説明

糖鎖分析方法

【課題】糖鎖と夾雑物が混在する試料において、マススペクトルの中から糖鎖由来のピークを特異的に抽出することのできる糖鎖分析方法を提供する。
【解決手段】糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加し、上記試料をマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置で分析する。糖鎖を含む試料をアミノキノリンの存在下で質量分析すると、プロトン付加分子イオンや金属イオン付加分子イオン等の通常の分子イオンに代えて又は加えて、これらのピークから高質量側にm/z=126離れた位置にピーク(126Da付加分子イオンピーク)が出現する。この126Da付加分子イオンピークは糖鎖特異的に出現するため、このピークを探索することにより、糖鎖と夾雑物が混在する試料のマススペクトルから糖鎖由来のピークのみを容易に抽出することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析を利用した糖鎖の分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
糖鎖はタンパク質等の安定性や局在性に深く関わっており、細胞表面にあっては認識分子として機能するなど、細胞の高次な生命機能の発現に重要な役割を果たしている。しかし、糖鎖は、構成糖の種類や、糖の結合順序、構成糖間の結合様式やアノマー構造の違いなどにより、極めて高い多様性を有する。例えば、糖鎖の構成糖のうち、グルコース(Glc)、ガラクトース(Gal)、マンノース(Man)は分子量が同じ異性体である。生体内の糖鎖を構成する構成糖の種類は多くはないが、多くの糖鎖は構成糖が数十個程度結合したものであるため、その結合の組み合わせは極めて多数にのぼる。それに加えて、枝分かれ構造による異性体、α、βアノマー異性体等の異性体が存在し、硫酸化、リン酸化などの修飾を受けているものもある。
【0003】
これらの多様性を有する上、分析を更に困難にしているのが、糖鎖は微量にしか存在しないという点であり、しかも現在のところ、糖鎖を増幅する手法は未だ開発されていない。
【0004】
糖鎖構造の解析法として、現在まで、加水分解酵素やHPLCを用いた手法、レクチンアフィニティークロマトグラフィー、メチル化分析、質量分析、NMRなどを利用した手法等、種々の手法が開発されている。近年では、高速性及び操作の容易性の点から、上記のような種々の解析法の中でも、質量分析を用いた手法が糖鎖構造解析の主流となっている。
【0005】
こうした質量分析による糖鎖構造解析では、糖鎖イオンの[(i)断片化]−[(ii)断片イオンの質量測定]を行うMS/MS分析や、糖鎖イオンの[(i)断片化]−[(ii)断片イオンの質量測定及び選択]−[(iii)さらなる断片化]を多段階繰り返すMS(nは3以上の整数)分析が威力を発揮しており、これにより糖鎖の複雑な構造情報を得ることが可能となっている(例えば、特許文献1を参照)。
【0006】
こうしたMS/MS分析やMS分析で得られたマススペクトルパターンから糖鎖構造を求める方法としては、例えば、予め構造の判明した多種類の糖鎖についてそのMSスペクトルパターンをデータベース化しておき、被検試料のMSスペクトルをこのデータベースと照合することで該被検試料中の糖鎖構造を推定する方法などがある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2005-265697号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
ところで、近年、バイオマーカー探索などの研究分野において、ごく微量での糖鎖解析や、糖鎖よりも質量分析感度の高いタンパク質等の夾雑物が存在する試料中からの糖鎖解析が要求されている。こうした夾雑物を含む試料をMS分析した場合には、マススペクトル中に糖鎖由来のピークと夾雑物由来のピークが混在した状態となる。
【0009】
上記MS/MS分析やMS分析によって糖鎖の構造解析を行うためには、MS分析のマススペクトル中から解析対象とする糖鎖のピークをプリカーサイオンとして選択する必要があるが、前記のようにマススペクトル中に夾雑物由来のピークが混在した状態では、適切なプリカーサイオンの選択が困難になるという問題があった。
【0010】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、糖鎖と夾雑物が混在する試料において、マススペクトルの中から糖鎖由来のピークを特異的に抽出することのできる糖鎖分析方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、鋭意検討の結果、糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加した後マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置によって分析すると、糖鎖の質量分析で通常検出されるプロトン付加分子イオンや金属イオン付加分子イオンに代えて又は加えて、これらのピークから高質量側にm/z=126離れた位置にピークが出現することを見出し、本発明に至った。
