の翻訳産物の発現レベルを測定する場合、まず生体試料より翻訳産物の発現レベルを測定可能なサンプルを調製する。翻訳産物の発現レベルの測定をELISA、ウェスタンブロット法、スポット法、凝集法、後述する抗体アレイ等の免疫学的方法、表面プラズモン共鳴等により行う場合、通常、生体試料より液体サンプルを調製する。例えば、生体試料が組織や細胞の場合、これらを機械的に破砕したり、可溶化剤で処理すること等により可溶化物を調製する。翻訳産物の発現レベルの測定をフローサイトメトリー法や免疫学的組織染色等の免疫学的方法により行う場合は、組織や細胞等の生体試料は適宜固定等の処理に付され、抗体等により染色される。このように、免疫学的方法により精神疾患関連遺伝子の翻訳産物の発現レベルを測定する場合においては、抗体として後述の「2.精神疾患の診断剤」の項に記載した精神疾患関連遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体を用いることが出来る。また、表面プラズモン共鳴等により、後述の精神疾患関連遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド又は受容体と該翻訳産物との特異的結合を検出することによっても、精神疾患関連遺伝子の翻訳産物の発現レベルを測定することができる。
【0036】
工程i)の発現レベルの測定をインビボ法により行う場合には、通常、上記組織中の遺伝子の翻訳産物の発現レベルが測定される。この場合、翻訳産物の発現レベルの測定は、当該分野で周知の方法により行うことができ、例えば、陽電子放射断層撮影法(Positron Emission Tomography;PET)などが利用可能である。PETにより精神疾患関連遺伝子の翻訳産物の発現レベルを測定する場合には、該翻訳産物に親和性を有する物質であって、ポジトロン放出核種で標識されたものを、対象者に投与し、該物質から発生する陽電子が消滅する際に放出されるガンマ線を検出することで、生体内の該物質の分布、即ち翻訳産物の発現レベルの変化をPET画像により非侵襲的に測定することができる。該物質としては、後述の「2.精神疾患の診断剤」の項に記載した精神疾患関連遺伝子の転写産物に特異的に結合する核酸、翻訳産物を特異的に認識する抗体や、該翻訳産物に特異的に結合するリガンド又は受容体等を使用することができる。ポジトロン放出核種としては、11C、13N、15O、18O、45Ti、62Cu、68Ga、82Rb等を挙げることができる。精神疾患関連遺伝子の翻訳産物が膜タンパク質(例、受容体、チャンネル等)、である場合に、PETが好ましく用いられる。このような精神疾患関連遺伝子としては、IL-1R1、HTR2C、ATP1A3等を挙げることが出来る。
【0037】
特定の態様において、本発明の判定方法は、IL-1R1に特異的に結合するポジトロン放出核種標識リガンドを判定の対象者に投与すること、該対象者におけるIL-1R1の発現レベルの変化をPET画像により測定すること、及び測定されたIL-1R1の発現レベルの変化を指標として用いることを含む。もしくは、IL-1R1に特異的に結合する金属ナノ粒子標識リガンドを判定の対象者に投与すること、該対象者におけるIL-1R1の発現レベルの変化をMRI画像により測定すること、及び測定されたIL-1R1の発現レベルの変化を指標として用いることを含む。
【0038】
また、精神疾患関連遺伝子の翻訳産物の発現レベルは、生体試料中の該翻訳産物の活性を測定することによっても知ることができる。
【0039】
「翻訳産物の活性」とは、当該翻訳産物が備える生物学的な活性をいう。翻訳産物の活性を測定するための一般的な方法としては、例えば、シクラーゼ活性(Zor et al., Proc. Natl. Acad. Sei. USA, 63, p.918 (1969))、キナーゼ活性(Park SY et al., J. Biol. Chem. 275, p.19768-19777 (2000))、プロテアーゼ活性(Meng, L, et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 96, p. 10403-10408 (1999))、細胞増殖調節活性(Macleod, R. J. et al., Proc. Natl. Acad. Sei. USA, 88, p. 552-556 (1991))、タンパク質間相互作用(岡田雅人ら編集、「タンパク実験の進めかた」、羊土社、p.172(2001))、ヌクレアーゼ活性、ケモカイン、ケモカインレセプター(Zhou N et al., J. Biol. Chem., 276, p. 42826-42833, (2001))、サイトカイン、サイトカインレセプター(Piek E et al., J. Biol. Chem., 276, p. 19945-19953 (2001))、転写因子(Zhao F et al., J. Biol. Chem., 276, p. 40755-40760 (2001))、細胞接着因子(Fujiwara H et al., J. Biol. Chem., 276, p. 17550-17558 (2001))、細胞外マトリックス蛋白質(Miyazaki K et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 90, p. 11767 (1993))、フォスファターゼ(Aoyama K et al., J. Biol. Chem., 276, p. 27575-27583 (2001))、イオンチャンネル(Hamill, O. P. et al., Pfluegers Arch., 391, p. 85-100 (1981))等が挙げられる。TDO2の翻訳産物の活性は、例えばSalter M et al., Biochem. Pharmacol. 49, p. 1435-1442 (1995) に記載の方法により放射性同位体標識トリプトファンを用いて測定することが出来る。
【0040】
好ましい一態様において、工程i)では、インビトロ法においてもインビボ法においても、海馬における精神疾患関連遺伝子の発現レベルが測定される。
【0041】
工程ii)では、測定された発現レベルを指標として、対象者が精神疾患に罹患しているか否かが判定される。後述の実施例に示されるように、精神疾患(例えば統合失調症)の患者においては、TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNTの発現レベルが健常人と比較して低下しており、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615及びKIAA1651の発現レベルが亢進している。上記判定は、精神疾患関連遺伝子の発現レベルと精神疾患の罹患率との間のこのような相関に基づき行われる。
【0042】
例えば、対象者における精神疾患関連遺伝子の発現レベルが、精神疾患に罹患していないヒト(例えば健常人)(ネガティブコントロール)及び精神疾患に罹患している患者(ポジティブコントロール)と比較される。あるいは、精神疾患関連遺伝子の発現レベルと精神疾患の罹患率との相関図をあらかじめ作成しておき、対象患者における該精神疾患関連遺伝子の発現レベルをその相関図と比較してもよい。発現レベルの比較は、好ましくは、統計学的有意差の有無に基づいて行われる。
【0043】
そして、指標とする精神疾患関連遺伝子について、以下の発現レベルの変動が確認された場合、判定の対象者が精神疾患に罹患している可能性が相対的に高いと判定することができる:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【0044】
また、精神疾患関連遺伝子の発現レベルのカットオフ値をあらかじめ設定しておき、対象者における精神疾患関連遺伝子の発現レベルとこのカットオフ値とを比較することによって行うこともできる。例えば、指標とする精神疾患関連遺伝子がTDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1又はNPNTである場合には、対象者における精神疾患関連遺伝子の発現レベルが前記カットオフ値以下である場合に、精神疾患に罹患している可能性が相対的に高いと判定することができる。一方、指標とする精神疾患関連遺伝子がADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615又はKIAA1651である場合には、対象者における精神疾患関連遺伝子の発現レベルが前記カットオフ値以上である場合に、精神疾患に罹患している可能性が相対的に高いと判定することができる。「カットオフ値」は、その値を基準として疾患の判定をした場合に、高い診断感度(有病正診率)及び高い診断特異度(無病正診率)の両方を満足できる値である。例えば、精神疾患に罹患している被検者で高い陽性率を示し、かつ、精神疾患に罹患していない被検者で高い陰性率を示す、精神疾患関連遺伝子の発現レベルをカットオフ値として設定することが出来る。
【0045】
