説明

細胞の表面電位に基づく細胞の性質の評価方法

【課題】増殖能や代謝能などの細胞の性質を迅速かつ簡便に評価する方法の提供。
【解決手段】細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を評価する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を評価する方法に関する。本発明はまた、細胞の表面電位を測定することによって接触させた物質の生理活性を評価する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、細胞の増殖能の評価は、細胞を経時的に計数し、増殖曲線を作成することにより行っていた。しかし、この方法では死細胞も含めて計数してしまう可能性があるために、その後、MTT試験やBrdUの取り込み試験のような、生きた細胞の代謝活性を利用して細胞の増殖能を評価する方法が確立された。
【0003】
例えば、MTT試験は、細胞のMTTや類似の色素(XTT、MTS、WSTなど)を紫色のホルマザン色素へと還元する能力を利用した比色定量法である(Mosmann T., “Rapid colorimetric assay for cellular growth and survival: application to proliferation and cytotoxicity assay”, Journal of immunological methods, (1983) 65(1-2): 55-63)。この方法によれば、色素の還元能力は生細胞のみが有するために、培養細胞の生存率や増殖率を正確に評価することができる。一方でこの方法の問題点は、経時的な細胞数のモニタリングが必要であるために長時間の培養が不可欠であり、かつ、十分な感度を得るためには十分量の細胞数が必要であることである。このため、菌体数が少ない場合には、事前のさらなる長時間の培養が不可欠である。また、試験の性質上、測定対象の細胞は単離されている必要もある。また、BrdUの取り込み試験による方法は、DNA合成時のDNAへのBrdUの取り込みの量を測定することによって、細胞の増殖能を評価する方法であるが、経時的な細胞数のモニタリングが必要である。
【0004】
このように、細胞の性質を生物学的な特徴に基づいて評価する方法では、菌体の単離や長時間の培養が必要となることが多い。
【0005】
ところが、現実には、試料に複数種の細胞が含まれている場合や、含まれる細胞の濃度が希薄である場合がある。このような場合であっても、細胞を単離せずに、かつ迅速に、その測定試料中の細胞の増殖能を評価できる方法論の確立が強く望まれていた。
【0006】
一方で、これまでに物理化学的な特徴に基づいた細胞の性質の評価も試みられている。しかし、このような細胞の物理化学的な性質が、細胞の増殖能などの性質を評価する有効なツールとなることについては、ほとんど知られていない(特許文献1〜4)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2010−261923号公報
【特許文献2】特開2000−300290号公報
【特許文献3】特表2002−510049号公報
【特許文献4】特開2006−55161号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、増殖能や代謝能などの細胞の性質を迅速かつ簡便に評価する方法を提供することを目的とする。本発明はまた、細胞と接触させた物質の生理活性を迅速かつ簡便に評価する方法を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、細胞の表面電位を測定することによって、増殖や代謝などの様々な細胞の性質を迅速かつ簡便に評価することができることを見いだした。本発明はこのような知見に基づくものである。
【0010】
すなわち、本発明によれば、以下の発明が提供される。
(1)細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を評価する方法。
(2)表面電位をケルビンフォース顕微鏡(ケルビン力顕微鏡)により測定する、(1)に記載の方法。
(3)細胞が、単細胞生物である、(1)または(2)に記載の方法。
(4)評価される性質が、増殖能、代謝能、栄養資化性、呼吸能、化学物質感受性または薬剤耐性である、(1)〜(3)のいずれかに記載の方法。
(5)物質と接触させた細胞の表面電位を測定することにより、物質の生理活性を評価する方法。
【0011】
本発明では、対象となる細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を評価することができる。特に、表面電位の変化は、細胞増殖が始まる前に検出できるため、早期に細胞の性質を評価できる点で有利である。また、ケルビンフォース顕微鏡を用いれば、少数の細胞からでも細胞の性質を正確に評価することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】図1は、芽胞形成菌である枯草菌Bacillus subtilisの栄養相の細胞の表面電位(図1a)および芽胞の細胞の表面電位(図1b)の測定例を示す図である。図では、濃淡により表面の電位の高低を示し、濃いほど表面電位が低いことを示す。また、細胞の表面電位をより明確に示すために、図1aおよび図1b内のA−Bで示す線分上における表面電位をぞれぞれ図1cおよび図1dに示す。
【図2】図2は、培養開始後のEscherichia coli(図2a)、Bacillus subtilis(図2b)、Staphylococcus aureus subsp. aureus(図2c)およびSaccharomyces pastorianus(図2d)の細胞の表面電位と細胞数の時間変化の関係を示す図である。図中の●は、細胞の表面電位(mV)の時間変化を示し、▲は、細胞の生菌数(細胞数/mL)の時間変化を示す。