【0012】
即ち、上記課題を解決するために成された本発明に係る糖鎖分析方法は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置を用いて糖鎖を分析する方法であって、
a)前記糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加する添加ステップと、
b)上記アミノキノリン添加試料をマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置で分析してマススペクトルを取得する分析ステップと、
c)前記分析ステップで取得したマススペクトル上に出現する糖鎖特異的126Da付加分子イオンのピークを探索する探索ステップと、
を有することを特徴としている。
【0013】
ここで、前記126Da付加分子イオンのピークとは、アミノキノリン非存在下で分析対象糖鎖を質量分析した際に得られる分子イオンピーク(即ちプロトン付加分子イオンや金属付加分子イオンのピーク)から高質量側にm/z=126離れた位置に出現するピークを意味する。前記126Da付加分子イオンピークは糖鎖特異的に出現するため、このようなピークを探索することにより、糖鎖と夾雑物が混在する試料のマススペクトルから糖鎖由来のピークのみを容易に抽出することが可能となる。
【0014】
本発明に係る糖鎖分析方法は、前記探索ステップが、前記試料を別途アミノキノリン非存在下でマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置によって分析して取得したマススペクトルと、前記分析ステップで取得したマススペクトルとを比較することにより前記糖鎖特異的126Da付加分子イオンを探索するものとすることができる。
【0015】
また、本発明に係る糖鎖分析方法は、前記探索ステップが、前記分析ステップで得られる単一のマススペクトル上にm/z=126の差で出現するピーク対を探索することにより前記糖鎖特異的126Da付加分子イオンを探索するものとすることもできる。
【0016】
なお、この場合には、前記添加ステップを行ってから分析ステップを実行する迄の時間(即ち、アミノキノリン添加後の放置時間)やアミノキノリン添加後の試料温度等を適宜調節することにより、前記単一のマススペクトル上に通常の分子イオンピークと126Da付加分子イオンピークの両方が出現するようにする。
【0017】
本発明に係る糖鎖分析方法は、更に、
d)前記126Da付加分子イオンのピークをプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析又はMS分析(nは3以上の整数)を行うMS/MS分析ステップ、
を有するものとすることが望ましい。
【発明の効果】
【0018】
以上で説明したように、本発明に係る糖鎖分析方法によれば、糖鎖と夾雑物が混在する試料の質量分析において、マススペクトルの中から糖鎖由来のピークを特異的に検出することが可能となる。
【0019】
なお、126Da付加分子イオンは、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置を用いた分析において、通常の分子イオンよりも高感度に検出されるため、上記のように126Da付加分子イオンをプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析又はMS分析を行うことによって、より信頼性の高い糖鎖の構造解析を行うことが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】3−アミノキノリンと2−アミノピリジンの構造を示す図であり、(a)が3−アミノキノリン、(b)が2−アミノピリジンである。
【図2】本発明の実験例1〜3で用いた糖鎖の構造を示す図。
【図3】実験例1−2におけるマススペクトルを示す図。
【図4】実験例2におけるマススペクトルを示す図。
【図5】実験例3におけるマススペクトルを示す図。
【図6】実験例4におけるマススペクトルを示す図。
【図7】実験例5で用いた糖鎖の構造を示す図であり、(a)は誘導体化前の糖鎖の構造を、(b)は中性2分岐糖鎖のアミノピリジン誘導体とアミノキノリン誘導体の構造を示す。