2以上の精神疾患関連遺伝子の発現レベルを指標として用いる場合には、判定の対象者、精神疾患患者及び精神疾患非罹患者を含む集団の該発現レベルについて階層的クラスタリング解析を行うことが好ましい。判定の対象者以外のヒトにおける精神疾患関連遺伝子の発現レベルは、対象者と同時に測定した値であってもよいし、予め求めておいた値であってもよい。階層的クラスタリング解析の結果、判定の対象者が、精神疾患患者が集積したクラスターに属する場合には、該対象者が精神疾患に罹患している可能性が高いと判定することが出来る。特に、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2の発現レベルを指標として用いる場合には、前記集団について該発現レベルを階層的クラスタリング解析すると、精神疾患の精神症状と生物学的特徴の両者を有する患者集団が1つのクラスターに集積する。従って、医療者との対話等によって精神疾患(例えば統合失調症)に特有な精神症状を表出していると診断された患者の中から、強固な作業記憶障害に関連する生物学的特徴(遺伝子発現変化)は有していない患者(アウトライナー)を排除した、より確定的な精神疾患の判定が可能となる。
【0046】
2.精神疾患の診断剤
また、本発明は、上記本発明の判定方法を行い得る、精神疾患の診断剤を提供する。
本発明の診断剤は、以下の(i)〜(iii)から選択されるいずれかの物質を含む:
(i)上記精神疾患関連遺伝子からなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブ若しくはプライマー;
(ii)上記精神疾患関連遺伝子から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体;及び
(iii)上記精神疾患関連遺伝子から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド若しくは受容体。
【0047】
プローブとは、標的核酸分子(例えば精神疾患関連遺伝子のmRNA、cDNA、染色体DNA等)に対する特異的なハイブリダイゼーションによって、標的核酸分子の検出の用に供される核酸分子をいう。プライマーとは、核酸の合成反応にあたりポリヌクレオチド鎖が伸長して行く出発点として働く核酸分子をいう。
【0048】
(i)の核酸プローブ又はプライマーとしては、上記精神疾患関連遺伝子からなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子のヌクレオチド配列若しくはその部分配列又はそれらの相補配列を有する核酸分子を挙げることが出来る。
【0049】
「遺伝子のヌクレオチド配列」とは、遺伝子がコードされる染色体DNA、mRNA、又はcDNAの全長ヌクレオチド配列であり、特に限定されないが、好ましくはmRNA又はcDNAの全長ヌクレオチド配列である。
各遺伝子は、タンパク質をコードする構造遺伝子とその発現を調節している調節遺伝子からなり、特に限定されないが、好ましくは各遺伝子は構造遺伝子である。
上記mRNAは、未成熟mRNA又は成熟mRNAであり、特に限定されないが、好ましくは成熟mRNAである。
【0050】
核酸分子が精神疾患関連遺伝子のヌクレオチド配列の部分配列を有する場合、当該部分配列の長さは特に限定されず、核酸分子の用いられる目的等に応じて、適宜選択することができるが、通常15bp以上に設定される。
【0051】
核酸分子がプローブとして用いられる場合、各核酸分子が有する部分配列の長さは、標的核酸分子の検出、或いは標的核酸分子に対して特異的ハイブリダイゼーションを達成するのに十分な長さであれば特に限定されないが、例えば、少なくとも15bp、好ましくは少なくとも20bp、より好ましくは少なくとも25bp、さらにより好ましくは少なくとも30bp以上であり得る。
【0052】
核酸分子がPCR法等におけるプライマーとして用いられる場合、当該核酸分子に含まれる部分配列の長さは、標的核酸分子の伸長反応に十分な長さであれば特に限定されないが、通常15〜100bp、好ましくは18〜50bp、更に好ましくは18〜35bpである。プライマー(セット)は、特に限定されないが、遺伝子増幅の反応効率の観点から、好ましくは特異的遺伝子増幅産物の大きさが50〜1000bp、より好ましくは100〜600bpとなるように選択される。該プライマー(セット)は、増幅対象である精神疾患関連遺伝子のヌクレオチド配列に基づき、当業者であれば容易にデザインすることが可能である。
【0053】
核酸分子は、DNAであってもRNAであってもよい。
【0054】
核酸分子は、上述したヌクレオチド配列若しくはその部分配列又はそれらの相補配列を有している限り特にその構成は限定されない。例えば、当該核酸分子は、i)上述したヌクレオチド配列若しくはその部分配列又はそれらの相補配列自体からなる核酸分子、ii)上述したヌクレオチド配列若しくはその部分配列又はそれらの相補配列に加え、さらに任意のヌクレオチド配列を含む核酸分子であり得る。
【0055】
ii)の核酸分子の一態様としては、例えば、当該核酸分子がインサートとして任意のベクター(例えば、サブクローニング用ベクター、発現ベクターなど)に導入されたものを挙げることができる。例えば、上記の任意のベクターとして発現ベクターを用いる場合、インサートとしての核酸分子は、機能可能であるように発現調節エレメントに連結されていてもよい。発現調節エレメントとしては、例えば、任意のプロモーターを挙げることができ、例えば大腸菌における発現が意図された場合、lac、taqなどのプロモーターが好適に用いられ、哺乳動物由来の細胞における発現が意図された場合、CAGプロモーター、SRαプロモーター、EF1αプロモーター、CMVプロモーター、PGKプロモーター、U6プロモーター、SV40プロモーター、アデノウイルスの初期又は後期プロモーターなどのプロモーターが好適に用いられる。
【0056】
核酸分子は、当該分野で周知の方法により作製することができる。例えば、約100bp以下の大きさの核酸分子であれば有機化学的方法により作製することができる。また、核酸分子のサイズが大きい場合には、生物学的方法(細胞系、無細胞系を含む)により作製することも可能である。具体的には、生物学的方法としては、核酸合成酵素を用いる方法(例えば、PCR、ICAN(Isothermal and Chimeric primer-initiated Amplification of Nucleic acids)(例えば国際公開第00/56877号パンフレット参照)、LAMP(Loop-mediated isothermal amplification)(例えば国際公開第00/28082号パンフレット参照)など)、核酸分子の群における各核酸分子をインサートとして含む任意のベクター(例えば、プラスミド、BAC、YAC、ファージDNAなど)を細菌に導入し、当該ベクターを増幅させる方法などが挙げられる。
【0057】
核酸分子は、修飾されていてもよい。当該修飾としては、特に限定されないが、例えば、蛍光(FITC、ローダミン、テキサスレッド、6-カルボキシ-フルオレッセイン(FAM)、テトラクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(TET)、2,7-ジメトキシ-4,5-ジクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(JOE)、ヘキソクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(HEX)、6-カルボキシ-テトラメチル-ローダミン(TAMRA)等)標識、ビオチン標識、ジゴキシゲニン標識、アルカリフォスファターゼ標識、放射性同位体(32P、3H)標識等が挙げられる。
【0058】
一態様において、(i)の核酸プローブ若しくはプライマーは、上記精神疾患関連遺伝子からなる群から選択される2以上の遺伝子の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ若しくはプライマーを複数含む、核酸プローブ又はプライマーの群として提供され得る。
【0059】
核酸プローブ又はプライマーの群とは、単離された核酸プローブ又はプライマーの集合を意味し、一度にその用に供することができる状態であるもの、例えば、単一又は複数の固相上に各核酸プローブ又はプライマーが固定されているもの、単一又は複数の液相中に各核酸プローブ又はプライマーが溶解しているものなどであり得る。例えば、核酸プローブ又はプライマーの群は、例えば、マイクロタイタープレートのようなプレート上に各核酸プローブ又はプライマーが個別に分注された状態で群となっているものでもよい。
【0060】
該核酸プローブ又はプライマーの群に含まれる核酸プローブ又はプライマーの数(即ち、核酸プローブ又はプライマーの種類の数)は、特に限定されないが、当該群は、上記精神疾患関連遺伝子から選択された、例えば2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、更により好ましくは20以上、一層より好ましくは30以上、最も好ましくは34の遺伝子の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマーを含み得る。
【0061】
一つの好ましい態様において、(i)の核酸プローブ若しくはプライマーは、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは8以上、最も好ましくは10の遺伝子の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る複数の核酸プローブ又はプライマーを含む、核酸プローブ又はプライマーの群として提供され得る。
【0062】
別の好ましい態様において、CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、最も好ましくは20の遺伝子の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る複数の核酸プローブ又はプライマーを含む、核酸プローブ又はプライマーの群として提供され得る。