【図3】図3は、ビール酵母Saccharomyces pastorianusの栄養資化性による細胞の表面電位の差を示す図である。図中の●は、糖源として1%グルコースを添加した培地におけるビール酵母の表面電位の時間変化を示し、▲は、糖源として1%デンプンを用いたときのビール酵母の表面電位(mV)の時間変化を示す。また、図中の○は、糖源として1%グルコースを添加した培地におけるビール酵母の生菌数(細胞/mL)の時間変化を示し、△は、糖源として1%デンプンを用いたときのビール酵母の生菌数(細胞/mL)の時間変化を示す。
【発明の具体的説明】
【0013】
本発明によれば、対象となる細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を簡便にかつ迅速に評価する方法が提供される。
【0014】
本発明による細胞の性質の評価方法は、a)細胞の表面電位を測定する工程を含んでなるものであり、b)測定された表面電位値を、対照細胞の表面電位値と比較する工程と、c)比較した結果に基づいて細胞の性質を判定する工程とをさらに含んでいてもよい。
【0015】
細胞の表面電位を測定する工程では、細胞の表面電位を測定できる方法であれば、測定方法を問わず用いることができる。細胞の表面電位を測定する方法としては、以下に限定されないが、例えば、ケルビンフォース顕微鏡(KFM:Kelvin Force Microscopy)測定法、走査型マクスウェル応力顕微鏡(SMM:Scanning Maxwell-stress Microscopy)測定法、ゼータ電位測定法などが挙げられる。細胞一つ一つの表面電位を精度高く測定できる点で、ケルビンフォース顕微鏡測定法および走査型マクスウェル応力顕微鏡測定法が好ましい。
【0016】
ケルビンフォース顕微鏡は、原子間力顕微鏡(AFM:Atomic Force Microscopy)を元に開発された顕微鏡であり、試料の表面形状と共に試料の表面電位像を得ることができる顕微鏡である。ケルビンフォース顕微鏡はカンチレバーを有し、表面形状を取得することができるが、同時に、探針と試料の間に交流電圧を印加し、探針と試料の間に働く静電引力によるカンチレバーの変位をフィードバック制御して、探針と試料間の接触電位を測定する。このようにして得られる細胞の表面電位は、細胞の表面とステージとの電位差とすることができる。ケルビンフォース顕微鏡では、細胞一つ一つの表面電位の測定が可能であるため、細胞数が少ない場合でも測定することができ、また、2種以上の細胞の混合物であってもそれぞれの細胞の表面電位を測定することができる。
【0017】
走査型マクスウェル応力顕微鏡は、原子間力顕微鏡を元に開発された顕微鏡であり、試料の表面形状と共に表面の電気的ポテンシャルを得ることができる顕微鏡である。走査型マクスウェル応力顕微鏡はカンチレバーを有し、細胞の表面形状を取得することができるが、同時に、探針と試料の間に直流および交流の電圧を作用させ、それにより生じる振動成分をフィードバック制御することにより、試料の表面電位を測定する。走査型マクスウェル応力顕微鏡では、細胞一つ一つの表面電位の測定が可能であるため、細胞数が少ない場合でも測定することができ、また、2種以上の細胞の混合物であってもそれぞれの細胞の表面電位を測定することができる。
【0018】
ゼータ電位測定は、主に電気泳動法により実施することができ、具体的には、電気泳動による細胞などの粒子の移動速度が、粒子の荷電状態に比例するため、移動速度をレーザー光等で測定し、ヘンリー(Henry)の式によりゼータ電位を求める。ゼータ電位の取得には、市販のゼータ電位測定装置を用いることができる。ゼータ電位の測定法では、細胞一つ一つの電位を測定することは困難であるが、細胞集団のゼータ電位を取得することができる。
【0019】
本発明において測定対象となる細胞としては、細菌などの原核生物、真菌などの真核生物、および古細菌の細胞が挙げられる。単細胞生物であればいずれの細胞でも測定対象とすることができる。また、動物や植物などの多細胞生物の細胞であっても、測定に用いることができる。単細胞生物の場合は、細胞壁の有無に関わらず測定することができる。細胞壁がある場合であっても、細胞壁の種類に関わらず測定することができ、しかも、表面電位を測定する際に、細胞壁の除去の必要はない。従って、厚い細胞壁を有するグラム陰性菌、真菌、植物、古細菌の細胞であっても、簡単な手順で、細胞の表面電位を測定することができる。しかし、細胞壁を有する細胞の細胞壁を除去する処理をしてから表面電位を測ることもできる。従って、細胞壁を有する細胞を測定する場合には、細胞壁の表面電位を測定することもできるし、細胞壁を除去する処理をしてから表面電位を測定することもできる。なお、本明細書において「細胞」は、単細胞生物自体を意味するものとして用いられることがある。
【0020】
本発明の測定対象となる細菌としては、細菌であれば特に限定されないが、例えば、ナイセリア属(Neisseria)、ブランハメラ属(Branhamella)、ヘモフィルス属(Haemophilus)、ボルデテラ属(Bordetella)、エシェリキア属(Escherichia)、シトロバクター属(Citrobacter)、サルモネラ属(Salmonella)、シゲラ属(Shigella)、クレブシエラ属(Klebsiella)、エンテロバクター属(Enterobacter)、セラチア属(Serratia)、ハフニア属(Hafnia)、プロテウス属(Proteus)、モルガネラ属(Morganella)、プロビデンシア属(Providencia)、エルシニア属(Yersinia)、カンピロバクター属(Campylobacter)、ビブリオ属(Vibrio)、エロモナス属(Aeromonas)、シュードモナス属(Pseudomonas)、キサントモナス属(Xanthomonas)、アシネトバクター属(Acinetobacter)、フラボバクテリウム属(Flavobacterium)、ブルセラ属(Brucella)、レジオネラ属(Legionella)、ベイロネラ属(Veillonella)、バクテロイデス属(Bacteroides)およびフゾバクテリウム属(Fusobacterium)などのグラム陰性菌;ならびに、ブドウ球菌属(Staphylococcus)、レンサ球菌属(Streptococcus)、腸球菌属(Enterococcus)、コリネバクテリウム属(Corynebacterium)、バシラス属(Bacillus)、リステリア属(Listeria)、ペプトコッカス属(Peptococcus)、ペプトストレプトコッカス属(Peptostreptococcus)、クロストリジウム属(Clostridium)、ユーバクテリウム属(Eubacterium)、プロピオニバクテリウム属(Propionibacterium)、ラクトバチルス属(Lactobacillus)、ビフィドバクテリウム属(Bifidobacterium)、エンテロコッカス属(Enterococcus)、ラクトコッカス属(Lactococcus)、ペディオコッカス属(Pediococcus)、ロイコノストック属(Leuconostoc)およびストレプトコッカス属(Streptococcus)などのグラム陽性菌が挙げられる。