【図8】実験例5における検出限界を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下、本発明を実施するための形態について説明する。本発明に係る糖鎖分析方法は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置(以下、MALDI−MS装置と呼ぶ)を用いて糖鎖を分析する方法であって、前記糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加する添加ステップと、上記アミノキノリン添加試料をMALDI−MS装置で分析してマススペクトルを取得する分析ステップと、前記分析ステップで取得したマススペクトル上に出現する糖鎖特異的126Da付加分子イオンのピークを探索する探索ステップとを有している。
【0022】
上述のように、糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加した後MALDI−MS装置によって分析すると、糖鎖の質量分析で通常検出されるプロトン付加分子イオンや金属イオン付加分子イオンに代えて又は加えて、これらのピークから高質量側にm/z=126離れた位置にピークが出現する。これは、通常の分子イオン(即ち、プロトン付加分子イオンや金属イオン付加分子イオン)に、126Daの分子が付加したイオンといえる(以下、これを126Da付加分子イオンと呼ぶ)。アミノキノリンの分子量が144であること、及び糖鎖の還元末端に脱水付加することが広く知られているアミノピリジンとアミノキノリンがよく似た構造を有していること(図1参照)から、前記126Da付加分子イオンは、アミノキノリンが糖鎖の還元末端に脱水付加して成るアミノキノリン誘導体のイオンであると考えられる。
【0023】
一般に、質量分析による糖鎖解析を行う際には、予めMALDI用のターゲットプレート上に被検試料を含む溶液、即ち試料液とマトリックス(液体マトリックス、又は所定の溶媒に溶解させた固体マトリックス)の混合液滴を形成する。そして、このターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットし、該ターゲットプレートにレーザー光を照射することにより、被検試料をイオン化して質量分析する。
【0024】
本発明では、前記試料液にアミノキノリンを添加した後、MALDI−MS装置での分析を行う。このとき、予め反応チューブ等の容器内で試料液にアミノキノリンを添加して混合し、この混合液をターゲットプレートに滴下してもよいが、試料とアミノキノリンをそれぞれターゲットプレート上に滴下して該ターゲットプレート上で混合させるようにすれば、試料の損失を抑えることができると共に分析作業者の作業負担を低減することができる。
【0025】
また、試料液へのアミノキノリンの添加は、試料液にマトリックスを加えた後に行ってもよく、その前に行ってもよい。また、マトリックスとしてアミノキノリンを含有するものを使用し、マトリックスの添加とアミノキノリンの添加を同時に行うようにしてもよい。このようなマトリックスとしては、例えば、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)と3−アミノキノリンを混合して成る液体マトリックス3AQ/CHCAを挙げることができる。
【0026】
本発明におけるアミノキノリンとしては、3−アミノキノリン、及びその構造異性体を用いることができる。前記構造異性体には、2−アミノキノリン、4−アミノキノリン、5−アミノキノリン、6−アミノキノリン、7−アミノキノリン、及び8−アミノキノリンが含まれる。
【0027】
MALDI用のマトリックスは、特に限定されるものではなく、上記の3AQ/CHCAの他に、例えば、2,5−ジヒドロキシ安息香酸(DHB)やα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)などの固体マトリックスや、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸のブチルアミン塩 (CHCA_B)のような液体マトリックスを用いることができる。なお、マトリックスとしてDHBを用いる場合には、更に、NaCl等の金属塩を添加することが望ましい。これにより、マススペクトル上におけるノイズの発生を低減することができる。
【0028】
なお、試料液にアミノキノリンを添加してからMALDI−MS装置による分析を実行する迄の時間(即ち、アミノキノリン添加後の放置時間)やアミノキノリン添加後の試料温度等を適宜調節することにより、前記分析ステップで得られるマススペクトル上における通常の分子イオンピークと126Da付加分子イオンピークの強度比を変化させることができる。
【0029】
通常の分子イオンピークの出現を抑えて126Da付加分子イオンピークに統一するためには、試料液にアミノキノリンを添加した後、室温(10℃〜30℃)で15時間以上(好ましくは24時間から数日)放置するか、あるいは60℃〜95℃で30分〜120分放置することが望ましい。なお、アミノキノリンを添加した試料液をターゲットプレート上で放置する場合には、予めターゲットプレートを前記の温度に加熱しておき、その上に試料液及びアミノキノリンをそれぞれ滴下(又は試料液とアミノキノリンの混合液を滴下)して前記の温度及び時間で放置することが望ましい。