【0063】
一実施態様では、上記核酸プローブの群は核酸アレイとして用いられる。即ち、本発明は上記核酸プローブの群が固定された核酸アレイを提供する。核酸アレイにおける各核酸プローブは、2本鎖であってもよいが、1本鎖が好ましい。また、核酸アレイの支持体としては、当該分野で通常用いられている支持体であれば特に限定されず、例えば、メンブレン(例えば、ナイロン膜)、ガラス、プラスチック、金属などが挙げられる。
【0064】
好ましい実施態様では、本発明の核酸アレイに含まれる核酸プローブの種類のうち、上記精神疾患関連遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブが占める割合は、例えば10%以上、好ましくは20%以上、より好ましくは40%以上、更に好ましくは80%以上である。
【0065】
核酸アレイの形態としては、当該分野で周知の形態を用いることができ、例えば、支持体上で核酸が直接合成されるアレイ(いわゆるアフィメトリクス方式)、支持体上に核酸が固定化されるアレイ(いわゆるスタンフォード方式)、繊維型アレイ、電気化学的アレイ(ECA)等が挙げられる。
【0066】
アフィメトリクス方式のアレイとは、光リソグラフィー技術及び固相法核酸合成技術によりシリコン支持体上に一定の長さの核酸プローブを搭載した核酸チップをいう。本アレイは、例えば、支持体をマスクと呼ばれる遮光板で覆って露光させるという工程を繰り返すことによって、核酸分子を支持体上で1塩基ずつ合成することにより作製することができる。本アレイは、目的のヌクレオチド配列を有する核酸プローブを高密度で固定できるため遺伝子を網羅的に検出できる、核酸プローブを支持体に対し垂直に固定できるのでハイブリダイゼーション効率が高い、定量性や再現性に優れるなどの利点を有する。
【0067】
スタンフォード方式のアレイとは、支持体上に核酸プローブが共有結合により又は非共有結合により貼り付けられている核酸アレイをいう。本アレイは、例えば、予め調製されたcDNAや合成オリゴDNAなどの核酸プローブを支持体上にスポットすることによって作製される。本アレイは、アフィメトリクス方式のアレイと比較して、1スポット中に大量の未精製cDNA等が含まれている場合にはクロスハイブリダイゼーションが多い・ハイブリダイゼーションが生じにくい、洗浄操作の際に核酸プローブが支持体上から剥がれやすいため定量性・再現性が低いなどの欠点を有するものの、これらの欠点は、核酸プローブとして精製した合成オリゴDNAを用いたり、核酸プローブを支持体上に共有結合によって固定することによって改善することができる。一方、本アレイは、アフィメトリクス方式のアレイと比較して、任意の核酸プローブを搭載できる、ランニングコストが安いなどの利点を有する。また、スタンフォード方式のDNAチップは自作が容易という利点も有する。
【0068】
繊維型アレイとは、核酸プローブを含む繊維が集合してなるアレイをいう。本アレイは、例えば、中空繊維に核酸プローブを染み込ませ、異なる核酸プローブが染み込んだ中空繊維を束ね、この中空繊維の集合体をスライスすることによって作製することができる。本アレイは、同品質で大量に生産できるため再現性に優れる、DNAが自由度のある構造で固定されておりハイブリダイゼーションの効率が高いため高感度であるなどの利点を有する。
【0069】
電気化学的アレイ(ECA)とは、ハイブリダイゼーションの検出を電気化学的に行う核酸アレイをいう。本アレイは、他の核酸アレイとは異なり、核酸を標識せずに、例えば、インターカレート剤(intercalator)を用いることによって核酸を検出する。検出方法としては、例えば、インターカレート剤が挿入したときに生じる電流の差を測定する方法、電圧差が発生すると発光するインターカレート剤から生じる発光を検出する方法などが挙げられる。本アレイは、mRNAにおいて直接測定が可能であり感度や定量性に優れる、PCRが不要、サンプル標識をしないためハイブリダイゼーションの効率が高いなどの利点を有する。
【0070】
核酸アレイによる精神疾患関連遺伝子の転写産物の測定は、使用する核酸アレイの形態によっても異なるが、例えば、サンプルのmRNAを標識し、次いでこれを核酸アレイにハイブリダイズさせることにより行なうことができる。標識は、直接検出可能なシグナルを発するものでもよいし、検出可能なシグナルを発する物質に特異的に結合する物質でもよい。直接検出可能なシグナルを発する標識の例としては、蛍光性物質、アルカリフォスファターゼ、放射性同位元素などが挙げられる。検出可能なシグナルを発する物質に特異的に結合する物質の例としては、ビオチン、アビジン、ジゴキシゲニン、抗体などが挙げられる。標識の方法としては、核酸合成酵素を用いて、サンプルの核酸を複製しつつ、標識されたヌクレオチドを取りこませる方法、化学反応でサンプルの核酸に直接結合させる方法などが挙げられる。また、電気化学的に検出する場合には、核酸の標識は必要とされず、例えば、インターカレート剤を用いて電流の差を測定することによって、又は電圧差が発生すると発光するインターカレート剤から生じる発光を検出することによって、精神疾患関連遺伝子の転写産物を測定することができる。
【0071】
当業者は、アッセイの目的に応じて、上述した核酸アレイの内、適切な核酸アレイを適宜選択することができ、また、当該分野で周知の方法により、例えば、上述したように、これら核酸アレイを作製することができる。
【0072】
(ii)の抗体の種類は特に限定されない。例えば、抗体は、ポリクローナル抗体、モノクローナル抗体のいずれであってもよい。また、本発明の抗体の群における各抗体は、キメラ抗体、ヒト型抗体、ヒト抗体、又はこれらのエピトープ結合フラグメントであり得る。また、翻訳産物の翻訳後修飾がその機能に重要な役割を果たす場合は、抗体は、未修飾の翻訳産物と修飾後の翻訳産物を識別できるものが好ましい。
【0073】
精神疾患関連遺伝子の翻訳産物に対する抗体の一部が、ポリクローナル抗体あるいはモノクローナル抗体として市販されている場合には、これら市販物を用いることができる。また、ポリクローナル抗体あるいはモノクローナル抗体は、当該分野で周知の方法によって作製することもできる。具体的には、ポリクローナル抗体は、例えば、精神疾患関連遺伝子の翻訳産物又はその部分ペプチド(長さは通常6アミノ酸以上、例えば8アミノ酸以上、好ましくは10アミノ酸以上、より好ましくは12アミノ酸以上である)を抗原として、必要に応じてフロイントアジュバント(Freund's Adjuvant)とともに、哺乳動物(例えば、マウス、ラット、ハムスター、モルモット、ウサギ)に免疫し、この免疫した哺乳動物(免疫感作動物)から血清を回収することにより作製することができる。また、モノクローナル抗体は、上記免疫感作動物から得た抗体産生細胞と骨髄腫細胞(ミエローマ細胞)からハイブリドーマ(融合細胞)を調製し、該ハイブリドーマをクローン化し、哺乳動物の免疫に用いた抗原に対して特異的親和性を示すモノクローナル抗体を産生するクローンを選択することによって作製することができる。
【0074】
エピトープ結合フラグメントとは、上述した抗体の抗原結合領域を含む部分又は当該領域から誘導された部分をいい、具体的にはF(ab')2、Fab'、Fab、Fv(variable fragment of antibody)、scFv(single chain Fv)、dsFv(disulphide stabilised Fv)等が挙げられる。
【0075】
抗体は、修飾されていてもよい。当該修飾としては、特に限定されないが、例えば、蛍光(FITC、ローダミン、テキサスレッド、6-カルボキシ-フルオレッセイン(FAM)、テトラクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(TET)、2,7-ジメトキシ-4,5-ジクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(JOE)、ヘキソクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(HEX)、6-カルボキシ-テトラメチル-ローダミン(TAMRA)等)標識、ビオチン標識、ジゴキシゲニン標識、アルカリフォスファターゼ標識、放射性同位体(125I、32P、3H、ポジトロン放出核種(11C、13N、15O、18O、45Ti、62Cu、68Ga、82Rb))標識、鉄などの金属ナノ粒子による標識等が挙げられる。
【0076】
一態様において、(ii)の抗体は上記精神疾患関連遺伝子からなる群から選択される2以上の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を複数含む、抗体の群として提供され得る。
【0077】
抗体の群とは、単離された抗体の集合を意味し、一度にその用に供することができる状態であるもの、例えば、単一又は複数の固相上に各抗体が固定されているもの、単一又は複数の液相中に各抗体が溶解しているものなどであり得る。例えば、抗体の群は、例えば、マイクロタイタープレートのようなプレート上に各抗体が個別に分注された状態で群となっているものでもよい。
【0078】
該抗体の群に含まれる抗体の数(即ち、抗体の種類の数)は、特に限定されないが、当該群は、上記精神疾患関連遺伝子から選択された、例えば2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、更により好ましくは20以上、一層より好ましくは30以上、最も好ましくは32の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を含み得る。