測定対象としては、ブドウ球菌属、リステリア属、ラクトバチルス属、ビフィドバクテリウム属、エンテロコッカス属、ラクトコッカス属、ペディオコッカス属、ロイコノストック属およびストレプトコッカス属、ビブリオ属、サルモネラ属、エシェリキア属、カンポロバクター属、アンフィバシラス属、バシラス属、クロストリジウム属およびスポロサルシナ属の細菌が好ましく、黄色ブドウ球菌;リステリア菌;乳酸菌;腸炎ビブリオ;サルモネラ菌;大腸菌;カンピロバクター;ならびにアンフィバシラス属、バシラス属、クロストリジウム属およびスポロサルシナ属などの芽胞形成菌がより好ましい。黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureus、特にStaphylococcus aureus subsp. aureus、大腸菌Escherichia coli、およびバシラス属の芽胞形成菌である枯草菌Bacillus subtilisが最も好ましい。
【0021】
本発明の測定対象となる真菌としては、担子菌門(Basidiomycota)、子嚢菌門(Ascomycota)、ツボカビ門(Chytridiomycota)、ネオカリマスティクス菌門(Neocallimastigomycota)、コウマクノウキン門(Blastocladiomycota)、微胞子虫門(Microsporidia)、グロムス門(Glomeromycota)、ケカビ亜門(Mucoromycotina)、ハエカビ亜門(Entomophthoromycotina)、トリモチカビ亜門(Zoopagomycotina)、キックセラ亜門(Kickxellmycotina)などの真菌が挙げられる。測定対象としては担子菌門または子嚢菌門に属する酵母が好ましく、酵母としては、例えば、サッカロマイセス属(Saccharomyces)、カンジダ属(Candida)、トルロプシス属(Torulopsis)、ザイゴサッカロマイセス属(Zygosaccharomyces)、スキゾサッカロマイセス属(Schizosaccharomyces)、ピチア属(Pichia)、ヤロウィア属(Yarrowia)、ハンセヌラ属(Hansenula)、クルイウェロマイセス属(Kluyeromyces)、デバリオマイセス属(Debaryomyces)、ゲオトリクム属(Geotrichum)、ウィッケルハミア属(Wickerhamia)、フェロマイセス属(Fellomyces)などの子嚢菌門に属する酵母および、スポロボロマイセス属(Sporobolomyces)などの担子菌門に属する酵母が好ましい。サッカロマイセス属の出芽酵母であるSaccharomyces cerevisiaeおよびSaccharomyces pastrianus、ならびにスキゾサッカロマイセス属の分裂酵母であるSchizosaccharomyces pombeがより好ましい。
【0022】
測定対象の細胞は、単離して培養した細胞だけでなく、溶液中等に混入した細胞や細胞の混合物であってもよい。
【0023】
本発明により評価できる細胞の性質としては、細胞の増殖能および代謝能の他に、細胞の増殖能または代謝能に影響を与える細胞の性質も評価することができる。そのような細胞の性質としては、例えば、栄養資化性、呼吸能、化学物質感受性および薬剤耐性が挙げられる。
【0024】
本発明によれば、表面電位を測定することにより、細胞の増殖能を評価することができる。すなわち、高い増殖能を示す細胞は、表面電位の大きな低下を示す傾向があるため、様々な細胞の表面電位の値を比較することにより、各々の細胞の増殖能を評価することができる。また、細胞の増殖能は、生育環境に依存して大きく変化する。従って、生育環境の異なる細胞の表面電位を互いに比較することにより、それぞれの環境下における細胞の増殖能を評価することができる。同様に、人工的に変異を導入して遺伝子レベルで差異を生じた同種の2以上の細菌の細胞株を比較することにより、人工的に導入した変異と増殖能との関係を、表面電位を測定することで評価することができる。
【0025】
細胞の表面電位の比較において、いかなる条件および/または細胞を対照とするべきかは、本発明の方法の使用目的に従って当業者であれば容易に決定することができる。例えば、特殊な培養条件が細胞の性質に与える影響を調べる場合には標準的な条件下で培養した細胞を対照とすることができる。また、培地の組成または追加し若しくは不足した成分が細胞の性質に与える影響を調べる場合には富栄養培地、完全培地、最小培地若しくは特定成分の欠損した培地などの特別な条件下で培養した細胞を対照とすることができる。また、培養条件が細胞の性質に与える影響を調べる場合には温度や湿度、振とうの条件を変えて培養した細胞を対照とすることもできる。変異体や人為的に作成した細胞を調べる場合には野生型の細胞または人為的に作成した他の細胞を対照とすることもできる。人為的に細胞を作成する方法としては、下記に限定されないが、突然変異誘発剤により細胞に変異を誘発する方法、放射線若しくはUVを照射して細胞に変異を誘発する方法、遺伝子工学的に細胞を改変する方法、遺伝子工学的に細胞に遺伝子を導入する方法などが挙げられる。場合によっては、異なる種の細胞を対照とすることもできる。変異体は、天然に存在する変異体であってもよいし、人為的に細胞を作成する方法によって得てもよい。
【0026】