【0030】
以上により試料へのアミノキノリンの添加(及び所定時間の放置)が完了したら、該試料とアミノキノリンの混合物を乗せたターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットしてMS分析を行う。なお、アミノキノリン添加前にマトリックスを添加していない場合には、ターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットする前に該試料とアミノキノリンの混合物にマトリックスを添加する。
【0031】
上記のMS分析により得られるマススペクトルには、糖鎖に由来するピークの他に試料中に含まれるタンパク質などの夾雑物に由来するピークが含まれている。しかし、糖鎖については、通常の分子イオンピークに代えて又は加えて、126Da付加分子イオンピークが出現する。そこで、この126Da付加分子イオンピークを抽出することにより、マススペクトル中に含まれる糖鎖由来のピークと夾雑物由来のピークを容易に区別することができる。
【0032】
前記マススペクトルから126Da付加分子イオンピークを探索する方法としては、例えば、同一の試料を別途アミノキノリン非存在下でMS分析しておき、このマススペクトルと前記アミノキノリン添加試料のMS分析で得られたマススペクトルとを比較し、これらのマススペクトル間においてm/z=126の差で出現するピークの対を探索する方法が考えられる。また、他の方法としては、前記MS分析のマススペクトル上に通常の分子イオンピークと126Da付加分子イオンピークの両方が出現するように上述のアミノキノリン添加後の放置時間及び/又は試料温度を調節し、このマススペクトル上でm/z=126だけ離れて出現するピーク対を探索する方法が考えられる。前記ピーク対のうち低質量側のピークが通常の分子イオンのピークであり、高質量側のピークが126Da付加分子イオンのピークである。
【0033】
なお、糖鎖の還元末端に上述のアミノピリジンを付加すると、検出感度が50〜1000倍向上することが知られているが、本発明では、糖鎖の還元末端をアミノキノリン化することにより、更に、この5倍〜5000倍の検出感度を達成することができる。そこで、上記MS分析のスペクトルからプリカーサイオンを選択してMS/MS又はMS分析を行う場合には、前記ピーク対のうち、高質量側のピーク、即ち126Da付加分子イオンピークを使用することが望ましい。これにより、信頼性の高い糖鎖の構造解析を行うことが可能となる。
【実施例】
【0034】
[実験例1−1]
本実験例においては、126Da付加分子イオンの出現条件を検討するため、2種類のターゲットプレートを用いて糖鎖のMS分析を行った。
【0035】
被検糖鎖としては、図2に示した構造を有する一般的な中性ノンラベル化糖鎖を使用し、該糖鎖を純水に200fmol/μLとなるように溶解したものを試料液として使用した。
【0036】
マトリックスとしては、液体マトリックスである3AQ/CHCAを使用した。上述の通り、3AQ/CHCAは試料に添加するアミノキノリン供給源としての役割も持つ。3AQ/CHCAは、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)10mgと、10mMリン酸二水素アンモニウムを含む50%アセトニトリル水溶液600μLとで調製したCHCA飽和溶液に、3−アミノキノリンを20mg/150μLの割合で溶解し、これを50%アセトニトリル水溶液で10倍に希釈して調製した。
【0037】
ターゲットプレートとしては、MALDIで標準的に用いられるステンレス鋼ターゲットと、MADLI用濃縮ターゲット(μfocus MALDI plate、フォーカススポット径 1000μm、ハドソン・サーフィス・テクノロジー社製)の2種類のターゲットプレートを使用した。
【0038】
上記の各ターゲットプレート上に、試料液、マトリックスをこの順にそれぞれ0.5μLずつ滴下して混合液滴を形成した。
【0039】
上記のターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットし、検出されるイオン種やイオン強度比に変化がなくなるまで、所定時間おきに繰り返しMS分析を行った。なお、前記MALDI−MS装置としては、AXIMA−Resonance(島津製作所製)を使用し、positive mid mass modeで分析を行った(以下同じ)。
【0040】
前記混合液滴の形成から6.5時間後にMS分析を行った結果、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]のピークと該ナトリウム付加分子イオンに更に126Daの分子が付加して成る126Da付加分子イオンピーク[M+Na+126Da]のピークが検出された。なお、後者のイオン強度は前者の1/2程度であった。
【0041】