【0079】
一つの好ましい態様において、(ii)の抗体は、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは8以上、最も好ましくは10の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を複数含む、抗体の群として提供され得る。
【0080】
別の好ましい態様において、CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8からなる群から選択される2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、最も好ましくは20の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を複数含む、抗体の群として提供され得る。
【0081】
一実施態様では、上記抗体の群は抗体アレイとして用いられる。即ち、本発明は上記抗体の群が固定された抗体アレイを提供する。抗体アレイの支持体としては、当該分野で通常用いられている支持体であれば特に限定されず、例えば、メンブレン(例えば、ニトロセルロース膜、ナイロン膜)、ガラス、プラスチック、金属(例えば、金薄膜)などが挙げられる。
【0082】
好ましい実施態様では、本発明の抗体アレイに含まれる抗体の種類のうち、上記精神疾患関連遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体が占める割合は、例えば10%以上、好ましくは20%以上、より好ましくは40%以上、更に好ましくは80%以上である。
【0083】
抗体アレイによる遺伝子の翻訳産物(例えば、翻訳後修飾されたタンパク質、未修飾のタンパク質)の測定は、使用する抗体アレイの形態によっても異なるが、例えば、サンプルから抽出された翻訳産物を標識し、次いでこれを抗体アレイ上の各抗体に反応させることにより行なうことができる。標識は、直接検出可能なシグナルを発するものでもよいし、検出可能なシグナルを発する物質に特異的に結合する物質でもよい。直接検出可能なシグナルを発する標識の例としては、蛍光性物質、アルカリフォスファターゼ、放射性同位元素などが挙げられる。検出可能なシグナルを発する物質に特異的に結合する物質の例としては、ビオチン、アビジン、ジゴキシゲニン、抗体などが挙げられる。標識の方法としては、化学反応で翻訳産物に直接結合させる方法などが挙げられる。また、抗体アレイを金薄膜上に作製した場合には、翻訳産物を標識することなく、表面プラズモン共鳴等の周知の方法により、翻訳産物の抗体への結合の有無を検出することができる。
【0084】
抗体アレイは、当該分野で周知の方法によって、抗体を支持体上に固定することにより作製することができる。抗体を支持体上に固定する方法としては、例えば、共有結合により固定する方法、静電的結合により固定する方法が挙げられるが、実験の再現性を考慮すれば共有結合により固定する方法が好ましい。また、支持体がガラス、プラスチック、金薄膜などの場合は、支持体表面上の官能基に、抗体に含まれるアミノ酸の官能基を反応・結合させることにより、抗体を支持体上に固定することもできる。
【0085】
(iii)のリガンド又は受容体としては、表1に列挙したものを挙げることが出来る。これらのリガンド及び受容体はいずれも公知であり、これらがタンパク質である場合は、当業者は、公共のデータベースからアミノ酸配列を入手し、周知の遺伝子工学的手法を用いて組換えタンパク質として製造することが出来る。受容体は通常膜タンパク質であるため、本発明の診断剤として用いるためには、特異的リガンド結合に必須の領域を含む可溶性受容体として得ることが好ましい。可溶性受容体は、受容体の細胞外部分を遺伝子工学的手法を用いて製造することにより得ることが出来る。
【0086】
リガンド及び受容体は、修飾されていてもよい。当該修飾としては、特に限定されないが、例えば、蛍光(FITC、ローダミン、テキサスレッド、6-カルボキシ-フルオレッセイン(FAM)、テトラクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(TET)、2,7-ジメトキシ-4,5-ジクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(JOE)、ヘキソクロロ-6-カルボキシフルオレッセイン(HEX)、6-カルボキシ-テトラメチル-ローダミン(TAMRA)等)標識、ビオチン標識、ジゴキシゲニン標識、アルカリフォスファターゼ標識、放射性同位体(125I、32P、3H、ポジトロン放出核種(11C、13N、15O、18O、45Ti、62Cu、68Ga、82Rb))標識、鉄などの金属ナノ粒子による標識等が挙げられる。
【0087】
上記(i)〜(iii)の物質を用いて判定の対象者における精神疾患関連遺伝子の発現レベルを測定することにより、上記本発明の判定方法を簡便に実施することが出来る。
【0088】
また、本発明の診断剤は、上記(i)〜(iii)の物質の他に、測定や保存に必要な付加的な要素と組合せて、精神疾患の診断用キットとすることもできる。例えば本発明の診断剤が(i)の物質を含むものであれば、付加的な要素として、ブロッティング緩衝液、標識化試薬、ブロッティング膜、発色基質、10×PCR反応緩衝液、10×MgCl2水溶液、10×dNTPs水溶液、Taq DNAポリメラーゼ(5U/μL)、逆転写酵素、陽性対照、陰性対照、診断プロトコールを記載した指示書、精神疾患の判定基準用データ等をさらに含むことができる。本発明の診断剤が(ii)の物質を含むものであれば、付加的な要素として、標識二次抗体、発色基質、ブロッキング液、洗浄緩衝液、ELISAプレート、ブロッティング膜、陽性対照、陰性対照、診断プロトコールを記載した指示書、精神疾患の判定基準用データ等をさらに含むことができる。これらの要素は必要に応じて予め混合しておくことも出来る。また、必要に応じて保存剤や防腐剤を各要素に加えることも出来る。
【0089】
3.スクリーニング方法I
本発明は、上記精神疾患関連遺伝子の発現レベルを測定することを含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法(本発明の探索方法I)を提供する。本発明の探索方法Iは、精神疾患関連遺伝子の転写産物(mRNA)に結合(必要に応じて、切断若しくは分解)し、又は当該遺伝子の発現調節部位に結合し、あるいは当該遺伝子の発現を制御する他の遺伝子の発現又は機能を調節することなどにより、当該遺伝子の転写産物又は翻訳産物の発現レベルを増加・減少させ得る物質や、精神疾患関連遺伝子の翻訳産物の翻訳後修飾を調節することにより、当該翻訳産物の活性発現を増加・減少させる物質等の同定を可能にする。
【0090】
本発明の探索方法Iにおいて発現レベルが測定される遺伝子の数は、特に限定されず、上記精神疾患関連遺伝子群から選択された少なくとも1つの遺伝子の発現量を測定すればよい。精神疾患に対する治療効果がより高い物質を、より確実に同定する目的で、上記精神疾患関連遺伝子群から選択された、例えば2以上、好ましくは5以上、より好ましくは10以上、更に好ましくは15以上、更により好ましくは20以上、一層より好ましくは30以上、最も好ましくは32の遺伝子の発現レベルを測定してもよい。
【0091】
本発明の探索方法Iは、具体的には、以下の工程を含む:
(I)被検物質と、上記精神疾患関連遺伝子から選択されるいずれかの遺伝子の発現を測定可能な細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた細胞における上記(I)で選択された遺伝子の発現レベルを測定し、該発現レベルを被検物質を接触させない対照細胞における該遺伝子の発現レベルと比較すること;並びに
(III)上記(II)の比較結果に基づき、該遺伝子について以下の発現レベルの変動を引き起こした被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること:
発現レベルの亢進:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの低下:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【0092】
本発明の探索方法Iに供される被検物質は、いかなる公知化合物及び新規化合物であってもよく、例えば、核酸、糖質、脂質、蛋白質、ペプチド、有機低分子化合物、コンビナトリアルケミストリー技術を用いて作製された化合物ライブラリー、ランダムペプチドライブラリー、あるいは微生物、動植物、海洋生物等由来の天然成分等が挙げられる。
【0093】
本発明の探索方法Iに用いることの可能な細胞は、哺乳動物の細胞である。本明細書において、哺乳動物としては、例えば、マウス、ラット、ハムスター、モルモット等のげっ歯類やウサギ等の実験動物、ブタ、ウシ、ヤギ、ウマ、ヒツジ等の家畜、イヌ、ネコ等のペット、ヒト、サル、オランウータン、チンパンジーなどの霊長類を挙げることが出来る。
【0094】
「発現を測定可能な細胞」とは、測定対象遺伝子の転写産物又は翻訳産物の発現レベルを直接的又は間接的に評価可能な細胞をいう。測定対象遺伝子の転写産物又は翻訳産物の発現レベルを直接的に評価可能な細胞としては、測定対象遺伝子を天然で発現可能な細胞が挙げられ、一方、測定対象遺伝子の転写産物又は翻訳産物の発現レベルを間接的に評価可能な細胞としては、測定対象遺伝子の転写調節領域についてレポーターアッセイを可能とする細胞が挙げられる。
【0095】