また、本発明者は、培養を開始した細胞は、増殖に先だって細胞の表面電位の低下を起こすことを見いだした。すなわち、細胞の実際の増殖に先だって早期に細胞の増殖能を評価することができる。このことは、細胞が増殖を開始する前の段階であっても、早期に細胞の増殖を予測できることを意味する。従って、本発明の方法によれば、細胞の表面電位を測定することによって、増殖に先だって、細胞の増殖を予測することができる。このような方法は、特に、栄養素が希薄で細胞増殖に時間がかかる環境下での細胞の増殖の予測や、菌数が極端に少ないために増殖に時間が必要な場合の細胞の増殖の予測に有用である。
【0027】
このように、本発明の方法によれば細胞の増殖能を評価することのみならず、細胞の増殖を予測することができる。従って、本発明の方法は、例えば、上下水道中や飲食品中の細菌などの増殖能の評価や増殖の予測に用いることができ、また、酒類や飲食品の製造において酵母などの有用微生物の増殖能の評価や増殖の予測に用いることもできる。
【0028】
また、本発明によれば、細胞の表面電位を測定することにより、細胞の代謝能を評価することができる。高い代謝能を示す細胞は、大きな表面電位の低下を示す傾向があるので、代謝能は、細胞の表面電位の低下の度合いにより評価することができる。上記のように適切に対照細胞を設定し、対照細胞と評価したい細胞の表面電位の低下の度合いを比較することで、代謝能の大小を評価することができる。
【0029】
さらに、本発明によれば、細胞の表面電位を測定することにより、細胞の栄養資化性および栄養要求性を評価することができる。すなわち、特定の成分の不足した培地を用い、細胞の表面電位の高低を測定することにより、不足した成分についての細胞の栄養資化性および栄養要求性を評価することができる。不足した成分に対して細胞が高い栄養資化性または栄養要求性を有していれば、細胞の増殖や代謝が大きな影響を受けて細胞の表面電位は培養後も変動しないかまたは少ししか変動しないと考えられるが、不足した成分に対して細胞が高い栄養資化性または栄養要求性を有していなければ、細胞の増殖や代謝に対する不足した成分の影響は限られ、通常の環境下での表面電位の変化と同様に、細胞の表面電位は培養後すぐに大きな低下を示すと考えられる。また、特定の成分を添加した培地を用いて、細胞の表面電位の高低を測定することにより、添加した成分についての細胞の栄養資化性および栄養要求性を評価することもできる。細胞が高い栄養資化性または栄養要求性を有する成分を添加した培地では細胞の表面電位は、添加しなかった培地の細胞の表面電位よりも大きな低下を示すと考えられるが、細胞が高い栄養資化性または栄養要求性を有さない成分を添加した培地では、細胞の表面電位は、添加しなかった培地の細胞の表面電位と比較して全く変動しないかまたは少ししか変動しないと考えられる。このように、細胞の表面電位を測定することで、細胞の栄養資化性や栄養要求性を評価することができる。また、細胞が増殖を開始する前の早期の段階で、細胞の栄養資化性や栄養要求性を評価することができる。
【0030】
本発明による栄養資化性または栄養要求性の評価に用いることのできる栄養素としては、以下に限定されないが、例えば、糖の他、アミノ酸、ペプチド、タンパク質、ヌクレオチド、ビタミン類など、細胞の増殖や代謝機能に影響を与えるあらゆる公知の栄養素が挙げられる。このように、特定の成分を添加した培地、または特定の成分が不足した培地で培養した細胞の表面電位を測定することで、細胞の栄養資化性または栄養要求性を評価することができる。また、増殖因子による細胞の増殖能の変化を評価することもできる。
【0031】
さらにまた、本発明によれば、細胞の表面電位を測定することにより、細胞の呼吸能を評価することができる。すなわち、呼吸能の高い細胞では、培養開始後すぐに表面電位が大きく低下するが、呼吸能の低い細胞では、表面電位の低下の度合いは小さい。この原理を利用することによって、呼吸能の異なる各種の細胞の表面電位を比較することにより、各細胞の呼吸能を評価することができる。
【0032】
さらにまた、細胞の表面電位を測定することにより、細胞の薬剤耐性を評価することができる。すなわち、調べたい薬剤の存在下または非存在下で培養した細胞の表面電位を測定し、比較することによって、細胞の薬剤耐性を評価することができる。細胞に強い薬剤耐性があれば、薬剤の存在下でも細胞の増殖または代謝が阻害されることはなく、比較した細胞の表面電位に大きな差は見られないと考えられる。しかし、細胞が薬剤耐性を有さない場合は、薬剤の存在下では細胞の増殖または代謝が阻害され、比較した細胞の表面電位には大きな差が見られると考えられる。
【0033】
本発明の方法により細胞の性質を評価する場合には、被験試料中の細胞を培養し、培養した細胞の表面電位を測定することができる。この場合、細胞の表面電位は細胞培養開始後、0.05時間〜4時間にて測定することができ、好ましくは、0.1時間〜3時間にて測定することができ、最も好ましくは、0.5時間〜2時間にて測定することができる。特定の試料中に含まれている細胞の、その試料中における増殖能や代謝能を評価する場合には、培養の必要はなく、その試料をそのまま測定に供することができる。
【0034】
評価したい細胞の表面電位と対照細胞の表面電位が得られたら、これらを比較して、細胞の性質を評価することができる。具体的には、例えば細胞の増殖能を評価する場合には、表面電位の低い方の細胞が高い増殖能を有し、表面電位の高い方の細胞が低い増殖能を有すると評価することができる。また、表面電位が同程度であれば、増殖能も同程度であると評価することができる。他の細胞の性質を評価する場合にも同様に、評価したい細胞の表面電位と対照細胞の表面電位とを比較することにより、細胞の性質を評価することができる。
【0035】
本発明によれば、これらの細胞の性質の程度に大きな差があるほど、細胞の表面電位の大きな差として測定することができる。また、本発明の方法では測定毎の測定値の誤差が少なく、定量性の高い評価が可能である(データ省略)。したがって、本発明によれば、連続的(段階的)に変化しうる細胞の性質の程度を、細胞の表面電位の大きさの連続的(段階的)な変化として測定することができる。表面電位は、アースとの電位差として求めることが多いが、他の基準電位点との電位差として求めることもできる。好ましくは、細胞の表面電位は、顕微鏡のステージ等をアースして、ステージとの電位差として求めることができる。ある測定方法を用いて表面電位は、他の測定方法を用いて求めた表面電位と比較することができるが、その際には、基準電位点をそろえて比較することができる。基準電位点が異なる場合には、基準電位点間の電位差を考慮した上で、表面電位の測定値を比較することができる。細胞の表面電位は、細胞表面の最も電位の低い部分の表面電位として求めても良いし、細胞表面全体の表面電位の平均値として求めても良い。