更に、翌日以降にMS分析を行った結果、[M+Na+126Da]がメインピークとなり、[M+Na]は検出されていたとしてもノイズと同程度のイオン強度であった。
【0042】
なお、ステンレス鋼ターゲットを用いたものと濃縮ターゲットを用いたものとで分析結果に違いは見られなかった。
【0043】
[実験例1−2]
本実験例では、マトリックスとして、上記実験例1−1と同様の3AQ/CHCAと、固体マトリックスであるDHBの2種類を使用してMS/MS分析を行い、126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]のピークは、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]のピークと同一の糖鎖に由来するピークであることを確かめた。
試料液、及び3AQ/CHCAは上記実験例1−1と同様に調製した。DHBは3mg/mLの濃度になるように50%アセトニトリル水溶液に溶解して調製した。また、ターゲットプレートとしては、上記実験例1−1記載のステンレス鋼ターゲットとMALDI用濃縮ターゲットを使用した。
【0044】
上記実験例1−1と同様にしてターゲットプレート上に試料液、マトリックスをこの順にそれぞれ0.5μLずつ滴下して混合液滴を形成した。なお、マトリックスとしてDHBを使用する場合には、上記の混合液滴に、更に10mMのNaCl水溶液を0.5μL滴下した。
【0045】
上記ターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットしてMS分析を行い、更に、該MS分析のマススペクトル上におけるナトリウム付加分子イオン[M+Na]のピーク、又は126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]のピークをプリカーサイオンとしてMS/MS分析を行った。
【0046】
上記MS/MS分析で得られたマススペクトルを図3に示す。なお、図中のマススペクトルにおいて、横軸はm/z、縦軸はイオンの相対強度を表す(以下同じ)。図中の(a)はマトリックスとしてDHBを、ターゲットプレートとして濃縮ターゲットを用いたものである。図中の(b)はマトリックスとして3AQ/CHCAを、ターゲットプレートとして濃縮ターゲットを用いたものである。図中の(c)はマトリックスとして3AQ/CHCAを、ターゲットプレートとしてステンレス鋼ターゲットを用いたものである。なお、図中の(a)は、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]のイオンをプリカーサイオンとしたものであり、図中の(b)と(c)は、126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]をプリカーサイオンとしたものである。
【0047】
同図から明らかなように、(b)と(c)の126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]をプリカーサイオンとしたMS/MSスペクトルは、(a)のナトリウム付加分子イオン[M+Na]をプリカーサイオンとしたMS/MSスペクトルと同様の糖が解離したフラグメントパターンを示した。このMS/MS分析の結果から、これらの126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]のピークは、ナトリウム付加分子イオン[M+Na]のピークと同一の糖鎖に由来するピークであることが確かめられた。
【0048】
[実験例2]
本実験例では3−アミノキノリンの添加量を変えてMS分析を行い、126Da付加分子イオンピークへの影響を調べた。
【0049】
3−アミノキノリンは、50%アセトニトリル水溶液を溶媒として10倍ずつ段階希釈し、1000pM、100pM、10pMの三種類の濃度の3−アミノキノリン溶液を調製した。
【0050】
試料液、及びマトリックス(DHB及び3AQ/CHCA)は上記実験例1−1、1−2と同様にして調製した。
【0051】
ターゲットプレートとしては上記実験例1−1に記載の濃縮ターゲットを使用し、該ターゲットプレート上に、上記の試料液、マトリックス、及び3-アミノキノリン溶液をこの順にそれぞれ0.5μLずつ滴下して成る混合液滴を形成した。なお、マトリックスとしてDHBを使用する場合には、上記の混合液滴に、更に、10mMのNaCl水溶液を0.5μL滴下した。その後、このターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットしてMS分析を行った。
【0052】
上記MS分析の結果、マトリックスとして3AQ/CHCAを使用したものでは、3−アミノキノリン溶液の添加量の違いによるマススペクトルの変化は見られなかった。これは、該マトリックスに当初から十分量の3−アミノキノリンが含まれていたためと考えられる。一方、マトリックスとしてDHBを使用したものでは、図4に示すように、3−アミノキノリンの添加量に比例して[M+Na]のピークに対する[M+Na+126Da]のピークの相対強度が高くなっていることが確認された。