測定対象の精神疾患関連遺伝子の転写産物又は翻訳産物を天然で発現可能な細胞は、該転写産物又は翻訳産物を潜在的に発現するものである限り特に限定されない。当該細胞として、「1.精神疾患の判定方法」の項に列挙した細胞を挙げることが出来る。該細胞は好ましくは、細胞は、神経細胞、グリア細胞、血液細胞、またはそれらの前駆細胞もしくは幹細胞であり、より好ましくは、神経細胞、グリア細胞、またはそれらの前駆細胞もしくは幹細胞である。本発明の探索方法においては、前記した細胞のなかでも、海馬(例、海馬歯状回)の細胞が好ましく用いられる。
【0096】
一つの好ましい態様において、発現を測定可能な細胞は、測定対象である精神疾患関連遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【0097】
上記細胞を用い、精神疾患関連遺伝子の発現レベルが低下又は亢進した状態を解消する作用を有する被検物質を選択することにより、精神疾患を予防又は治療し得る物質を得ることが出来る。
【0098】
上述のような精神疾患関連遺伝子の発現レベルが低下又は亢進した状態にある細胞としては、CaMKIIα不全細胞を用いることが出来る。「CaMKIIα不全」とはCaMKIIα遺伝子が機能的に不十分である状態、即ちCaMKIIα遺伝子が本来有する正常な機能を十分に発揮できない状態をいい、CaMKIIα遺伝子が全く発現していない状態、またはCaMKIIα遺伝子が本来有する正常な機能が発揮できない程度にその発現量が低下している状態、あるいはCaMKIIα遺伝子産物の機能が完全に喪失した状態、またはCaMKIIα遺伝子が本来有する正常な機能が発揮できない程度にCaMKIIα遺伝子産物の機能が低下した状態が挙げられる。
【0099】
CaMKIIα不全細胞としては、例えば、CaMKIIαホモ欠損細胞又はCaMKIIαへテロ欠損細胞、好ましくはCaMKIIαへテロ欠損細胞を挙げることが出来る。CaMKIIα不全細胞は、例えば、CaMKIIα不全動物(CaMKIIα欠損動物等)の細胞を回収することにより得ることが出来る。或いはCaMKIIα遺伝子に対するターゲッティングベクターを細胞に導入し、相同性組換えによりCaMKIIα遺伝子を欠損させることによっても、CaMKIIα不全細胞を得ることが出来る。
【0100】
例えばCaMKIIα遺伝子へテロ欠損動物から単離された海馬の細胞は、TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNTの発現レベルが低下しており、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615及びKIAA1651の発現レベルが亢進している。
【0101】
測定対象遺伝子の転写調節領域についてレポーターアッセイを可能とする細胞は、精神疾患関連遺伝子の転写調節領域(例えば、転写開始点から上流約2kbpの塩基配列からなるDNA)、当該領域に機能可能に連結されたレポーター遺伝子(例えばGFP遺伝子)を含む細胞である。精神疾患関連遺伝子に対する生理的な転写調節因子を発現し、精神疾患関連遺伝子の発現調節の評価により適切であると考えられることから、測定対象の細胞としては神経細胞、グリア細胞、またはそれらの前駆細胞もしくは幹細胞が好ましい。また、本発明の探索方法においては、海馬(例、海馬歯状回)の細胞が好ましく用いられる。
【0102】
被検物質と細胞との接触は、インビトロで行うことも、インビボで行うことも可能である。
【0103】
インビトロでの被検物質と細胞との接触は、培養培地中で行われる。培養培地は、ザルコポディンの発現を測定可能な細胞に応じて適宜選択されるが、例えば、約5〜約20%のウシ胎仔血清を含む最少必須培地(MEM)、ダルベッコ改変イーグル培地(DMEM)などである。培養条件も同様に適宜決定されるが、例えば、培地のpHは約6〜約8であり、培養温度は通常約30〜約40℃であり、培養時間は約12〜約72時間である。
【0104】
インビボでの被検物質と細胞との接触は、被検物質を非ヒト哺乳動物へ、経口/非経口にて投与することにより行うことが出来る。
【0105】
一つの好ましい態様において、被検物質が投与される非ヒト哺乳動物の海馬における測定対象である精神疾患関連遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【0106】
上記哺乳動物を用い、海馬における精神疾患関連遺伝子の発現レベルが低下又は亢進した状態を解消する作用を有する被検物質を選択することにより、精神疾患を予防又は治療し得る物質を得ることが出来る。
【0107】
このような哺乳動物としては、CaMKIIα欠損動物(例えばホモ欠損動物又はヘテロ欠損動物、好ましくはヘテロ欠損動物)を挙げることが出来る。
【0108】
CaMKIIαへテロ欠損動物の海馬においては、TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNTの発現レベルが低下しており、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615及びKIAA1651の発現レベルが亢進している。
【0109】
工程(II)における精神疾患関連遺伝子の発現レベルの測定は、「1.精神疾患の判定方法」の項で述べた方法に従い行うことができる。具体的には、免疫組織染色法、放射免疫アッセイ法、競合アッセイ法、酵素結合免疫吸着アッセイ法、ウェスタンブロット法、フローサイトメトリー解析、RT-PCR法、in situハイブリダイゼーション法、ノーザンブロットハイブリダイゼーション法、又はドットブロットハイブリダイゼーション法や、翻訳産物の活性を測定する方法等が使用可能である。また、レポーター遺伝子を含む細胞が用いられた場合、発現量は、レポーター遺伝子のシグナル強度に基づき測定される。
【0110】
一実施態様において、測定対象遺伝子がTDO2であり、且つTDO2の発現レベルとして翻訳産物の活性が放射性同位体標識トリプトファンを用いて測定される。該方法は、具体的には、L-[ring-2-14C]-tryptophanを基質とし、組織ホモジェネート、細胞、組織スライス、またはインビボのTDO活性産物として得られる標識キヌレニンを定量することにより行われる。該方法の詳細についてはSalter M et al., Biochem. Pharmacol. 49, p. 1435-1442 (1995)などに記載されている。
【0111】
発現レベルの比較は、好ましくは、統計学的有意差の有無に基づいて行なわれ得る。なお、被検物質を接触させない対照細胞における精神疾患関連遺伝子の発現レベルは、被検物質を接触させた細胞における精神疾患関連遺伝子の発現レベルの測定に対し、事前に測定した発現レベルであっても、同時に測定した発現レベルであってもよいが、実験の精度、再現性の観点から同時に測定した発現レベルであることが好ましい。
【0112】
そして、比較の結果、測定対象の精神疾患関連遺伝子について、以下の発現レベルの変動を引き起こした被検物質が、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択される。
発現レベルの亢進:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの低下:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【0113】
本発明の探索方法Iで得られる化合物は、新たな精神疾患の予防又は治療薬の開発のための候補物質として有用である。
【0114】
4.スクリーニング方法II
後述の実施例に示されるように、統合失調症のモデル動物であるCaMKIIαヘテロ欠損動物の海馬においては、神経新生が亢進し神経前駆細胞の数が増加している一方で、成熟神経細胞の指標であるCALB1の発現レベルが減少している。このことは、統合失調症における精神症状(例えば作業記憶障害)の神経科学的な基盤は、成体における神経前駆細胞の成熟障害であり、その修復は該精神症状を改善し得ることを示唆する。
【0115】
従って、本発明は、以下の工程を含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法(本発明の探索方法II)を提供する:
(I)被検物質と神経前駆細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟の程度を、被検物質を接触させない対照神経前駆細胞の該程度と比較すること;及び
(III)上記(II)の比較結果に基づき、神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟を促進した被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること。
【0116】
本発明の探索方法IIに供される被検物質としては、本発明の探索方法Iに用いられる被検物質と同一のものを挙げることが出来る。
【0117】
本発明の探索方法IIに用いることの可能な神経前駆細胞は、哺乳動物の細胞である。
【0118】
神経前駆細胞とは神経のみに分化し得る未分化な細胞をいう。神経前駆細胞は、公知のマーカー分子の発現に基づき同定し、単離することが出来る。代表的なマーカー分子としては、PSA、NCAM等が挙げられ、神経前駆細胞はPSA及びNCAMが陽性である。該マーカー分子の発現は、マーカー分子を特異的に認識する抗体を用いた免疫学的手法(免疫組織染色、フローサイトメトリー、ELISA、ウェスタンブロット等)により測定することが出来る。神経前駆細胞の単離は、例えばセルソーター、抗体結合磁性ビーズ等を用いて行うことが出来る。