【0036】
これらの細胞の性質の差は、上記のように測定対象間または測定対象と適切な対照の間で、表面電位に統計的に有意な差が生ずるか否かで評価することができる。この際、当業者であれば、適切な対照を設定することができる。また、栄養資化性、栄養要求性、および薬剤耐性などの性質について評価する場合には、特定の化合物や生体分子に対する用量応答曲線を作成することにより、細胞の性質を評価することもできる。
【0037】
本発明により評価した細胞の性質から、細胞と接触させた物質の生理活性および培地の栄養特性を導き出すことができる。すなわち、物質によって細胞の増殖能および/または代謝能が大きく増加するほど、細胞の表面電位は大きく低下する。また、物質によって細胞の増殖能および/または代謝能が大きく阻害されるほど、細胞の表面電位が大きく上昇する。一方で、物質の生理活性が低い場合には、表面電位に大きな変化をもたらすことができない。従って、特定の物質の存在下で培養した細胞の表面電位と、非存在下で培養した細胞の表面電位とを比較することによって、物質の細胞に対する生理活性を評価することができる。あるいは、特定の物質の存在下で培養した細胞の表面電位と、他の物質の存在下で培養した細胞の表面電位とを比較することによって、物質の細胞に対する生理活性を評価することもできる。また、様々な栄養特性の培地で培養した細胞の表面電位を比較することによって、培地の栄養特性を評価することができる。物質の生理活性の評価および培地の栄養特性の評価は、本発明の評価方法と同様に実施することができる。
【0038】
また、物質と接触させた細胞の表面電位を測定することによって、細胞の増殖や代謝に影響を及ぼす生理活性物質のスクリーニングが可能となる。従って、本発明によれば、物質と接触させた細胞の表面電位を測定することにより、生理活性物質をスクリーニングする方法が提供される。
【0039】
本発明による生理活性物質のスクリーニング方法は、i)被験物質の非存在下での細胞の表面電位を測定する工程と、ii)被験物質の存在下での細胞の表面電位を測定する工程とを含んでなるものであり、iii)測定された表面電位値を比較する工程をさらに含んでいてもよい。
【0040】
本発明による生理活性物質のスクリーニング方法を用いてスクリーニングされる物質には特に制限はないが、例えば、抗生物質や抗菌剤など医薬品の有効成分の候補物質、腸内細菌賦活剤などの微生物賦活剤、殺菌剤、静菌剤などをスクリーニングの対象とすることができる。また、スクリーニングされる物質は化合物に限定されるものではなく、ペプチド、タンパク質、抗体などの物質であってもよい。
【0041】
生理活性物質のスクリーニングの際には、閾値を適宜設定して、細胞の表面電位が閾値を超えるか否かで被験物質の生理活性の有無を評価することができる。このような閾値は、当業者であれば目的に応じて設定することができる。具体的には、閾値は、負の対照との表面電位の差の絶対値が0.1mV〜200mVとなる範囲で設定することができる。また、閾値と負の対照との表面電位の差の絶対値が0.5mV〜150mV、1mV〜100mV、5mV〜50mV、または10mV〜30mVとなる範囲で設定することもできる。代わりに、各被験物質の存在下における細胞の表面電位の測定を行った後に、負の対照との表面電位の差の絶対値が大きい順に幾つかを生理活性物質の候補として得ることもできる。より強い生理活性物質は、細胞により大きな表面電位の変化をもたらすと期待できる。
【0042】
生理活性物質のスクリーニングは、細胞培養開始後、0.05時間〜4時間にて行うことができ、好ましくは、0.1時間〜3時間にて行うことができ、最も好ましくは、0.5時間〜2時間にて行うことができる。
【実施例】
【0043】
以下、実施例に基づいて本発明を具体的に説明するが、本発明はこれらの例に限定されるものではない。
【0044】
実施例1:ケルビンフォース顕微鏡を用いた微生物の膜表面電位の測定
本実施例ではケルビンフォース顕微鏡を用いて微生物の膜表面電位を測定した。
【0045】
1−1.Bacillus subtilisの栄養相試料および芽胞試料の調製
細菌株として、芽胞形成菌である枯草菌Bacillus subtilis NBRC 13719T株(独立行政法人製品評価技術基盤機構保存株)を用いた。Bacillus subtilisの栄養相試料の調製のために、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用い、35℃で24時間培養し、遠心分離(5,000rpm)で菌体を回収した。菌体を10mLの純水で洗浄して遠心分離(5,000rpm)で菌体を回収する工程を2回繰り返し、得られた菌体を栄養相試料とした。また、Bacillus subtilisの芽胞試料は、近藤雅臣、渡部一仁編「スポア実験マニュアル」技報堂出版(1995)、p19〜30に記載された方法で調整した。具体的には、50mLの肉汁培地でBacillus subtilisを35℃で48時間培養して増殖させた後、遠心分離(5,000rpm)で回収した菌体に、100μg/mLのリゾチーム(和光純薬)を溶解した200μLの10mMトリス塩酸緩衝溶液(pH7.6)を加えた。さらに35℃にて30分間培養し、再び菌体を遠心分離(5,000rpm)で回収し、500mM塩化ナトリウムを溶解した1mLの10mMトリス塩酸緩衝溶液(pH7.6)を加えて洗浄し、その後、遠心分離(10,000rpm)で菌体を回収した。菌体を10mLの純水で洗浄し、遠心分離(10,000rpm)で菌体を回収する工程を2回繰り返し、得られた菌体を芽胞試料とした。
【0046】
1−2.細胞の表面電位の測定と結果