【0053】
[実験例3]
本実験例ではターゲットプレート上に混合液滴を形成した後、該ターゲットプレートを加熱し、その加熱時間による126Da付加分子イオンピークへの影響を調べた。
【0054】
3−アミノキノリンは、50%アセトニトリル水溶液を溶媒として10倍ずつ段階希釈し、1000pM、100pMの二種類の濃度の3−アミノキノリン溶液を調製した。
【0055】
試料液、及びマトリックス(DHB及び3AQ/CHCA)は上記実験例1−1、1−2と同様にして調製した。
【0056】
ターゲットプレートとしては上記実験例1−1に記載の濃縮ターゲットを使用し、該ターゲットプレート上に、試料液及びマトリックスをこの順にそれぞれ0.5μLずつ滴下してなる混合液滴(即ち、3−アミノキノリン溶液添加なしの混合液滴)と、試料液、マトリックス、及び3-アミノキノリン溶液をこの順にそれぞれ0.5μLずつ滴下して成る混合液滴とを形成した。なお、マトリックスとしてDHBを使用する場合には、上記の混合液滴に、更に、10mMのNaCl水溶液を0.5μL滴下した。
【0057】
混合液滴の形成及び加熱の具体的手順を以下に示す。
(1)ヒートブロックの温度を60℃に設定し、その上にターゲットプレートを載置した。
(2)ターゲットプレートが温まっていることを確認し、試料、マトリックス(及び3−アミノキノリン溶液、NaCl水溶液)を滴下し、ターゲットプレート上で混合させて混合液滴を形成した。
(3)その後、30分間隔で3回、上記と同様にしてターゲットプレート上の異なる位置に混合液滴を形成した。
(4)上記の混合液滴の形成が完了した後、30分放置した。
(5)その後、ターゲットプレートをヒートブロックから下ろし、20分間常温に放置して冷ました後、更に、ターゲットプレートの空いている箇所に混合液滴を形成した。
(6)ターゲットプレートを30分間常温で乾燥させた。
以上により、ターゲットプレート上には加熱時間が5段階(0、30、60、90、120分)で異なる混合液滴が形成された。
【0058】
このターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットしてMS分析を行った。
【0059】
上記MS分析の結果、マトリックスとしてDHBを使用したものでは、加熱の有無及び加熱時間の違いによるマススペクトルの変化は見られなかった。これはDHBが固体マトリックス(質量分析装置内部の真空中で固体状態をとるマトリックス)であり、混合液滴の形成後、比較的速やかに溶媒が蒸発して結晶状態となるため、それ以降は糖鎖の3−アミノキノリン誘導体化反応が進行しなかったか、反応速度が非常に遅くなったものと考えられる。
【0060】
一方、マトリックスとして3AQ/CHCAを使用したものでは、3−アミノキノリン溶液の添加の有無及び添加量に拘わらず、加熱により3−アミノキノリン化が促進されていることが確認された。図5にマトリックスとして3AQ/CHCAを使用し、3−アミノキノリン溶液添加なしの場合の、各加熱時間におけるマススペクトルを示す。同図から明らかなように、加熱時間0分のものではナトリウム付加分子イオン[M+Na]のピークが高く、126Da付加分子イオン[M+Na+126Da]のピークはノイズ程度の強度であるのに対し、加熱時間30分のものでは、[M+Na+126Da]のピークの方が高くなっており、加熱時間60分以上のものでは、[M+Na]のピークはノイズ以下の強度となっていた。また、加熱の有無で比較すると、加熱により3−アミノキノリン化した126Da付加分子イオンピークの方が、検出に必要なレーザーパワーが低く、イオン強度が高く、試料均一性も増していた。
【0061】
[実験例4]
本実験例では、糖タンパク質の酵素消化物を含む試料液にアミノキノリンを添加してMS分析を行うことにより、126Da付加分子イオンが糖鎖特異的に出現することを確認した。
【0062】
糖タンパク質としては市販のリボヌクレアーゼB(Ribonuclease B、分子量約15kDa、SIGMA社製)を使用し、これを市販のリシルエンドペプチダーゼ(Lysyl endopeptidase、和光純薬工業製)とペプチド−N−グリコシダーゼF(Peptide-N-glycosidase F、SIGMA社製)で処理した溶液を試料液とした。なお、前記リボヌクレアーゼBは、124個のアミノ酸から成るタンパク質のアスパラギン酸(Asn34)にGlucNAc2Man5〜9からなる5種類のN−結合型糖鎖が結合した構造から成る。
【0063】
濃縮ターゲットプレート上に、実験例1−1と同様にして、試料液、マトリックス(3AQ/CHCA)を0.5μLずつ滴下して混合液滴を形成した。該ターゲットプレートを、60度で60分放置した後、MALDI−MS装置にセットしてMS分析を行った。