【0119】
神経前駆細胞は、株化されていない天然の細胞であっても、株化細胞であってもよい。神経前駆細胞は脳、脊椎等のいずれの組織由来であってもよいが、本発明の探索方法IIにおいては、海馬(例、海馬歯状回)由来の細胞が好ましく用いられる。
【0120】
一つの好ましい態様において、本発明の探索方法IIに用いられる神経前駆細胞は、成熟機能が障害された状態にある。該細胞を用い、障害された成熟機能を回復する作用を有する被検物質を選択することにより、精神疾患を予防又は治療し得る物質を得ることが出来る。
【0121】
上述のような成熟機能が障害された状態にある神経前駆細胞としては、CaMKIIα不全細胞を用いることが出来る。CaMKIIα不全細胞としては、本発明の探索方法Iにおいて用いられる細胞と同一のものを挙げることが出来る。例えば、CaMKIIα遺伝子へテロ欠損動物から単離された海馬の神経前駆細胞の成熟機能は、野生型対照動物と比較して低下している。
【0122】
被検物質と神経前駆細胞との接触は、インビトロで行うことも、インビボで行うことも可能である。
【0123】
インビトロでの被検物質と細胞との接触は、培養培地中で行われる。培養培地は、ザルコポディンの発現を測定可能な細胞に応じて適宜選択されるが、例えば、約5〜約20%のウシ胎仔血清を含む最少必須培地(MEM)、ダルベッコ改変イーグル培地(DMEM)などである。培養条件も同様に適宜決定されるが、例えば、培地のpHは約6〜約8であり、培養温度は通常約30〜約40℃であり、培養時間は約12〜約120時間である。
【0124】
インビボでの被検物質と神経前駆細胞との接触は、被検物質を非ヒト哺乳動物へ、経口/非経口にて投与することにより行うことが出来る。
【0125】
一つの好ましい態様において、被検物質が投与される非ヒト哺乳動物の海馬における神経前駆細胞は、成熟機能が障害された状態にある。
【0126】
上記哺乳動物を用い、海馬における神経前駆細胞の傷害された成熟機能を回復する作用を有する被検物質を選択することにより、精神疾患を予防又は治療し得る物質を得ることが出来る。
【0127】
このような哺乳動物としては、CaMKIIα欠損動物(例えばホモ欠損動物又はヘテロ欠損動物、好ましくはヘテロ欠損動物)を挙げることが出来る。
【0128】
工程(II)における神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟の程度の評価は、成熟神経細胞のマーカー分子の発現を、「1.精神疾患の判定方法」の項で述べた方法等に従い行うことができる。具体的には、免疫組織染色法、放射免疫アッセイ法、競合アッセイ法、酵素結合免疫吸着アッセイ法、ウェスタンブロット法、フローサイトメトリー解析、RT-PCR法、in situハイブリダイゼーション法、ノーザンブロットハイブリダイゼーション法、又はドットブロットハイブリダイゼーション法や、マーカー分子の活性を測定する方法等が使用可能である。成熟神経細胞のマーカー分子としては、本発明で見出されたDSP、IL1R1、NPNTなどの他に、代表的マーカーとして公知であるCALB1(Encinas JM et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, p. 8233-8238 (2006))等を挙げることが出来る。
【0129】
成熟神経細胞への成熟の程度の比較は、好ましくは、統計学的有意差の有無に基づいて行なわれ得る。なお、被検物質を接触させない対照細胞における成熟神経細胞への成熟の程度は、被検物質を接触させた細胞における成熟神経細胞への成熟の程度の測定に対し、事前に測定したものであっても、同時に測定したものであってもよいが、実験の精度、再現性の観点から同時に測定されたものであることが好ましい。
【0130】
そして、比較の結果、神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟を促進した被検物質が、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択される。
【0131】
本発明の探索方法IIで得られる化合物は、新たな精神疾患の予防又は治療薬の開発のための候補物質として有用である。
【0132】
5.精神疾患の治療標的候補遺伝子を探索する方法
本発明は、以下の工程を含む、精神疾患の治療標的候補遺伝子を探索する方法(本発明の探索方法III)を提供する:
(I)精神疾患のモデル動物において、野生型対照動物と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を同定すること;
(II)精神症状に基づき精神疾患に罹患している又はしていないと診断されたヒトを含むヒト集団について、該患者における(I)で同定された遺伝子の発現レベルに基づき、階層的クラスタリング解析を実施し、精神疾患患者が集積したクラスターを同定すること;及び
(III)(II)で同定されたクラスターに含まれる精神疾患患者において、精神疾患非罹患者と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を精神疾患の治療標的候補遺伝子として同定すること。
【0133】
工程(I)において用いられる精神疾患のモデル動物は、通常哺乳動物である。哺乳動物としては、「3.スクリーニング方法I」の項に記載したものを挙げることが出来る。該モデル動物としては、遺伝学的に出来る限り均質な動物を用いることが好ましい。均質な動物を用いることにより、遺伝子発現プロファイルの個体差を除去し、精神疾患のモデル動物において野生型対照動物と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を正確に同定することが出来る。このような観点から、該モデル動物としては、遺伝子不全動物(例えば遺伝子欠損動物)であって、機能不全を有する遺伝子が予め同定されているものが好ましい。該モデル動物としては、例えば、上述のCaMKIIα不全動物(好ましくはCaMKIIαへテロ欠損動物)を挙げることが出来る。上述のように、CaMKIIαヘテロ欠損動物は、優れた統合失調症モデルである。
【0134】
工程(I)の発現レベルの測定及び比較は、上述の「1.精神疾患の判定方法」又は「2.精神疾患の診断剤」の項に記載した方法と同様にして行うことが出来る。精神疾患の治療標的遺伝子を探索する目的から、好ましくは脳、より好ましくは海馬における発現レベルが比較される。好ましくは、ヒトにおけるの遺伝子の発現レベルは、ヒトから分離された生体試料を用いて、非医療行為として、生体外で評価される。
【0135】
工程(II)においては、表出した精神症状に基づき、精神疾患に罹患している又はしていないと診断されたヒトを含むヒト集団について、該患者における工程(I)で同定された遺伝子の発現レベルに基づき、階層的クラスタリング解析が実施され、精神疾患患者が集積したクラスターが同定される。「集積」とは、解析対象の精神疾患患者の少なくとも50%超が同一のクラスターに属していることを意味する。このクラスターからは、表面的には精神疾患に特有な精神症状を表出していると診断されたものの、精神疾患モデル動物とは類似しない生物学的特徴(遺伝子発現変化)を有する患者(アウトライナー)は排除されているため、このクラスターに属する精神疾患患者は、精神疾患モデル動物と同一又は近似の生物学的特徴(遺伝子発現変化)を有する、比較的均質な集団となり得る。
【0136】
工程(III)では、工程(II)で同定されたクラスターに含まれる精神疾患患者における種々の遺伝子の発現レベルが精神疾患非罹患者と比較され、発現レベルが有意に異なる遺伝子が精神疾患の治療標的候補遺伝子として同定される。遺伝子発現レベルの測定及び比較は、「1.精神疾患の判定方法」の項に記載した方法により行うことが出来る。
【0137】
例えば、精神疾患患者として統合失調症患者を用い、統合失調症のモデル動物としてCaMKIIαヘテロ欠損動物を用いた場合には、治療標的候補遺伝子として、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8等を得ることが出来る。これらの遺伝子のうち、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の発現レベルは統合失調症患者において有意に低下しており、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615及びKIAA1651の発現レベルは統合失調症患者において有意に亢進している。
【0138】
本発明の探索方法IIIにより得られた治療標的候補遺伝子について、「3.スクリーニング方法」の項で述べた方法を適用することにより、精神疾患を予防又は治療し得る物質を得ることが出来る。例えば工程(II)で同定されたクラスターに含まれる精神疾患患者集団において、精神疾患非罹患者と比較して発現レベルが有意に低下していた遺伝子については、該遺伝子の発現レベルを亢進させる作用を有する物質が、精神疾患を予防又は治療し得る候補物質であり得る。また、該患者集団において精神疾患非罹患者と比較して発現レベルが有意に亢進していた遺伝子については、該遺伝子の発現レベルを低下させる作用を有する物質が、精神疾患を予防又は治療し得る候補物質であり得る。
【0139】
以下、実施例を示して本発明をより具体的に説明するが、本発明は以下に示す実施例によって何ら限定されるものではない。
【実施例】
【0140】
(実施例1)