栄養相試料または芽胞試料を純水に懸濁し、金を50〜100nm厚で蒸着処理したスライドグラス上に得られた懸濁液を滴下し、試料を風乾固定した。ケルビンフォース顕微鏡としては、ナノサーチ顕微鏡SFT−3500(島津製作所社)の表面電位(KFM)モードを用いた。顕微鏡のステージをアースに接続し、ステージ電位を0mVとしたときの試料の表面電位を取得した。その際、細胞表面を満遍なく走査し、得られた表面電位の最低値を細胞の表面電位(mV)とした。
【0047】
芽胞形成菌の栄養相細胞試料および芽胞試料の細胞の表面電位を測定したところ、栄養相試料の細胞の表面電位は−95mVであり(図1a)、ケルビンフォース顕微鏡を用いて細胞の表面電位を測定することができることが明らかとなった。次に、芽胞試料の細胞の表面電位を測定したところ、表面電位は−10mV(図1b)と栄養相の細胞よりも表面電位が高い値を示すことが明らかとなった。このように、芽胞と栄養相の細胞とでは、細胞の表面電位に大きな差異が存在した。
【0048】
芽胞形成菌は、栄養や温度環境の悪化等により芽胞を形成し、極めて強い環境耐性を獲得する。芽胞は、強い環境耐性を獲得する代わりに増殖能や代謝能が限られているが、芽胞が増殖に適した環境に置かれると発芽して、増殖能と代謝能を有する栄養相の細胞に変化する。そのため、芽胞と栄養相の細胞との表面電位の差異は、細胞の増殖や代謝と関係している可能性が示された。
【0049】
実施例2:様々な芽胞形成菌における栄養相と芽胞の表面電位の比較
本発明者は、実施例1で見られた芽胞と栄養相とでの細胞の表面電位の差異の一般性を示すために、様々な芽胞形成菌を用いて、栄養相と芽胞の表面電位を比較した。
【0050】
2−1.様々な芽胞形成菌の栄養相試料および芽胞試料の調製
芽胞形成菌として、Geobacillus stearothermophilus NBRC 13737株、有胞子性乳酸菌Bacillus coagulans DSM 1株、枯草菌Bacillus subtilis NBRC 13719T株、巨大菌Bacillus megaterium NBRC 15308T株、Bacillus licheniformis NBRC 12200株を用いた。すべてのNBRC株は独立行政法人製品評価技術基盤機構で分譲可能な状態で保管されている。有胞子性乳酸菌Bacillus coagulans DSM1株は、ドイツ微生物保有機構(Deutsche Sammlung von Mikroorganismen)で分譲可能な状態で保管されている。Geobacillus stearothermophilus NBRC 13737株以外の細菌株は、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用い、35℃で24時間培養し、Geobacillus stearothermophilus NBRC 13737株は55℃で24時間培養した。その後、実施例1に記載した方法で各芽胞形成菌の栄養相試料と芽胞試料を作成した。
【0051】
2−2.様々な芽胞形成菌の表面電位の測定
細胞の表面電位の測定は、実施例1に記載の方法で行った。各芽胞形成菌の栄養相と芽胞の細胞の表面電位をそれぞれ10細胞ずつ測定し、得られた表面電位の平均値(mV)を求めた。表面電位の測定結果は、それぞれ表1に示される通りであった。
【表1】

【0052】
いずれの芽胞形成菌においても、栄養相の細胞の表面電位は−80mV〜−113mVであったのに対し、芽胞の細胞の表面電位は−8mV〜−12mVであった。いずれの芽胞形成菌においても、栄養相では細胞の表面電位は低く、芽胞では細胞の表面電位が高い傾向が確かめられた。
【0053】
実施例3:細菌の表面電位と増殖との関係
本発明者は、大腸菌、ビール酵母、黄色ブドウ球菌および芽胞形成菌を用いて、細胞の表面電位と細胞増殖との関係を調べた。
【0054】
3−1.大腸菌、ビール酵母、黄色ブドウ球菌および芽胞形成菌試料の調製
大腸菌としてEscherichia coli IFO 3301株(財団法人発酵研究所保存株)、黄色ブドウ球菌としてStaphylococcus aureus subsp. aureus NBRC 100910株、およびビール酵母としてSaccharomyces pastorianus RIB 2010株(独立行政法人酒類総合研究所保存株)を用い、芽胞形成菌としては枯草菌Bacillus subtilis NBRC 13719T株を用いた。Escherichia coli IFO 3301株は、現在、独立行政法人製品評価技術基盤機構で分譲可能な状態で保管されている。Escherichia coliStaphylococcus aureus subsp. aureusSaccharomyces pastorianusおよびBacillus subtilisは、実施例2に記載の通りに、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用い、35℃で24時間培養した。その後、Bacillus subtilisからは実施例1に記載の通りの方法でさらに芽胞試料を得た。
【0055】
3−2.増殖過程における細胞の表面電位の変化の測定
大腸菌Escherichia coli、黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureus subsp. aureusおよび酵母Saccharomyces pastorianusならびに枯草菌Bacillus subtilisの芽胞を、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用いて35℃で16時間培養し、培養液を2時間毎に回収し、細胞の表面電位を実施例1に記載の通りに測定した。表面電位は、それぞれ10細胞から得られた表面電位の平均値(mV)として求めた。また、生菌数は、回収した培養液をさらに平板培養しコロニー数を計数することにより求めた。
【0056】
結果は、図2a〜図2dに示される通りであった。
【0057】