【0064】
上記MS分析により得られたマススペクトルを図6に示す。同図から明らかなように、前記マススペクトル中では、遊離糖鎖とペプチド断片に由来する複数のピークが検出されているが、遊離糖鎖についてのみ、理論値よりも高質量側へ126Daシフトした位置にピークが出現している。このことから、126Da付加分子イオンピークは糖鎖特異的に出現することが確認された。また、酵素消化物中でも糖鎖の3−アミノキノリン誘導体化反応が進行することが確認できた。
【0065】
[実験例5]
本実験例では、アミノピリジン誘導体化糖鎖及びアミノキノリン誘導体化糖鎖をMS分析し、その検出限界を比較した。
【0066】
マトリックスとしては実験例1−1と同様にして調製した3AQ/CHCAを、ターゲットプレートとしては上記の濃縮ターゲットを使用した。
【0067】
被検糖鎖としては、図7(a)に記載の中性2分岐糖鎖(図中の「2分岐」)、中性4分岐糖鎖(図中の「4分岐」)、及び酸性2分岐糖鎖(図中の「2分岐Sia1」、「2分岐Sia2」)を、それぞれ2−アミノピリジン誘導体化したもの、及び3−アミノキノリン誘導体化したものを使用した。図7(b)に、前記中性2分岐糖鎖の2−アミノピリジン誘導体と、3−アミノキノリン誘導体の構造を示す。
【0068】
2−アミノピリジン誘導体は常法にて作成し、これを純水に200fmol/μLとなるように溶解したものを試料液として使用した。実験例1−1と同様にして前記試料液とマトリックスの混合液滴をターゲットプレート上に形成し、これをMALDI−MS装置にセットしてpositive/negative mid mass modeでMS分析を行った。
【0069】
一方、3−アミノキノリン誘導体の測定は以下のようにして行った。まず、図7(a)に示した非誘導体化糖鎖を純水に200fmol/μLとなるように溶解したものを試料液とし、実験例1−1と同様にして試料液とマトリックスの混合液滴をターゲットプレート上に形成した。その後、該ターゲットプレートを60℃で60分放置することにより誘導体化反応させ、該ターゲットプレートをMALDI−MS装置にセットしてpositive/negative mid mass modeでMS分析を行った。
【0070】
図8に、上記MS分析における2−アミノピリジン誘導体(図中では「PA化糖鎖」)、及び3−アミノキノリン誘導体(図中では「3AQ化糖鎖」)の検出限界の対応表を示す。なお表中のaはamolを、fはfmolを意味する。同図から明らかなように、3−アミノキノリン誘導体では、2−アミノピリジン誘導体の5〜5000倍の検出感度が得られた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置を用いて糖鎖を分析する方法であって、
a)前記糖鎖を含む試料にアミノキノリンを添加する添加ステップと、
b)上記アミノキノリン添加試料をマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置で分析してマススペクトルを取得する分析ステップと、
c)前記分析ステップで取得したマススペクトル上に出現する糖鎖特異的126Da付加分子イオンのピークを探索する探索ステップと、
を有することを特徴とする糖鎖分析方法。
【請求項2】
前記探索ステップが、前記試料を別途アミノキノリン非存在下でマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析装置によって分析して取得したマススペクトルと、前記分析ステップで取得したマススペクトルとを比較することにより前記糖鎖特異的126Da付加分子イオンを探索するものであることを特徴とする請求項1に記載の糖鎖分析方法。
【請求項3】
前記探索ステップが、前記分析ステップで得られる単一のマススペクトル上にm/z=126の差で出現するピーク対を探索することにより前記糖鎖特異的126Da付加分子イオンを探索するものであることを特徴とする請求項1に記載の糖鎖分析方法。
【請求項4】
更に、
d)前記126Da付加分子イオンのピークをプリカーサイオンとして選択してMS/MS分析又はMS分析(nは3以上の整数)を行うMS/MS分析ステップ、
を有することを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の糖鎖分析方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2011−179915(P2011−179915A)
【公開日】平成23年9月15日(2011.9.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−43190(P2010−43190)
【出願日】平成22年2月26日(2010.2.26)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】