カルモジュリン依存性キナーゼIIα(CaMKIIα)へテロノックアウト(HKO)マウス(The Jackson Laboratory)は、強固な作業記憶障害、ホームケージにおける過活動の長周期的な変化、不安減弱などの行動特性を示した。これらの行動特性はマウスの週齢や学習経験の有無に依存しなかった。
行動特性を分子レベルで特徴付けることを目的として、行動試験経験のない12週齢及び行動試験経験をもつ40週齢のマウスを用い、野生型マウスとCaMKIIα HKOとの間で、海馬における遺伝子発現をGeneChipシステム(Affimetrix、Mouse Genome 4302.0 Array)により比較した。その結果、週齢及び行動試験経験の有無に依存せずに、CaMKIIα HKOで発現レベルが有意に変化しているプローブセットが130個同定された(図1、2)。
参照記憶と比較して、作業記憶に特異的な障害が認められるという特徴がCaMKIIα HKOと統合失調症患者に共通していることから、ヒトサンプル遺伝子発現データベース(BioExpressシステム、Gene Logic)に収められた166例の海馬GeneChipデータ(GeneChipシステム(Affimetrix、human U130 Array)による)において、21例の統合失調症患者を特徴付けるのに最適な10プローブを、上述の130プローブセットに対応可能なヒトGeneChip解析プローブ57個の中から分散分析法を用いて抽出し、発現マップのクラスター解析を実施した。その結果、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13及びTDO2からなるプローブセットを使用した場合、統合失調症患者18名中16名、双極性気分障害患者2名中2名、分裂感情障害(schizoaffective disorder)患者1名中1名が集積するクラスターが形成された(図3、4)。尚、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、及びSPATA13は、統合失調症患者及びCaMKIIα HKOマウスにおいて発現が有意に亢進していた。PNCK及びTDO2は、統合失調症患者及びCaMKIIα HKOマウスにおいて発現が有意に低下していた。
このクラスターに含まれる上記精神疾患患者群19名と、このクラスターに含まれない精神疾患非罹患者30名との間での遺伝子発現パターンの違いを比較し、年齢及び性別による影響を受けない有意な変化(P<0.001、2倍を上回る変化)を与える26のプローブが同定された(図5〜7、表2)。
【0141】
【表2】

【0142】
表中、UPは精神疾患患者において発現が有意に亢進していることを、DOWNは、精神疾患患者において発現が有意に低下していることを示す。
【0143】
この26プローブに対応する遺伝子の脳における機能を既知の報告から分析した結果、8プローブ(遺伝子産物として、CD24抗原、Cut-like 2、Transcription factor 7-like 2)に対応する遺伝子発現レベルの変化は神経新生の促進を示唆し、4プローブ(遺伝子産物としてReversion-inducing-cysteine-rich protein with kazal motifs (RECK)、Chemokine (C-X-C motif) ligand 12 (CXCL12)、Calbindin 28K (CALB1)、Protocadherin 8 (PCDH8、Arcadlin) に対応する遺伝子発現レベルの変化は神経の移動ないし成熟を抑制することを示唆する変化であった。
以上より、CaMKIIα HKOマウスでは、統合失調症を含む神経疾患と共通する特徴として海馬におけるadult neurogenesisの促進と同時に成熟過程の抑制が起きていることが示唆された。
【0144】
(実施例2)
実施例1で用いたCaMKIIα HKOマウスの成獣海馬における細胞新生をブロモデオキシウリジン(BrdU)取込法によって解析した。その結果、神経新生の場として知られるsubglanular zone(SGZ)において野生型と比較して約1.7倍促進されていることが判明した(図8)。同時に、未成熟顆粒細胞のマーカーとして知られるPSA-NCAM陽性細胞数が増加する一方(図9)、成熟顆粒細胞マーカーであるCalbindin28K陽性細胞が顕著に減少していた(図10, Encinas JM et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, p. 8233-8238 (2006))。以上より、実施例1でトランスクリプトーム変化として予測された海馬での神経新生促進と同時に神経成熟抑制という状況がタンパク質レベルで且つ組織学的に確認された。
更に、マウスGeneChip解析上の変化として顕著な発現減少を示したプローブの中で、tryptophan 2,3-dioxygenase-2、desmoplakin、interleukin 1 receptor type I、4921511C04Rik、nephronectin及び9930021J17Rikについては、Allen Brain Atlas (Allen Institute for Brain Science, Seattle)において海馬歯状回特異的な発現が示されていることから、これらの分子が海馬歯状回における顆粒細胞成熟抑制に関連する新しいマーカーであることが示唆された。
【産業上の利用可能性】
【0145】
本発明によれば、的確且つ客観的に対象者が統合失調症に罹患しているか否かを判定することが可能となる。また、本発明により、精神疾患の生物学的特徴に基づく該疾患の治療標的遺伝子が新たに提供され、該遺伝子を利用することにより、精神疾患を予防又は治療し得る医薬をこれまでにないアプローチによりスクリーニングすることが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0146】
【図1】CaMKIIα HKOマウスを特徴付ける特異的遺伝子の探索方法を模式的に示す。
【図2】CaMKIIα HKOマウスで発現レベルが有意に変化している130個のプローブセットに対応する遺伝子の、野生型マウス(40週齢)及びCaMKIIα HKOマウス(12週齢)の海馬における発現を示す。緑は発現レベルの低下を、赤は発現レベルの亢進をそれぞれ示す。
【図3】CaMKIIα HKOマウス及び統合失調症患者で発現レベルが有意に変化している10個の遺伝子の、野生型マウス(40週齢)及びCaMKIIα HKOマウス(40週齢)の海馬における発現を示す。
【図4】10個の遺伝子の発現レベルに基づく階層的クラスタリング解析の結果を示す。各カラムの右端のマークは、対応する疾患の患者を示す。統合失調症患者、双極性気分障害患者及び分裂感情障害患者が集積するクラスターが形成されていることが分かる。うつ病患者及び自殺者が集積するクラスターは形成されない。
【図5】クラスターに基づくドナー選択を用いた精神疾患変動遺伝子の探索方法を模式的に示す。
【図6】本発明において見出されたCD24の海馬における発現レベルを示す。白カラム/丸:精神疾患と診断されていないドナー、黒カラム/丸:統合失調症、灰色カラム/丸:統合失調症クラスター中の精神疾患と診断されていないドナー。
【図7】成熟顆粒細胞の最も代表的なマーカーであるCALB1(Encinas JM et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, p. 8233-8238 (2006))の海馬における発現レベルを示す。白カラム:陰性クラスター中の特異的コントロール、黒カラム:陽性クラスター中の統合失調症患者、灰色カラム:陽性クラスター中の精神疾患と診断されていないドナー。
【図8】CaMKIIα HKOマウスの海馬歯状回においてBrdU標識細胞が増加していることを示す。
【図9】CaMKIIα HKOマウスの海馬歯状回においてPSA-NCAM陽性細胞が増加していることを示す。
【図10】CaMKIIα HKOマウスの海馬において成熟顆粒細胞の最も代表的なマーカーであるCALB1(Encinas JM et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, p. 8233-8238 (2006))の発現が減少していることを示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
判定の対象者における、
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNTからなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の発現レベルを指標として該対象者が精神疾患に罹患しているか否か判定することを含む、精神疾患の判定方法。
【請求項2】
CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の発現レベルが指標として用いられる、請求項1記載の方法。
【請求項3】
指標とする遺伝子について、以下の発現レベルの変動が確認された場合、判定の対象者が精神疾患に罹患している可能性が高いと判定する、請求項1記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;及び
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【請求項4】
精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、請求項1記載の方法。