大腸菌Escherichia coliにおいては、培養後2時間において生菌数には変化がなかったが、細胞の表面電位は約−10mVから約−110mVに低下していた(図2a)。細胞の増殖曲線および表面電位の変化から分かるように、増殖によって菌数が増加するに伴い、細胞膜の表面電位の低下が見られた。このことから細胞の増殖能と細胞の表面電位とが関連することが示された。加えて、細胞の表面電位は細胞の増殖に先だって変化を開始した。このことは、細胞が将来的に増殖を起こすか否かを予測することができると共に、細胞の増殖能を早期に評価することができることを意味する。また、細胞増殖前には細胞の代謝能が上昇することから、表面電位の測定は、細胞の代謝能の評価にも用いることができると考えられる。
【0058】
これらの結果は、グラム陰性菌である大腸菌とは細胞壁の構造が異なるグラム陽性菌として知られる黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureus subsp. aureus(図2b)および真菌界に属する酵母Saccharomyces pastorianus(図2c)においても同様であった。すなわち、いずれの細胞も、培養直後の表面電位は約−10mV程度であったのに対して、培養開始後に表面電位の大きな低下を示し、さらに表面電位の最小値は約−200mVであった。このように細胞壁の構造が大きくことなる3種類の単細胞生物において細胞増殖と表面電位の低下との関係が確かめられた。このことから、表面電位の低下と細胞増殖との関係は細胞壁の有無や構造に依存しないことが示唆される。また、大腸菌および黄色ブドウ球菌は細菌に属する微生物であり、酵母は真菌に属する微生物であることを考慮すると、表面電位の低下と細胞増殖との関係は界(kingdom)を超えて生物一般に共通した性質である可能性が示された。
【0059】
さらに、同様の結果が枯草菌Bacillus subtilisの芽胞を培養した場合にも確認された(図2d)。培養後4時間において、細胞の表面電位は、生菌数の変化に先だって大きな変化を示した。この時点での芽胞の生菌数にはほとんど変化が認められない。また、細胞の増殖が実際に始まると、増殖によって菌数が増加するに伴い、細胞膜の表面電位の低下が見られた。このように、Bacillus subtilisにおいても細胞の増殖と表面電位には明確な相関が見いだされた。なお、培養後4時間における芽胞の発芽率は40%〜50%であると見積もられた。
【0060】
これらの結果から、いずれの細胞においても、細胞の表面電位を測定することにより、増殖の予測および増殖能の早期の判定ができることが明らかとなった。
【0061】
実施例4:エネルギー代謝と表面電位との関係
細胞の代謝と表面電位との関係を調べるために、本発明者らは酵母のエネルギー源であるグルコースを添加した培地、または酵母のエネルギー源とはならないデンプンを添加した培地で酵母を培養し、それぞれの酵母の表面電位を測定し、比較した。
【0062】
4−1.酵母試料の調製
酵母としては、ビール酵母Saccharomyces pastorianus RIB 2010株(独立行政法人酒類総合研究所保存株)を用いた。酵母を、エネルギー源として、1%となるようにグルコースを添加したN源ベース培地(Difco社、製品番号:239210)または1%となるようにデンプンを添加したN源ベース培地を用いて25℃で48時間培養し、それぞれの培地における酵母を4時間毎に回収した。その後、実施例1に記載の栄養相試料の調製方法の通りに測定試料を調製した。
【0063】
4−2.酵母の表面電位の測定
酵母の表面電位の測定は、実施例1に記載の通りに行い、表面電位は、それぞれ10細胞から得られた表面電位の平均値(mV)として求めた。生菌数の測定は実施例3の通りに行った。結果は図3に示される通りであった。
【0064】
エネルギー源としてグルコースを用いた培地で培養した酵母は培養後4時間で、約−200mVの表面電位を示し、その後、培養開始後16時間まで約−200mVの電位をほぼ維持した。また、生菌数は、培養開始後8時間を過ぎてから急激に増加を開始した。これに対して、グルコースの代わりにデンプンを用いた培地で培養した酵母は培養開始後4時間では、表面電位は約−50mV以上であり、培養開始後16時間まで−50mV以下の電位を示すことはなかった。また、培養開始後の培養液でも、生菌数はほとんど増加しなかった。
【0065】
細胞にとって資化できない糖源のみを含む培地では、細胞の増殖能および代謝能は大きく低下するものと考えられ、観察された細胞の表面電位の差異は、糖源の差異による細胞の増殖能および代謝能の差異を反映したものと考えられる。このように、細胞の表面電位の値は細胞の増殖や代謝と関連することが示された。また、この結果から、細胞の表面電位を測定することで、細胞の糖源の資化性を評価できることが分かった。あらゆる栄養源が細胞の増殖能および代謝能に差異を生じさせうることを考慮すれば、細胞の表面電位の測定は、糖源のみならず細胞の栄養資化性の判定に用いることができることが明らかである。
【0066】
実施例5:表面電位に対する抗生物質の影響
5−1.細菌試料の調製
ペニシリンGの影響を調べるため、ペニシリンGに感受性のグラム陽性菌として、ブドウ球菌Staphylococcus aureus subsp. aureus NBRC 100910株を用い、また、ペニシリンGに非感受性のグラム陰性菌として、大腸菌Escherichia coli IFO 3301株を用いた。ブドウ球菌および大腸菌は、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用い、35℃で24時間培養し、その後、ペニシリンGナトリウム塩(和光純薬社)を100mg/mLとなるように添加し、さらに培養を続けた。抗生物質添加前および添加3時間後に細胞を回収し、実施例1に記載の栄養相試料調製の方法の通りに試料を調製した。
【0067】
5−2.抗生物質添加後の細菌の表面電位変化の測定
細菌の表面電位の測定は、実施例1に記載の通りに行い、表面電位は、それぞれ10細胞から得られた表面電位の平均値(mV)として求めた。生菌数の測定は実施例3の通りに行った。結果は表2に示される通りであった。
【表2】

【0068】