【請求項5】
精神疾患が統合失調症である、請求項4記載の方法。
【請求項6】
以下の(i)〜(iii)から選択されるいずれかの物質を用いて遺伝子の発現レベルが測定される、請求項1記載の方法:
(i)指標とする遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマー;
(ii)指標とする遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体;及び
(iii)指標とする遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド又は受容体。
【請求項7】
海馬における発現レベルが指標として用いられる、請求項1記載の方法。
【請求項8】
以下の(i)〜(iii)から選択されるいずれかの物質を含む、精神疾患の診断剤:
(i)ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNTからなる群から選択される少なくとも1つの遺伝子の転写産物を特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマー;
(ii)上記群から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物を特異的に認識する抗体;及び
(iii)上記群から選択される少なくとも1つの遺伝子の翻訳産物に特異的に結合するリガンド若しくは受容体。
【請求項9】
以下の(ia)及び(iia)から選択されるいずれかの群を含む、請求項8記載の剤。
(ia) CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の各転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ又はプライマーの群;及び
(iia) CUTL2、ZNF492、PIP3-E、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C及びPCDH8の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体の群。
【請求項10】
以下の工程を含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法:
(I)被検物質と、
ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択されるいずれかの遺伝子の発現レベルを測定可能な細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた細胞における上記(I)で選択された遺伝子の発現レベルを測定し、該発現レベルを被検物質を接触させない対照細胞における該遺伝子の発現レベルと比較すること;並びに
(III)上記(II)の比較結果に基づき、該遺伝子について以下の発現レベルの変動を引き起こした被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること:
発現レベルの亢進:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの低下:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【請求項11】
細胞が海馬の細胞である、請求項10記載の方法。
【請求項12】
被検物質を接触させる細胞における測定対象遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある、請求項10記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【請求項13】
被検物質と細胞との接触が非ヒト哺乳動物の生体内で行われる、請求項10記載の方法。
【請求項14】
被検物質が投与される非ヒト哺乳動物の海馬における測定対象遺伝子の発現レベルが以下のいずれかの状態にある、請求項13記載の方法:
発現レベルの低下:TDO2、PNCK、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、DSP、IL-1R1、NPNT;又は
発現レベルの亢進:ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、SPATA13、CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651。
【請求項15】
非ヒト哺乳動物がCaMKIIαヘテロ欠損動物である、請求項13記載の方法。
【請求項16】
測定対象遺伝子がTDO2であり、且つTDO2の発現レベルが放射性同位体標識トリプトファンを用いて測定される、請求項記10載の方法。
【請求項17】
遺伝子の発現レベルが、免疫組織染色法、放射免疫アッセイ法、競合アッセイ法、酵素結合免疫吸着アッセイ法、ウェスタンブロット法、フローサイトメトリー解析、RT-PCR法、in situハイブリダイゼーション法、ノーザンブロットハイブリダイゼーション法、ドットブロットハイブリダイゼーション法、PET法、MRI法又は近赤外線スペクトログラフィー(NIRS)により測定される、請求項10記載の方法。
【請求項18】
精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、請求項10記載の方法。
【請求項19】
精神疾患が統合失調症である、請求項18記載の方法。
【請求項20】
以下の工程を含む、精神疾患を予防又は治療し得る物質を探索する方法:
(I)被検物質と神経前駆細胞とを接触させること;
(II)被検物質を接触させた神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟の程度を、被検物質を接触させない対照神経前駆細胞の該程度と比較すること;及び
(III)上記(II)の比較結果に基づき、神経前駆細胞の成熟神経細胞への成熟を促進した被検物質を、精神疾患を予防又は治療し得る物質として選択すること。
【請求項21】
神経前駆細胞が海馬由来である、請求項20記載の方法。
【請求項22】
被検物質と神経前駆細胞との接触が非ヒト哺乳動物の生体内で行われる、請求項20記載の方法。
【請求項23】
非ヒト哺乳動物がCaMKIIαヘテロ欠損動物である、請求項22記載の方法。
【請求項24】
精神疾患が、統合失調症、双極性気分障害、分裂感情障害、発達障害及びうつ病からなる群より選択される、請求項20記載の方法。
【請求項25】
精神疾患が統合失調症である、請求項24記載の方法。
【請求項26】
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブ若しくはプライマーを含む、核酸プローブ又はプライマーの群。
【請求項27】
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の転写産物をそれぞれ特異的に検出し得る核酸プローブを含む核酸プローブの群が固定された核酸アレイ。
【請求項28】
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を含む、抗体の群。
【請求項29】
CUTL2、ZNF492、SCD4、RIMS3、RECK、TCF4、DKFZp586E121、DKFZp434G1615、KIAA1651、CXCL12、GLRX、EGR4、CD24、THOP1、ATP1A3、DHPS、FLJ10052、HTR2C、PCDH8、ADCY8、CCND1、CPNE9、LOC284018、NTNG1、PDYN、PIP3-E、PNCK、SPATA13、TDO2、DSP、IL-1R1及びNPNT
からなる群から選択される2以上の遺伝子の各翻訳産物をそれぞれ特異的に認識する抗体を含む抗体の群が固定された抗体アレイ。
【請求項30】
以下の工程を含む、精神疾患の治療標的候補遺伝子を探索する方法:
(I)精神疾患のモデル動物において、野生型対照動物と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を同定すること;
(II)精神症状に基づき精神疾患に罹患している又はしていないと診断されたヒトを含むヒト集団について、該患者における(I)で同定された遺伝子の発現レベルに基づき、階層的クラスタリング解析を実施し、精神疾患患者が集積したクラスターを同定すること;及び
(III)(II)で同定されたクラスターに含まれる精神疾患患者において、精神疾患非罹患者と比較して発現レベルが有意に異なる遺伝子を精神疾患の治療標的候補遺伝子として同定すること。
【請求項31】
精神疾患が統合失調症である、請求項30記載の方法。
【請求項32】
モデル動物がCaMKIIα遺伝子ヘテロ欠損動物である、請求項30記載の方法。

【図1】
image rotate

【図5】
image rotate

【図10】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate


【公開番号】特開2009−112266(P2009−112266A)
【公開日】平成21年5月28日(2009.5.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−290176(P2007−290176)
【出願日】平成19年11月7日(2007.11.7)
【出願人】(000002956)田辺三菱製薬株式会社 (225)
【Fターム(参考)】