ペニシリンGに感受性の黄色ブドウ球菌では、生菌数は、1.9×10細胞から2.8×10細胞にまで激減した。ペニシリンGにより黄色ブドウ球菌の細胞壁の合成が阻害され、細胞の増殖が困難となった上に、薄くなった細胞壁が細胞内外の浸透圧に耐えられずに破壊されてしまったことが生菌数の減少の原因と考えられる。黄色ブドウ球菌では、ペニシリンG添加前の表面電位が−185mVであったのに対し、ペニシリンG添加後3時間で表面電位は−33mVにまで上昇した。一方で、ペニシリンG非感受性の大腸菌では、生菌数は、3.1×10細胞から8.6×10細胞にまで減少したが、生菌数の減少の程度は限定的であった。また、ペニシリンG添加前の大腸菌の表面電位は−195mVであったのに対し、添加3時間後の表面電位は−180mVであり、添加前とほとんど変化が無かった。このようにペニシリンGに対する感受性の差が、細胞の表面電位の明確な差として計測できることが示された。
【0069】
この結果から、表面電位を測定することで、細胞の抗生物質に対する感受性の評価が可能であることが明らかとなった。
【0070】
実施例6:抗原抗体反応と表面電位との関係
6−1.細菌試料の調製
細菌としては、エンテロトキシンAを産生するブドウ球菌Staphylococcus aureus subsp. aureus NBRC 100910株およびエンテロトキシンAを産生しない大腸菌Escherichia coli IFO 3301株を用いた。ブドウ球菌および大腸菌を、肉汁培地(Difco社、製品番号:234000)を用いて35℃で48時間培養し、その後、各菌体濃度が10〜10細胞/mLとした100μLの菌液を抗エンテロトキシンA抗体を含む抗体を塗布したウェル(RIDAスクリーン黄色ブドウ球菌検査キット(アヅマックス社))に添加し、さらに培養を続けた。この抗体ウェルへの添加前および添加3時間後に菌体を回収し、実施例1の栄養相試料の調製の方法の通りに試料を調製した。
【0071】
6−2.抗体添加後の細菌の表面電位の測定
細菌の表面電位の測定は、実施例1に記載の通りに行い、表面電位は、それぞれ10細胞から得られた表面電位の平均値(mV)として求めた。結果は表3に示される通りであった。
【表3】

【0072】
エンテロトキシンAを産生しない大腸菌の表面電位は抗エンテロトキシンA抗体の添加前後でほとんど変動が見られなかったが、エンテロトキシンAを産生するStaphylococcus aureus subsp. aureus NBRC 100910株では抗体の添加により表面電位が−75mVから−110mVへと大きく低下した。このことから、抗原を生産する細胞の表面電位を測定することにより、抗原抗体反応の判定が可能であることが示された。
【0073】
実施例7:ビール酵母の呼吸能と表面電位との関係
ビール酵母の正常株と呼吸能欠損変異株とを用いて、呼吸能と表面電位との関係を調べた。
【0074】
7−1.ビール酵母試料の調製
ビール酵母の正常株として、Saccharomyces pastorianus RIB2010株(独立行政法人酒類総合研究所保存株)を用いて、YM液体培地(Difco社、製品番号:271120)で25℃で培養し、培養開始時と開始後12時間、24時間で酵母の菌体を回収した。その後、実施例1の栄養相試料の調製法に従って正常株の酵母試料を調製した。また、ビール酵母の呼吸能欠損変異株は、飯塚廣著「酵母の分類同定法」東京大学出版(1973)p140に記載の方法に従い、Saccharomyces pastorianus RIB2010株を30mg/Lのアクリフラビン(和光純薬社)を添加したYM寒天培地(Difco社、製品番号:271210)で72時間培養することによって得た。得られた呼吸能欠損変異株(チトクロムb、c欠損株)、および対照となる正常株をそれぞれYM培地で培養し、培養開始時と開始後12時間および24時間で酵母の菌体を回収した。その後、実施例1の栄養相試料の調製法に従って酵母試料を調製した。なお、呼吸能欠損変異株は、上記文献に記載の通り、コロニーが比較的小さく、TTC染色法にて赤く染まらない白色のコロニーとして選抜された。
【0075】
7−2.ビール酵母の呼吸能欠損変異株における表面電位の測定
細菌の表面電位の測定は、実施例1に記載の通りに行い、表面電位は、それぞれ10細胞から得られた表面電位の平均値(mV)として求めた。生菌数の測定は実施例3の通りに行った。結果は表4に示される通りであった。
【表4】

【0076】
ビール酵母の正常株では、培養開始直後では表面電位が−30mVであったのに対して、培養開始後は予想通り表面電位が大きく低下し、培養開始12時間後では−180mVであった。その後も表面電位は維持された。この際、生菌数は、培養開始直後では4.3×10細胞/mLであったのに対して、培養後12時間で2.2×10細胞/mLへと大きな増殖を示した。次に、呼吸能欠損変異株では、培養開始時の表面電位は−25mVと、正常株と同程度の表面電位を示したが、培養開始12時間後では表面電位が−65mVまでしか下がらなかった。この際の生菌数は、培養直後では3.3×10細胞/mLであったが、増殖能は低く、培養後12時間でも4.1×10細胞/mLであった。このように、呼吸能の差は、細胞の表面電位の差として検出することが可能であった。このことから、表面電位の測定により細胞の呼吸能判定が可能であることが明らかとなった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
細胞の表面電位を測定することによって、細胞の性質を評価する方法。
【請求項2】
表面電位をケルビンフォース顕微鏡により測定する、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
細胞が、単細胞生物である、請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
評価される性質が、増殖能、代謝能、栄養資化性、呼吸能、化学物質感受性または薬剤耐性である、請求項1〜3のいずれか一項に記載の方法。
【請求項5】
物質と接触させた細胞の表面電位を測定することにより、物質の生理活性を評価する方法。

【図2】
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【図3】
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【図1】
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